「宇宙哲学」 第18章

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落214

214 The Brothers have told me that they have records that have been kept on their planet regarding the civilizations on the earth, and that these accounts of Lemuria and Triteria are correct.
214 宇宙兄弟達は地球上の諸文明に関して保存されて来た記録を彼らの惑星に持っていること、また、こうしたレムリアとトリテリアの記述は正しいと私に伝えてくれました。




【解説】
 本項から分かるように、私達の太陽系の各惑星社会にはこの太陽系内で起こった様々な歴史が記録されているのです。本章で述べられているように地球には過去様々な人類が移り住み、暮らして来ましたが、それらの多くは滅びてしまった訳で、そのような文明の興廃の長い道程を辿って来た独特な惑星というのが、地球の姿なのでしょう。
 おそらく今般も文明が滅ぶ目前に迫っているというのが昨今の情勢なのかも知れません。そうした中、時に応じて様々な支援が注がれて来ました。イエスの時もそうでしたし、1952年11月20日(ちなみに人類最初の水素爆弾実験が行われたのは1952年11月1日)以降の一連の他惑星人の支援活動もその一環であったと言えるのです。
 果して、この支援を私達が活かして本来の生き方に改められるか否か、これからの時代の成否が掛かっていると言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落213

213 Our return to our natural heritage shall be as glorious as that of the Triterians if we allow ourselves to awaken once more into the unification of all life!
213 もし私達が再び全生命の統合状態の中に自分自身を目覚めさせるなら、私達の自然の相続遺産への帰還はトリテリア人達のと同様に輝かしいものとなるでしょう。




【解説】
 今日では世界中にある多くの絶景や美しい自然環境を”世界自然遺産”として大切に守って行こうとするようになりました。その自然遺産を英語ではNatural Heritageと称しています。文字通り、創造主から贈られた美しく貴重な財産を守り継承して行くべきという認識がようやく高まった訳です。
 本項は、私達地球人があらゆる命を分け隔てなく統合する中で自らを位置づけ、再び生命波動の中に身を投ずることによって、トリテリアの民と同様、素晴らしい民族に生長出来ると私達を励ましています。
 宇宙哲学は、このように単に理論を学ぶだけでなく、各自の実践活動によって知覚力を因の世界まで拡大、融合する中で自らに用意されている美しい遺産を享受すべきであると著者は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落212

212 There are no descendants of the Triterians, for they served their destined time on this planet earth and were transferred by space craft to another solar system. This is the race which dwelt upon the earth prior to the Biblical records. The fall of man was not brought about until the advent of the Lemurian race. The Triterians left the earth in a virgin state and went on for greater service, but all of the races who followed them are still endeavoring to regain their cosmic birthright. The Triterians worked with the cosmos through intuition and obedience; the other races have chosen to gain their perception through suffering and the observation of effects; living in the bondage of mortal concepts.
212 今日、トリテリア人達の末裔は居ません。何故なら彼らはこの惑星地球における彼らの定められた時間を勤め、別の太陽系に運ばれたからです。これは聖書の記録以前に地球に住んでいた民族です。レムリア族の出現までは人間の堕落はなかったのです。トリテリア人達は地球を原初の状態にして立ち去り、より大いなる奉仕の為に進んで行きましたが、彼らの後に続く全ての種族は未だに自分達の生まれながらの宇宙的な権利を取り戻そうともがいています。トリテリア人達は直観と従順さを通じて宇宙とともに働きましたが、他の種族は自らの認識を労苦と結果の観察を通じて得ることを選択し、死すべき概念の束縛の中に生きているのです。




【解説】
 本項の記述からはトリテリアの民は計画的に地球に移住させられた後、再び別の惑星に移される等、私達をより高次な立場から司るスペースプログラムとも言うべき支援の中で、本来の進化の道を辿って行ったことが示唆されています。
 即ち聖書時代のアダムとイブも含めて現代文明の私達も元はと言えば進化のステージとして地球に派遣された一族に過ぎず、またその進化の段階や抱える状況等について絶えず宇宙から観察(モニタリング)されていることになる訳です。
 そう考えると1952年11月20日、アダムスキー氏がデザートセンターで他惑星人と会見した以降の一連の宇宙人との交流は、こうした観察の結果、地球人に来るべき時代に備えて、必要な知識を与える為に例外的に施されたスペースプログラムからの貴重な機会であったことが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落211

211 There was no greed or selfishness among these masters of the earth. (In our terms of today we could say that they had achieved their Master's Degree in every  subject.) They knew that the substance of the universe is unlimited and indestructible and that there would always be sufficient to meet every need. No man among them engaged himself in the accumulation of material wealth.
211 これら地球の達人達の間には貪欲や利己主義はありませんでした。(今日の私達の言葉を用いるなら彼らはあらゆるテーマにおいて修士の学位を達成したと言うことが出来るでしょう。)彼らは宇宙空間の物質には際限が無く、破壊されることがないこと、そしてそれらは常にあらゆる需要に見合うに十分存在することを知っていました。彼らの間には誰一人として物質的な富を蓄積しようと忙しくする者はいなかったのです。




【解説】
 現在、地球では急速に富が一部の富裕層に集中していると指摘されています。一握りの巨大IT会社の経営者がほとんどの富を得ているとするものです。一説には世界の富の82%が1%の富裕層に集中しているとも言われています。
 こうした傾向は私達の社会が常に金儲けに走っていることを裏付けるもので、規模を拡大する程に利益も増すというものだからです。
 一方、格差の生まれた社会の中では、争いや猜疑心が増長し、しいたげられた人達が追い詰められた生活を強いられているのです。
 結局は、科学技術を発展させた私達の現代文明も、人々の心の中の強欲さを解決しない限り、遠くイエスの時代と何ら変わらない世情を生み出しているということではないでしょうか。それを解決する上で本項に記されているトリテリアの民が理解していたことやその心情こそ、私達にとって大いに学ぶべきものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落210

210 Due to the lack of friction or resistance to the life force their bodies remained always youthful and death as we know it did not exist.
210 生命力に対する摩擦や抵抗が無い為、彼らの肉体は常に若々しく保たれ、私達が知るような死というものは存在しませんでした。




