テレパシー 第3部 第4章

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落381

381 The personal ego, interested only in perpetuating itself, is unaware of its unity with all manifestation; and selfishly concentrates its efforts upon the personal self. But when. through understanding, we can get the ego to turn its awareness outward, it will return to its natural free state; and the real Self will recognize its oneness with the Cosmos.
381 個人的な自我は自分自身の永続化のみに関心がある為、全ての創造物との一体性について気付いてはいません。そして自分自身への努力に自分本位に集中しています。しかし、理解を通じて私達は自我をその知覚を外向きに転換させることが出来る時、それはその自然で自由な状態に戻ることでしょう。また、その時、真の自己は宇宙との一体性を認識することでしょう。



【解説】
 通常、私達が自分自身と称する自我(エゴ)は常に自己防衛、自己主張の傾向を持ち、自己保身に明け暮れています。他人を利用し、他の創造物の成果を横取りして毎日を送っている存在と言うことも出来るでしょう。
 しかし、その一方で未来を見通すことが出来ない為、常に将来に対する不安を抱えており、また、逆にその不安をビジネスとする保険業も盛んになっているのです。
 本項はこのような私達自身の実状を踏まえ、先ずは宇宙の理解、外の世界への関心を私達に促しています。本講座は想念・印象波という目に見えない波動に対する感受性を高めることを求めており、それに従って私達が宇宙に関心を寄せることで、やがては宇宙と融和一体化という生きものとしての基本的な条件を満たせることを示唆しています。
 私達がテレパシー能力を高めることは即ち、こうした宇宙の構成員の一員として宇宙の諸法則を自ら表現する存在になることでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落380

Conclusion
380 You have now become acquainted with the three tyrannical rulers that make up the life of the average person today: The ego, the emotions, and the four senses. We have shown you how each one influences your body and your mind.
結論
380 あなたは今や、今日の平均的な人間の生涯を作り上げている3人の専制的支配者に通じています。それらは即ち、自我、感情そして4つの感覚です。私達はあなたにこれらの各々があなたの身体と心に影響を与えていることを示して来ました。



【解説】
 本項からは講座のまとめになります。
 長年、私達を支配し、苦しめて来た3つの要素を本項は指摘し、それに立ち向かうよう私達を促しています。指摘されたエゴや感情、そして四感覚の影響を受けた結果、私達の多くは必要もないところや避けるべきところで、無分別な行動を起こし、大きな代償を払って来たのです。
 その結果は仏教で言う因果応報の通り、場合によっては次の生涯にまで影響を及ぼす輪廻の道を歩まなければならない状況に陥っているのです。
 こうした因果の鎖を断ち切るには、この3つの要素に立ち向かい、自らの本来の道に戻す必要があるのです。放蕩息子の例と同様、反省して本来の宇宙の源に復帰する努力を惜しむべきではありません。テレパシーはその第一歩として想念・印象という父なる創造主の用いる沈黙の言葉に耳を傾け、それに従う訓練の一つと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落379

379 Once man learns that his purpose in life is to control his personal aggressive actions, he will become the recipient of all Cosmic impressions . . . born in silence, projected in silence, accepted in silence. For these are the impressions emanating from each conscious atom, using the Cosmic, universal language.
379 ひと度、人が自分の生きる目的が自己の個人的な攻撃的諸行動を制御することにあることを学ぶなら、彼は全ての宇宙的印象、即ち沈黙の中で誕生し、沈黙の中で放射され、沈黙の中で受信される印象の受取人になることでしょう。何故なら、これらは個々の意識的な原子が宇宙的、普遍的な言語を用いて発している印象だからです。



【解説】
 このテレパシー講座の結語として、著者アダムスキー氏は宇宙的な想念・印象波が何処に源を置くかを明かしています。私達の身体を構成し、また宇宙を形作っている原子そのものが実は創造主の英知を持ち、各々の極小の存在から私達に無言の導きの声を発しているという訳です。
 私達が攻撃的な心境を改め、需要温厚な精神状態を維持し、それらの印象波に従うことが出来れば、もはや私達の進化の道を阻むものはありません。
 毎日、少しずつでもこの本道に向けて歩むことが出来れば、早晩私達は真の意味の達人になるものと思います。テレパシーはそれほど私達の進化に必要不可欠な能力と言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落378

378 Understanding is knowledge lived. When we understand the purpose behind each act, we do not judge. We then become observers, to evaluate all manifestations in relationship to Cosmic Cause; which gave them birth.
378 理解は生きた知識です。私達が各々の行為の裏にある目的を理解すれば、私達は裁きを行なうことはしません。私達はそれからは、それらを誕生させた宇宙の因との関連性についてすべての創造物を評価するため、観察者になるのです。


【解説】
 私達が知識と言う場合、その知識にはいわゆる紙の上の知識、単なる文字化された記録の中に表現された情報と、もう一つはその者が生きる中で実証納得し、生涯の中で実証記憶している知識とがあるものです。その内、重要なのは後者で、私達が理解しそれを生活の中で日々実践している知識という訳です。
 私達はこの実践の中で、日々自分の行動とそれがもたらす結果とをよく観察し、その因果関係を学ぶことになる訳で、本文で言うように観察者として自分自身を監視することになります。仏典でいう”観”という言葉は、観音、観自在、観世等々、様々に用いられますが、その奥底の意味は本文で言うこの観察者の意味にあるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落377

377 Jesus used the word Father when speaking to the children of the world, for although He knew there was no word capable of conveying the true meaning of the Supreme, the term Father would give man a feeling of warmth, love, and oneness. And when we awaken this quickening in our minds as did Peter, we are actually entering the Kingdom of Heaven. For the Kingdom of Heaven is the Kingdom of Cause . . . while the kingdom of earth is the kingdom of effect.
377 イエスはこの父という言葉を、この世の子供達に対して語る時のように用いました。何故なら、至上なるものの真の意味を伝えられる言葉は無かったことをイエスは知っていて、父という言葉が人に温かみや愛、そして一体感のフィーリングを授けることを知っていたからです。そして私達がペテロがしたように、この胎動に目覚める時、私達は実際には天の王国に入っているのです。何故なら天の王国は因の王国であり、方や地の王国は結果の王国だからです。



