生命の科学 第10課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落392

392 We have now laid a good foundation for the next lesson which will take us on an exploration of Cosmic space. And we will see how many will be ready for that journey and go along with us to face reality.
392 私達は今や、私達を宇宙空間の冒険の旅に連れ出してくれる次の課の為の十分な基礎を敷き終わりました。それで、私達はどれ程の人数の者がその旅行への準備が出来ており、真実に直面する為、私達と一緒に進めるか見ることにしましょう。



【解説】
 著者は私達が自らの意識を使って、その探求の範囲を宇宙にまで拡げるべき段階に至っていると説いています。しかし、実際には私自身を含めて多くの方にとって、この課題は高く、その達成は容易ではないと考えています。
 重要な点は一気にそのような段階に到達しようと思わなくて良いことだと思います。一度に踏み出す一歩はわずかなものでも良いのです。例えば日常の時間の中で宇宙を意識し自らの知覚力、感知範囲を努めて宇宙に拡げて見ることも有用でしょう。そうする中で日の光は太陽、顔に当たる風は宇宙空間、踏みしめる大地は地球という惑星と繋がっていることも感じられるようになりますし、私達が宇宙に生きていることも分かる筈です。
 日々の生活の中で如何に宇宙的側面を捉えられるかがその出発点だと思うものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落391

391 There is one thing to always remember, the consciousness is the all inclusive power and intelligence. And it is the conceiver and creator of all form life. And the mind was created to execute its instructions. The consciousness knows and sees all while the mind does not, and it should be its student. It must learn to obey conscious instructions when it becomes tired of making mistakes.
391 いつも覚えていて欲しいことが一つあります。意識は全てを包括する力であり知性だということです。そしてそれは全ての形有るものを産むものであり創造主なのです。そして心はその教えを実行する為に創られたのでした。意識は全てを知っており、観ているのですが、一方、心はそうではなく、その生徒であるべきなのです。心は過ちを犯すことに飽きたなら、意識の教えに従うことを学ばねばなりません。


【解説】
 本講座で私達は何を学び、理解すべきか、本項はその要点を私達に告げています。ここで注目したいことは、万物の創造の源は意識であり、それは全知全能ということです。一方、私達の役割はそれが私達に与える助言、インスピレーションに従って行動し、そのイメージに込められた意図を地上に実現することです。
 全ての事柄がこの一言に尽きる訳で、このことから私達が印象に耳を傾け、実践することが如何に大切か、また求められているかが分かります。
 これまでの多くの教師が私達のもとを訪れましたが、皆、異口同音にこの真理を説いてきたように思います。それ故、各自の日常の中に如何に印象に殉じた生活を送るかが重要となります。もちろん、私達はこの意識の源から来る純粋な印象に従うべきことは言うまでも無く、汚れた私達自身や同類の者達からの想念に同調するものではありません。
 こうして地上に創造主の意図を再現することが私達の役割であり、それを観ることが創造主の喜びであるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第10課-段落390

390 It took me many years to master this for I did not have the knowledge to work with that you have received in these lessons, regarding the consciousness and the mind
390 このことをマスターするのに私は多くの年月を要しました。私は意識と心に関係してあなた方がこれらのレッスンで受け取った指針となる知識を持たなかったからです。



【解説】
 本項で著者がこれまで独学で本講座の内容を学んで来たことを述べています。そしてこの講座が他惑星社会の支援を受けて編纂されたとしても、その内容には著者がこれまで独力で身に付け、編み出した奥義のエッセンスが込められているということでしょう。
 いわゆるテキストと称されるものは数多くありますが、重要なのは著者自身が辿った過程、進化の道程に沿って説かれていることです。後から進む私達がこうした先達の通った道筋を後から辿ることで、各自追体験しながら、誤りのない道を進むことが出来るからです。
 そういう意味では、私達一人一人も同様であり、各自の足跡、歩んだ道程を何らかの形で残し、後続の者の参考とすることも意義あることかと思われます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第10課-段落389

389 I cannot tell you too much of what you might see, for if I did you would be working on what I have told you, instead of getting your own impressions. But after practicing this method for a while you may write me of results. I will then know if you are doing it right or not. You do not need to go outside and look at the sky in order to do this, for you can do it within your room. But do not be discouraged if you do not succeed in the first few tries. For there will be many habitual obstacles that will have to be removed before good results can be obtained.
389 私は貴方がこの後、見るかも知れないことについてあまり多くを語ることは出来ません。もし語れば、貴方は自分自身の印象を得ようとする代わりに、私が話した事柄について努力することになると思うからです。しかし、この方法をしばらく練習した後に、貴方は私に結果について手紙を書くのも良いでしょう。そうすれば、私が貴方が正しい道を進んでいるか、そうでないかを知ることができることになります。貴方はこれを為すのに、外に出て空を見なければならないということはありません。貴方はそれを貴方の部屋の中でも出来るからです。しかし、最初の数回の試みで成功しなかったとしてもがっかりしてはいけません。良い結果が得られる前には、取り除かなければならない多くの習慣的障害があると思われるからです。



【解説】
 これからは各自が自ら開拓した分野で探求して行くべきであると、著者は説いています。また自分の置かれている環境に関わらず宇宙に関心を持つべきであり、そこから得るものも多いとしています。
 これらは決して何か神秘的な修行をせよということでなく、自らの意志で私達は自分の意識を宇宙にまで拡大し、そこから有益な想念・印象を得ることが出来るということでしょう。初期のアダムスキー氏の著書「宇宙のパイオニア」はこうしたアダムスキー氏のいわゆる”意識による旅行”の過程で得た知見に由来するとされています。
 とかく私達は地上に縛り付けられた生活を送りがちですが、一日の終わりにこうした宇宙に自らを解放した後、眠りに就くことも良いのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落388

388 From here we can expand the mind into the awareness of the conscious sea of life, like we did with the telescope. And on into space, the incubator of all forms. And the more interest you have in invisible space, the more the consciousness will be impressing your mind with that which the eyes do not see. For there is far more activity in the space that you thought of as nothingness, than your mind ever imagined possible. Then you will receive impressions or pictures that you never had before. And revelations as you did with your hands in space activity and the forming of events yet to come.
388 ここから私達は丁度、望遠鏡を用いて行ったように、心を生命の意識の海の知覚へと拡張することができます。そして全ての形あるものの孵卵器である宇宙に向かって広がるのです。そして貴方が目には見えない宇宙への関心が高まるにつれ、意識は益々貴方に目が見ていないことを貴方の心に印象づけることでしょう。何故なら、そこには貴方が皆無だと考えていた宇宙には貴方が想像していた以上に遥かに多くの活動があるからです。そうなると貴方はかつてない印象や映像を受け取ることとなるでしょう。そして貴方が自分の手について得たような啓示が宇宙の活動や物事の形成についてもやって来ることでしょう。



【解説】
 私達は自分の手を教材として視覚からもたらされる情報の他に、直接、手を構成する細胞の分子・原子達から印象を得るように、私達は更に進んで宇宙に目を向ける必要があると説いています。
 これまで私達は宇宙を何も無い空間に過ぎないと認識して来ましたが、実際にはそれは万物創造の極めて充実した活動の場であると著者は説いています。この創造の場こそ、私達の想念がその効果を発揮し易い場であり、また生命本来の創造力が満ちた場所ということになります。
 そうした活発な領域を知り、それらと印象の交流を進めることが私達を本来の進化の道に導くことになるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落387

