2015年11月

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落063

063 This intelligent force, then, is actually the Cosmic Whole, for Its limit of knowledge is no where. It is the creator of everything that was, is, and will be. It is not only the soul of man but the very soul of all things, the Father-Mother principle of the Cosmos.
063 この知性ある力は、実際には宇宙全体なのです。何故ならその知識の限界は何処にも無いからです。それはこれまでにあった、現在ある、そして将来あるだろうあらゆるものの創造主です。それは人間の魂のみならず、万物の魂そのもの、宇宙の父性母性原理なのです。



【解説】
 要するに本来の生命力というものは、あらゆる創造物とも繋がり、宇宙全体にまで広がっている「魂」だと、本項ではアダムスキー哲学で説かれる「意識」を明解に説明しています。
 未だ学習途上にある私達も十分には認識できていない所かとは思いますが、実はこの意識を通じることによって、宇宙のあらゆる存在と"一体化"が得られること、また互いを言葉を用いることなく瞬時に理解し合えることもあるでしょう。
 同時にこの意識は創造を司る役割を持っていることから、自らが抱く想念・印象についても具体化に向けて現実世界に作用させ、未来を形作る場でもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落062

062 The story of creation as recorded in Genesis says that God created man from the dust of the earth; out of the elements He molded a form in His image and likeness as a sculptor creates a beautiful statue out of clay. This He did with intelligence and power, and having looked upon His completed form creation He was well pleased, so He incarnated into the form as the Breath of Life and man became a conscious being, a living soul, having the power of intelligent action, which we know as life.
062 創世記に記録された天地創造の物語は、神が人間を大地のチリから創ったとしています。その諸元素から創造主は彫刻家が粘土から美しい彫像を作り上げるように、神ご自身のイメージと似姿で一つの形あるものを型に入れて創ったのです。これを神は知性と力によって行い、自ら完成した創造物を眺め、神は大いに喜び、生命の息としてその形あるものの中に化身し、その結果、人は意識ある存在、生ける魂、私達が生命として知っている知性的な活動の力を得たのです。



【解説】
 創世記が記された昔、私達地球人はもとより原子や分子、細胞や遺伝子等、繊細、精妙な科学の知識は無かった訳で、大地のチリから人体が造られたと表現するのが精一杯であったということでしょう。
 しかし、やはり「チリ」という、いわば微粒子から人体が造られたと表現することで、原子や分子をイメージする表現になっていることに注目したいところです。
 人体創造の最終段階では肉体各部が形成されることになりますが、しかし、それだけではなかった訳です。その作品を見て創造主が息を吹き込んだとされていますが、生命の息として自ら内部に化身したと本文に記述されているところが重要な点です。
 つまりは自らの作品に自らも入り込んで、生き生きしたものとした訳です。丁度、赤ん坊が誕生して最初に息をする段階から人間としての全てが始まるのと似ています。私達の中にはこのように本人が知る知らないにかかわらず、誕生のはじめから、創造主は私達の中に入っており、私達自身、その能力を備えているということです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第5章-段落061

5. WHAT IS CONSCIOUSNESS?
061 The term consciousness seems to be the foundation of all creation. It is not a physical thing, yet it measures all expressions of physical forms. Without it no form could be or exist for consciousness is life itself. It is the power which gathers the elements into the formed state and it is the intelligent force which causes awareness and animation within the form. Conscious awareness of the All-Inclusive consciousness is that tremendous power which is referred to in the Scriptures as the Holy Ghost. It is a dweller, as power, within that which is created, perpetuating the growth of the form by the constant action which is the law of It's being.
第5章 意識とは何か
061 意識という用語は全ての創造作用の基礎であるように思います。それは物理的なものではありませんが、物理的な形あるものの全ての表現の尺度となっています。意識なしではどんな形あるものも存在することが出来ません。意識が生命自体であるからです。それは諸元素を集めて形ある状態にさせる力であり、形あるものの中に気付きと活気をもたらす知性的な力なのです。全てを包含する意識に対する意識的な気付きは聖書の中で聖霊と称されるあのすさまじい力です。意識は創造されたものの内側にある力としての住人であり、その存在の法則でもある絶え間ない行動によってその形あるものの成長を永続させているものです。


