生命の科学 第5課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落195

195 That we may understand more clearly let us become aware of the rim of the earth, as we did the shore of the ocean. And let the conscious messenger reveal to the mind the things in space, beginning with the fourth dimension. First, we will give you some idea of what is there in this invisible state. And as stated before it begins with the crust of the earth.
195 よりはっきり理解できるよう、以前大洋の岸辺で私達が行ったように、地球のふちに気付くようになりましょう。そして意識の配達人に四次元が始まる宇宙での物事を明かさせましょう。先ず最初に私達は皆さんにこの目に見えない状態の中に何が存在するのかについていくらかの概念を授けましょう。そしてそれは以前述べたようにまず地殻から始まります。


【解説】
 私達が最も確実だとして来たこの地面がどのように四次元世界である空間と繋がっているかは、地球を取り囲む宇宙空間を想い浮かべれば良いと著者は説いています。海岸で目の前に広がる広大な海の中に想いを巡らせたように、空を見上げる必要があるという訳です。私達はむしろ海よりは空の方が遠くまで見渡すことが出来ますし、夜空を眺めれば何百光年先の星の姿を見ることも出来ます。
 こうした観察を通じて私達は自分と同様な創造物の存在を知ることはもちろん重要なのですが、それ以上に私達が目に見えない媒体を通じて宇宙の中のあらゆる存在と常に繋がっており、その空間から絶えずサポートを受けていることを自覚することがより重要です。
 目的は私達自身の日常生活の中にこれら宇宙からのインスピレーションを活用し、私達と万物との関係を理解することにある訳で、これまで気付くことのなかった意識という無言、不可視の存在について、より深く親しみ理解することを目指さなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落194

194 So in order to unite that which is now divided in man, the mind must be willing to be taught by consciousness. And remember, consciousness is the soul of any form which makes life possible.
194 ですから人の中で分断されているものを統合する為に、心は喜んで意識によって教わるようにならなければなりません。そして覚えておいて欲しいのは、意識はあらゆる形あるものを生命たらしめている魂であることです。




【解説】
 私達が誰に対して謙虚にならねばならないかが問題です。自我の欲望の言うなりになったり、支配者の忠実な配下になることではありません。私達自身の存在を支えている不可視の意識に対して常に信頼を置き、その助言に耳を傾けること、傾聴する姿が求められているのです。
 私達が如何に既存の感覚器官に依存しているかは、室内を真っ暗にした際、私達は何も出来なくなり、一歩も動くことも危うくなることからも良く分かります。実際には明かりの有無の他は何一つ変わらないにも拘わらず、急に盲目状態になった私達は何をするにも自信がなく、行動が出来なくなるのです。しかし少し考えて見れば、身体各部は外界の光の有無に係らず、正常に活動していますし、生命としては何一つ不自由は無いのです。独り「心」だけが、不安を訴えているのです。
 視覚が機能しなくなった中でも、それに代わり得る感覚的な要素があるように私自身は今、考えています。つまり目をつぶっても自由に動き回る意識があり、それは肉体を超越して遠く他の場所への拡がり、印象を捕捉し理解することが出来るような存在です。この存在こそが本講座で著者が説く「意識」であり、万物とも融合・融和出来るものだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落193

193 The three dimensional effects are the coarser part of its expression, like sound which is produced through a low state of friction or conflict among the elements. But consciousness in its fourth dimension does not produce sound as we know it. Its method of communication is through the feeling awareness given in the form of impressions.
193 三次元世界の結果物は丁度、粗いレベルの摩擦や各要素類の間における争いを通じて造り出される音のように表現の内でもより粗雑な部分でしかありません。しかし、意識は四次元世界にあって私達が知っている音を造り出すことはしません。その意思疎通の方法は印象の形態における感じによる気付きを通じて行われます。



【解説】
 意識世界についての私達の知識は、ほんの限られたものに留まっています。しかし多くの芸術家や宗教の創始者が得たそのイメージは日常の私達が考え及ばない程、精緻で美しいものであったことでしょう。本項では意識は想念の世界だと説いています。完成したイメージが行き交う創造の源であるのです。
 この目の前の意識の世界に対し、私達はこれまで盲目であり、自分の前の目に見える部分しか関心を持って来なかった訳です。しかし、他の生きもの達はそれを知覚し自分達の生活に活かしているのです。それ故に多少の現実世界の変動に対して、何ら恐れることなく泰然としているのです。また、創造主への信頼、生命の永続性を理解しているが故に特段、死を恐れることもないのです。
 般若心経の中に「空即是色」という表現がありますが、まさに空間こそ万物の拠り所であり、意識世界が万物の基礎であると仏陀も説いていたものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落192

192 Man has learned much about the three dimensional world and now it is time for him to blend his knowledge with the four dimensional invisible world around him. That is if he is to do away with the mysteries that he has been governed by all of this time. And this can only be done by the mind, the effect, humbling itself to the consciousness - the cause, and thus allow it to explain the relationship of the two. Only consciousness can do this as it is the fourth dimension that knows no limitations.
192 人は三次元世界については既に多くを学んでおり、今はその知識を自分の周囲にある目に見えない四次元世界と融合させる時です。それは人が常日頃、支配されている諸神秘を取り去ろうとするならばです。そしてそれは、結果である心が自身を因である意識に謙虚にすることによってのみ可能となりますし、そうすることで意識に両者の関係を説かせることが出来るようになります。限界を知らない四次元である故に意識のみがこのことを為し得るのです。


【解説】
 何故多くの教えが私達には謙虚さが重要だというのかが、本項で説かれています。
 これまで私達は自分の意志の強さが全てを解決し、一人一人の目的地に導くとして来ましたが、果たしてそれは真実でしょうか。私達はこれまでのこのような姿勢を改め、私達の周囲の空間にこそ、感謝の念を抱き、そこからもたらされる印象(インスピレーション)の価値について自覚する必要があるのです。
 本項では私達がこれまで学んで来た「知識」をその空間世界と融合させることを求めています。現象を整理した知識を創造作用の因にまで遡って理解し、実感することを求めています。
 この周囲の空間を何と見るかで私達の生活観は大きく変わります。創造主に繋がる印象の海と理解することと、何も無いただの空気と位置づけることの間には文字通り「雲泥の差」があるのです。私達はこの一見、虚空と見える中に生命活動の奥義を見届ける必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落191

