「宇宙哲学」 第17章

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落192

192 Perhaps I should explain why one and one equals three in Nature's Creative Mathematics. When a positive and a negative get together there is a manifestation; in electricity it is light, with male and female it is an offspring and so it is with all nature. In order to understand a manifested effect the conditions that caused it to be must be understood.
192 おそらくは、ここで自然の創造的数学においては何故、1+1=3になるかを説明すべきでしょう。陽と陰は結合した時、創造の現出が起こるのです。電気においては光、男性と女性の場合は子孫ですし、自然全てについて同様です。現出した結果を理解する為には、それをもたらした諸条件が理解されねばなりません。




【解説】
 第17章の最後、まとめの言葉として述べられている本項は、創造的作用の本質について説かれているものです。陰と陽、プラスとマイナス等々、異なる性質を持つもの同士が結びつく中で共同して物事を達成しようとする時、そこには両者を足し合わせた以上の成果、創造的作用が生まれると説かれているのです。
 私達は各々異なる背景、履歴経験を持っており、各々意見も異なるものです。しかし、各々が連携し合う中で、両者の能力を足し合わせた以上のものが生まれるということでしょう。
 私自身の仕事の分野の話で恐縮ですが、下水(排水)処理の技術に微生物処理法があります。その微生物の環境を酸素の無い「嫌気」状態と酸素のある「好気」状態を連続的に交互に繰り返す中で、従来除去が難しかった窒素やりの成分も除去出来る方法が用いられるようになって来ました。これも異なる要素を組み合わせる中で微生物にそのような高度な処理能力を持たせるもので、本項に似た内容かと考えています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落191

191 The science that we speak of here has reference to the abstract scientists who work from cause to effect; not the dogmatic orthodox ones who refuse to see beyond the effective world.
191 ここで私達が言う科学とは、因から結果へと研究する理論科学者に関連して述べており、結果の世界の先を見ることを拒否する教条的な正統派を指すものではありません。




【解説】
 ここで著者は私達に有用な見識を与える科学者とは、結果の世界のみに生きている独善的な者を指すのではなく、因の世界や結果から因の法則を探求するような抽象・理論の科学者を指していることに言及しています。
 その中には素粒子世界から物質の本質を探る研究から、生命の本質について思考する研究者を示唆するものと思われます。
 また、このことは私達自身も日々の暮らしの中で気づく想念波動の効果や季節の移り変わりの中に見る生命の息吹、因の領域に属するような活動や波動について探求する中で、こうした真の科学者になって行くことにもつながることをも意味しています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落190

190 We can say that scientific research is allowing the people of the world to have a closer view of Cosmic Reality.
190 私達は科学的研究が世界の人々に宇宙の現実性についてより綿密な見識を与えていると言うことが出来ます。


【解説】
 本項は短い文章ですが、著者が訴えたいのは従来の宗教や哲学というものが果たしてこれまで人類の進歩に役立って来たかという問いでしょう。もちろん各宗教の源となったイエスや仏陀その他の聖人を指して述べているのではありません。教団が民衆の支持を得て巨大化し、組織拡大の過程において真理に対する本来の自由な探求心が抑制され、金品を民衆から集約し、囲い込むだけの組織に成り下がってしまう例が多いことを暗に指摘しているのではないでしょうか。
 その一方、科学は一歩一歩内容を検証しながら、着実に成果を出しており、人々の暮らしの向上に役立って来ました。私達は常に宇宙の探求者であり、創造主の作品世界を知り学ぶ存在であることが最も重要です。それが万物の最高位の創造物である人間の唯一の務めであるからだと著者は訴えているように思うのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落189

189 Science has progressed very rapidly in the last few years. Now, with the aid of fine instruments, the I.G.Y. research and the satellites, the scientists are able to delve deeper and deeper into the realms of Cause. They are beginning to understand and use Nature's Creative Mathematics; which is, one and one equals three. Old accepted theories are being replaced with more factual knowledge as the field of research broadens.
189 過去数年の間に科学は急速に発展しました。今や精密な装置やI.G.Y.(訳注:国際地球観測年)での研究、そして人工衛星のお蔭で、科学者達は宇宙の領域の奥深くまで掘り下げることが出来るようになりました。彼らは自然の創造的数学を学び始めています。その創造的数学とは1+1=3というものです。古くから容認されて来た諸理論は研究分野が広がるにつれて、より事実に基づく知識に置き換えられています。



【解説】
 本項で著者が言う「国際地球観測年(IGY)」は、現代の私達が考える以上に私達にとって意義あるものであったようです。;1957年~1958年の18ヶ月に渡って世界64ヶ国が気象や地磁気、太陽活動その他計10を越える様々な分野の観測と調査が行われたのです。
 その成果の中には、人工衛星の打ち上げ、バン・アレン帯の発見があり、日本では南極の昭和基地の設営と観測等が揚げられます。こうした世界中の国々が協力して宇宙の探査、地球の探求を目指した画期的なプロジェクトであった訳です。
 こうした中で著者は科学者達は創造的数学、1+1=3を理解しはじめたと説いています。人と人が協力する中で両者を加えた以上の成果が得られることを科学者達は身をもって体験した筈だと述べているように思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落188

188 We are expecting an era of brotherhood among men of this earth and it is science that is making the greatest strides towards this accomplishment by unveiling the actual laws of action. Science is working under the law of relativity while religion is working under the law of divisions. The work of scientific research carries one into such a vast conception of the universe that there is no room for egotism, bigotry, fanaticism or intolerance. The individuals who really study creation are so absorbed in its unlimited activity that they become undiscriminating. They regard all men, whether they be black or white, as brothers and grant them the right to believe according to their ability to understand. They are not bound by the limited concepts of cast or creed or dogma but are always open to new revelations. They do not allow even the human form, itself, to block their path of research in the field of knowledge, for they are willing to sacrifice their own bodies for the benefit of other researchers and mankind as a whole.
188 私達はこの地球上の人々の間に兄弟愛の時代が来ることを予想しており、行動の実際の法則を明らかにすることによって、この達成に向けて大きな歩幅を成しているのは科学なのです。宗教が分裂の法則の下に作用しているのに対して、科学は相関性の法則の下に作用しています。科学的探究の作用は人を広大な宇宙の概念に連れ行き、自分本位や頑固さ、熱狂や偏狭の余地はありません。創造を本当に学んでいる各個人はその無限なる活動に没頭するあまり、その者達には差別が無くなります。彼らは全ての人間が黒人であれ白人であれ、兄弟であると見ますし、それらの理解力に応じて、彼らを容認します。彼らは階層や信条、或いは教義の限られた想念に制約されることなく、常に新しい発見の受け入れに寛容であり、率直です。彼らは人体でさえも知識の分野の研究を妨げることはさせません。何故なら、彼らは進んで自らの肉体を他の研究者や人類全体の利益の為に捧げるからです。




【解説】
 本項を読んでつくづく感じることは、宗教は問題を解決しないということです。中東における長年の争いは各々の宗教や宗派の争いを反映しているように思いますし、他者の考えを受け入れられない、尊重しないことに由来があるように思います。
 このように古代から互いに征服を繰り返して来た私達地球人が犯して来た業(カルマ)が今日の問題となって現れているのです。
 著者はこのような問題に対して、私達の科学への探求心、宇宙の真理、法則への研究姿勢が唯一問題を解決するカギであると説いているのです。これまでの差別偏見を消滅させる為に、改めて他者への奉仕、宇宙普遍の法則に対する親しみと信頼こそ、その基礎であるとなるからです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落187

