生命の科学 第6課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落216

216 We can be thankful for the small minority of people in the world that are constantly looking for something new, not satisfied to live the doctrines of the old. It is this class of people that keep agitating the majority of the minds towards the better way of life without violence but with an understanding. The masses move very slowly and if it were not for this class of people that make them listen to the new phases, they would have been extinct long ago. Decayed by the law of monotony. But the newness that the few bring to the attention of the masses keeps them going. Slowly but surely.
216 私達は昔からの教義に満足せず常に何か新しいことを探し求めている少数の人々に感謝すべきかも知れません。暴力によらず共感をもって大半の人々の心をより良い生活の方向に進むよう促し続けるのはこの部類の人々です。大衆はとてもゆっくり動くものですし、もし新しい側面について耳を傾けるよう促すこの部類の人々がいなかったら、彼等はとうの昔に消滅していたでありましょう。退屈の法則によって朽ち果ててです。しかし、大衆の注目を引き付ける新しいものは、彼等を歩み続けさせます。ゆっくりですが、確実にです。


【解説】
 携帯電話をはじめとして現在身の回りにある”便利な道具”は皆、各々の分野で研究開発された製品であり、その機能を支えるために社会の隅々に至るまでの設備が整えられ整備されているからこそ可能となっているのです。そういう意味では便利な通販サイト等、多くの技術者が新しい事業や業態を造り上げ運営している恩恵を私値は受けていることに注意しなければなりません。
 今日では求める知識や経験は机の上から世界中の知識図書館に調べて回ることが出来るようになっています。誰でもその気にさえなれば研究生活を送れることになりますし、その機会は皆平等に用意されています。今やネット検索の使い方は必須の常識となることでしょう。
 一方、世界全般では今でも戦車を繰出して力を誇示することも行われており、一歩誤って戦争に至れば私達は再び憎悪の暗黒の星に陥ることは必須でありましょうし、人類は再び太古の時代に引き戻されることは確実です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落215


215 You see the body is on one hand independent of the mind, yet on the other hand there are certain cell groups that are related to the mind and obedient to it. This is the cause of the conflict that a human finds himself in daily. The mind is inclined to be habitual and lazy. It would rather travel the road of least resistance than the road of progress that calls for steps yet unknown. This is why we are plagued with tradition and conventions of ancient times that no longer fit into our present way of life. But despite this, the mind must accept things from time to time whether it likes it or not. 
215 おわかりのように肉体は一方では心からは独立していますが、他方では心と関係を持ち、心に従順な或る細胞群もあります。これが人間が日常、自分自身に葛藤を感じる原因です。心は習慣的で怠惰になる傾向があります。それは未知なる階段を必要とする進歩の道よりも最小限の抵抗しか無い道を歩むことを常としていました。これが私達が今日の生活方法にはもはや当てはまらない古来の伝統や因習に患っている理由です。しかし、これにも拘わらず、心は時としてその好き嫌いによらず物事を受け入れなければならないのです。


【解説】
 肉体と心の間柄について本項では説明しています。現在、オリンピックが中国北京で開催されていますが、どの競技を見ても肉体は心に結びついており、肉体の限界を目指す苛酷な競技の中でメンタルと称される心の影響はあらゆる競技種目を支配しているように思われます。如何に自らの心を望ましい状況に維持するかがメダル獲得のカギとなるようで、私達の心が肉体に及ぼす影響は大きいものがあります。
 一方、何らかの事情で心が打撃を受けた場合、肉体を立て直すには長い時間を要します。そういう意味では自分の心の状態を常に監督しより良い状況に保つことは肉体を良好に維持する上でも重要です。また相手に対して何か友好的でない発言を行う等、その結果、長時間相手を不快にさせるようなことがあれば、それは罰せられるべき行為と言えるものです。そういう意味では傍若無人の発言は例え本人にその意思がないにしても責任は免れないものと思われます。一人一人の日常の発言は受け取った相手がどのような状況になりうるかを考えた上で行う必要があり、自分本位で断定的な発言は慎むべきでしょう。そういう意味では私達は未熟であることを自覚し、他人から親しまれる人間になるよう努力することが必要です。日本では古来より「言霊」という表現があり、自分の発言に恐れる心情がありましたが、それらも元をただせば相手の心に与える影響を考慮にいれてのことかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落214

216 We can be thankful for the small minority of people in the world that are constantly looking for something new, not satisfied to live the doctrines of the old. It is this class of people that keep agitating the majority of the minds towards the better way of life without violence but with an understanding. The masses move very slowly and if it were not for this class of people that make them listen to the new phases, they would have been extinct long ago. Decayed by the law of monotony. But the newness that the few bring to the attention of the masses keeps them going. Slowly but surely.
216 私達は昔からの教義に満足せず常に何か新しいことを探し求めている少数の人々に感謝すべきかも知れません。暴力によらず共感をもって大半の人々の心をより良い生活の方向に進むよう促し続けるのはこの部類の人々です。大衆はとてもゆっくり動くものですし、もし新しい側面について耳を傾けるよう促すこの部類の人々がいなかったら、彼等はとうの昔に消滅していたでありましょう。退屈の法則によって朽ち果ててです。しかし、大衆の注目を引き付ける新しいものは、彼等を歩み続けさせます。ゆっくりですが、確実にです。


【解説】
 携帯電話をはじめとして現在身の回りにある”便利な道具”は皆、各々の分野で研究開発された製品であり、その機能を支えるために社会の隅々に至るまでの設備が整えられ整備されているからこそ可能となっているのです。そういう意味では便利な通販サイト等、多くの技術者が新しい事業や業態を造り上げ運営している恩恵を私値は受けていることに注意しなければなりません。
 今日では求める知識や経験は机の上から世界中の知識図書館に調べて回ることが出来るようになっています。誰でもその気にさえなれば研究生活を送れることになりますし、その機会は皆平等に用意されています。今やネット検索の使い方は必須の常識となることでしょう。
 一方、世界全般では今でも戦車を繰出して力を誇示することも行われており、一歩誤って戦争に至れば私達は再び憎悪の暗黒の星に陥ることは必須でありましょうし、人類は再び太古の時代に引き戻されることは確実です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落249

249 The goal we seek to attain should be all that matters and no obstacle should prevent us from attaining it
249 私達が到達しようと求めているゴールは大事なことの全てであるべきであり、如何なる障害も私達がそれを達成することを妨げることがあってはなりません。


【解説】
 私達に達成出来ないものは無く、如何なる障害もそれを阻むことはないと第6課の最終項で著者は私達を励ましています。
 とかく私達は移ろい易く、他からの少しの影響でも揺らぐような状況になりがちですが、著者は私達学習者に自らの基盤を確立した上で、問題に当たれば解決に至る筈だと説いています。
 一歩前進すれば、また新たな展望が開け、私達は少しずつ目標に近づくことが出来るということでしょう。本課は奇しくも「新しさ」が重要だという点から進められて来ましたが、少しずつでも行動することを通じて新しい要素がやって来て、いつも新鮮で居られるということでもあります。この宇宙の基本的流れを摂り入れ、同期することが進歩を早め、ゴールを近づけることになります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落248

