2017年01月

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落100

100 As we observe the harmonious blend in nature, we do not find the same in man. The reason for this that man has a free will and he must learn how to apply the law of the Creator. Through which he will learn the right and wrong usage of it, if he is to become an instrument of full expression. And this is the purpose of his being. He must school his ego sense mind in coordinating all of the senses, as we explained in the previous lesson. This is comparable to a musician tuning the strings of his violin that each may blend with the other, if a harmonious melody is to manifest.
100 私達が自然の中で調和した融合を見る一方で、人間にはそれと同じ(調和)を見ることはありません。この理由は人には自由意志があり、人は創造主の法則を如何にして応用するかを学ばなければならないからです。人は完璧な表現ができる一つの楽器になる為にはその過程を通じて正しいあるいは誤った応用例を学ぶことになるのです。そしてこれこそが、人の存在の理由なのです。前課で述べましたように、人は自分のエゴの感覚心を全ての感覚と調和するよう鍛練しなければなりません。これは調和あるメロディーが現出する為には、音楽家が自分のバイオリンの各弦を各々が他と融合するように調律するのと同様です。



【解説】
 これまで自由意志については、人間に与えられたものと漠然と考えがちでしたが、よく考えればそれは私達各人に与えられたもので、その活用については各人の責任に委ねられているということに気付きます。
 即ち、どのように日常生活を過ごし、日々の精神生活を送るのかについては全く各人に委ねられているという訳で、調和ある生活を送るか否かは実に本人次第ということになります。
 しかし、当然のことながらお手本や模範は必要であり、本書をはじめとする学習書や数多くの教師が地球を訪れて来たということでしょう。それでもどのような人生を送ろうとするかは、全く本人の意志次第であり、その成果も本人に帰すべきものということになります。
 自分が自身に内在する宇宙的要素を如何に発現、表現するか、その生き方を決断するのは私達自身であり、他者が指示することは出来ない訳ですが、それでも他の手本となる生活を築くことが出来れば、その者は他の者の教師となれる筈です。多くの教師が輩出することで、世の中は次第に本来の姿に戻って行くことでしょう。各人の生き方、日常の過ごし方、日頃の想念の抱き方が世の中に与える力は大変に大きいものだと考えています。内村鑑三の”後世への最大遺物”もそれを指しているものと言えます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落099

099 Man's mind could be compared to a detector tube in the T.V. set which cannot function until the power is turned on. And consciousness is the power and intelligence that motivates the mind through the process of the breath of life. And without this breath which we call air, nothing could live. Not even a grain of sand, for everything depends upon it. As it manifests through the various forms it brings forth a complete melody, expressing life in its fullness.
099 人間の心は電力が投入されない限り、機能できないテレビの検波管に例えられることが出来るでしょう。そして意識は生命の呼吸という過程を通じてその心を活性化する力であり知性です。そして私達が空気と呼ぶこの呼吸が無ければ、何物も生きることは出来ません。一粒の砂でさえもです。何故ならあらゆるものがそれに依存しているからです。そしてそれが様々な形あるものを通じて姿を現している為、それは生命を豊かに表現する一つの完璧なメロディをもたらしています。



【解説】
 私達が知覚すべき”意識”なるものの具体的な作用と役割について本項は分かり易く私達に説明しています。そもそも私達の人体とはどのようなものか、そして”心”と”意識”の関係は何かということについてです。
 また、著者は私達が呼吸する空気の持つ役割について説いている点についても注目したいところです。ヨガをはじめとして呼吸法を説く分野も多い訳ですが、その空気を呼吸する動作は、それによって私達の身体に取り込まれた酸素が活用され、代謝において生成する二酸化炭素の排出という重要な役割を持っていることは私達の知るところです。その呼吸が実はもっと深遠な役割を持っていることが示唆されているのです。また、本文に記されているように万物の存在にとっても、空気は必要不可欠であることも重要な部分です。
 このことは宇宙空間には大気があることを示唆している訳で、他惑星も地球とその状況は大差のないことも示すものとなっています。
 呼吸はこのように私達の生存に不可欠であることは、息が出来なければ死んでしまうことからも明らかですし、ヨガその他の修行に占める正しい呼吸法の修得は、本文が説くように呼吸に伴う生命力、意識の働きとも関係することをしっかり認識、記憶し日常生活に応用することだと説いているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落098

