2016年07月

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落221

221 "Man has not experienced the full potential of his being, for he too is forgetful of his cause parent. As a result he wanders in a maze of effects, ever searching for that which has lasting value.
221 「人間は自分の存在の最大限の潜在能力を経験したことはありません。何故なら、彼もまた自分の因の両親を忘れたからです。結果として彼は結果の迷宮の中をさまよい、価値が長続きするものを求めていつも探しているのです。」



【解説】
 目の前の現象に目を奪われている私達は、真実の、そして不変なる私達の源について、ついつい忘れがちです。その結果、自分の目の前の一見、確かそうな物質に私達の拠り所を見出そうとしているのです。
 しかし、この一見確かそうに見える物質世界は実は大変移ろい易いものです。私達自身、数年前の自分の写真を見ても、変貌する様子は確認出来る筈です。このように変遷、流転するのが物質界の定めということでしょう。常に同じ形を保つことは難しく、地球自体、宇宙自身も絶えず変化して行く過程にあるのです。
 そう気付く時、私達はそれら物質界の更に奥の因の世界にそれらの永続性を見ることになります。即ち、これら宇宙の活動を支え続けている存在に対して、畏敬し信奉することが唯一不変な生き方であるからです。
 他の動植物はどこまで理解しているのかは知りませんが、少なくてもこの厳しい生存環境の中でも、穏やかに生涯を送り、自らの役割の実現に向けて迷うことなく邁進している彼らには、この不変なる因の生命力について、誰にも負けない信頼を置いていることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落220

220 "When the fruit is fully mature it is either picked from the tree, or it drops to the ground - thus it is separated from the parent. If the apple were like man it would exult in its own beauty and free-will, developing the self ego in the world of effects only, forgetful of the Cause parent.
220 「その果実が完全に成熟する時、それは木からもぎ取られるか、地面に落ちることになります。そのように両親から離されます。もしリンゴを人間とするとしたら、それは自らの美しさに有頂天になり、自由意志は自己のエゴを結果の世界のみに発達させて宇宙的な両親を忘れさせることでしょう。」

【解説】
 リンゴの場合はその元となったリンゴの木のことは忘れることはない訳ですが、地球人の場合、とりわけ西欧社会では誕生後、自我の発展を望ましいとする幼児教育が行われているのではないでしょうか。自分で物事を選択させ、その結果に責任を持たせるやり方は、子供の頃から自身で決定する生き方を勧めています。
 しかし一方で、このことが独善となったり、エゴを高め、自他の区別、更には弱肉強食の世界へと繋がって行くような気がします。全て平等の条件の下でスタートした後は、個人の努力や才覚次第だという訳です。もちろん事業を成功させ、金持ちになる者もありますが、競争社会の下では圧倒的大多数が敗者として人生を終わるものです。
 これに対して、先ずは自らの出生の源にある宇宙根源の生命体を畏敬し、ひたすらその指導に従い、自らに託された使命を全うしたいとする心境には、エゴを高める要素は一つもありません。
 私達が先ずしなければならないことは、自我を増長させることでも、自我を取り去ることでもない、自らの由来や本来の使命について思いを致すことだと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落219

219 "From the bosom of mother earth the seed grows to a beautiful and productive tree expressing its full potential in bringing forth fruit. According to the  seasons., tender new leaves grow into maturity, delicate blossoms proudly display their color and fragrance attracting pollen and the elements required for the growth of the individual apples. Slowly the blossoms release their beauty that the fruit bearing the re-creative seed may fulfill its purpose.
219 「母なる大地の胸元から、その種は一本の美しく、そして果実をもたらす完全な潜在力を表現する木に成長します。季節に従って柔らかな若葉は成熟へと成長し、繊細な花々はそれらの色や香りでひきつける花粉やその他の一つ一つのリンゴの成長に必要な要素を誇らしげに表現します。花々はゆっくり、その再創造の力を持つ種がその目標を成就する実を付けるよう、その美しさを解放するのです。



