2017年09月

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落259

259 To do this one must make the sense mind trust consciousness like trusting God. And this in turn calls for faith, oftimes called blind faith. To clarify blind faith a little further, we have eyes with which to see but they do not see any more than a window pane can see what is seen through it. It is you who sees through the window, so it is the consciousness of you that sees through the eyes. For when you become unconscious the sense of sight is still there but you no longer can see. The other senses follow the same pattern. So one should realize the importance of conscious seeing, or sense mind cooperation with consciousness if he is to have a cosmic memory of life. For then he can recognize himself through eternity from the pages of memory. This is an important phase if individual life if life eternal is to be earned. And that is what Jesus meant when He said, he who loses his life shall find life eternal.
259 これを成す為には、人は感覚の心を、神を信頼するように、意識を信頼させなければなりません。そしてこのことは次には信頼、即ち、しばしば盲目的信頼と呼ばれるものを必要とします。盲目的信頼というものを少しより明確にする為に見るのに用いる目について述べますが、目は自分が見ているものは窓枠がそれ自身を通じて見ている以上のものを見ている訳ではないのです。窓を通して見ているのは貴方であり、それ故、目を通じて見ているのは貴方の意識なのです。何故なら、貴方が無意識になってしまえば、視覚感覚はそこに未だあっても、貴方はもはや見ることはできません。他の感覚も同じパターンを辿ります。ですから、もし人生における宇宙的記憶を持とうとするなら、人は意識的に見ること、感覚の心が意識と協力することの重要性を理解すべきなのです。何故なら、そうすることで人は記憶のページの中から永遠を通じて自分自身を思い出すことが出来るからです。これは各自の人生が永遠の生命を得ようとするなら、重要な段階となります。また、これはイエスが自分の命を失うものは永遠の命を見い出すだろうと言った時にイエスが意味していたことです。


【解説】
 本項はより詳しく私達が日常気を付けなければならない本講座の学習のポイントを記しています。とりわけ重要だと覆われるのは、部屋に設けられたガラス窓の表現です。この場合、ガラス窓は部屋、即ち肉体の一部なのですが、大事なのはガラス窓は外界からの光景を部屋の内部に投影するもので、その景色を理解し観察するものではないということでしょう。カメラのレンズと同様にそれ自身が見て理解する機能はないのです。
 本文にあるように私達の中にある”意識体”がその光景を理解する訳で、肉体(部屋)の内部に”意識”と称される私達の本体があるという訳です。
 従って先ずはその存在を自覚し、それを信じ、信頼することから私達は学習をしなければならないのです。もちろん、この意識なるものは身体全体の働きを支えている存在ですし、私達自身がその存在に気付き感謝することを喜ぶものです。そういう意味でも私達のこれまでの尊大な自我を戒めて、より静かに全てを見守っている意識と繋がることが、この学習のポイントと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落258

258 Jesus blended His sense mind with consciousness and thus He was able to say, I am in the world but not of it, and many other statements that He made in reference to His past. And He could not have maintained these memories had He not blended with consciousness which carries the memories and contains the book of records.
258 イエスは自らの感覚の心を意識と融合させました。それ故にイエスは、私はこの世に居るがこの世の者ではないと言ったり、自身の過去に関連して他の多くの声明を述べることが出来たのです。そしてイエスは記憶を持ち運び、記録の書を内包する意識に融合しなかったら、これらの記憶を維持することは出来なかったでしょう。


【解説】
 私達が学ぼうとしている意識との融合の究極の姿は、イエスが身を持って示したご自身の姿でもあります。宇宙的記憶を養うことが如何に重要であるか、実はイエスは様々な機会を通じて私達に教えていたのです。
 私達が自分の成り立ちを知り、体験を生かす為には、これから生きる上で記憶をより明確にとりまとめ、要点・教訓をしっかり自身に染み込ませ、記憶するよう努力することかと思われます。
 以前に何処かで述べたかと思いますが、例えば他惑星の宇宙船を目撃する機会を得た時、自分がどのような心境であったか、またその出現はどのような意義があったのか等、その貴重な体験を記憶する上で必要な手掛かりを明確にして置くべきと思っております。
 毎日を充実した活動で送れることは、大変幸せなことですし、それらの体験を通じて得た事柄はその人の宝物になる訳で、私達はその奉仕の過程で、既に十分なる報酬を受けているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落257

257 Let us consider the meaning of this. Man has two souls, the soul of the sense mind, and the soul of consciousness. It is the sense mind that can be slain by lack of memory caused by adhering only to the so-called concrete effects. We can now see that memory is essential in order to have life eternal.
257 この持つ意味を考えて見ましょう。人には二つの魂があります。感覚の心の魂と意識のそれです。いわゆる具体的な結果にのみ追従することで記憶の喪失により滅ぼされ得るのはその感覚の心です。私達は今や記憶が生活を永遠に保つ為に不可欠であることは分っています。


