テレパシー 第3部 第4章

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落388

388 May God bless you. May this course become You. For then you, the Prodigal Son, will have returned home to your rightful inheritance . . . one with the Father.
388 神の祝福があらんことを。この講座があなた自身になりますように。何故なら、その時、放蕩息子であるあなたは、あなたの正当なる相続財産の待つ自分の家に戻っているだろうからです。父と一体になって。

【解説】
 著者アダムスキー氏はこの講座を終結するに当たって、私達にこの講座が私達自身のこれからの生き方そのものになるよう、また多くの祝福があることを祈っています。
 テレパシー能力は単に一部の予知や遠隔透視の能力が高まるだけのものではありません。それは人間の生き方の根本に関わる内容であり、私達自身のこれまでの考え方や信条を根本的に見直し、改革する内容を含んでいます。
 また、ここで注目して置かなければならないのは、これら能力は目指すべき理想として説かれているのではなく、他惑星人においては日常的な能力、誰にも備わった極く自然の能力となっていることです。この長い年月、混迷を続け、争いに明け暮れていたこの惑星にとっては、そこのステージに到達することは容易なことではありませんが、一人一人が自らを進化させられれば、やがて先進的惑星文明にも近づくことが出来る筈です。そういう意味からも毎日の一人一人の心境が如何なる状態に保たれているかが重要なところです。皆様のご発展を心より願うものです。
 本項で、第2集目の「テレパシー」講座が終了しました。
 次回からは、第2集目の「宇宙哲学」講座に入る予定です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落387

387 We all make mistakes These are part of our experiences. Do not be discouraged, for we have centuries to undo; so be grateful for even a small crumb that might become an integral part of you. The difference between a wise man and a fool is -a wise man learns from his mistakes, and never repeats them; while the fool keeps repeating the same mistakes.
387 私達は皆、過ちをおかします。しかし、これらは私達の経験の一部なのです。がっかりしないで欲しいのです。何故なら、私達には元に戻す為に何世紀もかかるためです。ですから、些細な手足の曲がりについても、それがあなたの総体の一部になることに感謝することです。賢い者と馬鹿者との違いは、賢い者は自分の過ちから学び、二度と繰り返しませんが、一方、馬鹿者は同じ過ちを繰り返します。



【解説】
 テレパシー能力の開発についても、私達は各自自ら学び取って行かねばなりません。もちろんその中には、誤った対応や失敗も数多く経験する筈です。しかし著者は、そんな私達に時間は十分にあるから心配しないようにと諭しています。誤りの原因を研究し、その痛い経験から学ぶことの重要性を説いているのです。
 よく継続することが大切だと言われますが、テレパシー能力についてもそのことが言えます。私自身もこれまで何十年とアダムスキー哲学に惹かれた多くの方を見て来ました。しかし、その多くの方々は最初の熱狂的な資料収集、知識の獲得が終わると、後は大抵興味が薄れ、また違った情報の発信者の方に移り去るケースも多いように思われます。
 実はテレパシー能力の開発等については、全くの個人の実践努力の占める割合が大きく、本来は実践の中で失敗から学ぶケースが多い分野ではないかと考えています。自分が日常保持する「心境」が現実生活にどのような影響を及ぼすかは本人しか分からない事柄です。その試行錯誤を積み重ねる中で、より良い方向を学んで行くのが私達本来の人生航路ということになります。
 著者アダムスキー氏はテレパシー講座の終わりを前に、私達に今後は自らの判断で失敗をも糧をしながら、進化の道を歩むようにと諭しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落386

386 Impatience is a major cause of unbalance in our lives, and interferes when impressions are coming to us. Our zealous desires often inject our own sense ideas in place of waiting for the full thought; and we distort the true meaning of the impression. Logic tells us to be patient and observant. We should learn to obey logic from the Cosmic angle.
386 せっかちが私達の生活の中の不均衡をもたらす主要な原因ですし、それは印象類がやって来た時に介入します。私達の熱狂的な願望は、しばしば本来の完全な想念まで待つべき所に、私達自身の感覚のアイデアを注入してしまうのです。そして私達は印象の真の意味をゆがめてしまいます。道理は私達に忍耐強く、またよく観察するよう教えています。私達は宇宙的角度から道理に従うことを学ばなければなりません。



【解説】
 想念・印象の感受に関してアダムスキー氏はよくジグゾーパズルの例を説かれています。本項についてもそのイメージを掴むことが出来れば、著者が伝えたい内容が分かります。
 即ち、想念・印象は一度に全てが与えられるという訳ではないようです。心にとってはバラバラなイメージとして断片的なものが送られて来るという訳です。全体像はこれらの断片を本来の位置に配置することで明らかになるのですが、それが判明するまでは、ひたすら冷静に待つ他ありません。そこに心の忍耐が必要になる訳です。他方、これに対し、せっかちにこれまでの心の延長で結論を急ぐのは賢明ではありません。最初の内は、未熟な心が十分な機能が無く、時間もかかるように思われます。
 しかし、心が落ち着いて、ジグゾーパズルのようにこれら断片的な印象イメージを繋ぎ合わせることが出来るようになれば、早晩印象本来の全体イメージを掴むことが出来る訳です。この点において私達は短気であってはいけないのです。高速で私達を通過する想念・印象はパルス状の信号として私達はその断片を把握する為、このような状況が生まれるものと思われますが、やがて心の能力が高まれば、このような高速度の信号を一度に多量に捕捉できるようになり、理解も早まることになるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落385

385 Mind is but the medium between matter and Intelligence that associates the two for manifestation. The sense-mind is a minute part of Cosmic Mind. If the sense-mind hopes to be the recipient of Cosmic knowledge, it should not try to recreate, or change, the information given to it by feeling, or consciousness.
385 心は物質と英知の両者を創造のために結びつける媒体でしかありません。感覚心は大宇宙心の極小な一部分です。もしも、感覚心が宇宙的知識の受取人になりたいと望むなら、感覚心はフィーリングあるいは意識によって与えられた情報を再形成したり、変えてはならないのです。



