2018年06月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第12課-段落433

433 After centuries of living as society has, habits have become the masters of men's minds. And this has been strengthened by each generation. So, as said before, it is not easy to get rid of them. But we must keep diligently at the task and replace old habits with new knowledge. This is the way to find and know the other half of yourself.
433 この社会が続けた何世紀もの生活の結果、諸習慣は人の心の主人になってしまいました。そしてこのことは世代を経るごとに強化されています。ですから以前に申し上げたように、それらを取り除くことは容易ではありません。しかし、私達はその仕事に精を出し、古い習慣を新しい知識に置き換えなければならないのです。これは貴方自身のもうひとつの半身を見つけ、知る方法なのです。



【解説】
 自然界には慣性の法則があり、一定速度で動くものの上では何ら違和感無く過ごして居られます。そういう意味では地球という惑星も巨大なコマとして宇宙空間を回転しながら高速で移動していますが、その動きをその惑星上で暮らす私達自身が感知することはありません。
 このように一面では大切な法則であるのですが、人間の進歩という面では惰性こそ大きな障害になっていると著者は警告しているのです。
 何世代にもわたって同じ生活パターン、精神パターンを続けることになれば、新鮮さは失われます。以前、何処かでアダムスキー氏は沼と海の違いについて言及していたと記憶しています。よどんだ沼に対して海には常に活動があり水質の浄化も行われています。それは海が沼と比較して比べようも無い程の広がりがあり、その中で自由な諸活動が行われるのに対し、沼は限られている為、やがてはその活動が停滞するのです。
 私達一人一人も習慣の中で個々の存在に留まっている限り、やがては没してしまいますが、これらの習慣的想念を打破し、より広い宇宙的分野に身を投じれば、その後の発展は計り知れないものとなる筈です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第12課-段落432

432 As stated earlier in the course you have a right to make analysis for the purpose of understanding, but not with criticism or belittling. This phase seems so close to the line of analysis that sometimes what we say is taken for criticism or judgment. But your motive is your guard against making this mistake. If your motive is noble with the purpose of understanding you need not worry what the other person may say. And if you make a mistake in analysis acknowledge it. This will prove that your purpose was noble.
432 本講座の初期に述べたように、貴方は批判やけなす態度でなく、理解する目的の為に分析する権利を持っています。この側面は私達が批判や判定と見なされる状況と時として大変近い延長上にあるように見えてしまいます。しかし、貴方の動機はこの過ちを犯すことに対する守り手になります。もし貴方の動機が理解する目的という高貴なものであるなら、他人がどのように言おうとも心配する必要はありません。また、貴方が過ちを犯したならば、それを認めることです。これにより貴方の目的が高貴なものであることが証明されることでしょう。



【解説】
 私達の周りの全ての現象が私達自身の精神活動によって影響を受けた結果であるならば、私達自身の精神活動を解析し、問題の原因を解明することは必須ということになります。
 生来、私達は最高位の創造物として多くの特権を与えられ、大切に育てられて来た筈です。それでも生きる過程の中で心の未熟さから過ちを犯して来たと言えるのです。その問題、即ち事例は各々原因と結果の因果関係がある筈で、その点を自らの痛い体験を通じて学ぶことが重要だとしている訳です。これには相手を非難したり、善悪を決め付けたりするのとは全く異なる冷静な分析が必要なのです。
 本項を見ても分かるように、本講座は私達の精神活動や宇宙意識という目には見えない根源的な力について説くもので、極めて科学的な取り組み姿勢を特徴としています。その姿勢はどちらかと言うと仏教に近いような雰囲気を持っており、決して何か不可思議な存在を盲信するというのではなく、身の回りから冷静に観察することを求めているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第12課-段落431

431 Always remember that the things that we call good, bad, or indifferent are only a misapplication of the law through the lack of understanding. Also all of this took place within the Cosmic Kingdom and not outside of it. Compare yourself to the child within the home who makes mistakes, but through them he learns the right way of doing things. If life is to be understood all of its phases must be faced.
431 常に覚えておいて欲しいのは、私達が良い、悪い、或いは良くも悪くもないと呼んでいる物事は理解の不足から来る法則の誤用でしかないことです。また、これら全てが大宇宙王国の中で起っており、その外で起っているのではないことについてもです。貴方自身を家庭の中の過ちを犯す子供にたとえなさい。子供はその過ちを通じて物事の正しいやりかたを学ぶものです。生命というものを理解しようとするなら、その側面の全てを正視する必要があります。


【解説】
 各々の人生を振り返る中で重要なのは、仮に不愉快な体験、苦痛が甦る経験のように思えることも私達の成長に役立って来たと言えることです。全ては宇宙の内側、創造主の手の中で起こっており、私達がそれらに対して勝手に好き嫌いの判定を下しているに過ぎないのです。
 これらの好き嫌いはやがて嫌いなものを排除・無視することにつながり、それが起こった要因を考察する間もなく忘却されてしまうという訳です。その結果は、原因が解消されないため、将来再び同様の痛い経験をすることにもなるのです。
 こうして人生を振り返る中で得るものは他にもあります。それは今まで自分が授かっていたものに対しても再び発見することが出来ることです。このところ、私は自宅の片付けを行っていますが、不要なものに混じって、昔大切に保存していて忘れていたものも数多く発見出来ています。整理する過程で役割を終えたものを処分できすっきりすると同時に、貴重なものをも再発見出来るからです。身辺整理は現代の私達に必要な行動であるように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第12課-段落430

