生命の科学 第2課

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落061

061 Many people have asked me why I did not ask this or that, trifling things in most cases, but had I done so I would not have the knowledge that I have today. Jesus said, lest you become as a little child you cannot enter the Kingdom of Heaven. Which is the kingdom of cause. And the Bible states that there is nothing hidden that shall not be revealed in time.
061 多くの人々が私にあれこれといった多くの場合、つまらぬことを尋ねなかったのかと聞いてきますが、もし私がそうしていたら、私が今日得ている知識を得ることはなかったでしょう。イエスは言っています、幼子のようにならない限り、天の王国に入ることは出来ないと。それは因の王国でもあります。そして聖書はやがて明らかにならないものは何も無いと述べています。



【解説】
 そもそも何を学び探究すべきかということでしょう。仏教ではひたすら"悟り"という心境を求めることから始めるように思います。"悟り"とは自らの心に残響として残る雑念や執着を取り除いた先にある理想的な心の状態を指すものと思いますが、その心境、即ち本講座の言葉で言えば、実際に"因"の存在を身近に感じ、無音の中から想念・印象が次々に湧き出して本人を導くという"意識と一体化する"ことは相通じるものがあると思っています。
 しかし、そのような心境は心自体が発する意見や興味本位を追求したのでは到達できません。私達は心を空(クウ、カラ、empty)にして、与えられる印象を素直に受容する姿勢を第一にしなければなりません。
 私達は"因"というこれまで学んで来なかった新分野に対しては、先ず基本的な心構えや注意点を十分身に付けた上で取り組むべきで、当初は成果が挙がらず年月が掛かるように思うことがあっても、軌道に乗れば、その後はみるみる成果が挙がると説かれています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落060

060 The consciousness is a cosmic teacher and unless the student does as I have done in this case, he shall have nothing but confusion in the end.
060 意識こそは宇宙的教師であり、学習者は私がこの事例で行ったようにしない限り、最終的に混乱以外の何物も得ることはないでしょう。



【解説】
 私達が目指す、アダムスキー氏が説く最大のテーマである”意識”に対する基本的な姿勢は、前項まで述べられてきた”教師”に対する”生徒”の姿勢にあると本項は明示しています。
 つまりは”意識”から与えられる内容(印象)を素直に受け入れることから始まる訳で、一つ一つを味わい、自分の体験・記憶とした上で、改めてそれらの知見の関連性を考察するということでしょう。もちろん所定の位置にはめ込むことが出来れば、最後には全体像が見渡せるジグゾーパズルのようなものということでしょう。
 重要なのはたとえ断片的、即ち単発的であっても”意識”とつながったわずかな経路からやって来た印象も大切に受け止め、そこから何を学び、身に付けるかにあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落059

059 In later contacts when I was given the privilege of asking questions, I did. But in each case I had to wait for that privilege to not interfere with what was being given. Many things did not fit into my way of life at the time but I was patient and trusted the ones who were giving me the knowledge. At first it was like a puzzle but at the end when all parts were put together the picture was clear. Had I been impatient and interrupted the individuals who were giving me the information I would have lost the precious jewels and had nothing but confusion. As I became as a child to the instructor, I was given many privileges and I am now living in the Cosmic Kingdom instead of the world that l did before.
059 その後の会見で私が質問の特権を与えられた時、私は質問しました。しかし、どの場合でも私は与えられている事柄を邪魔しないようその特権を待たなくてはなりませんでした。多くのことが当時の私の生活の仕方に合いませんでしたが、私は忍耐強くまた、その知識を授けてくれる人々を信頼しました。最初、それはパズルのようでしたが、ついに全ての部品が繋ぎあわされた時、その絵は明確なものでした。もし、私がせっかちで、その情報を授けてくれる個個人を遮ってしまったら、私は貴重な宝石を失い、また混乱以外何物も得なかったことでしょう。私は教師に対して子供のようになることで、私は多くの恩典を与えられ、今や私はそれまでの世界に代わって宇宙的王国に住んでいます。


【解説】
 本項では「学ぶ」際のとるべき基本的な心構えについて、著者自身の体験という形をとって私達に解説しています。
 実際、このような事例のように私達自身が他惑星の宇宙船に招かれることはあまり考えにくいのですが、この著者自身の体験を語る中で、著者は私達が"因"に対して指導を仰ぐ際の心構えを説いているように思います。また、人生における師となる者とその弟子との関係も同様です。
 私達は程度の差はあっても、他者に教える、或いは他者から学ぶ機会は多いものです。そのいずれの立場に立つ場合でも、師弟の関係はかくあるべきという訳です。従って特に私達は師となる際には、その教えを受け取る人達を心底受け止め心血を注いで育むことが必要ですし、その弟子にあっては師を信頼して伝えられる内容の真価を味わい、その意義を深めるなど教えに共鳴することを第一としなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落058

058 The mind, in order to learn from the consciousness must humble itself to get each point in a clear manner. For this instruction comes only by impressions. Whether observing an object or listening to sounds, impressions will be given independent of the mind. Consciousness is not governed by habits like the mind is. i.e. When I made the first contact with a space person my mind wanted to know many things, especially things that conformed with my habitual life. I had to control my mind and remain silent so that I could receive all that he wished to impress upon my mind. Had I speculated on what was to be given, I would have missed the significants of the meeting.
058 心は意識から学ぶには各々の要点を明瞭に理解する為、自らを謙虚にしなければなりません。何故なら、この教えは印象によってのみもたらされるからです。ある物体を観察する際や音に耳を傾ける際に、印象は心とは無関係にやって来ます。意識は心のように習慣に支配されておりません。ですから、私が最初に宇宙人と会った時、私の心は多くの事柄、特に私の生活習慣に合った事柄を知りたがっておりました。私は自分の心を抑制し、相手が私の心に印象付けたいと思っていたこと全てを受け入れる為に沈黙を続けたのです。もし私に何を与えられるのか考え巡らせていたら、私はその会見の重要ポイントを見失っていたことでしょう。


【解説】
 重要なことは常に受容的な心境を持ち、授けられる印象に対して鋭敏さを保つことだと思います。結局答えはいつもインスピレーション即ち、想念・印象という瞬時のパルスで贈られて来ますので、それを正確に受信する為には心自体を空(Empty)にして置く必要があるのです。まさに"心貧しい状態"という訳です。
 その為には沈黙が必要で、心の中を自らの想念が満たしているようでは他の印象が入り込む余地はないのです。また、とかく私達は興味本位の関心から様々な情報を求めがちですが、私達にとって必要なことは、先ずは"因"との関係における基本的な理解であり、"因"と"結果"との関連性を理解すること、納得できる体験を得ることです。その為には枝葉末節的な知識への要求は脇に置いて、基本的な事柄について理解を深めることを優先させなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落057

