2020年10月

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落139

139 This change is similar to a high precision motor that causes a frictional deterioration on all of its parts when it is not properly synchronized. Each emotional unbalance curtails the free life flow and causes damage to the body, until the mortal sense intelligence comes to the realization of its limited and destructive influence and releases its personal ego to the Cosmic Life Force.
139 この変化は高精密なモーターが適切に同期が取られていないと、その全ての部品に磨耗を引き起こすのと類似しています。死すべき感覚の知性がそれ自身の限界と破壊的な影響を自覚するようになり、宇宙的な生命力に個人のエゴを解き放つまでは、感情のアンバランスの一つ一つが自由な生命の流れを短縮し、肉体に損傷を与えるのです。




【解説】
 私達の身体は精妙な作りになっています。それ故、私達の刻々の心境、受け入れた想念の波動が瞬く間に全身の細胞に影響を及ぼします。
 本項の例のように私達が感情を爆発させたような場合、その影響は甚大です。顔つきや皮膚までも硬くなる等、身体細胞にダメージを与えることが分かります。もちろん、こうした繰り返しを重ねると、致命的な病気になったり、また、反対に心自体があらゆる事柄に無反応になるということでしょう。
 実はその反対に、もし私達が本来の宇宙の精妙なる想念波動と同期するのであれば、私達の身体は直ぐに本来の調和ある動きを復活し、本来の最高位の創造物としての表現を行えるようになり、その生命活動に衰えは無い筈です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落138

138 Any emotional extreme disturbs the normal frequency action of the chemicals of the body. Excitement, whether it be caused by extreme joy or fear or anticipation, allows the normal amount of certain chemicals that go into the blood stream to be changed; thereby changing the normal action of the heart. This in turn affects the nervous system and the cells of the body and causes one to feel weak or ill.
138 如何なる感情の過度も肉体の諸化合物の正常な振動活動を妨げます。興奮はそれが歓び或いは恐怖、予感によって引き起こされるに係らず、血流に入るある種の化学物質の量に変化をもたらします。その結果、心臓の正常な動きを変化させるのです。この結果、それは神経系統が肉体の諸細胞に影響を与え、その者に疲労感や体調不良を感じさせます。



【解説】
 感情の極度な高まりは人体にドーパミンやセロトニンその他、今日では神経伝達物質と称される様々な物質が分泌され、それらが心臓その他の臓器の活動に大きな影響を及ぼすとされています。また、一方では覚せい剤等の特定の薬品もこうした身体への影響を与えることから、一時的な感情の高まりはあってもそれらは継続せず、最後は身体が消耗して結末を迎えるのです。
 このように感情の起伏は私達の本来の生命活動を阻害する訳で、私達は努めて自らを穏やかに安定した精神状態に保つことが必要なのです。
 その為にも、私達は自らの心をそのような乱れた状態に陥れることから防ぐ必要があり、絶えず心に浮かぶ想念を見張って、より適正なもののみを受け入れるよう心掛ける必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落137

137 Emotional balance maintained under all conditions is essential if one wishes to have lasting happiness and good health.
137 永続する幸せと健康状態を持とうとするなら、全ての状況の下で感情のバランスが保たれることは必須です。



【解説】
 私達の感情は非常に不安定です。とにかくも少しでも不都合な状況が分かれば、それに動揺し不安ばかりが先行しますし、意見の相違により自分の主張が通らない場合では怒りさえも生み出すのです。
 これらは私達が正しく状況を理解出来ないことに由来しますが、自らの感情をコントロール出来なければ現代社会の中で生きて行くのも苦しくなるばかりです。
 そうした中で必要なのは自ら自分の心境をコントロールすることです。様々な外乱の中にあってもしっかりした芯棒、立ち位置を持ち、行く末を見通す視野が必要ではないでしょうか。そういう意味でも、私達には他惑星文明につながる哲学があり、十分な知識も有していることを忘れてはなりません。イエスや仏陀の時代に遡る歴史を通じて歩まれて来た進化の道を歩き続ける中で、そうした感情を鎮め、本来のバランスを保つことに専念しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落136

136 There is so much bickering over personal opinions, and what does it profit man? Nothing, for it is a consumer of time and energy. This does not mean that there should not be an intelligent discussion about a subject but when the mortal sense mind is quiet and receptive it can see the picture clearly.
136 各自の意見に対してあまりにも多くの口論が為されておりますが、それは人に何の利益をもたらすのでしょうか。何もありません。何故なら、それは時間とエネルギーの浪費であるからです。これはテーマに対する知的な議論をすべきでないと言うことではなく、死すべき感覚心が鎮まり受容的になる時、感覚心は情況をはっきり見ることが出来るということです。




