「宇宙哲学」 第19章

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落225

225 On the following day this promise was fulfilled. It was an experience that I shall never forget and proof positive that we never die.
225 翌日、この約束は果たされました。それは私が決して忘れることのない体験であり、私達が決して死ぬことはないという強い証でした。




【解説】
 この「宇宙哲学」執筆の最終段階において、アダムスキー氏はかつての妻の転生先の金星に運ばれ、そこで再会することになったことは皆さま、ご存知の通りです。即ち、一連の著作を終え、アダムスキー氏自らの哲学の整理が出来た段階で、人間の生まれ変わりを確証させる為に、アダムスキー氏に贈られた他惑星人の計らいであった訳です。
 言い替えれば、アダムスキー氏にとって具体的に他の惑星に転生することを、その後、人々に説く上で、氏に自らの体験を持たせることが必要だと他惑星人が判断したということでしょう。実体験が重要であるということです。
 もちろん私達各人にとって、今後他惑星人の協力を得て、このような亡くなった家族と転生先で再会するようなことは望むべくもありません。各自の感性を伸ばし、必要な知識・情報は自ら掴む他ありません。仏教では故人の成仏を祈るという表現がありますが、これは転生先で仏のような生活を送って欲しいという故人の幸せを願う気持ちを表すものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落224

224 "Tomorrow you will be privileged to meet the one that you have known as your earthly wife. She is now a young woman living on Venus. She will not recognize you as her husband, but rather as a Cosmic brother. Neither will she wish to be reminded of her life upon earth, for her present life is free from the bondage of self and self interests."
224 「明日、貴方は貴方の地球での奥様であった方にお会いすることが許されるでしょう。彼女は今、金星で少女として生きています。彼女は貴方を夫としてではなく、宇宙的な兄妹の一人として受け止めることでしょう。また彼女は地球上での自分の人生を思い出したいとも思わないでしょう。何故なら、彼女の現在の生活は自己や自己の興味による束縛から自由になっているからです。」




【解説】
 本項はその後公開されることとなる「金星旅行記」の中で、アダムスキー氏が実際に金星に渡航し、妻であったメリーと再会することになる経緯を伝える内容となっています。
 とかく私達は地球での家族関係を「絆(きずな)」と称し、大切にしていますが、本文ではこれらの間柄をむしろ、「束縛」と表現していることに注意すべきかと思います。
 即ち、各個人が自らの人生を歩む上で、家族は一時期、共に暮らした仲間である一方、転生後までその間柄に束縛を受けるべきではないということでしょう。
 一人の人格として更に成長する為には、新しい人生を歩みながら進化して行く必要があるという訳です。実はそれ程に、死は一つの時代から別の時代に移る大きな転換であり、私達は各自に用意されている新しい世界、新しい環境の下で各自の進化の道を歩むべきであるということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落223

223 Firkon continued, "As we have told you before, your book of records that you call the Holy Bible, contains these laws that we tell you of, for did not Jesus the Christ say to the thief on the cross beside His, 'Verily I say unto thee, Today shalt thou be with me in paradise.'? * (Luke 23:43). Therein expressing immediate rebirth.
223 ファーコンは続けた。「私達が以前、貴方にお話したように、あなた方が聖書と呼ぶ記録の書には、私達が今お話しているこれらの法則が記述されています。何故なら、イエス・キリストは傍らの盗人に向かって『まさに私は汝に言っておく。本日、汝は私とともにパラダイスに居るだろう(ルカ23:43)』と言ったではありませんか。その言葉の中には即座の復活が表されているのです。」




【解説】
 本項では、イエスもまた「生まれ変わり」について、自らが十字架に掛けられている最中に傍らに居た同じく十字架に掛けられた罪人からの問いかけに答えた言葉が記載されていると説かれています。
 人間は死後、瞬時に転生することを、イエスは身をもって説いていたのです。
 最近読んだ「これこそ聖骸布」(ガエタノ・コンプリ著、ドン・ボスコ社)の中に当時、行われていた極めて残忍な十字架刑の様子が記されていますが、イエスはそのような苦痛を前にされても確固たるご心境の下、隣の罪人達に死後再び新しい命として他の惑星(天国)に生まれ変わることを信ぜよと説いていたことが分かります。
 それ程に、今後の私達にとっても、これから永遠に続く各自の人生の歩みについて想いを致すべき大きな知見というべき事柄が、この転生の原理であり、同様な事柄を仏陀も転生(カルマ)として説くところとなっているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落222

222 "Untold opportunities are granted to man to return to his Father's household for there is no smallest part of essence or intelligence that is lost or is not ever active. When the garment known as the body, releases the flame of life to continue its activities elsewhere, the cell intelligence is busy changing the elements of the body into the dust from whence they came. But the flame of Cosmic Intelligence has found a new vessel which contains renewed energy, in which to express. Thereby continually granting to individualized portions of matter the opportunity to evolve to a higher state of service and understanding."
222 「人には自分の父の家庭に戻る為の明かされていない機会が認められています。何故なら、失われたり永久に活動しない真髄や英知はどんなに細かい部分と言えど無いからです。肉体として知られている衣服がその活動をその後何処かで続けるべく生命の炎を解き放つ時、細胞の知性は肉体の諸元素をそれらがやって来たチリに変化させるべく忙しくしています。しかし、宇宙的知性の炎はそれを表現すべき再生したエネルギーが入っている新たな容器を見つけています。その結果、各個人に分かれた物質に対して奉仕と理解においてより高い状態に進化する為の機会を与え続けているのです。」