098 So it is with man. For he has all the potentials of expression built in, as it were. And he must inhale and exhale the breath of life to be of service. Should he cease breathing he would become a stilled instrument without any motion. Yet to inhale and not exhale the continuous state of life expression would cease. THE BREATH OF LIFE must pass through the form continuously for it to be active. It is comparable to the ether waves that feed the television set. Notice that the breath of life and the ether waves are everywhere and know no barriers, but they need an instrument to express through.
098 それは人間にも当てはまります。何故なら、人は内部に言わば全ての表現力が組み込まれているからです。そして人は役立つ為には、生命の呼吸を吸込み、吐き出さねばなりません。人がもし呼吸を止めたとしたら、何らの行動もしない静止した装置になってしまうでしょう。また、吸込むだけで吐き出さなければ、生命の継続状態は止まってしまうでしょう。「生命の呼吸」は形有ある物が活動的である為には絶えず体内を通っていなければなりません。それはテレビを養っているエーテル波に例えることができます。注意して欲しいことは、生命の呼吸もエーテル波も何処にでも存在し、それを妨げるものは無いのですが、それらは表現される為には道具が必要なのです。



【解説】
 あらゆる才能が各自に備わっており、要はそれを如何に引き出し表現するかが、課題となるということです。テレビ受像機の例のように、私達はその才能を表現する為には、電力即ち生命力を必要とする訳で、その生命力を常に呼吸し、吐き出す必要があります。
 つまりは自身に取り入れた生命力を、今度は自身の才能を開花させ、表現されたものとして社会に放出、表現することです。
 よく人間の役割を生命力を通すパイプであるとされて来ましたが、本来の意味は現実世界に向けて、生命の意図する姿を表現し、世に示すことかと考えます。
 本文にあるように、生命力はあらゆる場所にくまなく存在し、その表現者を待っているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落097

097 We can use the television set again, as a good example. The set in itself has no power or intelligence. But there are instruments in it equivalent to the brain or mind of man which cannot act until the power is turned on. When this is done, intelligent expression follows. Let us say that the intelligence is inhaled into the set through the ether or radio waves which carry the message. And as they come into the set the expression takes place, and not only the message comes through, but the individuals are shown as a living image on the screen. As I understand it, there are 80 different frequency channels in this nation over which programs are carried. Each channel is separated from all the others, yet some are so close that they encroach upon another. This calls for a very fine instrument to keep them separated. All channels use the same power and the same law, but there are sets that can only pick up a few channels. Yet all must depend upon the power and the ether waves to be of service. And they must inhale and exhale the waves to have the continuence of the program.
097 テレビ受像機を再び好例として述べましょう。テレビ自体には電力も知性もありません。しかしその中には電力が入れられない限り行動出来ない人間の脳や心に相当する装置があります。それが為されると、知性的な表現が続いて起るのです。メッセージを運ぶエーテルもしくは電波を通じて知性がその受像機に吸込まれると言うことにしましょう。そしてそれらが受像機に入るや、表現が起りますし、スクリーンに個人が生きているイメージで映し出されます。私の知る限り国内には番組を放送している80の異なる周波数チャンネルがあります。各々のチャンネルは他と分離されています。この為、それらを分離し続けるにはとても繊細な装置が必要になります。全てのチャンネルは同一の電力と同一の法則を用いていますが、中には数チャンネルしか受信できないテレビもあります。しかし、全ては機能を発揮する為電力とエーテル波に依存しているのです。そしてそれらは番組を継続する為にはこれらの波を吸込み、吐き出す必要があります。