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
Lesson Twelve
Summation - The Rewards Of Continuous Progress
By GEORGE ADAMSKI
430 In the eleventh lesson we cautioned you not to leave any of your revelations out which were a part of you. The reason for this is very important for life is like a jigsaw puzzle and no part can be left out if you are to have a complete picture. And if you substitute something for the part you do not like the picture will not be as it should be. As we have lived a life of likes and dislikes this tendency will be present and one must overcome this to have a true picture of life. For should you substitute something to replace the things you did not like you would create a mystery and we want truth and reality.
生命の科学-学習コース
第12課
総括-継続する進歩の報い
ジョージ・アダムスキー著
430 第11課では私達は貴方に貴方自身の一部である貴方の如何なる啓示も追いやることの無いようにと警告しました。この理由は大変重要なことです。何故なら人生とはジグソーパズルのようなもので、完全な絵を得ようとするなら、如何なる部分も追いやることは出来ないからです。そしてもし貴方が自分が好まない部分を何か他のもので置き換えてしまったら、最終的な絵は本来あるべきものにはならないでしょう。私達は好き嫌いの人生を生きて来ましたので、この傾向が出るでしょうし、人は人生の真の全体像を得る為にこれを克服しなければなりません。何故ならもし貴方が好きで無い物事を何かで置き換えてしまうなら、貴方は一つの神秘を造り出すことになりますが、私達は真実と現実を求めているのです。


【解説】

 何事も現実に直面すること、自分自身に向き合うことが必要です。そうする中で自分自身の中に劣悪な要素が見えても先ずはそのことを受け入れることが必要です。よく言われることは、問題の解決は問題の本質が見えた時にその解決策も同時にやって来るということです。実はそういう意味からも先ずは自分自身の現実と向き合うことが必要なのです。
 本講座も最終の題12課に入りました。本課ではこれまでの総括が説かれるものと思われます。その最初の段階で著者は私達に起こる全てを大切に取り扱い、自分の人生像の糧とせよと説いています。
 私達を造り上げているのは、これまでの私達が放った想念です。その結果の良し悪しはさて置き、それらの想念・印象が私達自身を造り上げている訳で、自分の人生を他人のせいにすることは出来ません。そういう意味でも私達はこれまでの自分を先ずは肯定した上で、それらの体験を次なる人生に生かすことを学ばねばなりません。





ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落429

429 This does not include visions and travel only but also what we call telepathy. So you may not only get revelations in the form of visions but the impression of thoughts and what they represent. And remember we have not always been noble characters so some scenes and impressions may not be too pleasant to our present understanding yet they were a part of our development, a part of our life. So they should be accepted as a part of history and not rejected for they are you. How often have we said if I had my life to live over I would do things differently. We grow towards nobility by improving upon our past deeds.
429 この啓示とはイメージや旅行ばかりでなく、私達がテレパシーと呼ぶものも含みます。ですから貴方はイメージという形式のみでなく、想念やそれらが何を象徴しているかをも含めた啓示を得ることでしょう。そして覚えておいて欲しいのは私達はこれまで常には高潔な性格では無かったので、その光景や印象の中には今日の私達の理解にとって余り心地よいばかりのものではないことも有り得ることですが、それらも私達の発達の一部分であり、私達の生涯の一部なのです。ですからそれらは履歴の一部として受け入れるべきであり、拒絶すべきではありません。それらは貴方自身であるからです。私達はこれまで何度、もし自分の人生をやり直すことになるなら、物事を違ったやりかたでするだろうと言って来たことでしょう。私達は私達自身の過去の行為に基づき改善することによって高貴な存在に成長するのです。



【解説】
 各個人にはそれぞれの歴史があり、はるか昔の過去生からの体験が蓄積されています。しかし、それらの多くは現在の自分よりは劣った想念レベルのものと考えた方が良いかも知れません。紆余曲折はあるものの、私達は少なからず進化していると思うからです。
 このように各々の過去の記憶は生かされるべきであり、全てを忘れてしまおうとするのはこれまでの人生を無駄に捨てることにも繋がります。私達がこの講座を学ぶことはこれまでの人生の歩みを整理してかつての貴重な体験を今後の人生に活かすことでもあるのです。その過程で、私達はこれら生命、人生を貫く強大なパワー、宇宙意識の存在に気付くことでしょう。私達はその意識の一部であるからです。
 長い人生の間には、多くの出会いがあり、真の友人と巡り合うこともあるでしょう。こうした出会いを引き寄せるのも宇宙の導きと言える訳で、人生の歩みには奇跡的な出来事に溢れています。それら素晴らしい出来事も宇宙を流れる高貴な想念・印象に私達が同期することによって実現することになるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落428

