生命の科学 第6課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落219

219 Now let us observe how different types of thoughts manifest. If an angry thought enters the mind the facial expression changes to represent the anger. And if a happy thought is present it expresses, etc., etc. It is no different than a sculptor who molds out of clay a thought that he has in mind. So a thought whatever it may represent is like the sculptor for it molds the facial expression to represent itself. So we as intelligent beings desiring youthful, healthy, well proportioned bodies should always have that type of thought for it will mold the body according to its pattern. And a thought of newness especially along cosmic lines is important if the body is to maintain youthfulness.
219 それでは如何に様々な想念が体現するかを観察することにしましょう。もし怒りの想念が心に入り込むと、顔の表情は怒りを表わす為に変化します。また、楽しい想念が居合わせた場合にはそれはそれこれの表情を表わします。それは彫刻家が心の中で抱く想念を土からかたどるのと違いはありません。ですから想念がどのようなものを表わすにせよ、彫刻家のようなものです。それ自身を表現する顔の表情をかたどるからです。ですから若く、健康で良く調和した肉体を望む知性的存在である私達は常にその種の想念を持つ必要があります。何故なら想念はその想念パターンに従って肉体をかたどるからです。そして特に宇宙的分野に沿っての新規性ある想念は肉体が若さを保つ為には重要です。


【解説】
 結局はその人の人生を長寿にさせるか、短命なものとするかは基本的には本人の取り込む想念次第であり、本人の責任と言えるでしょう。私達は理由はどうあれ、心の不安定を抱えており、些細な事柄にも自身の意にそぐわないと不機嫌になりますし、怒りさえ引き起こします。その一つ一つの想念は自身の怒りの表情を即座に作り出すと同時に身体内部にも大きなストレスを与えることとなります。
 こうした状況を長年続ける中で、私達の肉体はやがてそれに耐えられず、急速に劣化の一途を辿ることでしょう。
 一方、これに対し、どのような場面でも調和ある心境を保ち、創造主から託された任務を全うしたいとする心境を保つことが出来れば、肉体は創造の時からの状態を保つことが出来ます。
 古くから「怒りは敵と思え」という言葉が伝わっていますが、心の抱く想念への警戒を説いたものと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落218

218 Let me clear the point of man being a thought. To create a form like that of man or any other, whatever is responsible for creating the form had to have a thought pattern of the form before it could be created. Man is a thinking being, for if he did not think he would not be what he is as thought is the motivating force of his being. He has to think before he can walk or eat and no matter what he does he has to have a thought as a director. And these thoughts come to him either as a combination of past experiences, associations with others, or as cosmic impressions.
218 人が想念であるという要点について明確にして置きましょう。人あるいは他のどのような物でも形を造り出す為には何者がその責務を担っているにせよ、それが創造される前にその形についての想念パターンを持たねばなりません。人は考える存在です。何故なら想念がその存在の原動力である故に、もし考えることをしなければ、人は自分が自分であることがなくなることでしょう。人は歩くにせよ、食べるにせよ、その前に考えなければなりませんし、如何なることをするにしても想念を指揮者にしなければなりません。そしてこれらの諸想念は過去の体験や他との結合として、あるいは宇宙的印象類としてその者のところにやって来ます。


【解説】
 繰り返しになりますが、人間を形作るのは想念だということです。私達が受精卵から今日の身体まで形成されたのも、各々の形成の過程で適切な想念が与えられ、分子原子がそれらに従って細胞を造り上げて来たからに他なりません。
 同様に誕生以後も日々取り込む想念によって、人それぞれの性格も形作られて行く訳です。それ故にどのような想念と同調するかは大切な問題なのです。良質な想念に対し常に素直で受容的な態度で受け入れ、そうでないものを自身に取り入れないよう常に監視して置く必要もあるのです。
 物質・物体に先行して想念・印象がある訳で、その想念・印象がその後の物質・物体を左右していることに気付く必要があるのです。当然好ましい想念・印象は好ましい結果をもたらすでしょうし、私達の未来も今日抱く私達の想念・印象が作用することになります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落217

217 Newness is youth as well as progress. And there is some evidence today of the effect that newness has on society. For we can observe increasingly large numbers of people who do not show their age as they did in the past because in these days of scientific discovery something new is brought to their attention almost daily. Whether they understand or not the effects are there. Since man is nothing but a thought in action, any new thought, especially of cosmic nature, will have an effect upon his body.
217 新しさは若さであり、進歩でもあります。そして今日では新しさが社会にもたらしている効果についていつくかの証拠があります。何故なら私達は今日の科学の発見の時代にはほとんど毎日のように何か新しいものが注目される為、かつてのように年令を思わせない多数の人々がだんだん増えているのを見ることができるからです。彼等が理解しているかいないかは別としてその効果はそこに出ているのです。人は行動する想念以外の何物でもない為に、如何なる新しい想念であれ、とりわけ宇宙的性質を帯びたものは、その肉体に効果をもたらすことでしょう。


【解説】
 私達が日々どのような想念を抱き、受け入れているかがその人を形作って行くと言えます。幼子が毎日充実した一日を送れるのも、新しい体験を楽しみ、好奇心に満ちた時間を過ごしているからとも思います。
 一方、それに引き替え、歳を重ねるにつれ毎日の暮らしに感動も新鮮さも失いがちになってしまいます。しかし、それこそが注意すべき点です。新しい事柄や知識から私達が学び続ける中で私達は若さを保つことが出来ると著者は説いているのです。
 そういう意味では、他惑星人は学習の一環として宇宙旅行を多くすると同乗記に記されていました。自分が知らない土地や場所を見ることや他の人々と交流すること、他の文化に触れることも大いなる学習と言えるものです。
 基本的に宇宙空間には活発な想念・印象が湧き出ている訳で、私達はただそれに対し受容的な心境を保ては良く、そうすれば自ずと生命力溢れる想念を取り入れることが出来る筈です。また更に言えば、こうした状況を多くの人に気付いてもらうことが社会全体を向上させることにもなる訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落216

216 We can be thankful for the small minority of people in the world that are constantly looking for something new, not satisfied to live the doctrines of the old. It is this class of people that keep agitating the majority of the minds towards the better way of life without violence but with an understanding. The masses move very slowly and if it were not for this class of people that make them listen to the new phases, they would have been extinct long ago. Decayed by the law of monotony. But the newness that the few bring to the attention of the masses keeps them going. Slowly but surely.
216 私達は昔からの教義に満足せず常に何か新しいことを探し求めている少数の人々に感謝すべきかも知れません。暴力によらず共感をもって大半の人々の心をより良い生活の方向に進むよう促し続けるのはこの部類の人々です。大衆はとてもゆっくり動くものですし、もし新しい側面について耳を傾けるよう促すこの部類の人々がいなかったら、彼等はとうの昔に消滅していたでありましょう。退屈の法則によって朽ち果ててです。しかし、大衆の注目を引き付ける新しいものは、彼等を歩み続けさせます。ゆっくりですが、確実にです。



