生命の科学 第5課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落213

213 In the next lesson I will explain the importance of newness in order to maintain a youthful body.
213 次の課では若さあふれる身体を維持する為に新しさの重要性について説明しましょう。


【解説】
 結局この暗闇を抜け出る為には何か新鮮なものに出会って、従来の思考パターンを変革する必要があるということでしょう。私達は唯一、宇宙的な要素に出会うことで自らの命を保つことが出来る訳です。そういう意味ではイエスの言われた「幼子のようにならなければ」という話は重要で、私達はやって来る宇宙的な要素を帯びた印象を嬉々として迎え入れ、共鳴同調する心境を保つ必要があるのです。
 物事の解決はこうした一連の流れの中で整い、整理されて行くことでしょう。気分転換その他種々の表現がありますが、これらは皆、それまでの頑なになった自分の心を融和的、受容的なものとする中で宇宙的な要素に出会う中で再び素直な自分に還元することを意味するものと思われます。悩みは悩むことでは解決しない訳で、ただ自らの心だけが悩んでいることを悟る他はありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落212

212 It is unfortunate that 99% of the human kind are living in this kind of a jungle of the mind. When they could enjoy the consciousness, the other part of themselves that has everything that the human will ever need. For they could enjoy a life free from fear, with which the mind is shackled. There is one thing we can say for the noble space people, their minds follow the consciousness of the cosmos. And even though they are not perfect in its execution, they will be in time for they follow the guidance of consciousness.
212 残念なことに人類の99%が心のこの種のジャングルの中に生きています。彼らが人間が欲するあらゆるものを持っている意識すなわち、自身のもう一方の半身を享受することが出来るのにもかかわらずです。何故なら心が鎖で繋がれた恐怖から自由になれば生命を楽しめるようになるからです。高貴な宇宙人達について一つ言えることがあります。彼らの心は宇宙の意識に従うということです。そして彼らはその実行において例え完全ではなくても、彼らはいずれそうなるでしょう。彼らは意識の導きに従っているからです。


【解説】
 私達は自分自身で造り上げて来た各自の意見や心情という他の意見を受け入れないとする意味で光を遮り、暗い地と化した自身の闇の中に生きているとしています。
 問題はこの闇を取り去るのはその闇を造り上げた本人の責務であるということです。その結果、私達は日々、明日を心配し、相手を信じて良いか不安な毎日を送っているのです。このこと自体は、私達は良く分かっているつもりなのですが、その導きの光が差し込まないことを憂いている訳です。
 一方、子犬達を見ると彼らは元気一杯、生まれ出たことに大満足であり、嬉々として何事にも興味を抱きます。おそらくは人間も同じく仮に失意の内に亡くなったとしても、新たに新鮮な肉体に生まれ変わったならば、同様な喜びの中で日々を過ごすものと思われます。一体、どちらが永続可能(今日的にはSustainable)な本来の宇宙の姿であるかどうかは明らかですし、私達は永続するこれら宇宙の流れに沿って毎日を生き生きと過ごすべきであることは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落211

211 This recalls an incident which happened to my wife Mary, who has since passed away, when she became lost at night fall in a jungle of high wild lilac which covered only a half acre of land. She became frightened and called for help, even though she was only about 500 yards from home. This is used only as an example to show how easily one can become lost in a jungle of self opinions which are contrary to cosmic purpose. 
211 このことはずっと前に亡くなった私の妻メアリーに起こったある出来事を思い出させます。それは彼女がわずか半エーカーの土地を覆っていた野生の背の高いライラックのジャングルに夕暮れ、道に迷った時に起こりました。彼女は恐ろしくなって助けを呼んだのです。家からわずか500ヤード足らずの所に居たにもかかわらずにです。この事例は宇宙的目的に正反対な個人的意見というジャングルで人は如何に簡単に道に迷ってしまうかを示す例として用いているにすぎません。


【解説】
 よく「道しるべ」という表現がありますが、行き先を示すのが何事によらず多くの人達に役立つものです。先日もある市の地下街にある客先の会社に出向く用事がありました。地下鉄の駅から直ぐの所なのですが、初めての訪問であり、道筋がわかりません。
 あたりは近代的な地下街で歩く多くの人々にとっては何ら迷うことのない地下街なのですが、私にとっては所々にある道しるべや案内板が頼りです。
 約束の時間には十分間に合ったのですが、ついに帰りに道に迷う結果になりました。結局、初めての場所では自分が現在何処の位置に居るのか、常に考えながら歩むほか手段がないのですが、これも本項で言う迷いの中の一場面ということでしょう。私達は何かにつけて迷い易いのですが、それは全体の中で自分が何処の位置にあるか分からない所に原因があるように思われます。自らの意識を周囲に拡げてその把握範囲を拡げようとする姿勢が有効かと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落210

210 Little did they know that what they were searching for was the other half of themselves which was not to be found in the darkness of their own opinions. For this is found in the light of consciousness which they never did enjoy. Yet it was always there, for every now and then the light would penetrate the darkness of the wooded country, but they failed to see and understand it. There are those who have followed the light of consciousness and found the way out and felt and enjoyed the freedom of the open country. And thus they experienced a lasting security that was never known before. Yet others not realizing what they had found, returned back into the darkened land only to be lost again. And they continue to create forests of darkness through which it will be harder to find the way as time goes on.
210 彼等は自分達が求めているものが自己の意見という暗闇の中では見出せない自分自身の半身であることが少しも分からないのです。何故なら、これは彼等が決して享受したことのない意識の光の中において発見されるものだからです。それでも、それはそこにいつもあります。何故なら時として光は木々に覆われた土地を貫くことがありますが、彼等はそれを見落とし、理解し損じるからです。また、意識の光に従って外に通じる道を見い出し、広がった大地の自由さを感じ、楽しむ者もいます。そしてこのように彼等はこれまで経験したことのない永続する安心感を体験するのです。それでも他の者達は自分達が何を発見したのかを自覚せず、再び暗い土地に戻って行き、ただ再び道に迷います。そして彼等は時間が経つにつれ見い出すのをますます困難にさせる暗黒の力を造り続けるのです。


