2021年01月

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落195

195 Out of the Book of Memory, which the scriptures tell you shall be opened unto all, we have read the story of Lemuria, that mysterious land which sank beneath the dark waters of the Pacific Ocean.
195 聖書が言う全ての者に開かれるとされる記憶の書から、私達は太平洋の暗い水の下に沈んだ神秘の大陸、レムリアの物語について読んだことがあります。




【解説】
 ジェームズ・チャーチワードの「失われた大陸」は日本でもかつてベストセラーになりましたが、著者アダムスキー氏はレムリアこそがこのムー大陸に相当し、かつて太平洋にあった太古の大陸であると示唆しています。
 太古の昔の物語は、その痕跡がわずかしか残されていない為に、その真の姿を把握することは容易でなく、とかく神秘が入り込みやすく、また人々を欺く輩も多いものです。しかし、本項で著者が示す「記憶の書」(アカシックレコード)とは、そのようなあいまいなものでなく、具体的に宇宙空間に波動として収められているような記憶のようなものかと思われます。
 最近ではパソコンの記憶装置の進化は目覚ましく、小さな装置に数TBもの容量を持つ記憶装置も出回わる時代となりました。今後更なる集積も進ものと思われます。宇宙空間への想念の何らかの記憶状況が今後の研究で明らかになれば、本項で著者が示唆する記憶の書についても理解が深まるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落194

194 In the cosmic book of memory, often referred to as the Akashic Records, there lies the story of action as it has passed through millenniums of time. The ever-active fingers of consciousness have inscribed upon the Primal Essence of the Cosmos the indisputable and indestructible pattern of all motion and manifestation. The history of man as written upon the tablets of stone or upon parchment or paper is but a limited record of existence and is easily lost to the knowledge of future generations, but the Cosmic Record is a permanent structure and he who is able to read therefrom need have no missing pages in the history of life.
194 しばしばアカシックレコードと称される宇宙の記憶の書の中には、何千年もの時を経る行動の物語が眠っています。常に活動的な意識の指先は宇宙の根本的本質の上に疑問の余地なくまた、破壊されることのない全ての行動と創造の現出のパターンを刻み付けて来ました。石板や羊皮紙あるいは紙に書かれた人間の歴史は存続が限られた記録でしかなく、将来の世代の知識に対して容易に忘れ去られるものですが、その宇宙的記録は永久の構造を持ち、そこから読み取ることが出来る者にとっては、生命の歴史において如何なるページも失われることはありません。




【解説】
 本項で著者は、宇宙空間には過去の出来事や人間の行動が全て記憶されていることを私達に説いています。人間の記すものは実にはかないもので、紙の文書や石板でさえも多くは時の経過とともに散逸、壊れてしまいます。
 しかし、著者が指摘するアカシックレコードは永久に保存され、その扉を開く者は過去の文明の記録を読み取れるとしています。あらゆる想念や印象が宇宙に記憶されるという訳です。
 現時点で私達はこの記憶の書にアクセス出来てはおりませんが、私達自身が宇宙と一体になり、その記憶の書に辿り着くことが出来れば、あらゆる知識を手にすることが出来ることになります。地球の過去の歩みを知ることが出来るという訳です。
 しかし、これらの能力は決してその能力だけを伸ばしたいとするのは誤りでしょう。様々な能力の高まりの中の一つとして、自然に身に付くものだと考えるべきです。他惑星人が手本を示したように、調和ある発達の中に答えがあるように思うのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落193

18 PAST CIVILIZATIONS
193 I have recently reread the accounts of Lemuria and the Triterian race, and will give them to you for whatever points of interest you may find in them. My friends from other planets have told me that many of the people living on their planet at present have lived upon the earth.
第18章 過去の諸文明
193 最近、私はレムリアとトリテリア族の記事を読み返した所なので、貴方が興味がありそうな点について何なりとお伝えしようと思います。他の惑星からの私の友人達は私に現在、彼らの惑星に住む多くの人達がかつて地球に住んでいたと教えてくれました。




【解説】
 本項では大変興味深い事柄が語られています。即ち、アダムスキー氏が会った金星や土星それに火星等の惑星の人々は、いずれも過去に地球に住んでいたことがあるということです。
 おそらくは気の遠くなるような昔から地球は文明の興亡を繰り返しており、その過程の中には時として優れた文明が生まれ、他の惑星に移住するようなレベルに到達した人々も居たということかも知れません。
 日本にも遠く太古の昔に、神々が暮らしたという言い伝えが古事記等に残っておりますが、そうした人達の中には真に優れた人々も居たということでしょう。
 そう考えると、目下、環境や社会、政治等、様々な側面から行き詰まりつつある現代文明も、こうした過去に繰り返されたこの惑星上の文明の興亡の一時期になる可能性もあるように思います。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落192

