2020年06月

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落056

056 Lack of perception is the greatest of the sins of omission; why should a man remain in ignorance when all things lie before him and the very fullness of life prevails within his being awaiting the command to come forth.
056 知覚の欠如は怠慢の罪の内、最大のものです。何故、人間は全てのものが自分の面前に有り、自身の中には命令が来るのを今か今かと待っている生命で満ち溢れているのに、無知のまま留まっているというのでしょうか。



【解説】
 目の前に十二分な贈り物が供えられているにも拘わらず、それらに気付かず、他の場所に目をやり、何かを探し、「無い」と騒ぎ立て、それに疲れると再び眠り込む姿は私達自身を表しているということでしょう。
 その恵まれた環境に気付くことが最も重要なことです。これは怪我をして長期間歩けなかった者がやがて傷も癒えて再び自力で歩けるようになった時、何気ない街路の散歩が如何に素晴らしいか良く分かることに似ています。
 私達の歩む先には、やがて私達がその能力に目覚める時、発揮出来る能力とその素材が私達の指令を待っている訳であり、その発現こそ私達に期待されている所なのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落055

055 Perception includes not only recognition but also comprehension. We cannot fail to recognize the fact that we are sons of the Cosmic Father Principle and heirs to all there is, but how many are there in this world who have actually perceived what that sonship means? Lack of perception leads always to a lack of confidence which prevents man going forward into greater accomplishment. The man who fails to understand his relationship with the whole is but a wanderer having no purpose in life.
055 知覚には認識のみでなく、理解も含まれています。私達は自分達が宇宙の父性原理の息子達であり、存在する全ての相続人であることを忘れてはいけませんが、この世の中にはどれだけの人がこの息子の地位が何を意味するかを知覚しているのでしょうか。知覚の不足は確信の不足に繋がるものであり、それは人がより大いなる達成に前進することを妨げるものです。全体との自身の関連性を理解出来ない人間は人生に何の目的を持たない放浪者でしかありません。




【解説】
 自分が如何に恵まれているかを自覚するところから、進化の道は始まるということでしょう。ほとんどの賢者や宗教指導者が教える事柄の第一は「感謝」にあるのは、本項で説かれているように、先ずは私達自身の恵まれた地位とそれを授けている創造主に感謝し、その事実を深く認識せよとしているのです。
 一方、それら核心部分を十分に理解していない人は、行き先を不安に思い、自信を持てません。まさに、信仰心が不足している状態です。
 従って、先ずは私達自身の現状を自分の目で確かめ、与えられた環境を十分に活かしているかチェックした方が良いでしょう。自らを生かし続けて呉れる生命力に感謝し、その発現にこそ力を発揮しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落054

054 In our christian bible we find references to "Life Eternal" and the way we must conduct our lives in order to know, "the only true God," but the application as to just how this is done is not explained. To know God the Father is to perceive Cosmic Cause. Conception has no limitations for it is cosmic, and that which is conceived can also be perceived by the mortal mind so perception knows no beginning or ending; its vastness is all-inclusive.
054 キリスト教の聖書に私達は「永遠の生命」や「唯一真実の神」を知る為に私達が人生を導かなければならない道に関する言及を見出しますが、ただ、これがどのようにしたら為されるのかについては説明されてはいません。父なる神を知ることは宇宙的因を知覚することです。受想は宇宙的属性であるが故に限界はありませんし、また受想されたものはまた、死すべき心によって知覚され得るため、知覚にははじまりも終わりもない訳で、その広大さは全てを包含するものです。



【解説】
 古来から地球人に伝えられて来た真理について、その内容は精妙なものであるが故に、当時の人々、更には今日の私達にも十分な理解を得ていないまま今日を迎えています。
 多くの宗教の中に共通する教えがあり、それが本項で言う永遠の生命や唯一の神というものですが、それも具体的な到達方法についてまで説くものではありません。各個人によって状況は異なるものである以上、各自が修行によって一つずつ身に付けるより他に方法はないのです。
 本第4章は私達へのヒントとして、因なる印象(Conception)は高速に私達を通過し、その内容は当座はおぼろげな印象しか私達にもたらしませんが、やがて、私達がそれらの意図する内容を静かに学ぶことで、次第にその持つ具体的な意味を学ぶことが出来る(Perception)が可能となり、自らの能力を高めることが出来ると説いています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落053