【解説】
 古来から、人間が死んだ後にどうなるのかにつて、様々な言い伝え、或いは神話があり、現代の私達の時代でも多くの宗教がその後の有様を私達に示しています。
 一方、結果(物質)の世界にのみ足を置く現代人にとって、それらの教えには証拠が無いとして、退け今もって死の先には何もないと考えています。
 しかし、本項では進化した他の惑星人社会においては、期せずして太古の地球人が思っていたように、更なる生まれ変わりという新しい人生が私達各人に用意されていると説かれていることに注目しなければなりません。やがてはその生まれ変わりの事実も照明される日も来るに違いありません。その上で私達各人は目の前に続く長い道程を前にして、焦ることなくまた、断念することなく、その恵みに感謝しながら自らの人生の歩みを続けて行くべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落221

221 "Man has not experienced the full potential of his being, for he too is forgetful of his cause parent. As a result he wanders in a maze of effects, ever searching for that which has lasting value.
221 「人間は自分の存在の最大限の潜在能力を経験したことはありません。何故なら、彼もまた自分の因の両親を忘れたからです。結果として彼は結果の迷宮の中をさまよい、価値が長続きするものを求めていつも探しているのです。」




【解説】
 実はリンゴの実自身も親の木から離れた後は、自分自身の持つ潜在能力を忘れて結果の世界にさ迷うことを、この寓話は示しているという訳です。
 実際の自然界のリンゴはそのようなことは無い一方で、私達人間は、生まれ出たその日から、自分の中にある知恵と能力に気付かないまま、外界の世界に答えを求めて来ているのです。本文で言う長続きする価値とは、貴金属や宝石、不動産、貨幣その他であるとして、皆、その安泰を目指して生きているのではないでしょうか。
 しかし、仏陀が言うように、こうしたものには不変の価値などというものは無く、移り行く存在でしかありません。唯一、宇宙に存在する真理の中にその価値を置くべきということでしょう。私達の細胞一つ一つにその真理を認め、共に生きることこそが大事と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落220

220 "When the fruit is fully mature it is either picked from the tree, or it drops to the ground - thus it is separated from the parent. If the apple were like man it would exult in its own beauty and free-will, developing the self ego in the world of effects only, forgetful of the Cause parent.
220 「その果実が完全に成熟する時、それは木からもぎ取られるか、地面に落ちることになります。そのように両親から離されます。もしリンゴを人間とするとしたら、それは自らの美しさに有頂天になり、自由意志は自己のエゴを結果の世界のみに発達させて宇宙的な両親を忘れさせることでしょう。」




【解説】
 実は私達人間も母体から生まれ出る際には、このリンゴの実が成熟を遂げ、親の木から離れる時と同様ではないでしょうか。生まれて母体とは別に人格が与えられる際、赤子はその喜びに浸る一方で、次第に自分を体内で育てた母親を忘れ、外界の結果の世界に迷い出てしまうと、本項で他惑星の長老がその本質的見方を私達に提起しています。
 もちろん、生まれ出た私達には、次々と問題が押し寄せ、判断を仰いで来ます。一つ一つを自らの責任で決定し、行動しなければなりません。こうした中、私達は本来、私達が一つの小さな細胞から生まれ来った創造の過程、自らの体験を何一つ忘れて、外界の世界のみに気を取られてしまった訳です。
 私達がそもそも何の目的でこの世に有るのか等、各自の生まれ来た意義について、再度考える必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落219

219 "From the bosom of mother earth the seed grows to a beautiful and productive tree expressing its full potential in bringing forth fruit. According to the seasons., tender new leaves grow into maturity, delicate blossoms proudly display their color and fragrance attracting pollen and the elements required for the growth of the individual apples. Slowly the blossoms release their beauty that the fruit bearing the re-creative seed may fulfill its purpose.
219 「母なる大地の胸元から、その種は一本の美しく、そして果実をもたらす完全な潜在力を表現する木に成長します。季節に従って柔らかな若葉は成熟へと成長し、繊細な花々はそれらの色や香りでひきつける花粉やその他の一つ一つのリンゴの成長に必要な要素を誇らしげに表現します。花々はゆっくり、その再創造の力を持つ種がその目標を成就する実を付けるよう、その美しさを解放するのです。




【解説】
 リンゴの木は春には花を咲かせますが、その花は虫たちを呼び寄せ、花粉の受粉を促し、やがて実を付け成熟したリンゴを実らせます。私達はこの一連の生長の過程を美しさの中に見ることが出来、遂には近くの店に並べられたその実を味わい、自然の営みに感謝するという訳です。
 もちろん、リンゴの木はリンゴの実を実らせることを目指して、生涯のパターンを繰り返しているのですが、私達はリンゴを食べる際に、実はそのリンゴの実は私達の為だけに実をつけているのではないことに気付きます。即ち、新しい世代を造る為の種を生み出すことがその大きな役目でもあるからです。
 通常、私達は植物の花を見て、その美しさや繊細な香りを愛でる訳ですが、植物にとっては種を残し、広めること、本文で長老が言う「再創造」の一環として生涯を送っていることに気付かなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落218

218 "The apple tree lends itself very nicely as a symbol of creation and re-creation. The tree as a parent for the apple started from a seed within whose heart was the cosmic urge to express.
218 「リンゴの木というものは、創造と再創造の象徴として、大変良く自らを役立てています。そのリンゴにとって両親となる木は、その内部の芯の中に表現したいと促す宇宙的衝動がある一つの種からスタートしました。」



【解説】
 果物は健康に良いということから、この頃は朝食として果物のサラダのようなものを食べておりますが、中でもリンゴは毎回欠かすことなく食べております。
 そのリンゴは一本の木から実にたくさんの実をつけることは、ご存知の通りです。日本では青森や長野等の産地が有名ですが、古くは聖書時代に遡ることは皆さま良く知るところです。
 リンゴの種はその実の大きさに比べて小さなものですが、リンゴの木も元はと言えばその一粒の種から生まれたもの、その種の中にはリンゴとしての全ての知識や生長の仕組みが備わっていることは驚くばかりです。
 本項はファーコンに託された長老からの言葉として、その内容が語られている訳です。進化した他惑星人がリンゴの種の中に備わっている大きな可能性、知恵というものを如何に深く理解しているかを、本文から学ぶべきでしょう。種を見て、それがこれから発芽して偉大なリンゴの木になるぞという意気込みを他惑星人は感じ取ることが出来ているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落217

