テレパシー 第1部 第2章

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落060

060 I realize this is throwing a bombshell in the face of age-old theory, yet the idea that physical man is a four-sense being can be logically demonstrated
060 私にはこれが大昔からの理論目掛けて爆弾を投げ付けるものであることは分っていますが、肉体としての人間は4つの感覚による存在であるとする見解は論理的に証明され得るのです。



【解説】
 そもそも本講座の冒頭部分で著者はこのテレパシー問題が有史以来のテーマであり、近代になって「テレパシー」と名付けられるようになってからも、その取扱いは誤ったものとなって来たことを述べています。
 人間は従来、5感の存在であるとし、テレパシーは第6の感覚だとされて来た訳です。しかし、本書は人間の心は4感の存在であるとしており、フィーリング(感じ)こそ、宇宙生命力に繋がる基本的な要素であるとしています。
 そういう意味では、既存の4感はもっぱら結果、現象の世界、物質の世界に対する感覚であるのに対し、感じ(フィーリング)は物質にその活動を指令する宇宙的知性であるという大きな違いがあります。
 私達はこれまで自分の4感にしか重きを置いて来ませんでしたが、自己の身体の生命活動も含め、あらゆる活動の原動力はこの感じ(フィーリング)によって与えられる訳で、この感じ(フィーリング)こそ、実際には力を有していることが分かります。
 それ故に私達は自分の受ける印象や感じ(フィーリング)を注意深く取り扱うことが大切で、努めて良質なる想念を抱くようにしなければなりません。これら私達が心に抱く想念・印象が現実世界を突き動かす原動力となる訳で、私達はこの点を畏れるごとく自覚・自戒することが必要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落059

059 In other words, feeling is the creative force within all forms. So the definition of telepathy as being a sixth sense was entirely wrong. Man is not a five-sense being . . . but a four! The fifth sense, or feeling element, through which telepathy actually works, is not a sense; but an intelligent force giving all manifestation conscious alertness.
059 言い換えれば、フィーリングとは全ての形有るものの内側にある創造的な力なのです。ですから、第6感であるとするテレパシーの定義は完全に誤っていたのです。人は5感の存在ではありません。そうではなく、4感の存在です。第5の感覚、即ちテレパシーがそれを通じて実際に作用するフィーリングの要素は感覚の一つではなく、全ての創造物に意識的警戒状態をもたらす英知の力の一つなのです。

【解説】
 本文冒頭にある「フィーリングは創造的な力」こそ、重要なポイントです。
 これまで私達は自分の感情、とりわけ「感じ」というものについて、あまりにも軽視して来たように思われます。目や耳その他で感じる最初の感情、即ち「感じ」というものの中に多くの場合、差別や裁きが多く含まれていますし、それらをそのまま放置することは良くないことなのです。それらの良くない性質が良くない結果を引き起こす力を持っているからです。
 私達は自身の持つ感じ(フィーリング)をこれまで以上に重視して、そのような印象の出入りを監視する必要があります。これら私達の抱く感じは私達自身の身体や周囲の環境に大きな影響を与える力を有しており、それが本項で言う「フィーリングは創造的な力」を有するということでもあるからです。私達の心を通過するこれら想念を良質なものに整えることによって、それら本来の創造的な力が発揮され、人生に活かされることになるからです。
 また、後半に説かれていることも大切な側面です。そもそも私達の心を構成する感覚は視覚、聴覚、味覚、嗅覚の4つであること、5番目となるフィーリングは感覚ではなく、万物を意識的にする知的な力であるということです。仏教用語に「浄心」という表現があるそうですが、その状況は心を通過する感じ(フィーリング)が私達の想定を超える大きな創造的力を有している故に、ポイントとされているものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落058

058 Pursuing this train of thought, I made a vital discovery. If one asks an expectant mother whether she can foretell when the little form within her is about to turn, she will answer, "No " She cannot direct the movement of the baby, and the knowledge it has turned comes to her as an alertness, or feeling, after the action has taken place. Therefore, it is the intelligent force which transmits the information to the mother through her sense we call feeling.
058 この一連の思考を追って行く中で私はきわめて重要な発見をしました。もし人が妊婦に彼女の体内の小さな胎児が何時向きを変えるか予告することが出来るかを聞いても、妊婦は「いいえ」と答えるだろうと言うことです。彼女は赤ちゃんの動きを指図することは出来ませんし、胎児が向きを変えたとする知見は一つの警戒、或いは感じとして、その行動が起ってから彼女にやって来るのです。従って母親に私達がフィーリングと呼ぶ彼女の感覚を通じて情報を伝えるのはその英知ある力と言うことになります。

【解説】
 ここでは著者は極めて重要な発見をしたと述べている訳ですが、私達は何故本項の内容が重要なのかについて深く考えて見る必要があります。
 即ち、妊娠中の母親が自身の体内の胎児について、そのようにしてその動きを知ることになるかについてです。この場合、本文にあるように母親の心(感覚)には何ら知覚能力は無いということになります。目や耳その他の既存の感覚では把握出来ない訳です。しかし、フィーリング(感じ)を通じて、胎児の動きが伝達され、母親はその動きを知るということです。
 即ち、私達は自身の体内で起こっていることを知る為には、このルートを用いる必要があることになります。印象を通じて私達のフィーリング(感じ)に伝えられている情報がそれであり、身体内に起こっているその他諸々の活動も同様なルートで私達に伝えられるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落057

057 My earthly parents had merely served as a channel for the birth of my physical form. But this Force in Cosmic Intelligence had formulated the plan and directed the building of my body. So it is with all expectant parents. The mother's body furnishes the necessary materials for this Master Builder, yet at no time does she control the miracle of creation taking place within her.
057 私の地上の両親は単に私の肉体の誕生の為の経路を務めたに過ぎませんでした。この宇宙的英知の中の力がそのプランを組み立て、私の肉体を作り上げることを指揮したのです。それはこれから両親となる全ての者についても同様です。母親の肉体はこの棟梁の為に必要な材料を供給しますが、彼女が自身の中で起っている創造の奇跡を統制することは決してありません。

【解説】
 自分自身の身体がどのようにして生まれたか、私達は自覚の無いままに与えられた身体とともに生きている訳ですが、誕生の始原を遡れば卵子の受精の瞬間に行き着く訳で、それ以降、誕生までの間、人体は驚くべきスピードで変容を遂げています。
 結局、私達の両親はこれら生命の活動の通り道の役割を果たしている一方で、その本質的活動を把握している訳ではなく、単に場所を提供しているということです。これについては既にイエスの言葉にも同様な趣旨が述べられていたように記憶しています。
 重要な点は私達各自の肉体を造り上げた知識と行動は、私達の両親とは別の存在の指導の下に遂行され、人体が創造されるということです。この人体の中にどのような仕組みがあるのかは、これからの生命科学が次第に解明して呉れると思いますが、その英知の指導に気付くこと自体は、私達も少し努力すれば、何の道具や装置を要することなく、出来るものと考えます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落056