【解説】
 イエスが”父”と表現した時の本意を著者は私達に説いています。アダムスキー氏の協力者の間では、アダムスキー氏がかつてイエスの高弟ヨハネであったと言い伝えられて来ました。おそらくはアダムスキー氏自身の記憶から、当時イエスがどのような思いで語っていたかを知っていたことでしょう。本文はそうした背景の下に記されたものと考えています。
 今日の私達にとって、”父”の重要性は当時と変わるものではありません。実に科学的な洞察によって万物の因、創造の力を表現している教えだと思われます。
 私達がテレパシー開発を通じて何を成し遂げたいのかは、この本文に記されている通りです。創造主の子供である私達は宇宙に流れる言葉の生まれる以前の想念・印象の波の存在とその大きさに気付き、一人一人が本来の進化の道を進むよう、著者は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落376

376 Jesus acknowledged this when He answered, "Blessed art thou, Simon Barjona; for flesh and blood hath not revealed it unto thee, but my Father which is in heaven." Matt. 16:17.
376 イエスはこう答えて、これを認めました。「幸いなるかな汝、シモン・バルヨナよ。何故なら肉と血が汝にこれを明かしたのではない。天におあす私の父が明かした為である。」(マタイ第16章17節)(訳注:シモン・バルヨナはペテロの本名です)


【解説】
 本文から、当時、イエスが実に本講座でアダムスキー氏が説いている内容と同じ事を説いていたことに驚かされます。私達の肉体に属する目や耳の感覚器官でない、いわば目に見えす耳にも聞こえない本源と交流することによって、ペテロが真実を掴んだことをイエスが喜んでいるからです。
 即ち、既存の感覚によらず、印象の経路を通じて物事を理解できるようになった弟子達を祝福していることに、今日の私達は注目しなければなりません。
 テレパシー開発の意義は、いつの時代にあっても、その者の進化にとって大変重要な条件であるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落375

375 It was this universal Intelligence that Peter used when he said to Jesus, "Thou art the Christ, the Son of the Living God." Matt. 16:16.
375 ペテロがイエスに「あなたは生ける神の息子だ」(マタイ16章16節)と言った時、ペテロはこの宇宙普遍の英知を用いていたのです。



【解説】
 ご存知のようにペテロはその後のローマ教皇に繋がるキリスト教の礎となった人物です。そのペテロがイエスをキリスト(救世主)であると洞察したことを、イエスは本文にあるように称賛したという訳です。
 イエスが称賛したのは、ペテロが外見に「とらわれることなく、その人物(イエス)の中に息づく宇宙の源泉に直結した生命の息吹を知覚したことを褒めているのです。このことがその後のキリスト教を担う役目をペテロが担うことに繋がったということでしょう。
 その時代から2000年近くも経過しましたが、イエスの教えの価値は高まることはあっても廃れることはありません。もちろん、他にも仏陀をはじめ多くの人類の師が地球に降り立ちましたが、その教えのいずれもが、今日まで伝えられ人々を導いています。
 おそらくこの一連のアダムスキー哲学も長らく地球に伝えられるべきものになるでしょう。これらは皆、宇宙に根差し、その波動に本源を置くからです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落374

374 If we are understand Original Cause, we must discipline our minds as we would a child, and deal with the four senses as we would four children. We are all individuals rays of Intelligent Cause manifesting through matter.
374 もし私達が原初の因を理解しようとするなら、私達は自分達の心を私達が子供に対するように躾けなければなりません。四つの感覚に対しては四人の子供に接するように振る舞わらなければなりません。私達は全て物質を通して現出している英知ある因の個々の光明なのです。



【解説】
 私達の本質は何かについて、本項は短い言葉で結論を述べています。
 私達は各自の人生の中で、様々な労苦や喜びとともに多くの経験を積んで来ました。そしてそのいずれもが私達にこの本質についていささかなりとも学ぶ機会となった筈です。自らの体験から学ぶことが出来ないなら、人生は無意味ということにもなりかねません。
 こうした一連の学びの中で、私達は自らの表層的な感覚による限界を自覚する一方、想念・印象という目に見えない瞬発的なインスピレーション(啓示)が多くの場合、瞬時に物事を解決してしまうことを目にしています。
 その想念・印象の波動は何処から来るかと言えば、宇宙の中心としか言いようがありません。私達はそれら想念・印象波の一つでも同調出来れば、私達はその想念・印象波と一体化し、その波動を体現することになるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落373

373 Volumes could be written on the subject of thought and its action, yet barely disturb the surface. It is one of the most interesting fields of research one can hope to find; for it is as vast as Infinity itself, and is the actual foundation of all our sciences.
373 想念とその作用のテーマについては何巻もの本を書くことが出来るでしょうが、それでも何とか表面に触れられるだけです。それは人が望み得る研究分野の中で最も興味深い分野の一つです。何故ならそれは無限遠そのものと同じほど広く、しかも私達の全ての科学の基礎でもあるからです。



【解説】
 想念・印象の研究はそれほどに奥が深く、有意義であるということです。広大な宇宙空間にも及ぶその作用は宇宙を貫く法則から極小細胞の知性にまで、あらゆる分野を下支えしているのです。
 従ってその作用は驚くべき大きさと影響力を持っているという訳です。かつてモーゼや古代の指導者達がその力の大きさを自覚し、人々に畏れ敬うよう教えたのは、この為であったのでしょう。
 今日の私達は、より知性的に自らの判断力に基づき、正しくこの分野に立ち向かおうとしています。このテレパシー講座はこうした私達の探求の道を照らし導くものと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落372