057 A child in a classroom is a good example. A good student follows the instructions of the teacher without having any opinions of his own during the time that the lessons are being given. After this he tests the information given to see if it is correct and where it fits into his own life. While another student will speculate on what a teacher is going to say, thereby he is ahead of what is being said. And he misses important points and has no clear knowledge of the subject. The first student profits from the instructions. The second one does not. In the case of the attentive student he humbled his mind to listen, but the second one became aggressive and lost the valuable points.
057 教室にいる子供が良い例です。良い生徒は教科が教えられている間は如何なる自分の意見を持つことなく、教師の教えに従います。その後、生徒はその与えられた情報が正しいか、そして自分の生活の何処に当てはまるかを知る為、確かめます。一方、もう一人の生徒は先生が何を話そうとしているかについて思いを巡らし、話されていることの先に行っています。彼は重要な要点を見逃し、本題に関する明瞭な知識を得ることがありません。最初の生徒は教えから利益を得ましたが、次ぎの生徒は得られません。傾聴した生徒の場合は、自分の心を謙虚にして聞こうとしたのですが、次ぎの生徒は攻撃的になり、価値ある要点を失ったのです。



【解説】
 この目に見えない私達の指導者に対して、どのように対処したらよいか、本項は学校の授業を例に私達に説いています。
 何かを教えてもらう場合、教師を信頼することが第一であり、先ずは教師の伝えることを受け入れる姿勢が重要です。次々に教えられる事柄に対して、疑念を持つ態度は心自体がその疑念に対する思考が回転し、手一杯になってしまう為、それ以降の教師の話が耳に入りません。その結果、教師が伝えたかった主旨がその生徒には十分伝わらないことになります。
 私達はこれから探究しようとする"因"に対しては常に生徒であることを忘れてななりません。教師である"因"から想念・印象によって教えが授けられる際には、私達は謹んでその印象を拝受し、自らの生活全般に活用すべきな訳です。
 これは実は容易なことではなく、自分自身を因に対して常に謙虚に保ち、信頼する態度が必要です。教室において生徒が教師を信頼することに似ています。また教師の方も理解している生徒か否かということは良く分かるものです。"創造主から愛される"という表現がありますが、それも本事例における教室で素直に学習に取り組む生徒を指すものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落056

056 DISCIPLINE OF THE SENSES
 How is one to discipline the senses? The sense of sight which guides itself by effects, as it is an effect of consciousness, seldom takes the time to study the cause back of what it sees. And by now if you have learned the first lesson well, there should be a desire to know the purpose for which each form has been created. And this can be revealed to the mind when an effect is viewed with the second sight, so to speak, or with the sight of consciousness. And as stated before single sighted.
056 諸感覚の鍛錬
 諸感覚を鍛錬することとはどのようなことを言うのでしょう? 結果によって自身を導く視覚は、意識の結果の一つであるため、めったに自分が見るものの背後の因をじっくり学ぼうとはしません。そしてこれまで、もしあなたが第1課をよく学んでいたら、個々の形有るものが創造された目的を知りたいという願いが湧き起るはずです。そして、これが結果がいわゆる第二の視覚、言い換えれば意識の視覚で見られる時、心に明らかにされるのです。こうしてこれまで述べたように一つの視覚になるのです。



【解説】
 大事なのは日常の私達の感覚が如何に目に見えない因の存在に関心を持ち、因を知ろうとするかにあります。あらゆる事例の真の解決策は従来の私達自身の心の思考などでは得られる筈もありません。新しい発見は常にその因から来る無言の印象から与えられる訳で、それら想念・印象に気付くようにならなければ、問題解決は難しいと言えるのです。
 この場合、重要と思われる点は、身の回りのあらゆる存在物に対して、その由来や背景、創造された目的等、今日までの長い年月の中での歩みやそのものの果たして来た機能を知ろうとする気持ちであり、感覚を鍛錬する必要があると本項は説いています。
 先ずは物事への関心からということでしょう。観察が大事という真の意味でもあります。仏典では"観世音"とか"観音"という言葉がありますが、世の中を見る時、想念・印象の波である目には見えない"音"を"観る"とは言い得た表現ではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落055

055 If a family is to be happy, each individual of the family must respect each other member as he would like to be respected. And each must have trust and faith in the parents that are the guiding hands. And so it is with the senses - they are the family that make up the household of a man. And they must be taught respect, trust and faith in each other. And above all, for the parent which in the consciousness. It will not be easy to rehabilitate the senses due to the many habits that they have cultivated. But this must be done if we are to have a heavenly type of life. There is no other way except through learning and understanding the reason for life.
055 もし家庭が幸せになろうとするならば、その家族の各員が自分がそうされたいように互いを尊敬ししなければなりません。そして各々が導き手である両親に信頼と確信を抱かなければなりません。そしてそれは諸感覚についても言えることです。それらは人間という家庭を作り上げている家族なのです。そしてそれらは互いに尊重し、信用し、信頼することを教えられねばなりません。その中でも両親である意識に対しては特にです。それらが養った多くの習慣の為、諸感覚を矯正するのは容易ではないでしょう。しかし、私達が天国のような生活を得ようとするなら、この作業は成されなければなりません。生命の存在理由を学び、理解することを通じて以外に他の道は無いのです。


【解説】
 心を鎮め、気持ちを整えるとはどのようなことかについて本項は説いています。
 私達の心は過去の体験でしか判断出来ませんが、因からの印象は絶えず私達に新しい概念のヒントを与え続け、私達を導いて呉れています。いわばその贈り主であり、私達を子供のように見守って呉れる存在への信頼なくしては私達は前進出来ません。そこにFaith(信仰、信頼)が重要となる訳です。
 もちろん私達の心は暴走を戒めなければならないのですが、単に問題があるとするのではなく、互いに尊重する姿勢こそが大事だと説かれています。感覚こそ元来、私達に授けられた道具や窓であり、それらを本来の姿に戻すだけで良い訳です。
 これらの事柄は毎日、自分で一つ一つ確かめること、一日の心構えを決めて実践し、その得た結果から宇宙普遍の原理・法則として納得・確認することが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落054

054 Unless the sense mind disciplines itself and allows the consciousness to govern it, it will continue as it has in the past.
054 感覚心が自身を鍛練し、意識に心の支配を任せるようにしない限り、その状態は過去と同様、引続くことでしょう。