192 Perhaps I should explain why one and one equals three in Nature's Creative Mathematics. When a positive and a negative get together there is a manifestation; in electricity it is light, with male and female it is an offspring and so it is with all nature. In order to understand a manifested effect the conditions that caused it to be must be understood.
192 おそらくは、ここで自然の創造的数学においては何故、1+1=3になるかを説明すべきでしょう。陽と陰は結合した時、創造の現出が起こるのです。電気においては光、男性と女性の場合は子孫ですし、自然全てについて同様です。現出した結果を理解する為には、それをもたらした諸条件が理解されねばなりません。




【解説】
 第17章の最後、まとめの言葉として述べられている本項は、創造的作用の本質について説かれているものです。陰と陽、プラスとマイナス等々、異なる性質を持つもの同士が結びつく中で共同して物事を達成しようとする時、そこには両者を足し合わせた以上の成果、創造的作用が生まれると説かれているのです。
 私達は各々異なる背景、履歴経験を持っており、各々意見も異なるものです。しかし、各々が連携し合う中で、両者の能力を足し合わせた以上のものが生まれるということでしょう。
 私自身の仕事の分野の話で恐縮ですが、下水(排水)処理の技術に微生物処理法があります。その微生物の環境を酸素の無い「嫌気」状態と酸素のある「好気」状態を連続的に交互に繰り返す中で、従来除去が難しかった窒素やりの成分も除去出来る方法が用いられるようになって来ました。これも異なる要素を組み合わせる中で微生物にそのような高度な処理能力を持たせるもので、本項に似た内容かと考えています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落191

191 The science that we speak of here has reference to the abstract scientists who work from cause to effect; not the dogmatic orthodox ones who refuse to see beyond the effective world.
191 ここで私達が言う科学とは、因から結果へと研究する理論科学者に関連して述べており、結果の世界の先を見ることを拒否する教条的な正統派を指すものではありません。




【解説】
 ここで著者は私達に有用な見識を与える科学者とは、結果の世界のみに生きている独善的な者を指すのではなく、因の世界や結果から因の法則を探求するような抽象・理論の科学者を指していることに言及しています。
 その中には素粒子世界から物質の本質を探る研究から、生命の本質について思考する研究者を示唆するものと思われます。
 また、このことは私達自身も日々の暮らしの中で気づく想念波動の効果や季節の移り変わりの中に見る生命の息吹、因の領域に属するような活動や波動について探求する中で、こうした真の科学者になって行くことにもつながることをも意味しています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落190

190 We can say that scientific research is allowing the people of the world to have a closer view of Cosmic Reality.
190 私達は科学的研究が世界の人々に宇宙の現実性についてより綿密な見識を与えていると言うことが出来ます。


【解説】
 本項は短い文章ですが、著者が訴えたいのは従来の宗教や哲学というものが果たしてこれまで人類の進歩に役立って来たかという問いでしょう。もちろん各宗教の源となったイエスや仏陀その他の聖人を指して述べているのではありません。教団が民衆の支持を得て巨大化し、組織拡大の過程において真理に対する本来の自由な探求心が抑制され、金品を民衆から集約し、囲い込むだけの組織に成り下がってしまう例が多いことを暗に指摘しているのではないでしょうか。
 その一方、科学は一歩一歩内容を検証しながら、着実に成果を出しており、人々の暮らしの向上に役立って来ました。私達は常に宇宙の探求者であり、創造主の作品世界を知り学ぶ存在であることが最も重要です。それが万物の最高位の創造物である人間の唯一の務めであるからだと著者は訴えているように思うのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落189

189 Science has progressed very rapidly in the last few years. Now, with the aid of fine instruments, the I.G.Y. research and the satellites, the scientists are able to delve deeper and deeper into the realms of Cause. They are beginning to understand and use Nature's Creative Mathematics; which is, one and one equals three. Old accepted theories are being replaced with more factual knowledge as the field of research broadens.
189 過去数年の間に科学は急速に発展しました。今や精密な装置やI.G.Y.(訳注:国際地球観測年)での研究、そして人工衛星のお蔭で、科学者達は宇宙の領域の奥深くまで掘り下げることが出来るようになりました。彼らは自然の創造的数学を学び始めています。その創造的数学とは1+1=3というものです。古くから容認されて来た諸理論は研究分野が広がるにつれて、より事実に基づく知識に置き換えられています。