428 That is why the Holy Writ says have no false gods before Me. For every form whether it be man or anything else has gone through many experiences and many changes. If we accept life eternal there is just as much eternity in the past as we look forth to in the future. That is why Jesus said, If I was of this world I would fight for it but I am not of this world. If he came to this world is it not logical that we all have come from someplace else? For He made it plain that in the Father's House are many Mansions. But the human mind as an effect cannot know this unless it submits itself to consciousness which is the keeper of the records. And when it does the revelations come.
428 それが聖典が、わたくしをおいて偽りの神があってはならない(訳注:365参照)、と言う理由です。何故なら、あらゆる形有るものはそれが人であれ、何であれ、多くの体験を経ており、多くの変化を遂げて来ているからです。もし、私達が生命を永遠なるものであることを受け入れるなら、私達が未来の中へ前方を見るのと同様に過去にも多くの永遠があることになります。それがイエスが、もし私がこの世界の者であれがその為に戦うでしょうが、私はこの世界の者ではないのです、と言った理由です。もし、イエスがこの世界に来たとするなら、私達全員もどこからか来たこととするのは論理的ではないでしょうか。イエスはこれを父の家には多くの館があると平易に説明しました。しかし、結果である人間の心はそれら記憶の保持者である意識に自身を委ねない限り、これを知ることは出来ません。そしてそれが行われる時、啓示がやって来るのです。



【解説】
 次の段階として私達が向き合うべきことは各自の過去生にも遡る経験です。他者に自らの生き方を委ねることなく、自らしっかりと過去生にも遡る人生の歩みを振り返って、自分の歩みを整理し、総括することではないでしょうか。
 最近言われるようになった"終活"は各自のこれまでの歩みを整理し、次なる人生に備えるという意味を持っているように思います。部屋に溜まってしまった書類その他の諸物を整理し、真に必要なものとそうでないものとを仕分けて身軽になる作業は、私自身現在行っていますが、それを達成した後は心身共に身軽になった気分ですがすがしいものです。
 そうした作業を通じて、自分の生まれてから今日までを振り返る中で、人生という時間感覚を掴めたような気がします。人の一生の中で何を学び何を努力して来たのかを明確にして置けば、その記憶は次なる人生に役立つこと間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落427

427 This is the only true entrancement that there is - a Cosmic principle where the mind and consciousness work together. All other phases of so-called entrancement are either illusions, wishful thinking or self hypnotism, especially when your mind is impressed with guides or highly developed souls. Beware when you get a feeling of a so-called guide for there is only one that you can trust and that is consciousness - the other half of yourself.
427 これが唯一存在する真の忘我であり、それは心と意識が共に働く宇宙原理なのです。その他の忘我と呼ばれる側面は、幻覚であったり、願望の想念や自己催眠であるかのいずれかに過ぎません。特に貴方の心が指導霊や高度に発達した霊と出会ったような印象を受けた時はそうです。貴方がいわゆる指導霊のような感じを持った時は気を付けなさい。何故なら貴方が信じられるものは一つしかなく、それは意識、即ち貴方の半身であるからです。


【解説】
 結局のところ、私達に必要なことは、各自自分と向き合うことではないでしょうか。それを避ける為に他に娯楽を求めたり、諸々の神秘に身を投じてはならないのです。
 前項ではイエスの変容の場面が紹介され、各自についても自身の歩みを振り返ることが推奨されて来ました。そうする中で私達はこれまで、様々な試練の中にあっても何とか今日まで辿り着いたことが分かることでしょう。そうすることが出来た背景には、私達に与えられた因からの支援が大きく関わっています。いわば不毛の地に湧き出す泉が瀕死の私達を潤し、安らぎや生きる力を授けて来たということでしょう。
 この経過を見れば、次に私達のなすべきことは明らかと言えるでしょう。即ち、わずかに潤す泉をより大きく広げ、他者にもその恵みを分かち与えることです。自分自身の本体である泉は汲めども涸れることはありません。その泉の源流は宇宙に繋がっているからです。先ずは各自の持つ泉を汚さぬよう大切に取り扱う心構えが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落426

426 This is no different than if you were to go back to the day of your birth, entrancing your mind or interesting it with your growth to the present day. Your consciousness would bring to mind the various stages of your development and experiences through which you have gone. And with this would come the many changes of facial expressions. And this is what happened to Jesus at that time for he was having the experience of realization while the disciples were just observing.
426 これは貴方が自分の今日までの成長に対して自分の心を忘我にするか、関心を持たせることによって自分の誕生の日に戻る場合と違いはありません。貴方の意識は様々な貴方の発達段階や貴方が乗り越えた体験類を心にもたらすでしょう。そしてこれと共に多くの表情の変化が生じるのです。そしてこのことがその時、イエスに起りました。彼は弟子達がただ見守る間、その具現化体験をしていたのです。




【解説】
 私達は時折、各自の人生を振り返る必要もあります。もちろんそれは昔を懐かしむことに意義があるのではありません。これまでの人生の歩みを総括して、自分自身の中の至らない要素を洗い出し、これからの人生にその体験を活かす為ですが、人知れず助けて戴いた人生の師や創造主の慈愛に感謝する為でもあります。
 長い人生を生きることは各自貴重なそして時には苦痛を伴う体験を経ることでもあり、それらを乗り越えた今日がある訳です。そういう意味からもこれらの体験で得た知識・知見は貴重なのですが、私達地球人の場合、その多くは高齢期に記憶から失い、更に死後の転生時に継承することも出来ていないようです。その結果、再び同様な体験を繰り返すことになるのだと思われます。事故対策では再発防止が重要であるとされていますが、私達自身の痛い体験こそ、十分その要因や生じた仕組みを解析して再発を防ぐ必要があるのです。
 私達各人は生きて行く中で様々な体験・学習を積み重ね、進化して行くものと思われますし、その過程で私達の容姿もそれを反映したものになっているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落425

