テレパシー 第3部 第2章

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落312

312 Some of our scientists now tell us that telepathy is the language of the future. They say that when man has a better understanding of his mind, it will be the common means of communication. They recognize the importance of breaking the language barriers, for once the peoples of the world are able to exchange ideas freely, lasting peace will finally come to Earth. This concept can be expanded beyond the confines of our own planet. For if we were conversant with telepathy, it would not be necessary for the space visitors to learn our many languages. We could exchange ideas with ease with dwellers from other worlds by using telepathy, since mental impressions know no boundaries.
312 科学者の何人かはテレパシーは未来の言語であると述べています。彼らは人間が自らの心をより深く理解する時、意思疎通の共通した手段になるだろうと言っています。一旦、世界の人々がアイデアを自由に交換できるようになれば、地球に永続する平和が遂にもたらされるが故に、彼らは言語の壁を壊すことの大切さを理解しているのです。この概念は私達の惑星に限定されることなく更に拡がります。何故なら、もし私達がテレパシーに精通していれば、宇宙からの来訪者達にとって多くの言語を学ぶ必要がなくなるからです。私達はテレパシーを用いて他の世界からの住人達と気軽にアイデアを交換できることでしょう。心の印象類には境界がないからです。

【解説】
 第3部第2章(リラクゼーション、関心及び感受性)のまとめにあるのが本文です。テレパシー開発の意義については、単に「無言の会話術」という範囲に留まるものではなく、広く宇宙全体、あらゆる生きものと自由に意思疎通が出来、私達創造物が父である創造主を更に身近に感じられるような、より大きな意義を持っていることが分かります。
 その行き着く先は、山川草木皆同じ同胞として、共に同じ惑星に暮らすという、自然と調和した生活が待っているのです。
 私達はその為に自らの日常に心の活動内容やその持つ想念レベルをよく観察して、少しずつ本来のあるべき方向に矯正する努力が求められています。
 古来から様々な「教え」が伝えられ、多くの先人が努力の末に悟った結果、確信した知識がありますが、私の見る限り、悉くが同じ内容、同じ要点を伝えているように思えるのです。もちろん異なる時代、異なる言語による違いはありますが、大局的にはほぼ同じ内容が各々の先人によって見出され周囲に伝えられている訳です。
 このテレパシーについても同様に、その教えの内容は普遍的であり、今後もその意義は変わるものではありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落311

311 When mind talks to mind, it is the projection of mental pictures; so, for example, when space people want to refer to a mutual friend, they form a mental image of that person in their mind. I am sure we all can see the advantage of this; for how many times have we tried in vain to recall someone's name, and although it was right on the "tip of our tongue," the name eluded us? The person's face was pictured clearly in our mind and in a case like this, had we been talking to an individual able to receive telepathy, he would have recognized the person immediately. Every thought to which we give audible expression must first be clarified in the mind. So if, like the space people, we had been trained from infancy in the use of telepathy, we could receive thought frequencies without a word being spoken.
311 心が心に語りかける時、それは心に映るイメージを投影しているのです。ですから例えば、宇宙人が互いの友人の一人に言及しようとする時、彼らは自分達の心の中にその人物の心に映るイメージを形成します。私達は皆、この場合の好都合が分かると私は確信しています。何故なら私達は何度となく「口の先まで出掛かっている」けれど、誰かの名前を思い出そうとしてもだめだったことがあるからです。その人物の顔は私達の心の中にはっきりと描かれており、このような場合には私達がテレパシーを受信出来る人と話しをしている場合には、その人はその人物をただちに認識出来たと思うからです。私達が声に出して表現するあらゆる想念は、先ず最初に心の中で明確にされなければなりません。ですから、宇宙人達のように私達が幼い頃からテレパシーの使い方を訓練されていれば、私達は言葉を話すことなく、想念周波数を受信することが出来ることでしょう。

【解説】
 あらゆる想念は先ず、自らの心にイメージとして形成された後、言葉に変換されるという訳です。このイメージをそのまま伝達出来れば文字通り、言語に関わりなく意思が伝達されることになります。私達はこの点をよく理解して、自らのテレパシー能力を向上させる努力をすべきです。
 これらいわゆる「心像」を感受する能力は、本来生きもの全てに備わっている才能の一つであり、私達はそれを少しずつ日常生活の中で育んで行けばよいということでしょう。自らの意見を持たずに印象をまるごと受け入れる姿勢は、心が余程素直な状況にならないと整備出来ないように思いますし、感受したばかりの内容を一つ一つ詮索するような態度も良くありません。与えられた内容がどのような意味を持つか、直ぐには判明しないことも多いようです。
 私のささやかな体験では、そのイメージは事象が起こる数日前にもたらされることが多く、後日、あの時のイメージはこのことを示唆していたのかと思い出すことも多いようです。
 いずれにせよ、私達は自らの心をいつでも良質な想念・印象を受け入れられるよう、常に整備して置くことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落310

310 The space people I have met use telepathy in their daily lives. If you were to visit their planets, you would find the people smiling and greeting each other in apparent silence. Yet, they are actually conversing by mental communication, much the same as we use the spoken word. Many Earthlings have questioned the statement that personal names are not necessary among them; but a moment's consideration of what the free use of telepathy would mean, makes the statement self-explanatory.
310 私がこれまでに会った宇宙人達は、日常生活にテレパシーを使っています。もし貴方が彼らの惑星を訪れたら、貴方は人々が一見して声を出さず、互いに微笑み、そして挨拶していることを見出すでしょう。しかし、彼らは実際には心の交流により、私達が話し言葉を用いるのとほとんど同様に、実際には会話しているのです。多くの地球人が宇宙人の間には名前が必要ないとする声明に疑問を投げかけて来ました。しかし、テレパシーの自由な使用が何を意味するのかを少し考えれば、その声明は自明のことになります。



【解説】
 テレパシー能力が人々の間に行き渡った際には、地上はかつて無い静かな環境になることでしょう。他惑星社会は言語によらずコミュニケーションが成立する訳で、そこには相手の意図は包み隠されず離れていても知り得ることになります。
 また、それ故に優れた人物人格は容易に多くの人々が知り得ることとなり、多くの人達が師と仰ぐ聖人達の元を伺うことになるものと思われます。
 そういう意味では、同乗記には母船に乗っている長老の話がありますが、これも他惑星の人々がこれら聖人の知恵を学びたいとすることや、アダムスキー氏に引き合わせる意義について、宇宙兄弟達がよく知っていたからに他なりません。
 おそらく、他惑星の社会は本項にある事例を見ても分かるように、私達が知らないことが数多くあるものと思われます。それら一つ一つをこの惑星からでも少しずつ宇宙的印象を通じて知ることはこのテレパシー学習のもう一つの楽しみでもあると考えます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落309

309 To accomplish this, however, we must learn to listen to the "small, still voice." This is a vital necessity in true telepathy. When a friend calls us on the telephone, for instance, we do not lift the receiver and rush into a monologue that lasts until the other party finally hangs up. We carry on an exchange of conversation. The same holds true when we are practicing telepathy. If we expect to advance, we must learn to listen-answer-then listen again, etc. And we will discover that the more we learn to listen, the more profound and impersonal will be the impressions coming through to us.
309 しかしながら、これを成し遂げるには、私達はその「小さく、ひそやかな声」に耳を傾けなければなりません。これは真のテレパシーにおいて決定的に必要なことです。例えばもし、友人から私達の所に電話が掛かって来たとしましょう。私達は受話器を取り上げて、相手が最後に受話器を置くまで、ぶっ続けの一人語りを慌ただしく行うことはありません。私達は会話の交換を続けます。それと同じことが私達がテレパシーを実践する際にも当てはまります。もし私達が進歩したいと思うなら、私達は聞く-答える-再び聞く等を行うことを学ばねばなりません。そして私達が如何に多く聞くことを学べば学ぶ程、私達にやって来る印象はより深遠で非個人的なものとなるでしょう。