【解説】
 医学の進歩や映像機器から携帯電話まで様々な技術の進歩が今日の私達を支えています。そのお蔭で人々の寿命も伸びている訳ですが、一方では高齢化社会と称されるように老化問題もより顕著になっています。
 端的に言えば、他惑星人は何百年もの寿命がある中で、現在の地球の高齢者と比較すれば、同じ年齢でも格段に若々し肉体を持っていることが想像されます。本来的には私達は更に寿命を伸ばすべきなのですが、何故それが出来ないで居たかの方が問題なのです。
 日常的な心の葛藤やストレスその他で私達は自分の肉体を痛め続けている一方、心は習慣の中に埋没しがちです。そうした中で次第に新鮮さや感動というものが薄れ、老化が急速に進行するものと考えます。
 一方、自然の中では不思議と老朽化した姿を目にすることがありません。おそらく老いたものはすぐに他のものの餌食になるか、直ぐに朽ち果てて表舞台から退場するからかも知れません。しかし、それ以上に重要だと思うのは、自然界には宇宙本源から生命を刺激する印象が絶えず降り注いでおり、常に新鮮な想念が行き交い、万物はそれらに呼応して行動しているということでしょう。
 若さはこれら新鮮な想念を取り込み、呼応して活動する結果として保たれるという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落215

215 You see the body is on one hand independent of the mind, yet on the other hand there are certain cell groups that are related to the mind and obedient to it. This is the cause of the conflict that a human finds himself in daily. The mind is inclined to be habitual and lazy. It would rather travel the road of least resistance than the road of progress that calls for steps yet unknown. This is why we are plagued with tradition and conventions of ancient times that no longer fit into our present way of life. But despite this, the mind must accept things from time to time whether it likes it or not.
215 おわかりのように肉体は一方では心からは独立していますが、他方では心と関係を持ち、心に従順な或る細胞群もあります。これが人間が日常、自分自身に葛藤を感じる原因です。心は習慣的で怠惰になる傾向があります。それは未知なる階段を必要とする進歩の道よりも最小限の抵抗しか無い道を歩むことを常としていました。これが私達が今日の生活方法にはもはや当てはまらない古来の伝統や因習に患っている理由です。しかし、これにも拘わらず、心は時としてその好き嫌いによらず物事を受け入れなければならないのです。



【解説】
 随意筋・不随意筋という仕分けがありますが、心の指示による部位も私達の身体の中には多いように思われます。一方で心とは関係せず身体を支える活動をしている部分があり、私達はその恩恵により生きている訳です。
 このように私達自身の身体の中にも心に従順な細胞と意識に従順な細胞とに分かれているということでしょうし、両者が異なる方向を志向することで体内に混乱が生じることになります。
 とりわけ、何か重要な局面に私達が立った時、かつての経験にしか基づくものがなく、新しいこと未知なる体験を嫌がる心の傾向と相矛盾する事態も起こり得ることでしょう。その心に支配されている部分はやがて歳を重ねるにつれ勢力を拡大し、文字通り頑な肉体となって老人化するということでしょう。
 従って、多少の不安はあっても、どしどし新しい事柄にチャレンジすることで、これらの細胞を再教育し、柔軟さを取り戻すことが重要です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落214

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON SIX
Newness, The Rejuvenator Of The Mind
214 In lesson five we showed you how the mind can get lost in the jungle of opinions.
生命の科学-学習コース
第6課
新しさ、すなわち心の若返りの推進役
214 第5課では私達は皆さんに心が意見というジャングルの中で如何にして道に迷ってしまうかを示しました。



【解説】
 第6課を始めるに当たって、著者は第5課の最後の部分で示した心が様々な意見の中で迷ってしまうことを改めて述べています。
 いわゆる”迷い”の状態である私達の真実の姿がこのように形容されることについては、私達は単に読み飛ばすことなく、それがどのような状況だと著者が説いているのかを分析する必要があります。
 もちろんこの中には他人の意見もあることでしょう。今日のように右から左までの多数の論者、評論家の意見がマスコミ等で垂れ流される中で、私達はどれが真実なのか、進むべき方向に迷うことはある意味、当然のことなのです。おそらくそれと同様により深く根底に及ぶ想念・印象の取扱いについても、既存の宗教は様々な主張を繰り返している為、却って私達自身が素直に現実を観て学ぶことを妨げているとも言えるのかも知れません。
 つまりは自身で展望の効いたすっきりした世界観が認識出来れば、以後の迷いは消滅すると思われますし、その為にどのような心境、心構えを維持すべきか、本課で学ぶことが出来るものと考えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落249

249 The goal we seek to attain should be all that matters and no obstacle should prevent us from attaining it.
249 私達が到達しようと求めているゴールは大事なことの全てであるべきであり、如何なる障害も私達がそれを達成することを妨げることがあってはなりません。


【解説】
 目指す目標は各自異なるものであっても、それら全ては許容され、思うままの発展発達が出来るとしています。真の自由意志の発現です。
 元来、創造主は各自に様々な才能を与えている訳で、各自の望まれた方向に本来の能力を発揮すべきことは言うまでもありません。また次なる人生の為に下勉強も重要です。
 当課は「新しさ、すなわち若返りの推進役」がタイトルになっている通り、日々新たに更新される概念、いわば「生きている」波動全てが私達に語り掛けるヒントに沿って、新しい自分を開拓して行くことを著者は私達に託しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落248

248 We must build on a rock foundation and not on shifting sand. So that when diversity and opposition cause a storm in our life we can stand firm and not be swept away because of a weak foundation.
248 私達は転じやすい砂の上では無く、磐石の土台の上に建物を建てなければなりません。それは、多様な変化や反対が私達の生活に嵐をもたらす時、私達が弱い基礎のせいで流される代わりにしっかり建っていられる為です。


