「宇宙哲学」 第5章

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落070

070 We have been taught that all things are possible with God. God is consciousness, and man cannot separate himself from consciousness for he is that. Are not all things also possible therefore, with man? Jesus the Christ understood this unlimited capacity for expansion when he said-"Greater things shall you do than I have done." He put no limitations upon himself or upon another. It is through the understanding of the consciousness, which is oneself, expressing through all forms that gives one the power to control all elements. Cannot a being command himself into action? Cannot consciousness direct its own movements? This mighty Cosmic force, with power to do and the intelligence to direct, is the most generous giver of all things to those who utilize every fleeting conscious moment, but it turns a relentless executioner in the hands of those who pay no attention to its gift of Ideas.
070 私達は全てのことが神とともにあっては可能だと教えられて来ました。神は意識であり、また人は意識から分離できません。何故なら人は意識であるからです。では、全ての事柄もまた、人間にあっては可能ではないでしょうか。イエス・キリストは「私が為した以上の大いなることを貴方は為すだろう」と言った時、この拡大する無制限の能力を理解していたのです。彼は自分自身にも他の者にも如何なる限界を設けていませんでした。それは全ての元素を支配する力を与え、万物を通して表現している自分自身である、意識の理解を通じてのことです。何人であれ、自分自身に行動せよと命令することは出来ないことでしょうか。意識はその運動を指図出来ないでしょうか。この力強い宇宙的力はそれを為す力と指導する知性を持ち、意識的瞬間の束の間のひとつひとつを活用する者達にとって全てのものを与える寛大な贈与者ですが、一方、そのアイデアの贈り物に何らの関心を払わない者達の手にあっては情け容赦の無い執行人に変貌するのです。




【解説】
 私達各自には、大きな可能性があることはイエスも教えていたということです。
 私達が意識からの指示を受け入れ、実践するならば、創造主と同等の働きをすることが可能であるのです。万物創造の基本法則である意識の力を受け入れれば、私達自身も創造する側の役割を担えるという訳です。
 この為、私達が意識に従う限り、そこに制限は無く、力を発揮することが出来ます。言い換えれば、創造主は常にその創造的な力の発現を望んでおり、もし私達自身がその一翼を担う意欲があれば喜んで力を貸して呉れることでしょう。天国を造り上げることこそ、創造主のお望みであるからです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落069

069 Those who have become consciously aware of conscious consciousness through the ages have known this and have used the knowledge in their daily life. They have recognized themselves as the unlimited consciousness and thereby have become the controllers of it. The average man who claims himself a conscious being has through the development of a personal ego blinded himself to the reality of his being and understanding of cause consciousness so that he is expressing not more than one tenth of one percent of his potential ability. Think of the possibilities ahead of man when he shall have enlarged his field of awareness.
069 時代を通じて意識的意識について気付くようになった者達は、このことを知り、日常生活の中にその知識を利用しました。彼らは自分自身を無限の意識として認識し、その為その支配者になって来ました。自分自身を意識的存在だと主張する平均的な人間は、個人的自我の発達を通じて、自分の存在の現実性について自分自身を盲目にしてしまい、その結果、彼自身の潜在能力の1%の10分の1も表現してはいないのです。自分の気付きの領域を拡げた時の人の前に拡がる諸々の可能性について考えて下さい。



【解説】
 私達には沈黙の英知とも言うべきもの、即ち本講座で言う「意識」なるものが備わっていることに気付いている者には、その活用によって素晴らしい知識が授けられるという訳です。
 課題解決の為のヒラメキや他者への支援策等々、私達が望む事柄に対して常に私達を助けて呉れる存在がこの意識でもあるのです。
 本来、このような力量は各自に備わっているのですが、多くの者はその存在に気付かず、自分のエゴの意見に支配されています。私達はもっと自らに与えられた才能や能力を開花させ、自らをこの意識なる英知の表現者となるべきであり、他者の手本として生涯を送るべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落068

068 One's breath is measured by consciousness, and Heaven is but a man suspended between the Soul consciousness of Eternity and Man's consciousness of earth. It is the mark or center of balance where the true understanding of the cosmos exists. Each conscious being is but a focal point of action within this great limitless ocean of intelligent force. There is no separation between any one of these focal points of conscious action and the Wholeness of consciousness.
068 人の息は意識によって見守られており、天国とは人が永遠なる魂の意識と地上の人間の意識との間に吊り上げられている人間のことなのです。それは真の宇宙の理解が存在する調和の印、或いは中心です。各々の意識的存在は、この偉大なる限りない知性の力の海の中における行動の焦点なのです。これらの意識的行動の諸焦点のいずれの間と意識全体との間には分離はありません。




【解説】
 私達の呼吸の一つ一つが意識によって見守られており、刻々の私達の行動はこの大いなる意識の下で為されています。そういう意味では全ての行動は宇宙的意識により記憶されていることになります。
 また、本文に記されているように、各々の行動には意識の投影が必要であり、この意識なくして行動は出来ない以上、あらゆる行動は意識を伴っていることになり、意識からの分断は無いということになります。
 天国と称される理想の姿は永遠なる宇宙的意識と私達地上の人間の意識とが釣り合っている状態だという訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落067

067 The growth of earth and the growth of man is the actual evidence or testimonial of consciousness. Thought, itself, is composed of consciousness. All things of the heavens and the earth have been and will continue to be conceived in the womb of this mother-father principle. Man was born - into a physical form and will grow old and perish while consciousness remains everlastingly young in existence.
067 地球の発展と人間の発達は意識の実際の証拠であり、証明書です。想念自体は意識から成り立っています。天と地の全てのものは、これまでも、またこれからもこの母性父性原理の子宮の中で受想し続けることでしょう。人は肉体の形に生まれ、年老い、死を遂げますが、一方、意識は永続的に若いまま留まります。




【解説】
 大事な点は原理や法則、更にはそれらを作用させている原動力には時間が無いこと、永遠に生命力溢れる若さが保たれているということでしょう。私達が日々摂取する想念・アイデアには本来、老いというものはありません。いつも生まれたばかりの生命体のようにすがすがしく、素直で力強い存在です。
 一方で私達人間はその誕生後、年を重ねるにつれて年老い、やがては誰でもその命を終える時を迎えます。これは物質としての生きものの側面であり、自然の摂理と言えます。従って少しでも若々しい生活を維持したいなら、努めてこれら生命の原動力に近い想念・アイデアを摂取することです。
 その為にも日頃から新しいテーマに取り組み、また手本となる様々な教えに接する等、宇宙的な要素を取り入れることに努め、利他の行動を通じて自らその手本となるよう努めることです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落066

066 Consciousness is the very substance of all forms, yet itself is formless. It is the ruler and keeper of all elements which compose it in the field of form-action, for through this intelligent force the elements which make the form become conscious. It builds form and disintegrates forms yet it knows neither life nor death. It is motionless, yet it is the all-active power by which the cosmos is maintained; placeless, yet it is everywhere for outside of it there is nothing; inert yet composed of unlimited power.
066 意識とは万物の本質そのものです。しかし、意識自身には形がありません。それは形あるものの活動の分野で組織するあらゆる元素の支配者であり、保護者なのです。何故なら、この知性ある力を通じて、形あるものを作り上げている元素が意識を持つようになるからです。意識は形あるものを作り上げ、また形あるものを分解しますが、それでも生も死も知ることはありません。意識はじっとしていますが、宇宙が維持される全ての活動的なパワーでもあるのです。定まった場所はなく、何処にでもあるのです。何故なら、意識の外側には何もなく、意識は自ら動くことはありませんが、無限のパワーから成り立っているからです。