【解説】
 一粒の種が大地の中に播かれると、その種は大地の庇護の下、自身に託された創造の目的の実現に向けて活動を開始します。それは種から発芽し、若葉を出し、やがて幼木から花を付ける成長した木になるまで、休むことはありません。
 何ら迷いもなく、ひたすら自身の発現の為、内なる使命を成就する為に働くのです。しかしここで注意したいのは、彼らは苦難の中ガムシャラに努力しているというよりは、静かにしかも豊かに自身を通じて自然の豊かさ、生命の美しさを体現していることです。
 植物がこのような自然(宇宙)の法則の中に身を置いて生きていることを実感することが大切です。私達は本来、自然との調和の中に暮らすことで、少しでも彼らに倣った心境を保つことが求められているように思います。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落218

218 "The apple tree lends itself very nicely as a symbol of creation and re-creation. The tree as a parent for the apple started from a seed within whose heart was the cosmic urge to express
218 「リンゴの木というものは、創造と再創造の象徴として、大変良く自らを役立てています。そのリンゴにとって両親となる木は、その内部の芯の中に表現したいと促す宇宙的衝動がある一つの種からスタートしました。」

【解説】
 全ての生きものはその大本を小さな一粒の種、一つの細胞に置いています。
 生命出発の源が一つの細胞に由来することは明らかなのですが、その意義について私達はより深く考えて見る必要があります。
 即ち、種はその発芽の時期や周囲の環境条件が適した時に的確に活動を開始しますし、大賀ハスのように何千年経過してもその時が来るまで待つことも出来る忍耐強さも持ち合わせています。発芽するというその内部の衝動に従って、ある意味その後の保障は何も無くても種達は迷うことなく発芽し、精一杯の生長活動に転じる一方、その後は許される範囲内で必要な成分を周囲から摂取し、自らに期待される成長に向けて人知れず努力するということでしょう。
 私達が特に重視しなければならない点は、これら種の行動には迷いがないということです。最近、食卓に上るスプラウトのように一斉に発芽する様子は生命力がそのまま表現されているものです。その迷いの無さは、自らを支えて呉れる自然への信頼によるものと言えるでしょう。種が発芽する時のように、私達も宇宙の因のサポートに信頼を置くことが大切なポイントです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落217

217 Firkon addressing me said, "We had planned to have you meet the One you call the Master, who we call the Wise One, but as those plans were not possible to carry through, He asked me to give you this parable to be shared with the people.
217 ファーコンは私に話しかけてこう言いました。「私達は貴方を貴方がマスターと呼び私達が賢者と呼ぶ人物に逢わせようと計画して来ましたが、そうした計画が実行出来なかったため、その方から私がこの寓話を貴方に贈って人々に分かち合って欲しいと頼まれたのです。」




【解説】
 どのような経緯かは分かりませんが、再びアダムスキー氏と「同乗記」で言う長老との面会がその後も計画されていたということでしょう。おそらくはアダムスキー氏を再び母船に同乗させる計画があったものと思われます。
 ここで私達が注目したいのは、何故改めてその長老(注:原文ではtheが付いており、同乗記に記されているアダムスキー氏が会ったあの長老を指すものと思われます)が、リンゴの木の寓話について話す必要があったかということです。
 実は前章では地球太古の時代のトリテリアやレムリアの文明について解説がありました。滅びてしまったレムリアは問題なのですが、それよりも今日の私達にとっては完全な任務遂行を終えたトリテリアの人達が地上をエデンの園として暮らしていたことが重要です。その後の文明でエデンの園の暮らしが送れなくなったきっかけと伝えられるリンゴの木の寓話の真意を正しく理解することが大切なのだということでしょう。
 リンゴはこのことに関連したイメージを持っている訳で、コンピューターやiPhoneのApple社が人が食べかけのリンゴをデザインとしているのは、このことをイメージしているに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落216

216 Firkon and another gentleman had brought me to the home of some of their people who are living here.
216 ファーコンともう一人の紳士が私を、ここに住んでいる彼らの仲間の誰かの家に連れてきたのでした。