191 The wealth of time could not be as great as an understanding that man must have before his future is secure. For without it he cannot hope to have the knowledge that our space brothers have.
191 時間の豊かさは人が自分の未来を確実にする前に会得していなければならない理解以上に偉大ではあり得ません。何故ならその理解なしには私達の宇宙兄弟達が得ている知識を持つことは望めないからです。



【解説】
 「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(孔子)の通り、最も重要なことは宇宙の法則性に関する私達の理解、即ち悟りです。この理解こそが私達の進化の土台であるからです。
 この理解はもちろん私達を取り巻く四次元世界、意識と私達との関係についてです。古来、多数の人々がある者は祈りにより、またある者は沈想によって自らを取り巻く不可視の世界とその働きを理解しようとして来ました。仏教寺院をはじめとする道場はこれら学習の場であり、僧侶は自らの精進を目指して感覚を鋭敏なものとする修行を行うものと思われます。その修行の中で、目に見えない法則(法輪)を見抜き、改めて宇宙の規則性に気付き各自が次に取り組むべき課題を知るということでしょう。
 私達の前には確かに無限の時間がありますが、そのこと以上に法則の理解、悟りに到達すること、宇宙の法則性を理解することに価値があるのだと著者は説いています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落190

190 Jesus for one tried to explain the fourth dimension, but even today his teachings are not understood. As a result the fourth dimension has been placed in the abstract side of life with the hope that it will be understood in the here-after. But how could one ever understand if he did not have some comprehension of it here? One must learn the next step to be taken before he can understand the reason for it.
190 一例として言えば、イエスはこの四次元を説明しようと努力しましたが、今日になってもその教えは理解されていません。その結果、四次元は今後理解されるだろうとする希望と共に生命の抽象的な側に置かれて来てしまいました。しかし、人がそれを今ここで何らかの会得をしない限り、これから先どのようにして理解できるというのでしょうか。人は進むべき次の一歩を学ぶべきで、その理由は後になって理解出来るのです。


【解説】
 イエスも仏陀も私達に四次元世界について説こうとしていたと本項は指摘しています。目に見え手に触れることが出来る三次元世界にあっても、その思考は四次元世界に広げられることを、これらの師は身を持って私達に示されたということでしょう。
 私達の進むべき道は従前の物質世界の探求ではないと著者は本項で示唆しています。その上で何故それらが必要かは、意識や想念の働きを学ぶ中で自ずと理解されると諭しているのです。
 その為に私達は創造主がどのような存在であり、私達とどのような関係にあるか等、自ら探求する必要があります。これら探求の道は各自のものです。他の者が力を与える訳には行きません。自ら体験し実践する中で少しずつ理解が深まるというものです。達成出来たこの状況を仏教では悟りと言いますが、仏陀がそうであったように、その到達には長い年月の努力が必要です。目の前の現実の中で如何にして見えない世界を意識し、与えられるインスピレーションに従順になれるかがカギとなるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落189

189 Since the beginning of time man has schooled himself to want concrete facts which are three dimensional like himself. He left the fourth dimension to mysteries and theories. And only here and there an individual could see the relationship of all dimensions. And when he would express his analysis he usually had very few followers.
189 時のはじまり以来、人は自分と同じ三次元の具体的な事実を求めるよう自分自身をしつけて来ました。人は四次元を神秘や理論に置き去りにしてきました。また、そこここでわずかながら、すべての次元世界の関連性を見る事が出来た者がいました。それでも、その者が自らの分析結果を表現する時、彼にはいつもほんのわずかの追従者しかいませんでした。




【解説】
 重要な点は私達の軸足を何処に置くかということです。これまでの私達はより堅固で変化しないと思い込んで来た三次元、即ち物質世界に自らの拠り所を求めて来ました。しかし果たしてこれらのものは永久に各自のもの、いつの時代にも不変な価値を持つかと言えば、バブル時代を経験した私達は、それば誤りであることを知っています。
 一方、私達は他の動植物達は何故未来を憂い、将来を心配することなく生活を送っていられるのか全く分からないでいます。そこには死に対する恐怖や未来に対する心配事をもたらすような心は無く、ただ印象に従順な単純な心があるものと思われます。しかし、それ以上に創造主や因に対する確固たる信頼や畏敬があることがその違いを生じさせているのです。
 一概に言うことは出来ませんが、私達が存在を信じる因の世界は、想念・印象を通じて現実世界を導き、創造の目的に沿って物事を実現させている訳で、この世界にこそ私達の希望と信頼を置いて生きて行くことです。創造の目的に合致すればその夢はたちどころに現実化し、皆さまが思い通りの生活を送ることを可能とする訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落188

188 Man's troubles begin in the fourth dimension. For he as a sense mind operates in the three dimensions, an effect of the cause. So he gives much time to the world of effects and understands it fairly well. But he has trouble associating the invisible world around him with the world in which he lives. And when he uses his mind instead of his consciousness to try and understand the fourth dimension, he becomes confused. And the great difference which exists in the invisible fourth dimension which is cause, makes it still harder for him to understand, as he has been taught in the three dimensions for centuries. Even the ancients did not understand the fourth dimension, for had they done so they would not have divided heaven and earth. Or cause and effect.
188 人間の諸問題は4次元で起ります。何故なら、感覚の心としての人は原因の一結果である三次元で働いているからです。その為、人は結果の世界に多くの時間を費やしており、その世界をかなり良く理解しています。しかし、人は自分が住む世界と自分の回りの目に見えない世界に関しては悩みを持っているのです。そして人が4次元を理解しようとする時、自らの意識を使う代わりに心を使う為、混乱するようになるのです。そして因である目に見えない4次元に存在する大きな違いは更に理解を難しくしています。何世紀もの間、人は3次元世界の中で教えられて来たからです。古代人達も4次元を理解していませんでした。もし理解していたら、彼等は天と地、あるいは原因と結果に分割しなかったであろうからです。



【解説】
 私達の悩みや苦しみその他、抱える問題の由来は四次元世界への無理解に起因すると本項では説かれています。分かり易く言えば、三次元世界のもの、例えば足元の石や草木その他地上にあるものは何一つそのような問題には係りなく生きているという訳です。つまり悩んだりして問題を訴えているのは私達の心だけだということです。地上にあるその他のもの達は皆、等しく宇宙を理解し安寧な生活を送っているということでしょう。
 こうした問題、私達自身の問題が何処に生じるかについて、本項は三次元世界に軸足を置く私達の心に問題があるとしています。思い通りにならない等々の問題は、物事が成就する仕組み、四次元世界の作用が三次元世界に発現するという法則性を十分理解していないことによるのです。
 要は私達は両者の関連性を学び、その法則性を理解することから始めるべきで、いたずらに結果のみを求めるべきではないということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落187