【解説】
 心を柔軟でオープンな状況に保って、因から時に授けられる印象をしっかり受け止め活用することが大切な所です。その前提となるのは私達自身が自分を向上させようと思うことであり、至らない自分自身を何とかしたいと思うことです。
 これまでの体験からも先ずは自らの気持ちを鎮めて、問題の回答を宇宙的拡がりを持つ空間、因の領域に求める心境、落ち着いた中でも答えを求める謙虚さが重要だと考えます。いわばそのような心境はアンテナを因の世界にまで拡張するようなものです。
 外から見ると本人はガムシャラに努力せず、他力本願のように映るかも知れませんが、心主導でなく、目に見えず耳に聞こえない意識の指導に従うことの方が遥かに重要であり、ゴールに近いのです。私達は所詮、生涯を通じて自分自身に向き合い、自分を改良して生きて行かなければなりません。その過程で自身の実状を直視し、少しずつでも改善する日々の精進が説かれています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落053

053 The pride of the sense mind may find the process painful, but the sense man must learn by experience. And to do this he must school the senses to respect one another. For as it is now they have no respect and as a result a person has no respect for his being. Thereby he has no respect for others, except those who please one or another sense.
053 感覚心のプライドはその過程に苦痛を見い出すかも知れませんが、感覚人は経験によって学ばなければなりません。そしてこれを成すには、各感覚を互いに尊敬しあうよう訓練しなければなりません。何故なら、現在そうであるように、それらには尊敬感が無く、その結果、人は自分の存在に尊敬感を持っていないからです。それ故に、人はいずれかの感覚を喜ばせるもの以外に他に対して尊敬感が無いのです。



【解説】
 私達が抱える多くの問題を突き詰めて行くとプライド(面子)に行き着きます。その要因は本項で説かれているように、そもそも私達の感覚自体が各々他を尊重しないことにあるという訳です。自分の判断(裁き)は当然誰もが認めるべきだという主張です。
 本来は、よく"傾聴"という表現がされるように先ずは他の者の説明を聞く姿勢が重要です。聞く耳を持たない態度は思考の柔軟性に欠け、問題解決を妨げます。その姿勢を先ずは自らの心の中から実践せよと著者は説いているのです。自らの四感覚を相互に信頼させ、一体となって機能するようにすることから始めるということです。
 しかし生じてしまった問題を解決するには、その真の原因に直面する勇気、たとえ自我(エゴ)がそれまでのプライドを失うことを恐れて尻込みしても、是正に向けた行動を執らない限り前進はありません。"聞くは一時の恥"と言われる通りです。基本は心身をいつでも柔軟に保ち、いつでも必要な是正、修正を行える心構えが必要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落052

052 And oftimes the mind takes the stand of least resistance, a state of inertia, and does nothing. It tries to escape its responsibility instead of having the determination to learn by correction. It has been said that God helps those who help themselves. So the individual must do something in order to correct the undesired results and have the rewards hoped for.
052 そして、しばしば心は最小の抵抗、慣性状態をとり、何もしなくなります。心は修正によって学ぼうと決心する代わりにその責任を逃れようとします。しかし、神は自ら助ける者を助けると言われてきました。ですから、個人は不本意な結末を修正し、望んでいた報酬を得る為には何かを成さねばなりません。


【解説】
 本項は私達自身(エゴ)の特徴をよく表しています。多くの場合、私達は大きくなった問題に対して何ら直面し解決に努力することなく、放置した上に責任逃れに明け暮れるからです。
 一方でよく言われることは、問題を抱え込んだ場合、無理せず十分眠って一時期問題から離れよと説かれる場合があります。それは自我(エゴ)がその問題解決に耐えられない場合、神経症に陥ることを避ける為でもあるのです。本項で言うことと全く逆の対応ではありますが、それほどに私達の自我(エゴ)の取扱いは容易ではないという訳です。
 しかし、放置してもいつかはその問題に直面せざるを得ませんので、私達は少しずつでも解決に向けた行動をとる必要があります。また行動を始める中で、解決策が授けられるようになるとも説かれています。前課で学んだように石が転がり問題nぶつかる中で磨かれるように、実践行動こそがゴールに繋がるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落051

051 In time it must retract these opinions if it is to have a pleasant existence. All of the troubles in the world have been so created. And when they become too great, people decide to place them in The Hands of God, which is the All Inclusive Consciousness that created all things with a purpose. Each person will hope that this Great Intelligence will correct the situation. But when the correction is shown in many cases, it is not accepted for it is not understood by the mind which made the mistake in the first place.
051 もし快適な存在を得るのであれば、いずれはこれらの意見を引っ込めなければなりません。世の中のトラブルの全てはそのようにして造り上げられて来ました。そして、それらトラブルが大きくなりすぎると、人々はそれらを万物をひとつの目的で創造した全てを包括する神の御手に委ねることを決意します。各個人はこの偉大な知性が状況を修正してくれることを望むのです。しかし、多くの場合、修正法が示されても、その修正案は受け入れられません。最初に過ちを犯した心によって理解されないからです。



【解説】
 私達は駄々っ子のようなものだということでしょう。各々自分勝手な文句だけを言って過ごしている訳ですが、問題にぶつかると自らは何の解決策も持たない為、ただ騒ぎ回って最後には問題そのものを放棄するか、"神様"にお願いするしか方法が無い訳です。
 本来問題解決は事態が肥大化しない内に対処すべきであり、私達はその問題の発生段階、つまりは"原因段階"、即ち"想念段階"から是正を行うことが重要ではないかと考えます。既に学んで来たように、全ては想念・印象のレベルから物事は現実化に進行する訳で、その源となる想念・印象のレベルにおいて常に正常な状況を維持すること、より高次・深遠なるレベルに自らの心を保つことが重要です。
 また一方では自らの心の過ちについては、いち早く改めることが必要となります。各々の場合には本文に記載があるように、意識による是正のアドバイスが与えられますので、その印象を快く受け入れれば、事態は必ず良好な方向に進むことになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落050