【解説】
 多くの場合、私達は議論をうまく進めることが出来ません。各自が自分の意見を曲げず、互いに物別れになるケースが多いものです。その為、協議の機会を設けることすら無駄に思うことも多いものです。
 原因は私達自身のメンツ、即ち自我を守ろうとすることにあります。各自が柔和な心境、寛容さを持てなければいたずらに時間を無駄にするだけに終わってしまいます。
 私達には皆夫々に本来、同じ時間、同じ恵みが与えられている筈ですが、柔軟性が無くそれを十分に活かせないまま、人生の最後になって成功と失敗の結末の差につながるように思われます。 
 イエスが言ったように、素直な幼児の心境こそ、私達が常に保持すべきものなのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落135

135 All that man is in reality - is the thought that he is consciously aware of for the moment. Each moment follows the preceding moment and the key, if there be one, is to keep constant vigil over our reactions so that the next thought will be one that we can enjoy entertaining in our mental house.
135 現実における人の全ては、その人がその時、意識的に気付いている想念なのです。各瞬間はその前の瞬間の後を付き従っており、もしカギがあるとすれば、それはその次の想念が私達が自分達の心の家で楽しむことを可能とさせるものであるよう、私達の反応を絶えず見張り続けることです。




【解説】
 私達人間の本質は、その者が取り込む時々刻々の想念であると本項は要点を突いています。つまり、私達の人格は生まれてから現在に至るまで身体を通して来た想念が形成したものであるのです。
 このことは今後、私達が取り入れる想念をより良いもの、宇宙的な性質のものに転換すれば、私達自身も進化して行くことが可能であることを意味します。即ち、いつでも懺悔し心を改めれば立ち直りの機会が与えられるということです。
 そしてもう一つ重要な点は、たとえこれまで正当な進化の道を歩んで来たからと言って、劣悪な想念が入り込ませることを許せば、たちまち奈落の道に落ちることになる訳で、私達は絶えず自分自身に受け入れるべき想念を見張り、チェックする必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落134

134 The emotional force which rises in the mind when one's will is crossed by another's is very destructive for it draws the actor into a whirlpool of unbalanced action, and he is blinded to reality.
134 ある者の意志が他の者の意志と行き違いになった時、心に起こる感情の力はとても破壊的です。何故なら、それは役者をアンバランスな行動の渦の中に引き込み、その者は現実が見えなくなってしまうからです。




【解説】
 先にも述べたことですが、当初は同じ目的で始めたものでも、やがて意見の違いが出るものです。その際に多くが陥るのが、本文に記されているような内容です。これは哲学・宗教の分野でも同様です。その結果は多くの宗派、教団が乱立し互いに違いを争う有り様になる訳で、その原因は本文に記されているような当事者の破壊的な感情に起因します。
 それ故に古くから寛容が重要だと説かれている訳ですが、何よりも私達はこうした場面に生じる破壊的な想念こそ、抑え込み、解消させなければなりません。怒りは敵と言われる通りです。実際には相手が何故そのような想念を起こすのかを理解できず、自分の意見を押し通そうとすることに原因があります。また、その結果を修復するには長い時間が掛かることがこの地球では繰り返えされて来たのです。
 私達は常に自他ともに公平、平等であり、積極的に相手の提案を理解しようとする素直さが必要という訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落133

133 The everlasting spark of life which allows man to express as a form is never separated from Cosmic Cause; when man controls his mortal sense mind to think beyond apparent effects he begins to understand the purpose of life and gain a margin of emotional balance.
133 人を形あるものとして表現させる生命の永続する輝きは、決して宇宙的因から離れることはありません。人が自らの死すべき感覚心をコントロールして外観上の結果物の背後を考えさせる時、人は生命の目的を学びはじめ、感情のバランスの余裕を掴みはじめます。




【解説】
 私達は常に宇宙始原の因から送れられて来るスパークを発するような力強い波動を受けることによって生き続けているのです。絶え間なく打つ心臓の鼓動はそれをよく表しています。
 このように私達は本来、宇宙的な波動の中に生きている訳で、これまで問題とされて来た結果物に支配されている件についても、少し心してその実態を、こうした想念・印象の世界から見直すことによって理解出来るようになるという訳です。従来の視点に少し因の要素を取り入れるようにすることで、自ずと道が拓けるというものです。その為には、自らの心を落ち着かせて、未知・未経験な波動も先ずは受け入れるようにする寛容さが重要になると考えています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落132