187 Man should become aware of living two different experiences at the same time, for he is living on top of the earth of three dimensions, yet depending and living in the fourth dimension. For from the crust of the earth towards the sky is the invisible fourth dimension which we call space. Outside of it we could not live any more than the fish that cannot live out of the water. No form could live without the support of the fourth dimension for it is the air which we call atmosphere in which earth forms live and breath. And if it were withdrawn no form could live, not even the earth.
187 人は同時に二つの異なる体験を生きていることに気付くべきです。何故なら人は3次元である地上の頂上に生き、かつ4次元に依存しその中で生きているからです。地上の塊から大空に向かって私達が宇宙と呼ぶ目に見えない4次元が広がっています。魚が水無しでは生きて行けないのと同様、私達はその外側では生きて行けません。如何なる形有るものも4次元の支援が無ければ生きられません。何故なら地上の形有るものが生き、呼吸する私達が大気と呼ぶ空気が無ければ如何なるものも生きては行けないからです。そしてもし、大気が取り去られたら、如何なるもの、地球でさえも生きることはできません。




【解説】
 私達が因の世界を知覚するということはどういうことかについて、本項で著者は地上に立つ私達が実は地上に属する一方で、頭上に広がる大気、宇宙空間こそ私達自身を包み込む四次元世界だとしています。魚が水中でしか生きられないように、私達もこの惑星自身も宇宙空間からの支援無くして成り立たないと先ずは自覚する必要がある訳です。
 もちろん私達は地上に足を置く者であり、様々な地上の制約を受ける訳ではあるのですが、より根本的には宇宙からの支えを受けているのです。多くの細胞はそれら宇宙からの声に待機し、そのヒントを得ようとスタンバイしており、その指示を受けるや100%信頼してそれを実行に移します。そうした成功体験は同時に揺るぎない信頼に成長して行きます。私達も日頃の成功体験を積み重ねる中で、これらの印象の源をますます信頼することが出来るようになります。
 地上のものは移ろい易い中、宇宙から来る印象ほど確かなものはなく、私達に向けて発せられる恩寵の想念をインスピレーションとして感受出来れば、こんなに素晴らしいことはありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落186

186 The whale, although there are others, masters the pressures and elements of the sea, for it is able to go to great depths yet it can swim on the surface of the water and partake of the invisible gases from space that enshroud the earth. And there are some like the flying fish that leave the liquids for an experience in the sea of gases. Thus they have experience in two different kingdoms. The liquid of the water and the gases of which the liquid it made.
186 クジラは、他の者もいますが、海の様々な圧力や要素をマスターしています。何故なら海中深くまで潜ることが出来ますし、水面付近で泳ぎ地球を覆っている宇宙から目に見えないガス類を取り込むことが出来るからです。そしてトビウオのようにガスの海での体験を求めて液体を離れる者もいます。そのようにして彼等は二つの異なる王国での体験を持つのです。液体としての水とその液体を造ったガスの二つです。


【解説】
 本項で著者は、私達は同時に二つの世界を享受できることを示唆しています。つまり三次元の物質世界とそれを取り囲む意識の世界です。しかし、とりわけ注意したいのは、古来から言われている霊界その他の神秘的なものを推奨しているのではないということです。
 丁度クジラやトビウオが大気と海の世界を自由に行き来するように、私達は両方の世界を等しく理解し、生活に応用するという所が重要な部分です。霊の世界、意識の領域のみに生きるのではないというところがポイントなのではないでしょうか。
 変化する物質の世界にあっても同時に宇宙の記憶や引き継がれる印象や体験等、不可視な要素が全てを指導し、知識を与えていることを知る時、私達は自らの本来の潜在力、可能性を知ることになるものと思われます。因の意見を体現することを通して得た体験こそ後代に伝えるべきもの、後世への最大遺物と思うからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落185

185 Let us now place the mind in relationship to consciousness as an observer of conscious action. And for this the shore of the ocean can be used as an example. For as we gaze out over the vast stretches of water we know that there is untold life within its body. So let us become consciously aware of the activity that is taking place within its depths that the sense mind does not see. We should now become consciously aware through impressions of the many active forms and see those as small as a grain of sand searching the bottom of the ocean for food. And millions of kinds of form life from the bottom to the surface doing the same thing. Some never rise from the bottom to see the light near the surface, while others do.
185 それでは意識に関連して心を意識的活動の観察者の立場に置いてみましょう。そしてこの為には、例として大洋の岸辺を用いることが出来ます。何故なら、私達が水の広大な広がりの彼方を見つめる時、私達はその中に人知れぬ生命があることを知っているからです。ですから感覚の心が見ることのない海中深く起っている活動について意識的に気付くようになりましょう。私達は今や、多くの活動する形有るものの印象を通じて意識的に気付くよう、また大洋の底を食べ物を探している砂粒ほどの生き物を見るようにならなければなりません。しかも海底から水面まで何百万もの種類の生命が同様なことを行っています。あるものは決して水面近くの光を見る為に海底から浮かび上がることはありませんが、そうするものもいます。




【解説】
 意識を知る為の一つの訓練法として著者は海岸に立って海を見る中で、膨大な海の中に暮らす生きもの達の姿を思い浮かべること、意識することを勧めています。
 海はまさに目の前にありますし、私達はその広大な水域に文字通り無数の生きものが暮らしていることを知っていますが、私達の目は目の前の水面しか見ていないのです。
 目の前に広がる世界に対し、私達は自分の感覚器官のみに依存している為、肝心な内部の生き生きとした世界に気が付かないまま過ごしているという訳です。
 これを打開する為には、先ずは自らの感覚を研ぎ澄ませてその内部を知ろうと努力すること、印象を感受できるよう、心を明鏡のごとく鎮め、通過するかすかな印象にも反応する感度を持たなければなりません。何よりも私達は物事のほんの表層の一部しか見ていないことを自覚しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落184

