2018年11月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第3章-段落069

069 The question may arise: How do you explain those rare individuals who are born without feeling? They suffer no bodily pain, even from severe injuries. Will this impair their telepathic ability?
069 疑問が生じるかも知れません。フィーリングを生まれながらにして持たない稀な人々についてはどのように説明するのかと。彼らは例えひどい怪我をしても肉体の痛みに煩わされません。このことは彼らのテレパシー能力を損なうことになるのではないでしょうか?


【解説】
 歯の治療や手術その他で麻酔が用いられますが、それはこれら肉体の神経細胞の働きを一時的に麻痺させるものです。確かに痛みは感じなくなるのですが、やはり、あくまで一時的な処置であり、本来的に肉体内の神経細胞の働きがあってはじめて私達は自身の身体に生じた異常事態を知る訳です。
 一方、中には本項で示すような生まれつきその機能を持たない人もいるということでしょう。しかし、痛みが感じられないことは身体の異常に気が付かないことでもあり、大変危険と言うことが出来ます。
 しかし、それでもなお、私達のフィーリング機能は更に深部、各細胞の中に備わっているため、その影響は受けないと示されています。これら神経細胞以外の各細胞にそれぞれフィーリングに携わる部分があり、これらは神経反応に関わりなく活動しているという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第3章-段落068

068 Inasmuch as each of the four senses possesses this element of feeling, which is an intelligent force having the ability to react in a conscious state to expressions of itself, or in other words, the element that registers each contact of existing vibration, we must admit that telepathy is certainly not outside the normal operation of the recognized sense organs. For it is through the feeling channel, regardless of the avenue of reception, that thought becomes known.
068 この四つの感覚が意識的状態の中でそれ自身を表現する為に反応する能力、言い換えれば存在する振動との接触を毎回記録する要素を所持している以上、私達はテレパシーは確かにこれまで認識されている感覚器官の通常の作用を超えるものではないことを認めねばなりません。何故なら、感受の経路に係わらず、想念が知られるのはフィーリングのチャンネルを通じてであるからです。




【解説】
 実際のところ視覚から嗅覚までの既存の四感覚についても、それぞれ完全に独立して機能している訳ではなく、各々にはフィーリングの要素が備わっていて、そのフィーリング要素が認識を司るという訳です。つまりは私達にはフィーリングという基本的機能があり、それらを通じて意識に繋がっているということです。
 そうなると私達は既存の四感覚について、それらの横暴や占領を押さえ込むことはもちろん必要なのですが、もっと柔軟にそれぞれの感覚機能を下支えするフィーリングを活かし伸ばすことが必要です。即ち具体的には、四感覚の反応に対し、それとは別に常にフィーリングを通じて得られる事柄に耳を凝らずことです。
 大事なことはあらゆる場面や径路を通じて、フィーリングによってもたらされる"印象"を大切に取り扱うことであり、これらインスピレーションを創造主から与えられた生きるヒントとしてありがたく頂戴することです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第3章-段落067

067 Feeling and touch being practically synonymous, I will continue to use the word feeling to denote the so-called fifth sense.
067 フィーリングと触感は実際上、同義語であることから、私はその言葉(訳注:フィーリング)を、いわゆる第5感を象徴する為に用い続けることとします。



【解説】
 フィーリングも触覚も実はいずれも同様な機能を示すものだということでしょう。
 私達はとかく言葉に囚われがちですが、そのどちらの作用も相対的、類似的なものではないかと思われるのです。即ち、フィーリングは想念・印象レベルで、触感は神経細胞レベルでの接触を介する事項を取り扱うもので、共に作用としては同様なものかと思っています。
 重要な点は、最も私達が注意したいのは私達が視覚から嗅覚までの四感覚にあまりにも依存して来たことで、フィーリングに対しては、ほとんど目を向けて来なかった点にある訳です。
 これから私達は自らの触覚はもとより、フィーリングに重きを置いて、自らの進路を決定すべきであり、決して目や耳が指示するような方向に従う必要はなく、自分の抱く印象に従って行動することが肝要なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第3章-段落066