132 Innately every human feels an ideal life that he is seeking to find but each individual wants this heaven to be according to his specifications. Many groups have started with high ideals but when the personal opinions prompted by the ego of some of its members have not been accepted the ideal was lost in the fog of emotional differences.
132 生まれつきあらゆる人は自分が見出したいと求めている理想的な生活を感じ取っていますが、個々人はこの天国が自分の明細仕様に従ったもので有って欲しいのです。多くのグループが高尚なアイデアを持ってスタートしましたが、そのメンバーの何人かのエゴによって促された個人的な意見が受け入れられない時には、その理想は感情の相違という霧の中に失われてしまいました。




【解説】
 このアダムスキー哲学や宇宙文明に関しても過去半世紀以上、私達は様々な経路を辿って来ましたし、その間、多くの人達が会に加わりまた、去って行きました。その結果、知識としてはもはや日本では十分に知られている或は知り得る環境になっているのですが、果たして1952年11月20日に起こった宇宙人との会見以降の一連の事柄が現在の私達にどれほど役立っているのかは、正直疑問です。
 実はグループの運営はそれ程に難しく、また同時に様々な妨害活動も降りかかって来るものです。こうした中、私達は当初の理想を失いかけ再び元のモクアミに戻りつつあるのかも知れません。
 実際に砂漠で会見した当事者やその支持者等、アダムスキー氏の活動を支えた人達は貴重な体験を得た一方、時の経過の中で地上から旅立ってしまっており、残された私達は書物を通じて自習することが求められています。こうした中にあって、私達は再び元の混乱に戻ることなく、当初の感動に立ち返って再び集うことの大切さを認識すべきです。ちなみに英語ではこれら再会の集いをReunionと称しています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落131

131 From the heavens comes the cause and power of creation and yet the earth, being the Father's footstool, it is the foundation upon which He stands. So instead of desiring to live elsewhere one should learn all there is to know concerning his present earth home and recognize it as a garden of beautiful, heavenly things, the actual garden of the Father.
131 諸々の天から因と創造の力がやって来ますが、それでも地球は父の足台であり、父が拠って立つ基礎です。ですから、何処か他の地に住みたいと願う代わりに、人は自分の現在の地上の家庭についての全てを学ぶべきであり、それを美しい天上の事物の庭、父の実際の庭として認識すべきなのです。




【解説】
 そもそも私達自身が自分が生まれた意味や目的についてよくよく考えるべきでしょう。私達に用意されたこの地上で暮らす中で各々自らの生きる目的を明確に掴む必要があります。
 とりわけ歴史を観れば各々の時代によって地上の状況は異なり、戦乱の時代のような困難な時期もあった一方、科学技術が進んだ今日のような状況もあるのです。その中では学べる内容、学ぶべき事柄も異なる筈です。私達は過去何回か地球に生まれ過ごしていたかも知れませんが、現在では現在の課題があるということです。
 いずれにしても本文で明記されているように、創造の原点である因は宇宙に由来しますし、その表現を担うのは地上世界である訳で、私達はそれらを繋ぐ経路となるべきで、両者の間に優劣はないのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落130

130 Neither heaven, the place of cause, nor earth, the place of effects, nor Jerusalem; symbolically used to represent the earth's inhabitants, can be called one greater than the other. These instructions were given against discriminating or calling one part better than the whole, Heaven and earth are not two but one, each expressing the other; man is no lesser for he is both, an integral part of the Whole. Divisions exist only in man's opinions when he calls one greater than the other, for in so doing he is judging and setting himself above the Creator.
130 因の場所である天も、結果の場所である地も、地球の住人達を代表させるべく象徴的に表現されたエルサレムもどれ一つ他のものより偉大だと見なすべきではありません。これらの訓戒は差別したり一部分が全体より優れていると見なすことに対して授けられ、天と地は二つの存在でなく一つであり、互いに他を表現しているのです。人は劣るものでなく、両方の存在、全体の統合された部分であるからです。区別は人が一方のものを他より、より優れたものとして見なす時の人の意見の中にのみ存在します。何故なら、そうすることによって人は裁きを行い、創造主より上位に自分を置いているからです。



