生命の科学 第7課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落287

287  In the next lesson we will explain this more thoroughly.
287 次の課ではこのことを更に徹底的に説明しましょう。


【解説】
 第7課では私達は心と意識について、宇宙的に永続する記憶の観点その他から学んで来ました。意識が潜在的に有する能力・機能は膨大であり、私達自身の限られた心の世界とは全く違う存在であり、心の想像すら及ばない大きさと力量を持っています。
 その意識を如何に自分で探求し、その存在を確かめるかが私達にとって一大課題であり、そうした心境に到達することが出来れば、私達の学習の先ず第一段階は達成出来たと言える筈です。
 その為には、印象・インスピレーションをより多く感受出来るよう、心を鎮めておき、その静かな水面を通過する微細なさざ波にも気付く状態を保つ必要があります。もちろん、私達は自ら求める印象分野を明確にすべきであり、進化に役立つ高次・深遠な波動を求める姿勢を絶やしてはなりません。世の中には多くの邪悪な勢力もある中で、私達は注意深く精進の道を歩むことが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落286

286 This is comparable to all form life in relationship to conscious intelligence once man lives the oneness of life. And this is the way that I felt when I was on the ship.
286 これは一度、人が生命の一体性を生きるようになれば全ての形有るものの生命と意識の知性との関係は同様になります。そしてこれが私がその宇宙船にいた時に感じた状況です。


【解説】
 私達が目指す心境は、こうした万物との一体感であると著者は自らの土星旅行の体験を振り返って、述べています。
 分子・原子のもつ膨大な記憶と融合し、それらがことごとく万物に備わっていることを実感できれば、私達は万物と理解し合え、それらと一体感を持って行動することが出来ます。その先にあるものはもはや生死の隔たりはなく、永続する生命活動があるだけです。
 私達各自が生まれて来た目的もまた、それらの心境に達し、万物をその本来の輝き、崇高な使命を発現させ、自らはそれらの一助、礎の一角となることです。自らの内側に意識を見出し、与えられるインスピレーションの表現者、実践者となることが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落285

285 When I succeeded in doing this my mind felt that a vast door has been opened to an unlimited vision. And I experienced a full comprehension of things that my mind had never heard before. It was a feeling of no limitation, and everyone, including the ship, seemed to be a part of me. The ship seemed to become a living thing and for the first time I understood how a Captain of an ocean liner feels when his ship is sinking. In many cases he sends the crew away but he stays with the ship. And should he leave the ship he keeps looking back until it is seen no more, and he feels that a part of him went down with the ship. And a part of him did go down with it which he can never forget, for its impressions were so intense. You see the ship's life was also the captains life as they had lived together so much that they became like two persons, each sharing the others feelings. One was the intelligence of the captain, the ship was the servant, and through this they became as one.
285 私がこのことに成功した時、私の心は何か巨大な扉が無限に続く視野へと開かれているように感じました。そして私はかつて私の心が聞いたことのない、ある完全な物事の理解というものを経験したのです。それは無限の感じであり、誰もが、その宇宙船も含めて私の一部のように思えました。宇宙船は生きているもののように見えましたし、はじめて私は大洋を渡る客船の船長がその船が沈む時にどのように感じるかを理解しました。多くの場合、船長はその船員を退避させますが、彼は船に留まります。また彼が船から退去するにしても、彼は見えなくなるまでその船を振り返って見ていることでしょう。そして、自分の一部が船といっしょに沈んだと感じます。そして彼の一部は実際、それと共に沈んで行き、彼はそれを忘れることは出来ません。その印象がそれほど強烈だったからです。お分かりのように、その船の生命はまたその船長の命でもありました。両者はそれほどに長い間共に暮らした為、二人の人物のようになり、互いに他が抱く印象を分かち合っていたからです。その二人とは一人は船長の知性であり、船はその召し使いでした。そしてこれを通じて二人は一体になっていたのです。


【解説】
 土星旅行記の中には、"乗員と宇宙船が一体化した"という記述があったように記憶しています。つまり、他惑星の宇宙船の中には私達の考えが及ばない高次な機能が装備され、私達に意識と宇宙船が融合していたということでしょう。また、宇宙を高速で移動する上でも、そのような状態が必要であったという訳です。
 私達が現在取り扱っている「意識」はこのようにあらゆるものと"融合"し、協調することを可能とし、対象を構成する分子・原子と印象を通じて交流することを可能とするものです。おそらくその状況になれば、万物は輝き、神々しいまでに光を放つほど、高揚し、一体化することでしょう。自も他もない世界です。
 そうした中では私達が望むことは、直ちに万物が呼応し、そのイメージを具現化するために働くことでしょう。かつての仏陀やイエスが成した奇跡はこうした作用から生まれたものと思われます。
 そこで重要な所は、この意識を万物の下に広く解放し、あらゆるものと融和・融合させて、意思(印象)を交流することです。私達が取り組んできた課題はこのように地球にも影響を与える大きな意義を持っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落284

284 At this point my feelings were mixed between mental curiosity and the cosmic purpose of the trip. So it was my duty as a mentalist to control myself and know that I meant nothing but what I was about to learn meant everything. In other words I had to lend myself to my better self which was the conscious teacher, knowing that my personal toys would be there when I needed them.
284 この時点で私の印象は心の好奇心とその旅行の宇宙的目的との間に融合されました。そこでは心主義者として私の為すべきことは自分自身を制御し、私は何らの意味はなく、私がこれから学ぼうとすることが全てであることを知ることだったのです。言い換えれば、私は意識の教師であるより良い自分自身に自分を委ねなければならなかったのであり、必要になった時、私の個人的なおもちゃ(訳注:個人的な興味の対象物)は現れることを知っていたからです。


【解説】
 本項で説かれていることは私達の日常生活にも当てはまります。従来、私達はその時必要な事柄よりは、目先の珍しい対象に目が移ってしまい、本筋のテーマを逃すことが多いからです。
 まして昨今は多くの娯楽が提供されていますし、私達は意図的に仕組まれた流れの中に漂っているように思うのです。
 本件、土星旅行記については別途ご参照戴くこととして、アダムスキー氏には様々な生命の真相が伝えられたものと思われます。その高尚なテーマを吸収するためには氏の心の中を落ち着かせ、与えられる知識を吸収できるよう整える必要があった訳です。
 実は私達の日々も同様に意識を通じてもたらされるヒントを充分に感受するためには、心を含めて印象に素直に従う体制を私達の内側に整えなければなりません。禅宗の座禅も心を落ち着ける訓練でしょうし、水垢離等の荒行も肉体への刺激を通じて心を覚醒させる訓練ではないかと考えています。日常生活の動作全てにこのような要素を取り込むことが大事かと思う次第です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落283

