生命の科学 第3課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落137

137 Keep your mind as much as possible on the finer qualities of life, as you would on a fine quality of music. And if you do this daily you cannot help but make progress.
137 あなたの心を精緻な音楽に耳を傾けるように、生命のより精妙さに関心を持ち続けさせなさい。毎日これを行えばあなたは進歩せざるを得なくなります。




【解説】
 ここでは著者から私達に、どうしたら宇宙的生活に進めるかについて、重要なヒントを授けています。即ち、日常生活を粗雑なものや単調的なものとせず、努めて精緻な音楽を鑑賞するよう、あらゆる物事を丁寧に、また静かに落ち着いた姿勢で観察せよとしているのです。
 こうすることによって、私達は日常生活の中からでも十分、宇宙的な視野やセンスを養えますし、自らを進化させることが出来る訳です。言い替えれば、学ぶべき素材は私達の周囲に十分用意されており、その音色(印象波)を聞こうとするかどうかに掛かっていると言うことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落136

136 When you begin to enjoy and understand a broader field of life you will know that you are progressing. And ideas and thought will be coming faster than you have ever known before. Do not question anything from the standpoint of disbelief, but make an analysis of every thought and act to see if it was a premeditated mental reaction or a conscious one. And where it fits into your life in relationship to others.
136 あなたは自分がより広い生命の分野を楽しみ、理解し始めていれば、自分が進歩しつつあることが分かるでしょう。そしてアイデアや考えがこれまでに無い程、速く浮かんで来ることでしょう。何事にも不審の念に立って疑問を投げかけてはならず、あらゆる想念や行動をそれが前もって考え出された心の反応なのか、意識によるものなのか、他との関連においてあなたの生活の何処に当てはまるかについて分析することです。




【解説】
 自分が果して進化しているか否かはご自身が良く分かる筈です。進歩の途を歩んできる場合は明らかにかつての自分に比べて生活の質や抱く想念のレベル、世間との関係その他あらゆる側面に向上の跡が見えるからです。
 このように本講座は学習者の皆さまご自身の為に有益なテキストであり、各々自らの生活の中に各自の理解を取り入れることによって、成果をご自身に取り込むことが出来ます。
 その為には、何か特別な書物や「行」を用いることは必要でなく、日常的なご自身の心の反応と宇宙的意識の両者を観察し、各々の違いを学ぶことのみが必要だという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落135

135 In the next lesson we will explain this relationship. It is important to understand if confusion is to be eliminated. All that is asked of any one is to become more and more conscious of consciousness which is the true self behind every act or thought. In plain, give the consciousness the recognition you have been giving the ego mind, in everything you do or see. Be aware of the invisible intelligence behind every act and word. By doing this it will eventually become automatic for you.
135 次の教課ではこの関係を説明しましょう。混乱を取り除く為にはそのことを理解することが大切なのです。誰に依らず求められていることのすべては、あらゆる行動や考えの背後にある真実の自己である意識をもっともっと意識するようになることです。平たく言えば、あなたがこれまであなたが行ったり見たりするすべてにおいて、エゴの心に与えていた認識を意識に与えよということです。あらゆる行為と言葉の背後にある目に見えない知性に気付きなさい。こうすることによって遂にはあなたはそれを自動的に行えるようになるでしょう。




【解説】
 本項は私達に新しい生活習慣を身に付けよと説いています。即ち、従来の自らの心に頼った生活でなく、あらゆる行動や事物の内側にある因とも言うべき印象波動に気付き、”意識”と表現される心境を重視することです。
 目に見えない(即ち、結果として未だ現れていない段階の)想念状態を大切にして、自らの想念をチェックし、いつも宇宙的であるように自らを統制することです。その結果、これら想念に同調する様々な構成要素が一斉に私達の同調する想念を実現する方向に動き出すことになり、”思いは実現する”ことになる訳です。もちろん、私達の希望は宇宙的な幸福であり、私達の心の中には真に願うもののみを受け入れるべきことは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落134

134 As Luther Burbank said, they see the Creator face to face. Thus they learn the relationship and purpose of all manifestations serving each other and thereby serving the creator.
134 ルーサー・バーバンクが言ったように、彼らは創造主に直接対面しています。彼らはそのようにして互いに奉仕し合い、そうすることで創造主に仕えている全ての創造物の相互関係と目的を学ぶのです。




【解説】
 再びルーサー・バーバンクの話に戻れば、彼は実際、直接的に創造主と対面していた訳で、目の前に創造主の存在を認識し、その助言を得ていたという訳です。
 植物と会話し、トゲの無いサボテンを生み出したり、巨大なポテトを生育させたりするバーバンクの業績はこうした創造主(宇宙の因)との交流、言い替えれば宇宙的印象と同期する中で、必要な知識を得たと言えるものです。
 このように宇宙的印象は絶えず私達を進歩させる方向に私達を導く、暖かい存在と言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落133