【解説】
 著者が述べていることは、私達(エゴ)がこれまで造り上げてしまった心による迷いや恐怖の森から抜け出す為に、その森に時々差し込む意識の導きの光に頼ろうとはせず結局は臼嫌い森の中で生涯を終える人々が多いこと、そのことを十分に自覚し、目的に向かって歩んでいく必要があるということでしょう。
 前項に関連して申し上げれば「一灯を頼め」という言葉がある訳ですが、本項ではそのように自らを頼んで目に進んでいく中で天井から導きの光が指して来ること表現されているのです。
 私達は決して暗闇に戻るべきではありませんし、光の子として堂々と明るい世界にこそ自らの拠り所を置かなければならないということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落209

209 These people are like a man lost in a heavily wooded forest where the congested growth hides the sun and the vision of heaven that could lead him in the right direction. The timbers could be likened to personal opinions that blocks the vision of light that could show the way. A person may even die in this state and never know the true purpose of life. We have people who have everything that the world has to offer, even security beyond their needs, but they are very unhappy within themselves. They have searched all of their lives for something they did not understand. They sought wealth and fame for security but after having this, the happiness they longed for was not there because they had never left the timber land of self opinions. And their values of life are out of line with the cosmos. 
209 これらの人々は生い茂った木々の成長が正しい方向を示してくれる太陽と天の視界を隠しているうっそうと茂った森の中で道に迷った人間のようなものです。木々は道を示すことができる光の視覚を遮る個人的な意見に似ていると言えるでしょう。人によってはこの状況の中で亡くなり、人生の真実の目的を知ることはありません。私達はこの世が提供できるあらゆるもの、そして自分が必要とする以上の安全さえも手に入れ、それでも自分自身の内面ではとても不幸である人々を知っています。彼らは自分の生涯の全てを自分ではわからない何物かを求めて来ているのです。彼らは安心のために富や名声を追い求めて来ましたが、それを得た後は、願っていた幸せはそこには無かったのです。何故なら彼らは自己の意見という森林を離れることはなかったからです。そして彼らの人生の価値というものは、宇宙の方向からは外れています。


【解説】
 私達が迷っているのは、こうした自分自身の心の迷いに原因があり、日々増長する状況の中で自ら造り出した迷いの世界の中を放浪しているということでしょう。通常、このような状況を暗闇の世界と称していますが、その中を一つの提灯をさげて行くのが私達自身だということかも知れません。その際に参考とすべきは江戸時代の儒学者、佐藤一斉の言葉「一灯をさげて暗夜を行く。暗夜を憂うことなかれ、一灯を頼め」という言葉でしょう。
 よく”世の光”その他、世間を闇夜に例える中で、その迷いの世界を照らす光としてイエスの教え、仏陀の教えが例えられますが、佐藤一斉の言葉の中にも各自が自ら確かめた真理を拠り所として独り進めと説いているように思います。一人一人が自らの闇に対して理解して身に付けた真理の燈明を掲げて前に薦めと諭しているように思うのです。ちなみにアダムスキー氏の著作「宇宙哲学」の表紙には松明の図案が掲げられています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落208

208 Yet some individuals after finding this go astray. And there are millions of such. But when this happens more than one gap is made and sometimes these are almost impossible to fill as the human mind in many cases is lazy and seeks the highway of least resistance. Thus it creates many gaps through its span of life. And this majority never know true happiness, peace and contentment. And the indications are that they are off the beam of life which is of cosmic nature. For they are easily irritated, hard to satisfy, fault finding and display very poor sportsmanship. They constantly seek new friends which are not stable, but of the same nature. 
208 それでも人によってはこれを見い出した後も、道に迷う者もいます。しかもこのような例は何百万もあるのです。しかし、これが起った後は、出来るすき間は一箇所に留まらず、時として埋めることがほとんど困難になってしまいます。何故なら人間の心は多くの場合、怠け者であり、最小限の抵抗という常道を求めるからです。このようにして心はその生涯を通じて数多くのすき間を造り出すのです。そしてこの多数派は真実の幸福や平和、満足を知ることはありません。そしてその兆候は彼等が宇宙的性質である生命の光線とは離れていることを示しています。何故なら、彼等は容易にイライラして、満ち足りることが無く、あら探しをし、とても貧しいスポーツマン精神を表わすからです。彼等は常に新しい友人を求めますが、それらは不安定であり、また同類の者達です。


【解説】
 私達それぞれが人生の課題を抱えている一方で、その解決に向けたチャンスに対して、私達は往々にしてその活用を諮るどころかそれを無にしてせっかくのチャンスを見逃すことも多いものでしょう。
 その全ては肝心の私達の心が怠惰であることに起因しています。
 現実から目をそむけ、毎日の習慣的な暮らしの中でその改善の機械を自ら放棄しているのではないでしょうか。もしそのようなことが続くなら、私達の末路も知れたものになる筈です。
 問題はこれらの日常の過ごし方の良否は他人には判別出来ない一方、自分自身では良く知る所であり、残された時間をどのように用いるかは各自に託された責任ということになります。
 本項ではこれらの課題に対し、逃げて行こうとする場合、心が増長し、遂には人格までが低下すると警告しているのです。まさに毎日は怠惰な心との戦いと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落207

207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.
207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。


【解説】
 課題に対して”逃げ”は最もいやしむべきことでしょう。まして、自分自身についての課題を回避してしまうことは、この先、再び同じ状況に巡り合うかは不明ですし、問題の解決にはその先の生まれ変わりの人生も含めて何世紀もかかると著者は警告しているのです。
 もちろん、過ちを犯すこと自体はマイナスなのですが、それを恐れては何も行動できなくなり、停滞することになる訳です。それも宇宙空間ならまだしも、活発な地上生活においては、時代について行けない世捨て人になりかねません。私達はこのような停滞した人生を送るべきではなく、常に活発な生命体であることが生きる者の使命であるのです。
 その場合、巡り合った課題解決に対して、私達は自ずと親近感を抱き、嬉々としてかつての課題解決に向けて充実した人生の一時を送ることになると著者は分析しています。かつての人生でやり残した事柄を補填している姿を観ていたと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落206