【解説】
 とかく私達は自分(エゴ)が自らの身体をコントロールし、これまでの知識からあらゆる事柄を自由に推し進められるし、そのようにして来たと考えています。しかし、よく考えれば、このテレビのたとえのように、私達は電波に乗せられた情報・知識を再現するテレビ受像機に過ぎないことが分かります。
 即ち、本文にあるようにテレビ受像機自体に番組のコンテンツがあるのではなく、それは単に電波を体内に取り入れて、その電波が刻々に示す知性を表現しているのに過ぎません。知性の内容は送り手の側にあるのです。
 そういう意味では、私達は英知の表現者であり、仲介者ということになります。時々刻々湧き上がる想念・印象を如何に損なうことなく、体現するか、現実世界に表現するかがそのテレビ受像機の価値となる訳です。高性能のテレビになる為に、私達は心身共に精進する必要があるのです。

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2017年1月24日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落096

096 The Creator gives us the power of life, and intelligence through the avenue of consciousness. The personal ego mind can use this in accordance with the law or it can transgress the law and receive either bad or good results, as with the electricity. Every individual has been granted this free will.
096 創造主は私達に意識という大通りを通じて生命の力(パワー)と知性をともに与えています。個人のエゴ(自我)の心は法則に従ってこれを利用できますし、法則を逸脱することも出来ますが、その結果、電気の場合のように良い結末あるいは悪い結末を得ることになります。各自は皆、この自由意志を許されているのです。



【解説】
 私達の自由意志とはどのようなものかについて、本項では説かれています。
 創造主から示された法則を正しく用いることも、誤った方向に応用することも私達自身に委ねられているという訳です。
 これまで私達はただ自分本位に法則を利用することだけに生きて来ました。本来はその法則をより正しく用いることが求められている訳です。自らに与えられた生命力と知性をどのように活用するかは私達各人に任されている、そのことを自由意志と称しているのです。
 しかし、その応用の結果については創造主の責ではありません。原子力は物質の本質に迫るエネルギーを解放させる意義もありますが、大量殺戮に活用しようとするのは全く人間の側の誤りであることは明らかです。またその結果、文明が滅んだとしてもそれは人間の側に責任があるのです。
 私達は自由意志の中に生きていくべきですが、自ら学び経験を重ねる中で、真に学ぶべきことはそれら生命力の贈り手の意思であり、贈り手の意向です。身近な意識の中にその息吹を感じ取ることが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落095

095 i.e. An electric socket is made to hold a light bulb and not for a finger to be placed in it when the current is on. Even when it is not, should one be standing in moisture, he can receive a shock. If one gets hurt or has an unpleasant experience by the misuse of the law, he cannot blame the man that is willingly giving him the power. He can only blame himself, either for ignorance of the law, or aggression on his part.
095 即ち、電球のソケットは電球を固定する為に作られたもので、電流が流れている時に指を入れる為のものではありません。指を入れなくても、湿った場所に立って(ソケットを触った)場合にはショックを受けるかも知れません。仮に法則の誤用によって痛い目に逢ったり、不愉快な体験をしたとしても、電力を喜んで送っている係員を責めることは出来ません。自分自身が法則について無知であったか、自分の無謀な行為について自分自身を責めるべきなのです。


【解説】
 法則を認識した以上、私達はその法則を本来の正しい使い方に留意しなければなりません。本項の電球のソケットのたとえのように無謀な行為は自ら痛手を負うことでその者自身の体験になるのですが、本来は必要のない経験である筈です。
 重要な点は良くも悪くも「法則性」は大きな力を発揮しており、この物事を実現に向かって推し進める力を有しているということです。これについては古来から「畏れ多い」という表現が日本神道にありますが、まさにその通りの対応、心境が必要です。
 具体的には各自の心が抱く想念、私達自身が受け入れる想念が物事を実現させてしまう力を持っていることだと考えます。実はこの学習講座を進めて行くにつれて、私達が直接、創造主と様々な経路で結びつきが強く、また大きくなる結果、自分が願うことが実現するようになることに皆様気付かれるのではないかと思っています。
 つまり、学習を続けるにつれて、私達の日頃の想念が周囲に与える影響がまずます大きくなるという訳で、実は学習を進めるについてこれまで以上に私達は自分を律することが求められることになるというものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落094