184 No form or mind can live independent of consciousness. For outside of it, if there were any, would be absolute nothingness. So it is up to man to strive to have his mind listen to the teacher, the parent of all creation.
184 如何なる形有るものも、また心も意識と独立して生きることは出来ません。何故なら、その外側というものがもしあったとしても、そこは、絶対的な無であろうだからです。ですから、自らの心をすべての創造物の教師、両親に耳を傾けさせようと努力することが人間の義務なのです。



【解説】
 このわずか数行が私達が目指すべき「意識」の本質を示しています。
 言い替えれば万物を包む媒体であり、それを通して宇宙における様々な物体、またそれらを構成する記憶する物質と融和し、互いに交流を持つことが出来ることを私達に示唆しているのです。
 前項で話があったように、私達は身の回りの物質世界にあまりに拘泥し、その背後にあり、また私達全てを包み込んでいる意識の存在に対して、あまりに無関心・無頓着であると言えるでしょう。この意識の活動と役割は一生掛けて学び取るだけの価値がありますし、その意識を知る中で、私達は進化の道を歩むことが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落183

183 Even some marine life strives to see the light above the water. And the liquid of water would not be if it were not for the essence of hydrogen and oxygen which are invisible. In this invisible state the prime of life cannot be seen with the sense of sight of the human mind. But it can be known to the mind through consciousness. For consciousness is the intelligence and power that is independent of the forms, yet it activates all forms when it acts through them. Consciousness knows no light or darkness as man classifies these frequencies. Nor does it know good or bad for these are classifications of the mind through misapplication of the law.
183 ある種の海洋生物でさえ水面上の光を見ようと努力します。また液体である水は目に見えない水素と酸素の基本化合物が無ければ存在しないでしょう。この目に見えない状態の中では生命の本源は人間の心の視覚では見ることは出来ません。しかし、意識を通じて心に知られることは可能です。何故なら意識は形有るものから独立している知性であり力であり、それを通じて働く全てのものを活性化するからです。意識は人がこれらの振動を分類するように光とか闇とかを区別することはありません。また、善悪も知ることはありません。これらは法則の誤用を通じた心の分類だからです。



【解説】
 先日もある所で無数の羽蟻が街灯の光に集まる光景に出会いました。実はその光景はいつも起こるのではありません。気温や湿度が上がり、彼ら羽蟻達にとって都合の最も良いタイミングで起こる集団行動なのです。その日は今考えると翌日雨が降る前の蒸し暑い夜で、その時、彼らは一斉に光を目指して周囲から集まるものと考えます。その後、彼らは羽を捨てる為、街灯の下にはおびただしい数の羽が積もります。
 これらはその羽蟻達にとって一生に一度のイベントであることでしょうし、光に集まる意義を良く知り、天候の行く末を察知した上での行動と思われます。
 一方の私達人間はこれらのもの達のように命を掛けて行動する目的を見失い、怠惰に暮らしているように思われます。暗黒の人間社会にあって光明に気付き、それを求める願望を無くしてはいないでしょうか。トビウオが水中を離れてしばし空中を飛ぶように、自らの暮らす次元より高次な世界、因の領域を知ろうと行動することが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落182

182 Living as we do, guiding ourselves by other effect no different than ourselves, we remain close to the form life of earth. Which is in itself only an expression from its lowest state of awareness.
182 私達は自分達と何ら変わらない他の結果物に頼って自らを導いて生活している以上、地上の生物体に近いまま留まっています。それらはそれ自身、悟りの最も低位な状態から来る表現でしかありません。


【解説】
 いやおう無く変化する結果物に私達は重きを置きすぎており、その背後に流れる目に見えない法則性について全く重きを置いていないことを著者は注意しています。
 仏教でもこの点を説いていますが、その説くところは本講座と同様で、"法輪"という宇宙的法則を説くことが仏教の本質であろうと考えています。
 私達の生きる拠り所を何処に置くべきかは、各人にとって重要なことですが、それを自分達と何ら変わらない結果物に置くべきではないと本項は指摘しています。それは自分の生きがいを他の人間や物、まして現在の変化する時代にあって更に不安定となる貨幣に置いていては、安寧の心境に到達することは出来ません。
 私達は永劫不変な存在にこそ自らの生きる拠り所を置き、変動する社会のうねりの中でもしっかり自立した生活を推し進める必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落181

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON FIVE
Consciousness, The Intelligence And Power Of All Life
181 We are actually living in an invisible sea of life. And as I have said before, we should school ourselves to become aware of the visible and invisible at the same time. For today we are only mentally aware of the visible forms with which we have contact. Yet all forms rise from the lowest upwards, looking so to speak into invisible space. And why should this be so? Does not all creation look to its creator as a child looks to the mother for guidance? And as space is the birthplace of all forms, they look to and live within the household of their birth.
生命の科学学習コース 
第5課 
意識、即ち全生命の知性と力
181 私達は実際には生命の目に見えない海の中で生きています。そして以前にも述べたように、私達は私達自身を目に見えるものと見えないものとを同時に気付くように訓練すべきなのです。何故なら今日、私達は私達が接する目に見える形あるもののみに気付いているからです。しかし、すべての形有るものは最下位から上部を目指して、言わば目に見えない宇宙に向けて昇っています。そして何故、このようなことが起るのでしょうか?全ての創造物は丁度、子供が母親に導きを求めるように、創造主を求めているのではないでしょうか。そして宇宙は全ての形有るものの生誕の地であり、それらの生まれた家庭を見つめその中で生きているのです。


【解説】
 私達が生命の海の中で暮らしているという感覚は、これから私達が意識を自覚する上で大切な概念だと思います。つまり私達の周囲は私達自身が触れ、その中に浸っているように常に接触、つながった生命体とも言える媒体に囲まれているというイメージです。
 このことを私達は未だ完全には認識出来ていませんが、いずれ私達の理解力や感受性が高まれば、より明確になるものと思われます。その延長には本課で学ぶ意識というものの存在があるのです。
 これまで私達は自分の心、自分勝手な意志が全てだとして来ましたが、実際にはとんでもない話で、ほとんど全ての生命活動が、心によって自覚されないまま、目には見えないこれら生命の海の中で人知れず行われている訳です。本文では私達人間も生来の生き方の傾向に沿ってやがては高次な世界を目指して進化して行くとしています。私達の研究対象も物質の探究から更に進んで目には見えなくてもより高次な働きのある因の世界も分かるよう、知覚を広げる必要があるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落213

213 In the next lesson I will explain the importance of newness in order to maintain a youthful body.
213 次の課では若さあふれる身体を維持する為に新しさの重要性について説明しましょう。


