生命の科学 第6課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落249

249 The goal we seek to attain should be all that matters and no obstacle should prevent us from attaining it.
249 私達が到達しようと求めているゴールは大事なことの全てであるべきであり、如何なる障害も私達がそれを達成することを妨げることがあってはなりません。


【解説】
 目指す目標は各自異なるものであっても、それら全ては許容され、思うままの発展発達が出来るとしています。真の自由意志の発現です。
 元来、創造主は各自に様々な才能を与えている訳で、各自の望まれた方向に本来の能力を発揮すべきことは言うまでもありません。また次なる人生の為に下勉強も重要です。
 当課は「新しさ、すなわち若返りの推進役」がタイトルになっている通り、日々新たに更新される概念、いわば「生きている」波動全てが私達に語り掛けるヒントに沿って、新しい自分を開拓して行くことを著者は私達に託しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落248

248 We must build on a rock foundation and not on shifting sand. So that when diversity and opposition cause a storm in our life we can stand firm and not be swept away because of a weak foundation.
248 私達は転じやすい砂の上では無く、磐石の土台の上に建物を建てなければなりません。それは、多様な変化や反対が私達の生活に嵐をもたらす時、私達が弱い基礎のせいで流される代わりにしっかり建っていられる為です。


【解説】
 何事も基礎が大事であるという訳です。即ち、少しばかりの、理解が浅い丸呑みの知識では先々寄せる世間の荒波に耐えることは出来ません。いたずらにテレパシーやその他の能力のみを志向して行くと、世間の誘惑に立ち向かうことは出来ないものです。
 先ずは目に見えない「意識」の存在にどれほど気付き、自らの肉体を存続させて下さっていることに感謝しているかが重要で、その上で自らの心を律する鍛錬が必要でしょう。しかし、これらの鍛錬は自ら求めなくても日常生活を送る中で機会は訪れることになります。様々な誘惑が訪れ、日々試される訳で、それらに対して自分がどのような行動をとり易いかを、先ずは観察し、その実態を学習する必要があります。
 その際にポイントとなるのは、「意識」への全幅の信頼と畏れかと思います。至らない自分を最後まで面倒見てくれるその存在を裏切ることのない人生を送ることだけが進化の道ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落247

247 Yet to live this new kind of life among the many who do not, one must have unshakable faith and patience in order to endure. For everyone will not grasp the idea immediately, humanity is very slow to change. But change it must if it is to survive. And pioneers in any field must be strong and determined if good results are to be realized.
247 しかし、この新たな生活を送る為には、そうではない多くの人達の中にあって、人は耐える為に揺るぎない信頼と忍耐を持たねばなりません。何故なら、誰でもその概念を直ちに掴み取る訳ではなく、人間性とは変化するのに大変遅いからです。しかし、生き延びる為には変化しなければなりません。そして先駆者はどの分野にせよ、良い成果が実現される為には、強く決意しなければなりません。


【解説】
 この意識の指導、印象に従った生き方は私達にとって初めての分野であり、一般世間の中に生きながらその実践をして行くことは容易なことではありません。まして今日ではTVその他多くのメディアが惰性的な情報を流しており、また一方では激しい競争社会の中で正しい道を生き抜く為には大いなる決断と実行力が求められます。
 著者はこのことを良く理解した上で、私達に他の模範となるよう、また後続の者達を導くような存在になることを求めています。生きた実践を示すことが何より重要だからです。
 とかく世間の風潮や自身の生活パターンに流されがちの毎日ですが、少なくとも今日一日、新しい発見、新しい試み、新しい体験を行動を通じて身に付け、他者に伝えられるよう秘めた決意をして向き合いたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落246

246 Examples have been used in many ways. i.e. If a dictator wants to dominate his people, he destroys those who, oppose him, as an example to others. If examples can be used in this way, why can't we set a fine example for the world to follow? We can with action and not just words and dreams. And this can be done only by living the things that we know. We must be honest and truthful to our better self before we can be honest and truthful to others. We must trust our consciousness if we expect other conscious entities to trust us.
246 例示というのは様々な方面で用いられて来ました。即ち、独裁者がその人民を支配しようと思うなら、反抗する者を他の者への見せしめとして滅ぼします。仮に例示というものがこのように用いられ得るとすれば、何故私達は世界が従うような素晴らしい例示を打ち立てようとしないのでしょうか。私達は単なる言葉や夢でなく、行動によってそれが出来るのです。そしてこれは私達が知っている事柄を生きることによってのみ、行い得るのです。私達は他の者に対して正直で誠実である前に私達のより良い自己に対して正直で誠実であらねばなりません。他の意識ある存在が私達を信じてくれることを望むなら、私達は私達自身の意識を信頼しなければなりません。


【解説】
 空に出現する虹のように自然は時々、私達に美しい光景を見せて呉れます。これらは創造の世界の一端を私達に垣間見せているもので、私達はその光景から改めて壮大な創造の力の大きさと美しさを実感するものです。
 本講座を学ぶ私達は、既に第6課の終盤に差し掛かっており、著者は私達各々に各自実践して得た内容を他者に示すように求めているのです。各自が周囲の人達に生きる手本を示し、この学習の内容が真理に基づいていることを示して欲しいと願っているのではないでしょうか。
 もちろん、その内容は単に知識としての「生命の科学」ではなく、各自が理解し実践した経験であることが必要です。半歩先に進んだ者が後続の者の為に体験を伝授するという訳です。言い換えれば私達もそろそろ具体的なる応用事例や体験を語るべき段階になりつつあることを自覚すべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落245

245 You must re-create your ability by manifesting it in your daily life. And then you will prove to yourself that you can live that which you have been consciously aware of. Thereby it will not only serve you, but others also by your example.
245 貴方はそれを日常の生活の中で体現させることによって貴方の能力を再創出させなければいけません。そうすれば、貴方自身に貴方がこれまで意識的に気付いていたことを生き通せることを証明することになるでしょう。そのことによって、貴方に役立つばかりでなく、貴方の事例によって他の者にも役立つことになるでしょう。


【解説】
 「人間、思い通りの者になれる」とは古今東西、言われている所です。自分が抱く人生のイメージは自ら実証出来ることは大事なポイントです。
 その為には、その抱くイメージは常に清廉であるべきで、自らの事例を他者に影響を及ぼす意味からも、優れた模範になるべきことは言うまでもないでしょう。私達が取り組む一人一人の人生は、他者に影響を与えることにより大きな意義があるのです。
 しかし、前述のようにその実現の為には、意識への盲目的とも言える信頼と新しい分野に飛び込んで行く勇気も必要ということになります。自ら目指すものを正しく設定すれば、その実現に向けた一歩を踏み出したことにもなる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落244