094 An attendant at a power plant that manufactures electricity sends out the current that you may use it for your benefit. He knows what the electricity is capable of doing and how it is to be used. And we are instructed how to use it. When used as instructed, many benefits are derived in many ways. We can even experiment with it providing we follow the law, without being hurt.
094 電気を起こす発電所の係員はあなたが自分の恩恵の為に使うことが出来る電流を送りだしています。彼は電気というものでどのようなことが出来るかや、どのようにして使用されるべきかを知っています。また、私達はその使い方について教えられています。教えられた通り使用する場合は、様々な面で多くの恩恵が引き出されます。私達は法則に従えば怪我をすることなく、電気で実験すらすることができます。


【解説】
 ここでは著者が発電所で電気が製造され、各地に送られる様子を描写していますが、このことは何を示唆しているのでしょうか。
 やはり想起されることは、電気は各家庭のコンセントから発電所までそれぞれ繋がっているということでしょう。つまり発電所は私達の生命力の源、文字通り「パワー」(注:英語では"電力"の意)の源ということになります。そしてその発電所長は送り続ける電力の持つ役割、人々を豊かにする潜在力を十分に知る責任者ということになり、贈り主、創造主を示唆しています。
 重要な点は、私達各人はこの生命の糸(電線)によって各々繋がっていることであり、各人は常にこのパワーを享受して毎日を暮らしているということです。日常、この基本的な事柄に私達は気付くことは少ないのですが、いざ自分の生命が尽きる時になって私達はようやくその事実をかみしめることになるのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落093

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON THREE
The Application of Cosmic Law
093 In lesson two we left you with the term, "The Will of God." And the explanation that God is not responsible for your experiences. And to clear this we will use electricity as an example.

生命の科学-学習コース
第3課
宇宙的法則の応用 
093 第2課では「神の御意志」という言葉で、そして神はあなたの体験に責任がないという説明で話しを終えました。そしてこのことを明確にする為、一例として電気を取扱うことにしましょう。


【解説】
 私達は宇宙を貫く法則(仏教では"法"と表現しています)の下に生きています。それは物理や化学の法則と同じで何処でも誰にでも当てはまるものです。即ち、ある原因を作れば必ず遅かれ早かれ同様の結果が生じるということ、いわば"播いた種は刈り取らなければならない"という原理です。もちろん、精進努力を積み重ねれば思わぬ時に飛躍的に自らの環境が変化し望み通りになることもその一つですし、またその逆も同じです。
 本項では電気を例に、この後創造主の意志、宇宙の法則について説いて呉れるとしています。
 宇宙における様々な要素の一つである電気については未だ私達はその上辺だけの現象しか知りませんが、それでも電燈をはじめ様々な電化製品、電子機器を作り上げている現代では電気の無い生活は考えられません。それほどに生活に欠くことのできない要素をどのように観たら良いのか、以後の各段落で考える機会を得られればと思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落092

092 Until now, man has been doing everything the hard way with his mind. And has created mystery upon mystery where no mystery exists. And nothing is impossible.
092 今日まで人間は自分の心を用いてあらゆる物事を辛いやり方で行って来ました。そして神秘の無い所に神秘に次ぐ神秘を造り上げて来ました。しかし、不可能なことは何も無いのです。



【解説】
 "全て自分の力で思うように進めて行く"ということは、その反対に"何もせず、惰性に流れる"生活よりは良いのかも知れませんが、実はそれにも多くの問題があるのです。多くの場合、誤った心の解釈から他人を傷つけ、自身も後で後悔するような行為も多くなるからです。
 つまりは私達はこれら両極端でしか生きて来なかったのではないでしょうか。これに対し本講座では私達内部に、著者アダムスキー氏が何処かで述べたように"自分の手"よりも近い場所、私達の内側に"意識"があり、絶えず必要な指導を与えて呉れる状況を自覚、認識せよと説くものです。
 そのことを知覚出来れば、失敗は少なくなり、より充実し成果の挙がる生活に変貌させることが出来ると本章をまとめています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落091