【解説】
 本文の元となったイエスの言葉は、聖書の解釈(http://thomasluke.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-8cee.html)によれば、当時の律法学者は誓いに関する逃げ道として「神」の名によるもの以外はその限りでないと言い訳していたとされています。つまりは誓いの対象として上下の関係を設けていたことに対して、イエスは諭していたという訳です。
 実は同様なことは私達にも当てはまります。即ち、宇宙の因こそが重要であり、現世は重要ではないとすることです。よく引き合いに出されるのはインドに多く居るとされる修行者で、汚れた衣服を着て現世のことには一切関心なく、隠遁生活を送る人に対して、人々を導く為には、逆の意味で現世にも関心を持ち、身繕いを勧めたいところです。これらの状況は遠く仏陀の時代からあった訳で、苦行では真の悟りを得られないことは苦行から離れ村の少女から乳粥を寄進された仏陀がその後悟りを啓いた故事からも明らかです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落129

129 In Matthew 5 :34-35 is the admonition against division plainly given: "But I say unto you, Swear not at all; neither by heaven; for it is God's throne; nor by the earth; for it is His footstool; neither by Jerusalem; for it is the city of the great King."
129 マタイ5:34-35には、この分割に対する訓戒が平易に授けられています。「しかし、私は貴方に言う、天にかけて誓ってはならない、それは神の王座であるからだ。また地にかけて誓ってはならない、それは神の足台であるからだ。またエルサレムにかけて誓ってはならない、それはその偉大な王の街であるからだ。」




【解説】
 そもそも「〇〇にかけて誓う」とはどのような意味なのかを考える必要があります。最も単純に考えれば、「自分が持っている〇〇をかけて誓う」と言うこおt、即ち「〇〇は私のものである」ことを前提として、この者は相手に誓っているという解釈もできるのです。
 しかし、本項ではかつてこう述べる者に対し、そもそも”天国”や”王座”、”エルサレム”等々について、その者の所有物ではないとイエスが述べたことを記しています。即ち、これらは私達の所有物ではなく、私達には権利が無いとしているのです。
 このことは宇宙における私達の位置付けにも関わっていることになります。私達はこうした環境の中の旅人であり、何らのものをも本来、所有している訳ではないということかと思われます。各々の生涯を通じて、学びながら宇宙を旅する者というイメージです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落128

128 Teacher and students have made the mistake of separating heaven and earth and so have been carried from one false balance to another. The impersonal man will unite heaven and earth; will incorporate idealism and practicality; will bring the peace and beauty of the celestial into the concrete materialism of the earth. Anyone who cannot live a happy useful life here in the present world will find it no easier in another world. The Father, by whose breath we live, has but one Law that governs all things. He created this planet as He created all others, and the same principle directs its action. All worlds in the cosmos are alike in principle and to one who lives according to the Law there is no division of perfection.
128 教師と生徒達は天と地とを分離するという過ちを犯しており、その為に一つの誤ったバランスからもう一つの誤ったバランスに運ばれているのです。非個人的な人は天と地を結びつけますし、理想主義と実践主義を結合させ、天上の平安と美しさを地上の確固たる物質主義の中に注入します。現在の世界で幸せで有意義な生涯を送ることが出来ない者は誰一人、他の世界でも決して容易ではないでしょう。私達がその息で生きる父は全てのものを統括する一つの法を持っています。神はその他の惑星と同様にこの惑星を創造し、それと同じ法則が法則の行動を指揮しています。宇宙のあらゆる世界は原理において同様であり、その法則に従って生きている者にとって、完全さに何らの分裂はありません。




【解説】
 優れた芸術家が人々を感動させる絵画や楽曲を作り上げる場合、彼ら芸術家は自らが感受した宇宙的印象を自らの技量で具体的なイメージに表現して人々に見せているのです。そのお蔭で人々は改めて精緻な美の世界を学ぶことが出来る訳です。
 もちろん、これら芸術家を含めて私達はいろいろ課題のある世界に住んでいますが、こうした汚れた世界ばかりに焦点を当てているだけでは物事は解決しません。人々に正しい生活を示唆し、さらに美しい世界が存在することを教示することが重要です。
 そういう意味からも本項で述べられているように、私達は宇宙的な美しい世界とこの地上の世界とを融合させながら少しずつ社会を進歩させて行くことが重要なのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落127

127 We find that students who have studied under one teacher or another are very confused and living in a state of dissatisfaction concerning the world they must call home. They are looking to the day when they will be privileged to become the inhabitant of another planet. They can see no beauty in this world, being conscious only of the pain and misery which exists.
127 私達はある一、二の教師の下に学んできた生徒達が大変混乱していて、自分達が我が家と呼ばなければならない世界に関して不満足な状況の中で暮らしていることに気付きます。彼らは自分達が他の惑星の住人になれる日を待ち望んでいます。彼らはこの世界に何らの美しさを見ることは出来ず、そこにある苦痛や悲惨さのみを意識しているのです。




