2017年02月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落119

119 You may ask, how do we classify intelligence. Man classifies it as the result of actions or expressions. If we use this same classification, then we must admit that we are living in a sea of intelligence. All forms that live and express are using certain phases of it, and fulfill the purpose for which they were created. All of these lesser forms act automatically under the guidance of nature. Or we could say, by direct guidance of the Creator.
119 知性についてはどのように分類するのかと貴方は問うかも知れません。人はそれを行動や表現の結果から分類しています。もし私達が同様の分類をするなら、私達は自分達が知性の海の中に生きていることを認めざるを得ません。生きそして表現する形有るものは皆、その(訳注:知性の海)何らかの側面を活用しており、それらが創造された目的を達成しています。これら(訳注:人より)下位の形有るもの達は自然の導きの下、自動的に行動しているのです。言い換えれば、創造主の直接の指導によっていると言えるでしょう。


【解説】
 前項(118)の最後に述べられている「知性」について、本来どのようなものかを本項で解説しています。
 本項では知性を行動や表現から推し量ることが出来るとし、私達は知性の海の中、即ち私達を取り巻くあらゆるものが知性を持った存在だと説いているのです。
 また、全ての形あるものがその本来の生存の目的の為に、創造主の指導そのままに生きて居る訳で、「置かれた場所で咲いている」のです。誰もが春には道端の草地で小さな蝶が楽しげに舞う姿を見たことはあるでしょう。また、地面を覗き込むと蟻達がせわしげに働いており、それぞれ与えられた状況の中で不平を言うことなく、むしろ喜々として生命を謳歌しているように思われます。
 それに引き替え、人は様々な問題を抱え、身の回りのこれら小さな生きもの達の暮らしを観る余裕もなくなっているようです。しかし、生きものには各々に応じた本来の行動や表現の為の知性が絶えず与えられており、それを受け入れ享受しさえすれば、楽しい本来の人生が待っている筈です。その贈り手を信じること、結局は自我だけではやって行けないことを早く気付く必要があるのです。古今東西の教えは全てこの一点において同じ要点を説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落118

118 As you can now see, man or his mind is in the process of creation, working towards a perfect manifestation by learning. And time is not involved, for there is no time in Eternity. So it then behoves us to study the various phases of creation that we may learn its reason for being. Then we will not judge our Creator, as we have in the past through lack of knowledge. For truthfully no man can judge his Creator or any of His creation. When man makes a thorough study of Life's purpose, understanding replaces judgment. For then man as the highest expression, becomes one with his Creator. And his intelligence is in line with the Creator's intelligence.
118 今やおわかりのように、人、すなわち人の心は学習を通じて完全なる創造の現出に向かって努力している創造の過程にあります。そして時間は関係ありません、永遠には時間が無いからです。ですから私達がその存在の理由を学ぶことが出来るよう、様々な創造の段階を学ぶことは私達にとっての義務なのです。そうすれば、かつては知識の不足から行って来ましたが、私達は私達の創造主を裁くことはしなくなるでしょう。何故なら、本当に人は自分の神や神の如何なる創造物をも裁くことは出来ないのです。人が生命の目的を徹底して研究する時、理解が裁きに置き換わります。そうなれば、人は最高位の表現者としてその創造主と一体になるのです。そしてその知性は創造主の知性と一致します。



【解説】
 よく"若気の至り"という表現を用いますが、私達はその人生において学習の課程にあることは確かです。そして生涯の終末を迎えた時、自身で何か本質的なこと、本講座で学びつつある領域の事柄について理解出来、創造主の意図が多少とも実感出来ていれば、今人生は大成功ということになるのではないでしょうか。
 もちろん、各自の歩む人生は人それぞれでありますが、最も身近な存在である家族や友人に対し、その生涯を手本として見せることが出来れば、役割の一つを果たすことが出来たと言えるように思います。たとえ高齢になっても毎日、何かに向かって努力をすればそれは少しずつでも積み重なって人生を豊かにして呉れるものと思われます。また、自然の美しさや精妙さに気付くことも多くなることでしょう。
 従って、もし私達が進歩の道を歩んでいれば、必ず目的地にも到達出来るでしょうし、過去、即ちこれまでの自分に比べて向上させることが出来ている筈です。芸術家と同様、習作を積み重ねた上でやがてその代表作が生まれる程の技量の段階に至るのと同様です。

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2017年2月23日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落117

