生命の科学 第3課

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落137

137 Keep your mind as much as possible on the finer qualities of life, as you would on a fine quality of music. And if you do this daily you cannot help but make progress.
137 あなたの心を精緻な音楽に耳を傾けるように、生命のより精妙さに関心を持ち続けさせなさい。毎日これを行えばあなたは進歩せざるを得なくなります。


【解説】
 事物や行動或いは自然活動の中に、私達が何に気付くかが最も重要だということです。気付きの能力を得る、即ち”悟り”に至った後は、私達は様々な現象を通じて、その背後にある精妙な仕組みや法則性にも気付くことが出来、世界観、宇宙観にも繋がる理解力を育むことが出来ます。
 これを達成する為には、日常的に心の中を通過するかすかな印象をキャッチ出来る感性が必要ですし、かつて自分が同様の印象を得た時の心境をよく覚えて置き、再びその状況を再現出来るよう心を整える必要があります。
 同乗記には長老が毎秒何千もの想念・印象を感知すると書かれていたと思いますが、私達の進化の先にはそうしたレベルまで人間の能力は高められるということでしょう。世の中には年齢を重ねるにつれて”老化”が大きな問題となっていますが、ひとたび進化の道を進み出すなら、私達は能力が増すことはあっても衰えることはないという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落136

136 When you begin to enjoy and understand a broader field of life you will know that you are progressing. And ideas and thought will be coming faster than you have ever known before. Do not question anything from the standpoint of disbelief, but make an analysis of every thought and act to see if it was a premeditated mental reaction or a conscious one. And where it fits into your life in relationship to others.
136 あなたは自分がより広い生命の分野を楽しみ、理解し始めていれば、自分が進歩しつつあることが分かるでしょう。そしてアイデアや考えがこれまでに無い程、速く浮かんで来ることでしょう。何事にも不審の念に立って疑問を投げかけてはならず、あらゆる想念や行動をそれが前もって考え出された心の反応なのか、意識によるものなのか、他との関連においてあなたの生活の何処に当てはまるかについて分析することです。



【解説】
 私達が正しい道程を歩んでいるかどうかは、これまでに比べてより多くのアイデアが湧き、多くの事柄に感動出来るようななることで分かります。たとえ同じ対象を見ても、”意識”とのつながりを得た者は、その対象の背後にある知性や美しさを認めることが出来るからです。
 多くの芸術家は白いカンバスに何を描くかを想起する時、カンバス上に自分の描くべき事物や光景のイメージを見るのだと思います。自分に与えられた印象に対して素直に受け入れ、その中に秘められた意義を洞察することも必要になることでしょう。私達がその画家のようにやって来る印象に自身を同調させ、印象が意図するものを理解しようとする時、私達ははじめて創造主の手助けに従事できる栄誉に恵まれることになります。
 宇宙的印象は本来、大変貴重なものであり、私達は与えられた印象を取りこぼすことなく、自身の進化に活用する必要があります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落135

135 In the next lesson we will explain this relationship. It is important to understand if confusion is to be eliminated. All that is asked of any one is to become more and more conscious of consciousness which is the true self behind every act or thought. In plain, give the consciousness the recognition you have been giving the ego mind, in everything you do or see. Be aware of the invisible intelligence behind every act and word. By doing this it will eventually become automatic for you.
135 次の教課ではこの関係を説明しましょう。混乱を取り除く為にはそのことを理解することが大切なのです。誰に依らず求められていることのすべては、あらゆる行動や考えの背後にある真実の自己である意識をもっともっと意識するようになることです。平たく言えば、あなたがこれまであなたが行ったり見たりするすべてにおいて、エゴの心に与えていた認識を意識に与えよということです。あらゆる行為と言葉の背後にある目に見えない知性に気付きなさい。こうすることによって遂にはあなたはそれを自動的に行えるようになるでしょう。



【解説】
 本項では”意識”をもっと知覚する必要があること、またそれは従来私達が自分の心に与えて来た役割に替わるべき存在だとしています。つまりはこれまで私達が”自分の心”として取り扱って来たものの代わりに”意識”をその座に就かせることを求めています。
 しかし、よく考えてみると私達自身、自らの心の実像についてよく知る者ではないのかも知れません。日常的には心の活動にさえ何ら気付くことなく惰性的、習慣的な精神生活を送っているのではないでしょうか。
 そして改めて内省する中で実に身勝手で怠惰、それに恐怖に支配された日常を送っていることがわかります。こうした中、私達は自分の心の働きの現実の姿を観ること、そしてその限界を知り、更にその背後にある”意識”の存在にこそ認識を与え、その姿を見るように勤めることが必要です。
 その際、本項で著者が指摘するように、あらゆる行動や想念の源となっている”意識”という存在を知ろうとする姿勢が重要となります。その探求を繰り返すことで、次第に私達はその目に見えない存在に気付くことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落134

134 As Luther Burbank said, they see the Creator face to face. Thus they learn the relationship and purpose of all manifestations serving each other and thereby serving the creator.
134 ルーサー・バーバンクが言ったように、彼らは創造主に直接対面しています。彼らはそのようにして互いに奉仕し合い、そうすることで創造主に仕えている全ての創造物の相互関係と目的を学ぶのです。



【解説】
 ルーサー・バーバンクも金星人達も日常、創造主と対面し、万物の関連性と役割を理解し学んでいるという訳です。まだ未熟な私達はこの種の心境を体験体得するものではありませんが、イエスが述べたように他惑星人は古来からこの心境を維持して来たということでしょう。
 創造主を知ろうとする私達ですが、それは自身の中で最初に対面すべきなのかも知れません。自然環境の中には今なお手付かずの原生林があり、雄大な大自然もあるのですが、そこに行かなくても毎日のご自身の身体活動の中に、もし創造主を見出すことが出来ればどんなに素晴らしい毎日を送ることが出来るかと考えてしまいます。
 生まれたばかりの人間の子はその誕生、再び生まれ出たことも喜ぶかのように、何を見ても微笑みますが、実は生まれたばかりの彼らこそ、日常的に創造主と対面を果たし、日常生活を享受しているのかも知れません。創造直後の存在物は創造主に対する記憶もしっかり維持しているという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落133

