「宇宙哲学」 第3章

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落051

051 There is no greater law than that of conscious action, for upon it rests continuous Creation. Energy acting upon itself gives birth to time and space, the relative elements of the Cosmos that cause conception of the state called form. Each thing depends in part upon another and may be traced back to a common source.
051 意識の活動ほど偉大な法則はありません。何故なら止むことの無い創造はそれに支えられているからです。意識の活動において作用するエネルギーは、宇宙の相関的要素である時間と空間を生み出しますが、(その時間と空間は)形あるものと呼ばれる状態の概念をもたらします。各々の物事は、部分的に互いに依存しており、また一つの共通の源泉に遡ることができることでしょう。



【解説】
 私達が目の前に広がる全てのもの、壮大なる宇宙をどのように観るか、本章で学んで来ましたが、その結語が本項に記されています。
 本項ではあらゆるものは意識の活動から生じたもの、時間も空間もそれらが生み出したものであり、全ては水面を進む波のような意識の作用であると把握すべきなのです。私達はその波の形成の場合のように意識のエネルギーを表現したものであり、やがては元の元素に戻って行くことになります。
 しかし、それは個々の元素の集合体が解散するだけで、再び他の集合体の一部として活用される訳で、元の大洋の一部に留まることは間違いありません。また、各々が関連し合い、協力して形が形成されて行く訳です。
 こうした中、私達が最も重視しなければならないのは、この創造の原動力、エネルギーである意識の動向です。行動には自ずと目的があり、意図があります。私達は日々の生活の中でも、時々に垣間見る意識の意図に注視して、現象の奥にある創造の意図を学んで行かなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落050

050 Within the Cosmos there is no destruction but only newness by a ceaseless action; all substance changing and transmuting but never for an instant's time withholding. In an endless array of patterns and designs from formless into formed in unfolding the wondrous picture of eternity.
050 宇宙の中では破壊というものはなく、絶え間ない行動による新しさだけが存在します。全ての物質は変化し、変質しますが、一瞬として保留状態にあることはありません。永遠の目くるめく絵画を紐解く中で、終わりのないパターンと形なきものへの入念な計画があるのみです。


【解説】
 よく「万物は流転する」と表現されて来ましたが、本項では私達も含めて個々の生きものの生死に関しても単に変化の過程にあると言うよりも、より積極的に次なる生に向けての生まれ変わりを示唆しており、常に新しい道程を歩む過程にあるとしています。
 とかく私達は、自我を失うこと、死を迎えることについて、最後はあきらめに似た精神状態になるのかと思いますが、本項ではそれを新しい進化の過程に踏み出す一歩と捉えています。地球上の火山の活動その他の自然現象もこの地球が変化して行く中で大きな意味を持つものと思われます。
 私達はもちろん、これらの変化の影響を受ける訳ですが、それも私達が進化し、新しい存在に生まれ変わる転機なのかも知れません。既に東日本大震災では多くの人が影響を受け、無くなった人々も多く出てしまったことも事実ですが、それを境に私達は多くのことを学んだことも確かですし、これらの経験を受け継ぐことで新しい日本人が形成されることも、同時に期待される所です。
 次から次にやって来る出来事に対して、いつも新鮮な姿勢で取り組むことが、宇宙的指令の本質に沿ったことであり、重要な所です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落049

049 So it is with the Song of Creation - each atom of substance is used eternally, now making up a rose bush or a tree; now mingling within man, now in the beast; descending into form and then once more ascending to invisibiltiy; expressing through fire, water, earth and air, and ether finer than man can know; from the coarse pulsation that produces stone to a motion higher than the speed of light; from radiation down into vibration and back again the Primal Essence moves. From the formless into densest matter and back again into the higher state, each atom relative unto all others, cooperating and exchanging places.
049 ですから、物質の原子は創造の歌と一緒に用いられており、今はバラの茂みか木を作る為、また今は人体の中で混合され、あるいは今は獣の中に混じっています。形あるものに降下し、次には再び目に見えない存在に昇華します。炎を通じて、あるいは水、大地や空気そして人が知っている以上の精緻なエーテルを通じて表現されています。また、石を作り出している粗い振動から光の速さより高い運動に至るまであります。放射線から低下して振動に至るまで、そして再び原初の真髄は動きます。形なきものから最も密度の高いものまで、また逆に、より高次な状況にまで、各原子は他の全てとの関連において協力し合い、互いに場所を交換しています。



【解説】
 丁度水面に広がる波紋のたとえがありましたが、伝え来る波によって水は大きく上下し、その受けた波動のエネルギーを精一杯表現します。
 本文は更にそれを個々の原子が時々の指令に従って様々な運動を見せることを、植物や動物界にも展開して行く様を説いています。いわゆる元素の循環とも言えるもので、このことは既に私達も知識としては、十分に学んでいる筈です。
 一つの形あるものに注目してしまうと、それらには始まりと終わりもある訳なのですが、分子・原子レベルで考えれば、それらの構成要素が一つの個体から別の個体、あるいは別の状態に移行したに過ぎないことが分かります。海の波と同じように、その波を形成している多くの水の分子はそこに留まっており、次々にやって来る波を表現しているに過ぎないのです。波を伝える要素は粘性との言える訳ですが、本文ではそれを互いに協力し合うと表現しているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落048

048 Substance is in the process of evolvement; consciousness, in the process of expression. Up and down the vast scale the force moves rapidly into expression, touching one particle of matter, then another - blending the two or more into a chord of harmony, just as the fingers of a man pluck music from the mute strings of his harp. To produce a perfect melody the strings must be set in motion many, many times, making new tonal combinations - now soft and low, now rising to crescendo; one time in rapturous swinging rhythm, then changing to a lingering minor key - all strings awaiting the touch that stirs them to life within the melody. Each string is vital to the total Song.
048 物質は進化の過程に、意識は表現の過程にあります。広大な規模に上下しながら、力は表現に向けて素早く動き、物質の粒子一つ一つに次々に触れながら、二つあるいはそれ以上の粒子を一つのハーモニーの和音に融合します。丁度、人の指がハープの沈黙した弦から音楽を弾き出すようにです。完全なメロディーを作りだす為には、弦は何度も何度も揺り動かされなければなりません。その結果、新しい音色の組み合わせを作り出します。柔らかで低いトーンから、今度は最高潮に上昇します。ある時は熱狂的な律動的なリズムで、次はなごりを惜しむ短調の調子に変化します。全ての弦はそれぞれをメロディーの中で命を掻き立てる演奏者のタッチを待っているのです。弦の一つ一つがその歌全体にとって無くてはならないものです。



