テレパシー 第3部 第2章

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落282

282 Relaxation is generally misunderstood. In consequence, there few people who have ever experienced true relaxation. Contrary to popular belief, it is not a state of inertia. It is a condition of intensified activity . . . because it is free activity.
282 リラクゼーションは概して誤解されています。結局のところ、これまで真のリラクゼーションを体験した人は少ないのです。よく信じられているのとは反対に、リラクゼーションは何もしない惰性の状態ではありません。それは、自由な活動であるが故に、激化した活動の状態なのです。




【解説】
 様々な場面で”平常心”という表現が用いられますが、私達が真に課題に直面した時、必要になるのはこのような心身の状態であると言えます。
 仮に危機的な状況であっても解決策に巡り合うには本項に示されているように宇宙からやって来るインスピレーションに同調出来る健全な心境が必要なのです。
 その為にも私達は普段から、自ら進んでこのようなバランスを取れた心身の状態を作り出し、それを維持するよう心掛けることです。これら一連の訓練は日常生活を通じて私達が実践可能なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落281

281 To some people, this may seem a very haphazard way of experiencing life. For has not the human ego, through hundreds of thousands of years, been trained to the idea of accomplishment by aggression and personal effort? Yet, there are the fortunate few who have discovered the universal way of life. Such persons include not only the seers and the philosophers (who, we pointed out earlier, understood that mastery of the body was essential), but those in all walks of life. Thomas Edison, one of the great scientists of our times, once remarked, "I have found that the answer to some of my most perplexing problems come to me after I have ceased trying to solve them." In other words, the thoughts started to flow freely when his interest was impersonal; when his intense concentration had been released.
281 人々によっては、これは人生を経験する上で行き当たりばったりのように思えるかも知れません。何故なら、人間のエゴは何十万年もの間、攻撃と個人的な努力による物事の達成という概念で訓練されて来たのではなかったでしょうか?それでも宇宙普遍の生き方を発見できた幸運な人達もいます。これらの人達の中には予言者や哲学者(彼らは古くから肉体の支配が不可欠であることを指摘し理解していました)ばかりでなく、あらゆる人生の歩みの中におりました。今日の偉大な科学者であるトーマス・エジソンはかつて、こう述べました。「私のいくつか悩んでいた問題の回答は、私がそれを解決したいとする努力を止めた後にやって来ました。」言い換えれば、彼の関心が非個人的になった時、即ち彼の強烈なる集中が開放された時に想念が自由に流れはじめたということです。




【解説】
 もちろん自ら努力する者でなければなりませんが、そもそもその努力する方向について大切な示唆を与えているのが本項です。
 問題解決に向けて自分の経験や知識を探すことはもちろん必要です。しかし、それでは十分でありません。実はこうして自らの関心、即ちアンテナをその課題に向ける訳ですが、実際の解決は過去の経験だけでは進まないのが通例です。どうしても新しい方法や知識が必要なのですが、これら解決法に巡り合うには外部からの手助け、即ちインスピレーションに頼る必要があります。そこに外からの印象を受け入れる心身の状態が必要になるのです。
 その為に必要となるのが心身が十分に柔軟で外部から来る微小な想念波動に気付ける状態を維持することです。エジソンはこうして数多くの発明を成し遂げたということであり、エジソン自身、問題解決の為のメカニズムを理解していたという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落280

280 It is not easy to hold one's self always in a state of receptivity, because it demands a perfectly balanced consciousness. It is not a simple task to keep the body in a state of relaxation and still maintain a positive interest in all action around, and within us. Yet, this state is necessary to a good recipient. We must learn to look upon our mental reactions as though we were an impersonal bystander, and our thoughts were nothing more than actions taking place upon a stage.
280 自我を感受性のある状態に保つことは容易ではありません。完全なる調和した意識が必要だからです。肉体をリラクゼーションの状態に保ち、しかも周囲や自らの内面のあらゆる活動に対して積極的な関心を維持することは容易な任務ではないのです。しかし、良い感受者にはこの状態は無くてはならないものです。私達はあたかも自分が個人的に関係がない傍観者であるかのように、私達の精神的な反応を観ること、また、私達の想念がステージで起っている演技でしかないかのように観ることを学ばなければなりません。




【解説】
 本稿はある意味テレパシーの極意を示唆するものと言えるでしょう。空間を通過する妙なる想念を感知する為に心はバランスのとれた穏やかでかつ他者に対する関心を保っていることが必要なのです。
 これを成し遂げるには、各自は自分自身の心身の状況を把握し、バランスのとれた状態を維持する必要があります。つまり、マイナスや過度のプラス、即ち攻撃的な姿勢を改め、静かに心を通過する想念波を観察することが求められます。
 かく言う私も心身を安定した状況に保つことは容易ではありません。その渦中に入ってしまうよりは、一歩引いて、客観的に自身を見詰め直すことも必要でしょう。本文に表現されているように想念を舞台で演じられている劇のように、少し引いたところから観察する自分が必要であると著者が説いている所は重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落279

279 Thought-transference is much like a radio broadcast. In radio, a message or vibration is spoken into the microphone; passes through an amplifier and transformer; travels through space as an electric wave; is picked up by a receptive instrument; carried through the wires to the detector tube and transformer, where it again changes into the original sound waves. But if the power fails, or a tube goes dead in the middle of the message, the sound waves coming from the set will stop, and the speaker's voice may be interrupted in the middle of a word. When we tense our minds to an incoming thought, it produces the same effect on the brain that the power failure, or dead tube does in the radio set.
279 想念伝達は、ラジオ放送により近いものです。ラジオの場合、メッセージあるいは振動がマイクロホンの中に話され、アンプや変圧器を通り、電気的な波として空間を移動し、ある受信装置に拾い上げられると、電線の中を通って検波管や変圧器に運ばれ、そこで再び元の音声波に変換されます。しかし、メッセージの途中でも、電力が無くなれば、あるいは真空管が作動しなくなれば、ラジオから出る音声波は停止し、話し手の声は途中で中断させられることになるでしょう。私達が入って来る想念に対し、心を緊張させると、ラジオにおいて電力が落ちたり、真空管が切れるのと同じ影響を作り出すことになるのです。




【解説】
 本文から想念伝達の原理が明らかにされています。
 ここで重要だと思うのは、想念波自体は何か放送電波のようなものでしょうが、その大本の内容は受信者の中にある諸機能により、受信後再び送信者の意図が再現されるということです。つまり、受信者側にその再現機能の問題が生じれば、送信者の想念が再現されなくなるということになります。
 そこで重要となるのは、受信者が自らの受信機能を安定して保ち、目新しい想念・印象に出会ったからと言って、妙に緊張したり、拒絶するようなことのないよう、穏やかさを保つことです。
 私達自身の受信機を常に正常な状態にしておくことが次なるインスピレーションを受ける上での準備となるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落278