【解説】
 何事も基礎が大事であるという訳です。即ち、少しばかりの、理解が浅い丸呑みの知識では先々寄せる世間の荒波に耐えることは出来ません。いたずらにテレパシーやその他の能力のみを志向して行くと、世間の誘惑に立ち向かうことは出来ないものです。
 先ずは目に見えない「意識」の存在にどれほど気付き、自らの肉体を存続させて下さっていることに感謝しているかが重要で、その上で自らの心を律する鍛錬が必要でしょう。しかし、これらの鍛錬は自ら求めなくても日常生活を送る中で機会は訪れることになります。様々な誘惑が訪れ、日々試される訳で、それらに対して自分がどのような行動をとり易いかを、先ずは観察し、その実態を学習する必要があります。
 その際にポイントとなるのは、「意識」への全幅の信頼と畏れかと思います。至らない自分を最後まで面倒見てくれるその存在を裏切ることのない人生を送ることだけが進化の道ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落247

247 Yet to live this new kind of life among the many who do not, one must have unshakable faith and patience in order to endure. For everyone will not grasp the idea immediately, humanity is very slow to change. But change it must if it is to survive. And pioneers in any field must be strong and determined if good results are to be realized.
247 しかし、この新たな生活を送る為には、そうではない多くの人達の中にあって、人は耐える為に揺るぎない信頼と忍耐を持たねばなりません。何故なら、誰でもその概念を直ちに掴み取る訳ではなく、人間性とは変化するのに大変遅いからです。しかし、生き延びる為には変化しなければなりません。そして先駆者はどの分野にせよ、良い成果が実現される為には、強く決意しなければなりません。


【解説】
 この意識の指導、印象に従った生き方は私達にとって初めての分野であり、一般世間の中に生きながらその実践をして行くことは容易なことではありません。まして今日ではTVその他多くのメディアが惰性的な情報を流しており、また一方では激しい競争社会の中で正しい道を生き抜く為には大いなる決断と実行力が求められます。
 著者はこのことを良く理解した上で、私達に他の模範となるよう、また後続の者達を導くような存在になることを求めています。生きた実践を示すことが何より重要だからです。
 とかく世間の風潮や自身の生活パターンに流されがちの毎日ですが、少なくとも今日一日、新しい発見、新しい試み、新しい体験を行動を通じて身に付け、他者に伝えられるよう秘めた決意をして向き合いたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落246

246 Examples have been used in many ways. i.e. If a dictator wants to dominate his people, he destroys those who, oppose him, as an example to others. If examples can be used in this way, why can't we set a fine example for the world to follow? We can with action and not just words and dreams. And this can be done only by living the things that we know. We must be honest and truthful to our better self before we can be honest and truthful to others. We must trust our consciousness if we expect other conscious entities to trust us.
246 例示というのは様々な方面で用いられて来ました。即ち、独裁者がその人民を支配しようと思うなら、反抗する者を他の者への見せしめとして滅ぼします。仮に例示というものがこのように用いられ得るとすれば、何故私達は世界が従うような素晴らしい例示を打ち立てようとしないのでしょうか。私達は単なる言葉や夢でなく、行動によってそれが出来るのです。そしてこれは私達が知っている事柄を生きることによってのみ、行い得るのです。私達は他の者に対して正直で誠実である前に私達のより良い自己に対して正直で誠実であらねばなりません。他の意識ある存在が私達を信じてくれることを望むなら、私達は私達自身の意識を信頼しなければなりません。


【解説】
 空に出現する虹のように自然は時々、私達に美しい光景を見せて呉れます。これらは創造の世界の一端を私達に垣間見せているもので、私達はその光景から改めて壮大な創造の力の大きさと美しさを実感するものです。
 本講座を学ぶ私達は、既に第6課の終盤に差し掛かっており、著者は私達各々に各自実践して得た内容を他者に示すように求めているのです。各自が周囲の人達に生きる手本を示し、この学習の内容が真理に基づいていることを示して欲しいと願っているのではないでしょうか。
 もちろん、その内容は単に知識としての「生命の科学」ではなく、各自が理解し実践した経験であることが必要です。半歩先に進んだ者が後続の者の為に体験を伝授するという訳です。言い換えれば私達もそろそろ具体的なる応用事例や体験を語るべき段階になりつつあることを自覚すべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落245

245 You must re-create your ability by manifesting it in your daily life. And then you will prove to yourself that you can live that which you have been consciously aware of. Thereby it will not only serve you, but others also by your example.
245 貴方はそれを日常の生活の中で体現させることによって貴方の能力を再創出させなければいけません。そうすれば、貴方自身に貴方がこれまで意識的に気付いていたことを生き通せることを証明することになるでしょう。そのことによって、貴方に役立つばかりでなく、貴方の事例によって他の者にも役立つことになるでしょう。


【解説】
 「人間、思い通りの者になれる」とは古今東西、言われている所です。自分が抱く人生のイメージは自ら実証出来ることは大事なポイントです。
 その為には、その抱くイメージは常に清廉であるべきで、自らの事例を他者に影響を及ぼす意味からも、優れた模範になるべきことは言うまでもないでしょう。私達が取り組む一人一人の人生は、他者に影響を与えることにより大きな意義があるのです。
 しかし、前述のようにその実現の為には、意識への盲目的とも言える信頼と新しい分野に飛び込んで行く勇気も必要ということになります。自ら目指すものを正しく設定すれば、その実現に向けた一歩を踏み出したことにもなる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落244

244 Of what value is a talent if you do not use it? Suppose you have the talent of a great artist and know it, but all you do is to think and dream about it. And never bring it forth into reality which takes action to accomplish, so you never profit from it. You do not even prove to yourself that you could manifest your dreams and make them a reality. So all of your dreams and prayers regarding your talent are still unknown and remain in the dream state. And this will continue until you decide to express your latent ability. For then and then only will you prove to yourself that it is real and livable. And so it is with self development - the potential of all that we have spoken of is within you, but it will not do you or anyone any good as long as you do not bring it forth.
244  もし貴方がその才能を使わないとするなら、才能に何の価値があるでしょう? 貴方には偉大な芸術家としての才能があったとし、貴方がそれを知っているけれども、貴方はそのことを考え、夢見ているだけの状況を考えて見て下さい。そしてそれを達成するには行動を必要とする現実世界にそれをもたらすことが無かったとすれば、貴方はそれから何らの利益を得ることは有りません。貴方は自分の夢を形に表わし、それらを現実にできるということを自分自身にさえ証明していないのです。ですから、貴方の才能に関する貴方の夢や祈りの全ては未だ知られることなく、夢の状態に留まっています。そしてこのことは貴方が自分の潜在する能力を表現しようと決意するまで続きます。時として、貴方はそれが本当であり、生きたものであることを自分自身に証明することしかないのです。ですから、それは私達がこれまで話して来た貴方の内部にある全ての可能性である自己発達とも同期していますが、それは貴方が現実化させない限り、貴方や誰に対しても良いことをもたらすものではありません。