056 The task confronting me now was the shedding of this false conception, and a recognition of the existence of the underlying Cosmic Cause. So I sought a better understanding of my mind and my body; how they operate and their purpose for being. This line of investigation led me to the realization that it was Cosmic Intelligence coupled with a force, that was the creator of my being.
056 今や私に立ち向かう任務は内在する宇宙的因の存在に対する誤った観念と認識を取り去ることでした。そこで私は自分の心と身体についてのより良い理解、即ち、どのようにしてそれらが働くかやそれらの存在目的について探し求めました。この探究の筋道は私を私の存在の創造主は力を伴った宇宙的英知であるとの実感に導いたのです。

【解説】
 結局の所は自分自身の心と肉体について自ら探求し、それらが何処からの支援を受け、どのように活動しているか、自らの心はそれに対してどのように反応しているかを調べることだと本項は説いています。
 この問題に対する自覚が無ければ自ら納得するような理解は得られません。他人が述べることは大いに参考になるのですが、自分で自らの心を開発しない限り、うわべだけの浅い知識に留まることになります。
 そして重要なことは、本文に述べられているように自らの生命は宇宙的知性と呼ばれるような存在によって生かされていることに気付けるようになることです。その英知は単に知性というだけでなく、壮大なる力をも兼ね備えており、具体的な肉体細胞や分子群の行動に力を与えているということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落055

055 I knew that scientifically the human body was a marvel of construction beyond the duplication of man. Just one small function of the body, which scientists do not fully understand, is the working of the "chemical laboratories" within us which daily extract and distribute the essence of the foods we eat. This alone is proof that the natural actions of the body obey the laws of Cosmic Intelligence. It must then follow that the reasoning mind has become so immersed in the material world of effect, it has temporarily lost sight of its origin. Man did indeed "hide his light under a bushel."
055 私は科学的に人体は人間というものの複製以上の驚異の建造物だということを知っています。人体のわずか些細な機能であり、科学者達が完全には理解していないこととして、私達の中にあって私達が食べる食物のエッセンスを毎日抽出し、分配している「化学実験室」があります。この一つをとっても人体の自然な行動は宇宙英知の法則に従っている証拠になります。そのことはまた、論じがちな心が結果の物質的な世界に余りにも夢中になっている為、心は一時的にその元の由来についての視野を失っていることに繋がっているに違いありません。人はまさしく「ともした明かりを升の下に置いてしまった」のです。

【解説】
 自分自身を知るというテーマに関しては、各自の肉体各部、各側面について探求する中で、自ずと答えが見えて来るように思われます。
 人間が人間として存在するには、丁度精密な絵画や彫像で外観上の人体を複製することは出来るでしょうが、それだけでは人間の機能を表すものとはなっていません。本項に記されているように人体深く存在する内臓組織の有機的な代謝活動がなければ人体を存続させることは出来ないのです。
 この重要な化学反応があって初めて人体が機能し維持される訳です。この働きについて私達は自分のこととして今まで以上に真摯に受け止め、自らのこれら体内の諸活動をつぶさに観察し、その働きの源泉が何処にあるのかを知ろうとしなければならない筈です。
 私達は日々、自らの身体と一緒に行動しています。24時間切っても切り離せない程、親しい間柄なのですが、その中身については実は私達の心はあまり関知して来なかったと言えます。それらの働きをじっくり観察する中で、自らの細胞達が実はテレパシーに基づいて行動していることが分かるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落054

054 My analysis continued. Since my human form had been brought into being by this Cosmic Intelligence, I, along with other forms of nature, must have inherited its laws and benefits, as well as its intelligence. Then why did I not have ready access to these birthrights?
054 私の分析は続きました。私の人間としての身体は宇宙英知によってもたらされたものであるからには、私も他の自然界の形有るもの達と同様、その知性と共にその諸法則や恩恵を受け継いでいる筈です。それでは何故、私はこれらの生来の権利を直ぐに入手出来なかったのでしょうか?

【解説】
 人間と人間を除いた他の生物との大きな違いの一つに、彼らには「迷いがない」ことを挙げることが出来ると思っています。人間の場合にはあれこれ思案して、結局は不完全な行動となり、良い結果を得ないものですが、彼らにはそれが無いように思うのです。
 彼ら野生の生き物は私達人間と比べて生死の境が日常的に存在する等、厳しい生き残りの世界に生きている訳ですが、それにも拘らず人間よりもゆったり落ち着いた生活を送っているように思います。
 本文にあるように人間には本来、恵まれた能力が備わっている筈ですが、何故か毎日目先の事柄に翻弄され続け、遂には最後の時を迎えてしまう例が多いのではないでしょうか。
 このような状態は大変惜しむべきことで、生来与えられたこれら才能という財産を活用し豊かな人生を送ることが本来、一人一人の責任でもある筈です。その為にも自分自身の身体や心境がどれほど宇宙源泉の流れに沿っているか、絶えずチェックし、是正を行って行く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落053

053 This revelation made it apparent that all was contained within man, and the answer lay in his becoming better acquainted with himself. I recalled the well-known adage, "Man know thyself, and all things shall be revealed unto you." Until then I, too, had parroted this profound truth, unaware of the immensity of its depths. But now I realized that Nature held the key to the Cosmic universal language; silent, yet everywhere present; and it was here in the manifested world that I could find the understanding for which I searched
053 この啓示は全てが人間の内側に含まれていること、そして答えは自分自身を熟知するようになることにあることを明らかにしました。私は良く知られている格言、「汝自身を知れば全ては明らかにされるだろう」を思い出しました。その時までは私もまた、この深みのある真理をオウム返しに繰り返すだけで、その深遠さに気付かなかったのです。しかし、今や私は自然が大宇宙普遍の言語の鍵を持っていることが分かりました。無言でかつ何処にでも存在します。そして、私が探し求めて来た理解を見出せたのはこの創造された世界の中のこの場所であったのです。