133 The Venusians and others have done this, thus enabling them to advance as they have. They do not fight nature - but blend with it by understanding its laws. For this reason they honor all manifestations including their planet, as a Divine creation. They live the thought that a creator could not create anything lesser than himself. And with this feeling towards all nature they see Divinity expressing everywhere.
133 金星人や他の人々はこのことを既に達成しており、このことがそのように進化することを可能にしています。彼等は自然と戦うことはせず、その諸法則を理解することによって自然と溶け込むのです。この理由から、彼等は彼等の惑星をも含め全ての創造物を神聖なる創造作用の一つの現れとして敬います。彼等は創造主は自分より劣ったものを創造できないとする思想を実践しています。そして全ての自然に対しこの感覚を持つことで、彼等はあらゆる所に神聖の現れを見るのです。




【解説】
 ここでは進化した他惑星人が自然を見る際の姿勢を私達に明かしています。そして何故、彼らはあのように進化した社会を形成出来たのかが明かされています。
 この地球では、これまでしいたげられた民衆が支配者階級を殺戮し、革命を起こして来ましたが、それも問題の解決にはならず、結局は人々は新たな苦難を味わい、再び政権を覆す等々の歴史を繰り返しています。
 一方、他惑星人にあっては、自然を創造主の現れとし更には人間を含めて創造物が持つ精緻な働きを洞察することによって、文字通り創造主を自らの生きる糧として、尊崇する生活を営んで来たのです。それこそが私達地球人と他惑星人との違いと言うことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落132

132 Once man realizes this and makes daily use of it, he will no longer complicate things and he will feel himself one with his creator.
132 一度、人がこのことを悟り、それを日々活用すれば、以後は物事を複雑化したりすることはなく、自分自身が創造主と一体になっているように感じることでしょう。




【解説】
 結局、私達のこれまでの物質中心、結果依存の基本概念を改質する為には、何か一度特別な「行」をすることではなく、少しでも日常的に応用して行くような蟻の歩みが必要だということです。
 何よりも自らの体験こそが重要である訳で、少しずつ向上に向けた体験を積み重ねることによってのみ、進化が達成されるという訳です。
 その為には、毎日何らかの方法で、自らが宇宙的印象に従っているかをチェックし、自らの関心を宇宙的側面に向け、日々の行動をチェックする姿勢が重要となります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落131

131 It is not the prayers, the mantrums or the meditations that will bring this to us. But a re-birth into a fully conscious being of cause instead of the mental effect. In other words we must reverse the process of our learning. Instead of being mentally aware as an ego of the mind the mind must become aware of consciousness, as it has in the past of itself. For conscious awareness is the key that unlocks the storehouse of knowledge to the mind. It is the link between the Creator and creation.
131 このことを私達にもたらすのは祈りでもマントラでも瞑想ではなく、心による結果に代わって因による完全に意識的存在への生まれ変わることなのです。言い換えれば、私達は自分達の学習の過程を逆転させなければなりません。即ちそれまでの自分自身のように、心に属する自我として認識するのではなく、心は意識に気付く必要があるのです。何故なら意識への気付きは心に知識の貯蔵庫を開く鍵であるからです。それは創造主と創造物との間をつなぐ環(きずな)なのです。




【解説】
 前述のルーサー・バーバンクのように各自の日常の中に宇宙的意識を取り入れる為には「生まれ変わる」程の一大変革が必要であると本項は説いています。
 即ち、これまで自分が頼りにして来た一切のものを一旦、切り離して宇宙的な印象に自分の拠り所を移す必要があるとしているのです。その為に必要なことは「祈り」や「呪文」、「瞑想」のような日常を離れた「行」は一切不要であると説かれています。唯一、従来自分の心に頼っていた姿勢を意識という目に見えない因に置くことを求めています。
 言い換えれば、宇宙的印象の存在がその持つ力を自らの進む拠り所として大切にするということかと思われます。自身の中にあるこの存在を大切にして、それを根本に自身の生き方を転換する、即ち印象(インスピレーション)中心の生活に改めるべきだという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落130

130 Luther Burbank expressed himself well when he said that nature gave him the knowledge of how to improve upon vegetation. He stated that he was working with the Creator, and through His creation he saw Him face to face. Man will never be free from the drudgery he now is enduring, and the confusion in which he finds himself, until he returns unto the true teacher, the conscious director of all creation. We live in and are a part of its manifestation.
130 ルーサー・バーバンクは、自然が自分に植物に対する改良の仕方の知識を与えてくれたと言ってその実態を良く表現しました。彼は創造主と共に働いていることや、創造主の創造を通じて彼は創造主を間近に見ているとも述べていました。人間は真実の教師、すべての創造物の意識の指揮者の元に帰らない内は、現在耐え忍んでいる骨折り仕事や自分自身の混乱から決して自由になることは無いでしょう。私達は創造の現れの中に生き、その一部であるからです。




【解説】
 昔、若い頃、機会があって米国に渡った時、カリフォルニアのサンタローザのルーサー・バーバンク記念公園を訪れたことがあります。ルーサー・バーバンクはご存知のようにエジソンと同世代の植物育種家で、日本でもアイダホポテトやシャクタデイジー等の品種を造り上げた人物として知られています。
 数多くの伝記が残されていますが、その中には何千何万という株の試験栽培農地を歩く中で、バーバンクは迷うことなく適切な株を取り上げ、選別を行った等、エピソードが残っています。他者から見ると何故そのように多くの株から優れたものが分かるのは、不思議に思われていたとのことです。しかし、それも本項に示されているように、宇宙的な印象に従った創造主に共鳴した行動であるとも言えることでしょう。
 当時、サンタローザ市役所の方の案内でバーバンクが使用していたノートを見せてもらったことを思い出します。結局は後継者は居らず、その手法はバーバンク一代限りの育種に終わった訳ですが、これも今日思い返すと、宇宙的な印象に従うことが容易ではないことの反映でもあるように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落129