248 We must build on a rock foundation and not on shifting sand. So that when diversity and opposition cause a storm in our life we can stand firm and not be swept away because of a weak foundation.
248 私達は転じやすい砂の上では無く、磐石の土台の上に建物を建てなければなりません。それは、多様な変化や反対が私達の生活に嵐をもたらす時、私達が弱い基礎のせいで流される代わりにしっかり建っていられる為です。


【解説】
 もちろん私達は地球という長年月、混乱と栄枯盛衰の歴史を繰り返して来た社会の中で暮らしています。その中で多くは不本意な影響を蒙ることも時としてあるのです。最近では、惑星自体の気象も乱れが強まっており、大雨も頻発しています。文字通り嵐が家の土台を崩壊させることも起きています。
 こうした中、私達は自分が確実に理解し、確信していることを改めて確認し、揺るぎない生き方の土台を固める必要があるのです。いつも誰か師となる者がそばに居て、助言をして呉れる状況にはなく、独りで人生を生き抜く必要がある訳で、どのような状況にあっても自分の拠り所となるもの、自分がこれだけは確かだと思うポイントをしっかり身体に留めて置く必要があります。つまりは家の基礎と同じく、表層の理解ではダメで、より深い所まで自分の理解や思考を掘り下げて置けということです。
 未来に多くの試練が待ち構えていたとしても、揺るぎない信念、信仰を持って前進すべきだと著者は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落247

247 Yet to live this new kind of life among the many who do not, one must have unshakable faith and patience in order to endure. For everyone will not grasp the idea immediately, humanity is very slow to change. But change it must if it is to survive. And pioneers in any field must be strong and determined if good results are to be realized.
247 しかし、この新たな生活を送る為には、そうではない多くの人達の中にあって、人は耐える為に揺るぎない信頼と忍耐を持たねばなりません。何故なら、誰でもその概念を直ちに掴み取る訳ではなく、人間性とは変化するのに大変遅いからです。しかし、生き延びる為には変化しなければなりません。そして先駆者はどの分野にせよ、良い成果が実現される為には、強く決意しなければなりません。




【解説】
 この自分の中にある「より良い自分」に耳を傾け、その助言を受け入れることは実は容易ではないと本項では説かれています。つまり、周囲の影響を受けやすく、また世の中全体の動きのある中で暮らす私達は、社会の流れの中に漂いがちです。しかし、そこには未来は無く、滅びに至る道であると警告しているのです。
 戦後生まれの私には分かりませんが、戦前の世の中もひたすら戦争に突入せざるを得ない時代の流れがあったのではないかと思われます。しかし、そうした中にあっても時代の流れに流されることなく、真実の有りようを人々に示した方々もあったことと思われます。
 アダムスキー氏が1952年、デザートセンターでオーソンと会見した時代は、実は新たな地球の危機、核実験を頻発させていた時代であり、これら私達の行く末を案じた上の他惑星社会の計画であったと観るべきでしょう。
 私達はいかなる時代にあっても、この真理に足を置いて、あるべき姿を人々に見せ続け時代の流れを変える努力を惜しむべきではありません。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落246

246 Examples have been used in many ways. i.e. If a dictator wants to dominate his people, he destroys those who, oppose him, as an example to others. If examples can be used in this way, why can't we set a fine example for the world to follow? We can with action and not just words and dreams. And this can be done only by living the things that we know. We must be honest and truthful to our better self before we can be honest and truthful to others. We must trust our consciousness if we expect other conscious entities to trust us.
246 例示というのは様々な方面で用いられて来ました。即ち、独裁者がその人民を支配しようと思うなら、反抗する者を他の者への見せしめとして滅ぼします。仮に例示というものがこのように用いられ得るとすれば、何故私達は世界が従うような素晴らしい例示を打ち立てようとしないのでしょうか。私達は単なる言葉や夢でなく、行動によってそれが出来るのです。そしてこれは私達が知っている事柄を生きることによってのみ、行い得るのです。私達は他の者に対して正直で誠実である前に私達のより良い自己に対して正直で誠実であらねばなりません。他の意識ある存在が私達を信じてくれることを望むなら、私達は私達自身の意識を信頼しなければなりません。


【解説】
 とかく私達は自分自身の問題点のみに注目するか、或いは全く問題点がないと感じるかの両極端に向かいがちです。しかし本項で著者は、私達が本当に進化を遂げて行くためには、今までの知識を単に知識として終わらせるのではなく、自ら実践し行動することで他の者の模範になれと諭しています。
 そこで重要なのは、その際に自分の中にある「より良い自分better self」を信頼して実行せよと述べていることです。つまり、私達は様々問題がある訳ですが、それでも肉体は所定の機能を保っていますし、自分自身の中にも邪(よこしま)な心以外に、”良心”と称されるものも充分残っているのです。この自分に残る良い要素を信じて伸ばすこと、行動による体験を積むことで、他者への影響も与えられ自らも進化することが出来るという訳です。
 この自分にある「より良い自分」という表現は、何処か釈迦の教えにも似た雰囲気を持っています。単なる苦行ではその肝心な良心を発現させることは出来ないように思いますし、衆生救済も衆生一人一人に備わる「より良い自分」を希望の光として育成することを求めて行くことが菩薩の道であると思うからです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落245

245 You must re-create your ability by manifesting it in your daily life. And then you will prove to yourself that you can live that which you have been consciously aware of. Thereby it will not only serve you, but others also by your example.
245 貴方はそれを日常の生活の中で体現させることによって貴方の能力を再創出させなければいけません。そうすれば、貴方自身に貴方がこれまで意識的に気付いていたことを生き通せることを証明することになるでしょう。そのことによって、貴方に役立つばかりでなく、貴方の事例によって他の者にも役立つことになるでしょう。



【解説】
 毎日自分がどのように生きるかが重要なところです。人生は日々の積み重ねであり、私達の1分1秒、呼吸する想念と自らが採る行動がやがてはその人を造り上げるということでしょう。
 とりわけ重要な点は、前項で触れられたように、自分が出来そうだと感じた内容を実現させる行動だとしています。つまり、”出来そうだ”と思ったことは、私達がその想念を感受したことを意味し、次なるステップはそのビジョンを現実化させることです。この現実化させることこそが、私達人間の大きな役割であり、期待されているところなのです。また、その成果を祝うという役得もあるでしょう。
 実現に至る過程は様々で、思いのほか容易に進む場合も多いのですが、うまく行かないこともあることでしょう。その努力や工夫の過程を通じて、私達は次の機会に生かせる貴重な体験を積むことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落244

