2016年01月

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第9章-段落102

102  What would this country be today if the pioneers who set sail from lands across the sea had lost faith and courage and spent their days merely dreaming of the new land while their ships remained anchored in the ports of the old world?
102 もし大西洋を横断した大陸から帆を上げた先人達が、信仰と勇気を失い旧世界の港に錨を降ろしたまま、単に新大陸のことを夢見て彼らの時を過ごしていたとすれば、この国(訳注:米国)は今日どうなっていたことでしょう。


【解説】
 新大陸(アメリカ)を目指そうと思った者は当時も数多かったのでしょう。しかし、未知の大陸にどれほどの長い航海が必要であるか、当時は分かる訳もなく、多くの者は航海を計画し、実行するまでには至らなかったものと思われます。
 しかし、唯一その航海を計画し、実行した者のみが成果を残せたという訳です。即ち単に夢見ているだけでは、その実現は遅いものと思われます。むしろ、一歩ずつでも行動して様々な経験を得ながら、前進し続ける中で、事態は急展開し、想定よりはるかに早く物事は成就するように思う訳です。
 この際の秘訣としては、ひとたび宇宙の流れを引き起こせれば、その後は自然と物事が流れて行くということです。大事なのは最初のステップとその後のある程度のまでのフォローです。後は物事が全体としてその目標に向かって動いて行くことになります。以上の事柄は、これまでの体験によるもので一般的ではないかも知れませんが、ある程度の努力によって物事全てが賛同し、助けてくれるように思うのです。最初の段階でその目的や意義など、具体的な内容を広く周囲に示し、その実現に向けた初動に力を注ぐことだと思っております。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第9章-段落101

101  It takes courage and faith to walk the road of progress; the doubter will remain forever in the same old rut. He may turn his vision towards greater knowledge but it will remain forever a dream of mystery unless he releases himself from the spot upon which he stands and takes one step forward.
101 進歩の道を歩むには勇気と信仰を必要とします。疑う者は永久にその同じ古いわだちの中に留まります。その者はより大いなる知識の方向に自分の視野を向けるかも知れませんが、自分が立つその場所から自身を解放し、一歩を前に踏み出さない限りは、永遠に夢の中に留まることでしょう。



【解説】
 実際、進歩の道を行くには勇気と決心が必要です。私達は過去の実績や慣習に捉えられてとかく安易な流れに身を委ねがちです。その中にあって一日一日を新たな心境で迎えることは貴重と言わざるを得ません。
 私達にはまだまだ学ぶべき世界が多くある中、各自独りで課題に取り組むという困難な状況にあることも確かです。アダムスキー氏亡き後、現在では適当な指導者も無くまた、表立った他惑星人の働きかけも無い中、独りアダムスキー氏の残した著作の中から真理を学び取ろうとする私達は貴重な存在と言えるかも知れません。
 しかし、振り返れば仏陀やイエスの生誕も今考えれば大きなスペースプログラムの一環であった訳で、今期の一連のアダムスキー氏の活動もそれに並ぶイベントであったとすれば、その後、私達がどのように教えを開花させられるかが、後世の人達から問われることにもなるでしょう。
 本文に戻れば、毎日の朝日のように私達に贈られる一日を如何に自分の前進に活用出来るかが重要であり、今日の現状維持は決して明日の自分に役立つことはないのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第9章-段落100

100 In these days of restless activity and innumerable new discoveries, in the babble of uncounted creeds claiming space contacts and guidance, and in the uncertain whirl of diversified circumstances it is well to contemplate this bit of wisdom and stabilize oneself in the thought that action begins with one single step. That regardless of how far or how near the goal may be there can be only one step taken at a time. It is the first stride forward or backward that will carry a man in that direction. This is true of every act of our daily lives and is just as true in our start to live a unified life. It takes but one step at a time to lift us out of the rut of the old habits and start us on the highway of the new, but that step must be complete; we cannot put one foot forward and keep the other in the rut, for in such cases we will have made no progress. That is what many people are doing in their effort towards moving into the newness of cosmic life - trying to go forward into the vastness of Cause while clinging to the limited sense conceptions of traditional belief and opinions.
100 今日の落ち着きのない活動と無数の新しい発見の時代、宇宙人とのコンタクトや導きを得たと主張する無数の信条のたわごとや様々な状況下におけるはっきりしない渦の中にあっては、この知識の小片をじっくり考え、行動は一歩から始まるというその考えの中で自分を安定化することは良いことです。ゴールが如何に遠いか、あるいは近いかに係らず、一時に一歩しか進むことはできません。前進であれ後退であれ、その方向に人を運ぶのは最初のひとまたぎです。これは私達の日常生活のあらゆる行為についても言えることで、統合された生命を生きる上で私達がスタートする上でも同じことです。古い習慣のわだちから私達を引き上げ、新たな王道で私達をスタートさせる為に一時にただ一歩が必要なだけですが、その一歩は完全でなければなりません。私達は一方の足を前に、他方をわだちの中に置いたままにしておくことは出来ません。そのような場合、私達は進歩することはありません。それは多くの人達が宇宙的生活の新鮮さの中に移行しようと努力している中で行っていることでもあるのです。因の広大さの中に行こうとする一方で、伝統的な信念や意見という限定された感覚の概念にしがみついているのです。