187 Today our chemists make practical use of their knowledge. They produce new metals to meet the needs of increasing mechanical achievements and are harnessing the forces of nature to facilitate the turning of the wheels of progress. They whom the religionists have called godless men are today becoming the masters of the elements by acknowledging that One Principle governs all things.
187 今日では我々の化学者達は自分達の知識を実用的な用途に用いています。彼らは機械的性能を高める必要性に応える為、新しい金属類を作り出していますし、進歩の歯車の回転を促進させる為、自然の諸力を利用しています。彼らは宗教主義者からは神を否定する者達と呼ばれている一方で、唯一の法則が万物を支配することを自覚することによって、今日、諸元素の支配者になりつつあります。


【解説】
 本項で著者が示唆しているのは、例えば製鉄所で鋼(ハガネ)やステンレスその他用途に沿った各々の特性を備えた「鉄」を製造する過程で様々な元素化合物が溶融され、一定の品質の製品が大量に生産される過程をも示唆するものと思われます。まさに今日の私達はこうした技術者・科学者のお蔭で快適な暮らしを享受しているのです。
 そこには同じ条件には必ず同じ反応が生じるという普遍的な法則があり、技術者・科学者達はこのことを良く認識した上で法則の中で有用なものを見出そうと努めている訳です。
 一方、宗教主義者は進むべき方向性は示せるにしても、具体的な手段を提示することは出来ません。現実世界を探求しようとはしない為、具体的な進歩に役立つことは少ないとも言えるでしょう。私達に必要なことは自然への向き合い方、自然法則から学ぶことだと著者は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落186

186 The priests of the ancients were the only scientists of that day and whatever they achieved was used for selfish purposes of dominating character. It is said that they could prepare chemical substances which when used as incense would put an individual into a trance state, but what benefit was actually derived from such practice? No doubt there was quite a bit of benefit to the priests, for while their subjects were under such a spell they could be very easily relieved of all of their possessions and the act laid at the door of the most convenient gods.
186 古代の僧侶達は唯一の科学者でしたし、彼らが何を達成したにせよ、それは支配的性格の利己的な目的に用いられたのです。彼らは香料として用いられると個人を恍惚状態に陥れる化学物質を調製することが出来たと言われています。このような行為で何の恩恵が得られたのでしょうか。無論、僧侶には大変大きな恩恵がありました。何故なら彼らの臣民はこのような魅惑の下、容易に自分達の持ち物全てを捨て去り、僧侶達にとって最も都合が良い神の扉に対して行動したからです。




【解説】
 宗教団体がそこに救いを求めて集まる信者から金品を取り上げることは、よくあることです。ましてや古代においては本項で述べられているようなことがまかり通っていたことでしょう。
 迷える求道者を餌食とする輩が現代も多いことは事実であり、私達は超能力者や催眠術その他の神秘には近づくべきではありません。
 実はこのUFO分野も同様であり、アダムスキー哲学を標榜しながらも、他惑星人を霊的な存在であるとして、神秘の分野に導入しようとする勢力もあるように思われます。そういう意味からも私達は常に正しいものと誤った方向に導こうとするものを峻別する注意力を必要とする訳で、いたずらに神秘体験を求めてはならないのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落185

185 We hear a great deal about the alchemists of the early days - Paracelsus, for instance, who was supposed to have transmuted baser metals into gold. "Miraculous!" the people say. Our scientists of today are able to produce gold from other substances; but the process is too costly to be of practical use.
185 私達は古代の錬金術師達についてとても多くのことを聞いています。例えばパラケルススは卑金属を金に変えたとされています。人々は「奇跡的だ」と言います。今日の私達の科学者達も他の物質から金を作り出すことが出来ますが、その方法は実用的使用にはあまりに費用がかかるのです。



【解説】
 西洋における錬金術について詳しくは知りませんが、鉛を輝く金属に変えて見せたということでしょうLその他、化学的知識により還元作用等を操作して酸化物から元の金属に変化させたりしたものと思われます。
 しかし、これらも中身が解明されれば、そこに神秘的な要素は無くなり、誰でも何処でも再現できるものとなる筈です。当時はこれらの現象を魔術として神秘化して来ましたが、原理が理解されれば、誰もが実現できる一般的な知識になるものです。私達はこれら古代から神秘と伝えられているものと現代の科学で解明し、宇宙的視野の下で理解する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落184

184 The Hindus have a saying to the effect that the more wood you pile on the campfire at night the greater becomes the illumination but greater also becomes the circle of surrounding darkness. Our present wisdom like the light of the campfire is great and the more we learn the greater becomes our scope of perception regarding the possibilities we have not yet deciphered. The more knowledge we acquire the more we know how much there is yet to learn. Our field of perception has become so vast that the encircling darkness is almost appalling but the very fact that we have such a vast perception of unproven things means that they shall one day be proven. We have had the perception of ships traveling through space to other planets and that day is not too far in the distance when this becomes a reality just as jets and airplanes are now a common means of conveyance.
184 ヒンドゥ教には要約すると、夜キャンプファイアにマキを積み上げる程、その輝きは増すが、周囲の暗闇の輪もまた大きくなるという格言があります。そのキャンプファイアの光のような私達の現在の知恵も大きなものですが、私達が更に学ぶ程に、私達がこれまで解読して来なかった可能性について私達の展望はより大きくなります。私達が身に付ける知識が多くなる程、私達はこれから学ぶべきことが如何に多いかを知るのです。私達の知覚分野がそれ程に広がると、取り巻く暗黒はぞっとする程のものとなりますが、私達がこのような広大な未検証の物事を知覚していることは、それがいつの日にか証明されることを意味しています。私達は宇宙空間を他の惑星に向けて航行する宇宙船を知覚したことがありますし、今日ジェット機や飛行機が皆の輸送手段であるのとまさに同様に事実になる日は遠く離れたものではありません。




【解説】
 同様のことは夜空の星々を望遠鏡で覗く時に体験します。肉眼では星が少ししか見えなくても、望遠鏡を使うとそこには驚く数の星々が見えて来ます。更に大型の望遠鏡ではその何百倍もの星々が今まで何も無かった夜空に見える筈です。
 また、同様なことは極微の世界でも言えることです。顕微鏡を用いればその倍率に応じて肉眼では見えなかった微小世界が眼前に拡がることでしょう。
 このように私達はこれまでの肉体の持つ感覚器官を越えた世界を知覚できるようになれば私達自身は実際には大変美しく調和した世界に暮らしていることが分かる筈です。そして今まさに進行しつつある宇宙時代には、これまでの地球人類が体験したことのない新しい心境の下、宇宙の一員として新しい一歩を踏みしめることになるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落183

