生命の科学 第7課

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落271

271 The sense of sight is reflecting the effects, but not the life of the effects. It is like the window or mirror. But to have a reflection there must be a cause. So in a way we are half dead, or living only half a life. And Jesus said, let the dead bury the dead. Meaning that the pallbearers bearing the corpse are as dead the corpse. The form within the coffin lies unconscious of life and the ones carrying it are equally unconscious of life in full, or cosmic life. For the corpse lived a mental life as the ones who bear it do and once the consciousness withdraws, the mental is silenced. For it never knew itself as the real part which is the consciousness.
271 視覚は結果物を反映していますが、その結果物の持つ生命は反映していません。それは窓や鏡のようなものです。しかし、映像を得るには因がなくてはなりません。ですからある意味、私達は半分死んでいる、或いは生命の内、半分しか生きていないと言えます。また、イエスはこう言いました。死者をして死者を葬らせよと。死体を担いでいる者も死体と同様に死んでいるという意味です。棺の中の肉体は生命の意識は無くなり横たわっていますし、それを運んでいる者達も等しく満ちた生命、宇宙の生命について意識していません。何故なら、その死体はそれを担ぐ者達同様に心による生活を送って来ましたので、ひとたびその意識が退くと、その心は沈黙させられます。何故なら、心は意識である真実の部分に関する自分自身について知らないで来てしまったからです。



【解説】
 「死者をして死者を葬らせよ」というイエスの言葉の意味は、死者を埋葬する者も、実際は死者と同様に自分の半身に気付いておらず、半ば死んだようなものだということです。即ち、現在生きている者も自分の半身に気付かなければ、肉体の死とともに消滅することを示唆しています。
 私達は常に結果のみに着目し、すがっていますが、大切なのは物質・物体ではありません。それを生み出した知性・生命力とそれに呼応して活動する生命の息吹なのです。確かに私達の肉体も例外なく、日々の消耗の中で衰えて行きますが、その内側にある精神麺は若さを保つことが出来ます。移り行く物質世界の中ですが、常に変わることなく降り注いでいる生命力にこそ私達は同化・同調すべきです。
 私達がやがては死すことは明らかなのですが、その際に少しでも真実・真理を理解し、再び再生出来る心であるよう、毎日を探究する人生でありたいものです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落270

270 Jesus made the statement, ye have eyes yet see not, and also, the blind lead the blind. Yes, we do have eyes, as your home has windows. And the windows would say if they could speak, through me the forest is pictured. And if I became a mirror I would reflect the forest, but not its life.
270 イエスは、汝は目を持っているが見ていない、また盲人が盲人を導くようなものだと発言(訳注:マタイ15:14)しています。確かに、私達は皆さんの家に窓があるように目を持っています。そして、その窓がもし話すことができたとしたら、私を通してその森が見えるのだと言うことでしょう。そして、もし、私が鏡になったとすれば、私はその森を映すでしょうが、その生命までは映すことはありません。



【解説】
 「悟り」という言葉は仏教用語でしょうが、同時に本項でイエスが説いた事柄と同質の内容を表現しているように思われます。肉眼で物の外観や形を見る一方、いわゆる心眼でその背景やその対象物が発する想念・印象を同時に観ることで、その対象を深く理解することを「悟り」と思うからです。
 しかし、進化を遂げた者にとって、私達のような未だ十分に本質を理解していない者は何とも危なげな存在に映ることでしょう。ましてその中で他の者を導く立場の者には盲人が盲人を導くように思えた筈です。
 こうした中、私達はこれまで時々の様々な教えに従い歩んで来ましたが、それでも本当のゴールに到達出来た人は少ないのかも知れません。何よりも先導者自身の理解が十分でないからです。
 そういう意味では、私達は改めて他惑星社会から贈られた本講座の中身を注意深く学び、実践を通して各自実績を積み重ねて理解を深めることが肝要です。本講座はテキスト本文であり、実践編は各自で作り上げる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落269

269 THE EYES OF GOD, OR CONSCIOUSNESS
We have been taught in our religious faiths that God sees all acts, yet we know that the sense mind does not see the invisible cause back of every effect. This means that we see less than half of what is to be seen. But we as an effect of God have the potential of seeing what God sees. The reason that we do not see as He does is because we do not understand life.
269 神の目、即ち意識
 私達は宗教の教義の中で、神は全ての行為を見ておられると教えられて来ましたし、私達は感覚心はあらゆる結果の背後にある見えざる因を見ていないことを知っています。このことは、私達が見るべきものの半分も見ていないことを意味します。しかし、神のひとつの結果である私達は、神が見ていることを見る潜在力を有しています。私達が神が見ておられるように見ない理由は、私達が生命を理解していないからです。



【解説】
 事実、目の前に自分の手があるのですが、私達の肉眼はその内側に血液が流れ、各細胞が活発に活動するような姿に気付くことはありません。普段は当たり前の存在として特に気にかけてもいないのです。
 しかし、私達にとってこれら自分の身体こそ学習教材として最も適したものと言えるのです。自分の行動や自分が発信・同調した想念・印象が如何に身体細胞に影響を及ぼしているか、或いは自分の身体各部が如何に調和し、生命を表現しているか等々を観察し、自覚するのに最適の教材なのです。
 これら深遠な世界を探訪するには私達のもう一つの自分である意識の力に頼る他ありません。自分の内側にある意識との融合を進める中で、私達は少しずつ目には見えない世界に気付いて行くのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落268

268 The marriage of the sense mind and consciousness has been referred to as The Lion and The Lamb lying down together. And when this takes place one is on the way to Eternity, and the Book of Remembrance will be opened unto you as promised in Revelations.
268 感覚心と意識の結婚は共に横たわるライオンと小羊の関係として引用されてきました。そしてこのことが起る時、人は永遠へと続く道の上にあり、ヨハネの黙示録に約束されているように記憶の書が貴方に明かされることでしょう。


【解説】
 キリスト教会にはライオンと子羊が互いい傍に仲良く描かれている絵があり、ライオンは全能の神を子羊は罪なく殺された生贄を示すとされています。また、同時にこの2つは共にイエス・キリストを表現するものとされているようです。また同時に万能であり、最大最強の創造主に迷える子羊が頼っているという姿も示唆するものと思われます。
 本講座の中ではこの姿こそ私達の内側の状況を意味しているという訳です。子羊は私達の心であり、ライオンが意識ということになります。つまりはライオンの比護の下、私達子羊は少しずつ成長して行くということです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落267

267 To cultivate eternal memory and become the likeness of God or The Supreme Consciousness, one will have to live it and with it as he does with his life mate or partner. Not thinking of self alone but the other as well, thus blending the two to create a harmonious union. For this is what must be done to blend the sense mind with consciousness. And when it is done the individual will represent God as he was meant to do, in the first place. As a man and wife represent each other, and the memory of their first meeting and all acts from there on are quite permanent and they enjoy life together.
267 永遠の記憶を培い、そして神、即ち至上なる意識の似姿になる為には、人は生涯の友人やパートナーに対するようにそのことを生き、それと共に生きなければなりません。自分のことのみを考えるのではなく、もう一つの存在を考え、この2者を融合して調和的な融合体を造り上げることです。何故なら、これは感覚心を意識に融合させる為に成さねばならないことだからです。そしてこれが成された時には、各人ははじめに意図されたように、神を表現するようになるでしょう。男と妻が互いを表わすように、また彼らの最初の出会いとそれからの全ての行動の記憶が完全に永遠となり、二人が生活をいっしょに楽しむのです。



