2015年12月

ご挨拶

皆様、この1年ご支援いただき、有難うございました。
明日から新年1月3日まで、更新をお休みさせて戴きます。

良いお年をお迎え下さい。

12月28日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第7章-段落083

083 But man must have faith and confidence in the workings of the eternal law; if he has any doubt he will block the condition from appearing. A doubt as small as a mustard seed will keep it from him, but should he have faith as small as a mustard seed he shall have the desired manifestation.
083 しかし、人はその永遠なる法則の作用に対し、信頼と確信を持たなければなりません。もし、どんなものでも疑いがあれば、現出の条件を妨げることになります。カラシ種ほどの小さい疑いは、その者から遠ざけますが、カラシ種ほどの小さい信頼があれば、望んだものの現出を得ることでしょう。




【解説】
 心の中を通過する想念・印象が自身の身体はもちろん、あらゆる環境に同種の影響を与えるということは、私達自身が想念・印象を現実世界に発現させる道具や仕組みの一つであることを意味しています。
 即ち、各自が心の中で思うことは現実化するという訳です。このことはジェイムス・アレンその他の思想家やほとんどの宗教に共通する教義でもあります。宇宙の法則という訳です。
 しかし問題は、これに対していささかの疑念を私達が抱くのであれば、その逆作用を働かせることとなり、物事は成就する筈もないのです。イエスの言われた「からし種」の話も、私達の持つ想念・印象の絶大な創造力の取り扱いについて注意していることになります。
 従って、日常、どのような想念を通過させているかが重要で、この心境を適切なものに保つことによって、私達は宇宙的活動ともリンクした生き方が出来るものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第7章-段落082

082 Knowing what we are, we then have to hold fast to that which we want and eliminate from the conscious sense mind that which we do not want. We are bound to get results if that which we want is the right thing for us to have at that time. Otherwise we will get what we need at the proper time.
082 私達が何者であるかを知った後は、私達は自分達が欲するものをしっかり保持し、望まないものを意識的な感覚心から駆逐しなければなりません。私達はもし、私達が欲するものが、その時私達が得るのに正当なものであるなら、結果を得る筈なのです。さもなければ、適切な時期に必要なものを得ることでしょう。



【解説】
 「想いは実現する」ことの本質的な意味を改めて本項は示しています。
 もとより、私達の心に抱く想念は、私達の認識の有無に関わらず類似した想念を引き寄せるものと思われます。そのハイウエイを通過する想念は、各々が目的を持っており、物質に作用し続ける訳で、最初は微細な原子・分子レベルの活動から、遂には具体的な物質の変化となって現れるものと思われます。
 また、前項(081)でも述べられているように、心の中に長らく想念を留めて置くことも好ましいことではありません。仏教で言う「執着」が好ましくないとされる理由でもある訳ですが、私達は仮に良しとした想念であっても、良しとする認識の後は、それらの想念を放ち解放して、次なる来訪想念に備えることが重要と思われます。
 つまり、このようにして行く中で、私達の心は良い想念の通り道となり、物質界に好い影響を与えられる想念の通過経路になるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第7章-段落081

081 To bring ourselves into a broader state of conscious awareness we must transfer the controls from the sense mind to the All Knowing consciousness; and by so doing we transform the body into its natural state. The conscious thoughts that we entertain in our mind draws like conditions unto us. If we wish to expand in conscious awareness of that which we really are we must place the past conditions which have already served us in their proper place, and progress into the vast understanding of a limitless being.
081 私達自身をより幅広い意識的自覚状態にするためには、私達は統制を感覚心から全てを知る意識に移行させなければなりません。そしてそうすることによって、私達は肉体を自然な状態に変質させるのです。私達が自分の心の中で抱く意識的想念は同様な状況を私達に引き寄せます。もし私達が実際にあるがままの意識的自覚を拡張したいと願うのなら、私達は、私達に役立った過去の状況を適切な場所に置いて、無限の存在への広大な理解へと前進しなければなりません。

【解説】
 本項は日々の体験に対してどのように処して行った方が良いか、示唆しているように思います。即ち、重要な部分は、「私達が心の中で抱く意識的想念は、同様な状況を私達に引き寄せる」という所です。つまりは、心中に抱くものは、良くも悪くも同種のものを引き寄せてしまう訳です。
 従って、常に心の中を清浄に保つことが重要であることが分かります。また、一方で、私達の心の領域を拡げる為に、可能な限り幅広い内容の印象を受け入れ、心を拡げて行く必要があるのですが、その為にも、過去の体験に固執することは好ましくはないのです。仮に良い体験であっても、それに囚われることなく、その体験は自分自身の引き出しにしまっておき、常に新しい体験、新たな理解へ前進せよと説いています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第7章-段落080