【解説】
 ある時は軽快、そして次の瞬間には重厚な旋律を奏でるハープのように生命の根源なる波動はある意味、非常に活発に物質(弦)に作用し、その意思を表現させようとしています。
 この本文に記されているように、物質(弦)は通常は静かに奏者がある旋律の下、その弦をつま弾くまでじっと待っているのですが、そのつま弾かれた音は例え1音であっても全体の音楽には無くてはならない訳です。
 同様に私達は、次にやってくる生命波動に従って、自分の役割を果たすことが重要で、弦自身が音を出そうとするようりは、奏者の指に任せて、その強さに従った表現をすれば良いのです。このようにハープの各弦が各々の役割を確実に果たすことによって美しい音楽が生まれるという訳です。また、一度ハープ自体が著名な演奏家の手によって美しい音声を出すことが出来れば、そのハープの価値は高まることは間違いありません。
 演奏家の手を待つハープの弦のように、スタンバイして、何時インスピレーションが来ても対応できるよう、準備しておく必要もあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落047

047 We know that in the pool of clearest water the first wave that was started, in its passing, gave to the next its force and animation. And that, in turn. imparted added motion unto the following molecules of water. Without the unity of the whole mass no particle could know the primal action. The cosmos is like unto the pool from out whose center flows the rhythmic motion - it is the clear calm sea of undivided consciousness upon whose surface there arises innumerable wavelets of vibration. Each form, in turn, contains the same - beginning with one basic impulse evolving to countless particles of motion, each one attuned unto the primal urge. Again, each tiny central point of action is offspring of the Great Heart of motion. To the understanding of the mortal man these countless points of action are perceived as separate entities within the varied kingdoms. Upon the earth man gives the name of mineral unto the denser substance that he sees; a little higher is the vegetable, and then there comes the animal and fowl, which leads up to the consciousness of man who separates the Allness into parts and draws a line where no such line could be, for through the whole vastness of the Cosmos the Primal Impulse incarnates itself and as the ripple in the pool gave up itself to create something greater, so does each manifested form of each kingdom release itself into evolvement. The innumerable minerals give up their impulse to plant life, the plant, in turn, releases energy unto the higher consciousness of flesh. There is nothing that can live alone, nor any spark of energy destroyed. All impulse lives and acts eternally, passing from form to form and in its passing charges all substance with emotion and creates ripples on the Sea of Being.
047 私達は透き通った水からなる池の中で、始まった最初の波は進む中で隣にその力と行動を与えていることを知っています。また、そのことはそれに続く水の分子に運動を伝達することでもあります。全ての物質の一体性が無ければ、如何なる粒子もその原始の行動を知ることは出来ませんでした。宇宙とはその中心からリズミカルな運動が流れ出る池のようなものです。それは表面に無数の振動するさざ波が起こる、分裂の無い意識からなる清澄な静かな海です。各々の形あるものは、今度は同じものを含んでおり、無数の粒子の運動を展開する一つの基本的な衝動から始まり、各々はその始原なる衝動に調和しています。更に各々の小さな行動の中心は運動の偉大な中心でもあります。死すべき人間の理解にとって、これらの無数の行動の中心は様々な王国の中の分離した実体のように受け取られます。地球に対して人は自分が見るより密度が高い物質を鉱物という名前で名付けますし、より高次なものを野菜、そして次に動物や家禽類等が入ります。これらは人間の意識にまで至りますが、それは全てを部分に分け、本来、そのような区別のあり得ない所に線を引いています。何故なら宇宙全体の広大さの中に始原なる衝動が化身し、池のさざ波のように自身をより大きな何かを創り上げる為に捧げているからで、各々の創造された形あるものは進化の為に自身を解放しているのです。無数の鉱物が植物の命の為に自分達の衝動を捧げ、植物はより高次な肉体の意識にエネルギーを放出しています。独りだけで生きて行けるものは何一つありません。また、破壊される如何なるエネルギーの火花もありません。全ての衝動は形あるものから形あるものに移行しながら生き続け、永遠に行動し、移行する過程で全ての物質に感情をみなぎらせ、実在の海にさざ波を創り出すのです。



【解説】
 海岸に立って波の動きを見ると、太古から現代まで休みなく波が砂浜に寄せ、再び帰す光景に目を奪われます。その波のエネルギーは見渡す限りの海の向こうの目に見えない源泉から源を発していることでしょう。しかし、さすがのその原動力も一つ一つの水の分子の協力が無かったら、このように遠くに届き、最後に陸地にその意図を投げかけることは出来ません。
 外から見ると波は源泉から伝播して来るように思われがちですが、実際には水の分子はその場所で上下運動し、その運動を隣の分子に伝えているに過ぎないことは物理の授業で習った筈です。
 重要なところは、各々の位置の水の塊が順次、波の持つエネルギーを後続のものに100%伝える、言わば波の意思を身を持って伝達しているということでしょう。そしてこのことは本文後半に記されているように、鉱物界から植物、動物界への身を挺した奉仕活動によって生命波動の意思をより高度な世界へ伝達していることでもあります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落046

RELATIVITY
046 Matter manifests as an effect of the Cause impulse that rises from the Word. As a pebble dropped in the center of a still pool will send an impulse through the whole clear mass and stir its farthest boundaries into motion, so was the Primal Substance caused to vibrate by the Cosmic Impulse. And as the nearest wavelets are finer than those at the ultimate extreme so is the substance close to the heart of Creation finer than that upon the outer edge. Each impulse of the Word that has manifested in the realms of matter has evolved into its formed state of being through a primal motion or centralized impulse, out of which grew a heavier motion, swelling to greater perceptibility. The primal frequency goes into expansion without the smallest loss of energy.
相関性
046 物質は大いなる言葉から起こった因なる衝動の一つの結果として現れます。静止した池の中央に落とされた小石はその透明な物体の塊全体に一つの衝動を伝え、その最も遠い境界に運動を促すように、宇宙的衝動によって原始の物質は振動させられたのです。また中心に近いさざ波は最極地のものより精緻であるように、創造の中心に近い物質は外側の縁のものより精緻です。物質界で創造作用をもたらした大いなる言葉の各々の衝動は集中化した衝動の主要な行動を通じて形ある存在状態に進化し、そこからより重い行動、より大きな知覚作用に拡大しました。その主要な振動数は少しのエネルギーの損失もなく、拡張しています。

【解説】
 本項は、私達創造物は、静寂な物質の海にあって根源の生命波動により、揺り動かされて形あるものとして生まれ出たものであり、その波動を体現するものであることを記しています。また、同時に想念波動というものは、これら静寂な物質界に作用して、その持つ意思を実現化するということでもあるでしょう。私達の想念と根源の生命波動の違いはその持つパワーの差であると考えられます。
 同時に本項で例示されている静止した水面上に中心から発した波が周辺に伝播する状況から分かるように、あらゆるもの(即ち宇宙空間に存在する全てのもの)は、悉くこの波動(感動)と同期でき、自らをその表現者とすることが出来る訳です。
 例え何処に居ようとも、波動は惜しげなく伝播され、全てのもの達に同じ内容のメッセージを伝えて呉れる訳です。千手観音の手はあらゆる方向に広がっていますが、そのように救いの手も、これら波動を通じて差し伸べられていると言っても良いでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落045