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.
206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。



【解説】
 人の話をよく聞くことは私達にとって難しい課題であるように思います。それは私達が相手の訴えたい事柄の真の姿(イメージ)に同調できず、聞くそばから自分の心の意見を聞き入れ、勝手に判断してしまうからです。
 一方で、ある程度の年齢になると「よくここまで生きて来た」と思うものです。最近、YouTubeで”You Raise Me Up”という曲に出会いました。教会等で歌われる曲のようですが、本項の内容から言えば、これまでの人生の中で多くを意識が救ってくれ、自分を育ててくれた。そのお蔭で今日の自分があり、またこれからもYou(”意識”、最も信頼するに足る存在)を頼りに生きて行けるという意味かと思います。
 イエスの時代、そして他惑星人社会の支援があった時代、そしてこれからも私達はこの感謝の気持を忘れずに各々の行程を旅するという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落205

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。


【解説】
 最近はZoomその他のオンラインでの会議に参加することも多くなりましたが、その中で本項に例示されている通信障害を体験された方も多いものと思います。参加者が話をしている最中にネットワークが切れる現象が時々起こるものです。その場合、本人は自分の話が何時途切れたかが分からない為、混乱を生じるのです。
 重要なことはストーリーの流れであり、想念の流れを妨げることはあってはならないのです。その想念に再び巡り合うことは難しいからとも言える筈です。
 それほどに私達が日常的に心に浮かぶ想念の流れは精妙であり、貴重なものと言えるからです。もちろん、この延長として相手の話を丁寧に聞くこと、その径路を再び辿れるように自分の心に受け入れる程、受容的な姿勢が重要なのは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落204

204 Never allow the mind to become emotionally affected to the point where it wants to tell the world what has been revealed to it. For when the time of revelation does come - it will be given calmly and modestly. The tricks that the mind has cultivated and accumulated will appear from time to time and try to show the other fellow how much it knows. This is definitely wrong and should this occur it is time to remember - do unto others as you would have them do unto you. The mind has been dwelling in untruthful things for ages and when the real truth is brought to it, it does not like to accept for it built its foundation on mistakes and does not like to have them disturbed. And as said before, this does not mean that mistakes are of no value, for they show us the right way to act. But one mistake is not to be covered up with other mistakes. It is to be corrected immediately. 
204 決して心に明かされたことを世間に告げようというところまで心が感情に動かされるのを許してはなりません。何故なら啓示がやって来る時、それは静かにそして控えめに与えられるからです。長年心が培い蓄積して来たたくらみが時折現れて、同僚に如何に自分が知っているかを示そうとします。これは絶対によくないことであり、万一起こった時は、次のことを思い出して下さい。汝が他人にしてもらいたいと思うことを他人に為せです。心は長い年月、嘘で固めた中で生きて来ているので、実際の真理がやって来た時、過ちの上に基礎を置いており、混乱されたくない為にそれを受け入れたくないと思うのです。しかし、以前申し上げたように、その過ちは価値が無いとしているのではありません。何故なら、それは行動すべき正しい道を私達に示してくれるからです。しかし、ひとつの過ちは他の過ちによって包み隠されてはなりません。直ちに直されねばならないのです。


【解説】
 よく言われることに、アダムスキー氏は秘密を良く守ったことがあります。
 他惑星人社会と交流を持っていたアダムスキー氏は問われれば、宇宙電の動力も含めあらゆる事柄を熟知していた訳ですが、決して自らそれらの知識をひけらかすことはありませんでした。先ずは聴講者達の質問に答えるという姿勢を守っていたのです。
 これは大変重要で、相手が求めている事柄に対し、適切な知識をわかりやすく伝える手法は決して、知識や道徳を押し付けること、或は災害が迫っているという恐れを人々に与えることはしておりません。いわば相手のレベルに応じた指導を行っていたという訳です。
 自分の優位さをアピールしたい自らの心にこそ、私達は注意しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落203

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.
203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるという確信をもたらすことでしょう。


【解説】
 ここからは各自の体験に属する繊細なお話になるかと思います。
 通常、私達のエゴ(心)は何事も自慢したがる為、時として訪れる宇宙を源泉とするアイデアもその取扱を誤って本来の当てはめるべき場所から外れた所に応用しうまく行かないという事例もあるものです。
 生まれたアイデアを何処に適用すべきかは大変重要で、本来適用すべき所に応用しなければ所定の降下は発揮できるものではありません。
 そういう意味では、私達は例えアイデアを受信してもその応用を心に任せてはならず、冷静に状況を見極めて、発言すべきであり、有頂天になってはならないのです。むしろこれから起こり得る現象を現実より先に見ることができたとしても、その光景を他人の興味を引く手段として話すのは控えるべきでしょう。むしろ、将来起こりつつあるいわば因の世界で進行しつつある傾向から、人々を回避させる為にその与えられた知識を活用すべきと言えるでしょう。聖書の黙示録その他の予言書はこうした観点から残された書物だと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落202