278 Often, however, the loss of important telepathic communications - whether from animate or so-called inanimate sources - is not due to lack of interest, but due to a too intense interest; or a personal greed for knowledge. A thought, as we have explained, does not travel in a lump like a cannon ball, but in a series of waves. One complete thought may produce itself in fifty thousand individual undulations. Yet, nine times out of ten the instant a forerunner of a thought-message strikes the human brain the ego, if interested, will grab it and immediately tense the brain and body cells by concentrating upon the incoming thought. That sudden tensening of the cell activity is merely slamming the door in the face of the incoming thought. The five or six hundred impulses which found their way into our conscious brain cells before the door was closed, produced only a fleeting impression in our awareness; which, because we have received only a portion of the message, often results in a sense of confusion.
278 しかし、重要なテレパシックな意思疎通の喪失は生物からであれ、いわゆる無生物からであれ、関心の欠如に起因するのでなく、しばしば過剰な関心や知識に対する個人的な貪欲さにも起因しています。想念は私達が説明して来たように、大砲の弾丸のように塊で移動するものではありません。一つの完全な想念は50,000個の個別なうねりによって自身を作り上げているかも知れません。しかし、10の内、9回は想念メッセージがエゴである頭脳を叩く瞬間、エゴが関心を示せばエゴはそれをつかみ取り、そのやって来る想念に集中することで、頭脳と肉体の細胞を即座に緊張させます。細胞活動をそのように急に緊張させることは、入って来つつある想念の目の前でドアをバタンと閉めていることに過ぎません。その扉が閉まる前に私達の頭脳細胞の中に入った500から600の衝動は私達の知覚の中に先頭の印象しか作り出すことが出来ませんし、私達はそのメッセージのわずかな部分しか受け取らなかったため、しばしば混乱の感じしか結果として残らないのです。



【解説】
 本項では私達のインスピレーションに対する感度の実態が示されていると言えるでしょう。全体で5万の想念波に対してわずかその100分の1の5百前後を感知した段階で身体細胞が緊張のあまり、扉を閉ざしてしまうのが実態なのです。
 このように折角、インスピレーションに巡り会っても、それら新しい知識に対し強欲である為に身体細胞がそれ以上受信できないような緊張状態に陥ってしまうという訳で、実に惜しい状況だと指摘しています。
 私達にとって無関心であることはもちろん、このように過度な関心の集中についても問題があるという訳です。努めて穏やかな心身の状態を保つ中でインスピレーションが私達に伝える全容を理解するよう、当面、心が理解出来なくても先ずは全体を受け入れようとすることが重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落277

277 The wise man will learn to pay attention to all thoughts passing through his brain. He will heed not only those pertaining to self, but also those thoughts taking place outside his personal field of comprehension. For only in this way will he grow in knowledge and receptivity. It is indifference and lack of interest which causes man to lose the greatest jewels of wisdom . . . lose them through apathy when he actually holds them within his grasp.
277 賢明な者は自分の頭脳を通過する全ての想念に注意を払うことを学ぶでしょう。彼は自身に属するもののみでなく、自分自身の理解の分野以外で起る想念についても心に留めることでしょう。この方法を通じてのみ、知識や感受性において成長するからです。人に智恵の最大の宝石を失わせるのは無頓着と関心の薄さであり、実際、手に握っているにも拘わらず無感動のまま無くしてしまうのです。




【解説】
 私達は自らに与えられる恵みに鋭敏であらねばなりません。私達が成長するのはこれら時として心に浮かぶインスピレーションが元となるからです。これらの現象は日常的に起こっており、これらに気付かないことは、実にそのチャンスを自ら放棄しているに等しいのです。
 この場合、どうしたらそのようなチャンスを生かせるのでしょうか。その為には常に心の中を穏やかにかつ鋭敏に保つこと、何事にも関心を持ち、自らを成長させたいという意思を持つことかと思います。優れた発明をする場合も、何かの課題を解決し、技術を進歩させたいと願うことがベースになっている筈です。
 このように考えると、私達に必要なのはやって来る印象に対してどのようなものにも拒むことなく取り入れてそれがどのような意味を示唆しているかを先ずは観ることが大切です。その為には心を広く構えて、あらゆるものを受容する包容力が必要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落276

276 If he gives these thoughts any recognition, he generally releases them immediately as mere figments of his imagination. But, after all, what is imagination? Is it not the faculty to objectify, or imagine, that which is invisible to the senses? As one Eastern philosopher aptly phrased it, "Imagination is the bridge between the known and the unknown."
276 もしその者がこれらの想念に何らかの認知を与えたとしても、その者はそれらを単なる自分の想像の産物だとして通常は手放してしまいます。しかし、結局のところ想像とは何でしょうか。それは既存の諸感覚には見えないものを具体化し、考えてみる能力ではないでしょうか。ある東洋の哲学者はこれをうまく表現しました。「想像とは既知と未知との間の架け橋である。」




【解説】
 本項は私達が日常的に遭遇している想念がどのようなものかを改めて示しています。
 即ち、通常、私達が単なる想像、幻想と言った類の思いつきだとして捨て去るものの中に、それらの要素が入っているというのです。通常、私達がそれらのアイデアのカケラが心に浮かんでもそれらは単なる妄想だとして捨てている為に、テレパシー能力が育成されないのです。
 本項で言う東洋の哲学者が誰なのかはわからないのですが、私達が通常、想像として分類しているものの多くは因からの想念波動であり、それらはやがては現実化することを説いています。宇宙空間の中を流れる創造作用を持つ印象類である可能性があるという訳です。
 テレパシー能力は単に相手の発する想念を理解出来るという段階から創造的な想念波動、因に起源を置く創造主の意図を理解する段階に進むべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落275

275 But even with interest we must analyze our mental reactions; for there is personal interest, and universal interest. One may find that he is able to receive many impressions or premonitions regarding his own affairs; yet be a closed channel for national, world, or universal impressions. If this person will watch his thought action closely, he will discover that hundreds of thoughts pass through his brain during each day which do not register strongly; because they do not seem to pertain to himself, his personal experiences, or have appeal to his individualized knowledge of outside affairs.
275 しかし、関心についても私達の精神面の反応を分析しなければなりません。何故なら、個人的な関心もあり、宇宙的な関心もあるからです。人は自分が自分自身の事柄に関しては多くの印象や予感を感受することが出来ていることには気付くかも知れません。しかし、国家や世界、あるいは宇宙的な印象類については閉ざされた経路になっています。もし、この人物が綿密に自らの想念波動を観察するならば、毎日何百もの想念が強い印象を残さないまま自身の頭脳を通過していることを発見するでしょう。何故ならそれら想念は自身や自分の個人的な体験に属するようなものでなく、自身の外部の出来事についての個人的な知見に訴えるものではないというのがその理由です。




【解説】
 確かに私達には少なくても何百、何千という想念・印象がやって来ることでしょう。その内、実際に私達が気付き取り入れるのは、ほんのわずかという訳です。本当はもっと多くのアイデアを持ち、事業も発展できる環境にあるのに、それを生かし切れていないのが私達です。
 本項ではその原因を、私達が事前に特定の分野の印象しか受け入れようとしない傾向にあることを指摘しています。つまり、私達自身の関心事を如何に広げるかが求められているのです。
 しかし、本人の関心事を拡げるのは容易ではありません。本来、最高位の創造物である人間はあらゆる事柄に関心を持たねばなりませんが、エゴが高慢になった挙句、自分以外の存在物に敬意もなく、尊敬もなくなってしまったのではないでしょうか。
 それを打破するためには、再度、自ら自然を探求する他、手段はありません。植物画や昆虫の絵本等、精緻な絵画を描く画家は皆、年配になっても生き生きとされているように思われます。言葉を発しない生きもの達を観察し、画としてその姿を再現する過程にそれら生きもの達との一体感の中で、より深い理解が広がって行くに違いありません。


ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落274

274 Interest, unlike concentration, does not deplete the cells. Due to their state of curiosity regarding the new information, the cells are open to the incoming force. Being in a free state, instead of using their stored-up energy as they do with intense concentration, the cells are so normally balanced in action that they receive equally as they give out; so no fatigue is felt.
274 関心は集中とは異なり、細胞を消耗させることはありません。その新しい情報に関する興味を持った状況の為、細胞は入って来る力に対し開放しています。激しい集中ではそれら貯えたエネルギーを使っていたのに対し、自由な状態においては細胞は正常にバランスされ、出すのと同量を受け入れることとなる為、疲労は感じられません。




【解説】
 年を取ると新しい物事に対する関心が薄れがちですが、これが大きな問題なのです。絶えず新しい分野に関心を持つこと、新鮮さを失わないことが長寿の秘訣かと思われます。
 その為には、昔のことに囚われることなく、また自らの欲望に執着するのではなく、あらゆる事象を内観し、その中に隠れている様々な要素に気付くことも必要かと考えます。
 その点、大いに参考とすべきは自然界の生きもの達です。彼らは言葉を発することなく、無駄なく、また不平不満を述べることなく与えられた環境を享受しています。この頃は朝晩の通勤途上で爽やかに鳴くコオロギの声を聞くようになりました。ささやかな環境の中でも精一杯、驚く程のキレイな音色を出す虫達の生活振りに想いを寄せるのも楽しい秋のひと時です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落273

273 We are living examples of this law in action. Our modern mechanical age with its labor-saving devices, which should give us more time to become acquainted with ourselves and the universe in which we live, has enslaved the average person by the fast pace they now expect. We work, eat, sleep and play in a state of high concentration; then wonder why we suffer from constipation, colds, high blood pressure, and drop dead with heart failure in the prime of life. All the medicine in the world cannot make the little cells of our bodies operate efficiently while our minds are under tension.
273 私達はこの法則の生ける実例です。私達の現代の機械化の時代には労働を軽減する装置があり、それらは私達に自分自身と私達が住んでいる宇宙をよく知るためにより多くの時間をもたらす筈なのですが、平均的な人間を自分達が思い込んでいるテンポの速いペースの虜にしています。私達は高い集中度の下、働き、食べ、眠りそして遊びます。そして何故、私達が便秘や風邪、高血圧に苦しみ、生涯の全盛期に心臓麻痺で倒れるのかを不思議に思うものです。この世の全ての薬は私達の心が緊張下に置かれている間は私達の肉体の微小な細胞を効果的に動かすことは出来ないのです。




【解説】
 せっかくの文明社会に居ながら、私達は依然として旧態ながらのあくせくした心のままで日常を過ごしています。その結果、心の過度の緊張や集中によって、肉体は疲弊した状態にあり、様々な病気を抱えるに至っています。
 本項はこのような心の問題が解消しない限り、薬では効果が出ないと断言しています。つまり私達が抱える肉体細胞の問題は薬よりも心の問題を先に解決する必要があるということです。
 私達が本来、授けられた恵まれた環境を生かす上でも、自らの心の問題こそ、真っ先に対処すべきという訳です。しかし、この課題は各自が解決に向けて努力しなければなりません。他の者は助言は与えられるものの、その行動実践は本人でしか為しえないのです。
 本項で説かれている集中の問題は、はるか2000年以上も前に仏陀が説かれた執着の問題に対応しています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落272

272 During experiments conducted in the field of intentional telepathy by researchers, it has been found that the rate of accuracy in reception in any group is higher for the first series of tests than it is later. They have attributed this to mental fatigue, but it might more logically be explained as concentration fatigue; for it is produced by the enforced focusing of the attention upon one point, or idea. Because it demands an increased expenditure of the potential body force, any form of concentration will produce fatigue. The energy of the cells is being dissipated at a very high rate, and due to their tenseness caused by this mental strain, they are not able to replenish their energy as fast as they are giving it out. This creates an unbalanced condition in the body.
272 研究者達による意図的テレパシーの分野で行われた実験の間、如何なる集団においても正確さの割合は最初のテストが後のものよりも高いことが発見されています。彼らはこれを精神的疲労のせいとしていましたが、集中化による疲労と説明する方がもっと論理的と言えるかも知れません。何故なら、ある一点あるいは概念に注意を強制的に集中させることで疲労が作られるからです。その集中が潜在する肉体の力の消費量を増加させることになる為、どのような形であれ、集中は疲労を作り出します。細胞のエネルギーが非常に高速度で消失し、心の引き締めによって作り出された緊張の故に、細胞は自分達のエネルギーを補給することが出来ないまま、エネルギーを放出してしまいます。これは肉体にアンバランスな状態を作り上げます。




【解説】
 本項はこれから私達がテレパシー能力向上を目指して各自訓練して行く上での指針となるものです。
 とかく私達は成果を急ぎがちです。その為に何かの目標に集中しますが、その際の心の持ちようについて注意しています。つまり、説明事例にあるように、多くの場合、最初はうまく行く場合が多いことです。これは心が未だ集中しておらず、リラックスしていたり、成果に執着することのない心境であったためという訳です。
 これに反して、2回、3回と続けて行く中で、私達の肉体細胞が疲弊し、感受性を失うことを警告しています。つまりはこのような心の訓練は心の状態即ち心境を如何に理想的な状況下に統制して行うかがカギとなる訳です。これはテレパシー分野に限らず、スポーツその他何事にも当てはまるのではないでしょうか。如何に平常心を保ちつつ、目標に立ち向かうか、このバランスが重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落271

271 A very great difference exists between the two. Concentration is a fixed, or set condition, which allows only one idea to manifest at any given time. Interest is a state of curiosity which opens real consciousness to all ideas around it, and in this way actually creates an impersonal participation with them in a free state.
271 両者の間には非常に大きな違いがあります。集中とは固定化した固まった状況であり、如何なる時でも一つのアイデアしか現出を許さないものです。一方、関心は現実の意識をその周囲の全てのアイデアに開放する好奇心の状態であり、このようにして自由な状態の下、それらと非個人的なる参画を実際に造り出すのです。




【解説】
 テレパシー能力を高める為には何より自らの関心の範囲を広げることが肝要であり、物事に集中、執着することはそれに逆行するものだと説かれています。
 自らの意識を拡大拡張し、あまねく領域に広げるとともにその染み出す範囲で想念、印象の検知を待つという訳です。
 とかく答えを見出せないでいる私達ですが、それは求める範囲を自ら狭め自らの関心をその一点に集中しているからに他なりません。もっと自由に自らの想念を広げれば絶えず流れ込む宇宙の英知に自ずと接することが出来、インスピレーションを得ることが出来るのです。通常、このような心境と他力本願と称するかと思いますが、その背景にあるものは創造主への信頼、信仰なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落270