【解説】
 本項を今日的な言葉で表現すれば、ストレスこそが全ての老化や疾病の原因であるということでしょう。また、その根本は単に心の葛藤や悩みということよりは、更に深く、宇宙的な生命波動との不調和に起因するのだと著者は私達に説いているのです。
 このようにトリテリアの民は本来の人間の生き方を達成し、次なるステップに移行した人達ということが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落209

209 The Triterians had no religion as it is accepted today - they were a race of scientists, for they worked not on supposition or myth but on facts. They had no gods but recognized the all-intelligent force and themselves as expressers of it. They did not make the mistake of allowing their mortal mind to judge the creator for they understood cause and effect. They gave no thought to any division between themselves and the cosmic consciousness; they acted with a freedom and assurance of results. Therefore life was peaceful and harmonious. They were not bound by gods or devils for their only state of awareness was that of interblended action. They recognized the necessity of duality in creation but they did not separate the force into good and evil.
209 トリテリア人達には、今日認められているような宗教はありませんでした。彼らは科学者の種族であったのです。何故なら、彼らは想像や神話に基づいて働くことはなく、事実に基づいて働いていました。彼らには神がありませんが、全英知を認識し、自分達をその表現者であると自覚していました。彼らは自分達の死すべき心に創造主を裁かせる誤りをさせませんでした。何故なら彼らは因と結果を理解していたからです。彼らは自分自身と宇宙意識の間に如何なる分け隔てをするような想念を持ちませんでした。彼らは自由に、また結果を確信して行動しました。それ故、生命は平穏で調和あるものでした。彼らは神や悪魔に束縛されはしませんでした。彼らの知覚の唯一の状態は融和混合した行動のそれであったからです。彼らは創造における二元性の必要性を認識していましたが、その力を善と悪とに分離することはしなかったのです。




【解説】
 本項は、現代文明の私達が過去には神秘主義や盲目的宗教から今度は一転して結果主義、物質主義に行き着いている状況等、トリテリアの民とは大きく異なる生き方をしていることを指摘しています。
 トリテリアの民はいわば真心のある受容的な科学者であり、冷静に物事を観ることが出来ていたということでしょう。そして本項で具体的な側面を説くことで著者は私達に望ましい生き方の手本を示しているのです。
 実際、トリテリアの民はわずかに神話の中にしか地球では記録されていませんが、アカシックレコードと呼ばれる宇宙の記録所にはそれらが誰でも学べる図書館のように整頓されているのかも知れません。
 歴史を学ぶことは、かつての失敗を繰り返さない為、また成功例を手本とする為にこそ学ぶべきであり、過去の経験を今後に生かすことを通じて、私達は少しずつ賢くなるべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落208

208 These master-men were cosmic beings and during the time they spent in gaining their earthly experience they did not once separate themselves from the Totality. They worked with the elements of the earth as men work with them today but they understood the cause of their manifestations. They were sent to this solar system to partake of the knowledge of matter and this they did under the guidance of Cause Intelligence. This was easy for them to do for they were aware of the natural laws governing all action and they were wise enough to use their knowledge without perversion. The Law of Affinity held no mystery for these people and the elements obeyed their commands to the fullest. The earth was a perfect expression of Edenic beauty.
208 これら達人達は宇宙的な存在で、彼らが地球上の体験を得る為に過ごした期間中、彼らは一度として自分達を全体性から分離させたことはありませんでした。彼らは今日の人々が働くように地球の元素とともに働きましたが、彼らはそれら創造物の因を理解していました。彼らは知識にあずかる為、この太陽系に送られ、彼らは因の導きの下、これを行いました。これは彼らにとって容易でした。何故なら、彼らは全ての行動を支配する自然の諸法則について気付いており、彼らは自分達の知識を誤用することなく用いる程に賢明であったからです。その親和の法則は彼らにとって神秘ではなく、これらの諸元素は彼らの命令に完全に従いました。地球はエデンの美しさの完全な表現となっていたのです。




【解説】
 トリテリアの民は実に素晴らしい生き方を貫いたと著者は私達に紹介しています。このトリテリアを含めて前項のレムリアをはじめとする太古の民族の興亡の歩みについては、地球という惑星の歴史を語る上で避けては通れない事項であり、アダムスキー氏も「空飛ぶ円盤の真相Flying Saucers Farewell」という初期の3部作の最期に自ら過去に執筆した原稿を掲載する中で述べている内容でもあります。
 このように地球には様々な事情から多くの人々がその学びの場に移り住むべき惑星という役割があるのかも知れません。美しい環境、整った気候を与えられる中、いわば最高の環境の中で如何に自然と調和し、人間本来の暮らしを続けながら進化して行けるかが問われている訳でしょう。
 その中でトリテリアの民のように本来の目的に沿って生き抜くことが出来た者もいる半面、レムリアのように滅んでしまった文明もあるということでしょう。そして再び、現代文明もこれらと同様な節目にさしかかろうとしているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落207

207 These were large people and their color may be likened to our bronze or rust, which was probably caused by the intensity of the sun's rays which shone upon the earth at that time.
207 これら(訳注:トリテリア)の人々は大柄な人達で、彼らの肌の色は今日で言う赤褐色もしくはさび色に近いかも知れませんが、それはおそらく当時、地球を照らしていた太陽光の強さから引き起こされていたのかも知れません。


【解説】
 トリトンはギリシャ神話では海神ポセイドンの息子ということになっているそうですが、私達日本人にはあまり馴染みのない存在です。しかし、ギリシャ神話として伝わっている以上は、地中海付近に由来があると思われますが、本項では人種的には白人でなく赤褐色の民、丁度アメリカ原住民に近い民族であったようです。
 これらの知見は書物として地上に残っていたものから得た知識ではなく、著者がアカシックレコードから読み取ったものと思われますが、アダムスキー氏の書籍に記載されていることから、その内容は他惑星人からの確証を得ているものと考えるべきでしょう。
 いずれにしても、古代の地球については、私達の歴史的知識は実に貧しく自らの歩みについてほんのわずかな記憶しか持ち合わせていないのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落206

206 Idealists have ofttimes visualized the perfect man as an etheric being who dwelt only in the planes of celestial glory and had powers to overcome the laws of nature, but we find the Triterians to be dwelling on the earth in physical bodies and cooperating fully with the laws of nature.
206 理想主義者達は、しばしば完全なる人間を天上の栄光の中にのみ暮らし、自然の諸法則を征服する力を持つ霊妙な存在のように思い描いて来ましたが、私達はこのトリテリア人達は肉体を持って地上に暮らし、自然の諸法則と完全に調和していたことに気づきます。