244 Of what value is a talent if you do not use it? Suppose you have the talent of a great artist and know it, but all you do is to think and dream about it. And never bring it forth into reality which takes action to accomplish, so you never profit from it. You do not even prove to yourself that you could manifest your dreams and make them a reality. So all of your dreams and prayers regarding your talent are still unknown and remain in the dream state. And this will continue until you decide to express your latent ability. For then and then only will you prove to yourself that it is real and livable. And so it is with self development - the potential of all that we have spoken of is within you, but it will not do you or anyone any good as long as you do not bring it forth.
244  もし貴方がその才能を使わないとするなら、才能に何の価値があるでしょう? 貴方には偉大な芸術家としての才能があったとし、貴方がそれを知っているけれども、貴方はそのことを考え、夢見ているだけの状況を考えて見て下さい。そしてそれを達成するには行動を必要とする現実世界にそれをもたらすことが無かったとすれば、貴方はそれから何らの利益を得ることは有りません。貴方は自分の夢を形に表わし、それらを現実にできるということを自分自身にさえ証明していないのです。ですから、貴方の才能に関する貴方の夢や祈りの全ては未だ知られることなく、夢の状態に留まっています。そしてこのことは貴方が自分の潜在する能力を表現しようと決意するまで続きます。時として、貴方はそれが本当であり、生きたものであることを自分自身に証明することしかないのです。ですから、それは私達がこれまで話して来た貴方の内部にある全ての可能性である自己発達とも同期していますが、それは貴方が現実化させない限り、貴方や誰に対しても良いことをもたらすものではありません。


【解説】
 私達各人の内部にはこのように溢れるばかりの才能とそれを授ける英知が備わっている訳ですが、それを現実の形に表現する為には、各自、自らが行動を起こす必要があります。実は英知はそれを期待して才能を授けているのです。
 しかし、私達は多くの場合、夢ばかりを語り、それを具体的な行動として現実世界に適用しようとはしないようです。一歩踏み出すことには、決意と一段と進んだ"英知への信頼"が必要だからです。行動を通じて新しい体験が生まれ、自らの欠点も明らかになる訳で、行動をして見なければ、新しい展望は掴める筈もありません。
 その為には古い習慣を潔く捨てて、常に新しい展望を求めて研鑽を続けることが重要で、新しいテーマに挑戦する姿勢は年齢にかかわり無く持っていたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落243

243 At first it will seem like an impossible task, but everything at one time looked impossible, even learning to walk. But constant diligence brings success. Seldom does man find gold on the surface and so it is with this. Man must dig deep to see reality.
243 最初はそれは不可能な任務のように見えるでしょうが、歩くことを学ぶ時でさえそうであったように何事もかつては不可能に見えたものです。しかし、変わらぬ勤勉さは成功をもたらします。金はめったに地表に見つけることはなく、このことも同様です。人は現実を見る為には深く掘り進めなければなりません。


【解説】
 一度、本を読んだからといって著者が伝えたかったイメージを正確に掴むことは難しいものです。まして長年暮らしてきた生活を見直して真の自我に気付き、意識の偉大さを実感、その声を聴けるようになるまでには相当の努力が必要でしょう。
 しかし、著者はこれは真面目に取り組めば、赤子が歩けるようになるのと同様、必ず実現できるとしています。そもそも私達の生きる目的がそこにある以上、私達は少しぐらいの失敗で諦める訳には行かないのです。
 その為には、いたずらに表層的な事象に囚われることなく、物事の本質や深層について理解しようと研究することが重要だという訳です。とりわけ各自の日常的な生活の中での心の活動や意識から来る印象類についての観察は重要な所です。観察はしていてもとかく心の抱く時々の感情に流され、気が付くと客観性を忘れていることが多々ある訳で、実践は容易ではないのですが、少しずつでも心の動きを観られ、印象にも鋭敏になれる自分であるよう努めることが肝要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落242

242 And all of this is present within you now, like the feeling of how you would like to be treated by others, so just return the same to all forms of life. But do not give up because you do not succeed on the first, second or third try. Just become more determined to master the situation. And the more determined you are the better the results will be.
242 そしてこの全ては、丁度、他の者にそう扱われたいと思う気持のように現在の貴方の中に存在しますので、ただ生命のあらゆる形あるものに同じことを返せば良いのです。しかし、貴方が一度や二度、三度の試みでうまく行かなかったからといって諦めてはいけません。その状況に熟達するにはより深く決意すれば良いだけです。そしてより深く決意すればする程、より良い結果が付いて来ることでしょう。


【解説】
 こうすることで生まれる自身の内側の平安を、自分が意識から授けられたように、他のいわゆる生物、無生物を問わずあらゆるものに与えよということです。
 しかし、その努力も最初の内はうまく行かないかも知れないが、それを続けよと言っています。私達は通常、自分の要望を念ずることはあっても、他者に対して自分が望むような幸せを捧げようとはして来なかったことを反省すべきでしょう。奉仕とはそのような行動を示すものです。
 これらの生き方が指針になれば、この地上も世の中、次第に良くなって行くことは間違いありません。私達が本講座のような学習を続けることの意義の中には、自身の成長に加えて、私達自身が他者に対して良い影響を及ぼすことが期待されていることがあります。
 一つ一つは砂粒ほどの大きさでしかありませんが、それらが互いに影響を及ぼすことで、広大な砂浜全体が輝く存在になるのと同様です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落241

241 Then you will begin to live as the Venusians and others do and discrimination will no longer be a part of your life. When you are able to do this and every one is, your mind shall witness things of far greater beauty and peace than you have ever known. And your body will manifest the evidence of the perfection to be.
241 そうすれば、貴方は金星人達や他の人達のように生活し始めることでしょう。そしてもはや差別は貴方の生活の一部になることはないでしょう。貴方がこのことを成し遂げられる時、また誰でもそうですが、これまで知らなかった遥かに偉大な美しさと平安さを目撃することになります。そして貴方の肉体はその完璧さの証しを体現するようになるでしょう。