【解説】
 今も昔も宇宙人とのコンタクトやいわゆる超能力の発現事例など、人々の関心を惹きつける話題は多いものです。しかし、その中でどれが真実であるかの見極めは難しいものです。本人に悪意が無くて何らかの勢力が仕組んだものもあるでしょうし、もちろん本物もあるのです。
 そうした中、私達は自らの力で真実を見極め、有用な事例を学んで行く必要がある訳ですが、その判断基準はこれまで学んで来た事柄をベースにする必要があります。もちろん、真実は普遍のものですから、たとえ時間が経っても色あせることはありません。そういう意味では直ちに飛びつくことなく、冷静に観察する慎重さも必要でしょう。
 最も望ましいのは、自らの力で自身の歩む道を開拓して行くことですが、それも一度に一歩ずつの前進で良いのです。しかし、本文で述べられているように、進歩の道に足を踏み出しても、もう片方の足が古い習慣のままにいるのでは、進歩の妨げになります。少しの歩みでも、翌日はその経験を踏まえて、改善させる決意が必要な訳です。習慣に流されてはならないこと、また、日々の少しずつの歩みが有効であると著者は説いています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第9章-段落099

9. THE HIGHWAY OF PROGRESS
099 The sages of the Orient left to posterity many words of wisdom that might well act as guide posts along the way of life. Among the Chinese proverbs is one statement to the effect that "a journey of many miles begins with one step."
第9章 進歩の王道
099 東洋の賢人達は子孫に人生を歩む中で、案内標識としてよく機能する多くの知恵の言葉を残しました。中国のことわざの中に「何マイルもの旅も一歩から始まる」(訳注:「千里の道も一歩から」)という意味の言葉があります。


【解説】
 これから歩みを進める時、著者はその道程が実は遥かに続く長いものであることを、中国の格言を引いて私達に伝えようとしています。進歩の道は実に厳しい道であり、決して容易なものとは言えません。
 このアダムスキー哲学の道においても、最初は"空飛ぶ円盤"や"UFO"から関心を持ち、次いで他惑星人との関わりに入った後、彼らの精神性と地球上の既存宗教との関連に気付き、その後ようやく宇宙文明の真髄とも言えるアダムスキー哲学の分野に入ることになります。
 それでも余程の関心が無ければ、興味本位のレベルで終わってしまう人も多いものです。何より、地上の既存勢力は一般人に目覚めてもらっては困る訳で、大衆向けの娯楽番組や表層的ニュースしか取り扱わないよう、操作しているからです。
 一方、アダムスキー哲学の中に真理を見出した方々の中にも、進んで行くにつれて、自身のエゴや周囲の無理解等、様々な困難に出逢うものです。そこで挫折して再び元に戻ってしまうか、それを乗り越えて新たな展望を拓くかはご本人の努力と工夫次第ということになります。
 しかし、明らかにして置きたいことは、たとえ困難があっても、一歩進めば、それだけの成果があり、またその成果を拠り所として、次に進むことが出来るということです。そういう意味では、前に踏み出す一歩は着実に人生を目的地に導いてくれることになるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落098

098  Science has now proven that the so-called fifth sense should not be classed with the other four.
098 科学は今や、いわゆる第5番目の感覚は他の4感覚と同類に見なすべきではないことを証明しているのです。



【解説】
 既にお分かりのように、feeling(触覚)が他の四感覚とは完全に別物だという訳です。このことは私達が漠然と「feeling フィーリング(感じ)」という意図でも用いている、想念・印象の経路とも通じています。身体各部の神経系統を統括する存在としてfeeling(触覚)があり、またそれらの守備範囲は想念・印象の波動キャッチにも及んでいるということでしょう。
 問題はこのfeeling(触覚)要素を如何にして伸ばすかにある訳ですが、その為には先ずは各自の現状レベルにおけるfeelingの反応を信頼し、印象に従った行動をとること、またその経験を積むことだと思っています。
 私達の目標は各自を他惑星人を手本として進化、開発することであり、各自の取り組みを工夫、共有し、進化に役立てることが求められています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落097