202 To guard oneself against such wild impressions, remember that a human form is always a human form even on another system. For the pattern for man is cosmic. The difference would be in the refinement of the form and the expansion of knowledge in different fields of expression. Yet the similarity from the lowest to the highest will be present for there are no blanks in the cosmic plan. In the field of service he who is guided by cosmic consciousness recognizes no divisions but blends all phases of manifestations in relationship to all others. No discrimination or judgment exists for one who has an understanding. Analysis for the purpose of correction and understanding of the misapplication of the law is ever present.
202 このような粗野な印象類から自分を守る為には、人間という形態は他の太陽系においても常に人間の形であることを覚えておいて下さい。人の為のパターンは宇宙的だからです。違いがあるとすれば、その形の精緻さと様々な表現分野における知識の広がりにあるでしょう。しかし、最低位から最高位の間には類似性が存在し続けています。何故なら宇宙の計画に空白は無いからです。奉仕の分野において宇宙意識によって導かれている者は如何なる分断を観ることはなく、それらすべての創造の現れの側面を他のすべてとの関連において融合させます。理解を得ている者に差別や裁きはありません。法則の誤用に対する修正と理解を目的とする分析が永劫に存在するだけです。



【解説】
 イスラム教は偶像崇拝を禁じており、パーミアン石仏も破壊されたと伝えられています。一方、仏教国においては仏像が盛んに建立され、日々の礼拝を通じてあたかも仏像が整然のお釈迦様のように接し、心を寄せています。
 私達は他惑星の進化した人々に対し、同様の尊崇の念をもって接することでしょう。また、アダムスキー氏自身も他の惑星人に対しては特別の思いを持っていたように思います。丁度、イエスに従った弟子達のように一審を投じても守りたい導師、高貴な人達という感覚ではなかったかと思われます。
 もちろん、伝えられる中にあっては彼等他惑星人達はごく普通の地球人として暮らしており、ある時は街の電気屋、あるいは映画俳優として活躍する場合もあった訳です。言い替えれば外見上は何ら地球人と差異はなく、内面のみ異なっていたということになります。こうした中、如何に私達がその人の内面に気付くことが出来るかが課題となる訳で、先ずは外見に左右されず、内部の印象に気付ける自分になる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落201

201 i.e. The imagination can mate a flea with a dog on the slate but this can never be done in the cosmic plan. The picture would represent a misplacement of the law and this is where one must be very careful if we are to have the truth. There is so much of this going on now, and that is why we get so much confusion regarding our space brothers. This is caused by misapplication of the true law in order to satisfy the individual ego. And the un-natural stories come from this source.
201 すなわち、想像では石板の上でノミと犬をつがいにすることが出来ますが、宇宙の計画ではそれは決して起りません。その絵は法則の履き違いであり、これは私達が真理を得る上でとても気をつけなければならない所です。このようなことは今、多く起っており、それが私達の宇宙兄弟達に関してこれ程、私達が混乱している理由です。このことは私達各自のエゴを満足させる為に真の法則を誤用することによって起ります。また、不自然な物語がここを源としてもたらされます。



【解説】
 やって来る印象を私達は自分の心の好むように勝手に変えてしまうことに注意せよと著者は説いています。
 その時々の気分によって、印象を変容させ裁きを加えてしまう作用が私達の心にあるという訳です。
 特にこれらの事柄は国の行く末を預かる政治家や組織のリーダーにとっては大変重要です。我が国が先の戦争に巻き込まれた時も相手国の間の密約を見抜けなかったのは歴然ですが、当時、彼等の判断は世界の真相を見抜いていなかったことが戦争に至る大きな過ちの一つであったと今日言える訳で、その時点において真に正しい道を把握するのは容易ではないのです。
 私達各人が毎日のように対処しているこの世の中の事柄も真相は時間経過後の誰れの眼にも見える結果が明らかにして呉れる訳ですが、時々刻々物事が生じている中にあっては全ての印象が持つ近未来の姿こそ重要であり、それに心を一体化してその印象の伝えるイメージを理解することが大変重要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落200

200 The schooling of the mind is not an easy problem, but it is worth the effort even though it takes years to accomplish as it did for me. There is not a person on earth that does not receive impressions either from the earth, the inhabitants upon it or from other planets as well as the Cosmos. But there is a difference between the human and the cosmic impressions. For a mind is a mind whether on this planet or elsewhere and it has a tendency to confuse impressions and misapply them to suit the personal desire. Oftimes the mind permits the imaginary faculty to run away with it. The imagination is like a screen or a slate upon which the pictures are drawn and the human has a tendency to distort them.
200 心の訓練は容易な課題ではありませんが、それは私についてもそうであったように、達成に何年も要したとしても努力する価値があります。地球にいる人間で地球から、またその住人から、あるいは宇宙と同様に他の惑星から印象を受けてない人はいません。しかし、人間から来る印象と宇宙の印象とでは違いがあります。何故なら心というものはこの惑星上の場合も他の場所でも同様で、印象類を混乱させ、個人的な願望に合うように不正に使用する傾向があるからです。しばしば、心はその想像力にその印象といっしょになっての暴走を許します。人の想像力とはその上に絵が描かれるスクリーンや石板のようなもので、人間はそれらを歪める傾向があるのです。


【解説】
 自らを訓練することの重要性は様々な先人が説いているところです。私達は各自、その道を一歩ずつ歩んでいる訳です。その行程は長い年月を要する訳で、時々に失敗を続けながら、次第に過ちを少なくして、各自の人生を謳歌して行くことが出来るということでしょう。
 著者自身も長年、これら精進の道を歩んできたと述べられていますし、その体験を踏まえて自らの心の訓練の大切さを説いているのです。
 もちろん、そのきっかけは宇宙的な印象を感受したことに始まりますが、注意すべきは、そのような貴重な印象も心自体がねじ曲げてしまい、自分の都合の良い姿に変えてしまうことです。先ずはありのままの印象をありがたく受け入れることに徹することであり、印象の送り主に感謝することでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落199