129 With all of the intelligence we have today, no man can give the exact answer of how an apple or any fruit became such from a flower. This shows us that as great as man's intelligence is, it is still puny compared to what is manifesting in nature, the expression of the Creator.
129 今日、私達が持つ知性の全てをもってしても、誰一人として一つの花からりんご、あるいは何らかの果物がどのようにしてそのように成るのか正確な答えを出せる者はいません。このことは人間の知性が偉大だとしても、創造主による表現、自然における現れと比べればそれは依然としてちっぽけなものであることを示しています。




【解説】
 私達動物の生命はことごとく植物に依存しています。私達の食するもの全ては植物がその種から成長して得たものばかりであり、それら植物が生育できない気候の下では、私達は生きて行くことは出来ません。
 特に重要なのは穀類ですが、そのありがたみは現代の私達より先の世代の方々が戦争中の食糧難で経験した筈です。
 全ての動物がその生存を植物に依存している訳ですが、実際私達は目の前の食べ物の優劣には関心があるものの、本文にあるように花から受粉して実を結ぶまでの植物の活動について関心を持つ者は少ないのではないでしょうか。ここにも私達が結果だけに目を向けていることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落128

128 All nature is expressing intelligence in varying degrees, for there is not a form, even a grain of sand, that does not express the purpose for which it was created, even better than man. A blade of grass as a tender shoot will come through the hard crust of the earth as it uses the power of the cosmos and obeys the intelligence that directs it. Yet man finds it difficult to penetrate a hard surface.
128 全て自然は様々な程度に知性を表現しています。何故なら形有るものはどれ一つ、砂粒一つでさえ、それが創造された目的を表現していないものはおらず、人間以上に良く表現しているものさえいます。一枚の草の葉は、柔らかな新芽の時、地面の硬い塊を貫いて現れますが、それは宇宙のパワーを用い、それを導く知性に従っているのです。しかも人間には硬い地表を貫くなどということは困難であることが分かります。




【解説】
 本項は前項に引き続いて私達が大自然の知性を如何に観察するべきかを示しています。
 例として揚げられているのは草の新芽が硬い地面から出て来る様子です。これについて思うことは庭の雑草の勢いに関することです。夏場はとりわけ草の繁茂する勢いは強く、草むしりは大仕事になります。この雑草問題は植物が持つ生命力の力強さをよく現しています。こうした日常の植物の営みの中に私達は宇宙を貫く生命力の力強さを学び取らねばなりません。草むしりであっても、これら植物は人間以上に宇宙の知性の命ずる指示に従って、その持つ力を最大限に用いて日常を生きていることに気付くことが出来るからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落127

127 So let us go back to the word intelligence; We may look upon a man that from all appearances represents intelligence, yet when he expresses himself we realize our mistake. Yet when looking upon an unassuming, unimposing man we find from his expression that he is quite intelligent. So we do classify intelligence by expression or action.
127 そこで知性という言葉について立ち返ってみることにしましょう。私達はすべての外見要素から知性そのものであるような一人の人間を見かけたとします。しかし、彼が自分自身を表現した時、私達は自分達が間違っていたことを思い知ります。しかし一方、謙虚で出しゃばらない人間を見るとき、私達はこのような彼の表現からその者がまったく知性的な人物であることに気付きます。ですから、私達は表現や行動によって、実際、知性を分類しているのです。



【解説】
 本項では知性とは何かについて説いています。即ち、知性は外観からでは判定できず、その者の示す態度や行動を通じて判明するとしています。言い換えれば、宇宙の知性についても同様に外観や形として表現されていることはありません。知性を見極める為には、その対象の行動(動き)について観察する必要がある訳です。
 とかく私達は外見から物事を判断する為、人々はこぞって外観を整えようとする訳ですが、それでは知性を表現出来ませんし、知性を知ることも出来ません。
 大自然の何処に知性があるかは、大自然の活動をよく観察して、その中に知性が存在することを知ろうとする姿勢が重要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落126

126 From experience we know that nature is governed by the Supreme Intelligence.
126 経験上、私達は自然が至上なる英知によって治められていることを知っています。




【解説】
 この場合「至上なる英知」は地球全体を支配しているという意味ですが、概念的には理解できても、実際のところは実感が涌かないという意見も多いのかも知れません。
 一方、最近は激しい気象変動が世界中に怒っており、上空に異様な形状の黒雲が出現している写真も多く見るようになりました。
 いわゆる気候変動の典型例として取り扱われるこれら”天空の異変”ですが、実はこうした現象は本項で説かれているように「至上なる英知」が私達へ示す警告を示唆しているように思うのです。即ち、創造主の意図を諸々の原子が体現して見せているという訳です。古代の人々は現代人よりこれら自然の警鐘に鋭敏であったと思いますし、これら至上なる英知への恐れを抱いていたものと思います。それら自然への恐れを失った現代人は身近に来る破滅にも気付かなくなっているのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落125

