2017年07月

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落217

217 Newness is youth as well as progress. And there is some evidence today of the effect that newness has on society. For we can observe increasingly large numbers of people who do not show their age as they did in the past because in these days of scientific discovery something new is brought to their attention almost daily. Whether they understand or not the effects are there. Since man is nothing but a thought in action, any new thought, especially of cosmic nature, will have an effect upon his body.
217 新しさは若さであり、進歩でもあります。そして今日では新しさが社会にもたらしている効果についていつくかの証拠があります。何故なら私達は今日の科学の発見の時代にはほとんど毎日のように何か新しいものが注目される為、かつてのように年令を思わせない多数の人々がだんだん増えているのを見ることができるからです。彼等が理解しているかいないかは別としてその効果はそこに出ているのです。人は行動する想念以外の何物でもない為に、如何なる新しい想念であれ、とりわけ宇宙的性質を帯びたものは、その肉体に効果をもたらすことでしょう。


【解説】
 私達が日々どのような想念を抱き、受け入れているかがその人を形作って行くと言えます。幼子が毎日充実した一日を送れるのも、新しい体験を楽しみ、好奇心に満ちた時間を過ごしているからとも思います。
 一方、それに引き替え、歳を重ねるにつれ毎日の暮らしに感動も新鮮さも失いがちになってしまいます。しかし、それこそが注意すべき点です。新しい事柄や知識から私達が学び続ける中で私達は若さを保つことが出来ると著者は説いているのです。
 そういう意味では、他惑星人は学習の一環として宇宙旅行を多くすると同乗記に記されていました。自分が知らない土地や場所を見ることや他の人々と交流すること、他の文化に触れることも大いなる学習と言えるものです。
 基本的に宇宙空間には活発な想念・印象が湧き出ている訳で、私達はただそれに対し受容的な心境を保ては良く、そうすれば自ずと生命力溢れる想念を取り入れることが出来る筈です。また更に言えば、こうした状況を多くの人に気付いてもらうことが社会全体を向上させることにもなる訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落216

216 We can be thankful for the small minority of people in the world that are constantly looking for something new, not satisfied to live the doctrines of the old. It is this class of people that keep agitating the majority of the minds towards the better way of life without violence but with an understanding. The masses move very slowly and if it were not for this class of people that make them listen to the new phases, they would have been extinct long ago. Decayed by the law of monotony. But the newness that the few bring to the attention of the masses keeps them going. Slowly but surely.
216 私達は昔からの教義に満足せず常に何か新しいことを探し求めている少数の人々に感謝すべきかも知れません。暴力によらず共感をもって大半の人々の心をより良い生活の方向に進むよう促し続けるのはこの部類の人々です。大衆はとてもゆっくり動くものですし、もし新しい側面について耳を傾けるよう促すこの部類の人々がいなかったら、彼等はとうの昔に消滅していたでありましょう。退屈の法則によって朽ち果ててです。しかし、大衆の注目を引き付ける新しいものは、彼等を歩み続けさせます。ゆっくりですが、確実にです。



【解説】
 医学の進歩や映像機器から携帯電話まで様々な技術の進歩が今日の私達を支えています。そのお蔭で人々の寿命も伸びている訳ですが、一方では高齢化社会と称されるように老化問題もより顕著になっています。
 端的に言えば、他惑星人は何百年もの寿命がある中で、現在の地球の高齢者と比較すれば、同じ年齢でも格段に若々し肉体を持っていることが想像されます。本来的には私達は更に寿命を伸ばすべきなのですが、何故それが出来ないで居たかの方が問題なのです。
 日常的な心の葛藤やストレスその他で私達は自分の肉体を痛め続けている一方、心は習慣の中に埋没しがちです。そうした中で次第に新鮮さや感動というものが薄れ、老化が急速に進行するものと考えます。
 一方、自然の中では不思議と老朽化した姿を目にすることがありません。おそらく老いたものはすぐに他のものの餌食になるか、直ぐに朽ち果てて表舞台から退場するからかも知れません。しかし、それ以上に重要だと思うのは、自然界には宇宙本源から生命を刺激する印象が絶えず降り注いでおり、常に新鮮な想念が行き交い、万物はそれらに呼応して行動しているということでしょう。
 若さはこれら新鮮な想念を取り込み、呼応して活動する結果として保たれるという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落215

