2018年10月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落051

051 My problem then was, how could I open my mind to became aware of this Supreme Intelligence?
051 私にとっての次なる問題は、どうしたら私は自分の心を開いてこの至上なる英知に気付くようになれるかという事でした。




【解説】
 仏教で言う"悟り"とは英訳では"awakening"とされています。いずれも物事の理解を示す言葉です。通常の用法では無明、無知の状態から物事のつながり(縁)や原因との関係について理解するという意味で用いられるものと思われます。
 悟りの状態に達したら、それまで明らかに見えて来なかったものがその姿を見せるようになり、原因と結果のつながり(法則性)も理解出来るようになる訳です。
 そこに至るまでがいわゆる修行ということになりますが、それはスポーツと同様に繰り返し練習することでやがては可能となるものでしょう。もちろん一夜にして出来る訳ではありまぜんが、少しずつ努力する中で遂には道も究めることが出来るものです。重要な点はせっかちに諦めず、継続した努力の先にとりあえずのゴールに到達するということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落050

050 The answer came silently, yet with unmistakable knowing. "Those who do not receive have closed their minds to the Cosmic Intelligence."
050 その答は静かに、しかも揺るぎない知識を伴ってやって来ました。「感受しない者は宇宙の英知に自らの心を閉ざして来たのです。」



【解説】
 ”オープンマインド”や寛容さが何故大事であるのかを本項は示しています。
 全ては如何にして宇宙を流れる印象を感受するかが問題なのですが、心自身が頑なになり、自分以外の意見を受け入れようとしない場合、問題の解決に役立つ新しいビジョンにも同調することが出来ないからです。
 自分自身で考えを巡らせても、解決策を得ることは難しいものです。ほとんど全ての解決策は自分以外の所から来るからです。
 これら解決策を導くのは印象であり、それらは私達の心が生み出すものではなく、本項で言う宇宙の英知から来るものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落049

049 As I continued to watch the birds, insects and animals, I noticed they were alert to climatic changes before these took place. Heretofore, I had been content, as were others, to say, instinct; and relegate it to the realm of the mysterious extrasensory perceptions. But now this answer no longer satisfied me. I wanted an understanding of the awareness that had alerted the seedling oak to the topography of the terrain, then guided its roots in the proper direction; for I could now see that in the animal kingdom, this same instinct, or awareness, alerted the squirrel to the coming of a severe winter, warning him to store extra food to carry him through until spring. Why did not man, the highest expression of the Creator of forms, participate in this alertness?
049 私が鳥や虫、動物達をじっと見守るにつれ、彼らが気候変化が起る前にそれらに十分気付いていることに気が付きました。これまででしたら、私は他の者達と同様、本能と称して満足し、それを神秘的な超感覚的な知覚力の領域に追いやっていたことでしょう。しかし、今はこの答えでは私を満足させません。私は樫の木の苗木に土地の地形を知らせ、その根を適切なる方向に導いた覚醒状態に関する理解が欲しかったのです。何故なら、今では、動物界の中でもこれと同じ本能、ないしは覚醒状態がリスに厳しい冬の到来を知らせ、春までの余分な食料を保持するように警告しているのを見ることが出来るからです。形有るものの最高位の表現である人間がこの覚醒状態に参加していないのは何故なのでしょう。




【解説】
 自然界において多くの生き物達が近未来を予知しているかのように備える行動をとっていることは良く知られています。例えば、カマキリは来るべき冬の積雪より高い枝先に卵を産むと言われています。どのようにして夏の終わりに冬の積雪を知るのか不思議ですが、そこには近未来に関する印象が常日頃流れていて、カマキリの親はそれを知って行動しているということが想定されます。
 一方、これら近未来に関して全く鈍感なのは私達人間だけではないでしょうか。他の生き物達は全身でそれらの来るべき出来事に備えているのですが、人間だけが全く気付かずいつもの惰性的な生活を送っているのです。本来は火山の噴火や地震等の大きな地球上の変化はそれが実際に生じる前に数多くの前兆現象があり、自然からの警告も流れているものと思われます。それらの印象に無知なあまり、巻き込まれるケースも多いものと思われます。テレパシー能力はこれら大自然からの警告メッセージにも鋭敏になり、ご自身を守ることにも繋がっています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落048