133 The Venusians and others have done this, thus enabling them to advance as they have. They do not fight nature - but blend with it by understanding its laws. For this reason they honor all manifestations including their planet, as a Divine creation. They live the thought that a creator could not create anything lesser than himself. And with this feeling towards all nature they see Divinity expressing everywhere.
133 金星人や他の人々はこのことを既に達成しており、このことがそのように進化することを可能にしています。彼等は自然と戦うことはせず、その諸法則を理解することによって自然と溶け込むのです。この理由から、彼等は彼等の惑星をも含め全ての創造物を神聖なる創造作用の一つの現れとして敬います。彼等は創造主は自分より劣ったものを創造できないとする思想を実践しています。そして全ての自然に対しこの感覚を持つことで、彼等はあらゆる所に神聖の現れを見るのです。



【解説】
 重要な点は、私達には困難と思われるこの意識による指導が、他惑星人には十二分に理解され、実践されているということでしょう。その上で、著者アダムスキー氏は私達にその取り組み姿勢について繰り返し説いているのです。
 宇宙を貫く創造主の法則に従うことは本来はそう難しい課題ではない筈です。何故なら、地球上においても人間以外の動植物達は皆、この法則に従って素直に生き、生命を謳歌していると思われるからです。
 そこで問題なのは、唯一私達の長年、増長してしまった心の取扱だけなのです。自らの心を鎮め、自らの主張を捨てて、宇宙から来る印象を大切にし、自身を含めてあらゆる創造物への探求を通して、創造主の意図を学ぶことから始めるべきなのでしょう。
 私達には既に手本があり、先人の歩みに従って進むことが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落132

132 Once man realizes this and makes daily use of it, he will no longer complicate things and he will feel himself one with his creator.
132 一度、人がこのことを悟り、それを日々活用すれば、以後は物事を複雑化したりすることはなく、自分自身が創造主と一体になっているように感じることでしょう。



【解説】
 上達のカギは日々の生活の中で実践に移すことであると本項は説いています。理論を一時的に学ぶことや、非日常的な精神状態の中で何かを掴もうと努力することよりは他の動植物たちと同様に、日常生活の中で意識の声を知覚し、印象に従うことの方がはるかに効果的だということでしょう。
 とかく私達は様々な理屈を設定し、議論して来ましたが、実際の真理とはもっと単純明快なものかと思います。その単純さを如何にして知覚するかが重要となります。多くの哲学者が困難な課題を前に苦悩しているかと思いますが、真実はもっと単純であり、幼子でも理解出来る包容力を持ったものかと思います。
 一度その包容力に包まれれば、他に望み得るものはなく、安心して身を任せることが出来る筈です。私達が目指すべきこれらの自覚に向けて、日々の生活を誠実に送る中で、これまで私達をすっぽり覆っていた心のベールを取り去り、身の回りの世界の素晴らしさをいち早く認識すべきなのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落131

131 It is not the prayers, the mantrums or the meditations that will bring this to us. But a re-birth into a fully conscious being of cause instead of the mental effect. In other words we must reverse the process of our learning. Instead of being mentally aware as an ego of the mind the mind must become aware of consciousness, as it has in the past of itself. For conscious awareness is the key that unlocks the storehouse of knowledge to the mind. It is the link between the Creator and creation.
131 このことを私達にもたらすのは祈りでもマントラでも瞑想ではなく、心による結果に代わって因による完全に意識的存在への生まれ変わることなのです。言い換えれば、私達は自分達の学習の過程を逆転させなければなりません。即ちそれまでの自分自身のように、心に属する自我として認識するのではなく、心は意識に気付く必要があるのです。何故なら意識への気付きは心に知識の貯蔵庫を開く鍵であるからです。それは創造主と創造物との間をつなぐ環(きずな)なのです。



【解説】
 真の意味での”生まれ変わり”への転換を本項で、著者は求めています。しかし、まだ私達はそのわずかな糸口を掴んでいるに過ぎません。本項では、それらは瞑想や読経等では到達できないとも述べています。
 もちろん、厳しい苦行だけでもその覚醒は得られないのかも知れません。
 本件について私達が思い出すのは、仏陀が長い苦行に従事し、多くの教師に出会う中でも覚醒には到達できず、最終的にはスジャータから捧げられた乳粥を摂り、これら行き過ぎた苦行では覚醒は得られないことを悟り、その後、数々の誘惑を克服して、最終的に悟りに至ったという話です。
 つまり、私達のこれまでの考え方を一転させ、宇宙生命を支える”因”を知覚し、因に従うという一大転機が必要だということでしょう。これまでの自分を捨てること、全く異なる価値観に従って人生を送ることにも通じていることでしょう。どうやって生まれ変わることが出きるかというニコデモの問いにイエスが答えたように、私達にはこれまでの心への依存でなく、自身の内側にあるもう一つの自分である意識への一大転機が必要だという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落130

130 Luther Burbank expressed himself well when he said that nature gave him the knowledge of how to improve upon vegetation. He stated that he was working with the Creator, and through His creation he saw Him face to face. Man will never be free from the drudgery he now is enduring, and the confusion in which he finds himself, until he returns unto the true teacher, the conscious director of all creation. We live in and are a part of its manifestation.
130 ルーサー・バーバンクは、自然が自分に植物に対する改良の仕方の知識を与えてくれたと言ってその実態を良く表現しました。彼は創造主と共に働いていることや、創造主の創造を通じて彼は創造主を間近に見ているとも述べていました。人間は真実の教師、すべての創造物の意識の指揮者の元に帰らない内は、現在耐え忍んでいる骨折り仕事や自分自身の混乱から決して自由になることは無いでしょう。私達は創造の現れの中に生き、その一部であるからです。


【解説】
 実際にこの宇宙的知性の指導に従った例として、著者はルーサー・バーバンクを挙げています。ご存知のように丁度エジソンと同時期に生きたバーバンクは日本でもトゲ無しサボテンやアイダホポテトその他、珍しい品種の開発者として知られています。現在でもサンフランシスコ郊外のサンタローザにはバーバンクの居住跡や温室等が保存され、記念公園(http://www.lutherburbank.org/)が立っています。
 そのルーサー・バーバンクは膨大な数の苗から驚くほど手早く目的の苗を選定したとされています。私も以前、その記念館を訪問したことがありますが、当時の作業記録はわずかな手帳のメモが残る程度で、具体的な記録は残っておりません。おそらくバーバンクは畑を見回る中で、どれを育種すべきか瞬時のインスピレーションを得ていたということでしょう。
 日々の行動を宇宙からのインスピレーションに委ねることが如何に大切かを私達に示す好例が、ルーサー・バーバンクなのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落129

129 With all of the intelligence we have today, no man can give the exact answer of how an apple or any fruit became such from a flower. This shows us that as great as man's intelligence is, it is still puny compared to what is manifesting in nature, the expression of the Creator.
129 今日、私達が持つ知性の全てをもってしても、誰一人として一つの花からりんご、あるいは何らかの果物がどのようにしてそのように成るのか正確な答えを出せる者はいません。このことは人間の知性が偉大だとしても、創造主による表現、自然における現れと比べればそれは依然としてちっぽけなものであることを示しています。



