2019年10月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落281

281 To some people, this may seem a very haphazard way of experiencing life. For has not the human ego, through hundreds of thousands of years, been trained to the idea of accomplishment by aggression and personal effort? Yet, there are the fortunate few who have discovered the universal way of life. Such persons include not only the seers and the philosophers (who, we pointed out earlier, understood that mastery of the body was essential), but those in all walks of life. Thomas Edison, one of the great scientists of our times, once remarked, "I have found that the answer to some of my most perplexing problems come to me after I have ceased trying to solve them." In other words, the thoughts started to flow freely when his interest was impersonal; when his intense concentration had been released.
281 人々によっては、これは人生を経験する上で行き当たりばったりのように思えるかも知れません。何故なら、人間のエゴは何十万年もの間、攻撃と個人的な努力による物事の達成という概念で訓練されて来たのではなかったでしょうか?それでも宇宙普遍の生き方を発見できた幸運な人達もいます。これらの人達の中には予言者や哲学者(彼らは古くから肉体の支配が不可欠であることを指摘し理解していました)ばかりでなく、あらゆる人生の歩みの中におりました。今日の偉大な科学者であるトーマス・エジソンはかつて、こう述べました。「私のいくつか悩んでいた問題の回答は、私がそれを解決したいとする努力を止めた後にやって来ました。」言い換えれば、彼の関心が非個人的になった時、即ち彼の強烈なる集中が開放された時に想念が自由に流れはじめたということです。




【解説】
 もちろん自ら努力する者でなければなりませんが、そもそもその努力する方向について大切な示唆を与えているのが本項です。
 問題解決に向けて自分の経験や知識を探すことはもちろん必要です。しかし、それでは十分でありません。実はこうして自らの関心、即ちアンテナをその課題に向ける訳ですが、実際の解決は過去の経験だけでは進まないのが通例です。どうしても新しい方法や知識が必要なのですが、これら解決法に巡り合うには外部からの手助け、即ちインスピレーションに頼る必要があります。そこに外からの印象を受け入れる心身の状態が必要になるのです。
 その為に必要となるのが心身が十分に柔軟で外部から来る微小な想念波動に気付ける状態を維持することです。エジソンはこうして数多くの発明を成し遂げたということであり、エジソン自身、問題解決の為のメカニズムを理解していたという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落280

280 It is not easy to hold one's self always in a state of receptivity, because it demands a perfectly balanced consciousness. It is not a simple task to keep the body in a state of relaxation and still maintain a positive interest in all action around, and within us. Yet, this state is necessary to a good recipient. We must learn to look upon our mental reactions as though we were an impersonal bystander, and our thoughts were nothing more than actions taking place upon a stage.
280 自我を感受性のある状態に保つことは容易ではありません。完全なる調和した意識が必要だからです。肉体をリラクゼーションの状態に保ち、しかも周囲や自らの内面のあらゆる活動に対して積極的な関心を維持することは容易な任務ではないのです。しかし、良い感受者にはこの状態は無くてはならないものです。私達はあたかも自分が個人的に関係がない傍観者であるかのように、私達の精神的な反応を観ること、また、私達の想念がステージで起っている演技でしかないかのように観ることを学ばなければなりません。




【解説】
 本稿はある意味テレパシーの極意を示唆するものと言えるでしょう。空間を通過する妙なる想念を感知する為に心はバランスのとれた穏やかでかつ他者に対する関心を保っていることが必要なのです。
 これを成し遂げるには、各自は自分自身の心身の状況を把握し、バランスのとれた状態を維持する必要があります。つまり、マイナスや過度のプラス、即ち攻撃的な姿勢を改め、静かに心を通過する想念波を観察することが求められます。
 かく言う私も心身を安定した状況に保つことは容易ではありません。その渦中に入ってしまうよりは、一歩引いて、客観的に自身を見詰め直すことも必要でしょう。本文に表現されているように想念を舞台で演じられている劇のように、少し引いたところから観察する自分が必要であると著者が説いている所は重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落279

279 Thought-transference is much like a radio broadcast. In radio, a message or vibration is spoken into the microphone; passes through an amplifier and transformer; travels through space as an electric wave; is picked up by a receptive instrument; carried through the wires to the detector tube and transformer, where it again changes into the original sound waves. But if the power fails, or a tube goes dead in the middle of the message, the sound waves coming from the set will stop, and the speaker's voice may be interrupted in the middle of a word. When we tense our minds to an incoming thought, it produces the same effect on the brain that the power failure, or dead tube does in the radio set.
279 想念伝達は、ラジオ放送により近いものです。ラジオの場合、メッセージあるいは振動がマイクロホンの中に話され、アンプや変圧器を通り、電気的な波として空間を移動し、ある受信装置に拾い上げられると、電線の中を通って検波管や変圧器に運ばれ、そこで再び元の音声波に変換されます。しかし、メッセージの途中でも、電力が無くなれば、あるいは真空管が作動しなくなれば、ラジオから出る音声波は停止し、話し手の声は途中で中断させられることになるでしょう。私達が入って来る想念に対し、心を緊張させると、ラジオにおいて電力が落ちたり、真空管が切れるのと同じ影響を作り出すことになるのです。




