2016年11月

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落064

064 The construction of a large building can be used as an example of what we mean, especially when it is to be a new type of architecture. The completed building is pictured on the screen of a man's mind by the consciousness. Once the mind sees the picture clearly a blue print of the impressions is drawn in order to retain the design of the structure. As in the drawing of the house plans, this is the first effect of the cause. Then the blue print is placed in talented responsible hands to bring about the manifestation. This individual in turn procures artisans and materials for the construction.
064 大きな建物の建設はこの意味するところの一例として用いることができます。新しいタイプの建築の場合は特にそうです。完成した建物は意識によってある人物の心のスクリーンに描かれます。その人物の心がそのイメージ(姿)を明確に見るとその建物のデザインを保持する為、すぐに印象に基づく青図が引かれます。家の建築計画の作図の時と同様、これが原因の最初の結果です。次に青図はそれを現出させる任務を担う人の手に委ねられます。この人物は次にその建設に必要な職人や材料を手配するのです。


【解説】
 私達が印象による意識の指導に従う時、私達の心の中にその印象が持つ具体的なイメージを見ることが出来るという訳でしょう。このインスピレーションこそが私達が望むものである訳です。
 一方、それら印象を具体化、現実化させなければ単なるアイデアで終わってしまいます。そこで私達はこれを実現させる為に多くの人達の力を借りなければなりません。そこには人間各自に授けられた才能が生かされる必要があるのです。
 一人の建築家が感受した印象もその建築家一人ではその建物を実現させることは出来ません。多くの才能を結集して初めて意識が与えたアイデアを実現出来る訳で、そこには多くの者が各々の才能を発揮し協力する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落063

063 The Bible also states that man has many talents. So we will observe the talents with which the Infinite man is endowed. And the important part which each one plays in the cosmic plan where men are equal.
063 聖書はまた、人は多くの才能を持っているとも言っています。ですから私達は無限なる人が授かっている才能を観察することとしましょう。そして人々が等しく存在する宇宙の計画の中で1人1人が担う重要な役割についてもです。



【解説】
 誰でも他人より優れているものをいくつも持っているということでしょう。今生涯でそれらを開花・発展させ他の人達に貢献できれば、その人生は充実し、生きがいのあるものとなる筈です。自分を生かす道を得ることは素晴らしいことであり、創造主の意図に叶っていることになります。
 一人一人が自分に授けられた才能を先ずは知ることが大切なのですが、同時に私達はそもそも才能とは何かについて考える必要があります。本文では人々は平等に才能が与えられていると記されています。つまりは創造に寄与すべき才能には様々な側面があるのです。
 とかく私達は芸術家に対しては素晴らしいと賞賛する一方、日常の仕事、あるいは下働きの仕事には価値をあまり見出しません。しかし、畑で作物を作る者が居なければ毎日の食事はおぼつかなくなりますし、安全衛生的な水を供給し、排水を処理する仕事が滞れば私達に深刻な影響を与えます。
 実は、本項で著者は私達それぞれには役目があり、才能を生かす仕事があると言っているように思います。誰にも平等に様々な才能が与えられ、実はそれらが生かされて社会が成立しているという訳です。

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竹島 正

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落062

062 Patience and faith are the foundation of such a reward. For those who become impatient become shipwreck.
062 忍耐と信頼はこのような報いの基礎です。短気な者は挫折します。



【解説】
 宇宙の源泉から来る電波を求めてひたすらアンテナを向ける電波天文学者のように、私達は宇宙の”因”から来る印象にじっと耳を傾ける態度が必要です。私達自身は感度も性能も劣る機器な訳で、時々に来る大きな出力の信号しか受信出来ないのですが、それでも時には波長が合うこともあり、心の中に入れることが出来るものと思われます。
 しかし、その為にはじっと贈り主を信頼して待つことが必要で、次々にアンテナを動かしていては、本来の観測は出来ないということでしょう。私達には忍耐が必要なのです。
 これまでの学習経験から、印象は精妙ですが、印象ほど確実なものは無いように思えて来ました。解決策を的確に示唆して呉れる存在はそのまま宇宙普遍の生命活動へと繋がっているようです。少しずつ毎日の精進と体験の積み重ねがやがて揺るぎない悟りを構築する土台の石になるように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落061

