生命の科学 第11課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落429

429 This does not include visions and travel only but also what we call telepathy. So you may not only get revelations in the form of visions but the impression of thoughts and what they represent. And remember we have not always been noble characters so some scenes and impressions may not be too pleasant to our present understanding yet they were a part of our development, a part of our life. So they should be accepted as a part of history and not rejected for they are you. How often have we said if I had my life to live over I would do things differently. We grow towards nobility by improving upon our past deeds.
429 この啓示とはイメージや旅行ばかりでなく、私達がテレパシーと呼ぶものも含みます。ですから貴方はイメージという形式のみでなく、想念やそれらが何を象徴しているかをも含めた啓示を得ることでしょう。そして覚えておいて欲しいのは私達はこれまで常には高潔な性格では無かったので、その光景や印象の中には今日の私達の理解にとって余り心地よいばかりのものではないことも有り得ることですが、それらも私達の発達の一部分であり、私達の生涯の一部なのです。ですからそれらは履歴の一部として受け入れるべきであり、拒絶すべきではありません。それらは貴方自身であるからです。私達はこれまで何度、もし自分の人生をやり直すことになるなら、物事を違ったやりかたでするだろうと言って来たことでしょう。私達は私達自身の過去の行為に基づき改善することによって高貴な存在に成長するのです。



【解説】
 各個人にはそれぞれの歴史があり、はるか昔の過去生からの体験が蓄積されています。しかし、それらの多くは現在の自分よりは劣った想念レベルのものと考えた方が良いかも知れません。紆余曲折はあるものの、私達は少なからず進化していると思うからです。
 このように各々の過去の記憶は生かされるべきであり、全てを忘れてしまおうとするのはこれまでの人生を無駄に捨てることにも繋がります。私達がこの講座を学ぶことはこれまでの人生の歩みを整理してかつての貴重な体験を今後の人生に活かすことでもあるのです。その過程で、私達はこれら生命、人生を貫く強大なパワー、宇宙意識の存在に気付くことでしょう。私達はその意識の一部であるからです。
 長い人生の間には、多くの出会いがあり、真の友人と巡り合うこともあるでしょう。こうした出会いを引き寄せるのも宇宙の導きと言える訳で、人生の歩みには奇跡的な出来事に溢れています。それら素晴らしい出来事も宇宙を流れる高貴な想念・印象に私達が同期することによって実現することになるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落428

428 That is why the Holy Writ says have no false gods before Me. For every form whether it be man or anything else has gone through many experiences and many changes. If we accept life eternal there is just as much eternity in the past as we look forth to in the future. That is why Jesus said, If I was of this world I would fight for it but I am not of this world. If he came to this world is it not logical that we all have come from someplace else? For He made it plain that in the Father's House are many Mansions. But the human mind as an effect cannot know this unless it submits itself to consciousness which is the keeper of the records. And when it does the revelations come.
428 それが聖典が、わたくしをおいて偽りの神があってはならない(訳注:365参照)、と言う理由です。何故なら、あらゆる形有るものはそれが人であれ、何であれ、多くの体験を経ており、多くの変化を遂げて来ているからです。もし、私達が生命を永遠なるものであることを受け入れるなら、私達が未来の中へ前方を見るのと同様に過去にも多くの永遠があることになります。それがイエスが、もし私がこの世界の者であれがその為に戦うでしょうが、私はこの世界の者ではないのです、と言った理由です。もし、イエスがこの世界に来たとするなら、私達全員もどこからか来たこととするのは論理的ではないでしょうか。イエスはこれを父の家には多くの館があると平易に説明しました。しかし、結果である人間の心はそれら記憶の保持者である意識に自身を委ねない限り、これを知ることは出来ません。そしてそれが行われる時、啓示がやって来るのです。



【解説】
 次の段階として私達が向き合うべきことは各自の過去生にも遡る経験です。他者に自らの生き方を委ねることなく、自らしっかりと過去生にも遡る人生の歩みを振り返って、自分の歩みを整理し、総括することではないでしょうか。
 最近言われるようになった"終活"は各自のこれまでの歩みを整理し、次なる人生に備えるという意味を持っているように思います。部屋に溜まってしまった書類その他の諸物を整理し、真に必要なものとそうでないものとを仕分けて身軽になる作業は、私自身現在行っていますが、それを達成した後は心身共に身軽になった気分ですがすがしいものです。
 そうした作業を通じて、自分の生まれてから今日までを振り返る中で、人生という時間感覚を掴めたような気がします。人の一生の中で何を学び何を努力して来たのかを明確にして置けば、その記憶は次なる人生に役立つこと間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落427

427 This is the only true entrancement that there is - a Cosmic principle where the mind and consciousness work together. All other phases of so-called entrancement are either illusions, wishful thinking or self hypnotism, especially when your mind is impressed with guides or highly developed souls. Beware when you get a feeling of a so-called guide for there is only one that you can trust and that is consciousness - the other half of yourself.
427 これが唯一存在する真の忘我であり、それは心と意識が共に働く宇宙原理なのです。その他の忘我と呼ばれる側面は、幻覚であったり、願望の想念や自己催眠であるかのいずれかに過ぎません。特に貴方の心が指導霊や高度に発達した霊と出会ったような印象を受けた時はそうです。貴方がいわゆる指導霊のような感じを持った時は気を付けなさい。何故なら貴方が信じられるものは一つしかなく、それは意識、即ち貴方の半身であるからです。


【解説】
 結局のところ、私達に必要なことは、各自自分と向き合うことではないでしょうか。それを避ける為に他に娯楽を求めたり、諸々の神秘に身を投じてはならないのです。
 前項ではイエスの変容の場面が紹介され、各自についても自身の歩みを振り返ることが推奨されて来ました。そうする中で私達はこれまで、様々な試練の中にあっても何とか今日まで辿り着いたことが分かることでしょう。そうすることが出来た背景には、私達に与えられた因からの支援が大きく関わっています。いわば不毛の地に湧き出す泉が瀕死の私達を潤し、安らぎや生きる力を授けて来たということでしょう。
 この経過を見れば、次に私達のなすべきことは明らかと言えるでしょう。即ち、わずかに潤す泉をより大きく広げ、他者にもその恵みを分かち与えることです。自分自身の本体である泉は汲めども涸れることはありません。その泉の源流は宇宙に繋がっているからです。先ずは各自の持つ泉を汚さぬよう大切に取り扱う心構えが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落426

426 This is no different than if you were to go back to the day of your birth, entrancing your mind or interesting it with your growth to the present day. Your consciousness would bring to mind the various stages of your development and experiences through which you have gone. And with this would come the many changes of facial expressions. And this is what happened to Jesus at that time for he was having the experience of realization while the disciples were just observing.
426 これは貴方が自分の今日までの成長に対して自分の心を忘我にするか、関心を持たせることによって自分の誕生の日に戻る場合と違いはありません。貴方の意識は様々な貴方の発達段階や貴方が乗り越えた体験類を心にもたらすでしょう。そしてこれと共に多くの表情の変化が生じるのです。そしてこのことがその時、イエスに起りました。彼は弟子達がただ見守る間、その具現化体験をしていたのです。