【解説】
 これまで私達は心というものは、自我の行動を指図したり、他人を批判するだけの存在のように思って来ましたが、実は本来は更に大きな役割を持っていることが本項で説かれています。物質と英知を融合させる力が本来の心の役割なのです。
 しかもその心なるもの自体、更に大きく拡がった大宇宙心なるものの一部だとしています。言い換えれば宇宙全域で行われている創造活動も心が介在する作用ということになります。その内、限られた範囲に閉じこもっているのが私達の現状の感覚心というものです。
 従って、先ずは私達の心の可能性についてしっかり認識する必要があります。良い想念を抱き、決して邪悪、低レベルな想念を起こさないことはこうした心の潜在力、実現力を考慮して申し上げている訳です。
 私達は自らの内側にこのような潜在能力を持つ心を有していることを先ずよく認識して、それらの育成、教育に力を注ぐ必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落384

384 The mind is made up of the four senses, and they should be educated for the purpose of acquiring knowledge; rather than passing judgment. Mind is a catalyst, or go between, uniting matter and Intelligence. When, through its personalized reasoning mind combines the two wrongly, the results are usually unpleasant. Remember, we have said we are living in what could rightly be called a chemical universe; conceived out of Intelligence, and perpetuated by Force. Any student of chemistry knows that wrong combinations of chemicals can produce undesirable results. So any time your actions result in unpleasant experiences, analyze the combinations you have put together.
384 心は4つの感覚から成り立っており、それら4感覚は知識を獲得する為には、裁きを下すのではなく、教育されねばならないのです。心は物質と英知を結びつける触媒であり、仲介者です。心の個人化した推論を通じて心が両者を誤って結びつける時、その結果は大抵、不快なものになります。覚えておいて欲しいのは、私達はまさしく化学的な宇宙と呼んでよいもの、英知の中から孕まれフォース(訳注:宇宙の力)によって永続されるものの中に生きていると私達が言って来たことです。化学を学ぶどんな学生でも化学物質の誤った組み合わせは望ましくない結果を作り出すことを知っています。ですから、あなたの行動が不快な体験になったとしたら、その時はいつもあなたが両者を結びつけた組み合わせについて分析することです。



【解説】
 私達各人の心の作用について、本項では整理されています。即ち、当面私達の心が及ぶ範囲が限定されたものであっても、それは私達自身の肉体の隅々にまで及ぶことは分かります。その物質とも言える肉体と私達の想念とを反応させているのが心という訳です。
 つまり、仮に想念・印象は無数に存在し、絶えず宇宙に莫大な数流れているにせよ、私達の心がそれを感知し、同調しなければ想念・印象は力を発揮出来ません。私達の心がその想念・印象の内容を解釈し、行動へと繋げることで、想念・印象が具体的な作用を発揮出来ることになります。
 そういう意味では、私達の心は想念・印象と物質世界とを繋ぐ役割があるとも言える訳です。また、その心の作用は時として謝った解釈や自我の欲望その他誤った思考の下、事態を混乱させることもあり、私達はその結果を見て、誤った心の作用を反省することも多い筈です。
 このように日々、自らの心境と対応して目前に現れる結果とを対比させることによって、私達は自らの心の有りようを修正して行く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落383

383 The four senses, the arbitrary rulers of most lives, should be your servants. Each sense has a will of its own, its own reasoning faculty, and is possessed by its own fears. In many instances, it is the four senses through their condemnation of that which they have not previously experienced, that closes the door to new ideas.
383 ほとんどの人生の専制的な支配者である4つの感覚は、あなたの召使にしなければなりません。各々の感覚はそれ自体の意思を持っており、また、その固有の恐怖にとりつかれています。多くの場合、自らが過去に経験したことがないことを非難することで新しいアイデアに対して扉を閉めるのは、この4つの感覚なのです。



【解説】
 確かに私達にとって想念・印象の取り扱いははじめての事柄なのです。これまでは、目や耳、鼻や舌の反応の善し悪しで、外界のもの悉くを私達は判断して来ました。また、そこには長年の経緯から、これら四感覚が全てを取り仕切るようになっており、私達自身をも支配するようになっているのです。
 しかし、想念・印象はこれら既存の感覚とは別のルートで知覚される為、最初の内はこれら四感覚が抵抗を示したり、疑いを持ったりすることになります。私達に対して、そのような根拠もあいまいなものに振り回されるなと批判することも多いのです。
 実は、私達はこの想念・印象の知覚に関して何も無い状況から開拓して行こうとしている訳ではありません。エデンの園の寓話のように原始の創造の時代、私達は想念・印象を介して創造主と向き合って生活していたように思われます。日本神道で言えば、神人一体、万物に神宿るの世界です。しかし、その後、感覚が増長し、印象を必要としない生き方に変わってしまったように思われます。目に見えない世界より、目に見える結果を重視した生活です。
 しかし、その結果、私達は印象の世界を忘れてしまったのです。このテレパシー講座は、私達を創造直後の状況に戻し、他の生きもの達が享受している輝かく日々に復帰させるものなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落382

382 We believe the effects of emotions have been well covered in this course. We have pointed out the detrimental effect destructive emotions have on the body, and have given you examples in your daily life whereby you can prove this for yourself. So watch your thought-pattern habits; for your emotions are controlled by them. People are like apples in a barrel-we either mellow with maturity, or we rot. Unlike the apples, we have control over which of these will be our destiny; for our thought-pattern habits will decide our lot.
382 私達はこの講座において、感情がもたらす影響について十分に言及されて来たと思っています。私達は破壊的な感情が身体にもたらす有害な影響を指摘して来ましたし、あなたの日常生活の中での例示を示しましたが、それはそれによってあなた自身で確かめることが出来るものです。ですから、あなたの想念パターンの習慣を観察することです。何故ならあなたの感情はそれらによって支配されているからです。人々は樽の中のリンゴに似ています。私達は成熟して熟するか、腐るかのいずれかです。しかし、リンゴとは違って、私達はそのどちらが私達の運命になるかについて、支配権を持っています。何故なら私達の想念パターンは私達のめぐり合わせを決めることになるからです。