【解説】
 本文から想念伝達の原理が明らかにされています。
 ここで重要だと思うのは、想念波自体は何か放送電波のようなものでしょうが、その大本の内容は受信者の中にある諸機能により、受信後再び送信者の意図が再現されるということです。つまり、受信者側にその再現機能の問題が生じれば、送信者の想念が再現されなくなるということになります。
 そこで重要となるのは、受信者が自らの受信機能を安定して保ち、目新しい想念・印象に出会ったからと言って、妙に緊張したり、拒絶するようなことのないよう、穏やかさを保つことです。
 私達自身の受信機を常に正常な状態にしておくことが次なるインスピレーションを受ける上での準備となるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落278

278 Often, however, the loss of important telepathic communications - whether from animate or so-called inanimate sources - is not due to lack of interest, but due to a too intense interest; or a personal greed for knowledge. A thought, as we have explained, does not travel in a lump like a cannon ball, but in a series of waves. One complete thought may produce itself in fifty thousand individual undulations. Yet, nine times out of ten the instant a forerunner of a thought-message strikes the human brain the ego, if interested, will grab it and immediately tense the brain and body cells by concentrating upon the incoming thought. That sudden tensening of the cell activity is merely slamming the door in the face of the incoming thought. The five or six hundred impulses which found their way into our conscious brain cells before the door was closed, produced only a fleeting impression in our awareness; which, because we have received only a portion of the message, often results in a sense of confusion.
278 しかし、重要なテレパシックな意思疎通の喪失は生物からであれ、いわゆる無生物からであれ、関心の欠如に起因するのでなく、しばしば過剰な関心や知識に対する個人的な貪欲さにも起因しています。想念は私達が説明して来たように、大砲の弾丸のように塊で移動するものではありません。一つの完全な想念は50,000個の個別なうねりによって自身を作り上げているかも知れません。しかし、10の内、9回は想念メッセージがエゴである頭脳を叩く瞬間、エゴが関心を示せばエゴはそれをつかみ取り、そのやって来る想念に集中することで、頭脳と肉体の細胞を即座に緊張させます。細胞活動をそのように急に緊張させることは、入って来つつある想念の目の前でドアをバタンと閉めていることに過ぎません。その扉が閉まる前に私達の頭脳細胞の中に入った500から600の衝動は私達の知覚の中に先頭の印象しか作り出すことが出来ませんし、私達はそのメッセージのわずかな部分しか受け取らなかったため、しばしば混乱の感じしか結果として残らないのです。



【解説】
 本項では私達のインスピレーションに対する感度の実態が示されていると言えるでしょう。全体で5万の想念波に対してわずかその100分の1の5百前後を感知した段階で身体細胞が緊張のあまり、扉を閉ざしてしまうのが実態なのです。
 このように折角、インスピレーションに巡り会っても、それら新しい知識に対し強欲である為に身体細胞がそれ以上受信できないような緊張状態に陥ってしまうという訳で、実に惜しい状況だと指摘しています。
 私達にとって無関心であることはもちろん、このように過度な関心の集中についても問題があるという訳です。努めて穏やかな心身の状態を保つ中でインスピレーションが私達に伝える全容を理解するよう、当面、心が理解出来なくても先ずは全体を受け入れようとすることが重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落277

277 The wise man will learn to pay attention to all thoughts passing through his brain. He will heed not only those pertaining to self, but also those thoughts taking place outside his personal field of comprehension. For only in this way will he grow in knowledge and receptivity. It is indifference and lack of interest which causes man to lose the greatest jewels of wisdom . . . lose them through apathy when he actually holds them within his grasp.
277 賢明な者は自分の頭脳を通過する全ての想念に注意を払うことを学ぶでしょう。彼は自身に属するもののみでなく、自分自身の理解の分野以外で起る想念についても心に留めることでしょう。この方法を通じてのみ、知識や感受性において成長するからです。人に智恵の最大の宝石を失わせるのは無頓着と関心の薄さであり、実際、手に握っているにも拘わらず無感動のまま無くしてしまうのです。




