2019年11月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落301

301 Now the question will arise: How is conversational privacy possible under these circumstances? I believe a good illustration of this occurred during a lecture I once gave. I had just finished explaining how the images and voices came silently to the mind, when a man in the audience rose and interrupted, saying he heard voices speaking distinctly. He was very insistent that these were audible, and his reception was not in the least silent. I then asked him, "If I were standing beside you, would I hear the same voices?"
301 そうなると質問が起るでしょう。このような環境の下では会話の秘密は可能となるのでしょうか?私としてはかつて私が行ったレクチャーの間に起ったことが良い例かと思っています。私が丁度、イメージや音声が無言のまま如何にして心にやって来るかの説明を終えた時、聴衆の中の一人の男が立ち上がって自分は明瞭に聞こえる声を聞いたと言って、私の話をさえぎりました。その男性はこれらは耳に聞こえるものであると主張し、自分の受信したものは少しも無言ではなかったと主張しました。私はそれで、「もし、私が貴方の脇に立っていたとすれば、私はその同じ声を聞けたでしょうか?」と彼に尋ねました。




【解説】
 感受した想念・印象が強い程、受信した者は音声や映像としてそれらを認識出来るということでしょう。いわゆる”啓示”や”お告げ”その他の現象は、そのことを示しています。また、多くの宗教家が主張する”天の声”もこうした現象のように思われます。
 私達は日々互いに想念を発していますが、それらはまだ未熟で純粋でない為に、十分な力を有していないと考えるべきでしょう。送る側も受け取る側も未発達の状態なのです。
 こうした中、私達は心を穏やかに保ち、やってくるインスピレーションに常に備える態勢が重要であり、心の中から雑念が排除されれば、受け入れた想念・印象は鮮やかに認識できるようになることでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落300

300 The secret of what is termed "direct transference" from one individual to another, is simply that with the thought projected the sender incorporates the image of the person he has chosen as recipient. A million people might receive the thought, but because it does not pertain to their personal affairs, they will let it pass through their minds unnoticed. But the chosen recipient will recognize his image in the thought, and direct his attention toward its perfect reception.
300 一人の個人からもう一人の個人への「感情の直接転移」と名付けられることの隠れた実体は、単純に放出される想念に送り手が受け手として選んだ人物のイメージを組み入れているのです。百万人の人々がその想念を受信するかも知れませんが、それらの人々の個人的な事柄にそれが関係しない為、それらの人達は自分達の心の中を何ら気付かれずにそれを通過させるのです。しかし、その選ばれた受信者はその想念の中に自分のイメージを認め、自らの関心をその完全な受信に向けて導くのです。




【解説】
 基本的に誰でも受信できる想念であっても、その想念波に相手のイメージを組み入れることで、より確実に相手に伝わるということです。親しい者同士の以心伝心もそうした仕組みの中で相互が共に高い能力を有している為に起こるものと言えるでしょう。
 よく神社等で祈る人々を見ますが、それも伝える相手を具体的にイメージした上で祈ることで、願いが相手に伝わるというものです。私達が願う創造主との出会いはこうした誠実な祈りの中で伝わるものと言えるのです。
 常に創造主を思い、少しでも近づきたいと思う中で、やがては自らの行動が創造主の望む通りに行えるようになれるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落299

299 We find that in the case of thought, like the spark of light, vibrations proceed outwardly from it in all directions. We can tune in on any radiation of that impression, and receive the full thought. Therefore, contrary to current belief it is not possible to transmit a thought directly to any one individual, to the exclusion of everyone else! For inasmuch as mind, the medium of thought transmission, permeates the whole of space and form, there is no place where a thought vibration is excluded.
299 私達は想念は光の閃光のようにそこからあらゆる方向に外に向って進行する振動であることに気付いています。私達はその印象のどんな放射線にも同調させ、その完全な想念を受信することが出来ます。従って最近、信じられていることとは逆に、他の者を除き、何か一人の個人に直接想念を伝達することは出来ないのです。何故なら心、即ち想念伝達の媒体は全宇宙と形あるものに浸透している為に、想念振動が排除される場所はないからです。