【解説】
 本項が私達に教えることは、私達自身には魂と言えるものは2つあるということです。その内、感覚心と呼ばれるものは日常の私達の行動を支配していますが、それが結果物を拠り所としている為、ひとたびそれを失うと記憶をたぐり寄せることが出来なくなり、事実上、滅んでしまうということです。
 その結果、人は次なる人生を歩む際に、以前の記憶を失っており、再び混とんの中からその人生を始めなければなりません。それでは人生は永続するとは言えず、かつての経験も活かすことは出来ません。
 一方、本来の記憶は分子・原子に蓄えられており、それらはもう一つの魂である意識の中に蓄えられるとも言うべきでしょう。それらは私達の想念・印象を吸収し、保持する機能があるものと思われます。その結果、意識の中には万物創生以降の知識がふんだんに存在し、各自の過去生の記憶もその中に保持されていることでしょう。それらとどのように一体化するかが問われているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落256

256 So you can see that if the mind does not blend with the consciousness it can be lost in the sea of life. That is why great teachers such as Jesus have stressed, fear not that man that slays the body but the man who slays the soul.
256 ですから貴方には、心が意識と融合しなければ心は人生の海の中で迷子になり得ることが分かるでしょう。それがイエスのような偉大な教師が強調したこと、肉を切る者を恐れるな魂を切る者を恐れよの理由です。



【解説】
 記憶に関して述べている本項の中で、注目すべき表現は"lost(見失う)"という言葉でしょう。私達が記憶をたぐり寄せようとする時、つまり思い出そうとする際に重要なのは、その記憶事象と自分との繋がり、絆、関連性ということかと考えています。
 様々な要因との繋がりについて良く学んでいれば、その記憶をたぐり寄せることも容易ですが、一方で何もとっかかりが無い状況では、私達はただ広大な空間の中で手がかりの無いまま、途方に暮れるしかありません。つまり記憶とはそれらを関連する事物との繋がりの中で呼び起こすことが出来ると考えます。
 しかし、イエスの言うように魂から関連する繋がりを切ってしまう者が居るとすれば、それは肉体に危害を与える者以上に警戒しなければなりません。怠惰を助長させ、盲目的な快楽に陥れる者を近づけてはならないのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落255

255 I have had a number of such experiences with others. But it is sometimes difficult to convey to the present individual ego mind its past experiences and relationships. That is unless the mind of the individual blends with the consciousness of his own being, the all inclusive. This is not easy to do for most people dwell in the field of effects which they call concrete facts. Yet we know that behind each effect is the cause which is not as apparent as the effect.
255 私は他の人々についての数多くの同様な体験事例を持っています。しかし時として現状の各自のエゴの心にその過去の体験やつながりを伝えることは難しいものです。それは各自の心が全ての内包者である自分自身の意識と融合しなければ為し得ないからです。これは確固たる事実と称する結果の分野に居住する大多数の人々にとっては容易なことではありません。しかし、それでも私達は個々の結果の背景にはその結果物のようには明らかとなっていない因なるものがあることを知っています。



【解説】
 結局私達の自我の心は、普段、様々な意見を出し、私達の行動を支配しようとはしますが、その実、記憶力となると容易に覚えて居られない程、能力が低いということでしょう。確かに年老いて来ると今さっき体験した筈のことを簡単に忘れ、場合によっては肉親の顔も覚えていない状況も起こり得る訳です。これらは医学的にはアルツハイマー症等、脳の疾病と診断されますが、その基本的要素は私達自我の本質をより顕著に表した状況と考えています。
 この状況を回避し、高齢になっても記憶を保つ為には、本文に述べられているようにrelationships(つながり、関連性)を理解することが大切だと考えます。一つの結果、結果物だけを取り出して記憶するのではなく、それが生じた背景や経緯等、それらを生じさせた「原因」についてよく考え、関連性を理解するということです。
 このように物事を生み出す原因について正しく理解し、洞察することで私達は記憶の根を因の領域にまで広げることが出来るのではないかと考えます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落254

254 Yet another person who has alined himself with cosmic consciousness can locate the identity of an individual whose identity is lost to his present ego mind.
254 しかし自身を宇宙意識に従わせた別の人物はそのエゴの心に見失われている自己の正体を指し示すことができます。