270 Our aim in this study is to discover how far out we can work from any given point. We are not trying to draw the universe into the level of the human consciousness, but to turn the human consciousness away from the personal self, that it may become universal. So the development of the true sense-man, and the reception of telepathic communication, does not depend upon concentration . . . but upon interest.
270 この学習における私達のねらいは、どんな与えられた地点からも如何に遠くに私達が作用することが出来るかを発見することにあります。私達は宇宙を人間の意識のレベルにまで引き寄せようとするのではなく、人間の意識レベルを各自の個我から離して宇宙的にしようとしているのです。ですから、真の感覚人の発達やテレパシー的意思疎通は集積にではなく、関心に依存するのです。




【解説】
 テレパシー開発のポイントはこれまでのような”集中”でなく、”拡張拡大”であると、本項はその秘訣を説いています。私達の概念や意識を自分自身や身の回りから如何に拡張させるかにあるということです。その為には私達の感覚範囲を広く宇宙にまで拡張すること、そして拡張した感受範囲に何が起こっているのか常に関心を持つことだとしているのです。
 とかく私達は何らかの課題や対象に集中しがちですが、実際に必要とされているのは広く拡張した意識をどのような想念・印象が通過するか、警戒することにあります。感受性を高め、やって来る価値あるインスピレーションを逃さぬよう、それらが通過する際に心の中に生じるわずかなさざ波に気付ける心境を保持することが大切です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落269

269 It is true that all form is brought into being through a drawing together of free elements; that concentration is the father of manifestation. So if we are interested only in discovering how much space we can press into the smallest conceivable mass, concentration is a marvelous thing. But I sincerely hope that the goal for which we are striving is much higher.
269 全ての形あるものは自由な元素を互いに引き寄せることを通じてもたらされたこと、集積は創造の父であることは真実です。ですから私達が如何に考えうる極小な塊に空間を圧縮させることが出来るかを知ることだけに関心を抱くなら、その集積は驚くべきものになります。しかし、私としては私達が努力しているゴールはもっと高いものであって欲しいと心から思っています。



【解説】
 確かに形あるものは空間を自由に動き回っていた分子・原子をある意味、究極な密度まで集約し、しかもその内部では各要素がそれぞれ密接に連携している等、奇跡的な機能を果たしていると言えるでしょう。これまで私達は集中こそ、重要だとして来たものです。
 しかし、本講座では今までのように形になった世界にはそれ自身の存在にのみ関心が集まる為、発展はないと主張しています。
 内向きの関心を解消し、宇宙に拡がる概念や意識を育む為には、私達はこのような形あるもの、即ち結果物から、その原因、即ち無から有になる過程、生命活動に自らの関心を向けさせなければなりません。自我への執着を捨て、もっと深遠な想念・印象レベルの活動を感じ取る努力が必要とされているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落268

268 Let us look into past history, back to the great minds still influencing our thinking today. Here, we find the Master Teachers: Buddha, Jesus, Aristotle, Socrates, Plato, to name but a few, all sharing one common faculty. All were possessors of serene, balanced minds; which enabled them to pierce the veil of materiality and trace manifestation to its true Cosmic Source. Long after the big business tycoon has returned his body to the dust and been forgotten, their guiding words will continue to influence the destiny of the world throughout time.
268 今日の私達の思考に今なお影響を与えている偉大な心について過去の歴史を覗いて見ましょう。ここに偉大な師である仏陀、イエス、アリストテレス、ソクラテス、プラトン等、わずか数人を挙げましょう。これら全員は一つの共通した才能を共有しています。全員が澄んでバランスがとれた心の持ち主であり、そのことが物質性というベールを貫くことを可能とし、真実の宇宙的源泉に繋がる創造作用をたどることを可能にしたのです。この大御所がその肉体を塵に返し、忘れ去られた後も長い間、彼らの導きの言葉は時間を越えて世界の運命に影響を与え続けることでしょう。




【解説】
 以前にも述べたかと思いますが、樹齢1200年余の杉の大木を見たことがあります。伝承では聖徳太子にゆかりのある神社にそれが大切に守られていました。その巨木を見た時、1200年という年月の長さと、これら長年月を見守って来た巨木の持つ知識に改めて恐れ入った次第です。
 しかし、少し考えれば、本項に記載のあるイエスや仏陀等々の聖人は皆、この巨木を遥かに超える昔、その痕跡も不明となるような昔に生きていた方々であり、いまだに後世の者達がその教えの真髄を探求し、実生活に活かそうとしていることに気付きます。
 まさに言葉は物質より、長持ちする訳で、メッセージこそ永遠に受け継がれるべきものと言えるでしょう。宇宙空間の中で言葉、更にはその表す心境こそ永続するものであり、物質は一時的な結果物に過ぎず、それは私達の身体も含め移ろい易いものであることが分かります。
 そして同時に、私達が学ぶアダムスキー氏についても、やがてはこれら偉大な魂として末永く私達の道しるべとなるに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落267

CHAPTER Ⅱ
Relaxation, Interest and Receptivity
267 We have been taught that intense concentration is the only means by which anything can be accomplished in this world. We are told that the happy-go-lucky individual never becomes an outstanding figure in any line of endeavor; so we should at all times keep our shoulder to the wheel, our eyes on the ball, and our nose to the grindstone (a most uncomfortable position). But here again, we will find that we have been unwisely informed.
第2章
リラクゼーション、関心及び感受性
267 私達はこれまで強烈な集中が、この世の中で何かが成し遂げられる為の唯一の方法であると教えられて来ました。私達は楽天的人間は決して如何なる努力の分野でも秀でた人物になることはないと教えられて来ました。ですから私達は常に車輪に肩を付け、ボールに目を置き、砥石に鼻先をつけ(最も不快な姿勢を)続けるべきとされて来ました。しかし、ここで再び私達は愚かなる情報を与えられ続けていることが分かるでしょう。



【解説】
 前章から引き継ぐ内容として、本章ではリラクゼーションについて学びます。
 想念波動に鋭敏になる為、ひいては物事を達成する上で、とかく私達は精神を集中し、気合を込めてその成就を求めるべきだとされて来ました。強く気持を集中することが不可欠だ、或いは有効だとされて来たのです。
 しかし、実際はどうでしょうか。貴重なアイデアは悩んだ末に心が完全に放棄した時に訪れることも多く、強く念じたとしても必ずしも望む事柄が実現するものではないようです。
 その一方、本講座で繰り返し説かれているのは、心が束縛から解き放たれ、自由になった時、宇宙の妙なる想念波動に遭遇することで、新境地が拓けるという事実です。これをもたらす真のリラクゼーションとはどのようにして生まれるのか、私達は本章を通じてじっくり学ぶことになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落312