【解説】
 私達各人の内部にはこのように溢れるばかりの才能とそれを授ける英知が備わっている訳ですが、それを現実の形に表現する為には、各自、自らが行動を起こす必要があります。実は英知はそれを期待して才能を授けているのです。
 しかし、私達は多くの場合、夢ばかりを語り、それを具体的な行動として現実世界に適用しようとはしないようです。一歩踏み出すことには、決意と一段と進んだ"英知への信頼"が必要だからです。行動を通じて新しい体験が生まれ、自らの欠点も明らかになる訳で、行動をして見なければ、新しい展望は掴める筈もありません。
 その為には古い習慣を潔く捨てて、常に新しい展望を求めて研鑽を続けることが重要で、新しいテーマに挑戦する姿勢は年齢にかかわり無く持っていたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落243

243 At first it will seem like an impossible task, but everything at one time looked impossible, even learning to walk. But constant diligence brings success. Seldom does man find gold on the surface and so it is with this. Man must dig deep to see reality.
243 最初はそれは不可能な任務のように見えるでしょうが、歩くことを学ぶ時でさえそうであったように何事もかつては不可能に見えたものです。しかし、変わらぬ勤勉さは成功をもたらします。金はめったに地表に見つけることはなく、このことも同様です。人は現実を見る為には深く掘り進めなければなりません。


【解説】
 一度、本を読んだからといって著者が伝えたかったイメージを正確に掴むことは難しいものです。まして長年暮らしてきた生活を見直して真の自我に気付き、意識の偉大さを実感、その声を聴けるようになるまでには相当の努力が必要でしょう。
 しかし、著者はこれは真面目に取り組めば、赤子が歩けるようになるのと同様、必ず実現できるとしています。そもそも私達の生きる目的がそこにある以上、私達は少しぐらいの失敗で諦める訳には行かないのです。
 その為には、いたずらに表層的な事象に囚われることなく、物事の本質や深層について理解しようと研究することが重要だという訳です。とりわけ各自の日常的な生活の中での心の活動や意識から来る印象類についての観察は重要な所です。観察はしていてもとかく心の抱く時々の感情に流され、気が付くと客観性を忘れていることが多々ある訳で、実践は容易ではないのですが、少しずつでも心の動きを観られ、印象にも鋭敏になれる自分であるよう努めることが肝要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落242

242 And all of this is present within you now, like the feeling of how you would like to be treated by others, so just return the same to all forms of life. But do not give up because you do not succeed on the first, second or third try. Just become more determined to master the situation. And the more determined you are the better the results will be.
242 そしてこの全ては、丁度、他の者にそう扱われたいと思う気持のように現在の貴方の中に存在しますので、ただ生命のあらゆる形あるものに同じことを返せば良いのです。しかし、貴方が一度や二度、三度の試みでうまく行かなかったからといって諦めてはいけません。その状況に熟達するにはより深く決意すれば良いだけです。そしてより深く決意すればする程、より良い結果が付いて来ることでしょう。


【解説】
 こうすることで生まれる自身の内側の平安を、自分が意識から授けられたように、他のいわゆる生物、無生物を問わずあらゆるものに与えよということです。
 しかし、その努力も最初の内はうまく行かないかも知れないが、それを続けよと言っています。私達は通常、自分の要望を念ずることはあっても、他者に対して自分が望むような幸せを捧げようとはして来なかったことを反省すべきでしょう。奉仕とはそのような行動を示すものです。
 これらの生き方が指針になれば、この地上も世の中、次第に良くなって行くことは間違いありません。私達が本講座のような学習を続けることの意義の中には、自身の成長に加えて、私達自身が他者に対して良い影響を及ぼすことが期待されていることがあります。
 一つ一つは砂粒ほどの大きさでしかありませんが、それらが互いに影響を及ぼすことで、広大な砂浜全体が輝く存在になるのと同様です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落241

241 Then you will begin to live as the Venusians and others do and discrimination will no longer be a part of your life. When you are able to do this and every one is, your mind shall witness things of far greater beauty and peace than you have ever known. And your body will manifest the evidence of the perfection to be.
241 そうすれば、貴方は金星人達や他の人達のように生活し始めることでしょう。そしてもはや差別は貴方の生活の一部になることはないでしょう。貴方がこのことを成し遂げられる時、また誰でもそうですが、これまで知らなかった遥かに偉大な美しさと平安さを目撃することになります。そして貴方の肉体はその完璧さの証しを体現するようになるでしょう。


【解説】
 このように私達が本来の心のありよう、即ち意識からの印象に頼って生きるようになると、変化が生じるとしています。それは本項にあるように、いわゆる美しさに対する感性が高まるという訳です。
 状況は各自の背景やこれまでの歩みによって異なりますが、私が個人的体験を基に言えることは、風景や事物、他者に対する感性が高まることに、間違いはありません。他人(ひと)が見落としている美しさや自然の光景に極めて鋭敏になれる気がします。
 これらはほんの一端ですが、印象に鋭敏になればなるほど、芸術性の高い暮らしが出来るものと思われますし、また身体の健全度も増すものと思います。写真や絵画等の腕前も上がるかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落240

240 And you do not have to give up anything that you enjoy in life now, but replace the extremes that are indulged in with moderation. And permit your mind to see God manifesting in all forms of life and in every cell that makes up the form. For the life of any form and that of a cell is the life of God expressing in varying degrees through the many forms.
240 そして貴方は現在の生活で楽しんでいるどのようなものも諦める必要は無く、ただ欲しいままにしている極端さを適度さに置き換えるべきなのです。そして貴方の心をして、あらゆる生命の形あるものの中、そしてその形を作り上げている一つ一つの細胞の中に神の現れを見させることです。何故なら如何なる形あるものの命、細胞一つの命も皆、様々な形あるものを通じて多様に表現される神の生命であるからです。


【解説】
 意識に従う生活の中で、何か特別な制約がある訳ではなく、従来どおりの生活をして良いとしている点に注目です。特別な「行」に専念して、従来の暮らしを捨てるようなことはしなくても良いと教えているのです。更に自分の趣味も極端にならない範囲内で続けて良いとしています。
 重要な点は、「あらゆるものに創造主の現れと意図を見よ」ということです。通常、私達の目はものの外観しか認知しませんが、同時に因から来る印象を感知することで、その内部の精妙な生命活動をも知覚できるようになるという訳です。このことを最も重要視して取り組めとしています。
 その為には、印象を心が感知する必要があり、先ずは心自体があらゆる存在に対して謙虚になる必要があります。印象を受けるにはその発信者を先ずは受け入れる必要がある訳で、創造主からの印象を受けるには、私達の側に発信元である創造主を受け入れる態勢がなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落239