244 Of what value is a talent if you do not use it? Suppose you have the talent of a great artist and know it, but all you do is to think and dream about it. And never bring it forth into reality which takes action to accomplish, so you never profit from it. You do not even prove to yourself that you could manifest your dreams and make them a reality. So all of your dreams and prayers regarding your talent are still unknown and remain in the dream state. And this will continue until you decide to express your latent ability. For then and then only will you prove to yourself that it is real and livable. And so it is with self development - the potential of all that we have spoken of is within you, but it will not do you or anyone any good as long as you do not bring it forth.
244  もし貴方がその才能を使わないとするなら、才能に何の価値があるでしょう? 貴方には偉大な芸術家としての才能があったとし、貴方がそれを知っているけれども、貴方はそのことを考え、夢見ているだけの状況を考えて見て下さい。そしてそれを達成するには行動を必要とする現実世界にそれをもたらすことが無かったとすれば、貴方はそれから何らの利益を得ることは有りません。貴方は自分の夢を形に表わし、それらを現実にできるということを自分自身にさえ証明していないのです。ですから、貴方の才能に関する貴方の夢や祈りの全ては未だ知られることなく、夢の状態に留まっています。そしてこのことは貴方が自分の潜在する能力を表現しようと決意するまで続きます。時として、貴方はそれが本当であり、生きたものであることを自分自身に証明することしかないのです。ですから、それは私達がこれまで話して来た貴方の内部にある全ての可能性である自己発達とも同期していますが、それは貴方が現実化させない限り、貴方や誰に対しても良いことをもたらすものではありません。



【解説】
 私達が潜在的に有する才能も、ただその存在を自覚するのでは意味はなく、体現し自らその表現を実証し、現実の結果の世界に出現させなければ意味は無いと著者は説いています。
 もちろん、想念・印象は重要なのですが、その感受したイメージを実現させるところに私達各人の価値があるということでしょう。何事も行動しなければ、その実現過程での体験を得ることは出来ず、結果(成果)も得られないという訳です。
 即ち、仮に自身にとって素晴らしいアイデア(想念)を感受したとしても、そのままで放置して行動に移さなければ、結局は本人にとって何らの意味を持たないと忠告しているのです。小さな事柄でも一つ一つ行動し、体験する中で私達は進歩して行けるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落243

243 At first it will seem like an impossible task, but everything at one time looked impossible, even learning to walk. But constant diligence brings success. Seldom does man find gold on the surface and so it is with this. Man must dig deep to see reality.
243 最初はそれは不可能な任務のように見えるでしょうが、歩くことを学ぶ時でさえそうであったように何事もかつては不可能に見えたものです。しかし、変わらぬ勤勉さは成功をもたらします。金はめったに地表に見つけることはなく、このことも同様です。人は現実を見る為には深く掘り進めなければなりません。



【解説】
 私達が基本となる父の家に戻った後、私達自身何をすべきかを本項は説いています。
 もちろん、人それぞれに異なる役割や才能が割り当てられているのですが、それらの任務を果たす為には各人の努力が必要となります。
 単に夢想するだけでは現実化しません。自らの才能も自ら見出す必要もあるのです。しかし本項はそれを地道な努力によって達成出来ると励ましています。そもそも私達自身、当初は歩くことすらままならない幼児の時を過ごしたことも覚えていますし、当初不可能と心が危ぶんだことも、その後は難なく達成できていることも多いのです。
 宇宙の仕組み、生命の役割について多少なりとも知ることが出来た以上は、その者の抱く想念は現実に作用する力が強くなり、これまで以上に現実化が早まるに相違ありません。その強くなった想念・印象の力を私達は慎重に吟味し、現実化に向かうべきものを選び出し、その実現に向けて掘り進めるべきなのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落242

242 And all of this is present within you now, like the feeling of how you would like to be treated by others, so just return the same to all forms of life. But do not give up because you do not succeed on the first, second or third try. Just become more determined to master the situation. And the more determined you are the better the results will be.
242 そしてこの全ては、丁度、他の者にそう扱われたいと思う気持のように現在の貴方の中に存在しますので、ただ生命のあらゆる形あるものに同じことを返せば良いのです。しかし、貴方が一度や二度、三度の試みでうまく行かなかったからといって諦めてはいけません。その状況に熟達するにはより深く決意すれば良いだけです。そしてより深く決意すればする程、より良い結果が付いて来ることでしょう。


【解説】
 私達が自分自身にも生命の美しさが表現されていることを知り、自身が父の家で暖かく受け入れられていることが分かった後、私達が為すべきことは何かということが問われています。
 それは、私達自身が真の家族の一員となる為には、私達自身、その一員に相応しい態度、行動をとるべきなのです。それはイエスの言った言葉、「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」ということです。
 本項は、その事は何度も試みなければならない程、実は難しいことだと諭しています。長年の自己中心な生き方を転換するのは容易なことではありません。しかし、決意を持って何度もチャレンジすることによって、そのような行動が自然と出来るようになるということでしょう。
 かつて他惑星人は「同乗記」の中で、自分の命を犠牲にしても他人を助けることを極当たり前のこととして語っていましたが、それ程に彼ら他惑星人は他者に対する包容力、寛容力は大きいのです。仏教では他者の為に祈り、行動することを”菩提心”としています。菩薩の心の有り様はこれであり、厳しい中にも暖かく見守る姿 私達が基本となる父の家に戻った後、私達自身何をすべきかを本項は説いています。
 もちろん、人それぞれに異なる役割や才能が割り当てられているのですが、それらの任務を果たす為には各人の努力が必要となります。
 単に夢想するだけでは現実化しません。自らの才能も自ら見出す必要もあるのです。しかし本項はそれを地道な努力によって達成出来ると励ましています。そもそも私達自身、当初は歩くことすらままならない幼児の時を過ごしたことも覚えていますし、当初不可能と心が危ぶんだことも、その後は難なく達成できていることも多いのです。
 宇宙の仕組み、生命の役割について多少なりとも知ることが出来た以上は、その者の抱く想念は現実に作用する力が強くなり、これまで以上に現実化が早まるに相違ありません。その強くなった想念・印象の力を私達は慎重に吟味し、現実化に向かうべきものを選び出し、その実現に向けて掘り進めるべきなのです。として建立されている菩薩像が私達を惹きつける魅力はそこに由来しています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落241

241 Then you will begin to live as the Venusians and others do and discrimination will no longer be a part of your life. When you are able to do this and every one is, your mind shall witness things of far greater beauty and peace than you have ever known. And your body will manifest the evidence of the perfection to be.
241 そうすれば、貴方は金星人達や他の人達のように生活し始めることでしょう。そしてもはや差別は貴方の生活の一部になることはないでしょう。貴方がこのことを成し遂げられる時、また誰でもそうですが、これまで知らなかった遥かに偉大な美しさと平安さを目撃することになります。そして貴方の肉体はその完璧さの証しを体現するようになるでしょう。



【解説】
 それではどのようになったら自分が本来の進化の道を進んでいることが分かるのでしょうか。本項はその点について示唆するものとなっています。人口に他惑星人のように生活出来ると言っても、その格差は大きく私達には想像することも難しいものです。しかし本文に記されているように「差別感」が消滅することや、あらゆる美しさに鋭敏になることが、その指標であるのです。
 たとえ同じものを見ても、その細部の美しさに気付くこと、また感動することは人によって異なります。多くの人は同じ情景を肉眼で把握していても、人によってはその真の美しさに気付くこともあります。それはおそらく肉眼では認識出来ない別の波動に身体が気付くことではないかと考えられます。
 真の美しさはこうした想念・印象の径路を通じて認識される訳で、美しさに気付く回数が増えることは、それ程想念・印象への感性が高まったことを意味するように思われるのです。
 当たり前の自然、身の回りの草むらは従来の私達には何の価値も見出せないありふれた場所ですが、もしその中に美しい自然の営みを発見出来るようになれば、疑いなくその人は進化の道を歩んでいること言えます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落240