【解説】
 私達が最も戒めるべきものは、自分の望み、自分の訴えだけで自らの心を満たしてしまうことにあるのでしょう。本項で著者が説いているように、自らの想いを発信した後は次いで訪れる外部からの印象に耳を傾けることにあります。決して一方通行では意思の交流は出来ないのです。
 もちろん、この意思の交流の仕組みは相手が誰であろうと成り立つ訳で、私達自身が宇宙根源の創造主と対話する場合も同様です。目に見えない、直接触れることは出来ない相手であっても、想念・印象はやり取りすることは十分可能です。この距離に関わらない意思交流の仕組みが理解され、日常生活に応用することが出来れば、私達の生活レベルは格段に進歩するものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落308

308 Being the recipient is much more difficult than the conscious sending of impressions, because we have never been taught the necessary restraint to develop this facet of our lives. Since time immemorial, our four senses have quarreled and bickered amongst themselves; yet we have not been conscious of the unbalance this was causing within our being. We have worried and fretted over conditions we could not change; and we have unquestioningly accepted the concepts of gloom and doom because these strong vibrations impinge themselves on our bodies. But I believe it has been made apparent that with a measure of self-control, and a practical approach to life as it really exists throughout all manifestation, we can cast off these detrimental thought-habits and expand our consciousness to a clearer understanding of our rightful place in the Cosmic Plan.
308 意識して印象類を送信することよりも、受信者であることははるかに難しいものです。何故なら、私達はこれまで私達の生き方におけるこの側面を発達させる為に必要な抑制を教えられて来なかったからです。太古の昔から私達の4つの感覚は互いに言い争い、口論して来ました。それでも私達は、このことが私達の中にもたらしているアンバランスについて未だ意識していません。私達は私達が変えることの出来ない状況について心配し、思い悩んで来ました。また私達は憂鬱や非運の概念を疑い無く受け入れて来ました。何故なら、これらの強い振動はそれらを私達の肉体に衝突させて来るからです。しかし、私達は自己統制の手法とあらゆる創造を通じてのありのままに存在する生命への実践的なアプローチによって、私達はこれら有害な想念習慣を投げ捨て、私達の意識を宇宙英知の計画における正当な地位のより明確なる理解へと拡げることが出来るのです。

【解説】
 私達が抱える心の問題は数多いのですが、その中でアダムスキー氏が最も戒めている要素が、本項で明かされているように思います。それが本文中に明記されている「憂鬱」や「悲運の嘆き」という感情です。この種の感情が想念・印象の感受はもとより、最も悪い影響を人体に与えるものと思われます。
 おそらくは体内の細胞の活動を停止させ、疾病部分の治癒を遅らせる等々の影響を身体に及ぼすものと思われます。
 私達はこれらの波動に対しては断固として受け入れてはならないのです。身体内部をバランスのとれた落ち着いた環境に保ち、自然界の一員として自然と調和した想念波動を体内に浸透させなければなりません。歴史上も多くの偉人、聖人達は時の権力者から迫害され、刑死に至ったケースも多い訳ですが、そうした極限状態の中にあっても、爽やかな心境を保つことが重要な所です。かつて十字架上のイエスは苦痛の中にあっても傍らの囚人に優しく語りかけたとされています。真理を理解した者に絶望や憂鬱の心境は有り得ないのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落307

307 I am assuming that by now you have seen the fallacy of tolerating thoughts of fear, worry, anger, anxiety, etc., and are viewing all things calmly; knowing that through this new balance in your life, you are truly about the Father's business. Therefore, your daily chores will no longer be a drudgery, and you can perform them with a composed, receptive mind. If you watch your mind carefully, you will find many of the real universal thoughts come while you are contentedly, physically occupied. This is what Jesus meant when He said, "Be ye therefore ready also; for the Son of man cometh at an hour when ye think not." Luke 12:40. He did not refer to His appearance in the physical body, but to a communion between the mind and universal knowledge.
307 私は今や貴方は恐れや心配、怒りや不安等の想念を許容することが誤った考えであることが分かり、あらゆるものを静かに眺め、貴方の生活のこの新しい調和を通じて真に父の御わざに従事していることを知っていると確信しています。ですから、貴方の日常の雑事はもはやつまらぬ仕事ではなくなるでしょうし、貴方はそれらを落ち着いた受容的な心で行うことが出来ます。もし、貴方が貴方の心を注意深く観察するなら、貴方は数多くの真に宇宙的な想念は貴方が満ち足り、肉体的にも手一杯の間にも貴方の所にやって来ることに気付くことでしょう。これがイエスが「あなた方も用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」(ルカ伝12章40節)と言った時、イエスが意味したものです。イエスは肉体としてのご自身の出現のことを述べたのではなく、心と宇宙普遍の知識との間の交わりについて述べていたのです。


【解説】
 ここで本文中の"tolerating"(許容する)という表現について考える必要があります。
 本文では自らの心の中に、「恐れや心配、怒りや不安」が入り込むことを許さないという意味で用いられています。即ち、私達は日常様々なストレスを受けるものですが、その結果、心はそのような想念を受入がちになります。しかし、私達はそのような種類の想念を一切、受け入れてはいけないと著者は強調しているのです。それがここで「"tolerating"(許容する)」を用いた意味なのです。
 また、宇宙からの想念・印象を待つ対応として、単に座して沈想しているよりは、日常の仕事に手一杯になりながらの方が、可能性が高いことについても説かれています。私達がリラックスした心境を保ちながら、各自の仕事に精を出して過ごしている中にも、宇宙的な印象がもたらされ、アイデアは多く生まれるということです。
 以前にも述べられていたように、宇宙は絶えず活発に活動しており、その波動に合わせることで、私達自身が宇宙に共鳴しやすい体質になるものと解釈できます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落306

306 So let us make an effort to keep an open, receptive mind at least part of the time; and when our mental telephone bell rings just lift the receiver quietly, and impartially accept the impressions coming to us. This does not mean sitting idly in meditation, waiting with folded hands for some great thought to come to us out of the universal storehouse; but that we should continue normally about our daily lives.
306 ですから、少なくともある時間、私達はオープンで受容的な心を保つよう努力して見ましょう。そして私達の心の電話器のベルが鳴ったら、静かに受話器を取り上げ、そして偏らずに私達の方にやって来る印象類を受け入れることです。これは何もせず座って瞑想して何か偉大な想念が宇宙の倉庫から私達の所に来るのを、手を組んで待っていることを意味するのではありません。そうではなく、私達は私達の日常生活について普通の暮らしを続けるべきなのです。


【解説】
 本項では印象感受の際の基本姿勢について説かれています。もちろん、印象感受に当たっては自ら受容的な心境になることが前提ですが、大事なことは著者は特別な瞑想状態ではなく、ごく普通の日常生活をしながら、その心境を保つことが必要だとしている点にあります。
 また、宇宙根源から来る想念を電話が掛かってきた時のように対応するよう、説いていることも特徴的です。即ち、本文にあるように慌てて受話器をとったりせず、落ち着いてその示唆する内容を理解する姿勢です。この件については、後に別の項で本文に記述がある筈ですが、とかく慌てて最初の部分だけを把握しただけで、有頂天になりその後、引き続いて送られてくる大事な部分を把握できない為に、多くは誤った情報となることを著者は警告しているように思います。落ち着いて全体像を理解することが必要だということです。
 私達は各々日常の生活を送る中で、絶えず宇宙根源なる所からの印象を待機していれば、必ずスムーズに印象は訪れ、私達に有用なアイデアをもたらして呉れることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落305