048 The longer I contemplated the wonders of nature, the more I realized my oneness with all I beheld. All forms breathed the same air; all enjoyed the blessings of the same sun and wind; all obtained their sustenance from the one source. In fact, no division existed; all were created under the same law of Nature.
048 自然の不思議について考えれば考えるほど、私が見る全てのものと自分との一体性についてより深く認識するようになりました。全てのものが同じ空気を吸い、全てが同じ太陽や風の祝福を享受しており、全ては一つの源泉からそれぞれの支えを得ていました。事実、如何なる区分も存在していませんでした。全ては同じ大自然の法則の下で創造されていたのです。




【解説】
 本文では私達人間も他の生きもの達と皆同じ空気を吸っていると指摘しています。全てが同じ大地、同じ星の元で暮らしているという訳です。
 これは水についても言えることです。私達生きものは水無しには生きて行くことが出来ません。しかし私達人間は自分達の快適な生活を志向する中で、これまで必要以上、許容される以上に水辺を汚して来たのではないでしょうか。
 最近、縁あって地元近くのある沼の水質浄化を目指すNPO活動のお手伝いをするようになりました。その沼はかつては良質のウナギや魚、鴨が獲れ、また白樺派の文人達が集う景勝地でありましたが、戦後の住宅開発から沼の水は汚れ、あっという間に全国一、二を争う汚れた沼になってしまいました。その後は様々な住民運動や流域下水道、更には導水事業が成果を発揮し、現在の汚染レベルはかつての半分以下にまで改善するまでに至っています。
 この水質経過を取りまとめて見ると、実に改善効果が発現するまでに30余年も要していました。人間の生活排水をそのまま沼に送り込んで魚達に汚染した水を飲ませていた訳で、遠い昔は許されても、今日のように人間活動の規模が大きくなるとその影響はより顕著に出るのです。
 同様に、私達人間の放つ想念も自然界に影響を及ぼしていることは十分考えられることであり、想念・印象の世界でも同様に皆同じ世界の中で生きていることになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落047

047 Volumes could be written on this, yet never cover the subject completely. But I believe from the simple illustrations given that the sincere student will find much to intrigue his thoughts. Understanding the interdependency of life-forms is essential before man can grasp the universal truth that, in reality, all life is an expression of the one Cosmic Intelligence.
047 これについては何冊も本が書けるでしょうが、そのテーマを完全に覆い尽くすことは出来ません。しかし、私はこれまでに示された単純な諸実例から、誠実な学習者は自らの思いをめぐらすのに十分なものを見つけられるものと信じています。生命体の相互依存関係を理解することが、人が宇宙普遍の真理を把握する為には必須であり、その真理とは、実際に、全ての生命は宇宙的知性の表現の一つであるということです。




【解説】
 このように無数の生きものが相互に依存し合い、しかも全体として調和した世界を造り上げている事実をどのように解釈すべきなのでしょうか。その唯一の答えは、あらゆる生きものが一つの存在からの指令に従っているということでしかありません。各自が自分の意志だけで行動すれば、当然そこには乱れが生じ、全体としての調和は存続しません。何か絶大なる力が存在し、それに皆が従うからこそ大自然としての調和が生まれるのです。
 また、逆に言えば一つ一つの微細な生きものの活動を観察することによって、より大きな存在を知ることになります。テレパシー開発はこの理解の下に進める必要があるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落046

046 With the dying of the vegetation the herbivorous animals would starve; the carnivorous ones, their natural prey extinct, would follow suit. And Man, relying upon both the animate and inanimate phases of manifestation for food, could not survive.
046 植物が死に絶えると共に、草食動物達は飢え、自然界の餌となるものが消滅する肉食動物達も同じ後に従うことになります。そして食物を創造の生物、無生物の両面に依存している人間も生き延びることは出来ません。



【解説】
 そして遂には地上から動植物が消え去り、人間も滅ぶという訳です。
 このように小さな虫達も地中のミミズ達も人間から見ると小さな存在ですが、彼らが居なければ地球上の生物界は成り立たない程、重要な役割を担っているのです。
 同様な事柄は私達人体の中にも言えることです。目に見えない大きさの免疫細胞が絶えずガン細胞らを見つけ出し、飲み込んで処理していることで、私達が正常な状態を保てることが知られておりますし、他にも様々な微小細胞が人体の維持に任務を全うしているのです。
 私達はこのように数多くの微小な存在が自身の体内で自由に活躍することで身体の健康が保たれていることに感謝し、また同時に彼らの働きに敬意を表すべきなのです。テレパシーはその洞察力を高める為に開発されねばなりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落045

