2019年02月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落122

122 They do not condemn us for our shortcomings, for they know we are behaving according to our understanding. Where we now are in Cosmic growth, they once were; where they now are, through the natural evolution and refinement of our thought patterns, we will be. So it behooves us to remember our Divinity at all times; and try to guide our minds carefully.
122 彼らは私達の欠陥をとがめることはありません。彼らは私達が自分達の理解に応じて振る舞っていることを知っているからです。宇宙的成長において現在、私達が居る所に彼らもかつては居たし、彼らが今居る所は自然の進化と私達の想念パターンの精化を通じてやがて私達が到達する所です。それ故に私達は常に自身の神性について覚えて置かなければならず、自身の心を注意深く導くよう努力すべきなのです。



【解説】
 改めて同乗記を読むと、私達は他惑星人が皆、テレパシーの能力、即ち相手の心に湧く想念を互いに敏感に感じ取ることが分かります。決して、それらは無理せず行われている訳で、彼ら他惑星人にとっては改めて解説するまでもない自然の事柄なのです。
 それに対し私達は自身に残留している想念すら気付くことなくもっぱら暴力的、差別的な想念のルツボと化している訳です。同乗記の中で他惑星人から指摘されているように、私達がほんの些細な事柄でも怒りが発現してしまうのは、まだまだ私達の中に取り除かなければならない問題点が多いことを表しているのです。
 その一方で各々の精進の結果に対しては皆、楽観視しているように思います。前進すれば必ずゴールに着く訳で、時間の長短は永遠の宇宙的時間の中にあっては意味を成さないということでしょう。私達各人は自分の想念パターンを精査し、浄化することがその歩みを支えることになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落121

121 To digress for a moment: the space people, understanding that man is Divine Thought motivated by the Divine Breath (for ether is Divine Creation), feel a reverence for all humanity. This is the explanation of the statement in INSIDE THE SPACE SHIPS which has proved so puzzling to people. Practical Earthlings have questioned the philosophy of accepting death for themselves rather than the taking of human life; but the visitors know that when another stands before them, they are in the presence of the Living God.
121 少しの間、本題からそれますが、宇宙人達は人間は聖なる息(エーテルは聖なる創造物である故)によって活性化された聖なる想念であることを理解していますので、人類全てに対して敬意を感じます。これは人々に当惑を与えた「INSIDE THE SPACE SHIPS(空飛ぶ円盤同乗記)」における言及への解説です。現実的な地球人達は人生を迎え入れることよりも死を受け入れる哲学に対し疑問の声を上げています。しかし、訪問者達は他人が自分達の前に立つ時、自分達は生ける神の面前に居ることを知っているのです。




【解説】
 人間に対するこの根本的な理解は、本項で例示されている同乗記の中の他惑星人の発言に端的に表れています。相手に対する認識が私達地球人とは随分違うレベルに到達していることが分かります。おそらく、それらの会話は極く普通のこと、当たり前の考えとしてアダムスキー氏に話されたのです。
 このことはかつてイエスが弟子達に説いていたことと同じです。一般には自己犠牲その他と称されていますが、実はその背景には対する相手の中に万物の創造主を見ているから出来る行為と言うことが出来ます。
 従って当然のことながら、相手を殺傷することなど、どんな場合であっても出来る筈はなく、自らの命を絶つことを選択するということでしょう。私達の行動は対象の中に何を認識するかによって大きく変わります。私達が宇宙の因を見るようにと諭されるのは、そのことによるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落120

120 This may seem startling to some at first, but remember all creation is Divine Thought in action. Therefore man, with his reasoning mind, "given dominion over all the earth," possesses unlimited potential. Owing his very existence to this Cosmic Intelligence (or God), man instinctively feels a kinship with all life. And, the evolution, or refinement, of his thinking is the path by which the Prodigal Son eventually returns to the house of the Father.
120 このことは人によっては最初驚くべきことのように思えるでしょうが、全ての創造は聖なる想念が行動したものであることを忘れないで下さい。それゆえ、人は理性ある心を持ち、「全地上の支配権を与えられ」、無限の可能性を持つのです。この宇宙英知(神)への自身の存在に起因して、人は本能的に全ての生命に親近感を感じます。そして人の考えの進化や洗練は放蕩息子が遂には父の家に帰る道程でもあるのです。