097  In a television program called "Frontiers of Mind," the Bell Telephone Company presented an excellent scientific demonstration of what touch is and how it reacts to electrical impulses. It showed that touch is not a sense organ but acts as a telegraphic system via the nerves to the brain. It registers that which it contacts and relays that reaction as electrical impulses through the nervous system of the body. Touch is inseparable with feeling, for feeling gives sensation to the nerves.
097 「心の最前線」と呼ばれるテレビ番組の中で、ベル電話会社は感触が何であるか、またそれが電気パルスに対し、どのように反応するかを示す優れた科学実験を提供しました。その番組は感触は感覚器官ではなく、神経を経由して頭脳に通じる電信システムとして機能していることを示しました。それは触れるものを記録し、肉体の神経を通じて電気信号としてその反応を伝達しています。感触は触覚と分けることは出来ません。触覚は神経に興奮を与えるからです。



【解説】
 触覚(feeling)そのものについては、私達は「触感・感触」(touch)との関係について整理して置く必要があるでしょう。
 本項ではこのことについて、触感とは感覚ではなく神経の伝達反応だとしています。つまり、それ自体には「良い悪い」の判断(裁き)は行っていないとも言えるのではないでしょうか。また、感触は情報を頭脳に伝達する基本的な役割を有していることは本文にも示されているように実験的に示すことも可能という訳です。(ちなみに、この番組(Frontiers of Mind)は当時、有名な番組であったようで、今日インターネットの検索でも一部については1965年当時の放送概要を知ることが出来ます。http://www.imdb.com/title/tt0854625/
 しかし、より重要なのは、これら触感(touch)も触覚(feeling)と一体になっているということです。つまりは触感の働きも触覚の働きも類似しているということでしょう。触感の方は人体の範囲に留まりますが、触覚の方は更に拡がる守備範囲を持っているように思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落096

096 When that feeling is no longer playing upon the senses they lie inert like the muted strings of the violin after the consciousness of the musician is withdrawn to another channel of service.
096 諸感覚に対して触覚が作用しなくなると、諸感覚は演奏家の意識が別の奉仕の経路に引き上げられた後にそのバイオリンの沈黙した各弦のように不活発になったままになります。



【解説】
 私達の四感覚は意識と結びついてはじめて機能するという訳です。感覚も含め人体全てにわたって意識(触覚要素)の存在如何にかかっていると言うことも出来るのです。
 このように無くてはならない意識なのですが、私達自身は永年にわたってその存在意義に気付くことはありませんでした。その結果、うわべだけの感覚による勝手な判断を許して来たのです。
 しかし、わずかながらも意識の力に気付き始めた私達は、日々の生活の中でその力を研究し、その作用を身をもって学んで行く必要があります。その為には、先ずは私達の感覚の反応と意識による無言の忠告について学ぶ必要があります。意識の指導は唯一印象によって授けられる訳ですから、私達は触覚的感性を鋭敏にし、時々刻々やって来る印象を鋭敏にキャッチしなければなりません。そうする過程で、私達の肉体の諸感覚も本来の姿に戻って行くものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落095

095 Feeling is a state of alertness - when expressed impersonally it is conscious awareness of conscious consciousness.
095 触覚は警戒の状態であり、非個人的に表現された場合、それは意識的意識に対する意識的な気付きとなります。



【解説】
 ある意味、「意識」というものが、「生命の科学」や「宇宙哲学」等、一連のアダムスキー哲学におけるキーワードになっている訳ですが、その「意味」なるものをどのようにして日常生活の中で自覚し、活用して行くかについては各自の努力と工夫に委ねられています。
 本項では触覚(feeling)が「意識」に繋がっている言わば秘伝を明かしている訳ですが、私達はこれを受けて各自の探求を進める必要があるということです。つまり、言葉の上の理解でなく、実感としてどのようなものをイメージしているかが重要な所です。
 これまでの経験から、私達は自らの知覚範囲を自分の身体内部から外側にまで拡張できるような気がしています。つまりは意識の拡張です。その意識は通常、私達に声を発することはなく、無口ですが、本講座で学んで来たように実際には私達の生命活動を無言の印象によって支えているという訳です。この沈黙の存在を如何に日常的に自覚し(意識して)暮らすかが重要であり、その為には努めてその(意識の)存在を自覚するよう(意識するよう)に心掛けることです。それは印象を感受しようとする心の姿勢から、「警戒」の状況とも表現されているのです。卑近な例では映画「スターウォーズ」で盛んに取り上げられている「フォーズ」なるものも類似した概念を表現したものと考えています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落094