【解説】
 想念はスパークのように四方八方に広がりながら宇宙空間の果てまで伝搬するという訳です。それは決して何か特別の対象者のみに対して注がれるものではないのです。
 従って誰でも他人が発した想念を察知できる為、本来、想念に秘密という要素はないのです。同乗記の中で他の惑星人達が相手の気持ちを察知する能力に長けていたのにアダムスキー氏が驚いたように、他惑星社会では言語によらないコミュニケーションが普通の事柄だということでしょう。
 また、同時にこれらは言語によるものでない為、この原理は動植物全般に適用されるものと考えるべきでしょう。即ち、植物と会話したとされる育種家のルーサー・バーバンクの事例もあり、仏典にも仏陀の足跡に花が咲いたりした状況は植物達が喜びを表現したものと考えるべきでしょう。
 私達も、自らの心を平安に保ち、宇宙の一員としての自覚を持つことで、宇宙と一体感を育み、より高位な存在になることが出来ると考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落298

298 The human instrument, or mind, may receive thought vibrations corresponding to its own thought-habit; but may be totally oblivious of vibrations of another nature. Thus, we perceive, it is necessary to develop a universal interest if we are to become unlimited telepathic recipients.
298 人体の道具である心は自らの想念習慣に対応した想念振動は感受するかも知れません。しかし、他の性質の振動に関しては全く気に止めないのかも知れません。このようにもし私達が無限のテレパシー受信者になろうとするなら、宇宙普遍の関心を発達させる必要があることが分かります。



【解説】
 心は私達人間に備わっている道具であると説かれています。即ち、各人が持つ機材であり、この心によって想念・印象を私達が把握し、理解する訳です。
 しかし、心が認識するのはもっぱら、これまで親しんで来た部類の想念パターンである為、より本質的な想念、宇宙的印象を認識することは少ないのです。馴れた周波数、見慣れたテレビ番組に目が行きやすいという訳です。
 この状況から抜け出るには、私達自身が意志を持って、より宇宙的な関心を高めることが必要なのです。関心を向けることによって、それらの方向から来る印象を感受出来るようになると本項は説いています。私達各自の進化の上で、より高品位な宇宙的想念を体内に取り入れることに絶えず努めることが基本的条件となります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落297

297 Some individuals find they receive only telepathic communications of a dire nature; while others receive beautiful visions of a more universal expression. This difference in quality of receptivity can be explained by the fact that the relative vibrations of each person is different. (In speaking of relative vibrations here, I mean to denote the thought-habit of the individual.) And since it is not possible to receive a vibration to which we are not attuned, we will attract those sympathetic to our habitual thought pattern. Remember, when the violin is not properly tuned it will not respond to the sound frequency of the other instrument.
297 ある個人は自分達が不吉な性質のテレパシー的意思疎通しか受け取らないことに気付きますが、他方ではより宇宙的な表現の美しい幻影しか受信しません。この感受性の性質の違いは、各個人における相対的な振動が異なるという事実によって説明出来ます。(ここで言う相対的な振動とは、私としては各個人の想念習慣を印す意図で用いています。)そして私達が調律を受けていない振動を受信することは不可能である以上、私達は私達の習慣的想念パターンにそれら同情的なものを引き寄せるのです。バイオリンが適切に調律されていなければ、もう一つの楽器の音声周波数に呼応することはないことを思い出して下さい。



【解説】
 私達は単に想念・印象に鋭敏になろうとしても、私達自身が同調できるのは私達自身のレベルのものでしかないのです。高次な想念を望んでいても通常、私達が感受出来るのは自分と同類のレベルという訳です。
 従って、より高次な想念を知覚する為には、私達自身がそれにふさわしい存在になる必要があります。いわゆる卵が先かニワトリが先かの議論になりますが、それでもまずは心身を清め、行動力を高める努力が必要となるのです。その上で、一定程度まで進んだ時、私達はそれら高次な想念波動に共鳴出来る段階に至り、その後はそれらのインスピレーションの指導により、急速に進化を遂げるということでしょう。訓練(修行)が大事である理由はそこにあるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落296

296 The human form, in a natural state of impersonal relaxation, is receptive to all vibrations. Of course, it must be freed from habit action, the sense-man must be controlled, and the ego, or intense concentration upon its basic vibrations, must be relaxed. Telepathy comes as an impression through the feeling channel; and when we control our reasoning mind (or the ego), we can receive impressions from all phases of manifestation: for we are a unit with them.
296 個人としての感情を持たないリラクゼーション状態にある人体は、全ての振動に対して受容的です。もちろん、それは習慣的行動からは解放されなければなりませんし、感覚人は統制され、また、エゴあるいはその基本振動への強烈なる集中は緩められなければなりません。テレパシーはフィーリングの経路を通じて一つの印象としてやって来ます。そして私達が詮索する心(即ちエゴ)を統制すれば、私達はあらゆる創造の側面からの印象を受信することが出来ます。何故なら私達はそれらと一体になっているからです。




