テレパシー 第1部 第3章

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落101

101 We, too, are under this law. That is why we are driven by an inner urge to strive beyond our present limitations toward a higher understanding.
101 私達もまた、この法則の下にいます。それが私達が、より高次な理解に向かって自分達の現在の限界を越えようと努力するよう内なる衝動によって促される理由です。


【解説】
 自然界における他の生きもの達と同様、宇宙から直接もたらされる諸印象から日々の行動の指導を受けることを、私達の目指す本分としなければなりません。それこそがこのテレパシーを自己開発する目的でもあるのです。
 その為には、やって来る印象を心を通じてでなく、自らより率直に受け止め、従来のように心の差配を経ることなく、行動に移すことが重要になります。印象に従うということです。
 これには印象を贈ってくれる源への絶対的な信頼が前提となる訳ですが、自然界を観察して分かるように、他のいきもの達は例外なく、自らの生命をその贈り主に委ねていますし、その信頼があって初めて成立する関係であると思われます。
 これらのことを理解した上で、私達は次なる章に進むことになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落100

100 In Nature, this urge for action comes directly from the Cosmic Cause of all creation. She does not arbitrarily try to grow a pine tree from an apple seed, but follows the archetype set down by the Creator. Therefore, the universe moves in orderly manifestation of creation and recreation.
100 自然においては、行動に対するこの衝動は全創造物の宇宙的因から直接やって来ます。自然は勝手にリンゴの種から松ノ木を育てようとはせず、創造主によってセットされた原型に従うのです。ですから、宇宙は創造と再創造の秩序ある現れの中で動いているのです。

【解説】
 ここに私達人間の本質的な課題と可能性があるように思います。本文にあるように、人間以外の生きもの達には身体を動かす為に「心」が介在することは無いと明確に示されているからです。自然界の生きもの達は宇宙の源泉から直接行動の指針を受けており、私達のような心を介在させていないという訳です。
 その結果は、私達が見る通り、自然界では秩序ある美しさが表現され、生きもの達はその精一杯の自己表現をし、日常の活動を果たすのに労を惜しむことはありません。どうも日常の仕事を自らの才能の発現として歓んで行っており、そこには死に対する恐れは一切見ることは出来ません。
 これら彼らの活発な生活ぶりは、地面を忙しく歩き回るアリ達の姿が象徴するように、ただひたすら今を生き、身の危険を顧みることはない典型となっています。何故、かくも彼らは勇敢なのか、その答えは彼らが自らの日々の行動の指令を本文で言う宇宙的因から直接受けているからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落099

099 This, of course, is but one level of impressions, yet one that is very important for man to understand; for it illustrates the dependency of all life upon thought, or intelligence. It is from this level of impressions that many carnal minds form their limited, opinionated, thought-patterns or habits.
099 このことはもちろん、印象の一つのレベルでしかありませんが、人にとっては全ての生命が想念、あるいは知性に依存していることを理解するという点で大変重要な所です。多くの肉欲の心がそれらの限界に満ちた、頑迷な想念パターン類、或いは習慣を作り出すのはこのレベルの印象類からなのです。


【解説】
 本項に説かれているように、これら身体の動きに関する脳の指令と肉体各部の動きの関係は基本的な想念の働きを示すものです。実際にはそれより高次元の想念・印象の働きもあるのですが、私達が長年、心による支配を受けていたのは、このレベルの想念活動であると著者は明かしています。
 つまりは、肉体の各部位を心がコントロールするという構図です。従ってこれらの仕組みの中にこれまでの私達の問題が潜在していることになります。言い替えれば半ば自動的に心が外界を判断し、肉体に指示を与え、行動をとる為、十分考察、研究することなく移り行く現象に追われているのが私達なのです。
 これら習慣的想念活動の他に、更に精妙、深遠な想念活動もあると本項は暗示しています。私達が現象界に捉われなければ、更に深い世界が拡がっているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落098

098 As we mature, orders from the brain come automatically; but watch a baby learning to walk. His first attempts are made through the conscious effort of placing one foot before the other. Analyze your own movements. Say your hand has just reached up to brush a hair back from your forehead. You will find when you trace the action that you were first aware of a tickling feeling on the skin. If you analyze this action carefully enough, you will discover that the message telling of the tickling sensation was sent to the brain, which then gave the order to the hand to reach up and brush the hair away. Through habit, most actions become sense reactions; but our so-called sense reactions are intelligently controlled. The things we do now with no conscious thought, were major projects at one time in our development.
098 私達は成長するにつれ、脳からの指令は自動的に来るようになりますが、赤ん坊が歩くことを学ぶのを観察してご覧なさい。彼の最初の試みはもう一方の足の前に別の足を置こうとする意識的努力を通じて行われます。貴方自身の行為を分析しなさい。例えば貴方の手が貴方の額から後ろに髪を撫でようと今、手を伸ばしたとします。貴方がその行為を振り返る時、貴方は最初、頭皮にくすぐったい感じがしたことに気付くでしょう。もしこの行為を注意深く分析するなら、貴方はくすぐったい刺激を伝えるメッセージが脳に送られ、次に脳が手に手を伸ばして髪を後ろに撫でるよう命じたことを発見することでしょう。習慣からほとんどの行為は感覚の反応になっています。しかし、私達のいわゆる感覚反応は知性的な制御を受けているのです。私達が今日、何ら意識的想念を持たずに行っている物事は私達の発達過程の中では一時期、主要な事業であった訳です。


【解説】
 誕生したての赤ん坊は乳を飲むこと以外、何も自ら行動することは出来ませんが、その後の生長により、誰もが日常生活を苦無く送れるだけの能力を持つに至る訳ですが、その歩みの過程で、肉体を支配する心なるものの拡大が進むということになります。
 心が増長する前の幼児には生きた神性を見ることが出来ますが、年齢を重ねるにつれ、心の増長が目立つようになり、争いごとや心配事も増えることになります。これらは増長した心が外界と衝突することで起こる訳で、自然と調和した生き方が求められている所です。
 心の発達により、肉体の支配、更には外観重視の結果、衣服や化粧品の消費・生産が進み、アルコール飲料の生産などは今や一大産業になる程、拡大しています。習慣に流され易い人間の心をターゲットにしたビジネスを目論む社会の仕組みも生まれています。
 私達はこれまで、あまり分析もしないまま、習慣的に半自動的に行ってきた行為も多いのですが、今一度その行動を分析し、是正すべき点の所在を確認して方が良さそうです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落097