053 There are myriads of thoughts bombarding man's mind every second; some are personal, some are impersonal, many are beyond the conception of the average sense mind. It is true that each thought that enters man's being impresses itself upon the individual cells of his body but the mortal sense mind as a whole does not become aware of it. Conception while being of Cause does not raise man to the Cause state; it is perception which produces growth in the mortal man. In the average man the thoughts are passing at the approximate rate of 1100 per second. In a highly developed person the thoughts run about one-half million per second. The mortal grows through experience and only that which is perceived consciously can be termed as experience. Awareness is the key to wisdom and the only channel to human thought expansion. Awareness must be combined with action so that intelligence may be expressed. Cosmic Cause incarnates in matter whether the mortal mind of man is conscious of it or not, but through perception of that action the mortal expands in the field of growth. The mortal sense mind, having divided itself from the Whole, must evolve again into the Oneness by perceiving the Cause in effects. In the cosmos everything exists and we, being of the cosmos, have everything within us. If we perceive that which is within us we are able to bring it into manifestation. Through perception we actually "mother" or "father" a thing into growth. The whole science of life is based on these two - through conception and perception are all things brought into being in the world of effects. Conception is responsible for putting Cause into motion and bringing forth action. Conception may take place without any awareness on the part of the intellect but the action which takes place due to conception bring forth a quickening that produces what we know as sensation. Perception is the act of becoming aware of sensation and knowing its source.
053 毎秒、人間の心に衝突して来る何万もの想念があります。あるものは個人的なもの、またあるものは非個人的なものであり、多くは平均的な感覚心の受想を超えています。人間に入り込む各想念は、それ自身を人間の肉体の個々の細胞に印象を刻印することは真実ですが、死すべき感覚心は概して、それに気付くことはありません。因に属する受想は人を因の状態にまで押し上げることはしません。死すべき人間において成長をもたらすのは知覚なのです。平均的な人間では、想念はおよそ毎秒1100個が通過しています。高度に進化した人物においては想念は毎秒50万個も流れます。死すべき人間は体験を通じて成長するもので、意識的に知覚したもののみが体験と呼ぶことが出来るのです。気付きは人間における想念の拡大につながるカギであり、唯一の道です。また、気付きは知性が表現されるよう行動と結び付けられなければなりません。宇宙の因は死すべき人間の心が意識しているいないに係らず、物質に宿っていますが、その活動を知覚することによって死すべき人間は成長の分野で発展するのです。全体から自分自身を分離した死すべき感覚心は結果における因を知覚することによって、再び一体性の中に進化を遂げなければなりません。宇宙の中に全てが存在し、私達もその宇宙に属する以上、私達の中に全てを有しています。もし、私達が自分自身の中にあるものを知覚すれば、私達はそれを創造の現れとしてもたらすことが出来ます。知覚を通じて私達は実際には物事を成長させる「父母」の役割を果たすのです。生命の科学全体はこれらの二つ、受想と知覚に基礎を置いており、それらを通じて、全ての物事が結果の世界にもたらされるのです。受想は因を動かし、行動を推し進める役割を果たしています。受想は知性の側には何らの気付きもないまま生じるかも知れませんが、受想に起因する行動は私達が湧き起こる感情として知っている状態を作り出す衝動をもたらします。知覚はその感情に気付き、源泉を知る行為なのです。




【解説】
 大事なことは、各自が自らの努力として、これら毎秒1100個とも言われる想念波をより多く感知出来るようにし、それらを学習することを通じて、自らの体験を深めて行くことです。
 私達はこれら想念波を感受する機能が備わっており、それらを呼び覚まし、活用することが求められているのです。その為には私達自身がその事実を知る、悟ることが必要で、自分のみならず隣人の為に、その能力を活用することが求められています。
 毎日の一つ一つの実践体験は、各自の能力を高め、その影響は周囲に拡がって行くことになりますし、遂には惑星全体の振動数を高めることに繋がります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落052

4. PERCEPTION AND CONCEPTION
052 "What man can conceive he can also achieve," has been said, but between conception and achievement there lies a middle step which is perception. We are familiar with the use of the word perception as used in relation to a faculty of receiving knowledge of external things by the medium of the senses. This same faculty may also be used to alert the senses to a Cause Intelligence which is beyond its effective scope of perception. Conception is constantly taking place within man; the conscious intelligence of the cosmos is eternally incarnating in matter, but unless there is awareness on the part of the mortal sense mind these thoughts are liable to pass on without ever being recognized in the world of form. We know that thought is the basis of human action and there are millions of thoughts that pass over the highway of mind every day, but man perceives approximately one thought out of every hundred which is conceived within his mind.
第4章 知覚と受想
052 「人が思いつくことはまた、実現することが出来る」と言われて来ました。しかし、思いつくこと(受想)と実現の間には、知覚という中間の段階があるのです。私達は知覚という言葉を、感覚という媒体を通じて外の物事の知識を得る能力に関連させてよく用いて来ています。これと同じ機能は知覚の効果的な範囲を超えた宇宙的知性に感覚を鋭敏にさせるためにも用いることが出来ます。受想は人間の中で常に起こっており、宇宙における意識の知性は永遠に物質の中に体現していますが、肉体の感覚心の側に気付きが無ければ、これらの想念は形あるものの世界の中で認識されることのないまま、通り過ぎてしまい易いのです。想念は人間の行動の基本であり、また毎日、心の大道を何百万もの想念が通過していますが、人は自分の心に受想されるおおよそ100に1つの想念を知覚するだけであることを、私達は知っています。