305 I believe the telephone makes a very understandable illustration for the exchange of impressions . . which, of course, is operable telepathy. Remember, we have stressed the importance of an open, receptive mind; and mind, like the telephone, is a two-way instrument. If we keep our minds continually occupied with consciously sending out thoughts, any impressions coming to us will receive the "busy signal" and be turned away. The connection between mind and mind cannot be completed, because the frequencies of the incoming impression cannot get past the thought vibrations our own mind is broadcasting.
305 私は電話が印象の交換、それはもちろん実行力のあるテレパシーですが、それをとても分かりやすく説明する例になると思っています。私達がオープンで受容的な心の重要性を強調して来たこと、また心というものが電話のように双方向の装置であることを覚えておいて下さい。もし私達が想念を意識的に送ることで私達の心を常に占拠していたら、私達にやって来る想念があっても、それらは「話し中の信号」を受け取り、戻されることでしょう。入って来る印象が私達の心が送信している想念振動を抜けることが出来ないため、心と心の間の接続が完成されないのです。

【解説】
 私達は自分の想いを伝えようとすることには熱心なのですが、それは片手落ちであり、双方向の意思疎通にはならないと、著者は私達に注意しています。互いの想いが通じ合うことがテレパシーなのですが、自分の想念の発信を強めようとするだけでは、そもそも想念伝達は成立しないほど、不完全な状況ということでしょう。
 ポイントは想念の発信も受信も私達の心が担うということです。送信、受信のどちらか片方のみでは、一方通行の関係となり、想念を介した意思疎通は出来ません。とかく私達は想念・想いを強くすることのみに関心を向けて来ましたが、実際には心鎮めてやってくる想念・印象に耳を傾ける姿勢、自然界からの静かなる助言のメッセージを傾聴する姿勢が大切だということでしょう。
 また、私達が自らの想念に固執することは、体内にそれらの振動が強く残留する一方で、外部には発信されていない可能性もあります。ラジオ等の電波の回路を見ても分かるように、コイルを通じて電流が流れることが重要で、その流れた電流に基づいて二次側のコイルから電波が発信される訳で、自分の中の想念を一旦、通過させ、終結させることではじめて発信させるようなメカニズムがあるのかも知れません。いずれにせよ、想念を呼吸するような柔軟な心境が必要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落304

304 In developing telepathy as a means of communication, remember impressions work from mind to mind; and distance is no barrier. As we first begin to use this universal language, we will find it easier to exchange impressions with a few chosen individuals until confidence is gained. With all parties working in sympathy a certain wave length can be established between them; making it possible for them to communicate much as radio "hams" talk back and forth around the world.
304 意思疎通の手段としてテレパシー能力を発達させるについては、印象は心から心に作用し、距離は障壁にはならないことを覚えておいて下さい。私達がこの宇宙普遍の言語を最初に用いるに当っては、確信が得られるまでは少数の選ばれた個人の間で印象を交換する方が容易であることがわかるでしょう。仲間意識を持って働く仲間の間では、ある波長が出来上がりますし、ラジオの「アマチュア無線家」が世界中と通話するように意思疎通を可能とするのです。



【解説】
 親しい者同士の間には共通の周波数というようなものが確立するということです。その結果、一人の発する想念は距離に関わらず仲間に感知され易いという訳です。
 同じ周波数とは互いに同調出来る間柄であり、自他の区別なく接することが出来る関係でもあります。よく「心が通じる」という表現がありますが、文字通り、想念の通り道とも言える関係がそれぞれの間に成り立つということでしょう。
 同様の意味から言えば、空に向かって宇宙船の飛来を願ったり、各自の体験を神仏に報告したりする心境の背景には、こうした親しい間柄の中に生まれる心のつながり、今日で言う絆(きずな)というものがある訳です。人々が求めているものの本質はこうした人々の間の心の連携、つながりであるように思われます。また、同様な意味からは、自然界の動植物は既にこの関係を十二分に培っており、無数のアリの行列や鳥達の渡り等、誰言うとなく一体となって行動する背景には、こうした能力を各々が備えているからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー+」 第3部第2章-段落303

303 A very good example of this may be found in the way many of our scientific discoveries are made almost simultaneously in separate parts of the world. Working independently, and often unaware of the research the other is doing along the same line, each scientist actually tunes in on the same thought vibration of universal knowledge; (the same as any number of people can tune in on a radio program).
303 これについての大変良い例は、多くの私達の科学的発見がほとんど同時になされているという経緯に見ることが出来ます。個別に取組んでおり、しばしば他の者が同じ経路に沿って進んでいることを知らないまま、各々の科学者は世界の離れた場所で、実際には宇宙普遍の知識の同じ想念振動に同調しているのです。(他の多くの人々が同時に一つのラジオ番組にチューナーを合わせることが出来るのと同じです)



【解説】
 本項の例については、無線通信の発明がマルコーニ以外にも同時期に為されていたという記事を目にした覚えがあります。同じ印象・想念を同時に多数の者が感受し、実践に応用した例と言えます。
 またこのように一般に奇遇やCoincidence(偶然の一致、符号)と呼ばれる現象の背景には、このような同じ想念・印象を感受したことが原因となっているように思います。もちろん、そのような多数の者に影響を与えるような想念・印象を発することが出来るのは私達よりはるかに能力の高い者と考えられる訳で、多くは惑星全体の指導者かも知れません。今日のような変革期には、より多くの先人が必要とされている訳で、今後はそれら重責を担うべき者が地上に生誕するものと思われます。
 いわゆるスペースプログラムと称される一大計画はこうした内容も含め、私達惑星全体を救済するものであると考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落302

302 "Of course not," he answered without hesitation; then grinned, sheepishly. "Now I understand what you mean," he said, and sat down. The voices were audible to him, but not to those around him. Yet, if a person were to tune in on the same thought frequency he, too, would receive the same thought.
302 「もちろん、そんなことはありません」と彼は躊躇なく答え、次に恥ずかしそうにニコリと笑いました。「今、私は貴方の言う意味が分かりました」と言って席に座りました。その声は彼には聞こえたのですが、彼の周囲に聞こえるものではなかったのです。それでも、もし何らかの人物がそれと同じ想念波動に合わせることが出来れば、その者も同じ想念を受信したことでしょう。


【解説】
 啓示とされる多くのものは、具体的な音声、或いは映像として感受者に受信されることも事実のようです。この場合、中には本人の意識が離れた場所に転移して、その状況を認知する事例も含まれているのかも知れません。しかし、いずれにせよ、想念・印象は感知される側において具体的な音声や映像に表現される場合も有り得るという訳です。
 丁度、著者が何度となく説いているように、テレビ番組の放送電波のようなもので、電波信号の中には、本来、映像や音声として再現出来る仕組みが組み込まれているということでしょう。これら再現能力はあらゆる動植物にも同様に備わっていることでしょう。
 一方、大抵の場合、印象は具体的な表現が為される間もなく、瞬間的に次々にやって来るものであると考えられます。実はその一つ一つに対して、改めて着目(執着)していると次にやって来るもの(印象)を受けることが出来なくなります。一説に毎秒何百、何千もの印象を感知する進化した他惑星人では、本項のような音声表現は現実的に非効率となる筈です。私達としては、印象・想念の流れを止めないよう、次々にやって来る印象をひたすら受け入れる姿勢が必要であると思っています。
 私達に必要なものは、第一にこれら印象の流れを滞留させないこと、抵抗なく印象・想念を表現できる経路になり切ることです。またそうした中で各自の成長と体験の充実をはかることだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落301

301 Now the question will arise: How is conversational privacy possible under these circumstances? I believe a good illustration of this occurred during a lecture I once gave. I had just finished explaining how the images and voices came silently to the mind, when a man in the audience rose and interrupted, saying he heard voices speaking distinctly. He was very insistent that these were audible, and his reception was not in the least silent. I then asked him, "If I were standing beside you, would I hear the same voices?"
301 そうなると質問が起るでしょう。このような環境の下では会話の秘密は可能となるのでしょうか?私としてはかつて私が行ったレクチャーの間に起ったことが良い例かと思っています。私が丁度、イメージや音声が無言のまま如何にして心にやって来るかの説明を終えた時、聴衆の中の一人の男が立ち上がって自分は明瞭に聞こえる声を聞いたと言って、私の話をさえぎりました。その男性はこれらは耳に聞こえるものであると主張し、自分の受信したものは少しも無言ではなかったと主張しました。私はそれで、「もし、私が貴方の脇に立っていたとすれば、私はその同じ声を聞けたでしょうか?」と彼に尋ねました。