215 You see the body is on one hand independent of the mind, yet on the other hand there are certain cell groups that are related to the mind and obedient to it. This is the cause of the conflict that a human finds himself in daily. The mind is inclined to be habitual and lazy. It would rather travel the road of least resistance than the road of progress that calls for steps yet unknown. This is why we are plagued with tradition and conventions of ancient times that no longer fit into our present way of life. But despite this, the mind must accept things from time to time whether it likes it or not.
215 おわかりのように肉体は一方では心からは独立していますが、他方では心と関係を持ち、心に従順な或る細胞群もあります。これが人間が日常、自分自身に葛藤を感じる原因です。心は習慣的で怠惰になる傾向があります。それは未知なる階段を必要とする進歩の道よりも最小限の抵抗しか無い道を歩むことを常としていました。これが私達が今日の生活方法にはもはや当てはまらない古来の伝統や因習に患っている理由です。しかし、これにも拘わらず、心は時としてその好き嫌いによらず物事を受け入れなければならないのです。



【解説】
 随意筋・不随意筋という仕分けがありますが、心の指示による部位も私達の身体の中には多いように思われます。一方で心とは関係せず身体を支える活動をしている部分があり、私達はその恩恵により生きている訳です。
 このように私達自身の身体の中にも心に従順な細胞と意識に従順な細胞とに分かれているということでしょうし、両者が異なる方向を志向することで体内に混乱が生じることになります。
 とりわけ、何か重要な局面に私達が立った時、かつての経験にしか基づくものがなく、新しいこと未知なる体験を嫌がる心の傾向と相矛盾する事態も起こり得ることでしょう。その心に支配されている部分はやがて歳を重ねるにつれ勢力を拡大し、文字通り頑な肉体となって老人化するということでしょう。
 従って、多少の不安はあっても、どしどし新しい事柄にチャレンジすることで、これらの細胞を再教育し、柔軟さを取り戻すことが重要です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第6課-段落214

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON SIX
Newness, The Rejuvenator Of The Mind
214 In lesson five we showed you how the mind can get lost in the jungle of opinions.
生命の科学-学習コース
第6課
新しさ、すなわち心の若返りの推進役
214 第5課では私達は皆さんに心が意見というジャングルの中で如何にして道に迷ってしまうかを示しました。



【解説】
 第6課を始めるに当たって、著者は第5課の最後の部分で示した心が様々な意見の中で迷ってしまうことを改めて述べています。
 いわゆる”迷い”の状態である私達の真実の姿がこのように形容されることについては、私達は単に読み飛ばすことなく、それがどのような状況だと著者が説いているのかを分析する必要があります。
 もちろんこの中には他人の意見もあることでしょう。今日のように右から左までの多数の論者、評論家の意見がマスコミ等で垂れ流される中で、私達はどれが真実なのか、進むべき方向に迷うことはある意味、当然のことなのです。おそらくそれと同様により深く根底に及ぶ想念・印象の取扱いについても、既存の宗教は様々な主張を繰り返している為、却って私達自身が素直に現実を観て学ぶことを妨げているとも言えるのかも知れません。
 つまりは自身で展望の効いたすっきりした世界観が認識出来れば、以後の迷いは消滅すると思われますし、その為にどのような心境、心構えを維持すべきか、本課で学ぶことが出来るものと考えます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落213

213 In the next lesson I will explain the importance of newness in order to maintain a youthful body.
213 次の課では若さあふれる身体を維持する為に新しさの重要性について説明しましょう。



【解説】
 意識を知るという私達の心の訓練は容易ではありませんが、価値ある訓練であり、修行です。問題は各自それぞれが自ら取り組む必要がある訳で、その歩みは自分で進めるしか方法は無いのです。
 私達が学習の対象とするものは、目に見えない領域、インスピレーションの源泉とも言うべきものであり、当面は具体的に他人に示せるほどの理解は難しいかも知れませんが、各自の体験を積み重ねる中で、意識への信頼も増して来るものと思われます。
 実はこれら作業の中で唯一の敵は自分自身であり、この意識の対極にあるのが私達の自我の心のように思われます。こうした取り組みを進める上で大切な要素として、次章で説かれる新鮮さがあるようの思います。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落212

212 It is unfortunate that 99% of the human kind are living in this kind of a jungle of the mind. When they could enjoy the consciousness, the other part of themselves that has everything that the human will ever need. For they could enjoy a life free from fear, with which the mind is shackled. There is one thing we can say for the noble space people, their minds follow the consciousness of the cosmos. And even though they are not perfect in its execution, they will be in time for they follow the guidance of consciousness.
212 残念なことに人類の99%が心のこの種のジャングルの中に生きています。彼らが人間が欲するあらゆるものを持っている意識すなわち、自身のもう一方の半身を享受することが出来るのにもかかわらずです。何故なら心が鎖で繋がれた恐怖から自由になれば生命を楽しめるようになるからです。高貴な宇宙人達について一つ言えることがあります。彼らの心は宇宙の意識に従うということです。そして彼らはその実行において例え完全ではなくても、彼らはいずれそうなるでしょう。彼らは意識の導きに従っているからです。