【解説】
 私達は自らに与えられる恵みに鋭敏であらねばなりません。私達が成長するのはこれら時として心に浮かぶインスピレーションが元となるからです。これらの現象は日常的に起こっており、これらに気付かないことは、実にそのチャンスを自ら放棄しているに等しいのです。
 この場合、どうしたらそのようなチャンスを生かせるのでしょうか。その為には常に心の中を穏やかにかつ鋭敏に保つこと、何事にも関心を持ち、自らを成長させたいという意思を持つことかと思います。優れた発明をする場合も、何かの課題を解決し、技術を進歩させたいと願うことがベースになっている筈です。
 このように考えると、私達に必要なのはやって来る印象に対してどのようなものにも拒むことなく取り入れてそれがどのような意味を示唆しているかを先ずは観ることが大切です。その為には心を広く構えて、あらゆるものを受容する包容力が必要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落276

276 If he gives these thoughts any recognition, he generally releases them immediately as mere figments of his imagination. But, after all, what is imagination? Is it not the faculty to objectify, or imagine, that which is invisible to the senses? As one Eastern philosopher aptly phrased it, "Imagination is the bridge between the known and the unknown."
276 もしその者がこれらの想念に何らかの認知を与えたとしても、その者はそれらを単なる自分の想像の産物だとして通常は手放してしまいます。しかし、結局のところ想像とは何でしょうか。それは既存の諸感覚には見えないものを具体化し、考えてみる能力ではないでしょうか。ある東洋の哲学者はこれをうまく表現しました。「想像とは既知と未知との間の架け橋である。」




【解説】
 本項は私達が日常的に遭遇している想念がどのようなものかを改めて示しています。
 即ち、通常、私達が単なる想像、幻想と言った類の思いつきだとして捨て去るものの中に、それらの要素が入っているというのです。通常、私達がそれらのアイデアのカケラが心に浮かんでもそれらは単なる妄想だとして捨てている為に、テレパシー能力が育成されないのです。
 本項で言う東洋の哲学者が誰なのかはわからないのですが、私達が通常、想像として分類しているものの多くは因からの想念波動であり、それらはやがては現実化することを説いています。宇宙空間の中を流れる創造作用を持つ印象類である可能性があるという訳です。
 テレパシー能力は単に相手の発する想念を理解出来るという段階から創造的な想念波動、因に起源を置く創造主の意図を理解する段階に進むべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落275

275 But even with interest we must analyze our mental reactions; for there is personal interest, and universal interest. One may find that he is able to receive many impressions or premonitions regarding his own affairs; yet be a closed channel for national, world, or universal impressions. If this person will watch his thought action closely, he will discover that hundreds of thoughts pass through his brain during each day which do not register strongly; because they do not seem to pertain to himself, his personal experiences, or have appeal to his individualized knowledge of outside affairs.
275 しかし、関心についても私達の精神面の反応を分析しなければなりません。何故なら、個人的な関心もあり、宇宙的な関心もあるからです。人は自分が自分自身の事柄に関しては多くの印象や予感を感受することが出来ていることには気付くかも知れません。しかし、国家や世界、あるいは宇宙的な印象類については閉ざされた経路になっています。もし、この人物が綿密に自らの想念波動を観察するならば、毎日何百もの想念が強い印象を残さないまま自身の頭脳を通過していることを発見するでしょう。何故ならそれら想念は自身や自分の個人的な体験に属するようなものでなく、自身の外部の出来事についての個人的な知見に訴えるものではないというのがその理由です。




【解説】
 確かに私達には少なくても何百、何千という想念・印象がやって来ることでしょう。その内、実際に私達が気付き取り入れるのは、ほんのわずかという訳です。本当はもっと多くのアイデアを持ち、事業も発展できる環境にあるのに、それを生かし切れていないのが私達です。
 本項ではその原因を、私達が事前に特定の分野の印象しか受け入れようとしない傾向にあることを指摘しています。つまり、私達自身の関心事を如何に広げるかが求められているのです。
 しかし、本人の関心事を拡げるのは容易ではありません。本来、最高位の創造物である人間はあらゆる事柄に関心を持たねばなりませんが、エゴが高慢になった挙句、自分以外の存在物に敬意もなく、尊敬もなくなってしまったのではないでしょうか。
 それを打破するためには、再度、自ら自然を探求する他、手段はありません。植物画や昆虫の絵本等、精緻な絵画を描く画家は皆、年配になっても生き生きとされているように思われます。言葉を発しない生きもの達を観察し、画としてその姿を再現する過程にそれら生きもの達との一体感の中で、より深い理解が広がって行くに違いありません。


ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落274

274 Interest, unlike concentration, does not deplete the cells. Due to their state of curiosity regarding the new information, the cells are open to the incoming force. Being in a free state, instead of using their stored-up energy as they do with intense concentration, the cells are so normally balanced in action that they receive equally as they give out; so no fatigue is felt.
274 関心は集中とは異なり、細胞を消耗させることはありません。その新しい情報に関する興味を持った状況の為、細胞は入って来る力に対し開放しています。激しい集中ではそれら貯えたエネルギーを使っていたのに対し、自由な状態においては細胞は正常にバランスされ、出すのと同量を受け入れることとなる為、疲労は感じられません。