【解説】
 進化の道は常に生命の源泉に回帰する道程かと思います。
 私達が宇宙開発、宇宙探検の旅に出るのも、新しい発見を通じて私達自身への理解を深めることに繋がることが醍醐味でもあるのです。そして進化の道は私達の思いもよらないスピードで進展するのではないかと考えています。
 実は先日、ある仕事で「エアバスA380」という総二階のジェット旅客機に搭乗する機会がありました。9000km、12時間以上のフライトでしたが、座席はゆったりしており、シートが水平になる等、快適に過ごすことが出来ました。また、座席正面のテレビには好きな映画を見られるようになっており、その中に「2001年宇宙の旅」があり、それを見ることにしました。
 そこではたと気が付いたのは、これらの座席や天井等機内のつくりは「2001年宇宙の旅」の映画に出てくるキャビンそっくりであったことです。もちろん、映画での宇宙空間と地上1万メートルの違い、あるいは重力圏の違いはありますが、当時、夢のように見えた光景も今日では極く普通に実現しているのです。映画を見ながら、窓を通して暗い空に遠く星が見える中、飛行を続ける船内にあって、つくづく進化の歩みの尊さに感じ入ったものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落212

212 It is unfortunate that 99% of the human kind are living in this kind of a jungle of the mind. When they could enjoy the consciousness, the other part of themselves that has everything that the human will ever need. For they could enjoy a life free from fear, with which the mind is shackled. There is one thing we can say for the noble space people, their minds follow the consciousness of the cosmos. And even though they are not perfect in its execution, they will be in time for they follow the guidance of consciousness.
212 残念なことに人類の99%が心のこの種のジャングルの中に生きています。彼らが人間が欲するあらゆるものを持っている意識すなわち、自身のもう一方の半身を享受することが出来るのにもかかわらずです。何故なら心が鎖で繋がれた恐怖から自由になれば生命を楽しめるようになるからです。高貴な宇宙人達について一つ言えることがあります。彼らの心は宇宙の意識に従うということです。そして彼らはその実行において例え完全ではなくても、彼らはいずれそうなるでしょう。彼らは意識の導きに従っているからです。


【解説】
 私達それぞれは自分の心に支配され、わずかばかりの藪の中で一生を送っていることは残念でならないと著者は説いています。意識に従えば、あらゆるものが容易に手に入り、本来の創造主が用意して呉れている進化の道を歩めるというのに、私達はそれすら気付いていないという訳です。
 古今東西、様々な哲人、知者がそのことを伝えて来ました。しかし、それをどのように実現して行くかの過程についてまでは整理されていなかったのかも知れません。また、人間が怠惰である故に、新しい生き方を好まないことも進化の道を歩めない要因でしょう。
 それに対して、宇宙兄弟達は積極的に宇宙意識を自身に取り込み、実生活に活かすことを続けてきました。その結果、今日では私達が想像できない程の文明を構築するまでに至っています。私達にとって彼らは格好なお手本であり、またそのように彼らの生き方を見習う必要があります。アダムスキー氏と会った宇宙兄弟達は、実に必要な事項のみアダムスキー氏に授けたと聞いています。本人が必要としている知識を的確に伝えること、相手のニーズに合わせた情報提供が大事なことは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落211

211 This recalls an incident which happened to my wife Mary, who has since passed away, when she became lost at night fall in a jungle of high wild lilac which covered only a half acre of land. She became frightened and called for help, even though she was only about 500 yards from home. This is used only as an example to show how easily one can become lost in a jungle of self opinions which are contrary to cosmic purpose
211 このことはずっと前に亡くなった私の妻メアリーに起こったある出来事を思い出させます。それは彼女がわずか半エーカーの土地を覆っていた野生の背の高いライラックのジャングルに夕暮れ、道に迷った時に起こりました。彼女は恐ろしくなって助けを呼んだのです。家からわずか500ヤード足らずの所に居たにもかかわらずにです。この事例は宇宙的目的に正反対な個人的意見というジャングルで人は如何に簡単に道に迷ってしまうかを示す例として用いているにすぎません


【解説】
 私達一人一人は各自、小さな自分の藪の中におびえて暮らしているということでしょう。大自然の芝生が日差しに映える広大な土地にあっても、自らの藪の中で助けを叫びながら狭い殻の中にうずくまっているのが私達という訳です。
 これを打破するには、自らその視野を妨げている心の殻を取り去る必要があり、先ずは、実際には光が満ち溢れている世界の中に生きていることを学ぶこと、自らの視界を妨げている正体を知ることが必要です。
 何年間かの取組みの中では、殻の外の世界を垣間見る機会もある訳で、そもそもの日常を見直す中で、著者が伝えようとしているイメージを掴むことも出来るものと思われます。
 決して、現状に妥協し、安直なる惰性の道を歩むのではなく、絶えずやって来る印象の到来に耳を済ませることによって、少しでもその殻が消滅させる日を早めることが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落210

210 Little did they know that what they were searching for was the other half of themselves which was not to be found in the darkness of their own opinions. For this is found in the light of consciousness which they never did enjoy. Yet it was always there, for every now and then the light would penetrate the darkness of the wooded country, but they failed to see and understand it. There are those who have followed the light of consciousness and found the way out and felt and enjoyed the freedom of the open country. And thus they experienced a lasting security that was never known before. Yet others not realizing what they had found, returned back into the darkened land only to be lost again. And they continue to create forests of darkness through which it will be harder to find the way as time goes on.
210 彼等は自分達が求めているものが自己の意見という暗闇の中では見出せない自分自身の半身であることが少しも分からないのです。何故なら、これは彼等が決して享受したことのない意識の光の中において発見されるものだからです。それでも、それはそこにいつもあります。何故なら時として光は木々に覆われた土地を貫くことがありますが、彼等はそれを見落とし、理解し損じるからです。また、意識の光に従って外に通じる道を見い出し、広がった大地の自由さを感じ、楽しむ者もいます。そしてこのように彼等はこれまで経験したことのない永続する安心感を体験するのです。それでも他の者達は自分達が何を発見したのかを自覚せず、再び暗い土地に戻って行き、ただ再び道に迷います。そして彼等は時間が経つにつれ見い出すのをますます困難にさせる暗黒の力を造り続けるのです。