372 Reasoning should be used to evaluate all things impartially, and to elevate the sense perceptions to understand and accept Cosmic Intelligence. Pure reasoning must involve the elements of faith and confidence; not faith in one's self as a personality, but faith in the immutable laws of thought-action, and in the unlimited scope of awareness in the faculty of feeling. This, I have proven by my own experiences over a period of years.
372 推論というものはあらゆるものを差別なく評価するために用いられるべきであり、感覚の認識機能を宇宙の英知を理解し、受容するために用いられるべきです。純粋な推論は信頼と信念の要素を含まなければならず、個性としての自我への信頼ではなく、想念-行動の不変の法則やフィーリングの機能に対する無限の知覚展望への信頼です。これは私自身の経験によって何年もの年月を経て実証して来たものです。


【解説】
 個々の想念や事物を正しく学ぼうとする姿勢(reasoning)は私達にとって大切な要素です。しかし、それは宇宙の根源神への信頼や信仰に基づき、また万物に愛情を注ぐものでなければなりません。
 私達はこの世の中に生きて、人生を旅している訳ですが、その間、様々な出会いがあり、観察や体験の機会を得ることでしょう。そうした際に、私達はひとつずつ物事の奥にある繋がりや仕組みを学ぶ好機を得る訳です。こうした時において、漫然と従来の惰性の精神状態、無感動の心境に居ては、せっかくの機会を逃すことになってしまいます。
 与えられたチャンスを活かし、次なる発展につなげる為にも、これら想念・印象波が伝えようとするイメージに寄り添った受容態勢を心に構える必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落371

371 The rose had nothing to do with the creation of the lily, or vice versa; so man cannot judge one by the other. They are two distinct phases of plant life; and as such, should be recognized equally for their individual character. Yet, by judging and condemning the ideas that are presented to us through our senses, we daily judge and condemn the Creator's manifestations.
371 バラはユリの創造には何らの関係はありませんし、ユリも同様です。ですから、人間は他のものによって、そのものを裁くことは出来ません。それらは植物の生命の中の二つの別個の側面であり、このようにそれら個々の性質として等しく認識されるべきです。しかし、それでも私達の諸感覚を通して私達にもたらされる諸々のアイデアを裁き、非難することで、私達は創造主の創造物を毎日のように裁き、非難しているのです。


【解説】
 私達は自分の身の回りにある創造物を一つ一つ自分の好みの尺度で推し量り、優劣をつけています。これら全ては見掛けの姿、外見による判断で、実に差別的です。その結果、私達はこれまで人種差別はもとより、様々なものを区分けし、自分より優れたものとする対象に対しては崇拝し、そうでない醜いとする者に対しては卑下する態度で接して来たのです。
 しかし、その結果はどうでしょう。自分自身が年老いて行く中で、今度は自分自身が劣った者として卑下することになるのです。まさに自分の物差しで自らが量られることになるのです。
 このような輪廻を繰り返しては進化はなく、私達は自分の回りの創造物をもっと深く洞察し、その中に息づく自分と同じ生命の息吹を見出さねばなりません。こうする中で、印象波を感受する際の正しいreasoning即ち関連性の理解が進むものと思われます。私達の周囲に私達を造った同じ創造主から造られていないものはない、皆同胞である認識が重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落370

370 The difference between pure reasoning and perverted reasoning is the difference between definition and discrimination. We may say that a rose is red and is fragrant; and that a calla lily is white and possesses little fragrance. Our reasoning tells us they are two distinct objects; and defines their character by an act of recognition. But perverted reasoning could say that the lily is a mistake of creation, because it should have been red like the rose; or that the rose is malformed because it is cut up in little pieces called petals.
370 純粋な推論と歪んだ推論との違いは定義と差別の間の違いです。私達はバラというものは赤く、よい香りのするものと言いますが、カラー(訳注:植物名、オランダカイウ、日本ではカラーもしくはカラーリリーと呼ばれる。漏斗状の白い仏炎苞を持つ観葉植物)は白く、香りは無いと言うでしょう。私達の推論はそれらは二つ別個のものであることを私達に伝え、認識の行為によってそれらの特徴を定義します。しかし、歪んだ推論は、そのユリ(訳注:この場合、前述のカラーをユリと認識している)はバラのように赤くなければならないのになっておらず、或いはそのバラ(訳注:この場合は前出のカラーをバラと認識している)は花弁と呼ばれる小片に切れ込まれている為、誤って創造されたものだと言うかも知れません。


【解説】
 私達が最もしてはいけない事柄が「差別」ということです。イエスの言葉の「裁き」と同様です。この差別は私達が対象物に対して優位に思うことに由来します。白人が有色人種を卑下したりする傾向もこの類です。
 この差別感が本講座のテレパシー訓練にも有害であり、やって来る想念・印象に対してそのような傾向を向けることが誤りにつながると指摘しているのです。
 実は時として印象は私達の既存の概念の及ばない広範囲なものとしてやって来る可能性があります。それらは私達の常識には当てはまらない要素もある為、私達の心はそれを毛嫌いすることもあるでしょう。その際に下しやすいのはそれらアイデアに対して差別を加え、無視や捨てるようなことを厳に慎むよう著者は求めているのです。
 やって来る印象をありのままに心を通過させ、その真意を理解しようとする心境が必要だという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落369

369 This is what the average person does to the thought that impresses itself upon his consciousness. Consequently, instead of getting the clear impression of the attentive student, he receives disconnected fragments
369 これが平均的な人間が自分の意識に印象づける想念に対して行っていることです。結局のところ、注目し続ける生徒が明瞭な印象を得るのに対し、彼は互いに繋がりのない断片を受信するのです。



【解説】
 これまで何度となく著者が述べて来たように、想念・印象は時として私達の理解の及ばない新しい視点を含むことがありますが、理解できないからと言って、一つ一つ疑念を持ってはならないということでしょう。先ずは受け入れ、それがどのようなつながりを持っているかを探り、吟味することが必要です。
 よく、ジグゾーパズルの例が示されますが、これも同様で、先ずは全体の図柄を見て、それが何と関連するのかを研究する必要があるという訳です。結局、最終的に絵柄が見えた時、その一つ一つの意義も学ぶことが出来るという訳です。
 せっかく貴重な印象波動に出会っても、混乱だけを身に付けたのでは意味がありません。その印象が指し示す未来がどのようなものであるかを見据えて、印象を受け入れるべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落368