094 The mortal may be likened to a violin, which is the closest to the human expression known as man. Upon the violin there are only four strings; through the medium of those four strings can the coarsest or the most celestial melodies be played but the Instrument is only a bit of wood and string until it is acted upon by a conscious intelligent force. The sounds produced depend upon the skill of the musician. The four senses in the instrument called man are unable to bring forth any expression of life without the aid of the All-Inclusive consciousness which is feeling.
094 死すべき人間はバイオリンになぞらえることが出来るかも知れません。バイオリンは人として知られる人間的表現に最も近いものです。バイオリンには4つの弦しかありません。それらの4つの弦の媒体を通じて最も粗いものも最高に天上的なメロディーも演奏されることが出来ます。しかし、その楽器は意識的な知性を持つ力によって演奏されるまでは、単なる木と弦でしかありません。作り出される音はその音楽家の技量に依存しています。人と呼ばれるその楽器における4つの感覚は、触覚である全てを含有する意識の助け無しでは、如何なる生命表現をももたらすことが出来ないのです。



【解説】
 バイオリンが人間に例えられる訳は、単に弦が四本の楽器という訳でもないかも知れません。何より、演奏者の身体に密着し、一体化する中で音を発することもその理由の一つかと思います。
 四つの減が私達の四感覚になぞられる点については、アダムスキー氏も何処かで言及していたように、四つの弦がそれぞれ所定の機能を果たすように調律されていることが重要です。各々の持分を保ちながら、その音色を深めることが求められています。
 また、ひとたび演奏者によって演奏が始まるや、弓の引く速さや圧力に応じた音を放出することが各弦の役割であり、楽器(身体)の内部はその発した音に共鳴してその音を拡げる筈です。
 私達は自らの感覚を各々の機能を高めると同時に、他の感覚と調和し、自身内部の隅々にその影響を拡げて、身体全てからその音楽楽曲とも言える想念波動を表現する必要があります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落093

093  In other words this sense is merely the unification of the four senses with that unlimited conscious feeling which controls, supports and animates every conceivable thing in the universe. It is the expansion of the four senses in the channel of feeling which makes of the mortal sense man, a conscious user of conscious power. Through this education of the senses the sight becomes a microscopic sight extending beyond the gross material forms; the hearing is expanded to catch the soundless sound frequencies. etc. Each of the four senses will themselves into greater fields of awareness through the recognition of Cosmic Feeling which is the mother-father thought supporting them.
093 言い換えれば、この感覚(訳注:触覚)は、宇宙空間の中のあらゆる知覚し得るものを支配し、支持し、活性化する無限の意識的な感じによってその4つの感覚を統合しているに過ぎません。それは触覚の経路への4つの感覚の拡張であり、死すべき感覚人間を意識的な力の意識的利用者にするのです。諸感覚の教育を通じて、視覚は大まかな物質の外観を超えて顕微鏡的な視野となり、聴覚は音のしない音波を捉えるまで拡張します。4つの感覚の各々はそれらを支える母性及び父性の想念である宇宙的な触覚の理解を通して自らをより大いなる気付きの場にもたらします。


【解説】
 四つの感覚が私達地球人の課題だという訳ですが、この四感覚こそが深遠なる宇宙を学ぶ私達の四つの窓であることもまた確かです。私達が努力すべきは、これら四つの感覚は触覚によって支えられ、意識に繋がる存在にならなければならないことです。
 先ずは事物を表層的な観点で把握するのではなく、その対象が私達と同質、同起源の存在であるとの一体感を持って理解できるよう心掛けることでしょう。その「一体感」の中に触覚的要素や意識的要素が含まれているように思うからです。
 相手と意識を融合させることで感じ取れることも多いのではないかと思われます。またこうした触覚的要素を発達させることで既存の四感覚も成長し、進化するものと思われます。外界からの精妙、迅速な印象の流れを感受する為には、私達自身の肉体の細胞一つ一つが印象に鋭敏になる必要があり、その為には私達自身に元来備わっている、より高次な触覚的要素を発達させる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落092