283 When leaving California I walked into a small scout ship. It took me to a mother ship that was a different type from any I had been in before. There were many things to distract my mind from the purpose of the trip and I was interested, from the mental side of my nature, in all the strange looking instruments. But soon I realized my distraction and organized my faculties, remembering the purpose. This was not easy to do, for the mind is very selfish and wants to eat more than it can digest and by so doing it scatters itself in various directions. But my consciousness told me that on the return trip I would have time to observe all of these things and in the meantime I was to place my mind in unison with my consciousness that I might absorb the important lessons that were to be given.
283 私はカリフォルニアを離れるに際して、1機のスカウトシップに乗り込みました。それで母船まで行ったのですが、その母船はそれまで乗ったものとは異なるタイプのものでした。その旅行の目的から私の気をそらす多くの事物があり、私の心の側からすれば興味がある奇妙な形をした装置類がありました。しかし、直ぐに私は自分が気を散らしていることに気付き、旅行の目的を思い出しながら私の果たすべき機能について整理しました。これは容易なことではありませんでした。何故なら、心は大変自己中心的で消化できる以上のものを食べようとしますし、そうすることによって様々な方向に自分自身を分散させてしまうからです。しかし、私の意識は私に帰還の際にこれらすべての物事を観察する時間があることを教え、そうする内に私はこれから私に与えられる筈のその重要な教科を吸収出来る様、私の意識と調和させることとなったのです。



【解説】
 本文からこの土星旅行はアダムスキー氏にとって大変重要なレッスンの場であったことが分かります。既に多くの協力者やフォロアーから慕われていた氏にとって、更に深遠な事柄を教える為に、氏にはより深い体験とより広い実践事例を授ける必要があったということでしょう。
 ちなみに土星は仏陀の惑星と伝えられていますが、仏陀の理路整然とした教えは宇宙の法則そのものを説いたものであり、アジアを中心に多くの人々に影響を残しました。その教えの真髄は土星社会に息づき、実践されていることでしょう。
 本文から分かるように、私達はとかくものめずらしいものに関心を寄せがちであり、不思議な事象に惹かれますが、それよりはるかに大事なことがらがあることに留意しなければなりません。本項の場合は氏の為に設けられた宇宙的教育プログラムでしたが、今日の私達にとっては、自らの意識の存在に気付くこと、またこれまでの心を小さくして、その意識を尊重し、湧き来る印象を大切にすることこそが最も重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落282

282 Here I will endeavor to give a short experience that I had on my Saturn trip. And you can see how well you can place yourself in consciousness with me, and in this way you can see if the trip is as real to you as it was to me when I made it.
282 ここに私は私の土星旅行の際に得た短い体験を伝えようと努力したいと思います。そうすれば貴方は私といっしょに貴方自身を意識の中に上手く置けるかどうかが分かるでしょうし、このようにして貴方はその旅行が私がそれを実行した時、私にそうであったように貴方にとっても実際のことであるかが分かることでしょう。


【解説】
 アダムスキー氏にとって、この土星旅行は大きな意義があったものと思われます。何よりも氏の説いていた教えが実際に100%生かされている惑星の見聞であり、宇宙人側にとってその後の氏の活動を支える実践の場を見聞し、体験することであったからです。
 この土星旅行記が発表された当時、そのあまりの高速移動の為、当時の氏の協力者達からは疑問の声が上がったとされています。しかし、氏の協力者であった故エマ・マーチネリ女史から直接私が伺った話では、氏は土星旅行に髭剃り用のカミソリを持って行ったと女史に話したとのことです。実際の肉体での旅行でない限り、そのようなものを持参する必要はなく、アダムスキー氏は確かに肉体のまま土星に行ったのだと女史は私に語ってくれたものです。
 さて、詳しくは「土星旅行記」をご覧戴きたいのですが、本項ではその氏の体験を私達が自らの意識を当時のアダムスキー氏の意識・記憶と融合することで、私達も氏と同じ内容を追体験して欲しいと述べられています。意識を活用することは、それに関連した想念と再び同調することも可能であることを示唆しています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落281

281Remember it was not the mind that created itself, cosmic consciousness was its creator and what it created it can correct and have it function perfectly when the sense mind blends with it. Even old age can be wiped away for that is a concept of the sense mind. We could say that as age came by man, so must youth come by man. The Bible states that as death came by man so, must life come by man, the sense mind. And this can be done when he becomes one with cosmic consciousness for it knows no age, nor time or place. It is always in the prime state of life and all inclusive.
281 覚えておいて欲しいのは自分自身を創ったのは心ではなく、宇宙意識がその創造主だということ、そして創造し生み出したものは正すことが出来、感覚心がそれ(訳注:宇宙意識)と混ざり合う時にはそれ(訳注:自分自身)を完全に機能させることが出来ることです。老化でさえ吹き飛ばすことが出来ます。何故ならそれは感覚心の一つの概念だからです。私達は老齢が人によってもたらされた以上は、若さも人間によってもたらされる筈だと言えるでしょう。聖書は人によって死がもたらされたからには、命も人即ち感覚心によってもたらされる筈だと述べています。そしてこのことは人が宇宙意識とひとつになる時になされ得るのです。何故なら宇宙意識は年令を知らず、時間も場所も知らないからです。それは命とすべてを含む中にあってその原始の状態にあり続けているのです。



【解説】
 ここで留意すべきポイントは、私達自身、自分の心も含めて宇宙の生命の本源によって創られたということでしょう。私達は自分で自分を作り上げたのではないのです。被創造物であることを常に頭に入れて置くべきということです。
 赤ん坊で生まれて以来、学習を続ける内にいつの間にか知識も技(わざ)も得る中で私達は全て自分が作り上げて来たと思うようになり、全てを支配下に置こうとして来ました。しかしその結果、不要な軋轢を生み、ストレスを抱える中で、多くは病や老いの中、生命の深遠な分野を学ばないまま人生を閉じようとしているのです。
 私達の内側の支配者となっている私達の心自体、自分が創造されたものであると気付くことは、そもそも創造主の期待やビジョンに基づいて創られたことを自覚することでもあります。またその目的を探究し、期待に応える中で生命本来の永続する若さ、生命力を表現する者に私達自身も変貌を遂げることが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落280

280 So one could begin to practice on the flower first, but do not be disappointed on the first tries, just be more determined to master the art. Remember the old habits will be in your way until you absorb them into better ones. Wherever you go and whatever you see or do make sure that your mind is aware of the cosmic life and intelligence that is back of all creation. And nothing is free of that life and intelligence any more than you are. For the smallest molecule in the cosmos is just as intelligent and alive as any other form and it serves its purpose. Yet your physical sight does not see the molecule, but your conscious sight can. And once you have made this a part of your life, ills that you may have had, of any nature, will vanish when you correct your mental life.
280 そこで最初は花で練習を始めても良いでしょう。しかし、最初の試みでがっかりせず、只、その技能をマスターすることをより深く決心して下さい。古い習慣は貴方がそれらをより良いものに吸収するまでは進路に居続けることを憶えておいて下さい。貴方が何処に行こうとも、貴方が何を見て、何を為そうとも、貴方の心は全ての創造物の背後にある宇宙の生命と知性に気付いていることを確認することです。そして貴方がそうでないように、如何なるものもその生命と知性から離れていないのです。何故なら宇宙の最小の分子でさえ、他のどのような形有るものと同様に知性があり生きていて、その目的に奉仕しているからです。しかしそれでも貴方の肉体の視覚はその分子を見ることはありません。しかし、貴方の意識の視覚はそれが出来ます。そして一度、貴方が貴方の生活でこの部分を達成すれば、貴方が持っていたかも知れない病気というものは、どのような性質のものであれ、貴方の精神生活を修正する時、消滅することでしょう。