097 Normally, we are not aware of these thoughts; and we would indeed live in a slow-motion world if every action had to be expressed consciously in this manner. Yet no movement or action is possible without first having a blueprint drawn and an order given. The command for every physical move must first be a thought in the mind.
097 普通、私達はこれらの想念には気が付きません。また、もし一つ一つの行動が、このように意識的に表現されなければならないとしたら、私達は確かにスローモーションの世界に生きることになってしまいます。しかし、最初に青写真があり、指令が与えられなければ、どんな行動も不可能です。あらゆる肉体の動きに対する指令は最初に心の中の想念でなければならないのです。



【解説】
 私達が抱える問題の源が「心」なのですが、その心は本項に示されるように、人間の様々な行動を一つ一つ指示するという重要な役割を持っていることが分かります。逆に言えば、心無くして私達は行動を何一つ起こせない訳です。もちろん、心が抵抗の姿勢を取る、或いは落胆して何もやりたくなくなった場合には、外部の者がどのように働きかけても一歩も前に進ませることも出来ません。心が凝り固まって何も受け付けなくなると、本人は何も出来ない状況に陥ってしまうことになります。
 他方、私達の身体の中には心による影響を受けない器官も多くあります。心臓その他の臓器がそれです。それらは心が落胆しようと有頂天に喜んでいようと、或いは眠りについていても関わり無く所定の活動を行います。しかし、それらも心の指令を受ける器官と同様、何らかの指示を心とは別のところから受けているものと思われます。その指導的想念こそ、宇宙本源から放出されているものであり、私達が求めている印象の筈です。
 これら心とは別に人体の維持に不可欠な生命活動を支えている印象類の流れを自ら探求することがこれからの私達の学習目的になるものと思われます。手ごわい「心」を見つめて、それを本来の位置に据えなおすことによって、それが可能になるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落096

096 For instance: you are reading. When you reach the bottom of the page you will turn it and continue to read. Yet, before your hand made the slightest move to turn the page, your mind first had to formulate the thought, "This is the end of the page. Turn it and continue reading the next."
096 例えば、貴方が本を読んでいるとします。貴方がそのページの最後に到達したら、貴方はページをめくり、次を読み続けるでしょう。しかし、貴方の手がページを返そうとわずかな動きをする前に、貴方の心は最初にその想念を形作る必要がありました。「ページの終わりだ。ページを返して次を読み続けよう」と。


【解説】
 実は全ての行動は心の指示に基づいているのです。即ち、私達の行動は心の反映であると言っても良いでしょう。その点について最近思うことは、本書が執筆された当時、世の中に出回っていなかったコンピュータゲームなるもののことが気になっています。以前にも書きましたが、ゲームの仮想空間の中では多くの戦いが設定され、小型のゲーム端末のキーを操作して相手を倒し、殺すことで多くのゲームが進行して行きます。
 この場合、注意したいのは、仮にゲームの仮想空間の中とは言え、ゲームに興じる者は自身で殺人を体験していることになります。これら殺戮のゲームが著者の心にどのような影響を及ぼすかは明らかであり、今日の社会悪化の元凶のような気がしています。
 今や無人飛行機ではるか離れた基地から敵地を居ながらにして攻撃する時代になっており、無人機の操作パイロットはゲーム感覚で実際の戦争をする時代になりつつあります。
 結局、形態はどうであれ、そのような行動に対する指示は心が放っている訳で、心はその行動に対する責任があることになります。普段、私達が何気なく行っている行為も、その全ての行動の指示指令は私達の心が行っていることを、私達はよくよく自覚する必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落095

095 I then turned to analyzing what impressions were, and found many of them to be what we classify as thoughts; our conscious thoughts, as well as the commands our minds are constantly transmitting to the various parts of our bodies.
095 私は次に向きを変えて印象類が何であるかを分析することにしましたが、その結果、それらの多くが私達が分類上想念とするもの、私達の意識に浮ぶ想念類であるとともに、私達の心が私達の身体の様々な部分に絶えず発している指令であることが分かりました。


【解説】
 よく自分を見つめることの必要性が説かれますが、その内、最も重要なのは本項で述べられているように、自分の想念に向き合うことです。その人の人格を作り出す源はその人の抱く想念です。そのレベルを自ら見極めることは、第一歩になります。
 想念は行動を支配することから行為の原因は想念に行き着くことになります。よく犯罪捜査で、動機が事件解決のカギになるとされますが、それもこの想念に帰着する訳です。
 さて、これまで私達は本項座で想念や想念の伝達について学んで来ましたが、私達の想念のレベルの実態はまだ、本来の想念を取り扱う段階には至っていないように思われます。私達の多くが想念として認識しているもののほとんどは、既存の感覚の反応、即ち感覚の意見でしかないようです。まだ、私達は宇宙本源につながるような想念やアイデアに接する機会は少ないということでしょう。
 しかし、これら真の有益な想念・アイデアは宇宙に満ちていると考えるべきです。通常の私達の心が自らの感覚の意見に振り回されている為、それに気付くことなく過ごしてしまっているという訳です。こうした本来の想念やアイデアに触れる為にも、先ずは自分の心を見つめる必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落094

094 This called for a great deal of patience; but I was finally able to train my senses to listen so they could receive impressions without question. Admittedly, this was most difficult to do, for the old thought-patterns insistently reappeared and gave their interpretations to my mind. But as I continue to gain control over my sense-mind, my impressions became more distinct; containing an increasing number of thoughts of a universal nature, with less involvement in personal opinions.
094 これは非常に多くの忍耐を要しましたが、私は最後は自分の諸感覚を疑義を差し挟むことなく印象を受け取れるよう耳を傾けられるように訓練することが出来ました。正直なところ、これを為すのは最も難しいことでした。何故なら古い想念のパターンがしつこく現れ、私の心に彼らの解釈を与えたからです。しかし、私が私の感覚心に対しコントロールを掛け続けた結果、私の受ける印象はより明白なものになり、個人的な意見についてはますます含まなくなる一方、宇宙的な性質の印象はますます数を増して来たのです。