【解説】
 先ずは私達が不安に駆られている自らの心に支配され、本来自らに授けられている全能の知識からの声、即ち宇宙の意識に気付かないでいることを、よくよく自覚する必要があるという訳です。
 私達は長年、心の意見に従った生活を送って来た為に、身の回りの真実の姿に気付くことが無くなっているのです。その証拠に、たとえ同じ風景を見ても、或る人はその美しさに感動する一方、多くの人々はその価値に気付くことなく、自らの別の関心事に頭はいっぱいになり、通り過ぎてしまうことも多いものです。
 これらの状況をどのように改善したらよいかは難題ですが、やはり先ずは自分自身の内面の動き、即ち時々刻々受け入れる想念を観察し、その実態に直面することから始めるべきかと思います。せっかくの目の前の花や虫たちの喜々とした活動の手本から、宇宙本来の指導の価値を学び取り、自らの心の迷いの闇を取り去ることを実行出来るのは、自分しかいないのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落211

211 This recalls an incident which happened to my wife Mary, who has since passed away, when she became lost at night fall in a jungle of high wild lilac which covered only a half acre of land. She became frightened and called for help, even though she was only about 500 yards from home. This is used only as an example to show how easily one can become lost in a jungle of self opinions which are contrary to cosmic purpose.
211 このことはずっと前に亡くなった私の妻メアリーに起こったある出来事を思い出させます。それは彼女がわずか半エーカーの土地を覆っていた野生の背の高いライラックのジャングルに夕暮れ、道に迷った時に起こりました。彼女は恐ろしくなって助けを呼んだのです。家からわずか500ヤード足らずの所に居たにもかかわらずにです。この事例は宇宙的目的に正反対な個人的意見というジャングルで人は如何に簡単に道に迷ってしまうかを示す例として用いているにすぎません。


【解説】
 薄紫色の花をつけるライラックは日本では札幌等が有名ですが、おそらく著者の自宅の近くにそのような花園があったものと思われます。ちなみに「半エーカー」とは日本式に言えば「約600坪」の大きさです。(1エーカーは63m×63m)。
 そのような場所でも中に迷い込み出口に通じる経路を見失うことがある訳ですが、心が不安になると実際にはどんなに出口に近くてもパニックに陥り易いということでしょう。後から考えれば滑稽に見えることが実は多いように思えます。
 私達はこうした場合、自分の不安になる心を鎮め、その理由が何処にあるのかを諭し、かつても類似した経験を思い出して、再考させる必要があるように思っています。心が不安としている原因や理由を突き詰め、自分自身の弱さと対峙する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落210

210 Little did they know that what they were searching for was the other half of themselves which was not to be found in the darkness of their own opinions. For this is found in the light of consciousness which they never did enjoy. Yet it was always there, for every now and then the light would penetrate the darkness of the wooded country, but they failed to see and understand it. There are those who have followed the light of consciousness and found the way out and felt and enjoyed the freedom of the open country. And thus they experienced a lasting security that was never known before. Yet others not realizing what they had found, returned back into the darkened land only to be lost again. And they continue to create forests of darkness through which it will be harder to find the way as time goes on.
210 彼等は自分達が求めているものが自己の意見という暗闇の中では見出せない自分自身の半身であることが少しも分からないのです。何故なら、これは彼等が決して享受したことのない意識の光の中において発見されるものだからです。それでも、それはそこにいつもあります。何故なら時として光は木々に覆われた土地を貫くことがありますが、彼等はそれを見落とし、理解し損じるからです。また、意識の光に従って外に通じる道を見い出し、広がった大地の自由さを感じ、楽しむ者もいます。そしてこのように彼等はこれまで経験したことのない永続する安心感を体験するのです。それでも他の者達は自分達が何を発見したのかを自覚せず、再び暗い土地に戻って行き、ただ再び道に迷います。そして彼等は時間が経つにつれ見い出すのをますます困難にさせる暗黒の力を造り続けるのです。