312 Some of our scientists now tell us that telepathy is the language of the future. They say that when man has a better understanding of his mind, it will be the common means of communication. They recognize the importance of breaking the language barriers, for once the peoples of the world are able to exchange ideas freely, lasting peace will finally come to Earth. This concept can be expanded beyond the confines of our own planet. For if we were conversant with telepathy, it would not be necessary for the space visitors to learn our many languages. We could exchange ideas with ease with dwellers from other worlds by using telepathy, since mental impressions know no boundaries.
312 科学者の何人かはテレパシーは未来の言語であると述べています。彼らは人間が自らの心をより深く理解する時、意思疎通の共通した手段になるだろうと言っています。一旦、世界の人々がアイデアを自由に交換できるようになれば、地球に永続する平和が遂にもたらされるが故に、彼らは言語の壁を壊すことの大切さを理解しているのです。この概念は私達の惑星に限定されることなく更に拡がります。何故なら、もし私達がテレパシーに精通していれば、宇宙からの来訪者達にとって多くの言語を学ぶ必要がなくなるからです。私達はテレパシーを用いて他の世界からの住人達と気軽にアイデアを交換できることでしょう。心の印象類には境界がないからです。

【解説】
 第3部第2章(リラクゼーション、関心及び感受性)のまとめにあるのが本文です。テレパシー開発の意義については、単に「無言の会話術」という範囲に留まるものではなく、広く宇宙全体、あらゆる生きものと自由に意思疎通が出来、私達創造物が父である創造主を更に身近に感じられるような、より大きな意義を持っていることが分かります。
 その行き着く先は、山川草木皆同じ同胞として、共に同じ惑星に暮らすという、自然と調和した生活が待っているのです。
 私達はその為に自らの日常に心の活動内容やその持つ想念レベルをよく観察して、少しずつ本来のあるべき方向に矯正する努力が求められています。
 古来から様々な「教え」が伝えられ、多くの先人が努力の末に悟った結果、確信した知識がありますが、私の見る限り、悉くが同じ内容、同じ要点を伝えているように思えるのです。もちろん異なる時代、異なる言語による違いはありますが、大局的にはほぼ同じ内容が各々の先人によって見出され周囲に伝えられている訳です。
 このテレパシーについても同様に、その教えの内容は普遍的であり、今後もその意義は変わるものではありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落311

311 When mind talks to mind, it is the projection of mental pictures; so, for example, when space people want to refer to a mutual friend, they form a mental image of that person in their mind. I am sure we all can see the advantage of this; for how many times have we tried in vain to recall someone's name, and although it was right on the "tip of our tongue," the name eluded us? The person's face was pictured clearly in our mind and in a case like this, had we been talking to an individual able to receive telepathy, he would have recognized the person immediately. Every thought to which we give audible expression must first be clarified in the mind. So if, like the space people, we had been trained from infancy in the use of telepathy, we could receive thought frequencies without a word being spoken.
311 心が心に語りかける時、それは心に映るイメージを投影しているのです。ですから例えば、宇宙人が互いの友人の一人に言及しようとする時、彼らは自分達の心の中にその人物の心に映るイメージを形成します。私達は皆、この場合の好都合が分かると私は確信しています。何故なら私達は何度となく「口の先まで出掛かっている」けれど、誰かの名前を思い出そうとしてもだめだったことがあるからです。その人物の顔は私達の心の中にはっきりと描かれており、このような場合には私達がテレパシーを受信出来る人と話しをしている場合には、その人はその人物をただちに認識出来たと思うからです。私達が声に出して表現するあらゆる想念は、先ず最初に心の中で明確にされなければなりません。ですから、宇宙人達のように私達が幼い頃からテレパシーの使い方を訓練されていれば、私達は言葉を話すことなく、想念周波数を受信することが出来ることでしょう。

【解説】
 あらゆる想念は先ず、自らの心にイメージとして形成された後、言葉に変換されるという訳です。このイメージをそのまま伝達出来れば文字通り、言語に関わりなく意思が伝達されることになります。私達はこの点をよく理解して、自らのテレパシー能力を向上させる努力をすべきです。
 これらいわゆる「心像」を感受する能力は、本来生きもの全てに備わっている才能の一つであり、私達はそれを少しずつ日常生活の中で育んで行けばよいということでしょう。自らの意見を持たずに印象をまるごと受け入れる姿勢は、心が余程素直な状況にならないと整備出来ないように思いますし、感受したばかりの内容を一つ一つ詮索するような態度も良くありません。与えられた内容がどのような意味を持つか、直ぐには判明しないことも多いようです。
 私のささやかな体験では、そのイメージは事象が起こる数日前にもたらされることが多く、後日、あの時のイメージはこのことを示唆していたのかと思い出すことも多いようです。
 いずれにせよ、私達は自らの心をいつでも良質な想念・印象を受け入れられるよう、常に整備して置くことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落310

310 The space people I have met use telepathy in their daily lives. If you were to visit their planets, you would find the people smiling and greeting each other in apparent silence. Yet, they are actually conversing by mental communication, much the same as we use the spoken word. Many Earthlings have questioned the statement that personal names are not necessary among them; but a moment's consideration of what the free use of telepathy would mean, makes the statement self-explanatory.
310 私がこれまでに会った宇宙人達は、日常生活にテレパシーを使っています。もし貴方が彼らの惑星を訪れたら、貴方は人々が一見して声を出さず、互いに微笑み、そして挨拶していることを見出すでしょう。しかし、彼らは実際には心の交流により、私達が話し言葉を用いるのとほとんど同様に、実際には会話しているのです。多くの地球人が宇宙人の間には名前が必要ないとする声明に疑問を投げかけて来ました。しかし、テレパシーの自由な使用が何を意味するのかを少し考えれば、その声明は自明のことになります。



【解説】
 テレパシー能力が人々の間に行き渡った際には、地上はかつて無い静かな環境になることでしょう。他惑星社会は言語によらずコミュニケーションが成立する訳で、そこには相手の意図は包み隠されず離れていても知り得ることになります。
 また、それ故に優れた人物人格は容易に多くの人々が知り得ることとなり、多くの人達が師と仰ぐ聖人達の元を伺うことになるものと思われます。
 そういう意味では、同乗記には母船に乗っている長老の話がありますが、これも他惑星の人々がこれら聖人の知恵を学びたいとすることや、アダムスキー氏に引き合わせる意義について、宇宙兄弟達がよく知っていたからに他なりません。
 おそらく、他惑星の社会は本項にある事例を見ても分かるように、私達が知らないことが数多くあるものと思われます。それら一つ一つをこの惑星からでも少しずつ宇宙的印象を通じて知ることはこのテレパシー学習のもう一つの楽しみでもあると考えます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落309