217 Firkon addressing me said, "We had planned to have you meet the One you call the Master, who we call the Wise One, but as those plans were not possible to carry through, He asked me to give you this parable to be shared with the people
217 ファーコンは私に話しかけてこう言いました。「私達は貴方を貴方がマスターと呼び私達が賢者と呼ぶ人物に逢わせようと計画して来ましたが、そうした計画が実行出来なかったため、その方から私がこの寓話を貴方に贈って人々に分かち合って欲しいと頼まれたのです。」




【解説】
 改めてこのマスター(長老)と呼ばれる人物が担う役割の大きさを感じさせる一節となっています。その意味は以前、何かのイエスの生涯の映画を観た時、弟子の一人がイエスに対して、「マスター」と呼びかけていたことを思い出すからです。
 即ち、アダムスキー氏や仲間の他惑星人はこの長老をイエスと同様に「マスター」と呼んでいたことになり、同乗記の中で会った金星や土星の長老はイエスと同じレベルの方々であったことが分かります。
 また、アダムスキー氏自身と長老が会見することも容易なことでなく、様々な状況を調整した上で行われる必要があり、今回の場合は関係者の努力にも拘わらず実現しなかったということでしょう。その上で、宇宙哲学の完結にあたり、長老からこのリンゴの木の寓話がアダムスキー氏に贈られたという訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落216

216 Firkon and another gentleman had brought me to the home of some of their people who are living here.
216 ファーコンともう一人の紳士が私を、ここに住んでいる彼らの仲間の誰かの家に連れてきたのでした。




【解説】
 本項の何気ない記述から、当時、ロス・アンジェルス近郊には、アダムスキー氏を支援する多くの他惑星人が密かに暮らしていたことが分かります。
 その上でアダムスキー氏を実際にスカウトシップ(円盤)に乗せる段取りや母線でのマスターとの会見に結びつける等、密かな活動を行っていたという訳です。
 文中に記されたファーコンは、アダムスキー氏が同乗記で述べている火星からの人で、アダムスキー氏を夜中、着陸中の円盤まで案内した人物であることは同乗記を読まれた方はご存知の通りです。
 このように、同乗記以降も度々、アダムスキー氏は他惑星人の一団と交流を続け、自身の活動についてもアドバイスを受けて来たのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落215

19 THE PARABLE OF THE APPLE TREE
215 It was a warm evening, the discussion which for me was all absorbing overshadowed the beauty of the night, as we relaxed in a patio in suburban Los Angeles.
第19章 リンゴの木の寓話
215 それはある暖かな晩であり、私達はロス・アンジェルスの郊外のある中庭でリラックスしながら、私にとって全てがその夜の美しさをも陰らすほど夢中になる議論でした。




【解説】
 本書(宇宙哲学)が出版されたのが1961年とされていることから、本章19章の内容はそれに近い頃の出来事と思われます。デザート・センターでの会見から10年弱が経過する中で、この間培われたアダムスキー氏と他惑星人との友情の中で、幾度かあった会合の一つであったことでしょう。
 その中で、この宇宙哲学を締めくくる意味で、聖書に記されたリンゴの木の寓話の意味について話がなされたという訳です。
 本章を読み進めるに当たって、私達が注目したいことは、私達と他惑星人とは基本的に何ら変わるものはなく、同じ人間であり、唯一、感情のコントロールや知識の深さ、想念印象波の感受力が異なるだけということです。アダムスキー氏の活動を陰で支えて来たのは彼らであり、アダムスキー氏は誠実に彼らのアドバイスに従って活動して来たという訳です。その結果、本書の刊行も含め、私達は彼らからの恩恵を受けていることに感謝しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落225

225 On the following day this promise was fulfilled. It was an experience that I shall never forget and proof positive that we never die.
225 翌日、この約束は果たされました。それは私が決して忘れることのない体験であり、私達が決して死ぬことはないという強い証でした。

【解説】
 実際、この体験を経てアダムスキー氏は人間の生まれ変わりについて、より明確な展望を持ち、以後の人々への教えの中で確固たるイメージを伝えることが出来るようになったものと思われます。
 死は一瞬の生命の切り替わりのターニングポイントでしかありません。しかし、死後何処に転生するのか、そこには宇宙の法廷、審判なるものがあるのかも知れません。死に行く者の波動が十分に高まっていなければいくら願っても高次な惑星への転生は叶う筈もありません。そこには厳然とした法則がある訳で、物理で言う電子軌道のエネルギーがそれぞれの軌道に定まっており、十分にエネルギーを帯びている者しか、その高い軌道に移行することは出来ないのです。
 一方、戦争や災害等で一度に多数の者が死亡するような事態はどうでしょうか。その場合、はっきりとは分かりませんが、多少の待機状態はあるのかも知れません。しかし、私達は間違いなく死後は無に帰す訳ではなく、再び新たな環境で生命の歩みを続けることが出来ることの意味は大きなものがあるのです。赤ちゃんがかくも楽しげ、穏やかに眠ることが出来るのは、こうした新たな生命を享受し感謝しているからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落224

224 "Tomorrow you will be privileged to meet the one that you have known as your earthly wife. She is now a young woman living on Venus. She will not recognize you as her husband, but rather as a Cosmic brother. Neither will she wish to be reminded of her life upon earth, for her present life is free from the bondage of self and self interests."
224 「明日、貴方は貴方の地球での奥様であった方にお会いすることが許されるでしょう。彼女は今、金星で少女として生きています。彼女は貴方を夫としてではなく、宇宙的な兄妹の一人として受け止めることでしょう。また彼女は地球上での自分の人生を思い出したいとも思わないでしょう。何故なら、彼女の現在の生活は自己や自己の興味による束縛から自由になっているからです。」



