「宇宙哲学」 第8章

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落097

097  In a television program called "Frontiers of Mind," the Bell Telephone Company presented an excellent scientific demonstration of what touch is and how it reacts to electrical impulses. It showed that touch is not a sense organ but acts as a telegraphic system via the nerves to the brain. It registers that which it contacts and relays that reaction as electrical impulses through the nervous system of the body. Touch is inseparable with feeling, for feeling gives sensation to the nerves.
097 「心の最前線」と呼ばれるテレビ番組の中で、ベル電話会社は感触が何であるか、またそれが電気パルスに対し、どのように反応するかを示す優れた科学実験を提供しました。その番組は感触は感覚器官ではなく、神経を経由して頭脳に通じる電信システムとして機能していることを示しました。それは触れるものを記録し、肉体の神経を通じて電気信号としてその反応を伝達しています。感触は触覚と分けることは出来ません。触覚は神経に興奮を与えるからです。



【解説】
 触覚(feeling)そのものについては、私達は「触感・感触」(touch)との関係について整理して置く必要があるでしょう。
 本項ではこのことについて、触感とは感覚ではなく神経の伝達反応だとしています。つまり、それ自体には「良い悪い」の判断(裁き)は行っていないとも言えるのではないでしょうか。また、感触は情報を頭脳に伝達する基本的な役割を有していることは本文にも示されているように実験的に示すことも可能という訳です。(ちなみに、この番組(Frontiers of Mind)は当時、有名な番組であったようで、今日インターネットの検索でも一部については1965年当時の放送概要を知ることが出来ます。http://www.imdb.com/title/tt0854625/
 しかし、より重要なのは、これら触感(touch)も触覚(feeling)と一体になっているということです。つまりは触感の働きも触覚の働きも類似しているということでしょう。触感の方は人体の範囲に留まりますが、触覚の方は更に拡がる守備範囲を持っているように思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落096

096 When that feeling is no longer playing upon the senses they lie inert like the muted strings of the violin after the consciousness of the musician is withdrawn to another channel of service.
096 諸感覚に対して触覚が作用しなくなると、諸感覚は演奏家の意識が別の奉仕の経路に引き上げられた後にそのバイオリンの沈黙した各弦のように不活発になったままになります。



【解説】
 私達の四感覚は意識と結びついてはじめて機能するという訳です。感覚も含め人体全てにわたって意識(触覚要素)の存在如何にかかっていると言うことも出来るのです。
 このように無くてはならない意識なのですが、私達自身は永年にわたってその存在意義に気付くことはありませんでした。その結果、うわべだけの感覚による勝手な判断を許して来たのです。
 しかし、わずかながらも意識の力に気付き始めた私達は、日々の生活の中でその力を研究し、その作用を身をもって学んで行く必要があります。その為には、先ずは私達の感覚の反応と意識による無言の忠告について学ぶ必要があります。意識の指導は唯一印象によって授けられる訳ですから、私達は触覚的感性を鋭敏にし、時々刻々やって来る印象を鋭敏にキャッチしなければなりません。そうする過程で、私達の肉体の諸感覚も本来の姿に戻って行くものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落095

095 Feeling is a state of alertness - when expressed impersonally it is conscious awareness of conscious consciousness.
095 触覚は警戒の状態であり、非個人的に表現された場合、それは意識的意識に対する意識的な気付きとなります。



【解説】
 ある意味、「意識」というものが、「生命の科学」や「宇宙哲学」等、一連のアダムスキー哲学におけるキーワードになっている訳ですが、その「意味」なるものをどのようにして日常生活の中で自覚し、活用して行くかについては各自の努力と工夫に委ねられています。
 本項では触覚(feeling)が「意識」に繋がっている言わば秘伝を明かしている訳ですが、私達はこれを受けて各自の探求を進める必要があるということです。つまり、言葉の上の理解でなく、実感としてどのようなものをイメージしているかが重要な所です。
 これまでの経験から、私達は自らの知覚範囲を自分の身体内部から外側にまで拡張できるような気がしています。つまりは意識の拡張です。その意識は通常、私達に声を発することはなく、無口ですが、本講座で学んで来たように実際には私達の生命活動を無言の印象によって支えているという訳です。この沈黙の存在を如何に日常的に自覚し(意識して)暮らすかが重要であり、その為には努めてその(意識の)存在を自覚するよう(意識するよう)に心掛けることです。それは印象を感受しようとする心の姿勢から、「警戒」の状況とも表現されているのです。卑近な例では映画「スターウォーズ」で盛んに取り上げられている「フォーズ」なるものも類似した概念を表現したものと考えています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落094

094 The mortal may be likened to a violin, which is the closest to the human expression known as man. Upon the violin there are only four strings; through the medium of those four strings can the coarsest or the most celestial melodies be played but the Instrument is only a bit of wood and string until it is acted upon by a conscious intelligent force. The sounds produced depend upon the skill of the musician. The four senses in the instrument called man are unable to bring forth any expression of life without the aid of the All-Inclusive consciousness which is feeling.
094 死すべき人間はバイオリンになぞらえることが出来るかも知れません。バイオリンは人として知られる人間的表現に最も近いものです。バイオリンには4つの弦しかありません。それらの4つの弦の媒体を通じて最も粗いものも最高に天上的なメロディーも演奏されることが出来ます。しかし、その楽器は意識的な知性を持つ力によって演奏されるまでは、単なる木と弦でしかありません。作り出される音はその音楽家の技量に依存しています。人と呼ばれるその楽器における4つの感覚は、触覚である全てを含有する意識の助け無しでは、如何なる生命表現をももたらすことが出来ないのです。



【解説】
 バイオリンが人間に例えられる訳は、単に弦が四本の楽器という訳でもないかも知れません。何より、演奏者の身体に密着し、一体化する中で音を発することもその理由の一つかと思います。
 四つの減が私達の四感覚になぞられる点については、アダムスキー氏も何処かで言及していたように、四つの弦がそれぞれ所定の機能を果たすように調律されていることが重要です。各々の持分を保ちながら、その音色を深めることが求められています。
 また、ひとたび演奏者によって演奏が始まるや、弓の引く速さや圧力に応じた音を放出することが各弦の役割であり、楽器(身体)の内部はその発した音に共鳴してその音を拡げる筈です。
 私達は自らの感覚を各々の機能を高めると同時に、他の感覚と調和し、自身内部の隅々にその影響を拡げて、身体全てからその音楽楽曲とも言える想念波動を表現する必要があります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落093

