2017年11月

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第8課-段落300

300 So if we are to be a perfect manifestation of the Creator we should study nature more than we have, as it is the conscious expression of God. And we should observe and adopt its laws of oneness in the same manner that we adopt each other's habits and even look alike.
300 ですから、私達が創造主の完全なる現れとなるには、これまで以上に自然を研究することです。何故ならそれは神の意識の表現であるからです。そして私達は互いの習慣を取り入れ、姿も似て来るのと同様に、観察し、その一体化の諸法則を取り入れることです。


【解説】
 自然から学ぶという姿勢の中には私達が私達自身を創った創造主を学ぶという意味があることが分かります。そしてその学ぶ姿勢も私達がそれらの創造物達と一体になれるような親密感が生まれる程、親しいものである必要があるのです。
 そうする中で私達は創造物や創造主と近しくすることが出来、やがては創造主とも一体感が持てるようになるという訳です。
 そういう為には、私達は目の前の世界、自然界の中に創造主の意図を感じ取らなければなりません。自然観察、絵画の制作、写真の撮影等は皆、これら自然の中に息づく生命力の輝きを記録したい、学びたいという意図から来るものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落299

299 Man's law of discrimination and judgment is non-existent in creation. We are told that the sun shines on the just and unjust alike. And while differences are many in the human mind - in the Creator's consciousness all are necessary parts that make up the Cosmos. And without each part the Cosmos would not be complete. The principle difference between man and his creator is that the Creator understands the purpose of creation and finds no fault with it, while the sense man not understanding consciousness, the real part of himself, lives the mental side of life. Thus he finds fault with the Creator's creation and brings about unpleasant conditions for himself. But when man makes the blend and lives the whole life he will know the purpose of creation, no longer using the law of discrimination which caused the unpleasant conditions.
299 人間の差別と裁きのならわしは創造の中には非存在のものです。私達は太陽は正しい者にも不正な者にも等しく輝くと教えられて来ました。また、人間の心にとっては多くの相違が見えるのですが、創造主の意識の中では全てが宇宙を造り上げる上で必要な部品なのです。そして、これらの部品無しには、宇宙は完全なものとはならないでしょう。人と創造主の間の最も重要な違いは創造主は創造の目的を理解し、それに何らの誤りを見い出さない一方、感覚人は自分自身の真の部分である意識を理解せず、生命の内の心の側を生きているのです。こうして彼は創造主の創造作用にけちを見つけ出し、自分自身に不愉快な状態をもたらしています。しかし、人が融合を達成し全ての生命を生きるようになる時、彼はもはやその不愉快な状況をもたらした差別のならわしを用いることをせず、創造の目的を知るようになるでしょう。



【解説】
 本項は私達の最大の問題である差別と裁きについて説いています。しかし、私達自身、この問題について著者が何を説いているか十分には理解出来ていないように思います。
 少しこの講座を学んだ人にとって、差別や裁きは改められるべきであり、良くない点であることは十分承知していることでしょう。日常生活においても、好き嫌いや怒りを避けることの重要性は十分心得ている筈です。
 しかし、それでもなお私達には日常の不安や不満は残っていることが多いものです。自分の意図した物事がうまく進まなかったり、或いは健康面その他、家族に関する問題等々、私達の日常生活にはそれを十分に楽しめない、即ち生命を享受出来ない要素も多いものです。
 一方、よく見るとそれらの一つ一つには実は良否の差別や裁きの要素が残っており、それらが問題を引き起こしていることが分かります。つまりは善悪共々そのまま受け入れ、その中で問題を解決して行くことが必要になると思われるのです。その問題に対する入口で悩んでいるのが私達であり、先ずは現状を全て創造主の計らいと受け入れ、その中で自分らしい生き方を追及すべきかと思うものです。
 おそらく振り返って見ると、人生は短く思えるのかも知れません。その限られた時間の中で何とかこの課題を解消し、次に進みたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落298