368 Other students will grasp one statement that does not coincide with their preconceived ideas, and shut their minds to the rest They will judge this idea according to their own knowledge of the subject, or compare it with some thought possessing a slight similarity. In so doing, they cut off the natural sequence being presented by the lecturer, and at the end of the session they generally find themselves decidedly confused over what has been said. Of course, they lay the blame at the door of the speaker-not to their own mental reactions.
368 他の生徒達は自分達が描いたアイデアと一致しない一つの発言を捉えて、その残りの話に心を閉ざすことでしょう。彼らはそのテーマに関する自分達の知識に従い、このアイデアに対し裁きを行うか、あるいはわずかな類似点を持ついくつかの想念と比較することでしょう。そうすることで、彼らは講師によって提起された自然な一貫性を切断し、授業時間の最後には、彼らは大抵、自分自身が明らかに語られたことに対して混乱していることに気付きます。もちろん、彼らは自分達自身の心の反応に対してではなく、講師のせいにするのです。


【解説】
 本項も若い頃経験したものです。授業の中のあるべき学生の姿勢について警鐘を鳴らすものです。
 確かに講義の内容について、自分自身で吟味することは大切なことですが、それを講義の中で行うべきではないということでしょう。むしろ講義する教師がどのような想いの流れの中で話をしているのかについて、しっかりつかんで置かないと結局、講義から得るものが無くなってしまうというものです。先ずはしっかりその流れをつかむことが重要です。
 想念・印象の感受についても同様で、やって来るインスピレーションについて、それら想念の流れや関連性を理解しようとうしながら、先ずは一連のビジョンを把握すべきなのでしょう。その上で、これが私達にとってどのような意味を持つのかを考えるべきなのです。その感受した印象の意義について思考すること、それが真の"reasoning"ということだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落367

367 Another instance of perverted reasoning can be found in a group of students listening to a class lecture. Some will absorb what they hear, and at the end of the session will be able to repeat almost verbatim the material presented. They will recognize the logic and lucidity of the subject, and can summarize all points coherently.
367 もう一つの混乱した推論の例は、教室での授業に耳を傾けている学生の一団の中に見出せます。ある者は自分達が聴いたことを吸収し、授業時間の最後には提示された材料をほとんど語句を暗唱するほどになるでしょう。彼らはその本題の論理と明瞭さを認識し、全ての要点を理路整然と要約することが出来るようになります。


【解説】
 本項は正しい"reasoning"の在り方について記しています。本項及び次項は学生時代によく経験するものですが、授業に当たって有益な知見を得るのはどちらの学生であるかということです。
 本項では学生は教師の教えを正しく理解し、身に付けることが出来る訳ですが、それでも自らそれらの教えの一つ一つの流れをチェックし、各々納得して自分の知識として記憶することでしょう。
 重要なことは、単に鵜呑みにすることなく、自分の理解力で納得しながら教えられる知識を自分の一部にすることです。このことは宇宙からやって来る想念・印象についても同様であり、一連の印象の流れに従いながら、それら一つ一つを確認し、自分のものとすることです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落366

366 In the preceding illustration we may safely say that after a certain point, reasoning was not used at all. When this happens it is usually due either to an untrained will, or to just pure mental laziness. Admittedly it is a ludicrous example, but similar examples on a smaller scale occur in our lives daily. Controlling the reasoning mind is what we meant when we spoke of "stilling" it. If we will make it our servant rather than our master, we will not put rockers on our baby carriage of life.
366 前述の事例では、ある時点以降、推論は全く使われていなかったと言えると思います。このようなことが起る時は、大抵は訓練されていない意思であったり、単に単純な心の怠慢のどちらかが原因です。前述の例は明らかに滑稽な事例ではありますが、同様な例は私達の生活の中ではより小さな規模で日々起っているのです。推論する心を制御するということは、私達がそれを「鎮める」と表現する際に意図するものです。もし、私達が心を主人としてではなく、召使にするようになれば、私達は人生の乳母車に揺れ足をつけるようなことはなくなるでしょう。



【解説】
 想念・印象類に関する一連のつながりをチェックすることは大切です。それが無いとやがて出会う膨大な数の印象類の中でどれを採れば良いか、また自分が乗っている想念波動が適したものであるかどうか、分からずに進むことになるからです。
 しかし、このチェック("reasoning")が過度になると、心が横暴になって来る訳で、その統制が必要なのです。心を鎮めることが重要であり、何よりもその機能を統制下に置きながら働かせるということでしょう。本文中の”心を主人でなく召使にする”とはそのことを説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落365

365 True reasoning is the faculty of recognizing sequence, which gives a purpose to life. For instance, when one turns his attention to a certain phase of thought, it is necessary for him to perceive whether he is holding to that particular phase. He should not allow his interest to wander toward, or rather be impressed by other phases which are of a similar nature. For example, if a person received the idea of constructing a baby carriage, he may hold to the original thought flow until the element of motion is beginning to take shape in the image state; then let his attention wander and allow a thought of a similar type to slip into his mind. When the product is finished, and he stands back proudly to survey his handiwork, he discovers he has put rockers instead of wheels on the carriage. He had followed the original impression perfectly to the point where movement entered. He did not achieve one means of motion-the infant can be lulled to sleep; but he did not accomplish his original plan of making a means of conveyance. The general construction of the two objects is similar; and reasoning, that power of recognizing the sequence of ideas, should have told him he had lost the trend of thought.
365 真の意味の推論は連続したつながりを把握する能力であり、それは生命に目的を与えます。例えば人が自分の注目をある想念の側面に向けた時、その人は自分がその特定の側面をしっかり掴んでいるか把握することが必要です。その人は自らの関心をふらつかせたり、類似した性質のある他の側面から印象を受けたりすべきではないのです。例えば、ある人が乳母車を作ろうというアイデアを受信したとすれば、彼は衝動の要素がイメージ状態として形を形成するまでは元の想念が流れるのを保持しているかも知れません。次には自分の関心を放浪させ、似たタイプの想念が自分の心の中に滑り込むことを許してしまいます。作品が完成した時、そして彼が誇らしげに彼の手作業の作品を吟味する時、彼は車の車輪の代わりに揺り足を付けてしまったことに気付きます。彼は衝動が入って来た時点では元来の印象に完全に従っていました。しかし、彼は運動の手段を達成することは出来ませんでした。赤ん坊は眠ることは出来ますが、運ぶ手段という元来の計画は達成しませんでした。この二つの物の一般的なつくりは同じですので、アイデアの連続したつながりを認識する力のある推論は、その者に想念のつながりを見失っていることを伝えるべきであったのです。