【解説】
 本シリーズではConceptionの訳語を”受想”としています。実はConceptionの中には受胎(妊娠)という意味もあり、創造主の力を受けて生命を宿すという趣旨も含めているからです。
 重要な点は私達は日常的に私達が気づく100倍以上のヒラメキを受想しているということで、それらのほとんどを無為に捨て去っているということでしょう。そして私達自身が精進を遂げる中で、それら多くのアイデアを現実のものとすることが可能であるということです。
 漠然としたイメージの受想段階のイメージをより具体的なものとして知覚することが出来れば、私達の存在意義を果たせることになるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落051


051 There is no greater law than that of conscious action, for upon it rests continuous Creation. Energy acting upon itself gives birth to time and space, the relative elements of the Cosmos that cause conception of the state called form. Each thing depends in part upon another and may be traced back to a common source.
051 意識の活動ほど偉大な法則はありません。何故なら止むことの無い創造はそれに支えられているからです。意識の活動において作用するエネルギーは、宇宙の相関的要素である時間と空間を生み出しますが、(その時間と空間は)形あるものと呼ばれる状態の概念をもたらします。各々の物事は、部分的に互いに依存しており、また一つの共通の源泉に遡ることができることでしょう。



【解説】
 本当はこれまで私達が考えても見なかった程、”意識”と著者が表現するものは大きな力を有していると本項で明かされています。
 即ち、時空を誕生させるのも、その結果として創造される形あるものを生み出すのも、元とはと言えばこの意識のエネルギーデアある訳です。
 宇宙空間の中で次々に変遷して行くこれら創造物は互いに混じり合いながら、経験を深め、宇宙一体化の道程を進むという意図された進化、表現の過程にあるということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落050

050 Within the Cosmos there is no destruction but only newness by a ceaseless action; all substance changing and transmuting but never for an instant's time withholding. In an endless array of patterns and designs from formless into formed in unfolding the wondrous picture of eternity.
050 宇宙の中では破壊というものはなく、絶え間ない行動による新しさだけが存在します。全ての物質は変化し、変質しますが、一瞬として保留状態にあることはありません。永遠の目くるめく絵画を紐解く中で、終わりのないパターンと形なきものへの入念な計画があるのみです。




【解説】
 宇宙の全ての活動は常に新しい創造物の創出過程にあると説いています。私達が恐れ、悲しむ「死」は、私達自身の思い違いということなのです。
 生きものにおける生死は生誕から食物連鎖の活動として、あるいはライフサイクルの満了までの時間軸の中で行われる生命活動に過ぎませんし、私達が現在立つ場所はそれら活動の輝きの一点であるということでしょう。
 因である言葉を体現する私達の肉体は所期の目的が達せられ、使命を全うすれば再び元の材料元素に戻るべきなのです。いたずらに老い永らえるよりは、次なる生命発現の場に立ち会った方が良い体験を積めるというものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落049

049 So it is with the Song of Creation - each atom of substance is used eternally, now making up a rose bush or a tree; now mingling within man, now in the beast; descending into form and then once more ascending to invisibiltiy; expressing through fire, water, earth and air, and ether finer than man can know; from the coarse pulsation that produces stone to a motion higher than the speed of light; from radiation down into vibration and back again the Primal Essence moves. From the formless into densest matter and back again into the higher state, each atom relative unto all others, cooperating and exchanging places.
049 ですから、物質の原子は創造の歌と一緒に用いられており、今はバラの茂みか木を作る為、また今は人体の中で混合され、あるいは今は獣の中に混じっています。形あるものに降下し、次には再び目に見えない存在に昇華します。炎を通じて、あるいは水、大地や空気そして人が知っている以上の精緻なエーテルを通じて表現されています。また、石を作り出している粗い振動から光の速さより高い運動に至るまであります。放射線から低下して振動に至るまで、そして再び原初の真髄は動きます。形なきものから最も密度の高いものまで、また逆に、より高次な状況にまで、各原子は他の全てとの関連において協力し合い、互いに場所を交換しています。




【解説】
 宇宙空間内のあらゆるもの、あらゆる原子・分子は変わることなく様々な創造の場面で、その成立に貢献し、経験を積んで行くという訳です。宇宙の中には失われるものは何もなく全ては創造の過程にあるということです。
 私達はこのことについては既に学んでおり、自然界においては様々な元素が循環し、物質の変遷の中で、様々に形を変えて動いていることを知っています。
 まさに、宇宙開闢以来の長年月の間には、万物が交ざり合い、融合する中で各々の創造物の構成は他のもの達とほとんど変わらない構成比率にまでなっているのかも知れません。唯一、外形だけがその違いを表しているのです。
 こうした中、私達は各自を構成する原子・分子の声や経験を知ることによって、本格的な進歩を手にすることが出来る筈です。それら膨大な経験こそ、私達が目指すべきものと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落048