【解説】
 本項では私達は自然界のあらゆるものと一体になれると説いています。また、そのことにより、あらゆるものと印象の共有が出来るという訳です。
 その為には、私達は日頃からどのような心境を保つべきか、本文では自然体によるリラックス、習慣的行動から離れ、感覚による支配を取り払い、我執を無くすことの注意事項が述べられています。
 これらの問題の全てが一定程度、解消された時、私達は印象を鋭敏に感じ取ることが出来るようになるのです。そもそも従来の悪習で一杯になった心では、宇宙からの妙なる印象を把握することなど出来る筈もないのです。微小なヒントにも対応出来る宇宙との一体感が必要という訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落295

295 The basic vibration of any form is a constant thing; otherwise, the cell would not always reproduce its kind. But so far as the cell's activity and capability of transmitting impressions is concerned, it is unlimited in a relative, or natural state. It is this relative activity with which we are dealing in the study of telepathy; and it may be referred to as the sympathetic vibration. This sympathetic vibration can be demonstrated by using two violins exactly attuned. When we pluck the string of one, the other violin will respond in the same key. A similar experiment may be performed with ordinary drinking glasses, but these are limited in their vibratory range.
295 如何なるものもその基本的振動は不変のものです。さもなければ細胞はいつもその種を再生産できなくなるだろうからです。しかし、細胞の活動に関する限り、また印象を伝達する能力に関する限り、それは相対的あるいは自然の状態としては制限がありません。私達がテレパシー学習で取扱っているのは、この相対的な活動なのです。また、それは共感的振動と表現されるかも知れません。この共感的振動は正確に調律された二つのバイオリンを使って実証することが出来ます。私達が弦の一つを弾くと、もう一つのバイオリンが同じ音で呼応します。同様な実験が普通のコップについて行われるかも知れません。しかしこれらはその振動範囲に限られているのです。




【解説】
 相手の気持を感知できることは、本文では”同情”に由来すると説明されています。この能力は細胞一つ一つに備わったものと言えるでしょう。これを仏教では”慈悲”と表現しているものと思われます。私達は常に心を静かに保ち、この妙なる想念波、印象の振動を受け入れるように努める必要があります。
 その為には、これまでのように自分自身へのこだわりや関心を先ずは捨て去ることが必要です。心配事を無くして、心を明晰に保つ中で、創造主(因)から発せられた印象波にも同調することが出来るものと思われます。
 私達にとって究極のテレパシー能力の発揮は、創造主の意思に近づくことであり、その意思に基づいて行動することにあります。共鳴すべきは万物の贈り主という訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落294

294 It became quite a game with my friends to place a tasty titbit in the center of the table, well out of reach of the little dog. The family would then pretend complete indifference to the action of the animal, who would circle the table, sampling the air. When he was assured his nose was not deceiving him, he would trot off to find the cat. Upon locating her sleeping curled up in a chair, he would nudge her awake and silently obviously converse with her. She would rise, stretch, and stalk across the room. One nimble leap would carry her to the center of the table, where she would pick up the morsel in her mouth and drop it to the waiting dog. Her task performed, the cat would resume her interrupted nap, while the dog chewed contentedly on the stolen food. This was no coincidence, for it so delighted the owners that they had the animals repeat it frequently for interested friends. In this case the dog and cat, different species of the animal kingdom, were merely using the universal language which is natural to all forms of manifestation.
294 私の友人達にとって、その小型犬が届かないテーブルの中央に、一口大のうまい食べ物を置くことは、楽しい遊びになりました。家族達はその犬の行動には全くの無関心を装うこととし、犬はテーブルの周囲を回って空気を嗅ぎます。自分の鼻が偽っていないことを確認するや、犬は猫を見つけようと小走りになります。椅子の上で丸まって寝ている猫を見つけるや、犬は猫を軽く突いて起こし、無言のまま、明らかに猫と会話します。猫は起き上がり、伸びをしてゆっくり大またで部屋を横切ります。敏しょうな一飛びで猫はテーブルの中央に乗り、そこで食べ物の一片をくわえて、下で待つ犬にそれを落としてやります。猫は任務を果たした後、邪魔されたうたた寝を再開し、犬は奪った食べ物を満足気に噛みしめていました。これは偶然の一致などではなく、飼い主は大変喜び、興味を持った友人達の為、その動物達に度々繰返えしやらせました。この場合、動物界の異なる種である犬と猫は創造の全ての形有るものにとって自然である宇宙普遍の言語を用いているに過ぎなかったのです。




