「宇宙哲学」 第11章

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落125

125 Here lies the answer to the question as to the constant urge in the heart of every human to know more about the composition of forms as well as the cause and purpose of action, for it is the Cause Parent impressing the effective child to know more about the vast possibilities so that he may enjoy all that the Father has to give.
125 ここにあらゆる人間の心の中に行動の理由と目的と共に、形あるものの構成について更に知りたいとする絶えざる衝動に対する答えがあります。何故なら、結果である子供が父が与えるべき全てを楽しめるよう、広大な可能性について知りたいとする印象を子供に与えているのは因の親であるからです。



【解説】
 やはり結論的には、素直になることが基本であるように思います。つまりは、内なる因から絶えず助言の声があり、それに気付き受け入れる為には、何事においても受容的な姿勢が必要であるからです。とかく歳を重ねると人間が固まってしまい、頑迷さが顕著になりますが、本項を読んで分かる通り、柔軟性を無くすということは、老化の典型であり、進化の終わりということになります。
 自然界では、目に見えない”因”からの印象が生き生きと湧き起っており、それに従う限りは生命の躍動感は衰えることはありません。次々に新しい分野が拓かれ、本来の創造の世界が明かされるからです。
 私達は一瞬たりともその基本的な流れを阻害することなく、流れ来る印象を大切にして毎日を送る中で、遂にはイエスの言う「第二の誕生」に至るものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落124

124 It is man's duty to be a happy child in his Father's house, and to do this he will have to be aware of the house. He must be aware that he is now in the heaven that he is seeking to enter and that within his form of self is the ever present all-inclusive intelligence.
124 自らの父の家の中で幸せな子供になることは人の義務であり、それを為すためには、人はその家の存在に気付かねばなりません。人は自分が現在、入りたいと求めてきた天国の中に居ること、また自身の形あるものの内側に全てを包含する永続する英知があることを気付かねばなりません。




【解説】
 必要なもの、生きる力となるあらゆる知識が必要に応じて与えられる環境を”天国”と言わずして何と呼ぶべきかということでしょう。私達自身の内側、手や足よりも近くにその湧き出す源が各自に備わっていると本項は説いています。
 自然界を見て分かることは野の草の葉1枚、或いは花びらの一片にも驚く程の美しさがある訳で、創造物の中で本来、最高位を占めるべき人間にはそれら以上に美しく幸せな生き方が用意されているのです。またそのような状態に戻ることが創造物としての義務である訳です。
 すべてが自分の中にあるとなれば、敢えて外に求める必要はなく、状況を快く受け入れ、心の中に湧き起る印象を大事にする生活が始まります。結局、これまで”努力”して来たことの多くは知識の無い自我がガムシャラに結果を追い求めて疲弊するだけの毎日でありましたし、少しでも思い通りにならないことに落胆することも多かったように思います。
 それに引き替え本項で説かれている内容は、決して未来を悲観することなく、私達自身の可能性と明るい未来が待っていることを私達に説いています。”愛燦々”の歌詞に「過去たちは優しく睫毛に憩う」、「未来達は人待ち顔して微笑む」とあります。つまり涙が睫毛につくことがあっても、愛が燦々と自分に降りかかってくる環境の中では、人生は嬉しいものだと歌っており、本項のイメージを多少汲み取っているのかと思う次第です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落123

123 Not until the teachers understand this can they save anyone or themselves. Many scientists are closer to the second birth than is any so-called spiritual student. One of our greatest scientists made the remark, "When I am fatigued with mental effort and have ceased to ponder over a problem I find that is the time when the truth of the question is most clearly revealed to me." This is a glimpse of the second birth-when the mortal consciousness is released into the hands of the vast consciousness the veil of limitation is rent asunder and truth is vividly perceived.
123 教師達はこのことを理解するまでは、誰もまた自分自身も救うことは出来ません。多くの科学者達はいわゆる霊的学者より、この第二の誕生に近づいています。今日最も偉大な科学者の一人はこのような所見を述べました。「私が精神的努力で疲れ切り、問題について考え込むのを止めた時が、その問題の真理が最も明瞭に現れる時になることは分かっています」。これは死すべき肉体の意識が広大な意識の御手の中に解放される結果、制限のベールが引き離され、真理が鮮やかに知覚される第二の誕生を瞬間的に見ることになるのです。