【解説】
 これまでの学習内容から考えられることは、記憶というものは基本的には分子・原子に蓄えられるということであったと思いますし、本来的には強弱はあるものの、それらの中に全て蓄えられているということでしょう。
 私達が記憶を失くすのは、それが何処にあるのか探り出せない為であるのです。つまり、自我が物事の関係性や経緯を思い出せない為にその糸口をつかむことが出来ないことが想定されます。
 これに対して、私達が宇宙意識とお関係性を築いておけば、転生等によって再び生を受けたとしても、その普遍なる存在に自らの正体を求めて行けば良く、容易に自分が何であるかを理解出来る訳です。つまり不安定な地上や自我に記憶を蓄えようとするのではなく、宇宙意識の中に記憶を蓄積することが重要と言えます。「自分の宝は天に蓄えなさい」(マタイ)という聖書の言葉はこのことを示唆しているように思われます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落253

253 This is a common occurrence to millions of people when it comes to cosmic and ego identity. And is the reason why so few people are aware of their past lives. This shows that in the past as in the present there was a separation of the conscious real self and the personality or ego mind. For as we have stated before, consciousness is the only real eternal part of you. And it is in this consciousness that all activity is registered. Unless a man's mind blends with this consciousness he does lose his identity.
253 これは何百万人の人々にとって問題が宇宙的正体やエゴの正体になれば、一般的出来事となります。またそれは、如何にわずかの人々しか自分の過去生に気付いていないかの理由です。これは過去において今日と同様、意識の真実の自我と個性あるいはエゴの心とが分離していたことを示すものです。何故なら、以前にも述べたように、意識は貴方の唯一の真の永続する部分であるからです。そして全ての活動が登録されるのは、この意識の中になのです。人間の心がこの意識に融合しない限り、人間は自分の正体を失うのです。



【解説】
 確かに私達は生きている間、ある程度の記憶は保って居られます。また得られた知識を覚えていることでその体験を活用することも出来ます。しかし転生の区切りとなるとそれらの記憶が承継されないとはどのような状況を意味しているのでしょうか。
 本項はそれに関し明確な回答を与えています。即ち、転生後にも残るような記憶は宇宙的な真の自我に記憶されなければ転生先に伝えられないということです。実は私達のエゴの自我には仮に記憶しても肉体が死を迎える時、見失ってしまうものと思われます。
 つまりは私達が記憶を培うのは自分自身の中にある真の自我、自らの宇宙意識に記憶を留める必要があるという訳です。その為にも本文で述べられているように私達は真の自我、宇宙意識により親しむ必要があるということです。言い換えれば、生命の本質部分に親しみ、そこを拠点としない限り、永続する記憶は得られないということです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落252

252 To illustrate this let us use a man who has lost the memory of who he is. We have read of these cases. Some are well to do, hold good positions and have a family. Yet when this man loses the memory of his identity he re-establishes life in another part of the country, marries, has a family and works as a common laborer. If recognized by a former acquaintance he denies that he is the party for he remembers nothing pertaining to his previous life. This means that the first personality is dead to the mind while the body still maintains the identity.
252 このことを例示する為、自身が誰であるかという記憶を失った人を用いることにしましょう。私達はこのような事例を読んだことがあります。ある人は物事がうまく行って、良い地位を得て、家族も持っていました。しかし、この人が自身の正体の記憶を失った後は、他の地方で生活を再建し、結婚して家族を持ち、通常の労働者として働きます。以前の知人に発見されても、彼自身、以前の生活に関することを何も思い出せない為、いっしょにいたことを否定します。このことは心にとって最初の人格性は死んでいる一方、その肉体は依然としてその正体を保持していることを意味します。



【解説】
 記憶喪失については、ドラマ等で演じられることはありますが、私自身はその実態をよく知りません。しかし、記憶を失くすことがどのような事態をもたらすかは本項にもあるように、その後の本人の人生に大きな影響をもたらすことになります。
 このようなケースは一見、稀のように思えますが、こと宇宙的記憶、転生に引き継がれるべき記憶となると誰にでも起こっている一般的な現象ということになるのです。
 本来、私達は前生涯で培った知識や技能を何ら生かせず全てを忘れたまま、本生の人生を再び一からやり直しているという訳です。つまりは自らが本来保持すべき記憶を十分に留める努力をしない限り、折角の体験が生かされないことになる訳です。
 また本項で著者は私達に考えるヒントとも言える言葉を残しています。"the body still maintains the identidy(肉体は依然としてその正体を保持している)"。肉体は従来のままなのだが、それ以外のもの、即ち私達の心にとっての前の人格は死んでいるとも述べています。つまり心が参照すべき人格が失われているということです。言い方を替えれば、人格が無くなっても肉体は維持される訳ですが、それはそもそも何の為に肉体があるのかということにも及びます。私としては、人格が一番重要な要素であり、仮に肉体が同じでも人格が異なれば別の人物とも言えるからです。
 このように人格と記憶は一体のものと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落251