050 Jesus said a double minded man is unsuitable in all of his ways. And it is double minded when one sense likes something and the other does not. So Jesus urged man to be single minded in all of his ways. In other words unite all four senses for the purpose of service and not judgment. And this can only be done by conscious guidance. For in consciousness there are no likes or dislikes, it understands the purpose for all manifestation but the mind does not. All manifestations are conceived in consciousness and born into the world of effects. Just as the mind was conceived in consciousness and born as an effect of that conception. This is why it is so easy for the mind to guide itself by effects. And not having the knowledge and the reason for all of the effects it passes judgment in either likes or dislikes.
050 イエスは二心ある者は全ての道において不向きだと言いました。そしてひとつの感覚がある物を好み、他の感覚が好まない時、二心となるのです。それゆえ、イエスは人に全ての道において心一つになるように求めたのです。言い換えれば、裁きではなく、奉仕の目的の為に4つの感覚を統合せよということです。そしてこれは意識の導きによってのみ為され得るのです。何故なら、意識の中では好きとか嫌いとかが無く、全ての創造物(注:manifestation)にとっての目的を理解していますが、心はそうではないからです。全ての創造物は意識の中ではらまれ、結果の世界に生まれて来ます。丁度、心が意識の中ではらまれ、その結果として生まれるのと同様です。これが心が自分を結果によって導くことをそのように容易になる理由です。そして心は結果物の全てについての知識や理由を知らないが故に、好き嫌いの判定を下しているのです。



【解説】
 私達自身もこれまでの経験から、やはり邪念を排除して誠実に事に当たる時に問題の解決策に辿りつくことを知っています。また、仕事の出来る者は集中して問題解決に当たりますし、これらは本項で説く内容とも一致しています。そこには心の迷いがありません。
 良い例が運動競技の例であり、記録を出すほどの競技者は皆、迷いの無い心境が不可欠であることをよく分かっているのではないかと思われます。先ずは自分自身を一つにしなければなりません。その方向は私達の存在意義に沿ったものであるべきです。
 私達自身が何処から来たのかについては本文では平易に記されています。実際、私達はもっと真剣にこのことについて考え直さなければいけないと思っています。そもそも自分が何を託されてこの世に生まれ来たのか、その創造主の御心を拝察することは、生命を与えられた者として最低限の義務であると思うからです。本文では"全ての創造物は意識の中ではらまれ、結果の世界に生まれて来ます"とあります。私達は結果の世界で迷う以前に、本来の意識の世界についてもっと関心を持ち、知ろうとすることが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落049

049 The most predominant individual is sight. The next predominant one is hearing. Then taste and smell. You may say here, what about touch? The touch could be called a nerve impulse reaction which is not a sense, but it gives a sense reaction to the mind. As each sense acts independent of the others, oftimes one will disagree with the others. i.e. The sight may perceive a beautiful flower but the aroma is very unpleasant to the sense of smell and it rejects it. So the unity of mind is already divided. The same is true with the other senses, for one may like something and another dislike it. And while this is taking place, as it has for ages, pain and an unpleasant existence is the result.
049 その内、最も支配的な者は視覚です。次ぎに支配的なのは聴覚です。次に味覚と嗅覚になります。あなたはここで、触覚についてはどうしたのかと言うかも知れません。触覚は感覚ではなく、一つの神経パルスの反応と呼ばれるようなものですが、心には感覚のような反応を起こさせるのです。各々の感覚が他と独立して行動する為に、時として一つの感覚が他と意見を相違することが起ります。即ち、視覚は美しい花を認識するでしょうが、その臭いが嗅覚にとっては大変不快であれば、嗅覚はそれを拒絶します。ですから、心の一体性は既に分断されているのです。他の感覚についても同様です。何故なら、ある感覚が何かを好ましく思っても、もう一方がそれを嫌うかも知れないからです。そしてこのことが起っている間、その結果として何世代にわたって、苦痛と不快が存在して来たのです。


【解説】
 既に多くの読者がご存知の通り、アダムスキー氏は一貫して4つの感覚についての問題を説いています。視覚、聴覚、味覚、嗅覚がそれであり、触覚は感覚的な反応は示すがそれは好き嫌いの意見を持つような感覚ではないとしています。
 私達は未だこの事柄の意義について十分に理解するものではありませんが、本文で言う視覚から嗅覚までの4感覚が独自に判断を行っていることは良く分かります。
 最も良く分かる事例は食べ物の例でしょう。口に含んで味に違和感があるものについては味覚が警告を発し、いち早く外に出すことを求めますし、近づけた際に異様な臭気を感知したものは食べ物として拒否する等はいずれも感覚の働きです。これらは実は私達自身を守る為に各々の感覚がチェック機能を果たしているということでもあります。同様な意味で視覚は外観の状況を知らせますし、聴覚も危険を察知して私達に警告する役割を担っています。
 実は本来はこのように私達自身を守る為、必要な情報を得る為の感覚であった訳ですが、長年私達自身がそれらに依存して来たこと、全ての情報はこれら感覚の判断結果のみを頼りにして来た為、4感覚は次第に増長し私達自身を支配するようになったものと思われます。
 しかし、これらの感覚からの情報は所詮、表層的なものであり、また各感覚の判断もまちまちで相互で異なることも多いのです。その結果、それらに依存している私達は時に混乱することになると本項は説いています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落048

048 In order to better understand the action of the mind, let us consider it in four parts, like four different people.
048 心の活動をより良く理解する為には、それを4つのパーツ、丁度、4名の異なる人のように考えることにしましょう。



【解説】
 本項に関連して思うことは現在のパソコンの最新ソフトWindows10の起動画面は、このことを象徴しているかのイメージを持っていることです。4つの窓から部屋に光が差し込んでいますが、それはそれぞれ4つの感覚器官を通じて心にもたらされる外界の情報であり、部屋の中にはそれに対応する感光板があるという設定です。
 この基本ソフトの開発者が本講座を知っているとは思われませんが、Windows(窓)という基本ソフトによって外界からの光(即ち情報)がもたらされるというイメージを表したかったものと思われます。
 私達はこの暗い部屋、即ち自らの心をより明瞭に、即ち明るくして部屋をもっと開かれたものにすると同時に、この限定された窓(既存の感覚器官)に限ることなく、より広く外界との繋がりを持てる想念・印象を自由に出入りさせることで実現することが必要です。
 イエスの時代から暗闇は私達の心を象徴するものでしたが、その中を照らす灯火(ともしび)や松明(たいまつ)に象徴される信仰は私達を導くものとされて来ました。私達がこれから取り組むべきは、この4つの窓(感覚)を本来の正常な状態に整えることであると本項は説いています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落047

047 Now we proceed to analyze the mind, which is made up of the senses. This sense mind is actually in the process of creation through its constant learning. It is like a sensitive plate which receives impressions from its observations of effects. And most of the time its conclusions are not in accord with natural law.
047 これからは、感覚から成り立っている心なるものを分析することにしましょう。この感覚の心は実際にはその絶えざる学習を通じて創造される過程にあります。それは結果の観察から印象を受ける感受性のある板のようなものです。そしてほとんどの場合、その出す結論は自然法則と調和していません。