【解説】
 ここでは花との会話を通じて身の回りにある万物との向き合い方が説かれています。
 基本となるのは私達の心境です。私達は肉眼で観察することも大切ですが、それ以上に対象を私達同様に生きる実体として位置づけ、そのものと親しく交流することが肝要かと思っています。実はその中で私達は相手から発せられる印象や地中深く広がった根の状況も含めて、対象の状況に気付くことが出来るということでしょう。
 その際、実際に活用されるのは意識の側の知覚力であり、肉眼ではないという訳です。その奥にあるのは、それぞれを形作る分子・原子の振動の中に想念が記録され、それと同期することで、その時の心境が再現されるのではないかと思う次第です。
 いずれにしても、そのような試行段階に達した段階では、自身の肉体はそれら分子・原子の基本的で宇宙的な振動と一体化する訳で、肉体の不具合は直ちに解消することになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落279

279 We know that animals do not talk our language, yet the one who trains them to do the things that they do must have full confidence in himself as well as the animal. The trainer knows that the animal will do what he commands and this is done through a feeling of his expression. In other words they feel each other. And what can be done by a trainer with an animal can be done by you with any form, providing you have the same feeling that the trainer has towards the animals. Once you develop this part of you, you can be sure that you are making the blend with cosmic consciousness, without limitations or divisions of any nature for you are dealing in the Cosmic Sea Of Life. Intelligently you are the master over the elements. This is your birthright for the Bible says that man was given dominion over all things including death, for then man is born into a new life. But you cannot have these things without practice, and practice means living them daily as much as you can.
279 私達は動物達が私達の言語を話さないことは知っていますが、それでも動物をすべきことをするように訓練する者はその動物にと同様に自分自身にも最大限の確信を持たねばなりません。訓練士は自分が命じる事柄をその動物が行うようになることを知っていますし、これは訓練士の表現する際の印象を通じて行われます。言い換えれば、彼らは互いに感じ合えるのです。そして動物に対する訓練士によって為され得ることは、貴方が訓練士が動物達に抱くのと同じ印象を持つならば、貴方は如何なる形在るものに対しても全く同じことができるのです。一度、貴方が貴方のこの部分を発達させれば、貴方は何らの制限や何らの仕切りも無く宇宙意識と融合し始めていることを確信できるでしょう。何故なら貴方は宇宙の生命の海の中を取扱っているからです。知性的に貴方は各元素に対する主人です。これは貴方の生まれながらの権利です。何故なら聖書は人は死をも含む全ての物事に対する支配権を与えられていると述べているからですし、そうなれば人は新しい人生に生まれることになります。しかし、貴方はこれらの事を練習無くしては得ることは出来ませんし、練習とは貴方が力の限りそれらを毎日の生活に活かすことを意味しています。


【解説】
 人間と動物との間の意思疎通は、イルカやその他の動物の調教の場面に表現されていますが、その訓練の場面では調教師は対象の動物とどのように向き合っているのかを本項は解説しています。
 また、それと同様に私達人間はその他の対象物に対しても自らの意思を印象レベルの意識と融合させることで、相手に伝え、また相手と意思疎通を果たしながら協力を得られるということです。人間にはそのような能力が与えられているということでしょう。
 もちろん、それらの能力は本来の目的に沿って発揮されるべきもので、そうする中で人間は万物の最上位に位置を占めることが出来る訳です。
 また、これらのいわば支配力(dominion)は更に高次な領域にまで広がっており、肉体の死をも超越するものであることを本文で示唆しています。日々の精進・訓練を通じて私達は本来の能力を発揮し、天賦の地位を占めることが出来ると本項は説いています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落278

278 Your acts should be, regardless of the type of form, as definite as when you are dealing with man. And no doubt should be present in your feeling or act. Feeling in the form of revelations should be definite for feeling is a conscious state of alertness.
278 その際の貴方の行動は、対象の形有るもののタイプに関わらず、貴方が他の人間に対する時と同様に明確なものである必要があります。そして如何なる疑いも貴方の印象感覚や行動に在ってはいけません。印象感覚は警戒の意識状態であるが故に啓示における印象感覚は明確なものでなければならないのです。



【解説】
 人間以外のものに対しても私達は人と接するのと同様に、相手に対して意思を示すことが必要です。また、そのものからの印象を感受する時も、自らのフィーリング(印象感覚)を全面的に信頼しなければなりません。
 本項では、私達が動植物その他のものと交流する際の心構えを示したものと言えます。丁度、イエスが信仰は山をも動かすと述べていますが、それも本項と同様、対象である山と印象を通して通じ合うことを示唆しているものと思います。
 重要な点は、この印象に鋭敏となる私達の意識状態であり、全ての解決への道はこの心境から生まれるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落277

277 Once you have accomplished this, you are not only blending your sense mind with consciousness, but also cultivating a memory. And from here you keep on expanding and include all forms of life by recognizing the cosmic consciousness in each. And you will experience the other half of life which you have not known until this time. As every act is recorded in the cosmic library you will have access to it at any time you will have need for it, the same as the Creator has. This awakened part of you has always been and always will be. The mysteries of life will be replaced by knowledge of life.
277 いったん貴方がこれを達成すれば、貴方は貴方の感覚心を意識に融合させているのみならず、記憶をも育んでいることになるのです。そしてここからは貴方は広がり続け、各々に宇宙意識を認識することによって全ての生き物をも包括するようになります。そしてこれまで知らなかったもう半分の生活を体験することでしょう。あらゆる行為が宇宙の図書館に記録されており、貴方は創造主がなさるのと同様に、必要な時に何時でもそれを利用することができることでしょう。貴方のこの覚醒した部分はこれまでいつも、そしてこれからも常にそうあることでしょう。生命の神秘はこうして生命の知識に置き換えられるのです。



【解説】
 私達が触れようとしている「意識」には、あらゆる想念の記憶が蓄えられているという訳です。その潜在する意義はとても大きく、私達が意識を広げるにつれて、より遠くまで私達を導くことでしょう。
 意識を知覚するということは、そこから授かる多くの知識や情報に接するということであり、私達はこれまでにない上質な人生を歩むことになります。
 この気付き(悟り)を得ようと古来より、多くの修行が行われましたが、本講座ではそのような苦行でなく、日常的で理性的な姿勢の下で自らを開拓しようとしています。
 以前、誰かが生前、アダムスキー氏の自宅には辞書1冊しかなかったと言っていたことを思い出します。氏の多くの知識はこの意識の中から導き出されたのかも知れません。大切なことを記憶することも、また氏の過去生での経験も活用されたものと思うのです。この意識との交流があれば、まさに身一つで十分、私達は暮らして行けますし、日々の体験を積み上げることで成長して行けるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落276

276 We have used the flower for everyone loves beautiful flowers. And if the love for it is equal to the love that one has for himself and he acknowledges its intelligence as firmly as he would of another person, with the same feeling, the flower will respond. And this can be observed if it is asked to turn its face from one side to the other. For it will follow your instructions as it follows the Sun. But you must remember at all times that you are consciously talking to an intelligent form.
276 私達は花を誰もが美しい花を愛することから用いて来ました。そしてもし、花に対する愛情が自分自身への愛情と等しければ、そして花の知性を他の人物に抱く感じと同じくらい確信し認めるなら、その花は応答することでしょう。そしてこのことは、片側からもう一方へ花の向きを変えるように求められれば、そのように観察されるでしょう。その花はそれが太陽に従うように貴方の指図に従うようになるからです。しかし、常に憶えておかなければならないのは、貴方は意識を用いて知性ある形に話し掛けているということです。