【解説】
 前々項から続く「生まれ変わり」について、彼ら宇宙兄弟達は具体的な例を先に金星に転生したアダムスキー氏の妻メアリーに逢わせていることが本項で記されています。
 もちろんアダムスキー氏自身も人間は転生することをよく知っていた訳ですが、氏に具体的な検証を果たすことで、それらの報告を読む私達にとって、好事例になることは明らかであり、そうした意図の下で計画されてものと思われます。詳細については「金星旅行記」に記載があることは皆さまご存知の通りです。
 一方、本文に記されているように、地球では夫婦であっても転生後は別の関係、言い換えれば過去生とは離れて新しい生き方が用意されることに注目したいところです。各自の人格の形成にとって足りなかった側面を異なる環境で学ぶ為の新しい学校、新たな環境が用意されるという訳です。そこにはかつて仏典にあるように、他の生きものに生まれ替わったりするようなことはなく、次回も人間として生きて行くことになることも重要なポイントです。今期の成果の上に来期の生活があるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落223

223 Firkon continued, "As we have told you before, your book of records that you call the Holy Bible, contains these laws that we tell you of, for did not Jesus the Christ say to the thief on the cross beside His,  'Verily I say unto thee, Today shalt thou be with me in paradise.'? * (Luke 23:43). Therein expressing immediate rebirth.
223 ファーコンは続けた。「私達が以前、貴方にお話したように、あなた方が聖書と呼ぶ記録の書には、私達が今お話しているこれらの法則が記述されています。何故なら、イエス・キリストは傍らの盗人に向かって『まさに私は汝に言っておく。本日、汝は私とともにパラダイスに居るだろう(ルカ23:43)』と言ったではありませんか。その言葉の中には即座の復活が表されているのです。」



【解説】
 生命体の生涯は死で途切れることはないことを聖書は伝えています。また、同種のことは仏教でも教えるところであり、輪廻転生の法の下に私達はあるという訳です。
 とりわけ、イエスは身を持って私達に人の死後、速やかにしかるべき場所に生まれ変わることを教えたのです。十字架の激痛の中にあっても、傍らの改心した盗賊人に優しく生まれ変わりを諭しており、穏やかに死を迎えるよう説いています。
 ここで、ファーコンは聖書を記録と表現してアダムスキー氏に語りかけているのですが、その背景には聖書には時々の状況にイエスが語った言葉を正確に記録したものであること、同時にまたイエスの弟子であるヨハネとしてアダムスキー氏が当時、イエスと行動を共にしていたとされることを暗に示しているように思われます。
 聖書の中のイエスの言葉は2000年余の歳月を経過した今日でも、その真意に迫ることが出来るように思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落222

222 "Untold opportunities are granted to man to return to his Father's household for there is no smallest part of essence or intelligence that is lost or is not ever active. When the garment known as the body, releases the flame of life to continue its activities elsewhere, the cell intelligence is busy changing the elements of the body into the dust from whence they came. But the flame of Cosmic Intelligence has found a new vessel which contains renewed energy, in which to express. Thereby continually granting to individualized portions of matter the opportunity to evolve to a higher state of service and understanding."
222 「人には自分の父の家庭に戻る為の明かされていない機会が認められています。何故なら、失われたり永久に活動しない真髄や英知はどんなに細かい部分と言えど無いからです。肉体として知られている衣服がその活動をその後何処かで続けるべく生命の炎を解き放つ時、細胞の知性は肉体の諸元素をそれらがやって来たチリに変化させるべく忙しくしています。しかし、宇宙的知性の炎はそれを表現すべき再生したエネルギーが入っている新たな容器を見つけています。その結果、各個人に分かれた物質に対して奉仕と理解においてより高い状態に進化する為の機会を与え続けているのです。」




【解説】
 本項は人間が死を迎える際、どのような事態が起こるかを端的に教えています。
 即ち、私達はその際、本来の「父」の家庭に戻れるチャンスが与えられているという訳です。恐らく死に行く私達は意識も朦朧とし、肉体もその維持から分解へと舵を切っている訳ですが、そうした中にあって、私達の宇宙的知性は宇宙の中に新しい肉体が準備されていることを知り、その元に私達の本性を移行する準備を整えているのです。
 こうして死から新たな誕生へと生命活動は途切れることなく継承されますし、個性も移行されるということでしょう。私達が死を迎えた際にどのような心境になっているかが大事であるということでもあります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落221

221 "Man has not experienced the full potential of his being, for he too is forgetful of his cause parent. As a result he wanders in a maze of effects, ever searching for that which has lasting value.
221 「人間は自分の存在の最大限の潜在能力を経験したことはありません。何故なら、彼もまた自分の因の両親を忘れたからです。結果として彼は結果の迷宮の中をさまよい、価値が長続きするものを求めていつも探しているのです。」



【解説】
 目の前の現象に目を奪われている私達は、真実の、そして不変なる私達の源について、ついつい忘れがちです。その結果、自分の目の前の一見、確かそうな物質に私達の拠り所を見出そうとしているのです。
 しかし、この一見確かそうに見える物質世界は実は大変移ろい易いものです。私達自身、数年前の自分の写真を見ても、変貌する様子は確認出来る筈です。このように変遷、流転するのが物質界の定めということでしょう。常に同じ形を保つことは難しく、地球自体、宇宙自身も絶えず変化して行く過程にあるのです。
 そう気付く時、私達はそれら物質界の更に奥の因の世界にそれらの永続性を見ることになります。即ち、これら宇宙の活動を支え続けている存在に対して、畏敬し信奉することが唯一不変な生き方であるからです。
 他の動植物はどこまで理解しているのかは知りませんが、少なくてもこの厳しい生存環境の中でも、穏やかに生涯を送り、自らの役割の実現に向けて迷うことなく邁進している彼らには、この不変なる因の生命力について、誰にも負けない信頼を置いていることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落220