【解説】
 年を取ると新しい物事に対する関心が薄れがちですが、これが大きな問題なのです。絶えず新しい分野に関心を持つこと、新鮮さを失わないことが長寿の秘訣かと思われます。
 その為には、昔のことに囚われることなく、また自らの欲望に執着するのではなく、あらゆる事象を内観し、その中に隠れている様々な要素に気付くことも必要かと考えます。
 その点、大いに参考とすべきは自然界の生きもの達です。彼らは言葉を発することなく、無駄なく、また不平不満を述べることなく与えられた環境を享受しています。この頃は朝晩の通勤途上で爽やかに鳴くコオロギの声を聞くようになりました。ささやかな環境の中でも精一杯、驚く程のキレイな音色を出す虫達の生活振りに想いを寄せるのも楽しい秋のひと時です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落273

273 We are living examples of this law in action. Our modern mechanical age with its labor-saving devices, which should give us more time to become acquainted with ourselves and the universe in which we live, has enslaved the average person by the fast pace they now expect. We work, eat, sleep and play in a state of high concentration; then wonder why we suffer from constipation, colds, high blood pressure, and drop dead with heart failure in the prime of life. All the medicine in the world cannot make the little cells of our bodies operate efficiently while our minds are under tension.
273 私達はこの法則の生ける実例です。私達の現代の機械化の時代には労働を軽減する装置があり、それらは私達に自分自身と私達が住んでいる宇宙をよく知るためにより多くの時間をもたらす筈なのですが、平均的な人間を自分達が思い込んでいるテンポの速いペースの虜にしています。私達は高い集中度の下、働き、食べ、眠りそして遊びます。そして何故、私達が便秘や風邪、高血圧に苦しみ、生涯の全盛期に心臓麻痺で倒れるのかを不思議に思うものです。この世の全ての薬は私達の心が緊張下に置かれている間は私達の肉体の微小な細胞を効果的に動かすことは出来ないのです。




【解説】
 せっかくの文明社会に居ながら、私達は依然として旧態ながらのあくせくした心のままで日常を過ごしています。その結果、心の過度の緊張や集中によって、肉体は疲弊した状態にあり、様々な病気を抱えるに至っています。
 本項はこのような心の問題が解消しない限り、薬では効果が出ないと断言しています。つまり私達が抱える肉体細胞の問題は薬よりも心の問題を先に解決する必要があるということです。
 私達が本来、授けられた恵まれた環境を生かす上でも、自らの心の問題こそ、真っ先に対処すべきという訳です。しかし、この課題は各自が解決に向けて努力しなければなりません。他の者は助言は与えられるものの、その行動実践は本人でしか為しえないのです。
 本項で説かれている集中の問題は、はるか2000年以上も前に仏陀が説かれた執着の問題に対応しています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落272

272 During experiments conducted in the field of intentional telepathy by researchers, it has been found that the rate of accuracy in reception in any group is higher for the first series of tests than it is later. They have attributed this to mental fatigue, but it might more logically be explained as concentration fatigue; for it is produced by the enforced focusing of the attention upon one point, or idea. Because it demands an increased expenditure of the potential body force, any form of concentration will produce fatigue. The energy of the cells is being dissipated at a very high rate, and due to their tenseness caused by this mental strain, they are not able to replenish their energy as fast as they are giving it out. This creates an unbalanced condition in the body.
272 研究者達による意図的テレパシーの分野で行われた実験の間、如何なる集団においても正確さの割合は最初のテストが後のものよりも高いことが発見されています。彼らはこれを精神的疲労のせいとしていましたが、集中化による疲労と説明する方がもっと論理的と言えるかも知れません。何故なら、ある一点あるいは概念に注意を強制的に集中させることで疲労が作られるからです。その集中が潜在する肉体の力の消費量を増加させることになる為、どのような形であれ、集中は疲労を作り出します。細胞のエネルギーが非常に高速度で消失し、心の引き締めによって作り出された緊張の故に、細胞は自分達のエネルギーを補給することが出来ないまま、エネルギーを放出してしまいます。これは肉体にアンバランスな状態を作り上げます。




【解説】
 本項はこれから私達がテレパシー能力向上を目指して各自訓練して行く上での指針となるものです。
 とかく私達は成果を急ぎがちです。その為に何かの目標に集中しますが、その際の心の持ちようについて注意しています。つまり、説明事例にあるように、多くの場合、最初はうまく行く場合が多いことです。これは心が未だ集中しておらず、リラックスしていたり、成果に執着することのない心境であったためという訳です。
 これに反して、2回、3回と続けて行く中で、私達の肉体細胞が疲弊し、感受性を失うことを警告しています。つまりはこのような心の訓練は心の状態即ち心境を如何に理想的な状況下に統制して行うかがカギとなる訳です。これはテレパシー分野に限らず、スポーツその他何事にも当てはまるのではないでしょうか。如何に平常心を保ちつつ、目標に立ち向かうか、このバランスが重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落271