093  In other words this sense is merely the unification of the four senses with that unlimited conscious feeling which controls, supports and animates every conceivable thing in the universe. It is the expansion of the four senses in the channel of feeling which makes of the mortal sense man, a conscious user of conscious power. Through this education of the senses the sight becomes a microscopic sight extending beyond the gross material forms; the hearing is expanded to catch the soundless sound frequencies. etc. Each of the four senses will themselves into greater fields of awareness through the recognition of Cosmic Feeling which is the mother-father thought supporting them.
093 言い換えれば、この感覚(訳注:触覚)は、宇宙空間の中のあらゆる知覚し得るものを支配し、支持し、活性化する無限の意識的な感じによってその4つの感覚を統合しているに過ぎません。それは触覚の経路への4つの感覚の拡張であり、死すべき感覚人間を意識的な力の意識的利用者にするのです。諸感覚の教育を通じて、視覚は大まかな物質の外観を超えて顕微鏡的な視野となり、聴覚は音のしない音波を捉えるまで拡張します。4つの感覚の各々はそれらを支える母性及び父性の想念である宇宙的な触覚の理解を通して自らをより大いなる気付きの場にもたらします。


【解説】
 四つの感覚が私達地球人の課題だという訳ですが、この四感覚こそが深遠なる宇宙を学ぶ私達の四つの窓であることもまた確かです。私達が努力すべきは、これら四つの感覚は触覚によって支えられ、意識に繋がる存在にならなければならないことです。
 先ずは事物を表層的な観点で把握するのではなく、その対象が私達と同質、同起源の存在であるとの一体感を持って理解できるよう心掛けることでしょう。その「一体感」の中に触覚的要素や意識的要素が含まれているように思うからです。
 相手と意識を融合させることで感じ取れることも多いのではないかと思われます。またこうした触覚的要素を発達させることで既存の四感覚も成長し、進化するものと思われます。外界からの精妙、迅速な印象の流れを感受する為には、私達自身の肉体の細胞一つ一つが印象に鋭敏になる必要があり、その為には私達自身に元来備わっている、より高次な触覚的要素を発達させる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落092

092 Within the last few years the attention of the world of science has been attracted to the many cases of suspended animation where the body remains for months in a state of perfect preservation. The sense organs are normal, yet they cease to function in a conscious way. Why? Because most of the feeling has left the body; approximately ninety-nine percent of the consciousness has left, and while one percent of feeling within the body keeps it from disintegrating, this is not enough to cause any apparent awareness within it. Many of these cases have reentered into active life. The feeling had again taken possession of the body and reanimated the inert organs of sense producing in them a state of conscious awareness. If understood rightly these four senses of man correspond perfectly to the four elements of creation, and the so-called fifth sense is the stimulus which imparts to them the animation necessary to produce conscious functioning.
092 過去数年間、世界中の科学の注目は、肉体は何ヶ月も完全な保持状態である中での生気が中断している多くの事例に引き付けられて来ました。感覚の諸器官は正常なのですが、それらが意識的には機能しなくなっているのです。何故でしょうか。それは触覚の大部分が肉体を離れてしまっているからです。概ね意識の99%が離れてしまっており、肉体の残り1%の触覚が肉体の分解を抑えており、これでは肉体内部に知覚をもたらすには十分でないのです。これらの多くは再び生気を取り戻しています。触覚が再び肉体内の位置を取り戻し、不活発な感覚器官を再び活性化し、意識ある覚醒状態にしたのです。もし正しく理解していれば、人間の四つの感覚は創造の四つの要素に対応し、いわゆる第五感覚は、意識的機能を作り出す為に必要な活性化を与える刺激ということが分かります。


【解説】
 私達の身体はこの触覚(feeling)の要素を失うと生存することは出来ません。よく救急救命の現場で「意識」の有無が問われるのは、こうした状況把握を急ぐ必要があるからです。
 実は前項(091)で述べたように、触覚(feeling)は意識に通じるものなのですが、それ無くしては生命が存続出来ない程の大きな力と役割を果たしているのです。
 こうした触覚的要素という土台の上に成り立っている4感覚ですが、本項で注目したいのは、これら4感覚は4つの創造の要素に結びついているということです。つまり、絵画には視覚が、音楽には聴覚がその責任を担っているという訳です。
 そういう意味では、映画作品は視覚と聴覚が融合した芸術作品という意義があることになりますし、自然界ではそれら4つの要素が一体となった創造の美ということでもあるのです。
 私達はこれから各自の感覚をそれ自体で機能しているなどとは考えてはならず、それらは創造の経路として表現されるべき存在であることを学んで行かなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落091

091 Each sense is able to operate independently of the other senses only so long as it is supported by the life force of feeling, but the feeling or consciousness is entirely independent of the four senses. The sense of sight, taste, smell and hearing might all be destroyed and yet so long as the feeling remained man would be a conscious, active being, knowing joy and sorrow, peace and pain, and altogether very much alive. The feeling is indestructible. It is the eternal, the everlasting intelligence. The destruction of the body cannot destroy the feeling, which is consciousness. It is like the electricity which flows through the wires to the bulb to produce light. If the bulb is destroyed the electricity cannot produce light through it, but the electricity is not destroyed. On the other hand, if the electricity is withdrawn it matters not how good the bulb may be there will be no light emanating from it.
091 各感覚は触覚の生命力によって支えられている限りのみ、他の諸感覚から独立することが出来ますが、触角あるいは意識はその四感覚とは完全に独立しています。視覚、味覚、嗅覚そして聴覚が全て壊されても、触角が残る限り、人は意識があり、行動でき、喜びも悲しみも平穏さも痛みも感じることが出来、まったく活発に行動できます。触覚は破壊されることはありません。それは永遠であり、永続する知性なのです。肉体の破壊によって意識である触覚が破壊されることはありません。それは光を作り出すために電球に電線を通じて流れる電気のようなものです。もし電球が壊されれば電気は電球を通じて光を作り出すことは出来ませんが、電気は破壊されることはありません。もし電気が取り消されれば、電球が如何に良いものであるかは問題にならず、電球から光が出ることはありません。



【解説】
 本項で私達はfeelingと呼ばれる「触覚」について基本的な生命力に繋がる重要な要素であることを学ぶ必要があります。この触覚要素を重要視するのはアダムスキー哲学の特徴でもあるのですが、実はここにこそ生命本質に関わる真理があるという訳です。私達がこのことを如何に自らの取組とするかどうかによって、その後の進化が左右する程のポイントの一つになるものと思われます。
 私達各人は医学や生物学者ではないので、手元に実験器具や教科書はないのですが、こと感覚の問題に関する限り、実教材は日々の私達自身であり、取組成果も自分自身が最も良く理解できるという好環境にあります。このことを悟らず、取り組まないことこそ、もったいないことこの上ありません。
 この触覚問題ですが、実際には全身くまなく行き渡る神経網を介して自らその触覚的感受性を巡らし、探索することが出来ることはご理解戴けると思います。しかし、その延長には、自分自身のいわゆる意識を拡大すること、移動することも同じイメージで実行可能になるように思われます。つまりは意識というものと触覚というものが本質は同じと言うことも出来ると考えています。
 触覚(feeling)は意識と繋がっている生命力と言うことも出来るということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落090