117 Instead of gathering all form life into the sea of consciousness we have divided and separated, and this is why we cannot see God's life manifesting through us and all form life, as our space brothers do. For when they look upon a form, be it of man or any other expression, they do not see just the form, they see the consciousness that supports the form. This is seeing the Creator expressing through the form when the THY WILL and not the mind will is done. Their world and all life on it are conscious manifestations of the Creator, and are so honored.
117 すべての形有る生命を意識の海の中に集めることをしない代わりに、私達はそれらを分割し分離して来ました。これが私達の宇宙兄弟達がしているように私達が私達やすべての形有る生命を通じて神の命を見ることができない理由です。何故なら、彼等が形有るものを見る時、それが人間であれ、他のどのような表現物であれ、彼等は単に形だけを見ることはなく、彼等はその形有るものを支えている意識を見るのです。これが心の意志でなく「汝の意志」が行われている時、形あるものを通じて創造主を見ているということです。それらの世界とそれの上に成り立つすべての生命は創造主の意識の現出であり、そのように栄誉を受けているのです。



【解説】
 何も植物や動物を調べるのに、分類したり種を特定したりする研究をすべきでないとする訳ではありません。問題としているのは、私達の日常の在り方が外形のみを見て、それらを区別し仕分けする一方、それらの内部に存在する共通した生命力を見ようとしない点にあるのです。外見や形だけがそのものの価値だと見做している点が問題なのです。
 しかし、それでは真の一体感は生まれません。同じ情景を見ても、感動する人と何らの興味を持てない人が居ることも確かです。その原因は何処にあるかと言えば、一人はその形あるものの中に自分と同じ生命が宿っていることを知覚でき、またその情景の中にそれらが調和交流して生命を躍動させていることに気付くことが出来るからでしょう。
 同じ世の中に生活している私達は、本項で著者が説くように、宇宙兄弟達のものの見方をいち早く身に付けてせっかくの美しい世界を享受し、創造主に感謝すべきです。「もったいない」という言葉が日本語にはありますが、日々の生活に意識からの働きかけを取り入れないことこそ、その最たるものと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落116

116 And we have become lost in our own mis-creations by separating ourselves from our consciousness which is of the Creator. We have become intellectual giants, but moral morons from a conscious point of view.
116 そして私達は創造主である私達の意識から自分自身を分離することによって私達自身が造り出した誤った創造の諸物の中で迷子になってしまっているのです。私達は知的には巨人になっていますが、意識の観点からは倫理上、低能に成り下がっています。



【解説】
 私達は本来のあるべき姿、即ち自らの内部に宿る意識が黙していることを良いことに、長年、自我の心を増長させ、自分の都合の良い言い訳を作り上げて生活して来ました。その結果、私達は創造主を裁き、倫理に劣るが知識の上では巨大化したイビツな存在になってしまいました。
 他の生きものたちは、知識や知性は劣りますが、意識に従うという点では人間よりはるかに優れています。その結果、大自然はかくも調和した美しさを保ちますし、私達人間もそれらの静かで調和した世界に憧れるものとなっています。
 一方、知の巨人となった人間の世界はどうでしょうか。世の中の経済の動きをコンピュータが自動で収集し、株の売買を自動的に行って利益を得る等、AI(人工知能)を金儲けに活用することも行われ始める等、他人を出し抜く競争社会、他人を利用する風潮は社会を悪化させています。
 これに対し多くの教師、先人が本来の人間のあるべき姿を説いて来ました。その教えが自身の中にある意識の声に耳を傾け、それに従えということです。自分のこれまでの経験や知識等はどうでもよく、自らに与えられる意識の声、即ち印象をはるかに大切なものとして受け止め、それらを表現し、実現することだということでしょう。今読んでいる「釈尊の生涯」(中村元、平凡社)の中に、釈尊が説く教えを聞いた者が直ちに、悟りを得たという記述が多くあります。本当に真理を得た者と接し、お話を伺うことで、長年の曇りがたちどころに覚めるということでしょう。その背景には、私達自身の内側に、既に十分な備えがある為、それに気付くきっかけが必要なだけだという訳です。同乗記における他惑星の長老との会見がそのような事情を示唆しているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落115