220 "When the fruit is fully mature it is either picked from the tree, or it drops to the ground - thus it is separated from the parent. If the apple were like man it would exult in its own beauty and free-will, developing the self ego in the world of effects only, forgetful of the Cause parent.
220 「その果実が完全に成熟する時、それは木からもぎ取られるか、地面に落ちることになります。そのように両親から離されます。もしリンゴを人間とするとしたら、それは自らの美しさに有頂天になり、自由意志は自己のエゴを結果の世界のみに発達させて宇宙的な両親を忘れさせることでしょう。」

【解説】
 リンゴの場合はその元となったリンゴの木のことは忘れることはない訳ですが、地球人の場合、とりわけ西欧社会では誕生後、自我の発展を望ましいとする幼児教育が行われているのではないでしょうか。自分で物事を選択させ、その結果に責任を持たせるやり方は、子供の頃から自身で決定する生き方を勧めています。
 しかし一方で、このことが独善となったり、エゴを高め、自他の区別、更には弱肉強食の世界へと繋がって行くような気がします。全て平等の条件の下でスタートした後は、個人の努力や才覚次第だという訳です。もちろん事業を成功させ、金持ちになる者もありますが、競争社会の下では圧倒的大多数が敗者として人生を終わるものです。
 これに対して、先ずは自らの出生の源にある宇宙根源の生命体を畏敬し、ひたすらその指導に従い、自らに託された使命を全うしたいとする心境には、エゴを高める要素は一つもありません。
 私達が先ずしなければならないことは、自我を増長させることでも、自我を取り去ることでもない、自らの由来や本来の使命について思いを致すことだと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落219

219 "From the bosom of mother earth the seed grows to a beautiful and productive tree expressing its full potential in bringing forth fruit. According to the  seasons., tender new leaves grow into maturity, delicate blossoms proudly display their color and fragrance attracting pollen and the elements required for the growth of the individual apples. Slowly the blossoms release their beauty that the fruit bearing the re-creative seed may fulfill its purpose.
219 「母なる大地の胸元から、その種は一本の美しく、そして果実をもたらす完全な潜在力を表現する木に成長します。季節に従って柔らかな若葉は成熟へと成長し、繊細な花々はそれらの色や香りでひきつける花粉やその他の一つ一つのリンゴの成長に必要な要素を誇らしげに表現します。花々はゆっくり、その再創造の力を持つ種がその目標を成就する実を付けるよう、その美しさを解放するのです。



【解説】
 一粒の種が大地の中に播かれると、その種は大地の庇護の下、自身に託された創造の目的の実現に向けて活動を開始します。それは種から発芽し、若葉を出し、やがて幼木から花を付ける成長した木になるまで、休むことはありません。
 何ら迷いもなく、ひたすら自身の発現の為、内なる使命を成就する為に働くのです。しかしここで注意したいのは、彼らは苦難の中ガムシャラに努力しているというよりは、静かにしかも豊かに自身を通じて自然の豊かさ、生命の美しさを体現していることです。
 植物がこのような自然(宇宙)の法則の中に身を置いて生きていることを実感することが大切です。私達は本来、自然との調和の中に暮らすことで、少しでも彼らに倣った心境を保つことが求められているように思います。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落218

218 "The apple tree lends itself very nicely as a symbol of creation and re-creation. The tree as a parent for the apple started from a seed within whose heart was the cosmic urge to express
218 「リンゴの木というものは、創造と再創造の象徴として、大変良く自らを役立てています。そのリンゴにとって両親となる木は、その内部の芯の中に表現したいと促す宇宙的衝動がある一つの種からスタートしました。」

【解説】
 全ての生きものはその大本を小さな一粒の種、一つの細胞に置いています。
 生命出発の源が一つの細胞に由来することは明らかなのですが、その意義について私達はより深く考えて見る必要があります。
 即ち、種はその発芽の時期や周囲の環境条件が適した時に的確に活動を開始しますし、大賀ハスのように何千年経過してもその時が来るまで待つことも出来る忍耐強さも持ち合わせています。発芽するというその内部の衝動に従って、ある意味その後の保障は何も無くても種達は迷うことなく発芽し、精一杯の生長活動に転じる一方、その後は許される範囲内で必要な成分を周囲から摂取し、自らに期待される成長に向けて人知れず努力するということでしょう。
 私達が特に重視しなければならない点は、これら種の行動には迷いがないということです。最近、食卓に上るスプラウトのように一斉に発芽する様子は生命力がそのまま表現されているものです。その迷いの無さは、自らを支えて呉れる自然への信頼によるものと言えるでしょう。種が発芽する時のように、私達も宇宙の因のサポートに信頼を置くことが大切なポイントです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落217

217 Firkon addressing me said, "We had planned to have you meet the One you call the Master, who we call the Wise One, but as those plans were not possible to carry through, He asked me to give you this parable to be shared with the people.
217 ファーコンは私に話しかけてこう言いました。「私達は貴方を貴方がマスターと呼び私達が賢者と呼ぶ人物に逢わせようと計画して来ましたが、そうした計画が実行出来なかったため、その方から私がこの寓話を貴方に贈って人々に分かち合って欲しいと頼まれたのです。」