251Ordinary routine becomes habitual and governs the ego, but this cannot be called a memory. And unless man cultivates Cosmic memory he becomes nothing.
251 通常の日常仕事は習慣となりエゴを支配しますが、これは記憶とは呼べるものではありません。そして人は宇宙的記憶を養わない限り、無になってしまうのです。



【解説】
 私達が習慣的に行っていることは記憶に残るものではないと本項は警告しています。いつものような決まりきった事柄は私達の暮らしの中で多くの割合を占めていますが、それは宇宙的記憶という観点では何の足しにもならないということです。
 それらいわば、惰性的な日常仕事は一方で社会を支えている訳ですが、それだけでは私達の宇宙的記憶は開拓されようがないことも確かなのです。
 どうすればこの宇宙的記憶を育むことが出来るかはやがて本講座で学ぶことが出来る訳ですが、一つのヒントは私達の幼年期の記憶状況にあるように思います。ある年齢を越え高齢者と呼ばれるあたりから、人は日々の記憶は薄れがちになります。昨日何をしたか等々、直ぐには思い出せない訳です。しかし、各自が幼年の頃体験した事柄は、高齢となった時でも鮮やかに記憶が甦るものです。つまり毎日が目新しく、新鮮であった頃には記憶活動が活発であったということでしょう。しかし、日々の暮らしに新鮮味を感じられなくなると記憶に刻まれることなく歳月が過ぎて行くという訳です。
 本項にあるように、宇宙的記憶は"cultivate(耕す、育成する、培養する、育む)"ものであることが、理解のポイントと思われますし、私達は自分自身の宇宙的記憶力を育むことに努めなければなりません。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落250

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON SEVEN
Cosmic Memory
250 As man is not a man without a memory, then his memory is essential for the continuance of life. And the reason that most people do not remember their past experiences through various lives is because the mind never learned to memorize the important values gained. It has depended upon effects which are momentary and they come and go, especially the ones that we call unimportant that the ego feels are of little value.
生命の科学-学習コース
第7課 
宇宙的記憶
250 人は記憶無くして人ではない以上は、彼の記憶こそ生涯の連続にとってかけがえのないものです。そして、ほとんどの人々が彼らの過去の諸経験を思い出せないのは、心がこれまで一度として獲得した重要な価値を記憶することを学んで来なかった為です。心は時にやって来て、また過ぎ去る諸結果に頼っていて、特にエゴが感じる事柄は私達はほとんど価値がないものと言うことが出来ます。



【解説】
 各自の人生にとって何が一番大切かと言えば、「記憶」であると本項は説いています。折角苦労の末に得た経験も、もし失うこと、その記憶が喪失されることになったら大変です。得られた知識も失われることになる訳です。
 しかし、これらの事柄は私達が死を迎え、次の人生に引き継がれるべき記憶については、残念ながらほとんど継承されているとは言えないのではないでしょうか。折角得た知識も技能もその人生の終わりとともに失われるというのが地球の現状かと思われます。わずかに幼くして天才とも称せられるような才能を発揮させる者が出ますが、おそらくは彼らは自らの前の人生で得た記憶を保持し活用出来た者と言えるでしょう。
 記憶、とりわけ宇宙的記憶は最も重要なもので、私達が自らの力だけで生命の神秘を探究せよとするのは、そうでなければその肝心な記憶が本人に残らないからです。また、記憶は各分子原子に蓄えられるとされており、やがては子孫を含め後世の者にも影響を与えることにもなる筈です。即ち、自らが優れた記憶を持つことは後世の者達にも役立つことになるのです。
 南アジアでは釈迦は悟りを得るまでに10回の生涯を送ったと伝えられています。実はそれほどに今日私達が取り組んでいる課題は壮大なものであり、それゆえに各生涯の記憶というものを如何に次の人生に引き継ぐかについて私達は真剣に考えなければなりません。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落249

249 The goal we seek to attain should be all that matters and no obstacle should prevent us from attaining it
249 私達が到達しようと求めているゴールは大事なことの全てであるべきであり、如何なる障害も私達がそれを達成することを妨げることがあってはなりません。