【解説】
 猫が犬の願いに応じて犬の欲しがるものをテーブルから落として犬にやるのは、双方が互いに気持ちを理解し合っている証拠です。種が異なっても互いに意思を分かり合えるのは、音声でなく想念レベルでの意思疎通が出来るからに他なりません。動物達がかくも日常的に想念レベルのコミュニケーションを実践しているという訳です。
 よく言われることに、カマキリはその年の積雪を見込んだ高さに卵を産み付けるとされていることがあります。秋の段階で来るべき冬の光景を予見するのかも知れません。自分の子孫を守る為に親は安全な場所を探るということでしょう。
 そういう意味では、私達人間は更に高い能力を本来、有している筈です。昨今の大雨や来るとされている大地震等への備えとしても、各自の予見能力を高め、現象が起きる前の想念段階をキャッチし、各自の生活に活かすことが必要となる時代を迎えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落293

293 For example: We know that different species of the animal kingdom are able to communicate with one another. They do not use a spoken language as we do, but they convey their meaning to each other very clearly. I well remember a little fox terrier and a deaf white cat that belonged to friends of mine. These animals were inseparable companions, and although the cat was as deaf as a post, they often gave positive proof of their ability to commune with each other.
293 こういう例があります。私達は動物界の中の異なる種が互いに意思疎通を行えることを知っています。彼らは私達のように話す言語は用いませんが、互いに大変明確に自分達の意図を伝えます。私の友人が飼っていた小さなフォックステリア(訳注:犬の種名)と耳の聞こえない白い猫のことをよく思い出します。これら動物達は、離れがたい間柄であり、その猫は耳がまったく聞こえないのですが、彼らはしばしば互いに心を通じ合う明確な証拠を示してくれました。




【解説】
 誰もが分かることですが、人間以外の動物に言語の問題はありません。フランスで飼われた猫を日本に連れて来て日本の猫と遊ばせても、コミュニケーションの問題はないのです。彼ら動物は人間とは異なるコミュニケーション法を用いているのです。
 本項の場合は、犬と猫との間の意思交流についてですが、これも何ら不自由はなく、彼らの間で意思疎通は容易に行われるという訳です。まして本項の場合には、猫の方は耳が聞こえないにも拘わらず不便はないのです。
 この理由として彼ら動物達は音声による意思疎通の他に想念波動を読み取るような状況を有しているのではないかと考えています。いわゆる本能と呼ばれるものもそれに属する筈です。私達が学んでいるテレパシーを彼らは既に日常的に活用出来ているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落292

292 We must understand that the human cell has a basic vibratory rate, that naturally responds more easily to other human vibrations than it will to those of animal, plant, or mineral life. But the human cells are just as capable of receiving impressions from all of these phases of nature, as they are from human beings. The same atoms, vibrating at different rates, make up the forms of human, animal, plant and mineral and they all speak the one universal language.
292 私達は人体の細胞は基本的な振動率を持っていて、動物や植物あるいは鉱物の生命に対するよりも、他の人間の振動により容易に自然と反応することを理解しておかなければなりません。しかし、人体細胞は丁度、それらが人間からであるのと同様に、自然のあらゆるこれら側面から来る印象を受信することが出来ます。同じ原子群が異なる振動率で振動し、人間や動物、植物や鉱物の形状をつくり上げており、それら全ては一つの宇宙普遍言語を話しています。




【解説】
 以心伝心という表現があるように、親しい間柄では容易に意思疎通が可能です。それを可能としているのは、本文にあるように双方の身体細胞が同種の振動に共鳴している為、想念波動を鋭敏に感受出来ることが背景にある訳です。
 従って、普段からどのような想念・印象を受け入れているかによって、身体細胞は大きく影響を受け、同時に同種の想念に共鳴し易くなっているのです。
 しかし、私達人間の本来の存在意義を考えれば、私達は広く自然や宇宙を観察し、創造主の意図を探究することが求められますし、その為にこれら従来の想念パターンとは異なるより広い宇宙的なインスピレーションにも心を寛容に保って置く必要もあるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落291