080 This so-called subconscious mind is in reality one in consciousness with the ever present Cosmic Intelligence. It is the Soul mind in the body of man; that which built and maintains the body. It fears nothing and respects nothing in the sense of personal respect. The sense mind is negative and the All-knowing mind is positive and they are one. In order to enjoy the full benefits of each, man must discipline the sense mind to follow the dictates of the Soul mind. This mind gives impressions for action that is sometimes beyond the perception of the sense mind, and will continue to do so from time to time until the sense mind executes the impression perfectly, so that it may partake of the experience of right action. Just as a teacher would tell a child to do something in a certain way and the child did not do it, but made a mistake, if the teacher should allow the child to go on that way, would it ever know the right way of doing that which it was told to do? No. Therefore the teacher, in order that the child may know the right way, insists that it be done over and over until it is done right and by so doing the child has the practical experience of how it is done.
080 このいわゆる潜在意識心は、実際には永遠に現存する宇宙的知性と共にある意識状態の一つです。それは人体の中の魂の心であり、身体を作り維持している存在です。それは何ものをも恐れず、人の個人的事項に関し、何ものも尊ぶことはありません。感覚心は陰性ですが、全知心は陽性であり、それらは一つです。それぞれの恩恵を十分に享受するために、人は感覚心を訓練し、魂の心の指令に従うようにしなければなりません。この魂の心は時として感覚心の知覚を超える行動に向けた印象を与え、感覚心がその印象を完璧に実行するまで、時折そうし続ける結果、感覚心は正しい行動の体験を共にすることが出来るようになります。丁度、教師が子供をあるやり方で何かさせようとし、子供がそうしようとせず過ちをしでかす時のように、もし、教師がその子供をそうすることを許していたとすれば、その子供は言いつけられた正しいやり方を知るでしょうか。いいえ、出来ません。ですから、教師はその子供が正しい方法を知るようになるため、正しく行うまで何度も何度もそうすべきと主張しますし、そうすることで子供はどのようにして為されたかの実際的な体験を持つのです。

【解説】
 実際には教えを請うべき知性を持つ存在は、私達自身の中の潜在意識と称される部分であると本項は指摘しています。つまりは私達の迷える心には、最も身近に頼れる潜在意識という指導者が居たという訳です。
 もちろん、これらの知性ある存在、宇宙と直接繋がっている存在が無ければ、私達自身の生命を保つことなど、おぼつかない訳ですし、私達は通常、何ら顧みることなく日々表層的な事象に一喜一憂しているのです。
 この違いを理解できれば、後の進むべき方向は明らかです。日常、これら潜在意識という教師を通じて如何に学ぶかであり、自身の体調を整え、心の状況を整備してやって来る印象を生活に取り入れることが主要な生き方となる筈です。また、そうした印象感受の体験を積み重ね、自らの心の状況と対比させることで、進むべき方向も明らかになる筈です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第7章-段落079

7. CONSCIOUS AND SUB-CONSCIOUS MIND
079 There has been, and is, widespread misunderstanding regarding the status and function of the subconscious mind. This lack of knowledge has caused many people to get lost in mysteries which are of no value to humankind. There are books and teachings regarding the subject, which we find by research to be wrong. We know that the so-called conscious mind, which is the intellect that we use daily to govern our normal activities, is very fickle and weak. This mind receives impressions from the senses and formulates its own opinions and is subject to uncertainties, fear, or any emotional change that comes its way. This mind gives credit to a sub-conscious mind which it feels possesses memory of past events and a greater knowledge of things unknown to itself.
第7章 顕在意識的心と潜在意識的心
079 潜在意識的心の状態と機能については、広範囲に拡がった誤解があります。この知識の欠如の為、多くの人々は人類にとって何らの価値のない神秘の中に迷っています。このテーマに関して書物や教えがありますが、私達は調査の結果、それらが誤りであることを見出しています。私達は、日常、私達が普通の行動を支配するために用いている知性である、いわゆる意識的心は、大変移り気であり、弱いことを知っています。この心は諸感覚から印象を受け取り、自分の意見を作り上げ、やって来る不安定さや恐れ、あるいはその他感情への変化に従属しています。この心は過去の出来事に関する記憶や自分自身には分からないより偉大な知識を有していると感じている潜在意識の心に信任を与えているのです。



【解説】
 私達が日常、自ら意識している(即ち、"顕在意識"としての)心は、実に危うい存在です。少しでも不安なことがあれば心配で寝ることも出来ず、またわずかでも報われないことがあると憤りや落胆に陥ってしまいます。
 未来に起こる事柄を十分信頼出来ないことや、知識を有しない為不安定になる訳ですが、自身の身体活動等、一方では心とは関わり無く宇宙的調和を保っている部分については全て、潜在意識の領域に委ねている訳です。
 しかし、問題は、日常、表に立って指図する顕在意識の心が、その潜在意識の部分に教えを請わない所にあります。何かは分からないまま、「任せて置けばうまくやって呉れる」程度の認識であることです。
 どのようにすれば知識を有する潜在意識から情報を受け取ることが出来るかについて、本章では述べられていることになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第6章-段落078

078 Remember, mind has the possibilities of expansion. Matter, again, is in the process of evolution; so neither mind nor matter is all in all.
078 覚えておいて欲しいことは、心は拡張の可能性を持っていることです。物質もまた進化の過程にあることです。ですから、心も物質も全て完璧な状態ではないのです。


【解説】
 私達全ては進化の途上にあるということです。これは私達の心はもちろん、物質にも言えることだとしています。よく思うことは地層深く恐竜の化石が出土したということが伝えられ、博物館等でその巨大な骨格が展示されていますが、どう見ても獰猛、野蛮な動物達に思えてなりません。まさに弱肉強食の時代が地球上にあったのです。これらの化石は長い時間を掛けた惑星の進化の過程を私達に示すものです。
 同様に私達の心も各自、今期の生涯から今日に至るまでの進歩の歩みがあったことは人知れず確認出来るものと思います。何より自分が過去の自身の実態を良く知っている訳で、生涯の歩みはその進歩に繋がっている筈です。
 このように物心両面で私達は進化の過程にあり、その目指す目的地は遥か先にあるということでしょう。各人が化石になるまでの年数を要するかは別として、私達は進化の道を歩んでいます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第6章-段落077