【解説】
 植物が私達の発する想念に反応することは、植物にウソ発見器を取り付けたバクスターの実験その他でも証明されていますし、ルーサー・バーバンクのトゲ無しサボテンその他の育種結果によっても知られているところです。
 本項では更に深く植物に私達と同等の知性を私達自身が認識出来れば、植物とも交流が出来ると説いています。つまり、私達の半身である意識を通じてあらゆるものの意識と融合し、互いに意思を通わせることが出来るという訳です。
 草花に毎日水をやり、肥料(栄養)を与えることでも植物は育ちますが、遠く離れていても意識を通わせることで、その植物は元気を取り戻すことが出来るのです。愛情が必要なのは人間ばかりではないということです。
 「星の王子様」にあるように、周囲のあらゆるものに対して、その存在の中に自分と同等の知性を知覚し、それらと交流すること以上に素晴らしいことはありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落275

275 Do not become too absorbed with labels as they may confuse you. Do not expect the same kind of reaction as you have been accustomed to from the mental side. For when you become aware of the life of a flower you will also be aware of the intelligence that produced the effect. The flower will not speak to you in sounds you are accustomed to but it will react to you as intelligence speaking to intelligence. And all forms can be addressed in the same manner, for you will not be recognizing the form alone, but the intelligence manifesting through the form.
275 レッテルにはあまり没頭しないようにして下さい。それらは貴方を混乱させるかも知れないからです。また、感覚心からの反応に馴れて来たのと同じ種類の反応を期待してはいけません。何故なら貴方が一つの花の生命に気付く時、貴方はまた、その結果(訳注:花)を造り出した知性について気付くようになるからです。その花は貴方に貴方が馴れ親しんだ音で話し掛けることはないでしょうが、知性が知性に話し掛けるように貴方に反応することでしょう。そしてすべての形有るものはこれと同様なやり方で呼び掛けることができます。何故なら貴方は形のみを認識しているのではなく、その形を通して具現している知性を認識しているからです。


【解説】
 私達が外界を見る時、多くはこれまでの分類に従い、生物と無生物、植物と動物、更には各種属へと細かい分類名として認識しますが、本項で著者はこれからはこれら既存のレッテルにあまり左右されないようにと注意しています。
 元来、宇宙的生命活動の上からはいわゆる生物も無生物も、植物も動物も大きな差違はありません。分子・原子のレベルでは共に想念・印象を記憶し発信する実体なのです。
 そういう意味から私達はそれらを見る際、努めて印象でのやり取りを進める必要があります。植物の成長を願って水をやり、土を耕して実りを夢見ることはそのまま彼らに伝わりますし、彼ら植物もそれに印象で応えるに違いありません。
 重要な点は自然界のあらゆる存在は私達と同等であり、同胞であるという意識です。また、こうした交流を通じて私達はこれまで以上に植物や動物達、またいわゆる無生物と称されて来たもの達から、印象を通じて多くを学ぶことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落274

274 And how is this done? It is no different than memorizing things while in school or elsewhere, and is done with repetition until you are sure that it is well impressed upon the sense mind. When this is done you will never forget. But this should be done in the Cosmic Allness, and can be done by seeing with Cosmic Sight or God's eyes.
274 そしてこれはどのようにして成されるのでしょうか?それは物事を学校かその他で覚えるのと何ら変わるものではなく、貴方が感覚心に十分印象づけたと確信するまで繰り返すことで果たされます。これが実行された後、貴方は決して忘れることはないでしょう。しかし、これは宇宙的調和の中で成されるべきであり、宇宙の目、神の目で見ることによって成され得るのです。



【解説】
 私達が如何にしたら、自分の半身である意識を自覚し、宇宙的記憶を蓄えることが出来るか、本項で著者は私達に、それは学校での学習と同様、繰り返し学ぶことで自分の心にしっかり記憶させることだと説いています。
 私達は学校で言葉や単語を学ぶことから始まり、やがては高次な事柄も学んで行きますが、小学生がいきなり高校や大学の授業を受けるのは無理であるように、私達は少しずつ自分のレベルに応じて自分の道を進まなければなりません。
 そこで初心者に必要なことは、先ずは自分の現在の学習段階を自覚して必要な次のステップに進むということでしょう。つまり先月、昨日に比較して、どう成長したかを自分で考え、成果が認められれば、自分の歩む道が正しいことが分かる筈です。その際、重要なのは、私達各自は独りでなく、常に自身にはもう一つの半身・意識があり、その支援を喜んで受けながら、今までの肉体の目でなく、宇宙的な目で世界を観るということでしょう。チベットやネパールの寺院には目のシンボルが描かれていると聞きますが、私達は肉体の目でなく、宇宙的な目で物事を理解することが肝要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落273

273 You may say here, but I am conscious. That is partially true for if you were not you would not be alive. But are you conscious of cosmic consciousness as the Creator whom we call God is ? For this conscious intelligence is aware not only of the cosmos but all the created effects. In other words its records consist of cause and effects. And if we are to fulfill the purpose of our creation we must cultivate the other half of our life which is cosmic consciousness. For this in turn brings life eternal with all of its records.
273 貴方は自分には意識があると言うかも知れません。それは部分的には真実です。何故なら意識が無ければ生きてはいないからです。しかし、私達が神と呼ぶ創造主が意識している程に宇宙意識を意識していますか?何故ならこの意識の知性は宇宙のみならず全ての創造された結果物を知覚しているからです。別の言葉で言えば、その諸記録は因と結果物を含んでいるのです。そしてもし私達が創造された目的を満たそうとするなら、宇宙意識である私達のもう一方の半身を育まねばなりません。こうすることがひいてはそのすべての記録を携えた永遠の生命をもたらすことになるのです。



【解説】
 もちろん、本講座で言う「意識」は、私達が救急救命の現場で有無を問う場合の「意識」を含んでいます。そう言う意味では私達は意識を有しているのですが、その把握する範囲は極限られたものに留まっているのです。
 意識は本項で述べられているようにはるかに広範囲に広がっており、原因や結果を記録しているのです。この膨大な記録と知性とのつながりが「意識」と表現されていると言うことでしょう。私達は各自、先ずは自らの半身である「意識」の存在に気付く必要がある訳です。
 しかし、それを実行に移し、成果を挙げるのは本人でしか出来ないことです。他人が代わってそれを行うことは出来ません。唯一支援出来るとすれば、各自これまでの体験から学び取った事柄を共有することで、他者が得た経験を教材とすることでしょう。本シリーズもそのような観点から続けています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落272