【解説】
 通常、私達は湧き起こる想念に対して半自動的に既存の四感覚が裁きを行った後に認識するような状況になっているのではないかと思われます。常に心の判断・評価を経た状態でようやく認識するという具合です。
 しかし、これでは何時になっても四感覚の支配から抜け出ることは出来ません。私達は素直にありのままの状態で想念と接するよう努力する必要がある訳です。
 著者自ら、自分のこれまでの粘り強い訓練について本項で語っています。最も強力な敵は自分自身にある訳で、辛抱強く心を統制して行く他に道はありません。
 しかし、ある段階を過ぎると展望が開けてくることも事実です。想念が本来携えているビジョンを認識出来るようになれば、益々これら因からの支援指導の声を聴くことになるからです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落093

093 Fully realizing that my next step must be the discipling of my senses and the observation of impressions received by my mind, I decided on a definite plan to follow, a sort of mental ledger. On one side I placed all thoughts received throughout the day that were of a personal nature; and on the other side I recorded the universal thoughts upon which I had acted. At the end of each day I would tally my score to decide whether limiting, personal opinions, or universal insight had governed the day.
093 そのことを完全に理解した後、私の次なるステップは私の諸感覚の鍛練と私の心によって感受された諸印象の観察である筈で、私はある種の精神面の取引記録という追うべき明確なプランを決めました。片方には一日を通じて個人的な性質であった想念の全てを置き、もう一方には私は私が行動した宇宙的な想念を記録しました。毎日の終わりに私は限界がある個人的な意見か、宇宙的な洞察がその日を支配したかを決着する為、得点を集計することとしました。


【解説】
 自分の心の状態を知る為に古くから行われている想念観察の手法が、本項で紹介されています。ポイントは誰一人見るものではなく、正直に自分を見つめる手法として自分が日常的に抱く想念の実態について知る必要があるということです。
 即ち、善悪良否の区別をすることが目的でなく、あくまで自らの想念の実態について観察すること(Observation)が重要と思われます。白日の下にありのままを観る中で、悪とされるもの(即ち、未熟であり良でないもの)は自然と消え去るように思われます。従って冷静公平に観察する中で、真善美なるものしか残って行かないように思われるのです。
 これら想念観察は一つの手法であり、日常生活の中で湧き起こる想念を迅速にメモすることは大変ですが、著者はそれを実行した結果、成果を上げたと私達に説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落092

092 But before my contact with the Brothers, as I sincerely endeavored to progress, I realized it was imperative to coordinate my senses to harmonize with, and fully understand -  Cause. For this Cosmic Intelligence is back of, and permeates, all manifestation. I am aware of the fact that I have stressed this point more than once. But this subjection of the dissenting sense perceptions is a major factor in controlling the mental processes.
092 しかし、宇宙兄妹達とのコンタクトの前から、私は進歩に向けて誠実に努力して来たので、私は自分の感覚を因と調和し、完全に理解するよう統合させることが絶対に必要であると実感していました。何故なら宇宙の知性はあらゆる創造物の背後にあり、染み渡っているからです。私はこれまで一度ならず、この要点を強調して来たことは分っています。しかし、異議を唱える感覚の知覚反応を制圧することは心の作用過程を制御する上で主要な要素なのです。(訳注:原文では再終行But this subjectionからthe mental processes.までは太字体で印刷されています。)


【解説】
 私達が万物の背後にある因を見る時、著者はそれが万物に「染み渡って」いるものと認識できると説いていることに注目したいところです。また、そのような状況を私達が認識する為には、私達の心の状態が既存の四感覚が互いに言い争っているような状態から統制された状態に整えて置くことが絶対条件である点もよくよく理解して置く必要がありそうです。
 心自体が勝手な騒ぎを起こしていては、物質の背後にある因の本質を知ることは出来ません。同様の事柄は物体に限らず、他人の言動や行動、更には社会の動向に至るまで、その背景を理解すること、気付くことが重要になります。
 既に他者よりも先んじて、この分野を開拓しつつある私達には、他者よりも深い因果関係や社会の行く末が分かる筈です。この傾向を少しでも好転させる為には、各自が何をすべきか、自己実現の次のステップとして期待されている事柄も多くあることになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落091

091  All of this has been verified by the space Brothers, for they have observed and evaluated these phases of human activity in relation to the Cosmos.
091 この全ては宇宙兄妹達によって事実であると確証されました。彼らは大宇宙との関係における人間活動のこれら側面を観察し評価して来たからです。


【解説】
 時に触れ、著者が私達にこの種の取組みで間違えがないことを伝えてくれていることは、私達にとって励みになるものです。自らの感覚を統制し、訓練することが進化した他惑星人も同様に通った道であることは、私達の日頃の精進の拠り所でもあります。
 同じ自然を眺めても、その知覚力や真理に対する洞察力は私達地球人と他惑星人とは大きな差がある筈です。私達は目で見、耳で聴いてもその情報の価値は分からないまま、資源や時間を浪費しています。つまらぬ好き嫌いの裁きの中で、真の姿を見失っているということでしょう。「悟り」を得るまでは、訓練するしか方法はありません。
 全てが互いに関連し合い、宇宙を構成していることを実感できるまで、私達は自身の四感を鍛え、育てる必要もあるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落090

090  I then knew that Feeling was truly the Master Builder who had formed this body of mine; and that it could build empires in the absence of the other four senses. From this conclusion, I saw that my mind was only reflecting and reacting according to my limited knowledge of life and its purpose.
090 そして私はフィーリングが実に私のこの身体を造った棟梁であること、またそれは他の四感が無い中で王国を造り上げることが出来ることを知りました。この得た結論から、私は自分の心は生命とその目的についての私の乏しい知識に応じて心が反映し反応しているに過ぎないことが分ったのです。