077 This proves to us then, that mind is not all there is since it can be used one way or another. Evolution is not the expression of mind but the expansion of mind. Just as an ungraded road is broadened and leveled in order to accommodate more traffic upon it, so must the highway of mind be expanded and smoothed in order to allow consciousness to project more numerous vehicles of thought to their proper destination. Mind is only the channel of expression, the avenue by which consciousness manifests itself in matter. Body, mind and consciousness, then, are one and inseparable. The body of matter would cease to exist if it were not supported by consciousness. Consciousness could not express itself in matter were it not for the conveyer over which it travels, and mind would be a useless nothingness were it not acting as a channel between the two.
077 このことは私達に、心というものはそれが様々な方向に使われ得るということから、心の現状が全てではないことを示しています。進化という言葉は心を表現したものではなく、拡張することが心を表すものです。丁度、未だなだらかに整備されていない道路がより多くの交通を収容できるよう拡げられ、平らにされるのと同様に、心のハイウエイは意識がより多くの想念の乗り物をそれらの適切な目的地に向けて抄出させられるよう、拡張し、滑らかにされなければなりません。心は表現のチャンネルに過ぎず、意識が物質にそれ自身を現出させる大道なのです。肉体と心と意識は、それ故一つであり、分離できません。物質からなる肉体は、もし意識による支援がなければ存在は途絶えてしまうでしょう。意識はそれ自身が通る輸送装置がなければ物質の中にそれ自身を表現することは出来ないでしょうし、心が両者の間のチャンネルとして行動しなければ何ら無用のものになることでしょう。



【解説】
 結局、私達の生きる目的は本項に示されているように、心の拡張拡大にあるのです。心自体の価値を高めるなどということは意味が無く、先ずは心を平ら(静かに素直)に保ち、あらゆる想念・印象に対して受容できる包容力を持つということです。
 これまで私達は自我を高める為に努力して来ましたが、それでは心が自らをおごり高めるばかりで、進化としては逆効果です。一秒間にどれほどの印象を感受できるか、インスピレーションの感度ほど大事なものはありません。これからの人間の価値はそうした印象の感受能力が問われることになります。
 実生活にこれら宇宙的印象を活用する中で、次第に心もそうした経験を増し、常に印象を受容する姿勢に変わって行くものと思われます。人生後半に多くの人が芸術分野に目覚めるのもこうした背景があるのかも知れません。いずれにせよ、自己流でなく、常に宇宙と対話しながら生活を進めて行く姿勢が大切ではないかと思われます。
 「心が広い」という表現がありますが、真に私達が目指すのは静かでありながら、幅広い印象に対して常にオープンな心の状態であり、多くの仏像がその姿を象徴しているように思います。

お詫び

 昨日、第6章-段落076の内容を誤って、075として掲載してしまいました。
本日、改めて本来の段落075を掲載しました。昨日分の記事は本来の段落076にタイトルを改めました。
大変失礼しました。

竹島 正

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第6章-段落075

075 Mortal thought, however, is not the intelligence, it is but an idea projected by consciousness. It acts as a messenger between the sender and the receiver just as an idea consciously projected into a microphone travels on the mind of a radio (the ether waves) to the receiver. The great unlimited force of intelligence, which is consciousness, broadcasts a message in the form of thought; this message travels upon the highway of frequency called mind and contacts every part of the body. Since every cell is the possessor of mind the idea impresses each of them at the same time and they as a whole give expression through and upon the body. This is the same principle used in the operation of radio. Once the message is given over the microphone all space is effected since it can be picked up anywhere by a good receiving set. Thought effects the whole of matter in the same manner. The radio frequency is carried on the waves of ether and is neither seen nor heard outside the studio unless it passes through a receiving set. In this same way consciousness projects itself as an idea through space by an instantaneous action effecting all space at one time and the idea which is supported upon the waves of mind become manifest only after passing through the instrument of matter. In other words, mind is the channel over which man is supplied with conscious awareness just as the ether waves are the channel over which we receive the musical and oratorical expression of the consciousness broadcasting them.
075 しかしながら、死すべき(訳注:肉体の)人間の想念は知性ではありません。それは意識によって放出された一つのアイデアなのです。それは丁度、マイクの中に意識的に放出されたアイデアがラジオという心の上を(エーテル波として)進行し、受信者に到達するようなものです。意識である偉大なる無限の知性の力が想念という形の中にメッセージを放送します。このメッセージは心と呼ばれる周波数のハイウエイを旅して身体中のあらゆる部分と接触します。あらゆる細胞は心の持ち主である以上、そのアイデアは同時にそれらの各々に印象づけ、それらは全体として身体全部を通じて表現を与えるのです。これはラジオの操作で用いられているのと同じ原理です。ひとたびメッセージがマイクを通じて与えられると、全宇宙が影響を受けます。何故なら、良い受信機によっては何処でも拾い上げられるからです。想念は全く同様に物質全体に影響を与えます。ラジオの周波数はエーテル波によって運ばれますが、受信機を通らない限り、スタジオの外では見たり聞いたりは出来ません。それと同様に意識は全宇宙空間を同時に影響を及ぼす瞬間的な行動によって自身をアイデアとして宇宙空間に放出し、心の波動によって支持されたアイデアは物質という装置を通じることによってのみ現出化するのです。言い換えれば心は人間が意識的気付きによって与えられたチャネルであり、丁度エーテル波が私達がそれらを放送している意識の音楽や演説の表現を受信するようなものです。