【解説】
 科学の発見というものが、どのようにして生まれるかを端的に本項は伝えています。
 先ず第一に科学者はその問題について様々な角度から自我の努力として考え続けますが、既存の延長では問題は解決出来ず、遂には疲れ果てて何も考えられなくなります。そこにインスピレーションが来て、解決法を発見するという事例です。
 実は大抵の場合、このような事の成り行きになることが多いように思われます。つまり、最初から何らの努力もぜずに居れば、インスピレーションも来ないように思いますが、先ずはその解決策を求める気持ちがあって、その回答については”因”を信頼して印象がやって来るのを待つ姿勢が重要です。
 ”他力本願”とも言えるこの姿勢の中には実は”因”への誠実な信頼があり、私達はそもそも”因”によって生かされているという感謝の気持ちが重要なところです。また、結果を当てにせずあらゆるものを受容する心境、オープンな気持ちも想念・印象の感受には重要なポイントです。
 こうした印象とのやりとりが自在に出来ることが第二の誕生に近づいているしるしと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落122

122 The second birth does not necessitate the death of any form of consciousness nor the death of the body; it necessitates only the uniting of the two phases of consciousness into the awareness of oneness. The second birth produces unlimited awareness, uniting heaven and earth. The sense consciousness and the all inclusive consciousness become equally balanced and man begins to learn about the Cosmos.
122 第二の誕生は意識の如何なる形式の死も、肉体の死も必要とするものではありません。それは唯一、意識の2つの側面を一体性の自覚の中に統合することだけを必要とします。第二の誕生は無限の気付きを作り出し、天と地とを一つに結び付けます。感覚の意識と全てを包含する意識は互いに等しくバランスし、人は宇宙を学び始めるのです。



【解説】
 これまで私達の実体、即ちこの肉体を除いてもなお残る魂のような存在について、段落(026)や(027)等で説かれた”意識”であることを改めて確認しています。この第二の誕生とは自らの中の実体であるこの意識の2つの側面を融合させることだと説いているのです。
 実は”誕生”と言うからには”死”が前提にあるように思われますが、本文では如何なる”死”も不要だと説いています。つまりよく”自我を捨てれば”と言われますが、その自我を殺す必要はなく、因と統合されることで、一大変化が起こるとしている訳です。
 私達の肉体を操作することを主題とする自我や感覚に起因する意識の部分と、因の世界に繋がる静寂、広大な宇宙意識とを融合することを目指せと説いているのです。そうする中で私達には新しい展開が拓かれ、本来の進化の道を歩む道筋が示されることになります。映画「2001年宇宙の旅」の最後に、主人公の魂が胎児のイメージで地球に帰って来る場面がありますが、それはこの第二の誕生をイメージしているように思うのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落121