【解説】
 私達に達成出来ないものは無く、如何なる障害もそれを阻むことはないと第6課の最終項で著者は私達を励ましています。
 とかく私達は移ろい易く、他からの少しの影響でも揺らぐような状況になりがちですが、著者は私達学習者に自らの基盤を確立した上で、問題に当たれば解決に至る筈だと説いています。
 一歩前進すれば、また新たな展望が開け、私達は少しずつ目標に近づくことが出来るということでしょう。本課は奇しくも「新しさ」が重要だという点から進められて来ましたが、少しずつでも行動することを通じて新しい要素がやって来て、いつも新鮮で居られるということでもあります。この宇宙の基本的流れを摂り入れ、同期することが進歩を早め、ゴールを近づけることになります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落248

248 We must build on a rock foundation and not on shifting sand. So that when diversity and opposition cause a storm in our life we can stand firm and not be swept away because of a weak foundation.
248 私達は転じやすい砂の上では無く、磐石の土台の上に建物を建てなければなりません。それは、多様な変化や反対が私達の生活に嵐をもたらす時、私達が弱い基礎のせいで流される代わりにしっかり建っていられる為です。


【解説】
 もちろん私達は地球という長年月、混乱と栄枯盛衰の歴史を繰り返して来た社会の中で暮らしています。その中で多くは不本意な影響を蒙ることも時としてあるのです。最近では、惑星自体の気象も乱れが強まっており、大雨も頻発しています。文字通り嵐が家の土台を崩壊させることも起きています。
 こうした中、私達は自分が確実に理解し、確信していることを改めて確認し、揺るぎない生き方の土台を固める必要があるのです。いつも誰か師となる者がそばに居て、助言をして呉れる状況にはなく、独りで人生を生き抜く必要がある訳で、どのような状況にあっても自分の拠り所となるもの、自分がこれだけは確かだと思うポイントをしっかり身体に留めて置く必要があります。つまりは家の基礎と同じく、表層の理解ではダメで、より深い所まで自分の理解や思考を掘り下げて置けということです。
 未来に多くの試練が待ち構えていたとしても、揺るぎない信念、信仰を持って前進すべきだと著者は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落247

247 Yet to live this new kind of life among the many who do not, one must have unshakable faith and patience in order to endure. For everyone will not grasp the idea immediately, humanity is very slow to change. But change it must if it is to survive. And pioneers in any field must be strong and determined if good results are to be realized.
247 しかし、この新たな生活を送る為には、そうではない多くの人達の中にあって、人は耐える為に揺るぎない信頼と忍耐を持たねばなりません。何故なら、誰でもその概念を直ちに掴み取る訳ではなく、人間性とは変化するのに大変遅いからです。しかし、生き延びる為には変化しなければなりません。そして先駆者はどの分野にせよ、良い成果が実現される為には、強く決意しなければなりません。




【解説】
 この自分の中にある「より良い自分」に耳を傾け、その助言を受け入れることは実は容易ではないと本項では説かれています。つまり、周囲の影響を受けやすく、また世の中全体の動きのある中で暮らす私達は、社会の流れの中に漂いがちです。しかし、そこには未来は無く、滅びに至る道であると警告しているのです。
 戦後生まれの私には分かりませんが、戦前の世の中もひたすら戦争に突入せざるを得ない時代の流れがあったのではないかと思われます。しかし、そうした中にあっても時代の流れに流されることなく、真実の有りようを人々に示した方々もあったことと思われます。
 アダムスキー氏が1952年、デザートセンターでオーソンと会見した時代は、実は新たな地球の危機、核実験を頻発させていた時代であり、これら私達の行く末を案じた上の他惑星社会の計画であったと観るべきでしょう。
 私達はいかなる時代にあっても、この真理に足を置いて、あるべき姿を人々に見せ続け時代の流れを変える努力を惜しむべきではありません。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落246

246 Examples have been used in many ways. i.e. If a dictator wants to dominate his people, he destroys those who, oppose him, as an example to others. If examples can be used in this way, why can't we set a fine example for the world to follow? We can with action and not just words and dreams. And this can be done only by living the things that we know. We must be honest and truthful to our better self before we can be honest and truthful to others. We must trust our consciousness if we expect other conscious entities to trust us.
246 例示というのは様々な方面で用いられて来ました。即ち、独裁者がその人民を支配しようと思うなら、反抗する者を他の者への見せしめとして滅ぼします。仮に例示というものがこのように用いられ得るとすれば、何故私達は世界が従うような素晴らしい例示を打ち立てようとしないのでしょうか。私達は単なる言葉や夢でなく、行動によってそれが出来るのです。そしてこれは私達が知っている事柄を生きることによってのみ、行い得るのです。私達は他の者に対して正直で誠実である前に私達のより良い自己に対して正直で誠実であらねばなりません。他の意識ある存在が私達を信じてくれることを望むなら、私達は私達自身の意識を信頼しなければなりません。