061 Many people have asked me why I did not ask this or that, trifling things in most cases, but had I done so I would not have the knowledge that I have today. Jesus said, lest you become as a little child you cannot enter the Kingdom of Heaven. Which is the kingdom of cause. And the Bible states that there is nothing hidden that shall not be revealed in time.
061 多くの人々が私にあれこれといった多くの場合、つまらぬことを尋ねなかったのかと聞いてきますが、もし私がそうしていたら、私が今日得ている知識を得ることはなかったでしょう。イエスは言っています、幼子のようにならない限り、天の王国に入ることは出来ないと。それは因の王国でもあります。そして聖書はやがて明らかにならないものは何も無いと述べています。



【解説】
 そもそも何を学び探究すべきかということでしょう。仏教ではひたすら"悟り"という心境を求めることから始めるように思います。"悟り"とは自らの心に残響として残る雑念や執着を取り除いた先にある理想的な心の状態を指すものと思いますが、その心境、即ち本講座の言葉で言えば、実際に"因"の存在を身近に感じ、無音の中から想念・印象が次々に湧き出して本人を導くという"意識と一体化する"ことは相通じるものがあると思っています。
 しかし、そのような心境は心自体が発する意見や興味本位を追求したのでは到達できません。私達は心を空(クウ、カラ、empty)にして、与えられる印象を素直に受容する姿勢を第一にしなければなりません。
 私達は"因"というこれまで学んで来なかった新分野に対しては、先ず基本的な心構えや注意点を十分身に付けた上で取り組むべきで、当初は成果が挙がらず年月が掛かるように思うことがあっても、軌道に乗れば、その後はみるみる成果が挙がると説かれています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落060

060 The consciousness is a cosmic teacher and unless the student does as I have done in this case, he shall have nothing but confusion in the end.
060 意識こそは宇宙的教師であり、学習者は私がこの事例で行ったようにしない限り、最終的に混乱以外の何物も得ることはないでしょう。



【解説】
 私達が目指す、アダムスキー氏が説く最大のテーマである”意識”に対する基本的な姿勢は、前項まで述べられてきた”教師”に対する”生徒”の姿勢にあると本項は明示しています。
 つまりは”意識”から与えられる内容(印象)を素直に受け入れることから始まる訳で、一つ一つを味わい、自分の体験・記憶とした上で、改めてそれらの知見の関連性を考察するということでしょう。もちろん所定の位置にはめ込むことが出来れば、最後には全体像が見渡せるジグゾーパズルのようなものということでしょう。
 重要なのはたとえ断片的、即ち単発的であっても”意識”とつながったわずかな経路からやって来た印象も大切に受け止め、そこから何を学び、身に付けるかにあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落059

059 In later contacts when I was given the privilege of asking questions, I did. But in each case I had to wait for that privilege to not interfere with what was being given. Many things did not fit into my way of life at the time but I was patient and trusted the ones who were giving me the knowledge. At first it was like a puzzle but at the end when all parts were put together the picture was clear. Had I been impatient and interrupted the individuals who were giving me the information I would have lost the precious jewels and had nothing but confusion. As I became as a child to the instructor, I was given many privileges and I am now living in the Cosmic Kingdom instead of the world that l did before.
059 その後の会見で私が質問の特権を与えられた時、私は質問しました。しかし、どの場合でも私は与えられている事柄を邪魔しないようその特権を待たなくてはなりませんでした。多くのことが当時の私の生活の仕方に合いませんでしたが、私は忍耐強くまた、その知識を授けてくれる人々を信頼しました。最初、それはパズルのようでしたが、ついに全ての部品が繋ぎあわされた時、その絵は明確なものでした。もし、私がせっかちで、その情報を授けてくれる個個人を遮ってしまったら、私は貴重な宝石を失い、また混乱以外何物も得なかったことでしょう。私は教師に対して子供のようになることで、私は多くの恩典を与えられ、今や私はそれまでの世界に代わって宇宙的王国に住んでいます。