045 The bird would no longer have the high, sheltering branches of the tree in which to build a nest to protect her young from prowling animals. Her food supply of insects, grubs and worms would be gone; and the wild berry bush on the hillside, no longer pollinated, would not bear.
045 鳥はもはや幼鳥をうろつく動物達から守る為の巣を作る高く、身を隠す木の枝を手に入れることは出来ません。鳥の餌となる昆虫や地虫、ミミズ達は姿を消すでしょうし、丘の斜面の木イチゴの茂みはもはや受粉することはなく、実を付けることもないでしょう。



【解説】
 植物と昆虫との関わりは鳥やその他の動物達にも及び、遂には生物界全体にと広がります。地球に生きる全てのものが、互いに依存し合っている関係を先ずは私達は学び、自覚しなければなりません。
 この関係は私達人間の中にあっても同様です。互いに補完しあい協力することで単独の個人では成し遂げられないことも、皆の協力で成し遂げられることも多いのです。
 テレパシーはある意味、これら目に見えない相互関係への洞察力とも関連していると言えるでしょう。目に見えない印象に鋭敏になり、葉の裏側や地面の下で暮らす生き物達の存在に気付くこともテレパシーの一部であるからです。これら表面に現れないもの達の存在に気付き、感謝することもテレパシー訓練の一つだと考えます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落044

044 Have you ever stopped to consider what would happen to our planet if insects were to be suddenly withdrawn? Life, both animate and inanimate, would cease. Mother Nature depends largely upon these tiny life-forms for pollination. Remember, it is the bees and others of the insect world, laboriously traveling from blossom to blossom that propagates for her. So without the vital part they play, all vegetation would eventually die out.
044 貴方はもし、昆虫達が突如として引き上げたらこの惑星にどのようなことが起るかを考えたことがありますか?生物も無生物もともに生命は途絶えてしまうことでしょう。母なる自然はこれら小さな生命体に受粉の多くを依存しています。花から花に精一杯移動し自然の為に繁殖しているのは、昆虫の世界のミツバチやその他のもの達であることを忘れないで下さい。ですから、彼らが果たすその極めて重要な役割無くしては、全ての植物はついには死に絶えてしまうことでしょう。




【解説】
 昆虫の話を聞くと、ファーブルや熊田千佳慕を思い起こさせます。両巨匠ともに虫の観察文や精密画で著名ですが、そのいずれもが多くの人々に今もって感銘を与えている筈です。中でもミツバチは植物の受粉を担う等、農業に大変重要な役割を担っているのです。
 以前、どういう訳か、ミツバチが世界的にも死滅して、日本のイチゴ農家が困ったというニュースを耳にしたことがあります。それ程に私達の農業にとって、虫達はなくてはならない存在でもあるのです。
 従来、私達は自分の一時的な目標にとって害を与えるものは害虫と名を付けて、農薬で殺して来ましたが、虫全体を見れば植物の受粉になくてはならない役割を担っていることを認識しなければなりません。
 それぞれの要素が如何に相互につながっているか、気付くことこそがテレパシー研究を始める上での第一歩と言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落043

043 Tracing the intricate blendings of nature makes a fascinating study. Every level is interlaced with all others. For example, the little insects and burrowing creatures contribute their important share to the common welfare; for their subterranean activity aerates the soil to promote lush growth. Now, let us take this thought a step further, and look at the indispensible part insects actually play in the perpetuation of life-forms on earth.
043 複雑に融合している自然を探究することは魅力ある研究になります。あらゆる段階が他の全てと織り込まれています。例えば小さな昆虫や穿孔動物は共通の福利に対する自分達の重要な役割で貢献しています。何故なら、彼らの地下の活動は土壌に空気を与え、青々と繁茂する植物の生長を促進しているからです。今度は更にこの考えを一歩先に進めて虫達が実際に果している地上における生命体の永続にとってかけがえのない役割を見ることにしましょう。