066 We can only know motion through the law of comparison, which is actually the law of contact, or the relationship between one phase of expression and another. When we touch an object with our fingers, we receive an impression of that object because of the pressure created through the contact of a lesser with a greater vibration. Likewise, we receive visual impressions or auditory impressions through the contact of light or sound vibrations with the retina of the eye or the ear drum. We are made aware of atmospheric conditions and temperature changes through the contact of atmospheric cells with the cells of our body. All of this proves that touch is merely the nerve reaction to contact.
066 私達は比較の法則を通じてのみ運動を知覚することが出来ますが、それは実際にはある表現の位相と他の位相との接触の法則、あるいは関連性であるのです。私達が指を用いてある対象物と触れる時、より低次な振動がより高次な振動と触れることによってもたらされる圧力が原因となってその対象物の印象を感受します。同様に私達は光あるいは音の振動と目の網膜や耳の鼓膜との接触を通じて視覚の印象や聴覚の印象を受け取るのです。私達は大気の小房と私達の肉体の細胞との接触を通じて大気の状態や温度の変化を知るようになります。これらの事柄全てが触感は接触に対する単なる神経反応であることを物語っているのです。




【解説】
 本項はいわゆる触感と呼ばれる神経反応の具体例が示されています。この神経の接触反応には運動や湿熱の他、視神経や鼓膜の振動伝達にまで及ぶ訳で、幅広い機能を有している訳です。
 そういう意味では、触覚は感覚の基本的な機能を支えていることになります。
 このことを理解した上で、私達は自らの隠された真の感覚であるフィーリングを探求する必要があることになります。またそのフィーリングは触覚的要素をも併せ持つことになるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第3章-段落065

065 It has been brought to my attention by many individuals that the fifth sense, as it is generally understood, is not the sense of feeling, but that of touch. This does not change the theory, as each of the four senses possesses this faculty of feeling, or element of conscious-contact, without which there would be no awareness. Touch is a bodily nerve reaction, while feeling is the cardinal Life Force. It is through the conscious-contact of this Life Force that sensation is produced.
065 多くの人々が、その第5感覚は一般に理解されているようにフィーリングの感覚ではなく、触覚のことではないかと私に知らせに来ています。しかしそれはこの理論を変えるものではありません。何故ならその4つの感覚もフィーリング、即ち意識的接触に関する要素の機能を有しており、それ無しには如何なる感知能力もないことになるからです。触感は肉体の神経反応である一方、フィーリングは基本的なる生命力なのです。感覚衝動が作り出されるのはこの生命力の意識的接触を通してなのです。




【解説】
 テレパシー訓練で最も重要なのは、「フィーリング」と称される印象への鋭敏さです。この場合、通常の私達の五感と対比すれば第5番目の感覚である「触覚」に相当するのではないかという議論になってしまいます。古くからアダムスキー哲学を学んでいる人たちの間には、「フィーリング」を「触覚」と同じと考える方々も多かったものです。しかし、本項から分かるように著者は通常、私達が「触覚」だとしているのは、肉体の神経の伝達反応であり、一般的な感覚ではないと明言していることに留意しなければなりません。
 本来の「フィーリング」とは各感覚をも包含するようなもっと高次なもので、意識的な広がりを持ったものと解せられます。言い替えれば、私達が未だ認識できてはいませんが、通常の感覚上の反応よりももっと深い所で想念波を知覚しているような存在だと思われます。
 また、これらの知覚作用のやり方は本文中にあるように、丁度意識が他の意識と出会い、相手と交わる仲で互いの波動を感じ取り、互いを理解するような融合的な知覚作用を行っているのかも知れません。もちろん、そのような互いの交流であれば最初に会った瞬間にすっかり相手を理解してしまうような状況になる訳で、進化した他惑星人が最も得意とする分野かと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第3章-段落064

064 It is through this so-called fifth sense that telepathy works; so if we continue to cling to the idea of feeling as a bodily sense, the definition of telepathy is incorrect, and science has been sidetracked. The act of thought-transference, clairvoyance, premonition, or whatever term you choose to use for invisible perception, is a perfectly normal function of the feeling element expressing through the brain, with the cooperation of the mind.
064 テレパシーが働くのは、このいわゆる第5感を通じてです。ですから、私達がフィーリングの概念を一つの肉体内の感覚であるとする概念に固執し続けるなら、テレパシーの定義は間違ったものになり、科学は横道にそらされていることになります。想念の転移、透視、予感あるいは目に見えない知覚に対して貴方がどのような名前を選ぶにしても、それが心の協力の下、脳を通じて表現されるフィーリングの要素による全くの通常の機能なのです。