【解説】
 本項で著者が言う「国際地球観測年(IGY)」は、現代の私達が考える以上に私達にとって意義あるものであったようです。;1957年~1958年の18ヶ月に渡って世界64ヶ国が気象や地磁気、太陽活動その他計10を越える様々な分野の観測と調査が行われたのです。
 その成果の中には、人工衛星の打ち上げ、バン・アレン帯の発見があり、日本では南極の昭和基地の設営と観測等が揚げられます。こうした世界中の国々が協力して宇宙の探査、地球の探求を目指した画期的なプロジェクトであった訳です。
 こうした中で著者は科学者達は創造的数学、1+1=3を理解しはじめたと説いています。人と人が協力する中で両者を加えた以上の成果が得られることを科学者達は身をもって体験した筈だと述べているように思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落188

188 We are expecting an era of brotherhood among men of this earth and it is science that is making the greatest strides towards this accomplishment by unveiling the actual laws of action. Science is working under the law of relativity while religion is working under the law of divisions. The work of scientific research carries one into such a vast conception of the universe that there is no room for egotism, bigotry, fanaticism or intolerance. The individuals who really study creation are so absorbed in its unlimited activity that they become undiscriminating. They regard all men, whether they be black or white, as brothers and grant them the right to believe according to their ability to understand. They are not bound by the limited concepts of cast or creed or dogma but are always open to new revelations. They do not allow even the human form, itself, to block their path of research in the field of knowledge, for they are willing to sacrifice their own bodies for the benefit of other researchers and mankind as a whole.
188 私達はこの地球上の人々の間に兄弟愛の時代が来ることを予想しており、行動の実際の法則を明らかにすることによって、この達成に向けて大きな歩幅を成しているのは科学なのです。宗教が分裂の法則の下に作用しているのに対して、科学は相関性の法則の下に作用しています。科学的探究の作用は人を広大な宇宙の概念に連れ行き、自分本位や頑固さ、熱狂や偏狭の余地はありません。創造を本当に学んでいる各個人はその無限なる活動に没頭するあまり、その者達には差別が無くなります。彼らは全ての人間が黒人であれ白人であれ、兄弟であると見ますし、それらの理解力に応じて、彼らを容認します。彼らは階層や信条、或いは教義の限られた想念に制約されることなく、常に新しい発見の受け入れに寛容であり、率直です。彼らは人体でさえも知識の分野の研究を妨げることはさせません。何故なら、彼らは進んで自らの肉体を他の研究者や人類全体の利益の為に捧げるからです。




【解説】
 本項を読んでつくづく感じることは、宗教は問題を解決しないということです。中東における長年の争いは各々の宗教や宗派の争いを反映しているように思いますし、他者の考えを受け入れられない、尊重しないことに由来があるように思います。
 このように古代から互いに征服を繰り返して来た私達地球人が犯して来た業(カルマ)が今日の問題となって現れているのです。
 著者はこのような問題に対して、私達の科学への探求心、宇宙の真理、法則への研究姿勢が唯一問題を解決するカギであると説いているのです。これまでの差別偏見を消滅させる為に、改めて他者への奉仕、宇宙普遍の法則に対する親しみと信頼こそ、その基礎であるとなるからです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落187

187 Today our chemists make practical use of their knowledge. They produce new metals to meet the needs of increasing mechanical achievements and are harnessing the forces of nature to facilitate the turning of the wheels of progress. They whom the religionists have called godless men are today becoming the masters of the elements by acknowledging that One Principle governs all things.
187 今日では我々の化学者達は自分達の知識を実用的な用途に用いています。彼らは機械的性能を高める必要性に応える為、新しい金属類を作り出していますし、進歩の歯車の回転を促進させる為、自然の諸力を利用しています。彼らは宗教主義者からは神を否定する者達と呼ばれている一方で、唯一の法則が万物を支配することを自覚することによって、今日、諸元素の支配者になりつつあります。