183 There are those who prophesy that this civilization is nearing its destruction because of its lack of wisdom. Well perhaps, but what would it profit us to go back and study the wisdom of the ancients? You could say that the ancient civilizations did not heed the words of wisdom that were given to them, and that is true. Lemuria, Atlantea, Egypt and Rome, were all great civilizations and they are gone. This is a new day with new problems and the door to the Cosmic Storehouse of Wisdom and Knowledge is wide open for each individual to enter. Our present problem is to maintain our balance; living in the world of effects and understanding causes.
183 この文明は知恵の不足から破滅に近づいていると予言する者達がいます。たぶんそうかも知れません。しかし、私達が立ち帰って古代人の知恵を学んだからといって、私達に何の利益があるでしょう。貴方は古代の文明は与えられた知恵の言葉を心に留めなかったとも言うことが出来るでしょうし、それは確かです。レムリア、アトランティス、エジプトそしてローマは皆、大いなる文明でした。そしてそれらは過ぎ去ったのです。新しい日には新たな諸問題があり、英知の宇宙的倉庫への扉は入る人、一人一人に対し広く開いています。私達の現在の問題は私達のバランスを保つことです。結果の世界に生きながら、因を理解することです。




【解説】
 様々な古代の文明を考える時、結局それらは各々根本的な問題、誤りの為に滅びてしまったということではないでしょうか。また、それは私達を取り巻く自然がこの間、永続して来たのと対照的であることに私達は気付かなければなりません。
 私達にとって大事なことは、現在の私達に修正が必要なこと、進むべき道を明らかにすることであり、それらの問題解決を古代文明に求めても答えを得ることはないということです。私達には私達の問題解決の道があるからです。
 そこで重要なのは宇宙における自然の諸活動でしょう。これらは人間の文明とは異なり、断絶ということはありません。宇宙の因に従っている自然の営みの中に私達は自分の立ち位置を置き、そこから来るインスピレーションを大切にして生きて行く必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落182

182 Why should we base our life of today upon ancient philosophies? Should we enjoy going back to the ox-cart? I am sure that a great percentage of the population of the world would starve with only ox-cart transportation. Some of our so-called spiritual students are starving on the meager supply of mental food that is carried to them on the slow-moving vehicle of ancient myth and ritual. We are moving faster than we have ever done and we are compelled to keep up with our existing state of progress. Our mental expansion must coincide with and support our mechanical progress. Those who live too much in the past ask why we are rushing and where we are going;  may I answer in this way, we do not need the aimless rushing but we must keep pace with the fast moving events of life.
182 何故、私達は今日の私達の生活を古代の哲学の上に基礎づけるべきなのでしょうか。私達は牛車に立ち戻ることを楽しむべきなのでしょうか。私は世界の人口の大部分が牛車の輸送によっていては餓死してしまうことを確信しています。私達のいわゆる霊的学徒はゆっくり動く太古の神話と儀式の乗り物に乗って来る精神的食料の貧弱な供給に対し飢えています。私達はこれまで成したよりも速く動いており、私達は現在ある進歩に追いつかざるを得ないのです。私達の精神的拡大は私達の精神的進化に呼応し、それを支えなければなりません。過去に対し、余りにも多くを生きている者達は、何故私達が走っているのか、何処に私達が行こうとしているかを問います。それに対して私はこのように答えても良いでしょうか。私達は無目的に急ぐ必要はありませんが、生命のすばやく動く出来事にペースを合わせ続ける必要がありますと。




【解説】
 よく時代の変化という言葉を聞きます。かつて農業主体の生活の時代は、冬は家の中の仕事、春夏は明るい間は野良仕事と、決まって日課を送っていた筈です。しかし、今日では季節や日夜に関係なく、社会は活動し、世界各地との取引等、昼夜の時刻の区別さえ無くなっています。
 こうした中で、独り哲学だけが古代の教えから進歩していないと著者は指摘しているのです。確かに古典は私達の思想の基盤ではありますが、現実の私達の生活はそれら古典の生まれた前提となる時代を遥かに越えており、私達の心境を現実にマッチしたものとしなければなりません。そうでなければ、進む科学技術に追いつけない古めかしい精神とのギャップが大きくなり、結局は私達が精神面で何も持たない存在となると懸念している訳です。
 本項で著者は今後、急速に進展する科学技術に対応した新しい精神性の確保の重要性について私達に説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落181

181 "We have not yet been able to discover the whole greatness of the Ancient Wisdom," we are told. Well that may be true, but I dare say if a few of the ancients suddenly found themselves in one of our big cities today they would stand aghast at the miraculous works of our people. They would probably assume that they had reached some World reserved for especially advanced minds, and after having lived here for a while and trying to adjust themselves to our present understanding would decide that they were not of the elect and must have stumbled into this amazing place by mistake.
181 「私達はまだ古代の知恵の偉大さの全容について発見し得ていないのだ」と私達は告げられて来ました。それは真実かも知れませんが、敢えて言えば古代人の何人かが突如、今日の大都会の一つに身を置いたとすれば、彼らは私達の人々の奇跡的な業に驚嘆して立ち尽くすでしょうと言いたいものです。彼らはおそらく自分達が特に進化した心の持ち主のために用意されていた世界に到着したと思い込みますが、しばらくここで暮らした後に、自分達自身を私達の今日の理解に適合させた後は、彼らは自分達が選ばれたのではなく、誤ってこの驚くべき場所に転がり込んでしまったと判断することでしょう。




【解説】
 確かに古代の人々と現代の私達とはその持つ能力分野に違いがあることも考えられます。しかし、双方の文明を比較すれば総じて現代文明の方が古代のものより優れていると言うべきでしょう。それは即ち、その間の長い時間の中で私達の祖先が紆余曲折があったにせよ、少しずつ前に進んで来たからに外なりません。
 そういう意味では私達は現在をその立ち位置として、自ら新しい進化の道に一歩を踏み出すべきで、いたずらに古代の人々の霊力を羨んではならないのです。また、ここで重要になるのは、私達には他惑星文明という優れた手本が存在するということです。彼ら他惑星人の助言や本講座のような教えをしっかり受け止めて、日常生活に実線することで、私達は古代の知恵を当てにすることなく、新しい宇宙時代に生きて行くことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落180

180 Among many religious groups, and particularly those of an occult nature, we hear much about the great wisdom of the ancients. "If you expect to evolve to a state of masterful action," we are told, "you must go back and study the teachings of the old." It sounds a little twisted, doesn't it? To evolve we must go back! But why? Evolution is an expansion, a growth. Does the tree in its process of attaining maturity grow backwards into the roots? If it did I am sure we would never taste its fruits.   I suppose no man ever appreciates the thing that he has in his hand, and while it is right that he should reach out for something new let it be an advancement, not a retrogression. Why dig up the peaceful past - it has served its purpose. It brought us to the present day - let it rest. The works of the past cannot serve us now and so far as the laws of the past are concerned we are now using them, for there is in the whole cosmos only one principle of action. It is used in the billions of varying manifestations but itself never changes. The only way in which we can prove the principle is by the effects produced and surely we are producing effects on a much vaster scale than did the ancients. In those days if a man discovered something of use to humanity he was considered divine and his revelation a miracle. Today we have a new invention almost daily and think nothing of it.
180 多くの宗教グループの中で、とりわけ魔術的性質を持つものの中にあって、私達は古代人達の偉大な知恵について多くを聞かされます。「もしマスターの行動状態にまで進歩したいと思うなら、立ち戻って昔の教えを学ばなければならない」と教えられます。しかし、それは少しねじれた考えではないでしょうか。進歩する為に立ち戻る必要があるなどということがです。しかし何故でしょう。進化は拡大であり成長です。成熟を達成する過程にある樹木が根の中に向かって下に伸びるでしょうか。もし、そうなれが私達はその果実を味わうことは出来なくなることは確かです。私は誰も自分が手にしているものを享受していないのではないか、また何か新しいことに手を伸ばすことが正しい時には進歩があるべきで、退化することはありません。何故平穏になっている過去を掘り起こすのでしょうか。それはその目的を務め終わっているのです。それは私達を今日にもたらしたのであり、休ませましょう。過去の業は今日の私達に仕えることは出来ず、過去の法則に限って、私達はそれらを用います。何故なら全宇宙の中には唯一つの行動原理しか存在し得ないからです。何十億もの異なる創造物に用いられていますが、それ自体は決して変化しません。私達がその法則を証明できる唯一の方法は、作り出された結果によってであり、確かに私達は古代人が成したより、はるかに広いスケールで結果を作り上げています。当時、もし人が人類に有用な何物かを発見したとすれば、その者は聖なる者であり、その者の発見は奇跡と見なされました。今日、私達は毎日のように新しい発見をしますが、それについては何ほども考えはしません。