【解説】
 本項のように中には想念・印象が直接音声として認識される場合もあることでしょう。よく宗教の教祖がお告げを受けたり、強烈なインスピレーションを受けた場合等がそれに当たります。
 いずれにしても、行為の前には必ず何らかの意思があり、それらが想念・印象の波となって周囲に放たれる訳ですから、誰でもその動きを察知できることになり、およそ宇宙に秘密など有り得ないのです。遠い世界(惑星)におあす仏様達にも、当然これらの想念は瞬時に伝わり、全てはお見通しということになります。
 結局、私達地球人は他人には分からないと思って、悪心が生じる訳ですが、このようにたちどころに自らが考えることを他人に知られてしまう現実を見れば、少しでも心をキレイに保つことが如何に大切かが分かる筈です。テレパシー能力の開発は人間形成を促進する一助ともなるべきものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落300

300 The secret of what is termed "direct transference" from one individual to another, is simply that with the thought projected the sender incorporates the image of the person he has chosen as recipient. A million people might receive the thought, but because it does not pertain to their personal affairs, they will let it pass through their minds unnoticed. But the chosen recipient will recognize his image in the thought, and direct his attention toward its perfect reception.
300 一人の個人からもう一人の個人への「感情の直接転移」と名付けられることの隠れた実体は、単純に放出される想念に送り手が受け手として選んだ人物のイメージを組み入れているのです。百万人の人々がその想念を受信するかも知れませんが、それらの人々の個人的な事柄にそれが関係しない為、それらの人達は自分達の心の中を何ら気付かれずにそれを通過させるのです。しかし、その選ばれた受信者はその想念の中に自分のイメージを認め、自らの関心をその完全な受信に向けて導くのです。



【解説】
 自らが発する想念が宇宙くまなく発信され、その想念波動には同時に想いの対象者に固有の波動が付加されているという訳です。同乗記その他で他惑星人がアダムスキー氏に対して顔写真を拒む状況が記載されていましたが、その理由はこのことでもあった筈です。
 即ち進化した他惑星人においては、テレパシーの感受能力が高い為、私達地球人がその写真をイメージして想念を発すれば、その多くが彼らに届き、彼らの生活にも影響を与えることが想定されます。そうした状況を避ける為、極力顔写真は地球人に渡さない方が良いのです。
 一方で本事例から、相手をイメージしながら想念を送ることは、より伝達されやすいことは重要なポイントです。私達は知らず知らずにやって来る想念のいわゆる「フィルタリング」を行っているという訳です。それがどのような仕組みで行われているのかは知りませんが、膨大な想念波の中から、自分にとって大事なものを選択する機能もテレパシー能力向上の為には重要な事項です。自分にとって何が大切かを常に見定めて、必要な分野に関心(アンテナ)を向けるということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落299

299 We find that in the case of thought, like the spark of light, vibrations proceed outwardly from it in all directions. We can tune in on any radiation of that impression, and receive the full thought. Therefore, contrary to current belief it is not possible to transmit a thought directly to any one individual, to the exclusion of everyone else! For inasmuch as mind, the medium of thought transmission, permeates the whole of space and form, there is no place where a thought vibration is excluded.
299 私達は想念は光の閃光のようにそこからあらゆる方向に外に向って進行する振動であることに気付いています。私達はその印象のどんな放射線にも同調させ、その完全な想念を受信することが出来ます。従って最近、信じられていることとは逆に、他の者を除き、何か一人の個人に直接想念を伝達することは出来ないのです。何故なら心、即ち想念伝達の媒体は全宇宙と形あるものに浸透している為に、想念振動が排除される場所はないからです。

【解説】
 私達が日常発する想念は、私達から四方八方に拡散し、伝播します。宇宙に生きる全てのものが発する想念はくまなく宇宙を巡り、響き渡る訳で、私達はこうした想念の行きかう海の中に生きているということになります。
 あらゆる方法に想念は瞬時に広がって行く訳で、それを隠すことは出来ません。誰にでも想念は感受されるのです。自然界の動物達も植物達もこの感受する能力が高い為に、居ながらにして遠くで起こっていることやこれから起ころうとしていることを知ることが出来るのです。
 同時に、私達の日々の想いはかつて地球に来訪し、貴重な真理を説き、今は別の星に御住まいの多くの師の元にも届いているものと思われます。寺や教会の聖像は皆、それらの師を私達にイメージし易いよう建立されており、それに手を合わせることで、私達の想いを届き易いようにしているものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落298

298 The human instrument, or mind, may receive thought vibrations corresponding to its own thought-habit; but may be totally oblivious of vibrations of another nature. Thus, we perceive, it is necessary to develop a universal interest if we are to become unlimited telepathic recipients.
298 人体の計器である心は自らの想念習慣に対応した想念振動は感受するかも知れません。しかし、他の性質の振動に関しては全く気に止めないのかも知れません。このようにもし私達が無限のテレパシー受信者になろうとするなら、宇宙普遍の関心を発達させる必要があることが分かります。



【解説】
 自分の志向する情報には各自のアンテナが向いているが、それ以外のものに対しては、例え到達していてもそれに気付かず、やり過ごしてしまうのが、私達の日常です。
 そういう意味では古くから思い通り、自分が想い描く人物像に向かって各自が歩んでいることにもなります。しかし、必ずしも、その方向が適切なのかどうかは、よく考える必要があります。自らの固定観念が自らの人生を決め付けている可能性が高いからです。
 多くの聖人が一度は自らを顧みて回心する中で、新しい展望を抱くことが出来、その人本来に託された役割を果たす事例もよく言われることです。
 自分が持つ関心分野がそれで妥当か否か、本来の自分に必要な分野が他に見落とされていないかどうか、自らの周囲の状況や日頃の想念・印象の整理を通じて見つめなおす必要もありそうです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落297

297 Some individuals find they receive only telepathic communications of a dire nature; while others receive beautiful visions of a more universal expression. This difference in quality of receptivity can be explained by the fact that the relative vibrations of each person is different. (In speaking of relative vibrations here, I mean to denote the thought-habit of the individual.) And since it is not possible to receive a vibration to which we are not attuned, we will attract those sympathetic to our habitual thought pattern. Remember, when the violin is not properly tuned it will not respond to the sound frequency of the other instrument.
297 ある個人は自分達が不吉な性質のテレパシー的意思疎通しか受け取らないことに気付きますが、他方ではより宇宙的な表現の美しい幻影しか受信しません。この感受性の性質の違いは、各個人における相対的な振動が異なるという事実によって説明出来ます。(ここで言う相対的な振動とは、私としては各個人の想念習慣を印す意図で用いています。)そして私達が調律を受けていない振動を受信することは不可能である以上、私達は私達の習慣的想念パターンにそれら同情的なものを引き寄せるのです。バイオリンが適切に調律されていなければ、もう一つの楽器の音声周波数に呼応することはないことを思い出して下さい。


【解説】
 私達一人一人はバイオリンのような弦を持った楽器に例えられています。即ち各弦の持つ基本周波数に合致した振動には共鳴しますが、その他については共鳴しにくいということです。各人の個性、これまで体験したものから来る個人の性格等が想念・印象の感受についても特徴を示すことになるということでしょう。
 何度となく述べられていることですが、「類は類を呼ぶ」という表現は、同様の共鳴現象、共感作用を示しています。従ってより高貴なアイデア、より上質な想念と出逢う為には、受けるこちら側もそれに近い性質を維持しておく必要があります。
 逆に言えば、一旦良い方向に一歩を進めることが出来れば、以降は次々に事態は良い方向に循環(善循環)を示して行くことになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落296