【解説】
 全ては私達自身の中にあるという訳です。私達は長年、答えを求めて様々な書物を読み、他人に教えを請うて来ました。しかし、それらの真の答えは自分自身の中に備わっていたのです。
 即ち、私達は自分に向き合い、探求することで長年探し求めていたものを手にすることが出来るということになります。古今東西、あらゆる宗教・哲学が道を説いて来ましたが、実はその内容は極めて似たものであることに驚かされます。まさに真理は一つである訳で、その者の個性が表現に出るだけの違いでしか無いように思われます。
 私達は自分自身を生きた教材として、日々の心境と自身の体調や周囲の環境条件との因果関係を学べますし、その結果は生きた実例として良い経験になります。こうした毎日の観察によって自分の課題克服のテーマを自覚することになります。
 人体には60兆もの細胞があり、人体存続の為に活躍していることは、自分自身が良く分かる筈です。そうした中で自分がどのように宇宙と繋がっているのか、探求は直ぐにも始められることになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落052

052 I continued to study things close at hand; at the same time letting my thoughts encompass the solar system of which we are only a small part. From there, it was but another step into the infinite vastness of Cosmic Whole. Throughout all creation I found a constant blending, with never a dividing break. Therefore, I could not stand apart, but was one with creation.
052 私は身近な物事の研究を続けましたが、それと同時に私の想念を私達がその一部でしかない太陽系を取り巻くようにしました。そこからは、宇宙全体の無限の広大さに入るもう一つの段階となったのです。全ての創造作用を通じて私は一時の切れ目も無く絶え間なく続く融合を見い出しました。ですから、私は創造作用から離れて存立することは出来ず、創造作用と一つになったのです。

【解説】
 如何にしたら創造活動と一体感が持てるのか、またその一体感こそが印象の感受にとって欠くことが出来ない条件であることを本項は示唆しています。
 身の回りの諸物と空の星々や太陽、月その他とは繋がっているという感覚が重要になります。実際、自然界の動植物がどのような感性にあるのかは、私には未だ分かっていませんが、私達同様の感性があるとすれば、それらは直接、宇宙源泉を慕っており、その印象には100%信頼し、受け入れ、行動しているものと思われます。
 今の季節(3月)、各地で梅の花が咲いていますが、まだ寒い時季にも拘らず花がほころぶように次々に咲く中、澄み切った大気にほのかに香りを漂わせる為には、やがて来る本格的な春に対する確信がなければなりません。梅の木は現状の寒さだけでなく、季節の移り行く時間を感じながら、春をいち早く知る者だと考えます。
 宇宙との一体感の中にもテレパシー能力開発のヒントがあるということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落051

051 My problem then was, how could I open my mind to became aware of this Supreme Intelligence?
051 私にとっての次なる問題は、どうしたら私は自分の心を開いてこの至上なる英知に気付くようになれるかという事でした。

【解説】
 誰でも宇宙の源泉から来る印象に触れたいと思っていることでしょう。しかし、ある人には出来て、何故自分にはその機会が来ないのかについては、深く考える必要があります。
 自然は平等であることは明らかです。その中でこうした印象に触れられないのは全く、私の側に問題があるということでしょう。その取組み姿勢や環境、歴史的な背景の違いも原因として挙げられるかも知れません。しかし、とりわけ重要なのはこの問題に対する本気の度合、覚悟であると考えています。
 問題解決に向けた扉を叩く気持が真剣であれば、創造主は折を見計らってチャンスを与えて呉れると思っています。こうした問題は他人に頼まれて実行するようなものではありません。自分自身の課題として、独り取り組む必要がある訳です。言い換えれば、貴方ご自身と創造主との関係の問題であり、その課題は他人はアドバイス出来るとしても、あくまで実行するのは本人自身です。
 その為に本講のように講座の解説の一例を示すことは出来ますが、それを読んで終わってしまっては、折角のチャンスを逸します。少しずつでも実行し、成果を体験しながら、こう言う私を後に、前に進んで行って欲しいと思っています。"自未得度先度他"ということです。

自(じ)未得度(みとくど)先度他(せんどた)」の心とは「自(みずか)らは未(いま)だ得(え)ていなくても、まず先(さき)に他(た)に得(え)させてあげる」という利他救済の心のこととされています。(坂村真民の展覧会で見つけた言葉です)

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落050

050 The answer came silently, yet with unmistakable knowing. "Those who do not receive have closed their minds to the Cosmic Intelligence."
050 その答は静かに、しかも揺るぎない知識を伴ってやって来ました。「感受しない者は宇宙の英知に自らの心を閉ざして来たのです。」

【解説】
 どうして他の動植物は創造主からの印象を享受しているのに、人間だけがそれが出来ないのか、本項は明確にその理由を記しています。人間自ら、その声に心を閉ざしているという訳です。
 この問題は単純と言えば単純ですが、実際に取り組むのは容易ではありません。「悟り」と表現される状態が長年月の修行の末に辿りついた心の状態を指す訳ですが、そこに至るまでには長い時間の心に対する修練が必要であった訳です。私達には自尊心をはじめ、羞恥心、妬み、驕り、貪欲など様々な問題があります。また生きている現実環境は競争社会であったりして、その中で生き延びる道を求めて歩んでいるからです。
 こうした中で人間の本質に迫る印象の声を聞こうとする態度は貴重な存在とも言えます。これらは一朝一夕には達成しない課題ですが、その取組みの価値は他に比べるものが無い程、貴重なものであり、私達の次の生涯にも直結する大事な訓練と言えます。
 たとえ目標とする心の状態は容易に達成できるものでなくとも、私達は他の動植物を良く観察し、自然の中の生きた事例から多くを学び取らなければなりません。彼らの生き方や死に方を手本として自然の法に沿った生き方とは何か、瞬間的に湧き起こる宇宙的印象に従うことは、どのような心境を指すのかを学ばねばなりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落049

049 As I continued to watch the birds, insects and animals, I noticed they were alert to climatic changes before these took place. Heretofore, I had been content, as were others, to say, instinct; and relegate it to the realm of the mysterious extrasensory perceptions. But now this answer no longer satisfied me. I wanted an understanding of the awareness that had alerted the seedling oak to the topography of the terrain, then guided its roots in the proper direction; for I could now see that in the animal kingdom, this same instinct, or awareness, alerted the squirrel to the coming of a severe winter, warning him to store extra food to carry him through until spring. Why did not man, the highest expression of the Creator of forms, participate in this alertness?
049 私が鳥や虫、動物達をじっと見守るにつれ、彼らが気候変化が起る前にそれらに十分気付いていることに気が付きました。これまででしたら、私は他の者達と同様、本能と称して満足し、それを神秘的な超感覚的な知覚力の領域に追いやっていたことでしょう。しかし、今はこの答えでは私を満足させません。私は樫の木の苗木に土地の地形を知らせ、その根を適切なる方向に導いた覚醒状態に関する理解が欲しかったのです。何故なら、今では、動物界の中でもこれと同じ本能、ないしは覚醒状態がリスに厳しい冬の到来を知らせ、春までの余分な食料を保持するように警告しているのを見ることが出来るからです。形有るものの最高位の表現である人間がこの覚醒状態に参加していないのは何故なのでしょう。