【解説】
 よく聞く話として、農業を始めるには先ず土作りからということがあります。長年落ち葉を堆肥にした後、畑に鋤きこむ等、化学肥料によらない土作りは、ホクホクとした柔らかい土を作り出すことを意味しますが、それには土の中に腐熟した落ち葉を好むミミズや昆虫達の働きが欠かせませんし、ミミズは自身の中に土を摂取することで団粒化し、空気の通りの良い土を作り出すといわれています。
 著者アダムスキー氏は、これら一連の事柄を既に十分に理解し、今日で言う有機農法についての十分な知見を有していたと思われます。
 私達はこうした大自然の営みの中で生まれた畑の作物を摂取したいと思っており、化学肥料や農薬に犯された農作物を避けた方が良いことは、皆十分に知っていると思われます。大自然の中の様々な自然の営みの中で永続する正常な相互連鎖の中でしか、私達の生存は持続出来ないことを現代の私達は自覚しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落042

042 On every level (such as insect, bird, and animal), the Life Force animates all forms, which also have a certain reasoning power; yet there is an eternal blending between this animate and inanimate phase. And Man, the highest form of creation on earth, is dependent upon all.
042 一つ一つの段階において、(例えば昆虫や鳥、そして動物等)、生命力は全ての形あるもの達を動かしますし、その形あるものはある程度の論理力を有していますが、また同時にこの生物と無生物の相の間には永続的なる融合があるのです。そして地上における最高位の創造の形を持つ存在としての人間は、全てに依存しています。



【解説】
 自然界をガイアと称することも多いのですが、それはこの地上に存在する全てのものは生物、無生物を問わずすべて同一の生命力によって突き動かされており、一つの大きな生命体として存在するという概念です。
 このガイアの中では各構成要素は融合し、互いに関連、依存し合っているという訳です。当然、全ての創造物の最高位を担う私達人間はそのガイアを構成している全ての要素に依存しているのです。
 この背景を理解することなしに、生命から発せられる想念・印象を感受することは難しいものと考えます。つまり、人間を除くあらゆるものは自身の推理力こそありませんが、印象の感受力は遥かに高く、日常的に活用しながら、毎日を過ごしているのです。宇宙の根源から発せられている印象にどう向き合い、それらを受け入れるかが問われています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落041

041 (In my references to the animate and inanimate phases of manifestation, I am using the words as we understand them. In reality, these divisions do not exist; for all expressions of life are active. )
041 (私の前述の創造における生物と無生物の各状態に関連して申し上げれば、私はそれらの言葉を私達が理解している通りの意味合いで用いております。しかし、実際にはこれらの区別は存在しません。何故なら全ての生命の表現は活動的であるからです。)



【解説】
 実際、与えられた生命を謳歌し恵みを享受しているという意味では生物、無生物の区別は出来ません。以前、著者アダムスキー氏は原子に知性があり、記憶が保持されると示唆していましたが、私達が分類する生物・無生物のいずれも、同じ原子・分子を構成要素としており、両者の間の差異はないということでしょう。
 ここで私達日本人の特性について、少し触れたいと思います。それは最近は人型ロボットが私達の生活に入り込みつつあり、おそらく将来は家事の手伝い等を担えるまでに進化するものと思われます。そのロボットに対して、私達は相棒として接することが想定されます。しかし、私達日本人の感性は古くからポンプその他の大型の機械に名前をつけて親しみ、手入れをすることが保全作業の基本として来ました。しかし、これについては、機械は保守点検などせず、壊れて止まるまでこき使うという考えも世界的には多いものです。
 もともと私達日本人の感性として、品物や個別の機械に愛着を感じ、あたかも生物体のごとく接して来た背景には、本項のような無生物に対して区別なく、万物に神宿るの理解があるのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落040

040 Yet they do not use mathematical calculations to estimate the stress the rushing water will exert upon the finished dam, nor do they need mechanical tools to anchor it securely or build it to the prescribed height. Here, as in the inanimate kingdom, we find nature's unerring, guiding hand.
040 しかし、彼らはその完成したダムに激流が加えることになる力を予測する為、算術的な計算を行ってはいませんし、彼らにはダムを固定し、或いは所定の高さまで建設する為の機械的な道具類を必要とはしていません。ここでも、無生物の王国におけるのと同様、私達は自然の的確な導きの手を見い出します。




【解説】
 大自然の中で生きている他の生きもの達は、私達人間より、遥かに楽しく充実した生活を送っているということでしょう。
 家を作るについても彼らは自ら材料を切り出し、補強して的確なものを造り上げますが、それは生きもの達自身が考え出すというよりは、大自然が与える印象に従って組み立てて造り上げるのです。
 即ち、こうした行動は生きもの達が絶えず大自然からもたらされる印象に従い、必要十分な強度を持つ自分達の家を造り上げることにつながっています。
 私達人間がテレパシーを学ぶのは、こうした他の生きもの達が当たり前のように行っている大自然からの印象に対する従順さを身につけ活用できる態勢になる為なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落039