298 When we speak of nature, or nature's laws, there are two phases. One, the forms which nature produces in which we see ageing. And what we call ageing could be a fulfillment of the form's purpose that it may be replaced by a new form. But the law of life, or nature, is the same today as it always has been - in the primal stage. Replacing new forms for the old for continuous service, each for a finer quality of expression as nature is progressive. Always going forward, never retrograding. So here we are witnessing the Creator's Consciousness in action. And since only newness comes out of this consciousness, and not age, then we are shown that the Creator lives in the primal stage all of the time. And all that is created by this consciousness is a manifestation of primal cause.
298 私達が自然或いは自然の諸法則について話す時は、二つの面があります。一つは自然が作り出す形あるものであり、そこには私達は老いを見ます。そして私達が老いと呼ぶものはその形あるものの目的の成就とも言えるものかも知れませんし、それは新しい形と置き換えられるかも知れません。しかし、生命の法則、あるいは自然というものはこれまでずっと今日と同じに、原始の段階であり続けているのです。継続的な奉仕の為にこれら古いものを新しい形に、自然は進化する為、一つ一つをより精緻な資質に置き換えています。常に前進し、決して退化することはありません。ですから、ここに私達は、創造主の意識が行動する様を目撃しているのです。そしてこの意識からは新しさだけしか来ず、老化はありません。そうして私達は創造主は如何なる時も原始の段階で生きていることを知らされるのです。そしてこの意識によって創造されたものは全て原始の因の現れなのです。


【解説】
 四季の変化がはっきりしているわが国では、季節の移ろいによる自然の変化が良く分かります。晩秋の現在、枯れたススキの穂が朝日に輝いていますが、それも少し前の夏の盛りには逞しく葉を繁らせていた訳ですし、その前は若葉を前年の枯れた茎の間から若葉をすくすく伸ばしていました。
 植物の中にはその一生を1年間で成就するものも多いですし、虫達もまた同様です。それにつけて思うのは、以前夏に尾瀬に出かけた時、山では夏が短い為、虫達は毎日を生きるに忙しく、人が近づいても逃げようとせず、花の蜜を吸うのに一生懸命であったことです。それ程に生命を全うするのに一心不乱ということだったのでしょう。
 少し長い目で見れば人間も同様で、人の一生の時間というものも限られたものとなります。その中で、如何に自分らしい生き方を全うするか、また、期待された使命を果たすかが求められているということでしょう。
 しかし、この現実社会では必ずしも十分な条件が整わず、或いは様々な影響から望むところを達成できずに終わるかも知れません。しかし、それでもその意思があれば、次の生命にそれは受け継がれ、遂には所定の目的に到達することでしょう。本項で記されている意識の意向は次なる生命や転生先にも引き継がれる為、意識の中には「老い」という要素は一切無いのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落297

297 There is one thing that is misrepresented, The Creator is not an old man. For consciousness is always in the prime of life, knowing no beginning or ending as far as we are able to detect. And as we know, the space people live this knowledge and enjoy a youthful long life.
297 誤って描かれていることが一つあります。創造主は老人ではありません。何故なら意識は常に生命の全盛期にあり、私達が探る限り、始まりも終わりも無いからです。そして私達が知っているように、宇宙人達はこの知識を生活の中で実行し、若々しい長い生涯を享受しているのです。



【解説】
 同乗記には母船に創造主を描いた絵画が飾られており、その創造主像は若々しかったと記されています。私達がイメージする創造主と他惑星の人々が持つ創造主のイメージとは大きく異なっているようです。
 しかし、生命活動を観察する時、私達はその活発さからそれを生み出す創造主は力強く若々しいことを知らねばなりません。作品が作者を表すように、創造物から私達は創造主をおもんばかる必要があるのです。
 一方、私達自身は当初の幼児期を過ぎると活発な意欲や探究心は衰えがちです。しかし、本来n若さを保つのであれば、先ずは内側、即ち私達の抱く想念の質を本来の相応しいものに変えなければなりません。肉体の衰えは私達の内側、精神活動の衰えを反映していると思うからです。ちなみに、先月、出張先の地で美しい菩薩を描いている絵に出会い、思わず買い求めた次第で、毎日額に入れたその絵を眺めています。宗教によっては偶像を禁ずる教えもありますが、本来の創造主に心を寄せる意味から、こうした絵画の意義は大きいように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落296

296 May I present this in a different way for the purpose of understanding. Recently I was asked, "but what is God like?" It is not easy to describe God, for if a person feels what God is like he cannot find words to express it. But we can study His creation since all manifestations were born out of His consciousness and lives within His consciousness.
296 ここに理解を進める目的から、違った道筋をご提案しましょう。最近、私は「ところで、神とはどのようなものだろうか」と尋ねられました。神を描写するのは容易ではありません。もし、ある人が神がどのようなものかを感じたとしても、それを表現する言葉を見つけることは出来ないからです。しかし、全ての創造物が神の意識から生まれ出て、神の意識の内側で生きている為に、私達は神の創造を学ぶことは出来るのです。