240 And you do not have to give up anything that you enjoy in life now, but replace the extremes that are indulged in with moderation. And permit your mind to see God manifesting in all forms of life and in every cell that makes up the form. For the life of any form and that of a cell is the life of God expressing in varying degrees through the many forms.
240 そして貴方は現在の生活で楽しんでいるどのようなものも諦める必要は無く、ただ欲しいままにしている極端さを適度さに置き換えるべきなのです。そして貴方の心をして、あらゆる生命の形あるものの中、そしてその形を作り上げている一つ一つの細胞の中に神の現れを見させることです。何故なら如何なる形あるものの命、細胞一つの命も皆、様々な形あるものを通じて多様に表現される神の生命であるからです。


【解説】
 どのように過ごすことが求められているのかについて、著者は当面は、私達に従来通りの生活を続けてよいこと、また重要な行動のポイントとして、適度に行うことを勧めています。いわゆる「中庸」の必要性を説いているのです。
 つまり、苦行をして覚醒を求めるというような手段でなく、世の中のありのままを観察し、その働きの中に創造主の現われを見るということです。これは仏陀が苦行の末にそのような訓練の限界を知り、スジャータから寄進されたお粥を食する中で、悟りへの道を拓いたとされることとも一致します。極端な苦行は無用だと仏陀が悟ったことも、本項と同じ主旨かと思われます。
 しかし、それでは今までと何ら変わらないと懸念される方も居られるのかも知れません。重要な点は、全ての自分の行動や抱く想念の基礎をプライドにまみれた自我に置くのではなく、宇宙的に拡がりを持つ創造主の意思、目に見えないが万物を支えている創造主の生命波動に置くところが大きな転換点であるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落239

239 And it makes no difference how many books you read, or how many religions you embrace, or how many courses you may take and teachers you may have, not any of these will bring this reality to you unless you do as the prodigal son did. Die in the pride of the will and the ego and be reborn in humility and the WILL OF CONSCIOUSNESS.
239 そして貴方が如何に多くの本を読んだかとか、如何に多くの宗教を奉じたか、如何に多くの教科を受講し教師を得たかといった事柄は貴方がその放蕩息子がしたように行わない限り、そのどれひとつもこの現実を貴方にもたらすものではありません。自分の意志のプライドと自我を葬り、謙虚と意識の意志の中に生まれ変わることです。


【解説】
 結局、私達が精進する上での最大のポイントが、この放蕩息子の帰還に言い尽くされているということです。父・創造主に従うことを決心しない限り、また自らの意志で父の家の一員に復帰することを決断し、行動しない限り、私達の目的は達せられないということでしょう。
 哲学書や宗教経典は異なる角度からであっても、皆同様な事柄を説いているように思います。つまり、その根底は同じであり、いたずらに様々な枝葉の知識を増やすことに時間を費やすべきではないということでしょう。
 問題は本項で著者が具体的に何を行えと諭しているかにあります。私達は自分自身に責任があり、今後どのように生きたいのか、結論を出す責任を有しています。その私達が日々の生活の中に何を最優先に取り組むべきか、どのような心境を維持するべきかを突き詰めなければなりません。
 その分析と決意無くしては実りは無いということでしょう。百の教えを聞いたとしても、一つの実践に勝るものはありません。一つ一つの実行によって新たに体験や知識が得られる中で、一段ずつステップアップを図ることが出来るという訳です。単に読むだけの知識レベルに留まっている限り、いつまで経っても初心者コースに留まる他ないからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落238

238 This is re-newing the mind and born again, as Jesus said. For one really dies as an ego pride will only to be born in the Will and the Glory of the Cosmos. Like the drop of water that finally becomes the ocean of water by uniting with it, no longer just a drop.
238 これはイエスが言った心の再生であり、生まれ変わりです。何故なら、人は実際には一つの自我のプライドとして死ぬと宇宙の意志と栄光の中に生まれ変わることになるからです。ひと粒の水の一滴が大洋と結びつくことによって遂には大洋になり、もはや一滴の水では無くなるのと同様です。



【解説】
 一滴の水が自らの存在を放棄して大洋の中に身を投じる時、一方から見れば水滴という個人我が失われたように思われますが、実際には、その水滴を構成していた水分子が無くなる訳ではなく、やがては大洋の水塊と融合し、膨大な領域にまで拡張するという訳です。
 1個人であった者が、創造物全ての領域にまで自身を融合拡張することを本項で説いている訳で、イエスはこのことを放蕩息子の帰還のたとえで諭していたのです。
 もし、水滴が水中で自身の殻を死守し、広大な海との融合を拒絶したら、それは一滴のままでいずれは見失われてしまいます。私達は積極的に大自然と融合し、宇宙の生命波動と共鳴、調和する必要があります。その為にその1滴は自身を捨てて、それら本体の宇宙の波動と調和し融合できるだけの基本振動を持つ必要があるという訳です。
 同乗記には他惑星人が仕事の際に一心不乱に集中した仕事ぶりであったと描写されていますが、流れ来る宇宙的な波動に調和することは、それ程に高い振動数、活発な行動が要求されるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落237

237 In the prodigal son there was still one small part that accused itself of wrong doing which was symbolized by the son who had never left the household. For in every individual the original spark remains. That is the only hope for the straying one to be drawn back to his original place. So the small original spark reminded the prodigal son of his deeds. But this was soon overcome by Cosmic Consciousness for it knows no judgment or discrimination. But it takes a great determination to accomplish this victory and lose the self as an ego in the COSMIC SEA OF CONSCIOUSNESS.
237 放蕩息子の内部には家を出たことのない息子として象徴され、誤った行動を叱責した小さな部分が依然として存在します。各個人の中には原始のきらめきが残っているのです。道に迷った者にとってはそれが自分の起源に戻される為の唯一の希望でもあります。ですから小さな原始のきらめきがその放蕩息子に自分の行動を思い出させるのです。しかし、これは宇宙意識によって直ぐにも征服されてしまいます。何故なら宇宙意識は如何なる裁きも差別も知らないからです。しかし、意識の宇宙的大海の中でこの勝利を得て、エゴとしての自己を捨てることが出来る為には一大決心を必要としています。


【解説】
 振り返ってこれまでの人生を考えると、多くの失敗や挫折を経験していることに気付きます。また、冷静にその事を指摘されると気落ちするものです。実際、私達の生涯の多くは思い通りにならないことの方が多いということでしょう。
 年齢を重ね長く生きて来た者ほど、その痛みは増えるように思います。それ程に私達自身は様々な要素に影響され易く、意志も弱いものだということでしょう。
 これら自我の抱える問題の一方で、確かなことは一つだけあるのです。ご自身の身体と周囲を取り囲む大自然はこれらの悩みや問題に関わり無く本来の生存の姿を保っており、常に美しく輝いていることです。独り、自我だけが自分の思い通りに進まなかった過去を引きずっているのです。
 私達はこの恵まれた環境、即ちご自身の身体と私達が暮らす地球の自然環境の美しさにいち早く気付いて、これまでの自我の過ちや至らなかった要素を補い、本来の自分の表現に邁進する必要があるということです。真昼の暑さの中、文句も言わず働き続ける蟻達を見ると、自らの命も顧みず群れの為に一心不乱に働く彼らに学ぶところは多いようです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落236