【解説】
 本項は、そもそも天国とは何処にあるかという疑問にも通じる内容かと思われます。
 私達はとかく天国とは何処か雲の上のユートピアと想像しがちですが、本項で著者が指摘する通り、神人であるトリテリア族はこの地上に暮らし、文字通り天国の生活を送っていたのです。
 即ち、天国とはこうした創造主の意図と調和した地上を意味するものであり、私達は現在の地の上に建設すべきであるという訳です。その上で重要なのは、現状の地球が如何に汚れてしまったとしても、地球を支える宇宙的パワーは私達人間がその気になれば、思いも掛けない程、強力な浄化作用を示し、短時間の内に再び元のユートピアに戻してくれることです。地球の過去の地殻変動と文明興亡の歴史は、それを物語っているのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落205

205 This civilization was called the Triterian race and from the memory of those people rose the Triton God of the early Greeks. This Grecian god was pictured as half man and half fish, symbolically corresponding with the cosmic record which speaks of the Triterions as the "people of the waves." They were not, of course, half man and half fish but they were the masters of both the waters and the earth.
205 この文明はトリテリア族と呼ばれ、これらの人々への思い出から、初期ギリシャのトリトン神が起こりました。このギリシャの神は半人半魚として描かれ、トリテリア人達を「波の人々」と称する宇宙的記憶に対応しています。彼らはもちろん半人半魚ではなく、水と大地の両方の支配者であったのです。




【解説】
 私達日本人にとってギリシャ神話はやや遠い存在であり、トリトン神についても馴染みが無いものとなっています。それでも最近は東京オリンピックの関連地の東京晴海にトリトンを冠した近代ビルが建設される等、海に近しいイメージとして用いられるようになって来ました。
 さて、優れた神人であったトリテリアを「波の人」と称していることには、彼らが海はもちろん、あらゆる波動に対して感性の高い人々であったことが示唆されているように思います。
 即ち、想念波、印象波に鋭敏であることが私達にとって最も重要な要素であり、進化の決めてであることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落204

204 In the bible of every race there is an account of creation and the suggestion of an Eden where man dwelt in the perfect state of being, but there is little more than the suggestion and it has been accepted by humankind as a beautiful bit of mythology that has an indifferent effect upon the progress of man in his present state of being. In the annals of consciousness, however, is revealed the truth concerning a race of God-men and their Edenic homeland.
204 あらゆる種族の聖典の中には、創造の記述と人間が完全な状況の中で暮らしていたエデンの園と呼ぶべきものの示唆が書かれていますが、それは示唆以上のものではなく、これまでは人間の今日の状態への進歩にとってどうでも良い程度の神話の美しい小片でしかないとされて来ました。しかしながら、意識の年代記の中では、神人族とそれらのエデンの母国に関する真実が明かされています。




【解説】
 本項で言う「神人」が太古の昔ユートピアに暮らしていた頃の人間を指すとすれば、以降の人間はむしらお自然活動や想念・印象に対する感受性の面からは大幅に退化しているとも言えるでしょう。あまりに物質への執着、金銭システムによる支配を受ける中で、そうなってしまったとも言うべきかも知れません。
 太古における各々の民族の記憶は、神話や伝説としてその断片が伝わっていますが、日本でも古事記等に伝えられた物語の中で、当時の神人達が自然の恵みを受けて、実におおらかに暮らしていたことを知ることが出来ます。
 もちろん、神人の時代に私達が復帰すべきとするのではありません。それらの時代においては人々はもっと目に見えない想念・印象の作用を自覚し、その効果を知り、自らを戒めていたことに現代の私達はもっと学ぶべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落203

203 The earthquakes and the sinking of the continent were due to natural causes. A shift or change of the surface of the earth comes at certain intervals, but the people of Lemuria had become so immersed in the mortal world of effects that they paid no attention to the warnings given by nature. Had they been alerted to these signs they could have moved to safer territory.
203 地震や大陸の沈下は自然の原因によるものです。地球表面の移動や変化はある間隔でやって来ますが、レムリアの人々は結果である死すべき世界にどっぷり漬かってしまっていたために、彼らは自然によって与えられた警告に注意を払わなかったのです。彼らがこれらのサインに注目していれば、彼らはより安全な地域に移動することが出来たことでしょう。




【解説】
 自然から発せられる警告は地震や火山の噴火等、具体的な事象もありますが、地下深く起こっている状態については、大地から発せられる印象・想念に頼る他ありません。
 目に見える結果の世界のみに束縛されていると、それらの印象や気配に気付くことなく惰眠を貪り、或は自らの欲望の世情の中に関心が捕らえられ、このような繊細な印象に気付くことはないのです。
 私達はこの大地に拠って地球に生きている訳であり、もっとその足元から来る印象類に鋭敏になることも必要です。更に言えばもっと地球自体に関心を向けること、古代の人々のように自然への信仰こそ根底に持たなければならないのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落202

202 This went on for several hundred years until at last the forces of nature demanded payment for their unbalanced conditions - the payment of suffering. They were given warnings of their future destruction if they continued in their unbalanced state but they heeded them not, so the elements turned against them. The earth became unsteady beneath their feet; tidal waves swept their shores and eventually a steady trembling took hold of the entire Lemurian country. For approximately seven months the earthquakes continued and gradually the land began to sink. The waters rushed in and covered the one-time Heavenly kingdom and another civilization was lost.
202 この状態は数百年進行し、遂に自然の諸々の力は彼らの不均衡な状態に対する代償、苦痛の償いを要求しました。彼らはもしそのような不均衡な状態を続けていたら将来は破滅するとの警告を受けていましたが、彼らはそれを心に留めることはありませんでした。その為、諸元素が彼らに反抗したのです。地面は彼らの足元で不安定となり、大波が彼らの海岸を一掃し、遂には間断の無い揺れが全レムリア国を支配しました。約7ヶ月その地震は続き、次第に大地は沈み始めました。水がなだれ込み、一時期天国のようであった王国と文明の一つが失われたのです。