【解説】
 永年探し求めていたのは、自分のもう一方の半身であるとは、至言というべき言葉です。私達は既に各自の細胞を造り上げている分子原子が知性を有していることや記憶を保持することを本講座から学んでいます。しかし、これらに気が付くことのないまま、外部に導き手を求めているという訳です。
 従ってその実状を照らす光を受けるだけで良く、その明るさの中で真実が見えるようになるということでしょう。宇宙哲学の本の表紙に描かれている松明(タイマツ)のイメージはこうした人々の周囲の暗闇を照らすという象徴であるのです。
 しかし、残念なことに中にはたとえ光が差し込んでも自分は暗がりの方が良いとして、引きこもってしまう者も居るという訳です。素直に祝福を受け、それによって自分に何が出来るようになったかを見極めて、進んで恩恵を受けるように受容的態度が必要です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落209

209 These people are like a man lost in a heavily wooded forest where the congested growth hides the sun and the vision of heaven that could lead him in the right direction. The timbers could be likened to personal opinions that blocks the vision of light that could show the way. A person may even die in this state and never know the true purpose of life. We have people who have everything that the world has to offer, even security beyond their needs, but they are very unhappy within themselves. They have searched all of their lives for something they did not understand. They sought wealth and fame for security but after having this, the happiness they longed for was not there because they had never left the timber land of self opinions. And their values of life are out of line with the cosmos.
209 これらの人々は生い茂った木々の成長が正しい方向を示してくれる太陽と天の視界を隠しているうっそうと茂った森の中で道に迷った人間のようなものです。木々は道を示すことができる光の視覚を遮る個人的な意見に似ていると言えるでしょう。人によってはこの状況の中で亡くなり、人生の真実の目的を知ることはありません。私達はこの世が提供できるあらゆるもの、そして自分が必要とする以上の安全さえも手に入れ、それでも自分自身の内面ではとても不幸である人々を知っています。彼らは自分の生涯の全てを自分ではわからない何物かを求めて来ているのです。彼らは安心のために富や名声を追い求めて来ましたが、それを得た後は、願っていた幸せはそこには無かったのです。何故なら彼らは自己の意見という森林を離れることはなかったからです。そして彼らの人生の価値というものは、宇宙の方向からは外れています。



【解説】
 私達が自ら進むべき方向、本来の自分が為すべき事柄が分からず、迷っている状況を日の光が差し込まない薄暗い森林の中で道に迷った者と本文は表現しています。
 実は私達は生きて行く過程で多くの過ちを犯しますが、その度に本来の解決策でなく、自らの言い訳を造り上げ必要な修正を行わないで過ごしがちです。その度に自分自身に自らの視界を遮る大木を植えてしまう訳です。そして遂には自らの進路をも暗くする森を造り上げ、その自我の茂みから抜け出せずに一生を終わる者も多いと警告しています。
 本来は宇宙から降り注がれる導きの印象に従えることが出来れば良いのですが、それらを遮る自我が問題で、そのような状況の中でじっとしている怠惰な状況は、早晩私達自身を滅ぼすことになるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落208

208 Yet some individuals after finding this go astray. And there are millions of such. But when this happens more than one gap is made and sometimes these are almost impossible to fill as the human mind in many cases is lazy and seeks the highway of least resistance. Thus it creates many gaps through its span of life. And this majority never know true happiness, peace and contentment. And the indications are that they are off the beam of life which is of cosmic nature. For they are easily irritated, hard to satisfy, fault finding and display very poor sportsmanship. They constantly seek new friends which are not stable, but of the same nature.
208 それでも人によってはこれを見い出した後も、道に迷う者もいます。しかもこのような例は何百万もあるのです。しかし、これが起った後は、出来るすき間は一箇所に留まらず、時として埋めることがほとんど困難になってしまいます。何故なら人間の心は多くの場合、怠け者であり、最小限の抵抗という常道を求めるからです。このようにして心はその生涯を通じて数多くのすき間を造り出すのです。そしてこの多数派は真実の幸福や平和、満足を知ることはありません。そしてその兆候は彼等が宇宙的性質である生命の光線とは離れていることを示しています。何故なら、彼等は容易にイライラして、満ち足りることが無く、あら探しをし、とても貧しいスポーツマン精神を表わすからです。彼等は常に新しい友人を求めますが、それらは不安定であり、また同類の者達です。