【解説】
 創造主を知ろうとすることは、私達の重要な姿勢であると考えています。人間は知識を持つにつれ、傲慢になり易いのですが、創造主を理解したい、知りたいという心境は人を本来の謙虚さに保つものです。
 実際、私達自身を教材に創造主の働きを学ぶことは、実り多いものがあります。各自の生きる目的をより具体化させ、その道を拓くのも各自の内側からの働きであり、創造的作用によるもので、私達が創造主の似姿をして機能を果たす中での作用の一つであるからです。
 それからもう一つ、本項におけるポイントとしては、創造物は現在でも創造主の意識の中に生きているということです。とかく私達は各々の誕生をもって"創造"としていますが、実際には誕生後もその創造物は創造主の中で生きているのです。つまり、私達は全て常に創造主の中に生きている、生かされているのです。
 このことを忘れて正しい道を歩むことは出来ません。私達の自我を学ばせ、本来の道を歩ませる為に、常に創造主を思い起こしその意向を表現し実現する役割を果たすことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落295

295 In lesson seven we illustrated how two people after a period of association began to look and act alike. This harmonious union can also be cultivated with all life.
295 第7課では如何にして二人の人間がある期間、一緒に過ごすことで外見も行動も似て来ることを説明しました。この調和した和合はまた、全ての生命との間にも培うことができます。


【解説】
 夫婦が長年の暮らしの中で、互いに似てくるように、私達は"意識"の存在を常に心に感じ取り、親しみ、共に暮らす心境でなければなりません。それが"神の似姿"として創られた人間の自然な生き方であり、本来のあるべき姿なのです。
 その為には日常的に意識を知覚し、心を鎮めてそこから湧き起こる想念・印象に鋭敏になることが必要です。また、時々の体験から意識は私達を常に支えていることが分かりますし、その積み重ねによっても私達の理解は深まることでしょう。
 "類は類を呼ぶ"とは著者がよく用いる表現ですが、私達が意識に心を寄せる時、私達は次第に意識に近づき、その体現者になって行くことになります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第8課-段落294

294 All forms are stages of intelligence. This may not be easy to accept at first for 90% of form life does not have the type of mind that humans have. But they do possess consciousness - the life force of the form, and serve the purpose for which they were created. So once the human mind acknowledges this phase as it does associations with other sense minds, the blend is made.
294 全ての形有るものは知性の諸段階にあります。これは最初、受け入れることは容易ではないかも知れません。何故なら形有るものの生命体の90%は人間が持つようなタイプの心を持っていないからです。しかし、彼らは意識、即ち形有るものの生命力を所有しているのであり、それらが創造された目的に奉仕しているのです。ですから、一旦人間の心が他の感覚心との交流と同様に、この段階を認知すれば、融合が起こります。



【解説】
 私達が目にするすべてのものに知性が宿っていることを、先ずは認識せよと本項は説いています。
 もちろん、すべてのものに私達のような心がある訳ではないのですが、意識については全く私達と変わるものではないということです。つまり、意識レベルでは何ら私達と変わらない存在であるという訳です。
 即ち、この意識という径路を通じることで、私達は何らの隔たりなく万物との一体感を得られることになります。これは森羅万象ことごとく自らの同胞(はらから)という神道の精神とも一致するものですが、ただ単に”一体だ”と済ませるのではなく、その径路にある”意識”の存在にこそ、私達が重きを置く必要があるのです。
 自らの身体から宇宙に至るまで、膨大な創造物をすべて生かしている生命力として意識を認識すべきであり、その存在こそが生命探求の源であり、私達の学習の目的地でもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落293

293 Just as you are able to put yourself in another persons shoes and feel exactly as he feels, so you can with all forms. And this procedure is good to practice. It could eliminate many misunderstandings and heartaches. For there is nothing in existence that one cannot be associated with through consciousness. But the sense mind must be willing to be taught by consciousness, for it is the knower and all forms live within the sea of it. And in this sea all phases are blended into one for the perfect manifestation of the Cosmic Whole.
293 丁度、貴方が他人の靴に足を入れてその者が感じるのと全く同様な感じを持つのと同じように、貴方は全ての形有るものに対して同様なことを行うことが出来ます。そしてこの過程は練習するのに良いものです。それによって多くの誤解や心痛を取り除くことができるでしょう。何故なら、意識を通して寄り添えないものは何も無いからです。しかし、感覚心は意識によって喜んで教えられなければなりません。意識は知る者であり、全ての形有るものは意識の海の中で生きているからです。そしてこの海の中に全宇宙の完全なる創造の為、全ての段階が融合されています。