【解説】
 私達がどのような心境で意識と向き合えば良いかについて、本項は夫婦に例えて私達に説いています。
 私達が宇宙的記憶を培うには、宇宙的存在と交わり、それとの共同作業の体験を積む必要があります。その為にはどうしても自分の中のもう一つの存在である意識に気付き、融合する必要があるのです。
 この場合、夫婦が長年生活を共にすると互いに性質が似て来るのと同様に、私達も意識の存在を気にかけ、与えられる印象を大切に取扱い、行動に移す過程で次第に私達は意識と親しい間柄になれるものと思われます。
 私達が意識を自分の伴侶、自分の師として親しみ、交わることで私達は次第に精華され、より良い人格になれるものと思われます。そこでのポイントは私達は独りでなく、いつも意識が傍に居るということです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落266

266 One should not be in a hurry to cultivate cosmic memory, for impatience will cause a misapplication of the law. Always remember that consciousness is eternal. Therefore it is not going anywhere, so it is not in a hurry, for in itself it is all inclusive. And by remembering this one will avoid many mistakes.
266 人は宇宙的記憶を培うのに急いではいけません。何故なら、短気は法則の誤用をもたらすからです。常に意識は永遠であることを思い出して下さい。ですから、それは何処に行ってしまうことはなく、急いではいません。何故なら、それ自身の中に全てが含まれているからです。そしてこのことを覚えていることによって、人は多くの過ちを避けることが出来ます。



【解説】
 成果を得ようと焦ってはならない。本項はこの学習の注意点を私達に伝えています。この分野の学習は自分自身の知覚力を養い、印象への感受性を高めるもので、その成果は少しずつしか現れません。また他でもない自分自身と向き合う訳ですから自分で言い訳を作って先延ばしにしたり、そもそもこの分野を放棄することさえ可能です。
 そこで著者は私達に時間は無限にあり、目指す相手である「意識」は永続するので先ずは急がず、一歩一歩進むよう促しています。急いで成果が上がらないからと言って、学習それ自体を放棄するなと戒めているのです。
 私達が現在の肉体のまま生存している間も、私達の自覚に関わらず、私達の内側には意識が居て膨大な数の細胞に指示を与え常に新鮮活発な人体を支えている訳で、決して自分の手より遠くに行くことはないのです。私達が生きている限り、私達にとって最高の師は常に私達と共にあるという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落265

265 Consciousness is the father and the mother of all form creation which conceives and gives birth to the various forms. And within it is the blue print or memory which is ever present that can be reviewed for conformation at any time when the need may arise. But the sense mind cannot do this alone, there must be the combination of the two. For as we know, the sense mind learns from effects and now it must understand the cause producing the effect. The effect is the fulfillment of a cause and the sense mind might not execute it exactly as the cause mind intended it to be, so through misinterpretation a mistake could take place. And this is where the Law Of Grace enters and through this law the sense mind has a chance to realize and correct its mistake. And corrected it must be before progress can be made. And it must be made in behalf of consciousness and not the sense mind. In this way the sense mind is made to do what the better self wants it to do. If this is not done a slight memory might remain but it will be distorted.
265 意識は受胎し様々な形有るものに誕生を授ける全ての形有るものの創造の父であり母です。そしてその中には必要が生じた時に何時でも一致するか吟味できるよう常に出して置かれる青写真もしくは記憶が入っています。しかし、感覚心はこれを一人では出来ません。二者の組合せが必要なのです。何故なら、ご存知のように感覚心は結果から学ぶ者ですが、今や、その結果をつくり出している因を理解しなければならないからです。結果は一つの因の成就です。感覚心は因の心が意図したようには実行しないかも知れません。そこに誤った解釈を通じて間違いが生じるのです。そしてそこに恩寵の法則が入り、この法則を通じて感覚心はその誤りに気付いて改める機会を得るのです。そして進化を遂げるにはその修正を終えていなければなりません。また、その修正は意識の為に行われなければならず、感覚心の為に成されるべきではありません。このようにして感覚心はそのより良い自己が願うことを為すように仕向けられるのです。これがなされなければ、わずかな記憶が残ったにしてもいずれは歪められて行くことでしょう。



【解説】
 私達の人体を含めあらゆる創造物の由来は「意識」にあると、本項では大変重要な事項を述べています。つまり、私達自身の行動を含めて全ての活動は意識の持つイメージや青写真を表現したものであるということです。
 その「意識」が私達内部に常に宿っているとすることは、重要なポイントだと言えるでしょう。私達はその意識から来るインスピレーションを表現する任務と役割を持っているという訳です。実はその過程で私達は意識の持つ記憶を参照し、知識を得ることが出来るという訳です。
 もちろんインスピレーションや印象の感受において未熟な私達は多くの場合、その本来の内容を表現し切れませんが、その際にそれが誤っていると指摘し、修正を支援して呉れるのも意識の働きだという訳です。
 宇宙に関する全ての知性が私達各人に本来備わっていることを考えれば、畏れ多いという一言に尽きます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落264

264 While we have used two individuals in close association with each other, this can take place where many are represented by one when using the same pattern. This shows that the consciousness whom we call God, is the all inclusive. And as two people are able to become as one through association and even resemble each other, just so, an individual can become one with, and resemble God, when he thinks in terms of God instead of the ego. Yet he retains his individuality, the difference is that his sense mind has blended with conscious consciousness that we call God. The sense mind is able to perform its normal duty as it did in the past but it is aware of the consciousness that gives it power and intelligence to act wisely in the world of effects. The mind will then feel as Jesus felt when He said, I of Myself do nothing, but the Father that worketh through Me does all of the work. This is cosmic consciousness.
264 私達は互いに親密な二人を例にしていましたが、このことは多人数が同じパターンを使用する場合についても一人に代表されるところに起り得ます。これは私達が神と呼ぶ意識は全てを包含することを意味しています。そして二人の人間が交際を通じて一体となり、互いに似て来るまでになるように、丁度そのように各自も自我への代わりに神について考えていれば神と一体になり、神に似て来るのです。しかしそれでもなお、自分の個性を保持しており、違いは自分の感覚心が私達が神と呼ぶ意識的な意識と融合しているということです。感覚心はこれまで同様、通常の任務を実行できますが、その者に結果の世界で賢く行動する為のパワーと知性を与える意識について気付いています。心はその後イエスがこう言った時のように感じることでしょう。私自身は何も成していない、父が私を通じて全ての仕事を成したもうのだ。これが意識的な意識です。