【解説】
 私達は各自想念パターンを持っているように思います。その想念パターンから日常の想念が生まれ、感情へと発展し、良しにつけ悪しきにつけ私達自身や周囲に影響を与えているということでしょう。
 ですから、先ずは自らの想念パターンが私達自身にとって適切なものかどうかを絶えずチェックすることがとても重要なのです。これはひいては「想念観察」とも呼ばれるものに繋がっている有効な手法の一つです。
 しかし、何の為に観察を行うかがより重要です。私達は既にこの宇宙の基本的な潮流として、生命の息吹とも言える調和した美しさが万物の細部に流れていることを学んでいます。その源流を合致した想念を私達が日常放っていることが私達の進化の可能性を促進するものです。それ故に少しでもそこから外れた想念に交わり、乱されることがないか、常に監視する必要がある訳です。
 年月が過ぎ、これら一連の精進が進む時、私達は本分にある完熟したリンゴになることが出来ますが、他方、乱れた想念の下では身体はボロボロになり、手の付けられない状況になると本文は警告しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落381

381 The personal ego, interested only in perpetuating itself, is unaware of its unity with all manifestation; and selfishly concentrates its efforts upon the personal self. But when. through understanding, we can get the ego to turn its awareness outward, it will return to its natural free state; and the real Self will recognize its oneness with the Cosmos.
381 個人的な自我は自分自身の永続化のみに関心がある為、全ての創造物との一体性について気付いてはいません。そして自分自身への努力に自分本位に集中しています。しかし、理解を通じて私達は自我をその知覚を外向きに転換させることが出来る時、それはその自然で自由な状態に戻ることでしょう。また、その時、真の自己は宇宙との一体性を認識することでしょう。

【解説】
 私達が日頃悩んだり、苦しんだりすることの大半の原因は、自我(エゴ)に関連しています。仏陀もこうした煩悩や苦しみの原因を長い歳月をかけて分析、観察された結果、エゴの外側にある美しい世界に気付き、私達人間の行くべき道について覚醒されたということでしょう。
 本項においては、更にこの自我なるものが本人を支配し、自らの永続性を担保したいがために、様々な対策を本人にとらせようとするのだと断言しています。生命の永続性への不安や自ら所有するとする財産の保全、名声の確保等、気にするものです。
 しかし、これらへの対応は、そもそも本来の宇宙の流れ、法則に沿っていない以上、本人に成果をもたらすものではありません。
 これ以上、私達は、自我への集中、こだわりを止めて、関心を他の分野に解放すべきです。自身の生命の永続性など、不確実なものにこだわるのではなく、より広い宇宙との一体性や関連性にこそ、永続性のカギがあることに、いち早く気付く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落380

Conclusion
380 You have now become acquainted with the three tyrannical rulers that make up the life of the average person today: The ego, the emotions, and the four senses. We have shown you how each one influences your body and your mind.
結論
380 あなたは今や、今日の平均的な人間の生涯を作り上げている3人の専制的支配者に通じています。それらは即ち、自我、感情そして4つの感覚です。私達はあなたにこれらの各々があなたの身体と心に影響を与えていることを示して来ました。



【解説】
 本項からは講座のまとめになります。
 先ずはじめに著者は全体を振り返り、私達の日常生活が「自我」と「感情」そして「四つの感覚」に支配されていることを指摘しています。言い換えれば、「自尊心」「誇り」その他自分自身を高め、その価値が他人より勝っていることや、その優越性の誇示、更には支配欲等は、「自我」に由来しますし、多くの事件の元となる「激情」の発現等、それに一時期支配されたために、大罪を犯す例、また日々の生活の中で様々な他者への「裁き」等、自らの感覚の意見による偏見等々、多くの問題はこれら3つの要素が原因となっているということでしょう。
 従って、私達はまず、自分の日常生活にそれら3要素を入り込ませないよう、常に監視する必要があります。今年は戦後70年の節目の年といわれていますが、戦争はこれら3要素が具体的にどのような状況を私達にもたらすかを示唆する代表的な例でもあります。アダムスキー氏が砂漠でオーソンと会見した1952年は、まだ戦後の傷跡が残り、世界が新たな核戦争に向けた歩みを進めている時期であり、これら一連の動きに対応しての、外宇宙からの支援プログラムであったことは今になってわかるというものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落379

379 Once man learns that his purpose in life is to control his personal aggressive actions, he will become the recipient of all Cosmic impressions . . . born in silence, projected in silence, accepted in silence. For these are the impressions emanating from each conscious atom, using the Cosmic, universal language.
379 ひと度、人が自分の生きる目的が自己の個人的な攻撃的諸行動を制御することにあることを学ぶなら、彼は全ての宇宙的印象、即ち沈黙の中で誕生し、沈黙の中で放射され、沈黙の中で受信される印象の受取人になることでしょう。何故なら、これらは個々の意識的な原子が宇宙的、普遍的な言語を用いて発している印象だからです。

【解説】
 結局、テレパシーは想念・印象の感受である訳なのですが、その目に見えず、耳に聞こえない"印象"は細胞の更に奥の各原子の語る言語であり、私達自身、自分の身体の細胞を通じてこれら印象に同期することで内容が分かるというものです。
 そこには、結果の世界には未だ現れない精緻な情報がある訳で、これら印象との交流を通じて、新しい世界が拡がるものと思われます。
 一度、この印象の取扱いと対応姿勢を体験出来たら、以後私達は少しずつその方向への訓練を日常的に進め、自らの進化につなげて行く必要があります。
 期せずして、本項解説がテレパシー講座の最終項に該当することになりましたが、日々、自分自身を生きた教材として取組むことは各自の進歩を早める貴重な毎日になる筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落378

378 Understanding is knowledge lived. When we understand the purpose behind each act, we do not judge. We then become observers, to evaluate all manifestations in relationship to Cosmic Cause; which gave them birth.
378 理解は生きた知識です。私達が各々の行為の裏にある目的を理解すれば、私達は裁きを行なうことはしません。私達はそれからは、それらを誕生させた宇宙の因との関連性についてすべての創造物を評価するため、観察者になるのです。



【解説】
 理解が全ての課題を解決するカギであると著者は説いています。物事の真の意義を学び、万物の相互関係を学ぶことがあらゆる問題解決に結びつくのです。全ての創造物の本来の意義、全ての行動の中にある真の意味を知り、その価値を学ぶことによって「裁き」は消滅し、相互理解、相互尊重が生まれます。
 理解はその創造物が創造された意義を知り、また観察を通じて自己との類似性や関連性を知る中で、相互関係について学ぶことにも繋がって行きます。最高位の創造物である人間は、本来特段の労苦無く、暮らして行けるだけの環境を創造主から準備されて来た訳です。その唯一の任務は、自分の周囲の様々な創造物について学び、その意義を理解することにあるのです。
 本項における「理解」とは仏教で言う「覚醒」に近い概念かと思われます。自然の営みに対する深い洞察と相互の結びつきへの理解は共通した宗教・哲学のポイントなのでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落377