048 Substance is in the process of evolvement; consciousness, in the process of expression. Up and down the vast scale the force moves rapidly into expression, touching one particle of matter, then another - blending the two or more into a chord of harmony, just as the fingers of a man pluck music from the mute strings of his harp. To produce a perfect melody the strings must be set in motion many, many times, making new tonal combinations - now soft and low, now rising to crescendo; one time in rapturous swinging rhythm, then changing to a lingering minor key - all strings awaiting the touch that stirs them to life within the melody. Each string is vital to the total Song.
048 物質は進化の過程に、意識は表現の過程にあります。広大な規模に上下しながら、力は表現に向けて素早く動き、物質の粒子一つ一つに次々に触れながら、二つあるいはそれ以上の粒子を一つのハーモニーの和音に融合します。丁度、人の指がハープの沈黙した弦から音楽を弾き出すようにです。完全なメロディーを作りだす為には、弦は何度も何度も揺り動かされなければなりません。その結果、新しい音色の組み合わせを作り出します。柔らかで低いトーンから、今度は最高潮に上昇します。ある時は熱狂的な律動的なリズムで、次はなごりを惜しむ短調の調子に変化します。全ての弦はそれぞれをメロディーの中で命を掻き立てる演奏者のタッチを待っているのです。弦の一つ一つがその歌全体にとって無くてはならないものです。




【解説】
 私達各自の役目が本項ではハープの弦と表現されています。つまり音楽の一つの曲を構成する上で、ハープの弦の1本も無くては完全なる音曲を造り出すことは出来ないこと、また奏者の指先に従って、弦自体がその弦固有の音を表現出来なければならないのです。
 意識とはこうした内から沸き起こる表現の原動力のことであり、物質はこれら創造の衝動を表現する役目を担っているのです。
 また、このことは私達人間が互いに異なる才能(音)を有しており、それらのいずれも同等な価値と役割があることに気付きます。そして重要なのは、曲が演奏されている時には、奏者(創造主)とハープの弦が発する音曲は一体化しており、両者の区別はないということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落047

047 We know that in the pool of clearest water the first wave that was started, in its passing, gave to the next its force and animation. And that, in turn. imparted added motion unto the following molecules of water. Without the unity of the whole mass no particle could know the primal action. The cosmos is like unto the pool from out whose center flows the rhythmic motion - it is the clear calm sea of undivided consciousness upon whose surface there arises innumerable wavelets of vibration. Each form, in turn, contains the same - beginning with one basic impulse evolving to countless particles of motion, each one attuned unto the primal urge. Again, each tiny central point of action is offspring of the Great Heart of motion. To the understanding of the mortal man these countless points of action are perceived as separate entities within the varied kingdoms. Upon the earth man gives the name of mineral unto the denser substance that he sees; a little higher is the vegetable, and then there comes the animal and fowl, which leads up to the consciousness of man who separates the Allness into parts and draws a line where no such line could be, for through the whole vastness of the Cosmos the Primal Impulse incarnates itself and as the ripple in the pool gave up itself to create something greater, so does each manifested form of each kingdom release itself into evolvement. The innumerable minerals give up their impulse to plant life, the plant, in turn, releases energy unto the higher consciousness of flesh. There is nothing that can live alone, nor any spark of energy destroyed. All impulse lives and acts eternally, passing from form to form and in its passing charges all substance with emotion and creates ripples on the Sea of Being.
047 私達は透き通った水からなる池の中で、始まった最初の波は進む中で隣にその力と行動を与えていることを知っています。また、そのことはそれに続く水の分子に運動を伝達することでもあります。全ての物質の一体性が無ければ、如何なる粒子もその原始の行動を知ることは出来ませんでした。宇宙とはその中心からリズミカルな運動が流れ出る池のようなものです。それは表面に無数の振動するさざ波が起こる、分裂の無い意識からなる清澄な静かな海です。各々の形あるものは、今度は同じものを含んでおり、無数の粒子の運動を展開する一つの基本的な衝動から始まり、各々はその始原なる衝動に調和しています。更に各々の小さな行動の中心は運動の偉大な中心でもあります。死すべき人間の理解にとって、これらの無数の行動の中心は様々な王国の中の分離した実体のように受け取られます。地球に対して人は自分が見るより密度が高い物質を鉱物という名前で名付けますし、より高次なものを野菜、そして次に動物や家禽類等が入ります。これらは人間の意識にまで至りますが、それは全てを部分に分け、本来、そのような区別のあり得ない所に線を引いています。何故なら宇宙全体の広大さの中に始原なる衝動が化身し、池のさざ波のように自身をより大きな何かを創り上げる為に捧げているからで、各々の創造された形あるものは進化の為に自身を解放しているのです。無数の鉱物が植物の命の為に自分達の衝動を捧げ、植物はより高次な肉体の意識にエネルギーを放出しています。独りだけで生きて行けるものは何一つありません。また、破壊される如何なるエネルギーの火花もありません。全ての衝動は形あるものから形あるものに移行しながら生き続け、永遠に行動し、移行する過程で全ての物質に感情をみなぎらせ、実在の海にさざ波を創り出すのです。