039 I then turned to a closer observation of the birds, insects and animals. In all three I found the same marvels of engineering. It is interesting to note that much of our present architectural knowledge has been acquired from studying the principles employed by nature. In fact, man thinks so highly of the engineering ability of the industrious beaver, that he now parachutes them in pairs into inaccessible territory so they will build dams to help control the disastrous floods which rush down to the 1ower valleys each spring. In this way, the little animals render man and nature an invaluable service; for where their dams dot the mountain streams, floods and soil erosion are cut to a minimum.
039 私は次に鳥や昆虫、そして動物達を綿密に観察することにしました。その全てで私は植物の場合と同じ工学の驚異を見い出したのです。私達の現代の建築の知識が自然によって採用された諸原理を研究することから得られたことに気付くのは興味深いことです。事実、人は勤勉なビーバーの持つ工学上の力量を高く評価していますので、つがいのビーバーを未踏の地域に落下傘降下させ、彼らが毎年春に低地の谷間に破壊的な洪水を引き起こすのを阻止する為に役立つダムを作らせています。このように、小さな動物達は人間と自然に計り知れない奉仕を尽くしてくれているのです。何故なら、ビーバーのダムは山麓の水の流れを点在させ、洪水や土壌の侵食を最小限に削減するからです。



【解説】
 ”自然に任せる”、”自然に治る”とか、私達は慣例的に表現します。そのどれもが自らは何ら努力せず後は自然が為すがままという態度を示すものです。この背景には自ら何もしなくても自然が元通りにして呉れるという前提があります。しかし、放置したその後、何も起こっていないということではありません。物を放置したとすれば、何も作用しなければその物は永久にその場に留まる筈です。
 しかし、私達が不注意で傷つけてしまった自信の身体はもとより、剪定した木々もその後はわずかの時間で健全な姿に復活することを私達は目撃しています。
 実はこのように自然界は私達が知らないだけで、多くの生命体が修復し、維持するように、その構成メンバーが協力し合って成り立っているのです。それらを私達は自然の復元力等々の用語として表現しているのですが、更に深く探求して各々の構成要素の連携した働きに注目すべきなのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落038

038 Surely, all I beheld around me was orderly, directed, and controlled intelligence in operation. There was no haphazard growth. Each minute detail had been carefully worked out. The orange tree in its native clime, the oak tree clinging to the precipitous slope, and the blade of grass at my feet were all guided and given being by the one Cosmic Intelligence.
038 確かに私が自分の周囲で見守ったもの全ては、秩序があり、指導を受け、統制された知性が働いていました。偶然の成長というようなものはありませんでした。一つ一つの微小な細部が注意深く働き完成されていました。原産地の気候におけるオレンジの木や急峻な斜面にしがみついている樫の木、そして足下の草の葉、全てが一つの宇宙の知性によって導かれ、与えられていたのです。



【解説】
 以上の3つの事例に対してどれもが宇宙的知性によって適切な指導を受けていることを著者は記しています。どの場合でもその指導はその植物にとって欠くことが出来ない程、不可欠なものであった訳です。
 ここで注意したいことは、私達各人はこれら3種の植物と同等或いはそれ以上の存在であるといえることでしょう。これら植物に対してでさえそれ程の支援を与えている大自然ですから、それが私達各人にも同等以上の支援を与えて呉れている筈なのです。テレパシー学習において最も大事なことはそれら不可視の支援の手にいち早く気付くことです。
 植物達が何ら疑問をはさむことなく、この支援を受け入れ実行に移すところも重要な事柄です。迷わず想念・印象を実行に移すことで、以降絶え間なくそれらの印象が体内に流れ込むからです。植物の積極性を垣間見る瞬間も楽しみたいものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落037

037 My gaze slowly traveled from wonder to wonder until it rested on the grass at my feet. Here, too, was the miracle of creation. As I stooped to study the slender, green blade, I realized humbly that no man on earth could create it. Nature alone had germinated the seed, guided the spear through the hard crust of the soil to the light of the sun, and brought it to full maturity.
037 私の注目は驚きから驚きへと移り、遂には足下の草に止まりました。ここにもまた、創造の奇跡がありました。私は屈んで細めの緑の葉を調べた結果、地球の誰一人としてこれを造り出すことは出来ないことを率直に自覚した次第です。自然が只独り、その種を発芽させ、幼芽を硬い土の塊の中で、太陽の光に導き、完全な成熟まで育てたのです。