115 So it is with the law of the Cosmos. Positive Thinking, that you may have heard about, has hurt more people than it did good. God's purpose cannot be divided and give good results. Nor can one judge His laws and omit parts of them, be it through lack of understanding or egotistical aggression, which has been done through the ages. People judge the Creator's creation without knowing the reason for each part. And in this way they have been judging the Creator and exalting the ego mind above His Intelligence.
115 ですから、それは宇宙の法則についても言えることです。陽的思考は、貴方が聞いたことがあるかも知れませんが、それが為す良い事以上に多くの人々を傷つけて来ました。神の目的は二分されて良い結果をもたらすことは出来ません。人は理解力の不足に由来するにせよエゴの侵略行動に由来するにせよ、神の諸法則を裁いてその一部を除くことをしてはならないのですが、それを長年行って来ました。人々は創造主の創造物を各々の部分の存在理由等を知らないまま、裁いて来ました。そしてこのようにして、人々は創造主を裁き、自らの自我の心を創造主の知性の上位に置き増長させて来ているのです。



【解説】
 まさに本項は今日世の中で起こっていることを警告している所でもあります。断定的な考え方で世の中全てを断じることは、多くの人達を傷つけるということは、現在米国等で起こっていることでもあります。一部の真理を盾に全てをその考えで押し通すことは危険です。その断じることの中にエゴの裁きが入り込んでいるからです。もちろん過去の人類の歴史が民衆の支持によって上り詰めた独裁者が引き起こした惨状を記憶している筈です。
 そういう意味で"Positive Thinking"(断定的、陽的、積極的な考え)の中には、私達の想定を超える危険性もはらんでいるのです。戦意高揚し国民を戦場に送り出す初期の頃は組織的な作戦で人々を盲目にさせて来たということでしょう。
 一方、私達の目指すべきは、もっと静かで精妙な世界です。最も肝心な存在である”意識”は普段、誰からも気付かれないまま、私達の肉体を支えています。その宇宙普遍の存在こそ、私達が本来求めてやまないものです。そういう意味では仏教も真理を悟ること、その法則(ダルマ)に寄り添うことを目指しており、個人の死などを頓着しない冷静、科学的な立場にあるように思いますし、本項で言う断定的な態度とは対極を成す立場のように思われます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落114

114 And remember you cannot have a manifestation or good results if you do not use both sides of the law. The objective and the subjective, or the negative and positive - male and female. You cannot use one and exclude the other and expect good results. Let us go back to electricity for an example. Electricity is one power consisting of two phases, negative and positive. One phase cannot be used in the absence of the other and give useful power. But when they are combined and balanced the manifestation is perfect.
114 ここで覚えていて欲しいのは貴方は法則の両面を用いなければ、創造の現れや良い成果は得られないということです。主観と客観、積極性と消極性、男性と女性がそれです。一方を用いて他方を排除しては良い結果は望めません。一例として電気について振り返ってみましょう。電気は2つの側面、マイナスとプラスからなる一つの力です。他方無しで片方を用い、有益な電力を得ることはできません。しかし、それらが統合されバランスがとられた時、そのもたらす創造の現れは完全になります。


【解説】
 ”プラスとマイナス”、”陰と陽”等、現象に潜在する2つの対極要素を私達は観て来た訳ですが、本項ではそれらの一方を良しとして他方を排除してはいけないと諭しています。とかく私達はあらゆるものを裁きがちであり、”善悪”、”良否”の区別を付けて、自らが良しとした方向のみに目が行きがちな点を戒めています。
 私達はこれらの2極の要素を共に受入全体の理解の上に物事を進めて行くことの重要性を指摘しているのです。電気はその好例でしょう。プラスとマイナスの両者があってはじめて具体的な作用、働きが起こせる訳です。
 古来より陰陽の2要素を自然界の働きに観た多くの先人が居た訳ですが、それら2要素の調和、融合の中に真に創造的世界が広がっているということを本項は説いているのかと思います。”生と死”、”昼と夜”、”寒と暖”もそれぞれ一方が良く、他方が悪い、更には両者が良くないとする分別ではなく、両要素があってはじめてこの世界が成立していることの意味をかみしめて、その両者を活かしながら生きて行く必要があるのです。重要なことは決してこれら2極を中和して真ん中に静止するよう著者が求めているのではないことに注意する必要があります。自身の中に、これらプラスとマイナスからなる”波動”そのものを受け入れることかと思っています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落113

113 Also notice that we did not forbid you to live a normal life. All that is asked of you is - live a conscious life and not a mental one. And do, and use, all things in moderation. That is all that is necessary to fulfill the purpose of life. This is how our space brothers have grown in knowledge and live a heavenly way of life.
113 また、私達が貴方に普通の生活を送ることを禁じていなかったことにも注意して下さい。貴方に求められていることの全ては、心による生活でなく、意識による生活を送ることです。そして全ての物事を適度に行い、また用いなさいということです。それが生命の目的を成就する上で必要なことの全てです。この方法によって私達の宇宙兄弟達が知識において成長でき、今、天上の生活を送っているのです。