425 In other words the Cosmic Mother and the Cosmic Father never wean their creation. When the mind does not understand this process it has a tendency to label the effects as the mystics have done. Let me give you an example of how the mind labels things it does not understand. For this we can use the experience of Jesus on the Mount of Transfiguration. His mind at that time was entranced by consciousness for he had given his mental will over to the will of consciousness as he became a listener and observer. And when he did this his face changed to represent the many individual forms through which his mind and consciousness had expressed before and he was fully aware of what was going on. And the disciples that were watching him observed the many changes of facial expressions and told him that to them he had appeared as Moses, etc. His answer to them was, "My life is the life of the many." In other words he had lived all of those stages of life and the consciousness reviewed the stages on the screen of his mind, thus bringing his mental life up to the present stage while the others observed.
425 別の言葉で言えば、宇宙の母と宇宙の父は自分達の創造物を決して乳離れさせることは無いということです。この過程を心が理解しない時、心は神秘主義者達がこれまでして来たようにその結果に偏見のラベルを貼ろうとする傾向になります。ここで心が自分が理解しない事柄に対して如何にラベルを貼ろうとするかの例をお示ししましょう。この目的の為、変容の丘におけるイエスの体験を例に用いることが出来ます。この時、イエスの心は意識によって忘我の状態にありました。イエス自らの心の意志を意識の意志の上に捧げた為、聴く者、観察する者となった為です。そしてイエスがこのことを行う時、その顔はイエスの心と意識が以前表現した多くの個人の顔かたちを再現しはじめたのですが、イエスは何が起っているのかを完璧に気付いていました。そしてイエスを見守っていた弟子達はイエスの表情が多くの変化を起こすのを観察し、イエスにイエスがモーゼやその他のように見えたと話しました。彼らに対するイエスの答えは「私の生涯は多くの生命からなっている」でした。別の言葉で言えば、彼はこれら全ての生涯の各段階を生きて来ており、意識がイエスの心のスクリーンにこれらの段階を回想させ、今日に至るまでのイエスの心の生涯を引き寄せ、それを他の者が見たということです。



【解説】
 本項はイエスの変容として伝えられている場面について述べられています。以前からアダムスキー氏はイエスの時代に地球に来ていて、高弟ヨハネであったと伝えられています。あたかもその場面に立ち会った者しか分からないような描写が為されており、その言い伝えを裏付けるものとなっています。
 ここでのポイントは、私達の容姿は私達の精神的内面を反映したものであるということです。時が経ち、転生を経たとしても当時の心境を再現出来れば、容姿は当時を再現するものとなるという訳です。私達の肉体は私達の内面の状況をそのまま反映するべく絶えず活動しているのです。
 言い換えれば、各自の容姿はこれまでの精神性を反映するものであり、結果物ということになります。それ故、少しでも穏やかで安定した風貌を保ちたいのなら、先ずは私達の心境を温和なものに精華させる必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落424

424 Remember your mind cannot absorb all inclusive consciousness in a moment so it must come in parts or different phases in the beginning until the mind is firmly developed in relationship to consciousness. i.e. A one inch hose will carry one inch of water but when the water comes out through the nozzle it separates into hundreds of drops of various sizes and shapes and each could be labeled as different according to our specifications. But each drop that falls upon vegetation gives moisture and life giving substance to that which it touches. Yet the essence of the drop of water unites with all the other drops of water as a whole, no different than it was in the hose. And the flow of Cosmic Consciousness is like the water in the hose. And it constantly separates itself for the service to be rendered to the lesser manifestations without which they could not live.
424 貴方の心は一度に全てを内在する意識を吸収することは出来ない為に、意識は心が意識との関係において確実に成長するまでは、最初は部分的或いは異なる種々の側面としてやって来るということを覚えておいて下さい。それは即ち、1インチのホースは1インチの水を運びますが、ノズルを通して水が撒かれる時は水は様々な大きさや形の何百もの水滴に分裂します。その一つ一つは私達の分類によれば各々異なるラベルを貼られるのです。しかし、植物に降り注ぐ一つ一つの水滴はそれに触れるものに潤いと命を与える物質を授けます。しかし、水滴の本質は他の水滴と共に全体として統一されており、ホースの中にあった時と何ら違いはありません。そして宇宙意識の流れもホースの中の水のようなものです。それはそれ無しには生きて行けない、より下等な生命の現れに自らを委ねるという奉仕の為に自らを絶えず分ち与えているのです。