291 On the other hand, the optimist will see the beauty in the drifting snowflakes. He will call your attention to the majesty of the towering clouds, and point out the gratitude of the thirsty ground. These two minds are using the same universal law of action. But one has set his mind in motion along a destructive, vibratory thought-habit pattern; while the other follows a constructive vibratory thought-habit pattern; recognizing all creation as a manifesting expression of the Supreme Intelligence.
291 他方、楽観論者は漂う雪片に美しさを観ることでしょう。その者はそびえ立つ雲の偉容と渇いた大地の感謝の気持に貴方の注目を呼び起こすことでしょう。これら二つの心は同じ宇宙普遍の運動法則を用いているのです。しかし、一方は自分の心を破壊的な振動の想念習慣に沿って動かしていますが、もう一方は全ての創造は至上なる英知の現出された表現として認め、建設的な振動の想念パターンに沿って自らの心を動かしているのです。




【解説】
 夕立をもたらす入道雲に対して、マイナスの面のみを見る者と、プラスの面に感動する者、両者が各々人生にその光景をどのように役立てるか、その差は明らかです。
 私達各自は体験を通じて知恵を身に付け、自らの進化に役立てねばなりません。一つ一つの体験は各自に役立つ形、即ちプラス面として取り入れるべきなのです。
 本来、私達は創造主の造り上げた作品を鑑賞し、めでるように創出された存在です。それ故に私達の前には様々な自然がその姿を見せてくれる訳です。その姿を観ることによって、創造主の深い思いを汲み取ることこそ、私達の存在意義だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落290

290 Remember the illustrations we used of the pessimist and optimist? The pessimist has formed the thought-habit pattern of always looking at the gloomy side of life, and will resist the presentation of joyous ideas. Even though the sun might be shining brightly, if you were to comment on the beauty of the day he would remind you of the terrible storms we had last winter. His thought-habit pattern looks upon all manifestation with suspicion.
290 以前、私達が用いた悲観論者と楽観論者の例示を思い出して下さい。悲観論者は常に生命の暗い側面を見る想念習慣パターンを形成してしまい、楽しいアイデアの披露に抵抗しようとします。太陽が明るく輝いても、貴方が日光の美しさを評しようとしても、その者は貴方に前年の冬にあったひどい嵐のことを思い出させようとするでしょう。その者の想念習慣は全ての創造を疑問の念をもって観ているのです。





【解説】
 以前、ご紹介したかも知れません。1982年に私が当時、存命であったエマ・マーチネリ女史にお目にかかった時、彼女からアダムスキー氏の「宇宙のパイオニア」という幻の著書を戴きました。その本にはアダムスキー氏の署名とともに記されていたのが"Good Luck"という言葉でした。
 何故、アダムスキー氏がその著書を贈呈するに当たってその言葉を記したのか、詳細は分かりませんが、何か英語の表現にある"Happy Go Lucky"という意味合いに近い響きを感じます。
 様々な苦難があろうとも、先ずはそれを受け入れ、対処する技量、度胸が必要だということでしょう。
 本項で著者が言う”楽観論”とは、即ち宇宙普遍の法則自体がいわゆる”真善美”に貫かれていることを悟っていることに由来するのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落289

289 Psychologically, we express this law by the statement that "a habit is difficult to break." In other words, any thought that is allowed to impress itself upon the body, sets the cells of the body into a state of motion corresponding to the thought-vibration. The body then has a tendency to continue in that particular motion until acted upon by another force which is strong enough, or positive enough, to change that vibration. The highly organized, concentrated, personal ego, in its aggressive manner, is so prone to force-frequencies that it intensifies the natural tendency of matter to continue in any motion, once that motion is created. When we allow habit-motions to become set, it necessitates contact with a very positive vibration to change them.
289 心理学的には私達は「習慣は打破するのが難しい」と表現します。言い換えれば肉体に対して印象付けることを許された想念は皆、肉体細胞をその想念波動に対応した運動状態に整えます。肉体はそれ故、次にその振動を変化させるに十分な強さや大きさを持った別の力によって作用されるまで、その特定の運動を継続する傾向があります。その攻撃的な振る舞いにおいて高度に組織化され、集約化された各個人のエゴは、力のある振動から大きな影響を受け易いため、一度運動が創り出されると継続するよう物質の自然の傾向を強めてしまいます。私達は習慣的な運動をセットすることを認めた後は、それらを変える為には別の強力な振動と出会う必要があるのです。