387 This type of study will create confidence in your advancement that you may not have had until now. And you will know that you are working in the right way. For you will be observing that which the physical eyes cannot see and the spoken word cannot express. And you will begin to understand your body and its functions which are independent of the mind, although related to the whole.
387 この種の学習は貴方がこれまで得たことのない貴方自身の進歩への確信を造り出すことでしょう。そして貴方は正しい道を前進していることがわかることでしょう。何故なら貴方は肉体の目では見えず、話し言葉では表現できないものを見ることになるからです。そして貴方は心とは独立しているが、全体とは関連している貴方の肉体とその機能を理解するようになるからです。



【解説】
 本項が私達に説いていることは、私達各自の身体こそ、この学習、進化の上で最も適した教材だということです。私達は日々の生活から自分の精神状態、即ち心の状況も、また自身の身体の調子も良く分かる筈です。そうした中でこれまでの目や耳からの情報でなく、直接自身の身体細胞、或いはそれらを構成する分子・原子から来る印象に関心を向けることが大切です。
 私達の心に瞬間的に飛び込んでくるこれらの印象・想念は、大変素早い為それらを言葉で解釈することは難しいものだということでしょう。印象を受信した後、改めてその内容をかみ締めてそれが何を示唆しているのかを知る必要があるのです。その為には心は次々に来る印象を先ずは無抵抗に受入れ、後になってそれがどのような部分に当てはまるのかを知ろうとすることになるものと思われます。ヒントを得た後も、そのヒントの全容を掴めないながらも、それを大切に取り扱うことが必要だと考えるものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落386

386 One should never discourage the mind as it proceeds to gain knowledge. So perhaps it would be best to leave the eyes open and focus the attention on the hands. Through this you will begin to realize what the hands mean to you and what an asset they are to your life. After you have received good impressions of the importance of your hands, close your eyes and see what you will get then. If you are operating properly, without your mind guessing, you should see your hands constructed of thousands of molecules all very active, never stopping to rest for a moment. And you should receive the knowledge of the type of molecules that construct the nails, joints, etc. And you should be able to see the structure of your hand and the movement of energy better than any instrument could show. You can do this to any part of your body, if you want to know how your body functions.
386 人は心が知識を得ようと前進する時、決して心を落胆させてはいけません。ですからこの場合、おそらく両目を開けて両手に注意を集中するのが最も良いと思われます。このことを通じて貴方は両手が貴方にとってどのような意味を持つか、またその両手が貴方の生涯にとってどんなに財産になっているかを理解し始めることでしょう。貴方が貴方の手の重要性について十分な印象を受け取った後に、両目を閉じてその後、何が印象として得られるか観察して下さい。もし、心が空想すること無く貴方が適切に行動しているなら、貴方は貴方の両手が何千もの一瞬たりとも休むことなく全て活動的な分子から構成されていることを見ることでしょう。そして貴方は爪や関節等を作り上げている分子達の知識を受け取ることでしょう。また、貴方は貴方の手の構造やエネルギーの動きについて如何なる装置よりも良く見ることができるでしょう。貴方はもし、貴方の肉体がどのような機能を果たしているかを知りたいと思えば、このことを他のどの部位に対して行うことができます。



【解説】
 日本語には"貴方の手足となって"という表現がありますが、まさに手と足は私達が生きて行く上で無くてはならない程の貢献をしています。よく人が死に向かう時、自らの手をじっと見ると言われておりますが、この最も身近な存在こそ、長年その人を支えて来たものだと言う訳です。
 本項では私達の印象への感受性を高めるのに、ご自身の手を教材にせよと説いています。私達は手の存在に如何に助けられているか、その機能はどのように発揮、実現されているかを学んだ後、目を閉じて手の分子・原子が活動する状況、血液が流れ、細胞が動く状況の下、それらが発する印象を感じ取れと説いています。
 長年、生命を共にして来た自らの手と印象の交流をする中で、各自の感受性も高められるという訳です。想念・印象は何処かの不可思議な世界から来るのではありません。細胞を構成する分子・原子から発せられるのだと著者は示唆しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落385

385 For some this will be difficult with their eyes open, for the attention will be distracted by things that are seen, so it will be best to close the eyes in order to focus the full attention on the impressions or pictures that come. At first this should not be done for more than five or ten minutes at a time. And do not expect too much at the beginning.
385 ある者にとっては眼を開けていてはこれが難しいでしょう。見えるものによって注目がそらされてしまうからです。そこでやって来る印象類や映像類に全注目を集める為、眼を閉じることが最も良いと思われます。最初はこれを一度に5分ないし10分間以上行われるべきではありません。また、最初から多くを期待してはいけません。


【解説】
 私自身、本格的な座禅を知りませんが、本項で著者が説く内容はそれに近いものと思っています。心を落ち着ける為に瞑想すること、またそれが私達の視覚を鎮める為であることが説かれているのです。
 また、注目したいのは、このような瞑想は長時間行うべきではないとも指摘していることです。瞑想から直ちに効果が出るというようなものでないことも大事なポイントでしょう。
 そもそも私達が自身の心境を静かにかつ鋭敏に保持する為に、これら全ての動作がある訳で、その実行により心身の疲れや惰性が生じるようでは意味が無いということでしょう。私達がやって来る想念・印象に対し如何に受け止め、それらの意図に沿って行動できる態勢を構築することが重要となるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落384

384 So now let us proceed with the first step: First your mind must relax, and this can only be done when the mind loses interest in itself in its own behalf. Like a boy who is interested in baseball, but if he wants to learn and see something else he has to put his first interest completely out of his mind and give full attention to that which he is about to learn or see.
384 それでは今から、その第一段階に進みましょう。最初は貴方の心はリラックスしなければなりませんし、これは心が自分自身の利益に関して自分自身への関心を失う時にのみ起こり得るのです。野球に興味を持っている少年に例えれば、もし彼が何か他のことを学び、理解しようとするならには、その最初の興味(訳注:野球)を完全に心の外に追いやって、自分がこれから学ぼう、あるいは理解しようとすることに対して全力で注視する必要があります。


【解説】
 以前聴いたウエイン・ダイヤー氏の講演の中でも、私達は自分の関心事にあまりに集中していることに課題があるのだと指摘されていました。悩みは私達の心の中にあり、身体全体を含めてもその他の部位には無いこと、即ち悩みは私達の心が生み出しているということでした。また、仏教においては心が自由でなく何かに囚われている状態を"執着"と表現しています。本項では私達が取り組む第一歩として、その執着を取り除き、心を解放せよとしているのです。
 新しい想念・印象を受け入れる為には、私達の心は開かれた状態でなければなりません。"止水明鏡"という表現がありますが、心の中を通過する、即ち水面をかすかによぎる波動に気付く為には、私達は自らの心を平らに穏やかに保つ必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落383