【解説】
 本項は「意識」の持つ驚くべき力について説明されています。古来からある種の”沈黙のちから”について多くが語られ、時によっては”聖霊”の力、等々の表現が為されて来ました。それらのいずれもが目に見えない霊力、気力という大いなる力の存在が強調されていたかと思います。
 各宗教における様々な”行”も、氷上のフィギュアスケーターの華麗な演技も全てはこの「意識」との融合の中での人間の可能性を見せるものとなっているのです。
 私達は日頃から、自らをこの意識との関連性において顧みるとともに、その行動の一つ一つをこの意識との融合の中に実行できるよう、心構えを整えておく必要があります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落065

065 Everything from the mineral to the Cause kingdom is changed, moment by moment, by the everlasting activity of consciousness. It is the avenue of progress; the stream of life ladened with ideas which drop into the consciousness of mortal man with great rapidity and which may be used or discarded, depending upon the understanding of the individual. Consciousness speaks the language of the Soul, for it is the Soul. This Cosmic language is soundless, yet it roars with a voice of thunder, reverberating with a tremendous force upon the mortal form, producing a state of awareness as to the ideas that lie within him - ideas which only he himself knows unless he expresses them in words, and which even then may not be understood by another.
065 鉱物から因の王国に至るあらゆるものは永続する意識の活動により、刻々と変化します。それは進歩の大道であり、大速力で死すべき人間の意識に降り下るアイデアを積み込んだ生命の流れであり、各自の理解力により、活用されるか或いは捨て去られるかになります。意識は魂の言葉を話します。何故ならそれは魂であるからです。この宇宙的言葉は無音ですが、雷ほどの声で叫び、死すべき形あるものにすさまじい勢いで響かせ、人の内側にあるアイデアにいての知覚状態を作り出します。そのアイデアは言葉に表現しない限り、その者のみが知り、言葉に表現したとしてもその時、他の者には理解されないものです。




【解説】
 芸術家達に時に来るヒラメキは、ある者には楽譜を書くペンの先を、またある者にはその絵筆を動かして、大いなる作品を創り出させる訳ですが、その原動力である意識の声は、本人にはとてつもなく大きく聞こえる程、力強いものとしています。それらの声は常にあるにも拘わらず、私達には聞く意欲が薄い為、一部の芸術家を除いては気付かずに過ごしているということでしょう。
 これら力強い宇宙の力は当然、あらゆる粒子、原子・分子に作用し、それぞれに変化を促しています。それ故に私達は変化・流転の途にあるのです。この宇宙的な流れに従って進むか、或は自らの惰性・堕落の道を選ぶかは本人に委ねられていますが、どちらを進むべきかは明白であり、私達はより良い方向に進む意欲と確信を持たねばなりません。日々の活動を宇宙的なものに変革して行くことがその一歩となります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落064

064 As far as we know consciousness had no beginning and will have no ending for it seems to be all in all, the Alpha and Omega, and is made up of the Trinity; first the power; second, the intelligence; and third, the created form. John tells us -"In the beginning was the Word and the Word was with God and the Word is God.' What is a word? Is it not a thought expressed? And does not thought depend upon consciousness for it's being? Then we must admit that "in the beginning was consciousness and the consciousness was with God and consciousness is God." Out of consciousness, again, proceeded thought so "in the beginning was thought and thought was with God and thought is God." And thought becoming expressed returns us in proper sequence to the Word which is with God and is God. (Cosmic Cause) The incarnation of these three through action brings forth manifestation which is concrete realization in form of that which exists always in consciousness.
064 私達が知る限り、意識には始まりもなく、また終わりもないものでしょう。何故なら意識は全ての中の全て、アルファー(訳注:ギリシャ文字24個の最初の文字)であり、オメガ(訳注:ギリシャ文字24個の最後の文字)であるように思うからで、それは三位一体(訳注:「父・子・聖霊」の三位格があることを指す)から成っているからです。即ち第一に力、第二に知性そして第三に創造された形あるものです。使徒ヨハネはこう言いました。「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにありき、そして言葉は神である」と。言葉とは何でしょうか。それは表現された想念ではないでしょうか。そして想念はその存在を意識に依存しているのではないでしょうか。そうすると私達は「はじめに意識があり、意識は神であった。そして意識は神である」ことを認めねばなりません。意識の中から更に想念が進み出るため、「はじめに想念があった。想念は神であった。そして想念は神である」ということになります。そして表現された想念は神とともにあり神(宇宙的因)である言葉として適切な順序で私達に戻って来るのです。これら3つの活動の化身は意識の中では常に存在している形あるものへの永続的な現出である創造作用をもたらすのです。



【解説】
 本章はアダムスキー哲学の「意識」を解説するものですが、本項では改めて新約聖書のヨハネ伝にある「はじめに言葉ありき」の”言葉”との結びつきについて説き起こしています。
 アダムスキー研究者の間ではよく知られていることですが、アダムスキー氏自身はかつてイエスに最後まで従っていた聖ヨハネであったとされています。このことはアダムスキー氏自身がかつて自ら表現した意味を、ここで再度解説し、読者に説いているのではないかと思うのです。2000年余の時間が経過し、宇宙時代に入った地球人に対し、再度同種の内容を説く時、アダムスキー氏はそれを”意識”と表現したのではないでしょうか。
 広大な時間軸にあって、その原理は変わるものではなく、宇宙始原の昔から意識なるものは存在し、今後も存続を続けることでしょう。その意識にこそ、私達は更に近づき融合して宇宙的な存在に進化しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落063

063 This intelligent force, then, is actually the Cosmic Whole, for Its limit of knowledge is no where. It is the creator of everything that was, is, and will be. It is not only the soul of man but the very soul of all things, the Father-Mother principle of the Cosmos.
063 この知性ある力は、実際には宇宙全体なのです。何故ならその知識の限界は何処にも無いからです。それはこれまでにあった、現在ある、そして将来あるだろうあらゆるものの創造主です。それは人間の魂のみならず、万物の魂そのもの、宇宙の父性母性原理なのです。




【解説】
 私達が日頃気付いていないこの「意識」なる存在には、限界や際限が無く、宇宙全体とも繋がっており、その包含する知識は私達の想像すら出来ないほど深く、広いものです。何よりも宇宙空間全てを支えている存在だからです。
 それに引き換え、私達の自我は何と小さく、矮小化した存在なのでしょう。更にそれは常に自分の存続だけを考えており、未知なるものに怯えて暮らしているのです。
 ひとたび私達が自らの中にこうした宇宙に繋がる「意識」なる存在を有していることを自覚すれば、大きな変化を遂げることは確実です。そうした姿を黙って見守って呉れているのも意識であり、私達一人一人の守り神とも言うべき役割をも果たして呉れているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落062