121 The Master said, "No man ascendeth up to heaven except he that came down from heaven, even the Son of Man which is in heaven."(John 3:13) Meaning that the second birth is the conscious return into the original Cause state out of which all things proceed into the world of form. Man has descended from Cosmic Cause and he has the privilege to return again to that impersonal state of conscious awareness of Cosmic Cause. When he was born into the world of form he became lost in the appearances of matter and no longer understood the vast Cosmos. He has given himself over to the dictation of the senses and his mind is slow to accept the guidance of the soul. His understanding of the universe has become limited to the effective world - his whole attention is given to the analysis of form and he has been blinded to the Cause back of form. So before he can come into his own original self, he will have to be born again - born into the unlimited perception of the All Intelligence. As the first birth has given man an understanding of the form world like himself the second birth will expand his awareness of the unmanifested Cause world. Man's duty now is to burst the bonds of ignorance - to emerge from the matrix of earth and perceive the vastness of Cosmic Cause.
121 その導師は言いました。「天から降りて来た者以外に天に昇る者はいないのだ。天にいる人の息子でさえも。」(ヨハネ3:13) それは第二の誕生は全てのものが形ある世界に向けて進行して来た源の原初の因の状態に意識的に帰って行くことを意味しています。人は宇宙的な因から降り来たったものであり、人は宇宙的因の非個人的な意識的気付きの状態に再び帰る特権を持っています。人が形ある世界の中に生まれた時、人は物質の外観の中で迷子になり、広大な宇宙をもはや理解しなくなってしまいました。人は自分をその諸感覚の指図に差し出してしまい、人の心は魂の導きをなかなか受け入れようとはしません。人の宇宙への理解は結果の世界に限定されるようになり、その関心の全ては形あるものの分析に注がれ、形あるものの背後にある因に対しては盲目になっています。ですから人が自分自身の原初の自分になるには、再び生まれる、即ち全英知の無限の知覚の中に生まれる必要があるのです。最初の誕生は人に自分自身のような形あるものの世界についての理解を授けたように、第二の誕生は未だ現象化していない因の世界についての気付きを拡げることでしょう。今日の人の義務は無知の束縛を破裂させること、地球の地殻から抜け出て、宇宙的因の広大さを知覚することです。



【解説】
 私達自身、即ち肉体に宿る魂とも言うべき本質的なもの自体は肉体とは別に存在することを、本項は示唆しているように思われます。つまり、魂は元来、”因”に属するものであり、その魂の部分は私達が生まれ落ちて物質世界の中で埋没し、自分の正体を見失っていると説いているのです。
 また、私達が日々探究しなければならないのは「物質」ではないこともポイントの一つでしょう。自らが本来所属している”因”について学ぶことの方が遥かに重要で、その過程を通じて本章で言う”第二の誕生”を成し遂げることが出来るという訳です。
 元来は”因”の世界に居た者が、物質世界に生まれ出て、本来は創造物溢れる素晴らしい環境を享受出来る筈でしたが、自らの感覚器官や物質世界に支配されて、自分の本質を見失ってしまったということです。これはアダムとイブの物語を連想させるものでもあります。
 この一連の流れはもちろん、宇宙的学習の課程とも言える訳で、第二の誕生を通じて物質世界と”因”の世界とを自ら融合させることが、私達共通の課題となっている訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落120

120 Thus spoke the Christ, to whom Life had revealed her mysteries. This statement has been made the very foundation of religion, but Nicodemus of old, who asked of the Master, "How shall this be? Can a man enter the second time into his mother's womb?"(John 3:4) is not alone in his ignorance of the second birth.
120 生命がその持つ神秘を明かした相手であるキリストがそのように話されたのです。この声明は宗教の基礎とされていますが、年老いたニコデモは、導師に「どのようにすれば、これが為されるのですか。人は自分の母親の子宮に二度目に入ることが出来るのですか(ヨハネ3:4)」と尋ねましたが、それは彼一人がこの第二の誕生について無知であった訳ではありません。



【解説】
 イエスが語った”第二の誕生”の内容は、当時のニコデモのみならず、今日の私達でもその理解度に大差はありません。イエスの言葉は実に比喩的であった訳ですが、その理由についても私達は考える必要があります。つまりは例え理路整然と説いたとしても、当時の人々(或いは今日の私達も同様かも知れませんが)に理解出来る訳もなく、単なる言葉の上の知識に留まり、自ら理解することはなかったと思われます。大切なことは各自が自らの体験・実感として理解することであり、直接的な解説を避けていたように思います。
 このことはイエスのように他惑星から地球の救済に派遣された聖人にとって、派遣先の惑星の支援やアドバイスはするものの、強制は出来ない事情によるのではないかと思っています。その惑星の発展は何よりその惑星住人の手によって為されるべきであり、良い方向に進むよう見守ることが基本的な姿勢であるからです。
 イエスの説いた”第二の誕生”をどのように各自が探究し、自分のものとするかが問われるのですが、実は本章では当時、イエスに随伴していたヨハネ(アダムスキー氏)が改めてイエスの真意について説いているように思われるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落119