【解説】
 私達のテレパシー開発の目的の一つが、本項に記された予知能力を身に付けることにもあります。それにつけても昔から火山噴火や大地震の前に動物達の異常行動があったと伝えられています。そういう意味では明らかに動物達は未来の出来事を予知する能力を持っていると言えるでしょう。
 しかし、その仕組みは一般的には理解されておらず、単に「神秘」や「本能」というレッテルを貼られるだけでした。本講座はそれを深く研究し、そもそも予知や遠隔透視とはどのような原理で起こるものかを探求している訳です。これについては本項座を進んで行く中で理解が深まるものと考えています。
 根本は宇宙源泉からの啓示ということになるでしょうが、私達の心がそれら源泉の方向に耳を傾け、眼を凝らす中で自然にそこから無尽蔵に与えられる印象(情報)に気付くことが出来るようになる筈です。仏教では観音様や阿弥陀様の導きに素直に従うこと、その御声を体内に取り入れると表現するのかも知れません。その心境を一度掴めれば、次からはその心境に常時なれるよう自らの心を制御して、その状態を保つことで、次なる導きの声を聞くことが出来ることになります。
 自然の動物達が過酷な環境下にあってもかくも落ち着き、今この時の生活を楽しんでいられるのには、そうした導きの声を聞いているからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落048

048 The longer I contemplated the wonders of nature, the more I realized my oneness with all I beheld. All forms breathed the same air; all enjoyed the blessings of the same sun and wind; all obtained their sustenance from the one source. In fact, no division existed; all were created under the same law of Nature.
048 自然の不思議について考えれば考えるほど、私が見る全てのものと自分との一体性についてより深く認識するようになりました。全てのものが同じ空気を吸い、全てが同じ太陽や風の祝福を享受しており、全ては一つの源泉からそれぞれの支えを得ていました。事実、如何なる区分も存在していませんでした。全ては同じ大自然の法則の下で創造されていたのです。

【解説】
 各自、自分が生きている中での他との関係について観察すればするほど、私達が実に密接につながり合っていること、更にはそれら全てが一つの宇宙にまで遡る生命の源泉に通じていることを知るという訳です。
 こうした自然観察や自身への洞察は、私達の進歩にとって無くてはならないものです。この自覚を発端として、私達は身近なものと宇宙源泉なるものの結びつきを学ぶ訳です。その上で、現状の自分に何が不足しているのか、どういう自覚が足らないのかを学び、自然を教師とする中で、学習のテーマを追求して行くことが求められます。
 テレパシー能力は決して他者から全てを教わるようなものではなく、自ら体験し体得する中で身に付くものと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落047

047 Volumes could be written on this, yet never cover the subject completely. But I believe from the simple illustrations given that the sincere student will find much to intrigue his thoughts. Understanding the interdependency of life-forms is essential before man can grasp the universal truth that, in reality, all life is an expression of the one Cosmic Intelligence.
047 これについては何冊も本が書けるでしょうが、そのテーマを完全に覆い尽くすことは出来ません。しかし、私はこれまでに示された単純な諸実例から、誠実な学習者は自らの思いをめぐらすのに十分なものを見つけられるものと信じています。生命体の相互依存関係を理解することが、人が宇宙普遍の真理を把握する為には必須であり、その真理とは、実際に、全ての生命は宇宙的知性の表現の一つであるということです。


【解説】
 自分が誰のお蔭で生きていられるのか、どのような者達の助けを受けて暮らしを立てているのか、私達はこれまであまりにも自分自身の関心事の中に居て、見失って来ました。
 そもそも私達各自が生きているのは、水や空気に始まり、動植物の恩恵によっています。家畜として暮らし、最後は自らの肉体を提供して呉れる動物も数多く居ます。更には生きるに必要な衣類や道具、その他工業製品も必要です。それらの原料を大地は提供して呉れています。
 このように様々な恩恵の上に私達の生活が成り立つ訳ですが、同時に私達自身も働くことで、他の人々に恩恵をもたらす仕事をしているということでしょう。
 大切なことは本文に著者が明記しているように、各々の生命体が互いに関連して生きており、相互に依存し合っていることに気付くことです。眼には見えないこれらの繋がりへの理解が私達の次なる進化には是非とも必要な要素となっています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落046

046 With the dying of the vegetation the herbivorous animals would starve; the carnivorous ones, their natural prey extinct, would follow suit. And Man, relying upon both the animate and inanimate phases of manifestation for food, could not survive.
046 植物が死に絶えると共に、草食動物達は飢え、自然界の餌となるものが消滅する肉食動物達も同じ後に従うことになります。そして食物を創造の生物、無生物の両面に依存している人間も生き延びることは出来ません。


【解説】
 元はと言えば、花から花に飛び回るミツバチ達の活動が無ければやがて植物達はこの世から無くなり、植物を生存の糧とする動物達も生きては行けないことになります。
 また、昨今では気象変動も大きな影響を与えており、降水量の過少や過大は植物や動物そのものの生存に直接驚異を与える情況となっています。
 このように私達はこの惑星の絶妙な環境バランスの上に生きている訳で、一日たりとも調和が外れた状況になれば、生きては行けないことに注意したいものです。
 その一方で、身の回りの自然環境を眺めれば、春夏秋冬様々な環境変化があり、人々の営みがあります。これら私達が従来、当たり前として来たものの中に、自然法則の具体的で緻密な働きとそれらの従順に従って行動する生き物達の活動があり、それらのお蔭で私達が生きて行けることを自覚しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落045

045 The bird would no longer have the high, sheltering branches of the tree in which to build a nest to protect her young from prowling animals. Her food supply of insects, grubs and worms would be gone; and the wild berry bush on the hillside, no longer pollinated, would not bear.
045 鳥はもはや幼鳥をうろつく動物達から守る為の巣を作る高く、身を隠す木の枝を手に入れることは出来ません。鳥の餌となる昆虫や地虫、ミミズ達は姿を消すでしょうし、丘の斜面の木イチゴの茂みはもはや受粉することはなく、実を付けることもないでしょう。