【解説】
 本項は宇宙における創造作用がどのようにして機能しているかを私達に説いています。
 静置した水面上を波が周囲に伝わるように、私達創造物は主なる創造主の意向を体現し、次なる者に伝えなければなりません。この伝播の過程で、植物は動物を養い、またその動物も他の者を養う等、様々な形で互いに繋がっているということでしょう。
 本来は鉱物や植物、動物もその存在の意義に差異はありません。宇宙における全ての構成員は、この同じ宇宙創造の波動の体現者、伝達者であるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落046

RELATIVITY
046 Matter manifests as an effect of the Cause impulse that rises from the Word. As a pebble dropped in the center of a still pool will send an impulse through the whole clear mass and stir its farthest boundaries into motion, so was the Primal Substance caused to vibrate by the Cosmic Impulse. And as the nearest wavelets are finer than those at the ultimate extreme so is the substance close to the heart of Creation finer than that upon the outer edge. Each impulse of the Word that has manifested in the realms of matter has evolved into its formed state of being through a primal motion or centralized impulse, out of which grew a heavier motion, swelling to greater perceptibility. The primal frequency goes into expansion without the smallest loss of energy.
相関性
046 物質は大いなる言葉から起こった因なる衝動の一つの結果として現れます。静止した池の中央に落とされた小石はその透明な物体の塊全体に一つの衝動を伝え、その最も遠い境界に運動を促すように、宇宙的衝動によって原始の物質は振動させられたのです。また中心に近いさざ波は最極地のものより精緻であるように、創造の中心に近い物質は外側の縁のものより精緻です。物質界で創造作用をもたらした大いなる言葉の各々の衝動は集中化した衝動の主要な行動を通じて形ある存在状態に進化し、そこからより重い行動、より大きな知覚作用に拡大しました。その主要な振動数は少しのエネルギーの損失もなく、拡張しています。




【解説】
 止水明鏡という表現がありますが、万物創造の状況はこのような静まり返った世界であったということでしょう。そこに創造主の言葉が響き、中央にその響きによって波の源泉が形成され、以降、万物の隅々にその作用が伝搬されて行ったという訳です。
 そして遂には物質界に形あるものとして万物が創造されたという訳です。即ち、万物はこのオリジナルな波動の一つの表現形態になっているのです。そしてその源泉の創造主の言葉から形あるものの形成までには、私達が知らない様々な段階があるということでしょう。全ては最初の言葉を表現したものであるのです。
 一方、池に落とした小石が作る波紋のように、作用(エネルギー)が伝搬する様子は自然のものですが、地球人が人を殺傷する為に用いる爆弾、とりわけ原子爆弾の破裂力はこれら創造と真逆の破壊行為の象徴であることが分かります。創造に敵対する勢力を象徴する以外、何の役割もない、愚かな行為であるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落045

045 Out of the Primal Essence has come forth, charged with the Power of the Word, the manifested utterance of Cause. The planets, worlds, the moon, the stars and suns, the leafing trees, the song bird and the rain, the beasts, the crawling reptiles and the dew, each in its own tongue expresses the Word. But man has given unto each a Name and it is there that his attention lies. Manifestation has become his God and he has placed the Name above the Word, which nameless is and silent and unseen yet causes all the named things to be.
045 原初の本質から大いなる言葉のパワーを授けられて、因の現れとなる声が生み出されました。惑星、天体、月、星々そして諸太陽、葉を繁らす木々、さえずる鳥や雨、獣達、地を這う爬虫類、草露、それらの各々は各自の表現方法でその大いなる言葉を表現しています。しかし、人は各々の名前を付け、それに自分の関心を置いています。創造物が彼の神になってしまい、人は名前が無く、無音で、見えず、しかも名付けられた全てのものをもたらした大いなる言葉よりも、名前を大切に考えてしまいました。




【解説】
 森羅万象、創造物は皆、それぞれの表現方法で自らを通じて表現された創造の息吹を精一杯、体現しているのです。
 それに引き換え、万物に名前を付けることを許された人間は、その名前に囚われて、それら生きもの達の表現を見て学ぶことを止めているのです。元来は地上に名前など無く、全てが区別なく一体化したものなのですが、私達人間の目には一つ一つが分かれた存在になっているという訳です。
 そういう意味では、私達は互いに名前や民族、国籍等の区別を取りやめ、より広い世界の中で万物と融合した生活を目指すべきものであるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落044

044 Little by little man's awareness of that which he encounters expands, and clearer grows his vision till at last his conscious awareness beholds the transcendent Cause behind the Name.
044 自ら出会う中で少しずつ人の気付きは拡がり、次第に自らの視野を済ませ、その意識の気付きを成長させて遂には名前の奥の超越的因を見守るまでになります。