125 Today we have scholars and learned men in all fields of endeavor, but all of them have to depend upon nature for their knowledge by studying nature's material and production of form life. And since man must depend upon nature for life itself, then it behoves him to let nature, rather than his ego, guide him. Or let his consciousness be his guide instead of his mind.
125 今日、私達の回りにはあらゆる努力分野において学者や知識人がいますが、彼等全ては自然界の物質や生命体の産生を学ぶことによって彼等の知識を自然に依存しなければなりません。そして人間は生命自体を自然に依存している以上、人間には自分のエゴよりは自然をして自分を導くようにする義務があるのです。言い換えれば自分の心に替えて、自分の意識を自らの導き手とすることです。




【解説】
 本項では自然(Nature)こそ、各自が導きを求めるべき相手であると説いています。
 よくある話が、学者は自らが達成した研究成果が全てであり、全ての問題をその研究成果で説明出来るとする傾向があるように思われます。しかし、実際には私達の身の回りの生命活動はそのような単純な仕組みで働いているものではなく、もっと高次な仕組みで動いているのではないでしょうか。
 それらの動きは常に目に見えない印象類や微小な化学物質の声を頼りにしており、宇宙全域と協調・共鳴した調和性を保っている訳で、私達も各自の意見はさて置いて、こうした調和ある印象波動に同調させる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落124

124 The most unfortunate part of man's learning is that his ego is impatient and tries to exalt itself above his teacher or Creator. And it is here that he makes his biggest mistakes, for he applies his will instead of Thy Will, and thus complicates things instead of simplifying them. He follows his mind which should be a pupil, instead of the consciousness which is the teacher and the life of every form. And yet his only salvation is to return back to Nature's guidance. For he can never become independent of it no matter how much he learns or how old he becomes. It will have to be nature by which he evaluates his knowledge.
124 人間の学習における最大の不幸は、人間のエゴが短気で自らを自分の教師である創造主の上に増長させようとすることにあります。そして人間がその最大の過ちを犯すのがここなのです。何故なら人間は「汝の意志」の代わりに自分の意志を用い、そうして物事を単純化する代わりに複雑化しようとするからです。人間は形有るあらゆるものの教師であり、生命である意識の代わりに、生徒であるべき自分の心に従っています。そして人間の唯一の救いは自然の導きに立ち返ることです。何故なら人間は如何に多くを学び、如何に年老いても自然から独立することは決して出来ません。人間が自分の知識を評価するのは自然によらざるを得ないのです。




【解説】
 最近よく”切れる”という表現を耳にします。つまりは相手が自分の意図を良く理解していない等の理由で、いらつく状態が極端になった状態です。こう言う私もそのような状態に陥ることもあるのですが、よくよく考えると相手の状況について十分に理解出来ていないことや、本項で言うように正しい自分の意見が何故に理解できないのかという短気がその原因であることが分かります。
 しかし、いずれにせよ、そのような状況は互いの進歩の妨げになる訳で、常に私達は謙虚であらねばならず、各々自我よりもはるかに上を行く宇宙的英知の声、意識に進路の選択を委ね、導きの手を信頼すべきです。そして結果がどうであったかは人間社会の評価ではなく、宇宙的観点からの評価であるべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落123

123 Even today man is going into the depths of the ocean and into space, only to learn from nature.
123 今日でさえ、人間は海洋深く潜ったり、宇宙に進出していますが、それらはただ自然から学ぶ目的からです。




【解説】
 今日では未だ高価であるものの、民間の宇宙旅行も夢ではなくなる等、私達一般人でも宇宙旅行は可能となって来ましたが、かつてガガーリンの地球周回やアポロ11号の月面着陸の時代は、私達地球人類は将来、宇宙探検も可能となる新しい時代を迎えることになったという気持ちの高ぶりがあったことを思い起こします。
 また、地球に残る未踏域である深海についても最近では深海1万メートル程度まで人間を乗せる探査船が出来ているということです。また、海底には油田や希少金属も多量に存在することも知られており、私達人類が把握できる範囲も広がっています。
 このように上は宇宙空間、下は深海まで私達の知覚する範囲が広がる中で、各自の意識もつまらぬ自身の中から出て拡げる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落122

122 Let us assume that, the first man on earth did not have a teacher to guide him along the path of life, so he had to use nature as a teacher. i.e. As he listened to the winds passing through the trees with their varying types of leaves, he noticed that each produced a different sound. And as he listened to the birds and the rushing waters of the brooks and rivers, and other sounds that nature produces, he desired to reproduce the sounds. So he made a flute type whistle and later other instruments. Man innately desires to become as his Creator. So nature has been his greatest teacher.
122 ここで地球上の最初の人間が人生の道程を導く教師を持たず、自然を教師とせざるを得なかったと仮定しましょう。即ち彼は様々な形の葉を持つ木々の間を通り過ぎる風に耳を傾ける時、各々が異なる音を発することに気付きました。そして鳥達や渓流や川の水の流れやその他、自然が造り出す音に耳を傾ける時、彼はそれらの音を再現したいと思ったものです。そこで彼はフルートの形式の笛、そして後には他の楽器を作ったのです。人間は生来、自分を創造した創造主のようになりたいと願っているのです。ですから自然は彼の最も偉大なる教師であったのです。 