【解説】
 私達が想念を受け入れる際に多種多様な類似アイデアの中で求める道から外れないようにしなければなりません。それ故に私達の一連の印象を受け入れる経過について、そのつながりが正しいものかどうか、横道に反れていないかをチェックする必要があるのです。
 この一連の状況は今日のいわゆるネットサーフィンと呼ばれるインターネットの検索作業にも似ています。多様なサイトに巡り合う中で、本題とは大きく外れた事柄に私達の関心が移ってしまうことも多々あるからです。
 初心忘れることなく、本来の求める課題解決に向けて私達自身の一連の精神活動の関連性や連続性を見守ることが本項で言う"reasoning"本来の意義であると本項は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落364

364 Everything in the universe works under the Law of Affinity ... therefore, thought will draw to itself its own kind. If a mind is tuned to particular thought station and the tuning apparatus is not tampered with, it will receive the entire thought program. All that is necessary is for the mind of the recipient to remain quiet until the thought is completed.
364 宇宙の中のあらゆるものは親和の法則の下で働いています。従って想念はその種の想念を引き寄せることになります。もし、心が特定の想念発信局に波長を合わせ、チューニング装置が壊されていなければ、それは全体の想念番組を受信するでしょう。受信者の心にとって必要なこと全ては、その想念が完了するまで静かにしていることです。



【解説】
 本項は課題解決をもたらすアイデアの入手の仕方について、完璧な姿を説いています。私達がアイデアを求める時、私達は宇宙に流れる想念・印象波を求めるものです。この過程は時には自覚のないものですが、私達が求める性質の想念は、次々に同種な想念・印象を引き寄せる為、自ずと解決策が自身に集まることになるのです。
 いわゆる親和の法則です。それ故、私達の関心分野に沿った情報・知識が私達に集まって来ることになります。同様の事は、最近のインターネットの検索システムでも出来上がっており、次々にテーマに関連するサイトを紹介してくれます。
 一方、ここでの注意点として、私達が出会う個々の想念・印象について、個々の内容を十分に理解しないまま、次々にアイデアの間を移動しがちなことを指摘しています。つまり、上辺だけの理解に陥りやすいことです。やっと来た印象の真の意味が内容について落ち着いた理解が不可欠であることです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落363

363 There is a vast difference between true thinking, and the misguided faculty of indiscriminate reasoning. Only two planes of life have the power of reasoning - animals and human beings. While as far as we know the vegetable and mineral kingdoms are devoid of reasoning, and the animal possesses this faculty only to a limited degree, all three planes of life manifestation respond to pressures without resistance. Because of his ability to reason, we have believed man to be the highest type of life on this planet. But actually, indiscriminate reasoning has so perverted his capacity to think universally that in many ways man is much lower than mere plant life. For plant life accepts and acts upon the impulses of nature, without questioning life's purpose.
363 真の思考と誤って導かれた見境のない推論との間には大きな相違があります。生命の内2つの平面、動物界と人間だけが推論の能力を持っています。一方、私達が知る限り、植物や鉱物界には推論は欠いており、動物もこの能力をただ限られた範囲に持っている一方、これら3つの生命の創造の平面は全て抵抗なく圧力に呼応します。その推論の能力の故から、私達人間がこの惑星上で最も高位であると信じて来ました。しかし実際には、見境のない推論は人間の宇宙普遍に思考する能力を誤らせ、多くの場合、人間は単なる植物の生命より低次に置かれています。何故なら植物は自然の衝動に対し、受け入れ行動するからです。



【解説】
 ここで注目すべきなのは、私達が通常、”思考”としている状態の多くは、本項で言う”reasoning(推論)”に該当するということです。もちろん理由を考えることは必要なのですが、見境の無い理由付けは物事を複雑にするだけで、法則の理解とはほど遠いと言えるのでしょう。
 本文はこれらreasoningの能力は人間の他、動物達がわずかに持っているだけだとしています。つまりは、人間の思考の特徴なのかも知れません。デカルトの”我思う故に我有り”が思い浮かびます。しかし、このように論理思考では心(エゴ)が伸長するだけで創造に対する感謝の念は起こらないのです。
 他の生物達は、もっと直観的に印象の指示を受け入れ、自分達の生活に役立てています。渡りをする鳥達や小さな水たまりを世界とする微生物達は、来るべき状況を見据えることで、適切な「行動のタイミングを知り、生存を続けています。今一度、私達もこうした他の生きもの達の能力を身に付ける必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落362

362 Dr. Nicholas Murray Butler once said, "All the problems of the world could be settled easily, if men were only willing to think." He might rather have said, "If men only knew how to think!" This is the great lack in our educational system of today; our young men-to-be are not taught how to think.
362 ニコラス・マレイ・バトラー博士はかつてこう言いました。「世界中の全ての問題は、人間がただ喜んで考えようとするだけで簡単に解決されるだろう。」彼はむしろ、こう言いたかったのかも知れません。「ただ人間が考える方法を知ってさえいれば」と。このことは今日の私達の教育システムにおける大きな欠陥なのです。私達の将来若者となる者が考える方法を教えられていないのです。