296 The human form, in a natural state of impersonal relaxation, is receptive to all vibrations. Of course, it must be freed from habit action, the sense-man must be controlled, and the ego, or intense concentration upon its basic vibrations, must be relaxed. Telepathy comes as an impression through the feeling channel; and when we control our reasoning mind (or the ego), we can receive impressions from all phases of manifestation: for we are a unit with them
296 個人としての感情を持たないリラクゼーション状態にある人体は、全ての振動に対して受容的です。もちろん、それは習慣的行動からは解放されなければなりませんし、感覚人は統制され、また、エゴあるいはその基本振動への強烈なる集中は緩められなければなりません。テレパシーはフィーリングの経路を通じて一つの印象としてやって来ます。そして私達が詮索する心(即ちエゴ)を統制すれば、私達はあらゆる創造の側面からの印象を受信することが出来ます。


【解説】
 私達自身の自然な状態が心の中への想念・印象の流れをスムーズにするという訳です。やって来る何ものに対しても詮索することなく、そのまま受け入れる姿勢が大切だということでしょう。
 とかく私達は自分自身の事柄のみ関心を持ち、エゴは自身に全てのものを注目させようとします。しかし、既に私達は十分学んで来たように、これらの集中状態から私達の全細胞、60兆個もの同士を解放し、それらを自由にしさえすれば、自ずとあらゆる想念波動に共鳴し、必要な知識を授けてくれることになります。
 リラックスさせること、ストレスを感じさせないことが最も重要であり、私達は私達自身を本来の快適な生き方を進める為にも、実生活に応用し、身に付けて行かなければなりません。
 人間は本来、あらゆる創造物と交流し、そのものを理解するだけの能力を付与されている筈です。また万物もそれらの理解者を待ち望んでいます。一人でも多くの者が、その心境を得る時、地上もそれに呼応して大きな進化を遂げるに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落295

295 The basic vibration of any form is a constant thing; otherwise, the cell would not always reproduce its kind. But so far as the cell's activity and capability of transmitting impressions is concerned, it is unlimited in a relative, or natural state. It is this relative activity with which we are dealing in the study of telepathy; and it may be referred to as the sympathetic vibration. This sympathetic vibration can be demonstrated by using two violins exactly attuned. When we pluck the string of one, the other violin will respond in the same key. A similar experiment may be performed with ordinary drinking glasses, but these are limited in their vibratory range.
295 如何なるものもその基本的振動は不変のものです。さもなければ細胞はいつもその種を再生産できなくなるだろうからです。しかし、細胞の活動に関する限り、また印象を伝達する能力に関する限り、それは相対的あるいは自然の状態としては制限がありません。私達がテレパシー学習で取扱っているのは、この相対的な活動なのです。また、それは共感的振動と表現されるかも知れません。この共感的振動は正確に調律された二つのバイオリンを使って実証することが出来ます。私達が弦の一つを弾くと、もう一つのバイオリンが同じ音で呼応します。同様な実験が普通のコップについて行われるかも知れません。しかしこれらはその振動範囲に限られているのです。


【解説】
 細胞固有の「振動」については、今日の科学レベルではDNA等の遺伝分子に対応したイメージを著者は述べているものと思われます。また、その一方で各細胞にはそれとは別の感受性を有しており、「相関性」についてはそれが自然の状態、即ち互いに相互関係を有する中で成立する状況の中の活動の一つであることをイメージしているものと思われます。
 また、想念・印象の感受の特徴については、著者は「共感」(sympathy)であると説いています。同じ場所、同じ状況下にあっても想念・印象を受け取ることが出来る者、出来ない者との間にある差異は実にその者の持つ共感性の違いということです。いわゆる無神経と称される者には相手の心情に対して共鳴するところが無いのです。その延長上には想念レベルにおいてもそのような波動に何ら同調する要素が無ければ、気づくことが出来ない訳です。
 各自、感性を磨く為には、どうするかが次に問われることになります。人によっては長い道程になるかも知れませんが、自身で同様な経験をすることで初めて相手の心情も理解出来るようになるものと思います。私達は更に、人間ばかりでなく、他の動物や植物、更には鉱物に至るまで、様々なものの心境を推し量る努力が必要だと思っています。そして、その先には、森羅万象、ことごとく神宿るの心境に到達するものと思われます。

【追記】
 実は、本文の「相対的あるいは自然の状態として」(in a relative, or natural state)という表現については、本講座の独特な表現であると感じていました。それ故、「解説」部分では、私なりの解釈を述べたつもりです。
 これと期を同じくして、今読んでいる「The gospel of Mary of Magdala(マグダラのマリアの福音書)」(by Karen L. King)の中のイエスの言葉にこれと似た表現があったのには驚きました。この本はいわゆる聖書外典の一つです。1896年にカイロで発見され、5世紀頃のパピルスにコプト語で記されたもので、残念ながら断片でしかありません。その後、ベルリンの博物館に収蔵され、出版の計画もあったようですが、戦争の為、断念。その後、1983年には同じ福音書の断片が今度はギリシャ語で記されたものとしては発掘され、3世紀頃のものと推定されていることが分かっています。
 さて、本題は、そのわずかに残るイエスの言葉の中に、以下の記述が伝えられていることです。
 「The Savior replied, "Every nature, every modeled form, every creature, exists in and with each other. They will dissolve again into their own proper root. For the nature of matter is dissolved into what belongs to its nature.."」(救い主はこう答えられた。「あらゆる自然、あらゆる形作られたもの、あらゆる創造物は互いの中と互いと共に存在します。彼らはいつか再びそれ自身の根源に溶け込むことになるでしょう。何故なら、自然界の物質はその自然の属するところに溶け込んで行くからです。」)
 私がはっと思ったのは、上記の「 exists in and with each other」(互いの中と互いと共に)という表現です。本項(295)の"in a relative, or natural state"と大変似た表現であることには、驚かされます。また、イエスの述べられていることは、一連のアダムスキー氏の著作と同じ雰囲気を持っていることにも気づきました。
 アダムスキー氏がイエスの高弟であったとはよく聞く話ですが、この「マグダラのマリアの福音書」に残る断片から分かるように、実は私達は遠くイエスの時代にまで遡った勉強を今しているところが大事なところです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落294

294 It became quite a game with my friends to place a tasty titbit in the center of the table, well out of reach of the little dog. The family would then pretend complete indifference to the action of the animal, who would circle the table, sampling the air. When he was assured his nose was not deceiving him, he would trot off to find the cat. Upon locating her sleeping curled up in a chair, he would nudge her awake and silently obviously converse with her. She would rise, stretch, and stalk across the room. One nimble leap would carry her to the center of the table, where she would pick up the morsel in her mouth and drop it to the waiting dog. Her task performed, the cat would resume her interrupted nap, while the dog chewed contentedly on the stolen food. This was no coincidence, for it so delighted the owners that they had the animals repeat it frequently for interested friends. In this case the dog and cat, different species of the animal kingdom, were merely using the universal language which is natural to all forms of manifestation.
294 私の友人達にとって、その小型犬が届かないテーブルの中央に、一口大のうまい食べ物を置くことは、楽しい遊びになりました。家族達はその犬の行動には全くの無関心を装うこととし、犬はテーブルの周囲を回って空気を嗅ぎます。自分の鼻が偽っていないことを確認するや、犬は猫を見つけようと小走りになります。椅子の上で丸まって寝ている猫を見つけるや、犬は猫を軽く突いて起こし、無言のまま、明らかに猫と会話します。猫は起き上がり、伸びをしてゆっくり大またで部屋を横切ります。敏しょうな一飛びで猫はテーブルの中央に乗り、そこで食べ物の一片をくわえて、下で待つ犬にそれを落としてやります。猫は任務を果たした後、邪魔されたうたた寝を再開し、犬は奪った食べ物を満足気に噛みしめていました。これは偶然の一致などではなく、飼い主は大変喜び、興味を持った友人達の為、その動物達に度々繰返えしやらせました。この場合、動物界の異なる種である犬と猫は創造の全ての形有るものにとって自然である宇宙普遍の言語を用いているに過ぎなかったのです。