【解説】
 当時、ロスアンジェルス郊外に他惑星人が住んでいたことを本項は明かしている訳ですが、アダムスキー氏の周囲には様々な形で他惑星人からの支援体制が構築されていたことがこの記述からも分かります。
 氏の活動はもっぱらこれら他惑星からの支援の人達によって支えられており、氏の近くにいた当時の方々からは、よく正体不明の人達が氏の周囲を出入りしていたことを伝え聞いています。
 中でも私の記憶に鮮やかなのは、マデリン・ロドファー夫人から聞いたお話の中で、あのワシントン近郊でスカウトシップが低空で出現した際、夫人の家に滞在中の氏と夫人に見知らぬ青年達が家のドアを叩いて、「彼らが来ている」とスカウトシップの飛来を伝えたということがあります。
 また、氏の病が最終段階を迎え、最後に病院に救急車で搬送される時、救急車の後ろをしばらく伴走する車があり、やがてライトを点滅させて去って行ったことなど、夫人からは「きっとブラザーズの車だった」という強い印象を受けたとお聞きした時のことは、私にとって今もって鮮やかな記憶となっています。
 今日、私達はこれらアダムスキー氏の残した著作は、こうした他惑星からの支援の下で私達の為に残されたものであることを自覚したいものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章-段落215

19 THE PARABLE OF THE APPLE TREE
215 It was a warm evening, the discussion which for me was all absorbing overshadowed the beauty of the night, as we relaxed in a patio in suburban Los Angeles.
第19章 リンゴの木の寓話
215 それはある暖かな晩であり、私達はロス・アンジェルスの郊外のある中庭でリラックスしながら、私にとって全てがその夜の美しさをも陰らすほど夢中になる議論でした。



【解説】
 当時、あるいは現在も地球の各地には秘かに他惑星人も暮らしているということでしょう。彼らは私達地球人を支援する為に派遣された方々で、アダムスキー氏の周囲にはこのような人々が多数配置され、氏の活動をサポートしていたものと思われます。
 太古の昔から伝わるエデンの園のリンゴの木の寓話について、その真の意味を当時、アダムスキー氏に伝えられた経緯が本章で記されています。
 パティオ(中庭)について思い出すのは、かつてグアダラハラのディアス博士の所に滞在した際、当地の家の造りとして中庭があり、涼しくなる晩にはゆったりとした時間をそこで過ごしたことが思い出されます。また、帰国時に車で空港に向かう途中、”ここが他惑星人の家だ”とそっと教えてくれたことも記憶に残っています。今となっては確かめようもないのですが、他惑星人とコンタクトを持つ人物の周囲には、これら数多くの宇宙からの支援者グループが存在していたものと思われます。

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7月19日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落214

214 The Brothers have told me that they have records that have been kept on their planet regarding the civilizations on the earth, and that these accounts of Lemuria and Triteria are correct.
214 宇宙兄弟達は地球上の諸文明に関して保存されて来た記録を彼らの惑星に持っていること、また、こうしたレムリアとトリテリアの記述は正しいと私に伝えてくれました。


【解説】
 他惑星の資料室には地球という惑星の歴史が記録され残されているという訳です。これらの資料を見れば過去どのような文明の変遷が起こったかが分かりますし、それはまた今日の文明がどのような場面にいるかも的確に理解出来るということでしょう。
 先日もラオスの著名なお寺(オントゥ寺)のお坊さんからその寺にある珍しい首を後ろに向けたライオン(獅子)像のいわれをお聞きしました。それによると後ろ向きの意味は、「国の発展には歴史を振り返ることが重要であること」と「人生を振り返り両親や恩人のことを思うべきである」という二つの意味があるということでした。
 私達もこれまでの歴史を振り返り、国としてどのような行動を執って来たかを反省し、同時に今日の自分がどのような方々の恩を受けて成り立っているかに心を留めなければなりません。歴史を学ぶことは私達j自身の歩みを確認し、未来にとって役立てる教訓を掴むことでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落213

213 Our return to our natural heritage shall be as glorious as that of the Triterians if we allow ourselves to awaken once more into the unification of all life!
213 もし私達が再び全生命の統合状態に自分自身を目覚めさせるなら、私達の自然の生得権への帰還はトリテリア人達のと同様に輝かしいものとなるでしょう。