272 Some may feel I use the word consciousness too often, yet it is this consciousness that is the real you. It is also back of all creation - the primal force - the most important part in a mental life. For the sense mind must remember its experiences if life is to continue, as consciousness is the recorder of all actions in life. If the sense mind does not associate itself with the consciousness its memory is short for it is not eternal. But as we have said before, it can become eternal by blending with consciousness.
272 中には私が意識という言葉をあまりに多く用いていると感じている人もあるかも知れませんが、真実の貴方はこの意識なのです。それはまた全ての創造の背後にあるもの、原動力であり、精神生活において最も重要な部分です。何故なら、感覚心は生命を継続するつもりならその体験を記憶して置かねばなりませんが、意識は生命の全ての行動の記録者なのです。もし、感覚心が意識と仲良くならなければ、その記憶は永続しない為、短いものとなるでしょう。しかし、私達がこれまで申し上げたように、心は意識と混じりあうことで永遠のものになり得るのです。



【解説】
 自分の半身である意識について、著者はその重要性を繰り返し述べていますが、それほどに私達が重視しなければならないのがこの意識なる存在です。しかし、私達は長年この意識について教わっておらず、もう一方の半身である心の支配を受けて来たという訳です。
 イエスが”父とともにある”という言葉を残し、弘法大師が”同行二人”という表現を伝えていますが、いずれもこの意識について覚醒した導師ならではの言葉と言えるでしょう。
 この意識の中に全ての記憶が蓄えられ、想念が記録される訳ですから、この意識から助言を受ける中で、意識との信頼関係を構築出来るものと思われます。私達の半身である意識は実は自身の肉体の範囲に制限されるものでなく、宇宙にも広がっている存在であり、空間という制限を越えている存在だと考えられます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落271

271 The sense of sight is reflecting the effects, but not the life of the effects. It is like the window or mirror. But to have a reflection there must be a cause. So in a way we are half dead, or living only half a life. And Jesus said, let the dead bury the dead. Meaning that the pallbearers bearing the corpse are as dead the corpse. The form within the coffin lies unconscious of life and the ones carrying it are equally unconscious of life in full, or cosmic life. For the corpse lived a mental life as the ones who bear it do and once the consciousness withdraws, the mental is silenced. For it never knew itself as the real part which is the consciousness.
271 視覚は結果物を反映していますが、その結果物の持つ生命は反映していません。それは窓や鏡のようなものです。しかし、映像を得るには因がなくてはなりません。ですからある意味、私達は半分死んでいる、或いは生命の内、半分しか生きていないと言えます。また、イエスはこう言いました。死者をして死者を葬らせよと。死体を担いでいる者も死体と同様に死んでいるという意味です。棺の中の肉体は生命の意識は無くなり横たわっていますし、それを運んでいる者達も等しく満ちた生命、宇宙の生命について意識していません。何故なら、その死体はそれを担ぐ者達同様に心による生活を送って来ましたので、ひとたびその意識が退くと、その心は沈黙させられます。何故なら、心は意識である真実の部分に関する自分自身について知らないで来てしまったからです。



【解説】
 「死者をして死者を葬らせよ」というイエスの言葉の意味は、死者を埋葬する者も、実際は死者と同様に自分の半身に気付いておらず、半ば死んだようなものだということです。即ち、現在生きている者も自分の半身に気付かなければ、肉体の死とともに消滅することを示唆しています。
 私達は常に結果のみに着目し、すがっていますが、大切なのは物質・物体ではありません。それを生み出した知性・生命力とそれに呼応して活動する生命の息吹なのです。確かに私達の肉体も例外なく、日々の消耗の中で衰えて行きますが、その内側にある精神麺は若さを保つことが出来ます。移り行く物質世界の中ですが、常に変わることなく降り注いでいる生命力にこそ私達は同化・同調すべきです。
 私達がやがては死すことは明らかなのですが、その際に少しでも真実・真理を理解し、再び再生出来る心であるよう、毎日を探究する人生でありたいものです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落270

270 Jesus made the statement, ye have eyes yet see not, and also, the blind lead the blind. Yes, we do have eyes, as your home has windows. And the windows would say if they could speak, through me the forest is pictured. And if I became a mirror I would reflect the forest, but not its life.
270 イエスは、汝は目を持っているが見ていない、また盲人が盲人を導くようなものだと発言(訳注:マタイ15:14)しています。確かに、私達は皆さんの家に窓があるように目を持っています。そして、その窓がもし話すことができたとしたら、私を通してその森が見えるのだと言うことでしょう。そして、もし、私が鏡になったとすれば、私はその森を映すでしょうが、その生命までは映すことはありません。



【解説】
 「悟り」という言葉は仏教用語でしょうが、同時に本項でイエスが説いた事柄と同質の内容を表現しているように思われます。肉眼で物の外観や形を見る一方、いわゆる心眼でその背景やその対象物が発する想念・印象を同時に観ることで、その対象を深く理解することを「悟り」と思うからです。
 しかし、進化を遂げた者にとって、私達のような未だ十分に本質を理解していない者は何とも危なげな存在に映ることでしょう。ましてその中で他の者を導く立場の者には盲人が盲人を導くように思えた筈です。
 こうした中、私達はこれまで時々の様々な教えに従い歩んで来ましたが、それでも本当のゴールに到達出来た人は少ないのかも知れません。何よりも先導者自身の理解が十分でないからです。
 そういう意味では、私達は改めて他惑星社会から贈られた本講座の中身を注意深く学び、実践を通して各自実績を積み重ねて理解を深めることが肝要です。本講座はテキスト本文であり、実践編は各自で作り上げる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落269

269 THE EYES OF GOD, OR CONSCIOUSNESS
We have been taught in our religious faiths that God sees all acts, yet we know that the sense mind does not see the invisible cause back of every effect. This means that we see less than half of what is to be seen. But we as an effect of God have the potential of seeing what God sees. The reason that we do not see as He does is because we do not understand life.
269 神の目、即ち意識
 私達は宗教の教義の中で、神は全ての行為を見ておられると教えられて来ましたし、私達は感覚心はあらゆる結果の背後にある見えざる因を見ていないことを知っています。このことは、私達が見るべきものの半分も見ていないことを意味します。しかし、神のひとつの結果である私達は、神が見ていることを見る潜在力を有しています。私達が神が見ておられるように見ない理由は、私達が生命を理解していないからです。



【解説】
 事実、目の前に自分の手があるのですが、私達の肉眼はその内側に血液が流れ、各細胞が活発に活動するような姿に気付くことはありません。普段は当たり前の存在として特に気にかけてもいないのです。
 しかし、私達にとってこれら自分の身体こそ学習教材として最も適したものと言えるのです。自分の行動や自分が発信・同調した想念・印象が如何に身体細胞に影響を及ぼしているか、或いは自分の身体各部が如何に調和し、生命を表現しているか等々を観察し、自覚するのに最適の教材なのです。
 これら深遠な世界を探訪するには私達のもう一つの自分である意識の力に頼る他ありません。自分の内側にある意識との融合を進める中で、私達は少しずつ目には見えない世界に気付いて行くのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落268

268 The marriage of the sense mind and consciousness has been referred to as The Lion and The Lamb lying down together. And when this takes place one is on the way to Eternity, and the Book of Remembrance will be opened unto you as promised in Revelations.
268 感覚心と意識の結婚は共に横たわるライオンと小羊の関係として引用されてきました。そしてこのことが起る時、人は永遠へと続く道の上にあり、ヨハネの黙示録に約束されているように記憶の書が貴方に明かされることでしょう。