045 Out of the Primal Essence has come forth, charged with the Power of the Word, the manifested utterance of Cause. The planets, worlds, the moon, the stars and suns, the leafing trees, the song bird and the rain, the beasts, the crawling reptiles and the dew, each in its own tongue expresses the Word. But man has given unto each a Name and it is there that his attention lies. Manifestation has become his God and he has placed the Name above the Word, which nameless is and silent and unseen yet causes all the named things to be.
045 原初の本質から大いなる言葉のパワーを授けられて、因の現れとなる声が生み出されました。惑星、天体、月、星々そして諸太陽、葉を繁らす木々、さえずる鳥や雨、獣達、地を這う爬虫類、草露、それらの各々は各自の表現方法でその大いなる言葉を表現しています。しかし、人は各々の名前を付け、それに自分の関心を置いています。創造物が彼の神になってしまい、人は名前が無く、無音で、見えず、しかも名付けられた全てのものをもたらした大いなる言葉よりも、名前を大切に考えてしまいました。



【解説】
 私達は各自の抱くイメージを伝える手段として名前をつけ、そのことにより、より広範囲に自分達の抱くイメージを伝えることには成功しました。しかし、一方ではその名前にこだわる為に、名前がそれら創造物の上位に据え置くことになっています。
 更に、その創造をもたらした原動力である”大いなる言葉”について、皆目知覚出来ない状況となっているのです。本文では各創造物はそれぞれの言葉で、この大いなる言葉を表現しているとしています。つまりは枝先で鳴く鳥や、その下の茂みでささやく虫も、この因なる生命波動を自覚し、称えているという訳です。日々の散歩の途中でも出会えるこれらのさえずりに対し、私達はその意味合いに気付かなければなりません。
 人間を除く他のあらゆる生きものは自らの生命の源泉に対する忠誠心と生かされていることへの賛歌において、私達の良き手本となっています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落044

044 Little by little man's awareness of that which he encounters expands, and clearer grows his vision till at last his conscious awareness beholds the transcendent Cause behind the Name.
044 自ら出会う中で少しずつ人の気付きは拡がり、次第に自らの視野を済ませ、その意識の気付きを成長させて遂には名前の奥の超越的因を見守るまでになります。



【解説】
 「気付き」や「悟り」というものの意義について、本項は簡潔に記しています。この内容から分かるように、私達はとかくある悟りの一瞬を越えた以降は、全てが分かるようになるものと憧れているかも知れませんが、事実は、物事、少しずつ前進するということでしょう。
 学習が効果を上げるにつれて、私達は自ら名付けた様々な物事に対し、その名称を超えて更なる深部にまで理解を深めることが出来るようになります。全ての物事の背景にはその存在を支える目に見えない働きがあり、それらの活動を見通せる知覚力を少しずつ身に付ける必要がある訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落043

043 The Word has never given forth a Name and never shall, for in such act would lose its endless and eternal state of Being. But Man, to whom free-will and power was given, who slumbers deep and dreams his mortal dreams, has in his waking moments labelled action and given name to consciousness and form. His eyes at first were dim with mortal slumber; he saw but vaguely through the mist of sleep, and only felt the coarsest of frequencies that shaped the holy substance into form, but those he named so he might build a memory of parts to guide his future waking states, for only by such means can he evolve to recognition of Cosmic Allness.
043 大いなる言葉は決して名前を発したことはなく、今後もないでしょう。何故ならこのような行動を行なえば、その終わりのない永遠の存在状態を失うことになるからです。しかし、自由意志と力を与えられ、深くまどろみ、自らの死すべき夢を見ている人間は、目覚めている間、行動にラベルを付け、意識そして形あるものに名前を付けて来ました。その目は最初は死すべきまどろみで霞んでおり、人は眠りの霧の中でかすかに見るだけで、形あるものに聖なる物質を形づくった振動の最も粗いものを感じるだけでしたが、自分が名付けたものに対して、人は将来の目覚めに導く役割を持つ記憶の部品を作ります。何故なら、この手段によってのみ、人は宇宙の全体性を認識するよう進化出来るからです。



【解説】
 そもそも名称(名前)というものが何の為に必要であったかについて、本項は解き明かしているように思います。つまりは人が物事を記憶する上で役立つ集合的なイメージを代表するのが名称であるという訳です。
 私達は一つ一つのものに名称を付けることによって、そのものを記憶しやすく、また互いにイメージを伝達し易くしています。しかし、これらは所詮、音声言語による伝達であり、名称自体もやがては廃れる過程を辿ります。しかし、イメージの本体の姿は永続するのです。
 これら一つ一つの名前は以後しばらくは互いにイメージを伝える糧となっています。例えば、日本語には赤青黄色その他のいわゆる原色の他に、様々な色調を表現した言葉があります。これは色彩の各々を古来の日本人が認識し、名前を付けて来たもので、その数は380色以上と言われています。色彩感覚の繊細さを示すものと言えるでしょう。名称はその人が記憶に留めたいとする中で生まれた一つの道具のように思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落042

THE NAME
042 The Word is changeless, whole and complete. The Name personifies the Word - divides Its vastness into many parts, gives place and form to each and every part and power of utterance in an auditory state. The whirling mass of substance called the Earth is to the mortal ears a mighty name, for on its surface humankind evolves and learns a tongue with which to speak the Name of That which in Itself is nameless, yet Earth shall change and pass away in Time, to reunite within the Cosmos. The Word has always been, will always be, the Name has a beginning and an ending.
名前
042 大いなる言葉は変化することなく、全てであり、完全です。名前はその大いなる言葉を個人化し、その広大さを多くの部分に分割し、各々の部分に場所と形を与え、耳で聞こえる発声の力を与えています。地球と呼ばれる高速で回転する物質の塊は人間の耳にとっては強大な名前です。何故なら、その表面で人類は進化し、それ自身名前が無かった大いなるものの名前を話す言語を学んでいるからです。しかも地球は変化を続け、時間経過の中では、宇宙の中で再統合するため、亡くなります。大いなる言葉は常にあり続け、将来もあり続けますが、名前には始まりと終わりがあるのです。