【解説】
 ここに哲学の基本、精進のエッセンスが記されているように思います。 私達は各自、各々の人生を生きて来ましたが、それも各自の人格を高め、他者への貢献、自身の才能の表現、自然の美しさへの目覚め等々を目標として努力して来たものです。一見それらは多様な側面に見えますが、実際には本文で記されているように、私達が自身の内部の「意識」と交わることで、その性質を学び取り、自身の行動に役立てることにより、成果を得て行くということでしょう。 自身の内側に既にあらゆる知識と知性が備わっており、私達はただそのヒントに従い、行動することで良質な人生を歩めるということであり、何とも恵まれた存在ということです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落263

263 A good example of this can be found in two people who decide to join together for life. Each is an individual with habits in his or her way of life, yet after years of life together they not only take on each others habits but they start to look alike. All because they have become aware of one another as though they were one. Even pets, such as dogs and cats etc., oftimes take on the personality of the master. So we can see that a constant reminder or association becomes an automatic manifestation of the other, where effort is no longer required for the form operates on memory pattern. The most important thing to realize is that the pattern remodeled the personality of the form in likeness of itself. It could be said that the original person is no more as he was, but another has taken his place. For one has absorbed the other and the two become as one.
263 この良い例は生活を共にしようと決意した二人に見ることが出来ます。二人は各々自分の生活の習慣を持った人物でしたが、何年も生活を共にした後は、彼らは互いの習慣を身につけるばかりでなく、似始めるのです。彼らが互いを一体のものとして意識していたからに他なりません。犬や猫等のペットでさえ、しばしば飼い主の個性を身につけます。ですから、私達は、絶えざる思い出や交際はやがて(訳注:自分自身へ)自動的に他者を現出させることになるのです。形有るものは記憶パターンによって働くため、もはや努力は必要とされないのです。私達が認識すべき最も重要なことはパターンが自身の似姿に沿って人格を再形成させたということです。それは、元々の人間はもはやかつての者でなく、他の者がその位置をとって代わったと言うことも出来るでしょう。一方が他を吸収して両者が一体となったからです。


【解説】
 夫婦が互いに似てくることや、ペットも主人に近い性格になる等、本項で説かれていることは、私達の実生活における互いの影響力を良く物語っています。私達は良くも悪くも互いに影響を及ぼし合っているのです。 それと同様に、私達自身、自分の内部にある意識と共に生きて行く場合には、私達は次第に意識に似た要素を帯びることになります。常に親しむ対象に私達は同化して行くのです。また、その結果は本文では私達の性格さえ変質させるとしており、如何に普段交わる者が重要であるかが分かります。 そういう面から言えば、一たび私達が自身の内側の意識、宇宙に繋がる存在を信頼し、時々に与えられるヒントを受け入れて、日々の行動に生かせられれば、やがては私達自身、内部の意識を表現する者となれるでしょう。「キリストに倣いて」という著名な修養書がありますが、「見倣う」ことには、このように重要な意味が含まれているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落262

262  This particular phase of life is a major part to be learned and it should not be very hard when the sense mind begins to live with the consciousness instead of acting on its own as it has been doing. And results will be outstanding when the two live as one. This may seem to be a repetition of what has been said before, but repetition becomes a memory.
262 特にこの段階の生活は学習する上での主要な部分であり、感覚の心がこれまでして来たように自分自身が確保しているものを前提として行動する代わりに、意識と共に生き始める時には、過度に行うべきではありません。そしてその両者(訳注:意識と心)が一体となって生活する時、効果は傑出したものになるでしょう。このことはこれまで述べられたことの繰り返しのように見えるかも知れませんが、繰り返すことが記憶になるのです。



【解説】
 私のわずかな体験からも、自らの行動を内部から湧き起るインスピレーションに従って行うことは大きな成果をもたらすことが分かります。つまり、湧き起る印象をヒントとして行動することが、意識の指導に従って私達の心が成長する唯一の道だという訳です。
 各自によって状況は異なるかも知れませんが、この「印象に従う」ことは誰でもが出来ることであり、それらを繰りかえすことで私達も次第に自分の中にある「意識」の存在を知覚出来るようになるものと思われます。
 また本項ではこのように繰り返すことで、それらがやがて本来の宇宙的記憶になると説いています。どれほど密接に自身の意識と交流し、融合的になれたかが問われることになるのです。このことからも本講座をただ読むだけでは価値がなく、各自の実生活の中で日々どのような心境、境地で意識に耳を傾け、印象に従った行動をとっているかが重要となります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落261

261 In order to obtain a cosmic concept of life all that is necessary is an expansion of the mental conscious awareness. And in this way you become more alert to your actions in both fields. It could be compared to being in a plane or on a high building, for then you become aware of things below as well as above you. You are using the same sense mind, only your field of awareness has expanded. When you are able to do this regardless of where you may be there is no limit to how far you can go in connecting with conscious memories that could reveal many past experiences. And in this way find your true self and live in the sea of eternity.
261 生命の宇宙的概念を得る為に必要となるもの全ては心による意識的な知覚の拡大です。そしてこの方法によって貴方は両者(訳注:因と結果)の分野における貴方の行動についてより多く気付くようになります。それは平原や高い建物の上に居る場合と対比することができます。何故ならその時、貴方は貴方の上空でのものと同時に眼下の物事をも気付くようになるからです。貴方は只、貴方の知覚範囲が広がっただけで、同じ感覚心を用いているのです。貴方がこのことをどこに居るかに関わらず出来るようになれば、多くの過去の体験を呼び起こすことができる意識的記憶に接続する為、如何に遠くに貴方が行こうとも制限はなくなります。そしてこのようにして、貴方の真の自己を見つけて、永遠の海の中で生きて欲しいのです。



【解説】
 どのような心境を開拓すれば良いかについて、本項はより具体的に私達に説いています。そのヒントは”平原や高い建物の上に居る”という表現にあります。つまり、自分も含めより広範囲な状況を理解し、把握していることを意味します。
 単に自分の目の前の状況ばかりを把握するのではなく、周囲あるいは更に広範囲な状況も併せて理解している状況です。本講座で盛んに”意識”という表現を用いているのは、この心境が”意識”という言葉に最も近いからだと思われます。
 とにかく私達各自は心の他にもう一つの存在である意識があり、その意識を拡大、浸透させてより広範囲を自分の知覚領域としなければならないのです。
 先日も滞在先の東南アジアのホテルで、夜部屋の電燈を付けた所、大きな虫がその光に驚いたのか、壁に立ち尽くしていました。夜は彼らのテリトリーなのでしょう。盛んに長い触覚を動かしながら警戒を続けています。実は彼ら昆虫達は生きる上で警戒は欠かせません。危険がいっぱいの環境の中でもたくましく生きている彼らはこの分野では私達を遥かに上回るレベルを生きているのかと思った次第です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落260