062 The story of creation as recorded in Genesis says that God created man from the dust of the earth; out of the elements He molded a form in His image and likeness as a sculptor creates a beautiful statue out of clay. This He did with intelligence and power, and having looked upon His completed form creation He was well pleased, so He incarnated into the form as the Breath of Life and man became a conscious being, a living soul, having the power of intelligent action, which we know as life.
062 創世記に記録された天地創造の物語は、神が人間を大地のチリから創ったとしています。その諸元素から創造主は彫刻家が粘土から美しい彫像を作り上げるように、神ご自身のイメージと似姿で一つの形あるものを型に入れて創ったのです。これを神は知性と力によって行い、自ら完成した創造物を眺め、神は大いに喜び、生命の息としてその形あるものの中に化身し、その結果、人は意識ある存在、生ける魂、私達が生命として知っている知性的な活動の力を得たのです。



【解説】
 創世記におけるアダムの誕生は、古代の人達に私達人間が如何にしてこの世に生まれたのかを、当時の知識レベルでも分かるように伝えられたものと思われます。重要な点は、人間は神の似姿として創られたこと、及びにその素材は全て地球の大地にあるチリと同じ元素から成っていることです。
 しかし、こうして創られた肉体もその生命の源は創造主から吹き込まれた生命の息であり、その息無くして生命は存続せず、その息こそが英知を持ち全ての生きもの達を生かしている大本であるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落061

5. WHAT IS CONSCIOUSNESS?
061 The term consciousness seems to be the foundation of all creation. It is not a physical thing, yet it measures all expressions of physical forms. Without it no form could be or exist for consciousness is life itself. It is the power which gathers the elements into the formed state and it is the intelligent force which causes awareness and animation within the form. Conscious awareness of the All-Inclusive consciousness is that tremendous power which is referred to in the Scriptures as the Holy Ghost. It is a dweller, as power, within that which is created, perpetuating the growth of the form by the constant action which is the law of It's being.
第5章 意識とは何か
061 意識という用語は全ての創造作用の基礎であるように思います。それは物理的なものではありませんが、物理的な形あるものの全ての表現の尺度となっています。意識なしではどんな形あるものも存在することが出来ません。意識が生命自体であるからです。それは諸元素を集めて形ある状態にさせる力であり、形あるものの中に気付きと活気をもたらす知性的な力なのです。全てを包含する意識に対する意識的な気付きは聖書の中で聖霊と称されるあのすさまじい力です。意識は創造されたものの内側にある力としての住人であり、その存在の法則でもある絶え間ない行動によってその形あるものの成長を永続させているものです。




【解説】
 本章では一連のアダムスキー哲学の中で最も重要とされている「意識」について改めて著者自らが私達に解説しています。
 とかく私達はこの「意識」なる用語を何か特別なものとして捉えがちで、単に”意識”、”意識”と唱えればそのものに接近することが出来ると思いがちですが、それは誤りであることでしょう。アダムスキー氏が教える「意識」の実態について、先ずは私達自身で探求し、真実の姿を見極めることが必要です。その場合、「Consciousness(意識)」と表現しているイメージはやはり私達日本人にとっては、通常”気を失って意識が無い”等々で用いる”意識”のままのイメージで良い筈です。異なるのはそれと同種の存在が万物に宿る、或は万物を支えているということです。
 この意識なるものは物の全てに存在する訳で、物と物との間のつなぎ、連携するもので宇宙とも融合しているものと考えられます。その知性は万物を創造する知性と力を持っている訳ですので、その力は強力で私達はその力を借りることが出来れば、大いなる発展を遂げることが出来る筈です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落070

070 We have been taught that all things are possible with God. God is consciousness, and man cannot separate himself from consciousness for he is that. Are not all things also possible therefore, with man? Jesus the Christ understood this unlimited capacity for expansion when he said-"Greater things shall you do than I have done." He put no limitations upon himself or upon another. It is through the understanding of the consciousness, which is oneself, expressing through all forms that gives one the power to control all elements. Cannot a being command himself into action? Cannot consciousness direct its own movements? This mighty Cosmic force, with power to do and the intelligence to direct, is the most generous giver of all things to those who utilize every fleeting conscious moment, but it turns a relentless executioner in the hands of those who pay no attention to its gift of Ideas.
070 私達は全てのことが神にあっては可能だと教えられて来ました。神は意識であり、また人は意識から分離できません。何故なら人は意識であるからです。では、全ての事柄もまた、人間にあっては可能ではないでしょうか。イエス・キリストは「私が為した以上の大いなることを貴方は為すだろう」と言った時、この拡大する無制限の能力を理解していたのです。彼は自分自身にも他の者にも如何なる限界を設けていませんでした。それは全ての元素を支配する力を与え、万物を通して表現している自分自身である、意識の理解を通じてのことです。何人であれ、自分自身に行動せよと命令することは出来ないことでしょうか。意識はその運動を指図出来ないでしょうか。この力強い宇宙的力はそれを為す力と指導する知性を持ち、意識的瞬間の束の間のひとつひとつを活用する者達にとって全てのものを与える寛大な贈与者ですが、一方、そのアイデアの贈り物に何らの関心を払わない者達の手にあっては情け容赦の無い執行人に変貌するのです。



【解説】
 本来の人間の能力の可能性とその理由について本項では説かれています。
 現在、私達はこの「宇宙哲学」をアダムスキー哲学の一環として学んでいますが、実は同様の内容はイエスの時代にも説かれていたことに注目しなければなりません。即ち、他惑星の文明から地球にはこれまで何度となく同じ内容がもたらされ、イエスをはじめとするいわば伝道師が当時の人々に語り伝えていたことになります。おそらくは仏陀も同様でしょう。
 時間が経過し、教えのエッセンスが失われつつある中、アダムスキー氏が出現することとなったと思われます。また先にも述べましたが、アダムスキー氏は使徒ヨハネと関係があった(ヨハネであった)とされていますが、本文に記述のあるイエスの言葉の真意を記している部分は、実際イエスの間近に居たヨハネがその時、理解した内容であったと思われます。
 いずれにせよ、現在の私達は再びこの真理に向き合おうとしている訳で、自分の中に染みわたる意識の力を知ること、学ぶことを第一にしたいところです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落069

069 Those who have become consciously aware of conscious consciousness through the ages have known this and have used the knowledge in their daily life. They have recognized themselves as the unlimited consciousness and thereby have become the controllers of it. The average man who claims himself a conscious being has through the development of a personal ego blinded himself to the reality of his being and understanding of cause consciousness so that he is expressing not more than one tenth of one percent of his potential ability. Think of the possibilities ahead of man when he shall have enlarged his field of awareness.
069 時代を通じて意識的意識について気付くようになった者達は、このことを知り、日常生活の中にその知識を利用しました。彼らは自分自身を無限の意識として認識し、その為その支配者になって来ました。自分自身を意識的存在だと主張する平均的な人間は、個人的自我の発達を通じて、自分の存在の現実性について自分自身を盲目にしてしまい、その結果、彼自身の潜在能力の1%の10分の1も表現してはいないのです。自分の気付きの領域を拡げた時の人の前に拡がる諸々の可能性について考えて下さい。


【解説】
 宇宙そのものに繋がる意識を自覚すること、その知識を実生活に応用することは各自の生活レベルの向上に繋がることはもちろん、その人の真の進化に直結しています。その人が意識とどのように接しているかは本人しか分からないことですが、その成果はその人の物事の達成や人々への貢献その他、具体的な活動成果により、容易に知ることが出来る筈です。
 かつて多くの英雄や偉大な芸術家、更には後世の人々の生きる指針を示した思想家等々、多くの人達はこの意識を日常に適用することにより、各自の能力を高めて行ったという訳です。
 もちろん、現状の私達も多少は意識の発現もある訳ですが、その大きさは本来の能力の1%の10分の1も表現出来ていないと著者は指摘しています。このことからも私達の前には進むべき道が遥かに連なっており、一つ一つ問題を解消して行きながら進むべきものであることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落068