【解説】
 本項では大いなる言葉と名前(名称)の関係について説かれています。
 大いなる言葉は、天地創造に遡る始原の時から万物を指揮し、創造して来ました。しかし、その創造物は名前が無く、名付ける権利は最上位の創造物である人に委ねられた訳です。
 古来、日本では物事の名前を口にすること自体が、影響を与える程、人の発する言葉の持つこれら潜在能力に気付いていたように思われます。つまり、口に出して音として空間に発するとそれはやがて同種の作用をもたらすという訳です。これは本項の本文でも触れられているところです。
 しかし、これらのいずれもは所詮、物質世界での作用であり、やがては悠久の時間の中では崩壊し、再生される中で、皆失われて行くものと思われます。そうした中で、唯一永続するのは、未だ形を持たない段階の創造主の意思とも言える大いなる言葉であり、その内容は未来永劫変わることは無いと説かれています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落041

041 We must open our eyes of consciousness and view in all Its magnitude and beauty, the living, breathing image of the Word.
041 私達は自分達の意識の目を開いて、その全ての壮大さと美しさの中に生き生きと息づく大いなる言葉のイメージを見なければなりません。


【解説】
 意識(consciousness)は、アダムスキー哲学では特有の意味合いを持っているように思われます。しかし、そのイメージする所は、日本語で言う「意識」と差異は無いと考えるべきでしょう。即ち、著者は私達の日常の意識状態の中に印象や物質を生み出す因を知覚出来る要素があるとしている訳です。
 その意識状態は、従来の目や耳という既存の感覚とは異なる存在であることも重要な所です。即ち、目や耳に頼らずとも意識を拠り所として十二分に生活して行けるということです。これは光の無い深海や地中にあっても様々な生物達が各々の生活を楽しんでいることも、意識を目とし耳としてひたすら印象に鋭敏な生活姿勢をとっていることから分かります。
 私達も、もし真理を知り、学びたいと思うなら、自らの意識状態を観察し、その意識をより具体的なものとして自覚し、それに拠る生き方に切り替える必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落040

040 We, as children of the Cosmos, are in the process of reflecting the understanding of our Source. All action is the echo of the Word as It passes through the vast arcades of space, and in Its passing creates time and form.
040 宇宙の子供である私達は、私達の源泉に対する理解を反映する過程の中に居ます。行動は全て大いなる言葉が巨大な宇宙空間のアーケードを通過する際のこだまであり、その大いなる言葉が通過の際に時間と形あるものを作り出すのです。

【解説】
 実はこの短い本文の中に宇宙哲学の要旨が詰まっているように思えます。
 私達は自らの源泉を探求し、理解する為に生きていると言えるでしょう。この究極の目的は「真理」を知るということ、仏教では「悟り」を得ることにある筈です。それは独り哲学のみの分野ではなく、物理や化学、生物学に限らず、あらゆる分野に当てはまる訳です。芸術家は自ら受けたインスピレーションを楽譜やカンバスに再現しようとするでしょうし、哲学の学徒は文章でその世界を陳述する筈です。
 これらの行動はいずれも本項で言う「偉大な言語は空間を通過した際に生じる波動を表現したもの」と言うことが出来るでしょう。
 自ら印象に従った行動を継続することが出来れば、それは本人が宇宙的生命の源泉から発せられる波動を表現していることとなり、自ら進んで生命を体験していることにもなるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落039

039 And every unit in the whole of Being, each atom and each spark of consciousness reveals without a mark of limitation, if we but seek its heart, the perfect image of Infinity. And each of the little passing points of action which we in earthly terms have labelled time, speak within the moment of their being the fullness of Eternity. Just as the drop of water from the ocean reveals the character of that from which it came; and every sunbeam traveling through space reflects the composition of the sun and revibrates the image of that orb in all of the glory of its full expression.
039 そして大いなる存在全ての中の一つ一つの単位である各々の原子と各々の意識のスパークは、もし私達がその本質を求めさえすればその永遠に関する完全なイメージを一点の制限もなく、私達に明かしてくれます。そして私達が地球的な用語として時間と名づけた行動の小さな通過点はそれらの存在する瞬間の中で永遠の全てを語ります。丁度、大洋の水の一滴がそれが来たったものの特徴を現し、また宇宙空間を旅した太陽光線の一つ一つが太陽の構成物を反映し、その球体のイメージをその完全なる栄光の表現の全てにおいて再現するようにです。

【解説】
 私達が探求しようとしていることの本質は、原子にまで遡る物質の極限、物質と精神(意識・想念)との関わりにあるように思われます。本項はこうした物体の行動を宇宙普遍、物質を貫き統制している永続的法則が動かす一瞬の姿として捉えています。
 私達はこうした活動の中の一点、一瞬に過ぎません。しかし、その限られた要素ではありますが、宇宙の本質的要素には全てが含まれているというのです。丁度、どんな小さな水滴からでも太陽が当たる時、虹色に輝く宝石を見せるのと同様です。質を表すのに大きさは関係ないという訳です。
 必要なことは、周囲のあらゆる事物をその一瞬一瞬の活動の側面として見ることで、その中に宇宙的作用、宇宙的意識を知覚することです。「一期一会」の出会い、宇宙的創造作用の学びの場とすることが出来れば最高です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落038

038 Each form that with our mortal eyes we view is but a point of action in the whole - a minute bit of elemental substance moving to ever changing patterns and designs; impelled and impregnated with all-abiding consciousness. There is no tiniest unit in the Whole that does not bend an ear to the Law which Fathers it and causes it to be. And all that we perceive with mortal eyes and know with our consciousness is but the effective image of the Cause Intelligence, which formless is, yet causes forms to be; which knows no limitations and no bonds yet creates transient dense conditions that move and change within the bosom of incomprehensible Eternity.
038 私達が肉眼で見る個々の形あるものは、全体の中の一点の活動でしかありません。絶え間なく変化するjパターンとデザインに移行する基本的な物質の小さな小片であり、全てを永続させる意識によって促され、受胎されたものです。全体の中でそれを生み出し、そうなる原因を成す法則に耳を傾けないものは如何なる微細なもの一つとしてありません。私達が肉眼で見、そして私達の意識で知るもの全ては、形なきものであるが、形あるものを作り出す因なる英知の結果としてのイメージに過ぎません。その因なる英知には制限も制約も無く、しかも無限の永遠の胸の中で移行し変化する過渡的な密度状態を作り出しているのです。



【解説】
 おそらく何十年と毎日の自分の姿を写真に撮っていれば、年月とともにご自身が変化して行くのが分かる筈です。植物も同様、季節の変化に応じて若葉を出したり、紅葉の葉を見せてくれます。このように変化するのが万物であり、私達の目はその変化の中の一瞬を見ているに過ぎません。
 しかし、自身の姿の変化の例でも分かるように、これら外見は変化しても、その内側の自分自身は何ら変わることはありません。幼児期から今日まで同じ自分である訳です。更に言えば、これらの変化は内なる因の指令に基づいて生じている訳で、一刻一瞬ともにそれら生命の基本的法則に拠らない活動はありません。
 私達は物質の世界、結果の世界では絶えず変化の過程にありますが、その内側、目には見えない実体の部分では常に変わらず、因との関係においては因の表現者としての役割は不変であり、未来永劫継続するということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落037