【解説】
 本項は普段私達が何ら価値を置いていない路傍の草、庭の雑草がテーマです。草むしりの対象でしかない草ですが、著者はそれらを詳しく見詰めて、その中に生命の源泉を見出しています。
 このように私達が見落としていたものの中に、多くの真実があるということでしょう。単なる雑草と見なしがちですが、その姿の中には生命が生き生きと現されている訳です。
 こうして見てみると、実に私達は生き生きとした生命活動の最中に居ることが分かります。この恵まれた環境を先ずは学び、その中で起こっている生命の仕組みや意思の交流をテレパシー研究の基礎に据えるべきだと著者は私達に示唆しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落036

036 Lifting my eyes to the hillside, I discovered feats of engineering that would have been impossible for man to duplicate not too many centuries ago. Growing straight and strong, a sturdy oak clung to the precipitous slope. Nature had not used a slide rule to calculate at which angle the roots should imbed themselves to stabilize the tree's weight; they had instinctively grown in the right direction and to the proper depth. And I knew that if I were to take a saw and cut a large limb from that tree, nature would immediately compensate for the shift in weight by sending out new roots to bring the tree once more into perfect balance. The wild poppy growing at its feet, and the clumps of sagebrush dotting the slope, all bore witness to this same engineering principle.
036 丘の斜面に目を上げると、何世紀か前までは人間が真似出来なかった工学の偉業を発見しました。真直ぐに逞しく成長する1本の樫の木が急峻な斜面にしがみついていました。自然は木の重量を安定化させるには、それらの根がどの角度で潜り込んだら良いかを計算する為、計算尺を用いたのではありませんでした。木の根は本能的に正しい方向、適切な深さまで成長したのです。また、もし私がノコギリを手にとって大きな枝をその木から切り落としたら、自然は直ちに新たな根を伸ばして再び完全なバランスがとれるようにして、重量変化を補正するだろうことは私には分かります。野生のケシがその樫の根元に生え、ヤマヨモギの茂みが斜面に点在していますが、それら全てがこれと同じ工学の原理の証拠を与えていました。




【解説】
 通常の私達は目に見える範囲のものにしか、関心がありません。本項で著者は斜面に踏ん張る樫の木の例を示しています。それも主題となるのは目に見えない木の根の働きです。
 木を支えるのは地中深く伸びたその木の根です。決して地上に見える部分だけでは木そのものの生存は成り立たないのです。また、本文から分かるように値は地上の木の状況に対して鋭敏に反応し、文字通り縁の下で木を支えている訳です。
 これらの働きは木が持っている知性ということになりますが、私達は先ず、そのことを良く自覚して木々から学ぶことも必要です。自然を観察して理解するということは、これら一つ一つに関心を持ち、やがては木々と触れ合い交流する段階に至るものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落035

035 The orange tree, wafting its perfume on the southern breeze, need not delve into a laboratory analysis of atmospheric conditions to know that only in the milder climes will it survive. This tender species depends upon natural law to insure its continuation; so nature does not capriciously broadcast its seed in frigid zones, she sows them. where the sun is warm.
035 南からのそよ風に芳香を漂わせるオレンジの木は、温暖な気候においてのみそれが生き延びられることを知る為、大気の諸状態を研究室で分析する必要はありません。この繊細な種はその存続の保証を自然の法則に依存しており、自然は気紛れにその種を寒冷地に播くことはなく、太陽が暖かな場所にそれらの種を播くのです。




【解説】
 本項を読んで以前行ったスペインのバレンシア地方を思い出しました。丘に沿った広大なオレンジ畑を見ながら観光バスに乗ったこと、本場バレンシアのオレンジを味わった旅でした。日本の瀬戸内のミカンも同様に温暖な気候を必要としますが、そのことを本項では、創造主は敢えてオレンジの木々を寒冷な土地に植えさせることはしないとしていることに注目すべきでしょう。
 適者生存の原理は世に言うことですが、実際にはそのようなことはなく、皆、その種に適した場所に自ずと蒔かれるという訳です。この延長上には鳥達が木々から果実を得る代わりに木々の子孫を周囲に蒔く貢献をすることがあるのですが、それを著者はこのように解釈しているという訳です。
 これは人間についても同様であり、各自が現状で一番合った環境、十分に生きて行ける場に各自が生を受けているとも解釈が出来るということでしょう。「置かれた場所で咲きなさい」とはあるキリスト者の言葉ですが、その背景には創造主への深い信頼があることに気付く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落034