【解説】
 本章の終わりに著者は改めて現状の私達もトリテリアの人達のように人間本来のあるべき姿勢に立ち返るのであれば、彼らと同様に輝く存在になれると励ましています。
 私達各自が生きる目的はまさに、この一点に集約される訳です。そしてこのことはイエスも同様に「放蕩息子」の話を通じて当時の人達に示していたのです。
 こう考える時、一方で科学技術を手にした現代の私達は、今度はもう一方の手で宇宙を貫く精神性、アダムスキー氏の言う「宇宙意識」を感じ取り、自らの心をその存在に添わせて行くことが大切です。直感力もその中で養われ、因の世界の本当の姿を知ることが出来る筈です。結果(物質)と因との相互関係、関連性を理解するようになれば、トリテリアの人達に近づくことが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落212

212 There are no descendants of the Triterians, for they served their destined time on this planet earth and were transferred by space craft to another solar system. This is the race which dwelt upon the earth prior to the Biblical records. The fall of man was not brought about until the advent of the Lemurian race. The Triterians left the earth in a virgin state and went on for greater service, but all of the races who followed them are still endeavoring to regain their cosmic birthright. The Triterians worked with the cosmos through intuition and obedience; the other races have chosen to gain their perception through suffering and the observation of effects; living in the bondage of mortal concepts.
212 今日、トリテリア人達の末裔は居ません。何故なら彼らはこの惑星地球における彼らの定められた時間を勤め、別の太陽系に運ばれたからです。これは聖書の記録以前に地球に住んでいた民族です。レムリア族の出現までは人間の堕落はなかったのです。トリテリア人達は地球を原初の状態にして立ち去り、より大いなる奉仕の為に進んで行きましたが、彼らの後に続く全ての種族は未だに自分達の生まれながらの宇宙的な権利を取り戻そうともがいています。トリテリア人達は直観と従順さを通じて宇宙とともに働きましたが、他の種族は自らの認識を労苦と結果の観察を通じて得ることを選択し、死すべき概念の束縛の中に生きているのです。



【解説】
 トリテリアの人達は生きる拠り所を直感と従順さに置いていたことは、今日の私達にとって最も注目すべき要点です。
 私達、現代の地球人は後世、どのような人達であったと言われるかは知りませんが、物事の基礎を文字に記された内容や物質主義、更には貨幣経済の下、科学技術を特化して発展させ、感受性その他の精神面では随分と発達が抑制された文明と評価されるのかも知れません。
 これまでのところ、レムリアから今日の文明まで、さまざまな変遷があったことでしょうが、常に興亡を繰り返しており、今日再び様々な側面でこの文明も行き詰って来ているということです。前にも触れましたが、富の格差や宗教に名を借りた狂気、経済活動と称する侵略等、どの一面を見ても大変危うい状況にあります。
 こうした中、本シリーズを学ぶ皆様は、真実を知った者として責任は重く、またこれら諸問題の解決にも期待されているのです。かつてこの分野の同行の士が「直感を大切にする」と盛んに仰っていたことを思い出します。日常生活の中で「直感」即ち、「印象」に気付くような静かな心の状態、鋭敏な心の状態を維持して行くことで私達は自らを本来の状態に戻して行くことが出来るということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落211

211 There was no greed or selfishness among these masters of the earth. (In our terms of today we could say that they had achieved their Master's Degree in every  subject.) They knew that the substance of the universe is unlimited and indestructible and that there would always be sufficient to meet every need. No man among them engaged himself in the accumulation of material wealth.
211 これら地球の達人達の間には貪欲や利己主義はありませんでした。(今日の私達の言葉を用いるなら彼らはあらゆるテーマにおいて修士の学位を達成したと言うことが出来るでしょう。)彼らは宇宙空間の物質には際限が無く、破壊されることがないこと、そしてそれらは常にあらゆる需要に見合うに十分存在することを知っていました。彼らの間には誰一人として物質的な富を蓄積しようと忙しくする者はいなかったのです。