【解説】
 本項で大事だと思うポイントは、”全ての生命への親近感”であろうと考えています。そのこと自体は、本文に記されているように、人間が創造された意義にも関わることですが、人間以外の他の動物達を見ても、それらの要素はあまり見出せません。万物の頂点に立つべき人間ならではの特徴と言えるのです。
 また、何事も対象への関心、更には親近感なくして探求は進みませんし、対象を理解することも出来ません。相手と一体化してはじめて相手の放つ想念を感知することが出来るようになるのです。
 このように同胞を理解することは、私達自身にとっても視野が広がり、自分の暮らす世界が実は素晴らしく調和のとれたものであることが分かることでもあります。宇宙本来の整然とした営みを目の前にして、如何に恵まれた環境に暮らしているかを感謝する時が必ず来ることでしょう。その時、私達は本文にあるように、”放蕩息子”の名称を捨てることが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落119

119 From this I now understood that Man is a thought in action! The original prototype was projected from Cosmic Intelligence; hence, Man is but an avenue through which Divine Thought expresses.
119 これにより、私は人は活動する想念であることを理解しました。最初の原型は宇宙の英知から投影されたのであり、それゆえ、人は聖なる想念が表現する大通りでしかないのです。



【解説】
 人間には他の動物とは違う役割が設定されていることは、創世記の伝えるところです。その内容はくしくも今日私達が"クリエーター(creator、創作家)と呼ぶような一連の芸術家を示すように、それまで無かった分野を新たに物事を造り出す作家に類似しています。自らひらめいたアイデアを具体化する人達です。
 このような性質は元来の創造主の特質であることから、新しい分野にチャレンジし、新境地を開拓する者に老化という要素はありません。常に若々しく活気を備えている特徴があります。それは即ち、宇宙本来の流れに従っていることであり、私達の身体を通じて創造の力が発現されていることに他なりません。本項で言う"活動する想念"という表現が、そのことを言い得ているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落118

118 This story of creation is not confined to our small planet, as we have been led to believe, but encompasses the entire Cosmos. All creation, from the firmament or sky (ether), through the varying states of density to minerals, was first a thought followed by the forming of matter (atoms) to produce the effect. Matter in this sense is not restricted to tangible manifestation, but refers to the Mother principle in creation. From the Father principle, or Creator, and the Mother principle composed of force, or matter, comes the Son, or all manifestation.
118 この創造の物語は、私達がこれまで信じさせられていたように、私達の小さな惑星に限定されるものではなく、全宇宙を包含するものです。天空あるいは大空(エーテル)から、様々な密度状態を通じて鉱物に至る全ての創造物は最初、想念であり、その後に結果を作る為の物質(原子群)の形成が続きました。この場合、物質は手に触れられる創造に限らず、創造の母性原理をも示唆しています。創造主すなわち父性原理、そして力或いは物質からなる母性原理とから、その息子即ち全創造物が生まれます。




【解説】
 "満天の星"という表現がありますが、宇宙には文字通り無数の世界が広がっています。その星一つ一つが私達の太陽系である訳で、宇宙は驚くべき数の惑星で満たされていることが分かります。"Many Mansions(多くの館)"とありますが、その数は莫大です。
 また、宇宙空間は創造の場でもあります。アダムスキー氏は同乗記の中で暗黒の宇宙空間で起こっている諸活動、例えば"宇宙ホタル"とも称された無数の光体活動その他を目撃しています。それらは外宇宙が単に、空間(void)でなく、様々な物質が存在し、活発な活動が起こっている創造の揺りかごであることを伝えています。
 本項で記されていることは、これらは共通した創造主の意思(想念)に基づく活動であり、私達各人はその成果物であり、息子であることです。イエスが度々、"父"と表現した由来はこのことにあるのです。

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2月18日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落117