【解説】
 ここで重要なのは、想念の感受は既存の四感覚とは別の、より普遍的な機能であり、生きもの全てが共通して持っている「感覚」という訳で、脳の中で具体化するということでしょう。
 従って、視覚から嗅覚までの四感覚とは別に、この「フィーリング」が身体全ての要素と交流し、また身体を代表して他の想念・印象とも同期出来る機能を有するという訳です。
 当然、テレパシーを開発したい私達は、今後はこの「フィーリング」を最重要視して生活を進めることが必要とされます。よく言われるように、"大事なものは目に見えない"ことを十分に自覚して、精妙なる真実の断片を伝える印象こそ、大切に取り扱う必要があるのです。

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いつもご覧いただき、有難うございます。

都合により、次回の更新は11月22日(木)になる見込みです。


2018年11月16日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第3章-段落063

063 Let us now deprive man of one of his four senses, such as sight. Does this affect the life force in the body? Not at all! We can go further and deprive him of two, three, or even all four; yet he will still be a conscious, living being. Though the actual organs of sense are not functioning, he is conscious of knowing joy or sorrow, peace or pain, and he is able to receive mental impressions and visualize them perfectly.
063 では人からその4つの感覚の内の一つ、例えば視覚を取り去って見ましょう。これは肉体内にある生命力に影響を与えるでしょうか? 全く有りません。次に進んでその者から二つ、三つそして四つ全部を取り去ることも出来ますが、それでもその者は意識ある生きた存在であり続けることでしょう。実際の諸感覚器官は機能していないにも拘わらず、その者は喜びや平安、或いは苦痛を知る意識を有していますし、心的印象を感受し、それらを完全に映像化することが出来ます。




【解説】
 目も見えず、耳も聞こえない中でも、世界中を旅し多くの人々を励まし続けたヘレン・ケラーの著書を読んだことがあります。日本にも来たことのある彼女は実に知的な方で、その本からは多くの示唆に富んだ哲学的な話題があったことを記憶しています。
 私達はとかく四つの感覚に依存しがちですが、それらを取り除いてもなお、私達の思考その他精神活動はいささかも影響を受けることはなく、「私」の本質は変わるものではありません。事実、私達の身体の中の諸活動は光が無く、音の無い環境であっても着実に進められており、所定の機能を果たしているのです。
 そういう意味からは、以後、私達の自分の四感覚を離れてもなお、存在する「私」の実体、即ちフィーリングを中心とする存在に着目する必要があるのです。想念・印象を頼りに人生を歩んで行くということかと思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第3章-段落062

062 But what of the so-called fifth sense? If we deprive man of feeling, as we have done with sight, hearing, taste and smell, what is the immediate result? He lapses into unconsciousness, and will remain in that state until feeling is restored. While he is in this state, the organs of sense are still in the body and in perfect condition. The eyes, nose, palate and ears are uninjured, yet they do not see, smell, taste, or hear. And if feeling is complete]y withdrawn from the body, that person dies. Therefore, it is quite apparent that each of the four senses is dependent upon feeling for its existence.
062 しかし、いわゆる第5番目の感覚とは何でしょう? もし、人間から私達が視覚や聴覚、味覚や嗅覚について行ったように、フィーリングを取り除いたら、どのようなことが直ちに結果となって現れるでしょうか? その人は無意識の状態に陥り、フィーリングが回復されない限りはその状態に留まるだろうということです。その人はこの状態にある間、それら感覚器官は肉体内にあり、完全な状態にあります。両目は鼻、舌や両耳は損傷を受けていませんが、それらは見たり、匂いを嗅いだり、味わったり、聞いたりしないのです。そしてフィーリングが肉体から完全に取り去られるなら、その人物は死にます。ですから、この4つの感覚各々はその存続をフィーリングに依存していることは、まったく明らかなのです。




【解説】
 私達が通常、「意識がある」或いは「意識がない」と称しているように、意識状態は生命の基本条件であるように思われます。実はこの意識ことが私達の感覚器官も含めて全ての身体機構を有機的に統合している訳で、意識が薄れれば、各々の身体器官は機能を停止してしまうものと思われます。
 この意識状態を既存の感覚のように表現したのが、「フィーリング」です。あらゆる存在と融合し、その持つ印象(波動)を同期し、知識を得ることが出来るという訳です。
 従って、目や耳等の感覚器官によらず、もっと深部の原理や仕組みから物事を理解する為に、フィーリング能力を高める必要があるのです。その為に私達は各自、心の状態を整え、心に湧き起こる深遠なる印象に気付く必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第3章-段落061