【解説】
 本項では「学ぶ」際のとるべき基本的な心構えについて、著者自身の体験という形をとって私達に解説しています。
 実際、このような事例のように私達自身が他惑星の宇宙船に招かれることはあまり考えにくいのですが、この著者自身の体験を語る中で、著者は私達が"因"に対して指導を仰ぐ際の心構えを説いているように思います。また、人生における師となる者とその弟子との関係も同様です。
 私達は程度の差はあっても、他者に教える、或いは他者から学ぶ機会は多いものです。そのいずれの立場に立つ場合でも、師弟の関係はかくあるべきという訳です。従って特に私達は師となる際には、その教えを受け取る人達を心底受け止め心血を注いで育むことが必要ですし、その弟子にあっては師を信頼して伝えられる内容の真価を味わい、その意義を深めるなど教えに共鳴することを第一としなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落058

058 The mind, in order to learn from the consciousness must humble itself to get each point in a clear manner. For this instruction comes only by impressions. Whether observing an object or listening to sounds, impressions will be given independent of the mind. Consciousness is not governed by habits like the mind is. i.e. When I made the first contact with a space person my mind wanted to know many things, especially things that conformed with my habitual life. I had to control my mind and remain silent so that I could receive all that he wished to impress upon my mind. Had I speculated on what was to be given, I would have missed the significants of the meeting.
058 心は意識から学ぶには各々の要点を明瞭に理解する為、自らを謙虚にしなければなりません。何故なら、この教えは印象によってのみもたらされるからです。ある物体を観察する際や音に耳を傾ける際に、印象は心とは無関係にやって来ます。意識は心のように習慣に支配されておりません。ですから、私が最初に宇宙人と会った時、私の心は多くの事柄、特に私の生活習慣に合った事柄を知りたがっておりました。私は自分の心を抑制し、相手が私の心に印象付けたいと思っていたこと全てを受け入れる為に沈黙を続けたのです。もし私に何を与えられるのか考え巡らせていたら、私はその会見の重要ポイントを見失っていたことでしょう。


【解説】
 重要なことは常に受容的な心境を持ち、授けられる印象に対して鋭敏さを保つことだと思います。結局答えはいつもインスピレーション即ち、想念・印象という瞬時のパルスで贈られて来ますので、それを正確に受信する為には心自体を空(Empty)にして置く必要があるのです。まさに"心貧しい状態"という訳です。
 その為には沈黙が必要で、心の中を自らの想念が満たしているようでは他の印象が入り込む余地はないのです。また、とかく私達は興味本位の関心から様々な情報を求めがちですが、私達にとって必要なことは、先ずは"因"との関係における基本的な理解であり、"因"と"結果"との関連性を理解すること、納得できる体験を得ることです。その為には枝葉末節的な知識への要求は脇に置いて、基本的な事柄について理解を深めることを優先させなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落057

057 A child in a classroom is a good example. A good student follows the instructions of the teacher without having any opinions of his own during the time that the lessons are being given. After this he tests the information given to see if it is correct and where it fits into his own life. While another student will speculate on what a teacher is going to say, thereby he is ahead of what is being said. And he misses important points and has no clear knowledge of the subject. The first student profits from the instructions. The second one does not. In the case of the attentive student he humbled his mind to listen, but the second one became aggressive and lost the valuable points.
057 教室にいる子供が良い例です。良い生徒は教科が教えられている間は如何なる自分の意見を持つことなく、教師の教えに従います。その後、生徒はその与えられた情報が正しいか、そして自分の生活の何処に当てはまるかを知る為、確かめます。一方、もう一人の生徒は先生が何を話そうとしているかについて思いを巡らし、話されていることの先に行っています。彼は重要な要点を見逃し、本題に関する明瞭な知識を得ることがありません。最初の生徒は教えから利益を得ましたが、次ぎの生徒は得られません。傾聴した生徒の場合は、自分の心を謙虚にして聞こうとしたのですが、次ぎの生徒は攻撃的になり、価値ある要点を失ったのです。