117 In the second chapter of Genesis (or the second creation), we are told how the mists went up from the earth and watered the whole face of the ground, causing the seeds to grow; how out of the ground the Lord God formed every beast of the field and every fowl of the air, and how the Lord God formed man of the dust of the ground, and breathed into his nostrils the breath of life; and man became a living soul. So the Creator, following the patterns that had been formed and pronounced "good," from formless void, brought into manifestation, heaven and earth and all life thereon.
117 創世記の第2章(または第2の創造)において、私達は如何にして霧が地表から上昇して全ての地表面を潤し、種を発芽させ、その地面から主なる神が野原のあらゆる獣と空のあらゆる鳥を造り上げ、そして主なる神が如何にして地の塵で人を造り、その鼻の穴に生命の息を吹き入れられ、人は生きる魂となったと伝えられています。ですから、創造主は造られ、「良し」と宣言されたパターンに従って、形の無い空間から天と地とそれらの上の全ての生き物を創出したのです。




【解説】
 以前、砂漠に何年かに1度の雨が降ると、一挙にあたりが一面のお花畑になるというテレビ番組を見たことがあります。水の少ない不毛の大地に一度雨が降ると、砂の中でじっとしていた種が一斉に発芽し、急いで茎を伸ばし、花を咲かせるのです。
 こうした光景は植物の生命力の持つ潜在能力の大きさと同時に、万物創造の息吹を思い起こさせるものとなっています。
 本項は創世記を記すものですが、著者はその物語がはるか昔に起こったものだけでなく、現代にも私達の目の前で起こっていることを示唆しているように思えてなりません。人の誕生、生きもの達の成長は皆、これら創造の過程を今もなお通ってこの世界に生まれ出ていると思うからです。
 以前、砂漠に何年かに1度の雨が降ると、一挙にあたりが一面のお花畑になるというテレビ番組を見たことがあります。水の少ない不毛の大地に一度雨が降ると、砂の中でじっとしていた種が一斉に発芽し、急いで茎を伸ばし、花を咲かせるのです。
 こうした光景は植物の生命力の持つ潜在能力の大きさと同時に、万物創造の息吹を思い起こさせるものとなっています。
 本項は創世記を記すものですが、著者はその物語がはるか昔に起こったものだけでなく、現代にも私達の目の前で起こっていることを示唆しているように思えてなりません。人の誕生、生きもの達の成長は皆、これら創造の過程を今もなお通ってこの世界に生まれ出ていると思うからです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落116

116 Let us turn to the story of Creation for conformation. Careful reading of the first chapter of Genesis (or the first creation), tells us that creation was without form, meaning it was then only a thought forming in Divine Mind. In this chapter we find every detail scrupulously planned: the grasses, herbs, and trees yielding fruit; the waters bringing forth abundantly the moving creatures that hath life, and the fowl that may fly; the living creatures after his kind, cattle, and creeping thing and beasts of the earth after his kind. . . . Then God said, let us make man in our image, after our likeness.
116 創造の構造を理解する為、創造の物語に目を向けましょう。創世記の最初の章(或いは原初の創造の部分)を注意深く読むと、創造は形が無かったことが分かりますし、このことはそれは神聖なる心の中に作り上げられた一つの想念でしか無かったことを意味します。この章で、私達はあらゆる細部が綿密に計画されていたことを見い出します。草や草木、果実をもたらす木々、命を持つ多くの動く生き物をあり余るほどもたらす水、空を飛ぶ鳥等、それぞれの生きるものたち、家畜や地を這うもの達、地上のそれぞれの獣達です。それから、神は言ったのです、人を私達のイメージに、私達に似せて造ろうと。




【解説】
 本項では私達の精神空間で生じる内容は、創世記に記されている万物創造の物語と実は全く同じであると説かれています。宇宙の諸々の創造物が生まれる為に最初に創造主の想念があり、そこから万物創造が始まったという訳です。
 言い替えれば、全く同じ内容が日々私達が接している精神空間でも起こっている訳で、私達は自らの想念の持つ力に注目すべきです。自らの発する想念をチェックして妥当なものであるかを監視する必要があるのです。
 もちろん、良質な想念は大切に記憶し、保護し、育成しなければなりません。私達が為し得る事柄の最も基本となるのは、この高潔な想念を維持することです。各自の想念は自分自身に最も影響があることはもちろんですが、他にも影響をもたらす力を有していることを忘れてはなりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落115