199 When thinking of this let your mind be attentive as it was while viewing the ocean. And while the ocean has boundaries, space has none. This phase of development is very important, even when we begin to travel in space ships. For had I not developed along this line to some degree, my trips in space crafts taken bodily would have been of little value. Because there were many things on the ships and in space that my mind did not understand. But my consciousness revealed them to me. And later my understanding was verified. The language barrier was not present for in some cases I exchanged ideas with the space brothers consciously. This would have been impossible mentally.
199 このことを考える際、貴方の心を大洋を眺める時のように注意深い状態にさせることです。大洋には境がある一方、宇宙にはそれはありません。私達が宇宙船で旅行するようになった時でさえ、この発達の段階は大変重要です。何故なら、もし私がこの線に沿って幾分かの発達を遂げていなかったら、肉体を伴った宇宙船に乗っての私の宇宙旅行は大した意味を持たないものとなっていたことでしょう。何故なら、宇宙船や宇宙には私の心が理解しない多くの物事がありました。しかし、私の意識がそれらを私に明かしてくれたのです。そして後になって、私の理解は確証されました。言語の障壁は有りませんでした。ある場合には私は意識的に宇宙兄弟とアイデアを交換したからです。これは心では不可能なことでした。



【解説】
 私達が海を眺める時、その波間の下に多くの魚や生きものが存在していることを知識として知っている私達は、自然とその豊かな生命環境との一体感を得ようと心がけ、与えられる印象を逃さず受信しようと、やって来る印象類に心を向けることでしょう。
 それと同様に、私達は頭上に広がる無制限の宇宙空間にもっと関心を持って、そこから与えられる印象やインスピレーションを注視することが大切だと説かれています。
 この注意深い中での受容的心境を第一とし、興味本位の心を鎮める中で、私達は多くの事柄を学習し、知識を得ることが出来る訳で、その準備が出来ていなければ、仮に他惑星人との交流の機会があったとしてもそのチャンスを十分に生かすことは出来ないのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落198

198 Even though great distances exist between planets and there is no established communication with them, this does not prevent one from knowing what is going on upon them. But to do this the mind must be trained to listen and be taught by the conscious messengers, without questioning the impressions while they are being given. Some will come in the form of thoughts and some with thoughts and pictures.
198 惑星間に長い距離が存在し、相互に確立された通信手段が無くても、それは人がそれら惑星上で何が起っているのかを知ることを妨げるものではありません。しかし、これを為すには心は与えられている間、その印象類に疑問を挟むこと無く、意識の伝達人に耳を傾け教えを受けるよう訓練されなければなりません。それらの内、あるものは考えとして、またあるものは考えと画像の形でやって来ることでしょう。


【解説】
 以前、テレビ番組で知ったことですが、森山良子作詞の「涙そうそう」は亡くなった兄を妹(作者)が思い出す時の歌であると伺ったことがあります。ここではその真意を「亡くなって一番星(金星)に生まれ変わった兄を思い、互いにそれぞれの星(惑星)が見えるなら、いつかはまた会える」と歌っているではないでしょうか。
 兄弟姉妹の結びつきは親子yより強いと誰かから聞いたことがあります。宇宙空間の他の姉妹惑星は私達(地球の民)にとって大変重要な間柄であるということでしょう。例えどのような恩知らずの扱いを受けても、地球を支援する他惑星人社会は決して私達を見捨てることはないのです。多くの仏国土(惑星)がある宇宙には、救いがあると言うことも出来る訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落197

197 If the planet earth has produced out of its own body all that is upon it, and itself was born from the elements of space, then this should be a good proof that all planets are humming with life in varing degrees of development.
197 もし地球という惑星がそれ自身の体内から地上にある全てを作り出す一方、それ自身は宇宙にある諸元素から生まれたとすれば、すべての惑星は様々な発達程度の生命で活気溢れているという良い証拠になるはずです。


【解説】
 宇宙に対し私達は真に自分本位に生きており、同じ惑星に生きる他の国に対しても同様に無関心のまま過ごしがちです。恵まれた環境の中に棲んでいる中、他の惑星や距離を隔てた他国の状況を気に掛けることなく、自分の身の回りの事柄だけに関心を持ってその日その日を生きているのです。
 しかし、少しでも宇宙空間が持つ母性機能、母なる自然を理解すれば、少なくても同じ惑星に暮らす人々を自分の兄弟に等しいと見るべきことは理解されるでしょう。他の惑星人についても親戚程度の間柄と言えることでしょう。
 宇宙空間が全てを生み出す源であることを理解出来れば、私達は皆、同じ源泉から生まれ出た兄弟姉妹であるという概念が生まれるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落196

196 Scientists know of various kinds of gases that proceed into space. The word gas does not mean much but the component parts of which gases are made, does. For in these is the food that the three dimensional world must have in order to live. As an illustration we will use this manifestation that has been used elsewhere in the lessons. When we gaze into a clear blue sky we see nothing, yet under proper conditions a lightning bolt is created in that space, which is made of minerals well known on earth. This shows that the component parts of what we call gas has substance that can produce solids. This is not the only proof for we have others. Many meteorites have landed on earth in various sizes, and when examined they contained the minerals known on earth. I am sure that these meteorites have not been thrown off of the earth and then returned. For they have dropped on the moon and other planets, so they must have been made in space as the lightning bolt is. This tends to prove that all elements known on earth in a coarser form have had their origin in a refined state in space. And as stated before, space is an incubator of forms in which planets and all forms are born and have their being.
196 科学者達は宇宙に向かって進む様々な種類のガスについて知っています。ここでガスという言葉はあまり意味はなく、ガスを構成している成分が重要なのです。何故なら、これらの中に三次元世界が生きて行く上で必要な食物があるからです。実例としてこれまでこの講座の何処かで用いられて来た創造作用を示しましょう。私達が晴れ上がった青空を見詰めても何も見えませんが、ある適した条件のもとでは稲妻がその空間に形成されますし、その稲妻は地球でよく知られている鉱物群から造られています。このことは私達がガスと呼ぶ成分には固体を作り出すことができる物質があることを示しています。これは唯一の証拠ではありません、私達には他にも証拠があるからです。多くの隕石は様々な大きさで地上に着地しますが、調査するとそれらは地上で知られている鉱物を含んでいることが分かります。私はこれらの隕石が地球から投げられて再び戻って来たものではないことを確信しています。何故なら、それらは月や他の惑星にも落下していますし、それゆえ、それらは稲妻のように宇宙で造られたに違いないのです。このことは、地上で知られている粗い形態にある全ての元素は、宇宙空間に精化された起源を持っていたことを示すものと言えるでしょう。そして、先に述べたように、宇宙は惑星やすべての形有るものが生まれ、そして存在する孵卵器なのです。