【解説】
 私達が如何にちっぽけな存在であるかについては、自分自身を観察すれば良く分かります。一生の内でどれほどの事柄が達成できるかや自ら考え出した事柄等、大自然を生かしている一大知性に比べれば取るに足らないものと言えるでしょう。
 そうした中、私達は自然を観察し、その秘められた機構や仕組みを学ぶことで創造主の深い配慮を知り、またそれらの指導に素直に従う動植物たちの潔さに感銘するものです。
 よく見る光景として、車庫の地面を足早に移動する蟻たちがいますが、彼らは自動車が動き出し、タイヤで轢かれそうになっても、それら命を落とす危険を恐れて活動をやめたりはしません。気温が上昇し、蟻たちの行動に適した状況になれば、たとえ人に踏まれても何ら気に止めることなく、自分の使命を果たそうとするのです。
 そこには失敗や死に対する恐怖は微塵も無く、ひたすら宇宙の法則に対する信頼があるということでしょう。そしてその信頼の延長戦上には生命の再生、生まれ変わりについての確信があるということかと思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落128

128 All nature is expressing intelligence in varying degrees, for there is not a form, even a grain of sand, that does not express the purpose for which it was created, even better than man. A blade of grass as a tender shoot will come through the hard crust of the earth as it uses the power of the cosmos and obeys the intelligence that directs it. Yet man finds it difficult to penetrate a hard surface.
128 全て自然は様々な程度に知性を表現しています。何故なら形有るものはどれ一つ、砂粒一つでさえ、それが創造された目的を表現していないものはおらず、人間以上に良く表現しているものさえいます。一枚の草の葉は、柔らかな新芽の時、地面の硬い塊を貫いて現れますが、それは宇宙のパワーを用い、それを導く知性に従っているのです。しかも人間には硬い地表を貫くなどということは困難であることが分かります。




【解説】
 最近よく食卓に"スプラウト"がのぼるようになったのは、種が芽を吹く時点の生命力を私達も取り込みたいと思っていることに他なりません。種が発芽し、若芽が地中を上昇し伸び上がる様は、種から新芽へステップアップする目覚ましい光景として捉えることが出来ますし、その過程こそ本項で言う"知性"が顕在化している状況と言える訳です。
 そういう意味では私達は春にこそ私達自身も含め自然界を貫く原理、宇宙的知性の働きを観る絶好の機会ということが出来ます。
 種が芽吹くことについて思うことは、彼らは迷うことなく自らに示唆された指示を忠実に実行し、芽を伸ばした先が安全な環境なのかどうかは厭わないことです。芽吹いた直後に牛に食べられてしまうかも知れませんが、種はそのような保証を求めたり、躊躇することなく、変身を遂げようと精一杯の行動をするのです。
 その多くは成長する過程で、他の者の餌となり、他の者に役立ち、自然界全体を回しているのです。その種たちに示唆する宇宙的指導には私達の考えが及ばない程の深い意味合いがあるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落127

127 So let us go back to the word intelligence; We may look upon a man that from all appearances represents intelligence, yet when he expresses himself we realize our mistake. Yet when looking upon an unassuming, unimposing man we find from his expression that he is quite intelligent. So we do classify intelligence by expression or action.
127 そこで知性という言葉について立ち返ってみることにしましょう。私達はすべての外見要素から知性そのものであるような一人の人間を見かけたとします。しかし、彼が自分自身を表現した時、私達は自分達が間違っていたことを思い知ります。しかし一方、謙虚で出しゃばらない人間を見るとき、私達はこのような彼の表現からその者がまったく知性的な人物であることに気付きます。ですから、私達は表現や行動によって、実際、知性を分類しているのです。



【解説】
 その者の知性は外見ではなく、その者の行動や発言等、表現の中に表われると説いています。とかく私達は外見を整えること、見た目の良しあしという自らの視覚の判断によって評価しがちです。しかし、その者の内側の知性と外見とはあまり関係がないと本項は私達に諭しているのです。
 その証拠に私達は私達の身の回りに他惑星から来ている宇宙人に気付くこともありませんし、だまそうと近づいてくる者に容易にだまされ餌食になりやすいのです。
 外見ではその人の本質が分からないことは、イエスも聖書の中で自分が復活して戻って来た時に多くの人達がその人物がイエスであることに気付かないと話していたこととも一致しています。
 私達は形あるものの内部にある不変の魂、知性にもっと関心を持つべきで、視覚の反応に過ぎない外見への関心を捨て、そのものの本質を理解しようとする融和、融合的な心境になる必要があります。いわば自分の意識を対象の内部まで浸透させ、相手の意識と一体となることで相手を理解するというような感じかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落126

126 From experience we know that nature is governed by the Supreme Intelligence.
126 経験上、私達は自然が至上なる英知によって治められていることを知っています。


【解説】
 本項で言う"至上なる英知"の機能を最も良く実感できるのは、私達自身の身体活動でしょう。私達の身体は私達の心が発する感情等から悪影響を受けることはあるものの、大部分は独自に活動を続け、身体を維持しています。それらは誰の指示で動いているのか、私達は考えて見る必要があるのです。
 血液がくまなく全身を流れ、各細胞に必要な栄養素や酸素を運び、各細胞は各々の機能を果たし、絶えず更新を果たしていることでしょう。こくした全細胞は一説に60兆とか、37兆とかの数があるとされており、ある統制の下、地球の人間の数ほどの細胞が調和した人体を運営維持していることは驚きです。この統制者を"至上なる英知"と本項では呼んでいるのです。
 私達はこの英知から各細胞に与えている指導の声、無言の印象にもっと関心を持ち、それらと調和した精神生活を送るべきです。生命力を表現している肉体を妨げる行動や想念活動をすべきでないことは明らかで、いち早くこの指導の声に従う心境を確立しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落125

125 Today we have scholars and learned men in all fields of endeavor, but all of them have to depend upon nature for their knowledge by studying nature's material and production of form life. And since man must depend upon nature for life itself, then it behoves him to let nature, rather than his ego, guide him. Or let his consciousness be his guide instead of his mind.
125 今日、私達の回りにはあらゆる努力分野において学者や知識人がいますが、彼等全ては自然界の物質や生命体の産生を学ぶことによって彼等の知識を自然に依存しなければなりません。そして人間は生命自体を自然に依存している以上、人間には自分のエゴよりは自然をして自分を導くようにする義務があるのです。言い換えれば自分の心に替えて、自分の意識を自らの導き手とすることです。