【解説】
 とかく私達は自分自身の問題点のみに注目するか、或いは全く問題点がないと感じるかの両極端に向かいがちです。しかし本項で著者は、私達が本当に進化を遂げて行くためには、今までの知識を単に知識として終わらせるのではなく、自ら実践し行動することで他の者の模範になれと諭しています。
 そこで重要なのは、その際に自分の中にある「より良い自分better self」を信頼して実行せよと述べていることです。つまり、私達は様々問題がある訳ですが、それでも肉体は所定の機能を保っていますし、自分自身の中にも邪(よこしま)な心以外に、”良心”と称されるものも充分残っているのです。この自分に残る良い要素を信じて伸ばすこと、行動による体験を積むことで、他者への影響も与えられ自らも進化することが出来るという訳です。
 この自分にある「より良い自分」という表現は、何処か釈迦の教えにも似た雰囲気を持っています。単なる苦行ではその肝心な良心を発現させることは出来ないように思いますし、衆生救済も衆生一人一人に備わる「より良い自分」を希望の光として育成することを求めて行くことが菩薩の道であると思うからです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落245

245 You must re-create your ability by manifesting it in your daily life. And then you will prove to yourself that you can live that which you have been consciously aware of. Thereby it will not only serve you, but others also by your example.
245 貴方はそれを日常の生活の中で体現させることによって貴方の能力を再創出させなければいけません。そうすれば、貴方自身に貴方がこれまで意識的に気付いていたことを生き通せることを証明することになるでしょう。そのことによって、貴方に役立つばかりでなく、貴方の事例によって他の者にも役立つことになるでしょう。



【解説】
 毎日自分がどのように生きるかが重要なところです。人生は日々の積み重ねであり、私達の1分1秒、呼吸する想念と自らが採る行動がやがてはその人を造り上げるということでしょう。
 とりわけ重要な点は、前項で触れられたように、自分が出来そうだと感じた内容を実現させる行動だとしています。つまり、”出来そうだ”と思ったことは、私達がその想念を感受したことを意味し、次なるステップはそのビジョンを現実化させることです。この現実化させることこそが、私達人間の大きな役割であり、期待されているところなのです。また、その成果を祝うという役得もあるでしょう。
 実現に至る過程は様々で、思いのほか容易に進む場合も多いのですが、うまく行かないこともあることでしょう。その努力や工夫の過程を通じて、私達は次の機会に生かせる貴重な体験を積むことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落244

244 Of what value is a talent if you do not use it? Suppose you have the talent of a great artist and know it, but all you do is to think and dream about it. And never bring it forth into reality which takes action to accomplish, so you never profit from it. You do not even prove to yourself that you could manifest your dreams and make them a reality. So all of your dreams and prayers regarding your talent are still unknown and remain in the dream state. And this will continue until you decide to express your latent ability. For then and then only will you prove to yourself that it is real and livable. And so it is with self development - the potential of all that we have spoken of is within you, but it will not do you or anyone any good as long as you do not bring it forth.
244  もし貴方がその才能を使わないとするなら、才能に何の価値があるでしょう? 貴方には偉大な芸術家としての才能があったとし、貴方がそれを知っているけれども、貴方はそのことを考え、夢見ているだけの状況を考えて見て下さい。そしてそれを達成するには行動を必要とする現実世界にそれをもたらすことが無かったとすれば、貴方はそれから何らの利益を得ることは有りません。貴方は自分の夢を形に表わし、それらを現実にできるということを自分自身にさえ証明していないのです。ですから、貴方の才能に関する貴方の夢や祈りの全ては未だ知られることなく、夢の状態に留まっています。そしてこのことは貴方が自分の潜在する能力を表現しようと決意するまで続きます。時として、貴方はそれが本当であり、生きたものであることを自分自身に証明することしかないのです。ですから、それは私達がこれまで話して来た貴方の内部にある全ての可能性である自己発達とも同期していますが、それは貴方が現実化させない限り、貴方や誰に対しても良いことをもたらすものではありません。



【解説】
 私達が潜在的に有する才能も、ただその存在を自覚するのでは意味はなく、体現し自らその表現を実証し、現実の結果の世界に出現させなければ意味は無いと著者は説いています。
 もちろん、想念・印象は重要なのですが、その感受したイメージを実現させるところに私達各人の価値があるということでしょう。何事も行動しなければ、その実現過程での体験を得ることは出来ず、結果(成果)も得られないという訳です。
 即ち、仮に自身にとって素晴らしいアイデア(想念)を感受したとしても、そのままで放置して行動に移さなければ、結局は本人にとって何らの意味を持たないと忠告しているのです。小さな事柄でも一つ一つ行動し、体験する中で私達は進歩して行けるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落243