091 The Creator's laws are very simple. If this were not true Jesus would not have said, you must become as a little child. A child is trusting and uncomplicated in its way.
091 創造主の法則はとても単純です。もしこれが本当でなければ、イエスは幼子のようにならなければならないとは言わなかったでしょう。子供は信じ易く、その行動に複雑さはありません。


【解説】
 期せずして段落087の解釈文と同じ主旨の内容が本文に記されておりましたが、まさにその通り、相手(即ち"意識")を信頼し、その指導の声に素直に従うところが重要となるということです。
 つまりはこの現世においては自分自身も含めて人間(エゴ)は平気でウソをつく者も多いのですが、各自の内側にある"意識"は私達を裏切ることなく、常に良い方向に導きの手を差し伸べてくる訳で、その導きに素直に従うことが必要で、あれこれ思いわずらうことはありません。
 そういう意味で、かつてイエスは"幼子"や"野のユリ"その他のように、私達は自分の中に与えられている本来は最も近しい存在である"意識"を信頼し、安寧に生きて行けと諭したということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落090

090 This is the reason the course has been simplified by the Brothers, and is different than any course of study presented before. In its simplicity it gives the major parts of self that the student must work with.
090 このことがこのコースが宇宙兄弟達によって単純化されて来た理由であり、これまで提示されたいかなる学習コースとも異なる理由です。その単純さの中で、学習者がいっしょにやって行かなければならない自己の主な部分を理解させているからです。



【解説】
 確かに仏教も含めてあらゆる宗教、哲学上の究極の教えと本講座の目指す所は大変類似しています。その延長で言えば、どの宗教の教えを学んでも同じ頂上に辿りつく筈で問題はないとも言うことが出来ます。
 しかしそれでも重要な点は、本文に記されているように、私達が身に付けなければならない"意識"との関係について出来るだけ簡潔に現代の私達が分かりやすいように他惑星の兄弟達の支援によって制作されたのがこの講座であることです。
 他に様々な重要点はあるでしょうが、まず第一段階として取り組むべき内容、身に付けるべき事柄が本講座に記されているということです。既にマスターし、進化を遂げた他惑星文明から私達に向けてそのエッセンスを贈られたものと言うことが出来ますし、教えの当初から長年月を経過し一部は本質からずれてしまった既存の宗教を、今更時間をかけてトレースするまでもないことになります。
 それよりは自分自身も含めて身の回りの生きている自然の生命を教材として直接、本講座の内容を学ぶことの方が遥かに大切ということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落089

089 Some reports have come in from the first lesson. And wonderful results are being obtained by those who are really sincere. This is not surprising as every thing that has even taken place is recorded in consciousness, and can be drawn upon when the mind of man becomes attentive.
089 いくつかの報告が第1課から寄せられています。そして実際に誠意ある学習者によって素晴らしい結果が得られています。これは驚くべきことではありません。何故ならかつて起ったあらゆる出来事は意識の中に記録されており、人間の心が敏感になる時、引き出されることになるからです。



【解説】
 皆様ご存知のように本来、この講座は1課ずつの通信教育の形態をとっていました。その結果、著者が第2課を記していた時、第1課を学んだ読者から成果報告が寄せられたという訳です。
 その内容は不明ですが、本文の内容から見て、過去の記憶についての報告であったようです。ここで著者は"意識"の作用の一つとしてあらゆる行動を記憶することを掲げています。つまりは私達全ての者の行動はそのまま意識の中に記憶されるということです。
 この記憶について典型と思われるものは、演奏家が譜面なしで長い曲を演奏したり、舞台上で役者が長いセリフをよどみなく語ること、著名な講演者が長時間、原稿なしでレクチャーする等、私達の身の回りにも驚くべき記憶の持ち主が存在するということです。彼らは適宜適切にその時求められる題材について的確に語り、行動することが出来る訳ですが、それは本当は"意識"と繋がった状況に自身を置いていることだと思われます。
 自身を少しでも意識と合体、統合出来るような状況を作り出せば、必要な情報は無尽蔵に湧き上がって来ることでしょう。意識にはそうした支援、指導の力が満ちているという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落088