【解説】
 おそらく本項で述べられているのは、多くの研究活動における秘訣と呼べるものではないかと考えています。研究の中では失敗はつきものですが、それは誤った概念の下、考え出された想定が現実と異なっていたことを意味します。しかし、それら失敗と思われる現象の中により価値のある要素が潜在していることも多々あるものです。それらの存在をそっと示唆するもが意識からの印象なのです。
 結局、私達はこの意識の声である印象とどのようにして親しみ、受け入れやすい体質、心境になるかが問われているということでしょう。自らの心を常に謙虚にして、与えられる印象、インスピレーションを大切に取り扱うことです。特別な「行」を行うのではなく、日々の生活の中で心掛けるテーマとして著者は説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落124

124 The most unfortunate part of man's learning is that his ego is impatient and tries to exalt itself above his teacher or Creator. And it is here that he makes his biggest mistakes, for he applies his will instead of Thy Will, and thus complicates things instead of simplifying them. He follows his mind which should be a pupil, instead of the consciousness which is the teacher and the life of every form. And yet his only salvation is to return back to Nature's guidance. For he can never become independent of it no matter how much he learns or how old he becomes. It will have to be nature by which he evaluates his knowledge.
124 人間の学習における最大の不幸は、人間のエゴが短気で自らを自分の教師である創造主の上に増長させようとすることにあります。そして人間がその最大の過ちを犯すのがここなのです。何故なら人間は「汝の意志」の代わりに自分の意志を用い、そうして物事を単純化する代わりに複雑化しようとするからです。人間は形有るあらゆるものの教師であり、生命である意識の代わりに、生徒であるべき自分の心に従っています。そして人間の唯一の救いは自然の導きに立ち返ることです。何故なら人間は如何に多くを学び、如何に年老いても自然から独立することは決して出来ません。人間が自分の知識を評価するのは自然によらざるを得ないのです。


【解説】
 じっと解決策を授けて呉れる意識からの印象を待つこともなく、あるいは騒ぐ心の声があまりに大きすぎる為、それら差し伸べられる助言に気付くことなく、私達は自分自身で勝手な対応を続けています。もちろんその結果は更なる問題の拡散に繋がって行くという訳です。
 本項で短気を戒めていることにも注意が必要です。他の者に命令ばかり、裁きばかりをして玉座に座り続けている私達は、一たび何か物事が思い通りに進まないと、直ぐに問題視したり、騒ぎ立て、混乱を助長しがちです。
 それもこれも私達が意識から来る精妙なる印象の振動に同期することが出来ない低レベルの振動の持ち主であることにも起因しているのでしょう。謙虚に自然や宇宙に対して自らが学習者、訓練生の一人であることを自覚し、他の動植物がどのようにして安寧な暮らしを続けられているのか、観察を通じて学ぶことが肝要です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落123

123 Even today man is going into the depths of the ocean and into space, only to learn from nature.
123 今日でさえ、人間は海洋深く潜ったり、宇宙に進出していますが、それらはただ自然から学ぶ目的からです。



【解説】
 重要なのは自然、即ち宇宙と向き合う態度であろうと思われます。海洋深く探査することや地中の奥を調査することは、私達の棲む惑星を理解することが目的であるべきです。また、地面を掘り進める中で、過去の文明の遺構も発見され、地上でこれまでどのような事柄が起こったかも分かることでしょう。
 東日本大震災以来、貞観(869年)の地震や津波の痕跡が注目されていますが、過去1000年単位で繰り広げられる大きな変動も地球のそこここに記憶されています。
 このように自然を探究することは私達に宇宙の経緯やこれまでこの惑星が辿った道程の多くを学ぶ機会となっています。
 同様に私達自身の過去についても先ずは知ろうとする努力も必要だと考えています。自分はどのような体験を本来持っているのか、自分自身を掘り下げ理解することも必要でしょう。それは必ずしも楽しい体験ばかりではないのですが、自分と向き合うことで学ぶことも多い筈です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落122

122 Let us assume that, the first man on earth did not have a teacher to guide him along the path of life, so he had to use nature as a teacher. i.e. As he listened to the winds passing through the trees with their varying types of leaves, he noticed that each produced a different sound. And as he listened to the birds and the rushing waters of the brooks and rivers, and other sounds that nature produces, he desired to reproduce the sounds. So he made a flute type whistle and later other instruments. Man innately desires to become as his Creator. So nature has been his greatest teacher.
122 ここで地球上の最初の人間が人生の道程を導く教師を持たず、自然を教師とせざるを得なかったと仮定しましょう。即ち彼は様々な形の葉を持つ木々の間を通り過ぎる風に耳を傾ける時、各々が異なる音を発することに気付きました。そして鳥達や渓流や川の水の流れやその他、自然が造り出す音に耳を傾ける時、彼はそれらの音を再現したいと思ったものです。そこで彼はフルートの形式の笛、そして後には他の楽器を作ったのです。人間は生来、自分を創造した創造主のようになりたいと願っているのです。ですから自然は彼の最も偉大なる教師であったのです。



【解説】
 実は本項と類似したことが私達の置かれた状況とも言えるのではないでしょうか。アダムスキー氏や他惑星からの支援者達が私達の近くに居る訳ではなく、私達は独りで自らの道を求めて進んで行く状況にあるからです。
 その中で本項は、身近な自然に注目せよ、自然から学べと説いているように思います。丁度、原始の時代に人間が初めて笛を作ったように、自然を観察し真似ることで成長して来たということでしょう。
 同様に、現代の私達の教師は常に身近にある自然であると言えます。先日もあるアジアの地で休日、寺巡りをしていた所、幹の所々から房(ふさ)のように束ねたたくさんの実を出すヤシの木と出会いました。残念ながら名前は分かりません。気が付くと木の上の方にはそれらが熟した大量の実が稔っています。数珠や房の形といい、お寺に相応しい植物ではと感心した次第です。おそらくは何らかの薬効成分も含んでいるものと思われます。
 私達の身の回りには、まだまだ初めて見る自然の不思議がいっぱいあります。それら学習、観察の機会を通じて、私達は自然から様々な事柄を学ぶことが出来ますし、その心境になれば私達は自然の一員となり、孤独ということはありません。多くの植物画の作家がそうであるように、自然観察の中には楽しみがいっぱい詰まっているということでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落121