【解説】
 互いに理解し合う為には、意識レベルでの融和が必要です。
 本項では他人の靴を履いた時に得る何か普段と異なる感覚の中に、その靴の持ち主の意識の一部が宿っており、それが何らか普段とは異なる印象を履いた本人に与えるとしています。
 日常、私達はこの微妙なる印象の世界に気付きにくいものですが、このような印象の世界にまで踏み込まなければ、理解は広がらないという訳です。
 また、相手とその想念レベル、意識レベルまで融合することは互いを理解し、融和することに繋がります。争いの仲介者、カウンセラーその他、多くの人々はその長年の経験の中で、相手の中に入り込んで融合するような包容的な心境、融和的境地を持つことの大切さを知っている筈です。そうした状況の中で、初めて互いの主張を理解し、解決策に到達出来ると思うからです。
 その基本となるものが意識であり、その意識を通して私達は自他の境目の無い万物融和の世界に辿り着きます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落292

292 In other words, I became the part that I wished to understand consciously, by realizing that the part was made by consciousness. For molecules and cells in any form are endowed with consciousness which is the life of the thing. There is not a particle in existence that is not supported by life - or it would not be in existence.
292 言い換えれば、私は私が意識的に理解したいと思う物に対して、その物が意識によって作られていることを実感することで、その一部になったのです。何故なら、如何なる形有るものも分子や細胞にその物の生命である意識が授けられているからです。生命によって支えられていないものは、みじんも無いからです。そうでなければ、それは存在しないでしょう。



【解説】
 一体感についての具体的な説明として、本項で著者は"自分がその一部になった"と感じることだとしています。そのような状態が互いに離れた対象物の間で、どうして成立するのかについて、考えて見る必要もあるでしょう。
 その理由は、私達が意識と融合した状態になっていることと関係します。つまり、万物の共通要素であり、宇宙に遍満している意識を介することで、私達は初めて一体になれる訳です。それ故に私達はこの一体感を生じた心境・境地を重要視しなければならないのです。ある時、そのような祝福の心境を得たならば、それらを記憶し、自身の大切な宝物とすることです。自らが整えたそのような心の状態を再現させ、発展させる必要があるからです。
 アダムスキー氏は様々な講演の中でも、この意識について繰り返し語っています。聴衆の側ではその意味について充分には理解されてはいませんでしたが、この講座によって系統的にそのポイントが語られています。私達各人はこのテキストから多くの宝物を掘り出すべきです。
 ちなみに、最近、ダライ・ラマの「実践の書」という著書を読んでいますが、その説く仏教の真髄は、実に本講座で説く内容と類似しています。真理は一つであることを教えて呉れる、現在、私のサブテキストになっています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落291

291 This is only one of the experiences I remember from the trip, for the association with all that were on the ship was also a feeling of oneness, never to be forgotten. And this union of sense mind and consciousness included the ship which was carrying us. For the molecules, the conscious entities of my form, became one with the conscious molecules of the ship's form. Yet the geometrical pattern of each form was different, and for a different purpose in the field of effects. But the cause was the same, for each form was serving a cosmic purpose.
291 これはその旅行から思い出す体験の一つに過ぎませんし、その船にいる全てとのつながりは、また、決して忘れることのない一体感でもあったからです。そして感覚心と意識との結合は私達を輸送するその船も含むものでした。何故なら、私の体の意識的実体である分子達は船体の意識ある分子達と一つになったからです。各々の体の幾何学上のパターンは異なり、結果の世界において異なる目的のものではあります。しかし、その因は同一です。各々の体は宇宙的目的に奉仕しているからです。



【解説】
 本項から分かることは、私達が意識的に一体となる時、それは原子・分子レベルにおける一体感を意味するということです。つまり、私達自身の肉体の原子・分子が対象物の原子・分子と波動を共有するということでしょう。真の一体化はそのような状態であり、もはや自他の区別は無く、一体を構成するという訳です。
 もしこの種の心境を作り出すことが出来れば、それは万物を意のままに制御することにも繋がることでしょうし、イエスや他の聖人達が人々に奇跡を見せたのも、この心境・境地に由来するものと思われます。
 もちろん、私達はこれらの奇跡を起こす為に学習を積んでいるのではありません。生命に関する真理を学び、自らの進化に生かす為に学んでいる訳ですが、その進化の過程でこれらの断片を体験することになるものと思われます。
 また、幸運にもそれらの心境を得ることが出来たら、努めてその心境を覚えて置くことです。自分が体験したそれらの状況を再現し、それがどのような状況であるかを探求することも必要だと考えるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落290