236 Upon his arrival home his ego received a surprise. For his father had a banquet prepared for his wandering son and welcomed him with open arms as though nothing had ever happened. For when an ego conquers itself-there is no greater victory and rewards for the efforts are unlimited. And the individual is endowed with all of the needs of life, wanting for nothing.
236 彼が家に着いてみると、彼のエゴは驚きを受けました。何故なら、彼の父親は放浪していた自分の息子の為に祝宴を用意しており、まるで何事も無かったかのように彼を両腕に抱いたからです。それはエゴが自分自身を乗り越えた時、それにまさる勝利は無く、それに至る諸々の努力への報いは限り無いものだからです。そして、各自は生活の必需物の全てを授けられ、何も不足することは無くなります。


【解説】
 放蕩息子である私達がその本来の家庭に戻る時、如何に暖かく迎え入れられるかと本項で著者は説いています。長年、自分勝手な生き方を続けていた私達がその過ちを認め、意を決して父の家に戻るには、もちろん大きな決断、自分への叱責も覚悟の上でしたが、実際にはこれら過去の過ちは問われることなく暖かく受け入れられるという訳です。
 それでは何故、長年の放蕩を責められることなく、かくも歓迎されるのでしょうか。自分の意志で創造の源泉に戻ることを決心し、実行に移したことは、父である創造主にとっては何ものにも勝る祝い事であるからです。おそらく人がエデンの園から追われて以来、いくつもの生を重ねる中で、学び気付いた結果、生まれ故郷に帰って来た訳ですから、これを喜ばない親は居ないということでしょう。
 実はそれ程に私達が自分の本質を見定め、自分を生かして呉れている父母の存在、即ち意識と自然界の働きに回帰しなければと決意し、自らの意志をそれらに委ねるべきことを悟り、実行することはかくも重要な出来事であるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落235

235 The story of the Prodigal Son in the Bible gives us a good insight as to what must take place. The mind of the prodigal son is a portrayal of all minds. For he, after deciding to return, had to humble himself and cast aside all of his pride, willing to face whatever might come. Knowing full well that some of the household would point fingers at him and remind him of his bad deeds. Yet he knew that their life was not his life. And they had not had the experiences he had gone through, even though they may have had similar ones. Knowing all of this he was still determined to conquer the will of his mind and return to the will of his real self - the consciousness - the Father of all forms.
235 聖書の中の放蕩息子の物語は私達に何が為されるかについて良い洞察力を与えています。放蕩息子の心はあらゆる心を表わす肖像画です。彼が家に戻ることを決心した後は、如何なる事態が来ようとも喜んでそれに直面し、自分を謙虚にし、自分のプライドをことごとく脇に捨てなければならないからです。家の中のある者は彼を指差して彼の悪事を彼に思い出させることも十分知ってのことです。しかし、それでも彼はその者達の人生は彼のとは異なっていたことは分っています。そしてその者達が彼と類似した人生であったとしても彼が通った体験はしなかったであろうこともです。これらの全てを知った上で、彼はそれでも自己の心の意志を克服し、彼の真の自己、意識、万物の父の意志に戻ることを決心したのです。


【解説】
 この放蕩息子の寓話は私達人間全てが通るべき道程を示しているのではないでしょうか。自由意志の下、様々な経験をする中で、私達はその実体験から自分の心の限界や欠点を思い知るのです。そういう意味では、様々な痛い経験を積んだ上の原点への回帰には大いなる価値があるという訳です。
 その体験の価値は、今後迷える他者、同胞を光に導く際に足元を照らす例証になるでしょうし、自らもそのような道を歩んで来たことで得た教訓を他者には励みになることでしょう。
 そういう意味では地球に来ている他惑星人は私達地球人社会の実情を知り、私達地球人の限界を学ぶことで母国では経験し得ないさまざまな事柄を学ぶことにもなるのです。またそのような経験を積むことで、知識の幅も広げることが出来る訳です。
 一方、その渦中に暮らす私達は、本来、私達人間に託された機能を果たし、他の諸々の生きもの達と調和した暮らしが出来るよう、回帰する家族、創造主を父、大地を母とする一大家族として地球が存在することを認識する心境を持つ必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落234

234 The happiness which man feels within his heart and for which he searches can never be realized until he blends his will with the will of consciousness. Any more than the drop of water, remaining by itself can know the vastness of the ocean. When man realizes this he will know his true identity for the first time. And will no longer live in the shadow of his reality, influenced by every wind that blows. And there will be rejoicing in heaven when the prodigal man returns to the household. But this will take a profound determination on the part of each human, with an unshakable faith. For he will have to give up his egotistical pride and face whatever is presented to him.
234 人が自分の胸の中で感じ、探し求めている幸福は、自分の意志を意識の意志に融合させない限り、決して実感することはありません。孤独であり続けた水の一滴が大洋の広大さを知ることと大差はありません。人がこのことを悟ったなら、その者は初めて真実の主体性を知るでしょう。そして吹きすさぶもろものの風に影響され、自身の真実の姿の陰に生きることはしなくなります。そして放蕩息子が家に戻った時には天国では祝賀があることでしょう。しかし、これには個々の人間の側に不動な信頼感を持った上での心からの決心を必要とします。何故なら、如何なるものが現れているかに関わらず自己中心的な自分のプライドとメンツを諦めなければならないからです。


【解説】
 最も基本的な事は、本文冒頭に記されているように、"真の安らぎ"というものは私達が意識と融合しない限り達成されないという真理です。もちろんこれは、様々な自我の意志に従ってこれまで暮らした結果、多くの辛い体験や苦痛を経験し、疲れ果てて終わる私達の実体験に照らして、何故そうなるのかの問いかけにいち早く直面しなければなりません。多くの不快な体験を経る中で、私達はいち早くこのことを認識することが必要です。
 イエスの時代から、"放蕩息子"の話が伝えられていますが、実はその息子が家に戻った時、両親が息子を暖かく迎え入れるところが重要です。つまり意識はその下に帰る者一人一人を暖かく受け入れ、喜んで呉れるという訳です。
 私達は、この暖かく腕を広げて待ち受けて呉れる意識の下に戻るべきなのですが、それを阻んでいるのが私達自身のプライド、自尊心です。"何事にも謙虚であること"の必要性は、ここにもあるのです。たまたま幸運にも何かの事業に成功して、その自我が驕り高ぶったとしても、その将来は不安定です。それに引き換え、意識という生命躍動の本源と通じた者は、これら世俗の浮き沈みに関係ない安寧な進化の道を歩むことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落233