【解説】
 このように私達が本来の心のありよう、即ち意識からの印象に頼って生きるようになると、変化が生じるとしています。それは本項にあるように、いわゆる美しさに対する感性が高まるという訳です。
 状況は各自の背景やこれまでの歩みによって異なりますが、私が個人的体験を基に言えることは、風景や事物、他者に対する感性が高まることに、間違いはありません。他人(ひと)が見落としている美しさや自然の光景に極めて鋭敏になれる気がします。
 これらはほんの一端ですが、印象に鋭敏になればなるほど、芸術性の高い暮らしが出来るものと思われますし、また身体の健全度も増すものと思います。写真や絵画等の腕前も上がるかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落240

240 And you do not have to give up anything that you enjoy in life now, but replace the extremes that are indulged in with moderation. And permit your mind to see God manifesting in all forms of life and in every cell that makes up the form. For the life of any form and that of a cell is the life of God expressing in varying degrees through the many forms.
240 そして貴方は現在の生活で楽しんでいるどのようなものも諦める必要は無く、ただ欲しいままにしている極端さを適度さに置き換えるべきなのです。そして貴方の心をして、あらゆる生命の形あるものの中、そしてその形を作り上げている一つ一つの細胞の中に神の現れを見させることです。何故なら如何なる形あるものの命、細胞一つの命も皆、様々な形あるものを通じて多様に表現される神の生命であるからです。


【解説】
 意識に従う生活の中で、何か特別な制約がある訳ではなく、従来どおりの生活をして良いとしている点に注目です。特別な「行」に専念して、従来の暮らしを捨てるようなことはしなくても良いと教えているのです。更に自分の趣味も極端にならない範囲内で続けて良いとしています。
 重要な点は、「あらゆるものに創造主の現れと意図を見よ」ということです。通常、私達の目はものの外観しか認知しませんが、同時に因から来る印象を感知することで、その内部の精妙な生命活動をも知覚できるようになるという訳です。このことを最も重要視して取り組めとしています。
 その為には、印象を心が感知する必要があり、先ずは心自体があらゆる存在に対して謙虚になる必要があります。印象を受けるにはその発信者を先ずは受け入れる必要がある訳で、創造主からの印象を受けるには、私達の側に発信元である創造主を受け入れる態勢がなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落239

239 And it makes no difference how many books you read, or how many religions you embrace, or how many courses you may take and teachers you may have, not any of these will bring this reality to you unless you do as the prodigal son did. Die in the pride of the will and the ego and be reborn in humility and the WILL OF CONSCIOUSNESS.
239 そして貴方が如何に多くの本を読んだかとか、如何に多くの宗教を奉じたか、如何に多くの教科を受講し教師を得たかといった事柄は貴方がその放蕩息子がしたように行わない限り、そのどれひとつもこの現実を貴方にもたらすものではありません。自分の意志のプライドと自我を葬り、謙虚と意識の意志の中に生まれ変わることです。



【解説】
 自分と真剣に向き合わなければ何をやってもダメだということでしょう。確かに他人(ひと)から話を聞いたり、本を読んだりして、その時は納得したように思えても、振り返って自分自身の心の動きの実態を観たり、対する自分自身の親とも言える意識の働きについて知ろうとする努力がなければ、それは一過性の気分で終わってしまうのではないでしょうか。
 自分自身がこれからどう生きようとしているのか、自我を捨てて、意識の印象に帰依することが何よりも優先すべき問題である訳です。
 著者は様々な箇所で人間を家に例えています。その家の中に両親(意識)と暮らしているのが私達なのですが、その本来の家からさまよい出てしまった所に今日の問題がある訳です。なお、家にある窓を私達の心(感覚の心)に例えていること(「生命の科学」第396項)も興味深いものがあります。外界の情報を伝える窓自体が勝手に光景を判断し、それを自分の解釈を加えて着色するところにも問題がある訳です。自分の家でどう暮らして行こうとするのかが、問われています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落238

238 This is re-newing the mind and born again, as Jesus said. For one really dies as an ego pride will only to be born in the Will and the Glory of the Cosmos. Like the drop of water that finally becomes the ocean of water by uniting with it, no longer just a drop.
238 これはイエスが言った心の再生であり、生まれ変わりです。何故なら、人は実際には一つの自我のプライドとして死ぬと宇宙の意志と栄光の中に生まれ変わることになるからです。ひと粒の水の一滴が大洋と結びつくことによって遂には大洋になり、もはや一滴の水では無くなるのと同様です。


【解説】
 プライドを捨てて自らを意識から来る印象に従わせることを徹底することは、ある意味それまでの自分が死んで新しい存在に生まれ変わることを意味します。前項にあったように放蕩息子が帰還することはそれまでの自分の過ちを認めて、両親である意識に改めて従うことでもあります。
 おそらくこの場合、人格も一変するような人生の一大転機ともなる筈で、真理についての覚醒が生まれる瞬間でもあるのでしょう。
 同じものを見ても同じ音を聴いても、感じる内容は実にその本人により大きく異なります。ちなみに毎朝、本シリーズの草稿を考えるのは東京に向かう通勤電車の中なのですが、今の季節、丁度日の出の時間帯になります。東の空から大きなオレンジ色の球体が走る電車の中からも分かる程、目覚しいスピードで昇って行き、私達を含めあらゆる者に朝の光を授けています。そのオレンジ色の輝く球体は何か優しい観音様のように皆の者に暖かさと光を与えて呉れるようです。自分の中に観音様が飛び込んで来るような印象で、大変ありがたく思うものです。もちろん、客観的にはこれらの事象は毎日起こる訳ですが、大事なのはそこから発せられているだろう印象にどれほど、鋭敏になれるかであろうと思います。
 ひとたび自我を自ら捨て去って、意識の下で暮らす時、実は毎日が驚くほど色彩豊かで美しさに満ちたものであることが分かるようになるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落237

237 In the prodigal son there was still one small part that accused itself of wrong doing which was symbolized by the son who had never left the household. For in every individual the original spark remains. That is the only hope for the straying one to be drawn back to his original place. So the small original spark reminded the prodigal son of his deeds. But this was soon overcome by Cosmic Consciousness for it knows no judgment or discrimination. But it takes a great determination to accomplish this victory and lose the self as an ego in the COSMIC SEA OF CONSCIOUSNESS.
237 放蕩息子の内部には家を出たことのない息子として象徴され、誤った行動を叱責した小さな部分が依然として存在します。各個人の中には原始のきらめきが残っているのです。道に迷った者にとってはそれが自分の起源に戻される為の唯一の希望でもあります。ですから小さな原始のきらめきがその放蕩息子に自分の行動を思い出させるのです。しかし、これは宇宙意識によって直ぐにも征服されてしまいます。何故なら宇宙意識は如何なる裁きも差別も知らないからです。しかし、意識の宇宙的大海の中でこの勝利を得て、エゴとしての自己を捨てることが出来る為には一大決心を必要としています。