092 Within the last few years the attention of the world of science has been attracted to the many cases of suspended animation where the body remains for months in a state of perfect preservation. The sense organs are normal, yet they cease to function in a conscious way. Why? Because most of the feeling has left the body; approximately ninety-nine percent of the consciousness has left, and while one percent of feeling within the body keeps it from disintegrating, this is not enough to cause any apparent awareness within it. Many of these cases have reentered into active life. The feeling had again taken possession of the body and reanimated the inert organs of sense producing in them a state of conscious awareness. If understood rightly these four senses of man correspond perfectly to the four elements of creation, and the so-called fifth sense is the stimulus which imparts to them the animation necessary to produce conscious functioning.
092 過去数年間、世界中の科学の注目は、肉体は何ヶ月も完全な保持状態である中での生気が中断している多くの事例に引き付けられて来ました。感覚の諸器官は正常なのですが、それらが意識的には機能しなくなっているのです。何故でしょうか。それは触覚の大部分が肉体を離れてしまっているからです。概ね意識の99%が離れてしまっており、肉体の残り1%の触覚が肉体の分解を抑えており、これでは肉体内部に知覚をもたらすには十分でないのです。これらの多くは再び生気を取り戻しています。触覚が再び肉体内の位置を取り戻し、不活発な感覚器官を再び活性化し、意識ある覚醒状態にしたのです。もし正しく理解していれば、人間の四つの感覚は創造の四つの要素に対応し、いわゆる第五感覚は、意識的機能を作り出す為に必要な活性化を与える刺激ということが分かります。


【解説】
 私達の身体はこの触覚(feeling)の要素を失うと生存することは出来ません。よく救急救命の現場で「意識」の有無が問われるのは、こうした状況把握を急ぐ必要があるからです。
 実は前項(091)で述べたように、触覚(feeling)は意識に通じるものなのですが、それ無くしては生命が存続出来ない程の大きな力と役割を果たしているのです。
 こうした触覚的要素という土台の上に成り立っている4感覚ですが、本項で注目したいのは、これら4感覚は4つの創造の要素に結びついているということです。つまり、絵画には視覚が、音楽には聴覚がその責任を担っているという訳です。
 そういう意味では、映画作品は視覚と聴覚が融合した芸術作品という意義があることになりますし、自然界ではそれら4つの要素が一体となった創造の美ということでもあるのです。
 私達はこれから各自の感覚をそれ自体で機能しているなどとは考えてはならず、それらは創造の経路として表現されるべき存在であることを学んで行かなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落091

091 Each sense is able to operate independently of the other senses only so long as it is supported by the life force of feeling, but the feeling or consciousness is entirely independent of the four senses. The sense of sight, taste, smell and hearing might all be destroyed and yet so long as the feeling remained man would be a conscious, active being, knowing joy and sorrow, peace and pain, and altogether very much alive. The feeling is indestructible. It is the eternal, the everlasting intelligence. The destruction of the body cannot destroy the feeling, which is consciousness. It is like the electricity which flows through the wires to the bulb to produce light. If the bulb is destroyed the electricity cannot produce light through it, but the electricity is not destroyed. On the other hand, if the electricity is withdrawn it matters not how good the bulb may be there will be no light emanating from it.
091 各感覚は触覚の生命力によって支えられている限りのみ、他の諸感覚から独立することが出来ますが、触角あるいは意識はその四感覚とは完全に独立しています。視覚、味覚、嗅覚そして聴覚が全て壊されても、触角が残る限り、人は意識があり、行動でき、喜びも悲しみも平穏さも痛みも感じることが出来、まったく活発に行動できます。触覚は破壊されることはありません。それは永遠であり、永続する知性なのです。肉体の破壊によって意識である触覚が破壊されることはありません。それは光を作り出すために電球に電線を通じて流れる電気のようなものです。もし電球が壊されれば電気は電球を通じて光を作り出すことは出来ませんが、電気は破壊されることはありません。もし電気が取り消されれば、電球が如何に良いものであるかは問題にならず、電球から光が出ることはありません。



【解説】
 本項で私達はfeelingと呼ばれる「触覚」について基本的な生命力に繋がる重要な要素であることを学ぶ必要があります。この触覚要素を重要視するのはアダムスキー哲学の特徴でもあるのですが、実はここにこそ生命本質に関わる真理があるという訳です。私達がこのことを如何に自らの取組とするかどうかによって、その後の進化が左右する程のポイントの一つになるものと思われます。
 私達各人は医学や生物学者ではないので、手元に実験器具や教科書はないのですが、こと感覚の問題に関する限り、実教材は日々の私達自身であり、取組成果も自分自身が最も良く理解できるという好環境にあります。このことを悟らず、取り組まないことこそ、もったいないことこの上ありません。
 この触覚問題ですが、実際には全身くまなく行き渡る神経網を介して自らその触覚的感受性を巡らし、探索することが出来ることはご理解戴けると思います。しかし、その延長には、自分自身のいわゆる意識を拡大すること、移動することも同じイメージで実行可能になるように思われます。つまりは意識というものと触覚というものが本質は同じと言うことも出来ると考えています。
 触覚(feeling)は意識と繋がっている生命力と言うことも出来るということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落090