383 At this point your reasoning facilities may enter for one phase of impressions follows the freakish imagination and is destructive, while the other is exhilarating and constructive. So then constructive logic must be employed in order to reach a true evaluation. And this must be independent of personal opinions if you are to know the truth about anything. This is a good policy to follow in living and working with others in every day life.
383 この点において、貴方の推論の才が登場するかも知れません。何故なら、印象類のある段階で尋常で無い空想が後に続き、それは破壊的なのですが、他方では気分を浮き立たせ建設的であるものも続くからです。ですから、その時は真実の評価に到達する為に建設的な論理を用いなければなりません。そしてもし貴方が如何なることにせよ真実を知ろうとするなら、このことが個人的な意見の影響を受けずに行わなければなりません。これは日常生活の中で他人と生活し働く上で従うべき良い方針でもあります。



【解説】
 同一の印象でも、それに含まれる様々な要素がある訳ですが、私達の心はそれに対して常に自分の都合の良い側面や破壊的な側面を捉えがちです。
 しかし、それは単に自分の心が求めている要素を基に空想しているに過ぎません。本来はもっと建設的な意味合いを含んでおり、心湧き立つ要素を帯びているのだと著者は説いています。
 とかく私達は空想に浸りがちですが、印象に向かうべき姿勢はこれら個人的な意見を排して建設的な要素を筋道に据えて解釈する必要があるのです。そうした姿勢での探求によって実生活に生きるヒント、インスピレーションを得ることが出来る訳です。
 また、最後に著者はこの姿勢は同時に実生活における他人との関係にも応用できる原理だと説いています。相手の意見の中の建設的な側面を見ようとする姿勢が大事だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落382

382 Even though the space people had not come our way, showing that man can travel space, we would have succeeded in doing this sooner or later, accomplished by following the impressions given by consciousness. For man's goal is to blend his mind with consciousness.
382 例え宇宙人が我々の方に来て人間が宇宙を旅行できることを示すことが無かったとしても、私達は意識から与えられる印象類に従うことによって遅かれ早かれこれを為すことが出来たと思われます。人間のゴールはその心を意識に融合させることだからです。


【解説】
 1968年に公開された映画「2001年宇宙の旅」を当時観た時、映画の中で描かれている巨大コンピュータの持つ驚異的な知能に驚いたものですが、今日では「顔認証」は「人工頭脳ロボット」、車の自動運転等々のAI技術がまさに映画の示唆したように発展の一途を辿っています。
 同時にGPSや放送衛星、気象衛星、偵察衛星等々、宇宙空間に打ち上げられた人工衛星が私達の生活を便利なものにして来ました。
 今後は同映画に描かれているように、本格的に宇宙に飛び出す時代になるものと思われます。そして宇宙空間に出ることが私達の心を大きく拡張させ、より根源的な宇宙の本質について考える契機となることでしょう。既に多くの宇宙飛行士達が宇宙に出た後の心境の拡がりやより深遠なるものの存在について証言していることは、ご存知の通りです。
 それら宇宙への私達の関心を引き上げる為に、彼ら他惑星人の宇宙船が危険を冒しても地球に姿を見せて呉れるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落381

381 There are not too many people who know the difference between that which is real and the copy. Inventors and artists use this method, and that is how some new inventions that man's imagination thought impossible have come about, for the real is always possible.
381 どちらが本物でどちらが複製物であるかの違いを知る人は多くはありません。発明家や芸術家はこの方法を用いており、それが人間の空想が不可能だと思って来たような新しい発明品が生まれることの次第です。何故なら真実なるものは常に可能なものだからです。



【解説】
 いつも思うことは本物の印象と偽者の識別をすることの難しさです。湧き上がる印象を大切にするようになっても、この識別は容易ではありません。私は印象を受ける度に、それが指し示す状況がその後正しいものであったか否かを常に追及しようとしています。つまり、印象を受ける度にその源泉とその示す方向性が正しいか、自分がその印象に本当に従うべきか自身に問い掛けるようにしています。その上で、関心が持てればその印象に従います。もし、その結果が印象通りの結末でなかった場合は、その時の自分の判断が誤りであり、当時の心境を反省するというものです。
 人それぞれ取り組まれる内容は異なるかと思いますが、無数の小石が広がる浜辺で貴重な宝石を見つけるのは困難が伴いますが、光輝く宝石は自ずと美しい光を放っており、見る人が見れば容易に探し当てることが出来るものでしょう。先ずは輝く印象を感受することが始まりです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第10課-段落380

380 One must be very careful to avoid wishful thinking which the mind usually likes to promote. Or imagination which the mind likes to promote in its own favor. For the imagination does promote pictures as there are two phases of impressions. The imaginative mind likes to create freaks such as constructing a man's head with two faces. One in the back and one in the front, but nature does not construct a head like this. I mention this for the impressions and pictures that will come through consciousness will be closely related to imagination. And the mind is quite an expert at this for it has copied its action from consciousness. There must be something genuine before there can be a counterfeit and this is the case with the imagination, so one must be careful.
380 人は心がいつも促進しようとする願望的思考を避けるよう注意深くあらねばなりません。或いはまた心が自身への味方を増やそうとする空想についてもです。何故なら、空想は印象には二つの局面があるようなイメージを促進するからです。空想性を持つ心は顔が二つあるような人間の頭を作り出す等、倒錯物を造り出したがります。顔の一つが後側にもう一つが表側にあるようなものをです。しかし、自然はこのような頭を造り出しません。私はこのことを、意識から来る印象類や映像類は空想にとても近い関係にある為、述べているのです。そして、心は意識からその行動を写し取って来ている為、この点において全くの熟達者なのです。偽者が存在する以前に何か本物があるに違いありませんし、これが空想についての実状です。ですから注意深くあらねばならないのです。



【解説】
 私達が意識からの印象に従おうとする一方で、それを利用して自らの支配を拡大させようとする感覚心の問題があると著者は警告しています。実に私達にとって手ごわい敵は私達自身の心である訳です。
 心は本文に記されているように意識から来る印象を捻じ曲げたり、不要な要素を付け加えたりして本来の意味を自分の都合の良いように変質させるという訳です。何とも救いようのない話ですが、それでも私達は各自の感覚心を制御することによって少しずつ本来の姿に戻さなければなりません。
 裁きを無くし、自身のありのままの姿を直視して、素直に意識の助言に従えるかどうかが進歩のカギという訳です。本項で何度となく「幼児のように」と説かれているのはその素直さが重要だからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落379

379 Impressions will come in some cases like a still small voice and you will swear that someone is talking to you, but it is your consciousness explaining things in words you are accustomed to. And sometimes with impressions that you cannot find words to express. But when pictures are impressed upon you, especially in color, they are focused by the consciousness on the screen of your mind which is located in your forehead. At least this has been my experience. Perhaps this is the reason for those who do not understand referring to this as the third eye, or all seeing eye. In Buddha statues there is a jewel in the forehead, signifying extended sight, and it forms a triangle between physical sight and itself. Jesus called this, single visioned and single minded. And when he said the renewing of the mind, he meant exactly what we are trying to do here by associating the mind with the consciousness to form a single unit. Where divisions between the two cease to exist. For then man becomes a total man.
379 印象はある場合にはひそかな小さい声としてやって来るでしょうし、貴方は確かに誰かが貴方に話し掛けていると言うでしょうが、それは貴方の意識が貴方が慣れ親しんだ言葉によって物事を説明しているのです。またある時は貴方が言葉で表せないような印象としてもたらされます。しかし、映像が貴方にもたらされる時、特にそれがカラーである場合は、それらは貴方の額の場所に位置する貴方の心のスクリーンに意識によって投影されているのです。少なくても、これは私の経験です。おそらく、これは人々が第三の目、或いは全てを見る目として引用することを理解しない理由です。仏像には、額の中に一つの宝石が埋め込まれ、拡張した視覚を象徴しており、それは肉体の視覚とそれ自体で三角形を形成しています。イエスはこれを一つになった目、一つになった心と呼んだのです。そしてイエスが心の復興と言った時、彼はまさしく私達がここで心を意識に親しませ、一つの単位を形成するよう努力していることを意味していたのです。そこでは、両者の間の分裂は消滅します。それ以後、人は完全なる人間になるのです。