【解説】
 本項から分かるのは、自然界の忍耐も数百年が限度であるということでしょう。私達人間は過ちを犯すものですが、その修正の為の時間も有限であることは良く自覚すべきでありましょう。
 やがてレムリア大陸は沈下を起こし、7ヶ月もの地殻の動きを経て太平洋の海深く沈んで行ったという訳です。これについてはかつて「日本沈没」という映画もあり、現代の私達にとっても将来大きな地殻変動を見据えることも必要となっているようです。
 先にも述べましたように、山の頂にかつての海底の地層が存在することを考えれば、地球はこれまでも大きな変動を繰り返しており、その過程の中には太古の文明の滅亡の事例も多かったものと思われます。私達人間の放つ想念・印象に応じた大地の動きがあると解釈すべきかも知れません。それ故、神道では大地の神に安寧をひたすら祈ることを欠かさないのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落201

201 The Golden Age of the Lemurians lasted for approximately three thousand years. During this time they were in contact with Egypt and in fact all of the Asiatic countries but it was not until the fourth of the thousand year periods that their country was invaded by self-seeking individuals from other parts of the world. At that time there were people who came from the territory that is now known as Greece and Rome and settled in Lemuria. These people were of the lighter races; they won the confidence of the Lemurians, intermarried with them and gradually perverted the pure thought of the happy people. This foreign element slowly took upon themselves the rulership of Lemuria. They were hard, fearful rulers and greedy for wealth and power. They began to show favoritism and to instill in the minds of the Lemurians the thought of inequality. Where the people had once served each other for the love of action they were now forced to serve to enrich and empower the few. They learned the meaning of rebellion and selfishness and greed - those things which had never before found place among them. They learned to follow the example of their rulers and work for self instead of the All. They closed themselves to the guidance of their creator and turned into the mortal channel of expression.
201 レムリアの黄金時代はおおよそ3000年続きました。この間、彼らはエジプトと、また実際にはアジア諸国の全てと接触していましたが、4期目の1000年を迎える頃、彼らの国は世界の他の地域から自己を追求する人達によって侵入を受けたのです。その当時、今日ギリシアやローマとして知られる領域から来て、レムリアに定住した人々が居ました。これらの人々は肌の色が薄い人種でした。彼らはレムリア人達の信頼を勝ち取り、彼らと混血し、次第にその幸せな人々の純粋な想念を堕落させて行きました。この外来の要素はゆっくりレムリアの支配権を獲得して行きました。彼らは厄介な恐ろしい支配者で、富と権力に対して貪欲でした。彼らはえこひいきを表し始め、レムリア人の心の中に不平等の考えを染み込ませて行きました。かつて人々が愛の行為として互いに尽くしあった所に、今や彼らは少数の者を富ませ、権限を与える為に奉仕することを強制されました。彼らは反乱の意味や利己主義、貪欲について学んだのです。彼らは支配者達の例示に従い、全ての者の為ではなく、自身の為に働くことを学んだのです。彼らは自分達の創造主の導きに対して自らを閉ざして死すべき表現の経路に向きを変えてしまいました。




【解説】
 レムリアが3000年の繁栄を経たのち、やがて移り住み始めた白人達により貪欲や支配欲が浸透し、支配・被支配の仕組みが生まれるようになったと、著者は私達にレムリアの衰退の経過について語っています。これらの歴史は太古の遺物から明らかになるというようなものでなく、実際、その時代に人々が発した想念が宇宙に染み込み、それを後世の能力者が読み取ることによって明らかになると言わざるを得ません。アカシックレコードとはそのようなものと言えるでしょう。
 本項の記述はしかし、今般私達自身に起こりつつあることと大変類似していることに驚かされます。著者アダムスキー氏存命中は未だそのような傾向は薄かったのですが、昨今では皆さまご存知の通り、世界中で少数のグローバル企業があらゆる情報や流通を支配し、富を独占する傾向にあります。私達は常に競争にさらされており、弱肉強食の市場原理こそが正義であるとされる時代になっているからです。
 本項が示唆する状況は決して通りレムリアばかりの話でなく、現代の地球文明にも当てはまる部分が多いと言えるのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落200

200 Their architecture and works of art were magnificent in structure and beauty. Their temples were not so much for worship as they were a monument of beauty dedicated to the All-Power whom they served in their daily actions. For these ancient people needed no temple in which to worship - they recognized the All-Being dwelling in themselves and in every form of life upon the earth. Their idealism in the beginning was the virtue of God which was meant to be expressed in man, and because of this idealism they were bestowed with powers unknown to man today. The Lemurians did not abuse or misuse the laws of nature and while they were building up their empire it was an actual heaven upon earth. But like practically all civilizations they had their downfall in time. Virtue became lost in greed and selfishness, and towards the end of their existence they were no different than the present civilization. At last nature took a hand and sunk the land beneath the waters of the Pacific ocean.
200 彼らお建築と美術作品は構造や美しさにおいて壮麗なものでした。彼らの寺院は彼らが日常行動において仕える全能者に捧げられた美の記念塔であった為、拝礼の為ということではありませんでした。何故ならこれら太古の人々は中に入って拝礼する寺院は必要無かったからです。彼ら自身及び地上のあらゆる生命体の中に全能者が住んでいることを認識していたのです。初期における彼らの理想主義は人間に表現されるべき神の徳目でありましたし、この理想主義により、彼らは今日の人間には知られていない諸々の力を授けられていました。レムリア人達は自然の諸法則を乱用したり誤用することはありませんでしたし、彼らがその王国を建設している間、それは地上における本当の天国でした。しかし、実際には全ての文明と同様、やがて没落の時を迎えました。徳目は利己主義の中に失われ、彼らの存在の終り近くには、彼らは今日の文明と何ら変わりなくなりました。遂には自然は手を挙げてその大陸を太平洋の水の下に沈めたのです。




【解説】
 レムリアの初期はかくも美しく優れた文明であったということです。しかし、次第に人間の堕落が進み、最後は現代の地球文明と同様、欲望の末に、創造主の手により、滅ぼされてしまったという訳です。
 こうした太古の文明が滅んだことへの人々の記憶は、エデンの園をはじめとする太古のユートピアにおける堕落した人達の物語として私達にわずかに伝わっているだけです。旧約聖書にはノアの箱舟の話がありますが、これも地面が水没する中でノアの家族だけが創造主の導きにより箱舟を建造して生還したということでしょう。
 私達にとって重要なことは、私達自身もこれらレムリア等の太古の文明の終末と似た段階にあると著者が示唆していることです。即ち、いつまでも自然や宇宙が地球人の堕落を見過ごすことはなく、遂には地上から一掃されるような地殻変動に私達も近づいていることに留意すべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落199