【解説】
 互いに仲の良い犬と猫の間に、各々の種によって異なる音声言語ではない想念・印象による意思疎通を行われている事例を、著者は自らの体験として私達に伝えています。
 私達は長年、周囲の事柄に無関心であった為に、このような動物達の間の声によらない意思疎通に気付いていなかった訳です。
 同様の視点で外を観れば動物達は互いに言葉(音声)による会話は通じなくても何ら支障なく暮らしているように思えます。そこには言葉は通じなくても、ある程度相手が何を考えているか、何をしようとしているのかを感じ取ることが出来るという背景があるのです。これには遠く離れた場所からの人の視線を鳥達が鋭敏に感じ取ることも含まれています。
 またその延長線上には植物達の日常もあることでしょう。動くことの出来ない植物は気候の変動や人間をはじめ動物達から受ける行為も甘んじて受けなければなりません。離れた木々の間で互いに印象で会話したりする状況は、芹沢光治良氏の「神の微笑」にも記されているところですが、植物も印象を感受、発信する能力を有しているように思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落293

293 For example: We know that different species of the animal kingdom are able to communicate with one another. They do not use a spoken language as we do, but they convey their meaning to each other very clearly. I well remember a little fox terrier and a deaf white cat that belonged to friends of mine. These animals were inseparable companions, and although the cat was as deaf as a post, they often gave positive proof of their ability to commune with each other.
293 こういう例があります。私達は動物界の中の異なる種が互いに意思疎通を行えることを知っています。彼らは私達のように話す言語は用いませんが、互いに大変明確に自分達の意図を伝えます。私の友人が飼っていた小さなフォックステリア(訳注:犬の種名)と耳の聞こえない白い猫のことをよく思い出します。これら動物達は、離れがたい間柄であり、その猫は耳がまったく聞こえないのですが、彼らはしばしば互いに心を通じ合う明確な証拠を示してくれました。

【解説】
 家で飼われている犬と猫も互いに言葉は発せずとも十分な意思疎通を持ち、互いを理解し合っていることは、本文の他に私達が日常的によく経験するものです。
 この場合、動物達は何をもって心を通じ合っているか、敢えて各々の言語を用いる必要が無いかについて考え、観察する必要があります。言葉が必要でない意思疎通の世界が動物達の間で広がっているということでしょう。人間の場合、言葉の通じない外国で暮らす場合、不自由極まりない生活になりますが、動物達はもっと自由に、もっと広範囲に各自の意思を理解する能力があるように思われます。
 その動物達の能力は多くの場合は自分の身を守り、あるいは獲物を見つける際にも役立つことになります。たとえ背後や遠くからでも何ものかの視線を感じ取ることは、相手の存在を身近に感じる能力であり、その者が発した言葉になる前の想念を直接受信していることでもあります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落292

292 We must understand that the human cell has a basic vibratory rate, that naturally responds more easily to other human vibrations than it will to those of animal, plant, or mineral life. But the human cells are just as capable of receiving impressions from all of these phases of nature, as they are from human beings. The same atoms, vibrating at different rates, make up the forms of human, animal, plant and mineral and they all speak the one universal language.
292 私達は人体の細胞は基本的な振動率を持っていて、動物や植物あるいは鉱物の生命に対するよりも、他の人間の振動により容易に自然と反応することを理解しておかなければなりません。しかし、人体細胞は丁度、それらが人間からであるのと同様に、自然のあらゆるこれら側面から来る印象を受信することが出来ます。同じ原子群が異なる振動率で振動し、人間や動物、植物や鉱物の形状をつくり上げており、それら全ては一つの宇宙普遍言語を話しています。



【解説】
 以前にも述べたかも知れません。植物育種家のルーサー・バーバンク(1849-1926)の著作にTraining of Human Plantという本があり、その中で氏は「人間の赤ん坊が実は最も鋭敏なのだ」という趣旨を述べています。つまり、まだ言葉を発しない赤ん坊が周囲の大人達の想念を実に鋭敏に感じ取っていることに、ルーサー・バーバンクは気づいていたという訳です。
 本文は、私達人間の細胞は同種である人間の感情に対して最も同調し易いのだと指摘しています。丁度、同じ形状の音叉が互いに距離を離しても容易に同期し、共鳴するのと似ています。ですから、人間は他の人間から影響を受け易く、また他の人間に影響を与え易くなっているという訳です。
 その根本の原理は、私達体内の細胞を構成する更に先の各原子自身が持つ振動パターンが種によって異なることを著者は指摘しています。一方、原子はその振動という共通言語を有していること、またその為、全ての原子は私達の発する想念振動を含め互いに振動を感じ取ることが出来るということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落291

291 On the other hand, the optimist will see the beauty in the drifting snowflakes. He will call your attention to the majesty of the towering clouds, and point out the gratitude of the thirsty ground. These two minds are using the same universal law of action. But one has set his mind in motion along a destructive, vibratory thought-habit pattern; while the other follows a constructive vibratory thought-habit pattern; recognizing all creation as a manifesting expression of the Supreme Intelligence.
291 他方、楽観論者は漂う雪片に美しさを観ることでしょう。その者はそびえ立つ雲の偉容と渇いた大地の感謝の気持に貴方の注目を呼び起こすことでしょう。これら二つの心は同じ宇宙普遍の運動法則を用いているのです。しかし、一方は自分の心を破壊的な振動の想念習慣に沿って動かしていますが、もう一方は全ての創造は至上なる英知の現出された表現として認め、建設的な振動の想念パターンに沿って自らの心を動かしているのです。



【解説】
 本文では夏の夕方、毎晩のように繰り広げられる雷雨を前に、空に立ち昇る入道雲と乾いた大地の関係を指摘しています。私達が現象をどのように観ようとも、雨は地球の水循環にとってなくてはならない作用であり、大地に生きるもの全てにとって恵みの源です。
 実は、現在滞在中の場所も目下、乾季の真っ最中で何ヶ月もの間、雨が降りません。その結果、多くの木々が葉を落として、ひたすら雨を待っています。気温が高いだけに植物にとっては辛い日々かも知れません。そうした中でも多くの木々が花を付け、葉っぱが無くなりかけても、花を次々と咲かせることを止めることはありません。プルメリアも次々に花を付けています。当所では、もうすぐ始まる雨季を祝う「水かけ祭り」も行われると聞いています。
 あらゆる現象には、プラスの面もマイナスの面もある訳ですが、その本来の意義はプラスの面が担っていると観るべきでしょう。自然界をよく観察すれば、そのことは十分、理解出来る筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落290

290 Remember the illustrations we used of the pessimist and optimist? The pessimist has formed the thought-habit pattern of always looking at the gloomy side of life, and will resist the presentation of joyous ideas. Even though the sun might be shining brightly, if you were to comment on the beauty of the day he would remind you of the terrible storms we had last winter. His thought-habit pattern looks upon all manifestation with suspicion.
290 以前、私達が用いた悲観論者と楽観論者の例示を思い出して下さい。悲観論者は常に生命の暗い側面を見る想念習慣パターンを形成してしまい、楽しいアイデアの披露に抵抗しようとします。太陽が明るく輝いても、貴方が日光の美しさを評しようとしても、その者は貴方に前年の冬にあったひどい嵐のことを思い出させようとするでしょう。その者の想念習慣は全ての創造を疑問の念をもって観ているのです。