090  Let us, therefore, analyze the sense man. You have believed that man is endowed with five avenues of expression - sight, hearing, taste, smell and feeling. Each of these attributes is supposed to have the ability to act independently of the others. We can close our eyes and hear, taste and smell. It is possible to decipher between sweet and sour without hearing, smelling or seeing the object in question. We can certainly tell the difference between a bit of garlic and a rose without using the sense of sight, sound or taste. So it is possible to prove that four of our senses do work independently of each other. But now let s remove that which is known as the fifth sense; let us deprive man of feeling. What is the immediate result? The result is a state of unconsciousness; the four other senses are ceased to function, even though the organs of sense themselves, are still existing in the body. The eyes, nose, palate and ears are uninjured yet they do not see, smell, taste or hear. Apparently these senses cannot, then, work independently of feeling. Does this not prove that feeling is not a sense, but the conscious power which gives sensation to the senses?
090 それ故、感覚人間を分析して見ましょう。貴方は人が5つの表現の大通りを授けられていると信じて来ました。視覚、聴覚、味覚、嗅覚そして触覚です。これらの属性の一つ一つは他と独立して作用する能力を有しているように思われます。私達は目を閉じて聴くことや味わうこと、香りを嗅ぐことが出来ます。問題の対象物の音が聞こえなくても、臭いが嗅げなくても或いは見えなくても甘いとすっぱいの味の違いを判読することは出来ます。私達は確かにニンニクの小片とバラの違いを視覚や音や味の感覚を用いずに言い当てることが出来ます。ですから、私達の4つの感覚は互いに独立して働いていることを証明することが出来るのです。しかし、第5番目の感覚として知られているもの(訳注:「触覚」のこと)を取り去って見ましょう。人から触覚を取り除いて見ましょう。直ちにどのような結果になるでしょうか。結果は無意識の状態です。4つの他の感覚は感覚器官自体は依然として肉体に存続していても機能を停止します。目や鼻、舌や耳は傷ついていませんが、それらは見ることも嗅ぐことも味を感じ、聴くことはありません。見たところこれらの感覚は触覚から独立して作用することは出来ないようです。このことは触覚は感覚ではなく、感覚に刺激を与える意識的な力であることを示すものではないでしょうか。




【解説】
 視覚や聴覚、味覚と嗅覚についての特徴として、各々に特有の感覚器官というものがあることに改めて気づく方も多いものと思われます。つまりこれら四つの感覚の入口である各器官が機能しなくなれば、私達はその感覚を失うことになる訳です。
 しかし、触覚はどうでしょう。それは特段どの身体部分に集中しているということはなく、私達全身を覆っているように思われます。それらの具体的機能としては、各感覚器官の受信信号を伝える神経網という部分もあるでしょうが、むしろ本文に記されているように全身の生命体としての様々な情報の伝達を担っているとも言えるものです。
 深く瞑想し、想念・印象を観察する場合にも、実際に機能しているのは視覚から嗅覚までの感覚などではありません。瞑想等を行うことにより身体内外に自らの感知範囲を広げているのは、この触覚の機能であるように思われます。いわば自分の意識を拡大させ、想念・印象を受容出来る態勢をとっているように思われるのです。日本語訳では5番目の感覚を触覚と記していますが、原文ではfeeling(印象感受)とも同じ言葉が使われており、従来の触覚の要素が印象・想念の感覚と密接な関係にあることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落089

089  The purpose of this lesson is to show you by means of practical analysis that man is not the possessor of the five senses but is actually a four sense being. This, we realize may be more difficult for you to accept than the belief in the sixth sense, for we as mortals can more easily accept that which we feel adds to, rather than subtracts from that which we think we have. However, this subtraction, as you will find, is not in the nature of releasing something as a loss, but as the process of gaining something much greater.
089 この教科の目的は、貴方に実際の分析の手法を通じて、人間は5つの感覚の持ち主ではなく、実際には4つの感覚の存在であることを示すことにあります。このことは貴方にとって第6感を信じるよりはるかに難しいだろうと私達は承知しています。何故なら、死すべき存在としての私達は私達が所持していると思っているものから減ずるより、加わることを容易に受け入れられるからです。しかし、この引き算はやがて貴方も分かるように、失うという意味で何かを手放すという性質のものではありません。そうではなく、より大いなる何かを得る過程のものなのです。




【解説】
 想念・印象の感受について、日本でも第6感と表現されたこともあったのですが、アダムスキー哲学においては従来の5感に対しても実際には、感覚としては4つしかないことを繰り返し述べられているところです。
 つまりは、従来の感覚と呼んできたものの内、感覚と呼べるものは実際には、視覚、聴覚、味覚、嗅覚であることは既に学んでいるところです。今後私達がやらなければならないことは、これらの感覚の実際について自分自身を研究対象としてよくよく観察することです。
 最近、「断捨離」という表現をよく聞きますが、年齢を重ね、余命を数える程になった年代においては、身辺を整理することも必要になります。不必要なものは事物だけではありません。知識や情報も自分にとって不必要なものに敢えて関心を持つ時間はないと言うことも出来ます。そういう意味では、この自らの4感の日常の働きや役割、課題についてしっかり学ぶ必要があります。自分自身を理解することが私達各自の最大の課題であり、他者にそれを替わって頼むことは出来ないのです。私達は年々、残された時間を大切にして、自らの本業にいそしむ必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落088

088  If you have accepted the theory of the sixth sense you will no doubt be surprised by the statement which I am about to make, but as one of the great Chinese sages has expressed it - "The truth that we least wish to hear is that which it would be to our advantage to know."
088 もし貴方が第6感の理論を受け入れていたなら、きっとこれから私が行なおうとする発表に驚かれることでしょうが、偉大な中国の賢人の一人が表現したように、「私達が最も聞きたくないと思う真実は、私達が知ることによって私達の為になるというものが多いのです。」


【解説】
 想念・印象の感受・送信を従来の感覚の一種と考えるのでは、真実は捉えられないという訳です。そもそも印象はどのようにして認識されるのかについては、これまで学んで来たところです。肉体細胞、更にはそれを構成する分子・原子が受信し、それらの情報が全身に伝わるのが印象の伝達です。詳しい内容は、私自身まだ理解できていませんが、私達の意識空間にも関係した仕組みがどこにあるものと思います。
 そういう意味でも、想念・印象の知覚は、ある専用の感覚器官がある訳でもなく、全ての細胞や分子・原子が共通に持つ知覚経路というもので、決して第6番目に位置する感覚と呼べるものではないということです。
 実は、想念・印象による意思疎通こそが、万物生きるものの間で執り行われている訳で、私達が自覚しているいないに関わらず、私達は想念・印象に依存した生活を送っているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落087