199 Because of their alerted feeling the minerals in the earth were not hidden from them and they made use of all of the elements.
199 彼らの鋭敏なフィーリングの為、地球内部の鉱物は彼らから隠されることなく発見され、彼らはそれら全ての元素を活用しました。




【解説】
 地下に眠る鉱物や石油等の資源については、今でも多くは探査、採掘によりその埋蔵を調べる他はないのですが、レムリアにおいてはそれらがいわば人間の透視能力が活用され、効率的に採掘されたということでしょう。
 目には見えない状況の中でも、探求する人間の意識を地下深く拡げて行く中で、地中に存在するものも容易に把握することが出来るという訳です。
 これらの能力は、多くは人間以外の動植物が生来持っている能力と思われますし、彼らは厳しい自然環境の中でも、その驚くべき能力を発揮して難なく暮らしを立てているものと思われます。遠く何千キロも離れた場所を行き来する渡り鳥その他、これら自然界の生きもの達の驚くべき能力の背景には、このような察知能力が存在している訳で、レムリアの人達もこのような能力を備えていたのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落198

198 They were a very industrious and active people, highly sensitive and intuitive. They were able to converse with each other through a form of mental telepathy and their actions were mainly guided by the greater intelligence of their being so they were able to obtain marvelous results. They were highly advanced in the science of the cosmos and through their understanding of the laws of action they had a remarkable control over the elements of the earth.
198 彼らはとても勤勉、活発で、高度な感受性を持ち、直観力がある人々でした。彼らは精神的テレパシーの形態を通じて互いに会話することが出来、彼らの行動は彼ら自身の存在のより大いなる知性によってもっぱら導かれていたために、彼らは驚くべき結果を得ることが出来ました。彼らは宇宙の科学において高度に進歩しており、活動の法則の理解を通じて、地球の各元素に対する驚くべきほどの統制を行っていました。




【解説】
 失われた太古の文明について、実は現代の私達よりも精神的には大変発達していた民族であったと本項は述べています。実際、著者が宇宙の記憶の書から得た知識でもあり、他惑星人に伝わる地球の歴史の1コマを基に記しているのかも知れません。
 いずれにしてもテレパシー能力にも優れたのがレムリアの人達であったようです。即ち、人間が自然や宇宙の摂理を尊重し、それを源泉とするインスピレーションに従う時、調和した社会が実現し、人々と自然との融和が図られるということでしょう。
 本文の記述を見ても、如何に現代の私達が自らの欲望と他人との競争に明け暮れ、自らを消耗させているかが分かります。自然の中に創造主の息吹を見出そうとする姿勢が無ければ、殺伐とした社会に陥り、やがては消滅の道を辿ることになると言わなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落197

197 The Lemurians were of the brown race and their average height was about five feet three inches, while here and there a giant would appear. The Alaskans of today resemble them more closely than any other race.
197 レムリア人は褐色人種で、彼らの平均身長は5フィート3インチ(訳注:160cm)である一方、そこここに大柄な人物も現れました。今日のアラスカ人が他の如何なる人種よりも似ています。




【解説】
 太古のレムリア大陸には今日のアラスカにおける原住民と類似した人々が住んでいたと著者はその背丈を語る等、具体的な内容を語っています。おそらくはアダムスキー氏自身、宇宙の記憶の書(アカシックレコード)を読み取ることが出来たものと思われます。
 このように地球には様々な文明の興亡があった訳ですが、大きな地殻変動が起こるたびにその文明は滅んでしまったという訳です。
 よく石灰岩で出来ている山がありますが、その石灰岩はかつて海中のサンゴが由来とされており、その山頂はかつては海の底にあったと言わなければなりません。即ち、私達の目には不動のように見える大地も、時が来れば海中に沈み、やがて再び隆起する等、大地は変動する訳です。
 こうした悠久の時間を超えて記憶されるが宇宙の記憶の書ということになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落196

196 Lemuria was a vast continent which included most of the islands of the Pacific - Hawaii, the Easter Islands, New Zealand, the Philippines and other smaller island groups. These islands were at one time the highest mountain peaks of the now submerged land. Lemuria was at one time a civilized part of the world; her people were highly cultured and possessed advanced knowledge of cause and effects. They lived not for self but for the All, recognizing each form as the expresser of Cosmic Intelligence. Each individual knew himself as a servant of the universal force. They went about their duties in a peaceful manner without thought of one man being greater than another, or of one piece of work being more important than the rest. No jealousy or greed existed among them - Lemurian land was the home of one happy family where discord was unknown and equality reigned.
196 レムリアは太平洋の島々のほとんど、ハワイ、イースター島、ニュージーランド、フィリピンその他を含む広大な大陸でした。現在のこれらの島々はかつては海に沈んでいる大陸の高い山の頂でありました。レムリアは一時期、世界の中で文明が栄えた地域でした。その人々は高度な教養を持ち、因と結果について進歩した知識を持っていました。彼らは自分の為に生きるのではなく、各々の形あるものが宇宙的知性の表現者であると認識し、全てのものの為に生きていました。各個人は自分自身が宇宙普遍の力に対する下僕であることを知っていました。彼らは自分達の仕事をするに、一人の人間が他の者より優れているとか、一つの仕事が他よりもより重要だとかの考えを持ちませんでした。彼らの間には嫉妬や貪欲は存在しませんでした。レムリア大陸は不協和音を知らず、平等が行き渡る一つの幸せな家族の家であったのです。



【解説】
 著者は本項で極めて具体的にレムリア大陸の存在位置について述べています。即ち、ハワイからイースター島、ニュージーランド、フィリピンを含むという訳ですから、実に太平洋の半分ほどを占める巨大な大陸であったことになります。そして当時の高山の頂が現在のそれら島国として残っているというのです。
 かつて伝えられたユートピアがその大地にあったということでしょう。その痕跡は今や求めるべくもありませんが、わずかに生き残った子孫たちに伝わる伝説の中に、遠い祖先の記憶が残っているのかも知れません。
 こうした古代文明がかつて地球に存在したことは確かなのですが、問題は如何なる経過を経て、滅んでしまったのかにあるでしょう。現代文明の私達も今、様々な問題を抱えており、今後の行く末を危ぶむ声を多いからです。かつて文明の崩壊を深く学ぶことこそが、今の私達に必要だと言わなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落195