377 Jesus used the word Father when speaking to the children of the world, for although He knew there was no word capable of conveying the true meaning of the Supreme, the term Father would give man a feeling of warmth, love, and oneness. And when we awaken this quickening in our minds as did Peter, we are actually entering the Kingdom of Heaven. For the Kingdom of Heaven is the Kingdom of Cause . . . while the kingdom of earth is the kingdom of effect.
377 イエスはこの父という言葉を、この世の子供達に対して語る時のように用いました。何故なら、至上なるものの真の意味を伝えられる言葉は無かったことをイエスは知っていて、父という言葉が人に温かみや愛、そして一体感のフィーリングを授けることを知っていたからです。そして私達がペテロがしたように、この胎動に目覚める時、私達は実際には天の王国に入っているのです。何故なら天の王国は因の王国であり、方や地の王国は結果の王国だからです。

【解説】
 聖書にはイエスが「父」と表現する箇所が何度となく出てきます。その意味を著者は本項で述べています。
 私達が至上なるものを「父」と呼ぶ時、私達は自らをその子供として、子供の立場から至上なるものに尊敬と依存、更にはいつくしみの心を持っている訳です。
 ペテロがイエスの正体を見抜いたのはイエスの肉体としての外観からペテロの目が判断したのではありません。いわばイエスの魂とでも言うべき本源的な存在に対し、ペテロが気付いたからであり、そこにはペテロがその本源から放射される想念・印象を感受し、それらを正しく知覚出来たことに対してイエス自身が祝福したのです。自分の弟子がようやく所期の目標に到達したことを喜んだという訳です。
 一旦、ペテロのように世の中のあらゆる存在に対し、至高なるものとの関係を知覚することが出来れば、以降は飛躍的に進化が早まるに違いありません。そのことをイエスはお喜びになったということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落376

376 Jesus acknowledged this when He answered, "Blessed art thou, Simon Barjona; for flesh and blood hath not revealed it unto thee, but my Father which is in heaven." Matt. 16:17.
376 イエスはこう答えて、これを認めました。「幸いなるかな汝、シモン・バルヨナよ。何故なら肉と血が汝にこれを明かしたのではない。天におあす私の父が明かした為である。」(マタイ第16章17節)(訳注:シモン・バルヨナはペテロの別名です)


【解説】
 ペテロの洞察に喜んだイエスはペテロに対し、その洞察はペテロの肉体に属する既存の感覚によってもたらされたのではなく、宇宙の本源に由来する想念・印象を感受出来たことによるのだと祝福しているのです。言い換えればイエスから最初に及第点を貰ったのがペテロであるという訳です。
 これと同様に、進化した他惑星人は、地球人の中にあっても決して正体を明かすことはないように思います。重要なことは、自らの正体を明かして、他の者達の関心を集めることではなく、私達自身の訓練として必要な内容を如何に進められるかであり、その為の支援を陰ながら行うのが彼らの使命であるのです。そういう意味で、私達は地球を訪れている多くの他惑星人に対して感謝を忘れてはならないのです。目に見えない形で多くを支援している彼らの隠れた活動にこそ、私達は関心を持たねばなりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落375

375 It was this universal Intelligence that Peter used when he said to Jesus, "Thou art the Christ, the Son of the Living God." Matt. 16:16.
375 ペテロがイエスに「あなたは生ける神の息子だ」(マタイ16章16節)と言った時、ペテロはこの宇宙普遍の英知を用いていたのです。

【解説】
 アダムスキー研究者の間では、アダムスキー氏は使徒ヨハネであったという話が伝えられています。出典の根拠は今となれば確かめようもありませんが、当時アダムスキー氏に接した多くのコーワーカーの話として伝わって来たということでしょう。
 本項の記述はそうした背景を知っていればよく理解できるというものです。つまり、著者アダムスキー氏はかつてイエスの高弟の一人として本項でペテロが述べた場に居たということです。
 さて、ここで注目したいのは、地球を訪れる他惑星からの教師は決して自らの正体を明かすことはないことです。人々がその教師と接する中で、その正体を見抜くまで、じっと待っているという訳です。外見によって人は人物を判定しがちですが、ペテロは自身の内側の直感・感性から相手の正体を察知出来たことをイエスは喜んだというものです。私達も日常、このような感性を大切にして、目や耳が伝え切れない本質に気付く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落374

374 If we are understand Original Cause, we must discipline our minds as we would a child, and deal with the four senses as we would four children. We are all individuals rays of Intelligent Cause manifesting through matter.
374 もし私達が原初の因を理解しようとするなら、私達は自分達の心を私達が子供に対するように躾けなければなりません。四つの感覚に対しては四人の子供に接するように振る舞わらなければなりません。私達は全て物質を通して現出している英知ある因の個々の光明なのです。



【解説】
 本項では自分自身に対する修養の取組姿勢を明確に示しています。
 注目しなければならないのは、私達の視覚~味覚までの四感覚を自らの子供のように指導し、育成せよとしていることです。
 確かに私達の最大の欠点は四感覚の独善的、支配者的な姿勢にあるのですが、それを矯正するのに、単にけなしたり、卑下することによってでは、正しく成育しないということです。子供を育てるように丁寧に一つ一つを納得させる中で、対話を進めながら少しずつ学ばせるということでしょう。
 それは私達自身が創造主から発せられたスペクトルの一部であり、それなしでは虹の一色が欠けることとなり、創造物が完成したことになりません。一人一人が創造主にとってもかけがえの無い存在であることに気付く必要があります。それ故にひとたび自らの役割を自覚し、本来の発色を発現出来れば、虹も完成し、創造主は喜ばれることになるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落373

373 Volumes could be written on the subject of thought and its action, yet barely disturb the surface. It is one of the most interesting fields of research one can hope to find; for it is as vast as Infinity itself, and is the actual foundation of all our sciences.
373 想念とその作用のテーマについては何巻もの本を書くことが出来るでしょうが、それでも何とか表面に触れられるだけです。それは人が望み得る研究分野の中で最も興味深い分野の一つです。何故ならそれは無限遠そのものと同じほど広く、しかも私達の全ての科学の基礎でもあるからです。