260 We must train the mind to daily recognize a certain amount of cosmic life and this can be done through two phases. One, by someone who is very good at reading Cosmic Records. And the other, by allowing your consciousness to give the revelation to your own sense mind. But to do this your mind must have trust in consciousness. You will know when you have blended the two, for then you will be living in full awareness of cosmic cause and the related effects. i.e. Since I have had the experiences with the Brothers I have been living in two phases of life. One, as I used to live performing my daily duties in a normal manner, but enjoying life more than I did before. While at the same time consciously aware of my experiences and of the individuals that I have met from other worlds. The experiences are as indelible upon my memory as my daily activities.
260 私達は毎日、心を宇宙的生活を幾分でも知覚するように訓練しなければなりませんし、これは2つの面から成すことができます。一つは宇宙的記録を読み取ることがとても上手い人物による方法。他は貴方の意識に貴方自身の感覚の心に啓示を与えることを許すことです。しかし、これを行うには貴方の心が意識を信頼しなければなりません。貴方はその2者が何時融合したかは分かるでしょう。何故ならその時、貴方は宇宙の因とそれに関連した結果の完全な知覚の元に生きているからです。即ち、宇宙の兄弟達との体験を持ってからは、私は二つの生命の面で生きています。一つは私がこれまで生きて来たもので普段通りに私の日常の義務を行い、しかも以前より以上に生活を楽しんでいます。一方、同時に、私自身の体験や私が会った他の世界から来た人物達について意識的に気付いているというものです。その体験は私の日常活動と同様、私の記憶に消えることはありません。


【解説】
 宇宙的記憶をどうしたら培うことが出来るのか、本項では2つの方法を提示しています。
 一つは優れた師と交わることで直接その記憶との交流の仕方を学ぶことだとしています。これには他惑星人との交流から私達が多くの事柄を学ぶ目的でもあります。アダムスキー氏自身も砂漠のコンタクト以来、彼らの実生活を見て、あるべき暮らしぶりを学んだものと思われます。
 一方でそうのような機会に恵まれない大多数の私達はどのようにすれば良いかということですが、それも手本は既に示されている訳で、素直に毎日を自分の中で意識に親しんで生活するべきなのです。基本的に全て必要な要素は私達自身の内側に供えられており、活用が待たれている訳で、私達が新たに用意しなければならないものはありません。ただ私達の内側、意識と仲良く暮らすこと、その示唆する印象を大切に取り扱う中で次第に宇宙的記憶とのパイプを広げることが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落259

259 To do this one must make the sense mind trust consciousness like trusting God. And this in turn calls for faith, oftimes called blind faith. To clarify blind faith a little further, we have eyes with which to see but they do not see any more than a window pane can see what is seen through it. It is you who sees through the window, so it is the consciousness of you that sees through the eyes. For when you become unconscious the sense of sight is still there but you no longer can see. The other senses follow the same pattern. So one should realize the importance of conscious seeing, or sense mind cooperation with consciousness if he is to have a cosmic memory of life. For then he can recognize himself through eternity from the pages of memory. This is an important phase if individual life if life eternal is to be earned. And that is what Jesus meant when He said, he who loses his life shall find life eternal.
259 これを成す為には、人は感覚の心を、神を信頼するように、意識を信頼させなければなりません。そしてこのことは次には信頼、即ち、しばしば盲目的信頼と呼ばれるものを必要とします。盲目的信頼というものを少しより明確にする為に見るのに用いる目について述べますが、目は自分が見ているものは窓枠がそれ自身を通じて見ている以上のものを見ている訳ではないのです。窓を通して見ているのは貴方であり、それ故、目を通じて見ているのは貴方の意識なのです。何故なら、貴方が無意識になってしまえば、視覚感覚はそこに未だあっても、貴方はもはや見ることはできません。他の感覚も同じパターンを辿ります。ですから、もし人生における宇宙的記憶を持とうとするなら、人は意識的に見ること、感覚の心が意識と協力することの重要性を理解すべきなのです。何故なら、そうすることで人は記憶のページの中から永遠を通じて自分自身を思い出すことが出来るからです。これは各自の人生が永遠の生命を得ようとするなら、重要な段階となります。また、これはイエスが自分の命を失うものは永遠の命を見い出すだろうと言った時にイエスが意味していたことです。


【解説】
 本項はより詳しく私達が日常気を付けなければならない本講座の学習のポイントを記しています。とりわけ重要だと覆われるのは、部屋に設けられたガラス窓の表現です。この場合、ガラス窓は部屋、即ち肉体の一部なのですが、大事なのはガラス窓は外界からの光景を部屋の内部に投影するもので、その景色を理解し観察するものではないということでしょう。カメラのレンズと同様にそれ自身が見て理解する機能はないのです。
 本文にあるように私達の中にある”意識体”がその光景を理解する訳で、肉体(部屋)の内部に”意識”と称される私達の本体があるという訳です。
 従って先ずはその存在を自覚し、それを信じ、信頼することから私達は学習をしなければならないのです。もちろん、この意識なるものは身体全体の働きを支えている存在ですし、私達自身がその存在に気付き感謝することを喜ぶものです。そういう意味でも私達のこれまでの尊大な自我を戒めて、より静かに全てを見守っている意識と繋がることが、この学習のポイントと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落258

258 Jesus blended His sense mind with consciousness and thus He was able to say, I am in the world but not of it, and many other statements that He made in reference to His past. And He could not have maintained these memories had He not blended with consciousness which carries the memories and contains the book of records.
258 イエスは自らの感覚の心を意識と融合させました。それ故にイエスは、私はこの世に居るがこの世の者ではないと言ったり、自身の過去に関連して他の多くの声明を述べることが出来たのです。そしてイエスは記憶を持ち運び、記録の書を内包する意識に融合しなかったら、これらの記憶を維持することは出来なかったでしょう。


【解説】
 私達が学ぼうとしている意識との融合の究極の姿は、イエスが身を持って示したご自身の姿でもあります。宇宙的記憶を養うことが如何に重要であるか、実はイエスは様々な機会を通じて私達に教えていたのです。
 私達が自分の成り立ちを知り、体験を生かす為には、これから生きる上で記憶をより明確にとりまとめ、要点・教訓をしっかり自身に染み込ませ、記憶するよう努力することかと思われます。
 以前に何処かで述べたかと思いますが、例えば他惑星の宇宙船を目撃する機会を得た時、自分がどのような心境であったか、またその出現はどのような意義があったのか等、その貴重な体験を記憶する上で必要な手掛かりを明確にして置くべきと思っております。
 毎日を充実した活動で送れることは、大変幸せなことですし、それらの体験を通じて得た事柄はその人の宝物になる訳で、私達はその奉仕の過程で、既に十分なる報酬を受けているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落257

257 Let us consider the meaning of this. Man has two souls, the soul of the sense mind, and the soul of consciousness. It is the sense mind that can be slain by lack of memory caused by adhering only to the so-called concrete effects. We can now see that memory is essential in order to have life eternal.
257 この持つ意味を考えて見ましょう。人には二つの魂があります。感覚の心の魂と意識のそれです。いわゆる具体的な結果にのみ追従することで記憶の喪失により滅ぼされ得るのはその感覚の心です。私達は今や記憶が生活を永遠に保つ為に不可欠であることは分っています。