【解説】
 問題の解決に何が必要か、私達は日々心で考えるものですが、その思考の在り方について根本的な事柄を説いた先人も居たと著者は述べています。
 その根本的な姿勢、心境こそ、本文に記されているように”喜んで問題解決に向かう”姿であり、解決策に邂逅した時の歓喜であるのです。もちろん問題解決は他の多くの人達を救い、より良い状況をもたらす訳で、解決によって世の中に貢献できたとする喜びもひとしおです。
 これらの体験は私達の日頃の心境にも大きな影響を与えるでしょうし、何よりもこの成功体験から、本人の進化の歩みが加速することも間違いありません。このような問題に向き合う姿勢こそ、若者に大きなチャンスを与えるものとなるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落361

PART Ⅲ
CHAPTER Ⅳ
Thinking Versus Reasoning
361 Thinking is neither toil, nor stress, nor strain. Rather, it is the ability to allow thought action to take place in an unobstructed manner; and the power of observing its path to travel.
第3部
第4章 思考と推論
361 思考とは労苦でも重圧でも緊張でもありません。むしろ邪魔されることなく、思考行動が起こせるようにさせて置く能力、その流れが巡る道筋を観察する力なのです。



【解説】
 よく考えると何か解決策を求めて考えを巡らす時、とかく私達は心の中を逡巡させる中で時間ばかりが経過するようなプロセスに陥りがちです。しかし、その解決策に出会う時、私達はそれが心が考え出したものでなく、何か外部からの印象をうまく捕らえられたに過ぎないことに気付きます。
 即ち、心が開放され、自由に宇宙から来る想念・印象を感受出来るようになった時、解決策に巡り合えることになると考えています。心がそれまでのこだわりを捨て、自由になった時、解決策に巡り合える機会が増えるという訳です。
 従って、心が苦労の末に物事を成就するのではなく、心が印象に素直になること、言い換えれば宇宙的印象に従った生き方を選択する中で、物事は自然と解決されて行くことになるのです。仏教で言う”他力本願”の真意はそこにあるのかと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落388

388 May God bless you. May this course become You. For then you, the Prodigal Son, will have returned home to your rightful inheritance . . . one with the Father.
388 神の祝福があらんことを。この講座があなた自身になりますように。何故なら、その時、放蕩息子であるあなたは、あなたの正当なる相続財産の待つ自分の家に戻っているだろうからです。父と一体になって。

【解説】
 著者アダムスキー氏はこの講座を終結するに当たって、私達にこの講座が私達自身のこれからの生き方そのものになるよう、また多くの祝福があることを祈っています。
 テレパシー能力は単に一部の予知や遠隔透視の能力が高まるだけのものではありません。それは人間の生き方の根本に関わる内容であり、私達自身のこれまでの考え方や信条を根本的に見直し、改革する内容を含んでいます。
 また、ここで注目して置かなければならないのは、これら能力は目指すべき理想として説かれているのではなく、他惑星人においては日常的な能力、誰にも備わった極く自然の能力となっていることです。この長い年月、混迷を続け、争いに明け暮れていたこの惑星にとっては、そこのステージに到達することは容易なことではありませんが、一人一人が自らを進化させられれば、やがて先進的惑星文明にも近づくことが出来る筈です。そういう意味からも毎日の一人一人の心境が如何なる状態に保たれているかが重要なところです。皆様のご発展を心より願うものです。
 本項で、第2集目の「テレパシー」講座が終了しました。
 次回からは、第2集目の「宇宙哲学」講座に入る予定です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落387

387 We all make mistakes These are part of our experiences. Do not be discouraged, for we have centuries to undo; so be grateful for even a small crumb that might become an integral part of you. The difference between a wise man and a fool is -a wise man learns from his mistakes, and never repeats them; while the fool keeps repeating the same mistakes.
387 私達は皆、過ちをおかします。しかし、これらは私達の経験の一部なのです。がっかりしないで欲しいのです。何故なら、私達には元に戻す為に何世紀もかかるためです。ですから、些細な手足の曲がりについても、それがあなたの総体の一部になることに感謝することです。賢い者と馬鹿者との違いは、賢い者は自分の過ちから学び、二度と繰り返しませんが、一方、馬鹿者は同じ過ちを繰り返します。



【解説】
 テレパシー能力の開発についても、私達は各自自ら学び取って行かねばなりません。もちろんその中には、誤った対応や失敗も数多く経験する筈です。しかし著者は、そんな私達に時間は十分にあるから心配しないようにと諭しています。誤りの原因を研究し、その痛い経験から学ぶことの重要性を説いているのです。
 よく継続することが大切だと言われますが、テレパシー能力についてもそのことが言えます。私自身もこれまで何十年とアダムスキー哲学に惹かれた多くの方を見て来ました。しかし、その多くの方々は最初の熱狂的な資料収集、知識の獲得が終わると、後は大抵興味が薄れ、また違った情報の発信者の方に移り去るケースも多いように思われます。
 実はテレパシー能力の開発等については、全くの個人の実践努力の占める割合が大きく、本来は実践の中で失敗から学ぶケースが多い分野ではないかと考えています。自分が日常保持する「心境」が現実生活にどのような影響を及ぼすかは本人しか分からない事柄です。その試行錯誤を積み重ねる中で、より良い方向を学んで行くのが私達本来の人生航路ということになります。
 著者アダムスキー氏はテレパシー講座の終わりを前に、私達に今後は自らの判断で失敗をも糧をしながら、進化の道を歩むようにと諭しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落386

386 Impatience is a major cause of unbalance in our lives, and interferes when impressions are coming to us. Our zealous desires often inject our own sense ideas in place of waiting for the full thought; and we distort the true meaning of the impression. Logic tells us to be patient and observant. We should learn to obey logic from the Cosmic angle.
386 せっかちが私達の生活の中の不均衡をもたらす主要な原因ですし、それは印象類がやって来た時に介入します。私達の熱狂的な願望は、しばしば本来の完全な想念まで待つべき所に、私達自身の感覚のアイデアを注入してしまうのです。そして私達は印象の真の意味をゆがめてしまいます。道理は私達に忍耐強く、またよく観察するよう教えています。私達は宇宙的角度から道理に従うことを学ばなければなりません。