【解説】
 この一、二年ブラジルに仕事で出向く機会がありました。その中で日本とは異なる植生世界を見ることも多く、興味深い経験もしています。その中の一つに「パラナ松」があります。正確には「松」ではないようですが、現地ではそう呼ばれています。通常の松と異なるのはその枝振りが全て水平に伸びることです。若木の頃は通常通りなのですが、成長するにつれ下の枝が落ち、上部の枝は横に張り出します。その枝木は鳥達にとって格好の止まり木であり、とげの多い葉は他の天敵から鳥達を守って呉れるようです。木々は鳥達を支える大きな後ろ盾だと言えるでしょう。
 このパラナ松、太古からパラナ州にだけ生息するもので、近くでその幹を見ると、トゲトゲがあり、いかにも頑丈な木肌をしています。現地ではその保護政策が行き渡っており、パラナ松を伐採することは原則、許されておりません。建物はその木を避けて建築されています。
 さて、本文に戻れば、こうした木々は昆虫達に生存を依存していないかも知れませんが、昆虫達が居なくなり、植物の受粉が無くなれば鳥達は毎日の食べ物を失うこととなり、生きては行けません。自然界のあらゆるものは互いに依存し合って生きていることを如何にして理解するかが私達にとっての最初の課題となっています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落044

044 Have you ever stopped to consider what would happen to our planet if insects were to be suddenly withdrawn? Life, both animate and inanimate, would cease. Mother Nature depends largely upon these tiny life-forms for pollination. Remember, it is the bees and others of the insect world, laboriously traveling from blossom to blossom that propagates for her. So without the vital part they play, all vegetation would eventually die out
044 貴方はもし、昆虫達が突如として引き上げたらこの惑星にどのようなことが起るかを考えたことがありますか?生物も無生物もともに生命は途絶えてしまうことでしょう。母なる自然はこれら小さな生命体に受粉の多くを依存しています。花から花に精一杯移動し自然の為に繁殖しているのは、昆虫の世界のミツバチやその他のもの達であることを忘れないで下さい。ですから、彼らが果たすその極めて重要な役割無くしては、全ての植物はついには死に絶えてしまうことでしょう。


【解説】
 どなたにも蜜を求めて花から花へ慌しく飛び回るミツバチその他の昆虫を眺めたことがあると思います。また古来より人間はハチミツを栄養に富んだ食品と気付いていました。そのミツバチ達の活動の本来の意義は花の受粉活動にある訳で、私達人間のハウス栽培のみならず、自然界のあらゆる植物の受粉を担う彼らの活動は無くてはならないものです。
 そのミツバチが最近、急速に数を減らしているというニュースが流れています。農薬その他の原因が指摘されていますが、また確定していないようです。これら小さな働き者が植物界の繁栄を支え、更には人間を含めた動物界の生きる糧を支えていることに私達は気付かねばなりません。
 故熊田千佳慕のミツバチの絵本を一度、見たことがありますが、実に繊細、克明に描かれています。あるテレビインタヒューで熊田氏は「自分は線で画を描く。そこには消しゴムで消すような作業は無く、よくよく観察した末、画に向かう時は線の一本一本迷うことなく描くことを心情としている。」という趣旨のお話をされていました。
 良く観察するとは、そのように対象と一体感、同一感が得られる程に相手に関心を持ち、心のレベルにおいても同化するような観察を言うものだと思います。そうすればたとえミツバチ一匹とも意思を通わせるまでの交流が出来るように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落043

043 Tracing the intricate blendings of nature makes a fascinating study. Every level is interlaced with all others. For example, the little insects and burrowing creatures contribute their important share to the common welfare; for their subterranean activity aerates the soil to promote lush growth. Now, let us take this thought a step further, and look at the indispensible part insects actually play in the perpetuation of life-forms on earth.
043 複雑に融合している自然を探究することは魅力ある研究になります。あらゆる段階が他の全てと織り込まれています。例えば小さな昆虫や穿孔動物は共通の福利に対する自分達の重要な役割で貢献しています。何故なら、彼らの地下の活動は土壌に空気を与え、青々と繁茂する植物の生長を促進しているからです。今度は更にこの考えを一歩先に進めて虫達が実際に果している地上における生命体の永続にとってかけがえのない役割を見ることにしましょう。


【解説】
 以前何処かで地中に生きるミミズは1日に自分の体重の半分以上の土を食べ、それらを団粒化し、土壌の通気性を高めることやオサムシその他の多くの昆虫は他の動物の死骸を分解し、土壌の腐敗を防ぐ等、自然界の物質の円滑な循環を担っていることを聞いたことがあります。
 私達が普段気付かない所で、多くの昆虫達、動物達が活躍し、その上に私達の生活が成り立っていることが分かります。
 著者アダムスキー氏は本項の中で、ファーブルに似た観察眼を持って身近な自然を研究せよと説いているのです。他人から教えられた知識でなく、自ら自然の中の生きもの達の普段の活躍振りを自らの眼で確認し、私達がそれら多くの生きもの達の活動に依存して生活していることを自覚せよと説いているのです。
 とかく私達は全て自分の思い通りに生きていると考えがちですが、実際には私達の生活はその全てをこれらあらゆる生きものによる見事に調和した活動の上に成り立っているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落042

042 On every level (such as insect, bird, and animal), the Life Force animates all forms, which also have a certain reasoning power; yet there is an eternal blending between this animate and inanimate phase. And Man, the highest form of creation on earth, is dependent upon all.
042 一つ一つの段階において、(例えば昆虫や鳥、そして動物等)、生命力は全ての形あるもの達を動かしますし、その形あるものはある程度の論理力を有していますが、また同時にこの生物と無生物の相の間には永続的なる融合があるのです。そして地上における最高位の創造の形を持つ存在としての人間は、全てに依存しています。


【解説】
 花壇を動き回る昆虫や空を飛び交う鳥達等、動物は文字通り動く訳で、それを動かす源泉が生命力(Life Force)だと説いています。ここではその生命力からの指示を把握するだけの知性はそれぞれの創造物には備わっていること、更には生物・無生物に係らず常に融合作用が起こっているとしています。
 テレパシー開発の上で大切なポイントはこれら身の回りの創造物に対して、生物・無生物の区別なく接することではないかと最近考えるようになりました。よく「以心伝心」という言葉があるように、親しい者同士の間には想念のスムーズな流れがあるように思われるからです。
 そういう意味でも、私達人間がその衣食住等、全てを他の創造物に依存している訳で、それらとより親しく接し、互いの意思を分かり合える間柄になることを目指したいものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落041