【解説】
 本項が私達に教えることは、私達自身には魂と言えるものは2つあるということです。その内、感覚心と呼ばれるものは日常の私達の行動を支配していますが、それが結果物を拠り所としている為、ひとたびそれを失うと記憶をたぐり寄せることが出来なくなり、事実上、滅んでしまうということです。
 その結果、人は次なる人生を歩む際に、以前の記憶を失っており、再び混とんの中からその人生を始めなければなりません。それでは人生は永続するとは言えず、かつての経験も活かすことは出来ません。
 一方、本来の記憶は分子・原子に蓄えられており、それらはもう一つの魂である意識の中に蓄えられるとも言うべきでしょう。それらは私達の想念・印象を吸収し、保持する機能があるものと思われます。その結果、意識の中には万物創生以降の知識がふんだんに存在し、各自の過去生の記憶もその中に保持されていることでしょう。それらとどのように一体化するかが問われているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落256

256 So you can see that if the mind does not blend with the consciousness it can be lost in the sea of life. That is why great teachers such as Jesus have stressed, fear not that man that slays the body but the man who slays the soul.
256 ですから貴方には、心が意識と融合しなければ心は人生の海の中で迷子になり得ることが分かるでしょう。それがイエスのような偉大な教師が強調したこと、肉を切る者を恐れるな魂を切る者を恐れよの理由です。



【解説】
 記憶に関して述べている本項の中で、注目すべき表現は"lost(見失う)"という言葉でしょう。私達が記憶をたぐり寄せようとする時、つまり思い出そうとする際に重要なのは、その記憶事象と自分との繋がり、絆、関連性ということかと考えています。
 様々な要因との繋がりについて良く学んでいれば、その記憶をたぐり寄せることも容易ですが、一方で何もとっかかりが無い状況では、私達はただ広大な空間の中で手がかりの無いまま、途方に暮れるしかありません。つまり記憶とはそれらを関連する事物との繋がりの中で呼び起こすことが出来ると考えます。
 しかし、イエスの言うように魂から関連する繋がりを切ってしまう者が居るとすれば、それは肉体に危害を与える者以上に警戒しなければなりません。怠惰を助長させ、盲目的な快楽に陥れる者を近づけてはならないのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落255

255 I have had a number of such experiences with others. But it is sometimes difficult to convey to the present individual ego mind its past experiences and relationships. That is unless the mind of the individual blends with the consciousness of his own being, the all inclusive. This is not easy to do for most people dwell in the field of effects which they call concrete facts. Yet we know that behind each effect is the cause which is not as apparent as the effect.
255 私は他の人々についての数多くの同様な体験事例を持っています。しかし時として現状の各自のエゴの心にその過去の体験やつながりを伝えることは難しいものです。それは各自の心が全ての内包者である自分自身の意識と融合しなければ為し得ないからです。これは確固たる事実と称する結果の分野に居住する大多数の人々にとっては容易なことではありません。しかし、それでも私達は個々の結果の背景にはその結果物のようには明らかとなっていない因なるものがあることを知っています。



【解説】
 結局私達の自我の心は、普段、様々な意見を出し、私達の行動を支配しようとはしますが、その実、記憶力となると容易に覚えて居られない程、能力が低いということでしょう。確かに年老いて来ると今さっき体験した筈のことを簡単に忘れ、場合によっては肉親の顔も覚えていない状況も起こり得る訳です。これらは医学的にはアルツハイマー症等、脳の疾病と診断されますが、その基本的要素は私達自我の本質をより顕著に表した状況と考えています。
 この状況を回避し、高齢になっても記憶を保つ為には、本文に述べられているようにrelationships(つながり、関連性)を理解することが大切だと考えます。一つの結果、結果物だけを取り出して記憶するのではなく、それが生じた背景や経緯等、それらを生じさせた「原因」についてよく考え、関連性を理解するということです。
 このように物事を生み出す原因について正しく理解し、洞察することで私達は記憶の根を因の領域にまで広げることが出来るのではないかと考えます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落254

254 Yet another person who has alined himself with cosmic consciousness can locate the identity of an individual whose identity is lost to his present ego mind.
254 しかし自身を宇宙意識に従わせた別の人物はそのエゴの心に見失われている自己の正体を指し示すことができます。



【解説】
 これまでの学習内容から考えられることは、記憶というものは基本的には分子・原子に蓄えられるということであったと思いますし、本来的には強弱はあるものの、それらの中に全て蓄えられているということでしょう。
 私達が記憶を失くすのは、それが何処にあるのか探り出せない為であるのです。つまり、自我が物事の関係性や経緯を思い出せない為にその糸口をつかむことが出来ないことが想定されます。
 これに対して、私達が宇宙意識とお関係性を築いておけば、転生等によって再び生を受けたとしても、その普遍なる存在に自らの正体を求めて行けば良く、容易に自分が何であるかを理解出来る訳です。つまり不安定な地上や自我に記憶を蓄えようとするのではなく、宇宙意識の中に記憶を蓄積することが重要と言えます。「自分の宝は天に蓄えなさい」(マタイ)という聖書の言葉はこのことを示唆しているように思われます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落253

253 This is a common occurrence to millions of people when it comes to cosmic and ego identity. And is the reason why so few people are aware of their past lives. This shows that in the past as in the present there was a separation of the conscious real self and the personality or ego mind. For as we have stated before, consciousness is the only real eternal part of you. And it is in this consciousness that all activity is registered. Unless a man's mind blends with this consciousness he does lose his identity.
253 これは何百万人の人々にとって問題が宇宙的正体やエゴの正体になれば、一般的出来事となります。またそれは、如何にわずかの人々しか自分の過去生に気付いていないかの理由です。これは過去において今日と同様、意識の真実の自我と個性あるいはエゴの心とが分離していたことを示すものです。何故なら、以前にも述べたように、意識は貴方の唯一の真の永続する部分であるからです。そして全ての活動が登録されるのは、この意識の中になのです。人間の心がこの意識に融合しない限り、人間は自分の正体を失うのです。



【解説】
 確かに私達は生きている間、ある程度の記憶は保って居られます。また得られた知識を覚えていることでその体験を活用することも出来ます。しかし転生の区切りとなるとそれらの記憶が承継されないとはどのような状況を意味しているのでしょうか。
 本項はそれに関し明確な回答を与えています。即ち、転生後にも残るような記憶は宇宙的な真の自我に記憶されなければ転生先に伝えられないということです。実は私達のエゴの自我には仮に記憶しても肉体が死を迎える時、見失ってしまうものと思われます。
 つまりは私達が記憶を培うのは自分自身の中にある真の自我、自らの宇宙意識に記憶を留める必要があるという訳です。その為にも本文で述べられているように私達は真の自我、宇宙意識により親しむ必要があるということです。言い換えれば、生命の本質部分に親しみ、そこを拠点としない限り、永続する記憶は得られないということです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落252