【解説】
 目下の文明の最大の問題は富の偏在、貧富の格差です。富める者はますます富み、貧しい者はその子孫も含め大多数の者がその貧しさの中に留まらざるを得ないという訳です。この問題は現代社会の根源的な問題であり、富む為には戦争をも辞さないといった所でしょう。
 しかし、この貪欲さを捨てることが出来れば、少しずつ私達も本来の社会の姿に戻って行けるものと思われます。もっと私達は貪欲が何処から生まれて来るのかを考えるべきでしょう。将来への不安、支配欲は自らが全てを与えて下さる創造主を身近に感じられない為に起こる、心の不遜に由来しているということでしょう。
 かつてトリテリアの人々は、この同じ地球でエデンの楽園に暮らすことが出来たのは、自らの貪欲の要素を克服していたからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落210

210 Due to the lack of friction or resistance to the life force their bodies remained always youthful and death as we know it did not exist.
210 生命力に対する摩擦や抵抗が無い為、彼らの肉体は常に若々しく保たれ、私達が知るような死というものは存在しませんでした。



【解説】
 トリテリアの人達がどのような文明であったかは、本文の記述以外、知るすべがありませんが、アダムスキー氏が同乗記等で記している他惑星人の暮らしぶりから、実際に1000年近くも生命を保つ人達であり、不老の民であったことは容易に想像できます。
 最近のテレビ番組でもストレスが諸々の病の原因となることが説明されていましたし、少しでも毎日の自分の精神状態を顧みれば私達は自らの生命力に対して、それを損なう活動、即ち自らを害するような想念・印象をまき散らしていることが分かります。
 先日もある所で多くの蝶が舞う光景に出合いました。平凡な道の脇の草むらなのですが、そこの咲く小さな花々に何種類もの蝶が各々楽しげに飛び交っていました。普段、人が立ち入ることの無い彼らの楽園のようでした。それら美しい光景を見て思ったことは自然界の他の生きもの達は皆、毎日を楽しく暮らしており、生命力を発揮しているということです。熱帯地方の雨季の季節、雨上がりの晴れ間の中、楽しげに舞う色とりどりの蝶の舞いは本当はこの世界は楽園なんだと感じた次第です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落209

209 The Triterians had no religion as it is accepted today - they were a race of scientists, for they worked not on supposition or myth but on facts. They had no gods but recognized the all-intelligent force and themselves as expressers of it. They did not make the mistake of allowing their mortal mind to judge the creator for they understood cause and effect. They gave no thought to any division between themselves and the cosmic consciousness; they acted with a freedom and assurance of results. Therefore life was peaceful and harmonious. They were not bound by gods or devils for their only state of awareness was that of  interblended action. They recognized the necessity of duality in creation but they did not separate the force into good and evil.
209 トリテリア人達には、今日認められているような宗教はありませんでした。彼らは科学者の種族であったのです。何故なら、彼らは想像や神話に基づいて働くことはなく、事実に基づいて働いていました。彼らには神がありませんが、全英知を認識し、自分達をその表現者であると自覚していました。彼らは自分達の死すべき心に創造主を裁かせる誤りをさせませんでした。何故なら彼らは因と結果を理解していたからです。彼らは自分自身と宇宙意識の間に如何なる分け隔てをするような想念を持ちませんでした。彼らは自由に、また結果を確信して行動しました。それ故、生命は平穏で調和あるものでした。彼らは神や悪魔に束縛されはしませんでした。彼らの知覚の唯一の状態は融和混合した行動のそれであったからです。彼らは創造における二元性の必要性を認識していましたが、その力を善と悪とに分離することはしなかったのです。



【解説】
 今日私達の目指すべき目標が、このトリテリアの人達の生き方であると著者は本項で説いています。
 万物に英知を見て、その融合を感じる中に日本の古代文化にある「草木ことごとくよくものいい」とする「神人融合」(「日本文化史序説」(二) 西田直二郎著)の世界は、それに近いものであったと考えます。
 トリテリアの社会には宗教は無く、特段の礼拝対象もない訳で、身の回りのもの、目にする全てが「神宿る」ものになっていた筈です。このような社会においては、自然探究が重要な仕事であり、その成果は皆が共有でき、各自の進化に役立ったことでしょう。
 重要なのは、一たびこの生活姿勢に基づく生き方が出来れば、その後は安定した進歩の道を歩むことが出来ることです。自我を統制し、調和ある生き方を続けて行ければ、前途洋洋の歩みになることは間違え有りません。自然の中に宇宙を流れる真理を見出し、指導の声に耳を傾けることです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落208