087 We have looked upon ourselves as a five sense being possessing the attributes of sight, hearing, taste, smell, and feeling or touch. We have drifted along idly contenting ourselves with this analysis of our makeup, but recently we have become quite curious to know just how these senses work and what they are. In our seeking we have run our craft upon a rock. We have been unable to account for certain elements of action which we have encountered in our daily lives and so to relieve the tension of this uncertainty some of our most learned theorists have endowed us with a sixth sense. To this added sense has been attributed all the phenomena that have been unexplainable in the five sense man. In fact there have been those who have sought to add a seventh sense. The mortal mind seems to have a faculty for complicating that which is very simple and thereby creating confusion instead of understanding.
087 私達は自分自身を、視覚、聴覚、味覚、嗅覚そして触覚ないし感触の5つの感覚の属性を持つ存在として見なして来ました。私達は私達の成り立ちをこの分析で無益に満足したまま漂って来ましたが、最近になって私達はこれらの感覚の作用がどのように行なわれるか、またそれらは何であるかについて大いに知りたいと思うようになりました。私達のこの探求の中で私達は自らの乗り物を岩に乗り上げてしまいました。私達は私達の日常生活の中で出会ったある種の行動の要素を説明することが出来なかった訳であり、この不確かさの緊張を和らげるために、私達の最も学識のある理論学者達は私達に第6番目の感覚を授けたのでした。この付け加えられた感覚に5つの感覚の人間となる説明不可能な全ての現象が割り当てられました。本当は第7番目の感覚を追加した人達もいたのです。死すべき人間の心は、とても単純な物事を複雑にする才能があるようで、これにより理解の代わりに混乱を創りだしています。



【解説】
 私というものが単に感覚器官から成り立っているとする考えには、もちろん無理があるという訳です。確かにこれら肉体に属する感覚に多くの部分を依存していることは確かですし、その証拠に視力を失った方や、聴覚をなくした人は不自由な生活を強いられることになります。
 しかし、これら人間のいわゆる五感を失っても、人間としての本質は何らの差もない訳で、人体で時々刻々紡がれる生命活動には何ら影響はありません。
 一方、私達の心の中の動きはどうでしょうか。これら感覚の意見が大勢を制しており、本来の宇宙からの想念・印象の入り込む余地がない状況ではないかと思われます。私達の心にもっと様々な情報が入れるように拡げること、より精妙な想念・印象を受容出来る体制が必要です。
 実際には、日常生活の中でも、多くの想念・印象が活躍して人生が成り立っているように思いますし、これら想念・印象を受容する機能を単なる感覚の一種と捉えるべきではありません。肉体細胞の分子・原子レベルに存在する知性の一つとして捉えなければならないのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落086

086 The desire within all men to understand themselves is increasing tremendously. Theory upon theory has been advanced in the endeavor to throw some new light on the subject. Of late years we have heard a great deal concerning the senseman, and the control of the senses as a means of living above conditions and environments, yet we are still struggling under a misconception concerning them.
086 自分自身を理解しようとする全ての人の内側にある願望は驚くほど増えています。理論に次ぐ理論がその課題に何らかの新しい光を投げかけようと努力の中に繰り広げられて来ました。昨今では私達は、状況や環境を超越して生きる手法として、感覚人や感覚の制御について多くを聞いていますが、それでも私達は未だ、それらについての誤解の下であえいでいるのです。




【解説】
 おそらく本項は近年の精神科学や心理学の研究事例について述べているものと思われます。また、今日の各種薬剤による精神性疾患の治療もこの中に含まれているのかも知れません。
 しかし、これら学者の研究事例を調べるまでもなく、私達自身、自分がどのような想念を日常的に湧き出し、それがどのように心身や周囲の環境に影響を与えるかは、日常の生活の中で実証出来ます。
 それでも全くの系統的な知識の整理が為されないまま、独学路線を走るのは良いとは言えないでしょう。この「宇宙哲学」によって、宇宙を貫く絶対的な法則性を十分理解した上で取り組むことが重要です。
 とかく取組対象となる私達の心は巧妙であり、十分な理解の上でなければ長い年月、立ち向かうことは難しいのです。重要な点は世の中の時々の主義主張に影響されることなく、宇宙普遍の真理・法則を自らの土台とすることになると考えます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落085

8. MAN IS A FOUR SENSE BEING
085 One of the greatest bits of wisdom ever given to man by the outstanding philosophers of all ages is composed of two words: "Know thyself." That one assignment has kept the seekers of knowledge hard at work for billions of years, and it will still be a supreme admonition a billion years hence. It is an eternal study, for man himself is eternal. In that one statement the philosophers have taken in the whole of the Cosmos.
第8章 人は四つの感覚からなる存在
085 あらゆる時代の傑出した哲学者から人類に与えられた最も偉大な英知の小片は二つの言葉から成っています。「Know thyself(汝自身を知れ)」。その課題は知識の探求者を何十億年もの間、勤勉に働き続けさせましたが、またなお、これから10億年も最高の説諭となるでしょう。人自身が永遠であるために、それは永遠の学習なのです。その一つの声明の中に哲学者達は宇宙の全てを取り込んだのです。



【解説】
 「汝自身を知れ」がソクラテスの言葉であったかどうかは不明ですが、あらゆる哲学・宗教はこの1点について探求することを命題としているように思います。また、問題は精神面と同時に人体を巡る生命活動の不思議に迫る科学分野の探求も促しています。
 地球における現状の認識では、精神分野と科学分野、心と物質の世界はそれぞれ何らの交流もないまま進められておりますが、本来の姿は同じ土俵の上の研究分野であるべきで、実はこの自分自身の中では心身ともに連携連続した営みが行われているのです。
 既に私達が学んでいるように、全ての必要物は知識や能力も含め、各自に平等、無制限に与えられている訳で、要は如何に自分自身からその宝物を掘り出せるかにあります。各自の努力・精進は各自の心身に顕著に現れますし、私達はその成果を味わい、享受することが出来ますし、贈り主である創造主も日々、そのことを望まれているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落098

098 Science has now proven that the so-called fifth sense should not be classed with the other four.
098 科学は今や、いわゆる第5番目の感覚は他の4感覚と同類に見なすべきではないことを証明しているのです。


【解説】
 私達にとっての当面の課題は、この4感覚を監視し、それらを因や他の諸々の要素と調和させることにあります。著者は何故、このように「4感覚」に注目を集めようとしているのでしょうか。それは所詮、人間と外界との交流は自我というべき「家」にある4つの窓を通じてなされると考えられるからです。その4つの窓が曇りなく、また自身の好き嫌いの判断を加えることなく、ありのままの情報を主(自我)に伝えることが当面の目標です。
 人が長年生きた中では、必ずしも感覚の統制だけでは十分と言えないでしょうが、人間が生まれ変わって赤子として新しい人生を歩む時、心が未発達であれば、記憶を運ぶことが出来ず、まっさらな状態からスタートする訳で、その場合は想念を直接感受するよりもこれら4感覚を通じてほとんどの情報を得ることになり、その取扱いが重要となる訳です。私達が他惑星人のようなレベルに達するまでは、もっぱら既存感覚の統制を行う必要があるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落097