【解説】
 この生命の科学講座が、これまでの宗教や哲学と大きく異なる点が本項に示されているように私達の心や意識、更には細胞、原子分子の本質的意義と役割、活動の実態等について具体的に解説している所にあります。平易な表現がされている為、何気なく読み進んでしまいますが、その説いていることは具体的であり、かつ深遠です。他惑星の文明から地球にもたらされたテキストとされる由縁も納得できるというものです。
 私達の当面の課題は自らの心をよく観察し、実態を把握することですが、その心についてのイメージが本項の主題です。心が印象を得る際の状況を感光板のようなものだと表現されています。デジカメの画像素子のように一瞬の光のパルスに対してもカメラは鮮明な画像を着像出来るように私達の心は想念・印象を感知するという訳です。
 問題はその画像素子は成長の過程にあり、感度も得られた印象の把握や解釈についても、拙い状況であり、学習を進めて行く状況にあるということです。つまりは日々、私達は自分の心の動きを見守って、それが正しい学習の途についていることを確認する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落046

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON TWO
The Mind and Its Component
By GEORGE ADAMSKI

046 In lesson number one we left you with the idea of driving a car in full conscious awareness of all of its parts.

生命の科学-学習コース
第2課
心とその構成要素
ジョージ アダムスキー 著

046 第1課ではすべての部品を完全に意識しながら自動車を運転しているという概念で話しを終えました。


【解説】
 前項では理想的な姿として運転者からは目に見えない自動車内部の様々なメカニズム(機構)を完璧に意識しながら車を運転する状況が説かれていました。車を運転する上ではもちろん前方をよく見て自分の車の進む方向を確認したり、ハンドルやレバーを操作したりするという従来通りの操作は必要です。その上で車内部の様々な機構について熟知していることが理想と言えるでしょう。
 この場合、車が私達の肉体であり、運転者は私達の心、そして肉体内部の精妙な機構が因なる意識という訳です。その3者が一体となって運用されて初めて本来の目的が円滑に達成されることになります。
 私達は不安定な状況の運転者が何ら車内部の状況に無頓着のまま乱暴な運転を続けている問題に先ずは気付く必要があります。本来はもっと長期間活躍できる筈の高級車が私達には与えられていますし、それをいたわりながら末永くその恩恵を享受することが求められているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落092

092 Until now, man has been doing everything the hard way with his mind. And has created mystery upon mystery where no mystery exists. And nothing is impossible.
092 今日まで人間は自分の心を用いてあらゆる物事を辛いやり方で行って来ました。そして神秘の無い所に神秘に次ぐ神秘を造り上げて来ました。しかし、不可能なことは何も無いのです。


【解説】
 前項(091)に反して、私達の心はわざわざ困難な道を選択しているという訳です。それはかつての宗教が人々の生活を縛り付けていた時代に対する反動でもあるのですが、一方で、そのような姿勢は真理からますます私達を離しているように思われます。
 自己(自我)の確立こそ、第一歩だと長らく教えられて来ましたが、その一方で心が理解できない現象については神秘を創り出しているという訳です。
 昨今の超能力ブームや心霊現象等、心の常識でははかり知れない事柄に対しては、新たな神秘を造り上げており、私達の発達を阻害しています。
 このような事態から抜け出て、もっと科学的に現象を分析すること、また創造主や因の領域を含めて、心や物質について統一的な理解を促すことが本講座の目標であるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落091

091 The Creator's laws are very simple. If this were not true Jesus would not have said, you must become as a little child. A child is trusting and uncomplicated in its way.
091 創造主の法則はとても単純です。もしこれが本当でなければ、イエスは幼子のようにならなければならないとは言わなかったでしょう。子供は信じ易く、その行動に複雑さはありません。


【解説】
 因と結果の因果関係は確実なものであり、宇宙が全てその法則下にある通り、例外なく何処でも分け隔てなく成立するものです。各自の努力は必ず成果を導くことを理解し、各自が創造主から愛されていることを知れば、誰もが落ち着いて穏やかな生活を送ることが出来る筈です。
 そもそも私達が暮らすこの天体自体、正確無比に宇宙空間を運行しており、その地表は様々な要素が生きものの生存に適した方向に環境が保たれるよう、様々な活動が精妙に調和しています。それらは全て創造主の計らいである訳ですが、水の循環や大気の還流一つをとっても、私達が大いなる自然の中に生きていることが分かります。
 イエスの言う幼児は自らが愛されている存在であることを自覚していますし、教師の言うことに従う素直さを有しています。そうした創造主に対する素直さの中ではじめて宇宙の法則の真の姿が見えて来るというものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落090

090 This is the reason the course has been simplified by the Brothers, and is different than any course of study presented before. In its simplicity it gives the major parts of self that the student must work with.
090 このことがこのコースが宇宙兄弟達によって単純化されて来た理由であり、これまで提示されたいかなる学習コースとも異なる理由です。その単純さの中で、学習者がいっしょにやって行かなければならない自己の主な部分を理解させているからです。


【解説】
 重要なのは、本項で明記されているように、この生命の科学学習コースが、進化した宇宙兄弟達によって注意深く編纂され、私達地球人の学習用に執筆されたということです。実はこれほどまでに明確に著者アダムスキー氏が著述作品の意図を述べた箇所を私は知りません。それほどまでに他の何よりに増して「生命の科学」が関係者の間で尊ばれるのはこうした背景があるからです。
 しかし、本講座で説かれている内容はそう難しい内容ではありません。誰もが一様に理解できる簡明な表現となっています。誰もが自分なりに探求の取っ掛かりを掴める工夫がなされていると言うことも出来ます。
 もちろん、一読すればそれなりに納得は可能ですが、私としては本書はそのような一挙に読み下すべき内容ではないと考えています。一段階ずつ著者の意図を探りながら自分で内容を理解して行く中で、各自の日常生活の中で実践しながら、その本旨を身に付けるような取組み姿勢が求められているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落089

089 Some reports have come in from the first lesson. And wonderful results are being obtained by those who are really sincere. This is not surprising as every thing that has even taken place is recorded in consciousness, and can be drawn upon when the mind of man becomes attentive.
089 いくつかの報告が第1課から寄せられています。そして実際に誠意ある学習者によって素晴らしい結果が得られています。これは驚くべきことではありません。何故ならかつて起ったあらゆる出来事は意識の中に記録されており、人間の心が敏感になる時、引き出されることになるからです。