【解説】
 本項で著者が示唆しているのは、例えば製鉄所で鋼(ハガネ)やステンレスその他用途に沿った各々の特性を備えた「鉄」を製造する過程で様々な元素化合物が溶融され、一定の品質の製品が大量に生産される過程をも示唆するものと思われます。まさに今日の私達はこうした技術者・科学者のお蔭で快適な暮らしを享受しているのです。
 そこには同じ条件には必ず同じ反応が生じるという普遍的な法則があり、技術者・科学者達はこのことを良く認識した上で法則の中で有用なものを見出そうと努めている訳です。
 一方、宗教主義者は進むべき方向性は示せるにしても、具体的な手段を提示することは出来ません。現実世界を探求しようとはしない為、具体的な進歩に役立つことは少ないとも言えるでしょう。私達に必要なことは自然への向き合い方、自然法則から学ぶことだと著者は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落186

186 The priests of the ancients were the only scientists of that day and whatever they achieved was used for selfish purposes of dominating character. It is said that they could prepare chemical substances which when used as incense would put an individual into a trance state, but what benefit was actually derived from such practice? No doubt there was quite a bit of benefit to the priests, for while their subjects were under such a spell they could be very easily relieved of all of their possessions and the act laid at the door of the most convenient gods.
186 古代の僧侶達は唯一の科学者でしたし、彼らが何を達成したにせよ、それは支配的性格の利己的な目的に用いられたのです。彼らは香料として用いられると個人を恍惚状態に陥れる化学物質を調製することが出来たと言われています。このような行為で何の恩恵が得られたのでしょうか。無論、僧侶には大変大きな恩恵がありました。何故なら彼らの臣民はこのような魅惑の下、容易に自分達の持ち物全てを捨て去り、僧侶達にとって最も都合が良い神の扉に対して行動したからです。




【解説】
 宗教団体がそこに救いを求めて集まる信者から金品を取り上げることは、よくあることです。ましてや古代においては本項で述べられているようなことがまかり通っていたことでしょう。
 迷える求道者を餌食とする輩が現代も多いことは事実であり、私達は超能力者や催眠術その他の神秘には近づくべきではありません。
 実はこのUFO分野も同様であり、アダムスキー哲学を標榜しながらも、他惑星人を霊的な存在であるとして、神秘の分野に導入しようとする勢力もあるように思われます。そういう意味からも私達は常に正しいものと誤った方向に導こうとするものを峻別する注意力を必要とする訳で、いたずらに神秘体験を求めてはならないのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落185

185 We hear a great deal about the alchemists of the early days - Paracelsus, for instance, who was supposed to have transmuted baser metals into gold. "Miraculous!" the people say. Our scientists of today are able to produce gold from other substances; but the process is too costly to be of practical use.
185 私達は古代の錬金術師達についてとても多くのことを聞いています。例えばパラケルススは卑金属を金に変えたとされています。人々は「奇跡的だ」と言います。今日の私達の科学者達も他の物質から金を作り出すことが出来ますが、その方法は実用的使用にはあまりに費用がかかるのです。



【解説】
 西洋における錬金術について詳しくは知りませんが、鉛を輝く金属に変えて見せたということでしょうLその他、化学的知識により還元作用等を操作して酸化物から元の金属に変化させたりしたものと思われます。
 しかし、これらも中身が解明されれば、そこに神秘的な要素は無くなり、誰でも何処でも再現できるものとなる筈です。当時はこれらの現象を魔術として神秘化して来ましたが、原理が理解されれば、誰もが実現できる一般的な知識になるものです。私達はこれら古代から神秘と伝えられているものと現代の科学で解明し、宇宙的視野の下で理解する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落184

184 The Hindus have a saying to the effect that the more wood you pile on the campfire at night the greater becomes the illumination but greater also becomes the circle of surrounding darkness. Our present wisdom like the light of the campfire is great and the more we learn the greater becomes our scope of perception regarding the possibilities we have not yet deciphered. The more knowledge we acquire the more we know how much there is yet to learn. Our field of perception has become so vast that the encircling darkness is almost appalling but the very fact that we have such a vast perception of unproven things means that they shall one day be proven. We have had the perception of ships traveling through space to other planets and that day is not too far in the distance when this becomes a reality just as jets and airplanes are now a common means of conveyance.
184 ヒンドゥ教には要約すると、夜キャンプファイアにマキを積み上げる程、その輝きは増すが、周囲の暗闇の輪もまた大きくなるという格言があります。そのキャンプファイアの光のような私達の現在の知恵も大きなものですが、私達が更に学ぶ程に、私達がこれまで解読して来なかった可能性について私達の展望はより大きくなります。私達が身に付ける知識が多くなる程、私達はこれから学ぶべきことが如何に多いかを知るのです。私達の知覚分野がそれ程に広がると、取り巻く暗黒はぞっとする程のものとなりますが、私達がこのような広大な未検証の物事を知覚していることは、それがいつの日にか証明されることを意味しています。私達は宇宙空間を他の惑星に向けて航行する宇宙船を知覚したことがありますし、今日ジェット機や飛行機が皆の輸送手段であるのとまさに同様に事実になる日は遠く離れたものではありません。