【解説】
 私達は時折、各自の人生を振り返る必要もあります。もちろんそれは昔を懐かしむことに意義があるのではありません。これまでの人生の歩みを総括して、自分自身の中の至らない要素を洗い出し、これからの人生にその体験を活かす為ですが、人知れず助けて戴いた人生の師や創造主の慈愛に感謝する為でもあります。
 長い人生を生きることは各自貴重なそして時には苦痛を伴う体験を経ることでもあり、それらを乗り越えた今日がある訳です。そういう意味からもこれらの体験で得た知識・知見は貴重なのですが、私達地球人の場合、その多くは高齢期に記憶から失い、更に死後の転生時に継承することも出来ていないようです。その結果、再び同様な体験を繰り返すことになるのだと思われます。事故対策では再発防止が重要であるとされていますが、私達自身の痛い体験こそ、十分その要因や生じた仕組みを解析して再発を防ぐ必要があるのです。
 私達各人は生きて行く中で様々な体験・学習を積み重ね、進化して行くものと思われますし、その過程で私達の容姿もそれを反映したものになっているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落425

425 In other words the Cosmic Mother and the Cosmic Father never wean their creation. When the mind does not understand this process it has a tendency to label the effects as the mystics have done. Let me give you an example of how the mind labels things it does not understand. For this we can use the experience of Jesus on the Mount of Transfiguration. His mind at that time was entranced by consciousness for he had given his mental will over to the will of consciousness as he became a listener and observer. And when he did this his face changed to represent the many individual forms through which his mind and consciousness had expressed before and he was fully aware of what was going on. And the disciples that were watching him observed the many changes of facial expressions and told him that to them he had appeared as Moses, etc. His answer to them was, "My life is the life of the many." In other words he had lived all of those stages of life and the consciousness reviewed the stages on the screen of his mind, thus bringing his mental life up to the present stage while the others observed.
425 別の言葉で言えば、宇宙の母と宇宙の父は自分達の創造物を決して乳離れさせることは無いということです。この過程を心が理解しない時、心は神秘主義者達がこれまでして来たようにその結果に偏見のラベルを貼ろうとする傾向になります。ここで心が自分が理解しない事柄に対して如何にラベルを貼ろうとするかの例をお示ししましょう。この目的の為、変容の丘におけるイエスの体験を例に用いることが出来ます。この時、イエスの心は意識によって忘我の状態にありました。イエス自らの心の意志を意識の意志の上に捧げた為、聴く者、観察する者となった為です。そしてイエスがこのことを行う時、その顔はイエスの心と意識が以前表現した多くの個人の顔かたちを再現しはじめたのですが、イエスは何が起っているのかを完璧に気付いていました。そしてイエスを見守っていた弟子達はイエスの表情が多くの変化を起こすのを観察し、イエスにイエスがモーゼやその他のように見えたと話しました。彼らに対するイエスの答えは「私の生涯は多くの生命からなっている」でした。別の言葉で言えば、彼はこれら全ての生涯の各段階を生きて来ており、意識がイエスの心のスクリーンにこれらの段階を回想させ、今日に至るまでのイエスの心の生涯を引き寄せ、それを他の者が見たということです。



【解説】
 本項はイエスの変容として伝えられている場面について述べられています。以前からアダムスキー氏はイエスの時代に地球に来ていて、高弟ヨハネであったと伝えられています。あたかもその場面に立ち会った者しか分からないような描写が為されており、その言い伝えを裏付けるものとなっています。
 ここでのポイントは、私達の容姿は私達の精神的内面を反映したものであるということです。時が経ち、転生を経たとしても当時の心境を再現出来れば、容姿は当時を再現するものとなるという訳です。私達の肉体は私達の内面の状況をそのまま反映するべく絶えず活動しているのです。
 言い換えれば、各自の容姿はこれまでの精神性を反映するものであり、結果物ということになります。それ故、少しでも穏やかで安定した風貌を保ちたいのなら、先ずは私達の心境を温和なものに精華させる必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落424

424 Remember your mind cannot absorb all inclusive consciousness in a moment so it must come in parts or different phases in the beginning until the mind is firmly developed in relationship to consciousness. i.e. A one inch hose will carry one inch of water but when the water comes out through the nozzle it separates into hundreds of drops of various sizes and shapes and each could be labeled as different according to our specifications. But each drop that falls upon vegetation gives moisture and life giving substance to that which it touches. Yet the essence of the drop of water unites with all the other drops of water as a whole, no different than it was in the hose. And the flow of Cosmic Consciousness is like the water in the hose. And it constantly separates itself for the service to be rendered to the lesser manifestations without which they could not live.
424 貴方の心は一度に全てを内在する意識を吸収することは出来ない為に、意識は心が意識との関係において確実に成長するまでは、最初は部分的或いは異なる種々の側面としてやって来るということを覚えておいて下さい。それは即ち、1インチのホースは1インチの水を運びますが、ノズルを通して水が撒かれる時は水は様々な大きさや形の何百もの水滴に分裂します。その一つ一つは私達の分類によれば各々異なるラベルを貼られるのです。しかし、植物に降り注ぐ一つ一つの水滴はそれに触れるものに潤いと命を与える物質を授けます。しかし、水滴の本質は他の水滴と共に全体として統一されており、ホースの中にあった時と何ら違いはありません。そして宇宙意識の流れもホースの中の水のようなものです。それはそれ無しには生きて行けない、より下等な生命の現れに自らを委ねるという奉仕の為に自らを絶えず分ち与えているのです。



【解説】
 よく言われる言葉に"私達はパイプのようなものだ"という言い方があります。つまり、私達自身には何ら機能は無く、ただ内部を通じて因から来るものを放出し、表現することだけだというものです。本項で著者が説いているのも、同じ意味合いです。私達は自身を通じて"因"から来る知性を表現する者であるのです。
 しかし、人によってパイプの大きさは異なり、表現する規模や影響の大きさに差があることは確かです。それでも精一杯の表現は次の発展に繋がります。こうして一つ一つ私達は体験を積み重ねて成長して行くという訳です。
 ここで重要なことは、十分な表現が出来なかったからといって、焦らないことです。たとえパイプの径が小さくても中を流れるものは皆、同じ要素を備えており、完璧なものです。一人一人から表現されるものは、皆一つの源泉から湧き出し、個々の領域に与えられた恵みとして尊ぶ必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落423

423 What is meant by entrancement? The accepted idea of this is a misrepresentation of reality in the belief that a master is guiding one as spoken of before. Should such an impression or vision come to you during your development do not be alarmed for your conscious self will have this feeling when viewing other parts of consciousness.
423 忘我とは何を意味するのでしょうか。これについて一般に容認された概念は、以前にも述べたように、師がその者を導くと信じるという現実を誤った表現なのです。貴方の進歩の過程でこのような印象あるいは光景がやって来ることがあったら、怖れないで下さい。何故なら貴方の意識上の自己は意識の他の部分を見るとこのように感じるものだからです。