【解説】
 本項で著者は稲妻の中には様々な鉱物が存在し、空間にはそれらの成分があることを私達に説いています。
 目下、地球の科学者は稲妻を単なる電荷の放電の際に大気が局所的に3万℃にまで急激に加熱膨張する為に電光や雷鳴が起こるとしていますが、実際には稲妻の中には様々な鉱物原子が存在しているものと思われます。
 一方、隕石については著者の説明は良く分かります。以前にも述べたように、私自身、科学博物館で隕石の断面を見たことがあります。私が見たものは殆ど鉄の塊のような隕石でしたが、その断面は何と徐々に鉄が結晶化し、成長したような構造をしていました。通常、鉄の塊は溶鉱炉で溶かしたものが一般ですが、宇宙空間にあった隕石は純粋な形に育まれたような不思議な内部構造をしていたのです。即ち、宇宙空間はあらゆるものを精華し、清める機能を有しているように思うのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落195

195 That we may understand more clearly let us become aware of the rim of the earth, as we did the shore of the ocean. And let the conscious messenger reveal to the mind the things in space, beginning with the fourth dimension. First, we will give you some idea of what is there in this invisible state. And as stated before it begins with the crust of the earth.
195 よりはっきり理解できるよう、以前大洋の岸辺で私達が行ったように、地球のふちに気付くようになりましょう。そして意識の配達人に四次元が始まる宇宙での物事を明かさせましょう。先ず最初に私達は皆さんにこの目に見えない状態の中に何が存在するのかについていくらかの概念を授けましょう。そしてそれは以前述べたようにまず地殻から始まります。



【解説】
 そもそも四次元を理解する為に、著者は私達に地球の縁、即ち宇宙との境について考えて見よと説いています。即ち、私達が棲む地上を三次元、宇宙空間をそれら三次元世界に束縛されない世界として「四次元」と表現していることが分かります。
 私達が地上の束縛を受けたまま暮らしているのに対し、もっと自由に宇宙と繋がって生きることが薦められているとも言えるのです。
 この場合、宇宙は人間の把握出来る範囲を超えた広がりを持ち、その大きさは計り知れませんが、宇宙空間に存在するものは全て海のように皆同じ環境の下、融和した中で時間にかかわりなく存続しているということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落194

194 So in order to unite that which is now divided in man, the mind must be willing to be taught by consciousness. And remember, consciousness is the soul of any form which makes life possible.
194 ですから人の中で分断されているものを統合する為に、心は喜んで意識によって教わるようにならなければなりません。そして覚えておいて欲しいのは、意識はあらゆる形あるものを生命たらしめている魂であることです。


【解説】
 これまでの著者の解説から、私達自身の中に物質世界に拠り所を置く心と物質世界を超越したいわば宇宙の本源に通じた宇宙意識とがそれぞれ分かれて存在していることが分かります。
 この内、心なるものは絶えず自らの拠り所を物質世界に求める為、不安に陥っており、時空を超えた全てを知る者である意識に対して常に指導を仰がねばなりません。それには自らのプライドを捨てて、導きを求める求道の精神が必要となるのです。
 このように導師が各自の内側に居られるということが私達が幸せであると教えられる所以でもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落193

193 The three dimensional effects are the coarser part of its expression, like sound which is produced through a low state of friction or conflict among the elements. But consciousness in its fourth dimension does not produce sound as we know it. Its method of communication is through the feeling awareness given in the form of impressions.
193 三次元世界の結果物は丁度、粗いレベルの摩擦や各要素類の間における争いを通じて造り出される音のように表現の内でもより粗雑な部分でしかありません。しかし、意識は四次元世界にあって私達が知っている音を造り出すことはしません。その意思疎通の方法は印象の形態における感じによる気付きを通じて行われます。


【解説】
 これまでは絵画その他、目で見る世界との関係が述べられて来ましたが、本項では耳で聞く音の世界についての説明です。
 音楽家は自分の得た曲のイメージを音に残す為に様々な音色の楽器を選んで音符にその音を再現させようとします。しかし、本人が得たインスピレーションはその楽譜では十分に再現できないのかも知れません。
 音楽自体は精神波動と繋がる波動を取り扱う芸術分野ですし、その楽曲により、聞く者の心境を高揚させたり、悲しみを思い起こさせたりする、ある意味想念波動の再現に近い働きがあります。
 そういう意味では、各自の心境を保つ上からも日常聞く音楽についてはより慎重に選ぶべきでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落192

192 Man has learned much about the three dimensional world and now it is time for him to blend his knowledge with the four dimensional invisible world around him. That is if he is to do away with the mysteries that he has been governed by all of this time. And this can only be done by the mind, the effect, humbling itself to the consciousness - the cause, and thus allow it to explain the relationship of the two. Only consciousness can do this as it is the fourth dimension that knows no limitations.
192 人は三次元世界については既に多くを学んでおり、今はその知識を自分の周囲にある目に見えない四次元世界と融合させる時です。それは人が常日頃、支配されている諸神秘を取り去ろうとするならばです。そしてそれは、結果である心が自身を因である意識に謙虚にすることによってのみ可能となりますし、そうすることで意識に両者の関係を説かせることが出来るようになります。限界を知らない四次元である故に意識のみがこのことを為し得るのです。



【解説】
 ここで著者が言う「四次元「」とはどのようなイメージかについてよくよく考えた方が良いように思います。即ち、私達が暮らす物質世界を通常、「三次元」世界とする訳ですが、それらを全て包括し、距離や場所に関わりなく、その世界を支配している存在を「四次元」と称していると言えるでしょう。
 従って、私達は各自の周囲にあるそうした目に見えない決定的な生命力とでも言える存在に親しむことが重要です。その無言かつ眼には見えない存在を宇宙的意識としてイメージすること、何はさて置き、それが発する想念・印象波動に帰依する程の信頼を置くことが次なるステップとなる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落191