【解説】
 よく言われる言葉に"私達はパイプのようなものだ"という言い方があります。つまり、私達自身には何ら機能は無く、ただ内部を通じて因から来るものを放出し、表現することだけだというものです。本項で著者が説いているのも、同じ意味合いです。私達は自身を通じて"因"から来る知性を表現する者であるのです。
 しかし、人によってパイプの大きさは異なり、表現する規模や影響の大きさに差があることは確かです。それでも精一杯の表現は次の発展に繋がります。こうして一つ一つ私達は体験を積み重ねて成長して行くという訳です。
 ここで重要なことは、十分な表現が出来なかったからといって、焦らないことです。たとえパイプの径が小さくても中を流れるものは皆、同じ要素を備えており、完璧なものです。一人一人から表現されるものは、皆一つの源泉から湧き出し、個々の領域に与えられた恵みとして尊ぶ必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落423

423 What is meant by entrancement? The accepted idea of this is a misrepresentation of reality in the belief that a master is guiding one as spoken of before. Should such an impression or vision come to you during your development do not be alarmed for your conscious self will have this feeling when viewing other parts of consciousness.
423 忘我とは何を意味するのでしょうか。これについて一般に容認された概念は、以前にも述べたように、師がその者を導くと信じるという現実を誤った表現なのです。貴方の進歩の過程でこのような印象あるいは光景がやって来ることがあったら、怖れないで下さい。何故なら貴方の意識上の自己は意識の他の部分を見るとこのように感じるものだからです。



【解説】
 普段、なかなか"忘我"という状況にはなりにくいかも知れません。しかし、それが起こった時に慌てず、事の本質を理解して置くことが必要です。決して何か他の存在に操られるような事ではなく、忘我の状態にある者は、別の側面の意識を見ているのだということを知って置いて欲しいと著者は私達に説いているのです。
 おそらくこのような状況は意識による旅行においても生じていることでしょう。即ち何か通常とは思えない意識的体験をしている時に、部外者から見ると本人は忘我の状況に見えるものです。
 画家が大作に向かって絵筆を振るっている時や、音楽家が楽器と一体になって楽曲を奏でている時、本人は忘我の状況にあるものと思われます。時空を超えてその行動に没入している中で、優れた芸術性が生み出されているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落422

422 I am only giving my experiences to show that man's innate ability is of his own consciousness and has nothing to do with mysticism. But rather it is an understanding of the law or the other half of oneself - the conscious part. 99% of humanity is living the mental side of life unaware of their conscious ability or conscious consciousness. Consciously you are free to go any place in the Cosmos but mentally you are anchored to one place. As I was anchored to the classroom but consciously I went to where I was needed. And the law is just as real on the conscious side as it is on the mental side. Consciousness is the permanent side while the mental is the changing side of life. Always changing because the mind is learning while consciousness is all knowledge.
422 私は人の生来の能力は自身の意識によるものであり、神秘主義とは一切関係が無いことを示す為に自分の体験を述べているだけです。むしろそれは法則の理解、自身の半身即ち意識の部分の理解と言えます。何故なら99%の人類は自分達の意識上の能力即ち意識的意識について気付かぬまま心の側で生きているからです。意識の上では貴方は宇宙の何処にでも行ける自由がありますが、心の上では貴方は一箇所に錨で繋ぎ止められています。私がその教室に繋ぎ止められていた時でも、意識の上では私は私を必要とする場所に行ったのです。そして法則は心の側でも意識の側でも現実に働きます。意識は永遠の側にありますが、心は人生の変化する側にあるのです。意識は全ての知識である一方、心は学ぶ過程にある為、常に変化しているのです。




【解説】
 このような遠隔地への意識の移動能力について、アダムスキー氏は本文で誰にも生来持っている能力だと説いています。その発揮が出来ないのは、普段、私達は意識ではなく、心に依存しているからだとしています。私達の心はこの意識の存在を認めることなく、その限られた体験を通じて学習の途にある一方、意識は生来、全ての知識を有しているという訳です。
 おそらく本課は私達にとっては難解な教科なのかも知れません。自由自在に自身を移動させるとは分かり易く表現すれば、"天狗"や"仙人"のような能力であり、私達は究極のレベルとしてそのような能力を開発しようとしているのです。
 意識、心、肉体の3要素がある中で、もちろん肉体は物質から構成されていますが、心もまた、もし結果(物質)に左右されているとすれば、それは物質に左右されていることになります。私達各自が生来、受け継いでいる意識の活用こそ、求められているということです。その意識との融合を通じて私達は文字通り、宇宙を自由に行動することが出来ることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落421

421 But when my interest was taken up with flying saucers these experiences ceased. For as Jesus said, you cannot serve two masters without neglecting one of them. But now as I start to teach again I am returning to my original service.
421 しかし、私の関心が空飛ぶ円盤に奪われた時、これらの体験は無くなりました。何故なら、イエスが言ったように貴方は片方を無視しないで二人の主人に仕えることは出来ないからです。しかし、今や私は教えを再び始めましたので、私は元の奉仕に戻りつつあります。




【解説】
 前項でも述べましたように、このような(教師の幻が現れる)現象には、その教師の意思が強く働いていることが分かります。導師が弟子を思って遠方からメッセージ(思念)を伝えようとしない限り、そのような現象は起きないのです。
 そういう意味では、アダムスキー氏は常に求めて来る人々に惜しげなくその者に必要となる知識と助言を与え続けていました。私も氏のミーティングテープの中で「私に質問をせよ」と語っている場面を聞いたことがあります。人々の持つ疑問や知りたいことを通じて、人々に必要な知識をタイムリーに与えていたということでしょう。同様の事は同乗記にも、ロスアンジェルスのホテルで宇宙人と初めて会見する前に、氏が教え子と久しぶりで会った時の模様が記されていることはご承知の通りです。
 もちろん、このような意識による遠隔地への移動は、私達の目標の一つですが、その実行に当たっての第一の心構えは、本項に記されている通り、他者への支援にあることは明らかです。遠く離れた地で病の床にある友人を支援することもその一つです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落420