195 Out of the Book of Memory, which the scriptures tell you shall be opened unto all, we have read the story of Lemuria, that mysterious land which sank beneath the dark waters of the Pacific Ocean.
195 聖書が言う全ての者に開かれるとされる記憶の書から、私達は太平洋の暗い水の下に沈んだ神秘の大陸、レムリアの物語について読んだことがあります。




【解説】
 ジェームズ・チャーチワードの「失われた大陸」は日本でもかつてベストセラーになりましたが、著者アダムスキー氏はレムリアこそがこのムー大陸に相当し、かつて太平洋にあった太古の大陸であると示唆しています。
 太古の昔の物語は、その痕跡がわずかしか残されていない為に、その真の姿を把握することは容易でなく、とかく神秘が入り込みやすく、また人々を欺く輩も多いものです。しかし、本項で著者が示す「記憶の書」(アカシックレコード)とは、そのようなあいまいなものでなく、具体的に宇宙空間に波動として収められているような記憶のようなものかと思われます。
 最近ではパソコンの記憶装置の進化は目覚ましく、小さな装置に数TBもの容量を持つ記憶装置も出回わる時代となりました。今後更なる集積も進ものと思われます。宇宙空間への想念の何らかの記憶状況が今後の研究で明らかになれば、本項で著者が示唆する記憶の書についても理解が深まるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落194

194 In the cosmic book of memory, often referred to as the Akashic Records, there lies the story of action as it has passed through millenniums of time. The ever-active fingers of consciousness have inscribed upon the Primal Essence of the Cosmos the indisputable and indestructible pattern of all motion and manifestation. The history of man as written upon the tablets of stone or upon parchment or paper is but a limited record of existence and is easily lost to the knowledge of future generations, but the Cosmic Record is a permanent structure and he who is able to read therefrom need have no missing pages in the history of life.
194 しばしばアカシックレコードと称される宇宙の記憶の書の中には、何千年もの時を経る行動の物語が眠っています。常に活動的な意識の指先は宇宙の根本的本質の上に疑問の余地なくまた、破壊されることのない全ての行動と創造の現出のパターンを刻み付けて来ました。石板や羊皮紙あるいは紙に書かれた人間の歴史は存続が限られた記録でしかなく、将来の世代の知識に対して容易に忘れ去られるものですが、その宇宙的記録は永久の構造を持ち、そこから読み取ることが出来る者にとっては、生命の歴史において如何なるページも失われることはありません。




【解説】
 本項で著者は、宇宙空間には過去の出来事や人間の行動が全て記憶されていることを私達に説いています。人間の記すものは実にはかないもので、紙の文書や石板でさえも多くは時の経過とともに散逸、壊れてしまいます。
 しかし、著者が指摘するアカシックレコードは永久に保存され、その扉を開く者は過去の文明の記録を読み取れるとしています。あらゆる想念や印象が宇宙に記憶されるという訳です。
 現時点で私達はこの記憶の書にアクセス出来てはおりませんが、私達自身が宇宙と一体になり、その記憶の書に辿り着くことが出来れば、あらゆる知識を手にすることが出来ることになります。地球の過去の歩みを知ることが出来るという訳です。
 しかし、これらの能力は決してその能力だけを伸ばしたいとするのは誤りでしょう。様々な能力の高まりの中の一つとして、自然に身に付くものだと考えるべきです。他惑星人が手本を示したように、調和ある発達の中に答えがあるように思うのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落193

18 PAST CIVILIZATIONS
193 I have recently reread the accounts of Lemuria and the Triterian race, and will give them to you for whatever points of interest you may find in them. My friends from other planets have told me that many of the people living on their planet at present have lived upon the earth.
第18章 過去の諸文明
193 最近、私はレムリアとトリテリア族の記事を読み返した所なので、貴方が興味がありそうな点について何なりとお伝えしようと思います。他の惑星からの私の友人達は私に現在、彼らの惑星に住む多くの人達がかつて地球に住んでいたと教えてくれました。




【解説】
 本項では大変興味深い事柄が語られています。即ち、アダムスキー氏が会った金星や土星それに火星等の惑星の人々は、いずれも過去に地球に住んでいたことがあるということです。
 おそらくは気の遠くなるような昔から地球は文明の興亡を繰り返しており、その過程の中には時として優れた文明が生まれ、他の惑星に移住するようなレベルに到達した人々も居たということかも知れません。
 日本にも遠く太古の昔に、神々が暮らしたという言い伝えが古事記等に残っておりますが、そうした人達の中には真に優れた人々も居たということでしょう。
 そう考えると、目下、環境や社会、政治等、様々な側面から行き詰まりつつある現代文明も、こうした過去に繰り返されたこの惑星上の文明の興亡の一時期になる可能性もあるように思います。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落214

214 The Brothers have told me that they have records that have been kept on their planet regarding the civilizations on the earth, and that these accounts of Lemuria and Triteria are correct.
214 宇宙兄弟達は地球上の諸文明に関して保存されて来た記録を彼らの惑星に持っていること、また、こうしたレムリアとトリテリアの記述は正しいと私に伝えてくれました。


【解説】
 他惑星の資料室には地球という惑星の歴史が記録され残されているという訳です。これらの資料を見れば過去どのような文明の変遷が起こったかが分かりますし、それはまた今日の文明がどのような場面にいるかも的確に理解出来るということでしょう。
 先日もラオスの著名なお寺(オントゥ寺)のお坊さんからその寺にある珍しい首を後ろに向けたライオン(獅子)像のいわれをお聞きしました。それによると後ろ向きの意味は、「国の発展には歴史を振り返ることが重要であること」と「人生を振り返り両親や恩人のことを思うべきである」という二つの意味があるということでした。
 私達もこれまでの歴史を振り返り、国としてどのような行動を執って来たかを反省し、同時に今日の自分がどのような方々の恩を受けて成り立っているかに心を留めなければなりません。歴史を学ぶことは私達j自身の歩みを確認し、未来にとって役立てる教訓を掴むことでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落213