【解説】
 これまでのUFO・宇宙問題に関わる中で、多くの人達が現状の社会の問題を指摘し、それに代わる天上の理想社会に憧れる姿をよく目にしたものです。確かに地球は多くの未解決な問題そのままに科学技術のみが発達してしまったことにより、益々悪がはびこり、生きづらい惑星になっています。
 しかし、それぞれの惑星の状態はそこに住む者達が生み出したものである以上、その住人が解決すべきものです。また同時にそのような悪事が蔓延する環境にあっても、天然自然の営みは他の惑星以上に豊かであり(映画「禁断の惑星」のように)、英知を表現しているともいえるのです。
 私達はこうした現状に対してどのように対処すべきかを先ず考える必要があるでしょう。いたずらに他の天上世界を憧れるだけでは問題は解決できないからです。先ずは小さいところからの一歩、一瞬一瞬、印象を受け入れる際の心境をチェックし、毎日の自分の行動を有意なものにすることから始める他ないということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章-段落126

12 EMOTIONAL BALANCE
126 As we all know there is a great unrest all over the world. The conditions existing in the national, home, and personal life all display quite clearly the loss of equilibrium which now exists. Each individual feels the need for security and the people of the earth are demanding something that will bring about more stable conditions. The desire for equality and balance and some feeling of assurance have caused some people to return to the churches and many to follow the teachers who profess to know all of the answers concerning the new dispensation. Unfortunately there are extremely few individuals who are equipped with this type of knowledge.
第12章 感情のバランス
126 私達全てが知っているように、世界中を大きな不安が覆っています。国家や家庭そして各人の生活の状況は皆、明らかに今や均衡を全く失っている事態を示しており、実際そうなっています。各自は安心の必要性を感じており、地球の人々はより安定な状況をもたらすものを求めています。公平さやバランス、そして確かさの幾分かの感じへの願望は人々を教会に立ち戻し、また多くの者をその新たな摂理に関する全ての答えを知っていると称する教師達に従わせています。しかし、残念なことにこの種の知識を備えている者は極めて少ないのです。




【解説】
 前章第11章では”再び生まれるために”という課題について学び、私達には既に帰るべき家が自身の中に用意されていることを知りました。本章ではそこに行き着く上で必要となる自我の克服について学ぶという訳です。
 本章のタイトル”感情のバランス”とは、日常の私達の心の状態に関して説かれている訳ですが、未熟な私達が陥りやすい状況について改めて自ら整理して行くべきだと著者は示唆しているものと思われます。
 今日、科学技術が発達し、労苦も減って日常生活が送れるようになったにも拘わらず、私達は依然として様々な問題に直面し、不安定な状態の中に生きています。また、それら不安な人達に対して多くの声があり、宗教も生まれています。真理を求めるという意味では良いのですが、肝心なそれを導く者が利益主義の場合も多く居り、真贋を見極めることも容易ではありません。
 これに対して、本シリーズでは決して他人に頼ることなく、自らの内面に存在する宇宙源泉に繋がる真理に従って、自ら本来の道を歩むよう諭しているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落125

125 Here lies the answer to the question as to the constant urge in the heart of every human to know more about the composition of forms as well as the cause and purpose of action, for it is the Cause Parent impressing the effective child to know more about the vast possibilities so that he may enjoy all that the Father has to give.
125 ここにあらゆる人間の心の中に行動の理由と目的と共に、形あるものの構成について更に知りたいとする絶えざる衝動に対する答えがあります。何故なら、結果である子供が父が与えるべき全てを楽しめるよう、広大な可能性について知りたいとする印象を子供に与えているのは因の親であるからです。




【解説】
 私達が心に持つ探求心が実は宇宙の因、両親とも言える存在からもたらされていると本項は説いています。つまりは私達自身から起こっている探求心ではなく、もっと高次な存在からの指導的印象がその源であるという訳です。
 これまでの歩みを振り返れば、私達人類の進歩はこうした探求心によってもたらされたことは容易に分かります。もし、私達が怠惰な状態を続けていたなら、文明の進歩は無かったと言えるでしょう。
 こうした探求心は一つ一つの物質・物体の構造や仕組みを学ぶ過程で、外観には現れていない不可視な要素を私達は学ぶことになります。今日的に言えば、生物を構成する細胞組織や遺伝物質等々です。それらは肉眼では見ることが出来ませんが、生物界を支配する法則を担うものであることは確かでしょう。その他人体における記憶場所やその復元の仕組み等、多くのメカニズムも次第に明らかになって来ることでしょう。私達はこれら全体の意義や位置づけについて、本項で示唆するような宇宙の因として整理し、理解することが必要かと思う次第です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落124