【解説】
 最近読んだ本の中に、かつて日本に遠く中東の地からユダヤの民族が日本に渡来し、古代日本の礎を創ったこと、また依然として各地にその遺跡と思われる事物が残っているとするものがありました。それら古代の文明について知ることは興味深いものですが、その古代の知識が今日私達が抱えている課題解決にどれほどの役割を果たすのかは疑問であると著者は説いています。それほどに私達地球人の過去は問題の積み重ねであったのです。
 私達の地球には過去何万年もの人類の歴史があり、それらのほとんどが何らかの問題で滅亡してしまった訳で、現代私達の問題の解決をそれら古代文明に頼るべきではないのです。
 著者は私達に過去に学ぶことよりも、未来に向かって必要な訓練を行うことを求めています。現代の私達が学ぶべきは、宇宙始原の昔から変わることなく続いている宇宙的法則を学び、取り入れて成長して行く道を指向すべきと説いています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落179

17 ANCIENT WISDOM OR MODERN PROGRESS?
179 There is some strange characteristic of the human mind that seems to find a great satisfaction in glorifying the past. The Oriental has expressed this characteristic in his ancestor worship; the Occidental has always had its hero-worship for deceased greatness; the patriarch of all nationalities sits back in his easy chair and reminisces on "the good old days." Perhaps it is that time assuages the actual realities of the past and leaves only the colorful pictures of self-created images. Perhaps it is that distant fields look greener on which ever side of us they lie, but, in any case, we find so many people living in the past that we wonder what good the present is doing at the present time.
第17章 古代の知恵か現代の進歩か
179 人間の心には過去を賛美することに非常に満足を覚えるような何か奇妙な性質があります。東洋では自分の祖先を崇拝することにこの特徴が表わされていますし、西洋では死去した偉人に対し常に英雄崇拝があります。全ての国の民族において長老はその安楽椅子に背を寄りかけて「古き良き時代」の思い出にふけっています。おそらくは時間が過去の実際の現実を和らげ、自ら作り上げた華やかな映像のみを残しているということでしょう。おそらくは何処にあろうと、遠くの畑は緑がより深く見えるでしょう。しかし、いずれの場合も私達はあまりに多くの人々が過去に生きている為、私達は現代が何か良いことを成していないか不思議に思ってしまう程です。



【解説】
 人間年を取ると若い昔の日々を懐かしく思い出すものです。また、その延長から各々の祖先の時代が今より優れていたとも思いがちです。
 しかし、本章で著者はそうではないと私達を諭していることに改めて注目すべきでしょう。少し歴史を調べれば、私達の過去は戦争や策略、暴力等、どれも最低なレベルの人間の活動で満ちていることが分かります。それらを乗り越え到達したのが今日であり、またこれまでの科学技術の進歩の恩恵を現代の私達が受けていることを忘れてはなりません。
 もちろん純粋な心情等、古代の人々に学ぶことは大いにある訳で、古典を学ぶことは大切ですが、現代の私達はこうした古代の人々以上に大きな影響力を有しており、その行動が惑星全体に与える影響は比較にならない程大きくなっていることを自覚しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落192

192 Perhaps I should explain why one and one equals three in Nature's Creative Mathematics. When a positive and a negative get together there is a manifestation; in electricity it is light, with male and female it is an offspring and so it is with all nature. In order to understand a manifested effect the conditions that caused it to be must be understood.
192 おそらくは、ここで自然の創造的数学においては何故、1+1=3になるかを説明すべきでしょう。陽と陰は結合した時、創造の現出が起こるのです。電気においては光、男性と女性の場合は子孫ですし、自然全てについて同様です。現出した結果を理解する為には、それをもたらした諸条件が理解されねばなりません。




【解説】
 本章最終項において著者は「1+1=3」という法則性の解釈について説いています。生物の生殖の話はその通りですが、更に重要な点は、「プラス」要素と「マイナス」要素という互いにあい対する側面を有したものが、相互に共有する状況になると、新たな成果が生じるということでしょう。
 相違あるもの同士が融合するとそれまでに無い新たな要素が生まれるという訳です。これについては「酸とアルカリ」、「酸化と還元」等、様々な側面で成立することになります。酸素の有る好気状態と酸素の無い嫌気状態の相互を繰り返し経験することで下水や排水の処理を高度化出来ること等は、極一部の関係者しか馴染みの無いことですが、排水処理の分野では著名な現象として活用されている技術です。
 著者が示唆している内容の内、最も大切なころは、物事を生じさせる背景にはこのような2つの力が互いに働き合ってその現象を生み出しているということです。あらゆるものの背景にこれら2つの要素が働いていることに気付くよう諭しているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落191

191 The science that we speak of here has reference to the abstract scientists who work from cause to effect; not the dogmatic orthodox ones who refuse to see beyond the effective world.
191 ここで私達が言う科学とは、因から結果へと研究する理論科学者に関連して述べており、結果の世界の先を見ることを拒否する教条的な正統派を指すものではありません。



【解説】
 物事の真理を洞察し、普遍的な法則を導き出す科学者の業績は私達一般人の宇宙に対する概念を向上させて来ました。まだ実用化されない段階であっても、私達は物質の本質について多くの事柄を学んでいます。素粒子の発見等は、物質世界を見る新しい視点を私達に与えつつあります。
 このようにある側面から発見された新事実はやがてより大きな視点の中に組み込まれ、再び全体を見回すことによって、私達の概念は一新されることになります。丁度、ジグゾーパズルのように、1片を本来の場所に組み込むことによって、思いも寄らない新しい世界、新たな概念を手にするのに似ています。
 私達ははじめから自らの心の意志で「こうあるべきだ」と教条的な姿勢で物事を見てはいけません。柔軟に事実を直視し、その持つ意義を探求することです。求める答えは既に与えられており、私達がそれに気付くまで自然はじっと待っていて下さるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落190

190 We can say that scientific research is allowing the people of the world to have a closer view of Cosmic Reality.
190 私達は科学的研究が世界の人々に宇宙の現実性についてより綿密な見識を与えていると言うことが出来ます。