【解説】
 ある意味、本項はこれまでの意識と心、物質の3者の関係をこれまでになく明瞭に説いている箇所だと思われます。アダムスキー氏は著者「テレパシー」の中でも想念伝達はラジオ放送に例えて説明されていましたが、この「宇宙哲学」においては更に進んで「意識の作用」についても関連して説いているのです。
 よく昔から「心を空しくして」と表現され、それは創造主を完全に受け入れる為に必須な条件とされて来たように思われます。イエスの「心貧しい者は幸いなり」も同様です。本項での記述から分かるように、心がハイウエイである以上、心の中に何かが留まっているような時、心自身が他に何も考えられない程、自らの執着した想念に埋もれている場合には、意識からの想念・印象を取り込むことが出来ないことが分かります。
 いつもスムーズに車が通過できるよう、心の中に何かを留めておいてはいけないのです。
 心を無にして、次々に通過する想念・印象を自由に働かせ、制約を設けないようにすることが大切で、その訓練の結果は他惑星の長老のように毎秒、何千何万もの想念が通過する超高速の心の機能に繋がって行くことになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第6章-段落076

076 The sense mind personifies the impressions received and distorts them with self opinions. If the radio ethers are disturbed we on the receiving set get the disturbance called static, which means that we cannot get the program clearly. This is also true with man, for when the mind of man is disturbed that which is coming from the broadcasting station of consciousness is not revealed perfectly and matter goes into action with a distorted conception of its mission. The result is a state of confusion within the body. Cosmic consciousness is never confused, it is always in a unified state, so the harmonious manifestation of an idea depends upon the stillness and impersonal attitude of the mind. A clear peaceful mind will always bring desirable conditions. A disturbed mind will cause distorted conditions.
076 感覚心は受信した印象を属人化し、自己の意見で歪めてしまいます。もしラジオエーテル波が妨害されると受信機の所にいる私達は雑音と呼ばれる攪乱を受け、その結果、私達は番組をはっきり聴取することが出来ません。これは人間についてもまた同様です。何故なら人の心が攪乱されると、意識という放送局から来るものが完全には明らかにならず、その使命の歪んだ概念による行為に物事が進むからです。その結果、肉体の中が混乱の状況になります。しかし、宇宙的意識は決して混乱はしません。それは常に統一化された状態であり、その為、アイデアの調和ある現出は心の静寂と非個人的な姿勢に依存しています。明晰で平穏な心はいつも望ましい状態をもたらすでしょう。一方、混乱した心は歪んだ状態をもたらすでしょう。



【解説】
 私達が何故自分の心を平安に保ち、受容的な態度を貫かなければならないかを、本項は示しています。時々刻々に贈られて来る宇宙からの印象に対して私達の心が自分勝手な判断を下し、利己的な目的にそれらを用いるようなことを避け、本来のメッセージの内容を私達が理解出来るようにさせる為です。
 真の宇宙的印象は簡潔明瞭なものではないかと考えます。究極の解決策を提示しているように思うのです。その為に無駄がなくそれに従えば解決は容易なのですが、これまでの私達はその真実に向き合うことなく、自己流で言わば心の意思に従うだけの行動をとる為、その結果は随分と遠回りする結果となっていたように思われます。
 贈られ与えられた助言を素直に受け止め、実生活に活かすことが大切なのですが、その前提として自らの心が自己の尊大化を捨て、宇宙と調和する生き方に改めるとする一大覚悟が必要となる訳です。
 宇宙的印象の本来の姿は純粋で一滴のにごりもありません。その印象を自らの体内に素直に取り入れる姿勢ほど、望まれていることはありません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第6章-段落074

074 We know from actual experience that when a thought is sent over the highway of mind that all of the cells of the body respond in a perfectly unified state in producing that impression in outward form. It is not difficult to know if a man is joyous or angry. The thought of anger will mold the matter composing the body into an exact image of itself - contorted features, flashing eyes, clenched fists, set mouth etc. It may even produce a state of intense trembling throughout the form. If the thought is changed to one of joy the body again responds and matter is molded according to an entirely different pattern - the eyes glow with a soft light, the features are relaxed, and the whole form becomes one of simple grace, a symphony of harmonious action.
074 私達は実際の体験から、一つの想念が心のハイウエイに送り込まれると、肉体の全ての細胞は外向きの形にその印象を作り上げようと完璧に統一された状態で呼応することを知っています。人が楽しく思っているか、怒っているかを知ることは難しくはありません。怒りの想念は肉体を構成している物質をまさにその想念自身のイメージに鋳込み、歪んだ表情、ぎらついた目、固く握りしめた手首、こわばった口等を作り出します。それはまた、身体全体を激しく震えさせる状態さえも作りだすかも知れません。しかし、もし想念が楽しいものに変われば、身体は再び呼応し、物質は全く異なるパターンに沿って鋳込まれ、目は柔らかい光に輝き、表情はリラックスし、形全体は純真な上品さ、調和ある行動のシンフォニーになるのです。


【解説】
 本項は私達の中を通過する想念・印象が如何に肉体細胞を動員し、その印象を具体化させる方向で活動して行くかを明確に説いています。即ち、私達の心の中を通過し、心が取り入れる想念は直ちに各肉体細胞が呼応し、その表現者にある訳です。本人が自覚していなくても半ば自動的に肉体細胞は心の受け入れた想念を実現しようとするものだからです。
 従って私達が注意すべきは、何時如何なる瞬間も好ましくない類の想念は断固として身体に入れないようにすること、常に好ましい宇宙的な調和した想念・印象を取り入れ発信することです。
 人は如何なる人生を送るかは本人次第なのですが、その自らの人生への取組姿勢が重要だとされる点は、まさに日常私達がどの種の想念・印象を取り込もうとしているかに関わっています。生命に対する姿勢こそ最も問われる事項であると考えられます。その背景にあるのが、この想念・印象が肉体の各細胞や他の生命体その他に及ぼすこれら紛れも無い作用なのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第6章-段落073