【解説】
 この放蕩息子の物語は私達自身の中で起こっていることを示唆しているように思われます。つまり、家そのものが私達自身であり、その中に私達自身の中のエゴの部分、更には本項で言う家を出たことの無いもう一人の息子、更に私達の両親、言い換えれば本シリーズで言う「意識」が暮らしているという訳です。
 私達はこれまで、外界に目標を求めて自らの家を出て、外の世界に出て放浪の旅を続けていました。しかし、その放蕩の結果、辿りついた結論は自らの家の中の両親の有難さでありました。
 結局は何をするにしてもその基本能力を高める必要がある訳で、自らの生命を授けて呉れた創造主から多くを学ばねばならず、やみくもに家を出てはいけなかった訳です。
 このことに気付き、自らの限界を悟った後に、家に戻ると両親は暖かく迎え入れて呉れるということは重要なポイントでしょう。創造主は常に暖かくエゴを捨てた私達を迎え入れて呉れ、惜しみなく愛情を注いでくれるのです。そのことに私達が気付いたことに意識は大いなる喜びを感じて下さると言うことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落236

236 Upon his arrival home his ego received a surprise. For his father had a banquet prepared for his wandering son and welcomed him with open arms as though nothing had ever happened. For when an ego conquers itself-there is no greater victory and rewards for the efforts are unlimited. And the individual is endowed with all of the needs of life, wanting for nothing.
236 彼が家に着いてみると、彼のエゴは驚きを受けました。何故なら、彼の父親は放浪していた自分の息子の為に祝宴を用意しており、まるで何事も無かったかのように彼を両腕に抱いたからです。それはエゴが自分自身を乗り越えた時、それにまさる勝利は無く、それに至る諸々の努力への報いは限り無いものだからです。そして、各自は生活の必需物の全てを授けられ、何も不足することは無くなります。


【解説】
 よく聞く聖書のお話です。物語としては良く分かる内容かと思いますが、その本旨は私達にとってどのような内容を示唆しているのかについては、よく考える必要があります。
 私達が自らのエゴの限界やそれが仕出かしてしまった誤った行動の数々を悔い改め、新しい生き方を定めて困難な道を進み、やがて生命の全体像を理解するに至った時、私達は自分が本来生まれたばかりの恵まれた状況の有難さを再認識することでしょう。
 そしてその中では誰もが自由に豊かに暮らして行ける訳ですが、その物語はそうした創造主を両親とする一大家族の一員として暮らす豊かな生活があることを私達に教えているように思うのです。
 もちろん、その生活に入る為には怠惰やわがまま、所有欲等々のエゴの問題を解消しておく必要があり、死さえも苦にならないような生命の根源に対する絶対的な信頼が前提となる訳です。
 夜空を見上げると星達と心を通わせられるような心境になれば、着実にそれら素晴らしい生活に一歩近づいていることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落235

235 The story of the Prodigal Son in the Bible gives us a good insight as to what must take place. The mind of the prodigal son is a portrayal of all minds. For he, after deciding to return, had to humble himself and cast aside all of his pride, willing to face whatever might come. Knowing full well that some of the household would point fingers at him and remind him of his bad deeds. Yet he knew that their life was not his life. And they had not had the experiences he had gone through, even though they may have had similar ones. Knowing all of this he was still determined to conquer the will of his mind and return to the will of his real self - the consciousness - the Father of all forms.
235 聖書の中の放蕩息子の物語は私達に何が為されるかについて良い洞察力を与えています。放蕩息子の心はあらゆる心を表わす肖像画です。彼が家に戻ることを決心した後は、如何なる事態が来ようとも喜んでそれに直面し、自分を謙虚にし、自分のプライドをことごとく脇に捨てなければならないからです。家の中のある者は彼を指差して彼の悪事を彼に思い出させることも十分知ってのことです。しかし、それでも彼はその者達の人生は彼のとは異なっていたことは分っています。そしてその者達が彼と類似した人生であったとしても彼が通った体験はしなかったであろうこともです。これらの全てを知った上で、彼はそれでも自己の心の意志を克服し、彼の真の自己、意識、万物の父の意志に戻ることを決心したのです。


【解説】
 日本語では「放蕩息子」と訳されてきた"Prodigal Son"の"Prodigal "には「浪費」の意味合いがあるということです。つまりは与えられた資源(環境)を長年浪費して来た人間という意味も含まれている訳で、環境汚染はその代表例かと思います。私達は与えられた環境や時間を浪費したまま今日まで、生命の源である「意識」の元に帰ろうとして来なかったということです。
 日本語には「改心」という表現がありますが、真に心を改めて生命の源に帰依することが求められています。その為には一人一人の揺るぎない決心が必要で、これまでの悪事や浪費を認め、文字通り心を入れ替える必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落234

234 The happiness which man feels within his heart and for which he searches can never be realized until he blends his will with the will of consciousness. Any more than the drop of water, remaining by itself can know the vastness of the ocean. When man realizes this he will know his true identity for the first time. And will no longer live in the shadow of his reality, influenced by every wind that blows. And there will be rejoicing in heaven when the prodigal man returns to the household. But this will take a profound determination on the part of each human, with an unshakable faith. For he will have to give up his egotistical pride and face whatever is presented to him.
234 人が自分の胸の中で感じ、探し求めている幸福は、自分の意志を意識の意志に融合させない限り、決して実感することはありません。孤独であり続けた水の一滴が大洋の広大さを知ることと大差はありません。人がこのことを悟ったなら、その者は初めて真実の主体性を知るでしょう。そして吹きすさぶもろものの風に影響され、自身の真実の姿の陰に生きることはしなくなります。そして放蕩息子が家に戻った時には天国では祝賀があることでしょう。しかし、これには個々の人間の側に不動な信頼感を持った上での心からの決心を必要とします。何故なら、如何なるものが現れているかに関わらず自己中心的な自分のプライドとメンツを諦めなければならないからです。