【解説】
 同様のことは夜空の星々を望遠鏡で覗く時に体験します。肉眼では星が少ししか見えなくても、望遠鏡を使うとそこには驚く数の星々が見えて来ます。更に大型の望遠鏡ではその何百倍もの星々が今まで何も無かった夜空に見える筈です。
 また、同様なことは極微の世界でも言えることです。顕微鏡を用いればその倍率に応じて肉眼では見えなかった微小世界が眼前に拡がることでしょう。
 このように私達はこれまでの肉体の持つ感覚器官を越えた世界を知覚できるようになれば私達自身は実際には大変美しく調和した世界に暮らしていることが分かる筈です。そして今まさに進行しつつある宇宙時代には、これまでの地球人類が体験したことのない新しい心境の下、宇宙の一員として新しい一歩を踏みしめることになるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落183

183 There are those who prophesy that this civilization is nearing its destruction because of its lack of wisdom. Well perhaps, but what would it profit us to go back and study the wisdom of the ancients? You could say that the ancient civilizations did not heed the words of wisdom that were given to them, and that is true. Lemuria, Atlantea, Egypt and Rome, were all great civilizations and they are gone. This is a new day with new problems and the door to the Cosmic Storehouse of Wisdom and Knowledge is wide open for each individual to enter. Our present problem is to maintain our balance; living in the world of effects and understanding causes.
183 この文明は知恵の不足から破滅に近づいていると予言する者達がいます。たぶんそうかも知れません。しかし、私達が立ち帰って古代人の知恵を学んだからといって、私達に何の利益があるでしょう。貴方は古代の文明は与えられた知恵の言葉を心に留めなかったとも言うことが出来るでしょうし、それは確かです。レムリア、アトランティス、エジプトそしてローマは皆、大いなる文明でした。そしてそれらは過ぎ去ったのです。新しい日には新たな諸問題があり、英知の宇宙的倉庫への扉は入る人、一人一人に対し広く開いています。私達の現在の問題は私達のバランスを保つことです。結果の世界に生きながら、因を理解することです。




【解説】
 様々な古代の文明を考える時、結局それらは各々根本的な問題、誤りの為に滅びてしまったということではないでしょうか。また、それは私達を取り巻く自然がこの間、永続して来たのと対照的であることに私達は気付かなければなりません。
 私達にとって大事なことは、現在の私達に修正が必要なこと、進むべき道を明らかにすることであり、それらの問題解決を古代文明に求めても答えを得ることはないということです。私達には私達の問題解決の道があるからです。
 そこで重要なのは宇宙における自然の諸活動でしょう。これらは人間の文明とは異なり、断絶ということはありません。宇宙の因に従っている自然の営みの中に私達は自分の立ち位置を置き、そこから来るインスピレーションを大切にして生きて行く必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落182

182 Why should we base our life of today upon ancient philosophies? Should we enjoy going back to the ox-cart? I am sure that a great percentage of the population of the world would starve with only ox-cart transportation. Some of our so-called spiritual students are starving on the meager supply of mental food that is carried to them on the slow-moving vehicle of ancient myth and ritual. We are moving faster than we have ever done and we are compelled to keep up with our existing state of progress. Our mental expansion must coincide with and support our mechanical progress. Those who live too much in the past ask why we are rushing and where we are going;  may I answer in this way, we do not need the aimless rushing but we must keep pace with the fast moving events of life.
182 何故、私達は今日の私達の生活を古代の哲学の上に基礎づけるべきなのでしょうか。私達は牛車に立ち戻ることを楽しむべきなのでしょうか。私は世界の人口の大部分が牛車の輸送によっていては餓死してしまうことを確信しています。私達のいわゆる霊的学徒はゆっくり動く太古の神話と儀式の乗り物に乗って来る精神的食料の貧弱な供給に対し飢えています。私達はこれまで成したよりも速く動いており、私達は現在ある進歩に追いつかざるを得ないのです。私達の精神的拡大は私達の精神的進化に呼応し、それを支えなければなりません。過去に対し、余りにも多くを生きている者達は、何故私達が走っているのか、何処に私達が行こうとしているかを問います。それに対して私はこのように答えても良いでしょうか。私達は無目的に急ぐ必要はありませんが、生命のすばやく動く出来事にペースを合わせ続ける必要がありますと。