【解説】
 キリスト教会にはライオンと子羊が互いい傍に仲良く描かれている絵があり、ライオンは全能の神を子羊は罪なく殺された生贄を示すとされています。また、同時にこの2つは共にイエス・キリストを表現するものとされているようです。また同時に万能であり、最大最強の創造主に迷える子羊が頼っているという姿も示唆するものと思われます。
 本講座の中ではこの姿こそ私達の内側の状況を意味しているという訳です。子羊は私達の心であり、ライオンが意識ということになります。つまりはライオンの比護の下、私達子羊は少しずつ成長して行くということです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落267

267 To cultivate eternal memory and become the likeness of God or The Supreme Consciousness, one will have to live it and with it as he does with his life mate or partner. Not thinking of self alone but the other as well, thus blending the two to create a harmonious union. For this is what must be done to blend the sense mind with consciousness. And when it is done the individual will represent God as he was meant to do, in the first place. As a man and wife represent each other, and the memory of their first meeting and all acts from there on are quite permanent and they enjoy life together.
267 永遠の記憶を培い、そして神、即ち至上なる意識の似姿になる為には、人は生涯の友人やパートナーに対するようにそのことを生き、それと共に生きなければなりません。自分のことのみを考えるのではなく、もう一つの存在を考え、この2者を融合して調和的な融合体を造り上げることです。何故なら、これは感覚心を意識に融合させる為に成さねばならないことだからです。そしてこれが成された時には、各人ははじめに意図されたように、神を表現するようになるでしょう。男と妻が互いを表わすように、また彼らの最初の出会いとそれからの全ての行動の記憶が完全に永遠となり、二人が生活をいっしょに楽しむのです。



【解説】
 私達がどのような心境で意識と向き合えば良いかについて、本項は夫婦に例えて私達に説いています。
 私達が宇宙的記憶を培うには、宇宙的存在と交わり、それとの共同作業の体験を積む必要があります。その為にはどうしても自分の中のもう一つの存在である意識に気付き、融合する必要があるのです。
 この場合、夫婦が長年生活を共にすると互いに性質が似て来るのと同様に、私達も意識の存在を気にかけ、与えられる印象を大切に取扱い、行動に移す過程で次第に私達は意識と親しい間柄になれるものと思われます。
 私達が意識を自分の伴侶、自分の師として親しみ、交わることで私達は次第に精華され、より良い人格になれるものと思われます。そこでのポイントは私達は独りでなく、いつも意識が傍に居るということです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落266

266 One should not be in a hurry to cultivate cosmic memory, for impatience will cause a misapplication of the law. Always remember that consciousness is eternal. Therefore it is not going anywhere, so it is not in a hurry, for in itself it is all inclusive. And by remembering this one will avoid many mistakes.
266 人は宇宙的記憶を培うのに急いではいけません。何故なら、短気は法則の誤用をもたらすからです。常に意識は永遠であることを思い出して下さい。ですから、それは何処に行ってしまうことはなく、急いではいません。何故なら、それ自身の中に全てが含まれているからです。そしてこのことを覚えていることによって、人は多くの過ちを避けることが出来ます。



【解説】
 成果を得ようと焦ってはならない。本項はこの学習の注意点を私達に伝えています。この分野の学習は自分自身の知覚力を養い、印象への感受性を高めるもので、その成果は少しずつしか現れません。また他でもない自分自身と向き合う訳ですから自分で言い訳を作って先延ばしにしたり、そもそもこの分野を放棄することさえ可能です。
 そこで著者は私達に時間は無限にあり、目指す相手である「意識」は永続するので先ずは急がず、一歩一歩進むよう促しています。急いで成果が上がらないからと言って、学習それ自体を放棄するなと戒めているのです。
 私達が現在の肉体のまま生存している間も、私達の自覚に関わらず、私達の内側には意識が居て膨大な数の細胞に指示を与え常に新鮮活発な人体を支えている訳で、決して自分の手より遠くに行くことはないのです。私達が生きている限り、私達にとって最高の師は常に私達と共にあるという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落265

265 Consciousness is the father and the mother of all form creation which conceives and gives birth to the various forms. And within it is the blue print or memory which is ever present that can be reviewed for conformation at any time when the need may arise. But the sense mind cannot do this alone, there must be the combination of the two. For as we know, the sense mind learns from effects and now it must understand the cause producing the effect. The effect is the fulfillment of a cause and the sense mind might not execute it exactly as the cause mind intended it to be, so through misinterpretation a mistake could take place. And this is where the Law Of Grace enters and through this law the sense mind has a chance to realize and correct its mistake. And corrected it must be before progress can be made. And it must be made in behalf of consciousness and not the sense mind. In this way the sense mind is made to do what the better self wants it to do. If this is not done a slight memory might remain but it will be distorted.
265 意識は受胎し様々な形有るものに誕生を授ける全ての形有るものの創造の父であり母です。そしてその中には必要が生じた時に何時でも一致するか吟味できるよう常に出して置かれる青写真もしくは記憶が入っています。しかし、感覚心はこれを一人では出来ません。二者の組合せが必要なのです。何故なら、ご存知のように感覚心は結果から学ぶ者ですが、今や、その結果をつくり出している因を理解しなければならないからです。結果は一つの因の成就です。感覚心は因の心が意図したようには実行しないかも知れません。そこに誤った解釈を通じて間違いが生じるのです。そしてそこに恩寵の法則が入り、この法則を通じて感覚心はその誤りに気付いて改める機会を得るのです。そして進化を遂げるにはその修正を終えていなければなりません。また、その修正は意識の為に行われなければならず、感覚心の為に成されるべきではありません。このようにして感覚心はそのより良い自己が願うことを為すように仕向けられるのです。これがなされなければ、わずかな記憶が残ったにしてもいずれは歪められて行くことでしょう。



【解説】
 私達の人体を含めあらゆる創造物の由来は「意識」にあると、本項では大変重要な事項を述べています。つまり、私達自身の行動を含めて全ての活動は意識の持つイメージや青写真を表現したものであるということです。
 その「意識」が私達内部に常に宿っているとすることは、重要なポイントだと言えるでしょう。私達はその意識から来るインスピレーションを表現する任務と役割を持っているという訳です。実はその過程で私達は意識の持つ記憶を参照し、知識を得ることが出来るという訳です。
 もちろんインスピレーションや印象の感受において未熟な私達は多くの場合、その本来の内容を表現し切れませんが、その際にそれが誤っていると指摘し、修正を支援して呉れるのも意識の働きだという訳です。
 宇宙に関する全ての知性が私達各人に本来備わっていることを考えれば、畏れ多いという一言に尽きます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落264