097 In a television program called "Frontiers of Mind," the Bell Telephone Company presented an excellent scientific demonstration of what touch is and how it reacts to electrical impulses. It showed that touch is not a sense organ but acts as a telegraphic system via the nerves to the brain. It registers that which it contacts and relays that reaction as electrical impulses through the nervous system of the body. Touch is inseparable with feeling, for feeling gives sensation to the nerves.
097 「心の最前線」と呼ばれるテレビ番組の中で、ベル電話会社は感触が何であるか、またそれが電気パルスに対し、どのように反応するかを示す優れた科学実験を提供しました。その番組は感触は感覚器官ではなく、神経を経由して頭脳に通じる電信システムとして機能していることを示しました。それは触れるものを記録し、肉体の神経を通じて電気信号としてその反応を伝達しています。感触は触覚と分けることは出来ません。触覚は神経に感情を与えるからです。


【解説】
 触覚は身体中に分布する神経ネットワークを通じて、信号を頭脳に伝える機能を含んでいることは先に述べたところです。触覚こそが各細胞を人体という一つの機能体にとりまとめ、全体としての機能を果たす上で現在の私達が知っている以上の役割を果たしているのかも知れません。
 また、触覚が他の4感覚も含め全体の感覚を支えているということは、触覚が痛い、痒いの反応のみならず、目や耳の反応、即ち映像や音声の信号を伝える機能を有していることになる訳です。そういう意味では想念印象についてもその伝達に大きな役割を果たしているのかも知れません。私達はこれまで自分の目や耳を中心に生活して来ましたが、これからは印象中心の生活を送ることが求められており、その際にはご自身の触覚を頼りに生きていくことになります。日本語の「神経」という表現、「神に通じる経路」をイメージしたとすれば、実に的確な表現であることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落096

096 When that feeling is no longer playing upon the senses they lie inert like the muted strings of the violin after the consciousness of the musician is withdrawn to another channel of service.
096 諸感覚に対して触覚が作用しなくなると、諸感覚は演奏家の意識が別の奉仕の経路に引き上げられた後にそのバイオリンの沈黙した各弦のように不活発になったままになります。


【解説】
 アダムスキー氏の言う"Consciousness"は日本語では「意識」という概念が相当するとされて来ました。この意識という言葉について、日本語では、生き死にの境の重要な要素として「意識があるか否か」として、あるいは「自意識過剰」や「意識的に」という具合に用いられて来ました。よく言われるのは、例えばジムのトレーニング等では、コーチは鍛えたい身体の特定部位を「意識して」トレーニングを行うことを奨めています。
 また、この「意識する」という点については、自分の気持あるいは関心の集中物のようなイメージもあるのではないかと考えます。そういう意味では、意識は自分の自由に動かせますし、距離に関係なく自分が思った瞬間に移動させることが出来ます。この意識については、自分の身体については触角の要素を媒介としているものと思われますが、身体外の空間についても、その移動範囲を広げることが出来るものと考えています。
 とかく私達は言葉に引きずられますが、大事な点は著者がどのようなイメージとして、その言葉を用いたかを理解することです。演奏家が楽器を手にとって具体的にその持つ知性を動員して演奏すれば、楽器はそれまでとは異なり、生き生きとした音色を発しますが、それは演奏者がいわばその意識を楽器に吹き込んだとも言えるでしょう。このように意識という概念は、気持の本体とも言えるような、また触覚に似た存在として認識出来るのではと思っています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落095

095 Feeling is a state of alertness - when expressed impersonally it is conscious awareness of conscious consciousness.
095 触覚は警戒の状態であり、非個人的に表現された場合、それは意識的意識に対する意識的な気付きとなります。


【解説】
 これまで触覚(Feeling、フィーリング)は4感覚の機能を支え、人体の生命活動を指揮する重要なものだと説明して来ました。本項ではその触覚の機能は、宇宙的生命力とも言うべき意識(Consciousness)に対しても感受出来る機能を持っていると明言しています。
 全身くまなく分布している神経網の各触覚受容器は、圧力や温度という要素を感知し、頭脳にその信号を送る監視員の役割のみならず、宇宙からの印象等、諸々の想念波動についてもキャッチ出来ることも、本文の言及の範囲かと考えます。
 このような触覚を自我への関心でなく、非個人的な姿勢で解放することによって、触覚は宇宙の意識の存在にも気付き、交流することが出来るという訳です。触覚はこのように生命活動に深く係る機能を有している訳で、私達は触覚を中心に据えて、その触覚から得た印象に従った生活を日々送ることが重要です。雨季を迎えてカタツムリの生き方にも学ぶところは多いようです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落094

094 The mortal may be likened to a violin, which is the closest to the human expression known as man. Upon the violin there are only four strings; through the medium of those four strings can the coarsest or the most celestial melodies be played but the Instrument is only a bit of wood and string until it is acted upon by a conscious intelligent force. The sounds produced depend upon the skill of the musician. The four senses in the instrument called man are unable to bring forth any expression of life without the aid of the All-Inclusive consciousness which is feeling.
094 死すべき人間はバイオリンになぞらえることが出来るかも知れません。バイオリンは人として知られる人間的表現に最も近いものです。バイオリンには4つの弦しかありません。それらの4つの弦の媒体を通じて最も粗いものも最高に天上的なメロディーも演奏されることが出来ます。しかし、その楽器は意識的な知性を持つ力によって演奏されるまでは、単なる木と弦でしかありません。作り出される音はその音楽家の技量に依存しています。人と呼ばれるその楽器における4つの感覚は、触覚である全てを含有する意識の助け無しでは、如何なる生命表現をももたらすことが出来ないのです。


【解説】
 楽器単独では音楽を奏でることは出来ず、必ず演奏者が必要であることは言うまでもありません。しかし、この楽器を人体に置き換えれば、人が本来の活動を為しえるためには、常にその演奏者である創造主に身を委ねる必要があります。もちろん、楽器としての身体の整備や弦である4感覚の調和と調製が演奏に先立って行われなくてはなりません。
 テレビ番組でも著名な演奏家による音楽番組が時折放送されますが、それらを見ると演奏家は自分の分身として楽器(バイオリン)を自らの身体に押し付け、一心不乱に楽曲を追求していることが分かります。それと同様に私達が創造主に身を委ねるということは、それと同様な熱心さや没入感によって創造主と一体になり、私達の4感覚の表現分野を通じて何かを表現していることになります。その状況は単に私達が創造主と一体になるというよりは、創造主が私達の方に没入し、ご自身の表現したいイメージを私達(楽器)を通じて表そうとしているという、大変活気ある行為であることに気付きます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落093