309 To accomplish this, however, we must learn to listen to the "small, still voice." This is a vital necessity in true telepathy. When a friend calls us on the telephone, for instance, we do not lift the receiver and rush into a monologue that lasts until the other party finally hangs up. We carry on an exchange of conversation. The same holds true when we are practicing telepathy. If we expect to advance, we must learn to listen-answer-then listen again, etc. And we will discover that the more we learn to listen, the more profound and impersonal will be the impressions coming through to us.
309 しかしながら、これを成し遂げるには、私達はその「小さく、ひそやかな声」に耳を傾けなければなりません。これは真のテレパシーにおいて決定的に必要なことです。例えばもし、友人から私達の所に電話が掛かって来たとしましょう。私達は受話器を取り上げて、相手が最後に受話器を置くまで、ぶっ続けの一人語りを慌ただしく行うことはありません。私達は会話の交換を続けます。それと同じことが私達がテレパシーを実践する際にも当てはまります。もし私達が進歩したいと思うなら、私達は聞く-答える-再び聞く等を行うことを学ばねばなりません。そして私達が如何に多く聞くことを学べば学ぶ程、私達にやって来る印象はより深遠で非個人的なものとなるでしょう。



【解説】
 私達が最も戒めるべきものは、自分の望み、自分の訴えだけで自らの心を満たしてしまうことにあるのでしょう。本項で著者が説いているように、自らの想いを発信した後は次いで訪れる外部からの印象に耳を傾けることにあります。決して一方通行では意思の交流は出来ないのです。
 もちろん、この意思の交流の仕組みは相手が誰であろうと成り立つ訳で、私達自身が宇宙根源の創造主と対話する場合も同様です。目に見えない、直接触れることは出来ない相手であっても、想念・印象はやり取りすることは十分可能です。この距離に関わらない意思交流の仕組みが理解され、日常生活に応用することが出来れば、私達の生活レベルは格段に進歩するものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落308

308 Being the recipient is much more difficult than the conscious sending of impressions, because we have never been taught the necessary restraint to develop this facet of our lives. Since time immemorial, our four senses have quarreled and bickered amongst themselves; yet we have not been conscious of the unbalance this was causing within our being. We have worried and fretted over conditions we could not change; and we have unquestioningly accepted the concepts of gloom and doom because these strong vibrations impinge themselves on our bodies. But I believe it has been made apparent that with a measure of self-control, and a practical approach to life as it really exists throughout all manifestation, we can cast off these detrimental thought-habits and expand our consciousness to a clearer understanding of our rightful place in the Cosmic Plan.
308 意識して印象類を送信することよりも、受信者であることははるかに難しいものです。何故なら、私達はこれまで私達の生き方におけるこの側面を発達させる為に必要な抑制を教えられて来なかったからです。太古の昔から私達の4つの感覚は互いに言い争い、口論して来ました。それでも私達は、このことが私達の中にもたらしているアンバランスについて未だ意識していません。私達は私達が変えることの出来ない状況について心配し、思い悩んで来ました。また私達は憂鬱や非運の概念を疑い無く受け入れて来ました。何故なら、これらの強い振動はそれらを私達の肉体に衝突させて来るからです。しかし、私達は自己統制の手法とあらゆる創造を通じてのありのままに存在する生命への実践的なアプローチによって、私達はこれら有害な想念習慣を投げ捨て、私達の意識を宇宙英知の計画における正当な地位のより明確なる理解へと拡げることが出来るのです。

【解説】
 私達が抱える心の問題は数多いのですが、その中でアダムスキー氏が最も戒めている要素が、本項で明かされているように思います。それが本文中に明記されている「憂鬱」や「悲運の嘆き」という感情です。この種の感情が想念・印象の感受はもとより、最も悪い影響を人体に与えるものと思われます。
 おそらくは体内の細胞の活動を停止させ、疾病部分の治癒を遅らせる等々の影響を身体に及ぼすものと思われます。
 私達はこれらの波動に対しては断固として受け入れてはならないのです。身体内部をバランスのとれた落ち着いた環境に保ち、自然界の一員として自然と調和した想念波動を体内に浸透させなければなりません。歴史上も多くの偉人、聖人達は時の権力者から迫害され、刑死に至ったケースも多い訳ですが、そうした極限状態の中にあっても、爽やかな心境を保つことが重要な所です。かつて十字架上のイエスは苦痛の中にあっても傍らの囚人に優しく語りかけたとされています。真理を理解した者に絶望や憂鬱の心境は有り得ないのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落307

307 I am assuming that by now you have seen the fallacy of tolerating thoughts of fear, worry, anger, anxiety, etc., and are viewing all things calmly; knowing that through this new balance in your life, you are truly about the Father's business. Therefore, your daily chores will no longer be a drudgery, and you can perform them with a composed, receptive mind. If you watch your mind carefully, you will find many of the real universal thoughts come while you are contentedly, physically occupied. This is what Jesus meant when He said, "Be ye therefore ready also; for the Son of man cometh at an hour when ye think not." Luke 12:40. He did not refer to His appearance in the physical body, but to a communion between the mind and universal knowledge.
307 私は今や貴方は恐れや心配、怒りや不安等の想念を許容することが誤った考えであることが分かり、あらゆるものを静かに眺め、貴方の生活のこの新しい調和を通じて真に父の御わざに従事していることを知っていると確信しています。ですから、貴方の日常の雑事はもはやつまらぬ仕事ではなくなるでしょうし、貴方はそれらを落ち着いた受容的な心で行うことが出来ます。もし、貴方が貴方の心を注意深く観察するなら、貴方は数多くの真に宇宙的な想念は貴方が満ち足り、肉体的にも手一杯の間にも貴方の所にやって来ることに気付くことでしょう。これがイエスが「あなた方も用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」(ルカ伝12章40節)と言った時、イエスが意味したものです。イエスは肉体としてのご自身の出現のことを述べたのではなく、心と宇宙普遍の知識との間の交わりについて述べていたのです。


【解説】
 ここで本文中の"tolerating"(許容する)という表現について考える必要があります。
 本文では自らの心の中に、「恐れや心配、怒りや不安」が入り込むことを許さないという意味で用いられています。即ち、私達は日常様々なストレスを受けるものですが、その結果、心はそのような想念を受入がちになります。しかし、私達はそのような種類の想念を一切、受け入れてはいけないと著者は強調しているのです。それがここで「"tolerating"(許容する)」を用いた意味なのです。
 また、宇宙からの想念・印象を待つ対応として、単に座して沈想しているよりは、日常の仕事に手一杯になりながらの方が、可能性が高いことについても説かれています。私達がリラックスした心境を保ちながら、各自の仕事に精を出して過ごしている中にも、宇宙的な印象がもたらされ、アイデアは多く生まれるということです。
 以前にも述べられていたように、宇宙は絶えず活発に活動しており、その波動に合わせることで、私達自身が宇宙に共鳴しやすい体質になるものと解釈できます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落306

306 So let us make an effort to keep an open, receptive mind at least part of the time; and when our mental telephone bell rings just lift the receiver quietly, and impartially accept the impressions coming to us. This does not mean sitting idly in meditation, waiting with folded hands for some great thought to come to us out of the universal storehouse; but that we should continue normally about our daily lives.
306 ですから、少なくともある時間、私達はオープンで受容的な心を保つよう努力して見ましょう。そして私達の心の電話器のベルが鳴ったら、静かに受話器を取り上げ、そして偏らずに私達の方にやって来る印象類を受け入れることです。これは何もせず座って瞑想して何か偉大な想念が宇宙の倉庫から私達の所に来るのを、手を組んで待っていることを意味するのではありません。そうではなく、私達は私達の日常生活について普通の暮らしを続けるべきなのです。