【解説】
 意識と融合しない限り、真の平和や幸福はないという訳です。多くの聖人はその状況に達した為に、その行動を通じて聖人たる成果を残したということでしょう。
 しかし、一口に自我を捨てると言っても、その実現には各自の努力と工夫が必要です。その中で、とかく私達は自分はどの道を教えることが出来るとする教師にすがり易いのですが、実際には従っても多くはうまく行かず、逆にその道から外れる結果になってしまうことも多いのです。
 このように他人を頼りにすることなく、とにかく自分で納得するまで、観察を続けること、自然を研究することが重要です。その中で自然現象の中に生きる法則を知れば、それに自分を合わせれば良い訳です。
 宇宙の中では数え切れない惑星世界があり、各々の中で生命の活動があり、それらと一体になれれば、それ以上、望むものはありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落233

233 Did not Jesus say, he who is trying to save his life shall lose it? Isn't this what the ego is afraid of by giving up its will to consciousness? This is also a lack of faith in the Creator whom we call God. For Jesus also said, he who gives up his life shall find life eternal. Meaning, he who gives the will of the ego unto the will of consciousness shall partake of life eternal. For consciousness is eternal and proceeds all forms. And without it there would be no forms, for an unconscious form is a dead form.
233 イエスは自分の命を救おうとする者はそれを失うとは言わなかったでしょうか?これはエゴがその意志を意識に差し出すことで恐れていることを指すのではないでしょうか?これはまた、私達が神と呼ぶ創造主に対する私達の信頼の不足でもあります。何故なら、イエスはまた、自分の命を捨てる者は永遠の生命を見い出すとも言いました。それはエゴの意志を意識の意志に譲り渡す者は永遠の生命を共にすることになるという意味です。何故なら、意識は永遠であり、万物を先んじているからです。そして意識無しには如何なる形有るものも存在しません。意識の無いものは死んでいるものだからです。


【解説】
 本項の主旨を言い換えれば、私達はそれ程の覚悟で自分の心(エゴ)を捨て去る決心をする必要があるということでしょう。「全てを捨てる」とは一遍上人が著名ですが、その捨て去ろうとしたものは、必ずしも身に付けていたもの、物品ではなく、私達の心(エゴ)の意思であったように思われます。
 意識からそっと寄せられる印象にひたすら従い、素直に行動出来る自分にする為に、私欲を捨て、過去のしがらみを解き払うことによって、私達自身(エゴ)を意識の海の中に解凍させるというイメージかと思います。
 全ての物事に先行して存在し、その結果を創り出す意識なるものの存在と自然に交流できるようになることが私達の願うところです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落232

232 This is no different than a mother who refuses to believe that her child can do anything wrong, and will not correct it. Eventually the child suffers with the parent because the parent failed to strengthen the weakness that was showing up in the child. This was caused by the mother's fear of recognizing the weakness in the child. And she added weakness to weakness instead of correcting it. Finally the mother had to face the truth, she could no longer avoid it and it was far more difficult than it would have been in the earlier stages.
232 これは自分の子供が何ら誤ったことをする筈がないと信じて、子供を正そうとしない母親と変わりありません。しかし、最後は子供がその両親に苦しむことになります。何故なら両親はその子供の中の弱さに対して強くすることに失敗したからです。これはその母親が子供の中にある弱さを認めることを恐れていることによってもたらされたのです。そして母親はその弱さを正す代わりに弱さの上に弱さを付け足して来ました。遂には母親はその真実に直面せざるを得ず、もはや避けることは出来ず、それは早期の段階に比べてはるかに困難なことになってしまったのです。


【解説】
 私達は真の自分自身と自らの心(エゴ)をしっかり区別し、心(エゴ)の持つ課題に対してしっかりした対応を執ることが重要な訳です。とかく心を放任している私達は、自らの心の示す欲求そのままに行動して来た結果、本来の歩むべき道から大きく外れてしまいました。
 しかし、毎朝の目覚めから一日が始まるように、心も眠りの間は一度リセットされ、毎朝ある程度新しい状態からスタートする訳で、是正の機会は毎日あるように思います。基本は本文に書かれているように、本来の私達自身がどのように自分の心と対峙するかの問題であり、本件に関する限り他者は一切係りがありません。うまく出来ないからといって誰かに言い訳をしたりする必要もなく、ひたすら自分自身と向き合う中の日々の精進ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落231

231 Once the mind realizes its weakness that has caused much unpleasantness during its life, it should then be determined, even thought it is painful at the beginning, to lend itself to conscious guidance. These obstacles could arise when it tries to do this ; A thought of fear of losing its identity and authority that it has had during its domination even though it encountered many mistakes and uncertainties on its path of self-will. For lacking knowledge, it followed effects with no more knowledge than it had as it repeated mistakes, and alibied for them with a hope of bettering its position instead of correcting the mistakes.
231 ひとたび心がその生涯の間に多くの不愉快な体験をもたらした心の弱さを自覚したならば、心ははじめは苦痛と感じることがあっても、それ自身を意識の導きに委ねることを決心すべきなのです。これを為そうとする時にはこのような障害が発生することがあり得ます。つまり、例えその自己の意志の道筋において数多くの過ちや不安定状態に遭遇したとしてもその支配の間に得ていた心の独自性と権威を失うことへの不安感です。何故なら心は知識が不足している為に、それ自身と変わらぬ知識しかもたない諸結果物に追従し、過ちを繰り返しており、それら過ちを修正することに代えて自分の地位をより良くしたいと思ってアリバイ作りを行って来たからです。


【解説】
 私達は先ず、自らの「心」の限界について知ることが必要で、その自覚を踏まえて意識から来る印象に従った行動体になれるよう、一歩一歩の歩みを始めるということです。
 もちろん、その辿る道は心にとっては未知の世界であり、試行錯誤は避けられません。しかし、少しずつでも足掛かりがつかめれば前進出来ることは山登りにも似ています。進むにつれて物事の全容も見えて来る筈です。
 これまで私達は失敗を恐れ、結果物として目の前に残るものを唯一の頼りとして、また他人に裏切られないよう注意しながら生きて来ました。また他人から良い評価をされたい為に面子を重視して来ました。しかし、意識主体の生き方は、これらしがらみとは一切関わり無く、新たな幼児となって、意識から学ぶ姿勢をとる必要があるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落230

230 And this can only be done by allowing the consciousness with its unlimited power and knowledge to put the house in order.
230 そしてこれは無限の力と知識を持つ意識にこの家の中を整頓させることによってのみ、なされ得るのです。