068 One's breath is measured by consciousness, and Heaven is but a man suspended between the Soul consciousness of Eternity and Man's consciousness of earth. It is the mark or center of balance where the true understanding of the cosmos exists. Each conscious being is but a focal point of action within this great limitless ocean of intelligent force. There is no separation between any one of these focal points of conscious action and the Wholeness of consciousness.
068 人の息は意識によって見守られており、天国とは人が永遠なる魂の意識と地上の人間の意識との間に吊り上げられていることなのです。それは真の宇宙の理解が存在するバランスの印、或いは中心です。各々の意識的存在は、この偉大なる限りない知性の力の海の中における行動の焦点です。これらの意識的行動の焦点のいずれの間と意識全体との間には分離はありません。



【解説】
 私達の誰もが願う天国とは、そもそもどのような状態なのか、著者は本項で説いています。それは永遠の魂の意識と私達地上の人間の意識との調和、バランス状態のことだとも明言されています。
 また、私達の毎回の呼吸が意識により見守られているということは、私達にとって意識は幼児の命を支え守る両親そのものとも言えるでしょう。この呼吸とは創世記の記述にもあるように生命の基本です。ヨガの呼吸法や瞑想にもこの呼吸に着目してその意識の働きを知ろうとする手法の一つかと思われます。
 私達も毎回の呼吸を単に何気なくやり過ごすのではなく、呼吸がどのように起こり、何に促されて行われているかについても関心を持つべきでしょう。人生最後の瞬間はこの呼吸も停止することになる等、呼吸は私達の生命活動になくてはならない活動であるからです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落067

067 The growth of earth and the growth of man is the actual evidence or testimonial of consciousness. Thought, itself, is composed of consciousness. All things of the heavens and the earth have been and will continue to be conceived in the womb of this mother-father principle. Man was born - into a physical form and will grow old and perish while consciousness remains everlastingly young in existence.
067 地球の発展と人間の発達は意識の実際の証拠であり、証明書です。想念自体は意識から成り立っています。天と地の全てのものは、これまでも、またこれからもこの母性父性原理の子宮の中で受想し続けることでしょう。人は肉体の形に生まれ、年老い、死を遂げますが、一方、意識は永続的に若いまま留まります。



【解説】
 若い方は別として、ある程度の年代になると、本項で著者が記述していることは良く理解出来るのではないかと思われます。つまり年を重ねるにつれて、自らの想念はかつてのレベルよりは進化しているものです。日々の精進の成果として各自の精神レベルの向上に直結していることは、かつての自分を振り返れば納得されることと思われます。
 また同時に、肉体の老化は日常の努力、節制によりその進行を遅くすることは出来ますが、諸般の要因によりいずれは死を迎えることは間違えありません。自分ではいつまでも若い気持ですが、客観的に写真に写った自分の姿には年相応の衰えを見て取ることが出来るものです。
 かつてアダムスキー氏は自分はこの老人の肉体のまま他の惑星に移住するよりは、新しい肉体を得て転生する方を望むと語ったとされています。まさにその通りの感がありますが、その時を迎えるまでは各自のかけがえのない身体を慈しみ、意識の発現の場としての役割を果たし、同時に各自の精神レベルの進化に邁進することです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落066

066 Consciousness is the very substance of all forms, yet itself is formless. It is the ruler and keeper of all elements which compose it in the field of form-action, for through this intelligent force the elements which make the form become conscious. It builds form and disintegrates forms yet it knows neither life nor death. It is motionless, yet it is the all-active power by which the cosmos is maintained; placeless, yet it is everywhere for outside of it there is nothing; inert yet composed of unlimited power.
066 意識とは万物の本質そのものです。しかし、意識自身には形がありません。それは形あるものの活動の分野で組織するあらゆる元素の支配者であり、保護者なのです。何故なら、この知性ある力を通じて、形あるものを作り上げている元素が意識を持つようになるからです。意識は形あるものを作り上げ、また形あるものを分解しますが、それでも生も死も知ることはありません。意識はじっとしていますが、宇宙が維持される全ての活動的なパワーでもあるのです。定まった場所はなく、何処にでもあるのです。何故なら、意識の外側には何もなく、意識は自ら動くことはありませんが、無限のパワーから成り立っているからです。



【解説】
 通常の日本語でも、生死の境目の際には「意識の有無」が問われますし、意識という知覚状態は生命の基本なのだと考えられます。アダムスキー哲学においては、この意識にはこれまで私達が考えて来た以上の大きな、生命の本質にかかわる重要な役割があると説かれているのです。
 即ち、この意識が存在するが故に、私達は物質でありながら、生命を保ち、自らの存在意義を発揮できるというものです。またその意識は個別の身体に常在すると同時に宇宙くまなく存在する宇宙意識とも繋がるもの、一体感を私達に感じさせる源泉でもあります。
 すべての物質に対し、生命活動を促すのはこの意識であり、個々人の自我の心ではありません。その点、私達は生かされているという言葉が生まれる理由にもなっています。
 問題は各自が自ら備わり、生きている間は常に人体内部に存在する意識と如何に融和し、助言を受けるかにある訳で、「同行二人」のように常に意識とともに人生を歩むことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落065

065 Everything from the mineral to the Cause kingdom is changed, moment by moment, by the everlasting activity of consciousness. It is the avenue of progress; the stream of life ladened with ideas which drop into the consciousness of mortal man with great rapidity and which may be used or discarded, depending upon the understanding of the individual. Consciousness speaks the language of the Soul, for it is the Soul. This Cosmic language is soundless, yet it roars with a voice of thunder, reverberating with a tremendous force upon the mortal form, producing a state of awareness as to the ideas that lie within him - ideas which only he himself knows unless he expresses them in words, and which even then may not be understood by another.
065 鉱物から因の王国に至るあらゆるものは永続する意識の活動により、刻々と変化します。それは進歩の大道であり、大速力で死すべき人間の意識に降り下るアイデアを積み込んだ生命の流れであり、各自の理解力により、活用されるか或いは捨て去られるかになります。意識は魂の言葉を話します。何故ならそれは魂であるからです。この宇宙的言葉は無音ですが、雷ほどの声で叫び、死すべき形あるものにすさまじい勢いで響かせ、人の内側にあるアイデアにいての知覚状態を作り出します。そのアイデアは言葉に表現しない限り、その者のみが知り、言葉に表現したとしてもその時、他の者には理解されないものです。



【解説】
 ありとあらゆるものは活動の中、変化の中にあります。「万物は流転する」とは言い得た言葉です。通常、このことは確固たる固定したものでないということから、「空しいもの」、「はかないもの」と解釈されがちでしたが、アダムスキー哲学においては同じ変化の形相を本文のように実に生き生きと語ることが出来ます。このことが従来から地上で染みついて来た宗教教義と他惑星文明から伝えられた「宇宙哲学」と根本的に違うところです。
 このように一瞬一瞬変化するような活動的な宇宙の実態なのですが、その中にあって本項で言う意識の働きは大きな役割を占めているのです。無言の意図ではありますが、その印象指導によって全ての変化、創造作用が進められているという訳です。
 もちろん私達の内側にもその意識は隅々にまで染みわたっている訳で、少しでもその声を聞こうと努力すれば、たちどころに成果を得ることが出来ます。実に頼りになる存在という訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落064