【解説】
 私達各人は、自らの毎日の生活、言わば精神生活をどのように送るべきか、本項は分かりやすい言葉で解説しています。つまりは全てを意識中心の生活に改めることを第一とし、その他については特段の戒律を設ける等のことは必要なく、あらゆることを適度に行ってよいのだとも説いています。
 やはり一番大切にすべきは”意識”を最重視するということでしょう。”意識”は自ら主張することはありませんし、心とは異なり騒ぎ
立てることもありません。常に沈黙している存在と言えるかも知れません。その為、何も分からない私達が”意識”に気付く為には、あらゆる場面でこの意識を思い起こして交流の糸口を探す努力が必要となるのです。そうする中でやがては門は開かれ、私達も”意識”の知性と交流できる存在、”意識”からの印象を感受出来る存在になれるということでしょう。
 本文では必要なことはこれだけだと明言されています。自身の内側にある真の自己、”意識体”と一体になることで、私達は日常生活の中でも宇宙的に覚醒した存在に進化出来るのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落112

112 The thing that we ask you to do is - become aware of your real self, the eternal part of God, or The Creator. Let your mind become conscious of consciousness as your guide in everything that you do. Then the admonition "Man know thyself and you shall know all things," will be your reward. But the mind must learn to trust the consciousness at all times.
112 私達が貴方に実行して欲しいとお願いしたいことは、貴方の真実の自我、神の永遠なる部分、創造主に気付くようにすることです。貴方の心を貴方が為す全てにおけるガイドとして意識を意識するようにさせて下さい。そうすれば、訓戒「汝自身を知れ、そうすれば全てを知るだろう」を褒美として受け取ることになります。しかしその為には、心は意識を如何なる時も信頼することを学ばなければなりません。



【解説】
 前項(111)に続く解説文になりますが、私達の内側にある本項で言う「真実の自我」について、如何に気付くかが最大の課題と言えます。これまで著者はそれを”意識”と表現して来た訳ですが、この無言の知性とどのように向き合うかを避けては、私達の進化は望めないのです。
 しかし、その存在は私達の心自体が謙虚になって、自分以外にも自身の中に知性が存在すること、更には私達の心はその存在から教示を受けるべき立場であることを自覚するようになってはじめて感知されるものなのです。
 永らく私達はこの一点の真理を外部に求め、様々な所を巡って来ましたが、本来は日常の生活の中で自分の中にあるその存在と親しみ、教示としての想念・印象を受ける歓びを味わうべきなのです。
 自身の中に全てがあり、創造主を戴くミニチュアの神社のような存在が私達各人だということかも知れません。イエスも「生ける神の宮」と表現していたこととも通じるものがあります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落111

111 We are now in the third lesson and I have not asked any one to concentrate or meditate, as taught in other fields. If anything, these ancient methods have brought the unpleasant conditions that we today face in the world.
111 私達は今や第3課に入っており、私はこれまで誰一人にも他の分野で教えられているように精神集中や瞑想をするようにとは言って来ませんでした。むしろ、これら古代の手法は今日私達が世界で直面している不愉快な状況をもたらして来たのです。



【解説】
 仏陀が悟りを開く前、それまで多くの苦行者を訪ね、自らも苦行を続けた末にそれらの修行方法の限界を感じて肉体を苦しめる方法を捨てました。そして、少女スジャータからの乳粥の施しを得て肉体を養い、菩提樹の下で黙想の後、やがて覚醒に至ったというお話は有名です。
 本項も同様な基調をもって著者アダムスキー氏はこれまでの私達に教示されてきた瞑想等の修行は覚醒をもたらすどころか、問題を引き起こしていると指摘しています。
 実はそれほど”意識”というものは実際、私達に近いところにありながら、私達自身、気づきにくい存在だということかと思います。それを気付く為に極度に集中したり緊張したりするのは逆効果なのかも知れません。丁度、前々項(109)の述べられているように赤ん坊の状況は100%、意識が全面に出て赤ん坊の生存を助けているのですが、赤ん坊自身は安心してその指導に従っており、その穏やかな肉体の状況こそが意識に通じることになるものを思っています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落110

110 This shows that consciousness knows no fear - for it is the possessor of all knowledge. The mind does not have the knowledge and lives in fear. And as a result it has promoted all kinds of mysteries in relationship to life and its continuance.
110 このことは、意識は如何なる恐怖も知らないことを示しています。何故ならそれはすべての知識の持ち主であるからです。一方、心はその知識を持ちませんし、恐怖の中に生きているのです。そしてその結果、心は生命とその存続に関連してあらゆる種類の神秘を助長させて来ているのです。