【解説】
 この目に見えない私達の指導者に対して、どのように対処したらよいか、本項は学校の授業を例に私達に説いています。
 何かを教えてもらう場合、教師を信頼することが第一であり、先ずは教師の伝えることを受け入れる姿勢が重要です。次々に教えられる事柄に対して、疑念を持つ態度は心自体がその疑念に対する思考が回転し、手一杯になってしまう為、それ以降の教師の話が耳に入りません。その結果、教師が伝えたかった主旨がその生徒には十分伝わらないことになります。
 私達はこれから探究しようとする"因"に対しては常に生徒であることを忘れてななりません。教師である"因"から想念・印象によって教えが授けられる際には、私達は謹んでその印象を拝受し、自らの生活全般に活用すべきな訳です。
 これは実は容易なことではなく、自分自身を因に対して常に謙虚に保ち、信頼する態度が必要です。教室において生徒が教師を信頼することに似ています。また教師の方も理解している生徒か否かということは良く分かるものです。"創造主から愛される"という表現がありますが、それも本事例における教室で素直に学習に取り組む生徒を指すものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落056

056 DISCIPLINE OF THE SENSES
 How is one to discipline the senses? The sense of sight which guides itself by effects, as it is an effect of consciousness, seldom takes the time to study the cause back of what it sees. And by now if you have learned the first lesson well, there should be a desire to know the purpose for which each form has been created. And this can be revealed to the mind when an effect is viewed with the second sight, so to speak, or with the sight of consciousness. And as stated before single sighted.
056 諸感覚の鍛錬
 諸感覚を鍛錬することとはどのようなことを言うのでしょう? 結果によって自身を導く視覚は、意識の結果の一つであるため、めったに自分が見るものの背後の因をじっくり学ぼうとはしません。そしてこれまで、もしあなたが第1課をよく学んでいたら、個々の形有るものが創造された目的を知りたいという願いが湧き起るはずです。そして、これが結果がいわゆる第二の視覚、言い換えれば意識の視覚で見られる時、心に明らかにされるのです。こうしてこれまで述べたように一つの視覚になるのです。



【解説】
 大事なのは日常の私達の感覚が如何に目に見えない因の存在に関心を持ち、因を知ろうとするかにあります。あらゆる事例の真の解決策は従来の私達自身の心の思考などでは得られる筈もありません。新しい発見は常にその因から来る無言の印象から与えられる訳で、それら想念・印象に気付くようにならなければ、問題解決は難しいと言えるのです。
 この場合、重要と思われる点は、身の回りのあらゆる存在物に対して、その由来や背景、創造された目的等、今日までの長い年月の中での歩みやそのものの果たして来た機能を知ろうとする気持ちであり、感覚を鍛錬する必要があると本項は説いています。
 先ずは物事への関心からということでしょう。観察が大事という真の意味でもあります。仏典では"観世音"とか"観音"という言葉がありますが、世の中を見る時、想念・印象の波である目には見えない"音"を"観る"とは言い得た表現ではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落055

055 If a family is to be happy, each individual of the family must respect each other member as he would like to be respected. And each must have trust and faith in the parents that are the guiding hands. And so it is with the senses - they are the family that make up the household of a man. And they must be taught respect, trust and faith in each other. And above all, for the parent which in the consciousness. It will not be easy to rehabilitate the senses due to the many habits that they have cultivated. But this must be done if we are to have a heavenly type of life. There is no other way except through learning and understanding the reason for life.
055 もし家庭が幸せになろうとするならば、その家族の各員が自分がそうされたいように互いを尊敬ししなければなりません。そして各々が導き手である両親に信頼と確信を抱かなければなりません。そしてそれは諸感覚についても言えることです。それらは人間という家庭を作り上げている家族なのです。そしてそれらは互いに尊重し、信用し、信頼することを教えられねばなりません。その中でも両親である意識に対しては特にです。それらが養った多くの習慣の為、諸感覚を矯正するのは容易ではないでしょう。しかし、私達が天国のような生活を得ようとするなら、この作業は成されなければなりません。生命の存在理由を学び、理解することを通じて以外に他の道は無いのです。