121 Ninety per cent of life as we see it is governed by the law of direct guidance. The 10% which is man, has separated himself from the law by using his free-will.
121 私達が見るところ生命の内90%が直接の指導によって治められています。残り10%の部分が人間については、自分の自由意志を使って法則から自分自身を分離させて来ているのです。



【解説】
 私達人間が地球全体に10%程の影響を与えていると著者は指摘しているように思います。その人間自身、自分に与えられた自由意志が自分を宇宙の法則性からかけ離れたものにして来たという訳です。
 宇宙から来る無言の印象に従うのではなく、人源は自ら考え、行動して知識を積み重ねて来ました。その結果、もはや他の動物をしのぎ、惑星を支配する文明にまで発展させています。
 しかし、その自由意志が私達を堕落させ、倫理をおとしめ、欲望を助長する殺伐とした社会を作り出しているのです。何をしても自己責任、何をしても他人に知られなければOKという風潮は、私達が本来めざすべき姿ではありません。それらの結末は、決して好ましいものになることはないからです。
 仏陀は人々に守るべき戒律を説きましたが、それは私達の自由意志をコントロールする一環でもあったと思われます。また、モーゼの十戒にも同様な響きを観ることが出来ます。最もいけないことは、自身の内側にある創造主の期待を裏切ることです。時には横道に入り込むこともある私達ですが、重要なのはこれらの反省に立って、私達は自らの意志、自由意志で創造主の門を叩いて、中に入れてもらうことだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落120

120 When we say Nature, it is used as a representative of The Mother Principle of Divinity. For she is the one through which forms are born. This is the feminine side of life, while the Supreme Intelligence is the masculine. And the two are working as one to bring forth the many manifestations.
120 私達が自然と言う時、それは神の内の母性原理を代表するものとして用いられています。何故なら、そこから形有るものが産まれるからです。これは生命の内の女性的な面を示しており、一方で至上なる英知は男性面を表わしています。そして両者は多くの創造物をもたらす為、一体となって働いているのです。


【解説】
 私達自身、母の身体から生まれ出た訳で、この身体の源は各自の母に由来します。全ての生きものがこうして母なる存在からこの世に生み出され、その同じ法則は地球全体に行き渡っており、"母なる大地"と表現されることになります。
 一方で、本項ではその一つ一つの生誕を指導する究極の英知を父なる存在としています。各々の生き方、暮らし方に示唆を与える知性の存在もまた、その生育に不可欠であり、母性、父性の2つの働きが一体となってはじめて形あるものが創造されるということでしょう。
 重要なのは、これら創造作用の中には他者への裁きや敵対的な要素は一切無いということでしょう。昔、"Love and Peace"とう表現がありましたが、大自然本来の営みの中には、豊かな愛情表現はあっても、好戦的な要素は無いところに気付いていた人達が当時も居たということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落119

119 You may ask, how do we classify intelligence. Man classifies it as the result of actions or expressions. If we use this same classification, then we must admit that we are living in a sea of intelligence. All forms that live and express are using certain phases of it, and fulfill the purpose for which they were created. All of these lesser forms act automatically under the guidance of nature. Or we could say, by direct guidance of the Creator.
119 知性についてはどのように分類するのかと貴方は問うかも知れません。人はそれを行動や表現の結果から分類しています。もし私達が同様の分類をするなら、私達は自分達が知性の海の中に生きていることを認めざるを得ません。生きそして表現する形有るものは皆、その(訳注:知性の海)何らかの側面を活用しており、それらが創造された目的を達成しています。これら(訳注:人より)下位の形有るもの達は自然の導きの下、自動的に行動しているのです。言い換えれば、創造主の直接の指導によっていると言えるでしょう。


【解説】
 前項(118)の最後に述べられている「知性」について、本来どのようなものかを本項で解説しています。
 本項では知性を行動や表現から推し量ることが出来るとし、私達は知性の海の中、即ち私達を取り巻くあらゆるものが知性を持った存在だと説いているのです。
 また、全ての形あるものがその本来の生存の目的の為に、創造主の指導そのままに生きて居る訳で、「置かれた場所で咲いている」のです。誰もが春には道端の草地で小さな蝶が楽しげに舞う姿を見たことはあるでしょう。また、地面を覗き込むと蟻達がせわしげに働いており、それぞれ与えられた状況の中で不平を言うことなく、むしろ喜々として生命を謳歌しているように思われます。
 それに引き替え、人は様々な問題を抱え、身の回りのこれら小さな生きもの達の暮らしを観る余裕もなくなっているようです。しかし、生きものには各々に応じた本来の行動や表現の為の知性が絶えず与えられており、それを受け入れ享受しさえすれば、楽しい本来の人生が待っている筈です。その贈り手を信じること、結局は自我だけではやって行けないことを早く気付く必要があるのです。古今東西の教えは全てこの一点において同じ要点を説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落118

118 As you can now see, man or his mind is in the process of creation, working towards a perfect manifestation by learning. And time is not involved, for there is no time in Eternity. So it then behoves us to study the various phases of creation that we may learn its reason for being. Then we will not judge our Creator, as we have in the past through lack of knowledge. For truthfully no man can judge his Creator or any of His creation. When man makes a thorough study of Life's purpose, understanding replaces judgment. For then man as the highest expression, becomes one with his Creator. And his intelligence is in line with the Creator's intelligence.
118 今やおわかりのように、人、すなわち人の心は学習を通じて完全なる創造の現出に向かって努力している創造の過程にあります。そして時間は関係ありません、永遠には時間が無いからです。ですから私達がその存在の理由を学ぶことが出来るよう、様々な創造の段階を学ぶことは私達にとっての義務なのです。そうすれば、かつては知識の不足から行って来ましたが、私達は私達の創造主を裁くことはしなくなるでしょう。何故なら、本当に人は自分の神や神の如何なる創造物をも裁くことは出来ないのです。人が生命の目的を徹底して研究する時、理解が裁きに置き換わります。そうなれば、人は最高位の表現者としてその創造主と一体になるのです。そしてその知性は創造主の知性と一致します。



【解説】
 よく"若気の至り"という表現を用いますが、私達はその人生において学習の課程にあることは確かです。そして生涯の終末を迎えた時、自身で何か本質的なこと、本講座で学びつつある領域の事柄について理解出来、創造主の意図が多少とも実感出来ていれば、今人生は大成功ということになるのではないでしょうか。
 もちろん、各自の歩む人生は人それぞれでありますが、最も身近な存在である家族や友人に対し、その生涯を手本として見せることが出来れば、役割の一つを果たすことが出来たと言えるように思います。たとえ高齢になっても毎日、何かに向かって努力をすればそれは少しずつでも積み重なって人生を豊かにして呉れるものと思われます。また、自然の美しさや精妙さに気付くことも多くなることでしょう。
 従って、もし私達が進歩の道を歩んでいれば、必ず目的地にも到達出来るでしょうし、過去、即ちこれまでの自分に比べて向上させることが出来ている筈です。芸術家と同様、習作を積み重ねた上でやがてその代表作が生まれる程の技量の段階に至るのと同様です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落117