【解説】
 今日では極く普通の科学研究と同じレベルで、宇宙ステーションでの研究活動が行われていますし、宇宙は私達にとっても、また身近な世界となって来ました。地上では難しい実験条件も宇宙では容易に設定でき、その法則性を検証出来るということでしょう。
 私達は宇宙に出ることによって、私達の暮らす地球のことや太陽系について多くを知ることが出来ます。映画「2001年宇宙の旅」が上映された頃は、夢であった宇宙旅行の話も今日ではいよいよ現実味を帯びて来ています。
 このように私達の視野が広がるにつれ、私達の概念は飛躍的に拡大し、宇宙への理解も拡がるということでしょう。
 私達一人一人が生まれて来た真の目的を果たす為には、いくつになっても宇宙への関心や物質の奥にある因の存在への探究心を無くしてはなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落189

189 Science has progressed very rapidly in the last few years. Now, with the aid of fine instruments, the I.G.Y. research and the satellites, the scientists are able to delve deeper and deeper into the realms of Cause. They are beginning to understand and use Nature's Creative Mathematics; which is, one and one equals three. Old accepted theories are being replaced with more factual knowledge as the field of research broadens.
189 過去数年の間に科学は急速に発展しました。今や精密な装置やI.G.Y.(訳注:国際地球観測年)での研究、そして人工衛星のお蔭で、科学者達は宇宙の領域の奥深くまで掘り下げることが出来るようになりました。彼らは自然の創造的数学を学び始めています。その創造的数学とは1+1=3というものです。古くから容認されて来た諸理論は研究分野が広がるにつれて、より事実に基づく知識に置き換えられています。




【解説】
 実際のところ、まだ著者が本項で言う「1+1=3」の真意は計りかねますが、既に宇宙空間を取り扱う際には、平面上の座標をもってしては取り扱うことは出来ず、地上の座標についても既に球座標の値がGPS等で用いられているようです、従来の平面的な概念で宇宙空間を取り扱うことは出来ないようです。
 現実に飛行機の航路についても空間座標を元に最短飛行ルートが決定されるように、従来の座標系とは異なる概念が必要となっています。また、これらの基礎情報は私達が知らない間にも、GPSに接続したカーナビや携帯電話等、身近なところで既に実用化され、私達は気付かず利用しているという訳です。宇宙に関する情報は、日々の天気予報に観測衛星からの画像が用いられるなど、宇宙空間の情報は私達の生活と直結している時代を迎えています。
 更に私達はこれら宇宙に流れる法則性について探求を深める必要があることは間違いありません。宇宙の活動には「1+1=3」の効果があるとされています。互いの努力が新たな成果を生む等、その意味するところは更に深遠と観るべきでしょう。私達は万物の活動の中にその実像を観るように努力しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落188

188 We are expecting an era of brotherhood among men of this earth and it is science that is making the greatest strides towards this accomplishment by unveiling the actual laws of action. Science is working under the law of relativity while religion is working under the law of divisions. The work of scientific research carries one into such a vast conception of the universe that there is no room for egotism, bigotry, fanaticism or intolerance. The individuals who really study creation are so absorbed in its unlimited activity that they become undiscriminating. They regard all men, whether they be black or white, as brothers and grant them the right to believe according to their ability to understand. They are not bound by the limited concepts of cast or creed or dogma but are always open to new revelations. They do not allow even the human form, itself, to block their path of research in the field of knowledge, for they are willing to sacrifice their own bodies for the benefit of other researchers and mankind as a whole.
188 私達はこの地球上の人々の間に兄弟愛の時代が来ることを予想しており、行動の実際の法則を明らかにすることによって、この達成に向けて大きな歩幅を成しているのは科学なのです。宗教が分裂の法則の下に作用しているのに対して、科学は相関性の法則の下に作用しています。科学的探究の作用は人を広大な宇宙の概念に連れ行き、自分本位や頑固さ、熱狂や偏狭の余地はありません。創造を本当に学んでいる各個人はその無限なる活動に没頭するあまり、その者達には差別が無くなります。彼らは全ての人間が黒人であれ白人であれ、兄弟であると見ますし、それらの理解力に応じて、彼らを容認します。彼らは階層や信条、或いは教義の限られた想念に制約されることなく、常に新しい発見の受け入れに寛容であり、率直です。彼らは人体でさえも知識の分野の研究を妨げることはさせません。何故なら、彼らは進んで自らの肉体を他の研究者や人類全体の利益の為に捧げるからです。




【解説】
 現在の中東地域における過激な宗教主義者の行動やその結果を見れば、もはや私達は宗教の限界というものを自覚しなければならない時期に来ていることが分かります。宗教の掲げる「教え」そのものは立派なものであり、当初は優れた役割を果たしていたものであっても、時代が移り、狂信的な人間その他、暗黒の勢力の手にかかれば、かくも残忍な狂信集団と化してしまう事実にこそ直視しなければなりません。
 これら宗教に対して科学の貢献がはるかに勝っていることを本項は説いています。誰もが同じ立場、共通の視野で科学知識を探求し、法則性を研究することによって、この文明は発展して来ました。これら科学の成果がこの文明を発展させて来たことは明らかである一方、もう片方の宗教分野・精神分野においては混乱し、時代遅れの概念のまま停滞していると言えるかも知れません。
 しかし、人々は精神性についてまだまだ向上心を有しており、それに対してどのような支援が行われるべきか、考えるべき時代となっています。アダムスキー氏の教えの集大成となった「生命の科学」は、この私達が探求すべき因の世界、精神作用に対し、従来の宗教的手法ではなく、科学的手法や観点から、精神性について取り組むべきことを説いたものとなっています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落187

187 Today our chemists make practical use of their knowledge. They produce new metals to meet the needs of increasing mechanical achievements and are harnessing the forces of nature to facilitate the turning of the wheels of progress. They whom the religionists have called godless men are today becoming the masters of the elements by acknowledging that One Principle governs all things.
187 今日では我々の化学者達は自分達の知識を実用的な用途に用いています。彼らは機械的性能を高める必要性に応える為、新しい金属類を作り出していますし、進歩の歯車の回転を促進させる為、自然の諸力を利用しています。彼らは宗教主義者からは神を否定する者達と呼ばれている一方で、唯一の法則が万物を支配することを自覚することによって、今日、諸元素の支配者になりつつあります。


【解説】
 既に私達は鉄に様々な金属や炭素を混ぜるとその性状が大きく変化することを知っていますし、古来から武器の製造等の分野で応用して来ました。また、今日では希少金属等との融合により様々な性質を呈することが知られているようです。
 これらの成果は一時代前は"錬金術"等の魔術、神秘として一括して取り扱われ、科学的な探究の道を歩むことはありませんでした。しかし今日では、それらは極細部に及ぶ探究の目を通じて、徐々に内容が解明されつつあります。即ち、古代の秘術が解明され、誰もが学べる科学の一知識になった訳です。
 そこで重要なのは、それらが個別特有の現象でなく、宇宙普遍の法則の下に探究され解明されていることです。時間や空間を超えて成立する法則を学ぶ中での応用例として、これらの成果が位置づけられている点にあります。従って、私達は如何なる側面に対しても、それが宇宙普遍の法則性として、どのような要素と関連しているかについて、常に考える必要があります。日常生活の中でもその背後で働いている宇宙普遍の法則性にこそ、気を配る必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落186