115 From this we can see that there is no center to the universe; no Throne from which all knowledge is broadcast. Each action is the center of the universe unto itself; for radiations going out from it travel in all directions, and fill space. Since everything, both tangible and intangible (in this case we are speaking of thought), comes out of the one Cosmic Cause, we can safely assume that there is no action that is not universal.
115 ここから私達は宇宙には中心が無いこと、全ての知識が放射されるような王座は無いことが分かります。行動の一つ一つがそれ自身に対する宇宙における中心なのです。何故ならそれから発せられる放射物はあらゆる方向に向かって旅し、そして宇宙を満たすからです。触れられるものと触れられないもの(この場合、想念について述べているのですが)を含めて、すべてが一つの宇宙的因から発せられている故に、私達は宇宙的でない行為は存在しないと思って差し支えはありません。



【解説】
 確かに宇宙の形態上は、私達の暮らす惑星群はそれぞれ中心となる太陽を戴き、その周囲をいわば子供として周回しています。それ故に各惑星に住むぞれぞれの人々を互いに兄弟達と呼ぶのです。これを古来の人々は太陽神や天照大神として中心なる太陽をあがめて来た訳です。
 しかし精神面については、本項に示されているように、宇宙には中心という概念がないのです。私達各自が想念の発信者即ち、他への影響を与える存在として、宇宙の中心としての役割と責任を有しているのです。
 このことを認識すれば、私達は自身の責任の大きさに畏れるほかありません。日常、心に湧き起こる想念が自分自身のみならず、多くの他者にも同時に影響を与えているからです。それ故、各自が自身を修める(修身)ことこそ人間として務めるべき基本であると教えられるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落114

114  This is the way thought is transferred from one point to another. A thought-ray of energy, which is nothing more than a charged particle created by the contact of two or more units (remember, thought is a chemical action), is shot out imparting its energy to other particles by exerting pressure upon them. This continues indefinitely, or until this force once generated, is picked up by some instrument capable of changing its character. Energy of any type cannot be destroyed; it can only be transformed from one form to another. Thought, being a type of energy, will travel through space until it is put to some use.
114 これが想念が一地点から他の地点に移送される方法です。二つ或いはそれ以上の単位の接触によって造り出された荷電粒子以外の何物でもない想念のエネルギー線(想念は化学的作用であることを覚えておいて下さい)は、外に向かって発射され、そのエネルギーを他の粒子に圧力を加えることによって伝えます。これは、この一度生成された力が何かその性質を変えることが出来る何らかの装置によって取り上げられるまでは、無期限に続きます。如何なるタイプのエネルギーも破壊されることはなく、一点から他点に移送されるのみです。一つのエネルギーである想念はそれが何かに利用されるまでは、宇宙を旅するのです。




【解説】
 このように私達の発する想念は瞬時に限りなく伝播され、距離に関係なく伝達されるという訳です。問題はこれら想念は効力を存続させ、それと同調する者に影響力を発揮するということです。
 宇宙の創造主も私達とそのスケールや威力は異なるものの、同様の原理を用いて万物の創造にあたったに違いありません。これら想念伝達の原理は万物創造の原理とも言えることでしょう。
 各人の想いがやがて諸々の側面で実現して行くことの意義について、強調しすぎるということはありません。人々の暮らしの安寧を願う気持ちは高次なレベルと言えるでしょう。
 これら各自の発する想念の響きについては、夏の夕方、山の林に響く無数の蝉の声を思い出します。無数の蝉が一斉に鳴き、大合唱になるその様は、こうした人々の想いを音として表現しているように思うのです。蝉の身体はそのほとんどが鳴く為の器官になっています。あの小さい身体で驚く程の声を出すのは、精一杯の鳴き声(想念)を出していることに他なりません。その成虫の短い期間の間、大宇宙に想念を発することに全てを懸けているように思えたことを思い出しました。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落113