117 Instead of gathering all form life into the sea of consciousness we have divided and separated, and this is why we cannot see God's life manifesting through us and all form life, as our space brothers do. For when they look upon a form, be it of man or any other expression, they do not see just the form, they see the consciousness that supports the form. This is seeing the Creator expressing through the form when the THY WILL and not the mind will is done. Their world and all life on it are conscious manifestations of the Creator, and are so honored.
117 すべての形有る生命を意識の海の中に集めることをしない代わりに、私達はそれらを分割し分離して来ました。これが私達の宇宙兄弟達がしているように私達が私達やすべての形有る生命を通じて神の命を見ることができない理由です。何故なら、彼等が形有るものを見る時、それが人間であれ、他のどのような表現物であれ、彼等は単に形だけを見ることはなく、彼等はその形有るものを支えている意識を見るのです。これが心の意志でなく「汝の意志」が行われている時、形あるものを通じて創造主を見ているということです。それらの世界とそれの上に成り立つすべての生命は創造主の意識の現出であり、そのように栄誉を受けているのです。



【解説】
 何も植物や動物を調べるのに、分類したり種を特定したりする研究をすべきでないとする訳ではありません。問題としているのは、私達の日常の在り方が外形のみを見て、それらを区別し仕分けする一方、それらの内部に存在する共通した生命力を見ようとしない点にあるのです。外見や形だけがそのものの価値だと見做している点が問題なのです。
 しかし、それでは真の一体感は生まれません。同じ情景を見ても、感動する人と何らの興味を持てない人が居ることも確かです。その原因は何処にあるかと言えば、一人はその形あるものの中に自分と同じ生命が宿っていることを知覚でき、またその情景の中にそれらが調和交流して生命を躍動させていることに気付くことが出来るからでしょう。
 同じ世の中に生活している私達は、本項で著者が説くように、宇宙兄弟達のものの見方をいち早く身に付けてせっかくの美しい世界を享受し、創造主に感謝すべきです。「もったいない」という言葉が日本語にはありますが、日々の生活に意識からの働きかけを取り入れないことこそ、その最たるものと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落116

116 And we have become lost in our own mis-creations by separating ourselves from our consciousness which is of the Creator. We have become intellectual giants, but moral morons from a conscious point of view.
116 そして私達は創造主である私達の意識から自分自身を分離することによって私達自身が造り出した誤った創造の諸物の中で迷子になってしまっているのです。私達は知的には巨人になっていますが、意識の観点からは倫理上、低能に成り下がっています。



【解説】
 私達は本来のあるべき姿、即ち自らの内部に宿る意識が黙していることを良いことに、長年、自我の心を増長させ、自分の都合の良い言い訳を作り上げて生活して来ました。その結果、私達は創造主を裁き、倫理に劣るが知識の上では巨大化したイビツな存在になってしまいました。
 他の生きものたちは、知識や知性は劣りますが、意識に従うという点では人間よりはるかに優れています。その結果、大自然はかくも調和した美しさを保ちますし、私達人間もそれらの静かで調和した世界に憧れるものとなっています。
 一方、知の巨人となった人間の世界はどうでしょうか。世の中の経済の動きをコンピュータが自動で収集し、株の売買を自動的に行って利益を得る等、AI(人工知能)を金儲けに活用することも行われ始める等、他人を出し抜く競争社会、他人を利用する風潮は社会を悪化させています。
 これに対し多くの教師、先人が本来の人間のあるべき姿を説いて来ました。その教えが自身の中にある意識の声に耳を傾け、それに従えということです。自分のこれまでの経験や知識等はどうでもよく、自らに与えられる意識の声、即ち印象をはるかに大切なものとして受け止め、それらを表現し、実現することだということでしょう。今読んでいる「釈尊の生涯」(中村元、平凡社)の中に、釈尊が説く教えを聞いた者が直ちに、悟りを得たという記述が多くあります。本当に真理を得た者と接し、お話を伺うことで、長年の曇りがたちどころに覚めるということでしょう。その背景には、私達自身の内側に、既に十分な備えがある為、それに気付くきっかけが必要なだけだという訳です。同乗記における他惑星の長老との会見がそのような事情を示唆しているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落115

115 So it is with the law of the Cosmos. Positive Thinking, that you may have heard about, has hurt more people than it did good. God's purpose cannot be divided and give good results. Nor can one judge His laws and omit parts of them, be it through lack of understanding or egotistical aggression, which has been done through the ages. People judge the Creator's creation without knowing the reason for each part. And in this way they have been judging the Creator and exalting the ego mind above His Intelligence.
115 ですから、それは宇宙の法則についても言えることです。陽的思考は、貴方が聞いたことがあるかも知れませんが、それが為す良い事以上に多くの人々を傷つけて来ました。神の目的は二分されて良い結果をもたらすことは出来ません。人は理解力の不足に由来するにせよエゴの侵略行動に由来するにせよ、神の諸法則を裁いてその一部を除くことをしてはならないのですが、それを長年行って来ました。人々は創造主の創造物を各々の部分の存在理由等を知らないまま、裁いて来ました。そしてこのようにして、人々は創造主を裁き、自らの自我の心を創造主の知性の上位に置き増長させて来ているのです。



【解説】
 まさに本項は今日世の中で起こっていることを警告している所でもあります。断定的な考え方で世の中全てを断じることは、多くの人達を傷つけるということは、現在米国等で起こっていることでもあります。一部の真理を盾に全てをその考えで押し通すことは危険です。その断じることの中にエゴの裁きが入り込んでいるからです。もちろん過去の人類の歴史が民衆の支持によって上り詰めた独裁者が引き起こした惨状を記憶している筈です。
 そういう意味で"Positive Thinking"(断定的、陽的、積極的な考え)の中には、私達の想定を超える危険性もはらんでいるのです。戦意高揚し国民を戦場に送り出す初期の頃は組織的な作戦で人々を盲目にさせて来たということでしょう。
 一方、私達の目指すべきは、もっと静かで精妙な世界です。最も肝心な存在である”意識”は普段、誰からも気付かれないまま、私達の肉体を支えています。その宇宙普遍の存在こそ、私達が本来求めてやまないものです。そういう意味では仏教も真理を悟ること、その法則(ダルマ)に寄り添うことを目指しており、個人の死などを頓着しない冷静、科学的な立場にあるように思いますし、本項で言う断定的な態度とは対極を成す立場のように思われます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落114