064 As far as we know consciousness had no beginning and will have no ending for it seems to be all in all, the Alpha and Omega, and is made up of the Trinity; first the power; second, the intelligence; and third, the created form. John tells us -"In the beginning was the Word and the Word was with God and the Word is God.' What is a word? Is it not a thought expressed? And does not thought depend upon consciousness for it's being? Then we must admit that "in the beginning was consciousness and the consciousness was with God and consciousness is God." Out of consciousness, again, proceeded thought so "in the beginning was thought and thought was with God and thought is God." And thought becoming expressed returns us in proper sequence to the Word which is with God and is God. (Cosmic Cause) The incarnation of these three through action brings forth manifestation which is concrete realization in form of that which exists always in consciousness.
064 私達が知る限り、意識には始まりもなく、また終わりもないものでしょう。何故なら意識は全ての中の全て、アルファー(訳注:ギリシャ文字24個の最初の文字)であり、オメガ(訳注:ギリシャ文字24個の最後の文字)であるように思うからで、それは三位一体(訳注:「父・子・聖霊」の三位格があることを指す)から成っているからです。即ち第一に力、第二に知性そして第三に創造された形あるものです。使徒ヨハネはこう言いました。「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにありき、そして言葉は神である」と。言葉とは何でしょうか。それは表現された想念ではないでしょうか。そして想念はその存在を意識に依存しているのではないでしょうか。そうすると私達は「はじめに意識があり、意識は神であった。そして意識は神である」ことを認めねばなりません。意識の中から更に想念が進み出るため、「はじめに想念があった。想念は神であった。そして想念は神である」ということになります。そして表現された想念は神とともにあり神(宇宙的因)である言葉として適切な順序で私達に戻って来るのです。これら3つの活動の化身は意識の中では常に存在している形あるものへの永続的な現出である創造作用をもたらすのです。


【解説】
 著者が説く「意識」がどのようなものか、本項では改めてその働きについて解説しています。
 その中でも重要な点は、意識には始まりもなく終わりもないということです。常に存在し、創造の生命力と宇宙の知性、そして全ての形あるものに普遍的に存在し、言わば創造主と一体のものとも呼べるとしています。
 この意識さえ理解出来れば他に望むものなどありません。全てはこの意識の中で創造され、世に出る訳で、私達は意識の持つ潜在力に頼ると同時に、謙虚に畏れることも必要です。
 自らの身体から宇宙の果てまで浸透する意識について、私達は先ずは自ら知覚出来るよう、自らを澄ませ、それと一体化出来るようその存在に信頼を寄せることが必要です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落063

063 This intelligent force, then, is actually the Cosmic Whole, for Its limit of knowledge is no where. It is the creator of everything that was, is, and will be. It is not only the soul of man but the very soul of all things, the Father-Mother principle of the Cosmos.
063 この知性ある力は、実際には宇宙全体なのです。何故ならその知識の限界は何処にも無いからです。それはこれまでにあった、現在ある、そして将来あるだろうあらゆるものの創造主です。それは人間の魂のみならず、万物の魂そのもの、宇宙の父性母性原理なのです。



【解説】
 要するに本来の生命力というものは、あらゆる創造物とも繋がり、宇宙全体にまで広がっている「魂」だと、本項ではアダムスキー哲学で説かれる「意識」を明解に説明しています。
 未だ学習途上にある私達も十分には認識できていない所かとは思いますが、実はこの意識を通じることによって、宇宙のあらゆる存在と"一体化"が得られること、また互いを言葉を用いることなく瞬時に理解し合えることもあるでしょう。
 同時にこの意識は創造を司る役割を持っていることから、自らが抱く想念・印象についても具体化に向けて現実世界に作用させ、未来を形作る場でもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落062

062 The story of creation as recorded in Genesis says that God created man from the dust of the earth; out of the elements He molded a form in His image and likeness as a sculptor creates a beautiful statue out of clay. This He did with intelligence and power, and having looked upon His completed form creation He was well pleased, so He incarnated into the form as the Breath of Life and man became a conscious being, a living soul, having the power of intelligent action, which we know as life.
062 創世記に記録された天地創造の物語は、神が人間を大地のチリから創ったとしています。その諸元素から創造主は彫刻家が粘土から美しい彫像を作り上げるように、神ご自身のイメージと似姿で一つの形あるものを型に入れて創ったのです。これを神は知性と力によって行い、自ら完成した創造物を眺め、神は大いに喜び、生命の息としてその形あるものの中に化身し、その結果、人は意識ある存在、生ける魂、私達が生命として知っている知性的な活動の力を得たのです。



【解説】
 創世記が記された昔、私達地球人はもとより原子や分子、細胞や遺伝子等、繊細、精妙な科学の知識は無かった訳で、大地のチリから人体が造られたと表現するのが精一杯であったということでしょう。
 しかし、やはり「チリ」という、いわば微粒子から人体が造られたと表現することで、原子や分子をイメージする表現になっていることに注目したいところです。
 人体創造の最終段階では肉体各部が形成されることになりますが、しかし、それだけではなかった訳です。その作品を見て創造主が息を吹き込んだとされていますが、生命の息として自ら内部に化身したと本文に記述されているところが重要な点です。
 つまりは自らの作品に自らも入り込んで、生き生きしたものとした訳です。丁度、赤ん坊が誕生して最初に息をする段階から人間としての全てが始まるのと似ています。私達の中にはこのように本人が知る知らないにかかわらず、誕生のはじめから、創造主は私達の中に入っており、私達自身、その能力を備えているということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落061

5. WHAT IS CONSCIOUSNESS?
061 The term consciousness seems to be the foundation of all creation. It is not a physical thing, yet it measures all expressions of physical forms. Without it no form could be or exist for consciousness is life itself. It is the power which gathers the elements into the formed state and it is the intelligent force which causes awareness and animation within the form. Conscious awareness of the All-Inclusive consciousness is that tremendous power which is referred to in the Scriptures as the Holy Ghost. It is a dweller, as power, within that which is created, perpetuating the growth of the form by the constant action which is the law of It's being.
第5章 意識とは何か
061 意識という用語は全ての創造作用の基礎であるように思います。それは物理的なものではありませんが、物理的な形あるものの全ての表現の尺度となっています。意識なしではどんな形あるものも存在することが出来ません。意識が生命自体であるからです。それは諸元素を集めて形ある状態にさせる力であり、形あるものの中に気付きと活気をもたらす知性的な力なのです。全てを包含する意識に対する意識的な気付きは聖書の中で聖霊と称されるあのすさまじい力です。意識は創造されたものの内側にある力としての住人であり、その存在の法則でもある絶え間ない行動によってその形あるものの成長を永続させているものです。