【解説】
 本項からは原始、人間が創造された時、どのような状況であったか等、丁度”天地創造”の映画の場面のように、人間が少しずつ自然を手本に学んで行った様子を伝えています。
 もちろん、キリスト教徒の世界観では、このような状況説明になるのですが、本項ではもっと現実的に、太古の昔、人間が初めて地上に誕生した際には話す言葉もなく、ひたすら大自然から一つ一つを学んで行ったことを説いています。
 つまり、創造主はこうした創造の時から今日まで私達人間の暮らしや試みを見守っていた訳で、広大な時間の中の私達の歩みをご覧になっていると言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落121

121 Ninety per cent of life as we see it is governed by the law of direct guidance. The 10% which is man, has separated himself from the law by using his free-will.
121 私達が見るところ生命の内90%が直接の指導によって治められています。残り10%の部分が人間については、自分の自由意志を使って法則から自分自身を分離させて来ているのです。



【解説】
 本項は実に私達の日常生活ではその90%「が宇宙意識の直接の導きによっているとしています。つまりは私達の日々は9割が宇宙的であるという訳です。しかし、その一方で残り10%が各自の自我が支配する所となっており、その部分が私達の進歩の足かせとなっているのです。
 そういう意味では、わずか残り10%こそ、私達の改善すべき部分な訳で、私達全体としてはほとんどが宇宙的存在と言うことも出来るものです。また、他の宇宙的部分を見倣って改善すべき方向を探ることも容易と思われます。
 実に手本は私達自身の中にもふんだんにあるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落120

120 When we say Nature, it is used as a representative of The Mother Principle of Divinity. For she is the one through which forms are born. This is the feminine side of life, while the Supreme Intelligence is the masculine. And the two are working as one to bring forth the many manifestations.
120 私達が自然と言う時、それは神の内の母性原理を代表するものとして用いられています。何故なら、そこから形有るものが産まれるからです。これは生命の内の女性的な面を示しており、一方で至上なる英知は男性面を表わしています。そして両者は多くの創造物をもたらす為、一体となって働いているのです。




【解説】
 私達は分子原子が満ちた世界の中で暮らしています。その中では様々な形あるものが生まれ、また死んで行く、万物流転の流れが絶えず生じているのです。
 そういう意味では個々の創造物を造り上げるのは何度となく活用された分子原子であり、目に見えない微粒子から形ある創造物が形成されるという意味では”母なる自然”、”母性原理”が働く世界に私達が生きていることになります。
 しかし、実際には創造物が生まれるについては、これら分子原子のいわば物質世界の他に、別の英知、至上なる父性的知性が重要な役割を果していると説かれています。即ち、父性・母性の両知性が融合する中で創造作用が進行するという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落119

119 You may ask, how do we classify intelligence. Man classifies it as the result of actions or expressions. If we use this same classification, then we must admit that we are living in a sea of intelligence. All forms that live and express are using certain phases of it, and fulfill the purpose for which they were created. All of these lesser forms act automatically under the guidance of nature. Or we could say, by direct guidance of the Creator.
119 知性についてはどのように分類するのかと貴方は問うかも知れません。人はそれを行動や表現の結果から分類しています。もし私達が同様の分類をするなら、私達は自分達が知性の海の中に生きていることを認めざるを得ません。生きそして表現する形有るものは皆、その(訳注:知性の海)何らかの側面を活用しており、それらが創造された目的を達成しています。これら(訳注:人より)下位の形有るもの達は自然の導きの下、自動的に行動しているのです。言い換えれば、創造主の直接の指導によっていると言えるでしょう。




【解説】
 私達は知性の海の中に暮らしていると著者は私達に説いています。生命の海とも呼べるものですが、私達はただその中に生きていながらも、その存在に気付いていないという訳です。
 他方、他の創造物は直接、その知性を受入れ、従って表現している為、何らの迷いもなく、平穏な毎日を送っているということでしょう。
 宇宙や自然界において知性とは何かを探求する時、私達はやがてはその宇宙を貫く知性を感じ取れるようになり、自らの進路に受け入れることが出来るようになるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落118

118 As you can now see, man or his mind is in the process of creation, working towards a perfect manifestation by learning. And time is not involved, for there is no time in Eternity. So it then behoves us to study the various phases of creation that we may learn its reason for being. Then we will not judge our Creator, as we have in the past through lack of knowledge. For truthfully no man can judge his Creator or any of His creation. When man makes a thorough study of Life's purpose, understanding replaces judgment. For then man as the highest expression, becomes one with his Creator. And his intelligence is in line with the Creator's intelligence.
118 今やおわかりのように、人、すなわち人の心は学習を通じて完全なる創造の現出に向かって努力している創造の過程にあります。そして時間は関係ありません、永遠には時間が無いからです。ですから私達がその存在の理由を学ぶことが出来るよう、様々な創造の段階を学ぶことは私達にとっての義務なのです。そうすれば、かつては知識の不足から行って来ましたが、私達は私達の創造主を裁くことはしなくなるでしょう。何故なら、本当に人は自分の神や神の如何なる創造物をも裁くことは出来ないのです。人が生命の目的を徹底して研究する時、理解が裁きに置き換わります。そうなれば、人は最高位の表現者としてその創造主と一体になるのです。そしてその知性は創造主の知性と一致します。