【解説】
 想念・印象の感受に関してアダムスキー氏はよくジグゾーパズルの例を説かれています。本項についてもそのイメージを掴むことが出来れば、著者が伝えたい内容が分かります。
 即ち、想念・印象は一度に全てが与えられるという訳ではないようです。心にとってはバラバラなイメージとして断片的なものが送られて来るという訳です。全体像はこれらの断片を本来の位置に配置することで明らかになるのですが、それが判明するまでは、ひたすら冷静に待つ他ありません。そこに心の忍耐が必要になる訳です。他方、これに対し、せっかちにこれまでの心の延長で結論を急ぐのは賢明ではありません。最初の内は、未熟な心が十分な機能が無く、時間もかかるように思われます。
 しかし、心が落ち着いて、ジグゾーパズルのようにこれら断片的な印象イメージを繋ぎ合わせることが出来るようになれば、早晩印象本来の全体イメージを掴むことが出来る訳です。この点において私達は短気であってはいけないのです。高速で私達を通過する想念・印象はパルス状の信号として私達はその断片を把握する為、このような状況が生まれるものと思われますが、やがて心の能力が高まれば、このような高速度の信号を一度に多量に捕捉できるようになり、理解も早まることになるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落385

385 Mind is but the medium between matter and Intelligence that associates the two for manifestation. The sense-mind is a minute part of Cosmic Mind. If the sense-mind hopes to be the recipient of Cosmic knowledge, it should not try to recreate, or change, the information given to it by feeling, or consciousness.
385 心は物質と英知の両者を創造のために結びつける媒体でしかありません。感覚心は大宇宙心の極小な一部分です。もしも、感覚心が宇宙的知識の受取人になりたいと望むなら、感覚心はフィーリングあるいは意識によって与えられた情報を再形成したり、変えてはならないのです。



【解説】
 これまで私達は心というものは、自我の行動を指図したり、他人を批判するだけの存在のように思って来ましたが、実は本来は更に大きな役割を持っていることが本項で説かれています。物質と英知を融合させる力が本来の心の役割なのです。
 しかもその心なるもの自体、更に大きく拡がった大宇宙心なるものの一部だとしています。言い換えれば宇宙全域で行われている創造活動も心が介在する作用ということになります。その内、限られた範囲に閉じこもっているのが私達の現状の感覚心というものです。
 従って、先ずは私達の心の可能性についてしっかり認識する必要があります。良い想念を抱き、決して邪悪、低レベルな想念を起こさないことはこうした心の潜在力、実現力を考慮して申し上げている訳です。
 私達は自らの内側にこのような潜在能力を持つ心を有していることを先ずよく認識して、それらの育成、教育に力を注ぐ必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落384

384 The mind is made up of the four senses, and they should be educated for the purpose of acquiring knowledge; rather than passing judgment. Mind is a catalyst, or go between, uniting matter and Intelligence. When, through its personalized reasoning mind combines the two wrongly, the results are usually unpleasant. Remember, we have said we are living in what could rightly be called a chemical universe; conceived out of Intelligence, and perpetuated by Force. Any student of chemistry knows that wrong combinations of chemicals can produce undesirable results. So any time your actions result in unpleasant experiences, analyze the combinations you have put together.
384 心は4つの感覚から成り立っており、それら4感覚は知識を獲得する為には、裁きを下すのではなく、教育されねばならないのです。心は物質と英知を結びつける触媒であり、仲介者です。心の個人化した推論を通じて心が両者を誤って結びつける時、その結果は大抵、不快なものになります。覚えておいて欲しいのは、私達はまさしく化学的な宇宙と呼んでよいもの、英知の中から孕まれフォース(訳注:宇宙の力)によって永続されるものの中に生きていると私達が言って来たことです。化学を学ぶどんな学生でも化学物質の誤った組み合わせは望ましくない結果を作り出すことを知っています。ですから、あなたの行動が不快な体験になったとしたら、その時はいつもあなたが両者を結びつけた組み合わせについて分析することです。



【解説】
 私達各人の心の作用について、本項では整理されています。即ち、当面私達の心が及ぶ範囲が限定されたものであっても、それは私達自身の肉体の隅々にまで及ぶことは分かります。その物質とも言える肉体と私達の想念とを反応させているのが心という訳です。
 つまり、仮に想念・印象は無数に存在し、絶えず宇宙に莫大な数流れているにせよ、私達の心がそれを感知し、同調しなければ想念・印象は力を発揮出来ません。私達の心がその想念・印象の内容を解釈し、行動へと繋げることで、想念・印象が具体的な作用を発揮出来ることになります。
 そういう意味では、私達の心は想念・印象と物質世界とを繋ぐ役割があるとも言える訳です。また、その心の作用は時として謝った解釈や自我の欲望その他誤った思考の下、事態を混乱させることもあり、私達はその結果を見て、誤った心の作用を反省することも多い筈です。
 このように日々、自らの心境と対応して目前に現れる結果とを対比させることによって、私達は自らの心の有りようを修正して行く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落383

383 The four senses, the arbitrary rulers of most lives, should be your servants. Each sense has a will of its own, its own reasoning faculty, and is possessed by its own fears. In many instances, it is the four senses through their condemnation of that which they have not previously experienced, that closes the door to new ideas.
383 ほとんどの人生の専制的な支配者である4つの感覚は、あなたの召使にしなければなりません。各々の感覚はそれ自体の意思を持っており、また、その固有の恐怖にとりつかれています。多くの場合、自らが過去に経験したことがないことを非難することで新しいアイデアに対して扉を閉めるのは、この4つの感覚なのです。