290 In that frame of mind I became fully aware of the intricate parts of the instruments and their purpose. And I had the feeling of being a part of each part, and felt my purpose of being in cooperation with others. This was so clear, but I cannot find words to illustrate my feeling. It was so definitely impressed upon me that I cannot forget the experience. Even as I speak of it I enjoy the feeling once again.
290 この心持ちの中で、私はその装置類の入り組んだ部品やそれらの目的を完全に分かるようになりました。そして私は個々の一部であるかの気持になり、他と協力するという私の目的を感じました。それはとても明瞭なものでしたが、その時の私の感じを表現する言葉が見当たりません。それは私にそれほどにはっきりと印象付けられましたので、私はその体験を忘れることはできません。そのことを話す時でさえ、再びその感じを味わうほどです。


【解説】
 誰もが少なからず体験されたこともあろうかと思います。いわゆる至福感とも呼べる心境について本項は説いています。
 著者が述べるように、そのような状況は容易に言葉で表現することが出来ないということでしょう。一つ一つの物体と心を通わせるということがどういうことなのか、私達も真摯に受け止めて自らの心境をそのような状況に引き上げる努力をしたいものです。
 これまで多くの聖人がその状況を祝福されると表現して来たように思います。そしてその実態は私達の意識が対象物の意識と融合する中で生まれるとも言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第8課-段落289

289 On the return trip I became interested in the instruments as before. But then the mind was patient and ready to receive the explanation given it by the consciousness. It was not filled with the original curiosity, but a desire for knowledge. Like a child in a classroom who understands without questioning.
289 帰還の旅で私は前と同じようにその装置類に興味を持ちました。しかし、今度は心は忍耐強く意識によって与えられる説明を受け入れる用意が出来ていました。心は当初の好奇心によってではなく、知識を得たいとする願望によって満たされていたのです。勝手な疑問を差し挟むことなく理解する教室の子供のようにです。



【解説】
 土星での会議を終えて地球に戻る際のアダムスキー氏自身の心境が語られています。ここでは、宇宙人側が個別の機器についてアダムスキー氏に何らの説明が無かったことは注意したいところです。当時の土星訪問の目的は土星会議の内容であり、土星製の宇宙船についての事項は、本来の目的ではなかったからです。
 とかく私達は目に見えるもの、形あるものに関心を向けがちです。製品の良し悪しについては声高に論評しますが、その他形の無いものについては関心は無いのです。この場合、もし私達が宇宙船内部を見ることが出来たとすれば、大部分の関心はそれらに向かうことは確かです。他惑星人の生き方等々、その文明を支える目に見えない事柄への興味は忘れてしまうかも知れません。
 それら物と通じて私達が真の目的を学ぶ為には、本文に記されているように、努めて意識から与えられる印象を通して学ぶ他ありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落288

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON EIGHT
Cosmic Oneness
By GEORGE ADAMSKI

288 In lesson seven we spoke of my experience in the Saturn space ship. And as stated, when I first entered the big ship my mind was attracted to the instruments. But I had to quiet this interest in order to place myself in the realization of conscious awareness that I might be worthy of the primary purpose of this trip. The mind was like a child that wants to ask a lot of questions without listening to the answers. So the sense mind was quieted to listen and not be curious. This was of value for I was ready to listen through the sessions of the Council. But even then the sense mind had questions which I ignored, giving them no expression. So at the end of the Council my mind had no questions, all had been answered.

生命の科学-学習コース
第8課
宇宙的一体
ジョージ アダムスキー著

288 第7課では土星の宇宙船での私の体験についてお話しました。既に述べたように、私が初めてその大型宇宙船に乗り込んだ時、私の心はその装置群に興味を引き付けられてしまいました。しかし、私はこの旅行の大事な目的に値するよう、宇宙意識の実感に身を置く為、この興味を鎮めねばなりませんでした。心は答えに耳を貸さずに多くの質問をしたがる子供のようでした。ですから、感覚心を静め耳を傾けさせて、好奇心を持たせないようにしました。これは価値があり、私がその評議会の会議を通して聞く準備が出来ました。しかし、それでも感覚心は問い掛けて来ましたが、私は無視して、それらに何らの解説を与えませんでした。その為、評議会の終わりには、私の心は何らの質問を起こしませんでした。全ては回答されていたからです。