041 (In my references to the animate and inanimate phases of manifestation, I am using the words as we understand them. In reality, these divisions do not exist; for all expressions of life are active. )
041 (私の前述の創造における生物と無生物の各状態に関連して申し上げれば、私はそれらの言葉を私達が理解している通りの意味合いで用いております。しかし、実際にはこれらの区別は存在しません。何故なら全ての生命の表現は活動的であるからです。)


【解説】
 生物と無生物の区別は無いのだと本項は説いています。
 このことは既に私達も原子・分子等各々の構成要素には何ら区別がある訳ではないことを学んでいますが、肝心の概念の上では十分な認識は育っていません。同様なことは植物と動物の区分についても当てはまります。
 しかし、少し詳細に調べれば、微生物の世界では動物とも植物との言えるような原生動物(例えばミドリムシ)も存在しますし、自然は多様な形態に溢れています。
 逆に言えば私達はこれまで無生物として来たものに対し、より以上に愛着を持ち、あたかも友人や兄弟のように接することも大切なことではないかと考える次第です。磨かれた石には内部の美しい文様が浮かび上がり、秘められた美の造形を目にすることが出来ます。まして全山、これら岩石から成る山に対しては、私達日本人は古来からその山を崇めて来ました。また人間世界を見つめて来た大木(たいぼく)に対しては、しめ縄を飾って霊木、人智を超える智恵を持つものとして大切に接して来た訳です。
 このように私達の祖先は自然界にあるあらゆるものの中に神性を観るという優れた感性を有していた訳で、そういう意味ではテレパシー能力開発の上から、十分なる下地が出来上がっているということになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落040

040 Yet they do not use mathematical calculations to estimate the stress the rushing water will exert upon the finished dam, nor do they need mechanical tools to anchor it securely or build it to the prescribed height. Here, as in the inanimate kingdom, we find nature's unerring, guiding hand.
040 しかし、彼らはその完成したダムに激流が加えることになる力を予測する為、算術的な計算を行ってはいませんし、彼らにはダムを固定し、或いは所定の高さまで建設する為の機械的な道具類を必要とはしていません。ここでも、無生物の王国におけるのと同様、私達は自然の的確な導きの手を見い出します。


【解説】
 ひと昔前まではコンピューターはもっぱら計算をさせるものでした。面倒な計算手順を機械がすばやく行ってくれるものとして使われていた時期もあった訳です。
 工学の分野は人間が作り出す製品をより確かな性能を発揮する為に必要な寸法や強度について的確な値を導き出すのが仕事ですが、本項で説いているのは、このような手順を一切必要なく自然は直接、生き物達に答えを与えているということです。
 もちろん著者は橋梁や高層ビルの建設等、今日人間が作り上げているこの文明の力量とも言える建造物の設計にこのような工学・技術が不要と言っている訳ではありません。これらの知見に加えてビーバーが自分のダムを作り上げる時のように大自然からの印象に積極的に心を開いて適切な指導を受けて欲しいと説いているのです。
 即ち何か新しい分野に立ち向かう時、全て何も無い状態、これまで誰も試みたことのない世界に立つというよりは、既に答えはそこに有って、宇宙からは常にその答えに向けてアドバイスが流れ込んでいると考えた方が良いように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落039

039 I then turned to a closer observation of the birds, insects and animals. In all three I found the same marvels of engineering. It is interesting to note that much of our present architectural knowledge has been acquired from studying the principles employed by nature. In fact, man thinks so highly of the engineering ability of the industrious beaver, that he now parachutes them in pairs into inaccessible territory so they will build dams to help control the disastrous floods which rush down to the 1ower valleys each spring. In this way, the little animals render man and nature an invaluable service; for where their dams dot the mountain streams, floods and soil erosion are cut to a minimum.
039 私は次に鳥や昆虫、そして動物達を綿密に観察することにしました。その全てで私は植物の場合と同じ工学の驚異を見い出したのです。私達の現代の建築の知識が自然によって採用された諸原理を研究することから得られたことに気付くのは興味深いことです。事実、人は勤勉なビーバーの持つ工学上の力量を高く評価していますので、つがいのビーバーを未踏の地域に落下傘降下させ、彼らが毎年春に低地の谷間に破壊的な洪水を引き起こすのを阻止する為に役立つダムを作らせています。このように、小さな動物達は人間と自然に計り知れない奉仕を尽くしてくれているのです。何故なら、ビーバーのダムは山麓の水の流れを点在させ、洪水や土壌の侵食を最小限に削減するからです。


【解説】
 本項ではビーバーの助けを受ける話が紹介されていますが、動物達の能力の世話になっている意味では、ミツバチによる受粉の例を挙げることが出来ます。
 今日では果物や野菜のハウス栽培が盛んに行われていますが、受粉が必要な果物の生産を支えるのがミツバチ達です。箱の中に一家を構えるミツバチをハウスの中に置いて、イチゴ等の受粉を助け、ハウスの中でイチゴを育てる上でミツバチは欠かせないとされています。
 ここで注意したいのは、これら自然の生き物の協力を得る為には、害虫が出たからと言って農薬を使用することは厳禁であることです。肝心のミツバチも生きて行けなくなるからです。この一例でも自然と調和した生き方とは何なのかについて、様々なテーマを私達は抱えていることが分かります。
 それを為す為には、まず、私達はよくよく自然の仕組みや相互の関係、各々の生き物の能力等を学んで自らの生活をその自然との調和の中で見つめて行くことが必要ではないかと思われます。熊谷守一、熊田千佳慕、その他多くの画家や芸術家は自宅の庭の茂みの中に驚くべき世界を発見していたように思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落038

038 Surely, all I beheld around me was orderly, directed, and controlled intelligence in operation. There was no haphazard growth. Each minute detail had been carefully worked out. The orange tree in its native clime, the oak tree clinging to the precipitous slope, and the blade of grass at my feet were all guided and given being by the one Cosmic Intelligence.
038 確かに私が自分の周囲で見守ったもの全ては、秩序があり、指導を受け、統制された知性が働いていました。偶然の成長というようなものはありませんでした。一つ一つの微小な細部が注意深く働き完成されていました。原産地の気候におけるオレンジの木や急峻な斜面にしがみついている樫の木、そして足下の草の葉、全てが一つの宇宙の知性によって導かれ、与えられていたのです。