186 The priests of the ancients were the only scientists of that day and whatever they achieved was used for selfish purposes of dominating character. It is said that they could prepare chemical substances which when used as incense would put an individual into a trance state, but what benefit was actually derived from such practice? No doubt there was quite a bit of benefit to the priests, for while their subjects were under such a spell they could be very easily relieved of all of their possessions and the act laid at the door of the most convenient gods.
186 古代の僧侶達は唯一の科学者でしたし、彼らが何を達成したにせよ、それは支配的性格の利己的な目的に用いられたのです。彼らは香料として用いられると個人を恍惚状態に陥れる化学物質を調製することが出来たと言われています。このような行為で何の恩恵が得られたのでしょうか。無論、僧侶には大変大きな恩恵がありました。何故なら彼らの臣民はこのような魅惑の下、容易に自分達の持ち物全てを捨て去り、その最も都合が良い神の扉に身を横たえたからです。



【解説】
 本項は地球における宗教団体の悪行について警告しています。おそらく創始者、教祖は純粋な意図と実際の自らの神秘体験に基づいて精神集団を創ったものと思われます。しかし、時代が経過するにつれて、団体を運営維持するために「金」が必要とされ、集まって来る求道者達からそれらの資金を得るよう改変されて行ったものと思われます。
 この現象は決して古代だけのものでなく、今日でも懸念される現象と言えます。多くの宗教団体がそれぞれ豪華な建物を有し、人々からその資金を得ているからです。
 一方、それら多くの教祖の生涯はいずれも質素で、シンプルなものでした。先日もラオスの寺院巡りをしていた際、案内して下さった方から、ラオスでは僧侶が黄色の僧衣を身に付けていますが、その黄色の由来について伺ったことがあります。ご存知の方も多いのではないかと思いますが、ゴータマ・ブッダは釈迦国の王子であり、ある意味、優雅な生活を送っていました。ブッダはその出家の際、身に付けていた全てを出会った者に呉れてやった訳ですが、その際、着ることとなったのは、死者を包んでいた白い布であったとのこと。そのいわば汚れた布を洗い、菩提樹の葉で染めたものを着ていたというのです。草木染の色があの黄色であったという訳です。
 現在でもラオスの僧は自らは一切の労働はしない代わりに、人々から与えられる托鉢物しか口にしないこととなっています。また同時に自分達が食べきれないものは寺に集まる貧しい人々に施しをしています。これらの光景を見ると、本項とは反対の真の宗教者の姿が見えて来るように思いました。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落185

185 We hear a great deal about the alchemists of the early days - Paracelsus, for instance, who was supposed to have transmuted baser metals into gold. "Miraculous!" the people say. Our scientists of today are able to produce gold from other substances; but the process is too costly to be of practical use.
185 私達は古代の錬金術師達についてとても多くのことを聞いています。例えばパラケルススは卑金属を金に変えたとされています。人々は「奇跡的だ」と言います。今日の私達の科学者達も他の物質から金を作り出すことが出来ますが、その方法は実用的使用にはあまりに費用がかかるのです。


【解説】 中世の錬金術の実像は今となっては知る由もありません。しかし、金属酸化物を還元処理して元の金属の光沢を見せる程度のことは行われていたことでしょう。彼らは物質相互の反応性に関する知識を有する化学者であった訳です。 しかし、当時の一般人にとっては、それは魔術の一種と思えたものでしょうし、錬金術士達はその秘密を魔術のように人々に見せ、自らの優位性、特異性を見せびらかしていたのかも知れません。問題なのはそれらを"神秘"として扱った為にその後の人々の知識や科学の発達には何らの貢献もして来なかったことです。 私達は誰もがこれらの知識を共有し、探究の道を進むべきであり、一部の人々の間の秘密の技術とすることでは、人々の進化に貢献するものとはならず、却って科学の発展を遅らせる元凶をなってしまいます。テレパシーも同様に、特殊な能力として片づけている限り、発展はないのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落184

184 The Hindus have a saying to the effect that the more wood you pile on the campfire at night the greater becomes the illumination but greater also becomes the circle of surrounding darkness. Our present wisdom like the light of the campfire is great and the more we learn the greater becomes our scope of perception regarding the possibilities we have not yet deciphered. The more knowledge we acquire the more we know how much there is yet to learn. Our field of perception has become so vast that the encircling darkness is almost appalling but the very fact that we have such a vast perception of unproven things means that they shall one day be proven. We have had the perception of ships traveling through space to other planets and that day is not too far in the distance when this becomes a reality just as jets and airplanes are now a common means of conveyance.
184 ヒンドゥ教には要約すると、夜キャンプファイアにマキを積み上げる程、その輝きは増すが、周囲の暗闇の輪もまた大きくなるという格言があります。そのキャンプファイアの光のような私達の現在の知恵も大きなものですが、私達が更に学ぶ程に、私達がこれまで解読して来なかった可能性について私達の展望はより大きくなります。私達が身に付ける知識が多くなる程、私達はこれから学ぶべきことが如何に多いかを知るのです。私達の知覚分野がそれ程に広がると、取り巻く暗黒はぞっとする程のものとなりますが、私達がこのような広大な未検証の物事を知覚していることは、それがいつの日にか証明されることを意味しています。私達は宇宙空間を他の惑星に向けて航行する宇宙船を知覚したことがありますし、今日ジェット機や飛行機が皆の輸送手段であるのとまさに同様に事実になる日は遠く離れたものではありません。




【解説】
 間違いなく私達地球人も近い将来、宇宙旅行に出られる時代が来ることでしょう。現在も多くの民間企業がビジネスとして宇宙旅行を実現させるべく準備をしています。
 今までは極く限られた宇宙飛行士のみが大気圏外から地球を見た訳ですが、これからは誰でも安全に宇宙に出ることが出来るようになることでしょう。そしておそらくはその効果は地球の現文明にとって大きな転機となる程の影響を与えることでしょう。今までの国家という概念は崩壊消滅し、惑星という社会概念が生まれて来るものと思うからです。
 一方、このように私達の視野が広がると同時に未知なる領域も増して来る筈です。宇宙には私達が未だ知らない多くの現象があり、今まで私達はそれらに頓着なく狭い領域に暮らしていたため、それに気付くことはありませんでした。
 探求の領域が拡がる程、それらを囲む未知なる領域も拡大するという本文の言葉は実に言い得た表現です。私達の進化には終わりが無く次々に探求すべき分野が現れ、探求の道に際限は無いことを良く表しています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落183

183 There are those who prophesy that this civilization is nearing its destruction because of its lack of wisdom. Well perhaps, but what would it profit us to go back and study the wisdom of the ancients? You could say that the ancient civilizations did not heed the words of wisdom that were given to them, and that is true. Lemuria, Atlantea, Egypt and Rome, were all great civilizations and they are gone. This is a new day with new problems and the door to the Cosmic Storehouse of Wisdom and Knowledge is wide open for each individual to enter. Our present problem is to maintain our balance; living in the world of effects and understanding causes.
183 この文明は知恵の不足から破滅に近づいていると予言する者達がいます。たぶんそうかも知れません。しかし、私達が立ち帰って古代人の知恵を学んだからといって、私達に何の利益があるでしょう。貴方は古代の文明は与えられた知恵の言葉を心に留めなかったとも言うことが出来るでしょうし、それは確かです。レムリア、アトランティス、エジプトそしてローマは皆、大いなる文明でした。そしてそれらは過ぎ去ったのです。新しい日には新たな諸問題があり、英知の宇宙的倉庫への扉は入る人、一人一人に対し広く開いています。私達の現在の問題は私達のバランスを保つことです。結果の世界に生きながら、因を理解することです。