034 My early studies, based on the antiquated theory of telepathy being a sixth sense, led nowhere. After careful observation, I found that others using this same trend of reasoning were not attaining the desired result, either. Innately I felt something was being injected which did not align itself with natural, or universal law. So I turned to nature and studied her actions. Here, where the reasoning mind of man did not interfere, I found all things working in harmony. As I thoughtfully observed life expressing in its many forms of manifestation, I realized there must be an intelligence, or a law, that operated according to an exact pattern.
034 テレパシーが第6感であるとする古代の理論に基づいた初期の私の諸研究は何処にも導くものではありませんでした。注意深い観察の後、私はこれと同じ推論傾向を採る他の者達も、目的の結果を得ていないことを発見しました。生まれつき、私は何か自然或いは宇宙普遍の法則と揃わないものが注入されているように感じておりました。そこで、私は自然に目を向けて、その諸活動を観察したのです。人の推論する心が邪魔をしないそこで、私は全てのものが調和をもって働いていることを見い出しました。生命が様々な創造の形態に現れていることを注意深く観察するにつれ、私はある正確なパターンに沿って作用する一つの知性、或いは法則が存在するに違いないことに気付いたのです。




【解説】
 確かにテレパシーという現象そのものは多く目撃し、また自ら体験したとしても、それを解明するにはしっかりとした基礎が必要です。従来の"第6感"と言った安易な位置づけでは到底明らかにすることは出来ないのです。
 通常はこの段階でそれらの課題は神秘として神棚に納めてしまいがちですが、アダムスキー氏はそれを大自然との調和の中に答えを見出そうとした訳です。自然活動の中で諸々の生きもの達が用いている機能としてテレパシーを捉えなおしたということでしょう。
 このことから私達自身もテレパシー発現を自然界の活動の中に観察することが重要であることが分かります。虫や草花がどのように他のものと交流し、生活を享受しているか、じっくり観察することです。彼らは私達のような言語を持ちませんが、それでも生活に困ることはなく、生命を謳歌しているのです。
 テレパシー研究の第一歩は自然観察からということになるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落033

033 In the early ages of human development, man had been content to accept the world in which he lived as a mere five-sense manifestation. But as he grew wiser, he noticed actions taking place about him that were difficult to explain-actions that seemed to transcend these powers of outer perception. Puzzled by what he beheld, yet having no physical sense to account for this phenomenon, he relegated it to a realm of his own invention.... the sixth sense!  He was then content (and still is), to consign everything not explained by his senses to this indefinable, mysterious plane.
033 人間の発達における初期の年代においては、人は自分が5感の創造物として生きているに過ぎない世界を受け入れて満足していました。しかし、成長して賢くなるにつれて、人は自分の周りに説明できない諸作用、即ちこれら外側の知覚力を超えるように見える作用が起っていることに気付きました。人は自分が見たものに当惑したものの、この現象を説明する物理的な感覚を持ち合わせていないことから、人はそれを自分の発明品の領分に追いやってしまいました。それが第6感です。人は自分の諸感覚では説明できないあらゆるものをこのはっきりしない、神秘の次元に委ねることに、これまでそして現在でも甘んじているのです。




【解説】
 確かに"勘"と呼ぶような感覚に対して、私達はそれがどのように生まれるのか良く説明出来ません。おそらく現代風に言えば、脳の中の各記憶部位を巡る一連の関連付け作用の中で最も適した組み合わせが発見され、本人にとっては一瞬のヒラメキとして知覚するというような表現になるのかも知れません。しかし、それ以上のことは思いも呼ばないのです。
 それらが特殊な能力であり、霊力であると古代の人々は思っていたことでしょう。一方、現代に生きる私達はそれを自分の5感以外の何か特殊な感覚が他にあると勘違いしてしまう傾向にあるということです。自らの想像を逞しくして、新たな感覚を造ろうとしましたが、それは根拠もなく、結局は神秘で終わるのです。
 動物達が来るべき嵐や敵の来襲に備えるように、私達も本来、自然災害を避ける能力がある筈です。この一般には認知されていない予知能力もテレパシーの一つです。自ら進んでこれらの仕組みを探求することがテレパシー研究のあるべき姿です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落032