233 Did not Jesus say, he who is trying to save his life shall lose it? Isn't this what the ego is afraid of by giving up its will to consciousness? This is also a lack of faith in the Creator whom we call God. For Jesus also said, he who gives up his life shall find life eternal. Meaning, he who gives the will of the ego unto the will of consciousness shall partake of life eternal. For consciousness is eternal and proceeds all forms. And without it there would be no forms, for an unconscious form is a dead form.
233 イエスは自分の命を救おうとする者はそれを失うとは言わなかったでしょうか?これはエゴがその意志を意識に差し出すことで恐れていることを指すのではないでしょうか?これはまた、私達が神と呼ぶ創造主に対する私達の信頼の不足でもあります。何故なら、イエスはまた、自分の命を捨てる者は永遠の生命を見い出すとも言いました。それはエゴの意志を意識の意志に譲り渡す者は永遠の生命を共にすることになるという意味です。何故なら、意識は永遠であり、万物を先んじているからです。そして意識無しには如何なる形有るものも存在しません。意識の無いものは死んでいるものだからです。



【解説】
 重要な点は、本講座で繰り返し説かれている「意識」なる存在が物質即ち「結果」の世界を導いているということです。つまりはこれから現実に起こる事柄は全て意識の上に先立って進行しており、その示唆を印象や想念という形で私達に示しているということです。
 文字通り、万物を動かしている衝動作用が意識であるということです。また、自ら進んで意識を受け入れることで、私達は進化の道を歩むことが出来るという訳です。
 しかし、これらの事柄を実行に移すことは容易ではありません。先ずはこれまで自身の主人公であった自我をその座から退かせ、代わって意識にその座を委ねる必要があります。即ちこれまでの経験や前例から自我が類推していたことから、全てを自身が感受した印象へと舵を転換することが必要となります。また、自分の進路を意識に委ねる訳で、その為には私達はいわば「意識」に帰依することが必要となるからです。意識への信頼、従順さが無ければ、それと繋がる径路も得られないことになるのです。私達が永遠なる道を歩む為には、これまでのような自我中心の生き方を「意識」の僕(しもべ)に転換する必要もあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落232

232 This is no different than a mother who refuses to believe that her child can do anything wrong, and will not correct it. Eventually the child suffers with the parent because the parent failed to strengthen the weakness that was showing up in the child. This was caused by the mother's fear of recognizing the weakness in the child. And she added weakness to weakness instead of correcting it. Finally the mother had to face the truth, she could no longer avoid it and it was far more difficult than it would have been in the earlier stages.
232 これは自分の子供が何ら誤ったことをする筈がないと信じて、子供を正そうとしない母親と変わりありません。しかし、最後は子供がその両親に苦しむことになります。何故なら両親はその子供の中の弱さに対して強くすることに失敗したからです。これはその母親が子供の中にある弱さを認めることを恐れていることによってもたらされたのです。そして母親はその弱さを正す代わりに弱さの上に弱さを付け足して来ました。遂には母親はその真実に直面せざるを得ず、もはや避けることは出来ず、それは早期の段階に比べてはるかに困難なことになってしまったのです。



【解説】
 本項は私達が自分自身を見詰める時、どのような態度をとるべきかを示しています。
 とかく私達は何か不都合な状況の原因をそれを招いた自分自身に置くのではなく、他の者のせいにしますし、何事によらず、自身の落ち度を認めようとはしません。言い訳や言い繕いには長けているという訳です。
 しかし、やがてはその問題に向き合わざるを得ない状況になる訳ですが、その時点では支払う代償も大きなものとなっています。
 これに対し、日常から自身の問題点を自覚し、これを是正することが重要な訳です。特に本項で言う「自分の弱さ」について、具体的にそれが何を示しているのかを、各自考える必要があるのです。
 「将来に対する不安」や「健康上の問題」、「経済上の課題」等々、現代の私達を取り巻く問題の多くは、私達自身の心が拠り所とすべき存在を持てない為に生じています。どうも周囲を見てもそれらの状況に陥っているのは人間だけのようです。その違いは何処にあるのかを考え、私達自身の心が真理に対する知識が無いことに原因があることに気付く必要があります。基本的な心構えを得る為にも、自分の何処に問題があるのかを学ぶ必要があり、それを先延ばししてはいけないということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落231

231 Once the mind realizes its weakness that has caused much unpleasantness during its life, it should then be determined, even thought it is painful at the beginning, to lend itself to conscious guidance. These obstacles could arise when it tries to do this ; A thought of fear of losing its identity and authority that it has had during its domination even though it encountered many mistakes and uncertainties on its path of self-will. For lacking knowledge, it followed effects with no more knowledge than it had as it repeated mistakes, and alibied for them with a hope of bettering its position instead of correcting the mistakes.
231 ひとたび心がその生涯の間に多くの不愉快な体験をもたらした心の弱さを自覚したならば、心ははじめは苦痛と感じることがあっても、それ自身を意識の導きに委ねることを決心すべきなのです。これを為そうとする時にはこのような障害が発生することがあり得ます。つまり、例えその自己の意志の道筋において数多くの過ちや不安定状態に遭遇したとしてもその支配の間に得ていた心の独自性と権威を失うことへの不安感です。何故なら心は知識が不足している為に、それ自身と変わらぬ知識しかもたない諸結果物に追従し、過ちを繰り返しており、それら過ちを修正することに代えて自分の地位をより良くしたいと思ってアリバイ作りを行って来たからです。



【解説】
 人知れず自分に向き合う時、人は自分の弱さを実感することでしょう。何よりも将来の不確実さや、自らの健康、家族の行く末等々、数えればきりがない程、私達は不安な要素を抱えています。
 しかし、本項で著者はこれらは心の弱さであり、自尊心を捨てて意識の指導の下に生きて行くようにと諭しているのです。
 ではどのような心境を起こせば、それに沿った暮らしが出来るかが問題です。宇宙的意識が全能であり、自身もそれによって生かされていることは、知識としては理解している訳ですが、それをどのように実感し、認識しているかが問われているのです。つまり、具体的にはどのような心境を維持すべきかという訳です。
 これについては、私自身、印象・インスピレーションを大事にする、それらに従うことだと考えております。宇宙意識からの指導は常に印象・想念としてもたらされます。その精妙なヒラメキを受け止め、その持つ意義の重大さを自覚することが、第一歩のように思います。その為に、先ずはそれらの高レベルの想念波動を自ら受け入れる態勢にすることが肝要となります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落230

230 And this can only be done by allowing the consciousness with its unlimited power and knowledge to put the house in order.
230 そしてこれは無限の力と知識を持つ意識にこの家の中を整頓させることによってのみ、なされ得るのです。


【解説】
 何事も整理することが基本のようです。とかく習慣に流される私達は何ら整理を行わないまま、ただ様々なものを貯め込みがちですが、結局は未整理の山の中で暮らしているという訳です。
 悩みも同じで、自分が何に悩んでいるかすら整理出来ていないまま、無為な時間を過ごし易いようにも思われます。
 これに対し、仏教では僧侶はものを持たず、その日の暮らしを毎朝の托鉢で得た糧で過ごすべきとされています。世俗的見地からは不安定な生活に思われるかも知れませんが、僧侶の生活は「仏」を中心に据えるもので、こうした目に見えない指導的想念を据える中で、心の中から煩悩は消え去り、すっきりした状況になるものと思われます。
 今はやりの「断捨離」もこうした整理を実行し、自分にとって真に必要なものだけを取り出す、整理の過程かと考えます。自らの想念を観察することや自然界の営みを観察する中で、その中に流れる宇宙的印象を感じ取ることもこれに類似した整理を示唆しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落229