【解説】
 飛行機に乗るといつも思うことは、地上では厚い雲に覆われていても、上空は太陽が燦燦と輝いており、光を地上に投げかけているということです。私達は自分の意思で自らの道を暗くしているということでしょう。
 更には、仮にこの光明を知った後にも、再び元に戻ってしまう者も多いと本文では記しています。
 折角の光明の一筋を見つけた時に、その価値を十分理解していなかったことが問題であり、価値が十分に分かっていなければ、たとえ一時的に光悦感に浸っただけで、長続きはしないのではないかと思っています。
 具体的な効果(結果)を優先することなく、仕組みや原理についてよく理解した上で、体験を得ることが大切で、単に能力が一時的に高まることだけでは、本人の救いにはならないものと思われます。
 第5課では意識について学んで来ましたが、この無言の知性について理解した上で、ご自身に受け入れるためには、心をどのような態勢に保つべきかについて、各自の工夫が求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落209

209 These people are like a man lost in a heavily wooded forest where the congested growth hides the sun and the vision of heaven that could lead him in the right direction. The timbers could be likened to personal opinions that blocks the vision of light that could show the way. A person may even die in this state and never know the true purpose of life. We have people who have everything that the world has to offer, even security beyond their needs, but they are very unhappy within themselves. They have searched all of their lives for something they did not understand. They sought wealth and fame for security but after having this, the happiness they longed for was not there because they had never left the timber land of self opinions. And their values of life are out of line with the cosmos.
209 これらの人々は生い茂った木々の成長が正しい方向を示してくれる太陽と天の視界を隠しているうっそうと茂った森の中で道に迷った人間のようなものです。木々は道を示すことができる光の視覚を遮る個人的な意見に似ていると言えるでしょう。人によってはこの状況の中で亡くなり、人生の真実の目的を知ることはありません。私達はこの世が提供できるあらゆるもの、そして自分が必要とする以上の安全さえも手に入れ、それでも自分自身の内面ではとても不幸である人々を知っています。彼らは自分の生涯の全てを自分ではわからない何物かを求めて来ているのです。彼らは安心のために富や名声を追い求めて来ましたが、それを得た後は、願っていた幸せはそこには無かったのです。何故なら彼らは自己の意見という森林を離れることはなかったからです。そして彼らの人生の価値というものは、宇宙の方向からは外れています。


【解説】
 人間の生きる道とは何であるかを示した内容です。
 私達は実に自分の殻という狭い森の中に居るという訳です。オリジナルの「宇宙哲学」の原書の表紙にはタイマツのイラストが描かれていますが、その暗い森を通過する者に必要な知識がこれであると表現していることに、本項を読んで気付きました。
 この暗闇の中では、人は迷うばかりで、そのタイマツを頼りに一歩一歩切り込み、光明の世界に抜け出た後で、後を振り返れば、何と小さな繁みであったかと思うものかも知れません。
 もちろん、進む道は上へと続いている訳ですが、当面、山麓の藪を越えることが私達の課題になる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落208

208 Yet some individuals after finding this go astray. And there are millions of such. But when this happens more than one gap is made and sometimes these are almost impossible to fill as the human mind in many cases is lazy and seeks the highway of least resistance. Thus it creates many gaps through its span of life. And this majority never know true happiness, peace and contentment. And the indications are that they are off the beam of life which is of cosmic nature. For they are easily irritated, hard to satisfy, fault finding and display very poor sportsmanship. They constantly seek new friends which are not stable, but of the same nature.
208 それでも人によってはこれを見い出した後も、道に迷う者もいます。しかもこのような例は何百万もあるのです。しかし、これが起った後は、出来るすき間は一箇所に留まらず、時として埋めることがほとんど困難になってしまいます。何故なら人間の心は多くの場合、怠け者であり、最小限の抵抗という常道を求めるからです。このようにして心はその生涯を通じて数多くのすき間を造り出すのです。そしてこの多数派は真実の幸福や平和、満足を知ることはありません。そしてその兆候は彼等が宇宙的性質である生命の光線とは離れていることを示しています。何故なら、彼等は容易にイライラして、満ち足りることが無く、あら探しをし、とても貧しいスポーツマン精神を表わすからです。彼等は常に新しい友人を求めますが、それらは不安定であり、また同類の者達です。


【解説】
 残念ながら、街を歩いている多くの人達が、本項に記載されているような人生を歩んでいるのかも知れません。私達も絶えず同様な脇道に陥らないよう、心を監視する必要があります。
 おそらく本項で記述されている事柄は容易に皆様にも理解出来るものと思われます。それほどに心の性質は共通しているとも言える訳です。怠け者であり、不安の中に生き、他人の欠点にのみ鋭敏である等々、本来の自らの課題について省みないのが問題であることに気付いていないということでしょう。
 一方、人間以外の生きものは、実に平穏な暮らしをしています。最近は海外でまだ貧しい暮らしの中で生活している地域を目にする機会も多いのですが、子供達は元気で遊んでいますし、犬達ものんびり日光浴を楽しんでいる姿を見ると、ほっとするものがあります。
 当面、本人の力ではどうすることも出来ない厳しい環境の中にあっても、宇宙の生命の息吹を感じて、満ち足りた一日を送ることが如何に大切かということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落207

207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.
207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。


【解説】
 この項の語る意味は大きいものがあります。私達が生きる目的とも言える事柄が、本項に込められているように思うからです。
 私達は各々、何らかの道を求めて歩んで来ていることは確かです。その求める内容は各人によって異なるものと思いますが、それは実勢、本人にとって埋めるべき内容である訳です。どこかで中断して十分理解できないでいた事柄の続きを学べることで、本人にとって真の安らぎが得られるものと思われます。
 そうした体験を得る為にも、私達は絶えず新しい試みをし、新しい分野を体験することで探し求めていたものに再会出来るということでしょう。
 失敗を恐れず、自由に活動する中で、様々な人や言葉と出会ったり、貴重なる体験を積み重ねることが出来るというものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落206

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.
206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。