【解説】
 私達が"意識の指導に従う"と言った時、それが具体的にそのような状況なのかについて、本項は説いています。場合によっては声が聞こえたりすることもあるでしょうが、それらは誰か他の人が話しかけたりするものではなく、意識が私達の心に分かり易い形態で内容を示しているのだと説かれています。また目の前に光景のイメージが見えることもあるかも知れません。
 大事なことはこれら有用な印象を大切に取り扱うことだと考えます。また日常的な動作においても意図することなく身体が勝手に動いて結果として大変良い結末をもたらした経験も読者の方々の中には多いものと思われます。印象に従うことが如何に理にかなっているかの実例は多くの方が各々お持ちのことと思います。
 私達は学習を進めるにつれて、これらいわゆるインスピレーションに従った行動や生活の役割が高まって行くことになり、それらの割合が増すことで意識による生活が送れるようになる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落378

378 You must remember at all times that only a little of the entire picture will be revealed at a time. Again like the jigsaw puzzle, you cannot look at all of the pieces and know where they fit. For the picture must be put together piece by piece and this takes time. Never try to fill in with some of your mental ideas accumulated in this world for they are of personal nature. Do not question for one minute what you receive for that would be like questioning God. And you should know by now which is accumulated knowledge from this world and which are cosmic impressions. Do not be confused for earthly impressions may come also, as many of these to which the mind is accustomed are of Cosmic Nature and may fit into the picture at a given point but perhaps not at present. Due to earthly experiences these ideas sometimes try to crowd into positions before there is a place for them. It is like an artist who gets an impression of red shading, when yellow should be used, with the red to follow.
378 いつも覚えておいて欲しいことは、一度には全体像のほんの一部しか明かされないということです。再度、ジグゾーパズルのように、貴方は断片の全てを見ても何処にそれらが当てはまるのか知るという訳には行きません。何故なら絵は小片を一つずつ繋ぎあわせられなければなりませんし、これには時間がかかるのです。決してこの世界で貯えられた貴方の精神的なアイデアを当てはめようとしてはなりません。何故ならそれらは個人的な性質のものだからです。一瞬たりとも貴方が感受したものに疑問を投げかけてはなりません。神を問いただすようなものだからです。また、貴方は今では、どれがこの世からの蓄積された知識で、どれが宇宙的印象かを識別できる筈です。地球的印象も来るでしょうから、混乱しないようにして下さい。何故なら心が慣れているものの多くが宇宙的性質を帯びており、それらもいつか適当な時期にその全体像に当てはまるかも知れませんが、おそらくその時点ではないと思われるからです。地球上の経験から、これらのアイデア達はそれら本来の場所以外に群がろうとします。それは黄色を用いるべき所に赤い陰を付ける印象を受けた画家のようなもので、本来は黄色の後に赤を用いるべきなのです。




【解説】
 注意したい点は、著者は何度となくジグソーパズルのたとえを私達に説いていることです。即ち、多くの場合、宇宙意識からの印象は断片的に私達にやって来るということです。それらを繋ぎ合わせることで、初めてそのメッセージの全体像が明らかになるという訳です。
 その具体的なイメージを掴むには、忍耐、献身的な受容態度が必要になり、たとえインスピレーションの発端がやって来ても私達は受容的な心境を維持する必要があるという訳です。
 おそらく私達はこれらの印象が持つ知識を一度には理解出来ない為、同一の発信源に対して次なる印象を感受する機会を待つことになるのかも知れません。
 その間にも私達の側では従来型の心の動きがあり、それらが混乱を引き起こしかねません。こうした中、私達は与えられた知識の断片を大切に取り扱って、それらの本来の収まる場所に気付き、より大きなビジョンを掴む必要があるということです。このようにしてインスピレーションをご自身の進化・発展に繋げる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落377

377 Remember that consciousness will convey impression to the mind that will seem foreign, like all new things do at first. But let your mind become as a little child listening and observing impressions and pictures that may come without questioning or trying to make a better picture out of the revelations.
377 覚えておいて欲しいのは意識は最初、あらゆる新しいものがそうであるように、心にとってよそものに思えるような印象を運んで来ることです。しかし、貴方は疑問を挟んだり、その啓示からより良い全体像を作り出そうとすること無く、心を幼子のようにして、そのやって来る印象と映像に耳を傾け観察させるのです。



【解説】
 "幼子のようにならなければ"とはイエスの言葉でありましたが、その言葉は本来、本項の内容を意図していた訳です。私達にとって大切な条件は意識が私達に授ける印象に対して、素直に受け入れ、学ぶ姿勢です。
 とかく私達は感受した想念・印象を自己の都合の良いように改変しがちですが、本項はそれを戒めています。私達に必要なことは、それらの印象をそのまま受入れ、記憶して、それらが何を示唆しているか、見極めることです。またその為にも、それら印象の源泉を信じることが大切です。
 中にはその内容が判明するまで長年月要する場合もあるでしょうし、数秒の内に明らかになることも多いのですが、先ずは焦らず素直に受け入れ、記憶し、行動することが必要だと考えます。
 多くの場合、それらの印象は人生の転機にもなる重要な示唆を含んでいることも多く、それらの印象を人生を拓くヒントとすることが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落376

376 Do not try to see too much at one time. Use the same method as with the instrument by extending your mind into consciousness little by little. Do not force it, let it be natural. For if we get into the eternal sea of life there is plenty of time. It is much better to have a slow growth than to try and grow fast and miss something that could cause confusion later. Let patience be your foundation and the extension of our mind into consciousness gradual.
376 一度に多くを見ようとしないで下さい。貴方の心を意識の中に広げるに当っては装置を用いる時と同様な方法で少しずつ用いなさい。それを強制してはならず、自然のままにしておきなさい。もし私達が生命の永遠なる海に入るなら、そこには豊富な時間があるからです。努力して急いで成長しようとして後になって混乱を生じるような何かを見落とすよりは、ゆっくりした成長を遂げた方がはるかに良いのです。忍耐を貴方の基礎とし、私達の心を意識の中に拡張させることをゆるやかなものとすることです。



【解説】
 大切な点は私達自身が"意識"を理解し、少しずつ進化することです。ひとたび私達が結果の世界を生み出す"意識"の存在に目覚めることが出来れば、後は時間をかけてゆっくり理解しながら進めば良い訳です。時間は十二分に存在するからです。
 そういう意味では、その入口に到達することが最も重要です。その為に多くの指導者が地球を訪れ人々をその門まで導いて来たということでしょう。その門をくぐれば後は各自で進めば良いというものです。
 "重要なのは目に見えない"とは"星の王子さま"のキツネの台詞でしたが、私達はこの意識の存在を自覚出来るようになることが、その門をくぐる最低限の資格ということになるものと思われます。この世の中にとっては、それは狭き門ですが、その門をくぐった後は豊かな人生が広がっていることは確かです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落375