CHAPTER Ⅲ
Feeling - The Cardinal Sense
061 According to popular belief we possess five senses sight, hearing, taste, smell and feeling; each of which, we know, has the ability to act independently of the others. We can see objects without using the senses of hearing, taste or smell. We do not need hearing, sight or smell to decern sweet from sour. Our olfactory organs work admirably without the help of ears, eyes, or palate; and sounds can be received through the auditory canal exclusive of the other three senses. This all goes to prove that the four senses work independently of each other.
第3章
フィーリング - 基本的な感覚
061 一般に信じられていることに従えば、私達は5つの感覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚そしてフィーリングを持っていますが、それら感覚の一つ一つは私達が知っているように他の感覚とは独立して働く能力を有しています。私達は聴覚や味覚、嗅覚を用いずに対象物を見ることができます。すっぱいものの中から甘いものを識別するのに聴覚や視覚あるいは嗅覚を必要とはしません。私達の嗅覚器官は耳や目、舌の手助け無しに見事に作用しますし、音響は他の3つの感覚を排除したまま聴覚の内耳導管を通じて感受されることが出来ます。これら全ては4つの感覚は互いに独立して働いていることを示しています。




【解説】
 私達人間は長らく視覚から嗅覚までの4つの感覚を頼りに生きて来たということでしょう。それらはいずれも現世の結果物を把握するには十分でしたが、それ以上のものではなかったのです。
 映画「2001年宇宙の旅」では太古の昔、猿人達が貧しく厳しい生活をしていた時、神秘的なモノリスが出現します。その猿人の群の内、そのモノリスに触れた者がやがて道具を用いることを発見します。以後、その集団は進化を遂げ、今日の宇宙時代への物語は急展開する訳です。
 ここで象徴的に描かれているのはそのモノリスに猿人が触れるシーンです。当時、映画監督スタンリー・キューブリックがどこまで理解していたかは知りませんが、「触れる」ということの中に、本講座で言う「触覚」や「フィーリング」というより深い認識径路が含まれていることが重要なのです。
 私達の触覚は宇宙の英知の本源に直接、接触できる機能も有しており、それを通じて得られる印象や想念には莫大な力が備わっているということを十分に理解する必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落060

060 I realize this is throwing a bombshell in the face of age-old theory, yet the idea that physical man is a four-sense being can be logically demonstrated.
060 私にはこれが大昔からの理論目掛けて爆弾を投げ付けるものであることは分っていますが、肉体としての人間は4つの感覚による存在であるとする見解は論理的に証明され得るのです。




【解説】
 私達人間が備える感覚器官は視覚、聴覚、味覚、嗅覚の4つであり、触覚はフィーリングに繋がるもので、それら感覚とは異なる、更に高次な生命力であるとの結論が本項で示されています。もちろん、テレパシー開発とはこれらフィーリングを拠り所として進めて行けば良い訳で、第6感その他仮想の感覚を新たに想起する必要な無いのです。
 このフィーリングや触覚という要素は自然界においては特に重要です。動植物の世界においては餌のありかや遭遇した相手を認識する上で、多くの動物は触角なる鋭敏な感覚器官を用いておりますし、暗闇の中でも何ら苦無く移動出来るのは彼らが視覚によらずこれら触覚に基づいて行動していることによるのです。
 更に進んでこれら触覚的要素は接触する相手の持つ振動(波動)にも同調し、その性質を理解するでしょうし、空間に共鳴するそれらの発する想念・印象とも同期できるものと考えます。
 本来、宇宙には創造主を源とするこれら創造的想念・印象が原始の時代から行き渡り、充満している訳で、私達はそれらと融合することによって、より精緻な存在へと生まれ変われるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落059