【解説】
 心を鎮め、気持ちを整えるとはどのようなことかについて本項は説いています。
 私達の心は過去の体験でしか判断出来ませんが、因からの印象は絶えず私達に新しい概念のヒントを与え続け、私達を導いて呉れています。いわばその贈り主であり、私達を子供のように見守って呉れる存在への信頼なくしては私達は前進出来ません。そこにFaith(信仰、信頼)が重要となる訳です。
 もちろん私達の心は暴走を戒めなければならないのですが、単に問題があるとするのではなく、互いに尊重する姿勢こそが大事だと説かれています。感覚こそ元来、私達に授けられた道具や窓であり、それらを本来の姿に戻すだけで良い訳です。
 これらの事柄は毎日、自分で一つ一つ確かめること、一日の心構えを決めて実践し、その得た結果から宇宙普遍の原理・法則として納得・確認することが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落054

054 Unless the sense mind disciplines itself and allows the consciousness to govern it, it will continue as it has in the past.
054 感覚心が自身を鍛練し、意識に心の支配を任せるようにしない限り、その状態は過去と同様、引続くことでしょう。



【解説】
 心を柔軟でオープンな状況に保って、因から時に授けられる印象をしっかり受け止め活用することが大切な所です。その前提となるのは私達自身が自分を向上させようと思うことであり、至らない自分自身を何とかしたいと思うことです。
 これまでの体験からも先ずは自らの気持ちを鎮めて、問題の回答を宇宙的拡がりを持つ空間、因の領域に求める心境、落ち着いた中でも答えを求める謙虚さが重要だと考えます。いわばそのような心境はアンテナを因の世界にまで拡張するようなものです。
 外から見ると本人はガムシャラに努力せず、他力本願のように映るかも知れませんが、心主導でなく、目に見えず耳に聞こえない意識の指導に従うことの方が遥かに重要であり、ゴールに近いのです。私達は所詮、生涯を通じて自分自身に向き合い、自分を改良して生きて行かなければなりません。その過程で自身の実状を直視し、少しずつでも改善する日々の精進が説かれています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落053

053 The pride of the sense mind may find the process painful, but the sense man must learn by experience. And to do this he must school the senses to respect one another. For as it is now they have no respect and as a result a person has no respect for his being. Thereby he has no respect for others, except those who please one or another sense.
053 感覚心のプライドはその過程に苦痛を見い出すかも知れませんが、感覚人は経験によって学ばなければなりません。そしてこれを成すには、各感覚を互いに尊敬しあうよう訓練しなければなりません。何故なら、現在そうであるように、それらには尊敬感が無く、その結果、人は自分の存在に尊敬感を持っていないからです。それ故に、人はいずれかの感覚を喜ばせるもの以外に他に対して尊敬感が無いのです。



【解説】
 私達が抱える多くの問題を突き詰めて行くとプライド(面子)に行き着きます。その要因は本項で説かれているように、そもそも私達の感覚自体が各々他を尊重しないことにあるという訳です。自分の判断(裁き)は当然誰もが認めるべきだという主張です。
 本来は、よく"傾聴"という表現がされるように先ずは他の者の説明を聞く姿勢が重要です。聞く耳を持たない態度は思考の柔軟性に欠け、問題解決を妨げます。その姿勢を先ずは自らの心の中から実践せよと著者は説いているのです。自らの四感覚を相互に信頼させ、一体となって機能するようにすることから始めるということです。
 しかし生じてしまった問題を解決するには、その真の原因に直面する勇気、たとえ自我(エゴ)がそれまでのプライドを失うことを恐れて尻込みしても、是正に向けた行動を執らない限り前進はありません。"聞くは一時の恥"と言われる通りです。基本は心身をいつでも柔軟に保ち、いつでも必要な是正、修正を行える心構えが必要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落052

052 And oftimes the mind takes the stand of least resistance, a state of inertia, and does nothing. It tries to escape its responsibility instead of having the determination to learn by correction. It has been said that God helps those who help themselves. So the individual must do something in order to correct the undesired results and have the rewards hoped for.
052 そして、しばしば心は最小の抵抗、慣性状態をとり、何もしなくなります。心は修正によって学ぼうと決心する代わりにその責任を逃れようとします。しかし、神は自ら助ける者を助けると言われてきました。ですから、個人は不本意な結末を修正し、望んでいた報酬を得る為には何かを成さねばなりません。