【解説】
 どのような経緯かは分かりませんが、再びアダムスキー氏と「同乗記」で言う長老との面会がその後も計画されていたということでしょう。おそらくはアダムスキー氏を再び母船に同乗させる計画があったものと思われます。
 ここで私達が注目したいのは、何故改めてその長老(注:原文ではtheが付いており、同乗記に記されているアダムスキー氏が会ったあの長老を指すものと思われます)が、リンゴの木の寓話について話す必要があったかということです。
 実は前章では地球太古の時代のトリテリアやレムリアの文明について解説がありました。滅びてしまったレムリアは問題なのですが、それよりも今日の私達にとっては完全な任務遂行を終えたトリテリアの人達が地上をエデンの園として暮らしていたことが重要です。その後の文明でエデンの園の暮らしが送れなくなったきっかけと伝えられるリンゴの木の寓話の真意を正しく理解することが大切なのだということでしょう。
 リンゴはこのことに関連したイメージを持っている訳で、コンピューターやiPhoneのApple社が人が食べかけのリンゴをデザインとしているのは、このことをイメージしているに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落216

216 Firkon and another gentleman had brought me to the home of some of their people who are living here.
216 ファーコンともう一人の紳士が私を、ここに住んでいる彼らの仲間の誰かの家に連れてきたのでした。



【解説】
 当時、ロスアンジェルス郊外に他惑星人が住んでいたことを本項は明かしている訳ですが、アダムスキー氏の周囲には様々な形で他惑星人からの支援体制が構築されていたことがこの記述からも分かります。
 氏の活動はもっぱらこれら他惑星からの支援の人達によって支えられており、氏の近くにいた当時の方々からは、よく正体不明の人達が氏の周囲を出入りしていたことを伝え聞いています。
 中でも私の記憶に鮮やかなのは、マデリン・ロドファー夫人から聞いたお話の中で、あのワシントン近郊でスカウトシップが低空で出現した際、夫人の家に滞在中の氏と夫人に見知らぬ青年達が家のドアを叩いて、「彼らが来ている」とスカウトシップの飛来を伝えたということがあります。
 また、氏の病が最終段階を迎え、最後に病院に救急車で搬送される時、救急車の後ろをしばらく伴走する車があり、やがてライトを点滅させて去って行ったことなど、夫人からは「きっとブラザーズの車だった」という強い印象を受けたとお聞きした時のことは、私にとって今もって鮮やかな記憶となっています。
 今日、私達はこれらアダムスキー氏の残した著作は、こうした他惑星からの支援の下で私達の為に残されたものであることを自覚したいものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落215

19 THE PARABLE OF THE APPLE TREE
215 It was a warm evening, the discussion which for me was all absorbing overshadowed the beauty of the night, as we relaxed in a patio in suburban Los Angeles.
第19章 リンゴの木の寓話
215 それはある暖かな晩であり、私達はロス・アンジェルスの郊外のある中庭でリラックスしながら、私にとって全てがその夜の美しさをも陰らすほど夢中になる議論でした。



【解説】
 当時、あるいは現在も地球の各地には秘かに他惑星人も暮らしているということでしょう。彼らは私達地球人を支援する為に派遣された方々で、アダムスキー氏の周囲にはこのような人々が多数配置され、氏の活動をサポートしていたものと思われます。
 太古の昔から伝わるエデンの園のリンゴの木の寓話について、その真の意味を当時、アダムスキー氏に伝えられた経緯が本章で記されています。
 パティオ(中庭)について思い出すのは、かつてグアダラハラのディアス博士の所に滞在した際、当地の家の造りとして中庭があり、涼しくなる晩にはゆったりとした時間をそこで過ごしたことが思い出されます。また、帰国時に車で空港に向かう途中、”ここが他惑星人の家だ”とそっと教えてくれたことも記憶に残っています。今となっては確かめようもないのですが、他惑星人とコンタクトを持つ人物の周囲には、これら数多くの宇宙からの支援者グループが存在していたものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第19章-段落225

225 On the following day this promise was fulfilled. It was an experience that I shall never forget and proof positive that we never die.
225 翌日、この約束は果たされました。それは私が決して忘れることのない体験であり、私達が決して死ぬことはないという強い証でした。


【解説】
 かつてイエスが身をもって教えていたことが、20世紀になって再びアダムスキー氏の体験を通じて、地求人に与えられたということです。この間の出来事は、アダムスキー氏の「金星旅行記」に記載があるとおりです。
 かつての夫婦が転生後、どのような関係になるか等、その再会時のストーリーは興味深いものがありますが、大事なことは一人一人が自らの進化の道を歩んでいるということでしょう。かつては生活を共にして互いに学ぶべきものを身に付けた後は、各々新しい人生を歩むという訳です。
 さて、「宇宙哲学」の実質的な最終段階にあって、人間の転生、復活について著者は自らの実例を初めて示しながら、読者に確信を与えようとしています。生命の永続性を理解していないのは地球人だけなのかも知れません。肉体という結果のみに注目していれば、死というものに囚われることも分かります。しかし、一般に人間以外の生物の最期は、日常的な捕食関係もあり、極めて穏やかなように思います。身内の死に当って多くを悲しまないのも、生命の連続性を知っているからではないかと思っているところです。
 私達は一生の間で全てを達成することは出来ませんが、その永続する人生の中で、いつの日かイエスに期待される存在になることが出来るように思います。そういう意味でも、本項で言う転生の事例は大変意義深いものがあります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第19章-段落224

224 "Tomorrow you will be privileged to meet the one that you have known as your earthly wife. She is now a young woman living on Venus. She will not recognize you as her husband, but rather as a Cosmic brother. Neither will she wish to be reminded of her life upon earth, for her present life is free from the bondage of self and self interests."
224 「明日、貴方は貴方の地球での奥様であった方にお会いすることが許されるでしょう。彼女は今、金星で少女として生きています。彼女は貴方を夫としてではなく、宇宙的な兄妹の一人として受け止めることでしょう。また彼女は地球上での自分の人生を思い出したいとも思わないでしょう。何故なら、彼女の現在の生活は自己や自己の興味による束縛から自由になっているからです。」