124 It is man's duty to be a happy child in his Father's house, and to do this he will have to be aware of the house. He must be aware that he is now in the heaven that he is seeking to enter and that within his form of self is the ever present all-inclusive intelligence.
124 自らの父の家の中で幸せな子供になることは人の義務であり、それを為すためには、人はその家の存在に気付かねばなりません。人は自分が現在、入りたいと求めてきた天国の中に居ること、また自身の形あるものの内側に全てを包含する永続する英知があることを気付かねばなりません。




【解説】
 私達が目指すべきものの全ては、私達自身の内側に既にあるということです。
 これまで私達は宇宙の何処かに天国がある、或は何処か遠くのところに理想郷があると信じて来ましたが、実際に天国は遠くにあるものではないのです。それは私達自身の中、自分の手足よりももっと近くに存在し、私達は既にその中に暮らしているのだと著者は説いています。
 これに対して多くの人々は現状の各自の経済状況や身体や精神状況を例示して、何処に天国があるのだと訴えるのかも知れません。まさにイエスの時代から今日に至るまで人々が求めていたものについて、私達は未だ実感を持てないでいるのです。
 しかし、仏教を含む多くの宗教は私達の現状の心の有りようについて、様々に指導して来ました。その指導の先にあるものは本項で言うように私達各人は本来、創造主から恵まれた環境を与えられ、その一家の一員として幸せに暮らせるよう、祝福されているということなのです。如何に祝福されているのかを知ることこそ、私達の第一歩と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落123

123 Not until the teachers understand this can they save anyone or themselves. Many scientists are closer to the second birth than is any so-called spiritual student. One of our greatest scientists made the remark, "When I am fatigued with mental effort and have ceased to ponder over a problem I find that is the time when the truth of the question is most clearly revealed to me." This is a glimpse of the second birth-when the mortal consciousness is released into the hands of the vast consciousness the veil of limitation is rent asunder and truth is vividly perceived.
123 教師達はこのことを理解するまでは、誰もまた自分自身も救うことは出来ません。多くの科学者達はいわゆる霊的学者より、この第二の誕生に近づいています。今日最も偉大な科学者の一人はこのような所見を述べました。「私が精神的努力で疲れ切り、問題について考え込むのを止めた時が、その問題の真理が最も明瞭に現れる時になることは分かっています」。これは死すべき肉体の意識が広大な意識の御手の中に解放される結果、制限のベールが引き離され、真理が鮮やかに知覚される第二の誕生を瞬間的に見ることになるのです。




【解説】
 実際、宇宙意識を迎え入れる為には私達はどのような心境を維持するべきか、本項は明確に示しています。即ち、これまでの私達は自我の力に頼って物事に対処して来ました。その結果、多くの誤りや回り道を辿ることになる一方、自我を解放し、本来の宇宙に流れる法則の導きに従えば、瞬時に解決に導かれると著者は私達に説いているのです。
 そこには自我の願いや欲求から離れて、無心の心境になる時、初めて解決に至るヒントが宇宙意識からもたらされるのだと説かれています。既に多くの科学探求者が成果を得ているという訳です。
 私達も同様にして、宇宙意識を交流したいのですが、それには先ず、現状の苦痛や自我の要求を捨て、自由な心境を自分の中に造り出さねばなりません。その上でもたらされるヒントを受け入れる中で宇宙意識との交流が始まるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落122

122 The second birth does not necessitate the death of any form of consciousness nor the death of the body; it necessitates only the uniting of the two phases of consciousness into the awareness of oneness. The second birth produces unlimited awareness, uniting heaven and earth. The sense consciousness and the all inclusive consciousness become equally balanced and man begins to learn about the Cosmos.
122 第二の誕生は意識の如何なる形式の死も、肉体の死も必要とするものではありません。それは唯一、意識の2つの側面を一体性の自覚の中に統合することだけを必要とします。第二の誕生は無限の気付きを作り出し、天と地とを一つに結び付けます。感覚の意識と全てを包含する意識は互いに等しくバランスし、人は宇宙を学び始めるのです。