090  Let us, therefore, analyze the sense man. You have believed that man is endowed with five avenues of expression - sight, hearing, taste, smell and feeling. Each of these attributes is supposed to have the ability to act independently of the others. We can close our eyes and hear, taste and smell. It is possible to decipher between sweet and sour without hearing, smelling or seeing the object in question. We can certainly tell the difference between a bit of garlic and a rose without using the sense of sight, sound or taste. So it is possible to prove that four of our senses do work independently of each other. But now let s remove that which is known as the fifth sense; let us deprive man of feeling. What is the immediate result? The result is a state of unconsciousness; the four other senses are ceased to function, even though the organs of sense themselves, are still existing in the body. The eyes, nose, palate and ears are uninjured yet they do not see, smell, taste or hear. Apparently these senses cannot, then, work independently of feeling. Does this not prove that feeling is not a sense, but the conscious power which gives sensation to the senses?
090 それ故、感覚人間を分析して見ましょう。貴方は人が5つの表現の大通りを授けられていると信じて来ました。視覚、聴覚、味覚、嗅覚そして触覚です。これらの属性の一つ一つは他と独立して作用する能力を有しているように思われます。私達は目を閉じて聴くことや味わうこと、香りを嗅ぐことが出来ます。問題の対象物の音が聞こえなくても、臭いが嗅げなくても或いは見えなくても甘いとすっぱいの味の違いを判読することは出来ます。私達は確かにニンニクの小片とバラの違いを視覚や音や味の感覚を用いずに言い当てることが出来ます。ですから、私達の4つの感覚は互いに独立して働いていることを証明することが出来るのです。しかし、第5番目の感覚として知られているもの(訳注:「触覚」のこと)を取り去って見ましょう。人から触覚を取り除いて見ましょう。直ちにどのような結果になるでしょうか。結果は無意識の状態です。4つの他の感覚は感覚器官自体は依然として肉体に存続していても機能を停止します。目や鼻、舌や耳は傷ついていませんが、それらは見ることも嗅ぐことも味を感じ、聴くことはありません。見たところこれらの感覚は触覚から独立して作用することは出来ないようです。このことは触覚は感覚ではなく、感覚に刺激を与える意識的な力であることを示すものではないでしょうか。




【解説】
 視覚や聴覚、味覚と嗅覚についての特徴として、各々に特有の感覚器官というものがあることに改めて気づく方も多いものと思われます。つまりこれら四つの感覚の入口である各器官が機能しなくなれば、私達はその感覚を失うことになる訳です。
 しかし、触覚はどうでしょう。それは特段どの身体部分に集中しているということはなく、私達全身を覆っているように思われます。それらの具体的機能としては、各感覚器官の受信信号を伝える神経網という部分もあるでしょうが、むしろ本文に記されているように全身の生命体としての様々な情報の伝達を担っているとも言えるものです。
 深く瞑想し、想念・印象を観察する場合にも、実際に機能しているのは視覚から嗅覚までの感覚などではありません。瞑想等を行うことにより身体内外に自らの感知範囲を広げているのは、この触覚の機能であるように思われます。いわば自分の意識を拡大させ、想念・印象を受容出来る態勢をとっているように思われるのです。日本語訳では5番目の感覚を触覚と記していますが、原文ではfeeling(印象感受)とも同じ言葉が使われており、従来の触覚の要素が印象・想念の感覚と密接な関係にあることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落089

089  The purpose of this lesson is to show you by means of practical analysis that man is not the possessor of the five senses but is actually a four sense being. This, we realize may be more difficult for you to accept than the belief in the sixth sense, for we as mortals can more easily accept that which we feel adds to, rather than subtracts from that which we think we have. However, this subtraction, as you will find, is not in the nature of releasing something as a loss, but as the process of gaining something much greater.
089 この教科の目的は、貴方に実際の分析の手法を通じて、人間は5つの感覚の持ち主ではなく、実際には4つの感覚の存在であることを示すことにあります。このことは貴方にとって第6感を信じるよりはるかに難しいだろうと私達は承知しています。何故なら、死すべき存在としての私達は私達が所持していると思っているものから減ずるより、加わることを容易に受け入れられるからです。しかし、この引き算はやがて貴方も分かるように、失うという意味で何かを手放すという性質のものではありません。そうではなく、より大いなる何かを得る過程のものなのです。