【解説】
 自分の周囲にあるもの一つ一つを丁寧に観て行くと、私達はそれらが皆、的確に行動し、所定の目的を達しており、それら行動に無駄が無いことに気付きます。
 これは私達人体の活動にも言えることです。私達が心の指示によって行動した結果には多くの誤り、或は重大な過失、更には犯罪まで犯すケースもある訳で、その違いは今後、私達が探求すべき課題になる筈です。
 このように未熟な私達ですが、与えられた人体は素晴らしい機能を有しており、日夜主人である私達の為に働き、その活動を支えています。その繊細で活発な活動を学ぶ為には、先ずはご自身の手や足を観察すれば良く、何処に居ても出来ることになります。むしろ、自らの心の正体を探求する為にも、自身の何処に心が居るのかについても探求したい所です。60兆個ともされる肉体細胞の一つ一つが独立している一方で互いに協調協力して器官その他を構成する等、人体という莫大な世界をどのようにして構成出来ているのか等、理解したい項目が次々に現れることになる筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落037

037 My gaze slowly traveled from wonder to wonder until it rested on the grass at my feet. Here, too, was the miracle of creation. As I stooped to study the slender, green blade, I realized humbly that no man on earth could create it. Nature alone had germinated the seed, guided the spear through the hard crust of the soil to the light of the sun, and brought it to full maturity.
037 私の注目は驚きから驚きへと移り、遂には足下の草に止まりました。ここにもまた、創造の奇跡がありました。私は屈んで細めの緑の葉を調べた結果、地球の誰一人としてこれを造り出すことは出来ないことを率直に自覚した次第です。自然が只独り、その種を発芽させ、幼芽を硬い土の塊の中で、太陽の光に導き、完全な成熟まで育てたのです。


【解説】
 普段は何ら気に留めることもなく、踏みつけている野の草一本にも自然の驚異があるのだと本項は説いています。
 種から芽を出し、各々の種の集大成に向かって成長する姿の背後には自然がその成長の詳細を促し、育てていることを私達はよくよく観察し、自覚しなければなりません。
 自然界の生きもの全ては、こうして変化し成長しています。肉眼ではあまり変化は認められないかも知れませんが、それでも1日単位、1週間単位で見ると植物達が驚くべき変貌を遂げることが分かります。花の開花、新芽の成長等、身近に変化を見ることが出来ますし、これら生命活動を支える自然の力に気付くことが出来る筈です。
 私達は本来、こうした植物と同等以上の存在として創造され、より高次な成長に向けた支援・指導の声が与えられている筈です。その声(瞬間的な印象)に素直に従って、自らの成長を遂げることが各自の生きる目的と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落036

036 Lifting my eyes to the hillside, I discovered feats of engineering that would have been impossible for man to duplicate not too many centuries ago. Growing straight and strong, a sturdy oak clung to the precipitous slope. Nature had not used a slide rule to calculate at which angle the roots should imbed themselves to stabilize the tree's weight; they had instinctively grown in the right direction and to the proper depth. And I knew that if I were to take a saw and cut a large limb from that tree, nature would immediately compensate for the shift in weight by sending out new roots to bring the tree once more into perfect balance. The wild poppy growing at its feet, and the clumps of sagebrush dotting the slope, all bore witness to this same engineering principle.
036 丘の斜面に目を上げると、何世紀か前までは人間が真似出来なかった工学の偉業を発見しました。真直ぐに逞しく成長する1本の樫の木が急峻な斜面にしがみついていました。自然は木の重量を安定化させるには、それらの根がどの角度で潜り込んだら良いかを計算する為、計算尺を用いたのではありませんでした。木の根は本能的に正しい方向、適切な深さまで成長したのです。また、もし私がノコギリを手にとって大きな枝をその木から切り落としたら、自然は直ちに新たな根を伸ばして再び完全なバランスがとれるようにして、重量変化を補正するだろうことは私には分かります。野生のケシがその樫の根元に生え、ヤマヨモギの茂みが斜面に点在していますが、それら全てがこれと同じ工学の原理の証拠を与えていました。


【解説】
 私達日本人にとっては、松の枝が優雅にバランスを取る姿を特に美しいと感じる訳ですが、それを支える地中深く伸びる根の行動が無ければその美しい姿は成り立たないことになります。
 あらゆる植物はどのようにして自分を支え、生きて行くかについてですが、それは自ら考えるというよりは、因から与えられる無言のアドバイスに従って適時適切な行動をしていることが分かります。
 問題は植物が行っていることを何故、私達地球人が行えないのかということです。本来、因からはあらゆる生きものに対して等しく生きる上での智恵を授けており、それ故に自然全体がのどかな風景を作り上げている訳です。独り人間だけが、その贈られているアドバイスに無関心のまま、自分自身の心のみで生きて行けるとしているのではないでしょうか。しかし、そのような限定的な生き方から因に対する信頼と誠実さをまず身につけて、より広い世界に生きることの必要性を著者は私達に説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落035

035 The orange tree, wafting its perfume on the southern breeze, need not delve into a laboratory analysis of atmospheric conditions to know that only in the milder climes will it survive. This tender species depends upon natural law to insure its continuation; so nature does not capriciously broadcast its seed in frigid zones, she sows them. where the sun is warm.
035 南からのそよ風に芳香を漂わせるオレンジの木は、温暖な気候においてのみそれが生き延びられることを知る為、大気の諸状態を研究室で分析する必要はありません。この繊細な種はその存続の保証を自然の法則に依存しており、自然は気紛れにその種を寒冷地に播くことはなく、太陽が暖かな場所にそれらの種を播くのです。


【解説】
 以前、スペインを旅行した際、地中海沿いの広範囲な地域で一面のオレンジ畑を見たことを思い出します。バレンシア地方はオレンジの栽培に適した場所のひとつです。
 さて、本項で著者が伝えたい内容はどのような事なのか、考えて見る必要があります。つまり、人為的にはオレンジの種を地球上の何処にでも蒔くことは出来ますが、植物には各々適した寒暖の条件があり、寒冷地では発芽は望めません。植物の種は自分の周囲の環境条件を何らかの方法により感知して、自分に適した条件下において初めて発芽する訳です。またひとたび発芽した後は、その後気候が合わず芽が枯れてしまえば、その種の生命は終わってしまう為、種の発芽は慎重なものとなっています。
 しかし、条件が整えば、古代蓮のように何千年経過しても発芽し、遂には花を咲かせる程に、種子はがまん強い者と言えるでしょう。
 オレンジの話に戻れば、一般にオレンジの実が木の根元に転がり、近くで種が芽を出したり、鳥に実を食べられ種が運ばれることにより、ある程度の狭い範囲に広がって行くというのが実情かと思います。つまり自然は親木の生き抜いた実績の上にその子孫を残せるよう配慮していると言うことでしょう。親木と実の間の意思疎通、子孫である種に対し、親木の愛情が注がれるような関係もあるのかなあと思うものです。親と子の関係は動物ばかりでなく、植物にもあるのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落034