【解説】
 普段、なかなか"忘我"という状況にはなりにくいかも知れません。しかし、それが起こった時に慌てず、事の本質を理解して置くことが必要です。決して何か他の存在に操られるような事ではなく、忘我の状態にある者は、別の側面の意識を見ているのだということを知って置いて欲しいと著者は私達に説いているのです。
 おそらくこのような状況は意識による旅行においても生じていることでしょう。即ち何か通常とは思えない意識的体験をしている時に、部外者から見ると本人は忘我の状況に見えるものです。
 画家が大作に向かって絵筆を振るっている時や、音楽家が楽器と一体になって楽曲を奏でている時、本人は忘我の状況にあるものと思われます。時空を超えてその行動に没入している中で、優れた芸術性が生み出されているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落422

422 I am only giving my experiences to show that man's innate ability is of his own consciousness and has nothing to do with mysticism. But rather it is an understanding of the law or the other half of oneself - the conscious part. 99% of humanity is living the mental side of life unaware of their conscious ability or conscious consciousness. Consciously you are free to go any place in the Cosmos but mentally you are anchored to one place. As I was anchored to the classroom but consciously I went to where I was needed. And the law is just as real on the conscious side as it is on the mental side. Consciousness is the permanent side while the mental is the changing side of life. Always changing because the mind is learning while consciousness is all knowledge.
422 私は人の生来の能力は自身の意識によるものであり、神秘主義とは一切関係が無いことを示す為に自分の体験を述べているだけです。むしろそれは法則の理解、自身の半身即ち意識の部分の理解と言えます。何故なら99%の人類は自分達の意識上の能力即ち意識的意識について気付かぬまま心の側で生きているからです。意識の上では貴方は宇宙の何処にでも行ける自由がありますが、心の上では貴方は一箇所に錨で繋ぎ止められています。私がその教室に繋ぎ止められていた時でも、意識の上では私は私を必要とする場所に行ったのです。そして法則は心の側でも意識の側でも現実に働きます。意識は永遠の側にありますが、心は人生の変化する側にあるのです。意識は全ての知識である一方、心は学ぶ過程にある為、常に変化しているのです。




【解説】
 このような遠隔地への意識の移動能力について、アダムスキー氏は本文で誰にも生来持っている能力だと説いています。その発揮が出来ないのは、普段、私達は意識ではなく、心に依存しているからだとしています。私達の心はこの意識の存在を認めることなく、その限られた体験を通じて学習の途にある一方、意識は生来、全ての知識を有しているという訳です。
 おそらく本課は私達にとっては難解な教科なのかも知れません。自由自在に自身を移動させるとは分かり易く表現すれば、"天狗"や"仙人"のような能力であり、私達は究極のレベルとしてそのような能力を開発しようとしているのです。
 意識、心、肉体の3要素がある中で、もちろん肉体は物質から構成されていますが、心もまた、もし結果(物質)に左右されているとすれば、それは物質に左右されていることになります。私達各自が生来、受け継いでいる意識の活用こそ、求められているということです。その意識との融合を通じて私達は文字通り、宇宙を自由に行動することが出来ることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落421

421 But when my interest was taken up with flying saucers these experiences ceased. For as Jesus said, you cannot serve two masters without neglecting one of them. But now as I start to teach again I am returning to my original service.
421 しかし、私の関心が空飛ぶ円盤に奪われた時、これらの体験は無くなりました。何故なら、イエスが言ったように貴方は片方を無視しないで二人の主人に仕えることは出来ないからです。しかし、今や私は教えを再び始めましたので、私は元の奉仕に戻りつつあります。




【解説】
 前項でも述べましたように、このような(教師の幻が現れる)現象には、その教師の意思が強く働いていることが分かります。導師が弟子を思って遠方からメッセージ(思念)を伝えようとしない限り、そのような現象は起きないのです。
 そういう意味では、アダムスキー氏は常に求めて来る人々に惜しげなくその者に必要となる知識と助言を与え続けていました。私も氏のミーティングテープの中で「私に質問をせよ」と語っている場面を聞いたことがあります。人々の持つ疑問や知りたいことを通じて、人々に必要な知識をタイムリーに与えていたということでしょう。同様の事は同乗記にも、ロスアンジェルスのホテルで宇宙人と初めて会見する前に、氏が教え子と久しぶりで会った時の模様が記されていることはご承知の通りです。
 もちろん、このような意識による遠隔地への移動は、私達の目標の一つですが、その実行に当たっての第一の心構えは、本項に記されている通り、他者への支援にあることは明らかです。遠く離れた地で病の床にある友人を支援することもその一つです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落420

420 And now I will explain what I mean by a thought form. Man is a thought manifestation of consciousness like a shadow is a manifestation of a form. So in the classroom I was manifesting as a solid form and at the bed side I was manifesting as a shadow of that form. A thought form can be sent and felt at any distance while a solid form cannot. This has happened many times even outside of the classroom. When I was lecturing in Pasadena someone would ask my help for a sick friend. I would deliver the lecture on a normal bases and at the same time go to the bedside of the sick person. I did not need to know the person nor the address for consciously I was in both places. When I next met the person that had asked for my help she was happy for the friend had improved immediately and in a short time he was out of bed and well on the road to recovery. My experiences are not limited to sickness alone for I have been able to help out in other types of trouble. These things did not take place during my sleeping hours but when I was active with something else. So this has been my experience with conscious traveling.
420 そしてここで、私が想念の形態と言うことで何を意味したかったかを説明しましょう。影が形あるものの現れであるように、人は意識による想念としての現れです。ですから、その教室の中で私は固体の形態として現れており、ベッドの脇ではその形態の影として現れていたのです。想念の形態は如何なる距離にあっても送られることが出来、感じ取られますが、固体の形態はそれは出来ません。このことは教室の外でも数多く起りました。私がパサデナで教えていた時、誰かが来て病気の友人を助けて欲しいと私に求めて来ました。私は通常の通りのレクチャーを行う一方、同時にその病気の人物のベッドの脇に行ったのです。私にはその人物やその住所知る必要はありません。何故なら意識としては私はその両方の場所に居たからです。次に私の助けを依頼したその人物に会った時、彼女はその友人が直ぐに良くなり、わずかの内にベッドから離れて回復への道程に進むようになったことで喜んでおりました。私の体験は病気に限られてはおりません。他の種類のトラブルから助け出すことが出来たからです。これらの出来事は私の寝ている間には起らず、私が何か他のことで活動している時に起っていました。ですから、これは意識による旅行に関する私の体験であった訳です。



【解説】
 本項で記されている内容は、このシリーズにおける究極の学習レベルではないかと思われます。意識を用いた自分自身の投影も最終的には私達に可能となるという訳です。
 前項でも述べましたが、古来から聖人達の奇跡として数多くの逸話が伝えられていますが、おそらく一つ一つを本項に照らして精査して見ると、皆、それら聖人達が意識を用いて行った行動であることが分かるのではないでしょうか。
 もちろん、各自にとってその段階まで精進することは大事なのですが、それより遥かに重要なことは、それら聖人達が私達を助けたいと発願し、自らの意識を用いてその姿を具現させ、私達に示して呉れたということです。その意図を受け止めた上で、私達もそれに倣うよう、心して精進する必要があります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第11課-段落419