【解説】
 宇宙の意識に身体の中を一度、大掃除してキレイにしてもらうということでしょう。古い習慣に染まりきった細胞達の波動を一度、リセットさせて、本来の姿に戻す作業が必要な訳です。
 これらについては従来、滝に打たれる等の修行がありますが、そのような修行の中には日常習慣や感覚の支配から一度心身を解き放ち、本来の生命の流れに従うきっかけを得るような要素があったのかと気付く次第です。
 私達は必ずしも滝行のような極端なことは行なわなくても、日常的にその意義を自覚し、意識から来る助言の印象に100%従うよう、心して置くことがより重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落229

229 After thousands of years of living as we have, becoming habitual individuals, we have created habitual cells in relation to the mind. And habits do become hungry for their own food. i.e. An alcoholic's mind knows that it is not good for the body to go to extremes, but the habit is the master of the mind. The mind lost the strength of its will and the power of determination to oppose the habit so it continues as a slave to the habit. And this is true of all habits, for most of them operate in extremes. This does not mean that you cannot take a drink or do similar things, for all things are good in moderation. But it does mean that one should be determined to be the master of his life rather than have the habits master him.
229 私達は何千年もの間、このように生き、習慣的な個体となった結果、その心に関連した習慣的な細胞を造り上げてしまいました。そして諸習慣はそれら自身の食物を求めて腹を空かせるようにさえなるのです。即ち、アルコール依存の心はそれが程を越して極端になれば肉体に良くないことを知っていますが、それでも習慣がその心の支配人になっています。心はその習慣に反抗する意志と決心の力を失った為、その習慣の奴隷となり続けるのです。しかもこれは全ての習慣について言えることです。何故なら、それらのほとんどが極端に作用するからです。このことはあなたが一杯飲んだり、類似した事柄を行ったりしてはならないと言うことではありません。何故なら、全ての物事は適度であれば良いことだからです。しかし、人は諸習慣が自分を支配するのではなく、自分が自身の人生の支配人になることを決心すべきことは確かです。


【解説】
 「習慣の奴隷」を克服することは私達の最大の課題ですし、私達の多くは毎日を決まりきった生活パターンの中で生きていることも確かです。もちろん一面ではそれは止むを得ない事情ではありますが、惰性で毎日を送ることは厳に慎むべき事柄です。その中にあって私達は無作為に時を過ごすことがあってはならず、そのようなことは本来の生命活動とは反するものです。
 その結末として、私達は永年の心の指令に仕える細胞群を自らの体内に形成し、今度はそれらが支配者となって、本人の行動を左右する段階に至ると著者は警告しています。アルコール依存や薬物中毒など、極端な例もありますが、私達一人一人類似した細胞群を抱えていることは確かです。
 このような習慣細胞の指示に従うことなく、自らの意志でご自身をコントロールし、習慣の奴隷になることなく、あらゆる分野を適度に楽しめと著者はまとめています。先ずは習慣性の有無を点検し、毎日新しい側面を探求することです。日々是新とはそのような生活姿勢を言う言葉です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落228

228 The only difference between man and nature is - nature has no will of its own for as stated before, it is under the will of the All Inclusive Intelligence. Man as the highest expression was endowed with a free will mind, and it is here that he has his trouble. For the mind as an effect guides itself by other effects instead of lending its will to the will of the Cosmos. The reason that man was given a free will mind was that he might learn from The Supreme Intelligence the way and purpose of life. And he is endowed with the potential of becoming like his creator and say as Jesus did, I and the Father are One, and when you look at me you see the Father. The Venusians and other planetarians endeavor to express this daily by willing their minds unto conscious guidance. And we must do this if we are to fulfill our purpose.
228 人と自然の間の唯一の違いは、以前述べたように自然は自身の意志を持たないということであり、それは全てを包む知性の意志の下にあることです。最高位の表現物である人は自由意志の心を与えられており、そのことが人が問題を抱える所となっています。何故なら一つの結果物である心は宇宙の意志に自らの意志を貸し与える代わりに他の結果物で自らを導いているからです。人が自由意志を与えられているのには人は最高位の知性から人生の歩むべき道と目的を習うだろうと期待されているという訳があります。そして人は創造主のようになり得る能力を授けられていますし、イエスが私と父とは一つである、あなたが私を見る時、あなたは父を見ているのだと言ったようにです。金星人達や他の惑星人達は彼らの心を意識の導きに喜んで従わせることによってこのことを表現しようと毎日努力しています。そして私達も自分達の目的を達成するつもりなら、同じことをしなければなりません。


【解説】
 自然界にあるもの全て、鉱物から動植物に至るまで、人間を除くあらゆるものは、それ自身の意志を持たず宇宙の英知の下に生きている一方、何故人間が自由意志を与えられたかが説かれています。
 自然界の他の生きもの達は自ら学ぶ必要はなく、既に宇宙英知に従った行動をとっている訳ですが、人間は違うというのです。人間は自ら努力して、その生きる目的を学び、創造主の意志に自ら近づくことが期待される為、自ら学ぶ上で必要となる自由意志を与えられたのです。
 究極にはイエスの言葉のようになる訳ですが、実はそれ程に完成した人物がイエスという存在であったこと、また金星をはじめとする他の惑星の文明も同様な進化を日々遂げる中で実現していることを本項は説いています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落227

227 The cells in the toe are different from those in the finger but each group is working with the others to make the body a perfect manifestation. And the same power and guidance lends itself to all alike. This is no different than the cosmic expression in the earth's cell structure. For from the lowest expression in the mineral kingdom and through the millions of nature's manifestations the same power and intelligence is expressing in varying degrees. This law is constant and does not change to favor one form, or a planet, above another.
227 足指の細胞は手の指のそれとは異なりますが、それでも互いのグループは人体を完全な創造の現れにする為、共に働いています。そしてそれと同じ力と導きが万物に等しく授けられています。このことは地球の細胞構造における宇宙の表現と違うものではありません。何故なら、鉱物王国における最低位の表現から、そして何百万もの自然の創造の現れを通じてこれと同じ力と知性が様々な度合で表現しているからです。この法則は不変であり、ある一つの形あるものや惑星の便宜を図る為に他に優って対応を変えることはありません。