【解説】
 第二の誕生を迎える為に、現在の意識も肉体も死ぬ必要はないと著者は説いています。おそらくこの言葉はイエスが説いた当時のイエスご自身の言葉を示唆していると思われます。アダムスキー氏の記憶から出た言葉であると思うからです。
 即ち、この第二の誕生に当たって、私達は自分の肉体も精神も捨てる必要はなく、只、もう一つの意識、宇宙意識と結合させよと説いているのです。
 しかし、次に問題となるのは、もう一つの意識、宇宙意識をどのようにしてその存在を把握したら良いのかということでしょう。宇宙意識の存在こそ、私達が常に関心を持ち、融合の相手として身の回りに探し求める必要があるのです。その為には自我を小さく保ち、その陰に隠されていた宇宙意識の存在を受け入れる努力を続ける必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落121

121 The Master said, "No man ascendeth up to heaven except he that came down from heaven, even the Son of Man which is in heaven."(John 3:13) Meaning that the second birth is the conscious return into the original Cause state out of which all things proceed into the world of form. Man has descended from Cosmic Cause and he has the privilege to return again to that impersonal state of conscious awareness of Cosmic Cause. When he was born into the world of form he became lost in the appearances of matter and no longer understood the vast Cosmos. He has given himself over to the dictation of the senses and his mind is slow to accept the guidance of the soul. His understanding of the universe has become limited to the effective world - his whole attention is given to the analysis of form and he has been blinded to the Cause back of form. So before he can come into his own original self, he will have to be born again - born into the unlimited perception of the All Intelligence. As the first birth has given man an understanding of the form world like himself the second birth will expand his awareness of the unmanifested Cause world. Man's duty now is to burst the bonds of ignorance - to emerge from the matrix of earth and perceive the vastness of Cosmic Cause.
121 その導師は言いました。「天から降りて来た者以外に天に昇る者はいないのだ。天にいる人の息子でさえも。」(ヨハネ3:13) それは第二の誕生は全てのものが形ある世界に向けて進行して来た源の原初の因の状態に意識的に帰って行くことを意味しています。人は宇宙的な因から降り来たったものであり、人は宇宙的因の非個人的な意識的気付きの状態に再び帰る特権を持っています。人が形ある世界の中に生まれた時、人は物質の外観の中で迷子になり、広大な宇宙をもはや理解しなくなってしまいました。人は自分をその諸感覚の指図に差し出してしまい、人の心は魂の導きをなかなか受け入れようとはしません。人の宇宙への理解は結果の世界に限定されるようになり、その関心の全ては形あるものの分析に注がれ、形あるものの背後にある因に対しては盲目になっています。ですから人が自分自身の原初の自分になるには、再び生まれる、即ち全英知の無限の知覚の中に生まれる必要があるのです。最初の誕生は人に自分自身のような形あるものの世界についての理解を授けたように、第二の誕生は未だ現象化していない因の世界についての気付きを拡げることでしょう。今日の人の義務は無知の束縛を破裂させること、地球の地殻から抜け出て、宇宙的因の広大さを知覚することです。



【解説】
 本来私達各自は天性の素質、即ち生まれながらに備わっている因の要素をこれまで無視し、もっぱら目に見える結果の世界や自らの肉体に属する感覚に自身を委ねて来てしまったのです。その結果は、現状のような不安定な状況を生み出し、世界も混乱の度を極めているのです。
 かつて2000年前にイエスが目にした状況は今日でも続いており、もし今日再びイエスが地上に降り立ったなら、どのような教えを私達に説くでしょうか。私達はこの2000年で何を何処まで進歩させたと答えるのでありましょうか。おそらくこの問いに関してはほとんど何らの成果を報告することは出来ないように思われます。
 それほどにある意味、雲をつかむ程の内容ですが、その一線を超えない限り、進歩の道に乗ることは出来ないことも確かなのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落120

120 Thus spoke the Christ, to whom Life had revealed her mysteries. This statement has been made the very foundation of religion, but Nicodemus of old, who asked of the Master, "How shall this be? Can a man enter the second time into his mother's womb?"(John 3:4) is not alone in his ignorance of the second birth.
120 生命がその持つ神秘を明かした相手であるキリストがそのように話されたのです。この声明は宗教の基礎とされていますが、年老いたニコデモは、導師に「どのようにすれば、これが為されるのですか。人は自分の母親の子宮に二度目に入ることが出来るのですか(ヨハネ3:4)」と尋ねましたが、それは彼一人がこの第二の誕生について無知であった訳ではありません。