271 A very great difference exists between the two. Concentration is a fixed, or set condition, which allows only one idea to manifest at any given time. Interest is a state of curiosity which opens real consciousness to all ideas around it, and in this way actually creates an impersonal participation with them in a free state.
271 両者の間には非常に大きな違いがあります。集中とは固定化した固まった状況であり、如何なる時でも一つのアイデアしか現出を許さないものです。一方、関心は現実の意識をその周囲の全てのアイデアに開放する好奇心の状態であり、このようにして自由な状態の下、それらと非個人的なる参画を実際に造り出すのです。




【解説】
 テレパシー能力を高める為には何より自らの関心の範囲を広げることが肝要であり、物事に集中、執着することはそれに逆行するものだと説かれています。
 自らの意識を拡大拡張し、あまねく領域に広げるとともにその染み出す範囲で想念、印象の検知を待つという訳です。
 とかく答えを見出せないでいる私達ですが、それは求める範囲を自ら狭め自らの関心をその一点に集中しているからに他なりません。もっと自由に自らの想念を広げれば絶えず流れ込む宇宙の英知に自ずと接することが出来、インスピレーションを得ることが出来るのです。通常、このような心境と他力本願と称するかと思いますが、その背景にあるものは創造主への信頼、信仰なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落270

270 Our aim in this study is to discover how far out we can work from any given point. We are not trying to draw the universe into the level of the human consciousness, but to turn the human consciousness away from the personal self, that it may become universal. So the development of the true sense-man, and the reception of telepathic communication, does not depend upon concentration . . . but upon interest.
270 この学習における私達のねらいは、どんな与えられた地点からも如何に遠くに私達が作用することが出来るかを発見することにあります。私達は宇宙を人間の意識のレベルにまで引き寄せようとするのではなく、人間の意識レベルを各自の個我から離して宇宙的にしようとしているのです。ですから、真の感覚人の発達やテレパシー的意思疎通は集積にではなく、関心に依存するのです。




【解説】
 テレパシー開発のポイントはこれまでのような”集中”でなく、”拡張拡大”であると、本項はその秘訣を説いています。私達の概念や意識を自分自身や身の回りから如何に拡張させるかにあるということです。その為には私達の感覚範囲を広く宇宙にまで拡張すること、そして拡張した感受範囲に何が起こっているのか常に関心を持つことだとしているのです。
 とかく私達は何らかの課題や対象に集中しがちですが、実際に必要とされているのは広く拡張した意識をどのような想念・印象が通過するか、警戒することにあります。感受性を高め、やって来る価値あるインスピレーションを逃さぬよう、それらが通過する際に心の中に生じるわずかなさざ波に気付ける心境を保持することが大切です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落269

269 It is true that all form is brought into being through a drawing together of free elements; that concentration is the father of manifestation. So if we are interested only in discovering how much space we can press into the smallest conceivable mass, concentration is a marvelous thing. But I sincerely hope that the goal for which we are striving is much higher.
269 全ての形あるものは自由な元素を互いに引き寄せることを通じてもたらされたこと、集積は創造の父であることは真実です。ですから私達が如何に考えうる極小な塊に空間を圧縮させることが出来るかを知ることだけに関心を抱くなら、その集積は驚くべきものになります。しかし、私としては私達が努力しているゴールはもっと高いものであって欲しいと心から思っています。



【解説】
 確かに形あるものは空間を自由に動き回っていた分子・原子をある意味、究極な密度まで集約し、しかもその内部では各要素がそれぞれ密接に連携している等、奇跡的な機能を果たしていると言えるでしょう。これまで私達は集中こそ、重要だとして来たものです。
 しかし、本講座では今までのように形になった世界にはそれ自身の存在にのみ関心が集まる為、発展はないと主張しています。
 内向きの関心を解消し、宇宙に拡がる概念や意識を育む為には、私達はこのような形あるもの、即ち結果物から、その原因、即ち無から有になる過程、生命活動に自らの関心を向けさせなければなりません。自我への執着を捨て、もっと深遠な想念・印象レベルの活動を感じ取る努力が必要とされているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落268

268 Let us look into past history, back to the great minds still influencing our thinking today. Here, we find the Master Teachers: Buddha, Jesus, Aristotle, Socrates, Plato, to name but a few, all sharing one common faculty. All were possessors of serene, balanced minds; which enabled them to pierce the veil of materiality and trace manifestation to its true Cosmic Source. Long after the big business tycoon has returned his body to the dust and been forgotten, their guiding words will continue to influence the destiny of the world throughout time.
268 今日の私達の思考に今なお影響を与えている偉大な心について過去の歴史を覗いて見ましょう。ここに偉大な師である仏陀、イエス、アリストテレス、ソクラテス、プラトン等、わずか数人を挙げましょう。これら全員は一つの共通した才能を共有しています。全員が澄んでバランスがとれた心の持ち主であり、そのことが物質性というベールを貫くことを可能とし、真実の宇宙的源泉に繋がる創造作用をたどることを可能にしたのです。この大御所がその肉体を塵に返し、忘れ去られた後も長い間、彼らの導きの言葉は時間を越えて世界の運命に影響を与え続けることでしょう。