【解説】
 とかく手の指の方が足の指より身近で大事なように思ってしまいますが、どの指も等しく無くてはならないものであることは、各自、体験しているところかと思います。
 人体の各部の細胞群のいずれもが等しく人体を支えている訳で。それは惑星の構造も同じだと本文では解説されています。つまり、私達は地表で生活する為に建物を建てますが、その拠り所となる基礎は各々杭を地中に刺して地殻に支えてもらっている等、地殻の鉱物群は私達の建物をも支えていることに気付く必要があります。
 また、私達はこれら地殻を掘り出して、自分達に有用な物質や自分達が好む鉱物(宝石)を得ていますが、一方で捨てられる石や砂が果たしてきた「地球を形成する」という役割について私達は気付く必要があります。
 過去に生じた地震の痕跡はこれら地表の下に眠る地殻の構成に現れていることは私達の知るところであり、時々見える斜めに傾いた地層の状態からは、一見動かないように見える地殻が実に活発に活動して来たことがよく分かります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落226

226 As stated before, the body is made of trillions of cells, grouped for perfect maintenance and operation. No different than the structure of the cosmos, and the body has all of the cosmic force supporting it. And when the human mind is working in behalf of the cosmic plan, instead of self, it never knows any unpleasant effects. For then it is free from discrimination, judgments, and likes and dislikes.
226 以前に述べたように、肉体は何兆もの細胞から成り立っており、それら細胞は完璧なる維持管理の為にグループ化されています。それらは宇宙の構造と何ら違う所は無く、肉体はそれを支える宇宙の力の全てを持っています。そして人間の心が自身の為でなく、宇宙の計画の為に働いている時は、不愉快な結果を決して経験することはありません。何故なら、その時、人は差別や裁き、好き嫌いから離れているからです。


【解説】
 私達の身体は60兆個もの細胞から成り立っていることは既に知識としては持っていますが、重要な点はそれら細胞が大宇宙そのままに整然とした調和した関係にあるということです。「汝自身を知れ」という言葉がありますが、それは既に私達自身の中にあらゆる宇宙の要素が組み込まれているということでしょう。
 現代の科学も各々の細胞から遺伝分子を抽出し、それらを増幅させて構成を調べたりするようになりましたが、大事な点は一つ一つの細胞や分子原子が各々調和して存在するということでしょう。これらが本項で言う「宇宙の計画」に基づいて行なわれている所が重要なポイントです。
 ある意味、宇宙を貫く大きな意図に従ってあらゆるものが生きている訳ですから、私達の心もそれに従って生きれば、摩擦や抵抗もなく柔軟、スムーズに生きられることになります。
 もちろん、この調和ある力、「宇宙の計画」は差別や裁きの無い創造主の意図であり、その意図を具体的に表現することが私達の役割ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落225

225 This shows that the cosmic plan is orderly, but the mental is not stable and needs guidance.
225 これは宇宙の計画は整然としているが、心は安定せず、導きを必要としていることを示しています。


【解説】
 私達一人一人は自らを実験台として、想念と身体の関係を学ぶ必要があります。
 それは最初、決して心地よいものではありませんが、本来自らを訓練する上で最も有効な方法です。良い想念を保つことは体内の諸々の生命作用にとっても好都合であり、スムーズな運用を保てることから、その持続期間も大幅に伸びることになります。
 一方で、仮に苦痛を伴う体験を得てしまっても何らその原因を分析せず、記憶しようとも思わなければ、貴重なる学習の機会を失い、身体は消耗するばかりです。
 動植物を含め、自然界に生きるものが、皆、新鮮、活発に生きている様子を見るにつけ、人間のような心の問題が無いとすれば、それらを支える身体は各々十二分に本来の機能を発揮していることが理解出来ます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落224

224 The first group starts the fermentation. The second group makes a perfect blend of the chemicals extracted. The next group eliminates the gases that are produced during the fermentation. Finally the scavengers throw off the waste matter that is left. If this process functions naturally you will never know a sick day. But if the cells related to the mind interfere with the cells that are doing the work, by the mind becoming angry, we know what the uncomfortable results will be.
224 最初の集団は発酵を開始します。二番目は抽出された化学物質の完全な混合を造り上げます。次の集団は発酵の間に生成されたガスを排出します。そして最後は、掃除人達が残った廃棄物を捨て去るのです。もし、このプロセスが自然に機能するなら、あなたは決して具合の悪い日を経験することはないでしょう。しかし、もし心が怒ったりすることによって心に関係している細胞達がこの仕事をしている細胞達の邪魔をすれば、どのような不愉快な結果になるか私達には分かります。


【解説】
 人体の中の食物の分解過程は、本文で言ういわゆる酸素の無い状況下で各種酵素が作用する「発酵」という過程が行なわれます。この発酵を通じて炭水化物や蛋白質その他が人体の消化器官から分泌される消化酵素、更には体内に生存する多様な微生物の働きにより、栄養素に分解され、吸収されることは私達も既に学んでいる通りです。
 一方、やや詳細な話になりますが、本文中にあるガスの排出に関する内容は腸の中でガスを排出しようとする腸の運動のことかどうかは定かではありません。
 いずれにしても、各自の経験の通り、感情の起伏によってこれらの作用が滞り、体調不良になることは間違えありません。緊張による下痢や便秘など、よく経験する所です。
 私達は自らの身体が最も大事として来ている訳ですから、その状態維持の為にも、これらの身体内部の作用を常に注視しておく必要があることは明らかです。言い換えれば、最も身近な学習教材である自らの身体内部の目に見えない様々な働きについてしっかり、意識して置くことが大事だという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落223

223 Here is an example of grouped cells. First we will use the ones associated with the mind. The mind is alerted to take on food due to past habits for the body needs fuel. But as stated before, the mind does not know what is to be done with the food when it enters the body. But there is a group that does know, and while the mind is entertaining itself with something else this group goes on with its work. I have used this example for years in lectures and class work, but it illustrates very well, so I will use it again. Once the food enters your body the intelligence independent of the mind goes to work on it. We will class these workers in four groups, each working in behalf of the other.
223 ここで群れになった諸細胞の例をお話しましょう。最初は心に関係した細胞群を取り上げたいと思います。心は過去の習慣の結果、食物を摂取するよう絶えず注意を払っています。肉体が燃料を必要とするからです。しかし、以前述べたように心は食物が肉体に入った後、その食物に何が起るかについては知っていないのです。それでも知る集団が居て、心が何か他のことで楽しんでいる間に、この集団がその仕事に従事します。私はこの例えを講演や教室での講義で何年も使って来ましたが、それでもこの一例は大変よく問題を表わしている為、再び用いることにします。ひとたび食物があなたの体内に入るや、心から独立した知性がその食物に対して働きます。私達はこれらの働き手を各々が他の為に働らく4つの集団に分類することにします。