【解説】
 前項の赤ん坊の誕生の時のように、生まれたばかりの人間の心は何も無い所からスタートするという訳です。一方、”意識”の方は最初から全てを知っています。成長著しい赤ん坊の身体づくりをどのように進めたら良いか等々、赤ん坊が呼吸を開始し母体から独立した生命体として機能し始めた瞬間から、ものすごい速さで各細胞に必要なそれぞれの指令を出しているということでしょう。穏やかに眠る赤ん坊の身体の中では、活発な生命活動が進んでいるのです。
 このことから考えれば、真実の宇宙生命の活動は、実は外見上は大変穏やかなものであり、それに従う私達の肉体も緊張やストレスを感じるものは全く無く、大変スムーズで落ち着いているものだと思われます。
 一方、これに対し私達の心は、時々の痛い体験から経験則を学びますが、それらが起こった前後の状況を理解しないまま結果だけを掴む為、自分が理解できない”神秘”として探究することなく棚上げすることが多くなるのだと本項で著者は注意しています。今日的に表現すれば、”超能力”その他、自分が理解出来ていない要素をミステリーと片付けて終わりにする傾向を指摘しているのです。
 この生命の科学講座は、これらミステリーを一つ一つ解き明かして、全容を理解する学習講座としての大きな意味を持っていると著者は私達に説いています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落109

109 The Breath Of Life is proof of that, and it is given freely to all forms of life. For was not the first clay form of man activated into life by THE BREATH OF LIFE, breathed into its nostrils by the Creator? And it became a living soul, or a conscious being. A new born child is slapped on the buttocks and made to take the first breath, or it would not be alive. And notice here, the mind is only partially active, yet the baby is consciously alive. We know that a young mind knows no fear until fear is imposed upon it. Or until it begins to act with the mind and gets hurt, then fear takes over.
109 生命の呼吸はその証しですし、それは生命のすべての形有るものに無償で与えられています。人間に形取られた最初の粘土が創造主によって鼻から息を吹き込まれ、生命の呼吸によって生けるものになったのではありませんか。そしてそれは生ける魂、意識ある存在になったのです。生まれたばかりの赤ん坊がおしりを叩かれて、最初の呼吸をさせられますが、そうしなかったら、生けるものとはならないでしょう。そして、ここで注意して欲しいのは、赤ん坊の心は一部しか生きていませんが、赤ん坊は意識的には生きているのです。若い心は恐怖が押し付けられない限り、恐怖を知らないことを私達には分っています。あるいは赤ん坊が心といっしょに行動し、痛みを得るとその時から恐怖が支配するようになるのです。



【解説】
 先日あるテレビ番組でアフリカで独り活躍する日本人医師の姿が紹介されていました。その中に難産の末、羊水を大量に吸い込んでいた赤ん坊から羊水を吐き出させ、最初の呼吸が始まるまでの医師の措置が放映されていました。呼吸を始めなければ命が無い緊迫した状況です。
 やがて赤ん坊は泣き声を上げると同時に自ら呼吸を始めるようになり、周囲の者を安堵させたという訳です。これは人間の誕生の場合ですが、人の死の時は呼吸が止み、そして心臓が止まるという中で肉体が死を迎える訳です。
 このように私達は昼夜を問わず呼吸していることが生きて居ることの証でもあるのです。しかもその呼吸する空気はあらゆる生きものにとって共通のものということもポイントとすべきでしょう。
 古来からもこの呼吸についての重要性は多くの呼吸法があることからも分かるように、広く着目されたところです。私達は生命代謝の基本という呼吸作用の中に更に深遠な意義を探究し、知覚するよう注意を払う必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落108

108 Perhaps you feel that I use the word consciousness a great deal and place emphasis on it. And you may wonder, why? It is because the consciousness has been neglected through the ages while the mind has been exalted. And did Jesus not say that we are the Temples of the Living God? It could be said in this way, know yea not that yea are the embodiment of the living consciousness?
108 おそらく、貴方は私が意識という言葉を大変多く使用し、それに力点を置いているとお思いになるでしょう。そして何故だと思うかも知れません。それは何世代にわたり心が増長して来た一方で、意識は無視されて来たからなのです。そしてイエスは私達は生ける神の社であると言わなかったでしょうか? それはまたこのように言うことが出来ます。貴方は自分が生ける意識を体現したものであることを知らないのかと。