073 It needed not the aid of science, however, to prove the intelligence of matter, for the very fact that bodies act and grow proves that the cells must possess the consciousness to receive instructions from a higher intelligence. We know that nature takes its own course in healing the body when called upon; that a thought given by a man is immediately acted upon by the cells of his body, so matter must have a mind which is capable of receiving the command of either man or nature or it would not act accordingly. Mind, itself, is nothing more than the highway over which consciousness projects ideas to set matter in motion. If matter were not the possessor of mind there would be no avenue through which it could receive the thought impressions; if it did not possess intelligence it could not act upon impressions, and if it did not possess consciousness it would be totally unaware of the command and would remain in a state of complete inertia.
073 しかしながら、物質の持つ知性を証明するのに科学の助けは必要としません。何故なら、肉体が行動し成長するという事実はそれら細胞がより高位の知性から指導を受け取る意識を持っていることを証明しているからです。私達は自然は求められた時、肉体を治癒する上でそれ自身独自の経路をとることを知っています。また、人間によって与えられた一つの想念は直ちにその者の肉体の諸細胞によって行動に移されることからも、物質は人間あるいは自然の命令を受けられる心を持っているに違いありません。そうでなければ、それに応じた行動はとれないからです。心自体は意識が物質を起動させるためのアイデアを放射するハイウェイに過ぎません。もし、物質が心の所有者でなかったとしたら、その想念印象を受け取る大路は無いこととなり、もし、物質が知性を持たないとすれば、印象に基づく行動をとることが出来ないこととなり、もし、物質が意識を持たないとすれば、物質はその命令に全く気付かず、全くの惰性の状態に留まることになります。



【解説】
 本章では、肉体と心そして意識について学ぶ訳ですが、その内、心の持つべき本来の機能・役割について本項は明確に説明しています。
 即ち、肉体に指令を発するのが心なのですが、もちろんその肉体も各々の細胞が想念・印象を感受する機能を有している必要があるという訳です。更に本文では心の作用を高速道路に例えています。つまり印象が通過する経路ということになります。
 よく整えられた何らの障害物もない幅広い平坦な道路であれば、許容交通量も大きなものとなりますが、デコボコ道であれば車の往来も容易ではありません。つまりは心自体が自分の主張を持って入って来る印象を捻じ曲げたり、非協力的な態度をとれば、途端に流れる印象量は激減してしまうのです。
 一方、私達がもち、入って来る印象を自由に通し、干渉しなければ益々宇宙的な印象・想念の通過量は増え、多くの利益を得ることになるのです。自らを整えるとはこのような状態を言うのだと思われます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第6章-段落072

072 Science has done much in proving many things which the majority of the people of the world previously refused to accept. It has proven, for instance, that all forms are made up of cells which are composed of the same elements as the earth, air and water. It has revealed the fact that the human body is no different in composition than any other form in the mineral, vegetable, or animal kingdom. These cells or atoms of matter possess a certain amount of intelligence and are actually little entities not unlike the human being, but the world has not easily accepted the belief that a particle too small to be seen without the aid of a microscope can be the possessor of a mind, or intelligence. Science has now brought forth the proof of this. It speaks of living and disintegrating atoms of matter, and in working with these tiny cells it has learned to release a form of energy from the atom which is seen as a ray of light. One professor of science has spoken of this as the soul of the atom, which certainly implies intelligence.
072 科学はかつては世の中の大多数の人々が受け入れを拒絶した多くの物事を立証して来ました。科学は例えば全ての形あるものが、地面と空気、水と同じ元素からなる細胞から成り立っていることを証明しました。それは人体が鉱物や植物あるいは動物の王国における他の形あるものと組成において何らの違いが無いという事実を明らかにしたのです。これらの細胞や物質の原子は幾分かの知性を持ち、実際には人間とさほど違いが無い小さい実体なのですが、世間は顕微鏡の助け無しには小さすぎて目に見えない粒子が心や知性の所有者であり得るとの確信を受け入れることが出来ないでいます。しかし、科学はこの証拠を提出しています。科学は物質の原子の生存と分解の状態について語っており、これら微細な細胞について研究する中で、これら細胞が光線として見られるような原子からのエネルギーを放出することを学んで来ました。科学のある教授はこのことを、原子の魂と表現しましたが、それは確かに知性を暗示させるものです。



【解説】
 化学の授業の中で原子の発光が電子がそのエネルギーレベルを一段下げる際に発することを習った記憶がありますが、本項にもそれに似た事柄が記されています。これは光の話題ですが、私達の身近なものとすれば太陽の光であり、物が燃える際の光の輝きの背後にある現象を意味しています。
 とかく私達は目に見えるだけの現象に囚われがちですが、実際にはそれら現象の奥には肉眼で判別できない繊細微小な世界があり、それらが整然と法則に従った活動をしている訳です。
 私達自身についても、私達はほとんど何も知ることなく、一生を終えるかも知れませんが、その生命活動は他の生き物と何ら変わることのない構成となっています。
 重要な点は、目に見えない微細世界では各々の塊や粒子が各々の使命を果たし、嬉々として生きているということです。各々には知性があり、家主(人間)の為に一生懸命働いているということです。そしてそれらは互いに意思疎通を果たし、やがては宇宙普遍の想念波動に調和できているということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第6章-段落071