【解説】
 「おいしい食事をしたい」とは誰もが思うものですが、その「おいしい」、「まずい」は、私達の心の構成要素の味覚の評価(裁き)でしかありません。以前、裏庭に水を求めて着陸した宇宙船から出てきた宇宙人から御礼にもらったパンケーキはダンボールのように味気の無いものであったという海外のレポートを読んだことがあります。味覚の支配から私達自身を解放することも宇宙時代に向けての課題です。
 一方、人体には飲み込んだ後に各種栄養分を消化吸収、分解する細胞群(消化器系)がその後の作業を行なっており、それらが順調に進むことで、私達は心地よく過ごすことが出来る訳です。これら細胞群について著者は実質、4つの集団があると、以下に続く本文で解説しています。
 わが国でも体調管理の上から、ダイエットの必要性について説かれていますが、肥満の方を見ると、明らかに食事の量が過大であることが分かります。本人は自身の身体維持の為、心が食事をもっと摂るように促しており、味覚に支配され、満腹になるまで食事を詰め込む生活を続けている訳です。従来から視覚については、課題を知るところですが、味覚についても私達は制御する必要があることが良く分かります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落222

222 In the first part of the lessons we mentioned group cells that are related to the mind and take orders from the mind. 90% of the other cells take orders from the consciousness. Yet they can all be made to take orders from the consciousness, which they must do eventually if the ego is to survive.
222 教科の最初の部分で私達は心と関係を持ち、心の指令を取り入れる細胞群について述べました。しかし、90%のその他の細胞は意識からの指令を取り入れています。それでも細胞にすべて意識からの指令を取り入れさせることは可能ですし、それはエゴが生きながらえる為に、最終的にしなければならないことです。


【解説】
 私達は自分(心)の意志によって動く、随意筋とそうでない不随意筋等について知るところですが、本項の意味する所も同様な内容を示しているものと思われます。この心の指令に従う10%の細胞群を訓練し、いちはやく意識の指導に従う集団に変貌させなければなりません。
 本項で言う10%という割合は、人体の恒常性確保に上からは大きな障害になっていることは間違いないように思います。
 これらの細胞を本来の意識の印象に従わせる為には、大きな努力が必要なことは確かです。味覚や嗅覚を永年楽しませ、快い音と外見の美しさのみを結果の世界に追い続けてきた私達の心は、そうした現象面だけでなく、それらの創造物をもたらしたより高次な印象と想念を味わう努力が必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落221

221 But if the new thoughts are going to have the results that we desire they must be given top priority and not mixed with opposite thoughts. For this creates a conflict in the body and the results are anything but good. It is not going to be easy to maintain such thoughts at first, but determination will accomplish the desired results.
221 しかし、もし新しい想念が私達が望む結果を得るという為には、それらの新しい想念は最大限の優先順位を与えられ、対立する想念と混ぜられることがあってはなりません。何故なら、こうすることは体内に葛藤を造り出し、その結果は良いものとは決してならないからです。最初の内はこのように想念を保つことは簡単ではありませんが、決意は望ましい結果を達成することでしょう。


【解説】
 私達が必要とする新しい想念の取扱いについて、本項は解説しています。
 つまり、仮にこれまでにない新しい発想が浮かんだ場合、私達はそれを従来の常識化した知識と混ぜることなく、それらに最大限の優先権を与えよと、著者は助言している訳です。
 私達が宇宙的印象を実現できないでいるのは、その印象を尊重せず、その漏らす内容を聞こうと努力しないからです。従来からの考えと比較吟味してしまうため、身体内で混乱が生じ、一本化されない為だとしている所に注意すべきです。
 素直に創造主からのメッセージを受け取り、行動(実行)して新しい体験を得ることを優先すべきという訳です。その為には、心がどのような抵抗を示そうとも、自らが宇宙的印象、創造主のささやきには全幅の信頼を置くことを決意する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落220

220 The masters of the ages taught one cosmic principle - As A Man Thinketh So Is He. We can now see how the people on planet Venus maintain a long and useful life. For they are constantly thinking in terms of newness. And a form 500 years old, of our time, looks youthful and in the prime of life. While here on earth we look older at 40 than they do at 700 years. But we are thinking in terms of age and are governed by habits that are thousands of years old. And you cannot feel young by wearing an old cloak for it will have an influence upon you. An old dress or suit, even though made of very good material, will make you feel old everytime you put it on. So will the old thoughts. We know that new clothing makes us feel younger, and so will new thoughts when we have them continuously.
220 各時代の指導者達は皆、一つの宇宙原理を教えました。人は思った通りの者になるのです。私達は今や金星の人々はどのようにして長く有意義な人生を保っているのかを知ることができます。何故なら彼らは常に新しさの視点で物事を考えているからです。その結果、私達の時間で言う500才の肉体も若々しく生命の全盛期にあるように見えます。一方、ここ地球では私達は40才ですら、彼らが700才で見せる以上に年老いて見えるのです。それでも私達は年令で物事を考え、何千年も古い習慣に支配されています。ですからあなたは古い外套を着ていては若さを感じることはできません。それがあなたに影響を与えるからです。とても良い材質で出来ていたとしても、古いドレスや服はそれを着る度にあなたに古い感じを起こさせることでしょう。ですから、古い想念も同様です。私達は新しい衣服があなたを若々しく感じさせることを知っていますし、新しい想念も私達が常に保つならばそれと同様となります。


【解説】
 人は日常抱く想念通りの者になるということは、当然の原理と言うことが出来ます。想念が最も作用を発揮するのは各自の身体及びその環境です。
 心の抱く想念を宇宙本来の生命の息吹に調和したものに保つことが出来れば、全身がスムーズな活動となり、老化が生じないことはアダムスキー氏のコンタクト経験の他にも、各自の体験から理解することが出来る筈です。
 自らに取り入れる想念を大切にすることは、60兆個もの配下の細胞を持つ私達一人一人の身体の主人公としての最低限度の義務でもあります。
 本文にある「As A Man Thinketh」と同名の本をJames Allen(1864-1912)が記していますが、そのタイトルは日本語訳の本では「原因と結果の法則」と記されているそうです。1902年に執筆されたこの本は自己啓発の書として広く知られています。昔から真理は変わることなく永続しており、今日もまた未来も変わらず続いて行きます。時代を通じて、地球上の様々な地域で真理を伝えようとする者が出現し、同種のポイントを私達に伝えて呉れているということでしょう。
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