【解説】
 以前にも述べたかと思いますが、樹齢1200年余の杉の大木を見たことがあります。伝承では聖徳太子にゆかりのある神社にそれが大切に守られていました。その巨木を見た時、1200年という年月の長さと、これら長年月を見守って来た巨木の持つ知識に改めて恐れ入った次第です。
 しかし、少し考えれば、本項に記載のあるイエスや仏陀等々の聖人は皆、この巨木を遥かに超える昔、その痕跡も不明となるような昔に生きていた方々であり、いまだに後世の者達がその教えの真髄を探求し、実生活に活かそうとしていることに気付きます。
 まさに言葉は物質より、長持ちする訳で、メッセージこそ永遠に受け継がれるべきものと言えるでしょう。宇宙空間の中で言葉、更にはその表す心境こそ永続するものであり、物質は一時的な結果物に過ぎず、それは私達の身体も含め移ろい易いものであることが分かります。
 そして同時に、私達が学ぶアダムスキー氏についても、やがてはこれら偉大な魂として末永く私達の道しるべとなるに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落267

CHAPTER Ⅱ
Relaxation, Interest and Receptivity
267 We have been taught that intense concentration is the only means by which anything can be accomplished in this world. We are told that the happy-go-lucky individual never becomes an outstanding figure in any line of endeavor; so we should at all times keep our shoulder to the wheel, our eyes on the ball, and our nose to the grindstone (a most uncomfortable position). But here again, we will find that we have been unwisely informed.
第2章
リラクゼーション、関心及び感受性
267 私達はこれまで強烈な集中が、この世の中で何かが成し遂げられる為の唯一の方法であると教えられて来ました。私達は楽天的人間は決して如何なる努力の分野でも秀でた人物になることはないと教えられて来ました。ですから私達は常に車輪に肩を付け、ボールに目を置き、砥石に鼻先をつけ(最も不快な姿勢を)続けるべきとされて来ました。しかし、ここで再び私達は愚かなる情報を与えられ続けていることが分かるでしょう。



【解説】
 前章から引き継ぐ内容として、本章ではリラクゼーションについて学びます。
 想念波動に鋭敏になる為、ひいては物事を達成する上で、とかく私達は精神を集中し、気合を込めてその成就を求めるべきだとされて来ました。強く気持を集中することが不可欠だ、或いは有効だとされて来たのです。
 しかし、実際はどうでしょうか。貴重なアイデアは悩んだ末に心が完全に放棄した時に訪れることも多く、強く念じたとしても必ずしも望む事柄が実現するものではないようです。
 その一方、本講座で繰り返し説かれているのは、心が束縛から解き放たれ、自由になった時、宇宙の妙なる想念波動に遭遇することで、新境地が拓けるという事実です。これをもたらす真のリラクゼーションとはどのようにして生まれるのか、私達は本章を通じてじっくり学ぶことになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落266

266 It is quite possible, nevertheless, to bring about a free state of cell activity. We speak of this state as relaxation. And the secret of being a good recipient of telepathic communication is the ability to keep the body in a state of active relaxation at all times.
266 それでも細胞活動の自由な状況を取り戻すことは全く可能です。私達はこの状態をリラクゼーション(訳注:本来は「緩和」或いは「弛緩」と訳すべきですが、原文の意味合いを込めてカナ表記にしました)と呼んでいます。そしてテレパシックな意思交流の良い受け手となる秘訣はいつの場合も活動的なリラックス状態に身体を保つ能力にあります。




【解説】
 私達がテレパシー能力を高める上で重要とされて来た「リラックスした状態」について、本項で重要な点を述べていることに注意したいものです。
 それはリラックスでも活動状態にあることです。私達生命体は全身くまなく静止していることはありません。細胞内の各構成要素も各器官も皆、常に活動的です。先ずはそれら基本的な生命活動と共鳴することが必要で、私達は常に活動的であり、同に何かに執着することなく、外宇宙から来るインスピレーションに即応する鋭敏性が求められることになります。
 読者の多くの方が、確かに仕事がはかどる時は、私達は活動的であり、臨機応変に物事を解決していますが、何か問題にぶつかって悩んでいる間は身体は不活発で停滞していることを体験していると思います。これでは身体がリラックスしていることにはならない訳です。宇宙本来の活動的な波動と一体化してはじめて、周囲と調和することが出来るということです。何事にも積極的で関心を持つこと、自然を見習った心境を大事にしなければならないのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落265