【解説】
 本項は私達自身(エゴ)の特徴をよく表しています。多くの場合、私達は大きくなった問題に対して何ら直面し解決に努力することなく、放置した上に責任逃れに明け暮れるからです。
 一方でよく言われることは、問題を抱え込んだ場合、無理せず十分眠って一時期問題から離れよと説かれる場合があります。それは自我(エゴ)がその問題解決に耐えられない場合、神経症に陥ることを避ける為でもあるのです。本項で言うことと全く逆の対応ではありますが、それほどに私達の自我(エゴ)の取扱いは容易ではないという訳です。
 しかし、放置してもいつかはその問題に直面せざるを得ませんので、私達は少しずつでも解決に向けた行動をとる必要があります。また行動を始める中で、解決策が授けられるようになるとも説かれています。前課で学んだように石が転がり問題nぶつかる中で磨かれるように、実践行動こそがゴールに繋がるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落051

051 In time it must retract these opinions if it is to have a pleasant existence. All of the troubles in the world have been so created. And when they become too great, people decide to place them in The Hands of God, which is the All Inclusive Consciousness that created all things with a purpose. Each person will hope that this Great Intelligence will correct the situation. But when the correction is shown in many cases, it is not accepted for it is not understood by the mind which made the mistake in the first place.
051 もし快適な存在を得るのであれば、いずれはこれらの意見を引っ込めなければなりません。世の中のトラブルの全てはそのようにして造り上げられて来ました。そして、それらトラブルが大きくなりすぎると、人々はそれらを万物をひとつの目的で創造した全てを包括する神の御手に委ねることを決意します。各個人はこの偉大な知性が状況を修正してくれることを望むのです。しかし、多くの場合、修正法が示されても、その修正案は受け入れられません。最初に過ちを犯した心によって理解されないからです。



【解説】
 私達は駄々っ子のようなものだということでしょう。各々自分勝手な文句だけを言って過ごしている訳ですが、問題にぶつかると自らは何の解決策も持たない為、ただ騒ぎ回って最後には問題そのものを放棄するか、"神様"にお願いするしか方法が無い訳です。
 本来問題解決は事態が肥大化しない内に対処すべきであり、私達はその問題の発生段階、つまりは"原因段階"、即ち"想念段階"から是正を行うことが重要ではないかと考えます。既に学んで来たように、全ては想念・印象のレベルから物事は現実化に進行する訳で、その源となる想念・印象のレベルにおいて常に正常な状況を維持すること、より高次・深遠なるレベルに自らの心を保つことが重要です。
 また一方では自らの心の過ちについては、いち早く改めることが必要となります。各々の場合には本文に記載があるように、意識による是正のアドバイスが与えられますので、その印象を快く受け入れれば、事態は必ず良好な方向に進むことになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落050

050 Jesus said a double minded man is unsuitable in all of his ways. And it is double minded when one sense likes something and the other does not. So Jesus urged man to be single minded in all of his ways. In other words unite all four senses for the purpose of service and not judgment. And this can only be done by conscious guidance. For in consciousness there are no likes or dislikes, it understands the purpose for all manifestation but the mind does not. All manifestations are conceived in consciousness and born into the world of effects. Just as the mind was conceived in consciousness and born as an effect of that conception. This is why it is so easy for the mind to guide itself by effects. And not having the knowledge and the reason for all of the effects it passes judgment in either likes or dislikes.
050 イエスは二心ある者は全ての道において不向きだと言いました。そしてひとつの感覚がある物を好み、他の感覚が好まない時、二心となるのです。それゆえ、イエスは人に全ての道において心一つになるように求めたのです。言い換えれば、裁きではなく、奉仕の目的の為に4つの感覚を統合せよということです。そしてこれは意識の導きによってのみ為され得るのです。何故なら、意識の中では好きとか嫌いとかが無く、全ての創造物(注:manifestation)にとっての目的を理解していますが、心はそうではないからです。全ての創造物は意識の中ではらまれ、結果の世界に生まれて来ます。丁度、心が意識の中ではらまれ、その結果として生まれるのと同様です。これが心が自分を結果によって導くことをそのように容易になる理由です。そして心は結果物の全てについての知識や理由を知らないが故に、好き嫌いの判定を下しているのです。