【解説】
 人間にとって何が一番大切かについて、本項は私達に説いているように思います。即ち、誠実さ、素直さがそれであると私は思うのです。
 本項で説かれているのは、過ち事態は人間である以上、よくあることで、いずれその修正をすべき時が来るとしています。しかし、修正する機会が訪れてもそれを実行せず何らかの言い訳を作って求めることを実行しないことが問題だとしているのです。怠け者であるのは人間の傾向ですが、実行せずにいると次の機会にはその巡り合う事象の意義さえ見失い、自分の周囲のもの全てを批判し束の間の心の欲望のみに走り、進歩から遠ざかってしまうと警告しています。
 本文ではその修正されないで残っている状況をギャップ、即ち道路の亀裂に例えていますが、やがて進む方向のあらゆる所に亀裂が出来れば、本人にとっては前に進むのも嫌になり、自暴自棄に陥るということでしょう。
 それに対し、与えられた印象に素直であり、誠実に対応しようとすれば、それは修正の機会となり、道は修復されスムーズに進化して行けることになります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落207

207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.
207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。



【解説】
 私達は多かれ少なかれ何かをしたいという願いがあるものと思います。具体的なイメージが無い場合も多いのですが、何か自分の目的を探して暮らしている人も多いのかも知れません。出会いを求めるという訳です。
 実はそうした背景には、その人の過去の学習体験、とりわけ学習の過程で見失った要素が関係していると本項は説いているのです。自分に必要であった要素を当時、見失ったために今生においてそれとの再会を願うのだということです。
 実はそれ程に私達の生活の中での学習体験は重要だということでしょう。各自の成長に必要な要素は死後の転生先にも引き継がれる訳で、自分自身その理由は分からなくても自分が必要な要素を提供して呉れる者や言葉(教え)との出会いを求めるものだとしています。更にその出会いが出来た時、幸福感が湧き、更に学びたいという欲求が起こるとしています。
 これらが本来のカルマというものでしょう。日々行動する中でその出会いのチャンスが生まれます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落206

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.
206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。



【解説】
 本文を読んでいて、何故著者は窓ガラスを私達に求められる修正の象徴として表現しているのかを考えてしまいます。
 本文では具体的な記述はありません。しかし、その参考とすべき好例として、私は今日パソコンをお使いの方はご存知のようにWindows10の開始画面における窓から光が差し込む状況をご紹介したいと思います。パソコン画面では暗闇の部屋に窓から外の光が差し込んでいるという光景です。いわばその窓が自分自身の暗闇を外の光で照らし、迷いを取り除くような機能として描かれているように思うのです。
 私達は暗闇の中で多くの過ちや苦悩にもがいていました。それらは所詮、私達の誤りや迷いに由来するのですが、その解決策として窓を設けることで、外の光溢れる世界と繋がることが可能となる訳です。一つ一つの誤りに対して素直に改めて行けば、暗い心の部屋に外部の光が通り、もはや迷うことがないよう、窓が付けられると表現されているように思うのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落205

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。



【解説】
 ここで注目すべきは、印象・インスピレーションは確かに受信の際は瞬時に来るものですが、実際にはその後も印象の経路は続いているということでしょう。丁度、印象が流れる道筋が出来たように、想念・印象の送り手と受け手の間に印象のチャネルが形成されるということのようです。
 即ち、ひとたび創造主あるいは高次の人物からの想念・印象を感受出来れば、以後は比較的容易に印象は流れ込んで来るという訳です。
 しかし、本文にあるように受け手の側に取り扱いを誤る事態があれば、その印象の流れが滞り、不都合が生じることになります。意思が通わなくなる訳です。またこのことからも分かるようにひとたび高尚な印象を感受することが出来たとすれば、その時、私達はその印象の発信者とのチャネルが出来たことになり、大変貴重な機会を得たことになります。出来るだけその状況を記憶し、その後も継続的に繋がるような心境を保つべきでしょう。印象を大切にする根拠はこの点にもあるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落204

204 Never allow the mind to become emotionally affected to the point where it wants to tell the world what has been revealed to it. For when the time of revelation does come - it will be given calmly and modestly. The tricks that the mind has cultivated and accumulated will appear from time to time and try to show the other fellow how much it knows. This is definitely wrong and should this occur it is time to remember - do unto others as you would have them do unto you. The mind has been dwelling in untruthful things for ages and when the real truth is brought to it, it does not like to accept for it built its foundation on mistakes and does not like to have them disturbed. And as said before, this does not mean that mistakes are of no value, for they show us the right way to act. But one mistake is not to be covered up with other mistakes. It is to be corrected immediately.
204 決して心に明かされたことを世間に告げようというところまで心が感情に動かされるのを許してはなりません。何故なら啓示がやって来る時、それは静かにそして控えめに与えられるからです。長年心が培い蓄積して来たたくらみが時折現れて、同僚に如何に自分が知っているかを示そうとします。これは絶対によくないことであり、万一起こった時は、次のことを思い出して下さい。汝が他人にしてもらいたいと思うことを他人に為せです。心は長い年月、嘘で固めた中で生きて来ているので、実際の真理がやって来た時、過ちの上に基礎を置いており、混乱されたくない為にそれを受け入れたくないと思うのです。しかし、以前申し上げたように、その過ちは価値が無いとしているのではありません。何故なら、それは行動すべき正しい道を私達に示してくれるからです。しかし、ひとつの過ちは他の過ちによって包み隠されてはなりません。直ちに直されねばならないのです。