【解説】
 アダムスキー氏が参加した土星会議は、この太陽系の変化に対するものであり、今後の私達全員に影響を与える変動に関するものであったとされています。しかし、本項で氏は宇宙船に乗り込んだ直後は自分の好奇心が起こり心を騒がしくしたので、これを鎮めたと正直に述べています。地球にその情報をもたらす重要な意味からすれば、宇宙船内の個別の機器への興味は捨て置くべきものであったのです。
 第7課では宇宙的記憶という観点から、説かれた内容でしたが、本課ではそれに至る上での基本的な心境である宇宙的な一体性、一体感について説かれるものとなっています。何よりも実践、自分で体験して初めて理解し、記憶できる訳で、私達は各自で自分の意識がどのようなものか、それと一体化するとはどのような心境を維持すべきなのか、各々工夫して日常生活を送る必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落287

287  In the next lesson we will explain this more thoroughly.
287 次の課ではこのことを更に徹底的に説明しましょう。


【解説】
 第7課では私達は心と意識について、宇宙的に永続する記憶の観点その他から学んで来ました。意識が潜在的に有する能力・機能は膨大であり、私達自身の限られた心の世界とは全く違う存在であり、心の想像すら及ばない大きさと力量を持っています。
 その意識を如何に自分で探求し、その存在を確かめるかが私達にとって一大課題であり、そうした心境に到達することが出来れば、私達の学習の先ず第一段階は達成出来たと言える筈です。
 その為には、印象・インスピレーションをより多く感受出来るよう、心を鎮めておき、その静かな水面を通過する微細なさざ波にも気付く状態を保つ必要があります。もちろん、私達は自ら求める印象分野を明確にすべきであり、進化に役立つ高次・深遠な波動を求める姿勢を絶やしてはなりません。世の中には多くの邪悪な勢力もある中で、私達は注意深く精進の道を歩むことが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落286

286 This is comparable to all form life in relationship to conscious intelligence once man lives the oneness of life. And this is the way that I felt when I was on the ship.
286 これは一度、人が生命の一体性を生きるようになれば全ての形有るものの生命と意識の知性との関係は同様になります。そしてこれが私がその宇宙船にいた時に感じた状況です。


【解説】
 私達が目指す心境は、こうした万物との一体感であると著者は自らの土星旅行の体験を振り返って、述べています。
 分子・原子のもつ膨大な記憶と融合し、それらがことごとく万物に備わっていることを実感できれば、私達は万物と理解し合え、それらと一体感を持って行動することが出来ます。その先にあるものはもはや生死の隔たりはなく、永続する生命活動があるだけです。
 私達各自が生まれて来た目的もまた、それらの心境に達し、万物をその本来の輝き、崇高な使命を発現させ、自らはそれらの一助、礎の一角となることです。自らの内側に意識を見出し、与えられるインスピレーションの表現者、実践者となることが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落285

285 When I succeeded in doing this my mind felt that a vast door has been opened to an unlimited vision. And I experienced a full comprehension of things that my mind had never heard before. It was a feeling of no limitation, and everyone, including the ship, seemed to be a part of me. The ship seemed to become a living thing and for the first time I understood how a Captain of an ocean liner feels when his ship is sinking. In many cases he sends the crew away but he stays with the ship. And should he leave the ship he keeps looking back until it is seen no more, and he feels that a part of him went down with the ship. And a part of him did go down with it which he can never forget, for its impressions were so intense. You see the ship's life was also the captains life as they had lived together so much that they became like two persons, each sharing the others feelings. One was the intelligence of the captain, the ship was the servant, and through this they became as one.
285 私がこのことに成功した時、私の心は何か巨大な扉が無限に続く視野へと開かれているように感じました。そして私はかつて私の心が聞いたことのない、ある完全な物事の理解というものを経験したのです。それは無限の感じであり、誰もが、その宇宙船も含めて私の一部のように思えました。宇宙船は生きているもののように見えましたし、はじめて私は大洋を渡る客船の船長がその船が沈む時にどのように感じるかを理解しました。多くの場合、船長はその船員を退避させますが、彼は船に留まります。また彼が船から退去するにしても、彼は見えなくなるまでその船を振り返って見ていることでしょう。そして、自分の一部が船といっしょに沈んだと感じます。そして彼の一部は実際、それと共に沈んで行き、彼はそれを忘れることは出来ません。その印象がそれほど強烈だったからです。お分かりのように、その船の生命はまたその船長の命でもありました。両者はそれほどに長い間共に暮らした為、二人の人物のようになり、互いに他が抱く印象を分かち合っていたからです。その二人とは一人は船長の知性であり、船はその召し使いでした。そしてこれを通じて二人は一体になっていたのです。