208 These master-men were cosmic beings and during the time they spent in gaining their earthly experience they did not once separate themselves from the Totality. They worked with the elements of the earth as men work with them today but they understood the cause of their manifestations. They were sent to this solar system to partake of the knowledge of matter and this they did under the guidance of Cause Intelligence. This was easy for them to do for they were aware of the natural laws governing all action and they were wise enough to use their knowledge without perversion. The Law of Affinity held no mystery for these people and the elements obeyed their commands to the fullest. The earth was a perfect expression of Edenic beauty.
208 これら達人達は宇宙的な存在で、彼らが地球上の体験を得る為に過ごした期間中、彼らは一度として自分達を全体性から分離させたことはありませんでした。彼らは今日の人々が働くように地球の元素とともに働きましたが、彼らはそれら創造物の因を理解していました。彼らは知識にあずかる為、この太陽系に送られ、彼らは因の導きの下、これを行いました。これは彼らにとって容易でした。何故なら、彼らは全ての行動を支配する自然の諸法則について気付いており、彼らは自分達の知識を誤用することなく用いる程に賢明であったからです。その親和の法則は彼らにとって神秘ではなく、これらの諸元素は彼らの命令に完全に従いました。地球はエデンの美しさの完全な表現となっていたのです。



【解説】
 本項の内容を読み返して分かったことは、著者アダムスキー氏はこのトリテリア人は聖書で言うエデンの園に暮らしていた人達であったこと、最初に地球に人間が住むようになったケースであったことを示唆していることです。表だって”アダムとイブ”を指している訳ではありませんが、地球上の物質世界の知識を学ぶ為、派遣(移送)された人達であったように思われるのです。
 いずれにせよ、創造後、誰ひとり人間が暮らしていなかった処女地にトリテリア人は移住して来たと思われ、彼らの高い精神性とみずみずしい当時の地球環境とはよく融合し、物心両面で理想的なパラダイスが形成されたということでしょう。
 その遠い記憶がトリテリア人が去った後もわずかに残され、聖書のエデンの園に繋がって行ったのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落207

207 These were large people and their color may be likened to our bronze or rust, which was probably caused by the intensity of the sun's rays which shone upon the earth at that time
207 これら(訳注:トリテリア)の人々は大柄な人達で、彼らの肌の色は今日で言う赤褐色もしくはさび色に近いかも知れませんが、それはおそらく当時、地球を照らしていた太陽光の強さから引き起こされていたのかも知れません。



【解説】
 確かに熱帯・亜熱帯の地域は日差しが強く、油断しているとあっと言う間に日焼けしてしまいます。本文ではトリテリアの時代、太陽から降り注ぐ光線が今日より強かったと記しています。
 肌の色については、一般にアジア人の黄色、アフリカの黒色、アメリカの赤色、欧州の白色等々、地球上には様々な肌の色を持つ人間が昔から暮らしていましたが、それもそれぞれの祖先が長年暮らした環境に適応した結果が残っているのかも知れません。
 一方、これらとは異なる色調もあります。ラオスでは通称「エメラルド仏」と呼ばれる緑色の仏像の存在が伝えられています。今は経緯があってタイに安置されています。また、ビエンチャンのお寺(インペン寺)には肌の色が緑色の「神人」の象が建立されています。寺の伝承では本尊を建立する際、どうしても最後の工程がうまく行かず、工人達が落胆していたところ、見慣れない3名の人が来て、手伝って呉れるという。その後工人達がその場を離れたわずかの間に本尊は完成してしまったとのこと。その3人はその後、2、3日その寺に滞在した後、消えてしまったという。寺の人達は天から神が人の形に変身して降りてきて、助けてくれたとしてその神人の象を建立したという。何とその神人像の肌の色は緑色となっています。神人を表す色として緑の肌色が設定されているのです。
 他惑星人との交流の中でも、アダムスキー氏が同乗記その他で述べているように、様々な肌の色をした人達が居たとされており、多様な人達が天(宇宙)の中には存在するということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落206