034 My early studies, based on the antiquated theory of telepathy being a sixth sense, led nowhere. After careful observation, I found that others using this same trend of reasoning were not attaining the desired result, either. Innately I felt something was being injected which did not align itself with natural, or universal law. So I turned to nature and studied her actions. Here, where the reasoning mind of man did not interfere, I found all things working in harmony. As I thoughtfully observed life expressing in its many forms of manifestation, I realized there must be an intelligence, or a law, that operated according to an exact pattern.
034 テレパシーが第6感であるとする古代の理論に基づいた初期の私の諸研究は何処にも導くものではありませんでした。注意深い観察の後、私はこれと同じ推論傾向を採る他の者達も、目的の結果を得ていないことを発見しました。生まれつき、私は何か自然或いは宇宙普遍の法則と揃わないものが注入されているように感じておりました。そこで、私は自然に目を向けて、その諸活動を観察したのです。人の推論する心が邪魔をしないそこで、私は全てのものが調和をもって働いていることを見い出しました。生命が様々な創造の形態に現れていることを注意深く観察するにつれ、私はある正確なパターンに沿って作用する一つの知性、或いは法則が存在するに違いないことに気付いたのです。


【解説】
 テレパシーを「第6感」とするのは誤りであるということは何を意味するのか、じっくり考える必要があります。私達は氏の著作から既に心というものが感覚から成り立っているような存在であることを学んでいます。つまりは、テレパシーはこのような既存の感覚とは異なるものだという点を先ず明確にした方が良いように思われます。
 その上で、自然界の万物が絶え間なく一糸乱れぬ調和した活動を支えている法則の一環としてテレパシーを位置づけて置く必要があるという訳です。
 本文の中で著者は自身の中に自然の法則と整合しない異質な部分の存在があることに気付いたと記されていますが、それこそ私達が今後、長期間にわたって対峙しなければならない心本来の正体であり、これらを宇宙的法則の下に整えることが各自の大きな仕事になっています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落033

033 In the early ages of human development, man had been content to accept the world in which he lived as a mere five-sense manifestation. But as he grew wiser, he noticed actions taking place about him that were difficult to explain-actions that seemed to transcend these powers of outer perception. Puzzled by what he beheld, yet having no physical sense to account for this phenomenon, he relegated it to a realm of his own invention.... the sixth sense! He was then content (and still is), to consign everything not explained by his senses to this indefinable, mysterious plane.
033 人間の発達における初期の年代においては、人は自分が5感の創造物として生きているに過ぎない世界を受け入れて満足していました。しかし、成長して賢くなるにつれて、人は自分の周りに説明できない諸作用、即ちこれら外側の知覚力を超えるように見える作用が起っていることに気付きました。人は自分が見たものに当惑したものの、この現象を説明する物理的な感覚を持ち合わせていないことから、人はそれを自分の発明品の領分に追いやってしまいました。それが第6感です。人は自分の諸感覚では説明できないあらゆるものをこのはっきりしない、神秘の次元に委ねることに、これまでそして現在でも甘んじているのです。


【解説】
 実は私達自身は本項で言うような「五感」至上主義の認識の中にまだ生きているように思われます。自分の目、耳、鼻、舌そして手で触れることが出来る、ある意味確固とした物証の上に私達は暮らしている訳です。
 しかし、少し生命活動の内側を覗いて見れば、目に見えない微細なる世界の中で驚くべき活発な活動がなされ、様々な仕組みが働いていることが分かります。そして何よりもそれら活動に関連して、宇宙の源泉から絶え間なく印象類が伝えられていることに気付けば、私達は実際には印象のレベルでは非常に活発な世界に生きていることが分かります。
 これら印象類の取扱いの受け皿として、何か新しい「感覚形態」を人為的に想像して見ても解明には程遠いことは明らかです。私達は何とかこのような安直な言い逃れを廃して、本質に立ち向かうべきだということです。
 毎日休み無く鼓動する心臓が私達の生命を支えていることは承知できる訳ですが、その鼓動から何を洞察出来るか、それら与えられ続けている生命力に対して、ふさわしい日常生活を送っているかが問われています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落032

032 Many years ago when, as a youth, I first became interested in the subject, I knew some people could communicate telepathically. I wanted earnestly to know how this was done, so I began to study. At that time, I accepted the idea that man is a five-sensed being; with the potential of developing a sixth sense, etc. This was the commonly accepted theory then, the premise of which had been laid in antiquity.
032 私が青年であった昔、このテーマに初めて興味を持った時、私はある人々がテレパシックに意思疎通を行えることを知っていました。私はこれがどのようにして行われるのか、真面目に知りたいと思った為、研究を始めました。当時、私は人間は5感を持つ存在であり、6番目の感覚も発達させる可能性を持っている等の考えを受け入れておりました。これは当時は広く受け入れられていた理論であり、その前提は古代においても置かれていたのです。


【解説】
 私達には想像しがたいことですが、著者アダムスキー氏にも少年時代はあった訳です。実は氏は最初から宇宙について、あるいは精神面について取り組んでいたことが知られています。「ロイヤルオーダー」をはじめとする精神開発について長年の活動があり、その発端とも言える話が本項で記されています。
 心の問題は、何より自分で取り組まない限り何一つ成果はありません。他人に治してもらう訳には行きませんし、その努力の成果はひとえに自分自身に返って来るものです。本項では著者が若い頃、独力でこの問題を探求したと記しており、私達も同様に何かを掴む為には、本気になって取り組まなければ成果は上げられません。
 こうした長年の努力の結果、遂には他惑星人からも信頼され、交流を持つに至ったことも私達の参考になるものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落031

031 I do not know by what method others attained their understanding. I can only tell you how I achieved mine.
031 私は他の者達がどのような方法によって、理解を得たのかは知りません。私は私が如何にして自分の理解を達成したかを述べることが出来るに過ぎません。


【解説】
 恐らくは過去このようなテレパシーに関する解説書自体が無く、本書が唯一のものであることを本項は示唆しているものと思われます。仏典その他には、進化した他惑星人(諸菩薩)が如何にこれらの能力に優れているかについては数多く述べられていますが、どのようにしてそのようになれたかについて、記されてはいないように思われます。
 一人一人内側の個性は異なりますし、問題となる心とどう対峙jして行くべきか、課題は様々です。そうした中で本書は私達に著者自身はこのように考え、実践して身につけることが出来たと、ある意味惜しみなくその具体的な取組を教えてくれています。
 私達は素直に著者の導きに従い、本書の一つ一つの記述の中で、著者が何をイメージしているのかを自ら受け取れるよう、学びたいものです。
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