11 TO BE BORN AGAIN
119 "Verily, verily, I say unto you, except a man be born again he cannot see the kingdom of God." (John 3:3)
第11章 再び生まれるために
119 「まことに、まことに私は貴方に言って置きます。人は再び生まれなければ、神の王国を見ることは出来ません」(ヨハネ3:3)



【解説】
 よく気付くことは、生まれたばかりの赤子や幼児は皆、何の畏れもなく、また何事にも楽しく微笑んでいるということです。彼らには全てが物珍しく面白い存在なのです。その次にいつも思うのは、もし生まれ変わりがあり、前世を病や事故等で苦しんで亡くなった方であったら、再び新しい肉体を得て生まれ変わったとしたら、全てが楽しい気分であろうということです。
 本項の場合、イエスの諭すように神の国に生まれる者は皆、至福の念に満たされることは間違いありませんが、イエスは死んだ後のことを言及しているのではないことは、後続の本文の記述から分かります。それではイエスは何故、”生まれ変わり”が必須条件であると説いたのかを考える必要があります。
 死すべきものは何かという場合、それは各自の自我(エゴ)の部分を指すものと思われます。自我を融解、消失させると相対的にその奥にある真の存在が重きをなすように現れて来るように思われます。従来の四感覚の支配から抜け出た段階で現れる宇宙的な存在です。これは前章の信仰と恐怖の間にある様々な度合いと同じです。イエスはその信仰("faith")がある段階に到達した時、生まれ変わりに相当する大きな転機が現れると説いたものと思われます。私達も毎日の研鑽を積み重ねる中で、必ずやその転換点を迎えるものと思います。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第11章-段落125

125 Here lies the answer to the question as to the constant urge in the heart of every human to know more about the composition of forms as well as the cause and purpose of action, for it is the Cause Parent impressing the effective child to know more about the vast possibilities so that he may enjoy all that the Father has to give.
125 ここにあらゆる人間の心の中に行動の理由と目的と共に、形あるものの構成について更に知りたいとする絶えざる衝動に対する答えがあります。何故なら、結果である子供が父が与えるべき全てを楽しめるよう、広大な可能性について知りたいとする印象を子供に与えているのは因の親であるからです。


【解説】
 私達はこれまでも万物の創造主の存在を只漠然と「父」と呼んで来ましたが、それは2000年前にイエスがそう呼んだことから、それを真似ているに過ぎません。その「父」なる言葉の意味を深く考えたことは無いように思います。本項では私達人間各自に対し、等しく創造主が働き掛け、現在人が思う以上に素晴らしい世界の中に暮らしていることを認識させようと仕向けている「宇宙的生命の親」の姿について述べられています。
 ここで私達は、既に自分の内側に広大な天国の要素が用意されており、私達は只それに気付くだけで良いのだとしています。細胞のDNA分子には知識と記憶の数々が含まれているのかも知れませんし、私達の持つ意識体の中には既に十二分な英知が詰まっています。私達は他に外に向かって求める必要は無く、心を鎮めてひたすら自分の内側に耳を傾け、印象に鋭敏になれば良いということでしょう。第二の誕生は、従来の心中心、感覚本位の生き方から、意識中心、印象中心の生き方への一大転換を必要としています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第11章-段落124

124 It is man's duty to be a happy child in his Father's house, and to do this he will have to be aware of the house. He must be aware that he is now in the heaven that he is seeking to enter and that within his form of self is the ever present all-inclusive intelligence.
124 自らの父の家の中で幸せな子供になることは人の義務であり、それを為すためには、人はその家の存在に気付かねばなりません。人は自分が現在、入りたいと求めてきた天国の中に居ること、また自身の形あるものの内側に全てを包含する永続する英知があることを気付かねばなりません。