【解説】
 私達自身もこれまでの経験から、やはり邪念を排除して誠実に事に当たる時に問題の解決策に辿りつくことを知っています。また、仕事の出来る者は集中して問題解決に当たりますし、これらは本項で説く内容とも一致しています。そこには心の迷いがありません。
 良い例が運動競技の例であり、記録を出すほどの競技者は皆、迷いの無い心境が不可欠であることをよく分かっているのではないかと思われます。先ずは自分自身を一つにしなければなりません。その方向は私達の存在意義に沿ったものであるべきです。
 私達自身が何処から来たのかについては本文では平易に記されています。実際、私達はもっと真剣にこのことについて考え直さなければいけないと思っています。そもそも自分が何を託されてこの世に生まれ来たのか、その創造主の御心を拝察することは、生命を与えられた者として最低限の義務であると思うからです。本文では"全ての創造物は意識の中ではらまれ、結果の世界に生まれて来ます"とあります。私達は結果の世界で迷う以前に、本来の意識の世界についてもっと関心を持ち、知ろうとすることが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落049

049 The most predominant individual is sight. The next predominant one is hearing. Then taste and smell. You may say here, what about touch? The touch could be called a nerve impulse reaction which is not a sense, but it gives a sense reaction to the mind. As each sense acts independent of the others, oftimes one will disagree with the others. i.e. The sight may perceive a beautiful flower but the aroma is very unpleasant to the sense of smell and it rejects it. So the unity of mind is already divided. The same is true with the other senses, for one may like something and another dislike it. And while this is taking place, as it has for ages, pain and an unpleasant existence is the result.
049 その内、最も支配的な者は視覚です。次ぎに支配的なのは聴覚です。次に味覚と嗅覚になります。あなたはここで、触覚についてはどうしたのかと言うかも知れません。触覚は感覚ではなく、一つの神経パルスの反応と呼ばれるようなものですが、心には感覚のような反応を起こさせるのです。各々の感覚が他と独立して行動する為に、時として一つの感覚が他と意見を相違することが起ります。即ち、視覚は美しい花を認識するでしょうが、その臭いが嗅覚にとっては大変不快であれば、嗅覚はそれを拒絶します。ですから、心の一体性は既に分断されているのです。他の感覚についても同様です。何故なら、ある感覚が何かを好ましく思っても、もう一方がそれを嫌うかも知れないからです。そしてこのことが起っている間、その結果として何世代にわたって、苦痛と不快が存在して来たのです。


【解説】
 既に多くの読者がご存知の通り、アダムスキー氏は一貫して4つの感覚についての問題を説いています。視覚、聴覚、味覚、嗅覚がそれであり、触覚は感覚的な反応は示すがそれは好き嫌いの意見を持つような感覚ではないとしています。
 私達は未だこの事柄の意義について十分に理解するものではありませんが、本文で言う視覚から嗅覚までの4感覚が独自に判断を行っていることは良く分かります。
 最も良く分かる事例は食べ物の例でしょう。口に含んで味に違和感があるものについては味覚が警告を発し、いち早く外に出すことを求めますし、近づけた際に異様な臭気を感知したものは食べ物として拒否する等はいずれも感覚の働きです。これらは実は私達自身を守る為に各々の感覚がチェック機能を果たしているということでもあります。同様な意味で視覚は外観の状況を知らせますし、聴覚も危険を察知して私達に警告する役割を担っています。
 実は本来はこのように私達自身を守る為、必要な情報を得る為の感覚であった訳ですが、長年私達自身がそれらに依存して来たこと、全ての情報はこれら感覚の判断結果のみを頼りにして来た為、4感覚は次第に増長し私達自身を支配するようになったものと思われます。
 しかし、これらの感覚からの情報は所詮、表層的なものであり、また各感覚の判断もまちまちで相互で異なることも多いのです。その結果、それらに依存している私達は時に混乱することになると本項は説いています。

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11月3日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落048