【解説】
 私達の身体細胞は心が受容した想念波動に同調し、その共鳴作用は継続しやすいという訳です。即ち、本質的に私達は想念波動に共鳴しやすい特徴がある訳なのですが、一旦同調した後は、次により強力な想念波動が来ない限り、その振動を保つということです。
 このことは、共鳴した波動が良質なものであれば良いのですが、そうでない場合は時間の経過とともに身体細胞に悪い影響を与え続けることになる筈です。即ち、私達は自分が現在、同調している波動にもっと注意を払うべきなのです。
 一方、これまでの私達自身を変革する為に、より高次で協力な想念波動を摂り入れなければなりません。優れた師との出会いや古今東西の良書に出逢うことは、それら波動と巡り合うよい機会となるものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落288

288 To answer these questions, we must again refer to the universal law of action. The scientific definition of this law is, "Any object set in motion has a tendency to continue in motion in the same line, or direction, until acted upon by some external force."
288 これらの疑問に答える為、私達はもう一度、運動の普遍的法則を引用しなくてはなりません。この法則の科学的定義は「如何なる物体も動かしはじめると、何らかの外力が作用しない限り、それと同一の直線、同じ方向に運動を続けようとする傾向を持つ」としています。




【解説】
 私達は各自、これまで培ってきた習慣の上に毎日を送っていると言っても良いでしょう。馴れた道、馴れた仕事の方がスムーズに行くことも確かですが、そればかりではマンネリ化し、やがて単に惰性に流される人生にもなりかねません。実は習慣性ほど注意すべき要素はないと考えています。
 本項で示される物理法則は、私達人間にも当てはまるという訳ですが、決して私達の人生の歩みをこれで良しとするのではありません。基本的にそのような傾向があることに注意すべきだとしているのです。
 この問題を回避し、日々新鮮な気持で生きる為に各自それぞれ工夫も必要です。私も若い頃、毎日の通勤途上でその日一日を何か新しい事柄を摂り入れることを考え、歩いていたものです。努めて新しい分野や要素にチャレンジすることが私達には必要です。歳をとる中で一日一日を新たな気持で迎えることは、若い頃よりもはるかに大切になっているように思います。


ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落287

287 I have said that in general, lack of receptivity is due to lack of interest on the part of the individual. We know that some persons are intensely interested in all that goes on around them, whereas others have limited interests. Why should this be? What causes the psychological difference?
287 私は一般論として、感受性の不足はその個人の側における関心の不足に起因すると言って来ました。私達はある人々は身の回りで起る全てに強烈に関心を持つ一方で、他の者達は限られた関心しか示さないことを知っています。これは何故でしょうか。その心理面の違いは何によるのでしょうか。



【解説】
 本項を読んで思うことは、人の関心や感受性の差はどこから来るのかということです。仮に同じものを見ても、感じる内容は人によりさまざまです。どうもこれらの差は長い人生の中で各自が培った偏りや各自が人生を歩む中で得た経験も影響しているものと思われます。
 そう考えれば、過去生も含め、歩んだ人生が個々人で異なる以上、感受性の差はやむを得ないと言えるでしょう。しかし、各自が成長する為にはより広い分野に関心を拡げ、次々に新しい世界を開拓する必要があるのです。
 よく芸術家が年配になってますますその技量が増し、傑作が生まれるように、本来は年齢(即ち経験)を積むにつれて、進化すべきという訳です。その原動力こそ、関心(interest)にあるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落286