【解説】
 よく時代の変化という言葉を聞きます。かつて農業主体の生活の時代は、冬は家の中の仕事、春夏は明るい間は野良仕事と、決まって日課を送っていた筈です。しかし、今日では季節や日夜に関係なく、社会は活動し、世界各地との取引等、昼夜の時刻の区別さえ無くなっています。
 こうした中で、独り哲学だけが古代の教えから進歩していないと著者は指摘しているのです。確かに古典は私達の思想の基盤ではありますが、現実の私達の生活はそれら古典の生まれた前提となる時代を遥かに越えており、私達の心境を現実にマッチしたものとしなければなりません。そうでなければ、進む科学技術に追いつけない古めかしい精神とのギャップが大きくなり、結局は私達が精神面で何も持たない存在となると懸念している訳です。
 本項で著者は今後、急速に進展する科学技術に対応した新しい精神性の確保の重要性について私達に説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落181

181 "We have not yet been able to discover the whole greatness of the Ancient Wisdom," we are told. Well that may be true, but I dare say if a few of the ancients suddenly found themselves in one of our big cities today they would stand aghast at the miraculous works of our people. They would probably assume that they had reached some World reserved for especially advanced minds, and after having lived here for a while and trying to adjust themselves to our present understanding would decide that they were not of the elect and must have stumbled into this amazing place by mistake.
181 「私達はまだ古代の知恵の偉大さの全容について発見し得ていないのだ」と私達は告げられて来ました。それは真実かも知れませんが、敢えて言えば古代人の何人かが突如、今日の大都会の一つに身を置いたとすれば、彼らは私達の人々の奇跡的な業に驚嘆して立ち尽くすでしょうと言いたいものです。彼らはおそらく自分達が特に進化した心の持ち主のために用意されていた世界に到着したと思い込みますが、しばらくここで暮らした後に、自分達自身を私達の今日の理解に適合させた後は、彼らは自分達が選ばれたのではなく、誤ってこの驚くべき場所に転がり込んでしまったと判断することでしょう。




【解説】
 確かに古代の人々と現代の私達とはその持つ能力分野に違いがあることも考えられます。しかし、双方の文明を比較すれば総じて現代文明の方が古代のものより優れていると言うべきでしょう。それは即ち、その間の長い時間の中で私達の祖先が紆余曲折があったにせよ、少しずつ前に進んで来たからに外なりません。
 そういう意味では私達は現在をその立ち位置として、自ら新しい進化の道に一歩を踏み出すべきで、いたずらに古代の人々の霊力を羨んではならないのです。また、ここで重要になるのは、私達には他惑星文明という優れた手本が存在するということです。彼ら他惑星人の助言や本講座のような教えをしっかり受け止めて、日常生活に実線することで、私達は古代の知恵を当てにすることなく、新しい宇宙時代に生きて行くことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落180

180 Among many religious groups, and particularly those of an occult nature, we hear much about the great wisdom of the ancients. "If you expect to evolve to a state of masterful action," we are told, "you must go back and study the teachings of the old." It sounds a little twisted, doesn't it? To evolve we must go back! But why? Evolution is an expansion, a growth. Does the tree in its process of attaining maturity grow backwards into the roots? If it did I am sure we would never taste its fruits.   I suppose no man ever appreciates the thing that he has in his hand, and while it is right that he should reach out for something new let it be an advancement, not a retrogression. Why dig up the peaceful past - it has served its purpose. It brought us to the present day - let it rest. The works of the past cannot serve us now and so far as the laws of the past are concerned we are now using them, for there is in the whole cosmos only one principle of action. It is used in the billions of varying manifestations but itself never changes. The only way in which we can prove the principle is by the effects produced and surely we are producing effects on a much vaster scale than did the ancients. In those days if a man discovered something of use to humanity he was considered divine and his revelation a miracle. Today we have a new invention almost daily and think nothing of it.
180 多くの宗教グループの中で、とりわけ魔術的性質を持つものの中にあって、私達は古代人達の偉大な知恵について多くを聞かされます。「もしマスターの行動状態にまで進歩したいと思うなら、立ち戻って昔の教えを学ばなければならない」と教えられます。しかし、それは少しねじれた考えではないでしょうか。進歩する為に立ち戻る必要があるなどということがです。しかし何故でしょう。進化は拡大であり成長です。成熟を達成する過程にある樹木が根の中に向かって下に伸びるでしょうか。もし、そうなれが私達はその果実を味わうことは出来なくなることは確かです。私は誰も自分が手にしているものを享受していないのではないか、また何か新しいことに手を伸ばすことが正しい時には進歩があるべきで、退化することはありません。何故平穏になっている過去を掘り起こすのでしょうか。それはその目的を務め終わっているのです。それは私達を今日にもたらしたのであり、休ませましょう。過去の業は今日の私達に仕えることは出来ず、過去の法則に限って、私達はそれらを用います。何故なら全宇宙の中には唯一つの行動原理しか存在し得ないからです。何十億もの異なる創造物に用いられていますが、それ自体は決して変化しません。私達がその法則を証明できる唯一の方法は、作り出された結果によってであり、確かに私達は古代人が成したより、はるかに広いスケールで結果を作り上げています。当時、もし人が人類に有用な何物かを発見したとすれば、その者は聖なる者であり、その者の発見は奇跡と見なされました。今日、私達は毎日のように新しい発見をしますが、それについては何ほども考えはしません。