【解説】
 本講座は元来、通信教育としてスタートしており、教材についての質問等は直接、著者の元に寄せられていた模様です。その一つとして、先に出されていた第1課の学習者からの報告がこの第2課の本文執筆時に寄せられていた訳です。つまりは、この生命の科学学習講座は章毎に執筆、配布されていたことを物語っています。
 本項で著者が引用する報告がどのような内容であったかは分かりませんが、文脈から言って、学習者が過去の事象について驚く程の状況を印象から知ることが出来たというものであったと思われます。
 前課でも述べられていますが、この学習講座で最も大事なのは第1課であるとしています。心や肉体の他に意識という大きな存在があり、私達の心や肉体は、本来、その意識と呼ばれる無言の存在によって存続されており、この意識の支持がなければ、生命は成立しないということです。その意識のささやきに耳を傾ける為には、心の横暴を押さえ、意識を信頼して印象を受容する誠実さが必要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落088

088 THE WILL OF GOD is a term often used. If you cannot learn by His guidance which is the consciousness, then He lets you learn by your own mental will which brings painful results. So God is not responsible for your experience.
088 神の御意志という言葉がしばしば用いられます。もし、あなたが意識である神の導きによって学ぶことができないなら、神はあなたをあなた自身の心の意志によって学ばせますが、その心の意志は貴方に苦痛をもたらします。ですから、神にはあなたの体験への責任は無いのです。


【解説】
 何かと私達は様々な自然現象や当人の力ではどうしようもない状況に対して「神の意志」という表現を用いて、それらが人間には何ら責任がない要因から生じているとして来ました。しかし、本項では、実はそれより先に様々な機会を通じて創造主は私達に助言を与えて来たことを示しています。
 それら助言に対して、私達の心は鈍感であったり、無視して来た結果、実際の現象が起こり、私達は苦痛を味わう訳ですが、それでもその体験がその後に活用されないとしたら、随分と悲しいことになります。
 創造主の適時適切な印象によるアドバイスも、それを意に介さない心であったなら、結局は結果が発現した中で痛い体験を学ぶ他ありません。意識の声は常に発せられていますが、私達はそれを受け入れ、自分の行動に採り入れなければ、創造主の意図は実現されません。宇宙全体が統一された法則性の中で動いている以上、例外なく原因と結果は一対一の対応関係で結びついています。良い原因を作れば良い結果が、誤った原因には誤りの結果が現出するのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落087

087 Our misinterpretation of its impressions gives us bad results. For many times the mind does not want to be dictated to and acts on its own. The mind in some cases is like a child who is told that if he touches a hot stove he will be burned. But he does not want to be told, so he burns his hand and it is painful. But he did have the experience even though this is the hard way of learning.
087 そのもたらされる印象への私達の過った解釈は私達に悪い結果をもたらします。何故なら多くの場合、心は指図されることを嫌いますし、自らの判断で行動してしまいます。ある場合には心は熱いストーブに触ると火傷すると教えられている子供のようなものです。しかし、彼は教えられることを嫌って、手に火傷をして痛い思いをするのです。しかし、これが学ぶ上で辛い道であったとしても彼は体験を得た訳です。


【解説】
 私達を包む意識に対し、私達がそれを知覚する手段は印象を通じてのみ行われます。即ち、私達は意識を理解する為には印象を正しく解釈出来ることが必要です。
 ところがこの印象に対して私達は自分の都合が良いように解釈したり、理解出来ない印象は無視しがちなのです。幼児の火傷のたとえのように意識から警告が発せられているにも拘らず、私達はその忠告を受け入れず多くの不完全な行為を行うことも多いのです。
 この場合、解決策はまず私達を包む、本講座で意識と称される生命の息吹を信頼し、時に応じてやってくる印象類(インスピレーション)を大事にして、印象に従った行動をとることです。仮に些細な事でも正しい印象の扱い方を学べば、次回からはより多くの印象を感知でき、日常の行動に活かすことが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落086

086 Regardless of what the expression may be, one should make the mind recognize and respect the consciousness as the life of the expression. Consciousness is not a respecter of forms or persons, it lends itself to all in all acts. For itself knows neither good nor bad, but its guidance is always for what we call the good.
086 その表現物が何であれ、人は自らの心に意識をその表現物の生命体として認識し尊敬させなければなりません。意識は形有るものや人物の尊敬者ではなく、それはありとあらゆる行動に自らを貸し与えています。何故なら、意識自身は善も悪も知ることはなく、それでいてその導きはいつも私達が善と呼ぶものに向っているのです。

【解説】
 意識自体は意識を理解しているからといって、その者を特別視したり、恩義を与えたりすることはありません。磔刑に遭ったイエスに対しても天の父は特別に助けることはなかったと聖書は伝えています。問題なのは人間の側にあって人間が自分達が何をしているかを自覚できていないことにある訳です。
 意識は全ての形あるものを因の側から支え、その形を維持するよう、必要な情報と指示を与え続けており、その形あるものをどのように使用するかについての責任は人間の側にあるのです。
 善人も悪人も平等に生命の支えを与えている意識の中には、善悪の区別はないという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落085

085 To make the blend it is necessary for an individual to cultivate the habit of having the mind think of the cause behind the action, what ever it may be. And analyze each action to see if it was habitual from the past experiences and purely mental and self centered, or of a cosmic nature, which one must strive to attain.
085 この融合を造り出すには各人は自らの心に行動の背後にある原因についてそれが何であろうと常に考えさせる習慣を養うことが必要になります。そして個々の行動についてそれが過去の体験から来る習慣的なもので単に心によるもの、自己中心のものか、あるいは宇宙的な性質のもの、人が達成しようと励まねばならないものかどうかを見分けるよう分析することです。


【解説】
 昨日、久し振りにイエスの生涯を描いたビデオの一つ(「キング・オブ・キングス」)を見ましたが、2000年前、民衆に説いたイエスの教えを当時の人々は十分には理解せず、奇跡を求めるばかりでありました。そればかりか、イエスを無理やり罪を押し付けて葬り去ろうとした訳です。真理に対する私達の理解はその後、物質中心への一変する一方、生命の息吹である意識については学ぶことはありませんでした。
 本項はその一歩としてまず私達の日常の行動について、それが何に起源を発するかをよく調べよと説いています。この場合、「行動」とは具体的な行為を意味する訳ですが、広く言えば私達の心が瞬間瞬間に抱く想念についても同様に、それが何処に起源を発するものか、何処から来るものかを観察せよと説いていることでもあります。
 想念レベルの段階で、それをより良いものに保つことが出来れば、進歩は容易に生まれるものと思われます。より真理に近い原産からの印象を取り込む中で、その想念に基づく行動の結果、更に新しい体験に巡り会う等、私達一人一人が歩むべき道が、前に進む度に示されるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落084