286 More than once I have heard the remark: "Oh, I was in such a beautiful state of relaxation. I was barely conscious of having a body, and my mind was simply a blank!" That is not relaxation. It is merely a state of lethargic indifference; and has almost no constructive value. When a person is truly relaxed his body feels tremendously "alive," and thoughts pass through his consciousness at such a high rate of speed it may seem to him afterwards that he has lived years in a few moments. Relaxation is the releasing of personal desire to the natural sequence of relativity, or continuity of thought; and the person has normal, unbiased interest in everything while in this state.
286 一度ならず私はこうした発言を耳にしたことがあります。「そう、私はとても素晴らしくリラックスしたことがあった。ほとんど自分が肉体を意識することなく、心もまっさらな状態だった。」しかし、これはリラクゼーションではありません。それは単なる無気力で無関心の状態でしかなく、建設的な価値はほとんどありません。人が真にリラックスしている時は、自分の肉体はとてつもなく「生き生き」感じ、想念は本人の意識の中を非常な高速度で通過する為、後でわずかの時間に何年間も過ごしたような感じをその者に与えます。リラクゼーションとは個人的な願望を人の手を加えない一連の関連性の流れ、即ち想念の連続性に解放することであり、その時、人はこの状態の中にあって、あらゆるものに先入観の無い関心を抱いているのです。




【解説】
 本項は私達が目指すべき心境を明示しています。
 従来、私達は肉体を静置させ、心を無気力にすることがリラックスだとして来ましたが、真のリラックスとは随分と活発な状態を指すというところに着目しなければなりません。私達生命体の本来の姿はこのような静置状態ではなく、もっと活動的な状態であるということです。
 これまで私達は仏教で言う”悟り”(Enlightenment)を目指して来ましたが、これこそがその状態であると言うべきでしょう。肉体的には過度な行動状態ではなく、むしろ安静にしている状態かも知れませんが、その精神活動は活発です。本項で言うように短時間でもおびただしい数の想念が行き来する訳で、私達はその中でこれまでとは比較にならない穂との数の想念・印象と出会う訳で、その記憶量の大きさは、本文で言う短時間にも関わらず何年も過ごした程の記憶となる原因です。
 感知する想念の数こそが私達の心身の状態を表すバロメーターと言えるかも知れません。充実した1日とはこのことを表しています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落285

285 Not unlike the goldfish in the small bowl, the individual nearly always reverts from the extreme of tension to the extreme of lethargy . . . completely ignoring the half-way house of relaxation. Usually, if a person is told to relax, he simply lets down and loses interest in everything. By doing this he not only retards the cell action of the body, but he often goes even further and by main force of will tries to create a mental vacuum. This torpid state is what takes place in nature when certain animals hibernate through the cold weather, but with them it is in obedience to a natural law for the perpetuation of the species. You will notice that the customary foods of these animals is not available during the winter months; therefore, nature slows down the activity of their body cells, so they may husband their energy until Spring sets her bountiful table.
285 その小さな鉢の中の金魚とは異なり、個人はリラクゼーションという中間施設を完全に無視して極端な緊張から極端な無気力に逆戻りする程の方向転換を大抵は行います。普通、もしある者がリラックスするように言われると、その者はあらゆるものに対する関心を低下させ失わせてしまいます。こうすることで、彼は肉体の細胞活動を遅くするばかりか、しばしば更に進んで意志の主力を使って精神的な空白状態を作り出します。この不活発な状態は自然界ではある種の動物が寒い季節を通じて冬眠する時に起るものですが、動物達にとっては種の永続性の為に自然法則に従っているものなのです。皆さんは冬の間、これら動物のいつもの食べ物が手に入らないことにお気付きでしょう。それゆえ、自然はこれらの肉体細胞の活動を低下させ、彼らが春が食卓を用意するまで自分達のエネルギーを節約出来るのです。




【解説】
 私達地球人は極端から極端に移行するだけで、全体として調和が取れた状態というものを知りません。進むべきはバランスの取れた道ということです。
 結局、私達が進化する為に必要なのは、エゴの指令ではなく、宇宙的な想念・印象による導きです。その導きに出会う為には先ずは心自体を受け入れ可能な状態に保ち、求める解決策の方向に耳を傾ける必要があるのです。従来のような心身を静止させるような不活発な状態は無関心・無気力であり、リラックスとは言えないという訳です。
 一端、宇宙的印象への道筋がつながれば、あとはその心境を維持すればよく、以降次々に貴重な知識が流入することになります。自らこのような成功体験を持つことが重要なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落284