【解説】
 最近読んだ本の中に、かつて日本に遠く中東の地からユダヤの民族が日本に渡来し、古代日本の礎を創ったこと、また依然として各地にその遺跡と思われる事物が残っているとするものがありました。それら古代の文明について知ることは興味深いものですが、その古代の知識が今日私達が抱えている課題解決にどれほどの役割を果たすのかは疑問であると著者は説いています。それほどに私達地球人の過去は問題の積み重ねであったのです。
 私達の地球には過去何万年もの人類の歴史があり、それらのほとんどが何らかの問題で滅亡してしまった訳で、現代私達の問題の解決をそれら古代文明に頼るべきではないのです。
 著者は私達に過去に学ぶことよりも、未来に向かって必要な訓練を行うことを求めています。現代の私達が学ぶべきは、宇宙始原の昔から変わることなく続いている宇宙的法則を学び、取り入れて成長して行く道を指向すべきと説いています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章-段落179

17 ANCIENT WISDOM OR MODERN PROGRESS?
179 There is some strange characteristic of the human mind that seems to find a great satisfaction in glorifying the past. The Oriental has expressed this characteristic in his ancestor worship; the Occidental has always had its hero-worship for deceased greatness; the patriarch of all nationalities sits back in his easy chair and reminisces on "the good old days." Perhaps it is that time assuages the actual realities of the past and leaves only the colorful pictures of self-created images. Perhaps it is that distant fields look greener on which ever side of us they lie, but, in any case, we find so many people living in the past that we wonder what good the present is doing at the present time.
第17章 古代の知恵か現代の進歩か
179 人間の心には過去を賛美することに非常に満足を覚えるような何か奇妙な性質があります。東洋では自分の祖先を崇拝することにこの特徴が表わされていますし、西洋では死去した偉人に対し常に英雄崇拝があります。全ての国の民族において長老はその安楽椅子に背を寄りかけて「古き良き時代」の思い出にふけっています。おそらくは時間が過去の実際の現実を和らげ、自ら作り上げた華やかな映像のみを残しているということでしょう。おそらくは何処にあろうと、遠くの畑は緑がより深く見えるでしょう。しかし、いずれの場合も私達はあまりに多くの人々が過去に生きている為、私達は現代が何か良いことを成していないか不思議に思ってしまう程です。



【解説】
 人間年を取ると若い昔の日々を懐かしく思い出すものです。また、その延長から各々の祖先の時代が今より優れていたとも思いがちです。
 しかし、本章で著者はそうではないと私達を諭していることに改めて注目すべきでしょう。少し歴史を調べれば、私達の過去は戦争や策略、暴力等、どれも最低なレベルの人間の活動で満ちていることが分かります。それらを乗り越え到達したのが今日であり、またこれまでの科学技術の進歩の恩恵を現代の私達が受けていることを忘れてはなりません。
 もちろん純粋な心情等、古代の人々に学ぶことは大いにある訳で、古典を学ぶことは大切ですが、現代の私達はこうした古代の人々以上に大きな影響力を有しており、その行動が惑星全体に与える影響は比較にならない程大きくなっていることを自覚しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第16章-段落178