【解説】
 印象への取扱いの誤りが何度も続くことの問題について本項は述べています。
 未熟な私達は仮に意識からの印象が来ても、心が理解しない為に正しい対応が出来ないことが多い訳です。しかし、印象が来たということは、本人とその印象の経路が一時的にせよ繋がったことを意味するように思います。その結果、本来その経路を維持できれば様々な知識や情報が流れ込んで来る筈ですが、本人の心が柔軟な対応が出来ない為に、途中で遮断し、その経路を意図的に外してしまう結果、本当のイメージが掴めないまま、終了し、訳の分からない神秘が生まれるとしています。
 私達の日常は慌しく、折角の印象も日常の雑事に紛れてしまうと同様な事態になる可能性もあります。しかし、印象は私達の生活を豊かにして呉れますし、本人の必要な時、必要な援助、助言をして呉れる点で、先ず第一に大切にしたいものです。そしてその援助の手はいつも優しく差し伸べられており、私達はひたすらその声に耳を澄ますことが大切なポイントです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落205

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。


【解説】
 印象への理解が合っているか否かは、結果を分析すれば容易に分かるという訳です。また、もし間違っていれば解決法も示されるとしています。
 意識による教えは、このように全て正解を伝えてくれており、そもそもが真理の法則である訳で、私達は先ずこの点を明確にして臨む必要があります。
 しかし、ミスを犯したといって、急に印象の流れを取り止めることは良くないと本項では説いています。せっかく繋がった意識とのパイプですし、その印象の出所とはパイプを継続しておく必要があります。今回はたまたま解釈を誤っただけで、次回はしっかり応用できると思うからです。
 このような時、大事なのは、どのような心の持ち方をしていて、そのようなアイデアが湧いたのかを自覚することと、それらの印象の贈り主に改めて感謝する気持ちではないかと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落204

204 Never allow the mind to become emotionally affected to the point where it wants to tell the world what has been revealed to it. For when the time of revelation does come - it will be given calmly and modestly. The tricks that the mind has cultivated and accumulated will appear from time to time and try to show the other fellow how much it knows. This is definitely wrong and should this occur it is time to remember - do unto others as you would have them do unto you. The mind has been dwelling in untruthful things for ages and when the real truth is brought to it, it does not like to accept for it built its foundation on mistakes and does not like to have them disturbed. And as said before, this does not mean that mistakes are of no value, for they show us the right way to act. But one mistake is not to be covered up with other mistakes. It is to be corrected immediately.
204 決して心に明かされたことを世間に告げようというところまで心が感情に動かされるのを許してはなりません。何故なら啓示がやって来る時、それは静かにそして控えめに与えられるからです。長年心が培い蓄積して来たたくらみが時折現れて、同僚に如何に自分が知っているかを示そうとします。これは絶対によくないことであり、万一起こった時は、次のことを思い出して下さい。汝が他人にしてもらいたいと思うことを他人に為せです。心は長い年月、嘘で固めた中で生きて来ているので、実際の真理がやって来た時、過ちの上に基礎を置いており、混乱されたくない為にそれを受け入れたくないと思うのです。しかし、以前申し上げたように、その過ちは価値が無いとしているのではありません。何故なら、それは行動すべき正しい道を私達に示してくれるからです。しかし、ひとつの過ちは他の過ちによって包み隠されてはなりません。直ちに直されねばならないのです。


【解説】
 心は知ったかぶりをしたがるものです。しかし、こと印象に関する限り、厳に慎まなければならないことを本項では、特に戒めています。自分だけが知っていることを他の者に喋って自らが他よりも物知りだと自慢したいというレベルが私達の心な訳です。
 しかし、大切な知識を含むその印象は大事に取り扱われるべきで、それが最適に活用される状況が整った上で応用されるべきことは言うまでもありません。同じアイデアは武器の製造や相手を支配する道具にも利用され得ることにも注意しなければなりません。
 感受した印象をそのまま口にするのではなく、適切な時期に心がそれを十分理解出来る状況になった時に応用されるべきな訳です。
 いずれにしても、私達は失敗を繰り返しながら、前進する訳で、例え失敗したからと言って、その原因を分析し、次に活かせられれば、その失敗は役立つ経験の一つにすることが出来ます。印象感受についても同じこと。私達は感受ばかりでなく、その後の活用方法についても学ばなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落203

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.
203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるだろうという確信をもたらす筈です。


【解説】
 結論から言えば、印象は正しいということでしょう。また、いわゆるアイデアというものもその一つです。従って、印象への感受力が高まれば、どのような場合でもそれに対応したアイデアが無尽蔵に湧き上がることも容易に理解出来ます。
 この生命という精緻な活動を支えている宇宙の意識には、これらアイデア以上に膨大な量の知性を現象世界に降り注いでいるということでしょう。
 私達はまだ、それらの一片に触れるだけの段階ですが、間違いなくその印象は私達の何処かに役立つ内容を持っている筈です。その意味では何かの印象・アイデアを感受した場合は、それを大切に記憶し、何処に当てはまるのか、大切に取り扱うことが必要です。
 これら宝石とも言える解決策を与え下さる創造主には感謝すべきことは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落202

202 To guard oneself against such wild impressions, remember that a human form is always a human form even on another system. For the pattern for man is cosmic. The difference would be in the refinement of the form and the expansion of knowledge in different fields of expression. Yet the similarity from the lowest to the highest will be present for there are no blanks in the cosmic plan. In the field of service he who is guided by cosmic consciousness recognizes no divisions but blends all phases of manifestations in relationship to all others. No discrimination or judgment exists for one who has an understanding. Analysis for the purpose of correction and understanding of the misapplication of the law is ever present.
202 このような粗野な印象類から自分を守る為には、人間という形態は他の太陽系においても常に人間の形であることを覚えておいて下さい。人の為のパターンは宇宙的だからです。違いがあるとすれば、その形の精緻さと様々な表現分野における知識の広がりにあるでしょう。しかし、最低位から最高位の間には類似性が存在し続けています。何故なら宇宙の計画に空白は無いからです。奉仕の分野において宇宙意識によって導かれている者は如何なる分断を観ることはなく、それらすべての創造の現れの側面を他のすべてとの関連において融合させます。理解を得ている者に差別や裁きはありません。法則の誤用に対する修正と理解を目的とする分析が永劫に存在するだけです。


【解説】
 印象を感受し易くなった後に注意したい点を前項(201)に引き続き説いています。
 心の想像力はたくみであり、とかく印象を自分が分かり易いように、あるいは自分の都合の良いように歪めることに注意せよと言う訳です。その為には、全宇宙を通じて何か特別な生命体が存在することはなく、他の太陽系であっても私達人間という存在の基本的形は共通していることに留意すべきです。
 様々なレ段階の人間が宇宙に存在する中で、私達のもの一角を占めているということでしょう。仏教では宇宙には無数の仏国土があると言っており、キリスト教では天には多くの館があると説いています。これらの惑星社会の多くは地球よりは格段に優れた所も多い筈で、私達はそれらの人達に学びたいと思う訳です。しかし、これらの人達も基本的には私達と同じ道を歩いて来たことは明らかです。本文最後のくだりに、法則の誤用に対して正すこと、法則を理解する為、絶えず分析することは永遠に行われることだと述べているからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落201