252 To illustrate this let us use a man who has lost the memory of who he is. We have read of these cases. Some are well to do, hold good positions and have a family. Yet when this man loses the memory of his identity he re-establishes life in another part of the country, marries, has a family and works as a common laborer. If recognized by a former acquaintance he denies that he is the party for he remembers nothing pertaining to his previous life. This means that the first personality is dead to the mind while the body still maintains the identity.
252 このことを例示する為、自身が誰であるかという記憶を失った人を用いることにしましょう。私達はこのような事例を読んだことがあります。ある人は物事がうまく行って、良い地位を得て、家族も持っていました。しかし、この人が自身の正体の記憶を失った後は、他の地方で生活を再建し、結婚して家族を持ち、通常の労働者として働きます。以前の知人に発見されても、彼自身、以前の生活に関することを何も思い出せない為、いっしょにいたことを否定します。このことは心にとって最初の人格性は死んでいる一方、その肉体は依然としてその正体を保持していることを意味します。



【解説】
 記憶喪失については、ドラマ等で演じられることはありますが、私自身はその実態をよく知りません。しかし、記憶を失くすことがどのような事態をもたらすかは本項にもあるように、その後の本人の人生に大きな影響をもたらすことになります。
 このようなケースは一見、稀のように思えますが、こと宇宙的記憶、転生に引き継がれるべき記憶となると誰にでも起こっている一般的な現象ということになるのです。
 本来、私達は前生涯で培った知識や技能を何ら生かせず全てを忘れたまま、本生の人生を再び一からやり直しているという訳です。つまりは自らが本来保持すべき記憶を十分に留める努力をしない限り、折角の体験が生かされないことになる訳です。
 また本項で著者は私達に考えるヒントとも言える言葉を残しています。"the body still maintains the identidy(肉体は依然としてその正体を保持している)"。肉体は従来のままなのだが、それ以外のもの、即ち私達の心にとっての前の人格は死んでいるとも述べています。つまり心が参照すべき人格が失われているということです。言い方を替えれば、人格が無くなっても肉体は維持される訳ですが、それはそもそも何の為に肉体があるのかということにも及びます。私としては、人格が一番重要な要素であり、仮に肉体が同じでも人格が異なれば別の人物とも言えるからです。
 このように人格と記憶は一体のものと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落251

251Ordinary routine becomes habitual and governs the ego, but this cannot be called a memory. And unless man cultivates Cosmic memory he becomes nothing.
251 通常の日常仕事は習慣となりエゴを支配しますが、これは記憶とは呼べるものではありません。そして人は宇宙的記憶を養わない限り、無になってしまうのです。



【解説】
 私達が習慣的に行っていることは記憶に残るものではないと本項は警告しています。いつものような決まりきった事柄は私達の暮らしの中で多くの割合を占めていますが、それは宇宙的記憶という観点では何の足しにもならないということです。
 それらいわば、惰性的な日常仕事は一方で社会を支えている訳ですが、それだけでは私達の宇宙的記憶は開拓されようがないことも確かなのです。
 どうすればこの宇宙的記憶を育むことが出来るかはやがて本講座で学ぶことが出来る訳ですが、一つのヒントは私達の幼年期の記憶状況にあるように思います。ある年齢を越え高齢者と呼ばれるあたりから、人は日々の記憶は薄れがちになります。昨日何をしたか等々、直ぐには思い出せない訳です。しかし、各自が幼年の頃体験した事柄は、高齢となった時でも鮮やかに記憶が甦るものです。つまり毎日が目新しく、新鮮であった頃には記憶活動が活発であったということでしょう。しかし、日々の暮らしに新鮮味を感じられなくなると記憶に刻まれることなく歳月が過ぎて行くという訳です。
 本項にあるように、宇宙的記憶は"cultivate(耕す、育成する、培養する、育む)"ものであることが、理解のポイントと思われますし、私達は自分自身の宇宙的記憶力を育むことに努めなければなりません。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落250

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON SEVEN
Cosmic Memory
250 As man is not a man without a memory, then his memory is essential for the continuance of life. And the reason that most people do not remember their past experiences through various lives is because the mind never learned to memorize the important values gained. It has depended upon effects which are momentary and they come and go, especially the ones that we call unimportant that the ego feels are of little value.
生命の科学-学習コース
第7課 
宇宙的記憶
250 人は記憶無くして人ではない以上は、彼の記憶こそ生涯の連続にとってかけがえのないものです。そして、ほとんどの人々が彼らの過去の諸経験を思い出せないのは、心がこれまで一度として獲得した重要な価値を記憶することを学んで来なかった為です。心は時にやって来て、また過ぎ去る諸結果に頼っていて、特にエゴが感じる事柄は私達はほとんど価値がないものと言うことが出来ます。



【解説】
 各自の人生にとって何が一番大切かと言えば、「記憶」であると本項は説いています。折角苦労の末に得た経験も、もし失うこと、その記憶が喪失されることになったら大変です。得られた知識も失われることになる訳です。
 しかし、これらの事柄は私達が死を迎え、次の人生に引き継がれるべき記憶については、残念ながらほとんど継承されているとは言えないのではないでしょうか。折角得た知識も技能もその人生の終わりとともに失われるというのが地球の現状かと思われます。わずかに幼くして天才とも称せられるような才能を発揮させる者が出ますが、おそらくは彼らは自らの前の人生で得た記憶を保持し活用出来た者と言えるでしょう。
 記憶、とりわけ宇宙的記憶は最も重要なもので、私達が自らの力だけで生命の神秘を探究せよとするのは、そうでなければその肝心な記憶が本人に残らないからです。また、記憶は各分子原子に蓄えられるとされており、やがては子孫を含め後世の者にも影響を与えることにもなる筈です。即ち、自らが優れた記憶を持つことは後世の者達にも役立つことになるのです。
 南アジアでは釈迦は悟りを得るまでに10回の生涯を送ったと伝えられています。実はそれほどに今日私達が取り組んでいる課題は壮大なものであり、それゆえに各生涯の記憶というものを如何に次の人生に引き継ぐかについて私達は真剣に考えなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落287

287 In the next lesson we will explain this more thoroughly.
287 次の課ではこのことを更に徹底的に説明しましょう。


【解説】
 誰しも幼年期の記憶の幾つかは鮮やかに覚えているものです。それが何処に起因して記憶に保たれるかについては、その体験が意識レベルまで深まったものであったことが原因と思われます。
 前々項(285)の船と船長の話についても、両者が一心同体のような意識の融合状態にあったためのものですが、諸々のものに自分と区別なく一体化する所に、本学習のポイントがあるように思われます。
 これは芸術の分野では特にそうで、絵画を描く画家が描きつつある一枚の絵の中に自分の意識を没入させるように、意識を自在に移行させ、対象物との自他の区別を無くすことが対象を理解することに繋がるというものです。
 そういう意味からは、私達は自らの身体や自然界を通じて、最も知るべきは創造主ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落286

286 This is comparable to all form life in relationship to conscious intelligence once man lives the oneness of life. And this is the way that I felt when I was on the ship.
286 これは一度、人が生命の一体性を生きるようになれば全ての形有るものの生命と意識の知性との関係は同様になります。そしてこれが私がその宇宙船にいた時に感じた状況です。