6. BODY, MIND AND CONSCIOUSNESS
071 Until quite recently mind and matter have been considered as widely separated as the poles. The materialist has exalted matter into predominance and the metaphysician has given the supremacy to the mind, while consciousness has received scarcely a consideration. There have, of course, always been alerted minds in the world who understand the inseparable relationship of mind, matter and consciousness and have made use of this knowledge in the field of practical evolvement, but the world in general has chosen to remain in the mystery of divisions.
第6章 肉体、心そして意識
071 全くの最近まで、心と物質は両極のように甚だしく分離して考えられて来ました。唯物論者は物質を優位位置に引き上げ、また形而上学者は心にその最高位を授けて来ました。しかし一方では、意識はほとんど考慮すら受けて来ませんでした。もちろん、世の中には心と物質、それに意識について引き裂くことの出来ない関係を理解する鋭敏な心の持ち主がいつも居て、実際的な発展の分野にこの知識を活用して来ましたが、世の中一般はその区分分けという神秘の中に留まることを選択して来ました。



【解説】
 これまで私達は身の回りの世界を物質中心、あるいは自分の内側の主体と考える「心」のいずれかを優先させて論じて来ました。地球の経済社会は物質的価値を最大の争点として争い、時に国同士の戦争への進み、また一方の思想の相違についても異教徒に対しては平気で殺戮する行為も行われています。
 物質も心も本来の価値はさほど無いのではないかと私自身、最近は考えるようになりました。いずれも永続きすることがないからです。
 しかし、本項はこの二つの要素の他に「意識」が存在し、これまで顧みられることがなかったと指摘しています。私達はこれまで意識について十分気付くことなく過ごして来てしまいましたが、本講座では改めてその価値や大きさについて学ぼうとしています。
 前章にもあったように、意識が物質の隅々に行き渡っているからこそ、物質は生命を得ることが出来、心も機能することが出来る訳です。今のところ一人一人の理解度によって、この意識へのイメージは異なるものとは思いますが、重要な点は宇宙には意識作用をもたらす巨大な力が働いており、その力無くしては物質も心も存在できないということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落070

070 We have been taught that all things are possible with God. God is consciousness, and man cannot separate himself from consciousness for he is that. Are not all things also possible therefore, with man? Jesus the Christ understood this unlimited capacity for expansion when he said-"Greater things shall you do than I have done." He put no limitations upon himself or upon another. It is through the understanding of the consciousness, which is oneself, expressing through all forms that gives one the power to control all elements. Cannot a being command himself into action? Cannot consciousness direct its own movements? This mighty Cosmic force, with power to do and the intelligence to direct, is the most generous giver of all things to those who utilize every fleeting conscious moment, but it turns a relentless executioner in the hands of those who pay no attention to its gift of Ideas.
070 私達は全てのことが神にあっては可能だと教えられて来ました。神は意識であり、また人は意識から分離できません。何故なら人は意識であるからです。では、全ての事柄もまた、人間にあっては可能ではないでしょうか。イエス・キリストは「私が為した以上の大いなることを貴方は為すだろう」と言った時、この拡大する無制限の能力を理解していたのです。彼は自分自身にも他の者にも如何なる限界を設けていませんでした。それは全ての元素を支配する力を与え、万物を通して表現している自分自身である、意識の理解を通じてのことです。何人であれ、自分自身に行動せよと命令することは出来ないことでしょうか。意識はその運動を指図出来ないでしょうか。この力強い宇宙的力はそれを為す力と指導する知性を持ち、意識的瞬間の束の間のひとつひとつを活用する者達にとって全てのものを与える寛大な贈与者ですが、一方、そのアイデアの贈り物に何らの関心を払わない者達の手にあっては情け容赦の無い執行人に変貌するのです。



【解説】
 本来の人間の能力の可能性とその理由について本項では説かれています。
 現在、私達はこの「宇宙哲学」をアダムスキー哲学の一環として学んでいますが、実は同様の内容はイエスの時代にも説かれていたことに注目しなければなりません。即ち、他惑星の文明から地球にはこれまで何度となく同じ内容がもたらされ、イエスをはじめとするいわば伝道師が当時の人々に語り伝えていたことになります。おそらくは仏陀も同様でしょう。
 時間が経過し、教えのエッセンスが失われつつある中、アダムスキー氏が出現することとなったと思われます。また先にも述べましたが、アダムスキー氏は使徒ヨハネと関係があった(ヨハネであった)とされていますが、本文に記述のあるイエスの言葉の真意を記している部分は、実際イエスの間近に居たヨハネがその時、理解した内容であったと思われます。
 いずれにせよ、現在の私達は再びこの真理に向き合おうとしている訳で、自分の中に染みわたる意識の力を知ること、学ぶことを第一にしたいところです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落069

069 Those who have become consciously aware of conscious consciousness through the ages have known this and have used the knowledge in their daily life. They have recognized themselves as the unlimited consciousness and thereby have become the controllers of it. The average man who claims himself a conscious being has through the development of a personal ego blinded himself to the reality of his being and understanding of cause consciousness so that he is expressing not more than one tenth of one percent of his potential ability. Think of the possibilities ahead of man when he shall have enlarged his field of awareness.
069 時代を通じて意識的意識について気付くようになった者達は、このことを知り、日常生活の中にその知識を利用しました。彼らは自分自身を無限の意識として認識し、その為その支配者になって来ました。自分自身を意識的存在だと主張する平均的な人間は、個人的自我の発達を通じて、自分の存在の現実性について自分自身を盲目にしてしまい、その結果、彼自身の潜在能力の1%の10分の1も表現してはいないのです。自分の気付きの領域を拡げた時の人の前に拡がる諸々の可能性について考えて下さい。