229 After thousands of years of living as we have, becoming habitual individuals, we have created habitual cells in relation to the mind. And habits do become hungry for their own food. i.e. An alcoholic's mind knows that it is not good for the body to go to extremes, but the habit is the master of the mind. The mind lost the strength of its will and the power of determination to oppose the habit so it continues as a slave to the habit. And this is true of all habits, for most of them operate in extremes. This does not mean that you cannot take a drink or do similar things, for all things are good in moderation. But it does mean that one should be determined to be the master of his life rather than have the habits master him.
229 私達は何千年もの間、このように生き、習慣的な個体となった結果、その心に関連した習慣的な細胞を造り上げてしまいました。そして諸習慣はそれら自身の食物を求めて腹を空かせるようにさえなるのです。即ち、アルコール依存の心はそれが程を越して極端になれば肉体に良くないことを知っていますが、それでも習慣がその心の支配人になっています。心はその習慣に反抗する意志と決心の力を失った為、その習慣の奴隷となり続けるのです。しかもこれは全ての習慣について言えることです。何故なら、それらのほとんどが極端に作用するからです。このことはあなたが一杯飲んだり、類似した事柄を行ったりしてはならないと言うことではありません。何故なら、全ての物事は適度であれば良いことだからです。しかし、人は諸習慣が自分を支配するのではなく、自分が自身の人生の支配人になることを決心すべきことは確かです。



【解説】
 様々な依存症は、私達の身体内部に既にその習慣に支配された細胞群が支配者になっていることを示しています。私達の長年の習慣が私達自身を支配し、その果ては苦痛をもたらす状況に行き着くだけです。
 それに対し、本項で著者は何事においても自身の人生を自分で決断し、習慣に流されるな、と説いています。これら習慣的細胞に自身を支配させるなと警告しているのです。
 そこには常に気分一新、新鮮な想念、新しい世界に対して関心を抱き、多様な生命の世界や広大な宇宙を探求しようとする心境が重要です。少年と老人との唯一の違いはその心境にあると考えます。新しい世界に関心を持ち、生命を探求する心境が若々しい心を造り上げ、また宇宙を流れる基本的な波動に沿うものとなる筈です。時は夏、蒸し暑い中ですが、青葉茂る木々の間を通り過ぎる中、セミ達の声に耳を傾け、その合唱に声援を送る気持ちも必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落228

228 The only difference between man and nature is - nature has no will of its own for as stated before, it is under the will of the All Inclusive Intelligence. Man as the highest expression was endowed with a free will mind, and it is here that he has his trouble. For the mind as an effect guides itself by other effects instead of lending its will to the will of the Cosmos. The reason that man was given a free will mind was that he might learn from The Supreme Intelligence the way and purpose of life. And he is endowed with the potential of becoming like his creator and say as Jesus did, I and the Father are One, and when you look at me you see the Father. The Venusians and other planetarians endeavor to express this daily by willing their minds unto conscious guidance. And we must do this if we are to fulfill our purpose.
228 人と自然の間の唯一の違いは、以前述べたように自然は自身の意志を持たないということであり、それは全てを包む知性の意志の下にあることです。最高位の表現物である人は自由意志の心を与えられており、そのことが人が問題を抱える所となっています。何故なら一つの結果物である心は宇宙の意志に自らの意志を貸し与える代わりに他の結果物で自らを導いているからです。人が自由意志を与えられているのには人は最高位の知性から人生の歩むべき道と目的を習うだろうと期待されているという訳があります。そして人は創造主のようになり得る能力を授けられていますし、イエスが私と父とは一つである、あなたが私を見る時、あなたは父を見ているのだと言ったようにです。金星人達や他の惑星人達は彼らの心を意識の導きに喜んで従わせることによってこのことを表現しようと毎日努力しています。そして私達も自分達の目的を達成するつもりなら、同じことをしなければなりません。


【解説】
 ここで重要なポイントは、人間とその他の生きもの達との違いです。本講座においてもよく言われることですが、人間は自由意志を持つが故に創造主から離れ、自ら迷いの中に救いを求めている事実があります。これに対して他の生きものはその意志を持たない故に、意識の指導そのものに従い生きて行く中で、苦悩も悩みもなく、穏やかな暮らしを送り、自らに託された機能を果たしているという訳です。
 ここまでは、本講座の学習者であれば、極自然に容認できるものと考えます。しかし重要なのは、何故、人間には自由意志が与えられているかという点にあると考えます。つまり、他の生きもの達は、与えられた指導的印象に従って行動している訳ですが、彼らは自然や宇宙の全容、創造主の威光の全体像を理解する存在ではないように思うからです。
 創造主の意向を理解する為に、一つ一つの現象を観察し、自ら学び知識を蓄積して行く上で、自由意志が必要なのではないでしょうか。つまり他人の意志に自身を委ねるような催眠術が有害であることや、盲信的な傾向も良くないという訳です。
 一つ一つの現実を自ら観察し、その中に含まれる教訓、即ち真理を学び記憶する中で初めて創造主を理解することになると思うのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落227

227 The cells in the toe are different from those in the finger but each group is working with the others to make the body a perfect manifestation. And the same power and guidance lends itself to all alike. This is no different than the cosmic expression in the earth's cell structure. For from the lowest expression in the mineral kingdom and through the millions of nature's manifestations the same power and intelligence is expressing in varying degrees. This law is constant and does not change to favor one form, or a planet, above another.
227 足指の細胞は手の指のそれとは異なりますが、それでも互いのグループは人体を完全な創造の現れにする為、共に働いています。そしてそれと同じ力と導きが万物に等しく授けられています。このことは地球の細胞構造における宇宙の表現と違うものではありません。何故なら、鉱物王国における最低位の表現から、そして何百万もの自然の創造の現れを通じてこれと同じ力と知性が様々な度合で表現しているからです。この法則は不変であり、ある一つの形あるものや惑星の便宜を図る為に他に優って対応を変えることはありません。


【解説】
 本項では宇宙も地球も私達の身体の細胞と同じだと説いています。全体として私達の身体が望ましい機能を果たす為に、各部位各細胞、各分子原子が他と協力してその機能を実現しているという訳です。それは宇宙を貫く法則、創造主の意思であり、その恩恵には対象の区別はありません。善人でも悪人でも等しくその恩恵にあずかることが出来るのです。
 このような抱擁的な環境の中で私達は暮らしていますが、実はそうでなかったら、私達地球人はとうの昔に滅び去っていたことでしょう。幼稚な心、自己中心な者は他と争うことはあっても、調和して生き方を求める者は少ないからです。
 しかし、長い年月の間に起こる進化の過程は、多くの生物に穏やかさと洗練された美しさを持たせるように思われます。生物の進化の過程は化石からも容易に知り得る訳ですが、どう考えても恐竜時代の生きものに比較して現代の生きものの方が穏やかな雰囲気を持っています。生物の進化の過程はゆっくりですが着実に進んで行くということでしょう。一方、その進化のスピードは私達自身がこれら宇宙の法則を理解すれば格段に速めることが出来ることは、他の惑星の人々を見れば明らかです。日々の生活の中で少しずつでも継続することが成果をもたらすからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落226