【解説】
 結局、私達が目指す宇宙生命との一体性は決して難しいものではないのです。全ての生きとし生けるもの達とは同じ「意識」で繋がっている訳で、それを中心に据えて生きていれば、全てが自と他の区別なく、互いの奉仕の中で各々の生命を全う出来るということでしょう。
 時、まさに春爛漫の季節を迎えようとしていますが、櫻や木蓮その他様々な花は皆、その種毎に連動して花を咲かせ、周囲を楽しませています。多くの草木が新芽を出し、花を咲かせるこの季節はまさに生命の絶えざる再生を表します。またその姿を通じて私達に生命の価値を教えるものでもあります。これら多くの生きとし生けるもの達と同じ世界に生きていることに私達は感謝しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落285

285 When I succeeded in doing this my mind felt that a vast door has been opened to an unlimited vision. And I experienced a full comprehension of things that my mind had never heard before. It was a feeling of no limitation, and everyone, including the ship, seemed to be a part of me. The ship seemed to become a living thing and for the first time I understood how a Captain of an ocean liner feels when his ship is sinking. In many cases he sends the crew away but he stays with the ship. And should he leave the ship he keeps looking back until it is seen no more, and he feels that a part of him went down with the ship. And a part of him did go down with it which he can never forget, for its impressions were so intense. You see the ship's life was also the captains life as they had lived together so much that they became like two persons, each sharing the others feelings. One was the intelligence of the captain, the ship was the servant, and through this they became as one.
285 私がこのことに成功した時、私の心は何か巨大な扉が無限に続く視野へと開かれているように感じました。そして私はかつて私の心が聞いたことのない、ある完全な物事の理解というものを経験したのです。それは無限の感じであり、誰もが、その宇宙船も含めて私の一部のように思えました。宇宙船は生きているもののように見えましたし、はじめて私は大洋を渡る客船の船長がその船が沈む時にどのように感じるかを理解しました。多くの場合、船長はその船員を退避させますが、彼は船に留まります。また彼が船から退去するにしても、彼は見えなくなるまでその船を振り返って見ていることでしょう。そして、自分の一部が船といっしょに沈んだと感じます。そして彼の一部は実際、それと共に沈んで行き、彼はそれを忘れることは出来ません。その印象がそれほど強烈だったからです。お分かりのように、その船の生命はまたその船長の命でもありました。両者はそれほどに長い間共に暮らした為、二人の人物のようになり、互いに他が抱く印象を分かち合っていたからです。その二人とは一人は船長の知性であり、船はその召し使いでした。そしてこれを通じて二人は一体になっていたのです。


【解説】
 意識を中心に生活する際の究極の状況が本項で言う一体感なのだと思われます。互いが意識レベルで融合する時、両者は一体となり想念も自由に交流でき、互いが感じることを分かち合えることになります。
 本項では船と船長の例が語られましたが、これは人と人なら尚のこと互いが一体となって同じ感動を得られることになります。詳しいことは分かりませんが、映画「アバター」では他惑星で住人達が生命の木を前に揃って祈りをする場面がありました。映画の中では何百という人々が一斉に同じ動作となって表現されています。一人一人が一つの細胞の役割を果たし、集団全体が一つの生命体を構成するようなイメージを伝えていました。
 意識レベルで互いに融合することの中には、新時代に相応しいより高次な人間の生き方に通じる要素が備わっているように思います。土星旅行の場合、そのような高速度で宇宙空間を移動する為には、おそらく乗員の全てが意識レベルにおいても一体化する必要があったものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落284

284 At this point my feelings were mixed between mental curiosity and the cosmic purpose of the trip. So it was my duty as a mentalist to control myself and know that I meant nothing, but what I was about to learn meant everything. In other words I had to lend myself to my better self which was the conscious teacher, knowing that my personal toys would be there when I needed them.
284 この時点で私の印象は心の好奇心とその旅行の宇宙的目的との間に融合されました。そこでは心主義者として私の為すべきことは自分自身を制御し、私が示すものは何らの意味はなく、私がこれから学ぼうとすることが全てであることを知ることだったのです。言い換えれば、私は意識の教師であるより良い自分自身に自分を委ねなければならなかったのであり、それは必要になった時、私の個人的なおもちゃ(訳注:個人的な興味の対象物)は現れることを知っていたからです。


【解説】
 自分自身との付き合い方は容易ではありません。与えられた折角の機会でも、単なる浮ついた好奇心に支配されて大事なものを失うことも多いものです。アダムスキー氏にとっても、類似した傾向を持ったことを本項で明かしている訳です。
 その場合、舞い上がる心を諭して、より本質的な課題を目指すよう心を指導する意志があれば、後は意識がその後の支援をして呉れるというものです。この意識による支援を頼りに生きることが、重要なポイントということになります。
 多くの場合、これらが自動的に行われるようになると、その成果も増すことから、益々意識への信頼も高まり、印象を重視した本来の生き方が実現することになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落283

283 When leaving California I walked into a small scout ship. It took me to a mother ship that was a different type from any I had been in before. There were many things to distract my mind from the purpose of the trip and I was interested, from the mental side of my nature, in all the strange looking instruments. But soon I realized my distraction and organized my faculties, remembering the purpose. This was not easy to do, for the mind is very selfish and wants to eat more than it can digest and by so doing it scatters itself in various directions. But my consciousness told me that on the return trip I would have time to observe all of these things and in the meantime I was to place my mind in unison with my consciousness that I might absorb the important lessons that were to be given.
283 私はカリフォルニアを離れるに際して、1機のスカウトシップに乗り込みました。それで母船まで行ったのですが、その母船はそれまで乗ったものとは異なるタイプのものでした。その旅行の目的から私の気をそらす多くの事物があり、私の心の側からすれば興味がある奇妙な形をした装置類がありました。しかし、直ぐに私は自分が気を散らしていることに気付き、旅行の目的を思い出しながら私の果たすべき機能について整理しました。これは容易なことではありませんでした。何故なら、心は大変自己中心的で消化できる以上のものを食べようとしますし、そうすることによって様々な方向に自分自身を分散させてしまうからです。しかし、私の意識は私に帰還の際にこれらすべての物事を観察する時間があることを教え、そうする内に私はこれから私に与えられる筈のその重要な教科を吸収出来る様、私の意識と調和させることとなったのです。