【解説】
 宇宙そのものに繋がる意識を自覚すること、その知識を実生活に応用することは各自の生活レベルの向上に繋がることはもちろん、その人の真の進化に直結しています。その人が意識とどのように接しているかは本人しか分からないことですが、その成果はその人の物事の達成や人々への貢献その他、具体的な活動成果により、容易に知ることが出来る筈です。
 かつて多くの英雄や偉大な芸術家、更には後世の人々の生きる指針を示した思想家等々、多くの人達はこの意識を日常に適用することにより、各自の能力を高めて行ったという訳です。
 もちろん、現状の私達も多少は意識の発現もある訳ですが、その大きさは本来の能力の1%の10分の1も表現出来ていないと著者は指摘しています。このことからも私達の前には進むべき道が遥かに連なっており、一つ一つ問題を解消して行きながら進むべきものであることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落068

068 One's breath is measured by consciousness, and Heaven is but a man suspended between the Soul consciousness of Eternity and Man's consciousness of earth. It is the mark or center of balance where the true understanding of the cosmos exists. Each conscious being is but a focal point of action within this great limitless ocean of intelligent force. There is no separation between any one of these focal points of conscious action and the Wholeness of consciousness.
068 人の息は意識によって見守られており、天国とは人が永遠なる魂の意識と地上の人間の意識との間に吊り上げられていることなのです。それは真の宇宙の理解が存在するバランスの印、或いは中心です。各々の意識的存在は、この偉大なる限りない知性の力の海の中における行動の焦点です。これらの意識的行動の焦点のいずれの間と意識全体との間には分離はありません。



【解説】
 私達の誰もが願う天国とは、そもそもどのような状態なのか、著者は本項で説いています。それは永遠の魂の意識と私達地上の人間の意識との調和、バランス状態のことだとも明言されています。
 また、私達の毎回の呼吸が意識により見守られているということは、私達にとって意識は幼児の命を支え守る両親そのものとも言えるでしょう。この呼吸とは創世記の記述にもあるように生命の基本です。ヨガの呼吸法や瞑想にもこの呼吸に着目してその意識の働きを知ろうとする手法の一つかと思われます。
 私達も毎回の呼吸を単に何気なくやり過ごすのではなく、呼吸がどのように起こり、何に促されて行われているかについても関心を持つべきでしょう。人生最後の瞬間はこの呼吸も停止することになる等、呼吸は私達の生命活動になくてはならない活動であるからです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落067

067 The growth of earth and the growth of man is the actual evidence or testimonial of consciousness. Thought, itself, is composed of consciousness. All things of the heavens and the earth have been and will continue to be conceived in the womb of this mother-father principle. Man was born - into a physical form and will grow old and perish while consciousness remains everlastingly young in existence.
067 地球の発展と人間の発達は意識の実際の証拠であり、証明書です。想念自体は意識から成り立っています。天と地の全てのものは、これまでも、またこれからもこの母性父性原理の子宮の中で受想し続けることでしょう。人は肉体の形に生まれ、年老い、死を遂げますが、一方、意識は永続的に若いまま留まります。



【解説】
 若い方は別として、ある程度の年代になると、本項で著者が記述していることは良く理解出来るのではないかと思われます。つまり年を重ねるにつれて、自らの想念はかつてのレベルよりは進化しているものです。日々の精進の成果として各自の精神レベルの向上に直結していることは、かつての自分を振り返れば納得されることと思われます。
 また同時に、肉体の老化は日常の努力、節制によりその進行を遅くすることは出来ますが、諸般の要因によりいずれは死を迎えることは間違えありません。自分ではいつまでも若い気持ですが、客観的に写真に写った自分の姿には年相応の衰えを見て取ることが出来るものです。
 かつてアダムスキー氏は自分はこの老人の肉体のまま他の惑星に移住するよりは、新しい肉体を得て転生する方を望むと語ったとされています。まさにその通りの感がありますが、その時を迎えるまでは各自のかけがえのない身体を慈しみ、意識の発現の場としての役割を果たし、同時に各自の精神レベルの進化に邁進することです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落066

066 Consciousness is the very substance of all forms, yet itself is formless. It is the ruler and keeper of all elements which compose it in the field of form-action, for through this intelligent force the elements which make the form become conscious. It builds form and disintegrates forms yet it knows neither life nor death. It is motionless, yet it is the all-active power by which the cosmos is maintained; placeless, yet it is everywhere for outside of it there is nothing; inert yet composed of unlimited power.
066 意識とは万物の本質そのものです。しかし、意識自身には形がありません。それは形あるものの活動の分野で組織するあらゆる元素の支配者であり、保護者なのです。何故なら、この知性ある力を通じて、形あるものを作り上げている元素が意識を持つようになるからです。意識は形あるものを作り上げ、また形あるものを分解しますが、それでも生も死も知ることはありません。意識はじっとしていますが、宇宙が維持される全ての活動的なパワーでもあるのです。定まった場所はなく、何処にでもあるのです。何故なら、意識の外側には何もなく、意識は自ら動くことはありませんが、無限のパワーから成り立っているからです。