【解説】
 大切なポイントは私達の四感や心の関与が無くても、私達の人体は創造され、日々維持されているということでしょう。日常的な四感の反応は人体を司る役割とはかけ離れているという訳です。むしろ人体内部の生命活動を妨げている要因にもなっているのです。
 従って、私達が自らの四感をそれらが創造された本来の姿や役割に戻すことが出来れば、かつて無い程の成果が得られることは確実です。その為には本項では私達は生命とその目的について学ぶ必要があると力説しています。
 最近、機会があり、東京でダライ・ラマ法王の法話講演会に参加することが出来ましたが、その中で法王は学ぶことの重要性を何度と無くお話になりました。自ら学習し、研究することが仏教徒の道であると説かれていたのが印象的でした。この「生命の科学」講座も毎回、繰り返しになりますが、少しずつ見識を広げて行くことを目指しています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落089

089 I received my answer direct. "All of these are your potential when the senses give up their individual will unto the Will of Feeling. For Feeling is the Cardinal Sense . . . the expression of Cosmic Cause flowing through your being."
089 自分の返事は直接受け取りました。「これらの全ては、諸感覚がそれら自身の意志をフィーリングの意志の前に捨て去る時に出現する貴方の可能性なのだ。何故ならフィーリングは基本的な感覚であり、貴方の存在を通じて流れる宇宙の因の表現であるからだ。」

【解説】
 よく言われることに野生の動植物の持つ特筆した能力があります。数キロ離れた所からの臭いを嗅ぎ分けたり、対象物を識別したりする能力等、人間を遥かに超える能力を持つものも多いようです。また、真っ暗な夜を何不自由なく歩き回る生きものも多いものです。
 自然界の生きものは皆、自己保全に汲々とする各感覚の意思を洗い流した結果、このような能力を身に付けるに至っているということかも知れません。
 私達が成すべき最初の事柄は、自らの感覚の意思を放棄し、より素直にやって来る印象に対して心を開くことです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落088

088  Thinking deeply about all this, I asked myself, "Suppose I had sight so great that I could see television pictures without the aid of a television set. Suppose my hearing was so keen I could hear the beautiful music traveling through space from station to station without using a mechanical device. Would not my sight and hearing be developed into the fourth dimension?" I then turned my attention to the senses of taste and smell. Suppose I were able to taste the apple before it matured; or detect the fragrance of the flower before it blossomed; would I not have the senses of a superhuman.
088 これら全てのことを深く考えた後、私は以下の事柄を自分に問いかけました。「テレビの助けを借りずにテレビ映像を見ることが出来る程の大いなる視覚を持っていたとしたら。」「私の聴覚があまりに鋭敏なので機械装置を用いることなく放送局から放送局の間の空間を伝わる美しい音楽を聞くことが出来たとしたら。私の視覚や聴覚は四次元の中にまで発達出来ないであろうか?」次いで、私は自分の注意を味覚と嗅覚に転じました。私がりんごが未だ熟する前にそのリンゴの味を味わうことが出来たとしたら、或いは花が咲く前にその花の香りを嗅ぐことが出来たとしたら、私は超人の感覚を持つことになりはしないかと。



【解説】
 実は私達の四感も発達させれば、本項のような従来の結果の領域に限られず、遠隔地や未来を把握出来るようになるということです。既存の感覚器官がどのようにしてそれを可能とするか、私には説明出来ませんが、印象を感受した後、その印象が持つ感覚的な要素に対し、既存の感覚が反応し、類似した感覚作用を発するのではないかと考えられます。
 これらは未来予測や遠隔透視の際に受ける宇宙の因からの印象が、心によって具体化される際に表現される経路ということになります。具体的に言えば画家がカンバスに向かう際に目に浮かぶ画のイメージや作曲家にとって新しい旋律が頭に浮かぶ場合です。これらは全て宇宙の印象が具体的に結果の世界に表現される際に起こる現象ではないかと考えられます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落087

087 To use the violin as an example: we all know the four strings of a violin must be tuned with delicate precision before the musician is able to bring forth the subtile harmonies that this instrument is capable of producing. The pitch of each string must harmonize perfectly with the other three. The four senses of man may be compared with the four strings of the violin; for he must attune these senses to work together as a unit in order to fulfill his true purpose in life. And, just as the violin can be used to play baser music, yet it can, under a master's hand, produce melodies to thrill the souls of men so the sense perceptions, turning from effect to Cosmic Cause, will extricate themselves from the mire of self-delusion. They will in this way break old thought-patterns and habits which express automatically through the senses. Carnal mind, being innately lazy, accepts the opinions our senses have formed through their contacts and experiences, never bothering to search for the true Cause behind all effect.
087 例としてバイオリンを用いることを考えましょう。私達は皆、バイオリンの4弦は演奏家がこの楽器が創りだせる精妙なハーモニーを生み出す為には事前に細心の精度で調律されなければならないことを知っています。各々の弦の調律は他の3弦と完全に調和されていなければなりません。人間の4つの感覚はバイオリンの4弦になぞらえるでしょう。何故なら人は人生における自分の真の目的を成就する為にはこれら感覚を一体となって共に働くよう調律しなければならないからです。そして、バイオリンが低レベルな音楽に用いられることができると同様に、巨匠の手の元では人の魂を震わせる程のメロディーを作り出すように、感覚の知覚が結果から宇宙の因に転向すれば、諸感覚は自己欺まんの泥沼から自身を解放することでしょう。諸感覚はこのようにして感覚を通じて自動的に表わして来た古い想念パターンや習慣を打ち壊すことでしょう。生まれながらに怠惰である肉欲の心は、全ての結果の背後にある真の因を求めようと煩わされることなく、自分の感覚が接触したり経験したりしたことを通じて各感覚が作り上げた意見を受け入れるのです。


【解説】
 以前にも述べましたが、バイオリンは人間に似た楽器であるという話を伺ったことがあります。四弦が私達の四つの感覚に相似しているということです。
 しかし、ここで注目したいのは、著者はこの四つの弦(即ち私達の感覚)を決して取り去らなければならないような不要なものとして取り扱ってはいないことです。バイオリンの各弦のように互いに調和するよう弦を調律することの重要性を説き、調律後は素晴らしい音色を発すると賞賛しているのです。
 私達の肉体にとって四感覚は大変重要な機能を託されており、それらを本来の姿に調律・訓練することで、これまで気付かなかった宇宙の真の姿の美しさに気付くことが出来るというのが重要なところです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落086