【解説】
 うぬぼれ、高慢こそ私達が最も注意深く排除しなければならない要素です。それは同乗記その他の中で伝えられている進化した他惑星人の言動からも彼らには一切そのような要素が無いことが分かります。もし地球人が同じ立場なら、地球より低レベルの星の人々に対して、いわば軽蔑的に”このようなことも知らないのか”と言い出す場面もある筈です。しかし彼ら進化した惑星人は実に暖かく地球人に接しています。それは真理を知り、真実に生きる者の特徴であり、決して他を見下すことはありません。
 一方、少しでも他人より知識があれば、それをあげつらい自己顕示するのが私達の心の特徴です。本来そのような者に創造主の印象を同期する能力は無いのですが、偶然何かの機会で印象を得たとしても、それを不用意に明らかにすれば、その後、それらの未来に起こるべき事象は本来の軌道を離れて実現出来なくなることも大いに考えられます。もし自分の願いに叶った印象であるなら、それは自分の中にそっと保存し、その後の実現を待つというのが、正しい対処法かと考えます。
 重要な点は自らに授けられた印象を拠り所として次にどのように行動するかであり、決して得た印象を他人に伝え、自分がインスピレーションを得たことを無分別に喋ることは益になることではないのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落203

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.
203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるという確信をもたらすことでしょう。



【解説】
 多くの場合、宇宙源泉から授けられる印象はささやかでまた直後は理解し難いものが多いようです。それは受け取る私達の日常と合わないものや未だ現実化していない未来の事象を垣間見るものであるからです。
 限られた私の体験からも現実化する10数年以上も前に夢に見た印象深いものがありました。当時は全く想像できない程、現実と異なるものでした。しかし実はその後、10数年を経て、当時見た夢と同様な光景を体験することとなり、驚いたものです。
 このように私達に授けられる印象は、心が当座受け入れ難いものでも大切に取り扱わねばなりません。後々現実になるものが多いからです。その際重要なのは、感受した印象を心が要・不要と即断せず、忍耐強くその意味を考え、大切に取り扱うことだと考えます。与えられた印象を大切に記憶し、将来役立つ時まで保管し、発信源を信頼することです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落202

202 To guard oneself against such wild impressions, remember that a human form is always a human form even on another system. For the pattern for man is cosmic. The difference would be in the refinement of the form and the expansion of knowledge in different fields of expression. Yet the similarity from the lowest to the highest will be present for there are no blanks in the cosmic plan. In the field of service he who is guided by cosmic consciousness recognizes no divisions but blends all phases of manifestations in relationship to all others. No discrimination or judgment exists for one who has an understanding. Analysis for the purpose of correction and understanding of the misapplication of the law is ever present.
202 このような粗野な印象類から自分を守る為には、人間という形態は他の太陽系においても常に人間の形であることを覚えておいて下さい。人の為のパターンは宇宙的だからです。違いがあるとすれば、その形の精緻さと様々な表現分野における知識の広がりにあるでしょう。しかし、最低位から最高位の間には類似性が存在し続けています。何故なら宇宙の計画に空白は無いからです。奉仕の分野において宇宙意識によって導かれている者は如何なる分断を観ることはなく、それらすべての創造の現れの側面を他のすべてとの関連において融合させます。理解を得ている者に差別や裁きはありません。法則の誤用に対する修正と理解を目的とする分析が永劫に存在するだけです。