113 To demonstrate this relay, let us set up a row of dominos on a table, leaving a space between each one two-thirds the length of a domino. Now, using our finger to exert a slight pressure we energize, or propel into action, the first domino, which falls forward striking the second; thereby imparting its acquired energy to that domino. The second, as it falls, imparts its energy to the third, and so on until the last domino strikes the table; their total energy now having been transformed into sound and heat. The initial action here was produced by the forceful contact of two objects, our finger and the first domino, then conferred to the other objects by a system of relays.
113 このリレーを明らかにする為に、テーブルの上にドミノを一列に並べましょう。各々ドミノの高さの3分の2の距離を残して並べるのです。そして、私達の指を使って最初のドミノにわずかな圧力を加えるか、動かそうとします。するとそれは前に倒れて二番目に打当たります。そうすることで次のドミノに獲得したエネルギーを伝えます。二番目のものは倒れることでそのエネルギーを三番目に伝え、最後のドミノがテーブルを叩くまで続きます。それらの全体のエネルギーは今や、音と熱に形を変えられたのです。その最初の行動はここでは、私達の指と最初のドミノという二つの物体の力強い接触によって作られ、その後リレーの体系によって他の対象物に与えられたのです。



【解説】
 本項でドミノの例から著者が示しているように、どんなに離れていても、私達の抱く想念は確実に伝わることが分かります。距離に関係なく私達の放つ意思や抱く印象は、発した源そのままに各地に再現され、伝播して行くのです。
 このことは私達の放つ想念が、そのまま創造主にも伝達されることでもあり、大変に畏れ多いことでもあります。かつて日本には言霊(ことだま)という概念があり、人の放つ言葉は実現力があるとされていました。言い替えれば、言葉を放つ前の想念の段階で同様の効果・営業があるとも言えるのです。
 また、ドミノの場合には、倒れたドミノは起き上がることはありませんが、自然界の波では、媒体は再び元の状態になり、次なる波を伝えることになります。想念の場合も同様にやがては発した本人に向かって想念が戻ってくることも考えられ、今度は発信者に向けて集中してやって来ることが想定されます。自らの発した影響力ある想念が今度は自分に大きな作用をもたらす訳です。良質な想念を常に発することが周囲のみならず、自分にも良い影響を与え続けることが良く分かるというものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落112

112 In like manner, because we have abundant proof of the transmission of thought from a distance, we must admit a universal medium for thought transmittance. We cannot define the characteristics or composition of mind, we only know from effect that, like ether, mind permeates all space and all substance; and that it is capable of passing through itself those thought-waves which are so much finer than the vibrations of light. Whatever mind is, it must be composed of highly charged particles; and, except for fineness of character, be much like the more concentrated substance composing material forms. For only by means of a relay, can energy be carried from place to place.
112 これと同様に、私達も遠方からの想念の伝達に関する豊富な証拠を持っておりますので、私達は想念伝達に対して宇宙に広がる媒体の存在を認めなければなりません。私達は心の諸性質や構成を定義することは出来ず、只、エーテルのように心が全ての宇宙空間と物質に浸透していることを知っているのみです。また、それが光の振動よりもはるかに微細なそれら想念波動をそれ自身を通して通過させられることもです。心が何物であれ、それは高電位に荷電した粒子群から構成されているに違いありません。そして、それが繊細な性格であることを除けば、物体を構成するより濃密化した物質に近いに違いありません。何故なら、リレーの手法によってのみ、エネルギーは場所から場所に運ばれ得るからです。




【解説】
 同乗記の中で、母船内でアダムスキー氏と他惑星人との会話の最中、他惑星人がごく普通に相手に湧き起こる想念を相手と同時に感受する様子が度々記されています。実はそれ程に他惑星人はテレパシーの達人なのですが、それも本項に記されているように心の拡散に関連しているものと思われます。
 よく"心が広い"という表現をしますが、想念・印象を受信する心が自らの身体内にのみ留まって居れば、相手に関心もなく自分と関係のない想念波動を感受することはありません。空間的にも自らの領域を超えて周囲に広がっているからこそ自分以外の者が発する想念を瞬時に感受出来るということでしょう。
 古来より"オーラ"等の表現として、これら精妙なる荷電粒子体の存在が伝えられて来ましたが、実際にはそれらは心の状態を表すものであるかも知れません。
 いずれにしても、私達は自らの心を拡張させ、周囲のものと同化し、それらと交流する努力をすべきでしょう。生物、無生物を問わず印象を交換することです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落111