086 When I realized this, I began to school myself by utilizing the law of patience. Even though at first my senses did not understand this law, I knew through discipline they would eventually obey. And by the very fact of acknowledging that they were subject to a higher law, they would in time understand the purpose behind each act; the Cause, (or Creator) behind effect. Therefore, my first step must be to coordinate my sense reactions to a unity with, and understanding of - Cause.
086 私はこのことを悟った時、私は自分を忍耐の法則を使って訓練し始めました。最初は私の感覚達はこの法則を理解しませんでしたが、私には鍛練によってそれらは遂には従うようになることが分かっていました。そしてそれらがより高次な法則に従うべきことを自覚した事実によって、それらはやがて各々の行為の背後にある目的や結果の背後にある因、(創造主)を理解するようになるのです。ですから、私の最初のステップは私の持つ感覚の反応を、因との一体と因の理解に向けて調和の取れたものにしなければなりません。


【解説】
 瞬間瞬間の自分の心の反応を見守り、常にそれらが宇宙に調和的な性質を持つものか否かをチェックし、忍耐強く自らを訓練することが重要です。
 私達は往々にして怒りや恐怖、落胆等、様々な極端に自らの感情を振れさせており、そのことが身体の不調や周囲の環境の問題化を誕生させる原因になっています。
 本来、宇宙を流れる想念は、仮に直ちに生命を失う事態にあっても穏やかに且つ活発に生命活動を万物に与え続けており、それと同調することで楽しい生活が送れることは自然界の営みを見れば容易に理解出来ます。
 独り人間だけがこの感覚の問題を抱えている訳で、その問題解決こそ、何よりも重要なテーマということになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落085

085 Thus, if we're to become a peaceful unit within ourselves, we must constantly guard against these wayward senses, and subdue their criticism and prejudices; for these are the greatest causes of divisions in the family of human relations. Our personal judgments divide brother against brother - nation against nation.
085 ですから、もし私達が私達自身の内側で平和的な単位となるのであれば、私達はこれらわがままな諸感覚に対して常に監視していなければなりませんし、それらの発する批判や偏見を抑制しなければなりません。何故なら、これらは人間社会に分断をもたらす最大の原因となるからです。私達の個人的な裁きは兄弟に対して兄弟を、国家に対して国家を分断させるからです。


【解説】
 この種の問題はアダムスキー哲学を学ぶ人々の間にも当てはまります。振り返れば過去40年以上の昔から、アダムスキー氏の体験は様々なルートを経て伝えられ、多くのグループによって研究されて来ました。
 そして今日、そこから派生した小グループが各々独自の活動をわずかに続けている状況です。惜しむらくは過去には数多くの人々がアダムスキー氏の体験を信奉し、宇宙哲学の学びを進めていたにも拘らず、おおくはグループ内の不和から、皆散り散りになって行ったことです。
 おそらく、同様な状況は太古から続いていたのかと思われます。感覚の裁きが全ての原因を構成している訳です。その問題への対応こそ、最も重要な事柄です。先ずは自らを謙虚に保つこと、宇宙の英知に対し常に受容出来るよう私達の心を整えて置く必要があります。人間関係の中にも私達の感覚の支配の構図が隠されているという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落084

084 It is these four avenues that make up the mind of man today. They are the jailers holding him to the realm of the effective world; and until he can loosen their shackles by conquering them through self-control, man will remain a slave unto their whims. It is through our senses that we pass judgment on conditions, persons, nations; not understanding the oneness of all with Cosmic Cause.
084 今日の人間の心を作り上げているのはこれら四つの大通りです。それらは人間を結果の世界の領域に閉じ込めている看守であり、人が自制によってそれらを克服し、彼らの足かせを緩めるまでは、人は彼らの気まぐれの奴隷のままでい続けることでしょう。宇宙の因とともに全てとの一体を理解することなく、状況や人物、国家に対して裁きを下しているのは私達の感覚を通じてなのです。

【解説】
 結局のところ、人々の離反はこれら感覚による裁き、批判によるものです。このテーマは友人や仲間同士の間の離反の大きな原因となっています。感覚を通じての物事や対象物の受け止め方は各人で異なる為、その解釈は各人で異なり、結局は他者とは一緒にやって行けなくなることになるのです。
 しかし、少し冷静になって、自分の解釈を評価出来るようになると、対象との相違は消えて類似性が見えるようになるものです。全てを支える宇宙本来の因をその対象物に気付くことになる訳です。
 私達は長年月、自らを支配させて来た既存の4感覚をひとまず脇に置いて、代わって自らのインスピレーションを鋭敏にして、これら感覚が伝える以外の要素に耳を傾け、目を凝らすことです。そうする中で、裁きは次第に相互理解への融和へと進化するものと思っています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落083

083 Now do you see why I say the senses war with one another? how uncoordinated they are and how they pass judgment on each other?
083 もう貴方は何故私が感覚達が互いに戦い、またそれらが如何に協調性に欠け、互いに裁きを下し合っていると言うのか、お分かりになるでしょう。



【解説】
 これまで著者が何故に紙面を長々と割いて感覚同士の対立事例について述べて来たか、読者に分かりますかと問うています。
 テレパシー能力の開発は実に私達の日頃の心の状態を制御・整頓する所から始めなければいけない訳で、そういう意味から各自の心の現実を知る為に、著者は極端な事例を挙げたものだと思います。
 私達はこの例示を特殊な事例として日頃の学習環境から棚上げすることなく、私達の日常の中に如何に類似した状況が起こっているか、あるいは起こり易いかを調べる必要があります。
 テレパシー能力を云々する前に、自らの感覚が日常的に各々どのような反応を示しているか、調査することが必要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落082

082 This same dissention exists in the relationship of the other two senses. The palate may savor the delicious flavor of certain rare cheeses; but in many cases, the nose is so outraged by the accompanying aroma that it interferes with the enjoyment of eating the delicacy. So it is very apparent that in their dealings with each other, the four senses are constantly bickering, contradicting, and trying to gain autonomy over the others.
082 これと同じ論争は他の2つの感覚の関係においても存在します。舌はある珍しいチーズの美味しい風味を味わうかも知れませんが、多くの場合、鼻はそれに伴う香りに憤慨し、その美味を賞味する歓びを妨げます。ですから互いの関係において四つの感覚は他に対して常に言い争い、反駁し、自律性を得ようとしていることはとても明らかなのです。