284 The same holds true of the cell entities of the human body. Our minds are constantly "bumping" into the worries and anxieties around us in the crowded fish bowl of our own creation; and each contact-shock dissipates a certain amount of energy. So we can safely say that tension is the chief cause of non-activity of the cells, and non-receptivity of telepathic impressions. But due to a misunderstanding of the true meaning of relaxation, there exists another condition that is just as detrimental as tension.
284 これと同じことが人体の各細胞実体についても当てはまります。私達の心は私達自身の創造物である混み入った金魚鉢の中の私達に心配と不安を常に「ぶつけて」おり、一つ一つの接触の衝撃が何がしかのエネルギーを消耗させています。ですから私達は確かに緊張は細胞の非活発やテレパシー的印象の非感受性の主原因であると言うことが出来ます。しかし、真のリラクゼーションに対する誤解から、この緊張と同じくらい有害な状態も存在するのです。



【解説】
 先ずは私達はあまりに多くの心配事や欲望その他強烈なる想念を自らの心の中に投げ込んでいることに注意しなければなりません。それらの想念は私達自身の身体細胞を痛めつけ、それらを疲弊させていることに気付く必要があります。これこそが身体細胞を本来の状態に戻すカギであります。
 即ちこれら過度の心配や悲しみ、怒り等々の想念を解消し、心の中から捨て去ることです。それは”心を貧しくする”、心を空にすることでもあるのです。心が心配事やその他の感情から解放されれば、やがて本来の宇宙的想念を取り込むゆとりが出来、進化につながる道を歩むことが出来るというものです。
 エゴを縮小させることは、同時に宇宙的要素を増やすことでもある訳で、自らの心は貧しくして置くことに越したことはありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落283

283 As an illustration; let us imagine we place a large number of goldfish in a small bowl. This crowded condition will not enable them to move about freely, and any motion on their part will cause them to bump into other fish. Each contact-shock will result in the expenditure of a certain amount of energy. If they try to force their normal activity in such congested surroundings, they will soon become fatigued. If they are wise, they will instinctively lessen their action; in which case they are reduced to a condition of lethargy. But as soon as these fish are placed in a larger receptacle they will again expand their activity to its natural state.
283 例示として小さな鉢に沢山の金魚を入れた場合を想像しましょう。この混み合った状況は金魚達に自由に動き回ることを出来なくさせており、少しでも動くと他の魚にぶつかってしまうことになります。この接触の衝撃は幾分かのエネルギーを消費します。もし、金魚達がこのような詰め込み状態の中で通常の動きを無理にしようとすれば、すぐにも疲れてしまうでしょう。彼らが賢ければ本能的に活動を低下させるでしょうし、その中で彼らは不活発状態に弱められて行きます。しかし、これらの魚達がより大きな容器に入れられるや否や、彼らは再び自然な状態まで活動を広げることでしょう。




【解説】
 この金魚鉢の事例は私達に何を示唆しているのでしょうか。先ずはその事柄から考えて見る必要もあるでしょう。
 一つの例として、自分自身の器(うつわ)の中に整理し切れない程の問題を抱えてしまっている場合も当てはまります。問題を自分に?き集めてしまい、解決が出来ずにいる例も多いのです。
 しかし、課題は一度に一つずつ対応することで、自分の中で自由に構想することが出来れば、却って全体としての解決は早まるものです。また、問題点を明らかにして再発を防ぐことも容易になることでしょう。
 一方、問題を多く抱え込んでいる場合には、解決策が見つからず悩んでいるだけで長期の時間を要するものです。
 また、同時に自分が当面している諸課題に対して、何が真の問題であるか、解決すべき課題を絞り込むことも必要になります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落282

282 Relaxation is generally misunderstood. In consequence, there few people who have ever experienced true relaxation. Contrary to popular belief, it is not a state of inertia. It is a condition of intensified activity . . . because it is free activity.
282 リラクゼーションは概して誤解されています。結局のところ、これまで真のリラクゼーションを体験した人は少ないのです。よく信じられているのとは反対に、リラクゼーションは何もしない惰性の状態ではありません。それは、自由な活動であるが故に、激化した活動の状態なのです。




【解説】
 様々な場面で”平常心”という表現が用いられますが、私達が真に課題に直面した時、必要になるのはこのような心身の状態であると言えます。
 仮に危機的な状況であっても解決策に巡り合うには本項に示されているように宇宙からやって来るインスピレーションに同調出来る健全な心境が必要なのです。
 その為にも私達は普段から、自ら進んでこのようなバランスを取れた心身の状態を作り出し、それを維持するよう心掛けることです。これら一連の訓練は日常生活を通じて私達が実践可能なのです。

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