【解説】
 本講座のまとめに臨んで、著者アダムスキー氏が私達に伝えたのは、人間の真の生命の継続性についての例示です。もともと「生命の科学」をはじめ、一連の学習書には学習者が自ら悟ることを重視しており、敢えて証拠というようなものが示されていなかったように思われます。言い換えれば、何か一つ証拠を示せば、人々の関心はもっぱらその証拠の分析に集中してしまい、本質的なテーマへの関心は薄れてしまうからです。
 しかし、講座の最期にあたって、唯一、具体的な事例が明らかにされていることになります。その理由は古来から転生については様々な概念が万延しており、正しい情報を明らかにしておく必要があったからと考えます。つまり、霊界等の別世界が存在する等の誤った概念を一掃する為にも、実例紹介が必要であった訳です。前項(223)同様、死後、瞬間の転生があること、更には転生には空間を越えて他惑星にも及ぶことなど、本事例の示す意味が大きいと言えます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第19章-段落223

223 Firkon continued, "As we have told you before, your book of records that you call the Holy Bible, contains these laws that we tell you of, for did not Jesus the Christ say to the thief on the cross beside His, 'Verily I say unto thee, Today shalt thou be with me in paradise.'? * (Luke 23:43). Therein expressing immediate rebirth.
223 ファーコンは続けた。「私達が以前、貴方にお話したように、あなた方が聖書と呼ぶ記録の書には、私達が今お話しているこれらの法則が記述されています。何故なら、イエス・キリストは傍らの盗人に向かって『まさに私は汝に言っておく。本日、汝は私とともにパラダイスに居るだろう(ルカ23:43)』と言ったではありませんか。その言葉の中には即座の復活が表されているのです。」


【解説】
 今、まさに磔の苦しみの中にあっても、イエスには傍らの囚人に死後速やかな再生があり、その者の転生先がイエスと同じ天国のような惑星になることが分かっていたということです。痛みや苦しみはこの地上の肉体に帰属するもので、その人の本質部分である魂とは関わりの無い要素であるということでしょう。
 もちろん、各自の人生はその次も恵まれた地に用意されるからといって、今期を粗末にして良いという訳ではありません。様々な事情により、今回の人生ではその意図が成就しなかったり、地上の社会では理解されなかったりして、十分な評価を受けなかったとしても、転生の際に問題となるのは、地上の評価でなく魂のレベルの評価ということでしょう。即ち、聖書の例のようにたとえ罪を犯したとしても、十分改心を遂げ、魂が純粋に昇華した者は、次のステップの環境に暮らせるようになるという訳です。
 しかし、何と言っても今の人生こそ、各自が期待され、与えられたチャンスであり、自分自身と同時に周囲の人達にも好影響を与えることが臨まれています。十分自己の役割を果たすことが出来れば、次なる人生にも道は繋がって来ることに留意したいものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第19章-段落222

222 "Untold opportunities are granted to man to return to his Father's household for there is no smallest part of essence or intelligence that is lost or is not ever active. When the garment known as the body, releases the flame of life to continue its activities elsewhere, the cell intelligence is busy changing the elements of the body into the dust from whence they came. But the flame of Cosmic Intelligence has found a new vessel which contains renewed energy, in which to express. Thereby continually granting to individualized portions of matter the opportunity to evolve to a higher state of service and understanding."
222 「人には自分の父の家庭に戻る為の明かされていない機会が認められています。何故なら、失われたり永久に活動しない真髄や英知はどんなに細かい部分と言えど無いからです。肉体として知られている衣服がその活動をその後何処かで続けるべく生命の炎を解き放つ時、細胞の知性は肉体の諸元素をそれらがやって来たチリに変化させるべく忙しくしています。しかし、宇宙的知性の炎はそれを表現すべき再生したエネルギーが入っている新たな容器を見つけています。その結果、各個人に分かれた物質に対して奉仕と理解においてより高い状態に進化する為の機会を与え続けているのです。」


【解説】
 本項では人の臨終の時に起こっている状況について語られています。私達一人一人は各々の人生の中で少しずつの進化しか出来ないものです。限られた結果の世界の中では思い通りに行かないことも多いものです。
 しかし、一度きりの人生だったとしたら、私達は到底その与えられた時間の中で、託された真の目的を達成することなど出来ず、進化の道は閉ざされたままになってしまいます。
 これに対し、創造主は連続した人生を与えることで、人間に与えた潜在能力の発揮を促し続けている訳です。即ち、臨終の時、肉体は身体の細胞の分解処理を急いでいる一方で、宇宙的な魂は次なる肉体を見つけ出し、移行の準備を進めているというのです。こうして次々に生命力の真髄が伝承されて行く中で、人間の持つ潜在力が次第に開花するとしています。
 本講座において度々、「Mortal(死すべき)」という言葉が出てきましたが、これは本項に述べられるように、やがては臨終を迎え、分解する運命にある「その肉体に属する」要素、成分という意味であり、一方、「宇宙的」とは未来永劫、永続する要素を指しています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第19章-段落221

221 "Man has not experienced the full potential of his being, for he too is forgetful of his cause parent. As a result he wanders in a maze of effects, ever searching for that which has lasting value.
221 「人間は自分の存在の最大限の潜在能力を経験したことはありません。何故なら、彼もまた自分の因の両親を忘れたからです。結果として彼は結果の迷宮の中をさまよい、価値が長続きするものを求めていつも探しているのです。」