【解説】
 誤りを犯し易い私達に対して著者は宇宙にはピンからキリまでの幅広いレベルの存在があり、人間は所詮過ちを犯し易いのだと諭しています。こうした中、自ら過ちに気付いたらそれがどのようにして生じたか分析することだと説いているのです。
 低次元の自分のエゴと同質の他人からの想念・印象とは容易に同調出来る一方、宇宙から来る目に見えない瞬時のヒラメキである印象を正しく解釈することは、それほど容易ではないということです。
 また本項は私達の誤りの特徴として差別感を挙げています。善悪、優劣は私達の心の特徴であるからです。逆に言えばそのような印象を持つ場合は、そこには宇宙的要素はなく、人間の心から出たものか自身の心による解釈と判断した方が良いのです。それ程に印象の中には実に幅広いレベルの差があるのです。
 そうした多様性の中で自分はそもそもどのような印象・インスピレーションを求めるかは明確にして置いた方が良いでしょう。求める所に授けられるというのが宇宙の法則と思うからです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落201

201 i.e. The imagination can mate a flea with a dog on the slate but this can never be done in the cosmic plan. The picture would represent a misplacement of the law and this is where one must be very careful if we are to have the truth. There is so much of this going on now, and that is why we get so much confusion regarding our space brothers. This is caused by misapplication of the true law in order to satisfy the individual ego. And the un-natural stories come from this source.
201 すなわち、想像では石板の上でノミと犬をつがいにすることが出来ますが、宇宙の計画ではそれは決して起りません。その絵は法則の履き違いであり、これは私達が真理を得る上でとても気をつけなければならない所です。このようなことは今、多く起っており、それが私達の宇宙兄弟達に関してこれ程、私達が混乱している理由です。このことは私達各自のエゴを満足させる為に真の法則を誤用することによって起ります。また、不自然な物語がここを源としてもたらされます。



【解説】
 私達が印象を重視する生活になった場合に最初に直面するのが、本項で示されているような心による印象の歪曲、曲解です。感受した印象そのままを大切に取り扱うべきなのですが、私達はとかく自分(エゴ)の都合の良いように解釈を進め、印象の本来の意味を捻じ曲げ易いのです。
 私達自身の感受性を高めると同時に、その印象の素直な解釈が求められる訳で、私達の進む精進の道を歩むことは容易ではないのです。しかし、その2点さえクリアすれば、後は意識の指示の下、進化の道は末永く続いて行くことと思います。とりわけ重要なのは印象を素直に受け入れることでしょう。誠実さが求められるのは何よりこの一点にかかっているからです。
 最終的に印象を行動に移す際、何を実現させるかは私達の責任です。印象自体は宇宙開闢以来、膨大な数、宇宙空間を行き交っており、いずれは出会う機会もあるでしょうが、それを誤った解釈する心のままでは、終生救い難い存在になるからです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落200

200 The schooling of the mind is not an easy problem, but it is worth the effort even though it takes years to accomplish as it did for me. There is not a person on earth that does not receive impressions either from the earth, the inhabitants upon it or from other planets as well as the Cosmos. But there is a difference between the human and the cosmic impressions. For a mind is a mind whether on this planet or elsewhere and it has a tendency to confuse impressions and misapply them to suit the personal desire. Oftimes the mind permits the imaginary faculty to run away with it. The imagination is like a screen or a slate upon which the pictures are drawn and the human has a tendency to distort them.
200 心の訓練は容易な課題ではありませんが、それは私についてもそうであったように、達成に何年も要したとしても努力する価値があります。地球にいる人間で地球から、またその住人から、あるいは宇宙と同様に他の惑星から印象を受けてない人はいません。しかし、人間から来る印象と宇宙の印象とでは違いがあります。何故なら心というものはこの惑星上の場合も他の場所でも同様で、印象類を混乱させ、個人的な願望に合うように不正に使用する傾向があるからです。しばしば、心はその想像力にその印象といっしょになっての暴走を許します。人の想像力とはその上に絵が描かれるスクリーンや石板のようなもので、人間はそれらを歪める傾向があるのです。



【解説】
 ひらめき(インスピレーション)の真の意味を悟ることなく、自らの勝手な解釈からあらぬ想像を展開させて混乱するのが人の常ですが、本項ではこれら心の感受性を正しく伸ばすことの重要性と難しさを説いています。
 もちろん、結果を観れば自分の解釈の妥当性は分かる訳ですが、私達は如何にして素直に感受した印象の本質を知るかが重要となり、それを実践するための心の訓練が必要ということになります。
 本文にも記されているように、宇宙にはおびただしい数の人間が住み、それら人々のだけでも毎秒いくつもの想念を放っており、それに加えて宇宙本源に由来する想念波動も無数に行き交っている訳で、私達は先ずはより高次な想念を導きいれ、同調出来るよう自身を精化する必要があります。
 こうした中、貴重な想念・印象にめぐり合うことは、砂漠の膨大な数の砂粒から、一つの輝く至高の粒子と出会うような奇跡であり、貴重な体験です。その貴重な機会を生かすか無為にするかは、ひとえにその時の心の状況に掛かっています。もたらされる貴重な印象を最大限享受する為に、私達は常に心を空(Empty)に保ち、与えられる印象に備える必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落199