【解説】
 たまたま今読んでいる本(中村元編著:「仏教経典散策」)の中に維摩経の紹介が掲載されており、その中に次の記述があります。「文殊菩薩との会話が続くがしばらくして、維摩居士は文殊菩薩に随行した菩薩たちに声を掛け、”みんなに不二の法門(相対の差別をこえた絶対平等の境地)に入るとはどういうことか”という質問であった(中略)。32菩薩が述べ終わったあと、代表して文殊菩薩が維摩居士に”あなたのご意見を聞きたい”と尋ねた。周りの者たちはどんなことばが聞けるかと期待している。ところがどうだろう。維摩居士は瞎目し黙然として一言も発しないのである。あたりは静寂が漂っていた。と突然、文殊菩薩が”すばらしい。文字もことばもない。これが不二の法門に入ることですね”と讃嘆したのである。」
 アダムスキー哲学でポイントとなる「意識」と通じるものがあるように思った次第です。
 言葉や所詮私達肉体の感覚の表現であり、実際はそれらに規定されるどころか、遥かに強大なパワーを発揮している存在があり、それを著者は「意識」と表現しているのです。全ての創造物の中にはこの意識が宿っていて、日々の運動や進化を担っているという訳で、このお蔭で私達は命を繋いでいるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落070

070 We have been taught that all things are possible with God. God is consciousness, and man cannot separate himself from consciousness for he is that. Are not all things also possible therefore, with man? Jesus the Christ understood this unlimited capacity for expansion when he said-"Greater things shall you do than I have done." He put no limitations upon himself or upon another. It is through the understanding of the consciousness, which is oneself, expressing through all forms that gives one the power to control all elements. Cannot a being command himself into action? Cannot consciousness direct its own movements? This mighty Cosmic force, with power to do and the intelligence to direct, is the most generous giver of all things to those who utilize every fleeting conscious moment, but it turns a relentless executioner in the hands of those who pay no attention to its gift of Ideas.
070 私達は全てのことが神にあっては可能だと教えられて来ました。神は意識であり、また人は意識から分離できません。何故なら人は意識であるからです。では、全ての事柄もまた、人間にあっては可能ではないでしょうか。イエス・キリストは「私が為した以上の大いなることを貴方は為すだろう」と言った時、この拡大する無制限の能力を理解していたのです。彼は自分自身にも他の者にも如何なる限界を設けていませんでした。それは全ての元素を支配する力を与え、万物を通して表現している自分自身である、意識の理解を通じてのことです。何人であれ、自分自身に行動せよと命令することは出来ないことでしょうか。意識はその運動を指図出来ないでしょうか。この力強い宇宙的力はそれを為す力と指導する知性を持ち、意識的瞬間の束の間のひとつひとつを活用する者達にとって全てのものを与える寛大な贈与者ですが、一方、そのアイデアの贈り物に何らの関心を払わない者達の手にあっては情け容赦の無い執行人に変貌するのです。


【解説】
 本項は私達が「意識に向き合う」際の心構えを述べています。
 意識があらゆるものを動かし、私達自身を含めて宇宙空間に存在する全てのものを、言わば統一的に活動を制御する等、莫大な力を持っていることは、これまでも述べられて来た通りです。そのことに気付けばまた、前項(069)で述べられたように、その意識と交わる立場にある私達には本来、無限の可能性があることが分かります。従って、このことを自覚する時、私達はあらゆることを実現出来る存在であることに思い至ることになります。
 その為には意識の贈り物、即ち、瞬間瞬間に来るアイデアや想念に絶えず関心を持ち、幸運にもそれらを感知出来れば、それを大切に取り扱って、自分の発展に活用すべきことは言うまでもありません。この姿勢は従来からの単に意識を礼賛するだけの姿勢とは異なり、各自の心を鎮ませて、宇宙根源の送り主からの静かなメッセージを受信しようと耳を傾ける態度です。
 また最後に、それらの指導に耳を貸さないで過ごした者に対しては、厳格で容赦ない執行人としての意識の姿にも言及されていますが、これらは仏教寺院の仁王像や憤怒の像も同様なことを意図しているものと思われます。
 いずれにせよ、私達は意識というものの存在をまずは自分自身に認めさせ、自然界の様々な活動をその作用の結果として観察し、学ぶことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落069

069 Those who have become consciously aware of conscious consciousness through the ages have known this and have used the knowledge in their daily life. They have recognized themselves as the unlimited consciousness and thereby have become the controllers of it. The average man who claims himself a conscious being has through the development of a personal ego blinded himself to the reality of his being and understanding of cause consciousness so that he is expressing not more than one tenth of one percent of his potential ability. Think of the possibilities ahead of man when he shall have enlarged his field of awareness.
069 時代を通じて意識的意識について気付くようになった者達は、このことを知り、日常生活の中にその知識を利用しました。彼らは自分自身を無限の意識として認識し、その為その支配者になって来ました。自分自身を意識的存在だと主張する平均的な人間は、個人的自我の発達を通じて、自分の存在の現実性について自分自身を盲目にしてしまい、その結果、彼自身の潜在能力の1%の10分の1も表現してはいないのです。自分の気付きの領域を拡げた時の人の前に拡がる諸々の可能性について考えて下さい。


【解説】
 自らが意識と称される全能のパワーの一部であるとする自覚は、その者の発展に限りない力を与えることになります。
 この場合、本項ではconscious consciousness(意識的意識)と表現される点について、考えて見たいと思います。「意識的意識」という表現は、何かの禅問答のような雰囲気を持った表現です。勝手な解釈をすれば、私は「意識的」ということの方が重要ではないかと考えています。その「意識的」とは、私達が通常使用している言葉の延長線上で考えて良く、「〇〇を意識して」という意味と同様です。自分自身のある意味、精神状態に対して知覚できている状態を指すものです。そして「意識」は、本章でこれまで述べられて来た、力強く宇宙にみなぎる活動エネルギーだと考えられます。
 ひとたび、ご自身で自分の内側にもこのような能力が潜在的に付与されていることに気付けば、後はその応用だけということになります。自己の自我、即ち「自分という存在」を発展させようなどとは思わずに、ひたすら内奥の指令を行動に移すだけで、従来に無い飛躍発展する存在になるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落068

068 One's breath is measured by consciousness, and Heaven is but a man suspended between the Soul consciousness of Eternity and Man's consciousness of earth. It is the mark or center of balance where the true understanding of the cosmos exists. Each conscious being is but a focal point of action within this great limitless ocean of intelligent force. There is no separation between any one of these focal points of conscious action and the Wholeness of consciousness.
068 人の息は意識によって見守られており、天国とは人が永遠なる魂の意識と地上の人間の意識との間に吊るされていることに過ぎません。それは真の宇宙の理解が存在するバランスの印、或いは中心です。各々の意識的存在は、この偉大なる限りない知性の力の海の中における行動の焦点です。これらの意識的行動の焦点のいずれの間と意識全体との間には分離はありません。


【解説】
 私達の毎回の呼吸が意識によって見守られているということは、どういうことでしょうか。それは即ち、瞬間瞬間の各自の放つ想念はもちろん、肉体内部の諸状況に至るまで、丁度、傍らで眠っている幼児を母親が見守るように、私達は意識によって常に見守られていることを意味します。この人々を見る目については、チベット寺院に描かれている目も同様な意味合いを持つものと思われます。
 更にもう一つ、本項における天国についての説明として、永遠なる意識なるものと地球の人間の意識の間に吊るされている(suspended)という表現について述べて置く必要があります。本項の吊るされている(suspended)の意味合いについて、私自身正確には把握できておりませんが、イメージとしては、この二つの意識にまたがった状態、両者の領域の接点のようなバランスが取れた状態を指すように思っております。また、意識的行動の焦点(focal points of conscious action)という表現も、私達人間が意識が行動する際の焦点、即ち作用が集中する点であることを示すものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落067