213 Our return to our natural heritage shall be as glorious as that of the Triterians if we allow ourselves to awaken once more into the unification of all life!
213 もし私達が再び全生命の統合状態に自分自身を目覚めさせるなら、私達の自然の生得権への帰還はトリテリア人達のと同様に輝かしいものとなるでしょう。



【解説】
 本章の終わりに著者は改めて現状の私達もトリテリアの人達のように人間本来のあるべき姿勢に立ち返るのであれば、彼らと同様に輝く存在になれると励ましています。
 私達各自が生きる目的はまさに、この一点に集約される訳です。そしてこのことはイエスも同様に「放蕩息子」の話を通じて当時の人達に示していたのです。
 こう考える時、一方で科学技術を手にした現代の私達は、今度はもう一方の手で宇宙を貫く精神性、アダムスキー氏の言う「宇宙意識」を感じ取り、自らの心をその存在に添わせて行くことが大切です。直感力もその中で養われ、因の世界の本当の姿を知ることが出来る筈です。結果(物質)と因との相互関係、関連性を理解するようになれば、トリテリアの人達に近づくことが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落212

212 There are no descendants of the Triterians, for they served their destined time on this planet earth and were transferred by space craft to another solar system. This is the race which dwelt upon the earth prior to the Biblical records. The fall of man was not brought about until the advent of the Lemurian race. The Triterians left the earth in a virgin state and went on for greater service, but all of the races who followed them are still endeavoring to regain their cosmic birthright. The Triterians worked with the cosmos through intuition and obedience; the other races have chosen to gain their perception through suffering and the observation of effects; living in the bondage of mortal concepts.
212 今日、トリテリア人達の末裔は居ません。何故なら彼らはこの惑星地球における彼らの定められた時間を勤め、別の太陽系に運ばれたからです。これは聖書の記録以前に地球に住んでいた民族です。レムリア族の出現までは人間の堕落はなかったのです。トリテリア人達は地球を原初の状態にして立ち去り、より大いなる奉仕の為に進んで行きましたが、彼らの後に続く全ての種族は未だに自分達の生まれながらの宇宙的な権利を取り戻そうともがいています。トリテリア人達は直観と従順さを通じて宇宙とともに働きましたが、他の種族は自らの認識を労苦と結果の観察を通じて得ることを選択し、死すべき概念の束縛の中に生きているのです。



【解説】
 トリテリアの人達は生きる拠り所を直感と従順さに置いていたことは、今日の私達にとって最も注目すべき要点です。
 私達、現代の地球人は後世、どのような人達であったと言われるかは知りませんが、物事の基礎を文字に記された内容や物質主義、更には貨幣経済の下、科学技術を特化して発展させ、感受性その他の精神面では随分と発達が抑制された文明と評価されるのかも知れません。
 これまでのところ、レムリアから今日の文明まで、さまざまな変遷があったことでしょうが、常に興亡を繰り返しており、今日再び様々な側面でこの文明も行き詰って来ているということです。前にも触れましたが、富の格差や宗教に名を借りた狂気、経済活動と称する侵略等、どの一面を見ても大変危うい状況にあります。
 こうした中、本シリーズを学ぶ皆様は、真実を知った者として責任は重く、またこれら諸問題の解決にも期待されているのです。かつてこの分野の同行の士が「直感を大切にする」と盛んに仰っていたことを思い出します。日常生活の中で「直感」即ち、「印象」に気付くような静かな心の状態、鋭敏な心の状態を維持して行くことで私達は自らを本来の状態に戻して行くことが出来るということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落211

211 There was no greed or selfishness among these masters of the earth. (In our terms of today we could say that they had achieved their Master's Degree in every  subject.) They knew that the substance of the universe is unlimited and indestructible and that there would always be sufficient to meet every need. No man among them engaged himself in the accumulation of material wealth.
211 これら地球の達人達の間には貪欲や利己主義はありませんでした。(今日の私達の言葉を用いるなら彼らはあらゆるテーマにおいて修士の学位を達成したと言うことが出来るでしょう。)彼らは宇宙空間の物質には際限が無く、破壊されることがないこと、そしてそれらは常にあらゆる需要に見合うに十分存在することを知っていました。彼らの間には誰一人として物質的な富を蓄積しようと忙しくする者はいなかったのです。



【解説】
 目下の文明の最大の問題は富の偏在、貧富の格差です。富める者はますます富み、貧しい者はその子孫も含め大多数の者がその貧しさの中に留まらざるを得ないという訳です。この問題は現代社会の根源的な問題であり、富む為には戦争をも辞さないといった所でしょう。
 しかし、この貪欲さを捨てることが出来れば、少しずつ私達も本来の社会の姿に戻って行けるものと思われます。もっと私達は貪欲が何処から生まれて来るのかを考えるべきでしょう。将来への不安、支配欲は自らが全てを与えて下さる創造主を身近に感じられない為に起こる、心の不遜に由来しているということでしょう。
 かつてトリテリアの人々は、この同じ地球でエデンの楽園に暮らすことが出来たのは、自らの貪欲の要素を克服していたからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落210

210 Due to the lack of friction or resistance to the life force their bodies remained always youthful and death as we know it did not exist.
210 生命力に対する摩擦や抵抗が無い為、彼らの肉体は常に若々しく保たれ、私達が知るような死というものは存在しませんでした。



【解説】
 トリテリアの人達がどのような文明であったかは、本文の記述以外、知るすべがありませんが、アダムスキー氏が同乗記等で記している他惑星人の暮らしぶりから、実際に1000年近くも生命を保つ人達であり、不老の民であったことは容易に想像できます。
 最近のテレビ番組でもストレスが諸々の病の原因となることが説明されていましたし、少しでも毎日の自分の精神状態を顧みれば私達は自らの生命力に対して、それを損なう活動、即ち自らを害するような想念・印象をまき散らしていることが分かります。
 先日もある所で多くの蝶が舞う光景に出合いました。平凡な道の脇の草むらなのですが、そこの咲く小さな花々に何種類もの蝶が各々楽しげに飛び交っていました。普段、人が立ち入ることの無い彼らの楽園のようでした。それら美しい光景を見て思ったことは自然界の他の生きもの達は皆、毎日を楽しく暮らしており、生命力を発揮しているということです。熱帯地方の雨季の季節、雨上がりの晴れ間の中、楽しげに舞う色とりどりの蝶の舞いは本当はこの世界は楽園なんだと感じた次第です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落209