059 In other words, feeling is the creative force within all forms. So the definition of telepathy as being a sixth sense was entirely wrong. Man is not a five-sense being . . . but a four! The fifth sense, or feeling element, through which telepathy actually works, is not a sense; but an intelligent force giving all manifestation conscious alertness.
059 言い換えれば、フィーリングとは全ての形有るものの内側にある創造的な力なのです。ですから、第6感であるとするテレパシーの定義は完全に誤っていたのです。人は5感の存在ではありません。そうではなく、4感の存在です。第5の感覚、即ちテレパシーがそれを通じて実際に作用するフィーリングの要素は感覚の一つではなく、全ての創造物に意識的警戒状態をもたらす英知の力の一つなのです。


【解説】
 実はフィーリング(感じ)こそが創造作用に繋がる大きな力を持ったものであることを、本項で著者は断言しているのです。通常、私達は目に見えるものを拠り所として生きていますが、むしろそのようなものは時間の移ろいは事情の変遷により、変わりやすいものです。しかし、意志や思想、想念という行動の源となる要素は時間の経過とともに輝きを失うようなことはありません。
 現にイエスや仏陀の言葉や意志は、長年月経過した中でも脈々と後世の人々に伝えられています。
 私達はこの想念・印象こそが全ての創造を促す原動力であり、パワーであることに気付く必要があります。テレパシーはこれら想念・印象に対する私達の感性を高め、同調出来る領域を拡大して、より豊かな精神生活を送ることに大きな意義があるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落058

058 Pursuing this train of thought, I made a vital discovery. If one asks an expectant mother whether she can foretell when the little form within her is about to turn, she will answer, "No " She cannot direct the movement of the baby, and the knowledge it has turned comes to her as an alertness, or feeling, after the action has taken place. Therefore, it is the intelligent force which transmits the information to the mother through her sense we call feeling.
058 この一連の思考を追って行く中で私はきわめて重要な発見をしました。もし人が妊婦に彼女の体内の小さな胎児が何時向きを変えるか予告することが出来るかを聞いても、妊婦は「いいえ」と答えるだろうと言うことです。彼女は赤ちゃんの動きを指図することは出来ませんし、胎児が向きを変えたとする知見は一つの警戒、或いは感じとして、その行動が起ってから彼女にやって来るのです。従って母親に私達がフィーリングと呼ぶ彼女の感覚を通じて情報を伝えるのはその英知ある力と言うことになります。




【解説】
 実際、母親は自身の胎内で何が起こっているかを具体的に承知してはいないのです。唯一、人間の創造という行程が事前にセットされ、それに必要な諸要素を提供しているのが母親であり、人体の生みの親はより高次なる存在という訳です。
 もちろん必要な物質が届けられなければ健全な身体は造れませんし、その供給については直接、英知から母親に印象として伝えられることになります。
 こうして無事、赤ん坊が誕生すると、母親は自らが関わった生命誕生の過程に感謝し、授かった命を慈しみ、自らの生命を懸けて守りきることになります。文字通り貴重な体験を得たことになるのです。
 私達は各自、例外なくこうして世に生まれ出た訳ですが、年を重ねてもなお迷いがあったり、悩みに囲まれていることは悲しいことです。最初はそのように原始の状況から輝かしい人体として生まれ出た私達には、本来、様々な英知が関わっており、各自に適した生きる目的が授けられている筈だからです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落057

057 My earthly parents had merely served as a channel for the birth of my physical form. But this Force in Cosmic Intelligence had formulated the plan and directed the building of my body. So it is with all expectant parents. The mother's body furnishes the necessary materials for this Master Builder, yet at no time does she control the miracle of creation taking place within her.
057 私の地上の両親は単に私の肉体の誕生の為の経路を務めたに過ぎませんでした。この宇宙的英知の中の力がそのプランを組み立て、私の肉体を作り上げることを指揮したのです。それはこれから両親となる全ての者についても同様です。母親の肉体はこの棟梁の為に必要な材料を供給しますが、彼女が自身の中で起っている創造の奇跡を統制することは決してありません。




【解説】
 人体の創造が毎回どのようにして成し遂げられているのかを本項は説いています。
 私達の身体が最初、一粒の受精卵からスタートし、母体を離れてこの世に生誕するまで、文字通り劇的な変化・発展を遂げるのですが、その行程は母体も私達自身もコントロールするものではなく、ひとえに生命創造の宇宙的英知が全てを取り仕切っているのです。
 母親は胎児に必要な栄養を提供し、環境を整えるのみで、胎児の成長を担っている訳ではありません。もちろん、育てられている私達自身もその過程を意識している訳ではないのです。
 これら全ては場所や時間に関係なく、常に宇宙普遍に存在する生命の英知から直接、胎児に働きかけ、生長を促していることになります。つまり、創造主そのものが胎児の生長として表現されているのです。それ故に生まれたばかりの赤子はかくも美しく、素直で柔軟性があり、想念・印象に敏感なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落056