【解説】
 私達一人一人はリンゴのようなものであり、親木から今後の全てに対応できる能力を授かった後、この世に生まれて来ました。私達の中には宇宙生命の表現者たらんとする宇宙的衝動を持った生命波動が存在しているという訳です。
 私達が行うべきは、私達に託された親木(宇宙意識)の意図を理解し、自らの才能を適切に応用し、創造表現の担い手、経路になることです。
 しかし、それらの大切な事柄について教える者が居ないことや、各自のエゴがそのような謙虚さを失っている為、これら大切なポイントを掴み損なっています。その結果、自分達の安定した拠り所を求めて、結果の世界をさまよっているということでしょう。今日、世界各地で起こっている経済問題等の中で、各々自分の財産や生存をどうすれば安定的に確保出来るか、求めて動いていることは、本項の指摘の通りです。
 本来、私達はこの世界に生まれ出た時、無一文、無一物で誕生しましたが、その時点で既に私達は十二分の才能と知恵を創造主から受け継いでおり、それらを活用することだけが求められてきたという、生来恵まれた存在である訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第19章-段落219

219 "From the bosom of mother earth the seed grows to a beautiful and productive tree expressing its full potential in bringing forth fruit. According to the seasons., tender new leaves grow into maturity, delicate blossoms proudly display their color and fragrance attracting pollen and the elements required for the growth of the individual apples. Slowly the blossoms release their beauty that the fruit bearing the re-creative seed may fulfill its purpose.
219 「母なる大地の胸元から、その種は一本の美しく、そして果実をもたらす完全な潜在力を表現する木に成長します。季節に従って柔らかな若葉は成熟へと成長し、繊細な花々が誇らしくそれらの色や香りを表し、花粉やその他の一つ一つのリンゴの成長に必要な要素を引き寄せます。花々はゆっくり、その再創造の力を持つ種が、その目標を成就するよう実を付ける為、その美しさを解放します。


【解説】
 リンゴの木の一生、一年の生活はどのようなものかについて本項では解説しています。
 種から芽を吹き成人したリンゴの木は春には花を咲かせ、夏には葉を繁らせ、秋にはその実を膨らませます。こうした一年の中で、やがて冬が近づく頃、一年の成果とも言える成熟した果実を実らせる訳です。
 大切なことは、一つ一つのリンゴが一年を通じて親の木が時には身を削って育んだ愛情を一身に集めたものであることです。同様なことは人間も含めて、自然界全てに言えることで、親の愛について異論を唱える者は居ない筈です。
 更に、より重要なことは、これら実を付けること、増殖や生殖という行為自体が宇宙における再創造の作用を担っていることで、本文中にもリンゴの実を成らせる為に親木が努力するのは、そのリンゴの実が再創造の役目を果たす為だとしています。つまりは子供が自立し再び、自ら再創造の経路として任務を果たすことが出来る為だという訳です。
 以上、リンゴについて話して来ましたが、これは人間にも当てはまるように、全ての創造物について言えることだと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第19章-段落218

218 "The apple tree lends itself very nicely as a symbol of creation and re-creation. The tree as a parent for the apple started from a seed within whose heart was the cosmic urge to express.
218 「リンゴの木というものは、創造と再創造の象徴として、大変良く自らを役立てています。そのリンゴにとって両親となる木は、その内部の芯の中に表現したいと促す宇宙的衝動がある一つの種からスタートしました。」


【解説】
 今、はからずも日本はリンゴの収穫の季節を迎えています。エデンの園でリンゴを食べたことから園を追われたアダムとイブの話のように、何かと人間の根本的課題に引用される等、リンゴはある意味、象徴的な果物と言えるでしょう。
 私も以前、リンゴ園でその見事な実を付けたリンゴの木々を間近に見たことがあります。人間と大変、つながりがあるリンゴですが、リンゴ農家でない限り、どのようにリンゴが実るのか、よく知らないのが実情でしょう。
 本項はその中の出発点として、リンゴの木の由来は小さなリンゴの種であることを改めて確認せよとしています。10mmにも満たない小さな種の中で、宇宙的な衝動が詰まっていて、それがリンゴの大樹まで生長を促しているとしています。誰もが分かる内容ですが、改めて小さな種に含まれる因の力の大きさを認識するものです。
 本講座を含め、よく因を知るように、気付くようにと言われていますが、その内容は決して摩訶不思議な世界に入れというのではなく、極めて明らかな事象に気付くことから生まれるように思います。
 「奇跡のリンゴ」の著者、木村秋則さんは、長年、無農薬のリンゴ作りに奮闘し、最期には大成功を収められましたが、植物や動物と会話し、自然界の神秘を学ぶ徹底した姿勢に学ぶ所も多いものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第19章-段落217

217 Firkon addressing me said, "We had planned to have you meet the One you call the Master, who we call the Wise One, but as those plans were not possible to carry through, He asked me to give you this parable to be shared with the people.
217 ファーコンは私に話しかけてこう言いました。「私達は貴方を貴方がマスターと呼ぶ人物に逢わせようと計画して来ましたが、そうした計画が実行出来なかったため、その方から私がこの寓話を貴方に贈って人々に分かち合って欲しいと頼まれたのです。」


【解説】
 本文中のMasterやHeと大文字ではじまる表現から、著者は一般的な意味というより、何か特別な存在を意図していたことが分かります。どのような方か、私達には想像も出来ませんが、数々の人生を歩まれる中で進化を遂げられた方と言うことが出来る筈です。このような人物との出会いは、アダムスキー氏のみならず宇宙兄弟達の間でも、大変貴重な機会とされていることは、同乗記に記載の通りです。
 このような方は仏教では菩薩あるいは如来と称されており、その方への思慕の気持は、その面影を慕うと同時に自らの近くにその存在を意識したいとの思いから、仏教では多くの仏像が建立され、祈りの対象となって来ました。
 このような英知や慈悲を体現されている大師(マスター)を人は古来から求めてきたと言えます。道を求める人にとって人生の師とすべき人と出会うためには、遠い距離も厭うことはありません。宇宙哲学を学ぶ私達一人一人にも各自の学びに時折、的確な助言を戴けるような師が現れることを願うものです。
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