【解説】
 本項では印象感受の際の基本姿勢について説かれています。もちろん、印象感受に当たっては自ら受容的な心境になることが前提ですが、大事なことは著者は特別な瞑想状態ではなく、ごく普通の日常生活をしながら、その心境を保つことが必要だとしている点にあります。
 また、宇宙根源から来る想念を電話が掛かってきた時のように対応するよう、説いていることも特徴的です。即ち、本文にあるように慌てて受話器をとったりせず、落ち着いてその示唆する内容を理解する姿勢です。この件については、後に別の項で本文に記述がある筈ですが、とかく慌てて最初の部分だけを把握しただけで、有頂天になりその後、引き続いて送られてくる大事な部分を把握できない為に、多くは誤った情報となることを著者は警告しているように思います。落ち着いて全体像を理解することが必要だということです。
 私達は各々日常の生活を送る中で、絶えず宇宙根源なる所からの印象を待機していれば、必ずスムーズに印象は訪れ、私達に有用なアイデアをもたらして呉れることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落305

305 I believe the telephone makes a very understandable illustration for the exchange of impressions . . which, of course, is operable telepathy. Remember, we have stressed the importance of an open, receptive mind; and mind, like the telephone, is a two-way instrument. If we keep our minds continually occupied with consciously sending out thoughts, any impressions coming to us will receive the "busy signal" and be turned away. The connection between mind and mind cannot be completed, because the frequencies of the incoming impression cannot get past the thought vibrations our own mind is broadcasting.
305 私は電話が印象の交換、それはもちろん実行力のあるテレパシーですが、それをとても分かりやすく説明する例になると思っています。私達がオープンで受容的な心の重要性を強調して来たこと、また心というものが電話のように双方向の装置であることを覚えておいて下さい。もし私達が想念を意識的に送ることで私達の心を常に占拠していたら、私達にやって来る想念があっても、それらは「話し中の信号」を受け取り、戻されることでしょう。入って来る印象が私達の心が送信している想念振動を抜けることが出来ないため、心と心の間の接続が完成されないのです。

【解説】
 私達は自分の想いを伝えようとすることには熱心なのですが、それは片手落ちであり、双方向の意思疎通にはならないと、著者は私達に注意しています。互いの想いが通じ合うことがテレパシーなのですが、自分の想念の発信を強めようとするだけでは、そもそも想念伝達は成立しないほど、不完全な状況ということでしょう。
 ポイントは想念の発信も受信も私達の心が担うということです。送信、受信のどちらか片方のみでは、一方通行の関係となり、想念を介した意思疎通は出来ません。とかく私達は想念・想いを強くすることのみに関心を向けて来ましたが、実際には心鎮めてやってくる想念・印象に耳を傾ける姿勢、自然界からの静かなる助言のメッセージを傾聴する姿勢が大切だということでしょう。
 また、私達が自らの想念に固執することは、体内にそれらの振動が強く残留する一方で、外部には発信されていない可能性もあります。ラジオ等の電波の回路を見ても分かるように、コイルを通じて電流が流れることが重要で、その流れた電流に基づいて二次側のコイルから電波が発信される訳で、自分の中の想念を一旦、通過させ、終結させることではじめて発信させるようなメカニズムがあるのかも知れません。いずれにせよ、想念を呼吸するような柔軟な心境が必要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落304

304 In developing telepathy as a means of communication, remember impressions work from mind to mind; and distance is no barrier. As we first begin to use this universal language, we will find it easier to exchange impressions with a few chosen individuals until confidence is gained. With all parties working in sympathy a certain wave length can be established between them; making it possible for them to communicate much as radio "hams" talk back and forth around the world.
304 意思疎通の手段としてテレパシー能力を発達させるについては、印象は心から心に作用し、距離は障壁にはならないことを覚えておいて下さい。私達がこの宇宙普遍の言語を最初に用いるに当っては、確信が得られるまでは少数の選ばれた個人の間で印象を交換する方が容易であることがわかるでしょう。仲間意識を持って働く仲間の間では、ある波長が出来上がりますし、ラジオの「アマチュア無線家」が世界中と通話するように意思疎通を可能とするのです。



【解説】
 親しい者同士の間には共通の周波数というようなものが確立するということです。その結果、一人の発する想念は距離に関わらず仲間に感知され易いという訳です。
 同じ周波数とは互いに同調出来る間柄であり、自他の区別なく接することが出来る関係でもあります。よく「心が通じる」という表現がありますが、文字通り、想念の通り道とも言える関係がそれぞれの間に成り立つということでしょう。
 同様の意味から言えば、空に向かって宇宙船の飛来を願ったり、各自の体験を神仏に報告したりする心境の背景には、こうした親しい間柄の中に生まれる心のつながり、今日で言う絆(きずな)というものがある訳です。人々が求めているものの本質はこうした人々の間の心の連携、つながりであるように思われます。また、同様な意味からは、自然界の動植物は既にこの関係を十二分に培っており、無数のアリの行列や鳥達の渡り等、誰言うとなく一体となって行動する背景には、こうした能力を各々が備えているからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー+」 第3部第2章-段落303

303 A very good example of this may be found in the way many of our scientific discoveries are made almost simultaneously in separate parts of the world. Working independently, and often unaware of the research the other is doing along the same line, each scientist actually tunes in on the same thought vibration of universal knowledge; (the same as any number of people can tune in on a radio program).
303 これについての大変良い例は、多くの私達の科学的発見がほとんど同時になされているという経緯に見ることが出来ます。個別に取組んでおり、しばしば他の者が同じ経路に沿って進んでいることを知らないまま、各々の科学者は世界の離れた場所で、実際には宇宙普遍の知識の同じ想念振動に同調しているのです。(他の多くの人々が同時に一つのラジオ番組にチューナーを合わせることが出来るのと同じです)



【解説】
 本項の例については、無線通信の発明がマルコーニ以外にも同時期に為されていたという記事を目にした覚えがあります。同じ印象・想念を同時に多数の者が感受し、実践に応用した例と言えます。
 またこのように一般に奇遇やCoincidence(偶然の一致、符号)と呼ばれる現象の背景には、このような同じ想念・印象を感受したことが原因となっているように思います。もちろん、そのような多数の者に影響を与えるような想念・印象を発することが出来るのは私達よりはるかに能力の高い者と考えられる訳で、多くは惑星全体の指導者かも知れません。今日のような変革期には、より多くの先人が必要とされている訳で、今後はそれら重責を担うべき者が地上に生誕するものと思われます。
 いわゆるスペースプログラムと称される一大計画はこうした内容も含め、私達惑星全体を救済するものであると考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落302

302 "Of course not," he answered without hesitation; then grinned, sheepishly. "Now I understand what you mean," he said, and sat down. The voices were audible to him, but not to those around him. Yet, if a person were to tune in on the same thought frequency he, too, would receive the same thought.
302 「もちろん、そんなことはありません」と彼は躊躇なく答え、次に恥ずかしそうにニコリと笑いました。「今、私は貴方の言う意味が分かりました」と言って席に座りました。その声は彼には聞こえたのですが、彼の周囲に聞こえるものではなかったのです。それでも、もし何らかの人物がそれと同じ想念波動に合わせることが出来れば、その者も同じ想念を受信したことでしょう。