【解説】
 味覚について言えば、最近テレビで塩分と脳血管障害との密接な関係について解説する番組がありました。人類が塩分を摂取するようになって高血圧が引き起こされたというものです。
 塩分は味覚に絶大なる影響を与えますし、塩分を全く含まない食品は容易にのどを通らないほどです。その為に市販食品やジャンクフードと呼ばれている食品の多くには塩分やもう一つの有害成分である油脂が多く含まれています。
 これらは人間の身体に悪影響を及ぼしかねない成分なのですが、通常、私達は食べ物を「美味しい」「まずい」を基準に摂取しますので、全て味覚に左右されていることになります。
 その結果、美味しいものは必要以上に摂取され、肥満が発生することになる訳です。他方進化した他惑星人に肥満の人が居るとは一度も聞いたことがありません。必要以上に食べないこと、味覚に支配されない食生活が他惑星では実施されているものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落081

081 Actually, both are right. The eyes did see the man, and the ears did hear the footsteps. If they had been properly coordinated or synchronized, the eyes would have told the ears what they saw, and in place of a flat contradiction, the ears would have accredited the report. When the ears heard the sound but the eyes did not see the man, the eyes, after scanning the hall carefully, would have admitted it was something they did not understand; yet have accepted the information given by the ears. In other words, instead of arrogantly accusing the other of telling an untruth, each would have conceded that they could have been mistaken.
081 実際には両者とも正しいのです。目はその男を見たのですし、耳はその足跡を聞きました。もし両者が適切に連携、或いは同調していたら、目は耳に対して自分達が見たものを伝えたでしょうし、単純な否認の代わりに耳はその報告を信頼に足ると評価したことでしょう。耳がその音を聞き、目がその男を見なかった場合でも、目はホールを注意深く見渡してそれが自分達が理解出来ない何かであることを認め、耳から伝えられた情報を受け入れたことでしょう。言い換えれば、他を嘘を言っていると横柄に非難する代わりに、各々は自分達が誤っているかも知れないことを認めるようになることです。


【解説】
 人の性格は様々ですが、昔はよく徹底的に頑固な者も多く居たように思います。一度言い出したら最後まで自分の説を曲げない者達です。中にはそのことによりうまく行く場合もありますが、多くは事実誤認があり、仲間が離れていくことになるものです。
 それらの頑固者の特徴を突き詰めて行くと、本項で説明する感覚の姿勢に行き着きます。如何に柔軟性が大切かが分かる訳ですが、その柔軟性の源には、自分はひょっとして真の姿を捉えていないかも知れないという自らの感性に対する謙虚さが存在します。
 人間は学び行く途上にあって、まだまだ真実・真理を捉え切れていないと自戒することが大切です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落080

080 We will now reverse the procedure, and by remote control produce the sound of walking down the aisle. This time the eyes will accuse the ears of conjuring up an imaginary situation. Again, the argument will rage between the senses, each one sure it is right.
080 今度は手順を逆にして、遠隔制御を用いて通路を歩く際の音を出して見ましょう。今度は目が耳に対して魔法を使って想像上の状況を作り出したと非難することでしょう。再び感覚の間で各々自分が正しいと確信して議論が荒れ狂うのです。


【解説】
 自分が見たもの、聞いた事柄が信じがたいと思う時もある訳です。中には単純な感覚の特徴を利用してマジックやイルージョンを見せるカラクリを用いて、人々に「超能力さ」を見せ付ける者も最近は多く出現しています。
 もし、それらの幻覚を誘導するニセモノが世の中にはびこってしまうと、人々に真の進化の道を歩むことを妨げることとなり、大変危険です。人々は直ちに「結果」(成果)を求める為、安直に成果の得られる方向に動き易いからです。特にこの問題は新興宗教においてありがちであり、奇跡を待ち望む人々を騙そうとする勢力も多いように思われます。
 そういう意味からも、この種の問題は自分自身の体験・実感を通じて、一歩一歩進むことが王道だと信じています。この惑星においては一見テクニックだけ修得した者が、弱い多くの者を餌食にする事例も残念ながら増えているように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落079

079 The eyes see the man, but the ears hear no sound; therefore, the sense of hearing accuses the sense of sight of giving false information. The man is there, however, but due to their lack of respect for one another, neither the eyes nor the ears will concede that they could be mistaken; so the argument between them cannot be satisfactorily settled.
079 両目はその男を見ているのですが、両耳には音が聞こえず、その為、聴覚は視覚に対し嘘の情報を出していると非難しています。しかし、男はそこに居ますし、感覚同士、互いの尊重が欠けている故に、目も耳も自分達が間違っているかも知れないということを認めようとはせず、その為、彼らの間の議論は満足の行く解決ができないのです。


【解説】
 私達の日常生活の上の判断の中にも、このような感覚同士の葛藤があるということでしょう。各々の感覚はそれぞれの好みがあり、それを判断基準に良し悪しを即断している訳です。
 しかし、私達の感覚は表層的な現象しか認識できないことは明らかですし、その対象物の内部で起こっている事柄まで把握しようとはしません。常に表層的な理解ということになります。
 一方、自然界の他の生きものについてはどうでしょうか。私の見る限り、彼らは一瞬で対象物を認識し、逃げるべき相手か否かを判断できるように思います。その場合、本項で述べられているような各感覚による葛藤のヒマはありません。野生動物は常に自らの感覚を一体化させ、不測の事態に備えているということでしょう。
 私達地球人の課題は、先ず自らの既存の感覚をより誠実なものに清め、それらを私達自身が進むべき方向に役立つよう、整えることにあります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落078