419 Many times when I was teaching in the early thirties a student would be sick and would not be at the class, yet on the following week when they returned he would report that he had not missed the class. For I was at the bedside giving the instructions yet I was not missed in the classroom. I was there before the students giving instruction through my mind and body while at the same time my consciousness was at the bedside of the one who was sick. It is like using two speakers with one microphone. Consciously I was conveying to the mind in my body that which was given to the students. In one place I was a solid form and in the other a thought form.
419 1930年代の初期、私が教えていた時に何度となく一人の生徒が病気になりクラスに出席することが出来ないことがありました。しかしそれでも、翌週にある次の授業にはその生徒は決まって自分は授業を受けられなかったことはないと報告するのでした。その理由は私は彼のベッドの脇に居て、教えを授けていたからというのですが、私はクラスに出席しなかった訳ではありませんでした。私は当時は生徒達の前で心と肉体を通じて教えを授けておりましたが、同時に私の意識は病気の一人のベッドの脇に身を置いていたのです。それはマイク1つで2つのスピーカーを使っているのに似ています。意識的に私は私の肉体の中にある心に生徒達に教える事柄を伝えておりました。一つの場所では私は固体として形あるものでしたが、他の場所では想念の形態であったのです。



【解説】
 アダムスキー氏がUFO問題に関与する以前、ラグナビーチ周辺でThe Royal Oder of Tibetという精神改革活動をしていたことは良く知られているところです。本項はその1930年代に起こった事柄について紹介し、今後の私達の訓練の参考とするべく記載されています。
 これら肉体から離れた遠隔地に姿を現すことは、丁度、映画「スター・ウォーズ」に出てくるホログラム投影のように考えられますが、より重要な所は、先ず教師本人がその場に居ない生徒にも同一の教えを授けたいという意志があり、また受け手の生徒の側にも教師の教えを受けたいとする願望があった上での現象という点です。送る側と受ける側の波長が一致する中で、はじめて実現する事柄だということです。
 聖書には同様なことが頻繁に起こっており、イエスが多数の場所に出現したという状況も記載されていたと記憶しています。また、現代での聖母マリアの出現等々、多くは奇跡と称されますが、これらも本項に記されている通り、送り手の意識が現象化して現れた姿であると考えられます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落418

418 Man can have this same alertness from the conscious sea of life when his mind is aware of its possibilities of receiving impressions from anywhere in the Cosmos. When this phase is understood and used man can be anywhere he wishes to be, either near or far away. For the Real You remember is the consciousness. The mind and the body are instruments which you use.
418 人はその心が宇宙の何処からの印象でも受け取ることが出来ることに気付いた時、その生命の意識の海からこれと同じ覚醒を得ることが出来ます。この側面が理解され応用されると、人は近くにも遠くにも自分が望むどのような所にも身を置くことが出来ます。何故なら、ここが大事なところですが、真実の貴方という存在は意識なのです。心と肉体は貴方が用いる道具です。




【解説】
 これまで私達は「心」と「肉体」そして「意識」について学んで来ました。その中でどれが最も大切なものかは本項が端的に述べている通り、「意識」こそ最重要視しなければなりません。今まで現実主義者或いは広く一般の地球社会では「肉体」を重要視して来ましたし、一方の精神主義者は「心」こそが重要だとして来ました。しかし、このアダムスキー哲学を学ぶ人達の中でも精神性を重視するあまり、現実社会に適応出来ずにいる方々も残念ながら多いのが実情でしょう。
 しかし、本項で述べられているように、「肉体」も「心」もこの「意識」の前には単なる道具に過ぎない程のものであることが分かります。それ程に宇宙を貫く「意識」は私達に多くの恵みをもたらす存在であり、この「意識」こそが創造主に直結した力を持っているという訳です。
 私達は自らの中にこの「意識」の要素を感じ取り、それらと親しむことによって常に若々しい生命の発露となる必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落417

417 We must remember that consciousness is the sea of life within which all forms are living regardless of what they may be. And outside of which there is no life. So when the mind becomes alerted that it is living within that sea and must depend upon the sea of consciousness for its own life then this awareness begins to impress itself upon the mind with new knowledge of various phases of its action and the various types of forms through which it expresses. Like certain fish in the ocean that are alert enough to sense a disturbance, conveyed through the water in which they live.
417 私達は意識はありとあらゆる全ての形有るものがその内側に生きている生命の海であることを覚えていなければなりません。そしてその外側には生命は無いことも。ですから心は自らがその海の内側に生きており、それ自身の命について意識の海に頼らなければならないことに感づくようになると、この気付きは心に対して意識の様々な行動の側面や意識が表現する様々なタイプの生命形態に関する新しい知識を印象により授けようとしはじめます。それは丁度、大洋の中のある魚が自らが住む水を通じて運ばれて来るうねりを感じ取るだけの鋭敏さがあるのと似ています。



【解説】
 本項は本講座で言う"意識"とはどのようなものか、そして私達がその中でどのように暮らしているかを良く表しています。エネルギーである想念・印象が伝播する為には媒体が必要であり、それが意識が"生命の海"と表現される由来となっています。
 私達は意識という海の中で生きている訳で、その海の中に生きる他の生命も皆、私達の同胞、兄弟姉妹である訳です。また各生命体が発する想念・印象はその海の中を伝播し、停滞することはありません。鋭敏な魚達が海の些細な変化にも敏感であるように、私達は意識を頼りに生きています。
 また、海が何処までも繋がっていることも重要なポイントです。膨大な宇宙空間もその隅々にまで意識が浸透しており、想念その他、波動の行き来は容易に行われます。その宇宙の中で起こる出来事や発せられた想念・印象はことごとく意識の中に記憶され、未来永劫残ることになりますし、それによって蓄えられる知識に制限はありません。私達はこのように進化する意識の中に生きています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落416

416 A man can consciously travel the Cosmos as I stated before if his mind can trust what consciousness reveals to him. Some of us not knowing how this is done have traveled the Cosmos many times. In some cases it has been during the sleeping hours when we have had dreams that impressed themselves vividly on our waking mind. Especially of strange places where it would be impossible for the mind to promote the dream.
416 人はもし自身の心が意識がその者に明かすことを信じることが出来れば、私が以前述べたように、宇宙を意識で旅することが出来ます。私達の幾人かはそれがどのようにして行われるかを知らないまま、何度も宇宙を旅して来ました。ある場合は、それは目覚めた心にそれらの事柄を明瞭に印象付ける夢を見る寝ている間に起っていました。特に、心が夢を進めようなど出来ようのない見知らぬ場所についてはそれに属します。


【解説】
 意識による旅行は誰でも出来るし、また各自その一部を体験していると本項は説いています。何か特別な修行や儀式を経ずとも、ある瞬間、私達の心が意識と融合した際にそれが可能となるということでしょう。
 本項の示すことでいつも思い出すことは、映画「コンタクト」で主人公が大型の機械の中で体験する遠い宇宙空間の先にある惑星で、亡くなった父親と再会するという場面です。地球の時間ではほんの僅かの間なのですが、主人公はその間、時空を巡っての壮大な旅を体験し、その果てに月が二つある地球に似た惑星に辿り着きます。
 上記の体験はまさに時間を超越した宇宙の旅を示唆しているように思えた訳です。直接的に肉体的な宇宙人とのコンタクトのストリーではありませんが、何か本項の示すイメージに沿ったものではないかと考えています。私達が宇宙意識に従い、同期する際に起こる時空を越えた体験について、示唆している映画ではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落415