【解説】
 著者が私達に時間は関係ないと諭してくれていることは重要です。途中でどのような径路を通り、どんなに無駄な時間を費やしたとしても本人がその誤りに気付き、改めて本来の途に戻ることが出来れば、それにまさることはないと喜んで下さるのが創造主ということでしょう。
 私達は創造主の御業を学ぶ中で万物を融和融合させ調和ある世界を組み立てる義務があるのです。そういう意味では最高位に位置する私達は創造主にとっても頼りになる存在である訳で、創造主の意思を現実世界に実現し、再現することが私達の大きな目的なのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落117

117 Instead of gathering all form life into the sea of consciousness we have divided and separated, and this is why we cannot see God's life manifesting through us and all form life, as our space brothers do. For when they look upon a form, be it of man or any other expression, they do not see just the form, they see the consciousness that supports the form. This is seeing the Creator expressing through the form when the THY WILL and not the mind will is done. Their world and all life on it are conscious manifestations of the Creator, and are so honored.
117 すべての形有る生命を意識の海の中に集めることをしない代わりに、私達はそれらを分割し分離して来ました。これが私達の宇宙兄弟達がしているように私達が私達やすべての形有る生命を通じて神の命を見ることができない理由です。何故なら、彼等が形有るものを見る時、それが人間であれ、他のどのような表現物であれ、彼等は単に形だけを見ることはなく、彼等はその形有るものを支えている意識を見るのです。これが心の意志でなく「汝の意志」が行われている時、形あるものを通じて創造主を見ているということです。それらの世界とそれの上に成り立つすべての生命は創造主の意識の現出であり、そのように栄誉を受けているのです。




【解説】
 先ずは私達が外界の事物をどのように見ているかが問題だと本項は説いています。
 つまり、これまでの私達は私達人間の都合で事物を分類し、識別して来ました。しかしそれでは創造物を私達の都合で分離し、更には良否優劣の裁きをすることにつながり、創造物の中に階級を設けるだけで、一体感や融和性が生まれることはありません。
 それに代わって、意識という融和的な世界の中に万物を取り込み受け入れる中で、それらを創造主の意思の下に融合することで私達と他の創造物とのは兄弟姉妹のごとく、穏やかな間柄になることが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落116

116 And we have become lost in our own mis-creations by separating ourselves from our consciousness which is of the Creator. We have become intellectual giants, but moral morons from a conscious point of view.
116 そして私達は創造主である私達の意識から自分自身を分離することによって私達自身が造り出した誤った創造の諸物の中で迷子になってしまっているのです。私達は知的には巨人になっていますが、意識の観点からは倫理上、低能に成り下がっています。


【解説】
 私達はこの創造主につながる「意識」について何一つ学んでいない為に、倫理上の低能になり下がっていると本項は断じています。
 つまりは無能な自分自身をその意識から切り離してしまった為に、自ら無能無知の中に沈んでしまっているという訳です。即ち、それを抜け出るには意識に回帰する必要があり、僅かな手掛かりを頼りとして、その底辺から抜け出る必要があるのです。丁度、芥川の”クモの糸」にも似た状況かも知れませんが、僅かなきっかけをも逃さず自らを向上させる努力を積み重ねる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落115

115 So it is with the law of the Cosmos. Positive Thinking, that you may have heard about, has hurt more people than it did good. God's purpose cannot be divided and give good results. Nor can one judge His laws and omit parts of them, be it through lack of understanding or egotistical aggression, which has been done through the ages. People judge the Creator's creation without knowing the reason for each part. And in this way they have been judging the Creator and exalting the ego mind above His Intelligence.
115 ですから、それは宇宙の法則についても言えることです。陽的思考は、貴方が聞いたことがあるかも知れませんが、それが為す良い事以上に多くの人々を傷つけて来ました。神の目的は二分されて良い結果をもたらすことは出来ません。人は理解力の不足に由来するにせよエゴの侵略行動に由来するにせよ、神の諸法則を裁いてその一部を除くことをしてはならないのですが、それを長年行って来ました。人々は創造主の創造物を各々の部分の存在理由等を知らないまま、裁いて来ました。そしてこのようにして、人々は創造主を裁き、自らの自我の心を創造主の知性の上位に置き増長させて来ているのです。



【解説】
 以前、何処かで陽性の考え方の極端な例はヒトラーであると著者アダムスキー氏が述べていたように記憶しています。迷える大衆に対し、キッパリ進路を示し、国の行く末を主張した姿勢に人々は信頼して国を委ねた訳ですが、結局のところ世界は大きな戦渦を被り、ホロコーストを引き起こした訳です。
 このように迷える大衆にとって時々に出現する陽性の意見を主張する者は魅力的に感じられますが、それも危険なことで、私達は世論工作等の手法に気を付けなければなりません。
 それに対して、本項で著者が示すように他者を批判することなく、各々の背景を学び本来の宇宙的調和の姿を知ることによって、より調和的な途、進化の道を歩むことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落114