088 THE WILL OF GOD is a term often used. If you cannot learn by His guidance which is the consciousness, then He lets you learn by your own mental will which brings painful results. So God is not responsible for your experience.
088 神の御意志という言葉がしばしば用いられます。もし、あなたが意識である神の導きによって学ぶことができないなら、神はあなたをあなた自身の心の意志によって学ばせますが、その心の意志は貴方に苦痛をもたらします。ですから、神にはあなたの体験への責任は無いのです。


【解説】
 私達は何としてもこの"意識"なる言葉に託された概念なり、実感を急ぎ持つ必要があります。著者が繰り返し述べているように、この無言の生命の躍動感、知恵、衝動というものが"創造主のご意志"ということでしょう。その恵みに気付くことが私達の当面の最大の課題であり、仏教で言うところの"悟り"でもあります。
 そのことに気付くことが出来れば、以後はその意識との交流により、私達は本来の進化の道を歩むことが出来ます。各自が創造の経路となって自らを通じて創造主のご意志を表現することが出来るようになるからです。
 もちろんその為には、私達は自我(心)を極力小さくしてこの創造主のご意志に意見を挟まないようにすべきことは言うまでもありませんし、自らの心の在り様も次第に分かってくるというものです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落087

087 Our misinterpretation of its impressions gives us bad results. For many times the mind does not want to be dictated to and acts on its own. The mind in some cases is like a child who is told that if he touches a hot stove he will be burned. But he does not want to be told, so he burns his hand and it is painful. But he did have the experience even though this is the hard way of learning.
087 そのもたらされる印象への私達の過った解釈は私達に悪い結果をもたらします。何故なら多くの場合、心は指図されることを嫌いますし、自らの判断で行動してしまいます。ある場合には心は熱いストーブに触ると火傷すると教えられている子供のようなものです。しかし、彼は教えられることを嫌って、手に火傷をして痛い思いをするのです。しかし、これが学ぶ上で辛い道であったとしても彼は体験を得た訳です。



【解説】
 ここで重要なことは、私達自身、毎日どのような心境で過ごすかということでしょう。因からの印象は常に全ての生きものに分け隔てなく次なる行動の指針を与えて呉れてます。その印象に対し、私達の心は尊大となり、自らその意識による指導に従うよりは自らの意見によって行動することの方が多いのです。
 しかしその結果は手痛い経験を残す方が多いということも私達が良く知るところです。私達が進化する為には、いち早くこの印象の恵みに対し、心を素直に解放し、その恵みを享受することではないでしょうか。
 その為には心を鎮めて、やって来る印象を素直に受け入れ、自分の仕事や生活の進め方に生かすことだと考えます。経験上からもこららの印象は私達個々人が求めるあらゆる側面に対し、支援して呉れる存在であるように思っています。そしてそれに必要な唯一の心境は”素直”ということに尽きるのではないでしょうか。イエスが言った”幼子のように”という言葉は、それを端的に表現しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落086

086 Regardless of what the expression may be, one should make the mind recognize and respect the consciousness as the life of the expression. Consciousness is not a respecter of forms or persons, it lends itself to all in all acts. For itself knows neither good nor bad, but its guidance is always for what we call the good.
086 その表現物が何であれ、人は自らの心に意識をその表現物の生命体として認識し尊敬させなければなりません。意識は形有るものや人物の尊敬者ではなく、それはありとあらゆる行動に自らを貸し与えています。何故なら、意識自身は善も悪も知ることはなく、それでいてその導きはいつも私達が善と呼ぶものに向っているのです。


【解説】
 全てのものの中に"因"即ち"意識"の存在を見ることだと著者は私達に要点を説いています。またその因は物体の中にその存在を支える為に自身を貸し与えていると教えています。生きものはもちろん、あらゆる物質はこの"因"の働きによって存在しているということでしょう。
 この壮大なる事実の前に、人間が下す"善悪"は意味を成しませんし、あらゆる行為はこの"因"の支持なしには成立出来ないのです。全ての行為は"因"を動員して行われるからです。
 しかし人間の誤った行為に対してはどのような解釈をすれば良いでしょうか。磔(はりつけ)に処せられる際に、「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです」とイエスが語ったように、私達が自らに与えられた力を無知であるが故にとんでもない方向に使っているという訳です。
 まだ続く他人を殺傷する兵器の開発や領土の拡大、他人の信仰を排除する思想等々、私達の精神レベルはまだ遠くイエスの時代から何らの進歩を遂げていないように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落085