415 Mars also has a population explosion. In another year I have been promised a trip to Mars and when I go I will prove to myself how close my mind has received the impressions given to it by consciousness.
415 火星もまた人口爆発にあっています。別の年に私は火星への旅行を約束されて来ましたので、行った時は私の心が意識によって得られた印象を如何に忠実に受信していたかを自分で確かめようと思っています。



【解説】
 結局、アダムスキー氏は火星に行くことなく生涯を終えたのですが、氏の周りには宇宙人による様々な計画が立案されていたものと思われます。その多くは実現しないまま終わってしまったということでしょう。以前にも紹介した通り、アダムスキー氏は死の数週間前まで冬季の北米各地を行き来していたのです。
 さて本項で記されている火星の状況ですが、人口爆発という表現で急激な人口増が発生しているとしています。以前、誰かから聞いたことですが、宇宙の様々な惑星に各々転生した人達がかつての過ちを修正する機会として適切な惑星に生まれ変わって来るという話がありました。さすがに広い大宇宙でもその修正の機会に適した惑星は限られており、かつての自分が過ごした惑星がその修正には最適であることは間違いありません。即ち、かつての過ちを修正する為に元の惑星に戻って来ているという訳です。
 そういう意味では崩壊に進みつつあるこの太陽系でかつて過ごした人達が以前の自らの行動を修正する為、大挙して元の惑星に転生して来ているのかも知れません。これは地球についても言えることだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落414

414 Next we will go to Mars, a planet I have not been on physically. Consciously I find the planet rugged, quite commercial and industrial and very similar to earth. Agriculture is in second place for water is scarce in inhabited areas and most of it is dry farming. The water that they have is channeled from the polar caps and melting ice areas. There is plenty of salt water and in recent years they have been converting it for use as we are doing in some places. There are canals of salt water that carry the ships to inland cities where the water is also converted for use. In the early days they tried mixing salt water with fresh water, about a two to one mixture of fresh and salt, but the amount of fresh water was not adequate and the mixture was not good for agriculture.
414 次に私達は火星に行きます。肉体としては行ったことのない惑星です。意識で見ると私にはそれが荒れて、まったくの商業的、工業的な場所であり、地球に大変良く似ていることが見えます。居住地域には水が少ない為、農業は二次的な地位であり、そのほとんどが乾燥農法です。彼らが用いる水は極冠や融解する結氷地域から水路を引いてもたらされます。塩水は豊富にありますし、近年には私達も幾つかの場所で行っているようにそれを変換しています(訳注:例えば逆浸透膜法等により塩水を淡水化し利用していることを指す)。内陸部の都市に船舶を運ぶ塩水の運河がありますし、そこでもその塩水が転換され利用されます。初期の時代には彼らは塩水と淡水を2対1に混合しようとしましたが、その淡水量では不適切で、その混合水は農業に向かなかったのです。



【解説】
 SF作家Ray Bradbury原作の「火星年代記The Martian Chronicles」をご覧になった方も多いものと思われます。また、「スター・ウォーズ」の映画シリーズも何処か火星に似た乾燥した惑星をベースに物語が描かれています。荒涼とした自然環境の中で高度に商工業が発展した惑星、それが火星ということでしょう。
 本文中にはその水不足の問題について、原因は述べられていませんが、海水の淡水化等、今日地球でも行われているように、工業力で飲料水を造水する仕組みが火星で行われているとしています。
 おそらく本来は自然豊かな惑星であったにも拘わらず、惑星全体の自然環境が悪化する程、自然を浪費してしまったことに原因があるということかと思われます。そういう意味でも火星は地球の将来の姿を暗示しているのかも知れません。
 私達は自然と調和する生き方、今日流に言えば、「持続可能Sustainable」な生き方をすべきことは明らかなのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第11課-段落413

413 I have now given you a foundation and you may fill in what you will consciously observe on Venus.
413 私はこれで貴方には基礎を授けましたし、その後は貴方が金星を意識で観察するものを埋めて行けば良いでしょう。



【解説】
 本項の短い文の中に、本講座をこれまで進めて来た著者の思いが良く表現されています。
 即ち、これまでの教科によって私達各人が今後生きて行く上での基礎は十分に伝えたということです。今後は日々の実践訓練によって私達各人が各々工夫をし、体験を積み重ねて行くことになります。
 これまで私が見てきた限り、多くの方々が成果を上げ、成功されていますが、それでも思い通りに生きることが出来ない事例も多く見て来ました。実はそれほどに現実の地球社会で生きて行くことは難しいことなのです。しかし、仮に思い通りに進まなかったとしても、落胆することはありません。痛い体験であっても、それはその方の貴重な記憶となり、次なる人生に活かせる筈だからです。
 私達は変化する諸条件の中に生きています。その苛酷な状況の中でもどれ程の信念を持って金星や土星の先進世界を拠り所として生きて行くかが問われています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落412

412 Agriculture and the manufacturing of the necessary commodities is all based on production for use. And all individual talents are given an opportunity to develop and express. Every phase of their expression is extremely artistic and elevating to view as they express love in everything that they do.
412 農業や生活必需品の製造は全て使用に基づいています。また、全ての個人の才能はそれを発展させ表現する機会が与えられています。彼らのあらゆる表現の姿は彼らはその行うこと全てに愛を表現する為、極めて芸術的で高揚させるものとなっています。




【解説】
 本項のポイントは、金星その他の高次に進化した惑星では必要以上のものを生産しないということでしょう。反面、地球では利益が上がる場合にはその利益を増やし、商売(business)を拡げようと規模を拡大するのは普通です。しかし、その結果、資源が枯渇し、環境汚染が出現するのです。また自国の余剰産物を他国に輸出して自国の産業を維持しようとする動きも現在の地球では横行しており、途上国の正常な発展を妨げています。
 これらの事柄は、資源や環境の浪費・乱用に他なりません。その影響は国境を越えて地球全体にまで広がっているのです。
 一方、本項で述べられている"manufacture(製造業)"についても、言葉の持つニュアンスはむしろ"手工業"に近い響きを持っています。即ち、職人が一つ一つ丁寧に品物を作るような状況を示唆しているように私には思えます。一つ一つの製品が工芸品のように芸術性に富んだものではないでしょうか。ご存知のようにスカウトシップ自体、何千年もの間、モデルチェンジが無いような究極の設計であることも、彼ら他惑星人の物作りの思想を反映していると言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落411

411 As each planet represents some phase of humanity, Venus represents Cosmic Love that binds all things together as one.
411 各々の惑星はそれぞれ人間性の何らかの側面を表現しており、金星は全てのものを一つに結び付ける宇宙の愛を象徴しています。