239 And it makes no difference how many books you read, or how many religions you embrace, or how many courses you may take and teachers you may have, not any of these will bring this reality to you unless you do as the prodigal son did. Die in the pride of the will and the ego and be reborn in humility and the WILL OF CONSCIOUSNESS.
239 そして貴方が如何に多くの本を読んだかとか、如何に多くの宗教を奉じたか、如何に多くの教科を受講し教師を得たかといった事柄は貴方がその放蕩息子がしたように行わない限り、そのどれひとつもこの現実を貴方にもたらすものではありません。自分の意志のプライドと自我を葬り、謙虚と意識の意志の中に生まれ変わることです。



【解説】
 自分と真剣に向き合わなければ何をやってもダメだということでしょう。確かに他人(ひと)から話を聞いたり、本を読んだりして、その時は納得したように思えても、振り返って自分自身の心の動きの実態を観たり、対する自分自身の親とも言える意識の働きについて知ろうとする努力がなければ、それは一過性の気分で終わってしまうのではないでしょうか。
 自分自身がこれからどう生きようとしているのか、自我を捨てて、意識の印象に帰依することが何よりも優先すべき問題である訳です。
 著者は様々な箇所で人間を家に例えています。その家の中に両親(意識)と暮らしているのが私達なのですが、その本来の家からさまよい出てしまった所に今日の問題がある訳です。なお、家にある窓を私達の心(感覚の心)に例えていること(「生命の科学」第396項)も興味深いものがあります。外界の情報を伝える窓自体が勝手に光景を判断し、それを自分の解釈を加えて着色するところにも問題がある訳です。自分の家でどう暮らして行こうとするのかが、問われています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落238

238 This is re-newing the mind and born again, as Jesus said. For one really dies as an ego pride will only to be born in the Will and the Glory of the Cosmos. Like the drop of water that finally becomes the ocean of water by uniting with it, no longer just a drop.
238 これはイエスが言った心の再生であり、生まれ変わりです。何故なら、人は実際には一つの自我のプライドとして死ぬと宇宙の意志と栄光の中に生まれ変わることになるからです。ひと粒の水の一滴が大洋と結びつくことによって遂には大洋になり、もはや一滴の水では無くなるのと同様です。


【解説】
 プライドを捨てて自らを意識から来る印象に従わせることを徹底することは、ある意味それまでの自分が死んで新しい存在に生まれ変わることを意味します。前項にあったように放蕩息子が帰還することはそれまでの自分の過ちを認めて、両親である意識に改めて従うことでもあります。
 おそらくこの場合、人格も一変するような人生の一大転機ともなる筈で、真理についての覚醒が生まれる瞬間でもあるのでしょう。
 同じものを見ても同じ音を聴いても、感じる内容は実にその本人により大きく異なります。ちなみに毎朝、本シリーズの草稿を考えるのは東京に向かう通勤電車の中なのですが、今の季節、丁度日の出の時間帯になります。東の空から大きなオレンジ色の球体が走る電車の中からも分かる程、目覚しいスピードで昇って行き、私達を含めあらゆる者に朝の光を授けています。そのオレンジ色の輝く球体は何か優しい観音様のように皆の者に暖かさと光を与えて呉れるようです。自分の中に観音様が飛び込んで来るような印象で、大変ありがたく思うものです。もちろん、客観的にはこれらの事象は毎日起こる訳ですが、大事なのはそこから発せられているだろう印象にどれほど、鋭敏になれるかであろうと思います。
 ひとたび自我を自ら捨て去って、意識の下で暮らす時、実は毎日が驚くほど色彩豊かで美しさに満ちたものであることが分かるようになるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落237

237 In the prodigal son there was still one small part that accused itself of wrong doing which was symbolized by the son who had never left the household. For in every individual the original spark remains. That is the only hope for the straying one to be drawn back to his original place. So the small original spark reminded the prodigal son of his deeds. But this was soon overcome by Cosmic Consciousness for it knows no judgment or discrimination. But it takes a great determination to accomplish this victory and lose the self as an ego in the COSMIC SEA OF CONSCIOUSNESS.
237 放蕩息子の内部には家を出たことのない息子として象徴され、誤った行動を叱責した小さな部分が依然として存在します。各個人の中には原始のきらめきが残っているのです。道に迷った者にとってはそれが自分の起源に戻される為の唯一の希望でもあります。ですから小さな原始のきらめきがその放蕩息子に自分の行動を思い出させるのです。しかし、これは宇宙意識によって直ぐにも征服されてしまいます。何故なら宇宙意識は如何なる裁きも差別も知らないからです。しかし、意識の宇宙的大海の中でこの勝利を得て、エゴとしての自己を捨てることが出来る為には一大決心を必要としています。


【解説】
 この放蕩息子の物語は私達自身の中で起こっていることを示唆しているように思われます。つまり、家そのものが私達自身であり、その中に私達自身の中のエゴの部分、更には本項で言う家を出たことの無いもう一人の息子、更に私達の両親、言い換えれば本シリーズで言う「意識」が暮らしているという訳です。
 私達はこれまで、外界に目標を求めて自らの家を出て、外の世界に出て放浪の旅を続けていました。しかし、その放蕩の結果、辿りついた結論は自らの家の中の両親の有難さでありました。
 結局は何をするにしてもその基本能力を高める必要がある訳で、自らの生命を授けて呉れた創造主から多くを学ばねばならず、やみくもに家を出てはいけなかった訳です。
 このことに気付き、自らの限界を悟った後に、家に戻ると両親は暖かく迎え入れて呉れるということは重要なポイントでしょう。創造主は常に暖かくエゴを捨てた私達を迎え入れて呉れ、惜しみなく愛情を注いでくれるのです。そのことに私達が気付いたことに意識は大いなる喜びを感じて下さると言うことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落236

236 Upon his arrival home his ego received a surprise. For his father had a banquet prepared for his wandering son and welcomed him with open arms as though nothing had ever happened. For when an ego conquers itself-there is no greater victory and rewards for the efforts are unlimited. And the individual is endowed with all of the needs of life, wanting for nothing.
236 彼が家に着いてみると、彼のエゴは驚きを受けました。何故なら、彼の父親は放浪していた自分の息子の為に祝宴を用意しており、まるで何事も無かったかのように彼を両腕に抱いたからです。それはエゴが自分自身を乗り越えた時、それにまさる勝利は無く、それに至る諸々の努力への報いは限り無いものだからです。そして、各自は生活の必需物の全てを授けられ、何も不足することは無くなります。