111 Mind is the medium by which thought is carried from one point to another. Common reasoning tells us that it is impossible for any vehicle, whether it be of vibration or matter, to travel from place to place without a medium of transference. Science, in its study of electrical energy, and light and sound waves, acknowledges various agencies of transference. The medium of light transmission they have named ether. While admitting they do not know the character of ether, science is sure of its existence and certain of the fact that it is diffused throughout all substance; that it pervades all space, and is capable of handing on undulations of various types from one point to another. Yet the only proof they have of the reality of ether, is the effect produced.
111 心は想念が一点から他の地点に運ばれる媒体なのです。一般的な推論では、振動であれ物質であれ、どんな乗り物も移動の媒体が無ければ、ある場所から別の場所に移動することは不可能だとしています。電気エネルギーや光、音波を研究する科学は、様々な移動媒体の存在を認めています。光の伝達の媒体を、彼らはエーテルと名付けました。エーテルの性質を知らないことを認める一方で、科学はその存在とそれが全ての物質に拡散浸透している事実については確信しています。即ち、それが全宇宙に行き渡り、一点から他の地点に向かう様々なタイプの波動を取扱うことができるということです。しかも、彼らが手にしているエーテルの事実に関する唯一の証拠は作り出された結果に過ぎません。




【解説】
 先ず最初に、私達の心は想念を運ぶ媒体であると著者は私達に説いています。波動が伝播される為には、そのエネルギーを伝える媒体が必要ですし、湖面を伝わるさざ波も静かな水面があるが故に遠方まで伝わる訳です。
 そういう意味では、"心"なるものが広く物質全体に浸透し、想念・印象の波動を万遍なく伝える機能をも果たしていることになります。つまり、私達の心はこうした万物に浸み込むような性質を持っていると示唆されているのです。
 こうした中で、私達は同時に自らの心をより精妙な想念・印象に対しても伝播させられるような鋭敏さを持つ必要があります。何よりも高次な想念・印象を積極的に周囲に伝えなければならないからです。
 また、一方で本項で著者は光の伝播についても詳しく解説しています。遠い宇宙空間から地球に光が届く為に、本来、何物かがある訳ですが、昔の人々がエーテルと称していた空間媒体についても、正直その内容は不明確です。しかしながら、一方では毎晩、星々を見ることが出来る訳で、仮説は横に置いても私達はその事実をベースに探求する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落110

110 The question will now arise; if thought is merely a ray of energy produced by chemical action, what is mind?
110 そこで質問が上がるでしょう。もし、想念が化学反応によって造り出された単なるエネルギーの光線だとすれば、心は何であるかと。



【解説】
 本講座を通じて私達は自らの想念や心というものの正体を突き止めることが求められています。その探求の途の手助けとして、要所要所で著者は私達に考える為のヒントを授けているのです。
 重要な点は各自、自らの心と想念の働きについて調べることです。自らを実験台として毎日、それらがどのように作用しているかを観察し、実態を把握することです。従来の座禅その他の修行もまた、こうした一連の訓練の意義を持つものと思われます。
 その上で、本講座を読み進み、著者が与えるヒントや解答と比較して、理解を深めることです。ただ、書物に記されている事柄を覚えるだけでは、その持つ意義は十分に理解することは出来ません。ご自身の探求の結果、得た答えと著者が示す答えが一致して初めて納得が得られ、不動の知識となるのです。真理は各自で立証される必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落109

109 Thought is not sent out in one straight line as a bullet travels from the barrel of a gun. It goes out in billions of straight lines in all directions. We may imagine a thought as a spark of light, with radiations extending as an equal force in all directions; giving the impression of a sphere at any point of its expansion. And like light, a thought vibration once created, will extend indefinitely unless intercepted by some object capable of absorbing and dissipating that particular ray of energy.
109 想念は鉄砲の銃身から打ち出される弾丸のように一本の直線として送りだされるのではありません。想念はあらゆる方向に向けた何十億の直線のように外に出て行くのです。私達は光のスパークのように拡大する過程のどの地点でも球体に見えるような、あらゆる方向に等しい力を広げながら拡大するものとして想念を想像しても良いかと思います。そして光のように、一旦造り出された想念波動は、そのエネルギー線を吸収し、消失することが出来る物体によって遮られない限り、無限に拡がって行くのです。