【解説】
 家庭や会社、その他組織の雰囲気は、原因はとにかく、その構成員の放つ想念・印象の総体に由来していることは確かです。また広く国や惑星全体も構成員の持つ精神波動を集約体現したものになる筈です。
 そういう意味では、金星は「愛」を象徴するとされていることから、およそ金星人の想念パターンが「愛」という概念に基本を置いていることが分かります。日本的に言えば、「慈悲」を含めた広い愛情ということでしょう。観音菩薩もそれに近いイメージかと思われます。
 おそらく世界各地で「聖母マリア」の奇跡や信仰がありますが、それも金星に由来しているものと思われます。太古から繰り返し支援を送ってくれているのも、金星に由来した方々ではないでしょうか。今度こそ、私達はオーソン他の方々の恩に報いる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落410

410 There is just one head of Government with many co-workers who look after the affairs of humanity. And the respect for each other is very much the same as we found on Saturn.
410 そこには人類に関する事柄の世話をする多くの協力者を持つ政府の首長はただ一人存在します。そして互いに尊敬し合うことは土星で見られるのと大変良く似ています。



【解説】
 各惑星は一つの家族のように暮らしているということでしょう。その一大家族を見守る為に責任者が必要だという訳です。最終的に決断する人、全体を見渡して判断する人物が必要だということは極自然のことでしょう。
 ここで注目して戴きたいのは高度に進化を遂げた惑星社会においては、何事も確立しており、何らの問題も無いように思いがちですが、絶えず変化する宇宙空間の中では、その惑星を守る為、或いは構成員の問題を解決する為、政府機関が必要であり、最終判断を行う首長が必要だということです。
 まだ地球では各々の国の中でさえ混乱や争い事が多い訳ですが、将来的には本項に記されているように、地球上の全ての人々が一つの国民となるべきでしょう。国家間の争いを無くす為、国境は取り払う必要がありますが、現状ではそれを妨げる様々な要因があり、英国のEU離脱のように、逆の方向に進んでいるように思われます。
 いずれにしても、地球の私達が本来目指すべきは「一家族」(One Family)の概念であり、互いに助け合い、調和して暮らすことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落409

409 Geometrically the people are very much the same as found on earth and other planets but they are interested in a wide scope of things and have very much the same type of environment that we found on Saturn.
409 幾何学的にはその人々は地球や他の惑星で見る人々とほとんど変わる所がありませんが、彼らは物事への幅広い関心を持っていて、土星で見られるのとほとんど変わる所の無い環境を有しています。




【解説】
 おそらく環境というものはそこに暮らす人間の放つ想念・印象から大きな影響を受けるものと思われます。仏陀が歩いた跡には花が咲いたというような逸話はその人物の放つ想念に環境が呼応した状況に周囲の者が驚いたことを伝えているのです。
 金星については、アダムスキー氏が亡くなった妻メアリーに再会した場面が金星旅行記に記されており、落ち着いた中に各人が各々の豊かな人生を送っている様子が示されています。
 その生活には必要なモノは無償で与えられることや各自の才能を伸ばす配慮がなされており、芸術性も重視されているように思われます。地球に比べ何ら束縛の無い生活ですが、その中で自分の役割を見出して社会に奉仕することは、ある面では厳しい自戒を求められる社会でもあります。
 現状の私達は決して金星や土星に生まれ変わったとしても大変苦しい生活を送ることになりますし、必ずしも心地よいものではないように思われます。病気というものが一切無い中で、原因はどうあれ、独り苦しむこともありえますし、絶えず他人から認められたいとする気持ちの中、自由放任型の生活の中では、自分を見失うかも知れません。先ずは私達としては、将来これらの高次な惑星に転生できた場合に備えて、自分自身、物事の本質を見定める訓練をして置く必要があるというものでしょう。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第11課-段落408

408 Now we will observe Venus and as we do we find a difference here for it is a smaller planet than Saturn and much of the time it is covered with clouds. Although the clouds break here and there and allow the sun to shine through, the air is humid but not oppressive. It is very much like other planets in formation for it has a variety of climates with ice and snow in some parts.
408 今度は私達は金星を観察しましょう。するとここでは違いを見い出します。何故なら、それは土星より小さな惑星で、多くの期間、雲に覆われているからです。しかしそれでも、そこここで雲が途切れることで太陽を輝き渡らせますし、大気は湿度を帯びていますが、重苦しくはありません。その構成は他の惑星ととても良く似ています。ある部分には氷や雪もあるような多様性に富んだ気候条件を有しているからです。



【解説】
 ご存知のようにアダムスキー氏は生前、他惑星人の宇宙船に乗って金星にも行ったことがあります。その間の出来事は金星旅行記に紹介されているところです。その旅行記を読んで分かることは、土星と同様、金星も地球に比べて遥かに進化発展した惑星社会であることが分かります。
 その実体験を踏まえて著者アダムスキー氏は本項で、私達に意識を用いて金星も観察せよと説いているのです。もし、私達が正しく意識を用いているのであれば、本項で記載のあるような金星の状況が察知出来るであろうということでしょう。
 土星や金星は私達の地球に対して太古の昔から支援を続け、多くの教師を派遣して来たものと思われます。それら導師の故郷がこの両惑星ということになります。今日私達に残されているのはこれまでのアダムスキー氏の著作であり、講演記録でありますが、本項では夜空の土星や金星と親しむことで、その文化の片鱗を理解すべしと示唆しているように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落407

407 Jesus has said that where a man's heart is there he is also. It could be said that where a man's consciousness is there he will be.
407 イエスは言っています。人の心がある所、その者もまた居ると。それはこのようにも言えることでしょう。人の意識のある所、その者もまた居るであろうと。



【解説】
 イエスが言ったとされるこの言葉はどのような意味を持つか、よく考える必要があります。即ち、自らの意識が肉体から離れれば、肉体は単なる物体にしかなく、やがては朽ち行くだけですし、人が死を迎える際に、本人の本体が引き継がれるのは意識ということになります。その意識こそが自分の本体であり、肉体は仮の衣服に過ぎないということでしょう。
 それほどに大事な意識なのですが、私達自身、肉体については様々な健康法をはじめ美容その他について随分と気を使っていますが、肝心の意識については手当をまったくしていないように思います。
 私達が意識による宇宙旅行をする際、私達は自らの意識を自身の肉体から一時的に解放して、大自然、大宇宙の中を自在に探求するという本来の研究、進化の道を歩むことになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落406

406 Here I have given you just some of the high spots and not in detail form as you might expect but you can get the details if you succeed in going there consciously. And as I have been taken there physically by space craft I will know if your impressions are correct. And this will indicate how well you are able to travel consciously.
406 ここでは私は貴方に最も重要な部分だけをお話しており、貴方が期待するような詳細には触れておりませんが、貴方はそこに意識的に行くことに成功すればその詳細を得ることが出来ます。また、私はそこには肉体のままで連れて行かれた為、私は貴方の受けた印象類が正しいかどうかが分かるでしょう。そしてこのことは貴方が如何に上手に意識による旅行を出来るようになっているかを示すことでしょう。



【解説】
 本項で著者が述べているように、第11課を学ぶ私達は各自、自身で意識による旅行を試行するように求めています。つまり、これまでの学習により、私達はある程度の基礎的知識を得ましたので、今後はその応用例として自身で宇宙を旅して見よと説いている訳です。
 その結果についてはもちろん各自によって異なる訳ですが、重要だと思うことは、これらの知見は実践することが大切だという点です。単に知識として理解するだけでは十分ではありません。実践する中で確認することが体験として記憶され、また新たな心境が生まれるというものです。
 そういう意味では、従来の修行のように堂に篭もって沈想に集中することよりは、世間に出て衆生と交わる中で道を説くこと、また体験することが遥かに重要なことのように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落405