206 Idealists have ofttimes visualized the perfect man as an etheric being who dwelt only in the planes of celestial glory and had powers to overcome the laws of nature, but we find the Triterians to be dwelling on the earth in physical bodies and cooperating fully with the laws of nature.
206 理想主義者達は、しばしば完全なる人間を天上の栄光の中にのみ暮らし、自然の諸法則を征服する力を持つ霊妙な存在のように思い描いて来ましたが、私達はこのトリテリア人達は肉体を持って地上に暮らし、自然の諸法則と完全に調和していたことに気づきます。



【解説】
 精神面を探究して行くと、その素晴らしさに現実の物質世界を無視し、そのまま霊的世界のみを探究しがちですが、それはあるべき本来の姿ではないことを本項では注意しています。
 何より、その手本が他惑星の人々の暮らしぶりにありますし、アダムスキー氏が彼らとの交流について世界に発信した理由もそこにある訳です。私達同様の人間がしっかり地についた理想的な生活を送っていることを示した意味は大きいと思っております。
 つまり、太古の昔は「神人」とされ、天空に昇って行ったとされるこれらの人達は、具体的には私達と何ら変わらない人体を持っていた訳で、科学技術やその精神能力が私達より秀でていた為、何か別格の神の使いのような存在に思えたに過ぎません。
 理想は実現するとあります。私達もこの手本を目標に毎日の生活を送る必要があります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落205

205 This civilization was called the Triterian race and from the memory of those people rose the Triton God of the early Greeks. This Grecian god was pictured as half man and half fish, symbolically corresponding with the cosmic record which speaks of the Triterions as the "people of the waves." They were not, of course, half man and half fish but they were the masters of both the waters and the earth.
205 この文明はトリテリア族と呼ばれ、これらの人々への思い出から、初期ギリシャのトリトン神が起こりました。このギリシャの神は半人半魚として描かれ、トリテリア人達を「波の人々」と称する宇宙的記憶に対応しています。彼らはもちろん半人半魚ではなく、水と大地の両方の支配者であったのです。




【解説】
 このトリテリア族については、今もってなお具体的な探究は行われたことはなく、遠くギリシャ神話に登場する”海の神トリトーン”として伝承されているのみのようです。また、これまでの本文の記述から、この文明はレムリア以前の人達であったことが分かります。
 その由来である「波の人々」に関連して以前、どこかで紹介したかとは思いますが、日本の民話の”浦島太郎”にも多少類似した箇所が出ています。日本の場合、竜宮城の乙姫様が登場しますが、この”乙姫”には、”音を秘める”という音を充てるという話を以前聞いたことがあります。また、”竜”といい、”音(波動)”といい、太古の文明に関する本質を示唆する言い伝えかと思っています。
 いずれにしても、”波”を統制していたとすることは、重要なポイントです。水面の波の他にも、想念・印象は波と表現されますし、それらを十分に感知、統制出来ていたことは、宇宙意識とも十分交流が出来ていた人達だからです。
 これらの人々は災害に遭って絶滅した訳ではなく、平安の内に地球を去ったものと思われます。そして去るに当たって、自分達の遺物を地上に残さない選択をしたのではないかと考えています。今日、私達も自然を大切にする観点から、残骸を残さず、立ち去ることはうなずけるからです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落204

204 In the bible of every race there is an account of creation and the suggestion of an Eden where man dwelt in the perfect state of being, but there is little more than the suggestion and it has been accepted by humankind as a beautiful bit of mythology that has an indifferent effect upon the progress of man in his present state of being. In the annals of consciousness, however, is revealed the truth concerning a race of God-men and their Edenic homeland.
204 あらゆる種族の聖典の中には、創造の記述と人間が完全な状況の中で暮らしていたエデンの園と呼ぶべきものの示唆が書かれていますが、それは示唆以上のものではなく、これまでは人間の今日の状態への進歩にとってどうでも良い程度の神話の美しい小片でしかないとされて来ました。しかしながら、意識の年代記の中では、神人族とそれらのエデンの母国に関する真実が明かされています。