199 When thinking of this let your mind be attentive as it was while viewing the ocean. And while the ocean has boundaries, space has none. This phase of development is very important, even when we begin to travel in space ships. For had I not developed along this line to some degree, my trips in space crafts taken bodily would have been of little value. Because there were many things on the ships and in space that my mind did not understand. But my consciousness revealed them to me. And later my understanding was verified. The language barrier was not present for in some cases I exchanged ideas with the space brothers consciously. This would have been impossible mentally.
199 このことを考える際、貴方の心を大洋を眺める時のように注意深い状態にさせることです。大洋には境がある一方、宇宙にはそれはありません。私達が宇宙船で旅行するようになった時でさえ、この発達の段階は大変重要です。何故なら、もし私がこの線に沿って幾分かの発達を遂げていなかったら、肉体を伴った宇宙船に乗っての私の宇宙旅行は大した意味を持たないものとなっていたことでしょう。何故なら、宇宙船や宇宙には私の心が理解しない多くの物事がありました。しかし、私の意識がそれらを私に明かしてくれたのです。そして後になって、私の理解は確証されました。言語の障壁は有りませんでした。ある場合には私は意識的に宇宙兄弟とアイデアを交換したからです。これは心では不可能なことでした。



【解説】
 イエスが「私はこの世のものでない」と言った時、イエスは自分の意識は私達のように地上に属しているような限定されたものでなく、広く宇宙に広がり他の惑星社会と居ながらにして繋がっていると、私達に説いていたと考えます。
 同様に私達も自らの意識を広く宇宙にまで拡大し、その意識を通過する印象を感受する鋭敏さを持たなければなりません。本項の中で著者アダムスキー氏は、自分が事前にこのような訓練をしていた為にその後の宇宙旅行で役に立ったと述べています。これまで私達の心が経験して来なかった新しい事象や異なる文化に遭遇した時、心が動揺することなく、真実な姿を理解する為には事前の学習や印象感受による理解が不可欠となる為です。
 多くの人々が宇宙人とのコンタクトを願い、宇宙旅行を望む中で、このような準備が整った者のみにその体験が与えられるものと思われます。多くは自信の想定を確証し、次のステップに導くことが彼らの支援目的であるからです。自らの意識を宇宙に拡げることの重要性は全てのものに勝るキーポイントです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落198

198 Even though great distances exist between planets and there is no established communication with them, this does not prevent one from knowing what is going on upon them. But to do this the mind must be trained to listen and be taught by the conscious messengers, without questioning the impressions while they are being given. Some will come in the form of thoughts and some with thoughts and pictures.
198 惑星間に長い距離が存在し、相互に確立された通信手段が無くても、それは人がそれら惑星上で何が起っているのかを知ることを妨げるものではありません。しかし、これを為すには心は与えられている間、その印象類に疑問を挟むこと無く、意識の伝達人に耳を傾け教えを受けるよう訓練されなければなりません。それらの内、あるものは考えとして、またあるものは考えと画像の形でやって来ることでしょう。



【解説】
 遠く離れた者同士が相手の状況を分かり合えることはよくあることです。また、重大な発見や発明が同時期に起こることもよく知られています。実はこれらは私達の中には距離に関わりなく印象を互いに感受できたことに由来するものと思われます。私達はこれまで知らず知らずの内に印象を感受し、活用したことがあるということでしょう。
 距離に関わり無く印象が届くことは、印象はいわゆる四次元世界に属し、三次元世界の制約を受けないことを意味します。近くに居ても別の印象世界にアクセスする者も多いことでしょう。しかし、師弟や兄弟、夫婦等、強い結びつきは転生後も記憶は継承され、各自の中に留まることでしょう。その者が転生後、長年月経過して互いに再び出会う時、初対面であっても何か惹かれる印象を持つのは、互いの過去の結びつきに由来するのかも知れません。
 仏陀が涅槃に向かうにあたって、仏像が造られたとされていますが、師を慕う弟子達はひたすら師の面影を求めて仏像を拝したものと思われます。仏像は物理的には木は銅の塊ですが、その示すところは遠く離れた仏国土(惑星)に転生された仏陀との印象を通じた日々の交流を求めることに由来しているものと思います。

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