093 In other words this sense is merely the unification of the four senses with that unlimited conscious feeling which controls, supports and animates every conceivable thing in the universe. It is the expansion of the four senses in the channel of feeling which makes of the mortal sense man, a conscious user of conscious power. Through this education of the senses the sight becomes a microscopic sight extending beyond the gross material forms; the hearing is expanded to catch the soundless sound frequencies. etc. Each of the four senses Will themselves into greater fields of awareness through the recognition of Cosmic Feeling which is the mother-father thought supporting them.
093 言い換えれば、この感覚(訳注:触覚)は、宇宙空間の中のあらゆる知覚し得るものを支配し、支持し、活性化する無限の意識的な感じによってその4つの感覚を統合しているに過ぎません。それは触覚の経路への4つの感覚の拡張であり、死すべき感覚人間を意識的な力の意識的利用者にするのです。諸感覚の教育を通じて、視覚は大まかな物質の外観を超えて顕微鏡的な視野となり、聴覚は音のしない音波を捉えるまで拡張します。4つの感覚の各々はそれらを支える母性及び父性の想念である宇宙的な触覚の理解を通して自らをより大いなる気付きの場にもたらします。


【解説】
 視覚から嗅覚までの4つの感覚は、各自固有のものですが、触覚は宇宙全体とも繋がっている生命力である点が重要なのです。全身にくまなく分布する触覚は既存の4感覚に感覚機能を与え、それらが感受した信号を脳に伝える大事な機能を担っている他に、触覚の助けを受ければ、遠隔地の出来事をも4感覚は知覚することが出来ると言っています。
 その背景には、私達の持つ触角がむしろ、主体となる感覚要素であり、4感覚は補助的なものと言うべき関係があります。光の無い海底でも多くの生き物が棲息していますし、視覚は生存に不可欠という訳ではありません。聴力もしかりです。多くの生物は触覚を中心として生きているようです。同様に様々な予知反応を多くの生き物が見せますが、それもこの触覚の活用ということが出来ることでしょう。未だ現実化していない、イメージの段階でも物事を触覚を通じて感知することも意識に繋がる触覚だからこその機能ということになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落092

092 Within the last few years the attention of the world of science has been attracted to the many cases of suspended animation where the body remains for months in a state of perfect preservation. The sense organs are normal, yet they cease to function in a conscious way. Why? Because most of the feeling has left the body; approximately ninety-nine percent of the consciousness has left, and while one percent of feeling within the body keeps it from disintegrating, this is not enough to cause any apparent awareness within it. Many of these cases have reentered into active life. The feeling had again taken possession of the body and reanimated the inert organs of sense producing in them a state of conscious awareness. If understood rightly these four senses of man correspond perfectly to the four elements of creation, and the so-called fifth sense is the stimulus which imparts to them the animation necessary to produce conscious functioning.
092 過去数年間、世界中の科学の注目は、肉体は何ヶ月も完全な保持状態である中での生気が中断している多くの事例に引き付けられて来ました。感覚の諸器官は正常なのですが、それらが意識的には機能しなくなっているのです。何故でしょうか。それは触覚の大部分が肉体を離れてしまっているからです。概ね意識の99%が離れてしまっており、肉体の残り1%の触覚が肉体の分解を抑えており、これでは肉体内部に知覚をもたらすには十分でないのです。これらの多くは再び生気を取り戻しました。触覚が再び肉体内の位置を取り戻し、不活発な感覚器官を再び活性化し、意識ある覚醒状態にしたのです。もし正しく理解できれば、人間の四つの感覚は創造の四つの要素に対応し、いわゆる第五感覚は、意識的機能を作り出す為に必要な活性化を与える刺激ということが分かります。


【解説】
 いわゆる本人の意識が無いと称される状態です。その程度は本当の臨終の状態から、いわゆる植物状態や脳死と呼ばれるものまであると思われますが、いずれにしても触覚的要素が機能しなくなっていることになります。また、本文中に「意識の99%が離れてしまっており」とさり気なく著者が表現していることにも注目したい所です。丁度、意識なるものが身体内から別の所に移動するような状況を表現している訳です。その結果、万一、更に意識がその肉体を離れれば、後は屍(しかばね)だけが残ることになります。実はその屍という意味合いが、よく出てくる「Mortal(死すべき)」ということで、各感覚はその窓口である感覚器官も含めて、その死すべき肉体に帰属しているという意味で「死すべき人間の心」という表現されて来たものと思われます。
 触覚についての研究事例を見ると、人間の皮膚をはじめとして触覚の受容器は身体内に広く分布しており、外部からの刺激に対して常に警戒状態にあることが分かります。私達は自らの心なるものが具体的には何処にあるのか明確には教えられていませんが、おそらくは頭脳に分布しているものと思われます。それに対して生命の源にも通じる触覚は全身くまなく分布し、想念活動も含め、私達の生命活動を支えているということになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落091

091 Each sense is able to operate independently of the other senses only so long as it is supported by the life force of feeling, but the feeling or consciousness is entirely independent of the four senses. The sense of sight, taste, smell and hearing might all be destroyed and yet so long as the feeling remained man would be a conscious, active being, knowing joy and sorrow, peace and pain, and altogether very much alive. The feeling is indestructible. It is the eternal, the everlasting intelligence. The destruction of the body cannot destroy the feeling, which is consciousness. It is like the electricity which flows through the wires to the bulb to produce light. If the bulb is destroyed the electricity cannot produce light through it, but the electricity is not destroyed. On the other hand, if the electricity is withdrawn it matters not how good the bulb may be there will be no light emanating from it.
091 各感覚は触覚の生命力によって支えられている限りのみ、他の諸感覚から独立することが出来ますが、触角あるいは意識はその四感覚とは完全に独立しています。視覚、味覚、嗅覚そして聴覚が全て壊されても、触角が残る限り、人は意識があり、行動でき、喜びも悲しみも平穏さも痛みも感じることが出来、まったく活発に行動できます。触覚は破壊されることはありません。それは永遠であり、永続する知性なのです。肉体の破壊によって意識である触覚が破壊されることはありません。それは光を作り出すために電球に電線を通じて流れる電気のようなものです。もし電球が壊されれば電気は電球を通じて光を作り出すことは出来ませんが、電気は破壊されることはありません。もし電気が取り消されれば、電球が如何に良いものであるかは問題にならず、電球から光が出ることはありません。