114 And remember you cannot have a manifestation or good results if you do not use both sides of the law. The objective and the subjective, or the negative and positive - male and female. You cannot use one and exclude the other and expect good results. Let us go back to electricity for an example. Electricity is one power consisting of two phases, negative and positive. One phase cannot be used in the absence of the other and give useful power. But when they are combined and balanced the manifestation is perfect.
114 ここで覚えていて欲しいのは貴方は法則の両面を用いなければ、創造の現れや良い成果は得られないということです。主観と客観、積極性と消極性、男性と女性がそれです。一方を用いて他方を排除しては良い結果は望めません。一例として電気について振り返ってみましょう。電気は2つの側面、マイナスとプラスからなる一つの力です。他方無しで片方を用い、有益な電力を得ることはできません。しかし、それらが統合されバランスがとられた時、そのもたらす創造の現れは完全になります。



【解説】
 私達には長年、善と悪、良不良等、区別し判定する中で生活して来ました。その結果、争い或いは競技等、生活の隅々にいたるまで競争や裁きが生まれています。
 しかし、現実の世界にはそのようなすっきりした識別が出来ることは数少なく、各々の立場にはそれなりの理由があるものです。
 このように世の中は裁くべきものはなく、私達は両者を受け入れる中で、互いの協力関係を深めるべきかと思うものです。
 本項は、より宇宙的な観点から、これら両面についてよく理解し、両者を共に取り入れた中でより高次な成果を成せと私達に説いています。裁きを禁じたイエスの教えも、そのような意味を持つものと言える筈です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落113

113 Also notice that we did not forbid you to live a normal life. All that is asked of you is - live a conscious life and not a mental one. And do, and use, all things in moderation. That is all that is necessary to fulfill the purpose of life. This is how our space brothers have grown in knowledge and live a heavenly way of life.
113 また、私達が貴方に普通の生活を送ることを禁じていなかったことにも注意して下さい。貴方に求められていることの全ては、心による生活でなく、意識による生活を送ることです。そして全ての物事を適度に行い、また用いなさいということです。それが生命の目的を成就する上で必要なことの全てです。この方法によって私達の宇宙兄弟達が知識において成長でき、今、天上の生活を送っているのです。




【解説】
 私達に示されているのはただ一つ、各自の行動の指針を自らの心でなく、各自に存在する内なる意識の示唆に従い、物事を極端に走らず適度に行えということです。
 これは一見して何も特別な指示でないように思いますが、ポイントは各自が時々刻々と受ける印象を鋭敏に感知し、何事にも意識や関心を拡げて生活せよということかと思われます。
 実は、私達はこれまで他人との約束事や時間に縛られた生活を送っており、また、自らの心に左右された毎日を過ごしています。それに対して本項は先ずは普通の生活を送る中で、様々な側面に至るまで把握範囲を拡げた、いわば意識的な態度を第一にするよう求めています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落112

112 The thing that we ask you to do is - become aware of your real self, the eternal part of God, or The Creator. Let your mind become conscious of consciousness as your guide in everything that you do. Then the admonition "Man know thyself and you shall know all things," will be your reward. But the mind must learn to trust the consciousness at all times.
112 私達が貴方に実行して欲しいとお願いしたいことは、貴方の真実の自我、神の永遠なる部分、創造主に気付くようにすることです。貴方の心を貴方が為す全てにおけるガイドとして意識を意識するようにさせて下さい。そうすれば、訓戒「汝自身を知れ、そうすれば全てを知るだろう」を褒美として受け取ることになります。しかしその為には、心は意識を如何なる時も信頼することを学ばなければなりません。




【解説】
 本項では著者が私達に具体的にどのようなところから一歩を踏み出して行ったら良いかを示しており、大変重要な記述です。
 実は外に指導者を求めるのではなく、各自の内側に信頼すべき宇宙創造神が存在することをわきまえ、各人がその存在を知覚し、意識することだと説いているのです。著者が盛んに用いている”意識”という表現もこの”意識すべき存在”から編み出されたものかと思われます。
 本来、各自の内側に頼るべき存在が居ることに私達は気付かぬまま、外界にその存在を求め、遂には放蕩を繰り返して来た訳ですが、ようやく自身の中に自らの拠り所を見つけるまでの状況は聖書の放蕩息子の例の通りです。私達各自は宝の持ち腐れにならないよう、しっかり自らの中にある宝物を知る必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落111

111 We are now in the third lesson and I have not asked any one to concentrate or meditate, as taught in other fields. If anything, these ancient methods have brought the unpleasant conditions that we today face in the world.
111 私達は今や第3課に入っており、私はこれまで誰一人にも他の分野で教えられているように精神集中や瞑想をするようにとは言って来ませんでした。むしろ、これら古代の手法は今日私達が世界で直面している不愉快な状況をもたらして来たのです。



【解説】
 この意識に近づく上で、古来から精神集中とか瞑想等の修行が進められて来た訳ですが、本項で著者が明言しているように、これらの方法は良い結果をもたらさないと言うのです。
 つまりは、心を一点に集中させ、或は心をただ鎮めるだけではうまく行かないとしていることに私達は注意しなければなりません。
 具体的な事柄は次項以後に示される訳ですが、何よりも一時的な感情の高まりでは物事は解決せず、先ずは日常の生活の中で少しずつ現象の奥にある因の要素、目に見えない存在について察知して行くことが重要ではないかと考えています。物事や現象を因と結果の結びつきから理解する中で、宇宙には全知の力がみなぎっていることを知ることこそ、第一に目指すべき事柄ではないかと思っている次第です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落110