085 To make the blend it is necessary for an individual to cultivate the habit of having the mind think of the cause behind the action, what ever it may be. And analyze each action to see if it was habitual from the past experiences and purely mental and self centered, or of a cosmic nature, which one must strive to attain.
085 この融合を造り出すには各人は自らの心に行動の背後にある原因についてそれが何であろうと常に考えさせる習慣を養うことが必要になります。そして個々の行動についてそれが過去の体験から来る習慣的なもので単に心によるもの、自己中心のものか、あるいは宇宙的な性質のもの、人が達成しようと励まねばならないものかどうかを見分けるよう分析することです。



【解説】
 結局は日々の私達の想念や行動をそれらが因に根差したものか、或いは私達自身のエゴに由来したものであるかを分析し、チェックすることが必要になるということになります。自分が正しい方向に進んでいるのか否かを知ることは船が本来目指すべき目的地に向かって進んでいるか、方位磁石を確認する船長と同じです。
 問題は私達が目指すべき"因"・意識との交流に当たって、それらは常に印象により語りかけて来る訳で、私達の感性が鈍ければ感知のしようがない訳です。この為、私達はあらゆる機会を通じて、自ら因の存在に気付くことが唯一の解決策になるという点にあります。
 その為にはどんな些細な事例でも、因を知覚した体験を大切にして、その状態を良く覚えて置き、次に備えることが重要となります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落084

084 The mind can be developed to see the pictures in a room that it takes a T.V. to produce. And the sounds and music that are in the air that take an instrument to amplify, and so on with the other senses of the mind, but if consciousness withdraws from the body we consider the form dead. Yet one can lose the functioning of the mind and all of the senses become very dull, but so long as consciousness is there he is a living being. This proves that the consciousness can live independent of the mind which the mind cannot do. Considering the two phases of man we find that they are comparable to two people living in the same house, one depending upon the other. One mental, the other conscious. The conscious part is of the Cosmos, the mental of the world. The wordly must learn to blend with the cosmic before the union with its creator can be realized.
084 心は部屋の中でテレビが造り出すような映像を見るほどに発達させることができます。また、気中にある増幅する装置を必要とする音声や音楽も見聞きできるまでになりますし、このことは心の中の他の感覚についても同様です。しかし、意識が肉体から離れれば、私達はその形有るものを死んだと考えます。しかし、心の機能を失い、全ての感覚が鈍くなったとしても、意識がそこに存在する限り、その者は生きた存在であり続けますが、心はそうは出来ません。このことは意識は心とは独立して存在できることを証明していますが、一方心は意識と離れて存在できません。この人間の2つの側面を考える時、私達はそれらは同じ家に住む2人の人間、一方が他に依存している場合のように例えることができます。一つは心、もう一つは意識です。意識の部分は宇宙的であり、心は世間的です。創造主との結合を実現するまでには、この世間的な部分は宇宙的部分と混じりあうことを学ばねばなりません。


【解説】
 本項の解釈はやや迷うところがあります。著者が私達がテレビやラジオを作り出して空間を流れる映像や音声をキャッチしていること自体について心の発達と表現しているのか、或いは私達の心自体、そのような直接空間を流れる映像や音声を感知できるまでになるとしているのか、2つの解釈が可能となるからです。
 もちろん、テレビやラジオを作り上げたのは人間ですし、私達の心の成果であることは正しいと思うのです。
 しかし、本項の重要なところは、実は私達の内側には2つの存在があり、心の他に全てを知る意識があることを強調している点です。この内、本当の意味で私達を支えているのは意識の方で、意識が離れれば私達は生き続けることは出来ません。
 それほどに重要な知性が実は自分(心)と同じ部屋の中に暮らしていると考えると、実に頼もしくなります。常に師匠といっしょに生活出来ることはこの上ない喜びである訳です。

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