084 The mind can be developed to see the pictures in a room that it takes a T.V. to produce. And the sounds and music that are in the air that take an instrument to amplify, and so on with the other senses of the mind, but if consciousness withdraws from the body we consider the form dead. Yet one can lose the functioning of the mind and all of the senses become very dull, but so long as consciousness is there he is a living being. This proves that the consciousness can live independent of the mind which the mind cannot do. Considering the two phases of man we find that they are comparable to two people living in the same house, one depending upon the other. One mental, the other conscious. The conscious part is of the Cosmos, the mental of the world. The wordly must learn to blend with the cosmic before the union with its creator can be realized.
084 心は部屋の中でテレビが造り出すような映像を見るほどに発達させることができます。また、気中にある増幅する装置を必要とする音声や音楽も見聞きできるまでになりますし、このことは心の中の他の感覚についても同様です。しかし、意識が肉体から離れれば、私達はその形有るものを死んだと考えます。しかし、心の機能を失い、全ての感覚が鈍くなったとしても、意識がそこに存在する限り、その者は生きた存在であり続けますが、心はそうは出来ません。このことは意識は心とは独立して存在できることを証明していますが、一方心は意識と離れて存在できません。この人間の2つの側面を考える時、私達はそれらは同じ家に住む2人の人間、一方が他に依存している場合のように例えることができます。一つは心、もう一つは意識です。意識の部分は宇宙的であり、心は世間的です。創造主との結合を実現するまでには、この世間的な部分は宇宙的部分と混じりあうことを学ばねばなりません。


【解説】
 生命の本質とはどういうことかについて本項は説いています。形あるものとしては肉体が生命の全てとすることが出来るかも知れませんが、ここで述べられているように真理は異なります。肉体という家の中に意識と心が住んでいると本項ではわかりやすく解説しています。通常、肉体をあやつっているのは心であると心自体は身勝手な思いを持っていますが、実はその心自体も意識による支えが無ければ存続出来ないのです。
 ここで人の臨終の時の話をしなければなりません。父の場合に私が体験した事柄です。数年前手術も出来ない病状の中、緩和治療をしばらく続けてきた父も遂に最期の日を迎えることとなりました。その日の朝、落ち着いた様子でしばらく私と途切れ途切れの声でしたが、話をしていましたが、夕刻になり病状が悪化。その日の晩に亡くなりました。次第に目ももうろうとする中、意識が遠のいて行く様子を身体をさすりながら見ていました。父はまさに人の死の一部始終を私に見せて呉れた訳です。
 幸い特に痛みを訴える訳でもなく、呼吸が小さくなり、心臓も止まる様子に立ち会った訳ですが、生命の本質に関わる時には、目や耳その他感覚器官は何らの意味を為さないこと、ただ意識のみが身体から引いていくことで、肉体は生命体でなくなることを私自身学んだように思っています。
 即ち、仮に肉体に何ら欠陥が無くても、意識が引き下がれば、生命を続けることは出来ません。よく「死んだように寝ていた」という表現がありますが、意識が無くなったような状態は、まさに一時期、死体と化していたのかも知れません。そしてその本人の本質は意識と同行して、いずこの地に移動しているのだと思っています。生命の科学学習講座の第10課は「意識による旅行」というのがタイトルですが、私達が大切にし、頼りにすべきは肉体でなく意識の方であることを自覚したいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落083

083 On this highway we shall find that all creation expresses a Divine intelligence. For consciousness is the life of even a grain of sand. It lives independent of forms, yet it activates all matter. It speaks the silent language which we call impressions, yet moves with a force far greater than any sound. And you and I are the highest manifestations of it, for without consciousness the mind would be nothing.
083 この大道では、私達はすべての創造物がある一つの神聖な知性を表わしていることに気付かねばなりません。何故なら意識は砂粒一つの生命でもあるのです。意識は形とは独立し、しかも全ての物質を動かしています。意識は私達が印象と呼ぶ無言の言語で話していますが、どんな音よりもはるかに大きな力で揺り動かしています。そしてあなたも私もその意識の最高位の創造物と言えます。何故なら意識無くしては、心は何らのものでもないのです。


【解説】
 何故、前項(082)以来述べられている大道が広い進歩の道であるか、本項が解説しています。つまりは、印象は万物共通の言語であり、印象は他の何よりも大きな実現力を持っていることが、その訳だしています。印象という目に見えず、耳に聞こえない衝動は自然界の鉱物にさえもその意図を伝え、一つ一つの微細な原子に目的を伝え、それらを働かせる力量を持っています。
 それ故に仮に時間は必要であるにせよ、物事を実現させる力を有している訳です。私達が求めるべきはこの印象の力を自らの進歩の道に取り入れることであり、宇宙からやって来る印象に素直に従う中で、自由闊達な人生を送れるとしています。唯一の課題はそのような大同があることを自覚する必要があることであり、全てを自身の中の小さな存在である心に全てを委ねてはいけないということだと解釈しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落082

082 All of our life we have been doing things the hard way. Either in one extreme or another. Now the time has come to settle down into the middle, which is the conscious eternal highway. And stop taking the mental by-ways, for the center balance will make life much easier.
082 私達はこれまで生活のすべてを困難なやり方で物事を行って来ました。ある極端から他の極端のいずれかであったからです。しかし今や、意識的な永遠の大道である中庸に落ち着く時期を迎えています。そして心の横道を取るのを止めるべきです。中央のバランス状態は生活をはるかに容易にすることになるからです。


【解説】
 とかく私達の心は一方に偏りがちです。一つの方向に邁進したかと思うと今度は一転して何もしなくなる等、不安定な行動パターンを特徴としています。好物を好むあまり、偏食し健康を害することもそうですが、人体にとって大切なのはバランスのとれた食事であることは言うまでもありません。それと同様に心の働きにもバランスが必要だという訳です。
 自然界の生きものは悲しみも喜びも表現しますが、よく見ていると人間のように極端に感情を表したり、継続させたりはしないようです。一時期悲しい表情をしますが、次に楽しいことがあると再び楽しい生命の表現者に立ち戻ります。そこには人間のように感情に囚われない、ある意味、淡白さもあるかと思います。しかし、わが子を守る際には自らの生命を賭けて対峙することもある等、ひとえに生命の源泉から来る指導に従順である様子が分かります。
 一方で、中庸とは何もしない静止状態や新しい試みの無い惰性状態とは異なります。ゆったりさせるのは心の状態であり、リラックスする中で様々な分野にチャレンジする勇気が求められています。これまでの自我を脱皮し、新しい自分を開拓する意義は変わることはありません。本項で言う「大道」とは自分の心を広々させる中で思う存分、行動を広げても良いのだという意味も含まれています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落081