375 Let us now do with our sense mind what we did with the instrument thus allowing it to see that which has heretofore been invisible, replacing the instrument with consciousness. And as we believed that which we saw through the telescope let us do the same just as firmly with consciousness.
375 私達がこれまで見えなかったものがその装置を用いて感覚心が見えるようにしたように、今度は感覚心に対してその装置を意識に置き換えましょう。そして私達が望遠鏡を通して見たものを信じたように、意識によって見たものについてしっかり同じように信じることです。



【解説】
 現在の私達にとって本項で言う意識を用いた遠隔透視の達成は未だ難しいのではないでしょうか。しかし、基本的な姿勢については各自自分自身で明確にして置く必要があります。
 重要な点は私達自身が本来、それを実行出来る能力が備わっていることを確信することかと考えます。現時点では達成出来なくても、それら潜在的能力を発揮して行ける日もやがてはやって来るという訳です。
 その為には先ず私達がそれを実現させたいと願い、自らの関心をその実現に向けて置く必要があるということです。たとえ小さなアンテナでも絶えず求める方向に向けて信号の受信を待ち構えていれば、遂には求める印象を感受出来る筈です。また、その時の心境を記憶する中で少しずつ進歩するというものでしょう。
 とりわけ他者の抱える問題の解決を人知れず願い、意識からの支援を求めることも有効ですし、その結果として得られた結果(遠隔ヒーリング)は、大いなる人助けにも結びつくものとなります。普段から道を求めていれば、必ずお助けくださるというのが天の摂理だと考えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落374

374 But there will never be an instrument made that will reveal all of the Cosmos to man. Consciousness coupled with man's mind is the only way that man will learn about the cosmic whole. For now the instruments that have been used should cause the mind to have confidence, faith and trust in conscious guidance. The mind should have learned through past observations and experiences that that which at one time seemed nonexistent became a reality. For anything that is revealed by conscious impressions is in existence some where. So now the mind should be willing to be guided by consciousness instead of itself as in the past. And accept the things given by Cosmic Consciousness as a reality. For this is the only way that the sense mind can find its other half and become a part of the whole of the Cosmos. Jesus said, blessed are those who do not see yet believe. For the physical eyes cannot see the distances of the Cosmos, but the conscious eyes can.
374 しかし、大宇宙の全てを人間に明らかにする装置は作られることはないでしょう。人間の心と対になった意識だけが唯一、人間が宇宙全体を学ぶ方法なのです。今やこれまで用いられて来た諸装置は心に自信や意識の導きに対する信仰や信頼を持たせている筈です。心は過去の観察や体験を通じて一時期存在しないように見えたものが、現実のものとなることを学んで来た筈です。何故なら意識の印象によって明かされるものは何処かに存在するからです。ですから、今や心はこれまでの自分自信による代わりに意識に喜んで導かれるべきなのです。そして宇宙意識から与えられた物事を現実のものとして受け入れることです。何故ならこれが感覚心がもう一つの自分を見つけ、宇宙全体の一部になる唯一の方法だからです。イエスは言いました、見ないで信じる者は幸いであると。肉体の目は大宇宙の膨大は広がりを見ることは出来ませんが、意識の目はそれが出来るからです。



【解説】
 本講座では繰り返し「意識」の持つ大きな役割について説かれています。やはりこの「意識」を各自がどのように捉え、日常的に接しているかがポイントと言えるのだと思います。
 ここで強調したいのは、「意識・意識」と"言葉"で叫んだとしても、各自が何らかの具体的なイメージを掴んでいなければ、単なるお題目に終わってしまいます。私達はここで改めて自分が理解している「意識」について、各自整理して置く必要があるということでしょう。
 現時点で私にとって「意識」とは、何か自分が(精神的に)移動出来る空間的拡がりであり、自分の関心が向かうところに自由に移動出来る自在な状態のように感じています。実はその心境は遥か宇宙の創造主にも繋がっているものであり、自分の抱く想念も瞬時に創造主に感知されるという、直結的な媒体のように思っています。
 即ち、私達の想いはその想念が湧き上がった瞬間にすぐに実現に向けて何処かで準備が始まってしまうことになるのです。
 「意識」はこのような心境とも言える訳で、それ故、私達は自身の抱く想念を絶えず浄化すると同時に、良質な想念・印象を感受出来るよう自らを整える必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落373

373 This shows that consciousness does not misguide the human mind if it is allowed to guide it, and impressions are received and accepted without modification to suit itself. For this is the only way that consciousness can prove to the mind that its impressions are correct.
373 このことは意識はそれが人間の心を導くことを是認され、印象が人間の心に合うように修正されずに受信され、受け入れられるならば、人間の心を誤った道に導くことがないことを示しています。何故なら、これは意識が心にその印象が正しいことを証明する唯一の道だからです。



【解説】
 私達が意識と接すべき姿勢を本項は良く表現しているように思います。
 私達が印象に従う時、その印象がどのような結果を導いたかによって、私達ははじめてその印象が適切なもの、意識が示唆したものであることを知る訳です。しかしその印象の感受から私達が結果に巡り合うまでの時間は様々です。すぐに結果が現れる場合もあれば、長い年月を要する場合もあるように思います。
 しかし、私達はそれらの結果とその原動力となった印象とを関連させて学ぶ必要があります。つまり、良質な印象は良質な結果をもたらすことを肝に銘じなければなりません。誤った印象は直ちに排除しなければなりません。
 基本的姿勢として保持すべきことは、宇宙意識は私達に絶えず向上に向けた支援の印象を送り続けており、私達はあまりにも自分自身への関心に集中していて、これらの印象に気付かず、過ごしているということです。現状の物質界はこれまでの私達の心像の反映であり、一方でこれら意識的印象は未来を形作るものであるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落372

372 Could this have all taken place had it not have been for the consciousness of man as his senses were concerned only with themselves? But this consciousness, the invisible part of man, urges the factual man to explore more and more into the cause of form life. As the factual or sense man had disassociated himself from his Cause counterpart the instruments were necessary to bring the invisible back into focus that he might realize that he is only a speck in the Cosmos, but an important one. That his duty is to know about that which is in the Cosmos. And since the consciousness urged the mind to venture into space with instruments man continues to got more and more knowledge about space which has never been known before in this civilization.
372 自分の感覚が自分自身のみに向けられている等、もし人間の意識が作用していなかったとしたら、これらはすべて起っていたでしょうか?ところがこの意識という存在、人間の内の目に見えない部分が現実主義者を形有る生命の因の中、奥深くに探検せよと促しているのです。現実主義者、あるいは感覚人は自分自身を自らの因の相手役から切り離してしまった為、自分が大宇宙の中のしみでしか無く、しかし重要な一つであることを理解するよう目に見えない背景を鮮明にする為に装置が必要になったのです。人間の義務は大宇宙の中に何があるかを知ることです。また意識は装置を携えて心に宇宙を冒険しに出ていくよう促した為、人は宇宙についてより多くの知識を得続けていますが、このことはこの文明以前には無かったことです。