【解説】
 私達が物体の背後にある超越的な因に対してどのように知覚するようになるか、本項では間欠に述べています。
 それは私達自身の訓練の結果として少しずつ拡がって行く私達の知覚力なのですが、それはある意味、感性の拡がりと言うことも出来ます。つまり、私達の側にその能力が高まれば、それ程に物体の背後にある因なる要素、例えば印象や想念波動等、物質に作用し、その形あるものを創り出した原因を知るようになるという訳です。
 そもそも私達が日常精進するのは、こうした想念・印象の感受性を高める為であり、万一、次第に感性が低下するような事態があれば、それは退化の道を転げ落ちている証拠と言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落043

043 The Word has never given forth a Name and never shall, for in such act would lose its endless and eternal state of Being. But Man, to whom free-will and power was given, who slumbers deep and dreams his mortal dreams, has in his waking moments labelled action and given name to consciousness and form. His eyes at first were dim with mortal slumber; he saw but vaguely through the mist of sleep, and only felt the coarsest of frequencies that shaped the holy substance into form, but those he named so he might build a memory of parts to guide his future waking states, for only by such means can he evolve to recognition of Cosmic Allness.
043 大いなる言葉は決して名前を発したことはなく、今後もないでしょう。何故ならこのような行動を行なえば、その終わりのない永遠の存在状態を失うことになるからです。しかし、自由意志と力を与えられ、深くまどろみ、自らの死すべき夢を見ている人間は、目覚めている間、行動にラベルを付け、意識そして形あるものに名前を付けて来ました。その目は最初は死すべきまどろみで霞んでおり、人は眠りの霧の中でかすかに見るだけで、形あるものに聖なる物質を形づくった振動の最も粗いものを感じるだけでしたが、自分が名付けたものに対して、人は将来の目覚めに導く役割を持つ記憶の部品を作ります。何故なら、この手段によってのみ、人は宇宙の全体性を認識するよう進化出来るからです。




【解説】
 そもそも何故私達人間に諸々の創造物に対して名付けることが許されているかについて、本項は解説しています。
 元来、宇宙の創造において名前は必要ではありません。大自然の中に分類されておらず名前もない多くの動植物が存在します。わずかに探求者が森に入り、新種の動植物を発見できたとニュースになる程度が地球のレベルであるのです。
 名前(学名)が無くても、それらの種は何ら影響なく暮らしており、名前を必要とするのは、人間の側の論理に過ぎないのです。
 しかし、重要なのはこの名前を付けるという意義は、ひとえに人間にとってその理解を助ける為であると説かれています。分類学とは自然を私達が理解する為にあるという訳で、宇宙や自然を理解しようとする上から活用すべきものということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落042

THE NAME
042 The Word is changeless, whole and complete. The Name personifies the Word - divides Its vastness into many parts, gives place and form to each and every part and power of utterance in an auditory state. The whirling mass of substance called the Earth is to the mortal ears a mighty name, for on its surface humankind evolves and learns a tongue with which to speak the Name of That which in Itself is nameless, yet Earth shall change and pass away in Time, to reunite within the Cosmos. The Word has always been, will always be, the Name has a beginning and an ending.
名前
042 大いなる言葉は変化することなく、全てであり、完全です。名前はその大いなる言葉を個人化し、その広大さを多くの部分に分割し、各々の部分に場所と形を与え、耳で聞こえる発声の力を与えています。地球と呼ばれる高速で回転する物質の塊は人間の耳にとっては強大な名前です。何故なら、その表面で人類は進化し、それ自身名前が無かった大いなるものの名前を話す言語を学んでいるからです。しかも地球は変化を続け、時間経過の中では、宇宙の中で再統合するため、亡くなります。大いなる言葉は常にあり続け、将来もあり続けますが、名前には始まりと終わりがあるのです。



【解説】
 とかく言葉(The Word)と名前(The Name)について混同しがちな私達ですが、ここではその違いについてよくよく学ぶ必要があります。
 即ち、The Word(言葉)と著者が説いているのは、いわゆる言語としての言葉ではありません。より深淵で宇宙空間においてあらゆる創造の源としての創造主の想い、いわば”想念波動”とも言うべき力強い存在を意味しているのです。
 一方、それを音声に私達が表現する時、その示唆する具体的対象物に与えられるのがThe Name(名前)ということになります。この名前を活用することで私達は創造物の内容を詳しく学び、その構成要素の相互関係を知ることが出来る訳です。
 しかし、その源となる惑星もやがては崩壊の時を迎え、元来の宇宙のチリに戻ることになるのだと著者は説いています。壮大な宇宙のドラマの一幕の舞台に私達も立役者として立っている訳ですが、それもやがては散り散りになる再生の道を歩むことになるのだという訳です。
 それ故にこそ、私達が重視すべきは、この永続する言葉を理解することであり、各々の場所のみで通用する名前にこだわるべきではないということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落041

041 We must open our eyes of consciousness and view in all Its magnitude and beauty, the living, breathing image of the Word.
041 私達は自分達の意識の目を開いて、その全ての壮大さと美しさの中に生き生きと息づく大いなる言葉のイメージを見なければなりません。