037 This planet earth that we call our home was brought into its present state of being through that cosmic law of affinity, the great magnetic principle of attraction, and all that therein grows and multiplies is of the one and only Cosmic Power.
037 私達が母国と呼ぶこの地球という惑星は、親和の宇宙的法則、偉大な磁気的引力の法則を経て、今日の状態になりました。そして地球の中で成長し繁殖する全ては、唯一無比の宇宙的パワーによるのです。

【解説】
 本項の内容を良く理解しているのはアメリカ・インディアン、その他日本のアイヌも含めた、いわゆるネイティブと呼ばれる民族でしょう。私達日本人もかつてはそのような認識の下、日々の生活が営まれていたようです。
 大切な点は、私達各自の認識を私達を生み出し育んでいるこの惑星に感謝し、その源である宇宙根源の生命波動を敬うことだということでしょう。
 既にこの文明においても地球環境というような地域を越えて惑星レベルの視野を持つ視点が芽生えており、後はこうした観測データから私達が各自の生活との関連性を自覚することが残るだけとなっています。
 言い換えれば、既に私達は母である惑星の今後を左右する程の影響力を有しており、母体は病んでいると言うこともできます。私達が今必要なのは、そうした病んだ惑星をいたわり、より健全な状態n戻すよう、私自身の生き方、生活の仕方、そして何よりも日々の想念のレベルを改めることです。「地球に優しい」という言葉の背景には、本項のような母なる大地、全ての地上の創造物の母である惑星への慈しみがあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落036

036 Oh, Son of God and Son of Man, lift up all things within your sight; let your heart make known that which the sight doth not reveal and from the womb of Cosmic Cause which is the source of all creation awaken into the birth of a Magnificent Perception. Awaken into the realm of true Being. Let the strong fingers of your will draw you again into full consciousness. Rise from your earthly couch of slumber and perceive the beauty of your present Existence.
036 ああ、神の息子、人の息子よ、あなたの視界にある全てのものを高揚させなさい。あなたの心に視覚は真理を現さないこと、そして全ての創造の源である宇宙の因の子宮から壮大な知覚の誕生が覚醒されることを知らしめなさい。真実の存在の王土の中に目覚めることです。あなたの意志という強い指であなた自身を完全な意識の中に再び引っ張り入れることです。あなたの地球でのまどろみの長椅子から立ち上がって、あなたの現在の存在の美しさを知覚することです。

【解説】
 こうして一日一日、本文を読み込み、著者が執筆に当たってイメージしていたものを理解しようと努めている中で、最近ようやくそのイメージが掴めるようになって来たように思われます。その内容は原子物理学にまで遡る人間の感受性・洞察力の育成でもあるようです。先日もノーベル賞で素粒子であるニュートリノの研究が評価された訳ですが、それら素粒子の活動も私達が推進している感受性の守備範囲であるように思われます。想念波というものがそのような素粒子の活動と近いか、そのものであるかも知れません。私達の洞察力とは、これら証明という過程を経らずとも、瞬時に理解するものでもあるのです。
 本項では私達の肉体の既存の感覚が伝えきれない精妙な領域こそ重要であり、そこに私達の原点があると説いています。全てはそのことに帰着するということでしょう。私事になりますが、実家の宗派日蓮宗では何かと「妙」という言葉を大切にしているようです。戒名やお経の中にも度々その言葉が出てきますが、そもそもこれもこの宇宙創造の実世界が精妙なる性質を持つことを理解してのことかと考えています。身の回りの世界をよく観察する中で、その「妙なる」仕組みを学ぶことが重要だということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落035

035 And this creation, highest of them all, was known as Man, born out of That which has no ending; given dominion, consciousness and love and power over all the lesser things. But he descended into depths of sleep, became unconscious of the vaster kingdoms, forgetful of the Glory that exists and dreamed, instead, into existence, the changing image of mortality.
035 そしてこの全てのものの最高位の創造は人として知られ、終わりなきものの中から誕生したものとして知られました。それは全てのより下位のもの達への統治、意識と愛そして支配力を授けられました。しかし、人は眠りの奥深く身を落とし、広大な王国を自覚せず、存在し夢に描いた栄光を忘れてしまい、代わって移ろい行く死すべきイメージを存在させてしまいました。


【解説】
 私のような年代になると、これまで歩んで来た人生を時々、振り返ることも多くなるものです。その中で幼年期の断片的記憶も時に懐かしく、既に亡くなっている肉親との思い出も甦るものです。しかし、一方ではこれら全ての記憶の主人公である自分は何一つ変わることなく、今日に続いていることにも気付くものです。外観は変貌しても、自分という存在に変わる訳ではないのです。
 更に進んで、この私という身体内部の存在は、肉体が活動を停止しても、更に続くというのが本項の説くところです。既にイエスはじめ多くの先人が死後の復活について自ら証明する「奇跡」を見せていることは、皆様ご存知の通りです。また、前にも何処かで述べましたが、自然界の動物達は生きている間は皆精一杯生き抜こうとしますが、避けられない死を前にした時は実に潔いように思うのは私ばかりではないと思っております。
 そこには肉体の死後、更にその生命活動の流れは何処かに引き継がれ継続するという揺るぎない信念があると考えています。それ故にかくも堂々と死を向かえるのです。しかし、一方で本項の表現のように長く惰眠の中で過ごした者は、迫り来る死に直面して初めて自らの学習内容の不備に気付くのではないでしょうか。私達も他惑星に転生出来るレベルに到達する為には、自ら精進を怠ることは出来ません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落034

034 Out of Cosmic Cause are worlds and planets whirled into existence; out of such formless beauty has evolved form upon form until at last there came one form so perfect in its geometric pattern that it possessed the possibilities of understanding Cause. And so into this form was poured the Breath which speaks the rhythm of creation into being, and it was given power to perceive all existence; and it was also blessed with power to name that which before had been but nameless.
034 宇宙の因の中から、諸天体や諸惑星が渦を巻いて誕生しています。このような形の無い美しさの中から、次々に形が進化し、遂にあまりにその幾何学的パターンが完全である為、因を理解する可能性を持った一つの形あるものが出現しました。そしてこの形あるものの中に創造のリズムを語る大いなる息吹が注ぎ込まれました。そしてその形あるものは全ての存在を知覚する力を与えられたのです。そしてその形あるものはまた、それ以前には名前が無かったものに名付ける力を授かったのです。