【解説】
 私達は創造主から愛されている存在であることに、まず気付く必要があります。恵まれた存在であり、必要な全てが既に与えられているという訳です。しかし、いくら創造主が息子のことを思って支援を続けていても、肝心な息子達はそのことに気付かぬまま自分達の概念の中に留まっています。
 日々、生きているありがたさ、毎日安らかに眠り、翌朝爽やかに目覚めて一日を働くことが出来る喜びは当たり前のようですが、病に倒れた後はそのありがたさが良く分かるものです。私達の普段の生活の中に創造主の御手の計らいが満ちていることに、まずは感謝したいものです。
 これまで本章では、再びの誕生について学んで来ましたが、それにあたって必要なことは、私達の従来の生活はそのままに、丁度蝶の成虫への脱皮のように、新しい自分、新しい概念の中で生きようとする一大決心が必要だということでしょう。
 これまで、自分の肉体の内側に心があることは承知して来ましたが、本項ではそれと同時に宇宙までも包含する英知が合わせて存在することを指摘しています。即ち、再びの誕生に必要な条件は全て整っており、後は各自の脱皮の行動だけだという訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第11章-段落123

123 Not until the teachers understand this can they save anyone or themselves. Many scientists are closer to the second birth than is any so-called spiritual student. One of our greatest scientists made the remark, "When I am fatigued with mental effort and have ceased to ponder over a problem I find that is the time when the truth of the question is most clearly revealed to me." This is a glimpse of the second birth-when the mortal consciousness is released into the hands of the vast consciousness the veil of limitation is rent asunder and truth is vividly perceived.
123 教師達はこのことを理解するまでは、誰もまた自分自身も救うことは出来ません。多くの科学者達はいわゆる霊的学者より、この第二の誕生に近づいています。今日最も偉大な科学者の一人はこのような所見を述べました。「私が精神的努力で疲れ切り、問題について考え込むのを止めた時が、その問題の真理が最も明瞭に現れる時になることは分かっています」。これは死すべき肉体の意識が広大な意識の御手の中に解放され、制限のベールが引き離され、真理が鮮やかに知覚される第二の誕生を瞬間的に見たことなのです。


【解説】
 この分野の教師たる者、或いは道を求める者が修得して置かなければならないのは、このポイントにあると著者は指摘しています。
 「宇宙意識と一体になる」云々と語られることが多いのですが、その具体的な方法論については、あいまいに終わることが多いものです。それに対し、本項では「ある科学者」の言葉として、心による問題解決への格闘を諦め、心が鎮まった時、解答が来るとする例をあげています。
 つまりは、この科学者は経験上、物事への執着を取り払い、心自体がその問題解決に対し無能であることを認めた時、答えが来ることを「知っている」ということが大事なところです。
 問題に行き詰ったら、散歩をするとか、気分転換を図る方が良いとする「街の経験則」もそれに類似したものでしょう。心自体では解決等が見当たらない時は、いち早く心自体のガムシャラな労苦を中断し、因の助言をお願いすることです。俗に言えば「困った時の神頼み」ですが、大事なのはその後だと考えています。つまり、解決策を与えられ、喜んだ後は自らに与えられた因からの援助に感謝し、益々因の力の偉大さを学ぶということが、より重要です。
 とかく当面の事態が解決したことだけでほっとして終わってしまいがちですが、それではこれら貴重な体験は生かされず、遠からず再び同様の問題を抱えることとなります。貴重な体験から学び生かすことが進歩に繋がると考えています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第11章-段落122

122 The second birth does not necessitate the death of any form of consciousness nor the death of the body; it necessitates only the uniting of the two phases of consciousness into the awareness of oneness. The second birth produces unlimited awareness, uniting heaven and earth. The sense consciousness and the all inclusive consciousness become equally balanced and man begins to learn about the Cosmos.
122 第二の誕生は意識の如何なる形式の死も、肉体の死も必要とするものではありません。それは唯一、意識の2つの側面を一体性の自覚の中に統合することだけを必要とします。第二の誕生は無限の気付きを作り出し、天と地とを一つに結び付けます。感覚の意識と全てを包含する意識は互いに等しくバランスし、人は宇宙を学び始めるのです。