【解説】
 私達は自らの環境や自身の肉体や魂について、よく知らないまま、或いはよく知ろうとしないまま、怠惰に過ごして来たと言うべきでしょう。本項では私達を取り巻く大いなる言葉の意義について学ぶとともに、それらを人間が言葉として表現し得ない始原のイメージの段階の力が空間を通過することで、諸々の変化や創造の動きをもたらすことを理解することが肝要です。
 言い換えれば、静止したものには力はなく、私達自身も含めて常に活動的であれということでしょう。そうした活動的な真の姿を私達は積極的に見るように努力すべきということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落040

040 We, as children of the Cosmos, are in the process of reflecting the understanding of our Source. All action is the echo of the Word as It passes through the vast arcades of space, and in Its passing creates time and form.
040 宇宙の子供である私達は、私達の源泉に対する理解を反映する過程の中に居ます。行動は全て大いなる言葉が巨大な宇宙空間のアーケードを通過する際のこだまであり、その大いなる言葉が通過の際に時間と形あるものを作り出すのです。




【解説】
 確かにネアンデルタール人等、先史時代の人骨の復元増等を見ても、私達現代人は少しずつ進化を遂げて来たことが分かります。内面の理解が本人の外形にも影響を及ぼして行くということでもあります。形あるものはそうした因と呼ばれる見えない波動の表現物ということかと思われます。
 そういう意味で言えば、長らく修行を続けられた高僧には高貴なすがすがしさがありますし、同様なことはアダムスキー氏が逢った他惑星の人々についても言えることでしょう。
 また、本文では言葉が宇宙空間の中を移動する過程で形あるものを創り出すという表現があります。私達の概念では、地上は固定したものですが、実際には惑星自体自転も公転もしている訳で、全てのものが高速で宇宙を旅している最中にあることを自覚して置く必要もあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落039

039 And every unit in the whole of Being, each atom and each spark of consciousness reveals without a mark of limitation, if we but seek its heart, the perfect image of Infinity. And each of the little passing points of action which we in earthly terms have labelled time, speak within the moment of their being the fullness of Eternity. Just as the drop of water from the ocean reveals the character of that from which it came; and every sunbeam traveling through space reflects the composition of the sun and revibrates the image of that orb in all of the glory of its full expression.
039 そして大いなる存在全ての中の一つ一つの単位である各々の原子と各々の意識のスパークは、もし私達がその本質を求めさえすればその永遠に関する完全なイメージを一点の制限もなく、私達に明かしてくれます。そして私達が地球的な用語として時間と名づけた行動の小さな通過点はそれらの存在する瞬間の中で永遠の全てを語ります。丁度、大洋の水の一滴がそれが来たったものの特徴を現し、また宇宙空間を旅した太陽光線の一つ一つが太陽の構成物を反映し、その球体のイメージをその完全なる栄光の表現の全てにおいて再現するようにです。




【解説】
 毎朝の散歩の道すがら、時には前夜降った雨も止み、朝日が輝くすがすがしい空気の中、多くの奇跡的な光景に出会うことも多いものです。中には松の生垣に伸びた多数の若芽の先端に露の雫がとどまっている中、それらの全てが朝日を受けて輝く光景は朝の散歩ならではのご褒美と呼べる美しさです。
 これら輝く無数の宝石は皆同じ虹色に輝き、透明な丸い水滴に太陽の光が虹色に分かれ輝きを放つ等、一つ一つの小さきものが与えられた恵みを精一杯表現しているのです。本項はこうした情景をも説いていることでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落038

038 Each form that with our mortal eyes we view is but a point of action in the whole - a minute bit of elemental substance moving to ever changing patterns and designs; impelled and impregnated with all-abiding consciousness. There is no tiniest unit in the Whole that does not bend an ear to the Law which Fathers it and causes it to be. And all that we perceive with mortal eyes and know with our consciousness is but the effective image of the Cause Intelligence, which formless is, yet causes forms to be; which knows no limitations and no bonds yet creates transient dense conditions that move and change within the bosom of incomprehensible Eternity.
038 私達が肉眼で見る個々の形あるものは、全体の中の一点の活動でしかありません。絶え間なく変化するjパターンとデザインに移行する基本的な物質の小さな小片であり、全てを永続させる意識によって促され、受胎されたものです。全体の中でそれを生み出し、そうなる原因を成す法則に耳を傾けないものは如何なる微細なもの一つとしてありません。私達が肉眼で見、そして私達の意識で知るもの全ては、形なきものであるが、形あるものを作り出す因なる英知の結果としてのイメージに過ぎません。その因なる英知には制限も制約も無く、しかも無限の永遠の胸の中で移行し変化する過渡的な密度状態を作り出しているのです。




【解説】
 あらゆるものが永遠なる進化の過程の中の移行期にあるということでしょう。私達は全て一連の過程の只中にあり、変化を遂げつつある訳です。これは”諸行無常”ということでもありますが、従前の解釈とは異なるのは、明るくより大いなる進化の途上という肯定的である点に注意しなければなりません。
 重要な点は本文で著者はform(形あるもの)と表現していることです。即ち、物質から構成されている創造物を示しており、これは私達の棲む惑星も含めて、形あるものを指していることです。言い換えれば形になっていないもの、因との言えるような存在について、例えば想念・印象については本項では触れていないのです。このことは私達自身の真我や想念・印象その他はこれら形あるものでは別に、因の領域に属し、永続する存在ということになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落037