265 This is exactly what happens within our bodies. Since we are one with the Cosmos, our rightful condition is a free state so that we might be receptive to all vibrations. But, due to the exaltation of the personal ego within us, we are usually adhering to the false magnetism with which we have endowed it.
265 これがまさしく私達の身体の中で起っていることです。私達は大宇宙と一つである以上は、私達にとってふさわしい状態は私達が全ての振動を感知できるような自由な状況です。しかし、私達内部の個人的なエゴの増長によって私達は自ら与えた偽りの磁力にいつも付き従っているのです。




【解説】
 私達自身、何事かに悩んだり、心を痛めたりすることは常ですが、これらの真の原因は本項に示されているように、私達が自分自身(エゴ)に関心を奪われ、集中(執着)していることに由来します。
 本来、私達はもっと自由、溌剌に生きて良く、それらを叶えるだけの条件は創造主から与えられています。それを阻んでいるのは前項の鉄粉の中に据えられた磁石のようなエゴによる統制支配という訳です。
 従って、私達の各身体細胞が各々従来からの自縛を解けば、私達の想像すら及ばない宇宙的想念波動が流れ込み始めることになります。この自縛は長年の積み重ねから来るもので、短時間では難しいかも知れませんが、継続的な取組によって、あるいは各種の「行」によって非日常体験を通じて、次第に解消するものと考えます。
 私達は先ずは各自、自分自身への関心を捨て、広く宇宙自然の中の生命波動にこそ、日々の関心を置くことです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落264

264 Now let us take the steel dust, sprinkle it lightly over the tin once more, and place a magnet in the center of the vessel. What happens? The particles immediately respond to the magnet, and gather around it in a concentrated form. It makes no difference what note we play on the violin now, nor how long we hold it.  The particles will not be moved by the lesser vibration, because they are so intensely interested in another and stranger force . . . the force of magnetism
264 今度はその鉄粉を取り出し、再びブリキ鍋の上に薄く散らばせ、その容器の中央に磁石を一つ置きます。どうなるでしょう。粒子は直ちに磁石に呼応し、それに向かって集まるように取り囲みます。今度も何ら変わることなく私達がバイオリンでどのような音曲を弾こうとも、あるいは如何に長く音を鳴らそうとも何の変化も生じません。粒子は別のもの、磁石と言う見知らぬ力に対し強烈に関心を持っている為、弱い振動では動かされなくなっているのです。



【解説】
 私達の各身体細胞が各々の中心核に対して如何に忠誠を保ち、自らのエゴによる心身の統制が為されているか、本項の事例により良く表現されています。私達はそれ程に各自の自我の示す一挙手一投足に忠実だということでしょう。多くの精神的疾病はこのような過度な集中状態に基づいているということでしょう。
 しかし、このような状態では、注目する自我の問題の他に関心はなく、当然、その他の状況について目を閉ざし、耳を塞いでいるという訳です。その結果、本人は外宇宙から来るヒントはもちろん、他の事柄に自らの視野を閉ざしており、袋小路の中で苦悶することになります。
 従って、先ず私達は本項に示されているような自らの一大関心事を一端捨て去って、執着のない世界に自分自身を置いて見る必要もあるのです。自らの60兆個もの身体細胞を従来のくびきから解き放って、本来の自由な心境に戻すべきなのです。そうする中でやがては各細胞は本来の柔軟、自然な状況に復帰し、健全な状態を取り戻す筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落263

263 Let us use an illustration such as this: We will take an ordinary pie tin, sprinkle a very light layer of fine steel dust over the bottom, then place it at one end of the room. Standing at the opposite end of the room, we will play a note on a violin. Since it is a recognized fact that a musical note creates a certain vibratory wave in the atmosphere relative to itself, if the note is held steadily we will find that the steel particles have moved about to form a picture of the note played. Because these particles are in a state of non-resistance, therefore easily moved, waves will appear in the layer of steel dust. This non-resistant state is comparable to the atoms when they are free in space, vibrating in harmony as they express Cosmic Cause. In this state they recognize their oneness with, and dependency upon, Cosmic Force.
263 このような事例を用いましょう。一般的なパイ焼き用ブリキ鍋を用意し、底に細かい鉄粉を極く薄く散らばせ、それを部屋の隅に置きます。部屋の反対側に立ってバイオリンで曲を弾くことにしましょう。音楽の音曲はそれ自体に相関して大気中にある振動波を造り上げることはよく知られている事実ですので、もしその音曲が一定に保たれれば、私達はその鉄粉が演奏された音曲の絵を形づくろうと動き回る様子を見ることでしょう。これらの粒子は非抵抗の状態にある為に、容易に動いて鉄粉の層の中に波紋が現れることでしょう。この非抵抗の状態は宇宙空間の中で自由に存在する原子達になぞらえることが出来、それらは宇宙の因を表現しながら調和した振動を起こしています。この状態の中で原子達は宇宙の力と一体化していることと、それに依存していることを悟っているのです。