【解説】
 本章冒頭(119)にあったイエスの言葉「第二の誕生」について、アダムスキー氏は本項で更に説明を加えています。第二の誕生を「生まれ変わり」とも言い換えることが出来ますが、その意味は因との統合性にあるとしています。因である「天」と現象(物質界)である「地」とを一つに結びつけることだと述べられています。
 筆者の力量の限界から、詳しく表現することは出来ませんが、古来からその一体感とはどのようなもので、そのような心境、或いは視界になるのか、関心が集まっていたものと思われます。即ち、イエスや仏陀の周囲に集まる人々、更にはそのような悟りを得たと称する数多くの教祖に人々が魅力を感じるのも同様です。
 もちろん、教師に付くことは早道かと思いますが、信頼できる教師が見当たらない昨今の状況では、各自、自らの内側にある因の導きを頼りに自習することです。また、本項を読むと分かることは、とかく現世のものを捨てることで達成するかという話もありますが、本項ではそのようなことを一切、推奨するものではなく、物質と因との両方を等しくバランスさせよとしている点に注意が必要です。私達はとかく、"1"か"0"かのどちらかを選択しがちですが、物質と意識を等しく融合させる心境が重要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第11章-段落121

121 The Master said, "No man ascendeth up to heaven except he that came down from heaven, even the Son of Man which is in heaven."(John 3:13) Meaning that the second birth is the conscious return into the original Cause state out of which all things proceed into the world of form. Man has descended from Cosmic Cause and he has the privilege to return again to that impersonal state of conscious awareness of Cosmic Cause. When he was born into the world of form he became lost in the appearances of matter and no longer understood the vast Cosmos. He has given himself over to the dictation of the senses and his mind is slow to accept the guidance of the soul. His understanding of the universe has become limited to the effective world - his whole attention is given to the analysis of form and he has been blinded to the Cause back of form. So before he can come into his own original self, he will have to be born again - born into the unlimited perception of the All Intelligence. As the first birth has given man an understanding of the form world like himself the second birth will expand his awareness of the unmanifested Cause world. Man's duty now is to burst the bonds of ignorance - to emerge from the matrix of earth and perceive the vastness of Cosmic Cause.
121 その導師は言いました。「天から降りて来た者以外に天に昇る者はいないのだ。天にいる人の息子でさえも。」(ヨハネ3:13) それは第二の誕生は全てのものが形ある世界に向けて進行して来た源の原初の因の状態に意識的に帰って行くことを意味しています。人は宇宙的な因から降り来たったものであり、人は宇宙的因の非個人的な意識的気付きの状態に再び帰る特権を持っています。人が形ある世界の中に生まれた時、人は物質の外観の中で迷子になり、広大な宇宙をもはや理解しなくなってしまいました。人は自分をその諸感覚の指図に差し出してしまい、人の心は魂の導きをなかなか受け入れようとはしません。人の宇宙への理解は結果の世界に限定されるようになり、その関心の全ては形あるものの分析に注がれ、形あるものの背後にある因に対しては盲目になっています。ですから人が自分自身の原初の自分になるには、再び生まれる、即ち全英知の無限の知覚の中に生まれる必要があるのです。最初の誕生は人に自分自身のような形あるものの世界についての理解を授けたように、第二の誕生は未だ現象化していない因の世界についての気付きを拡げることでしょう。今日の人の義務は無知の束縛を破裂させること、地球の地殻から抜け出て、宇宙的因の広大さを知覚することです。