056 The task confronting me now was the shedding of this false conception, and a recognition of the existence of the underlying Cosmic Cause. So I sought a better understanding of my mind and my body; how they operate and their purpose for being. This line of investigation led me to the realization that it was Cosmic Intelligence coupled with a force, that was the creator of my being.
056 今や私に立ち向かう任務は内在する宇宙的因の存在に対する誤った観念と認識を取り去ることでした。そこで私は自分の心と身体についてのより良い理解、即ち、どのようにしてそれらが働くかやそれらの存在目的について探し求めました。この探究の筋道は私を私の存在の創造主は力を伴った宇宙的英知であるとの実感に導いたのです。



【解説】
 このテレパシー講座の過程で何が私達に求められているかが、本項によって示されています。つまり、私達がこれまで当たり前のように思っていた事柄が実は、創造主の思し召しとして授けられた生きものに対する機能であり、それらについて私達はもっと自分自身を通じて探求し認識を深めることであるとしているのです。
 自分を通じて宇宙的英知が力を得て行動に表現することで、より優れた作品が世に出されることになり、それが後世の人々に核に立つという具合です。そのようにして私達生きものは原始の時代から今日まで進化して来たと言えるでしょう。
 私達が各自に授けられた才能を発掘し、その価値を知ることが全ての作業の始まりであると考えるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落055

055 I knew that scientifically the human body was a marvel of construction beyond the duplication of man. Just one small function of the body, which scientists do not fully understand, is the working of the "chemical laboratories" within us which daily extract and distribute the essence of the foods we eat. This alone is proof that the natural actions of the body obey the laws of Cosmic Intelligence. It must then follow that the reasoning mind has become so immersed in the material world of effect, it has temporarily lost sight of its origin. Man did indeed "hide his light under a bushel."
055 私は科学的に人体は人間というものの複製以上の驚異の建造物だということを知っています。人体のわずか些細な機能であり、科学者達が完全には理解していないこととして、私達の中にあって私達が食べる食物のエッセンスを毎日抽出し、分配している「化学実験室」があります。この一つをとっても人体の自然な行動は宇宙英知の法則に従っている証拠になります。そのことはまた、論じがちな心が結果の物質的な世界に余りにも夢中になっている為、心は一時的にその元の由来についての視野を失っていることに繋がっているに違いありません。人はまさしく「ともした明かりを升の下に置いてしまった」のです。




【解説】
 このところ風邪を引いてしまいましたが、寝込んでいると普段如何に人間の活動が奇跡的とも言えるように迅速円滑に行われているかが実感します。
 私達の日常の何気ない行動は、自らをその行動へと駆り立てる段階から、筋肉を動かす指令、身体を移動させる手順、またそれらのバランスを保つ動き、等々が組み合わさっています。野球選手の動きはこれら一般人よりはるかに迅速であり、それによって見事なプレイを披露しているのです。
 一方、これらの機能も身体に一箇所でも不調が生じれば心の指令通りの行動は出来なくなります。一見単純な行動のように見えても実際には様々なメカニズムと代謝機構がその間に介在しており、それらが円滑に連携されているからです。今日ではTCAその他の代謝径路が人体各細胞に組み込まれており、活動のエネルギーを食物から化学的に得る仕組みも判明しています。
 このように私達自身の中には、既に宇宙の英知とも呼ぶべき仕組みが備わっているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落054

054 My analysis continued. Since my human form had been brought into being by this Cosmic Intelligence, I, along with other forms of nature, must have inherited its laws and benefits, as well as its intelligence. Then why did I not have ready access to these birthrights?
054 私の分析は続きました。私の人間としての身体は宇宙英知によってもたらされたものであるからには、私も他の自然界の形有るもの達と同様、その知性と共にその諸法則や恩恵を受け継いでいる筈です。それでは何故、私はこれらの生来の権利を直ぐに入手出来なかったのでしょうか?