067 The growth of earth and the growth of man is the actual evidence or testimonial of consciousness. Thought, itself, is composed of consciousness. All things of the heavens and the earth have been and will continue to be conceived in the womb of this mother-father principle. Man was born - into a physical form and will grow old and perish while consciousness remains everlastingly young in existence.
067 地球の発展と人間の発達は意識の実際の証拠であり、証明書です。想念自体は意識から成り立っています。天と地の全てのものは、これまでも、またこれからもこの母性父性原理の子宮の中で受胎し続けることでしょう。人は肉体の形に生まれ、年老い、死を遂げますが、一方、意識は永続的に若いまま留まります。


【解説】
 博物館等で見る恐竜の化石は遠い太古の昔、地球にはそのような大型の肉食獣が繁栄していたことを示しています。それらの時代から古代の狩猟生活、農耕生活等、長い年月を掛けて人類は進化し、今日の文明を築くまでに至りました。この間の歩みは人類の進化発展と言ってよく、荒涼とした大地から緑豊かな自然環境に移行することも地球の発展と言うことが出来るでしょう。
 本項はこれらの発展こそが、想念が創造の原理に働きかけた結果であるとしています。つまりは、意識に起因する想念が第4章等で述べたように感知された(即ち受胎conceivedされた)時、自然自体の創造のプロセスが起動し、そのアイデアを現実のものとさせるという具合です。いわば因の領域に属するその原理と想念は永遠に若々しいままなのですが、一方、具体的な物質の世界に創造されたもの、即ち結果物は、私達の人体も含め、老化の歩みを避けることは出来ないというものです。繁栄を誇った恐竜達もやがては環境の変化の中で死に絶えてしまった訳です。
 しかし、想念のレベルや宇宙を貫く創造の仕組み自体は未来永劫変わることはありません。即ちどのような想念がどのような結果をもたらすかについては、ゆるぎないもんがある訳です。私達も自らの肉体を末永く活動的に保つ為には、日頃からこの若々しい生命の源、宇宙創造の原理に近い位置で過ごすことが必要です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落066

066 Consciousness is the very substance of all forms, yet itself is formless. It is the ruler and keeper of all elements which compose it in the field of form-action, for through this intelligent force the elements which make the form become conscious. It builds form and disintegrates forms yet it knows neither life nor death. It is motionless, yet it is the all-active power by which the cosmos is maintained; placeless, yet it is everywhere for outside of it there is nothing; inert yet composed of unlimited power.
066 意識とは万物の本質そのものです。しかし、意識自身には形がありません。それは形あるものの活動の分野で組織するあらゆる元素の支配者であり、保護者なのです。何故なら、この知性ある力を通じて、形あるものを作り上げている元素が意識を持つようになるからです。意識は形あるものを作り上げ、また形あるものを分解しますが、それでも生も死も知ることはありません。意識はじっとしていますが、宇宙が維持される全ての活動的なパワーでもあるのです。定まった場所はなく、何処にでもあるのです。何故なら、意識の外側には何もなく、意識は自ら動くことはありませんが、無限のパワーから成り立っているからです。


【解説】
 万物の本質的部分である「意識」の特徴について本項では解説しています。私達は未だ十分には知覚していませんが、私達の身体からはるか彼方の宇宙空間に至るまで、ある一つの存在が繋がって存在しているという訳です。その意識なるものは自ら声を出して騒ぎ立てることはなく、もちろん肉眼では見えません。しかし、その沈黙する実体はあらゆるものに作用して、創造的活動を促し、また場合によっては形あるものを分解、破壊させる力を持っています。
 その意識は宇宙創造の始原の昔から、現在、未来永劫、宇宙空間に充満し、万物を揺り動かして生命活動と諸物の進化を促しています。この意識の作用ほど偉大なものはなく、この存在に気付いた者は、各々の時代に各々の表現でその存在を称え、帰依したものと思われます。
 今日、とりわけ東日本に起こっている天変地異についても、幸いにして生き残った私達はそれをこの意識に目覚める機会として捉え、各自がこの惑星内部から発信されている声なき声を感じ取り、これら変化をより穏やかなものとするよう、各自に与えられた意識の力を発揮して欲しいと考えます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落065

065 Everything from the mineral to the Cause kingdom is changed, moment by moment, by the everlasting activity of consciousness. It is the avenue of progress; the stream of life ladened with ideas which drop into the consciousness of mortal man with great rapidity and which may be used or discarded, depending upon the understanding of the individual. Consciousness speaks the language of the Soul, for it is the Soul. This Cosmic language is soundless, yet it roars with a voice of thunder, reverberating with a tremendous force upon the mortal form, producing a state of awareness as to the ideas that lie within him - ideas which only he himself knows unless he expresses them in words, and which even then may not be understood by another.
065 鉱物から因の王国に至るあらゆるものは永続する意識の活動により、刻々と変化します。それは進歩の大道であり、大速力で死すべき人間の意識に降り下るアイデアを積み込んだ生命の流れであり、各自の理解力により、活用されるか或いは捨て去られるかになります。意識は魂の言葉を話します。何故ならそれは魂であるからです。この宇宙的言葉は無音ですが、雷ほどの声で叫び、死すべき形あるものにすさまじい勢いで響かせ、人の内側にあるアイデアにいての知覚状態を作り出します。そのアイデアは言葉に表現しない限り、その者のみが知り、言葉に表現したとしてもその時、他の者には理解されないものです。


【解説】
 私達はここで無言の意識の語らいは、実は私達の想像を超える力強いものであることを記憶しなければなりません。
 聴覚に障害のある人は数多くおられますが、丁度、健常者も、こと意識に対しては、同様の状況だという訳です。
 意識の叫びが耳元で大きく響いて、ようやくかすかにその内容をアイデアとして認識するという具合です。しかし、その意識の力は宇宙全体を動かす程、絶大である為、あらゆるものがその働きかけに従って活動しているのです。聖書では聖霊と呼ばれる究極の力なのですが、私達はその力を借りて、自分の進歩に積極的に生かして行く必要があります。そうする中で各自が本来の進歩を遂げることになる訳で、「無常」という言葉の本来の意味は、意識に従えば各自否応無く進歩の大道をひた走ることになり、留まることはないという積極的、建設的な意味合いであることが分かります。先日(2011年3月12日)、諸用があり、千葉南房総に行きましたが、地震の影響で人気の無い海岸は晴れ渡った空の下、津波など無かったかのような青く澄んだ平穏な海が広がっており、いつものように鳥も行きかっていました。美しい海の景色を見て、全体としては先の地震はほんの一時の出来事であり、大勢は平安そのものであることに気付いた次第です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落064