【解説】
 これまでの一連のテレパシーに関する解説が終盤に差しかかる中、著者は改めてテレパシーについての研究の意義を語っています。それは単なる遠隔透視や未来予知といった「超能力」と称される単純なものでなく、宇宙の仕組そのものに迫る精緻な原理と言うべきで、何よりも各自が自身の心の修養や肉体の反応観察等により、研究を進めることが出来るものです。言い換えれば、研究の材料は私達自身であり、他に何らの材料も、費用も必要ありません。
 同様な内容は「生命の科学」や「宇宙哲学」等、アダムスキー氏の他の著作にも共通して繰り返し伝えられていることです。実はこの想念の取扱いについてが最も私達地球人の劣るところで、過去何万年もの間、様々な文明が自滅し、崩壊した原因となっています。
 実はこの地球自体が私達が学ぶ教室とも言える学習の場である訳ですが、そこでの重要教科が、この心の取扱いと想念・印象に関する学習と言えるということでしょう。かつて「禁断の惑星」という映画がありましたが、その中の主人公の一人である科学者の父親が発する想念が狂暴化して人々に危害を加えるシーンがありますが、まさに地球における最大の課題が想念問題であることを示唆した内容となっています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落372

372 Reasoning should be used to evaluate all things impartially, and to elevate the sense perceptions to understand and accept Cosmic Intelligence. Pure reasoning must involve the elements of faith and confidence; not faith in one's self as a personality, but faith in the immutable laws of thought-action, and in the unlimited scope of awareness in the faculty of feeling. This, I have proven by my own experiences over a period of years.
372 推論というものはあらゆるものを差別なく評価するために用いられるべきであり、感覚の認識機能を宇宙の英知を理解し、受容するために用いられるべきです。純粋な推論は信頼と信念の要素を含まなければならず、個性としての自我への信頼ではなく、想念-行動の不変の法則やフィーリングの機能に対する無限の知覚展望への信頼です。これは私自身の経験によって何年もの年月を経て実証して来たものです。

【解説】
 一連の著者によるreasoningの役割について、本項ではより丁寧に説明しています。つまり、テレパシーにおいて、従来は単に想念・印象の感受ということのみに重点が置かれていましたが、本講座においてはreasoningという心が果たすべき役割、即ちテレパシー能力の開発過程で心の発展が必要な部分として、このreasoningの作用を挙げていることに注目したいところです。
 私の現状の理解では、如何なるルートであれ、想念・印象が感受される時、そこには私達自身の心の領域での作用が必要であり、心によるreasoningと本講座で称される観察・知覚が生まれます。その際に重要なのは、心の姿勢です。自らを尊大化し、他者を見下すような姿勢をとるか、或いはまた冷静にそれらが伝えようとするイメージを理解しようと受容的態度を保つかによって、その後の結果は大きく異なります。
 もし、この時、心が自らを謙虚にして、それら印象が持つ伝達内容を理解しようと努めれば、成功事例も増し、益々テレパシー能力も深まるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落371

371 The rose had nothing to do with the creation of the lily, or vice versa; so man cannot judge one by the other. They are two distinct phases of plant life; and as such, should be recognized equally for their individual character. Yet, by judging and condemning the ideas that are presented to us through our senses, we daily judge and condemn the Creator's manifestations.
371 バラはユリの創造には何らの関係はありませんし、ユリも同様です。ですから、人間は他のものによって、そのものを裁くことは出来ません。それらは植物の生命の中の二つの別個の側面であり、このようにそれら個々の性質として等しく認識されるべきです。しかし、それでも私達の諸感覚を通して私達にもたらされる諸々のアイデアを裁き、非難することで、私達は創造主の創造物を毎日のように裁き、非難しているのです。

【解説】
 想念・印象も含め私達が日々出逢うもの全てに対し、先ずは外見その他で優劣・好き嫌いの査定を厳に慎むことから始めなければなりません。実は、その点で私達の感覚が重要な責任を持っていることになります。外見は視覚、臭いは嗅覚、味は味覚等々、私達の既存の感覚が主人(私)に代わって次々に来るものに対し、裁定を下していることが問題なのです。
 この「裁き」を消すことが出来れば、従来それに掛かっていた私達の心は、もっと寛容、客観的に各々の現象を観察でき、やがては、より精緻な想念・印象の動きにも気付けるようになるものと思われます。
 「裁く」ことはまた、一方では「裁かれる」ことにもなる訳で、これら一人一人の変革は地道ながらも社会を変える大きな力になる筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落370

370 The difference between pure reasoning and perverted reasoning is the difference between definition and discrimination. We may say that a rose is red and is fragrant; and that a calla lily is white and possesses little fragrance. Our reasoning tells us they are two distinct objects; and defines their character by an act of recognition. But perverted reasoning could say that the lily is a mistake of creation, because it should have been red like the rose; or that the rose is malformed because it is cut up in little pieces called petals.
370 純粋な推論と歪んだ推論との違いは定義と差別の間の違いです。私達はバラというものは赤く、よい香りのするものと言いますが、カラー(訳注:植物名、オランダカイウ、日本ではカラーもしくはカラーリリーと呼ばれる。漏斗状の白い仏炎苞を持つ観葉植物)は白く、香りは無いと言うでしょう。私達の推論はそれらは二つ別個のものであることを私達に伝え、認識の行為によってそれらの特徴を定義します。しかし、歪んだ推論は、そのユリ(訳注:この場合、前述のカラーをユリと認識している)はバラのように赤くなければならないのになっておらず、或いはそのバラ(訳注:この場合は前出のカラーをバラと認識している)は花弁と呼ばれる小片に切れ込まれている為、誤って創造されたものだと言うかも知れません。



【解説】
 観察したありのままを受け入れ、良否・美醜の差別なく「定義define」することと、その創造物が他に比べて欠点を持ち、劣るものとする優劣の差別を加える「perverted reasoning歪んだ推論」とを、著者は明確に区別し、後者の姿勢の誤りを指摘しています。
 このことは何ものであれ、創造物には各々美しさと本来の役割を備えており、決して私達の勝手な差別を下してはならないことを意味しています。肉食獣が獲物を捕獲することは私達の目には残酷に見えますが、私達自身も魚を取ったり、肉を食している訳で、社会の仕組みとして、その作業を他の者が分担して担っているに過ぎません。
 「好き嫌い」や「優劣」の感情の源は私達の心の姿勢にある訳で、私達はこれから次々にやって来る想念・印象に対して、そうした差別を向けることなく、ただひたすら、ありのままを受け入れてその中に意義や役割を見出すよう努める必要があります。「汝、裁くな」とは、実に簡潔で的を得た言葉です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落369