420 And now I will explain what I mean by a thought form. Man is a thought manifestation of consciousness like a shadow is a manifestation of a form. So in the classroom I was manifesting as a solid form and at the bed side I was manifesting as a shadow of that form. A thought form can be sent and felt at any distance while a solid form cannot. This has happened many times even outside of the classroom. When I was lecturing in Pasadena someone would ask my help for a sick friend. I would deliver the lecture on a normal bases and at the same time go to the bedside of the sick person. I did not need to know the person nor the address for consciously I was in both places. When I next met the person that had asked for my help she was happy for the friend had improved immediately and in a short time he was out of bed and well on the road to recovery. My experiences are not limited to sickness alone for I have been able to help out in other types of trouble. These things did not take place during my sleeping hours but when I was active with something else. So this has been my experience with conscious traveling.
420 そしてここで、私が想念の形態と言うことで何を意味したかったかを説明しましょう。影が形あるものの現れであるように、人は意識による想念としての現れです。ですから、その教室の中で私は固体の形態として現れており、ベッドの脇ではその形態の影として現れていたのです。想念の形態は如何なる距離にあっても送られることが出来、感じ取られますが、固体の形態はそれは出来ません。このことは教室の外でも数多く起りました。私がパサデナで教えていた時、誰かが来て病気の友人を助けて欲しいと私に求めて来ました。私は通常の通りのレクチャーを行う一方、同時にその病気の人物のベッドの脇に行ったのです。私にはその人物やその住所知る必要はありません。何故なら意識としては私はその両方の場所に居たからです。次に私の助けを依頼したその人物に会った時、彼女はその友人が直ぐに良くなり、わずかの内にベッドから離れて回復への道程に進むようになったことで喜んでおりました。私の体験は病気に限られてはおりません。他の種類のトラブルから助け出すことが出来たからです。これらの出来事は私の寝ている間には起らず、私が何か他のことで活動している時に起っていました。ですから、これは意識による旅行に関する私の体験であった訳です。



【解説】
 本項で記されている内容は、このシリーズにおける究極の学習レベルではないかと思われます。意識を用いた自分自身の投影も最終的には私達に可能となるという訳です。
 前項でも述べましたが、古来から聖人達の奇跡として数多くの逸話が伝えられていますが、おそらく一つ一つを本項に照らして精査して見ると、皆、それら聖人達が意識を用いて行った行動であることが分かるのではないでしょうか。
 もちろん、各自にとってその段階まで精進することは大事なのですが、それより遥かに重要なことは、それら聖人達が私達を助けたいと発願し、自らの意識を用いてその姿を具現させ、私達に示して呉れたということです。その意図を受け止めた上で、私達もそれに倣うよう、心して精進する必要があります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第11課-段落419

419 Many times when I was teaching in the early thirties a student would be sick and would not be at the class, yet on the following week when they returned he would report that he had not missed the class. For I was at the bedside giving the instructions yet I was not missed in the classroom. I was there before the students giving instruction through my mind and body while at the same time my consciousness was at the bedside of the one who was sick. It is like using two speakers with one microphone. Consciously I was conveying to the mind in my body that which was given to the students. In one place I was a solid form and in the other a thought form.
419 1930年代の初期、私が教えていた時に何度となく一人の生徒が病気になりクラスに出席することが出来ないことがありました。しかしそれでも、翌週にある次の授業にはその生徒は決まって自分は授業を受けられなかったことはないと報告するのでした。その理由は私は彼のベッドの脇に居て、教えを授けていたからというのですが、私はクラスに出席しなかった訳ではありませんでした。私は当時は生徒達の前で心と肉体を通じて教えを授けておりましたが、同時に私の意識は病気の一人のベッドの脇に身を置いていたのです。それはマイク1つで2つのスピーカーを使っているのに似ています。意識的に私は私の肉体の中にある心に生徒達に教える事柄を伝えておりました。一つの場所では私は固体として形あるものでしたが、他の場所では想念の形態であったのです。



【解説】
 アダムスキー氏がUFO問題に関与する以前、ラグナビーチ周辺でThe Royal Oder of Tibetという精神改革活動をしていたことは良く知られているところです。本項はその1930年代に起こった事柄について紹介し、今後の私達の訓練の参考とするべく記載されています。
 これら肉体から離れた遠隔地に姿を現すことは、丁度、映画「スター・ウォーズ」に出てくるホログラム投影のように考えられますが、より重要な所は、先ず教師本人がその場に居ない生徒にも同一の教えを授けたいという意志があり、また受け手の生徒の側にも教師の教えを受けたいとする願望があった上での現象という点です。送る側と受ける側の波長が一致する中で、はじめて実現する事柄だということです。
 聖書には同様なことが頻繁に起こっており、イエスが多数の場所に出現したという状況も記載されていたと記憶しています。また、現代での聖母マリアの出現等々、多くは奇跡と称されますが、これらも本項に記されている通り、送り手の意識が現象化して現れた姿であると考えられます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落418