【解説】
 著者はレムリアの歴史を語った後、多くの民族の神話に登場して来るエデンの園について、本項で言及しています。
 つまり、レムリアは滅びた訳ですが、それとは別に神と人間が合一状態にまで融合した人達の存在を示唆しているのです。
 私達日本人には竜宮城の神話もあるのですが、それらも含め、エデンの園は遠い過去の話であり、現代では痕跡すら残っておりません。
 しかし、アカシックレコードにはこれらの記憶が残されていると著者は説いているのです。私達が思いも寄らない程の長年月を経過しても、この意識に残る記憶は消えることが無いということでしょう。私達が日々発する想念は克明に空間に記憶されると思った方が良いのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落203

203 The earthquakes and the sinking of the continent were due to natural causes. A shift or change of the surface of the earth comes at certain intervals, but the people of Lemuria had become so immersed in the mortal world of effects that they paid no attention to the warnings given by nature. Had they been alerted to these signs they could have moved to safer territory
203 地震や大陸の沈下は自然の原因によるものです。地球表面の移動や変化はある間隔でやって来ますが、レムリアの人々は結果である死すべき世界にどっぷり漬かってしまっていたために、彼らは自然によって与えられた警告に注意を払わなかったのです。彼らがこれらのサインに注目していれば、彼らはより安全な地域に移動することが出来たことでしょう。



【解説】
 ここでは大陸の沈下の理由を地球の長年月の周期における活動の一環だとしています。私達は”生きている大地”の上を一時的に借用して生活している以上は、それに従った対応をとる必要があるという訳です。
 自分自身のことで頭が一杯で、これら変動に対して鈍感な私達は自然からの事前のサインに対して無頓着、無関心である為、災害から被害を受けやすいということでしょう。事実、野生動物達は如何なる災害に対しても被害を受けないよう、実に適切な行動をとります。逆に私達はこれら動物達の行動を地震その他自然災害の前兆現象として頼りにする始末です。
 同様な意味において、現代を生きる私達も自分の身を守る為にも、自然界の変化について鋭敏になり、変化の兆候をいち早く察知しなければなりません。アダムスキー氏が逢っていた宇宙人達も、宇宙空間の変化についていつも監視していると知らされておりますし、絶えず太陽系その他の変化に注視しているのです。
 自分自身も含め、精妙な変化を印象を通じて感知する能力を伸ばして行くことが重要だということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章-段落202

202 This went on for several hundred years until at last the forces of nature demanded payment for their unbalanced conditions - the payment of suffering. They were given warnings of their future destruction if they continued in their unbalanced state but they heeded them not, so the elements turned against them. The earth became unsteady beneath their feet; tidal waves swept their shores and eventually a steady trembling took hold of the entire Lemurian country. For approximately seven months the earthquakes continued and gradually the land began to sink. The waters rushed in and covered the one-time Heavenly kingdom and another civilization was lost.
202 この状態は数百年進行し、遂に自然の諸々の力は彼らの不均衡な状態に対する代償、苦痛の償いを要求しました。彼らはもしそのような不均衡な状態を続けていたら将来は破滅するとの警告を受けていましたが、彼らはそれを心に留めることはありませんでした。その為、諸元素が彼らに反抗したのです。地面は彼らの足元で不安定となり、大波が彼らの海岸を一掃し、遂には間断の無い揺れが全レムリア国を支配しました。約7ヶ月その地震は続き、次第に大地は沈み始めました。水がなだれ込み、一時期天国のようであった王国と文明の一つが失われたのです。




【解説】
 レムリアは太平洋に沈んだ訳ですが、本項ではそれは自然災害や突発的な何かの事情というようなものではなかったことを説いています。つまりは巨大な大陸が沈むというような背景には何百年と続く人々の貪欲その他問題行動や破壊的な想念に対する自然界の反動であったということです。
 そういう意味では、1万数千年後の現代文明も同様な断崖の渕に居ると言えるかも知れません。貪欲さが世界に浸透していますし、環境の汚染も地球規模で広がっています。ある意味、レムリアの時代とは異なる形で、現代文明も危険な水準に到達しているものと考えます。
 地震や火山活動の活発化、激しい気象現象等は、宇宙からの私達への警鐘として捉える必要があり、何とかこの危機を乗り越えるべく、各自身近な所から、改めて行く必要があります。その長いスパンで物事を見る時、イエスや仏陀が説こうとした背景事情についても多少は知ることが出来るのかも知れません。

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