【解説】
 よく聞く聖書のお話です。物語としては良く分かる内容かと思いますが、その本旨は私達にとってどのような内容を示唆しているのかについては、よく考える必要があります。
 私達が自らのエゴの限界やそれが仕出かしてしまった誤った行動の数々を悔い改め、新しい生き方を定めて困難な道を進み、やがて生命の全体像を理解するに至った時、私達は自分が本来生まれたばかりの恵まれた状況の有難さを再認識することでしょう。
 そしてその中では誰もが自由に豊かに暮らして行ける訳ですが、その物語はそうした創造主を両親とする一大家族の一員として暮らす豊かな生活があることを私達に教えているように思うのです。
 もちろん、その生活に入る為には怠惰やわがまま、所有欲等々のエゴの問題を解消しておく必要があり、死さえも苦にならないような生命の根源に対する絶対的な信頼が前提となる訳です。
 夜空を見上げると星達と心を通わせられるような心境になれば、着実にそれら素晴らしい生活に一歩近づいていることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落235

235 The story of the Prodigal Son in the Bible gives us a good insight as to what must take place. The mind of the prodigal son is a portrayal of all minds. For he, after deciding to return, had to humble himself and cast aside all of his pride, willing to face whatever might come. Knowing full well that some of the household would point fingers at him and remind him of his bad deeds. Yet he knew that their life was not his life. And they had not had the experiences he had gone through, even though they may have had similar ones. Knowing all of this he was still determined to conquer the will of his mind and return to the will of his real self - the consciousness - the Father of all forms.
235 聖書の中の放蕩息子の物語は私達に何が為されるかについて良い洞察力を与えています。放蕩息子の心はあらゆる心を表わす肖像画です。彼が家に戻ることを決心した後は、如何なる事態が来ようとも喜んでそれに直面し、自分を謙虚にし、自分のプライドをことごとく脇に捨てなければならないからです。家の中のある者は彼を指差して彼の悪事を彼に思い出させることも十分知ってのことです。しかし、それでも彼はその者達の人生は彼のとは異なっていたことは分っています。そしてその者達が彼と類似した人生であったとしても彼が通った体験はしなかったであろうこともです。これらの全てを知った上で、彼はそれでも自己の心の意志を克服し、彼の真の自己、意識、万物の父の意志に戻ることを決心したのです。


【解説】
 日本語では「放蕩息子」と訳されてきた"Prodigal Son"の"Prodigal "には「浪費」の意味合いがあるということです。つまりは与えられた資源(環境)を長年浪費して来た人間という意味も含まれている訳で、環境汚染はその代表例かと思います。私達は与えられた環境や時間を浪費したまま今日まで、生命の源である「意識」の元に帰ろうとして来なかったということです。
 日本語には「改心」という表現がありますが、真に心を改めて生命の源に帰依することが求められています。その為には一人一人の揺るぎない決心が必要で、これまでの悪事や浪費を認め、文字通り心を入れ替える必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落234

234 The happiness which man feels within his heart and for which he searches can never be realized until he blends his will with the will of consciousness. Any more than the drop of water, remaining by itself can know the vastness of the ocean. When man realizes this he will know his true identity for the first time. And will no longer live in the shadow of his reality, influenced by every wind that blows. And there will be rejoicing in heaven when the prodigal man returns to the household. But this will take a profound determination on the part of each human, with an unshakable faith. For he will have to give up his egotistical pride and face whatever is presented to him.
234 人が自分の胸の中で感じ、探し求めている幸福は、自分の意志を意識の意志に融合させない限り、決して実感することはありません。孤独であり続けた水の一滴が大洋の広大さを知ることと大差はありません。人がこのことを悟ったなら、その者は初めて真実の主体性を知るでしょう。そして吹きすさぶもろものの風に影響され、自身の真実の姿の陰に生きることはしなくなります。そして放蕩息子が家に戻った時には天国では祝賀があることでしょう。しかし、これには個々の人間の側に不動な信頼感を持った上での心からの決心を必要とします。何故なら、如何なるものが現れているかに関わらず自己中心的な自分のプライドとメンツを諦めなければならないからです。


【解説】
 意識と融合しない限り、真の平和や幸福はないという訳です。多くの聖人はその状況に達した為に、その行動を通じて聖人たる成果を残したということでしょう。
 しかし、一口に自我を捨てると言っても、その実現には各自の努力と工夫が必要です。その中で、とかく私達は自分はどの道を教えることが出来るとする教師にすがり易いのですが、実際には従っても多くはうまく行かず、逆にその道から外れる結果になってしまうことも多いのです。
 このように他人を頼りにすることなく、とにかく自分で納得するまで、観察を続けること、自然を研究することが重要です。その中で自然現象の中に生きる法則を知れば、それに自分を合わせれば良い訳です。
 宇宙の中では数え切れない惑星世界があり、各々の中で生命の活動があり、それらと一体になれれば、それ以上、望むものはありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落233

233 Did not Jesus say, he who is trying to save his life shall lose it? Isn't this what the ego is afraid of by giving up its will to consciousness? This is also a lack of faith in the Creator whom we call God. For Jesus also said, he who gives up his life shall find life eternal. Meaning, he who gives the will of the ego unto the will of consciousness shall partake of life eternal. For consciousness is eternal and proceeds all forms. And without it there would be no forms, for an unconscious form is a dead form.
233 イエスは自分の命を救おうとする者はそれを失うとは言わなかったでしょうか?これはエゴがその意志を意識に差し出すことで恐れていることを指すのではないでしょうか?これはまた、私達が神と呼ぶ創造主に対する私達の信頼の不足でもあります。何故なら、イエスはまた、自分の命を捨てる者は永遠の生命を見い出すとも言いました。それはエゴの意志を意識の意志に譲り渡す者は永遠の生命を共にすることになるという意味です。何故なら、意識は永遠であり、万物を先んじているからです。そして意識無しには如何なる形有るものも存在しません。意識の無いものは死んでいるものだからです。


【解説】
 本項の主旨を言い換えれば、私達はそれ程の覚悟で自分の心(エゴ)を捨て去る決心をする必要があるということでしょう。「全てを捨てる」とは一遍上人が著名ですが、その捨て去ろうとしたものは、必ずしも身に付けていたもの、物品ではなく、私達の心(エゴ)の意思であったように思われます。
 意識からそっと寄せられる印象にひたすら従い、素直に行動出来る自分にする為に、私欲を捨て、過去のしがらみを解き払うことによって、私達自身(エゴ)を意識の海の中に解凍させるというイメージかと思います。
 全ての物事に先行して存在し、その結果を創り出す意識なるものの存在と自然に交流できるようになることが私達の願うところです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落232