078 Here are a few examples of how the senses disagree. First, let us use this fanciful situation. In a hall seating a thousand people, imagine we have sensitized the floor to the degree where an insect falling upon it would register a sound loud enough to be heard by all; and to implant this information strongly in the minds of those present, we have conducted a number of experiments demonstrating the sensitivity of the floor. So if, by the trick of using heavily padded soles, we have a man walk down the aisle without producing the sound of accompanying footsteps, the following imaginary conversation might take place between our eyes and ears. 
    Eyes: "I see a man walking down the aisle."
    Ears: "Impossible! I hear no sound." 
    Eyes: "But I tell You he is there. He's about half way down."
    Ears: "It's your imagination. We both know how sensitive this floor is. I'd hear anyone walking down the aisle."
078 ここで各感覚が如何に互いに意見が合わないかを示す若干の例を挙げましょう。この空想上の状況を採用しましょう。千人の人々が着席しているホールの中で、一匹の虫がその上に落ちても全員に聞こえるようなだけの大きな音が記録されるような位に床の感度を高めたとして、その情報を強くそれらの人々に植え付ける為に、私達はその床の感度を実証する数多くの実験を行って来ました。そこでもし、靴底に厚い当て物をするというトリックを使って、一人の男に足取りに伴って発生する音を出すことなく、通路を歩かせたとすると、私達の目と耳の間で以下の想像上の会話がなされるかも知れません。
 目:「通路を歩く一人の男が見える。」
 耳:「有り得ない! 全く音がしていない。」
 目:「しかし、言って置くが、その男はそこにいる。もう半分の所まで来ている。」
 耳:「それはあなたの想像だ。私達二人共、如何にこの床の感度が高いか知っている。もし誰かがその通路を歩けば聞こえる筈だ。」


【解説】
 自分の考えを主張し合うだけの討論の光景を地球ではよく見かけます。同様なことが私達自身の中でも起こることを本項は示しています。一方で、進むべき方向が異なる意見の中、どうしようか葛藤する状況も類似したものと言えます。このような状況をかつてイエスは「2心ある」状況と語ったのではないかと思われます。
 つまり各感覚が一つにまとまっていない限り、物事は成し遂げられないことを示唆しているように思われます。好例はフィギャースケートその他一流のスポーツ選手やピアノ演奏等に見る音楽家です。その行動には一切の迷いや躊躇は無く、一瞬一瞬を高度な行動を行っています。そこには感覚の意見など入り込む余地はなく、宇宙空間からのインスピレーションを身体に取り入れ自らの身体行動で表現しているのです。私達が目指すべきはこうした既存感覚を宇宙からのインスピレーションと直結し自身を表現するよう、融合させることにあると思っています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落077

077 As I studied carefully the actions of these four senses, I realized that each one stands alone, contradicting and fighting with the others. Since each sense has a will of its own, it can, and does oppose the other three; and in so doing, it opposes the Cosmic Will. This condition will continue in man until he becomes a unified being; understanding himself in all his component parts.
077 私がこれら四つの感覚の行動を注意深く調べた結果、私はそれらが各々孤立しており、互いに反論し、言い争っていることがよく分かりました。感覚は各々自分の意思を持っておりますので、それは他の三つに対して反論できますし、そうしているのです。また、そうすることで、宇宙の意志に対抗しているのです。この状態は人が自分を構成する様々な部分の全ての中において自分自身を理解する一体となった存在にならない限り、続くことになるでしょう。


【解説】
 アダムスキー氏が伝える進化した他惑星人が日常応用している実践哲学の要点の一つにこの4つの感覚に左右されている心の問題があります。他方、これまで心の問題は指摘されることはあっても、その原因が4つの感覚に行き着くことを指摘する教義はこのアダムスキー哲学以外に聞くことはありませんでした。
 逆に言えば、この心に影響を与えている感覚の意見こそよくよく観察し、その実態を暴く必要があります。その上で、何故そのような差別的な見解が生まれるか等々について考える必要があります。極端な例としては、わがままな幼児の姿が代表しているように思われます。つまり少しでも自分の気に入らないものは拒絶し、自らの欲するままにあたり構わずわがままし放題で、周囲の大人からひんしゅくを買っているような光景です。実は他惑星人から見れば、現状の地球で繰り広げられている物事は、これと同種、同次元の内容ではないかと思う次第です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落076

076 Let me explain it in this way. The mind of the average human we encounter today expresses only the opinions gathered from the reactions of his four senses. Therefore, his so-called intelligence is hampered by his likes, dislikes, and autocratic judgment of all that he does not understand. He should not be condemned too harshly for this. It has been the accepted attitude for ages. We have allowed our four senses to be the domineering rulers, quarreling and dissenting amongst themselves; totally unaware of the Creative Force which brought them into being.
076 このように説明しましょう。今日私達が出会う平均的な人の心は只、その人の四つの感覚の反応から集められた意見だけを表現しているということです。その為、その人のいわゆる知性はその人の好き嫌いや、自分が理解しない物事すべての専制的な裁きによって妨げられています。しかし、人はこのことについてあまりに厳しく非難されるべきではありません。それが長年にわたって受け入れられて来た態度であるからです。私達は私達の四つの感覚が威張り散らす支配者達であることを許して来たのであり、それらは言い争い互いに異議を唱えながら、それらを産み落とした創造力に全く気付いていないからです。


【解説】
 前項(075)で著者が示している生命躍動の根本的な力を理解する上で障害になっている状況を本項で示しています。私達のこれまでの姿勢が単に各感覚の代弁者に過ぎず、より本質的な理解に向かうことなく、その場その場の裁きに明け暮れていたことに問題があるとしています。
 しかし一方では、このような状態に陥るのも私達にとっては自然の成り行きであると慰めています。
 私達がこの状況から抜け出し、真の進化の道を進む上で、この問題に取り組むことは避けては通れません。自分の心の動きを観察し、何処に問題があるのかを理解すること、また時に垣間見る生命力溢れる力(force)の姿を大切にして、自らをこれまでの心でなく、フィーリングを通じてやって来る宇宙的想念に従うよう訓練することが大切です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落075