191 The wealth of time could not be as great as an understanding that man must have before his future is secure. For without it he cannot hope to have the knowledge that our space brothers have.
191 時間の豊かさは人が自分の未来を確実にする前に会得していなければならない理解以上に偉大ではあり得ません。何故ならその理解なしには私達の宇宙兄弟達が得ている知識を持つことは望めないからです。


【解説】
 論語に「朝(あした)に道を聞かば夕(ゆう)べに死すとも可なり」という言葉があるとされています。求めていた真理の理解はそれ程、私達にとって大切なことです。その理解こそ自らの次なる人生を導き、永遠に続く進化の道を示す道しるべとなるからです。
 それ程までに重要であることは、禅の命がけの修行も同様な理解であり、心構えであるのです。本講座も同様に、私達が何を目指して毎日を過ごすかが問われています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落190

190 Jesus for one tried to explain the fourth dimension, but even today his teachings are not understood. As a result the fourth dimension has been placed in the abstract side of life with the hope that it will be understood in the here-after. But how could one ever understand if he did not have some comprehension of it here? One must learn the next step to be taken before he can understand the reason for it.
190 一例として言えば、イエスはこの四次元を説明しようと努力しましたが、今日になってもその教えは理解されていません。その結果、四次元は今後理解されるだろうとする希望と共に生命の抽象的な側に置かれて来てしまいました。しかし、人がそれを今ここで何らかの会得をしない限り、これから先どのようにして理解できるというのでしょうか。人は進むべき次の一歩を学ぶべきで、その理由は後になって理解出来るのです。


【解説】
 ポイントは学ぶべき「四次元世界」をもっと身近なものとして捉えることであると著者が説いているように思います。抽象的な概念にしてしまうのではなく、もっと身近な存在、日常的な要素として捉えることが重要であるということです。
 先ずは一歩登って体験した後に、それを理解し背景を考えるべきであり、積極的に行動すること、実線することこそが重要だとしています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落189

189 Since the beginning of time man has schooled himself to want concrete facts which are three dimensional like himself. He left the fourth dimension to mysteries and theories. And only here and there an individual could see the relationship of all dimensions. And when he would express his analysis he usually had very few followers.
189 時のはじまり以来、人は自分と同じ三次元の具体的な事実を求めるよう自分自身をしつけて来ました。人は四次元を神秘や理論に置き去りにしてきました。また、そこここでわずかながら、すべての次元世界の関連性を見る事が出来た者がいました。それでも、その者が自らの分析結果を表現する時、彼にはいつもほんのわずかの追従者しかいませんでした。



【解説】
 私達が身に付けなければならないことは、個々の知見よりも様々なものとの繋がりに対する理解であり、とりわけ形に現れる以前の諸活動の理解です。本文ではそれを「四次元」と称していますが、その精妙なる世界を含めて、全てを観ること、関連性を理解することであるとしています。
 最近、YouTubeでイエスの生涯を暑かった古いTV番組を見ましたが、イエスの弟子でさえ、イエスの語る事柄を理解出来ずにいたことが分かりました。それ程に真理を理解することは難しいとも言えるのです。
 私達は他惑星人達がこれら真理を理解し、その理解の下に実生活を送っていることには驚くばかりですが、それを求める姿勢があれば、いつかは彼らのように宇宙の法則を理解し、能力を身に付けた存在になれることでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落188

188 Man's troubles begin in the fourth dimension. For he as a sense mind operates in the three dimensions, an effect of the cause. So he gives much time to the world of effects and understands it fairly well. But he has trouble associating the invisible world around him with the world in which he lives. And when he uses his mind instead of his consciousness to try and understand the fourth dimension, he becomes confused. And the great difference which exists in the invisible fourth dimension which is cause, makes it still harder for him to understand, as he has been taught in the three dimensions for centuries. Even the ancients did not understand the fourth dimension, for had they done so they would not have divided heaven and earth. Or cause and effect.
188 人間の諸問題は4次元で起ります。何故なら、感覚の心としての人は原因の一結果である三次元で働いているからです。その為、人は結果の世界に多くの時間を費やしており、その世界をかなり良く理解しています。しかし、人は自分が住む世界と自分の回りの目に見えない世界に関しては悩みを持っているのです。そして人が4次元を理解しようとする時、自らの意識を使う代わりに心を使う為、混乱するようになるのです。そして因である目に見えない4次元に存在する大きな違いは更に理解を難しくしています。何世紀もの間、人は3次元世界の中で教えられて来たからです。古代人達も4次元を理解していませんでした。もし理解していたら、彼等は天と地、あるいは原因と結果に分割しなかったであろうからです。


【解説】
 本項では著者は私達が目に見えない世界を学ぶに当たっての注意点を与えています。即ち、私達が進化の道を歩む上でも新たな戸惑いが生じるとしているのです。もちろん、結果の世界にどっぷり浸かっている者はそもそも結果の世界に束縛されることが当たり前な訳で、その中に埋没することに何らの疑問も感じられないでしょう。
 しかし、少しでも意識の世界への憧れを抱き、また自らも精進を続け、その目に見えない世界を志向する者は時に結果の世界に追従する自らの心との間に混乱が生じるというのです。
 この一時的な葛藤はしかし、両者の理解が進む中でやがては氷解し、原因と結果の世界の両者を同時に理解する中で克服されると著者は示唆しています。つまり因なる世界の天国と結果の世界である地上とを融合した理解力によってのみ、次のステップに移行できるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落187