【解説】
 啓示とされる多くのものは、具体的な音声、或いは映像として感受者に受信されることも事実のようです。この場合、中には本人の意識が離れた場所に転移して、その状況を認知する事例も含まれているのかも知れません。しかし、いずれにせよ、想念・印象は感知される側において具体的な音声や映像に表現される場合も有り得るという訳です。
 丁度、著者が何度となく説いているように、テレビ番組の放送電波のようなもので、電波信号の中には、本来、映像や音声として再現出来る仕組みが組み込まれているということでしょう。これら再現能力はあらゆる動植物にも同様に備わっていることでしょう。
 一方、大抵の場合、印象は具体的な表現が為される間もなく、瞬間的に次々にやって来るものであると考えられます。実はその一つ一つに対して、改めて着目(執着)していると次にやって来るもの(印象)を受けることが出来なくなります。一説に毎秒何百、何千もの印象を感知する進化した他惑星人では、本項のような音声表現は現実的に非効率となる筈です。私達としては、印象・想念の流れを止めないよう、次々にやって来る印象をひたすら受け入れる姿勢が必要であると思っています。
 私達に必要なものは、第一にこれら印象の流れを滞留させないこと、抵抗なく印象・想念を表現できる経路になり切ることです。またそうした中で各自の成長と体験の充実をはかることだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落301

301 Now the question will arise: How is conversational privacy possible under these circumstances? I believe a good illustration of this occurred during a lecture I once gave. I had just finished explaining how the images and voices came silently to the mind, when a man in the audience rose and interrupted, saying he heard voices speaking distinctly. He was very insistent that these were audible, and his reception was not in the least silent. I then asked him, "If I were standing beside you, would I hear the same voices?"
301 そうなると質問が起るでしょう。このような環境の下では会話の秘密は可能となるのでしょうか?私としてはかつて私が行ったレクチャーの間に起ったことが良い例かと思っています。私が丁度、イメージや音声が無言のまま如何にして心にやって来るかの説明を終えた時、聴衆の中の一人の男が立ち上がって自分は明瞭に聞こえる声を聞いたと言って、私の話をさえぎりました。その男性はこれらは耳に聞こえるものであると主張し、自分の受信したものは少しも無言ではなかったと主張しました。私はそれで、「もし、私が貴方の脇に立っていたとすれば、私はその同じ声を聞けたでしょうか?」と彼に尋ねました。



【解説】
 本項のように中には想念・印象が直接音声として認識される場合もあることでしょう。よく宗教の教祖がお告げを受けたり、強烈なインスピレーションを受けた場合等がそれに当たります。
 いずれにしても、行為の前には必ず何らかの意思があり、それらが想念・印象の波となって周囲に放たれる訳ですから、誰でもその動きを察知できることになり、およそ宇宙に秘密など有り得ないのです。遠い世界(惑星)におあす仏様達にも、当然これらの想念は瞬時に伝わり、全てはお見通しということになります。
 結局、私達地球人は他人には分からないと思って、悪心が生じる訳ですが、このようにたちどころに自らが考えることを他人に知られてしまう現実を見れば、少しでも心をキレイに保つことが如何に大切かが分かる筈です。テレパシー能力の開発は人間形成を促進する一助ともなるべきものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落300

300 The secret of what is termed "direct transference" from one individual to another, is simply that with the thought projected the sender incorporates the image of the person he has chosen as recipient. A million people might receive the thought, but because it does not pertain to their personal affairs, they will let it pass through their minds unnoticed. But the chosen recipient will recognize his image in the thought, and direct his attention toward its perfect reception.
300 一人の個人からもう一人の個人への「感情の直接転移」と名付けられることの隠れた実体は、単純に放出される想念に送り手が受け手として選んだ人物のイメージを組み入れているのです。百万人の人々がその想念を受信するかも知れませんが、それらの人々の個人的な事柄にそれが関係しない為、それらの人達は自分達の心の中を何ら気付かれずにそれを通過させるのです。しかし、その選ばれた受信者はその想念の中に自分のイメージを認め、自らの関心をその完全な受信に向けて導くのです。



【解説】
 自らが発する想念が宇宙くまなく発信され、その想念波動には同時に想いの対象者に固有の波動が付加されているという訳です。同乗記その他で他惑星人がアダムスキー氏に対して顔写真を拒む状況が記載されていましたが、その理由はこのことでもあった筈です。
 即ち進化した他惑星人においては、テレパシーの感受能力が高い為、私達地球人がその写真をイメージして想念を発すれば、その多くが彼らに届き、彼らの生活にも影響を与えることが想定されます。そうした状況を避ける為、極力顔写真は地球人に渡さない方が良いのです。
 一方で本事例から、相手をイメージしながら想念を送ることは、より伝達されやすいことは重要なポイントです。私達は知らず知らずにやって来る想念のいわゆる「フィルタリング」を行っているという訳です。それがどのような仕組みで行われているのかは知りませんが、膨大な想念波の中から、自分にとって大事なものを選択する機能もテレパシー能力向上の為には重要な事項です。自分にとって何が大切かを常に見定めて、必要な分野に関心(アンテナ)を向けるということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落299

299 We find that in the case of thought, like the spark of light, vibrations proceed outwardly from it in all directions. We can tune in on any radiation of that impression, and receive the full thought. Therefore, contrary to current belief it is not possible to transmit a thought directly to any one individual, to the exclusion of everyone else! For inasmuch as mind, the medium of thought transmission, permeates the whole of space and form, there is no place where a thought vibration is excluded.
299 私達は想念は光の閃光のようにそこからあらゆる方向に外に向って進行する振動であることに気付いています。私達はその印象のどんな放射線にも同調させ、その完全な想念を受信することが出来ます。従って最近、信じられていることとは逆に、他の者を除き、何か一人の個人に直接想念を伝達することは出来ないのです。何故なら心、即ち想念伝達の媒体は全宇宙と形あるものに浸透している為に、想念振動が排除される場所はないからです。

【解説】
 私達が日常発する想念は、私達から四方八方に拡散し、伝播します。宇宙に生きる全てのものが発する想念はくまなく宇宙を巡り、響き渡る訳で、私達はこうした想念の行きかう海の中に生きているということになります。
 あらゆる方法に想念は瞬時に広がって行く訳で、それを隠すことは出来ません。誰にでも想念は感受されるのです。自然界の動物達も植物達もこの感受する能力が高い為に、居ながらにして遠くで起こっていることやこれから起ころうとしていることを知ることが出来るのです。
 同時に、私達の日々の想いはかつて地球に来訪し、貴重な真理を説き、今は別の星に御住まいの多くの師の元にも届いているものと思われます。寺や教会の聖像は皆、それらの師を私達にイメージし易いよう建立されており、それに手を合わせることで、私達の想いを届き易いようにしているものと思われます。

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