201 i.e. The imagination can mate a flea with a dog on the slate but this can never be done in the cosmic plan. The picture would represent a misplacement of the law and this is where one must be very careful if we are to have the truth. There is so much of this going on now, and that is why we get so much confusion regarding our space brothers. This is caused by misapplication of the true law in order to satisfy the individual ego. And the un-natural stories come from this source.
201 すなわち、想像では石板の上でノミと犬をつがいにすることが出来ますが、宇宙の計画ではそれは決して起りません。その絵は法則の履き違いであり、これは私達が真理を得る上でとても気をつけなければならない所です。このようなことは今、多く起っており、それが私達の宇宙兄弟達に関してこれ程、私達が混乱している理由です。このことは私達各自のエゴを満足させる為に真の法則を誤用することによって起ります。また、不自然な物語がここを源としてもたらされます。


【解説】
 恐らく心が判断出来そうにない印象を受けた時、何かつじつまを合わせる為に、心は勝手なイメージを作り上げてしまうということでしょう。
 折角の印象がこうして心の作用により歪められることを、本項では特に注意しているように思われます。実際の例は個々により異なる訳で一概には例示出来ませんが、当面、「何か分からない」ようなものを感知しても、それを性急に解釈しようとせず、大切にしまっておくような気持ちで良いのではないかと考えています。やがて時期が来て、理解できるようになった時、その時の印象を正しく解釈出来るものと思われます。
 大事なことは、仮に漠然とした印象でも、何かそのような感じを持ったということを記憶して置くことではないでしょうか。「あの時、あそこで、何かそのような印象を持った」ということを大切に覚えて置くことだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落200

200 The schooling of the mind is not an easy problem, but it is worth the effort even though it takes years to accomplish as it did for me. There is not a person on earth that does not receive impressions either from the earth, the inhabitants upon it or from other planets as well as the Cosmos. But there is a difference between the human and the cosmic impressions. For a mind is a mind whether on this planet or elsewhere and it has a tendency to confuse impressions and misapply them to suit the personal desire. Oftimes the mind permits the imaginary faculty to run away with it. The imagination is like a screen or a slate upon which the pictures are drawn and the human has a tendency to distort them.
200 心の訓練は容易な課題ではありませんが、それは私についてもそうであったように、達成に何年も要したとしても努力する価値があります。地球にいる人間で地球から、またその住人から、あるいは宇宙と同様に他の惑星から印象を受けてない人はいません。しかし、人間から来る印象と宇宙の印象とでは違いがあります。何故なら心というものはこの惑星上の場合も他の場所でも同様で、印象類を混乱させ、個人的な願望に合うように不正に使用する傾向があるからです。しばしば、心はその想像力にその印象といっしょになっての暴走を許します。人の想像力とはその上に絵が描かれるスクリーンや石板のようなもので、人間はそれらを歪める傾向があるのです。


【解説】
 私達が何を精進し、何処を相手に取り組むかと言えば、それは自分の心を対象とすべきなのでしょう。古今東西、宗教や哲学の対象は常にこの一点に尽きるものです。
 自分の心を如何に訓練し、本来のあるべき姿に戻すかは、本項に記されているように長年月を要する、根気の要る仕事です。しかし、著者も言うようにそれは何年かかろうとそれだけの価値のある取り組みなのです。
 しかし、仮に印象類に敏感になったとしても油断は禁物です。類は類を呼ぶの通り、自分と同じレベルの他の者の心が発した印象が当初は多いことでしょうし、宇宙本源からの印象は極く少ないものと考えるべきでしょう。また貴重なる印象を感受したとしても、私達はそれを元に勝手な想像を膨らませ、舞い上がってしまうこともありえるのです。
 そういう意味では、感受した印象を心に判断させないようにして、率直に受け取り、後でその意味を考えるというような姿勢が必要ではないかと考えています。まずは自分がどのような方向の印象を求めているかを明らかにして、しっかりその方向にアンテナを張って宇宙本源からやって来る印象を求め続けることが大切です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落199

199 When thinking of this let your mind be attentive as it was while viewing the ocean. And while the ocean has boundaries, space has none. This phase of development is very important, even when we begin to travel in space ships. For had I not developed along this line to some degree, my trips in space crafts taken bodily would have been of little value. Because there were many things on the ships and in space that my mind did not understand. But my consciousness revealed them to me. And later my understanding was verified. The language barrier was not present for in some cases I exchanged ideas with the space brothers consciously. This would have been impossible mentally.
199 このことを考える際、貴方の心を大洋を眺める時のように注意深い状態にさせることです。大洋には境がある一方、宇宙にはそれはありません。私達が宇宙船で旅行するようになった時でさえ、この発達の段階は大変重要です。何故なら、もし私がこの線に沿って幾分かの発達を遂げていなかったら、肉体を伴った宇宙船に乗っての私の宇宙旅行は大した意味を持たないものとなっていたことでしょう。何故なら、宇宙船や宇宙には私の心が理解しない多くの物事がありました。しかし、私の意識がそれらを私に明かしてくれたのです。そして後になって、私の理解は確証されました。言語の障壁は有りませんでした。ある場合には私は意識的に宇宙兄弟とアイデアを交換したからです。これは心では不可能なことでした。


【解説】
 自分が何らかの判断をしようとする気持を鎮めて、先ずは何処からか来る印象に心を開いていることが重要なポイントです。
 本項では宇宙に関心を持って、その広大な空間と自らの意識を通わせるような態勢を保つことで、印象に敏感になれるような訓練を各自行なうことを薦めています。
 このように印象に鋭敏になることが、本人をより繊細、精緻な存在に高めることに繋がるということでもあります。印象を感知して遠隔地の出来事を知ったり、言葉が異なっても相手との意思疎通が出来る等、この能力開発についての効能は多大です。
 他惑星の兄弟達はこの能力に優れている訳で、その文明のレベルと生活振りは私達の想像を超えるものであることは間違いありません。
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