【解説】
 確かに私達にとって想念・印象の取り扱いははじめての事柄なのです。これまでは、目や耳、鼻や舌の反応の善し悪しで、外界のもの悉くを私達は判断して来ました。また、そこには長年の経緯から、これら四感覚が全てを取り仕切るようになっており、私達自身をも支配するようになっているのです。
 しかし、想念・印象はこれら既存の感覚とは別のルートで知覚される為、最初の内はこれら四感覚が抵抗を示したり、疑いを持ったりすることになります。私達に対して、そのような根拠もあいまいなものに振り回されるなと批判することも多いのです。
 実は、私達はこの想念・印象の知覚に関して何も無い状況から開拓して行こうとしている訳ではありません。エデンの園の寓話のように原始の創造の時代、私達は想念・印象を介して創造主と向き合って生活していたように思われます。日本神道で言えば、神人一体、万物に神宿るの世界です。しかし、その後、感覚が増長し、印象を必要としない生き方に変わってしまったように思われます。目に見えない世界より、目に見える結果を重視した生活です。
 しかし、その結果、私達は印象の世界を忘れてしまったのです。このテレパシー講座は、私達を創造直後の状況に戻し、他の生きもの達が享受している輝かく日々に復帰させるものなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落382

382 We believe the effects of emotions have been well covered in this course. We have pointed out the detrimental effect destructive emotions have on the body, and have given you examples in your daily life whereby you can prove this for yourself. So watch your thought-pattern habits; for your emotions are controlled by them. People are like apples in a barrel-we either mellow with maturity, or we rot. Unlike the apples, we have control over which of these will be our destiny; for our thought-pattern habits will decide our lot.
382 私達はこの講座において、感情がもたらす影響について十分に言及されて来たと思っています。私達は破壊的な感情が身体にもたらす有害な影響を指摘して来ましたし、あなたの日常生活の中での例示を示しましたが、それはそれによってあなた自身で確かめることが出来るものです。ですから、あなたの想念パターンの習慣を観察することです。何故ならあなたの感情はそれらによって支配されているからです。人々は樽の中のリンゴに似ています。私達は成熟して熟するか、腐るかのいずれかです。しかし、リンゴとは違って、私達はそのどちらが私達の運命になるかについて、支配権を持っています。何故なら私達の想念パターンは私達のめぐり合わせを決めることになるからです。



【解説】
 私達は各自想念パターンを持っているように思います。その想念パターンから日常の想念が生まれ、感情へと発展し、良しにつけ悪しきにつけ私達自身や周囲に影響を与えているということでしょう。
 ですから、先ずは自らの想念パターンが私達自身にとって適切なものかどうかを絶えずチェックすることがとても重要なのです。これはひいては「想念観察」とも呼ばれるものに繋がっている有効な手法の一つです。
 しかし、何の為に観察を行うかがより重要です。私達は既にこの宇宙の基本的な潮流として、生命の息吹とも言える調和した美しさが万物の細部に流れていることを学んでいます。その源流を合致した想念を私達が日常放っていることが私達の進化の可能性を促進するものです。それ故に少しでもそこから外れた想念に交わり、乱されることがないか、常に監視する必要がある訳です。
 年月が過ぎ、これら一連の精進が進む時、私達は本分にある完熟したリンゴになることが出来ますが、他方、乱れた想念の下では身体はボロボロになり、手の付けられない状況になると本文は警告しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落381

381 The personal ego, interested only in perpetuating itself, is unaware of its unity with all manifestation; and selfishly concentrates its efforts upon the personal self. But when. through understanding, we can get the ego to turn its awareness outward, it will return to its natural free state; and the real Self will recognize its oneness with the Cosmos.
381 個人的な自我は自分自身の永続化のみに関心がある為、全ての創造物との一体性について気付いてはいません。そして自分自身への努力に自分本位に集中しています。しかし、理解を通じて私達は自我をその知覚を外向きに転換させることが出来る時、それはその自然で自由な状態に戻ることでしょう。また、その時、真の自己は宇宙との一体性を認識することでしょう。

【解説】
 私達が日頃悩んだり、苦しんだりすることの大半の原因は、自我(エゴ)に関連しています。仏陀もこうした煩悩や苦しみの原因を長い歳月をかけて分析、観察された結果、エゴの外側にある美しい世界に気付き、私達人間の行くべき道について覚醒されたということでしょう。
 本項においては、更にこの自我なるものが本人を支配し、自らの永続性を担保したいがために、様々な対策を本人にとらせようとするのだと断言しています。生命の永続性への不安や自ら所有するとする財産の保全、名声の確保等、気にするものです。
 しかし、これらへの対応は、そもそも本来の宇宙の流れ、法則に沿っていない以上、本人に成果をもたらすものではありません。
 これ以上、私達は、自我への集中、こだわりを止めて、関心を他の分野に解放すべきです。自身の生命の永続性など、不確実なものにこだわるのではなく、より広い宇宙との一体性や関連性にこそ、永続性のカギがあることに、いち早く気付く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落380

Conclusion
380 You have now become acquainted with the three tyrannical rulers that make up the life of the average person today: The ego, the emotions, and the four senses. We have shown you how each one influences your body and your mind.
結論
380 あなたは今や、今日の平均的な人間の生涯を作り上げている3人の専制的支配者に通じています。それらは即ち、自我、感情そして4つの感覚です。私達はあなたにこれらの各々があなたの身体と心に影響を与えていることを示して来ました。



【解説】
 本項からは講座のまとめになります。
 先ずはじめに著者は全体を振り返り、私達の日常生活が「自我」と「感情」そして「四つの感覚」に支配されていることを指摘しています。言い換えれば、「自尊心」「誇り」その他自分自身を高め、その価値が他人より勝っていることや、その優越性の誇示、更には支配欲等は、「自我」に由来しますし、多くの事件の元となる「激情」の発現等、それに一時期支配されたために、大罪を犯す例、また日々の生活の中で様々な他者への「裁き」等、自らの感覚の意見による偏見等々、多くの問題はこれら3つの要素が原因となっているということでしょう。
 従って、私達はまず、自分の日常生活にそれら3要素を入り込ませないよう、常に監視する必要があります。今年は戦後70年の節目の年といわれていますが、戦争はこれら3要素が具体的にどのような状況を私達にもたらすかを示唆する代表的な例でもあります。アダムスキー氏が砂漠でオーソンと会見した1952年は、まだ戦後の傷跡が残り、世界が新たな核戦争に向けた歩みを進めている時期であり、これら一連の動きに対応しての、外宇宙からの支援プログラムであったことは今になってわかるというものです。

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