【解説】
 鉄粉がバイオリンの音に共鳴したブリキ皿の振動に従って模様を作るこの事例は、私達自身の細胞もまた、空間を流れる波動に共鳴し、その英知を表現できる可能性を示すものです。
 その為には、先ず私達を構成する各細胞をリラックスさせ、通過する有用な波動に共鳴出来るよう、フリーな状況に保つ必要がある訳です。何か特定の関心事に気をとられてばかり居ては、外部から来るインスピレーションには即応出来ません。
 先ずは一つ一つの鉄の粒が各自自由になること、自ら大事と思った事柄に躊躇無く融合出来る柔軟性も必要な筈です。物事を解決する上でエゴは無能であり、空間を流れる宇宙の英知に従うという他力本願こそが本来的な意味を持つと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落262

262 As I have said, all manner of vibrations are constantly beating upon the cell portals of our bodies. Inasmuch as every cell is a conscious entity, the mass as a whole is perfectly capable of intercepting any one of these vibrations. When the cell-minds do not receive them, it is because they have become too interested in the central ego of the form. This means that they have concentrated their actions about the ego to such an extent that they are not aware of the existing outer force.
262 これまで述べましたようにあらゆる形態の振動が常に私達の肉体の正面入口部分の細胞を叩いています。一つ一つの細胞は意識を持つ存在でありますので、全体の質量としての塊は、これら振動の如何なるものも捉える能力があります。細胞の心がそれらを受信出来ない場合は、それらが形あるものの中心のエゴに対し、あまりにも強い関心を持っている為です。このことはそれがエゴに自分達の行動をそれ程に集中化させて来た為に、それらが外部の力の存在に気付かなくなっていることを意味します。




【解説】
 よく言われる表現に"自意識過剰"という言葉がありますが、私達自身でもある私達の各細胞はそれぞれ自身を守り、その存在に不都合は要素の侵入を警戒するあまり、常に自身でもある細胞の中心核を見詰めているという訳です。その為に私達は外からの信号や想念波動にはすこぶる鈍感になっています。
 野生動物が危険を察知し、天候変化も予知する一方、私達は迫り来る地震その他の災害にも気付くことなく、専ら自らの関心事に心を奪われているのです。
 しかし、そのような状態では、他人との融和も宇宙から来る想念波動の感知も出来る筈はないのです。自分自身への行き過ぎた関心や集中を取り去り、自らの心を他の者へ開放し、拡張することが必要です。心を自分自身から広げることが出来れば、それ程に受信のアンテナが拡がる訳で、感知するインスピレーションは格段に増えるに違いないのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落261

261 The human must have a definite reason for acting; first, as a duty of self-perpetuation; second, because the act brings pleasure. Either of these is pure selfishness; and creates this barrier of resistance against universal knowledge. This self-interest created by the concentration of cell consciousness, we call the ego. And because of our lack of understanding, it is this human ego which we seek to perpetuate.
261 人間は行動する際には明確な理由を持たねばなりません。第一は自己を永続させる為の義務として、第二はその行動が快楽をもたらす故です。これらのいずれもが純粋に利己的なものであり、宇宙普遍の知識に対して抵抗の障壁を作り上げています。この自己への関心は、私達がエゴと呼ぶ細胞意識の集中化によって造り上げられました。そして私達の理解の不足の故に、私達が永続させようと求めているものは、この人間のエゴなのです。




【解説】
 人体を維持する為に人は食物を摂る必要がありますが、同時に味覚や視覚、嗅覚を喜ばせる上から、食事はこれらエゴを満たす上で最も重視されて来た行為と言えるでしょう。グルメこそ究極のエゴの行為と言えるのではないでしょうか。
 くしくもイエスが人はパンのみにて生きるにあらずと私達に警告した通り、私達は食べることにあまりにも重きを置いており、テレビでは次々と出る新しい商品の宣伝に余念がありません。
 当然、その結果は体重増となり、富める国と飢餓に苦しむ国々との間で人々の身体に大きな差が生じており、食料の分配に不平等が生じています。
 しかし、イエスが指摘したように、私達は自身の身体の保持の目的以上に食物を摂取することに価値を置くべきでないかも知れません。以前あった宇宙人とのコンタクト事件の中で、自宅に水を貰いに飛来した宇宙船の搭乗員からお礼に貰ったパンケーキは何かダンボール紙のように味気なかったという話があります。進化した宇宙人にとっては、もはや味覚は食事の支配要素でなくなっているのではないかと思う次第です。美味しい、まずいという感覚の支配を超えた先に生きていると言っても良いのかも知れません。

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