110 This shows that consciousness knows no fear - for it is the possessor of all knowledge. The mind does not have the knowledge and lives in fear. And as a result it has promoted all kinds of mysteries in relationship to life and its continuance.
110 このことは、意識は如何なる恐怖も知らないことを示しています。何故ならそれはすべての知識の持ち主であるからです。一方、心はその知識を持ちませんし、恐怖の中に生きているのです。そしてその結果、心は生命とその存続に関連してあらゆる種類の神秘を助長させて来ているのです。




【解説】
 生命の呼吸に関連し、著者は私達が呼吸することで意識を取り込んだ存在になり、その意識はあらゆる生命活動を統率し、その意識なるものは全知である為に恐れがないと説かれています。
 しかし、私達は各々誕生したばかりの段階では、何らの経験はなく、失敗もない為に恐れを知らずに過ごしている訳ですが、やがて自らの誤りの為、痛手を受けると、今度はそれを嫌って、不安に陥ってしまうという訳です。
 このように私達は各自の進化の途を歩む者ですが、そこで学ばなければならないのは、今まで見過ごしていた意識という身近にある全能の存在なのです。このように考えるとこの内容は全ての宗教の真髄でもあるように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落109

109 The Breath Of Life is proof of that, and it is given freely to all forms of life. For was not the first clay form of man activated into life by THE BREATH OF LIFE, breathed into its nostrils by the Creator? And it became a living soul, or a conscious being. A new born child is slapped on the buttocks and made to take the first breath, or it would not be alive. And notice here, the mind is only partially active, yet the baby is consciously alive. We know that a young mind knows no fear until fear is imposed upon it. Or until it begins to act with the mind and gets hurt, then fear takes over.
109 生命の呼吸はその証しですし、それは生命のすべての形有るものに無償で与えられています。人間に形取られた最初の粘土が創造主によって鼻から息を吹き込まれ、生命の呼吸によって生けるものになったのではありませんか。そしてそれは生ける魂、意識ある存在になったのです。生まれたばかりの赤ん坊がおしりを叩かれて、最初の呼吸をさせられますが、そうしなかったら、生けるものとはならないでしょう。そして、ここで注意して欲しいのは、赤ん坊の心は一部しか生きていませんが、赤ん坊は意識的には生きているのです。若い心は恐怖が押し付けられない限り、恐怖を知らないことを私達には分っています。あるいは赤ん坊が心といっしょに行動し、痛みを得るとその時から恐怖が支配するようになるのです。




【解説】
 呼吸が生命の基本であることは創世記にも記述されている通りですし、私達各人がこの世に誕生する際にも、呼吸からその人の人生が始まるとも言えるでしょう。また、最期にはその呼吸を停止して死に至るという訳です。
 このように生命に無くてはならない呼吸作用なのですが、その意義は単なる酸素を体内に取り込むだけのものではなく、もっと深遠な意義を持つものであることを本項は示唆しているのです。
 そのことに関して私見を述べさせていただくなら、それは空気と同時に私達は何らかの宇宙のエネルギーを体内に取り込んでいるのではないかと考えます。著者が”生命の呼吸”という表現を用いており、空気中の酸素の取り込み等、限定したイメージでなく、もっと深い意味を込めていることに注目したいものだと思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落108

108 Perhaps you feel that I use the word consciousness a great deal and place emphasis on it. And you may wonder, why? It is because the consciousness has been neglected through the ages while the mind has been exalted. And did Jesus not say that we are the Temples of the Living God? It could be said in this way, know yea not that yea are the embodiment of the living consciousness?
108 おそらく、貴方は私が意識という言葉を大変多く使用し、それに力点を置いているとお思いになるでしょう。そして何故だと思うかも知れません。それは何世代にわたり心が増長して来た一方で、意識は無視されて来たからなのです。そしてイエスは私達は生ける神の社であると言わなかったでしょうか? それはまたこのように言うことが出来ます。貴方は自分が生ける意識を体現したものであることを知らないのかと。




【解説】
 この「意識」の存在こそ、私達の最大のテーマなのですが、本項に記されたように、私達は昔からこの存在に気付かず、無視して来た訳です。古くはイエスの時代からそのことは強調され、現代に至るも私達の理解はあまり進んではいないのです。
 それは、その存在が目に見えず耳に聞こえず触れることも叶わない存在だからであり、私達はそれに代わって自身の心の声を自分の主人にしてしまったという訳です。その結果は、本来は肉体維持の感覚器官であるだけの心が自らの行く末を決めて行動しなければならなくなり、不安にかられ他人を信用しない生活に陥っています。
 一方、当時イエスが説いたように、私達自身には絶えず意識からの印象が湧き出し、進むべき道を示していることに気付けば、私達はもっと容易に人生を享受し最高位の創造物に相応しい歩みを踏み出すことが出来るのです。

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
プロフィール

ganetworkjapan

アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