405 In their presence one feels that he has been given a new birth in life. For their homes and surroundings are exquisite, a reflection of their consciousness as is everything on their planet. Planet Saturn is a balancer or tribunal planet for our system.
405 彼らの面前にあっては、人は自分が人生で新たな誕生を授かったと感じます。彼らの家庭や周囲の物はこの上なく洗練されたものであり、彼らの惑星上のあらゆるものがそうであるように彼らの意識の反映になっているからです。惑星土星は私達の太陽系の天秤、いわば法廷なのです。



【解説】
 アダムスキー氏は生前、周囲の人々からある意味異常と思われる程に、ブラザーズと呼ぶ彼ら他惑星からの人達をかばい、終始支援していたと伝えられています。言い換えれば、他惑星に比べれば、劣悪で過酷な環境での彼らの置かれた環境を理解し、彼らから与えられる助言や指導に忠実に従っていたという訳です。
 実はその背景には本項で述べられているように、彼ら他惑星人の真の価値や人格を知れば、彼らの為には全てを投げ出す気持ちも生まれる程の人達であったということでしょう。
 そうした高次な人達と接することは私達の人生にとって大変貴重な機会であり、読者の皆さまの仲にも必ずや何回かはそうした機会に巡り合うことも出来るものと思われます。
 最近はとみにそれら高次の人達と巡り会える機会を望むようになって来ました。各自の努力の方向性等、今後の進め方に助言を受けたいと思うからです。もちろん、答えは印象としてもやって来ることでしょう。しかし、一対一の会話の中で得られる内容は独り独習する中よりもはるかに多くのものを学べるように思われるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落404

404 And now when we associate with the people a strange thing happens. It seems that everyone is a part of our own being for they seem to see through us and know how we feel and what we are thinking. And we wonder if we are worthy to be here and what they may think about us. But this comes from the habitual mind reaction and soon we feel at ease for we sense that they understand and are accepting us as brothers and sisters and not as strangers. You cannot detect even a trace of jealousy, envy or judgment in them. And when invited to their homes we notice that they share all things equally. This is particularly noticeable among the women for they respect each individual with the same feeling that a mother has for her child. And this is a higher respect than sisters have for each other and their relationship to all is based on the need of the other. The men in turn respect the women with the same feeling that we have on this earth for a Madonna as they are the mothers of men. And the women respect the men equally as high and honor them as the expression of Cosmic Principle-the masculine part of consciousness. And both men and women recognize the consciousness within each form as Cosmic Divinity.
404 そして私達がその人々と交流するや否や、不思議なことが起ります。彼らが私達の内側を見通し、私達がどのように感じ、また何を考えているかを知っているように思えることから、誰もが私達自身の一部のように思えるのです。そして私達は自分達がここに相応しいのか、また彼らが私達をどのように考えているか、疑問に思うものです。しかし、これは習慣的な心の反応から来るものであり、すぐに私達は安らぎを感じます。何故なら私達は彼らは私達を理解し、私達を兄弟姉妹として受け入れており、よそ者とはしていないことを感じ取るからです。貴方は彼らの中に嫉妬や妬みあるいは批判の痕跡も見つけることはできません。そして、彼らの家に招かれる時、私達は彼らが全てのものを等しく分かち合うことに気付きます。これは女性間において特に顕著です。何故なら彼女達は母親が自分の子供に対するのと同じ感じで各個人を尊重しているからです。そしてこれは姉妹が互いを尊重すること以上に高い尊敬の念であり、彼女達の全体への関係は他の者の必要性に基づいているからです。代わって男性は女性達をこの地球で私達が聖母マリアに抱くのと同じ感じを持って尊敬します。彼女達は男性達の母であるからです。そして女性達は男性達を意識の男性部分である宇宙原理の表現者として等しく、高く尊敬し敬意を払います。そして男性も女性も各自の身体の内側に宇宙の神性としての意識の存在を認めているのです。




【解説】
 土星の社会はどのようなものか、本項は著者の体験をもとに私達にその一端を伝えています。いわば全ての人が達人とも言うべき鋭敏な知覚力を有しており、相手のことを瞬時に理解でき、言葉は不要ということでしょう。そしてそれ故に生活振りは理想を現実に実現しているという訳です。
 もちろんそこに生きる人々の精神レベルが惑星全体の環境に影響を及ぼす以上、あらゆる環境が至上なる深遠さに満ちているということでしょう。古来より仏陀は土星から来たと伝えられているように、まさに土星は仏国土と表現されることでしょう。
 よく天使の頭を取り囲むようにリングが描かれることが多いのですが、まさに土星こその惑星全体にリングが形成されています。このような高次な惑星から地球を訪れる人々には母国で暮らすよりはるかに多くの誘惑や危険が取り巻いていることでしょう。その中で派遣された本来の任務を実行する彼ら訪問者のご苦労もまたかみ締めるべきです。仏像に手を合わせる時に思い出したいことがらです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落403

403 These are the first impressions that consciousness give to the mind. It is all so beautiful that the mind has a tendency to question if it is real, yet it knows that it is walking on solid ground.
403 これらは意識が心に与える最初の印象類です。それは皆、あまりに美しいので心はそれが現実であるか疑う傾向がありますが、それでも心は堅固な地面を歩いていることは知っているのです。



【解説】
 本項で言ういわゆる"意識による旅行"について、とかく私達は何か夢のように不安定でとりとめのない現象かと思いがちですが、本項ではそれを否定しています。即ち、意識がもたらす印象は限りなく現実に近い確固たる経験だとしているのです。
 もちろん肉体が移行している訳ではないのですが、それと同様に明確な印象が得られるとしている訳で、単なる白日夢とは訳が異なるということでしょう。
 これまで私達はこの講座を学んで来た訳で、その学習経験を踏まえて、そろそろ意識による旅行、遠隔透視についても試して良いとする筆者の示唆が記されているように思われます。
 しかし、導師を持たない今日の私達にとって、重要なのは少しずつ確認しながら進めることであり、一度に多くの階段を昇るべきではないでしょう。日々の試行を通じて、成果を確認しながら、進めるべきかと思うものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落402