369 This is what the average person does to the thought that impresses itself upon his consciousness. Consequently, instead of getting the clear impression of the attentive student, he receives disconnected fragments
369 これが平均的な人間が自分の意識に印象づける想念に対して行っていることです。結局のところ、注目し続ける生徒が明瞭な印象を得るのに対し、彼は互いに繋がりのない断片を受信するのです。



【解説】
 感受した想念・印象の取り扱い方法について、これまでどの本も取り上げることはなく、教える教師も居なかった訳ですが、本講座ではじめて具体的な心のありようについて解説が為された訳です。
 平易には記されておりますが、内容的には高度なものではないかと思われます。想念・印象の流れを心の過度な詮索や批判志向によって途切らせることなく、流れが続くよう経路を維持し、最終的にどのような全体像を意図しているのか判明するまで忍耐強く受け入れながら、観察するというものです。
 こうした各断片の印象の関連性を理解することで、はじめて全体像が理解されるということでしょう。著者は同様なことを「生命の科学」の中では、ジグソーパズル(はめ絵パズル)として表現しています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落368

368 Other students will grasp one statement that does not coincide with their preconceived ideas, and shut their minds to the rest They will judge this idea according to their own knowledge of the subject, or compare it with some thought possessing a slight similarity. In so doing, they cut off the natural sequence being presented by the lecturer, and at the end of the session they generally find themselves decidedly confused over what has been said. Of course, they lay the blame at the door of the speaker-not to their own mental reactions.
368 他の生徒達は自分達が描いたアイデアと一致しない一つの発言を捉えて、その残りの話に心を閉ざすことでしょう。彼らはそのテーマに関する自分達の知識に従い、このアイデアに対し裁きを行うか、あるいはわずかな類似点を持ついくつかの想念と比較することでしょう。そうすることで、彼らは講師によって提起された自然な一貫性を切断し、授業時間の最後には、彼らは大抵、自分自身が明らかに語られたことに対して混乱していることに気付きます。もちろん、彼らは自分達自身の心の反応に対してではなく、講師のせいにするのです。

【解説】
 本項では前項とは異なり、心の詮索好きさがせっかくの印象を拒絶し、印象の伝える全体像を見失ってしまう事例を示しています。
 前項(367)同様、授業の例ですが、これも皆様が一度は経験しているものと思われます。つまり教師が述べた一つの事柄がたまたま一人の学生の意に反した、或いは一時的に納得が行かない内容が含まれていたために、本人はそのことで頭がいっぱいになり、その後の授業に身が入らなくなった事例です。
 同様に、私達も想念・印象を感受する際、一見、不合理、不可解に思える時があるかも知れません。しかし、そこに囚われていてはそれ以後入って来る印象の流れを堰き止めることとなり、結局は混乱のみが残ることになります。
 私達は当座、分からないことは分からないものとして記憶し、先ずは一連の印象の流れを途絶えさせないように心掛ける必要があります。先ずは合わせたチャンネルからどのような解決策が伝えられようとしているか、じっと理解しようとする姿勢が大切なのです。


ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落367

367 Another instance of perverted reasoning can be found in a group of students listening to a class lecture. Some will absorb what they hear, and at the end of the session will be able to repeat almost verbatim the material presented. They will recognize the logic and lucidity of the subject, and can summarize all points coherently.
367 もう一つの混乱した推論の例は、教室での授業に耳を傾けている学生の一団の中に見出せます。ある者は自分達が聴いたことを吸収し、授業時間の最後には提示された材料をほとんど語句を暗唱するほどになるでしょう。彼らはその本題の論理と明瞭さを認識し、全ての要点を理路整然と要約することが出来るようになります。



【解説】
 本項等で説かれている"reasoning"について、もう一つの具体例を著者は示しています。
 本項で記されている事例は、多くの方が学生時代に体験しているものと思われます。本項(367)に記述されている部分は、通常の、或いは妥当な心のありようを示していますが、次項(368)については問題を提起している訳です。
 私達が日常、次々に感知する印象は、丁度、本項で示されるような授業のようなものだと著者は示唆している訳です。一度に全ての知識が伝達されるのではなく、ある時間経過の中で次々に情報が与えられるということでしょう。関連して次々に印象が入って来るということです。その一つ一つの情報を、一方では正しいつながりであることを診断しながら、その伝えようとするイメージを大切に取り扱い、受け入れることで、最後には全体像を理解するという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落366

366 In the preceding illustration we may safely say that after a certain point, reasoning was not used at all. When this happens it is usually due either to an untrained will, or to just pure mental laziness. Admittedly it is a ludicrous example, but similar examples on a smaller scale occur in our lives daily. Controlling the reasoning mind is what we meant when we spoke of "stilling" it. If we will make it our servant rather than our master, we will not put rockers on our baby carriage of life.
366 前述の事例では、ある時点以降、推論は全く使われていなかったと言えると思います。このようなことが起る時は、大抵は訓練されていない意思であったり、単に単純な心の怠慢のどちらかが原因です。前述の例は明らかに滑稽な事例ではありますが、同様な例は私達の生活の中ではより小さな規模で日々起っているのです。推論する心を制御するということは、私達がそれを「鎮める」と表現する際に意図するものです。もし、私達が心を主人としてではなく、召使にするようになれば、私達は人生の乳母車に揺れ足をつけるようなことはなくなるでしょう。

【解説】
 本項で少し注意して戴きたいのは、著者はreasoning(注:日本語訳としては一般に"推論"と訳されますが、本来適切ではないのかも知れません)そのものは、良くないものとして取り扱っていない点です。前項(365)の解説でも述べましたが、感受した想念・印象に対する各々の関連性を診るという意味合いで用いられています。
 この診断は実は心が担う為、そのチェックを怠っていると前項のような誤った結果に導かれてしまう訳です。
 この問題を回避する為に必要なことは、心が冷静な診断が出来るように心を鎮め統制することだと説いています。瞑想をするとかという行動はそのことを目指しているということになります。しかし、ここでも重要なことは、心は診断はするものの、決してそれを自らを高め本人自身を導くような能力は持っておらず、あくまで本人の支援補助者であるということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落365