232 This is no different than a mother who refuses to believe that her child can do anything wrong, and will not correct it. Eventually the child suffers with the parent because the parent failed to strengthen the weakness that was showing up in the child. This was caused by the mother's fear of recognizing the weakness in the child. And she added weakness to weakness instead of correcting it. Finally the mother had to face the truth, she could no longer avoid it and it was far more difficult than it would have been in the earlier stages.
232 これは自分の子供が何ら誤ったことをする筈がないと信じて、子供を正そうとしない母親と変わりありません。しかし、最後は子供がその両親に苦しむことになります。何故なら両親はその子供の中の弱さに対して強くすることに失敗したからです。これはその母親が子供の中にある弱さを認めることを恐れていることによってもたらされたのです。そして母親はその弱さを正す代わりに弱さの上に弱さを付け足して来ました。遂には母親はその真実に直面せざるを得ず、もはや避けることは出来ず、それは早期の段階に比べてはるかに困難なことになってしまったのです。


【解説】
 私達は真の自分自身と自らの心(エゴ)をしっかり区別し、心(エゴ)の持つ課題に対してしっかりした対応を執ることが重要な訳です。とかく心を放任している私達は、自らの心の示す欲求そのままに行動して来た結果、本来の歩むべき道から大きく外れてしまいました。
 しかし、毎朝の目覚めから一日が始まるように、心も眠りの間は一度リセットされ、毎朝ある程度新しい状態からスタートする訳で、是正の機会は毎日あるように思います。基本は本文に書かれているように、本来の私達自身がどのように自分の心と対峙するかの問題であり、本件に関する限り他者は一切係りがありません。うまく出来ないからといって誰かに言い訳をしたりする必要もなく、ひたすら自分自身と向き合う中の日々の精進ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落231

231 Once the mind realizes its weakness that has caused much unpleasantness during its life, it should then be determined, even thought it is painful at the beginning, to lend itself to conscious guidance. These obstacles could arise when it tries to do this ; A thought of fear of losing its identity and authority that it has had during its domination even though it encountered many mistakes and uncertainties on its path of self-will. For lacking knowledge, it followed effects with no more knowledge than it had as it repeated mistakes, and alibied for them with a hope of bettering its position instead of correcting the mistakes.
231 ひとたび心がその生涯の間に多くの不愉快な体験をもたらした心の弱さを自覚したならば、心ははじめは苦痛と感じることがあっても、それ自身を意識の導きに委ねることを決心すべきなのです。これを為そうとする時にはこのような障害が発生することがあり得ます。つまり、例えその自己の意志の道筋において数多くの過ちや不安定状態に遭遇したとしてもその支配の間に得ていた心の独自性と権威を失うことへの不安感です。何故なら心は知識が不足している為に、それ自身と変わらぬ知識しかもたない諸結果物に追従し、過ちを繰り返しており、それら過ちを修正することに代えて自分の地位をより良くしたいと思ってアリバイ作りを行って来たからです。


【解説】
 私達は先ず、自らの「心」の限界について知ることが必要で、その自覚を踏まえて意識から来る印象に従った行動体になれるよう、一歩一歩の歩みを始めるということです。
 もちろん、その辿る道は心にとっては未知の世界であり、試行錯誤は避けられません。しかし、少しずつでも足掛かりがつかめれば前進出来ることは山登りにも似ています。進むにつれて物事の全容も見えて来る筈です。
 これまで私達は失敗を恐れ、結果物として目の前に残るものを唯一の頼りとして、また他人に裏切られないよう注意しながら生きて来ました。また他人から良い評価をされたい為に面子を重視して来ました。しかし、意識主体の生き方は、これらしがらみとは一切関わり無く、新たな幼児となって、意識から学ぶ姿勢をとる必要があるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落230

230 And this can only be done by allowing the consciousness with its unlimited power and knowledge to put the house in order.
230 そしてこれは無限の力と知識を持つ意識にこの家の中を整頓させることによってのみ、なされ得るのです。


【解説】
 宇宙の意識に身体の中を一度、大掃除してキレイにしてもらうということでしょう。古い習慣に染まりきった細胞達の波動を一度、リセットさせて、本来の姿に戻す作業が必要な訳です。
 これらについては従来、滝に打たれる等の修行がありますが、そのような修行の中には日常習慣や感覚の支配から一度心身を解き放ち、本来の生命の流れに従うきっかけを得るような要素があったのかと気付く次第です。
 私達は必ずしも滝行のような極端なことは行なわなくても、日常的にその意義を自覚し、意識から来る助言の印象に100%従うよう、心して置くことがより重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落229

229 After thousands of years of living as we have, becoming habitual individuals, we have created habitual cells in relation to the mind. And habits do become hungry for their own food. i.e. An alcoholic's mind knows that it is not good for the body to go to extremes, but the habit is the master of the mind. The mind lost the strength of its will and the power of determination to oppose the habit so it continues as a slave to the habit. And this is true of all habits, for most of them operate in extremes. This does not mean that you cannot take a drink or do similar things, for all things are good in moderation. But it does mean that one should be determined to be the master of his life rather than have the habits master him.
229 私達は何千年もの間、このように生き、習慣的な個体となった結果、その心に関連した習慣的な細胞を造り上げてしまいました。そして諸習慣はそれら自身の食物を求めて腹を空かせるようにさえなるのです。即ち、アルコール依存の心はそれが程を越して極端になれば肉体に良くないことを知っていますが、それでも習慣がその心の支配人になっています。心はその習慣に反抗する意志と決心の力を失った為、その習慣の奴隷となり続けるのです。しかもこれは全ての習慣について言えることです。何故なら、それらのほとんどが極端に作用するからです。このことはあなたが一杯飲んだり、類似した事柄を行ったりしてはならないと言うことではありません。何故なら、全ての物事は適度であれば良いことだからです。しかし、人は諸習慣が自分を支配するのではなく、自分が自身の人生の支配人になることを決心すべきことは確かです。