081 F.D.R. expressed it well when he said, "there is nothing to fear but fear itself." For fear promotes fear. Our late President Kennedy made the statement, "Ask not what the Nation can do for you but what you can do for the Nation." I would say it this way ; it is not what God will do for you but what will you do for God? And God is the consciousness of our being. Or we could put it this way, it is not what the consciousness does for the mind, but what the mind can do for the consciousness.
081 F.D.R.(フランクリン・D・ルーズベルト、Franklin Delano Roosevelt)は「恐怖以外に恐怖すべきものは無い」と言ってそれを上手に表現しました。恐怖は恐怖を助長するからです。故ケネディ大統領はこう声明しました。「国家があなたに何を為せるかと問うのでなく、あなたが国家に何を為せるかを問え。」私ならこう言うでしょう。「神があなたに何をしてくれるのではなく、あなたが神に何をなすかである」。そして、神とは私達自身の意識なのです。そこでこういうようにも言えるでしょう。「意識が心に何をなすかではなく、心が意識に何をなすことができるかである」。


【解説】
 恐怖はそれ自体で増殖します。暗い道を歩いている時、一瞬でも怖いと思う途端、心は次々に恐怖心を倍増させ、結局はありもしない勝手なイメージを作り上げ、自身の行動を左右させようとする訳です。
 こうした心の特徴に対して、冷静に心を鎮めよというのが従来の教えであったように思います。つまり、恐怖に陥っている心をマイナス状態とするなら、心をニュートラルにせよという訳です。
 しかし、本項では更に進んだ取組みをせよと説いています。つまり、ケネディーの言葉を引用しながら、私達が創造主に対してどのような貢献が出来るかを考え求めよとしているのです。求める中においてはそれが果たして与えられるだろうかという心配が起こる可能性もありますが、心が反転攻勢して、自ら進んで因に対してどのような奉仕が出来る経路になるかという姿勢に変わることが出来れば、もはや不安など無くなり、自分が主体的な行動の中心になれることになります。
 恐れへの対処の仕方等、当初、心が恐れを感じてしまった対象に対して、自らがその対象物にどのような役に立てるかと考える姿勢に転じる時、その解決策が生まれるというように理解したいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落080

080 The mind acts as it does mostly through fear caused by a lack of knowledge and faith. For if it changes, it knows not what the next moment might be like. Fear is the master of the mind and governs nearly every human being on earth, in one form or another. Very few people realize that fear is a dominant factor for we have been children of its household for centuries and now feel that it is a natural way of life. We do not even know that we fear, yet fear is nothing but a lack of understanding of the laws that govern life. And these laws cannot be learned by studying effects, especially of human experiences. For most of these are the result of fear dictation.
080 心というものはそのほとんどが、知識や信頼の不足が原因で生じる恐怖を通じて行動しています。何故なら、もし変化があった場合、心は次の瞬間にどうなるのか知らないからです。恐怖は心の主人であり、地球上のほとんどの人間をどのような形態にしろ支配しています。私達は何世紀の間、そのような(恐怖に支配された)家庭にいる子供であった為、私達の中で恐怖が支配的な要素であるということを知っている人々は極くわずかであり、今やそれが自然の生き方だと思うようになっています。私達は私達自身が恐怖していることすら知らないのですが、恐怖は生命を支配する諸法則の理解が欠けていることでしかありません。そしてこれらの諸法則は結果、とりわけ人間の体験を学ぶことによってでは学習することができません。何故なら、これらのほとんどが恐怖による指図の結果だからです。


【解説】
 テレビのCMに保険会社の宣伝が数多く放映されますが、これらも本項で言う私達が皆、恐怖によって支配されていることを反映したものと言えます。そして保険会社は人々に多少の安心を与える代わりに利潤を挙げる等、この世の中に適応した企業分野となっています。
 昨今では昨年(2011年)の地震や津波の経験から、災害時の備えについても人々の関心事になっています。これについてはもちろん、備えをしておくことは大切なのですが、以前にも紹介したように、地震の翌々日、所用があり千葉房総の海岸沿いを通った時のことは今も忘れられません。目の前には何も無かったような穏やかな春の海が広がっており、人気(ひとけ)の無い海岸にカモメが群れる等、実に平和な光景が広がっていたのです。
 車で通り過ぎる私達は、ここに津波が来たらどうするか等、東北の被災が頭から離れず、独り人間達だけが恐怖の中で生きていたような気がしたものです。
 結果は、その後1年間、再び津波が来ることはなく、行く末を心配していた人間と春の陽光を満喫していたカモメのどちらが賢かったかの判定は歴然でしょう。因の領域からの印象を理解し、未来についての信頼や予知能力を備えれば、不安は消滅する訳です。


ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落079

079 The mother has been used as an example, but people daily ignore impressions that are given to the mind by the consciousness and cause many imperfect acts that could have been avoided. All because the mind has been exalted through the ages and has given no thought to its parent - the consciousness. It supports itself by past acts and repeats history instead of going forward. There is some improvement historically, but actions are still founded on the past, like the destruction of men in war, instead of evolving above the past. The mind has an opportunity to bring newness each day by following the guidance of consciousness.
079 母親の件は一つの例として用いられましたが、人々は日常的に意識から与えられた印象を無視しており、避けることができた多くの不完全な行為を起しています。全ては心が長い時代を通じて誉められ、その両親である意識には何らの配慮も与えて来なかったことに原因があります。心は過去の行動によって自身の拠り所とし、前進する代わりに歴史を繰り返しています。いくつかの進歩も歴史的にはありますが、戦争における人間の破壊のように過去を超えて進化することの代わりに、行為は依然として過去に基礎を置いています。しかし、心は意識の指導に従うことによって、日々新鮮さをもたらす可能性を有しています。


【解説】
 本項は「日々新たに」という古くからの教えが、本質に繋がる真理を示していることを伝えています。私達の心は実績重視、経験第一としますので、その延長上には長年の習慣や惰性が待ち構えていることになり、やがて進歩とはかけ離れて行くことは否めません。
 これに対し、新しいことを指向する姿勢には、当然失敗を恐れる心の抵抗があるでしょうが、新しい道を進む為には、自らの進路を印象に従って選択する必要があり、印象の源を信頼する必要があります。また、「失敗を恐れない」という言葉の中には、「結果を重視しない」という意味合いが含まれています。
 このように毎朝すがすがしく迎え、一日を始めることは何よりのことであり、一日毎に進歩の歩みを進めることになります。一歩前進する中で、また新しい局面に出会い、学ぶ中で人はあらゆる場面で生命の息吹に触れ、それらの力を学ぶ中で進歩を続けられるというものです。
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