032 Many years ago when, as a youth, I first became interested in the subject, I knew some people could communicate telepathically. I wanted earnestly to know how this was done, so I began to study. At that time, I accepted the idea that man is a five-sensed being; with the potential of developing a sixth sense, etc. This was the commonly accepted theory then, the premise of which had been laid in antiquity.
032 私が青年であった昔、このテーマに初めて興味を持った時、私はある人々がテレパシックに意思疎通を行えることを知っていました。私はこれがどのようにして行われるのか、真面目に知りたいと思った為、研究を始めました。当時、私は人間は5感を持つ存在であり、6番目の感覚も発達させる可能性を持っている等の考えを受け入れておりました。これは当時は広く受け入れられていた理論であり、その前提は古代においても置かれていたのです。



【解説】
 本書を記すについては、アダムスキー氏は随分と前からこの問題に取り組んでいたことが分かります。氏は若い頃から周囲で見聞きするテレパシーの現象に対し、それがどのようにして起こるのかを探求していたのです。
 しかし、当初は一般の常識から人間は5感の生きものである等を前提として研究していたと言います。いずれそのことは他惑星人との交流によって全く新しい概念に置き換わられ、本書の執筆に至る訳ですが、当初は現在の私達と同様の出発点からスタートしたのです。
 私達にとってテレパシーの意義については、単に人と人との無言の会話術といった事柄以上のものがあると思われます。大自然に生きるあらゆる生きものと分け隔て無く交流出来、親しめる能力というより大きな世界を私達にもたらすもの、他の生きもの達と融和出来る心境を得ることがテレパシー本来の意義であるのです。その目的の為に私達は日々、少しずつこの分野を学ぶことが本講座の目的でもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落031

031 I do not know by what method others attained their understanding. I can only tell you how I achieved mine.
031 私は他の者達がどのような方法によって、理解を得たのかは知りません。私は私が如何にして自分の理解を達成したかを述べることが出来るに過ぎません。




【解説】
 本項の短い文章から、本書がアダムスキー氏自身が探求し、発見したテレパシー原理とその具体的な開発事例について述べたものであることが分かります。本書はそれまで多くの読者や協力者から教えを請われて来た中で、氏が改めて自身の悟った内容を記したものであるのです。
 しかし、私達は各自各々、背景も志向も異なる訳ですから、テレパシー開発についても具体的な内容は人によって異なるかも知れません。そういう意味でも原理について本書を学び、具体的な応用については各自ご自身に合う方法を見つける必要があります。
 探求し実践する中で得られた成果を拠り所として各自自身を教材として実生活に応用して行くことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落030

CHAPTER II
The Four Senses of Man
030 I have been deluged with letters from all parts of the world requesting information about thought-transference. The vast majority of these have contained questions such as, "What is telepathy? How does it work? Could I learn to use this means of communication?"
第2章
人間の4つの感覚
030 私はこれまで世界各地からの想念の交流についての情報を求める手紙で溢れかえっていました。これらの大半は、「テレパシーとは何か? それはどのようにして働くのか? 私もこのコミュニケーション手法を用いることが出来るでしょうか?」というような質問を含んでいました。




【解説】
 いわゆる「アダムスキー哲学」と称される3つの書籍の内、「生命の科学」は1課ごとの通信教材として、また「宇宙哲学」は1冊の成書として発行され、この「テレパシー」は3冊に分かれた小冊子として発刊されました。
 「テレパシー」(1958年発刊)の場合もその発刊の経緯は分かりませんが、本項に記されているように、時々に寄せられる質問や要望に応えるべく、小冊子として執筆して行ったものと思われます。
 もちろん、その背景には当時、テレパシーについて、アダムスキー氏を取り巻く人々の間で特に関心が高かったことがある筈で、他惑星からの人々との交流への一般大衆の意欲やアダムスキー氏を含む一部の能力者への憧憬があったものと思われます。
 こうした関心はとかく、技術(テクニック)をマスターしたいと思う傾向が強い一方で、それらの手法では本来の原理を学ぶことは出来ません。その為に著者はより基本的な知識から本書を通じてテレパシーの原理について説き起こしたものと思われます。

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
プロフィール

ganetworkjapan

アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