【解説】
 私達が向き合うべきは古代の文明ではありません。仮に各々の文明には今日の私達とは違う進化した側面があったとしても著者の指摘のようにそれらは致命的な問題を抱えたまま解決出来ずに滅びてしまった訳で、決して参考にはなりません。
 現代の私達にはまた別の問題があり、それらを解決することが求められているのです。
 おそらく物質的には現文明はかつてない程に発展させて来ましたし、人々の生活レベルもかつての消えた文明をはるかに越える程、向上したものと思われます。その上で、私達に必要な事項として著者は改めて、物質面と精神面のバランスを説いていることに注目しなければなりません。
 両側面を各々均等に発達させ、バランスが取れた生活こそが理想であり、その為に既に物質的側面について十分学び応用出来ている私達が、次に探求し、応用すべきはもう一方の側面、即ち、因の存在とその作用、宇宙意識と呼ばれる普遍の精神体の作用と私達の関わりになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落182

182 Why should we base our life of today upon ancient philosophies? Should we enjoy going back to the ox-cart? I am sure that a great percentage of the population of the world would starve with only ox-cart transportation. Some of our so-called spiritual students are starving on the meager supply of mental food that is carried to them on the slow-moving vehicle of ancient myth and ritual. We are moving faster than we have ever done and we are compelled to keep up with our existing state of progress. Our mental expansion must coincide with and support our mechanical progress. Those who live too much in the past ask why we are rushing and where we are going;  may I answer in this way, we do not need the aimless rushing but we must keep pace with the fast moving events of life.
182 何故、私達は今日の私達の生活を古代の哲学の上に基礎づけるべきなのでしょうか。私達は牛車に立ち戻ることを楽しむべきなのでしょうか。私は世界の人口の大部分が牛車の輸送によっていては餓死してしまうことを確信しています。私達のいわゆる霊的学徒はゆっくり動く太古の神話と儀式の乗り物に乗って来る精神的食料の貧弱な供給に対し飢えています。私達はこれまで成したよりも速く動いており、私達は現在ある進歩に追いつかざるを得ないのです。私達の精神的拡大は私達の精神的進化に呼応し、それを支えなければなりません。過去に対し、余りにも多くを生きている者達は、何故私達が走っているのか、何処に私達が行こうとしているかを問います。それに対して私はこのように答えても良いでしょうか。私達は無目的に急ぐ必要はありませんが、生命のすばやく動く出来事にペースを合わせ続ける必要がありますと。




【解説】
 本項で印象的な言葉は"mental food(精神的食料")という著者の表現です。長年著者は哲学について、また人間の生き方について人々に教えて来たことは皆さまよくご存知の通りです。著者アダムスキー氏はロイアルオーダーをはじめとして、1952年のデザートセンターでの宇宙人との会見以前から、この方面の活動に生涯を捧げて来たのです。
 その著者が長年の体験から人々は"mental food"を必要としていると表現しているのです。またこの言葉はイエスの"人はパンのみにて生きるにあらず"の一節とも呼応しています。つまりは著者は人々には日常的に絶えずその精神性を高める上で、先を行くものの助言や至言、教えを必要としていることが、実感として分かっていたということです。
 本来の進むべき道を求める人には、皆それぞれの足元を照らす光が必要であり、導きがあることに越したことはありません。手さぐりで歩む中で少しでも先導して呉れる言葉が求められていることになります。
 様々な社会インフラが整備され、各自の生活も活発になる中で新しい事態にふさわしい導きの発信、提供こそが求められている訳で、本シリーズも微力ながら、その一つとして役目が果たせれば幸甚です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落181

181 "We have not yet been able to discover the whole greatness of the Ancient Wisdom," we are told. Well that may be true, but I dare say if a few of the ancients suddenly found themselves in one of our big cities today they would stand aghast at the miraculous works of our people. They would probably assume that they had reached some World reserved for especially advanced minds, and after having lived here for a while and trying to adjust themselves to our present understanding would decide that they were not of the elect and must have stumbled into this amazing place by mistake.
181 「私達はまだ古代の知恵の偉大さの全容について発見し得ていないのだ」と私達は告げられて来ました。それは真実かも知れませんが、敢えて言えば古代人の何人かが突如、今日の大都会の一つに身を置いたとすれば、彼らは私達の人々の奇跡的な業に驚嘆して立ち尽くすでしょうと言いたいものです。彼らはおそらく自分達が特に進化した心の持ち主のために用意されていた世界に到着したと思い込みますが、しばらくここで暮らした後に、自分達自身を私達の今日の理解に適合させた後は、彼らは自分達が選ばれたのではなく、誤ってこの驚くべき場所に転がり込んでしまったと判断することでしょう。



【解説】
 30数年前、仕事の機会で米国を約2ヶ月旅した中で見た驚きの光景は、今日、日本ではごく当たり前の姿となって実現しています。”ダイエット”、”スポーツジム”、”スイミングプール”、”レストランのサラダバー”等々、当時目にした光景はごく普通の姿として今日では目にすることが出来ます。
 また、少しでも知りたいことがあれば、図書館に行かなくても自宅から様々な資料を見ることが出来ますし、知識や情報は刻々と人々の間で共有出来るインターネット環境が整えられています。
 そうした中、それらを生かし、次なる進化を遂げる為に私達が何をし、何が出来るかに取り組むことが重要であり、不確かな古代の智慧の断片に頼るべきではないのです。著者は私達は決して古代の人達と比べて劣っている訳ではないことを私達に諭しています。
 私達現代地球人は、もっと自らの成し遂げた事柄の意義を学んで、次なる世代に引き継ぐ努力をする必要があります。間違いなく次は宇宙との関係、他惑星文明との接触の時代を迎える訳で、私達はいち早くその対応に備えなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落180

180 Among many religious groups, and particularly those of an occult nature, we hear much about the great wisdom of the ancients. "If you expect to evolve to a state of masterful action," we are told, "you must go back and study the teachings of the old." It sounds a little twisted, doesn't it? To evolve we must go back! But why? Evolution is an expansion, a growth. Does the tree in its process of attaining maturity grow backwards into the roots? If it did I am sure we would never taste its fruits.   I suppose no man ever appreciates the thing that he has in his hand, and while it is right that he should reach out for something new let it be an advancement, not a retrogression. Why dig up the peaceful past - it has served its purpose. It brought us to the present day - let it rest. The works of the past cannot serve us now and so far as the laws of the past are concerned we are now using them, for there is in the whole cosmos only one principle of action. It is used in the billions of varying manifestations but itself never changes. The only way in which we can prove the principle is by the effects produced and surely we are producing effects on a much vaster scale than did the ancients. In those days if a man discovered something of use to humanity he was considered divine and his revelation a miracle. Today we have a new invention almost daily and think nothing of it.
180 多くの宗教グループの中で、とりわけ魔術的性質を持つものの中にあって、私達は古代人達の偉大な知恵について多くを聞かされます。「もしマスターの行動状態にまで進歩したいと思うなら、立ち戻って昔の教えを学ばなければならない」と教えられます。しかし、それは少しねじれた考えではないでしょうか。進歩する為に立ち戻る必要があるなどということがです。しかし何故でしょう。進化は拡大であり成長です。成熟を達成する過程にある樹木が根の中に向かって下に伸びるでしょうか。もし、そうなれが私達はその果実を味わうことは出来なくなることは確かです。私は誰も自分が手にしているものを享受していないのではないか、また何か新しいことに手を伸ばすことが正しい時には進歩があるべきで、退化することはありません。何故平穏になっている過去を掘り起こすのでしょうか。それはその目的を務め終わっているのです。それは私達を今日にもたらしたのであり、休ませましょう。過去の業は今日の私達に仕えることは出来ず、過去の法則に限って、私達はそれらを用います。何故なら全宇宙の中には唯一つの行動原理しか存在し得ないからです。何十億もの異なる創造物に用いられていますが、それ自体は決して変化しません。私達がその法則を証明できる唯一の方法は、作り出された結果によってであり、確かに私達は古代人が成したより、はるかに広いスケールで結果を作り上げています。当時、もし人が人類に有用な何物かを発見したとすれば、その者は聖なる者であり、その者の発見は奇跡と見なされました。今日、私達は毎日のように新しい発見をしますが、それについては何ほども考えはしません。