【解説】
 こうしている内にも私達には様々な困難が降りかかり、時には病に至る場合も多いものです。それ程に今生の世界を生きて行く上で、苦労も多いように思われます。
 しかし、こうした苦難の中にあってこそ、これまで学んで来た事柄の真価が現れることも確かなのです。一般には滅入ってしまうような状況でも淡々と事態を受入れ、現実に向き合おうことが出来るのは、それまでの学習の成果であるのです。
 以前、海外の食肉工場を見学したことがあります。印象的であったのは、明日朝には屠られ肉となる運命の水牛達が実に穏やかな目をしていたことです。彼らは自分達がどういう運命にあるのか、良く分かっているように思われました。たとえ理不尽でもその宿命を潔く受入れる覚悟をしている者の姿がそこにあったことを忘れることは出来ません。
 一方、私達人間はそのような道を辿ることなく、自分の生き方は各自に委ねられている筈です。本来与えられた人生の目的を各自どのようにして再発見し、実現して行くのか、自らに与えられた特権を生かす方策を開発する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落053

053 This revelation made it apparent that all was contained within man, and the answer lay in his becoming better acquainted with himself. I recalled the well-known adage, "Man know thyself, and all things shall be revealed unto you." Until then I, too, had parroted this profound truth, unaware of the immensity of its depths. But now I realized that Nature held the key to the Cosmic universal language; silent, yet everywhere present; and it was here in the manifested world that I could find the understanding for which I searched.
053 この啓示は全てが人間の内側に含まれていること、そして答えは自分自身を熟知するようになることにあることを明らかにしました。私は良く知られている格言、「汝自身を知れば全ては明らかにされるだろう」を思い出しました。その時までは私もまた、この深みのある真理をオウム返しに繰り返すだけで、その深遠さに気付かなかったのです。しかし、今や私は自然が大宇宙普遍の言語の鍵を持っていることが分かりました。無言でかつ何処にでも存在します。そして、私が探し求めて来た理解を見出せたのはこの創造された世界の中のこの場所であったのです。



【解説】
 ”汝自身を知れ”という言葉は古代ギリシャの神殿入口に刻まれてあった言葉とされています。一見、単なる反省を勧める意図のように思われがちですが、その意味するところは深いものがあるのです。
 結局、私達の人生は各自自分自身と向き合い学びながら各自生まれ来た目的を果たすことだと考えています。もちろん、その過程で様々な困難にも巡り合う訳ですが、それでも自分自身の中にその解決のカギがあり、一歩一歩問題を解決して行くことになるのです。
 具体的に言えば、人体60兆個もの細胞の一つ一つに英知が存在し、その一つ一つの中に想念や印象が蓄えられ湧き起こるインスピレーションに同期する機能があるという訳です。こうした優れた要素から成る人体を持つ人間には宇宙の全ての要素が含有されていることになり、また他の生きものも同様ということになります。従って、宇宙を知るということは私達自身を知ることと同意語であるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落052

052 I continued to study things close at hand; at the same time letting my thoughts encompass the solar system of which we are only a small part. From there, it was but another step into the infinite vastness of Cosmic Whole. Throughout all creation I found a constant blending, with never a dividing break. Therefore, I could not stand apart, but was one with creation.
052 私は身近な物事の研究を続けましたが、それと同時に私の想念を私達がその一部でしかない太陽系を取り巻くようにしました。そこからは、宇宙全体の無限の広大さに入るもう一つの段階となったのです。全ての創造作用を通じて私は一時の切れ目も無く絶え間なく続く融合を見い出しました。ですから、私は創造作用から離れて存立することは出来ず、創造作用と一つになったのです。




【解説】
 どのようにしたら至上なる英知に気付くことになれるのかについて、本項はやや控えめに述べています。
 即ち、先ずは自ら周囲全てのものを、ご自身が太陽系全体を見渡せるような位置に置いて、観察しその意義を考えよと示唆しているのです。
 重要なのは何か特別な訓練や修行を必要とするのではなく、むしろ積極的に自分の存在をより広い視点で捉え、日常生活を見詰め直せということのように思えるのです。
 その上であらゆる創造的活動と自分とが繋がり合い、一体となっていることに気付くことだと説いています。自ら自分の日常の概念をより高い位置に置くことで全体との関連性を日々学んで行くということです。

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