048 In order to better understand the action of the mind, let us consider it in four parts, like four different people.
048 心の活動をより良く理解する為には、それを4つのパーツ、丁度、4名の異なる人のように考えることにしましょう。



【解説】
 本項に関連して思うことは現在のパソコンの最新ソフトWindows10の起動画面は、このことを象徴しているかのイメージを持っていることです。4つの窓から部屋に光が差し込んでいますが、それはそれぞれ4つの感覚器官を通じて心にもたらされる外界の情報であり、部屋の中にはそれに対応する感光板があるという設定です。
 この基本ソフトの開発者が本講座を知っているとは思われませんが、Windows(窓)という基本ソフトによって外界からの光(即ち情報)がもたらされるというイメージを表したかったものと思われます。
 私達はこの暗い部屋、即ち自らの心をより明瞭に、即ち明るくして部屋をもっと開かれたものにすると同時に、この限定された窓(既存の感覚器官)に限ることなく、より広く外界との繋がりを持てる想念・印象を自由に出入りさせることで実現することが必要です。
 イエスの時代から暗闇は私達の心を象徴するものでしたが、その中を照らす灯火(ともしび)や松明(たいまつ)に象徴される信仰は私達を導くものとされて来ました。私達がこれから取り組むべきは、この4つの窓(感覚)を本来の正常な状態に整えることであると本項は説いています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落047

047 Now we proceed to analyze the mind, which is made up of the senses. This sense mind is actually in the process of creation through its constant learning. It is like a sensitive plate which receives impressions from its observations of effects. And most of the time its conclusions are not in accord with natural law.
047 これからは、感覚から成り立っている心なるものを分析することにしましょう。この感覚の心は実際にはその絶えざる学習を通じて創造される過程にあります。それは結果の観察から印象を受ける感受性のある板のようなものです。そしてほとんどの場合、その出す結論は自然法則と調和していません。



【解説】
 この生命の科学講座が、これまでの宗教や哲学と大きく異なる点が本項に示されているように私達の心や意識、更には細胞、原子分子の本質的意義と役割、活動の実態等について具体的に解説している所にあります。平易な表現がされている為、何気なく読み進んでしまいますが、その説いていることは具体的であり、かつ深遠です。他惑星の文明から地球にもたらされたテキストとされる由縁も納得できるというものです。
 私達の当面の課題は自らの心をよく観察し、実態を把握することですが、その心についてのイメージが本項の主題です。心が印象を得る際の状況を感光板のようなものだと表現されています。デジカメの画像素子のように一瞬の光のパルスに対してもカメラは鮮明な画像を着像出来るように私達の心は想念・印象を感知するという訳です。
 問題はその画像素子は成長の過程にあり、感度も得られた印象の把握や解釈についても、拙い状況であり、学習を進めて行く状況にあるということです。つまりは日々、私達は自分の心の動きを見守って、それが正しい学習の途についていることを確認する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落046

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON TWO
The Mind and Its Component
By GEORGE ADAMSKI

046 In lesson number one we left you with the idea of driving a car in full conscious awareness of all of its parts.

生命の科学-学習コース
第2課
心とその構成要素
ジョージ アダムスキー 著

046 第1課ではすべての部品を完全に意識しながら自動車を運転しているという概念で話しを終えました。


【解説】
 前項では理想的な姿として運転者からは目に見えない自動車内部の様々なメカニズム(機構)を完璧に意識しながら車を運転する状況が説かれていました。車を運転する上ではもちろん前方をよく見て自分の車の進む方向を確認したり、ハンドルやレバーを操作したりするという従来通りの操作は必要です。その上で車内部の様々な機構について熟知していることが理想と言えるでしょう。
 この場合、車が私達の肉体であり、運転者は私達の心、そして肉体内部の精妙な機構が因なる意識という訳です。その3者が一体となって運用されて初めて本来の目的が円滑に達成されることになります。
 私達は不安定な状況の運転者が何ら車内部の状況に無頓着のまま乱暴な運転を続けている問題に先ずは気付く必要があります。本来はもっと長期間活躍できる筈の高級車が私達には与えられていますし、それをいたわりながら末永くその恩恵を享受することが求められているのです。

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