064 As far as we know consciousness had no beginning and will have no ending for it seems to be all in all, the Alpha and Omega, and is made up of the Trinity; first the power; second, the intelligence; and third, the created form. John tells us -"In the beginning was the Word and the Word was with God and the Word is God.' What is a word? Is it not a thought expressed? And does not thought depend upon consciousness for it's being? Then we must admit that "in the beginning was consciousness and the consciousness was with God and consciousness is God." Out of consciousness, again, proceeded thought so "in the beginning was thought and thought was with God and thought is God." And thought becoming expressed returns us in proper sequence to the Word which is with God and is God. (Cosmic Cause) The incarnation of these three through action brings forth manifestation which is concrete realization in form of that which exists always in consciousness.
064 私達が知る限り、意識には始まりもなく、また終わりもないものでしょう。何故なら意識は全ての中の全て、アルファー(訳注:ギリシャ文字24個の最初の文字)であり、オメガ(訳注:ギリシャ文字24個の最後の文字)であるように思うからで、それは三位一体(訳注:「父・子・聖霊」の三位格があることを指す)から成っているからです。即ち第一に力、第二に知性そして第三に創造された形あるものです。使徒ヨハネはこう言いました。「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにありき、そして言葉は神である」と。言葉とは何でしょうか。それは表現された想念ではないでしょうか。そして想念はその存在を意識に依存しているのではないでしょうか。そうすると私達は「はじめに意識があり、意識は神であった。そして意識は神である」ことを認めねばなりません。意識の中から更に想念が進み出るため、「はじめに想念があった。想念は神であった。そして想念は神である」ということになります。そして表現された想念は神とともにあり神(宇宙的因)である言葉として適切な順序で私達に戻って来るのです。これら3つの想念の活動の化身は意識の中では常に存在している形あるものへの永続的な現出である創造作用をもたらすのです。


【解説】
 意識にはいわゆる三位一体としての3つの作用があることが述べられています。力と知性そして具体的な創造物です。これについては使徒ヨハネが言う「はじめに言葉ありき」の一節にあるように、言葉自体が意識に裏打ちされた想念である以上、「はじめに意識があった」あるいは「はじめに想念があった」と言うことも出来る訳です。
 また、本項では物事が創造される一連の流れ(注:文中ではsequence順序と表現されています)について、想念が発せられると、それが「言葉」に表現され、やがて宇宙的因に作用して、その想念に沿った物事を生み出して来ることを説明しています。丁度、日本に伝わる言霊(ことだま)と似た内容です。私達は日頃、何を想念として抱くか、どのような発言をしているかが大変重要で、私達が知らず知らずに、この創造作用を誘発していることに気付かなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落063

063 This intelligent force, then, is actually the Cosmic Whole, for Its limit of knowledge is no where. It is the creator of everything that was, is, and will be. It is not only the soul of man but the very soul of all things, the Father-Mother principle of the Cosmos.
063 この知性ある力は、実際には宇宙全体なのです。何故ならその知識の限界は何処にも無いからです。それはこれまでにあった、現在ある、そして将来あるだろうあらゆるものの創造主です。それは人間の魂のみならず、万物の魂そのもの、宇宙の父性母性原理なのです。


【解説】
 意識とはどのようなものかを説明している本文から、私達は広大な宇宙とくまなく繋がっている、意識と呼ばれる知性ある力の存在をイメージすることが出来ます。万物あらゆるものを支えている知性体と私達各自の意識とが繋がっているという訳です。
 また、あらゆるものが生み出され、創り出されて行く上で、意識が必ず作用していることでもあります。それはかつて、「天地は滅びても私の言葉は滅びない」としたイエスが伝えたかった内容とも言えるでしょう。
 現在、この惑星では日本の震災も含め、不安定な情勢が続いていますが、今後どのような経過を辿るとしても、本講で言う意識の働きは宇宙全体の広大さの中で、変わることなく生命の躍動を生み出しているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落062

062 The story of creation as recorded in Genesis says that God created man from the dust of the earth; out of the elements He molded a form in His image and likeness as a sculptor creates a beautiful statue out of clay. This He did with intelligence and power, and having looked upon His completed form creation He was well pleased, so He incarnated into the form as the Breath of Life and man became a conscious being, a living soul, having the power of intelligent action, which we know as life.
062 創世記に記録された天地創造の物語は、神が人間を大地のチリから創ったとしています。その諸元素から創造主は彫刻家が粘土から美しい彫像を作り上げるように、神ご自身のイメージと似姿で一つの形あるものを型に入れて創ったのです。これを神は知性と力によって行い、自ら完成した創造物を眺め、神は大いに喜び、生命の息としてその形あるものの中に化身し、その結果、人は意識ある存在、生ける魂、私達が生命として知っている知性的な活動の力を得たのです。


【解説】
 この記述は聖書の創世記にある内容ですが、私達は著者アダムスキー氏はこれを単に象徴的な描写として述べていると考えてはいけないように思います。つまり、私達が「創造主」と言う時、私達は具体的に人間に似た姿の創造主像を思い浮かべる必要があるように思います。その理由は、第一に本文にもあるように、「人間を神ご自身の似姿に創った」とある訳で、私達人間は少なくとも外見上は神に似ているということからです。更には進化した宇宙人達の宇宙船内でアダムスキー氏は創造主を描いたとされる肖像画を見ています。科学と哲学をマスターした人達が到達した点が、この創造主を具体的な人間の似姿として表現していたことによります。
 とかく神を崇める行為は地球では様々なレベルがあり、過去から現代に至るまで、その神を争っての戦いが各地で起こっていたり、多くの宗教団体が人々を惑わしていることも確かです。そうした中にあって、宇宙全体の秩序と生命活動を支えている原理や仕組みを学んだ上で、表現し実感できる神の姿こそ、私達のゴールと言えるものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第5章-段落061

5. WHAT IS CONSCIOUSNESS?
061 The term consciousness seems to be the foundation of all creation. It is not a physical thing, yet it measures all expressions of physical forms. Without it no form could be or exist for consciousness is life itself. It is the power which gathers the elements into the formed state and it is the intelligent force which causes awareness and animation within the form. Conscious awareness of the All-Inclusive consciousness is that tremendous power which is referred to in the Scriptures as the Holy Ghost. It is a dweller, as power, within that which is created, perpetuating the growth of the form by the constant action which is the law of It's being.
第5章 意識とは何か
061 意識という用語は全ての創造作用の基礎であるように思います。それは物理的なものではありませんが、物理的な形あるものの全ての表現の尺度となっています。意識なしではどんな形あるものも存在することが出来ません。意識が生命自体であるからです。それは諸元素を集めて形ある状態にさせる力であり、形あるものの中に気付きと活気をもたらす知性的な力なのです。全てを包含する意識に対する意識的な気付きは聖書の中で聖霊と称されるあのすさまじい力です。意識は創造されたものの内側にある力としての住人であり、その存在の法則でもある絶え間ない行動によってその形あるものの成長を永続させているものです。


【解説】
 私達は未だ十分に意識の実体について学んではおりません。各自の誕生から今日まで意識について正しく系統的に教わったこともなく、先人達もその人なりの断片的にしか把握出来ていないように思われます。しかし、万物を根本的に支えている力であり、いわゆる聖霊とも称せられる莫大な力を有しているという訳です。
 しかし、その力は知性を持った力である点が重要です。現在、福島の原子力発電所で生じている有害な放射線を出すのも原子の反応ですが、それらは人間が無理やり作り出した反応系での現象であり、自然の反応ではないように思います。自然界で生じる生命活動の反応は、もっとエネルギーレベルが小さく、効率的に進行しますし、何よりも永続できる調和したものとなっています。
 この意識の持つ力を自覚できれば、内側から力も湧いて来るように思います。私達自身がより良いものの創造の経路として役立つことを願うものです。
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