264 While we have used two individuals in close association with each other, this can take place where many are represented by one when using the same pattern. This shows that the consciousness whom we call God, is the all inclusive. And as two people are able to become as one through association and even resemble each other, just so, an individual can become one with, and resemble God, when he thinks in terms of God instead of the ego. Yet he retains his individuality, the difference is that his sense mind has blended with conscious consciousness that we call God. The sense mind is able to perform its normal duty as it did in the past but it is aware of the consciousness that gives it power and intelligence to act wisely in the world of effects. The mind will then feel as Jesus felt when He said, I of Myself do nothing, but the Father that worketh through Me does all of the work. This is cosmic consciousness.
264 私達は互いに親密な二人を例にしていましたが、このことは多人数が同じパターンを使用する場合についても一人に代表されるところに起り得ます。これは私達が神と呼ぶ意識は全てを包含することを意味しています。そして二人の人間が交際を通じて一体となり、互いに似て来るまでになるように、丁度そのように各自も自我への代わりに神について考えていれば神と一体になり、神に似て来るのです。しかしそれでもなお、自分の個性を保持しており、違いは自分の感覚心が私達が神と呼ぶ意識的な意識と融合しているということです。感覚心はこれまで同様、通常の任務を実行できますが、その者に結果の世界で賢く行動する為のパワーと知性を与える意識について気付いています。心はその後イエスがこう言った時のように感じることでしょう。私自身は何も成していない、父が私を通じて全ての仕事を成したもうのだ。これが意識的な意識です。



【解説】
 ここに哲学の基本、精進のエッセンスが記されているように思います。 私達は各自、各々の人生を生きて来ましたが、それも各自の人格を高め、他者への貢献、自身の才能の表現、自然の美しさへの目覚め等々を目標として努力して来たものです。一見それらは多様な側面に見えますが、実際には本文で記されているように、私達が自身の内部の「意識」と交わることで、その性質を学び取り、自身の行動に役立てることにより、成果を得て行くということでしょう。 自身の内側に既にあらゆる知識と知性が備わっており、私達はただそのヒントに従い、行動することで良質な人生を歩めるということであり、何とも恵まれた存在ということです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落263

263 A good example of this can be found in two people who decide to join together for life. Each is an individual with habits in his or her way of life, yet after years of life together they not only take on each others habits but they start to look alike. All because they have become aware of one another as though they were one. Even pets, such as dogs and cats etc., oftimes take on the personality of the master. So we can see that a constant reminder or association becomes an automatic manifestation of the other, where effort is no longer required for the form operates on memory pattern. The most important thing to realize is that the pattern remodeled the personality of the form in likeness of itself. It could be said that the original person is no more as he was, but another has taken his place. For one has absorbed the other and the two become as one.
263 この良い例は生活を共にしようと決意した二人に見ることが出来ます。二人は各々自分の生活の習慣を持った人物でしたが、何年も生活を共にした後は、彼らは互いの習慣を身につけるばかりでなく、似始めるのです。彼らが互いを一体のものとして意識していたからに他なりません。犬や猫等のペットでさえ、しばしば飼い主の個性を身につけます。ですから、私達は、絶えざる思い出や交際はやがて(訳注:自分自身へ)自動的に他者を現出させることになるのです。形有るものは記憶パターンによって働くため、もはや努力は必要とされないのです。私達が認識すべき最も重要なことはパターンが自身の似姿に沿って人格を再形成させたということです。それは、元々の人間はもはやかつての者でなく、他の者がその位置をとって代わったと言うことも出来るでしょう。一方が他を吸収して両者が一体となったからです。


【解説】
 夫婦が互いに似てくることや、ペットも主人に近い性格になる等、本項で説かれていることは、私達の実生活における互いの影響力を良く物語っています。私達は良くも悪くも互いに影響を及ぼし合っているのです。 それと同様に、私達自身、自分の内部にある意識と共に生きて行く場合には、私達は次第に意識に似た要素を帯びることになります。常に親しむ対象に私達は同化して行くのです。また、その結果は本文では私達の性格さえ変質させるとしており、如何に普段交わる者が重要であるかが分かります。 そういう面から言えば、一たび私達が自身の内側の意識、宇宙に繋がる存在を信頼し、時々に与えられるヒントを受け入れて、日々の行動に生かせられれば、やがては私達自身、内部の意識を表現する者となれるでしょう。「キリストに倣いて」という著名な修養書がありますが、「見倣う」ことには、このように重要な意味が含まれているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落262

262  This particular phase of life is a major part to be learned and it should not be very hard when the sense mind begins to live with the consciousness instead of acting on its own as it has been doing. And results will be outstanding when the two live as one. This may seem to be a repetition of what has been said before, but repetition becomes a memory.
262 特にこの段階の生活は学習する上での主要な部分であり、感覚の心がこれまでして来たように自分自身が確保しているものを前提として行動する代わりに、意識と共に生き始める時には、過度に行うべきではありません。そしてその両者(訳注:意識と心)が一体となって生活する時、効果は傑出したものになるでしょう。このことはこれまで述べられたことの繰り返しのように見えるかも知れませんが、繰り返すことが記憶になるのです。



【解説】
 私のわずかな体験からも、自らの行動を内部から湧き起るインスピレーションに従って行うことは大きな成果をもたらすことが分かります。つまり、湧き起る印象をヒントとして行動することが、意識の指導に従って私達の心が成長する唯一の道だという訳です。
 各自によって状況は異なるかも知れませんが、この「印象に従う」ことは誰でもが出来ることであり、それらを繰りかえすことで私達も次第に自分の中にある「意識」の存在を知覚出来るようになるものと思われます。
 また本項ではこのように繰り返すことで、それらがやがて本来の宇宙的記憶になると説いています。どれほど密接に自身の意識と交流し、融合的になれたかが問われることになるのです。このことからも本講座をただ読むだけでは価値がなく、各自の実生活の中で日々どのような心境、境地で意識に耳を傾け、印象に従った行動をとっているかが重要となります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落261

261 In order to obtain a cosmic concept of life all that is necessary is an expansion of the mental conscious awareness. And in this way you become more alert to your actions in both fields. It could be compared to being in a plane or on a high building, for then you become aware of things below as well as above you. You are using the same sense mind, only your field of awareness has expanded. When you are able to do this regardless of where you may be there is no limit to how far you can go in connecting with conscious memories that could reveal many past experiences. And in this way find your true self and live in the sea of eternity.
261 生命の宇宙的概念を得る為に必要となるもの全ては心による意識的な知覚の拡大です。そしてこの方法によって貴方は両者(訳注:因と結果)の分野における貴方の行動についてより多く気付くようになります。それは平原や高い建物の上に居る場合と対比することができます。何故ならその時、貴方は貴方の上空でのものと同時に眼下の物事をも気付くようになるからです。貴方は只、貴方の知覚範囲が広がっただけで、同じ感覚心を用いているのです。貴方がこのことをどこに居るかに関わらず出来るようになれば、多くの過去の体験を呼び起こすことができる意識的記憶に接続する為、如何に遠くに貴方が行こうとも制限はなくなります。そしてこのようにして、貴方の真の自己を見つけて、永遠の海の中で生きて欲しいのです。



【解説】
 どのような心境を開拓すれば良いかについて、本項はより具体的に私達に説いています。そのヒントは”平原や高い建物の上に居る”という表現にあります。つまり、自分も含めより広範囲な状況を理解し、把握していることを意味します。
 単に自分の目の前の状況ばかりを把握するのではなく、周囲あるいは更に広範囲な状況も併せて理解している状況です。本講座で盛んに”意識”という表現を用いているのは、この心境が”意識”という言葉に最も近いからだと思われます。
 とにかく私達各自は心の他にもう一つの存在である意識があり、その意識を拡大、浸透させてより広範囲を自分の知覚領域としなければならないのです。
 先日も滞在先の東南アジアのホテルで、夜部屋の電燈を付けた所、大きな虫がその光に驚いたのか、壁に立ち尽くしていました。夜は彼らのテリトリーなのでしょう。盛んに長い触覚を動かしながら警戒を続けています。実は彼ら昆虫達は生きる上で警戒は欠かせません。危険がいっぱいの環境の中でもたくましく生きている彼らはこの分野では私達を遥かに上回るレベルを生きているのかと思った次第です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落260