【解説】
 宇宙を知ること、自然を学ぶことは私達の存在を賭けた重要事項であり、任務です。それは私達が因なる世界、即ち目に見えない創造の仕組みや創造物の活動の世界を学ぶことです。
 自身の身体を含め授けられた贈り物の価値を知ることが受け取り側の勤めであるからに他なりません。その価値を学べば学ぶ程、私達が如何に恵まれた環境にあるかが分かるというものです。
 本来はそのような道具を持たなくても、それら創造物の価値は分からなければならないのですが、目に見えるものしか信じない感覚人には、道具が必要になる訳です。私も初めて天体望遠鏡で土星の輪を見た時は感動したものです。今日では更に高性能の望遠鏡にも容易に接することが出来るようになっているようです。宇宙をよりよく知り、物質や生物の活動をより深く学ぶ為にも、様々なスタイルの観察が望まれています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落371

371 And what would be the extension of our mind? A desire for knowledge must be the foundation. I will use a mechanical device as an example. In the early days of astronomy a small optical instrument was constructed to look into space towards the stars. It was a sort of extension of sight through a mechanical device to see and learn more about what was seen as a light. And to try and tell if it was solid, and if so what was on it. As the Moon was the closest large object, it was the first to be observed and mountains and craters were seen on it. The physical sight could not see these, so we could say that this was a mechanical eye which helped to extend knowledge, all because there was a desire to know. For something within man has always told him that there was more to life than this earth. As time passed. progress has been made in an extended view through the instruments. And today the 200 inch telescope on Palomar Mountain is bringing knowledge to man of bodies previously unknown, existing in invisible space. And this is just a beginning for electronic instruments will reveal much more. This is also true through a microscope.
371 そして私達の心の拡張とはどのようなことでしょう? 知識に対する願望がその基礎であるに違いありません。一例として機械装置を取り上げようと思います。天文学の初期の頃は、小さな光学装置が星々に向けて宇宙を覗き込む為に組立てられました。それは光体として見られたものについてより大きく見て学ぶ為の機械装置を通じてのある種の視覚の拡張であったのです。また、それが固体であるかどうか、またそうであればその上に何があるのかについて調べて知らせる為でありました。月は最も近い天体であった為、最初に観測され、月面に山脈やクレーターが観測されました。肉体の視覚はこれらを見ることは出来ませんので、私達はこれを知識を広げるのに役立つ機械的な目と表現することが出来ますし、これら全ては知りたいとする願望があったから出来たことなのです。何故なら人間の内部の何かが常にこの地球以外に生命について更に何かがあると語りかけて来たからです。時が経つにつれ、装置により視界を拡張する為の進歩が為されました。そして今日では、パロマー山の200インチ天体望遠鏡は目に見えない宇宙空間に存在する以前に知られていなかった天体を人類にもたらしています。これは単なる始まりでしかありません。電子装置は更に多くのものをもたらすことになるからです。これはまた、顕微鏡についても同様に真実です。



【解説】
 私達に新鮮な気持ちをもたらすのは新しい発見であり、新しい知識です。本項は天体望遠鏡によって如何に私達が宇宙を学び、知見を拡げたか計り知れません。当初、ガリレオが用いた天体望遠鏡は簡素なものでしたが、遂には200インチのパロマー天文台までのものが出来たと著者は説いています。
 一度望遠鏡の原理を理解出来れば、その原理は広範囲に応用され、人類全体に広めることが出来、その恩恵を後世に繋げるものにもなる訳です。
 これら天体望遠鏡の助けを借りれば、私達が見上げる空には宇宙が広がっており、無数の星が存在し、無数の生命が私達と同じ法則の下、存在していることを自覚できる等、科学技術の進歩は同時に私達の視野を拡大させる大きな役割を果たしています。
 もちろん、これらの新しい知識の恩恵にあずかる為には、日頃から新しい発見や知識に関心を持ち、古い習慣を常に見直す必要があります。これら日々伝えられる発見や新しい製品に関心を抱くことは、私達を常に新鮮な気分に保つ大きな効果があると考えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落370

370 Before we proceed with the lesson promised I want everyone to recall that the so-called material world is an effect of the so-called spiritual or invisible side of life. Like an idea that is invisible to those around you until you explain it in words or create the idea into a form for them to see. So it is with all that we know - the invisible supporter of that which is visible. Just recently scientists have learned the process of how to draw upon invisible space for certain materials, as today there are more elements known than there were a few years back. And there are now several precious metals that are too costly to produce on a large scale at this time. But the substance for them was taken out of space, which is invisible. This is a proof that out of the invisible comes the visible and back to invisible. And over and over the process goes on. This should give us support for our next step in viewing and traveling in the Cosmos without the mystical application. But with an extension of our sense mind into the conscious sea of life.
370 お約束した教科に進む前に、私は皆さんにいわゆる物質世界は生命の内、いわゆる精神的ないし目に見えない側の結果の一つであることを思い出して欲しいのです。それは貴方がそれを言葉で説明したり、見える形に造り上げない限り、貴方の回りの人々にとって貴方のアイデアが見えないのと同様です。それは私達が知っている全てについても同様です。目に見えるものに対する目に見えない支持者の存在です。丁度最近、科学者達はある物質について目に見えない空間から引き寄せる手法を学び取りました。数年前より、多くの元素が発見されているからです。そして今や、現時点では大きな規模では造り出すのにあまりにも費用がかかる数種の貴重金属が存在します。しかし、それらの物質は目に見えない宇宙から取り出されました。これは目に見えない所から目に見えるものが出現し、再び目に見えない世界に帰って行く証でもあります。そして何度も何度もその過程は継続します。このことは私達に、次の段階として神秘的な応用によらず宇宙を眺め、旅する際に支援を与えて呉れるものです。しかし、それは私達の感覚心を生命の意識の海にまで広げることが前提です。



【解説】
 ここで著者が説いている内容全てを理解することは出来ませんが、ポイントとしては物質全ては不可視は世界から生み出されるということです。
 私達や私達の惑星全てを含めて私達は宇宙空間から生み出されたものであるという視点です。そしてその万物創造の原理は私達の最先端の科学分野である物質の究明、原子物理学の分野においても同様であり、私達地球の科学者もそれらを応用しているのだということでしょう。おそらくサイクロトロン等に呼ばれる装置を用いて新元素を合成したという事例を著者は示唆しているものと思われます。
 私達が自分自身をも含め、生命を探求する上でこの無から有が出現されるという視点、言い換えれば想念や印象が強く作用する不可視な空間における活動が、やがて目に見える段階に反映される仕組みが宇宙に流れていることを自覚することが大切です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第10課-段落369

369 There are very few people in the world that are individualists. And those who are oftimes have a hard time because they do not go along with society and are considered non-conformists. History shows that all great souls in this world were non-conformists for they were individual and endowed with the deeper meaning of life.
369 世の中には自立主義者は極めて少数しか居りません。そして彼らは社会とうまくやっていない為にしばしば困難に直面し、非同調者と見なされて来ました。歴史はこの世の中の全ての偉大な魂は非同調者でした。彼らは独立した個人であり、彼らには生命のより深い意味が授けられていたからです。