178 Even our thoughts are of chemical composition. We are well aware that our bodies are composed of numerous chemicals; we are also aware that our bodies will not act except when permeated with a conscious thought. When a man is in a state of unconsciousness his body is inactive. It is true that the organs of the body continue to function due to the slight chemical reaction which takes place between the composing cells of the structure but even this will not continue indefinitely. The movement of any body will not take place without a chemical reaction of the elements composing the body, for it takes chemical reaction to produce energy. Potential force exists as the Father-Mother Chemical within each atom of matter but it is the reaction of these elements that produces what is known as kinetic energy which is necessary to the service of any form-action. Only another chemical will produce chemical reaction and the fact that thought is necessary to the action of the body means, then, that thought itself is chemical. For instance, when a person is in a peaceful state of mind he can partake of food and his body will assimilate the minerals without the least opposing reaction, but eat a good meal and then take into the body a highly concentrated thought of hatred or fear - the reaction of the chemicals will very soon demand either the doctor or a good dose of bicarbonate of soda. Fear, hate, selfishness, envy, etc., are elements which produce violent reactions when incorporated with the chemical contents of the body. A fit of anger, which is nothing more or less than a chemical combustion, will tear down the body structure to a surprising degree and produce what is known as pain. If the scientist in his laboratory combines certain elements according to the law of affinity and produces a harmonious result he is rewarded, but if he mixes the wrong chemicals he may blow himself to bits. Just as logs placed upon a fire serve their purpose and their elements are changed but not destroyed, the original elements of any form are eternal. A place where water has been may become dry but the hydrogen and oxygen which compose the liquid go on forever and may at any time return into form. It is the action and reaction of chemicals that produce the personality which consequently must be ever changing, but the soul which is the sum total of the original elements remains forever the same - indestructible and eternal.
178 私達の想念さえも化学的組成物です。私達は私達の身体が無数の化学物質から構成されていることを良く知っていますし、私達の身体が意識的想念で染み込まない限り、行動しようとしないことにも気付いています。人が無意識の状態にある時、その身体は不活発です。それでも身体の諸器官は構造を構成する細胞間で生じるわずかな化学反応により機能を継続することは確かですが、これさえも無期限に続くことはありません。如何なる身体の運動も身体を構成する諸元素の化学反応抜きに起こることはありません。何故ならエネルギーを作り出す為には化学反応が必要だからです。各物質の原子の中には父母性の化学としての潜在力が存在しますが、如何なる形式の活動奉仕にせよ必要な動的エネルギーとして知られるものを作り出すのはこれら諸元素の反応なのです。唯一、別の化学物質が化学反応を作り出し、身体の行動に想念が必要だという事実は、想念自体が化学物質であることを意味します。例えば、人が平安な心の状態に在る時、人は食物を摂取し、その身体はわずかの反対する反応もないまま鉱物を同化するでしょうが、良質な料理を食べ、その後、憎悪或いは恐怖で高濃度に集中した想念に身体を置いた場合、化学物質の反応は直ちに医者やかなりな量の重曹を必要とさせることでしょう。恐れ、憎しみ、我がまま、妬みその他は身体の化学成分に一体化した暴力的反応を作り出します。怒りの発作は化学的燃焼以外の何物でもなく、身体の構造を驚く程、引き裂きますし、痛みとして知られるものを作り出します。もし、実験室内の科学者が親和の法則に従ってある種の元素を組み合わせ、調和的成果を作り出せば報われますが、誤った化学物質を混ぜれば、自分自身を粉々に吹き飛ばすことになるかも知れません。火に置かれた丸太がその目的を果たすように、それらの元素は変化を受けますが、破壊はされず、如何なるものも元の元素は永遠です。水が有った所は乾くかも知れませんが、水を構成する水素や酸素は永遠に継続し、いつかは再び形あるものに戻って来ることでしょう。常に変化し続けることになる個性を作り出すのは化学物質の作用であり、反応ですが、元来の元素の全体合計である魂は永遠に同じまま、破壊されることなく、永続するのです。
 

【解説】
 最近は精神科で、様々な薬が辛さを訴える患者に処方されるようになったと聞いています。自律神経失調症その他の患者に対して精神作用に影響を与える薬剤物質が当座の対症療法として使われているのです。実は、このように私達の精神面についても化学物質が影響を及ぼしているのです。
 私達の身体細胞は各々の意思を化学物質を分泌することで遠い場所の細胞に伝えていることを以前、NHKの番組で放送しておりました。細胞内の代謝も含め、あらゆる栄養成分が分解する過程でエネルギーを生み出し、そのエネルギーが身体の活動を支えていることも分かって来ました。
 このように私達はある意味、精神と物質の区別がなく、相互に融合した仕組みの中に生きている訳で、お互い関連しあった世界に暮らしているということでしょう。

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