【解説】
 私達は多かれ少なかれ自分自身の思考習慣を作り上げているのではないでしょうか。本文にあるような悲観的見解に立つ者は常に物事をそのように観て、決して建設的な部分、好ましい点を観ようとはしないという訳です。
 この他にも様々な思考パターンがある筈ですが、実はそれが私達自身の発達を妨げている原因のように思っています。即ち、これまでの「常識」、即ち思考習慣が真実の洞察を妨げ、折角の機会を逃しているということです。
 同じ対象物を見て、そこから深遠な印象を受ける者と、何ら気づくことなく通り過ぎてしまう者との違いは何処にあるのか、よく考える必要があります。私達は自分自身の習慣に流され、価値に気付かず狭い心に束縛された生活を送っていることに、先ずは気づくことが必要です。その上で従来の思考パターンを捨て、毎日新鮮な気持ちで朝を迎え、与えられた一日を有意義に過ごすことを心掛けたいものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落289記事タイトル

289 Psychologically, we express this law by the statement that "a habit is difficult to break." In other words, any thought that is allowed to impress itself upon the body, sets the cells of the body into a state of motion corresponding to the thought-vibration. The body then has a tendency to continue in that particular motion until acted upon by another force which is strong enough, or positive enough, to change that vibration. The highly organized, concentrated, personal ego, in its aggressive manner, is so prone to force-frequencies that it intensifies the natural tendency of matter to continue in any motion, once that motion is created. When we allow habit-motions to become set, it necessitates contact with a very positive vibration to change them.
289 心理学的には私達は「習慣は打破するのが難しい」と表現します。言い換えれば肉体に対して印象付けることを許された想念は皆、肉体細胞をその想念波動に対応した運動状態に整えます。肉体はそれ故、次にその振動を変化させるに十分な強さや大きさを持った別の力によって作用されるまで、その特定の運動を継続する傾向があります。その攻撃的な振る舞いにおいて高度に組織化され、集約化された各個人のエゴは、力のある振動から大きな影響を受け易いため、一度運動が創り出されると継続するよう物質の自然の傾向を強めてしまいます。私達は習慣的な運動をセットすることを認めた後は、それらを変える為には別の強力な振動と出会う必要があるのです。



【解説】
 何か強い印象を受けた後、長い間、頭からその内容が離れないことも多いものです。また、現在特に問題となっている過激思想による世界的なテロ集団の動きなど、いわゆる「洗脳」についても、本項の記述は私達の心の特徴をよく表現しています。
 良いにつけ、悪いにつけて私達は想念に影響され易く、一旦それを受け入れた後は、長時間その示す方向に行動し、流され易いことは、私達自身肝に命じるべきです。もちろん、本講座のような本来あるべき姿に精進することは望まれることですが、世の中圧倒的多数はそれとは逆の方向に私達を招くものだからです。
 対策の決め手は私達自身、自分の訓練として努めて良質なものに接しようと心掛け、邪悪なものを遠ざけることが賢明です。何度も邪悪な試みに自身をさらす必要はありません。その代わりに少しでも本来の生き方にプラスになる源泉を求め、それに出会ったら、生涯大切にするということです。良い友人、良い書物を得ようと思うことからそれが始まります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落288

288 To answer these questions, we must again refer to the universal law of action. The scientific definition of this law is, "Any object set in motion has a tendency to continue in motion in the same line, or direction, until acted upon by some external force."
288 これらの疑問に答える為、私達はもう一度、運動の普遍的法則を引用しなくてはなりません。この法則の科学的定義は「如何なる物体も動かしはじめると、何らかの外力が作用しない限り、それと同一の直線、同じ方向に運動を続けようとする傾向を持つ」としています。



【解説】
 私達は大きな流れの中に身を置いているということでしょう。とてつもない大きさとも言える球体の上に生活していますが、その球体自体、宇宙空間を一定のスピードで移動し、合せて自身も一定の速さで回転しているのです。こうした一連の動きは宇宙創造の時まで遡る程の長い時間の中、変わらぬ運動として、その表面に暮らす生きものたちの生活にとって無くてはならない安定した生存環境を提供しています。
 このように安定した環境づくりには重要な慣性の法則なのですが、私達の精神活動にとっては要注意な要素であるという訳です。
 これまで学んで来たように、私達はとかく惰性に流され易く、新しい事柄、新しいアイデアを取り込むことを年齢を重ねるにつれて、次第に行わなくなります。新しい事柄に挑戦し、成果を得るべく努力しても、結果に自信がない等々の理由を付けて、ひたすら従来のやり方を踏襲してしまう訳です。
 しかし、これでは若々しさは生まれることはないのです。常に周囲の事柄に気を掛け、感性を高めること、得られたアイデアを実現させる具体的な行動をとることだけが、新たな経験を得ることに繋がり、身体細胞も活性化します。自身の内部を停滞状態から本来の生命活動状態に生まれ変わらせることが求められているという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落287

287 I have said that in general, lack of receptivity is due to lack of interest on the part of the individual. We know that some persons are intensely interested in all that goes on around them, whereas others have limited interests. Why should this be? What causes the psychological difference?
287 私は一般論として、感受性の不足はその個人の側における関心の不足に起因すると言って来ました。私達はある人々は身の回りで起る全てに強烈に関心を持つ一方で、他の者達は限られた関心しか示さないことを知っています。これは何故でしょうか。その心理面の違いは何によるのでしょうか。



【解説】
 感受性の由来は物事の関心にあることを私達は学んで来ました。しかしその一方で、多くの者が自分に関する事柄以外には無関心であることも確かです。本項ではそれがどのようにして起こっているのかを考えるよう、私達に説いています。
 これまでの本文の記述の中から、私達は各肉体細胞を高密度で集積した状態を保つ上で、私達の心は絶えずこれら細胞をそれらの司令塔との自負している自身の心にのみ注目させようとして来ました。またそうした状況が金魚鉢の中の金魚のように各細胞に緊張を強いていることを学んで来ました。
 このような一連の行き過ぎた心への集中が自分以外の事柄に関心を持たなくなり、従って感受性も育まれなくなったことにも繋がっているように思われます。また自然観察や生命探究など、未知なるものへの研究心はこれらの関心や感受性を必要としますが、その分野に興味が無ければ、自ずと関心も広がらず、想念をキャッチすべくアンテナを広げる必要もないことになります。しかし、本来、同じ恵まれた環境にあるのですが、関心がないばかりに、そのまま素晴らしい世界を見過ごした人生を送ることはもったいない限りです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落286

286 More than once I have heard the remark: "Oh, I was in such a beautiful state of relaxation. I was barely conscious of having a body, and my mind was simply a blank!" That is not relaxation. It is merely a state of lethargic indifference; and has almost no constructive value. When a person is truly relaxed his body feels tremendously "alive," and thoughts pass through his consciousness at such a high rate of speed it may seem to him afterwards that he has lived years in a few moments. Relaxation is the releasing of personal desire to the natural sequence of relativity, or continuity of thought; and the person has normal, unbiased interest in everything while in this state.
286 一度ならず私はこうした発言を耳にしたことがあります。「そう、私はとても素晴らしくリラックスしたことがあった。ほとんど自分が肉体を意識することなく、心もまっさらな状態だった。」しかし、これはリラクゼーションではありません。それは単なる無気力で無関心の状態でしかなく、建設的な価値はほとんどありません。人が真にリラックスしている時は、自分の肉体はとてつもなく「生き生き」感じ、想念は本人の意識の中を非常な高速度で通過する為、後でわずかの時間に何年間も過ごしたような感じをその者に与えます。リラクゼーションとは個人的な願望を人の手を加えない一連の関連性の流れ、即ち想念の連続性に解放することであり、その時、人はこの状態の中にあって、あらゆるものに先入観の無い関心を抱いているのです。