260 We must train the mind to daily recognize a certain amount of cosmic life and this can be done through two phases. One, by someone who is very good at reading Cosmic Records. And the other, by allowing your consciousness to give the revelation to your own sense mind. But to do this your mind must have trust in consciousness. You will know when you have blended the two, for then you will be living in full awareness of cosmic cause and the related effects. i.e. Since I have had the experiences with the Brothers I have been living in two phases of life. One, as I used to live performing my daily duties in a normal manner, but enjoying life more than I did before. While at the same time consciously aware of my experiences and of the individuals that I have met from other worlds. The experiences are as indelible upon my memory as my daily activities.
260 私達は毎日、心を宇宙的生活を幾分でも知覚するように訓練しなければなりませんし、これは2つの面から成すことができます。一つは宇宙的記録を読み取ることがとても上手い人物による方法。他は貴方の意識に貴方自身の感覚の心に啓示を与えることを許すことです。しかし、これを行うには貴方の心が意識を信頼しなければなりません。貴方はその2者が何時融合したかは分かるでしょう。何故ならその時、貴方は宇宙の因とそれに関連した結果の完全な知覚の元に生きているからです。即ち、宇宙の兄弟達との体験を持ってからは、私は二つの生命の面で生きています。一つは私がこれまで生きて来たもので普段通りに私の日常の義務を行い、しかも以前より以上に生活を楽しんでいます。一方、同時に、私自身の体験や私が会った他の世界から来た人物達について意識的に気付いているというものです。その体験は私の日常活動と同様、私の記憶に消えることはありません。


【解説】
 宇宙的記憶をどうしたら培うことが出来るのか、本項では2つの方法を提示しています。
 一つは優れた師と交わることで直接その記憶との交流の仕方を学ぶことだとしています。これには他惑星人との交流から私達が多くの事柄を学ぶ目的でもあります。アダムスキー氏自身も砂漠のコンタクト以来、彼らの実生活を見て、あるべき暮らしぶりを学んだものと思われます。
 一方でそうのような機会に恵まれない大多数の私達はどのようにすれば良いかということですが、それも手本は既に示されている訳で、素直に毎日を自分の中で意識に親しんで生活するべきなのです。基本的に全て必要な要素は私達自身の内側に供えられており、活用が待たれている訳で、私達が新たに用意しなければならないものはありません。ただ私達の内側、意識と仲良く暮らすこと、その示唆する印象を大切に取り扱う中で次第に宇宙的記憶とのパイプを広げることが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落259

259 To do this one must make the sense mind trust consciousness like trusting God. And this in turn calls for faith, oftimes called blind faith. To clarify blind faith a little further, we have eyes with which to see but they do not see any more than a window pane can see what is seen through it. It is you who sees through the window, so it is the consciousness of you that sees through the eyes. For when you become unconscious the sense of sight is still there but you no longer can see. The other senses follow the same pattern. So one should realize the importance of conscious seeing, or sense mind cooperation with consciousness if he is to have a cosmic memory of life. For then he can recognize himself through eternity from the pages of memory. This is an important phase if individual life if life eternal is to be earned. And that is what Jesus meant when He said, he who loses his life shall find life eternal.
259 これを成す為には、人は感覚の心を、神を信頼するように、意識を信頼させなければなりません。そしてこのことは次には信頼、即ち、しばしば盲目的信頼と呼ばれるものを必要とします。盲目的信頼というものを少しより明確にする為に見るのに用いる目について述べますが、目は自分が見ているものは窓枠がそれ自身を通じて見ている以上のものを見ている訳ではないのです。窓を通して見ているのは貴方であり、それ故、目を通じて見ているのは貴方の意識なのです。何故なら、貴方が無意識になってしまえば、視覚感覚はそこに未だあっても、貴方はもはや見ることはできません。他の感覚も同じパターンを辿ります。ですから、もし人生における宇宙的記憶を持とうとするなら、人は意識的に見ること、感覚の心が意識と協力することの重要性を理解すべきなのです。何故なら、そうすることで人は記憶のページの中から永遠を通じて自分自身を思い出すことが出来るからです。これは各自の人生が永遠の生命を得ようとするなら、重要な段階となります。また、これはイエスが自分の命を失うものは永遠の命を見い出すだろうと言った時にイエスが意味していたことです。


【解説】
 本項はより詳しく私達が日常気を付けなければならない本講座の学習のポイントを記しています。とりわけ重要だと覆われるのは、部屋に設けられたガラス窓の表現です。この場合、ガラス窓は部屋、即ち肉体の一部なのですが、大事なのはガラス窓は外界からの光景を部屋の内部に投影するもので、その景色を理解し観察するものではないということでしょう。カメラのレンズと同様にそれ自身が見て理解する機能はないのです。
 本文にあるように私達の中にある”意識体”がその光景を理解する訳で、肉体(部屋)の内部に”意識”と称される私達の本体があるという訳です。
 従って先ずはその存在を自覚し、それを信じ、信頼することから私達は学習をしなければならないのです。もちろん、この意識なるものは身体全体の働きを支えている存在ですし、私達自身がその存在に気付き感謝することを喜ぶものです。そういう意味でも私達のこれまでの尊大な自我を戒めて、より静かに全てを見守っている意識と繋がることが、この学習のポイントと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落258

258 Jesus blended His sense mind with consciousness and thus He was able to say, I am in the world but not of it, and many other statements that He made in reference to His past. And He could not have maintained these memories had He not blended with consciousness which carries the memories and contains the book of records.
258 イエスは自らの感覚の心を意識と融合させました。それ故にイエスは、私はこの世に居るがこの世の者ではないと言ったり、自身の過去に関連して他の多くの声明を述べることが出来たのです。そしてイエスは記憶を持ち運び、記録の書を内包する意識に融合しなかったら、これらの記憶を維持することは出来なかったでしょう。


【解説】
 私達が学ぼうとしている意識との融合の究極の姿は、イエスが身を持って示したご自身の姿でもあります。宇宙的記憶を養うことが如何に重要であるか、実はイエスは様々な機会を通じて私達に教えていたのです。
 私達が自分の成り立ちを知り、体験を生かす為には、これから生きる上で記憶をより明確にとりまとめ、要点・教訓をしっかり自身に染み込ませ、記憶するよう努力することかと思われます。
 以前に何処かで述べたかと思いますが、例えば他惑星の宇宙船を目撃する機会を得た時、自分がどのような心境であったか、またその出現はどのような意義があったのか等、その貴重な体験を記憶する上で必要な手掛かりを明確にして置くべきと思っております。
 毎日を充実した活動で送れることは、大変幸せなことですし、それらの体験を通じて得た事柄はその人の宝物になる訳で、私達はその奉仕の過程で、既に十分なる報酬を受けているのです。

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