【解説】
 そもそもの感覚の機能を下支えしているのが触覚という訳です。この「触覚」、原文では「feeling」という表現が用いられており、直接的なイメージとしては、"何か対象物と触れて受ける感触"を意味するように思います。昆虫等にある触角が様々なものに触れて、安全なものかどうかを見極めて前に進むような時に用いられる感覚です。私達の人体は、身体全体に触覚を張り巡らしており、各部から発せられる痛みや痒み等の警報を感受し、身体全体の維持に役立てています。
 これら身体各部に、いわば意識を行き渡らせて身体全体の一体感を作り上げるのが、触覚の役割なのかと思われます。それは私達自身の身体各部に自分の意識を巡らせることにも一致していることから、触覚は意識と一致しているように思われます。このような身体全体を支えている触覚的要素に対して、四感覚がどのように自分の意見を押し出して全体を支配しようとしているかについて、私達は日々の生活の中から観察し、それらの行動をコントロールしなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落090

090 Let us, therefore, analyze the sense man. You have believed that man is endowed with five avenues of expression - sight, hearing, taste, smell and feeling. Each of these attributes is supposed to have the ability to act independently of the others. We can close our eyes and hear, taste and smell. It is possible to decipher between sweet and sour without hearing, smelling or seeing the object in question. We can certainly tell the difference between a bit of garlic and a rose without using the sense of sight, sound or taste. So it is possible to prove that four of our senses do work independently of each other. But now let s remove that which is known as the fifth sense; let us deprive man of feeling. What is the immediate result? The result is a state of unconsciousness; the four other senses are ceased to function, even though the organs of sense themselves, are still existing in the body. The eyes, nose, palate and ears are uninjured yet they do not see, smell, taste or hear. Apparently these senses cannot, then, work independently of feeling. Does this not prove that feeling s not a sense, but the conscious power which gives sensation to the senses?

090 それ故、感覚人間を分析して見ましょう。貴方は人が5つの表現の大通りを授けられていると信じて来ました。視覚、聴覚、味覚、嗅覚そして触覚です。これらの属性の一つ一つは他と独立して作用する能力を有しているように思われます。私達は目を閉じて聴くことや味わうこと、香りを嗅ぐことが出来ます。問題の対象物の音が聞こえなくても、臭いが嗅げなくても或いは見えなくても甘いとすっぱいの味の違いを判読することは出来ます。私達は確かにニンニクの小片とバラの違いを視覚や音や味の感覚を用いずに言い当てることが出来ます。ですから、私達の4つの感覚は互いに独立して働いていることを証明することが出来るのです。しかし、第5番目の感覚として知られているもの(訳注:「触覚」のこと)を取り去って見ましょう。人から触覚を取り除いて見ましょう。直ちにどのような結果になるでしょうか。結果は無意識の状態です。4つの他の感覚は感覚器官自体は依然として肉体に存続していても機能を停止します。目や鼻、舌や耳は傷ついていませんが、それらは見ることも嗅ぐことも味を感じ、聴くことはありません。見たところこれらの感覚は触覚から独立して作用することは出来ないようです。このことは触覚は感覚ではなく、感覚に刺激を与える意識的な力であることを示すものではないでしょうか。


【解説】
 触覚が無くなるという状況は容易には想像出来ないのですが、本文ではそれが無意識状態になると明確に説明しています。即ち、本人の意識が有る無しに繋がる体全体の機能に直結しているという訳です。よく私達は人の生き死にの境目の重要な指標として「意識がある」「意識が無くなった」という表現をし、「意識がある」ことで生命が継続出来ている状態であると判断しています。「意識がある」としていることの中には、本講座で言う宇宙意識の概念もその一部に入っていることになります。
 また、触覚の作用が各感覚器官が受信した信号を身体内の何処かにある感覚の本体に伝える機能をも担っているとすれば、触覚が停止すれば、全ての感覚が停止することも理解出来ます。
 感覚による裁きが私達の重要な課題であることは私達がよく承知している所ですが、どうやら一連の感覚機能は目や耳等のいわゆる感覚器官とそれからの信号刺激を最終的に受ける感覚本体、更に伝送する触覚的要素の3つの要素から成り立っていることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落089

089 The purpose of this lesson is to show you by means of practical analysis that man is not the possessor of the five senses but is actually a four sense being. This, we realize may be more difficult for you to accept than the belief in the sixth sense, for we as mortals can more easily accept that which we feel adds to, rather than subtracts from that which we think we have. However, this subtraction, as you will find, is not in the nature of releasing something as a loss, but as the process of gaining something much greater.
089 この教科の目的は、貴方に実際の分析の手法を通じて、人間は5つの感覚の持ち主ではなく、実際には4つの感覚の存在であることを示すことにあります。このことは貴方にとって第6感を信じるよりはるかに難しいだろうと私達は承知しています。何故なら、死すべき存在としての私達は私達が所持していると思っているものから減ずるより、加わることを容易に受け入れられるからです。しかし、この引き算はやがて貴方も分かるように、失うという意味で何かを手放すという性質のものではありません。そうではなく、より大いなる何かを得る過程のものなのです。


【解説】
 自分の心を視覚、聴覚、味覚、嗅覚の反応として観察することで、より本質的な問題に近づけるという訳です。私達が触覚については、とりあえずは別扱いにし、アダムスキー氏の他の著作にあるように、より本質的な知覚チャンネルとして別途、より丁寧な取扱いをする必要があることになります。
 しかし、当面の問題は、心と前述の4感覚の関係を自ら観察し、その実態を把握することから始める必要があります。そういう意味では勝手に「第6感」と安直につけた架空の概念等、私達には有害であり、無用です。私達は実際の宇宙に湧き起こる意識や印象の作用について、もっと具体的、実際的な取扱いを心掛ける必要があります。
 本項で言う「捨てる」ことは、当面、問題となる案件(ここでは心の本質)について、関係の無い要素は捨てて、問題をさっぱりさせた後に、初めて見えてくることが大きいとも解釈出来ます。そうした中で、心の作用が理解出来れば、更に次のステップが待っているということになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落088

088 If you have accepted the theory of the sixth sense you will no doubt be surprised by the statement which I am about to make, but as one of the great Chinese sages has expressed it - "The truth that we least wish to hear is that which it would be to our advantage to know."
088 もし貴方が第6感の理論を受け入れていたなら、きっとこれから私が行なおうとする発表に驚かれることでしょうが、偉大な中国の賢人の一人が表現したように、「私達が最も聞きたくないと思う真実は、私達が知ることによって私達の為になるというものが多いのです。」



【解説】
 いわゆる既存の感覚では説明出来ない知覚作用を、私達の科学者達は安直に「第6感」と表現して来たものと思われます。しかし、そもそもが私達の感覚は逆に5ではなく、4である、即ち視覚、聴覚、味覚それに嗅覚から構成されているというのが、本講座の基本です。従っていわゆる物質化の前の段階についての知覚や遠隔地での状況の把握等、既存の感覚器官の対象範囲を超えた領域の取扱いについては、何か別の感覚器官の存在を設定すること自体に大きな誤りがあると指摘しています。
 既に学んでいることの中には、細胞一つ一つに印象を感受する存在があることや、原子の一つ一つにも英知の存在があること等、いわゆる目や耳等の感覚器官には依存しない知覚力が各段階の構成要素には普遍的に備わっており、各々が印象を交流出来ることがあります。
 それらの実態を理解する為には、先ずは教師の伝えたいとする所を素直に学ぶことが必要で、その理解の中で初めて各自の実生活に適用し、恩恵を受けることが可能となるのです。


ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落087

087 We have looked upon ourselves as a five sense being possessing the attributes of sight, hearing, taste, smell, and feeling or touch. We have drifted along idly contenting ourselves with this analysis of our makeup, but recently we have become quite curious to know just how these senses work and what they are. In our seeking we have run our craft upon a rock. We have been unable to account for certain elements of action which we have encountered in our daily lives and so to relieve the tension of this uncertainty some of our most learned theorists have endowed us with a sixth sense. To this added sense has been attributed all the phenomena that have been unexplainable in the five sense man. In fact there have been those who have sought to add a seventh sense. The mortal mind seems to have a faculty for complicating that which is very simple and thereby creating confusion instead of understanding.
087 私達は自分自身を、視覚、聴覚、味覚、嗅覚そして触覚ないし感触の5つの感覚の属性を持つ存在として見なして来ました。私達は私達の成り立ちをこの分析で無益に満足したまま漂って来ましたが、最近になって私達はこれらの感覚の作用がどのように行なわれるか、またそれらは何であるかについて大いに知りたいと思うようになりました。私達のこの探求の中で私達は自らの乗り物を岩に乗り上げてしまいました。私達は私達の日常生活の中で出会ったある種の行動の要素を説明することが出来なかった訳であり、この不確かさの緊張を和らげるために、私達の最も学識のある理論学者達は私達に第6番目の感覚を授けたのでした。この付け加えられた感覚に5つの感覚の人間となる説明不可能な全ての現象が割り当てられました。本当は第7番目の感覚を追加した人達もいたのです。死すべき人間の心は、とても単純な物事を複雑にする才能があるようで、これにより理解の代わりに混乱を創りだしています。



【解説】
 自然界における他の多くの生き物が共通に持っている優れた感知力は、多くの場合、「本能」と称されるだけで、人間には当てはまらない、また稀に現れた時でも「超能力」ということで、到底一般の私達が身に付けることは出来ないとされて来ました。その中には本文にある「第6感」という概念もある訳です。
 しかし、アダムスキー氏の伝えている最も重要なことは、このような透視や予知能力というものが特別な能力ではなく、私達の通常の能力として位置づけられる、言い換えれば誰もがその開発に向かって歩んで行くことが求められているとしている点です。そして、その際に既存の私達は視覚から嗅覚までの四つの感覚に支配され、それらの意思に振り回され、それらの感覚が感知出来ていない対象物については無頓着であるということでしょう。
 前項(086)でも述べられた通り、心理学等の分野を含めていわゆる自己開発には様々な活動や導き手が出回っていますが、肝心の出発点が誤っていれば、それらの発展性はない訳で、私達はこの基本事項から日常を振り返って見る必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落086

086 The desire within all men to understand themselves is increasing tremendously. Theory upon theory has been advanced in the endeavor to throw some new light on the subject. Of late years we have heard a great deal concerning the senseman, and the control of the senses as a means of living above conditions and environments, yet we are still struggling under a misconception concerning them.
086 自分自身を理解しようとする全ての人の内側にある願望は驚くほど増えています。理論に次ぐ理論がその課題に何らかの新しい光を投げかけようと努力の中に繰り広げられて来ました。昨今では私達は、状況や環境を超越して生きる手法として、感覚人や感覚の制御について多くを聞いていますが、それでも私達は未だ、それらについての誤解の下であえいでいるのです。


【解説】
 本項で言う「自分自身を理解しようとする理論」とは、心理学のことを指しているのかと想定されます。とりわけ米国では学問分野として研究が盛んであったようです。また、いわゆる自己改革、自己改造等の啓発書も盛んに出版されていたようです。これらの多くは、いわゆる「ハウ・ツー」ものが多いように思われ、個人的には好きではありませんが、米国においてそうした精神世界についての探求に関心が高いことは注目して置きたいところです。最近では、更に様々な啓発者が現れて、積極的に活動しています。
 これら人間の内面の理解と開発は、本講座と目的を同じくする訳ですが、本項ではそれらの多くは大事な部分での誤解の下に構築されている為、本来の答えに容易にたどり着けないことが多いと忠告しています。
 その最大のポイントが、本章の人における感覚反応の影響が大きいこと、即ち、文中、「Senseman(感覚人)」と呼べるほど、既存感覚に依存した生活を送っている実態にあるということにあります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落085

8. MAN IS A FOUR SENSE BEING
085 One of the greatest bits of wisdom ever given to man by the outstanding philosophers of all ages is composed of two words: "Know thyself." That one assignment has kept the seekers of knowledge hard at work for billions of years, and it will still be a supreme admonition a billion years hence. It is an eternal study, for man himself is eternal. In that one statement the philosophers have taken in the whole of the Cosmos.

第8章 人は四つの感覚からなる存在
085 あらゆる時代の傑出した哲学者から人類に与えられた最も偉大な英知の小片は二つの言葉から成っています。「Know thyself(汝自身を知れ)」。その課題は知識の探求者を何十億年もの間、勤勉に働き続けさせましたが、またなお、これから10億年も最高の説諭となるでしょう。人自身が永遠であるために、それは永遠の学習なのです。その一つの声明の中に哲学者達は宇宙の全てを取り込んだのです。


【解説】
 「汝自身を知れ」という言葉はソクラテスの言葉として知られていますが、そもそもの起源は明らかでなく、ギリシャの神殿の入口に刻まれた碑文として残されているとのことです。その奥義は前項(070)に紹介されたイエスの言葉「私が為した以上の大いなることを貴方は為すだろう」にもあるように、最高位の創造物として人間には生まれながらにして全てのものが与えられているという意味があった訳です。
 しかし、そうであったとしても、現状の私達は常に現状に不足し、不満足な思いを持って生活を送っています。全ての原因を自分の外側のせいにして、自分自身の責任には言及しないのが常となっています。自分の内側に全てが用意されていることに気付かないまま、外側に求め続けているという訳です。
 人体には60兆個もの細胞があるとされていますが、このような膨大な数のレベルになると、それから先、ゼロがいくつ増えても大勢には影響はありません。即ち、地球全体から見ても、一人一人の人体の内側での出来事を宇宙全体の出来事と見なすことも出来るように思います。細胞レベル、原子レベルの世界と私達の心の諸反応との相互関係等、想念と物質、更には意識と呼ばれる普遍的知性との関係について学ぶことによって、本来の展望も開けます。自分自身を生きた教材として学ぶことの大切さをこの言葉は簡潔に訴えているのです。
ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
livedoor プロフィール
アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