【解説】
 本項では想念がスパーク光のように周囲に拡散して伝播される様子を私達に説いています。本人としては何らかの対象を思って放出した想念も、実際にはその者の周囲に万遍に放出されているのです。
 また、これら想念が宇宙くまなく進行して行くことも重要です。波動である想念はやがては反射してその発信源に戻って来る訳で、当然ながらその発信源にはそれら戻りの想念波が集中し、その作用は大きなものとなってしまうことでしょう。良き想念は発信者に最も良い影響を与えるとも言えますし、また逆も同様です。
 私達は自分の中のこれら想念の生成、放出機構について詳しく知るところではありませんが、想念・印象の持つ作用については、十分に学び取る必要があります。丁度、自動車の駆動メカニズムは知らなくても、当面、運転には困らないのと同様です。より重要なのは、与えられた自動車を安全に運転することであり、想念についても先ずはその取扱に十分注意し、与えられた環境を有り難く享受することが重要となります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落108

108 All thought registers as a vibration, in space. When thought is given to audible expression it create a pitch, or frequency, relative to itself. This same law applies to silent thoughts, for they, too, have a definite vibratory rate which registers upon the sensitive plate of space.
108 あらゆる想念は宇宙の中では振動として記録されます。想念が耳に聞こえる表現として与えられる時には、それはそれ自身に比例した音の高低即ち周波数を造り上げます。これと同じ法則が無言なる諸想念にも適用されます。それらもまた、宇宙の感光板に登録される明確なる振動率を有しているからです。




【解説】
 本項では想念・印象が波動(振動)であることが明言されています。私達がそれら想念・印象に同期同調出来るのも、それらが波動であることに起因しているということでしょう。
 丁度、各家庭のテレビアンテナが送られて来るテレビ電波の波長に合わせて作られているのと同様に、私達の想念感受もそれと同様に望む想念・印象に合致したものに調整して置く必要もある訳です。
 また、これら波長が一定であったとしても、実際の電波には様々な変調の仕組みが組み込まれており、テレビ番組と同様、様々な内容が送信可能ということでしょう。
 私達各自は高性能のアンテナを持てば、より明確なビジョンを得ることが出来る訳ですが、それまでは先ずは宇宙源泉の高次な印象を普段から感受出来るよう、工夫調整することから始める必要があるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第4章-段落107

107 We cannot explain Primal Creation from the effects we see about us, neither can we explain the creation of thought except as an activity brought about by the law of affinity. We do not know what causes certain attracting and repelling actions. We must simply accept the fact that such a law exists, and that it does command the combination of chemicals to create a form of energy. It is an aggressive force which radiates in all directions, causing pressure upon the surrounding force-space, thereby creating waves in that element.
107 私達は、私達の周りで目にする諸結果から、原始の創造を説明することは出来ません。想念の創造を親和の法則によってもたらされる活動という以外に言い表わすことは出来ません。私達はある種の引力と斥力が何によってもたらされるのか知りません。私達は単純に、このような法則が存在し、それがエネルギーの形を造り出す為、化学物質の組み合わせを命じているという事実を受け入れなければなりません。それはあらゆる方向に放射する積極的な力であり、周囲の力の空間に対し、圧力を生じさせ、それによってその要素に波を作り上げるのです。



【解説】
 如何に科学が発達し、自然界の観察を通じて創造のメカニズムを探究したとしても、私達が自然界で行われている創造の活動の全てを理解することは出来ません。次から次に不可思議がことが潜在しており、所詮、私達は与えられた環境の下、創造主の恵みを享受する立場に変わりはありません。
 同様に、私達の発する想念・印象についても、その実態についても良く分かっていません。しかし、私達は日常的にそれらの中に暮らし、想念の海の中に生きているという訳です。
 これら全ては分からない中でも私達は最高位の創造物として創造主の意図を探究し、その意図に沿った生き方をすべきことは確かです。
 身の回りには、様々な創造の活動が日夜生じており、その中に何を見るのかは各人に掛かっています。精妙な知性を感受出来れば、その者はその印象と同期同調でき、自身の心身を精華の途に導けるのに対し、それらに気付かなければ、それらの機会を無為に捨て去っていることになります。無関心が最も避けるべき要素であることがこのことからも分かります。

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