243 At first it will seem like an impossible task, but everything at one time looked impossible, even learning to walk. But constant diligence brings success. Seldom does man find gold on the surface and so it is with this. Man must dig deep to see reality.
243 最初はそれは不可能な任務のように見えるでしょうが、歩くことを学ぶ時でさえそうであったように何事もかつては不可能に見えたものです。しかし、変わらぬ勤勉さは成功をもたらします。金はめったに地表に見つけることはなく、このことも同様です。人は現実を見る為には深く掘り進めなければなりません。



【解説】
 私達が基本となる父の家に戻った後、私達自身何をすべきかを本項は説いています。
 もちろん、人それぞれに異なる役割や才能が割り当てられているのですが、それらの任務を果たす為には各人の努力が必要となります。
 単に夢想するだけでは現実化しません。自らの才能も自ら見出す必要もあるのです。しかし本項はそれを地道な努力によって達成出来ると励ましています。そもそも私達自身、当初は歩くことすらままならない幼児の時を過ごしたことも覚えていますし、当初不可能と心が危ぶんだことも、その後は難なく達成できていることも多いのです。
 宇宙の仕組み、生命の役割について多少なりとも知ることが出来た以上は、その者の抱く想念は現実に作用する力が強くなり、これまで以上に現実化が早まるに相違ありません。その強くなった想念・印象の力を私達は慎重に吟味し、現実化に向かうべきものを選び出し、その実現に向けて掘り進めるべきなのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落242

242 And all of this is present within you now, like the feeling of how you would like to be treated by others, so just return the same to all forms of life. But do not give up because you do not succeed on the first, second or third try. Just become more determined to master the situation. And the more determined you are the better the results will be.
242 そしてこの全ては、丁度、他の者にそう扱われたいと思う気持のように現在の貴方の中に存在しますので、ただ生命のあらゆる形あるものに同じことを返せば良いのです。しかし、貴方が一度や二度、三度の試みでうまく行かなかったからといって諦めてはいけません。その状況に熟達するにはより深く決意すれば良いだけです。そしてより深く決意すればする程、より良い結果が付いて来ることでしょう。


【解説】
 私達が自分自身にも生命の美しさが表現されていることを知り、自身が父の家で暖かく受け入れられていることが分かった後、私達が為すべきことは何かということが問われています。
 それは、私達自身が真の家族の一員となる為には、私達自身、その一員に相応しい態度、行動をとるべきなのです。それはイエスの言った言葉、「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」ということです。
 本項は、その事は何度も試みなければならない程、実は難しいことだと諭しています。長年の自己中心な生き方を転換するのは容易なことではありません。しかし、決意を持って何度もチャレンジすることによって、そのような行動が自然と出来るようになるということでしょう。
 かつて他惑星人は「同乗記」の中で、自分の命を犠牲にしても他人を助けることを極当たり前のこととして語っていましたが、それ程に彼ら他惑星人は他者に対する包容力、寛容力は大きいのです。仏教では他者の為に祈り、行動することを”菩提心”としています。菩薩の心の有り様はこれであり、厳しい中にも暖かく見守る姿 私達が基本となる父の家に戻った後、私達自身何をすべきかを本項は説いています。
 もちろん、人それぞれに異なる役割や才能が割り当てられているのですが、それらの任務を果たす為には各人の努力が必要となります。
 単に夢想するだけでは現実化しません。自らの才能も自ら見出す必要もあるのです。しかし本項はそれを地道な努力によって達成出来ると励ましています。そもそも私達自身、当初は歩くことすらままならない幼児の時を過ごしたことも覚えていますし、当初不可能と心が危ぶんだことも、その後は難なく達成できていることも多いのです。
 宇宙の仕組み、生命の役割について多少なりとも知ることが出来た以上は、その者の抱く想念は現実に作用する力が強くなり、これまで以上に現実化が早まるに相違ありません。その強くなった想念・印象の力を私達は慎重に吟味し、現実化に向かうべきものを選び出し、その実現に向けて掘り進めるべきなのです。として建立されている菩薩像が私達を惹きつける魅力はそこに由来しています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落241

241 Then you will begin to live as the Venusians and others do and discrimination will no longer be a part of your life. When you are able to do this and every one is, your mind shall witness things of far greater beauty and peace than you have ever known. And your body will manifest the evidence of the perfection to be.
241 そうすれば、貴方は金星人達や他の人達のように生活し始めることでしょう。そしてもはや差別は貴方の生活の一部になることはないでしょう。貴方がこのことを成し遂げられる時、また誰でもそうですが、これまで知らなかった遥かに偉大な美しさと平安さを目撃することになります。そして貴方の肉体はその完璧さの証しを体現するようになるでしょう。