037 This planet earth that we call our home was brought into its present state of being through that cosmic law of affinity, the great magnetic principle of attraction, and all that therein grows and multiplies is of the one and only Cosmic Power.
037 私達が母国と呼ぶこの地球という惑星は、親和の宇宙的法則、偉大な磁気的引力の法則を経て、今日の状態になりました。そして地球の中で成長し繁殖する全ては、唯一無比の宇宙的パワーによるのです。




【解説】
 確かに元来は宇宙空間の中にあった塵が今日の惑星にまで結合・集結した訳で、その源の力に対し、本項では偉大な磁気原理と表現しています。また、その力は引力とも言われるものですが、地殻深く岩石を溶かす程の高温・高圧の状況を創り出す等、私達が棲む惑星の全てを支えているのです。
 こうした一連の動きは地表に暮らす私達には気づきにくいことですが、実はこの惑星の今後を左右する大きな影響力を持っている訳です。それ故に著者は宇宙を学ぶ時、宇宙哲学の道を探求する際に、こうした本来の物質間の吸引力についてしっかり知覚せよと言っているものと思われます。
 また、以前にある人が地上の人々が持つ日常の想念レベルが地殻変動に影響を及ぼすと忠告したことを思い出します。ソドムとゴモラの昔に遡るまでもなく、地上に暮らす人々がその地の地殻運動を左右することに留意しておく必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落036

036 Oh, Son of God and Son of Man, lift up all things within your sight; let your heart make known that which the sight doth not reveal and from the womb of Cosmic Cause which is the source of all creation awaken into the birth of a Magnificent Perception. Awaken into the realm of true Being. Let the strong fingers of your will draw you again into full consciousness. Rise from your earthly couch of slumber and perceive the beauty of your present Existence.
036 ああ、神の息子、人の息子よ、あなたの視界にある全てのものを高揚させなさい。あなたの心に視覚は真理を現さないこと、そして全ての創造の源である宇宙の因の子宮から壮大な知覚の誕生が覚醒されることを知らしめなさい。真実の存在の王土の中に目覚めることです。あなたの意志という強い指であなた自身を完全な意識の中に再び引っ張り入れることです。あなたの地球でのまどろみの長椅子から立ち上がって、あなたの現在の存在の美しさを知覚することです。



【解説】
 このところは新型コロナウィルス感染拡大の影響から、しばらく在宅勤務が続いていますが、運動不足解消の上から、毎朝散歩を続けています。その中で毎日通る道の街路樹の若葉を眺め、既設の移ろいの中で様々な花が咲いて行くのもめでる等、本講座の本旨である自然観察にも役立っているようです。
 こうしてある種の非日常の下で過ごしていると、私達が暮らす地上はまだ、自然豊かであり、各々の創造物は力を惜しむことなく、精一杯の活動の中に生を送っていることが分かります。そして本来、私達人間はこうした他の創造物を庇護し、その行く末を見守る責任があることに気付きます。
 これら諸法則を学び、自らの知覚力を因の領域にまで拡げることによって、より大きな力を発揮するべきであると、本項で著者は私達に説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落035

035 And this creation, highest of them all, was known as Man, born out of That which has no ending; given dominion, consciousness and love and power over all the lesser things. But he descended into depths of sleep, became unconscious of the vaster kingdoms, forgetful of the Glory that exists and dreamed, instead, into existence, the changing image of mortality.
035 そしてこの全てのものの最高位の創造は人として知られ、終わりなきものの中から誕生したものとして知られました。それは全てのより下位のもの達への統治、意識と愛そして支配力を授けられました。しかし、人は眠りの奥深く身を落とし、広大な王国を自覚せず、存在する栄光を忘れてしまい、代わって移ろい行く死すべきイメージを夢見て存在させてしまいました。



【解説】
 重要なことは私達は未だ眠りから覚めておらず、自らに与えられている恵みに気付くことなく、移り行く死すべきものを真実であるかのように思い込んでいるということです。
 以前、何処かの会合の中でアダムスキー氏は創造主がアダムにイブをめとらせる際、アダムを眠らせその肋骨からイブを創ったとされる創世記を引用し、男性は未だ眠ったままだと周囲の者を笑わせたことがあります。本文はそのように私達が惰眠の中にあり、真実の美しい環境に気付いていないことを説いています。
 これは仏教でも同様で、仏教には「悟り」(覚醒)という表現があり、先ずは覚醒を学び取ることが求められますが、その覚醒後に私達が自覚すべきは本項で説かれているように、私達は皆、最高位の創造物として多くの権限と能力を授けられていることを十分に自覚し、永続する宇宙的生命の中に生き続けることであるとしているのです。

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