187 Man should become aware of living two different experiences at the same time, for he is living on top of the earth of three dimensions, yet depending and living in the fourth dimension. For from the crust of the earth towards the sky is the invisible fourth dimension which we call space. Outside of it we could not live any more than the fish that cannot live out of the water. No form could live without the support of the fourth dimension for it is the air which we call atmosphere in which earth forms live and breath. And if it were withdrawn no form could live, not even the earth.
187 人は同時に二つの異なる体験を生きていることに気付くべきです。何故なら人は3次元である地上の頂上に生き、かつ4次元に依存しその中で生きているからです。地上の塊から大空に向かって私達が宇宙と呼ぶ目に見えない4次元が広がっています。魚が水無しでは生きて行けないのと同様、私達はその外側では生きて行けません。如何なる形有るものも4次元の支援が無ければ生きられません。何故なら地上の形有るものが生き、呼吸する私達が大気と呼ぶ空気が無ければ如何なるものも生きては行けないからです。そしてもし、大気が取り去られたら、如何なるもの、地球でさえも生きることはできません。


【解説】
 水が無ければ魚は生きられないように、私達は意識が無ければ皆、存続することは出来ません。それ程に意識は重要な要素なのです。この意識なるもの通常、急病人が救急車で運ばれる際に、患者本人の意識があるかないかが重大な要素となるように、本項の宇宙的意識についても、それ程に重要なポイントにある訳です。
 言い替えれば、私達自身の自覚の有無に関わらず、私達は宇宙的一体感にも似た静かなる連帯感の中にあり、その一体感の中で莫大な量の想念波動が行き来し、生命活動を支えているように思います。その活動が無ければ、私達は存続することが出来ないのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落186

186 The whale, although there are others, masters the pressures and elements of the sea, for it is able to go to great depths yet it can swim on the surface of the water and partake of the invisible gases from space that enshroud the earth. And there are some like the flying fish that leave the liquids for an experience in the sea of gases. Thus they have experience in two different kingdoms. The liquid of the water and the gases of which the liquid it made. 
186 クジラは、他の者もいますが、海の様々な圧力や要素をマスターしています。何故なら海中深くまで潜ることが出来ますし、水面付近で泳ぎ地球を覆っている宇宙から目に見えないガス類を取り込むことが出来るからです。そしてトビウオのようにガスの海での体験を求めて液体を離れる者もいます。そのようにして彼等は二つの異なる王国での体験を持つのです。液体としての水とその液体を造ったガスの二つです。



【解説】
 今日、世界の趨勢として捕鯨は禁止されているように、クジラは愛すべき動物とされていることは確かです。また、ホウェイルウォッチング塔、彼らの生活を観察する楽しみ方も増えているところです。
 巨大な体格を誇るクジラですが、地球規模で移動し、集団の結束力も高い等、優れた動物であることは確かです。
 本項はそのクジラが海中の世界だけでなく宇宙空間をも知っており、両方の世界を理解していることを示しています。時として空中に身を乗り出してその世界を自ら確かめようとする姿は、私達にとっても参考になる仕草なのかも知れません。三次元世界に身を置きながら、時として宇宙意識の世界に身を乗り出すという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落185

185 Let us now place the mind in relationship to consciousness as an observer of conscious action. And for this the shore of the ocean can be used as an example. For as we gaze out over the vast stretches of water we know that there is untold life within its body. So let us become consciously aware of the activity that is taking place within its depths that the sense mind does not see. We should now become consciously aware through impressions of the many active forms and see those as small as a grain of sand searching the bottom of the ocean for food. And millions of kinds of form life from the bottom to the surface doing the same thing. Some never rise from the bottom to see the light near the surface, while others do.
185 それでは意識に関連して心を意識的活動の観察者の立場に置いてみましょう。そしてこの為には、例として大洋の岸辺を用いることが出来ます。何故なら、私達が水の広大な広がりの彼方を見つめる時、私達はその中に人知れぬ生命があることを知っているからです。ですから感覚の心が見ることのない海中深く起っている活動について意識的に気付くようになりましょう。私達は今や、多くの活動する形有るものの印象を通じて意識的に気付くよう、また大洋の底を食べ物を探している砂粒ほどの生き物を見るようにならなければなりません。しかも海底から水面まで何百万もの種類の生命が同様なことを行っています。あるものは決して水面近くの光を見る為に海底から浮かび上がることはありませんが、そうするものもいます。


【解説】
 先ずは意識の世界を観察することから始めるべきだと説かれています。特に海を眺める中で私達は水面しか認められない自分の感覚の限界を悟り、いち早く海の中で行われている諸々の活動について、別の方法で知ること、観察することを探らなければなりません。
 このいわば「透視」能力とも言える能力は、私達がそれを身に付けようと望むなら、自ずと発達する能力だと考えますし、先ずは私達自身が眼が把握できない視野の奥の生命活動について知ろうとする気持、透視能力を身に付ける必要があると認識することが大切です。
 その為には、私達が認識する外界の奥には、目に見えない様々な活動が起こっていることを認め、自らその世界と融合したいとする気持が重要となるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落184

184 No form or mind can live independent of consciousness. For outside of it, if there were any, would be absolute nothingness. So it is up to man to strive to have his mind listen to the teacher, the parent of all creation.
184 如何なる形有るものも、また心も意識と独立して生きることは出来ません。何故なら、その外側というものがもしあったとしても、そこは、絶対的な無であろうだからです。ですから、自らの心をすべての創造物の教師、両親に耳を傾けさせようと努力することが人間の義務なのです。



【解説】
 幸いなことに私達はいわば、全能の神とも言える”意識”の中に生きているということです。全てを包む”意識”と呼ばれる英知なる者、全てを知り動かす存在は声なき声で、或は目に分かる姿でなく印象というより高次な情報の形態で、その庇護の下にある者達を絶えず指導しているという訳です。
 この辺の理解は仏教的なニュアンスがあり、世界はその意識の現れとして”諸仏”等と称されるようにあらゆる所に仏性が存在しているということです。
 そういう意味では、私達はいつも仏達に包まれた環境に暮らしているという大変有難い恩恵の下、生きていることを忘れてはなりません。
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