114 And remember you cannot have a manifestation or good results if you do not use both sides of the law. The objective and the subjective, or the negative and positive - male and female. You cannot use one and exclude the other and expect good results. Let us go back to electricity for an example. Electricity is one power consisting of two phases, negative and positive. One phase cannot be used in the absence of the other and give useful power. But when they are combined and balanced the manifestation is perfect.
114 ここで覚えていて欲しいのは貴方は法則の両面を用いなければ、創造の現れや良い成果は得られないということです。主観と客観、積極性と消極性、男性と女性がそれです。一方を用いて他方を排除しては良い結果は望めません。一例として電気について振り返ってみましょう。電気は2つの側面、マイナスとプラスからなる一つの力です。他方無しで片方を用い、有益な電力を得ることはできません。しかし、それらが統合されバランスがとられた時、そのもたらす創造の現れは完全になります。


【解説】
 ”プラスとマイナス”、”陰と陽”等、現象に潜在する2つの対極要素を私達は観て来た訳ですが、本項ではそれらの一方を良しとして他方を排除してはいけないと諭しています。とかく私達はあらゆるものを裁きがちであり、”善悪”、”良否”の区別を付けて、自らが良しとした方向のみに目が行きがちな点を戒めています。
 私達はこれらの2極の要素を共に受入全体の理解の上に物事を進めて行くことの重要性を指摘しているのです。電気はその好例でしょう。プラスとマイナスの両者があってはじめて具体的な作用、働きが起こせる訳です。
 古来より陰陽の2要素を自然界の働きに観た多くの先人が居た訳ですが、それら2要素の調和、融合の中に真に創造的世界が広がっているということを本項は説いているのかと思います。”生と死”、”昼と夜”、”寒と暖”もそれぞれ一方が良く、他方が悪い、更には両者が良くないとする分別ではなく、両要素があってはじめてこの世界が成立していることの意味をかみしめて、その両者を活かしながら生きて行く必要があるのです。重要なことは決してこれら2極を中和して真ん中に静止するよう著者が求めているのではないことに注意する必要があります。自身の中に、これらプラスとマイナスからなる”波動”そのものを受け入れることかと思っています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落113

113 Also notice that we did not forbid you to live a normal life. All that is asked of you is - live a conscious life and not a mental one. And do, and use, all things in moderation. That is all that is necessary to fulfill the purpose of life. This is how our space brothers have grown in knowledge and live a heavenly way of life.
113 また、私達が貴方に普通の生活を送ることを禁じていなかったことにも注意して下さい。貴方に求められていることの全ては、心による生活でなく、意識による生活を送ることです。そして全ての物事を適度に行い、また用いなさいということです。それが生命の目的を成就する上で必要なことの全てです。この方法によって私達の宇宙兄弟達が知識において成長でき、今、天上の生活を送っているのです。



【解説】
 私達各人は、自らの毎日の生活、言わば精神生活をどのように送るべきか、本項は分かりやすい言葉で解説しています。つまりは全てを意識中心の生活に改めることを第一とし、その他については特段の戒律を設ける等のことは必要なく、あらゆることを適度に行ってよいのだとも説いています。
 やはり一番大切にすべきは”意識”を最重視するということでしょう。”意識”は自ら主張することはありませんし、心とは異なり騒ぎ
立てることもありません。常に沈黙している存在と言えるかも知れません。その為、何も分からない私達が”意識”に気付く為には、あらゆる場面でこの意識を思い起こして交流の糸口を探す努力が必要となるのです。そうする中でやがては門は開かれ、私達も”意識”の知性と交流できる存在、”意識”からの印象を感受出来る存在になれるということでしょう。
 本文では必要なことはこれだけだと明言されています。自身の内側にある真の自己、”意識体”と一体になることで、私達は日常生活の中でも宇宙的に覚醒した存在に進化出来るのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落112

112 The thing that we ask you to do is - become aware of your real self, the eternal part of God, or The Creator. Let your mind become conscious of consciousness as your guide in everything that you do. Then the admonition "Man know thyself and you shall know all things," will be your reward. But the mind must learn to trust the consciousness at all times.
112 私達が貴方に実行して欲しいとお願いしたいことは、貴方の真実の自我、神の永遠なる部分、創造主に気付くようにすることです。貴方の心を貴方が為す全てにおけるガイドとして意識を意識するようにさせて下さい。そうすれば、訓戒「汝自身を知れ、そうすれば全てを知るだろう」を褒美として受け取ることになります。しかしその為には、心は意識を如何なる時も信頼することを学ばなければなりません。



【解説】
 前項(111)に続く解説文になりますが、私達の内側にある本項で言う「真実の自我」について、如何に気付くかが最大の課題と言えます。これまで著者はそれを”意識”と表現して来た訳ですが、この無言の知性とどのように向き合うかを避けては、私達の進化は望めないのです。
 しかし、その存在は私達の心自体が謙虚になって、自分以外にも自身の中に知性が存在すること、更には私達の心はその存在から教示を受けるべき立場であることを自覚するようになってはじめて感知されるものなのです。
 永らく私達はこの一点の真理を外部に求め、様々な所を巡って来ましたが、本来は日常の生活の中で自分の中にあるその存在と親しみ、教示としての想念・印象を受ける歓びを味わうべきなのです。
 自身の中に全てがあり、創造主を戴くミニチュアの神社のような存在が私達各人だということかも知れません。イエスも「生ける神の宮」と表現していたこととも通じるものがあります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落111

111 We are now in the third lesson and I have not asked any one to concentrate or meditate, as taught in other fields. If anything, these ancient methods have brought the unpleasant conditions that we today face in the world.
111 私達は今や第3課に入っており、私はこれまで誰一人にも他の分野で教えられているように精神集中や瞑想をするようにとは言って来ませんでした。むしろ、これら古代の手法は今日私達が世界で直面している不愉快な状況をもたらして来たのです。