【解説】
 ある意味、この生命の科学をはじめとするアダムスキー哲学を理解する上で、カギとなるのがこの”意識”という概念でしょう。これまで私達は様々な知識を作り出し、文字や記号で表すことで他者に伝えて来ました。これら知識を蓄えることで科学を発展させ、技術を伸ばして来ました。また心に湧き起こる想念や印象の存在も多少は理解できたものと思われます。
 しかし、実は肝心の”意識”についてはほとんど考えもしていないのです。”意識”は自身の存在を心に強いることなく常に無言であるからです。この無言・沈黙の中に英知が溢れんばかりに宿っており、あらゆる生命体を無言のまま育んでいるという訳です。
 この意識の存在に気付くことが”悟り”であり、覚醒とされて来たように思われます。私達はこの覚醒された先達のその後の生き方から、意識を自覚することが如何に価値あることかを知ることが出来ます。
 人の一生の時間は長いように見えても短いものです。とりわけこの分野の理解は重要にも拘わらず、私達はあまりに忙しく日々を送るあまり、気付こうとする努力が足りません。私達各人はイエスの頃から説かれている私達が最も頼りとすべき”意識”の存在を探求しなければなりません。


ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落107

107 You may say here, it is a mess. Yet it is the product of the exalted ego or human mind. For it no longer allows itself to be guided by the consciousness or creator.
107 ここであなたは、それを乱れと言うかも知れません。しかし、それは増長したエゴ、即ち人間の心の造り上げた所産です。何故なら、エゴはそれ自身を意識あるいは創造主によって導かれるものとはしていないからです。



【解説】
 本項で著者が私達に説いているのは、私達が直面している状況は全て私達の心の反映、私達の精神状況を映し現実化しているということです。良くも悪くも私達は自らの心を映す環境の中で暮らしていることであり、あらゆる想念が創造作用を持っているのです。
 しかし、このような状況は決してあきらめるべきものではありません。実に私達の身近に、自分の手足よりも近い場所に創造主と繋がる存在、宇宙的意識が存続し、私達を支え続けて呉れているからです。
 また同時に、圧倒的に大きな自然環境、人間の手が加えられていない大自然には未だ地球本来のパラダイスが広がっていることでしょう。身近な自然の中にも季節の移ろいに呼応した草花草木、小鳥や虫達の営みを見ることが出来ます。多くの人達が野鳥観察や草木の写生を好むのはそれらの生き生きとした姿に宇宙本来の生きものの姿を認めるからだと思います。
 私達はこれら身の回りの自然を教師として、自分本来の生き方、即ち日々の暮らし方を見直すことが求められています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落106

106 We can see the results, for the whole world is living under the cloud of fear one against the other. And no one trusts another human being.
106 私達はその結末を見ることが出来ます。何故なら、全世界が相互に対する恐怖の雲の下で生きているからです。そして誰一人として他人を信用してはいないのです。



【解説】
 最近は自宅のメールアドレス宛にウィルスを送りつける者が多くなって来ました。それも何らかの”請求書”とか”資料の送付”とかを装うもので、添付ファイルを開くとウィルスに感染し、データが盗まれたり壊されたりするものと思われます。この状況を見るとつくづく現代社会も落ちるところまで落ちて来たなあと思う次第です。
 本書が執筆された当時、著者が記しているように、既にこのような状況は世界的に起きつつあったということでしょう。
 こうした中、私達はどのように生きて行くべきでしょうか。もちろん降りかかる危険については早期に察知し、その隠された意図を見抜いて、それらに関わらないことはもちろんです。しかし、それだけでは十分ではありません。私達各人はこれら暗闇の世の中をそれぞれの場所で灯火をともす者となるべきでしょう。「宇宙哲学」の表紙にはタイマツがデザインされていました。一人一人が暗黒の世の中で人々の足元を照らす光となることが求められています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落105