【解説】
 通常の日本語でも、生死の境目の際には「意識の有無」が問われますし、意識という知覚状態は生命の基本なのだと考えられます。アダムスキー哲学においては、この意識にはこれまで私達が考えて来た以上の大きな、生命の本質にかかわる重要な役割があると説かれているのです。
 即ち、この意識が存在するが故に、私達は物質でありながら、生命を保ち、自らの存在意義を発揮できるというものです。またその意識は個別の身体に常在すると同時に宇宙くまなく存在する宇宙意識とも繋がるもの、一体感を私達に感じさせる源泉でもあります。
 すべての物質に対し、生命活動を促すのはこの意識であり、個々人の自我の心ではありません。その点、私達は生かされているという言葉が生まれる理由にもなっています。
 問題は各自が自ら備わり、生きている間は常に人体内部に存在する意識と如何に融和し、助言を受けるかにある訳で、「同行二人」のように常に意識とともに人生を歩むことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落065

065 Everything from the mineral to the Cause kingdom is changed, moment by moment, by the everlasting activity of consciousness. It is the avenue of progress; the stream of life ladened with ideas which drop into the consciousness of mortal man with great rapidity and which may be used or discarded, depending upon the understanding of the individual. Consciousness speaks the language of the Soul, for it is the Soul. This Cosmic language is soundless, yet it roars with a voice of thunder, reverberating with a tremendous force upon the mortal form, producing a state of awareness as to the ideas that lie within him - ideas which only he himself knows unless he expresses them in words, and which even then may not be understood by another.
065 鉱物から因の王国に至るあらゆるものは永続する意識の活動により、刻々と変化します。それは進歩の大道であり、大速力で死すべき人間の意識に降り下るアイデアを積み込んだ生命の流れであり、各自の理解力により、活用されるか或いは捨て去られるかになります。意識は魂の言葉を話します。何故ならそれは魂であるからです。この宇宙的言葉は無音ですが、雷ほどの声で叫び、死すべき形あるものにすさまじい勢いで響かせ、人の内側にあるアイデアにいての知覚状態を作り出します。そのアイデアは言葉に表現しない限り、その者のみが知り、言葉に表現したとしてもその時、他の者には理解されないものです。



【解説】
 ありとあらゆるものは活動の中、変化の中にあります。「万物は流転する」とは言い得た言葉です。通常、このことは確固たる固定したものでないということから、「空しいもの」、「はかないもの」と解釈されがちでしたが、アダムスキー哲学においては同じ変化の形相を本文のように実に生き生きと語ることが出来ます。このことが従来から地上で染みついて来た宗教教義と他惑星文明から伝えられた「宇宙哲学」と根本的に違うところです。
 このように一瞬一瞬変化するような活動的な宇宙の実態なのですが、その中にあって本項で言う意識の働きは大きな役割を占めているのです。無言の意図ではありますが、その印象指導によって全ての変化、創造作用が進められているという訳です。
 もちろん私達の内側にもその意識は隅々にまで染みわたっている訳で、少しでもその声を聞こうと努力すれば、たちどころに成果を得ることが出来ます。実に頼りになる存在という訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落064

064 As far as we know consciousness had no beginning and will have no ending for it seems to be all in all, the Alpha and Omega, and is made up of the Trinity; first the power; second, the intelligence; and third, the created form. John tells us -"In the beginning was the Word and the Word was with God and the Word is God.' What is a word? Is it not a thought expressed? And does not thought depend upon consciousness for it's being? Then we must admit that "in the beginning was consciousness and the consciousness was with God and consciousness is God." Out of consciousness, again, proceeded thought so "in the beginning was thought and thought was with God and thought is God." And thought becoming expressed returns us in proper sequence to the Word which is with God and is God. (Cosmic Cause) The incarnation of these three through action brings forth manifestation which is concrete realization in form of that which exists always in consciousness.
064 私達が知る限り、意識には始まりもなく、また終わりもないものでしょう。何故なら意識は全ての中の全て、アルファー(訳注:ギリシャ文字24個の最初の文字)であり、オメガ(訳注:ギリシャ文字24個の最後の文字)であるように思うからで、それは三位一体(訳注:「父・子・聖霊」の三位格があることを指す)から成っているからです。即ち第一に力、第二に知性そして第三に創造された形あるものです。使徒ヨハネはこう言いました。「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにありき、そして言葉は神である」と。言葉とは何でしょうか。それは表現された想念ではないでしょうか。そして想念はその存在を意識に依存しているのではないでしょうか。そうすると私達は「はじめに意識があり、意識は神であった。そして意識は神である」ことを認めねばなりません。意識の中から更に想念が進み出るため、「はじめに想念があった。想念は神であった。そして想念は神である」ということになります。そして表現された想念は神とともにあり神(宇宙的因)である言葉として適切な順序で私達に戻って来るのです。これら3つの活動の化身は意識の中では常に存在している形あるものへの永続的な現出である創造作用をもたらすのです。


【解説】
 著者が説く「意識」がどのようなものか、本項では改めてその働きについて解説しています。
 その中でも重要な点は、意識には始まりもなく終わりもないということです。常に存在し、創造の生命力と宇宙の知性、そして全ての形あるものに普遍的に存在し、言わば創造主と一体のものとも呼べるとしています。
 この意識さえ理解出来れば他に望むものなどありません。全てはこの意識の中で創造され、世に出る訳で、私達は意識の持つ潜在力に頼ると同時に、謙虚に畏れることも必要です。
 自らの身体から宇宙の果てまで浸透する意識について、私達は先ずは自ら知覚出来るよう、自らを澄ませ、それと一体化出来るようその存在に信頼を寄せることが必要です。

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