【解説】
 仏陀が悟りを開く前、それまで多くの苦行者を訪ね、自らも苦行を続けた末にそれらの修行方法の限界を感じて肉体を苦しめる方法を捨てました。そして、少女スジャータからの乳粥の施しを得て肉体を養い、菩提樹の下で黙想の後、やがて覚醒に至ったというお話は有名です。
 本項も同様な基調をもって著者アダムスキー氏はこれまでの私達に教示されてきた瞑想等の修行は覚醒をもたらすどころか、問題を引き起こしていると指摘しています。
 実はそれほど”意識”というものは実際、私達に近いところにありながら、私達自身、気づきにくい存在だということかと思います。それを気付く為に極度に集中したり緊張したりするのは逆効果なのかも知れません。丁度、前々項(109)の述べられているように赤ん坊の状況は100%、意識が全面に出て赤ん坊の生存を助けているのですが、赤ん坊自身は安心してその指導に従っており、その穏やかな肉体の状況こそが意識に通じることになるものを思っています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落110

110 This shows that consciousness knows no fear - for it is the possessor of all knowledge. The mind does not have the knowledge and lives in fear. And as a result it has promoted all kinds of mysteries in relationship to life and its continuance.
110 このことは、意識は如何なる恐怖も知らないことを示しています。何故ならそれはすべての知識の持ち主であるからです。一方、心はその知識を持ちませんし、恐怖の中に生きているのです。そしてその結果、心は生命とその存続に関連してあらゆる種類の神秘を助長させて来ているのです。



【解説】
 前項の赤ん坊の誕生の時のように、生まれたばかりの人間の心は何も無い所からスタートするという訳です。一方、”意識”の方は最初から全てを知っています。成長著しい赤ん坊の身体づくりをどのように進めたら良いか等々、赤ん坊が呼吸を開始し母体から独立した生命体として機能し始めた瞬間から、ものすごい速さで各細胞に必要なそれぞれの指令を出しているということでしょう。穏やかに眠る赤ん坊の身体の中では、活発な生命活動が進んでいるのです。
 このことから考えれば、真実の宇宙生命の活動は、実は外見上は大変穏やかなものであり、それに従う私達の肉体も緊張やストレスを感じるものは全く無く、大変スムーズで落ち着いているものだと思われます。
 一方、これに対し私達の心は、時々の痛い体験から経験則を学びますが、それらが起こった前後の状況を理解しないまま結果だけを掴む為、自分が理解できない”神秘”として探究することなく棚上げすることが多くなるのだと本項で著者は注意しています。今日的に表現すれば、”超能力”その他、自分が理解出来ていない要素をミステリーと片付けて終わりにする傾向を指摘しているのです。
 この生命の科学講座は、これらミステリーを一つ一つ解き明かして、全容を理解する学習講座としての大きな意味を持っていると著者は私達に説いています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落109

109 The Breath Of Life is proof of that, and it is given freely to all forms of life. For was not the first clay form of man activated into life by THE BREATH OF LIFE, breathed into its nostrils by the Creator? And it became a living soul, or a conscious being. A new born child is slapped on the buttocks and made to take the first breath, or it would not be alive. And notice here, the mind is only partially active, yet the baby is consciously alive. We know that a young mind knows no fear until fear is imposed upon it. Or until it begins to act with the mind and gets hurt, then fear takes over.
109 生命の呼吸はその証しですし、それは生命のすべての形有るものに無償で与えられています。人間に形取られた最初の粘土が創造主によって鼻から息を吹き込まれ、生命の呼吸によって生けるものになったのではありませんか。そしてそれは生ける魂、意識ある存在になったのです。生まれたばかりの赤ん坊がおしりを叩かれて、最初の呼吸をさせられますが、そうしなかったら、生けるものとはならないでしょう。そして、ここで注意して欲しいのは、赤ん坊の心は一部しか生きていませんが、赤ん坊は意識的には生きているのです。若い心は恐怖が押し付けられない限り、恐怖を知らないことを私達には分っています。あるいは赤ん坊が心といっしょに行動し、痛みを得るとその時から恐怖が支配するようになるのです。



【解説】
 先日あるテレビ番組でアフリカで独り活躍する日本人医師の姿が紹介されていました。その中に難産の末、羊水を大量に吸い込んでいた赤ん坊から羊水を吐き出させ、最初の呼吸が始まるまでの医師の措置が放映されていました。呼吸を始めなければ命が無い緊迫した状況です。
 やがて赤ん坊は泣き声を上げると同時に自ら呼吸を始めるようになり、周囲の者を安堵させたという訳です。これは人間の誕生の場合ですが、人の死の時は呼吸が止み、そして心臓が止まるという中で肉体が死を迎える訳です。
 このように私達は昼夜を問わず呼吸していることが生きて居ることの証でもあるのです。しかもその呼吸する空気はあらゆる生きものにとって共通のものということもポイントとすべきでしょう。
 古来からもこの呼吸についての重要性は多くの呼吸法があることからも分かるように、広く着目されたところです。私達は生命代謝の基本という呼吸作用の中に更に深遠な意義を探究し、知覚するよう注意を払う必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落108

108 Perhaps you feel that I use the word consciousness a great deal and place emphasis on it. And you may wonder, why? It is because the consciousness has been neglected through the ages while the mind has been exalted. And did Jesus not say that we are the Temples of the Living God? It could be said in this way, know yea not that yea are the embodiment of the living consciousness?
108 おそらく、貴方は私が意識という言葉を大変多く使用し、それに力点を置いているとお思いになるでしょう。そして何故だと思うかも知れません。それは何世代にわたり心が増長して来た一方で、意識は無視されて来たからなのです。そしてイエスは私達は生ける神の社であると言わなかったでしょうか? それはまたこのように言うことが出来ます。貴方は自分が生ける意識を体現したものであることを知らないのかと。



【解説】
 ある意味、この生命の科学をはじめとするアダムスキー哲学を理解する上で、カギとなるのがこの”意識”という概念でしょう。これまで私達は様々な知識を作り出し、文字や記号で表すことで他者に伝えて来ました。これら知識を蓄えることで科学を発展させ、技術を伸ばして来ました。また心に湧き起こる想念や印象の存在も多少は理解できたものと思われます。
 しかし、実は肝心の”意識”についてはほとんど考えもしていないのです。”意識”は自身の存在を心に強いることなく常に無言であるからです。この無言・沈黙の中に英知が溢れんばかりに宿っており、あらゆる生命体を無言のまま育んでいるという訳です。
 この意識の存在に気付くことが”悟り”であり、覚醒とされて来たように思われます。私達はこの覚醒された先達のその後の生き方から、意識を自覚することが如何に価値あることかを知ることが出来ます。
 人の一生の時間は長いように見えても短いものです。とりわけこの分野の理解は重要にも拘わらず、私達はあまりに忙しく日々を送るあまり、気付こうとする努力が足りません。私達各人はイエスの頃から説かれている私達が最も頼りとすべき”意識”の存在を探求しなければなりません。


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