418 Man can have this same alertness from the conscious sea of life when his mind is aware of its possibilities of receiving impressions from anywhere in the Cosmos. When this phase is understood and used man can be anywhere he wishes to be, either near or far away. For the Real You remember is the consciousness. The mind and the body are instruments which you use.
418 人はその心が宇宙の何処からの印象でも受け取ることが出来ることに気付いた時、その生命の意識の海からこれと同じ覚醒を得ることが出来ます。この側面が理解され応用されると、人は近くにも遠くにも自分が望むどのような所にも身を置くことが出来ます。何故なら、ここが大事なところですが、真実の貴方という存在は意識なのです。心と肉体は貴方が用いる道具です。




【解説】
 これまで私達は「心」と「肉体」そして「意識」について学んで来ました。その中でどれが最も大切なものかは本項が端的に述べている通り、「意識」こそ最重要視しなければなりません。今まで現実主義者或いは広く一般の地球社会では「肉体」を重要視して来ましたし、一方の精神主義者は「心」こそが重要だとして来ました。しかし、このアダムスキー哲学を学ぶ人達の中でも精神性を重視するあまり、現実社会に適応出来ずにいる方々も残念ながら多いのが実情でしょう。
 しかし、本項で述べられているように、「肉体」も「心」もこの「意識」の前には単なる道具に過ぎない程のものであることが分かります。それ程に宇宙を貫く「意識」は私達に多くの恵みをもたらす存在であり、この「意識」こそが創造主に直結した力を持っているという訳です。
 私達は自らの中にこの「意識」の要素を感じ取り、それらと親しむことによって常に若々しい生命の発露となる必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落417

417 We must remember that consciousness is the sea of life within which all forms are living regardless of what they may be. And outside of which there is no life. So when the mind becomes alerted that it is living within that sea and must depend upon the sea of consciousness for its own life then this awareness begins to impress itself upon the mind with new knowledge of various phases of its action and the various types of forms through which it expresses. Like certain fish in the ocean that are alert enough to sense a disturbance, conveyed through the water in which they live.
417 私達は意識はありとあらゆる全ての形有るものがその内側に生きている生命の海であることを覚えていなければなりません。そしてその外側には生命は無いことも。ですから心は自らがその海の内側に生きており、それ自身の命について意識の海に頼らなければならないことに感づくようになると、この気付きは心に対して意識の様々な行動の側面や意識が表現する様々なタイプの生命形態に関する新しい知識を印象により授けようとしはじめます。それは丁度、大洋の中のある魚が自らが住む水を通じて運ばれて来るうねりを感じ取るだけの鋭敏さがあるのと似ています。



【解説】
 本項は本講座で言う"意識"とはどのようなものか、そして私達がその中でどのように暮らしているかを良く表しています。エネルギーである想念・印象が伝播する為には媒体が必要であり、それが意識が"生命の海"と表現される由来となっています。
 私達は意識という海の中で生きている訳で、その海の中に生きる他の生命も皆、私達の同胞、兄弟姉妹である訳です。また各生命体が発する想念・印象はその海の中を伝播し、停滞することはありません。鋭敏な魚達が海の些細な変化にも敏感であるように、私達は意識を頼りに生きています。
 また、海が何処までも繋がっていることも重要なポイントです。膨大な宇宙空間もその隅々にまで意識が浸透しており、想念その他、波動の行き来は容易に行われます。その宇宙の中で起こる出来事や発せられた想念・印象はことごとく意識の中に記憶され、未来永劫残ることになりますし、それによって蓄えられる知識に制限はありません。私達はこのように進化する意識の中に生きています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落416

416 A man can consciously travel the Cosmos as I stated before if his mind can trust what consciousness reveals to him. Some of us not knowing how this is done have traveled the Cosmos many times. In some cases it has been during the sleeping hours when we have had dreams that impressed themselves vividly on our waking mind. Especially of strange places where it would be impossible for the mind to promote the dream.
416 人はもし自身の心が意識がその者に明かすことを信じることが出来れば、私が以前述べたように、宇宙を意識で旅することが出来ます。私達の幾人かはそれがどのようにして行われるかを知らないまま、何度も宇宙を旅して来ました。ある場合は、それは目覚めた心にそれらの事柄を明瞭に印象付ける夢を見る寝ている間に起っていました。特に、心が夢を進めようなど出来ようのない見知らぬ場所についてはそれに属します。


【解説】
 意識による旅行は誰でも出来るし、また各自その一部を体験していると本項は説いています。何か特別な修行や儀式を経ずとも、ある瞬間、私達の心が意識と融合した際にそれが可能となるということでしょう。
 本項の示すことでいつも思い出すことは、映画「コンタクト」で主人公が大型の機械の中で体験する遠い宇宙空間の先にある惑星で、亡くなった父親と再会するという場面です。地球の時間ではほんの僅かの間なのですが、主人公はその間、時空を巡っての壮大な旅を体験し、その果てに月が二つある地球に似た惑星に辿り着きます。
 上記の体験はまさに時間を超越した宇宙の旅を示唆しているように思えた訳です。直接的に肉体的な宇宙人とのコンタクトのストリーではありませんが、何か本項の示すイメージに沿ったものではないかと考えています。私達が宇宙意識に従い、同期する際に起こる時空を越えた体験について、示唆している映画ではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落415