【解説】
 本項では創世記の記述を宇宙的視点からより具体的に説いています。惑星誕生後、数々の生命が生まれ、進化の過程を辿りました。その結果、最終的には人類という最も理想的な形を持つ存在が生まれたと本文で記されています。
 このことは、地球の各地で太古から生命の進化の痕跡が見られ、化石も多く発見されている訳で、私達も十分、その歴史を学ぶことが出来ます。地球は万物創造から今日に至るまで、進化の歴史を体験しているということでしょう。
 そして最終段階として人類が誕生したという訳です。「2001年宇宙の旅」ではそのきっかけを宇宙的知性の象徴として描かれた石版に触れた猿人から進化したことを示したことは皆様ご存知の通りです。実は私達にとって重要なことは、本文にあるように、この惑星における私達人類の位置づけをよくよく認識することです。あらゆるものを理解し、その創造の目的を認識出来るが故に、万物を名づけ、支配する権限が与えられたというところが大事なところです。いわば創造物の管理一切を委任された存在でもあるということです。それに相応しい自分であるか否か、改めて問う必要があるように思います。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落033

033 Creation as a whole makes up the song that rises and falls in its impassioned cadence, expressing in the glory of calm Silence all that the Word has been, is, and shall be; voicing with soundless sounds and formless beauty the pulsing force that blends and inter-blends into new rhythms. The Breath of the All-Creative Intelligence is sent forth in peaceful, silent tones of consciousness and in the womb of illimitable space each new creation stirs with quickened life and becomes another true note in the endless Song of Action.
033 創造作用は全体としてその感動的な抑揚の上げ下げのある歌を作り上げ、大いなる言葉がかつてそうであった、また現にそうであり、未来もそうであろう静寂な沈黙の栄光の中で、音無き音と形無き美しさで新たなリズムに融合し、再融合する脈動する力を表現しています。全ての創造的英知の息吹は平穏で無音の意識の抑揚の中で発信され、無限の空間の子宮の中でそれぞれの新たな創造が奮い起こされた生命とともに起こります。そして終わり無き行動の歌の中でもう一つの真の調べとなるのです。

【解説】
 目を閉じ耳を塞いでもなお、私達に語りかけ、印象によって様々な指示を与えるのはこの宇宙的な生命力というものでしょう。無言の印象ではありますが、それこそが宇宙創造の根源力だという訳です。
 過去の偉人達は、それを悟り、その存在を後に続く者達に語り継いで来たのではないでしょうか。
 時々の言葉で表現されたこの存在は、時には「空」と呼び、またアダムスキー氏は「宇宙意識」と呼んだものと思われます。重要な点は、これらいわば五感には感じ取られない印象レベルの作用が実際の創造的力を発揮するということです。「沈黙の世界」は決して何も無い世界のことではなく、そこには大いなる言葉、強烈なる印象が働き、満ちているという訳です。
 日常、このことを如何に理解し、実感して生活するかが重要な所で、そうする過程で印象の感受力、即ちテレパシー能力も自ずと高まることになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落032

032 Were it possible for any of the Cosmic vibrations to unite contrary to this Primal Law and cause a discord in the mighty paeon their span of such expression would be contained within one moment's quivering vibration, for discord cannot last within the Whole whose very fact of being rests upon the immutable law of harmony. There is no loss of equilibrium within the scope of Cosmic Rhythm that shall not be again absorbed and reunited into Wholeness. For nothing can break the Melody that has forever throbbed within the Heart of That which is, Itself, Infinity.
032 仮にその宇宙的振動のどれかが、この基本法則に反して結合することが可能であったとしても、また、その力強い音節に不協和音をもたらしたとしても、それらの表現の範囲は、一瞬の震える振動の中に封じ込められることでしょう。何故なら、その存在の事実そのものが不変調和の原理に基づく全体の中では、不協和音は継続することは出来ないからです。宇宙的リズムの中では、再び全体性に吸収され、再統合されないような均衡の喪失はありません。何故なら何物もそれ自身、即ち永遠の中心で鼓動しているメロディーを壊すことなど出来ないからです。


【解説】
 要は悪事は長続きしないということです。圧倒的な存在である宇宙的調和波動に対し、それにそむくような如何なる種類の波動も永続することは出来ません。またそのような誤った波動や不協和音自体、それらが引き起こす自然界の作用によって、因果応報その発信源もやがて駆逐されてしまう筈です。
 よく言われることに、上達の秘訣は闇雲に自ら頑張るということではなく、自分というものを無くして、その場その時のインスピレーションに従って行動し、その行動の中に奉仕する歓びを味わうというような趣旨の表現があります。
 この宇宙に響く調和の旋律に従って自由自在に行動することが理想です。丁度、お花畑を乱舞する蝶達のように、自由活発に行動する姿を創造主は喜ばれるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落031

031 Greater and greater the Heart of Space was stirred until at last the Song was breathed into a living thing. Each motion as an elemental tone within the mighty symphony and every tiny particle of substance was tuned into accord with every other unit in all space. And thus the impulse of Cosmic Will became a law that ne'er can broken be within the scope of everlasting action. (This Law involves the principle of true affinity.)
031 大きく、また更に大きく宇宙空間の中心は揺り動かされ、遂にはその大いなる歌は一つの生けるものに吹き込まれました。その力強い交響曲の中の基本的な調べの中の一つ一つの運動と、物質の一つ一つの微粒子は全宇宙のあらゆる他の単位と調和させられたのです。そしてこのようにして、宇宙の意思は永続する活動の範囲の中で決して壊れることのない一つの法則になったのです。(この法則は真の親和性の原理を含んでいます)

【解説】
 丁度、砂場で採った砂鉄が紙の下に置いた磁石に引き寄せられ、紋様を描くように粒子一粒一粒がこの宇宙の旋律に同期し始めることとなったと述べられています。
 また、一粒一粒の粒子がこの宇宙的波動に同期し互いにも影響を与えることになる為、一度大宇宙に浸透した基本リズムは永久に継続されることになります。
 私達が日常的に表現する宇宙的調和とは、このことを指しているのです。即ち、宇宙空間に存在する全ての構成物がこの一大法則に身を委ねている訳です。宇宙には善なるものしか存在できないという訳は、仮にその旋律から外れたものが生じたとしても、それらは長続き出来ず、やがては本来の宇宙的旋律に吸収、凌駕されてしまうのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落030

030 Throughout all space the Word reverberated; It set in motion all the Primal Essence until the whole span of Infinity swayed to the Heart-beat of the Mighty Oneness. Rhythm on rhythm rose and fell in one great undivided harmony, for deep within the bosom of the Word there surged the wondrous Love Song of Creation.
030 全宇宙にその大いなる言葉が鳴り響きました。無限の広がりの中でその力強い一体感の鼓動に従って揺れ動くまで、それは全ての基本的存在を揺り動かしました。律動に次ぐ律動が起こり、また過ぎ去りました。何故なら、大いなる言葉の胸の奥深く、創造の素晴らしい愛の歌が沸き上がったからです。