【解説】
 歴史から学ぶことは大切ですが、それはあくまで"反省"の一環として取り組むべきであり、過去を美化すべきではありません。本項では、とかく私達が陥りやすい懐古的姿勢が現代の私達に役に立たないことを諭しています。
 その理由は客観的に見れば明らかなように、私達は昔の人達より進化した社会の中に暮らしており、水や電気も自由に手に入る生活の中に居る訳で、古代人より優れた生活レベルにあります。もちろんそれこそが進化の道であり、紆余曲折をしながらも私達はこれまで進んで来たのです。
 その上で、私達は自らの取り組むべき課題を少しずつであっても解決し、未来に訪れる人達に提供した上で、この世を去る必要があります。内村鑑三の『後世への最大遺物』はそうした人間の生き方を説いたものです。
 本章では特に、当時米国西海岸で多く湧き出ていたと思われる、太古の文明を起源とする新興宗教に対して警告しているように思われます。物質主義の当時の米国の中にあって、新たな精神主義の芽が出始める頃に、著者がその精神性に目覚めかけた人々に対して贈った重要なメッセージであったように思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落179

17 ANCIENT WISDOM OR MODERN PROGRESS?
179 There is some strange characteristic of the human mind that seems to find a great satisfaction in glorifying the past. The Oriental has expressed this characteristic in his ancestor worship; the Occidental has always had its hero-worship for deceased greatness; the patriarch of all nationalities sits back in his easy chair and reminisces on "the good old days." Perhaps it is that time assuages the actual realities of the past and leaves only the colorful pictures of self-created images. Perhaps it is that distant fields look greener on which ever side of us they lie, but, in any case, we find so many people living in the past that we wonder what good the present is doing at the present time.
第17章 古代の知恵か現代の進歩か
179 人間の心には過去を賛美することに非常に満足を覚えるような何か奇妙な性質があります。東洋では自分の祖先を崇拝することにこの特徴が表わされていますし、西洋では死去した偉人に対し常に英雄崇拝があります。全ての国の民族において長老はその安楽椅子に背を寄りかけて「古き良き時代」の思い出にふけっています。おそらくは時間が過去の実際の現実を和らげ、自ら作り上げた華やかな映像のみを残しているということでしょう。おそらくは何処にあろうと、遠くの畑は緑がより深く見えるでしょう。しかし、いずれの場合も私達はあまりに多くの人々が過去に生きている為、私達は現代が何か良いことを成していないか不思議に思ってしまう程です。
 

【解説】
 様々な側面や問題があるにせよ、全体として私達、地球の現代人は進化していると言えることでしょう。もちろん世情は悪化し、悪人達も巧妙化していますが、それでも全体としては様々な機械や都市施設、ネットワークは進化を遂げており、確実に私達の生活の質は向上して来ています。
 唯一、劣っていると懸念される事項は、あまりにも物質や金銭に価値を置き、精神面についての進化は滞っていることではないかと思われます。万物に神性を見出すような繊細な感受性、言葉に依存せず、印象による日々の行動選択等において、私達は未発達であり、古代人より劣ってしまったのではないかと思われます。
 確かに地球には、支援・救済の為に多くの優れた教師が来訪し、私達を指導して来た訳ですが、その教えを私達は自ら応用、活用することなくただ、恩恵・ご利益を求めて、その面影を慕っているのかも知れません。私達は今となっては不確かな過去の教えを鵜呑みにすることなく、自らの科学的な探究を基礎として、これら精神作用の真理を学んで行く必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第17章-段落192

192 Perhaps I should explain why one and one equals three in Nature's Creative Mathematics. When a positive and a negative get together there is a manifestation; in electricity it is light, with male and female it is an offspring and so it is with all nature. In order to understand a manifested effect the conditions that caused it to be must be understood.
192 おそらくは、ここで自然の創造的数学においては何故、1+1=3になるかを説明すべきでしょう。陽と陰は結合した時、創造の現出が起こるのです。電気においては光、男性と女性の場合は子孫ですし、自然全てについて同様です。現出した結果を理解する為には、それをもたらした諸条件が理解されねばなりません。


【解説】
 1+1=3 ということは、反応前の(1+1)に創造的な反応が起こると(1+1)の各々はそのままに、更に新たな(1)が生まれるということです。陰と陽が結びつくことで、もう一つの結果が生まれるという訳です。
 無から有を生じるということは、私達の日常でも経験することでもあります。電光や雷、雨や雪等、天候に関わるものは皆、そのような宇宙空間の創造作用の現れと見るべきでしょう。物質的には大気中の水蒸気が変化した形態と言うことも出来ますが、あまねく大地に水の恵みで潤し、植物の生長を助けるその姿は日々行われている創造の現れと言うことが出来ます。
 どのような目的で、それらの創造に至ったのか、その深遠なる条件とは、等々、思いを寄せることが必要だと言っています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第17章-段落191

191 The science that we speak of here has reference to the abstract scientists who work from cause to effect; not the dogmatic orthodox ones who refuse to see beyond the effective world.
191 ここで私達が言う科学とは、因から結果へと研究する理論科学者に関連して述べており、結果の世界の先を見ることを拒否する教条的な正統派を指すものではありません。


【解説】
 科学とは個別の事象について綿密に分析し、その中で得られた法則性を明らかにすること、更には万物一般に適用できる原理を見出すことだと考えます。そういう意味では、哲学も科学も同じ方向を向いていると言えるでしょう。とかく科学は全てを実証することを求めますが、他方では、その原理が持つ意義についてまで、考察を深めることは希です。
 例えば、雪は何故白いかという設問に対して、急激な熱の吸収を抑え、災害を防いでいるという意義にまで、考察を深めることは通常、「科学的」とは見なされていませんが、宇宙を統治する原理を探求する上からは、十分納得できる解釈例となる訳です。本項で言う理論科学は、更に奥深い原理の存在意義にまで遡ろうとする意欲がある取組み姿勢を指しているものと思われます。
 相対性原理がアインシュタインによって提唱され、その後の私達の宇宙に対する見方を変革したように、因に対する私達の研究態度が真摯なものであれば、より深遠な宇宙の姿が現れるに違いありません。
ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
プロフィール

ganetworkjapan

アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