【解説】
 このイエスの言葉を素直に読めば、「現在、他惑星にいる人々も元々は地にあって天に昇って行った人々である」、言い換えれば本章で言う再び生まれた人間だと言うことが出来ると思います。その天に帰ることがどういうことかを本項では詳しく説明しています。
 とりわけ本項で強調しているポイントは、私達は生来、因を知覚するに十分な能力を有していたのですが、結果の世界、即ち物質の世の中に生まれてからは物質のみに心を奪われて、その物質を生み出す原動力である因については何ら学んで来なかったことです。その原因は私達の判断全てが私達の肉体の4つの感覚によって為され、自分の感覚で把握出来るもの以外は信じないという私達自身の問題が大きいことが分かります。
 これに対して、因の存在、即ち宇宙意識の導きを信じて、人間にとっては時折示されるその指示に従う中で、次第に万物を生み出す因の作用を学ぶ中で、私達は再び天に帰る存在になると言うことが出来ます。何よりも因に対する知識と信頼が必要で、そうする内に文字通り、因に通じた人間、不老不死の存在になるものと考えます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第11章-段落120

120 Thus spoke the Christ, to whom Life had revealed her mysteries. This statement has been made the very foundation of religion, but Nicodemus of old, who asked of the Master, "How shall this be? Can a man enter the second time into his mother's womb?"(John 3:4) is not alone in his ignorance of the second birth.
120 生命がその持つ神秘を明かした相手であるキリストがそのように話されたのです。この声明は宗教の基礎とされていますが、年老いたニコデモは、導師に「どのようにすれば、これが為されるのですか。人は自分の母親の子宮に二度目に入ることが出来るのですか(ヨハネ3:4)」と尋ねましたが、それは彼一人がこの第二の誕生について無知であった訳ではありません。



【解説】
 実は2000年経っても「神の王国」、即ち、因の世界についての私達地球人の認識についての進歩は無いのかも知れません。また、私達のように「生命の科学」を学ぶ者も、未だ肝心なポイントを十分には理解せず、環境や結果物に支配された生活を送りがちではないでしょうか。
 この最も近い存在である因、宇宙意識の存在を自覚するために、イエスは「再び生まれなければ」と表現されたのです。その意味は「誕生する」という中にあるように思います。私達は最初、この地上に各自、何処の星からか、或いは何処かの地からやって来て生まれ落ちたと考えます。それは第一の誕生ということになります。再びの誕生とはこのような肉体の誕生を意味するのではなく、更に因の世界に生まれ出ることだと思っています。つまり、第一の誕生の場合、生まれ来る赤子は何の抵抗も無く、全てを委ねてこの世界に生まれ出るのであり、その存在の全てをこの世界に委ねるような心境かも知れません。その中でこの世界の一員としての生命が始まる訳です。
 それと同様に、「神の王国」、因の世界に生まれることは、何の抵抗もなく身を委ねてその世界が今後、自らを守って呉れることを信じて、その世界の一員としての生活を始めるということかと考えています。赤ちゃんがすやすや眠る光景は、何の心配もなく生まれ落ちた世界を信じ切っている姿を表現するものであり、私達も因の世界の加護と恩寵を頼りとして生きて行くべきことが求められているのだと思います。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第11章-段落119

11 TO BE BORN AGAIN
119 "Verily, verily, I say unto you, except a man be born again he cannot see the kingdom of God." (John 3:3)

第11章 再び生まれるために
119 「まことに、まことに私は貴方に言って置きます。人は再び生まれなければ、神の王国を見ることは出来ません」(ヨハネ3:3)


【解説】
 イエスはニコデモに対して、人間は再び生まれなければ因の世界を見ることが出来ないと言ったとヨハネ伝は伝えています。一説に、アダムスキー氏はこれを伝えた使徒ヨハネであったとも伝えられていますが、イエスの身近な言動の持つ意味を2000年後の今日の宇宙哲学として伝えなおしている点は、地球人にとって進歩の道は長いものだと感じさせます。
 人の誕生はいわば、因の世界から結果物である物質の世界に生まれ落ちることですが、本項ではその後、再び因の世界に覚醒しなければ、即ち再び生まれ出なければ因を理解することは出来ないと言っています。しかし、これは一度に起こる訳ではなく、前項(118)にあるように、長い時間を掛けて次第に覚醒が進むということです。ある程度以上の理解が進んだ段階で、目覚めが起こるのかも知れません。そのような因の世界を自覚し、覚醒することが必要だという訳です。
ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
livedoor プロフィール
アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