【解説】
 想念・印象の感受について、日本でも第6感と表現されたこともあったのですが、アダムスキー哲学においては従来の5感に対しても実際には、感覚としては4つしかないことを繰り返し述べられているところです。
 つまりは、従来の感覚と呼んできたものの内、感覚と呼べるものは実際には、視覚、聴覚、味覚、嗅覚であることは既に学んでいるところです。今後私達がやらなければならないことは、これらの感覚の実際について自分自身を研究対象としてよくよく観察することです。
 最近、「断捨離」という表現をよく聞きますが、年齢を重ね、余命を数える程になった年代においては、身辺を整理することも必要になります。不必要なものは事物だけではありません。知識や情報も自分にとって不必要なものに敢えて関心を持つ時間はないと言うことも出来ます。そういう意味では、この自らの4感の日常の働きや役割、課題についてしっかり学ぶ必要があります。自分自身を理解することが私達各自の最大の課題であり、他者にそれを替わって頼むことは出来ないのです。私達は年々、残された時間を大切にして、自らの本業にいそしむ必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落088

088  If you have accepted the theory of the sixth sense you will no doubt be surprised by the statement which I am about to make, but as one of the great Chinese sages has expressed it - "The truth that we least wish to hear is that which it would be to our advantage to know."
088 もし貴方が第6感の理論を受け入れていたなら、きっとこれから私が行なおうとする発表に驚かれることでしょうが、偉大な中国の賢人の一人が表現したように、「私達が最も聞きたくないと思う真実は、私達が知ることによって私達の為になるというものが多いのです。」


【解説】
 想念・印象の感受・送信を従来の感覚の一種と考えるのでは、真実は捉えられないという訳です。そもそも印象はどのようにして認識されるのかについては、これまで学んで来たところです。肉体細胞、更にはそれを構成する分子・原子が受信し、それらの情報が全身に伝わるのが印象の伝達です。詳しい内容は、私自身まだ理解できていませんが、私達の意識空間にも関係した仕組みがどこにあるものと思います。
 そういう意味でも、想念・印象の知覚は、ある専用の感覚器官がある訳でもなく、全ての細胞や分子・原子が共通に持つ知覚経路というもので、決して第6番目に位置する感覚と呼べるものではないということです。
 実は、想念・印象による意思疎通こそが、万物生きるものの間で執り行われている訳で、私達が自覚しているいないに関わらず、私達は想念・印象に依存した生活を送っているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落087

087 We have looked upon ourselves as a five sense being possessing the attributes of sight, hearing, taste, smell, and feeling or touch. We have drifted along idly contenting ourselves with this analysis of our makeup, but recently we have become quite curious to know just how these senses work and what they are. In our seeking we have run our craft upon a rock. We have been unable to account for certain elements of action which we have encountered in our daily lives and so to relieve the tension of this uncertainty some of our most learned theorists have endowed us with a sixth sense. To this added sense has been attributed all the phenomena that have been unexplainable in the five sense man. In fact there have been those who have sought to add a seventh sense. The mortal mind seems to have a faculty for complicating that which is very simple and thereby creating confusion instead of understanding.
087 私達は自分自身を、視覚、聴覚、味覚、嗅覚そして触覚ないし感触の5つの感覚の属性を持つ存在として見なして来ました。私達は私達の成り立ちをこの分析で無益に満足したまま漂って来ましたが、最近になって私達はこれらの感覚の作用がどのように行なわれるか、またそれらは何であるかについて大いに知りたいと思うようになりました。私達のこの探求の中で私達は自らの乗り物を岩に乗り上げてしまいました。私達は私達の日常生活の中で出会ったある種の行動の要素を説明することが出来なかった訳であり、この不確かさの緊張を和らげるために、私達の最も学識のある理論学者達は私達に第6番目の感覚を授けたのでした。この付け加えられた感覚に5つの感覚の人間となる説明不可能な全ての現象が割り当てられました。本当は第7番目の感覚を追加した人達もいたのです。死すべき人間の心は、とても単純な物事を複雑にする才能があるようで、これにより理解の代わりに混乱を創りだしています。



【解説】
 私というものが単に感覚器官から成り立っているとする考えには、もちろん無理があるという訳です。確かにこれら肉体に属する感覚に多くの部分を依存していることは確かですし、その証拠に視力を失った方や、聴覚をなくした人は不自由な生活を強いられることになります。
 しかし、これら人間のいわゆる五感を失っても、人間としての本質は何らの差もない訳で、人体で時々刻々紡がれる生命活動には何ら影響はありません。
 一方、私達の心の中の動きはどうでしょうか。これら感覚の意見が大勢を制しており、本来の宇宙からの想念・印象の入り込む余地がない状況ではないかと思われます。私達の心にもっと様々な情報が入れるように拡げること、より精妙な想念・印象を受容出来る体制が必要です。
 実際には、日常生活の中でも、多くの想念・印象が活躍して人生が成り立っているように思いますし、これら想念・印象を受容する機能を単なる感覚の一種と捉えるべきではありません。肉体細胞の分子・原子レベルに存在する知性の一つとして捉えなければならないのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落086