【解説】
 私達が目指すべき心境について、著者は本項で詳細に説いていることに、私達は注目しなければなりません。
 テレパシー能力は、本項に述べられているようなリラックスした心境でのみ養われる訳ですが、この「リラックス」とは通常、私達が言うリラックスとはむしろ、正反対のより活発な精神状態と言うところが重要です。本文にもあるように、時間的にはほんの一瞬でも極端に言えば何年も過ごしたような充実した精神状態、即ち自由な想念の流れが私達の目指すべき状況という訳です。
 想念の流れに対し、心が一つ一つの判断を下すようなことを止め、自由に心を通過させることによって、私達は想念の流れに対して抵抗のないパイプのような存在になり、短時間でも多くの体験、知識の授与を得ることが出来ます。
 ここで更に注目したいのは、このような想念は宇宙から無尽蔵に私達に注がれているのですが、私達の心が入口を塞いだり、ストレスを造り出したりする為に、流れが妨げられて来た訳で、その障害が取り除かれれば、より自由に想念が流れ込んで来ることになることです。
 充実した精神活動は決して疲労をもたらすことはありません。金魚の例のように抑制状態がストレスや疲労を造り出す訳で、より自由で伸び伸びした状況になることが私達本来のあるべき姿です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落285

285 Not unlike the goldfish in the small bowl, the individual nearly always reverts from the extreme of tension to the extreme of lethargy . . . completely ignoring the half-way house of relaxation. Usually, if a person is told to relax, he simply lets down and loses interest in everything. By doing this he not only retards the cell action of the body, but he often goes even further and by main force of will tries to create a mental vacuum. This torpid state is what takes place in nature when certain animals hibernate through the cold weather, but with them it is in obedience to a natural law for the perpetuation of the species. You will notice that the customary foods of these animals is not available during the winter months; therefore, nature slows down the activity of their body cells, so they may husband their energy until Spring sets her bountiful table.
285 その小さな鉢の中の金魚とは異なり、個人はリラクゼーションという中間施設を完全に無視して極端な緊張から極端な無気力に逆戻りする程の方向転換を大抵は行います。普通、もしある者がリラックスするように言われると、その者はあらゆるものに対する関心を低下させ失わせてしまいます。こうすることで、彼は肉体の細胞活動を遅くするばかりか、しばしば更に進んで意志の主力を使って精神的な空白状態を作り出します。この不活発な状態は自然界ではある種の動物が寒い季節を通じて冬眠する時に起るものですが、動物達にとっては種の永続性の為に自然法則に従っているものなのです。皆さんは冬の間、これら動物のいつもの食べ物が手に入らないことにお気付きでしょう。それゆえ、自然はこれらの肉体細胞の活動を低下させ、彼らが春が食卓を用意するまで自分達のエネルギーを節約出来るのです。



【解説】
 極端から極端に走るのが人の常という訳です。私達は真のリラックスをどのようにして達成するのか、ここで本腰を入れて考える必要があります。
 本項で述べられているように過度な集中状態、緊張状態が肉体細胞にストレスを与え、消耗させることは前項までに学んで来ました。しかし、そうだからと言って、その正反対である何ものにも関心を持とうとせず、何もしないただ惰眠によって時間を費やすことは、動物の冬眠にも近いと著者は警告しています。
 冬眠の場合は生命存続の為に必要な厳冬期の対策である一方、このようないわば生命活動が停滞するということは私達には不要な状態であり、有害だということでしょう。
 単純に「中庸」と表現することは簡単ですが、何故私達の心が全てを放棄し何もしない状況に陥るのか、また一方ではすぐに極度の緊張状態のいずれかの間を振り子のように転移しがちなのかについて、よく考える必要があります。物事を「良否」「優劣」その他の二元に分けること、「原因」と「結果」を分離すること等による私達の「裁き」志向の中に、その要因があるように思えるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落284

284 The same holds true of the cell entities of the human body. Our minds are constantly "bumping" into the worries and anxieties around us in the crowded fish bowl of our own creation; and each contact-shock dissipates a certain amount of energy. So we can safely say that tension is the chief cause of non-activity of the cells, and non-receptivity of telepathic impressions. But due to a misunderstanding of the true meaning of relaxation, there exists another condition that is just as detrimental as tension.
284 これと同じことが人体の各細胞実体についても当てはまります。私達の心は私達自身の創造物である混み入った金魚鉢の中の私達に心配と不安を常に「ぶつけて」おり、一つ一つの接触の衝撃が何がしかのエネルギーを消耗させています。ですから私達は確かに緊張は細胞の非活発やテレパシー的印象の非感受性の主原因であると言うことが出来ます。しかし、真のリラクゼーションに対する誤解から、この緊張と同じくらい有害な状態も存在するのです。



【解説】
 私達自身の心の不安定な状況が、私達自身の膨大な数の肉体細胞に容赦なくストレスを与え続けていると著者は私達に警告しています。人間の老化や疾病の多くはこうした私達自身の心がその原因を造り出しているという訳です。
 確かに物事がうまく行ったりした時、心が何らかの目標を達成したと感じる時、私達は間違いなく気分が良くなり、はつらつとした心境で周囲を見ることが出来ます。しかし、その状況も多くは長続きせず、再び何らかのストレス状態に陥ってしまうのが、私達の日常です。
 しかし、私達の目標は何処に置くべきでしょうか。誰でも「死」は遠くにあって欲しい訳で、好んで病気になる者は居りません。与えられた生命を少しでも自分本来のお役目に貢献できる形で生き続けられれば、それは「本望」ということであり、誰でも自身の生命活動を継続発展させる義務があるのです。
 それを実証する為には、先ず私達が取り組まねばならないことは、自分自身に対するこのような心の横暴を無くすことです。その為には、実際にどのような状況が自身の心と肉体との関係において起こっているかを、よくよく調べることが大切です。肉体を構成する各細胞、各分子には極めて良質な体験をさせる必要があり、これは他者に対しても言えることです。周囲の者を含めてストレスの無い環境作りが大切だということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落283

283 As an illustration; let us imagine we place a large number of goldfish in a small bowl. This crowded condition will not enable them to move about freely, and any motion on their part will cause them to bump into other fish. Each contact-shock will result in the expenditure of a certain amount of energy. If they try to force their normal activity in such congested surroundings, they will soon become fatigued. If they are wise, they will instinctively lessen their action; in which case they are reduced to a condition of lethargy. But as soon as these fish are placed in a larger receptacle they will again expand their activity to its natural state.
283 例示として小さな鉢に沢山の金魚を入れた場合を想像しましょう。この混み合った状況は金魚達に自由に動き回ることを出来なくさせており、少しでも動くと他の魚にぶつかってしまうことになります。この接触の衝撃は幾分かのエネルギーを消費します。もし、金魚達がこのような詰め込み状態の中で通常の動きを無理にしようとすれば、すぐにも疲れてしまうでしょう。彼らが賢ければ本能的に活動を低下させるでしょうし、その中で彼らは不活発状態に弱められて行きます。しかし、これらの魚達がより大きな容器に入れられるや否や、彼らは再び自然な状態まで活動を広げることでしょう。



【解説】
 集密な状態というものが各自の活動を停滞させることになるという本項の記述は、分子の運動状態を連想させます。
 気体の圧力は分子の運動の繁栄とされていますし、物質の密度は固体から液体、更に気体になるにつれて薄くなります。宇宙空間はこの希薄な気体の空間で、これまでの概念では何もない空間というイメージでしかありませんでした。
 しかし、本項による考えからすると、この希薄とされる空間において各分子は最も自由に活動し、本来の活気を呈しているとも言うことが出来るでしょう。リラクゼーションについて学ぶ中で、各自が自由に想念活動を行う上で、こうした「空」なり「無」と称される空間が実は重要なのだと著者は示唆しているのかも知れません。
 般若心経の「空」なる概念もそのことを説いているように思えます。

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