105 This shows that there are two stages of intelligence in the human form. One the Cosmic - directing the functioning of the body. And the other - mental opposition that causes the suffering in the body. A Clergyman expressed this well when he said that humanity has become Un-Godly. This is true, for people no longer look to the Creator for guidance, and they do not have faith in the giver of life. And as a result, they exercise their free-will to the full extreme under the master of fear. So greed has taken over, and it is like a cancer which is bound to destroy this civilization if it continues. These are the fruits of the free-will, where one Will does not trust another. But how can it when the will of man does not trust the Will Of The Creator or consciousness?
105 このことは人体は知性において二つの段階があることを示しています。一つは人体の機能を指揮している宇宙的な存在、そして他は人体に苦痛をもたらしている心の反抗です。ある牧師はこれを人類は神を敬わなくなってしまったと言ってこのことを良く表現しました。これは導きをもはや創造主に求めない人々にとっては真実ですし、彼等は生命の贈与者に信頼していないのです。その結果、彼等は恐怖の主人の下、最大限まで自分達の自由意志を行使するのです。そのため、貪欲が支配するようになりましたが、それはもし続くならこの文明を滅ぼすことになる癌のようなものです。これは一つの意志が他を信用しない所に実る自由意志の結実の結果です。しかし、人間の意志が創造主の意志、あるいは意識を信頼しないとしたら、どうなってしまうことでしょう。


【解説】
 最近の報道では世界の富豪62名の総資産が世界人口の半分、36億人の総資産に等しいと伝えられていました。しかし、その一方で冬空の中、一日中、外で交通誘導に従事して来た人が、その埃と冷え切った身体で帰宅の途に付く姿を目にしました。日本でも人々は厳しい状況の中で懸命に日々の生活を送っているのです。しかし、そうした一方で、このような富裕層が増加し、貧富の差が広がって行くのが地球の現状なのです。
 もちろんその打開策も税制その他の面において必要でしょうが、その本質的問題は本項に記されているように、自由意志による無配慮は貪欲社会に辿り着くことだと思われます。
 これらの問題は惑星自体の末期症状とも呼応するものと思われますが、私達は現段階で、原点に踏みとどまり、私達の自由意志から宇宙に源を置く創造主の意志に転換する必要があるのです。自由意志の帰着点が現状の地球の状況だと見做すべきなのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落104

104 Fortunately there is a harmonious law that works through the body independent of the mind, or the body would not last the years that it does.
104 幸いなことに、身体の中には心から独立して働く調和ある法則があります。そうでなければ、人体はそのように何年も持続することは無いでしょう。



【解説】
 最近、日本では高齢者の定義年齢として75歳が提案されたとのことです。それほど、日本人の寿命が伸びて来たことになります。今では60歳を越えてもなお働き続けることは極普通のことですし、今後迎える高齢化社会もこれら高齢者自身が社会貢献することが唯一の解決策となることでしょう。
 実は人間の寿命は更に長寿命を保てるだけの潜在能力が備わっており、宇宙と調和して働く仕組みがあると本文は示唆しています。これまでは荒れた心や恐怖心その他の不協和音を帯びた想念が肉体を蝕んでいた訳で、それら肉体本来の働きを妨げていたということでしょう。
 同乗記には1000年を超える長老のお話が掲載されていますが、人間本来の寿命は同乗記の長老を考えれば、地球人類も本来の寿命は更に伸びるのかも知れません。宇宙法則の中では時間というものはあまり意味を持たないのかも知れません。寿命が尽きても次なる肉体が用意されるのであれば、永続する存在となるからです。毎日の時間を如何に充実させるかが重要となるだけです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落103

103 The Divine Will always expresses in perfect harmony and causes no distortion in any manifestation. That is why the human form under this will manifests so well. And yet it is abused more than any other form known, by the free-will or will of the ego. i.e. When one eats a meal, the mind or the will of man knows not what is to happen to the food in the body. And if the ego is in a happy harmonious state the food will be beneficial to the body. On the other hand, if the ego is disturbed, confused or tensed and out of harmony with the law, or consciousness, indigestion is bound to follow causing gas around the heart and constipation. Proving the Divine Will, will not lend itself to the distorted will of man. So man pays the price for the distortion through pain and suffering. And this is the only way that some people can learn.
103 聖なる意志はどの創造物においても常に完全な調和をもって表現し、如何なる歪みも生じさせません。それがこの下にある人体がかくも申し分無く現出している理由です。それに加えて人体はエゴの自由意志、つまりは意志によって他の如何なるものよりも酷使されています。即ち、人が食事を摂る時、心や人の意志は肉体の中で食物がどのようになるか知りません。もし、エゴが幸せな調和ある状態にあれば、食物は肉体にとって有益なものになるでしょう。他方、もしエゴが掻き乱され、混乱しあるいは緊張して法則や意識と調和出来なくなっている場合には、消化不良になり、心臓の周囲にガスを発生させたり、便秘を引き起こします。聖なる意志は人間のねじれた心にはご自身をお委ねにはならないとしましょう。そうであれば、人は痛みや苦痛を通じてこのねじれに対して代償を支払うことになります。そしてこれこそが、ある種の人々が学べる唯一の方法なのです。