365 True reasoning is the faculty of recognizing sequence, which gives a purpose to life. For instance, when one turns his attention to a certain phase of thought, it is necessary for him to perceive whether he is holding to that particular phase. He should not allow his interest to wander toward, or rather be impressed by, other phases which are of a similar nature. For example, if a person received the idea of constructing a baby carriage, he may hold to the original thought flow until the element of motion is beginning to take shape in the image state; then let his attention wander and allow a thought of a similar type to slip into his mind. When the product is finished, and he stands back proudly to survey his handiwork, he discovers he has put rockers instead of wheels on the carriage. He had followed the original impression perfectly to the point where movement entered. He did not achieve one means of motion-the infant can be lulled to sleep; but he did not accomplish his original plan of making a means of conveyance. The general construction of the two objects is similar; and reasoning, that power of recognizing the sequence of ideas, should have told him he had lost the trend of thought.
365 真の意味の推論は連続したつながりを把握する能力であり、それは生命に目的を与えます。例えば人が自分の注目をある想念の側面に向けた時、その人は自分がその特定の側面をしっかり掴んでいるか把握することが必要です。その人は自らの関心をふらつかせたり、類似した性質のある他の側面から印象を受けたりすべきではないのです。例えば、ある人が乳母車を作ろうというアイデアを受信したとすれば、彼は衝動の要素がイメージ状態として形を形成するまでは元の想念が流れるのを保持しているかも知れません。次には自分の関心を放浪させ、似たタイプの想念が自分の心の中に滑り込むことを許してしまいます。作品が完成した時、そして彼が誇らしげに彼の手作業の作品を吟味する時、彼は車の車輪の代わりに揺り足を付けてしまったことに気付きます。彼は衝動が入って来た時点では元来の印象に完全に従っていました。しかし、彼は運動の手段を達成することは出来ませんでした。赤ん坊は眠ることは出来ますが、運ぶ手段という元来の計画は達成しませんでした。この二つの物の一般的なつくりは同じですので、アイデアの連続したつながりを認識する力のある推論は、その者に想念のつながりを見失っていることを伝えるべきであったのです。



【解説】
 受けた印象もそのまま何ら躊躇なく実行することは、植物や鉱物の世界ではそうでしょうが、動物、とりわけ人間の場合には、そこに本項ではreasoning(推論)と称される、そもそものその印象に対する診断が行われるように解釈出来ます。感受した印象が本当に自分の求めているものかどうか、或いはその想念が自分にとって有効なのかということを診断する機能です。
 この診断が誤っていると、類似はしていても、今回の事情には役に立たない知見もあり得るからです。丁度、前項の解説で申し上げたように、インターネットの検索結果の全てがニーズに合致しているのではなく、そこから吟味して必要な情報に辿りつくのと似ています。
 次々に移り変わる一連の過程について、情報(想念・印象)の変遷を見守る必要があり、これを著者は真のreasoning(推論)であるとしているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落364

364 Everything in the universe works under the Law of Affinity ... therefore, thought will draw to itself its own kind. If a mind is tuned to particular thought station and the tuning apparatus is not tampered with, it will receive the entire thought program. All that is necessary is for the mind of the recipient to remain quiet until the thought is completed.
364 宇宙の中のあらゆるものは親和の法則の下で働いています。従って想念はその種の想念を引き寄せることになります。もし、心が特定の想念発信局に波長を合わせ、チューニング装置が壊されていなければ、それは全体の想念番組を受信するでしょう。受信者の心にとって必要なこと全ては、その想念が完了するまで静かにしていることです。


【解説】
 親和の法則(Law of Affinity)は、似たもの同士が互いに引き合うということで、あらゆる側面に成り立つとしています。実に私達が存在する肉体自身の細胞の構成から人々の仲間関係、更には地殻の結合に至るまで、あらゆる側面でその現れを見るべきでしょう。
 想念も同じ訳で、私達が日常関心を持つテーマが、そのまま同種の他の想念に同調し易くなる訳です。自分自身が良質な想念を維持して行けば、それは即ち宇宙くまなくこの親和の法則の下、発せられた同種の想念に巡り合うことが出来るということでしょう。
 即ち、何らかの課題についてその答えを探索する時でも答えを宇宙に求めれば、またたく間にして、広大な宇宙の中、この法則により必要な想念・印象が探索されて、自身がアクセスし易くなるということでもあります。丁度インターネットの検索で求める情報が瞬時に膨大な情報の中から類似した内容を持つものが利用者に提供されるのと同様です。私達はこの恵まれた環境であるテレパシーを自身に生かさなければ、実にもったいない限りです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落363

363 There is a vast difference between true thinking, and the misguided faculty of indiscriminate reasoning. Only two planes of life have the power of reasoning - animals and human beings. While as far as we know the vegetable and mineral kingdoms are devoid of reasoning, and the animal possesses this faculty only to a limited degree, all three planes of life manifestation respond to pressures without resistance. Because of his ability to reason, we have believed man to be the highest type of life on this planet. But actually, indiscriminate reasoning has so perverted his capacity to think universally that in many ways man is much lower than mere plant life. For plant life accepts and acts upon the impulses of nature, without questioning life's purpose.
363 真の思考と見境のない誤って導かれた推論との間には大きな相違があります。生命の内2つの平面、動物界と人間だけが推論の能力を持っています。一方、私達が知る限り、植物や鉱物界には推論は欠いており、動物もこの能力をただ限られた範囲に持っている一方、これら3つの生命の創造の平面は全て抵抗なく圧力に呼応します。その推論の能力の故から、私達人間がこの惑星上で最も高位であると信じて来ました。しかし実際には、見境のない推論は人間の宇宙普遍に思考する能力を誤らせ、多くの場合、人間は単なる植物の生命より低次に置かれています。何故なら植物は自然の衝動に対し、受け入れ行動するからです。