【解説】
 創世記に「神が光あれと言われた」等々の記述がありますが、本項もこれと同様に万物創世の時の状況を記しています。
 現代科学では今のところ「ビックバン」と称していますが、いずれにせよある時を発端として宇宙が造られたと解釈できることは間違いないでしょう。重要なのはその発端が本項で記されているような大いなる言葉が空間中に響き、素粒子から物質、物質から事物へと具体的な創造作用が始まったということです。
 最初は激しい造山活動であったりした訳ですが、やがて調和的な旋律が湧き起こり、宇宙全体を貫く今日の生命活動の源になったという訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落029

029 Virgin was this creation in the image of the Word, and filled with all the power of pure wholeness, for it was but one great united form, the body of Cosmic Cause whom we in reverence have called "The Word."
029 乙女とはその大いなる言葉のイメージに創られた創造物でした。またそれは、全ての無垢な完全さの力に満ちていました。何故ならそれは一つの偉大な形、私達が敬愛して「大いなる言葉」と呼んで来た宇宙の因の肉体であるからです。


【解説】
 人間は創造主の似姿であるとは古来から繰り返し言われてきた言葉です。人間誰しも幼年期はかわいらしく、また素直であり、この世に存在すること自体に喜びを感じ、表現しています。また身体も柔軟であり、日々成長する等、創造の息吹、生命の活動を身体全体で表現しています。
 本文に記されている乙女の姿はその究極の美の表現でありましょう。大いなる言葉の持つ創造力が完全な形で表現されたのがその姿であるという訳です。
 同乗記の中に多くの他惑星人がそれぞれ地球人から見れば類まれなる美しい人達であることや千年を超えてもなお若々しい長老のお話が出てきますが、宇宙哲学を学び身に付けた彼らにとって、美は自身を表現した結果であり、長年の精進の結果、形づくられる姿形であるのです。
 もちろん私達は表面上の形や色だけで物事を判断することは出来ませんが、長年の内面浄化の結果は人の表情に現れることは間違いありません。私達は毎日のように自身の内面にあるものを自身で表現しているからです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落028

THE WORD
028 In the beginning there was but the Word: no mortal mind can know the Word in full for it contains all knowledge and all Power, and only that which is Itself the Word can know or understand potentially. But through a mighty action the Word was imaged into primal form; in form so fine that only Cause could know its attributes or view its being. It incarnated through the whole of substance and impregnated all matter with Its presence till in the place of a tremendous void there grew the second or the form-creation.
大いなる言葉
028 原初は大いなる言葉のみがありました。如何なる人の心もその大いなる言葉を完全に知ることは出来ません。何故なら、それは全ての知識と全ての力を含んでいるからであり、大いなる言葉自身がそれを知り、理解し得るからです。しかし、ある壮大な行為を通じて、大いなる言葉は最初の形態に描かれました。それはあまりに繊細で、因のみがその性質を知り、あるいはその存在を観ることが出来ました。物質全ての中にその存在が宿り、そしてついには巨大な空虚の場所に第2の創造、即ち形あるものの創造が生じました。



【解説】
 本項で著者は万物創造の経緯を解説しています。
 まず最初に「言葉ありき」とは旧約聖書の一節を引用しています。私達はこの「言葉」なるものの本質について十分知るものではありません。日常、私達が用いている言葉とは、何かの事象か事物に対して名づけている抽象的なイメージかと思いますが、それと同様のものが宇宙創世の時期に存在したという訳です。その「言葉」と呼ばれる存在の中に全ての知識と英知が詰まっていたと説かれています。日本古来から伝承される「言霊(ことだま)」についても同様な意味があり、人が発する言葉の持つ実現力に注目した概念も含まれているものと思われます。
 次に創造の第二段階が始まり、今日的には素粒子等と呼ばれる極微小な粒子が生成され、その後、第二段階として宇宙空間において具体的な創造活動が進められたとしています。
 つまりは宇宙創造の起源がこの言葉に遡ると説かれている訳です。これら大地の創造活動は今、日本列島の地下でとりわけ顕著になっており、各地で火山活動が活発化しています。これらは私達の目の前に現れた猛々しくも力強い創造作用と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落027

027 From action to action you pass like a great shuttle weaving new patterns - on the loom of Eternity weaving a pattern of beauty called Life. The fine silver thread which you use is Cosmic Consciousness, binding together each stitch in true lines of perfection; creating in patient evolvement the unified Love Mantle of All. Each thought and each conscious emotion weaves the Pattern of exact direction, in time uniting the parts and the Allness, absorbing the All in the One.
027 行動から行動へとあなたは新しい模様を織る大きな杼(ヒ)のように過ぎ去ります。あなたは永遠という織機の上で生命と呼ばれる美の模様を織っています。あなたが用いる細い銀の織り糸は宇宙の意識であり、それは極致の真実の線の一つ一つの編み目を結び付けています。そして辛抱強い進化の内に、全てのものに対する統一された愛の外套を造り上げます。想念の一つ一つ、意識的な感情の一つ一つが寸分たがわぬ方向に模様を編み進め、やがては各々の部分と全体とを結合させ、全てを一つに吸収させるのです。



【解説】
 私にとってこの「宇宙哲学」の中で最も好きな文章が、本項の表現です。
 一日一日、一瞬一瞬の行動が機織の杼(ヒ)のように織物の一筋を織り上げて行くと著者は私達に説いています。
 その時、自分(即ち「杼」)にとっては、自分が何を織り上げようとしているのかは分からなくても、一瞬一瞬を因なる指導の声に従って行動を続けて行けば、後になって自分が織り上げた紋様の素晴らしさが理解できるというものでしょう。
 大事なのは折り続けること、行動し続けることです。途中で杼(ヒ)を止めては織り機が中断し、物事が完全に成就しないまま捨て去られることにもなるからです。
 果たして生涯の間で天命とも言えるような織物を自ら完成させることが出来るかどうかは本人次第ということになります。
 織物は一糸ずつ縦糸と横糸を組み合わせて造り上げられますし、それは人生の成果にも繋がります。デザイナーである宇宙の因の指示の下、心身を整え、他者と協力・協調して一歩一歩成果を積み重ねること、そんな象徴が織物の中に秘められていると著者は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落026

026 Always you are One, you are All, as a centralized point of Being. Undying, unchanging - the Consciousness, Cause, and the Action - evolving, transmuting a form to a unified state of awareness.
026 存在の集中化した一点として、いつもあなたは一つであり、全てです。あなたは不死、不変の意識であり、因であり、また進化し、一つ形あるものを統一化された知覚状態に変える行動なのです。