【解説】
 「習慣の奴隷」を克服することは私達の最大の課題ですし、私達の多くは毎日を決まりきった生活パターンの中で生きていることも確かです。もちろん一面ではそれは止むを得ない事情ではありますが、惰性で毎日を送ることは厳に慎むべき事柄です。その中にあって私達は無作為に時を過ごすことがあってはならず、そのようなことは本来の生命活動とは反するものです。
 その結末として、私達は永年の心の指令に仕える細胞群を自らの体内に形成し、今度はそれらが支配者となって、本人の行動を左右する段階に至ると著者は警告しています。アルコール依存や薬物中毒など、極端な例もありますが、私達一人一人類似した細胞群を抱えていることは確かです。
 このような習慣細胞の指示に従うことなく、自らの意志でご自身をコントロールし、習慣の奴隷になることなく、あらゆる分野を適度に楽しめと著者はまとめています。先ずは習慣性の有無を点検し、毎日新しい側面を探求することです。日々是新とはそのような生活姿勢を言う言葉です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落228

228 The only difference between man and nature is - nature has no will of its own for as stated before, it is under the will of the All Inclusive Intelligence. Man as the highest expression was endowed with a free will mind, and it is here that he has his trouble. For the mind as an effect guides itself by other effects instead of lending its will to the will of the Cosmos. The reason that man was given a free will mind was that he might learn from The Supreme Intelligence the way and purpose of life. And he is endowed with the potential of becoming like his creator and say as Jesus did, I and the Father are One, and when you look at me you see the Father. The Venusians and other planetarians endeavor to express this daily by willing their minds unto conscious guidance. And we must do this if we are to fulfill our purpose.
228 人と自然の間の唯一の違いは、以前述べたように自然は自身の意志を持たないということであり、それは全てを包む知性の意志の下にあることです。最高位の表現物である人は自由意志の心を与えられており、そのことが人が問題を抱える所となっています。何故なら一つの結果物である心は宇宙の意志に自らの意志を貸し与える代わりに他の結果物で自らを導いているからです。人が自由意志を与えられているのには人は最高位の知性から人生の歩むべき道と目的を習うだろうと期待されているという訳があります。そして人は創造主のようになり得る能力を授けられていますし、イエスが私と父とは一つである、あなたが私を見る時、あなたは父を見ているのだと言ったようにです。金星人達や他の惑星人達は彼らの心を意識の導きに喜んで従わせることによってこのことを表現しようと毎日努力しています。そして私達も自分達の目的を達成するつもりなら、同じことをしなければなりません。


【解説】
 自然界にあるもの全て、鉱物から動植物に至るまで、人間を除くあらゆるものは、それ自身の意志を持たず宇宙の英知の下に生きている一方、何故人間が自由意志を与えられたかが説かれています。
 自然界の他の生きもの達は自ら学ぶ必要はなく、既に宇宙英知に従った行動をとっている訳ですが、人間は違うというのです。人間は自ら努力して、その生きる目的を学び、創造主の意志に自ら近づくことが期待される為、自ら学ぶ上で必要となる自由意志を与えられたのです。
 究極にはイエスの言葉のようになる訳ですが、実はそれ程に完成した人物がイエスという存在であったこと、また金星をはじめとする他の惑星の文明も同様な進化を日々遂げる中で実現していることを本項は説いています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落227

227 The cells in the toe are different from those in the finger but each group is working with the others to make the body a perfect manifestation. And the same power and guidance lends itself to all alike. This is no different than the cosmic expression in the earth's cell structure. For from the lowest expression in the mineral kingdom and through the millions of nature's manifestations the same power and intelligence is expressing in varying degrees. This law is constant and does not change to favor one form, or a planet, above another.
227 足指の細胞は手の指のそれとは異なりますが、それでも互いのグループは人体を完全な創造の現れにする為、共に働いています。そしてそれと同じ力と導きが万物に等しく授けられています。このことは地球の細胞構造における宇宙の表現と違うものではありません。何故なら、鉱物王国における最低位の表現から、そして何百万もの自然の創造の現れを通じてこれと同じ力と知性が様々な度合で表現しているからです。この法則は不変であり、ある一つの形あるものや惑星の便宜を図る為に他に優って対応を変えることはありません。


【解説】
 とかく手の指の方が足の指より身近で大事なように思ってしまいますが、どの指も等しく無くてはならないものであることは、各自、体験しているところかと思います。
 人体の各部の細胞群のいずれもが等しく人体を支えている訳で。それは惑星の構造も同じだと本文では解説されています。つまり、私達は地表で生活する為に建物を建てますが、その拠り所となる基礎は各々杭を地中に刺して地殻に支えてもらっている等、地殻の鉱物群は私達の建物をも支えていることに気付く必要があります。
 また、私達はこれら地殻を掘り出して、自分達に有用な物質や自分達が好む鉱物(宝石)を得ていますが、一方で捨てられる石や砂が果たしてきた「地球を形成する」という役割について私達は気付く必要があります。
 過去に生じた地震の痕跡はこれら地表の下に眠る地殻の構成に現れていることは私達の知るところであり、時々見える斜めに傾いた地層の状態からは、一見動かないように見える地殻が実に活発に活動して来たことがよく分かります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落226

226 As stated before, the body is made of trillions of cells, grouped for perfect maintenance and operation. No different than the structure of the cosmos, and the body has all of the cosmic force supporting it. And when the human mind is working in behalf of the cosmic plan, instead of self, it never knows any unpleasant effects. For then it is free from discrimination, judgments, and likes and dislikes.
226 以前に述べたように、肉体は何兆もの細胞から成り立っており、それら細胞は完璧なる維持管理の為にグループ化されています。それらは宇宙の構造と何ら違う所は無く、肉体はそれを支える宇宙の力の全てを持っています。そして人間の心が自身の為でなく、宇宙の計画の為に働いている時は、不愉快な結果を決して経験することはありません。何故なら、その時、人は差別や裁き、好き嫌いから離れているからです。


【解説】
 私達の身体は60兆個もの細胞から成り立っていることは既に知識としては持っていますが、重要な点はそれら細胞が大宇宙そのままに整然とした調和した関係にあるということです。「汝自身を知れ」という言葉がありますが、それは既に私達自身の中にあらゆる宇宙の要素が組み込まれているということでしょう。
 現代の科学も各々の細胞から遺伝分子を抽出し、それらを増幅させて構成を調べたりするようになりましたが、大事な点は一つ一つの細胞や分子原子が各々調和して存在するということでしょう。これらが本項で言う「宇宙の計画」に基づいて行なわれている所が重要なポイントです。
 ある意味、宇宙を貫く大きな意図に従ってあらゆるものが生きている訳ですから、私達の心もそれに従って生きれば、摩擦や抵抗もなく柔軟、スムーズに生きられることになります。
 もちろん、この調和ある力、「宇宙の計画」は差別や裁きの無い創造主の意図であり、その意図を具体的に表現することが私達の役割ということになります。
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