075 Once I understood this, I knew that this force, born of Cosmic Intelligence, is the foundation of all life. Nothing need be added; all is present. But I, as a physical man, must recognize and begin to use this all-inclusive power. At this point, I took a closer look at my mind. To my surprise, I found it badly equipped and behaving like a tyrant ! I saw it was merely the spokesman for the sense reactions; not the Knower of Cause.
075 一度このことを理解するや、私には宇宙的英知から生まれたこの力が全ての生命の土台であることが分かりました。何も加えられる必要がなく、全てがそこに在るのです。しかし、肉体の人間としての私はこの全てを包括する力を認識し、応用し始めなければならないのです。この時点で、私は自らの心を注意深く見詰めました。その結果、驚いたことに、私は心がひどく身構えて暴君のように振る舞っていることに気付いたのです。私にはそれが因を知るものの代弁者ではなく、感覚反応の代弁者となっているに過ぎないことが分かりました。



【解説】
 重要な点は、私達一人一人には全てのもの、即ち生きる為に必要な知識も資材もあらゆるものが既に備わっているということです。必要な知識は少し必要になれば直ちに与えられますし、真に必要なものは無尽蔵に与えられる体制にあるという訳です。
 結局の所、満ち足りた環境に居る訳で、このことを理解すればあくせく働く必要はなく、穏やかで喜びに溢れた生活を送ることが出来ます。ここで唯一問題となるのが、私達自身の心の在り様なのです。私達の思考を指図する心は実は単なる感覚による裁きの代弁者になっており、本来の機能を果たしていないことが問題となっています。一人一人が時々刻々発する想念は実現力を有している訳で、粗い攻撃的な想念は自らの周囲に類似した状況を造り上げてしまいます。その甚大なる想念の力こそ私達は畏れる必要があり、自らを律する必要がある訳です。
 他方、私達の進むべきは、この無言で一見掴みようもない力(force)を探究することです。既に他の生物は皆、この力を活用し切っている訳で、自然界における様々な生命活動こそ、その力の現れと観ることが出来ます。自然観察、自然鑑賞を通じて、本校で著者が言う宇宙英知を起源とする力を理解することが重要な所です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落074

074 In man we find the same condition existing . . . four phases of action, or manifestation, aided and supported by the inexplicable force that causes impulse, or action, within them. It is therefore obvious that feeling is no more a physical sense, than is the activating force in nature one of the four elements.
074 人間においても同じ状況が存在することに気付きます。その内部に衝動や行動を引き起こす説明出来ない力によって助けられ、支えられた四つの行動、創造の側面の存在です。ですから、フィーリングは肉体の感覚ではなく、四つの要素における自然界の活性化力であることは明らかです。


【解説】
 およそ物質の存在形態とは固体から気体までの4つあることは前項(073)で述べられました。人においても人体はこの4つの状態から成っていることが説かれています。歯や骨格等は明らかに固体として人体を支えていますし、時々刻々の呼吸は人体と大気との間のガス成分の出入りと解釈出来ます。
 このような生体作用はどのような発端、衝動に基づいて行われているかについては、著者は「説明出来ない力」であり、それがフィーリングと呼んでいるものであるとしています。この「説明出来ない力」という表現は、実は仏教ではよく説かれている概念で、物質的なものに属していないことを意味しているようです。
 自然界にある諸々の事象を見つめ、その原動力が何であるかを常に観察し、その本体に迫る探究こそ、価値ある経験になるように思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落073

073 We know all things in the manifested world are based upon four elements; earth, water, fire and air. From combinations of these four elements are brought forth the innumerable variations of form. But within each atom comprising these elements, is a force which is indestructible and inexplicable. It is a definite, yet elusive something, that evades the best efforts of the research workers; and even the most sincere cannot define its character or its source. It is this activating force which gives impetus to creation.
073 私達は創造された世界の中の万物は四つの要素に基づいていることを知っています。土、水、火そして空気です。これら四つの要素の組み合わせから無数の形有るものの変化がもたらされました。しかし、これらの要素を構成している個々の原子の内部には破壊されることのない、また説明できない、ある一つの力があるのです。それは確固としたものですが、どこか捕らえ所のないもので、研究者達の最高の努力もくぐり抜けてしまいます。また最も誠実な者もその特徴やその源泉を定義することは出来ません。創造作用に刺激を与えるのはこの活性化力なのです。



【解説】
 本項は古来から宇宙の構成要素とされて来た物質の4態(即ち固体、液体、プラズマ及び気体)について述べると同時に、真の生命力について既存の科学では捉えにくいものが各原子の中に存在すると説いています。それはこれまで仏典その他で捉えようもない存在とされて来たものと同じものを指すものと思われます。
 私達が目にする大自然の営みが実はこうした精妙なる力によって動かされているという訳です。しかし、私達はこれらの活動を単に人智の及ばない領域と放置して良いと言っている訳ではありません。フィーリングの感受能力を活用してそれらを理解し、真の生命力を自らのものとすべきなのです。
 人体における構成要素が小宇宙のように整然と調和ある行動をとっていることは全く不思議です。その調和のタクトを誰が振っているのか、その指示の言語(印象)はどのようなものなのか、私達は自らの身体各部の働きを研究することで、それらを学んで行く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落072

072 Man is a miniature universe; so let us analyze him in that light.
072 人間は小型宇宙ですので、その観点から人間を分析して見ましょう。


【解説】
 私達各々に与えられているこの肉体は60兆個もの細胞からなり、血管の総延長は地球を2周半するほどの長さを持つとされています(http://blog.livedoor.jp/aritouch/archives/222227.html)。昔「ミクロの決死隊」という映画がありましたが、高性能顕微鏡で見れば肉体内部は小宇宙と言うべき様々な世界が広がっているという訳です。
 問題はこれらの小宇宙の責任を担っているのは私達一人一人であるということです。それら精妙な機能を探索し、その本来の機能を高めたり、隠されている機能を発見して応用することは一人一人に委ねられています。
 いわばこれら既存の調度品に気付き、それらを活用し、維持出来るかどうかはその館に住む者に任されている訳です。そういう意味からは、宇宙のあらゆる要素が私達の身体の中に埋め込まれているとも言えます。1日で2%の細胞が入れ替わる私達の身体内の活動の様子は生きた生命活動の典型例と言えることになります。更に言えば、自身の精神状態がそれらの活動にどのような影響を及ぼすかは、自分が良く分かる筈です。それらの結果を良く観察し、その原因に遡って修正しながら、自らの宇宙、身体の仕組みを探索して行くことは大いなる醍醐味と言えるでしょう。
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