【解説】
 私達自身、自分をどのように観るかはとても重要です。ここでは、ある特定の目的の下に集中したもの、変わることのない宇宙的意識体が集中した活動する本体として、自分があると説いています。この人体という集約物は創造主が望む活動を物質世界で実現・行使するため、創られているといっても良いでしょう。
 やがてはその身体も擦り切れ、年老いて生命活動を維持することが出来なくなる訳ですが、その本質・本体の歩みは止むことなく、次の肉体に転生し、永続して行くと説いているのです。
 時々の出会いにより歩みの方向は変わることもあるでしょうし、問題にぶつかって足踏みする期間もあるかも知れません。しかし、重要なのは私達が各自これら壮麗な道程の中で、宇宙知性の集約物として生き続けるという自覚です。人生の歩みは永遠であるとの視点に立って、急がずその本質的視点を忘れることなく、自らの心身を精化させ続けることを著者は私達に求めているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落025

025 Look forth from these eternal heights, from the heart of your unified being; look down towards the plains of desire where your destiny finds its fulfillment. Look closely and firmly perceive that the break which you one time envisioned is nothing but mortal illusion; that there is but the unified whole.
025 これら永遠の台地から、そして一体化したあなた自身の中心から前を見なさい。あなたの運命がその成就を見い出す望みの平原を見下ろしなさい。よく見て、あなたが一時、心に描いた割れ目は人の思い違いであること、そして一体化した全体のみが存在することもしっかり気付きなさい。



【解説】
 山の頂から眼下を見れば、これまで辿って来た道程やこれから歩む行程がどのようなものであるかが良く分かります。人生行路の中、自分がどのような歩みを辿って来たかは、この高い視点から眺めることが出来ます。
 ここで著者が私達に示したいのは、人の死、即ち「割れ目(break)」が、実際には生命活動が途切れることではなく、それはあくまで心から見た現象であり、この永遠を見渡す台地から観る限り、人生は永続するのだということでしょう。
 丁度、至仏山から尾瀬ヶ原を通る木道の行く末を眺めるように、私達の人生行路は遠い先まで続いているということでしょう。そうした中、自らが望む方向の先には、その望みの実現への出会いもあり、各々自ら望む通りの道を歩むことになります。そしてその中で重要なことは、それら全てが統一された宇宙の中で行われているということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落024

024 Sit here at the center of all and look out on your flux of expression. As the moon to the vision of man passes through all the various phases yet remains still an orb complete without change or point of division, so you through your phases shall pass; mortal eyes shall see change and division yet you are a circle complete - you're endless, eternal, abiding.
024 全ての中心であるここに座って、あなたの絶え間ない表現の変化を見渡しなさい。人間の視覚にとって月は様々な位相を通じて変化しますが、それでも変化や如何なる区分けも無く、それは完全な球体のままです。あなたも様々な位相を経ることでしょう。死すべき肉体の目は変化や区分を見るでしょうが、それでもあなたは完全な円(まる)のままです。あなたは絶えることなく、永遠で不変です。


【解説】
 先日(2015年8月)、Wayne Dyer(ウェイン・ダイヤー)氏が亡くなりました。氏は幼い頃、家庭の事情から決して幸せとは言えない生活を送っていましたが、やがていくつかの転機の中、成長され大学教授にまでなった方で、いわゆるアメリカのスピリチュアルの騎士として長らく活躍されて来ました。その彼も遂には病に倒れ、遺骨はハワイ・マウイ島の海に散骨されたとのことです。その氏の最期の言葉として、"couldn't wait for this next adventure to begin and had no fear of dying"(自分はこの次に始まろうと待っている冒険が待ち遠しい。死に恐れは無い)と述べていたとされています。
 私達、形あるものは全て変化の過程にあり、月の満ち欠けに似ている訳ですが、それでも私達自身の本体は月がその球体のまま存続するように永続するということでしょう。肉体はやがては寿命が尽きるものですが、私達自身は永続する存在であることをよく認識して置くようにと本項は諭しているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落023

023 Time is the instrument used to measure the movement of Beings - the element action creates in its path from the formless to the formed. In Eternity always you are, but in time you're unstable, inconstant.
023 時間は存在物の運動を計るために用いられる道具であり、その基本的作用は形無きものから形あるものへの道筋の中で、創造的な働きをします。永遠の中ではあなたは常に居ますが、時間の中ではあなたは不安定で変わりやすいのです。

【解説】
 著者は時間というものは、何かあるものの運動を測定する手段に過ぎないと説いています。即ち、時間への束縛を取り去れば、もっと基本的な姿が見えて来るということでしょう。そこにはあらゆるものの活動が形を持たない「無」や「空(くう)」という状態から、形あるものに移り変わって行く姿が見える筈だと説いているのです。
 丁度、一見何もない空から雲が湧き、雨を降らせるのと同じく、全てのものが「形あるもの」、「創造物」へと転身する過程の中に生きて居る訳です。
 確かに一度これら「形あるもの」になってからは、それらは一定程度の過程の下、やがては形を失って行く訳ですが、それも再び同様のサイクルの中に生き続けるのです。これを一つ一つの個体に目を囚われれば、変化の中にあるのですが、視野を広げ、自我の枠を超える視界を持てば、この生命活動は永続していることを理解出来るというものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落022

3. THE MAGNIFICENT PERCEPTION
PRELUDE
022 The roll of the tides and the waves and the rising and setting of suns, the whirling of atoms and worlds are all tuned to the Cosmic Plan yet are subject to time and to space.
第3章 壮麗なる知覚
序章
022 潮汐や波のうねり、太陽達の出や入り、原子や世界の旋回は全て、宇宙の計画に調律され、しかも時間と空間とに従属しています。

【解説】
 個人的には本章が宇宙哲学の中で最も優れた箇所ではなかろうかと思っています。広大な宇宙をどのように知覚すべきか、著者は自らの視点・観点を私達に例示しているのです。
 大は太陽や惑星、小は原子の回転に至るまで、あらゆるものが活動の状態にあり、調和した中で動いていると著者は説いています。もちろんオーケストラ同様、調和する為には全ての旋律を頭にイメージ出来ている一人の指揮者が居て、各々の演奏者に指示を出す必要がある訳で、それが「宇宙の計画Cosmic Plan」なのだと私達に諭しているということです。
 一方ではこうした活動を続ける私達はまた、時間や空間の中で暮らしており、各個体は活動を永続出来る訳ではなく、変化・変遷の過程にあるということでしょう。最近の天文学でも星の寿命もあるとされており、文字通りライフサイクルの中で生きて行くことになります。
 私達は何故かは未だ知らないにせよ、一大調和した宇宙の中で他の構成員と共に生きており、先ずはその世界の壮麗さを十分に知ることが最も大切だと言えるでしょう。

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