226 As stated before, the body is made of trillions of cells, grouped for perfect maintenance and operation. No different than the structure of the cosmos, and the body has all of the cosmic force supporting it. And when the human mind is working in behalf of the cosmic plan, instead of self, it never knows any unpleasant effects. For then it is free from discrimination, judgements, and likes and dislikes.
226 以前に述べたように、肉体は何兆もの細胞から成り立っており、それら細胞は完璧なる維持管理の為にグループ化されています。それらは宇宙の構造と何ら違う所は無く、肉体はそれを支える宇宙の力の全てを持っています。そして人間の心が自身の為でなく、宇宙の計画の為に働いている時は、不愉快な結果を決して経験することはありません。何故なら、その時、人は差別や裁き、好き嫌いから離れているからです。



【解説】
 私達が日常保つべき心境として、自身の肉体には膨大な数の細胞があり、それらは互いに連携し、その肉体の存続、向上に貢献する活動を行っていることを認識することです。本項ではその状況を宇宙と同じであると説いています。自身の中に宇宙と同様な仕組みが働き、多くの星々と同様、細胞群が活躍して呉れているという訳です。
 もちろん宇宙空間には調和があるのと同様に、本来の私達の身体にも類似した姿が体現されており、唯一私達の心がその調和をかき乱す存在だということでしょう。
 私達が真に宇宙的存在になれるかどうかは、私達が自身をこのように宇宙的なものとして自覚し、その探究を通じて自らの心を鍛錬し本来の純粋で素直な存在に改質するかどうかにかかっています。その為に特に費用や労力を必要とする訳ではなく、自身の内側、与えられた身体の価値に改めて気づくことにあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落225

225 This shows that the cosmic plan is orderly, but the mental is not stable and needs guidance.
225 これは宇宙の計画は整然としているが、心は安定せず、導きを必要としていることを示しています。


【解説】
 "迷える民"とは私達地球人を最も適切に表現する言葉でしょう。その迷える民に対して様々な救いの言葉や手が差し伸べられて来ました。しかし、依然として私達は不安定な情緒の中で暮らしていますし、実社会は互いに信用ならない相手として神経を使い、また一方では自己の欲望の奴隷と成り果てており、肉体細胞はこれらの状況を反映したものとなっています。
 短い本文の言葉ですが、"宇宙の計画は整然としている"という表現は重要です。よく言う例に原子の周期律表がありますが、宇宙に存在するすべての原始をあのように整然と整理出来ること、またそれらの表の中で性質を分類できる糖については、本来宇宙に存在するものは皆、このように整理されるものかと思う次第です。
 しかし一方の私達人間はまだ迷いの中に居るということでしょう。昔読んだ岩下壮一の生涯を記した「人間の分際」というその本のタイトルは何か本文による「導きを必要としている」人間を自覚した著者(小坂井澄)から湧き出た言葉のように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落224

224 The first group starts the fermentation. The second group makes a perfect blend of the chemicals extracted. The next group eliminates the gases that are produced during the fermentation. Finally the scavengers throw off the waste matter that is left. If this process functions naturally you will never know a sick day. But if the cells related to the mind interfere with the cells that are doing the work, by the mind becoming angry, we know what the uncomfortable results will be.
224 最初の集団は発酵を開始します。二番目は抽出された化学物質の完全な混合を造り上げます。次の集団は発酵の間に生成されたガスを排出します。そして最後は、掃除人達が残った廃棄物を捨て去るのです。もし、このプロセスが自然に機能するなら、あなたは決して具合の悪い日を経験することはないでしょう。しかし、もし心が怒ったりすることによって心に関係している細胞達がこの仕事をしている細胞達の邪魔をすれば、どのような不愉快な結果になるか私達には分かります。



【解説】
 体内に入ってから、食物がどのように消化吸収され、同時に廃棄物が排出されて行くのか、本項は具体的に表現しています。炭水化物がいわゆる"解糖系"によって発酵分解されることや、その過程で生じた炭酸ガス等を体外に排出する等の現象を示しており、これらが身体内の細胞が各々の役割を果たす中で進行するプロセスだと説いています。
 食物を呑み込んだ後に進んで行くこのプロセスこそが食物を摂る意味なのですが、私達の心はそれらを理解することなく、味覚だけの判断で食物を選択し、また呑み込んだ以降に起こっている事柄を知ろうともしない訳です。
 そればかりか、心の動揺や極端な感情から、これら正常な働きを妨害し、体調不良を引き起こすことさえあるのです。この事実を考えただけでも、如何に私達は自身の身体の中で働く優れた細胞群にいつも助けられているのかが分かります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落223

223 Here is an example of grouped cells. First we will use the ones associated with the mind. The mind is alerted to take on food due to past habits for the body needs fuel. But as stated before, the mind does not know what is to be done with the food when it enters the body. But there is a group that does know, and while the mind is entertaining itself with something else this group goes on with its work. I have used this example for years in lectures and class work, but it illustrates very well, so I will use it again. Once the food enters your body the intelligence independent of the mind goes to work on it. We will class these workers in four groups, each working in behalf of the other.
223 ここで群れになった諸細胞の例をお話しましょう。最初は心に関係した細胞群を取り上げたいと思います。心は過去の習慣の結果、食物を摂取するよう絶えず注意を払っています。肉体が燃料を必要とするからです。しかし、以前述べたように心は食物が肉体に入った後、その食物に何が起るかについては知っていないのです。それでも知る集団が居て、心が何か他のことで楽しんでいる間に、この集団がその仕事に従事します。私はこの例えを講演や教室での講義で何年も使って来ましたが、それでもこの一例は大変よく問題を表わしている為、再び用いることにします。ひとたび食物があなたの体内に入るや、心から独立した知性がその食物に対して働きます。私達はこれらの働き手を各々が他の為に働らく4つの集団に分類することにします。



【解説】
 本項では心に支配された細胞の例として、私達が食事をする際関係する内容が説かれていますが、これについては以前、勤務していた職場の上司(保健所長)がある時、肥満防止に関連して、「ここ(口)からここ(喉)までの問題なんだ」と言われたことを思い出します。つまり私達が食事を摂る際に関与する口から喉までの細胞が私達が食事を摂る際の指導的な役割を果たしているという訳です。
 食物が味覚によって心地よいものでなければ私達は呑み込みはしませんし、食べる気にもなりません。また逆に、味覚が賛同する調味料を混ぜれば、それと同じものでも喜んで食べるものです。事実、○○の素(グルタミン酸ソーダ)は世界で大量に使用され、現地の飲食産業にとって無くてはならないものとなっています。
 実はこの味覚を司る細胞こそが私達の食物摂取行動を支配しているということでしょう。しかし、実際の食物の価値は味覚で決まる訳ではなく、身体に取り込まれた後は心とは別に働く細胞群によって適切に分解、仕分けされることになるのです。以前海外であったコンタクト事例の中に、飛来した宇宙船から出てきた宇宙人から水を貰ったお礼にパンケーキを貰ったがそれが味もない段ボールのようなものであったという報道がありました。宇宙人は不要な調味料を使って味覚を楽しませる食事習慣はないのかも知れません。

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