415 Mars also has a population explosion. In another year I have been promised a trip to Mars and when I go I will prove to myself how close my mind has received the impressions given to it by consciousness.
415 火星もまた人口爆発にあっています。別の年に私は火星への旅行を約束されて来ましたので、行った時は私の心が意識によって得られた印象を如何に忠実に受信していたかを自分で確かめようと思っています。



【解説】
 結局、アダムスキー氏は火星に行くことなく生涯を終えたのですが、氏の周りには宇宙人による様々な計画が立案されていたものと思われます。その多くは実現しないまま終わってしまったということでしょう。以前にも紹介した通り、アダムスキー氏は死の数週間前まで冬季の北米各地を行き来していたのです。
 さて本項で記されている火星の状況ですが、人口爆発という表現で急激な人口増が発生しているとしています。以前、誰かから聞いたことですが、宇宙の様々な惑星に各々転生した人達がかつての過ちを修正する機会として適切な惑星に生まれ変わって来るという話がありました。さすがに広い大宇宙でもその修正の機会に適した惑星は限られており、かつての自分が過ごした惑星がその修正には最適であることは間違いありません。即ち、かつての過ちを修正する為に元の惑星に戻って来ているという訳です。
 そういう意味では崩壊に進みつつあるこの太陽系でかつて過ごした人達が以前の自らの行動を修正する為、大挙して元の惑星に転生して来ているのかも知れません。これは地球についても言えることだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落414

414 Next we will go to Mars, a planet I have not been on physically. Consciously I find the planet rugged, quite commercial and industrial and very similar to earth. Agriculture is in second place for water is scarce in inhabited areas and most of it is dry farming. The water that they have is channeled from the polar caps and melting ice areas. There is plenty of salt water and in recent years they have been converting it for use as we are doing in some places. There are canals of salt water that carry the ships to inland cities where the water is also converted for use. In the early days they tried mixing salt water with fresh water, about a two to one mixture of fresh and salt, but the amount of fresh water was not adequate and the mixture was not good for agriculture.
414 次に私達は火星に行きます。肉体としては行ったことのない惑星です。意識で見ると私にはそれが荒れて、まったくの商業的、工業的な場所であり、地球に大変良く似ていることが見えます。居住地域には水が少ない為、農業は二次的な地位であり、そのほとんどが乾燥農法です。彼らが用いる水は極冠や融解する結氷地域から水路を引いてもたらされます。塩水は豊富にありますし、近年には私達も幾つかの場所で行っているようにそれを変換しています(訳注:例えば逆浸透膜法等により塩水を淡水化し利用していることを指す)。内陸部の都市に船舶を運ぶ塩水の運河がありますし、そこでもその塩水が転換され利用されます。初期の時代には彼らは塩水と淡水を2対1に混合しようとしましたが、その淡水量では不適切で、その混合水は農業に向かなかったのです。



【解説】
 SF作家Ray Bradbury原作の「火星年代記The Martian Chronicles」をご覧になった方も多いものと思われます。また、「スター・ウォーズ」の映画シリーズも何処か火星に似た乾燥した惑星をベースに物語が描かれています。荒涼とした自然環境の中で高度に商工業が発展した惑星、それが火星ということでしょう。
 本文中にはその水不足の問題について、原因は述べられていませんが、海水の淡水化等、今日地球でも行われているように、工業力で飲料水を造水する仕組みが火星で行われているとしています。
 おそらく本来は自然豊かな惑星であったにも拘わらず、惑星全体の自然環境が悪化する程、自然を浪費してしまったことに原因があるということかと思われます。そういう意味でも火星は地球の将来の姿を暗示しているのかも知れません。
 私達は自然と調和する生き方、今日流に言えば、「持続可能Sustainable」な生き方をすべきことは明らかなのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第11課-段落413

413 I have now given you a foundation and you may fill in what you will consciously observe on Venus.
413 私はこれで貴方には基礎を授けましたし、その後は貴方が金星を意識で観察するものを埋めて行けば良いでしょう。



【解説】
 本項の短い文の中に、本講座をこれまで進めて来た著者の思いが良く表現されています。
 即ち、これまでの教科によって私達各人が今後生きて行く上での基礎は十分に伝えたということです。今後は日々の実践訓練によって私達各人が各々工夫をし、体験を積み重ねて行くことになります。
 これまで私が見てきた限り、多くの方々が成果を上げ、成功されていますが、それでも思い通りに生きることが出来ない事例も多く見て来ました。実はそれほどに現実の地球社会で生きて行くことは難しいことなのです。しかし、仮に思い通りに進まなかったとしても、落胆することはありません。痛い体験であっても、それはその方の貴重な記憶となり、次なる人生に活かせる筈だからです。
 私達は変化する諸条件の中に生きています。その苛酷な状況の中でもどれ程の信念を持って金星や土星の先進世界を拠り所として生きて行くかが問われています。

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