402 As an experiment let us go to Saturn. We are now on a solid body very little different from the earth except in circumference, for it is about seven times larger than our planet. The first thing that our mind it attracted to is the slightly different sky than we have known on earth. It is more opalescent than blue due to the rings of Saturn that reflect into the sky. It is almost breath taking in beauty and makes one feel he must be in God's presence. As many of the buildings are white they reflect the same opalescence from the sky, and the snow covered mountains do the same. In certain sections of the planet there are large glaciers and they reflect this coloring intensely as a mirror would. The frequencies of the colors seem to penetrate your being and you feel that you are a different individual than you have known yourself to be. You become consciously aware of that which you see and feel that you are in the Creator's household - the heaven for which you have been searching.
402 一つの実験として土星に行って見ましょう。私達は辺りの環境は別として地球とは私達の地球より7倍も大きい為にほんのわずかの違いしかない固体天体の上に居ます。私達の心を引き付ける最初の事柄はそれが地球で知っているのとはわずかに異なった空です。それは大空の中に反射する土星の輪(訳注:複数)に起因して青色よりも、もっと乳白色をしています。それはあまりの美しさで息も止まる程であり、人をして自分が神の御前に居るに違いないと思わせます。多くの建物は白色である為、それら建物は空からの同じ乳白色を反射しますし、雪を被った山々も同じように乳白色を呈します。土星のある地域では大きな氷河があり、それらは鏡のようにこの色彩を強烈に反射しています。その色彩の波長は貴方の存在を貫くかのように見えますし、貴方は自分自身がこれまで思って来たとは異なる個人であると感じます。貴方は貴方が見るものを意識的に知覚するようになり、貴方がこれまで探して来た天国、即ち創造主の家族の中にいることを感じるようになります。




【解説】
 おそらく著者アダムスキー氏にとって本項に示すように土星等の他の惑星に居ながらにして意識を移行させることは容易であったように思われます。事実、"宇宙のパイオニア"では更に生き生きと月や他の惑星の様子が綴られていますし、これらは本項で示す手法により、アダムスキー氏自身が観た光景であったのです。
 またその後の"土星旅行記"でアダムスキー氏は惑星間会議が開催されたと述べています。このことからも土星という惑星はこの太陽系の中で最も神聖な惑星であることが分かります。本文で記されているように土星の輪の存在が太陽光を乳白色に輝かせる作用がある等、現地に降り立った者でなければ知り得ない知見も私達に説いていることに私達は気付かねばなりません。
 私達が最初に意識的に探求すべき場所は、本項で示唆されているように、優れた文明、進化した人達が暮らす惑星であり、それらの他惑星にこそ、自身の意識を探求の旅に出すよう心掛ける必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落401

401 Before starting our excursion to some of the planets that we know about, let us take the position that is sometimes called day dreaming. When this takes place the mind withdraws its interest from the present surroundings and becomes absorbed in the so-called dream. Conscious consciousness draws the mind's attention to itself to such an extent that any one could pass before the one so absorbed and his presence would not be felt. In other words a sort of telecasting connection is made between the consciousness and the mind and time and distance do not mean anything for the mind is interested in the scenes that the consciousness is bringing to it. Many people while reading Inside The Space Ships lived the experience with me and partook of the same exhilarating feeling that I had while describing the scenery and the words of wisdom given to me. This is the state in which one must place himself - the union of mind and consciousness for both are equally real.
401 私達が知っている惑星のいくつかへの旅行を始める前に、時として白日夢と呼ばれている姿勢に就いて見ましょう。これが起る時、心は現実の環境からその関心を引き上げ、いわゆる夢と呼ばれる中に吸収されるようになります。意識的な意識が心の関心を意識自身へそのように引き寄せる為、その者の前を人が通ってもその存在は気付かれない程です。言い替えれば、ある種のテレビ放送の回路が意識と心の間に形成され、時間や距離は意味をなさなくなります。何故なら心は意識がもたらす光景に関心を持つからです。多くの人々が「同乗記」を読んでいる間、私と一緒にその体験を生きていましたし、私がその光景や私に与えられた智恵の言葉を表現する間、私が得た心踊る感覚と同じものを共にしたのです。これは人が自分自身を置かなければならない心と意識の統合の状態です。何故なら両者は等しく実在のものだからです。




【解説】
 私自身、本項で説かれているような"意識による旅行"を実行する段階には至っておりませんが、本文で説かれている内容から、頷ける部分も多いように思われます。
 つまり、著者が私達に説いているのは私達自身の心の関心の先を自分自身や周囲の環境にではなく、本来の関心事に向けるということです。よく幼児達が絵本を読む中で、その絵本の世界に没入してしまうのですが、そのように私達自身も自らの関心事、知りたいとする対象と一体化すること、融合することが必要だということでしょう。
 その為には、私達自身の取り組み姿勢をより純粋に、より謙虚に整えること、またその過程で感受した印象を素直に受け入れる必要があるように思います。その為には、二心あるような状況ではダメで、常に誠実な心境が必要かと思われます。宇宙をご自身の身体の一部と思えるような心境になれば、自分の意識で何処までも探求の旅に出ることが出来ることでしょう。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第11課-段落400

400 Cosmic Space or Consciousness knows no beginning or ending as we have said before, so there are planets and other forms in cosmic space without number. By other forms we mean suns, comets, etc., all just as solid as the earth. Now if the earth has produced out of its own body what we see upon it, it stands to reason that all other planets would be similar to the earth and consciousness conveys this to us. They all may differ according to their age as our planet has aged, for at one time there were less than 3 billion people upon it even though civilizations have come and gone. So the development of the people's minds will vary on the different planets the same as they vary in the different parts of this world, but the geometric pattern is not much different on other planets than we find on earth.
400 宇宙空間、或いは宇宙意識は以前申し上げたように始まりも終わりも知りませんので、宇宙空間には無数の惑星や他の形有るものが存在します。その他の形有るものとは、諸太陽や彗星、その他を意味しますが、全ては地球と同様に固体です。そこでもし地球がそれ自身の天体から私達がその上で見るものを創り出したとするなら、それは全ての他の惑星は地球と類似しているとする理由になりますし、意識もこのことを私達に伝えています。それらは皆、私達の惑星が年齢を重ねるようにそれらの年齢に応じて異なるでしょう、何故なら或る時、その上には数々の文明が興隆、衰亡したにも関わらず一時期は30億ほどの人々がいたからです。それゆえ、人々の心の発達がこの世界の異なる場所で違うように、惑星によって異なります。しかし、幾何学的なパターンは惑星によって私達が地球で見るより大きな差はありません。



【解説】
 古い写真を見ていつも思うことは、昔は緑少ない都市であった所が、わずか数十年で木々に緑葉が茂る落ち着いた街並みに変貌を遂げている事例が多いことです。これには人々が用いる燃料が木材から石油製品、更には電力に移行したことも関係するのかも知れません。いずれにしても○○並木や○○の名所とされる所のほとんどが実は人間の植樹によって生まれた所であることは注目すべきでしょう。いわばこれらの名園は人間の創造力の潜在的な価値を示すものです。
 このことは惑星全体についても言えることで、私達は自身の持つ影響力の大きさをもっと深く自覚しなければなりません。この惑星を上質で創造主本来の息吹が表現されたものとするか、或いは荒廃したゴミの山に捨て置くのかは実に私達にかかっているのです。
 過去の文明は結局、多くが滅びてしまった訳ですが、そこには単に自然災害によるというよりは、その文明そのものに問題があったと考えるべきでしょう。宇宙の法則に従う限り、私達は永続性を約束されているからです。自分自身では気付きにくい問題点も誰かが別の文明社会と接触する中でその差異が明らかになるものです。他惑星文明との交流はそうした意味合いにおいて私達がこの惑星文明を維持発展させる上で、欠くことが出来ない貴重なチャンスであることは間違いありません。

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
プロフィール

ganetworkjapan

アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