【解説】
 既に多くの読者が知っている「土星旅行」(1962年3月27日から30日)がどのように為されたかが、本項以降に記述されています。この土星旅行なるものは、アダムスキー氏の他の宇宙船同乗の場合と異なり、土星で開催された惑星間会議という特別な意義を持っていた訳です。
 また、この時の宇宙船のスピードに関しては、当時の協力者の間でも物議をかもしたことも有名な話です。なお、ちなみにその点に関して、アダムスキー氏は全くの意識による旅行をしたのではないかという疑問に対し、前回の解説欄(282)で、私が会ったエマ・マーチネリ女史から与えられた逸話として、エマがアダムスキー氏にその件を問いただした所、氏は髭剃り用の安全かみそりを持参したと話され、通常の肉体のままの旅行であったことを紹介済です。
 さて、この宇宙船は高速で飛行する為の特殊なものであったようです。詳しくは語られませんが、確か「土星旅行記」の中では宇宙船から出た時に、一同の身体が光っていたという記述があったように記憶しています。それ程にその宇宙船の内部は特殊な機能に溢れていたものと思われます。そうした光景が目に浮かぶようになれば、少なくても私達は自らの意識を浸透させて、著者と同じ状況を垣間見ていることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落282

282 Here I will endeavor to give a short experience that I had on my Saturn trip. And you can see how well you can place yourself in consciousness with me, and in this way you can see if the trip is as real to you as it was to me when I made it.
282 ここに私は私の土星旅行の際に得た短い体験を伝えようと努力したいと思います。そうすれば貴方は私といっしょに貴方自身を意識の中に上手く置けるかどうかが分かるでしょうし、このようにして貴方はその旅行が私がそれを実行した時、私にそうであったように貴方にとっても実際のことであるかが分かることでしょう。


【解説】
 本項以降で著者は私達にいわゆる「土星旅行」の際に著者が見た光景と得た体験を「意識的に一体になる」手法で、追体験するよう求めています。
 よく物語に引き込まれ、その世界に浸ることがありますが、それは意識的に融合した結果、生まれる感覚のように考えます。即ち、書物に書かれた物語であれば、それは著者が執筆時に意識していた世界と同じ状況に読者の意識状態が同調することを意味しているものと思われます。
 従って、もし意識を自由に動かして様々な世界に移行することが出来れば、居ながらにして遠隔地の出来事や過去や未来についてもある程度、把握することが出来ることでしょう。
 一見、何気なく例示されている「土星旅行」ですが、著者アダムスキー氏にとっては、これまでにない大きな意味のある宇宙旅行であったことが分かります。「生命の科学」の学習においても自らの意識の作用を理解する上でも、著者がここで何を伝えようとしているのか、注意深く次項以降を読み解く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落281

281 Remember it was not the mind that created itself, cosmic consciousness was its creator and what it created it can correct and have it function perfectly when the sense mind blends with it. Even old age can be wiped away for that is a concept of the sense mind. We could say that as age came by man, so must youth come by man. The Bible states that as death came by man so, must life come by man, the sense mind. And this can be done when he becomes one with cosmic consciousness for it knows no age, nor time or place. It is always in the prime state of life and all inclusive.
281 覚えておいて欲しいのは自分自身を創ったのは心ではなく、宇宙意識がその創造主だということ、そして創造し生み出したものは正すことが出来、感覚心がそれ(訳注:宇宙意識)と混ざり合う時にはそれ(訳注:自分自身)を完全に機能させることが出来ることです。老化でさえ吹き飛ばすことが出来ます。何故ならそれは感覚心の一つの概念だからです。私達は老齢が人によってもたらされた以上は、若さも人間によってもたらされる筈だと言えるでしょう。聖書は人によって死がもたらされたからには、命も人即ち感覚心によってもたらされる筈だと述べています。そしてこのことは人が宇宙意識とひとつになる時になされ得るのです。何故なら宇宙意識は年令を知らず、時間も場所も知らないからです。それは命とすべてを含む中にあってその原始の状態にあり続けているのです。


【解説】
 前項(280)では花に対する意識の交流についての話がありましたが、更に身近な例は私達自身の身体に対する場合でしょう。即ち、私達の意識が作用する最も身近な対象です。またその作用結果を直ちに見られるのも良いところです。通常、私達は様々な心の誤用によって肉体を痛めつけていますが、その被害を受けているもの私達自身であり、まさに自業自得の法則の中に生きています。
 しかし、一端、これを善い方向に活用すれば、苦しみは消滅し、心身は本来の健やかさを取り戻すことは間違いありません。元来、肉体はそのように創られ、維持されるよう意識によって統制されているからです。
 このような仕組みに対し、私達はあまりにも無知であり、正しい肉体の使用方法を学んで来なかったという訳です。その結果、病気や老化が進行してしまう訳で、私達はまず、宇宙意識の作用について学ぶこと、その精妙な指導の声に耳を絶えず傾けていることです。各自の生命の終りは未熟な心によってもたらされるからには、その心の変革によってそれらを永遠の生命に立ち戻させることが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落280

280 So one could begin to practice on the flower first, but do not be disappointed on the first tries, just be more determined to master the art. Remember the old habits will be in your way until you absorb them into better ones. Wherever you go and whatever you see or do make sure that your mind is aware of the cosmic life and intelligence that is back of all creation. And nothing is free of that life and intelligence any more than you are. For the smallest molecule in the cosmos is just as intelligent and alive as any other form and it serves its purpose. Yet your physical sight does not see the molecule, but your conscious sight can. And once you have made this a part of your life, ills that you may have had, of any nature, will vanish when you correct your mental life.
280 そこで最初は花で練習を始めても良いでしょう。しかし、最初の試みでがっかりせず、只、その技能をマスターすることをより深く決心して下さい。古い習慣は貴方がそれらをより良いものに吸収するまでは進路に居続けることを憶えておいて下さい。貴方が何処に行こうとも、貴方が何を見て、何を為そうとも、貴方の心は全ての創造物の背後にある宇宙の生命と知性に気付いていることを確認することです。そして貴方がそうでないように、如何なるものもその生命と知性から離れていないのです。何故なら宇宙の最小の分子でさえ、他のどのような形有るものと同様に知性があり生きていて、その目的に奉仕しているからです。しかしそれでも貴方の肉体の視覚はその分子を見ることはありません。しかし、貴方の意識の視覚はそれが出来ます。そして一度、貴方が貴方の生活でこの部分を達成すれば、貴方が持っていたかも知れない病気というものは、どのような性質のものであれ、貴方の精神生活を修正する時、消滅することでしょう。


【解説】
 私達にとって大事なことは、一度や二度の試みがうまく行かなかったからと言って、本質への努力を諦めてはいけないということでしょう。もとより、何十年、あるいは何百、何千年と続けてきた心の週間は一朝一夕に打ち破れる訳ではないからです。
 しかし、私達が何処に居ようと、何を見ようとも、そこには物質を超えた宇宙生命活動があり、そのことに気付く意識的な目が私達に備わっていることを忘れてはなりません。肉眼が明らかに出来ない分子の世界もこの意識の目は見ることが出来、因の世界における目覚しい生命活動を明かしてくれる筈です。
 そうした新しい世界を自在に目にすることが出来れば、もはや私達は病をもたらすような肉体内の不調和な状況は消滅し、生命本来の姿に浄化されることは間違いありません。
 宇宙を流れる生命波動をご自身の中に導き入れることで、あらゆる物事がうまく回り始めることになる訳で、これは自然がありのままで美しさを表現しているのと同様、極当然のことだと考えます。
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