086 The desire within all men to understand themselves is increasing tremendously. Theory upon theory has been advanced in the endeavor to throw some new light on the subject. Of late years we have heard a great deal concerning the senseman, and the control of the senses as a means of living above conditions and environments, yet we are still struggling under a misconception concerning them.
086 自分自身を理解しようとする全ての人の内側にある願望は驚くほど増えています。理論に次ぐ理論がその課題に何らかの新しい光を投げかけようと努力の中に繰り広げられて来ました。昨今では私達は、状況や環境を超越して生きる手法として、感覚人や感覚の制御について多くを聞いていますが、それでも私達は未だ、それらについての誤解の下であえいでいるのです。




【解説】
 おそらく本項は近年の精神科学や心理学の研究事例について述べているものと思われます。また、今日の各種薬剤による精神性疾患の治療もこの中に含まれているのかも知れません。
 しかし、これら学者の研究事例を調べるまでもなく、私達自身、自分がどのような想念を日常的に湧き出し、それがどのように心身や周囲の環境に影響を与えるかは、日常の生活の中で実証出来ます。
 それでも全くの系統的な知識の整理が為されないまま、独学路線を走るのは良いとは言えないでしょう。この「宇宙哲学」によって、宇宙を貫く絶対的な法則性を十分理解した上で取り組むことが重要です。
 とかく取組対象となる私達の心は巧妙であり、十分な理解の上でなければ長い年月、立ち向かうことは難しいのです。重要な点は世の中の時々の主義主張に影響されることなく、宇宙普遍の真理・法則を自らの土台とすることになると考えます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第8章-段落085

8. MAN IS A FOUR SENSE BEING
085 One of the greatest bits of wisdom ever given to man by the outstanding philosophers of all ages is composed of two words: "Know thyself." That one assignment has kept the seekers of knowledge hard at work for billions of years, and it will still be a supreme admonition a billion years hence. It is an eternal study, for man himself is eternal. In that one statement the philosophers have taken in the whole of the Cosmos.
第8章 人は四つの感覚からなる存在
085 あらゆる時代の傑出した哲学者から人類に与えられた最も偉大な英知の小片は二つの言葉から成っています。「Know thyself(汝自身を知れ)」。その課題は知識の探求者を何十億年もの間、勤勉に働き続けさせましたが、またなお、これから10億年も最高の説諭となるでしょう。人自身が永遠であるために、それは永遠の学習なのです。その一つの声明の中に哲学者達は宇宙の全てを取り込んだのです。



【解説】
 「汝自身を知れ」がソクラテスの言葉であったかどうかは不明ですが、あらゆる哲学・宗教はこの1点について探求することを命題としているように思います。また、問題は精神面と同時に人体を巡る生命活動の不思議に迫る科学分野の探求も促しています。
 地球における現状の認識では、精神分野と科学分野、心と物質の世界はそれぞれ何らの交流もないまま進められておりますが、本来の姿は同じ土俵の上の研究分野であるべきで、実はこの自分自身の中では心身ともに連携連続した営みが行われているのです。
 既に私達が学んでいるように、全ての必要物は知識や能力も含め、各自に平等、無制限に与えられている訳で、要は如何に自分自身からその宝物を掘り出せるかにあります。各自の努力・精進は各自の心身に顕著に現れますし、私達はその成果を味わい、享受することが出来ますし、贈り主である創造主も日々、そのことを望まれているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第7章-段落084

084 Man has risen from the savage state to the present civilization only by wanting the better things of life knowing that he could have them.
084 人は野蛮な状態から今日の文明まで、実現出来ることを知りつつ、生活のより良い物事を望むことのみによって立ち上がって来たのです。


【解説】

 人類がこれまで紆余曲折はあるにせよ、大局的な時間軸の中では、進化して来たことは間違いありません。現に世界各国の宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに乗り込んで研究活動を行い、地上では得られない貴重な体験を積むまでに至っています。
 「2001年宇宙の旅」で表現されているように、猿人から現代文明に到達したことは間違いないのです。しかし、これには要所要所の時代の転換点に、他惑星からの支援があったことも確かでしょう。地球上の多くの宗教の起源はそのことを物語っておりますし、アダムスキー氏の活動も近年のそれの一環ということになります。
 しかし、如何に外宇宙からの支援があっても、地球に暮らす私達がそれを生かす努力を続け、自ら取り組まなければ効果は上がる筈もありません。先ずは、自ら実証して見せること、その体験と手法を他者と共有することが重要です。

御挨拶

新年明けましておめでとうございます。
今年も引き続き、この講座を続けて参りますので、ご支援のほど、宜しくお願いいたします。

2016年1月4日
竹島 正

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