【解説】
 私達は本分の"indiscriminate reasoning(見境のない推論)"について、著者が何を説こうとしているか、よくよく考える必要があります。文中からも植物や鉱物はそれら"reasoning(推論)"という機能を持たず、印象波が到達して生じる体細胞への圧力変化を無条件で受け入れるとしています。
 即ち、それら2つの王国に属するものは自らの意思を持たず、何ら詮索(reasoning)することなく受け入れるという訳です。一方、動物には多少、自ら判断する機能が備わっており、人間は自由に推論を重ねることが出来るのです。
 しかし、自由に物事を考えられることは好いことですが、それが真実から離れていては何らの成果は得られないことになります。得られて印象のスパークから何を導き出すのか、その印象の意味を誠実、端的に受け入れようとすることが重要で、やたらに詮索する姿勢は単なる心の興味に過ぎず、問題解決を遅れせるものです。
 今後、私達がテレパシー能力を実践する中で、最初に出会う課題は、様々な側面を持つ印象が数多く入って来る中で、それらに対し興味本位で取り扱ってはならないことを、著者は本項で説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落362

362 Dr. Nicholas Murray Butler once said, "All the problems of the world could be settled easily, if men were only willing to think." He might rather have said, "If men only knew how to think!" This is the great lack in our educational system of today; our young men-to-be are not taught how to think.
362 ニコラス・マレイ・バトラー博士はかつてこう言いました。「世界中の全ての問題は、人間がただ喜んで考えようとするだけで簡単に解決されるだろう。」彼はむしろ、こう言いたかったのかも知れません。「ただ人間が考える方法を知ってさえいれば」と。このことは今日の私達の教育システムにおける大きな欠陥なのです。私達の将来若者となる者が考える方法を教えられていないのです。

【解説】
 私達の日常は、表面的な事象や他人からの評価、結果に対する不安に多くを奪われ、満ち足りた心境を維持することは難しいようです。しかし、これらを放置しておくことは決して良いものではありません。毎日、充実した生活を楽しむ為には、常に心をオープンにし、外部から来る印象を的確に把握し、実生活に活かす必要があります。
 そこに至る過程の一つとして思考がある訳で、問題に関わる様々な側面を整理する中で、根本的な問題を抽出し、関連する解決策に関する印象の有無を探索することになります。
 しかしながら、これら重要な真の思考プロセスについて具体的な指南書は見たことはありません。本項で説かれている具体的な内容、工夫点については各自自ら開発し、成功事例を蓄積する中で編み出すことが求められています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落361

CHAPTER Ⅳ
Thinking Versus Reasoning
361 Thinking is neither toil, nor stress, nor strain. Rather, it is the ability to allow thought action to take place in an unobstructed manner; and the power of observing its path to travel.
第4章 思考と推論
361 思考とは労苦でも重圧でも緊張でもありません。むしろ邪魔されることなく、思考行動が起こせるようにさせて置く能力、その流れが巡る道筋を観察する力なのです。



【解説】
 私達は物事を考える時、その実際の作用は解決策自体を考案しているというよりは、自身の心を鎮めて周囲から発せられている解決に向けての想念・印象の存在を探っているような動作なのだと思います。
 思考という活動自体に解決策を作り出す機能はなく、既に提供されようとしている解決策に気付くよう、また先々の進め方について整理しているという訳です。
 実は長年、私達が問題を解決できずにいるのは、解決に向けて一歩踏み出すことが出来ないで、問題ばかりを先送りして事態を深刻化させてしまっていること、更にはその状況に惰性的に留まっているからに他なりません。
 何事も先ずは問題に取り組む意思や意欲が必要で、思考過程の中で実際の問題点を整理できれば大抵の問題はその段階で解決したと言って良いほど、ゴールに近づいているように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落388

388 May God bless you. May this course become You. For then you, the Prodigal Son, will have returned home to your rightful inheritance . . . one with the Father.
388 神の祝福があらんことを。この講座があなた自身になりますように。何故なら、その時、放蕩息子であるあなたは、あなたの正当なる相続財産の待つ自分の家に戻っているだろうからです。父と一体になって。


【解説】
 いよいよテレパシー講座も最終項を迎えました。
 これまでご覧いただいた皆様には感謝申し上げます。執筆者としては、日々のカウント数や寄せられるコメントが励みの糧でもありました。
 本文中に著者アダムスキー氏が述べているように、これら講座の内容を自分のものにすることが強く望まれており、やがては学習される皆様が、多くの恵みが待つ本来の自分の居所に戻ることが出来るとしています。
 一朝一夕に心の制御や感受性の向上は達成するものではなく、日々の体験の中で失敗を繰り返しながらも、本来の目的地を目標にして進むということでしょう。皆様のこれからのご発展をお祈りします。
 なお、現在、出張先からの執筆の為、準備が十分ではありませんが、次回から「宇宙哲学」に入りたいと思います。定期的な更新にはならないかも知れませんが、ご了解下さい。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落387

387 We all make mistakes These are part of our experiences. Do not be discouraged, for we have centuries to undo; so be grateful for even a small crumb that might become an integral part of you. The difference between a wise man and a fool is -a wise man learns from his mistakes, and never repeats them; while the fool keeps repeating the same mistakes.
387 私達は皆、過ちをおかします。しかし、これらは私達の経験の一部なのです。がっかりしないで欲しいのです。何故なら、私達には元に戻す為に何世紀もかかるためです。ですから、些細な手足の曲がりについても、それがあなたの総体の一部になることに感謝することです。賢い者と馬鹿者との違いは、賢い者は自分の過ちから学び、二度と繰り返しませんが、一方、馬鹿者は同じ過ちを繰り返します。

【解説】
 著者アダムスキー氏は、この講座を終わるに当たり、私達を本項のような記載をすることで、励ましています。私達は自分自身で学習を進めなければなりませんが、その過程では、様々な失敗があり得ます。時には大きなダメージを負うかも知れません。
 しかし、その時、その体験から自分は何を学んだかを明らかにして、次からはその反省点に立って、より良い生き方を進めれば良いという訳です。
 この歩みは何世紀もかかると著者は述べています。まして社会全体の進化は、各自の進化を反映するものでしょうから、更に年月を要するものと思います。それでも着実にあるべき方向に毎日、少しずつ前進することによって、意外に早く目的地に到達できるかも知れません。山登りのように一歩一歩、上を目指して歩むことで、登るほどに視界も開けて来るように思います。
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