【解説】
 それではどのようになったら自分が本来の進化の道を進んでいることが分かるのでしょうか。本項はその点について示唆するものとなっています。人口に他惑星人のように生活出来ると言っても、その格差は大きく私達には想像することも難しいものです。しかし本文に記されているように「差別感」が消滅することや、あらゆる美しさに鋭敏になることが、その指標であるのです。
 たとえ同じものを見ても、その細部の美しさに気付くこと、また感動することは人によって異なります。多くの人は同じ情景を肉眼で把握していても、人によってはその真の美しさに気付くこともあります。それはおそらく肉眼では認識出来ない別の波動に身体が気付くことではないかと考えられます。
 真の美しさはこうした想念・印象の径路を通じて認識される訳で、美しさに気付く回数が増えることは、それ程想念・印象への感性が高まったことを意味するように思われるのです。
 当たり前の自然、身の回りの草むらは従来の私達には何の価値も見出せないありふれた場所ですが、もしその中に美しい自然の営みを発見出来るようになれば、疑いなくその人は進化の道を歩んでいること言えます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落240

240 And you do not have to give up anything that you enjoy in life now, but replace the extremes that are indulged in with moderation. And permit your mind to see God manifesting in all forms of life and in every cell that makes up the form. For the life of any form and that of a cell is the life of God expressing in varying degrees through the many forms.
240 そして貴方は現在の生活で楽しんでいるどのようなものも諦める必要は無く、ただ欲しいままにしている極端さを適度さに置き換えるべきなのです。そして貴方の心をして、あらゆる生命の形あるものの中、そしてその形を作り上げている一つ一つの細胞の中に神の現れを見させることです。何故なら如何なる形あるものの命、細胞一つの命も皆、様々な形あるものを通じて多様に表現される神の生命であるからです。


【解説】
 どのように過ごすことが求められているのかについて、著者は当面は、私達に従来通りの生活を続けてよいこと、また重要な行動のポイントとして、適度に行うことを勧めています。いわゆる「中庸」の必要性を説いているのです。
 つまり、苦行をして覚醒を求めるというような手段でなく、世の中のありのままを観察し、その働きの中に創造主の現われを見るということです。これは仏陀が苦行の末にそのような訓練の限界を知り、スジャータから寄進されたお粥を食する中で、悟りへの道を拓いたとされることとも一致します。極端な苦行は無用だと仏陀が悟ったことも、本項と同じ主旨かと思われます。
 しかし、それでは今までと何ら変わらないと懸念される方も居られるのかも知れません。重要な点は、全ての自分の行動や抱く想念の基礎をプライドにまみれた自我に置くのではなく、宇宙的に拡がりを持つ創造主の意思、目に見えないが万物を支えている創造主の生命波動に置くところが大きな転換点であるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落239

239 And it makes no difference how many books you read, or how many religions you embrace, or how many courses you may take and teachers you may have, not any of these will bring this reality to you unless you do as the prodigal son did. Die in the pride of the will and the ego and be reborn in humility and the WILL OF CONSCIOUSNESS.
239 そして貴方が如何に多くの本を読んだかとか、如何に多くの宗教を奉じたか、如何に多くの教科を受講し教師を得たかといった事柄は貴方がその放蕩息子がしたように行わない限り、そのどれひとつもこの現実を貴方にもたらすものではありません。自分の意志のプライドと自我を葬り、謙虚と意識の意志の中に生まれ変わることです。


【解説】
 結局、私達が精進する上での最大のポイントが、この放蕩息子の帰還に言い尽くされているということです。父・創造主に従うことを決心しない限り、また自らの意志で父の家の一員に復帰することを決断し、行動しない限り、私達の目的は達せられないということでしょう。
 哲学書や宗教経典は異なる角度からであっても、皆同様な事柄を説いているように思います。つまり、その根底は同じであり、いたずらに様々な枝葉の知識を増やすことに時間を費やすべきではないということでしょう。
 問題は本項で著者が具体的に何を行えと諭しているかにあります。私達は自分自身に責任があり、今後どのように生きたいのか、結論を出す責任を有しています。その私達が日々の生活の中に何を最優先に取り組むべきか、どのような心境を維持するべきかを突き詰めなければなりません。
 その分析と決意無くしては実りは無いということでしょう。百の教えを聞いたとしても、一つの実践に勝るものはありません。一つ一つの実行によって新たに体験や知識が得られる中で、一段ずつステップアップを図ることが出来るという訳です。単に読むだけの知識レベルに留まっている限り、いつまで経っても初心者コースに留まる他ないからです。

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