【解説】
 土星旅行記の中には、"乗員と宇宙船が一体化した"という記述があったように記憶しています。つまり、他惑星の宇宙船の中には私達の考えが及ばない高次な機能が装備され、私達に意識と宇宙船が融合していたということでしょう。また、宇宙を高速で移動する上でも、そのような状態が必要であったという訳です。
 私達が現在取り扱っている「意識」はこのようにあらゆるものと"融合"し、協調することを可能とし、対象を構成する分子・原子と印象を通じて交流することを可能とするものです。おそらくその状況になれば、万物は輝き、神々しいまでに光を放つほど、高揚し、一体化することでしょう。自も他もない世界です。
 そうした中では私達が望むことは、直ちに万物が呼応し、そのイメージを具現化するために働くことでしょう。かつての仏陀やイエスが成した奇跡はこうした作用から生まれたものと思われます。
 そこで重要な所は、この意識を万物の下に広く解放し、あらゆるものと融和・融合させて、意思(印象)を交流することです。私達が取り組んできた課題はこのように地球にも影響を与える大きな意義を持っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落284

284 At this point my feelings were mixed between mental curiosity and the cosmic purpose of the trip. So it was my duty as a mentalist to control myself and know that I meant nothing but what I was about to learn meant everything. In other words I had to lend myself to my better self which was the conscious teacher, knowing that my personal toys would be there when I needed them.
284 この時点で私の印象は心の好奇心とその旅行の宇宙的目的との間に融合されました。そこでは心主義者として私の為すべきことは自分自身を制御し、私は何らの意味はなく、私がこれから学ぼうとすることが全てであることを知ることだったのです。言い換えれば、私は意識の教師であるより良い自分自身に自分を委ねなければならなかったのであり、必要になった時、私の個人的なおもちゃ(訳注:個人的な興味の対象物)は現れることを知っていたからです。


【解説】
 本項で説かれていることは私達の日常生活にも当てはまります。従来、私達はその時必要な事柄よりは、目先の珍しい対象に目が移ってしまい、本筋のテーマを逃すことが多いからです。
 まして昨今は多くの娯楽が提供されていますし、私達は意図的に仕組まれた流れの中に漂っているように思うのです。
 本件、土星旅行記については別途ご参照戴くこととして、アダムスキー氏には様々な生命の真相が伝えられたものと思われます。その高尚なテーマを吸収するためには氏の心の中を落ち着かせ、与えられる知識を吸収できるよう整える必要があった訳です。
 実は私達の日々も同様に意識を通じてもたらされるヒントを充分に感受するためには、心を含めて印象に素直に従う体制を私達の内側に整えなければなりません。禅宗の座禅も心を落ち着ける訓練でしょうし、水垢離等の荒行も肉体への刺激を通じて心を覚醒させる訓練ではないかと考えています。日常生活の動作全てにこのような要素を取り込むことが大事かと思う次第です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落283

283 When leaving California I walked into a small scout ship. It took me to a mother ship that was a different type from any I had been in before. There were many things to distract my mind from the purpose of the trip and I was interested, from the mental side of my nature, in all the strange looking instruments. But soon I realized my distraction and organized my faculties, remembering the purpose. This was not easy to do, for the mind is very selfish and wants to eat more than it can digest and by so doing it scatters itself in various directions. But my consciousness told me that on the return trip I would have time to observe all of these things and in the meantime I was to place my mind in unison with my consciousness that I might absorb the important lessons that were to be given.
283 私はカリフォルニアを離れるに際して、1機のスカウトシップに乗り込みました。それで母船まで行ったのですが、その母船はそれまで乗ったものとは異なるタイプのものでした。その旅行の目的から私の気をそらす多くの事物があり、私の心の側からすれば興味がある奇妙な形をした装置類がありました。しかし、直ぐに私は自分が気を散らしていることに気付き、旅行の目的を思い出しながら私の果たすべき機能について整理しました。これは容易なことではありませんでした。何故なら、心は大変自己中心的で消化できる以上のものを食べようとしますし、そうすることによって様々な方向に自分自身を分散させてしまうからです。しかし、私の意識は私に帰還の際にこれらすべての物事を観察する時間があることを教え、そうする内に私はこれから私に与えられる筈のその重要な教科を吸収出来る様、私の意識と調和させることとなったのです。