209 The Triterians had no religion as it is accepted today - they were a race of scientists, for they worked not on supposition or myth but on facts. They had no gods but recognized the all-intelligent force and themselves as expressers of it. They did not make the mistake of allowing their mortal mind to judge the creator for they understood cause and effect. They gave no thought to any division between themselves and the cosmic consciousness; they acted with a freedom and assurance of results. Therefore life was peaceful and harmonious. They were not bound by gods or devils for their only state of awareness was that of  interblended action. They recognized the necessity of duality in creation but they did not separate the force into good and evil.
209 トリテリア人達には、今日認められているような宗教はありませんでした。彼らは科学者の種族であったのです。何故なら、彼らは想像や神話に基づいて働くことはなく、事実に基づいて働いていました。彼らには神がありませんが、全英知を認識し、自分達をその表現者であると自覚していました。彼らは自分達の死すべき心に創造主を裁かせる誤りをさせませんでした。何故なら彼らは因と結果を理解していたからです。彼らは自分自身と宇宙意識の間に如何なる分け隔てをするような想念を持ちませんでした。彼らは自由に、また結果を確信して行動しました。それ故、生命は平穏で調和あるものでした。彼らは神や悪魔に束縛されはしませんでした。彼らの知覚の唯一の状態は融和混合した行動のそれであったからです。彼らは創造における二元性の必要性を認識していましたが、その力を善と悪とに分離することはしなかったのです。



【解説】
 今日私達の目指すべき目標が、このトリテリアの人達の生き方であると著者は本項で説いています。
 万物に英知を見て、その融合を感じる中に日本の古代文化にある「草木ことごとくよくものいい」とする「神人融合」(「日本文化史序説」(二) 西田直二郎著)の世界は、それに近いものであったと考えます。
 トリテリアの社会には宗教は無く、特段の礼拝対象もない訳で、身の回りのもの、目にする全てが「神宿る」ものになっていた筈です。このような社会においては、自然探究が重要な仕事であり、その成果は皆が共有でき、各自の進化に役立ったことでしょう。
 重要なのは、一たびこの生活姿勢に基づく生き方が出来れば、その後は安定した進歩の道を歩むことが出来ることです。自我を統制し、調和ある生き方を続けて行ければ、前途洋洋の歩みになることは間違え有りません。自然の中に宇宙を流れる真理を見出し、指導の声に耳を傾けることです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落208

208 These master-men were cosmic beings and during the time they spent in gaining their earthly experience they did not once separate themselves from the Totality. They worked with the elements of the earth as men work with them today but they understood the cause of their manifestations. They were sent to this solar system to partake of the knowledge of matter and this they did under the guidance of Cause Intelligence. This was easy for them to do for they were aware of the natural laws governing all action and they were wise enough to use their knowledge without perversion. The Law of Affinity held no mystery for these people and the elements obeyed their commands to the fullest. The earth was a perfect expression of Edenic beauty.
208 これら達人達は宇宙的な存在で、彼らが地球上の体験を得る為に過ごした期間中、彼らは一度として自分達を全体性から分離させたことはありませんでした。彼らは今日の人々が働くように地球の元素とともに働きましたが、彼らはそれら創造物の因を理解していました。彼らは知識にあずかる為、この太陽系に送られ、彼らは因の導きの下、これを行いました。これは彼らにとって容易でした。何故なら、彼らは全ての行動を支配する自然の諸法則について気付いており、彼らは自分達の知識を誤用することなく用いる程に賢明であったからです。その親和の法則は彼らにとって神秘ではなく、これらの諸元素は彼らの命令に完全に従いました。地球はエデンの美しさの完全な表現となっていたのです。



【解説】
 本項の内容を読み返して分かったことは、著者アダムスキー氏はこのトリテリア人は聖書で言うエデンの園に暮らしていた人達であったこと、最初に地球に人間が住むようになったケースであったことを示唆していることです。表だって”アダムとイブ”を指している訳ではありませんが、地球上の物質世界の知識を学ぶ為、派遣(移送)された人達であったように思われるのです。
 いずれにせよ、創造後、誰ひとり人間が暮らしていなかった処女地にトリテリア人は移住して来たと思われ、彼らの高い精神性とみずみずしい当時の地球環境とはよく融合し、物心両面で理想的なパラダイスが形成されたということでしょう。
 その遠い記憶がトリテリア人が去った後もわずかに残され、聖書のエデンの園に繋がって行ったのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落207

207 These were large people and their color may be likened to our bronze or rust, which was probably caused by the intensity of the sun's rays which shone upon the earth at that time
207 これら(訳注:トリテリア)の人々は大柄な人達で、彼らの肌の色は今日で言う赤褐色もしくはさび色に近いかも知れませんが、それはおそらく当時、地球を照らしていた太陽光の強さから引き起こされていたのかも知れません。



【解説】
 確かに熱帯・亜熱帯の地域は日差しが強く、油断しているとあっと言う間に日焼けしてしまいます。本文ではトリテリアの時代、太陽から降り注ぐ光線が今日より強かったと記しています。
 肌の色については、一般にアジア人の黄色、アフリカの黒色、アメリカの赤色、欧州の白色等々、地球上には様々な肌の色を持つ人間が昔から暮らしていましたが、それもそれぞれの祖先が長年暮らした環境に適応した結果が残っているのかも知れません。
 一方、これらとは異なる色調もあります。ラオスでは通称「エメラルド仏」と呼ばれる緑色の仏像の存在が伝えられています。今は経緯があってタイに安置されています。また、ビエンチャンのお寺(インペン寺)には肌の色が緑色の「神人」の象が建立されています。寺の伝承では本尊を建立する際、どうしても最後の工程がうまく行かず、工人達が落胆していたところ、見慣れない3名の人が来て、手伝って呉れるという。その後工人達がその場を離れたわずかの間に本尊は完成してしまったとのこと。その3人はその後、2、3日その寺に滞在した後、消えてしまったという。寺の人達は天から神が人の形に変身して降りてきて、助けてくれたとしてその神人の象を建立したという。何とその神人像の肌の色は緑色となっています。神人を表す色として緑の肌色が設定されているのです。
 他惑星人との交流の中でも、アダムスキー氏が同乗記その他で述べているように、様々な肌の色をした人達が居たとされており、多様な人達が天(宇宙)の中には存在するということでしょう。

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