【解説】
 以前に故ウェイン・ダイヤー氏が米国マサチューセッツ州コンコードで講演した時のCDを聴いたことがあります。その地はアメリカ独立戦争の口火を切った所として知られており、アメリカ建国の時の人々の精神的支えであったソローやエマソンが暮らした地としても有名です。その特質は正義に反する事柄はたとえ法であっても従わないとする不服従の精神が貫かれているところです。
 即ち、本項で説かれているように、周囲に妥協して争いを起こさない生き方ではなく、長年アダムスキー氏が主張して来たように、真実に従った生き方を貫くように私達に問い掛けているのです。
 真実に生きることは実は容易ではなく、惰性に流されることの方がはるかに容易なのですが、進歩を目指す私達はたとえ他人から馬鹿にされても、自ら選んだ生き方を貫くことが求められるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落368

368 The effect mind which is the personality, usually follows the law of least resistance and allows itself to be molded into the environment of the word's society. This is why man feels strange to man, even though he is molded into the same type of society. And it is because the ego or sense mind is a stranger to the Cosmic Principle and itself caused through the divisions between individual identity and the ego. The individual acknowledges everything in unison whether visible or invisible to the sense mind, while the sense mind acknowledges only that which it calls concrete form. Yet when questioned the mind admits that there is something behind the concrete manifestations. But it does not like to go on record that there is for fear of what a neighbor or society might think of him. This shows that the individual's identity tried to alert the mind but the mind fears not to go along with society's pattern.
368 結果である心は人格でもありますが、いつも最小の抵抗の法則に従い、自身を世の中の環境の中に鋳込まれることをやむなしとしています。これが人が自分が同じタイプの社会に鋳込まれているにも関わらず、他人に対してよそ者の感じを受ける理由です。そしてそれが、エゴ、即ち感覚心が宇宙原理に対してよそ者であり、それ自身個人の正体とエゴの間の分裂によってもたらされているからです。個人の正体は感覚心に見えているか見えていないかに関わらず全てを調和していることを認知しますが、感覚心は具体的な形を必要とするもののみを認知します。しかも尋ねられると、心は有形の創造の現れの背後に何かがあることを認めます。しかし、心は存在する記録には進んで行きたがりません。何故なら隣人或いは社会が彼をどのように考えるかを心配するからです。これは個人の正体は心に注意を喚起しようとしますが、心は社会のパターンに沿って進まないことを恐れていることを示しています。



【解説】
 本項で述べられている"mold(鋳込み)"は、私達の自我の実態を良く表しています。即ち本文では私達は私達が置かれている環境の中、社会の中にあらかじめ造り込まれた「型」の中に溶けた鉄が流し込まれて人格(個性)が形成されているというのです。
 この場合、重要なのはその型は自身の意図によって作られるのではなく、社会や環境が造り上げているという点です。つまりは社会を動かす支配層のコントロールの下、また社会風潮の影響を受けた個性が次々に生まれて来る事態を示唆するものでもあります。
 これらの傾向に対して私達は、もっと自分自身を探求し、このような既成の鋳型製品ではなく、自分自身で自分を造り上げる芸術家の作品造りを自分に課す必要があると言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落367

367 You as an individual are a unit of many experiences, even in this life. As an individual you have gone through billions of chemical changes with each absorbing the previous one. So the cosmic identity of you, the individual, has been constant with no divisions. Each succeeding stage of your life was the embodiment of previous stages from the time of your birth to the present day. Every pulse of your being from the day of your conception on into a form have been recorded in the Cosmic Records. No pulse or act was left out. Your form may have a record of from 20 to 90 years in your present earthly life, but in eternity it is less than a thousandth part of a second. Yet you figure the seconds in the earthly time of age and every second some form of newness has taken place. And every second absorbing the previous second by the individual that brought you to this stage of life. But the sense mind docs not figure this way. But when it does become one with the consciousness it will be able to review all of the changes that have taken place during its years of life. Yet not for one moment did the individual lose his identity. But the sense mind or personality has been lost many times through its lack of awareness of what it is. The personality changes many times during a life time even to the degree that pictures taken at different ages show very little resemblance to the way one looks now. While the individual consciousness remains the same.
367 一個人としての貴方は、この生涯にあっても多くの経験からなる一単位です。一個人としては貴方は各々がそれ以前のものを吸収し、何十億回もの化学変化を遂げています。ですから、貴方の宇宙的正体には分断はありません。貴方の生涯の各々の継続するステージは貴方の誕生から今日に至るまで以前のステージの具体化であったのです。貴方が形有るものとなった受胎の日から一つ一つの鼓動は全て宇宙の記録の中に記載されています。いかなる鼓動或いは行為も漏れることはありません。貴方の形は現在の地球上の生涯の中で20から90年の記録を持っているでしょうが、永遠の中にあっては1秒の1000分の1よりも短いものです。それでも貴方は地球上の時間である秒数を数えており、その秒毎に何らかの新しいことが起っています。また秒毎にそれ以前の秒間がその個人により吸収され、貴方を今日のステージにもたらすのです。しかし、感覚心はこのようには描きません。それでも感覚心が意識と一つになる時、それは生涯の間に起ったすべての変化を読み返すことが出来るようになります。それでも一瞬たりとも個人が自分の正体を見失うことはありません。自分が何であるかの知覚が不足している為に、感覚心、或いは人格(訳注:パーソナリティ)は何度も失われるのです。異なる年代で撮られた写真が、今見るのと少しも似ていないように見えるほど、生涯の間には何度となく変化します。一方、個人の意識は同じまま留まります。



【解説】
 私達自身、毎秒発する想念や行動によって時々刻々変化しています。そしてこれらすべての体験は宇宙に記憶され、また私達自身を造り上げているという訳です。
 人の一生の間で蓄えられた体験はその人を造り上げる訳で、人は生涯を通じて変容を遂げることになります。自分の古い写真を見て、つくづく余裕の無い未熟さを感じますが、それも自分がこれまで歩んで来た中で得たものが外観の変化として現れているということでしょう。
 さらに重要なのは、これらは宇宙の上からは僅か1秒の何分の1かの時間に過ぎないことであり、私達はまさに宇宙の時計からすれば一瞬の中に生きているということです。もし私達が宇宙と融合出来ればこれら時間の制約は無くなり、文字通り永遠の生命を生き抜くことが出来ると著者は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落366

366 As you have already learned in previous lessons, there is a constant chemical change going on, and the identity of one stage is absorbed by the identity of the next stage. So if one is to retain his individual identity through eternity he must lend himself constantly to the changes that are taking place. For personal ego has no place in the cosmic plan but individual identity has. For the individuals make up the cosmos. And by the personal ego allowing itself to be absorbed by the individual, which is sometimes referred to as saving oneself and earning eternal life, it becomes like the drop of water that allowed itself to be absorbed by the ocean of water. It becomes the ocean of water yet it retains its individual identity through its molecular structure. Referring again to the jigsaw puzzle, the piece that could be called personal has now been placed among others that eventually will make the picture. Thereby it loses its personal feeling of separation and takes on the feeling of the whole picture yet an individual part of it.
366 以前の教課で既に学んで来たように、絶えまない化学変化が起っており、一つの段階の正体は次の段階の正体に吸収されて行きます。ですからもし自分の個としての正体を永遠の中で保持したいとするなら、自らを生じている諸変化に委ねなければなりません。何故なら各自のエゴは宇宙の計画の中に占める場所は無く、各自の正体だけが場所を有しています。個々が宇宙を造り上げているからです。そして個人のエゴ自身をその個体に吸収させることを許すこと、時に自分を助けだして永遠の命を得ると呼ばれることを行うことで、自身を大洋に吸収させることを許した一滴の水のようになります。それは大洋になりますが、引き続きその分子構造からその個人の正体を保持しています。再びジグソーパズルを引用すれば、個人と呼ばれる一片は今や最終的に絵画を作り上げる他のものの中に配置されています。こうして個人の疎外感を失う代わりに個人はその一部を保持したまま全体の絵画の感じを抱くようになります。