【解説】
 本文からこの土星旅行はアダムスキー氏にとって大変重要なレッスンの場であったことが分かります。既に多くの協力者やフォロアーから慕われていた氏にとって、更に深遠な事柄を教える為に、氏にはより深い体験とより広い実践事例を授ける必要があったということでしょう。
 ちなみに土星は仏陀の惑星と伝えられていますが、仏陀の理路整然とした教えは宇宙の法則そのものを説いたものであり、アジアを中心に多くの人々に影響を残しました。その教えの真髄は土星社会に息づき、実践されていることでしょう。
 本文から分かるように、私達はとかくものめずらしいものに関心を寄せがちであり、不思議な事象に惹かれますが、それよりはるかに大事なことがらがあることに留意しなければなりません。本項の場合は氏の為に設けられた宇宙的教育プログラムでしたが、今日の私達にとっては、自らの意識の存在に気付くこと、またこれまでの心を小さくして、その意識を尊重し、湧き来る印象を大切にすることこそが最も重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落282

282 Here I will endeavor to give a short experience that I had on my Saturn trip. And you can see how well you can place yourself in consciousness with me, and in this way you can see if the trip is as real to you as it was to me when I made it.
282 ここに私は私の土星旅行の際に得た短い体験を伝えようと努力したいと思います。そうすれば貴方は私といっしょに貴方自身を意識の中に上手く置けるかどうかが分かるでしょうし、このようにして貴方はその旅行が私がそれを実行した時、私にそうであったように貴方にとっても実際のことであるかが分かることでしょう。


【解説】
 アダムスキー氏にとって、この土星旅行は大きな意義があったものと思われます。何よりも氏の説いていた教えが実際に100%生かされている惑星の見聞であり、宇宙人側にとってその後の氏の活動を支える実践の場を見聞し、体験することであったからです。
 この土星旅行記が発表された当時、そのあまりの高速移動の為、当時の氏の協力者達からは疑問の声が上がったとされています。しかし、氏の協力者であった故エマ・マーチネリ女史から直接私が伺った話では、氏は土星旅行に髭剃り用のカミソリを持って行ったと女史に話したとのことです。実際の肉体での旅行でない限り、そのようなものを持参する必要はなく、アダムスキー氏は確かに肉体のまま土星に行ったのだと女史は私に語ってくれたものです。
 さて、詳しくは「土星旅行記」をご覧戴きたいのですが、本項ではその氏の体験を私達が自らの意識を当時のアダムスキー氏の意識・記憶と融合することで、私達も氏と同じ内容を追体験して欲しいと述べられています。意識を活用することは、それに関連した想念と再び同調することも可能であることを示唆しています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落281

281Remember it was not the mind that created itself, cosmic consciousness was its creator and what it created it can correct and have it function perfectly when the sense mind blends with it. Even old age can be wiped away for that is a concept of the sense mind. We could say that as age came by man, so must youth come by man. The Bible states that as death came by man so, must life come by man, the sense mind. And this can be done when he becomes one with cosmic consciousness for it knows no age, nor time or place. It is always in the prime state of life and all inclusive.
281 覚えておいて欲しいのは自分自身を創ったのは心ではなく、宇宙意識がその創造主だということ、そして創造し生み出したものは正すことが出来、感覚心がそれ(訳注:宇宙意識)と混ざり合う時にはそれ(訳注:自分自身)を完全に機能させることが出来ることです。老化でさえ吹き飛ばすことが出来ます。何故ならそれは感覚心の一つの概念だからです。私達は老齢が人によってもたらされた以上は、若さも人間によってもたらされる筈だと言えるでしょう。聖書は人によって死がもたらされたからには、命も人即ち感覚心によってもたらされる筈だと述べています。そしてこのことは人が宇宙意識とひとつになる時になされ得るのです。何故なら宇宙意識は年令を知らず、時間も場所も知らないからです。それは命とすべてを含む中にあってその原始の状態にあり続けているのです。



【解説】
 ここで留意すべきポイントは、私達自身、自分の心も含めて宇宙の生命の本源によって創られたということでしょう。私達は自分で自分を作り上げたのではないのです。被創造物であることを常に頭に入れて置くべきということです。
 赤ん坊で生まれて以来、学習を続ける内にいつの間にか知識も技(わざ)も得る中で私達は全て自分が作り上げて来たと思うようになり、全てを支配下に置こうとして来ました。しかしその結果、不要な軋轢を生み、ストレスを抱える中で、多くは病や老いの中、生命の深遠な分野を学ばないまま人生を閉じようとしているのです。
 私達の内側の支配者となっている私達の心自体、自分が創造されたものであると気付くことは、そもそも創造主の期待やビジョンに基づいて創られたことを自覚することでもあります。またその目的を探究し、期待に応える中で生命本来の永続する若さ、生命力を表現する者に私達自身も変貌を遂げることが出来るという訳です。

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
プロフィール

ganetworkjapan

アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