【解説】
 私達はこれまでの迷いや苦しみ、恐れから如何に解放されるのか、イエスは私達地球人を導くにあたり、私達に再び生まれ変わることを求めているのです。
 そして本文では著者ジョージ・アダムスキー氏もそのイエスの言葉こそ宗教の土台であると説いています。そのように説くのはアダムスキー氏自身がイエスが地球に居た時、イエスの下に従っていた使徒の一人であったとされることにも由来しています。即ち著者アダムスキー氏は過去の記憶から、当時イエスがどのような意図で説いたかを良く知っていたからに他なりません。
 確かに現状の私達にとって生まれ変わるということは、一旦は自我を消滅(死滅)させることであり、その後に新しく、大地から生まれ来る存在、自然と調和した存在として生きて行くことを意味する訳で、各自にとって一大転換の覚悟を要求していることでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章-段落119

11 TO BE BORN AGAIN
119 "Verily, verily, I say unto you, except a man be born again he cannot see the kingdom of God." (John 3:3)
第11章 再び生まれるために
119 「まことに、まことに私は貴方に言って置きます。人は再び生まれなければ、神の王国を見ることは出来ません」(ヨハネ3:3)




【解説】
 これほどまでにイエスは私達に創造主の王国を観る為に抜本的な内的改革をせよと説いています。原文では”再び生まれる”と表現されており、肉体としての誕生の後、再び真の宇宙の英知の下に誕生することが大きな意味を持つと説かれているように思われます。
 仏教ではこの状態を悟りや覚醒と呼んでいるようですが、論語にも”朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり”とあるように、その真理を理解し、自分が創造主の花園に生きていることが理解できれば、それは素晴らしい心境になるものと言えるでしょう。私達の住むこの地上をそのような姿の実相として認識することはそれ程に価値があるということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第10章-段落118

118 It behooves us then to study Principle instead of focusing all of our attention upon the effects of Principle (source of origin). When we direct our attention towards that inner guiding force we become fully awake and feel the inter-relationship of all life. There has never been a time when one released the personal ego to this inner force that he has not seen some immediate result of action; so as one becomes more fully aware of his oneness with the All-Intelligence his faith is increased and consequently his fear is decreased. Faith is the result of one's unity with the Whole, and such unity cannot take place until every thought of selfishness with its whole category of resultant fears steps aside and leaves the highway of understanding free of barriers. So we may see that absolute faith is not of easy attainment - it must come through a gradual growth just as all things change by degrees. Faith is actually an expansion of conscious awareness to include more knowledge and certainty of action.
118 ですから私達がその注意をすべて法則(源泉)の結果物に集める代わりに、法則を学ぶべきということは当然なのです。私達がその内なる導きの力に向かって注意を向ける時、私達は完全に覚醒し、全生命の相互関係を感じ取るようなります。人が個人的エゴをこの内なる力に解き放つ時、行動の直ちに起こる結果を見ないままで終わることはありません。ですから、人が自身が全英知と一体になっていることに、より完全に気付くようになるにつれて、その者の信仰は増し、その結果、その者の恐怖は低減します。信仰とはその者が全体と一体になった結果であり、このような一体化は全ての結果に及ぶ利己的なあらゆる想念が脇にどいて、理解の王道から障害が無くなるまでは有りえません。ですから、私達は絶対的な信仰というものは容易には達成できるものではないことは分かると思います。それは、丁度、全ての物事が少しずつ変化するのと同じように、なだらかな成長を通じて実現する筈です。信仰とは実際には、行動に対するより大いなる知識と確かさを含む意識的知覚力の拡張であるのです。



【解説】
 私達の進化の過程を表現するものとして、円グラフを例とすることが多いものです。即ち、目指すべき状況を円の全周とすれば、私達各人はその途上にあり、未達成な部分が少しずつ減った分、達成の割合が増えるというものです。
 言い換えればこの達成割合を少しずつ広げて行くことが精進であり、決して一晩で達成されるようなものではないのです。
 本文では私達は物事の背後にある因に私達の関心を向け、心をその源泉の中に解き放てと説いています。即ち、想念・印象が飛び交う因の世界に関心を向けよとしているのです。とかく私達は目の前の事柄や自らの身体状況に自分の関心を奪われがちですが、著者はそれに代わってもっと奥底の因の世界に自らの関心を没入させよとしているのです。目に見えない創造主への信頼こそ最重要課題とすべきなのです。

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