【解説】
 本項の説くところの"stage 段階"とは、死のことを示唆しているように思われます。これまでの私達は死に際して従来の自分(エゴ、自我)がそこで消滅するとして来ました。本項を良く読むと実は実質上そのようになっていることが分かりますが、私達が目指すべきはその先に自分のIdentity(正体)をつなげて行くことです。
 私達が克服すべきエゴの状態は著者が別のところで述べていたように泥団子に過ぎません。自己の一滴の水分の力を借りて物質を集め、独自性、独立性を誇ったところで、日差しの前にそれらの泥団子は長続きせず、再び元の塵に戻って行くのです。自分が他とは違うとする自我はいち早く大海と融合しない限り、永続することは出来ない訳です。
 そういう意味でも私達は自身を宇宙の一部とするよう、日頃から努力することが大切です。宇宙と融合した生活を送ることが出来れば、死後に迎える次のstageについても自身の実体(Identity)を保つこと、記憶を保つことが出来るということでしょう。そうなれば死は次なる人生の入口となる訳で、喜ばしい門出と祝うことが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落365

365 The Great Book states, "Have no false gods before Me." For the likeness and image is pure consciousness which is identical with the Cosmic One. It is the One that created the body and the sense mind. And the sense mind must make an effort to find its parent if it is going to fulfill the purpose for which it was created, or have life eternal as the parent does. For this is the only way that man can get back to the household of the eternal state and become one with it. Then and then only will he feel unity with all life and not the separation that he does today. The feeling of distance between himself and that which is eternal will vanish.
365 聖書は「わたくしの前に偽りの神を置いてはならない」と述べています。何故なら似姿や像というものは宇宙的存在と同一の純粋な意識であるからです。それは、この肉体や感覚心を造り上げた存在なのです。ですから感覚心は創造された目的、あるいはその両親と同様に永遠の生命を得る目的を成就する為にはその両親を探そうとする努力をしなければなりません。何故なら、このことが人が永遠に続く家庭に戻り、それと一体になる為に戻れる唯一の道だからです。そうすれば時として、人は全生命との一体感を感じ、今日までの疎外感は感じなくなるでしょう。自分と永遠なるものとの間の距離感は消え去るのです。



【解説】
 私自身の問題も、またその解決策を授ける存在もそれぞれの私達自身の半身であることは、全て自分自身の問題であり、解決策であることが分かります。言い換えれば、自身のほかに何らの偽りの神は不要であり、霊能者その他は必要としないという訳です。
 このように全ての問題と全ての解決策が私達自身の内側にあることは重要です。必要なことは日常、私達自身の感覚心の動向を監視するとともに、問題の解決策をもう一方の宇宙的半身から授かるのを見逃さないよう警戒を続けることです。
 こうした基本姿勢の下に日々を送ることでインスピレーション力が高まり、不要なトラブルを避けることが出来るようになります。また、自身をより宇宙的な波動を保てるようになれば、世の中の真善美についても鑑賞眼が深まり、日々の感動も質が高いものとなる筈です。他の存在に神を設定したりすることは自らの内にあるこれら大切な二つの要素に目を向けないことになる訳で、聖書はそれを禁じているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第10課-段落364

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON TEN
Conscious Traveling
By GEORGE  ADAMSKI
364 In lesson Nine I told you that I was going to illustrate how one can travel consciously to any part of Cosmic Space and learn what is there. And yet not employ any mysticism that is so well known in this world, or give oneself over to some mystical guide that we hear of people doing in the mystic circles. No person dead or alive has a right to enslave you for his or her purpose. The only one you have a right to acknowledge and will yourself to work with is the other half of yourself which is the image and likeness of the Creator or God.
生命の科学-学習コース
第10課
意識による旅行
ジョージ アダムスキー著
364 第9課では私はどのようにして宇宙の如何なる部分にも意識的に旅行出来るようになれるか、そしてそこにある物を学ぶことが出来るようになるかを解説しましょうと述べました。しかし、それはこの分野で良く知られているような如何なる神秘主義も導入するものでなく、人々が神秘主義グループで行われるような心霊ガイドに自分自身を委ねることも行いません。如何なる者も、それが死者であれ生者であれ、その者の目的の為に貴方を奴隷にする権利など無いのです。只一つ、貴方は悟りを得て創造主、言い替えれば神の似姿である貴方自身のもう一つの半身を認知し、その半身とともに自分自身を精進させる権利があるのです。



【解説】
 私達がやがていわゆる意識により自由に宇宙を巡る旅をすることが出来ることについて、本課は解説して呉れるものです。
 しかし、私を含めて多くの読者にとって、本課の内容は随分と現状の理解を超えているのではないかと懸念します。全12課の4分の3を終えた段階としては、この分野についての理解が必要だということでしょう。先ずは私達の理解出来る範囲で一つ一つ学んで行くことをお勧めするものです。
 そういう意味では本項に記されている事柄の中で私達が頼りにすべきは他人や他の霊的存在その他などではなく、自分自身の半身だというところが最も重要です。私達のもう一つの宇宙的半身こそ、私達に最も近い存在であり、この肉体の存続もその半身に依存しています。いつも一緒にいるこの存在と如何に親しむか、その半身から如何に学ぶかがいつの時代にも問われることです。「同行二人」がそのキーワードです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落392

392 We have now laid a good foundation for the next lesson which will take us on an exploration of Cosmic space. And we will see how many will be ready for that journey and go along with us to face reality.
392 私達は今や、私達を宇宙空間の冒険の旅に連れ出してくれる次の課の為の十分な基礎を敷き終わりました。それで、私達はどれ程の人数の者がその旅行への準備が出来ており、真実に直面する為、私達と一緒に進めるか見ることにしましょう。


【解説】
 意識への感性が高まるにつれ、私達は次第に宇宙的な印象を受け取ることが出来るようになります。これまで私達が学んで来た自分の感覚心の性質や限界、またそれに対する広大無辺な宇宙意識の作用が具体的に目に見える形で私達がようやく認識できる段階に到達したと本項では説かれています。
 居ながらにしてそうした宇宙的情報・印象に接することが出来れば、日々の生活はかつてない程に充実したものとなる筈です。
 また同時に、未来に起こる事柄についても、少なからず啓示が来るものと思われます。いわゆる意識の世界、因の世界で進行している段階でその来るべき内容を事前に知ることも「宇宙」には含まれているものと思っています。
 私達の肉体も含め、結果の世界にあるものは全て、この意識によって支えられ、存在している訳で、意識はそれら被創造物に対して常に慈しみの気持を抱いています。
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