【解説】
 唯一、私達各人の心だけが宇宙全体の調和を乱し、問題行動を起こしているという訳です。よく”心を無にして”という表現をしますが、心を無にした結果、何も無くなるということではなく、代わってこの宇宙くまなく存在する聖なる意志が顕在化し、私達を助けるということに繋がるのです。
 心の驕りを戒め、常に謙虚に保つことで、私達は自らこの宇宙の英知とも言える普遍的な知性に親しみ、支援を受ける立場を堅持しなければなりません。このことはイエスが「幼子のようにならなければ」と言われたこととも通じるものです。やって来る宇宙的な印象に対して率直に受容し、その主旨に沿って行動する姿勢が大切です。
 また、本文ではこれら創造主の意志は人間のねじれた心には関与しないとも記されています。つまり、私達の心に左右されることなく、物事を指導している訳で、たとえ私達の心が法則を受け入れず、その結果、不愉快な結果を得たとしても、それらから影響を受けることなないということです。それらの好ましからざる結果を通して私達は自らの行動や取り入れた想念レベルを反省する必要があるだけです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落102

102 All nature, with the exception of man, operates by the will of Cosmic Law. In plain, nature lends itself to the law, or the will of the Creator. Yet the form of man operates under the same law that nature does, while the free-will of man operates contrary to it.
102 すべての自然は人間を例外として除けば、宇宙の法則の意志によって動いています。簡単に言えば、自然は自分自身をその法則、創造主の意志に委ねています。一方で人間の身体は自然と同様、同じ法則の下で動きますが、人間の自由意志だけがそれに反して働いているのです。



【解説】
 自然界の中で勝手気ままに過ごしているのは人間だけという訳です。その人間も人体は他の生命体と同様、宇宙の法則に従っているのです。本文ではこの宇宙の法則に従う行為を”自らを宇宙の法則に委ねる”と表現しています。”他力本願”はこのことを示唆しています。
 つまりは自己の意思を無にして、宇宙本源から来る助言を信奉し、それに従うという創造主に従順な生き方をしているということです。その為には、先ずは宇宙の法則に気付く必要がありますし、やって来る印象を感知する必要があることが分かります。
 言い換えれば、想念・印象の感応能力に優れているとも言うことが出来るのです。一方の私達はそれら宇宙本源に由来する印象に気付くことなく、粗雑な自らの意志により行動していることになります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落101

101 And the ego must learn how to apply the impressions that come from the guidance of the THY WILL which is the conscious will, instead of the will of the mind. If a harmonious life is to be enjoyed, the will of the mind must submit its will to the will of consciousness, then the THY WILL is done. The difference between the two is - the conscious or THY WILL does not force itself. It is kind and mellow in its expression, while the ego will is aggressive, domineering and self-centered. Conscious will knows no fear - the ego will fears all through life and makes many mistakes.
101 そしてエゴは心の意志に代わって意識の意志である「汝の意志」の導きから来る印象をどのようにして応用するかを学ばねばなりません。もし、調和ある生活を謳歌するなら、心の意志は意識の意志にその意志を委ねなければなりませんし、そうすれば汝の意志が行われるでしょう。これら2つの違いは意識あるいは汝の意志はそれ自身を強制しないことにあります。その表現はやさしく、豊潤ですが、一方、エゴの意志は攻撃的で横暴、自己中心的です。意識は恐怖を知りませんが、エゴはその生涯を通じて恐れており、多くの過ちをおかすのです。



【解説】
 いずれにしても日々、私達は何らかの意思決定をして行動に移すことになります。しかし、これまでの私達は自分の限られた心の範疇の意思しか知らないまま、問題だらけの行動を起こし、痛い体験のみを積んで来ました。
 しかし、既に学んでいるように、私達の内部にはもう一つの存在があり、宇宙の本源と通じるものが存在し、私達を支え続け、養い続けて呉れています。本文ではこれを「汝の意志」と表現されていますが、それは無言の意識の意志とも言えるものです。
 このどちらを採択すべきかは明らかなのですが、現実には私達は自分のレベルに近いエゴの意志、心の意志に従い易いのです。実際にどのような想念・印象に従うべきかは説明が難しいのですが、それでも実は大切な印象・想念ほど、精妙、微妙なものであるように思います。それらに気付く為には、常に心を止水明鏡のごとく鎮めて置き、僅かな振動にも気付くこと、またそのような高い次元の想念周波数に同調出来るよう、自らを高めて置く必要があることは言うまでもありません。

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