【解説】
 たまたま今読んでいる本(中村元編著:「仏教経典散策」)の中に維摩経の紹介が掲載されており、その中に次の記述があります。「文殊菩薩との会話が続くがしばらくして、維摩居士は文殊菩薩に随行した菩薩たちに声を掛け、”みんなに不二の法門(相対の差別をこえた絶対平等の境地)に入るとはどういうことか”という質問であった(中略)。32菩薩が述べ終わったあと、代表して文殊菩薩が維摩居士に”あなたのご意見を聞きたい”と尋ねた。周りの者たちはどんなことばが聞けるかと期待している。ところがどうだろう。維摩居士は瞎目し黙然として一言も発しないのである。あたりは静寂が漂っていた。と突然、文殊菩薩が”すばらしい。文字もことばもない。これが不二の法門に入ることですね”と讃嘆したのである。」
 アダムスキー哲学でポイントとなる「意識」と通じるものがあるように思った次第です。
 言葉や所詮私達肉体の感覚の表現であり、実際はそれらに規定されるどころか、遥かに強大なパワーを発揮している存在があり、それを著者は「意識」と表現しているのです。全ての創造物の中にはこの意識が宿っていて、日々の運動や進化を担っているという訳で、このお蔭で私達は命を繋いでいるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落060

060 Learn to believe in your power of perception; give recognition to those things of which you became aware and you will find yourself enjoying a feeling of happiness and well being. Your vision will gradually expand to where you can feel the pulsation of life in all forms. And you will understand the Universal Language of Life, and the limitations that have bound you to the personal ego will vanish into the illimitable vastness of Cosmic intelligence.
060 あなた自身の知覚力を信じることを学びなさい。あなたが気付くようになった物事に認識を与えることです。そうすればあなた自身、幸せと良好な状態を楽しんでいることに気付くことでしょう。あなたの視界は徐々に拡がり、あなたがあらゆる形あるものの中の生命の脈動を感じ取れるようになることでしょう。そしてあなたは生命の宇宙普遍の言語を理解し、あなたを個人の自我に縛り付けて来た諸々の限界は宇宙的知性の限りない広大さの中に消え去ることでしょう。


【解説】
 先ずは自分自身、本来的には受想した想念・印象を十分知覚する能力を持っていることを信じることだと著者は説いています。その中で少しずつ学んだことを自分のものとし、その効果・効能を改めて自ら確認することです。
 人間は少しずつではあっても、随分と進歩もするように思います。例えば昔の自分の写真を見ると、何と余裕のない表情をし、人生を楽しむとはとても言えないような人物の姿がそこに写っていることに愕然とすることもあるのではないでしょうか。
 それは、その後何十年間の毎日の精進の中で、少しずつ自分に改善を加えて来た結果を私達自身に示す証拠でもあるでしょう。同様に、これから先も私達は自らの知覚力を高め、宇宙の印象に従って柔軟かつ誠実な人生を極めて行く必要があります。一つ一つの積み重ねで十分であり、続ける中で道は拓けるものだからです。


ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落059

059 One of our noted scientists once said, "I find ofttimes that in the moments when I have ceased pondering over a problem the greatest revelations come to me." Such revelation is true perception, for it is the time when the mortal sense mind and the cause intelligence unite. Such awareness is called intuition, and the man who acts intuitively is always right. The mortal mind is usually unable to perceive the thoughts which are conceived from the cosmic source for it is in a constant state of friction and wonderment, lost in the perception of the innumerable forms of the effective world and so unaware of the new ideas that are waiting for birth. It is necessary to perceive the possibilities within anything before those potentials are able to become a reality in one's life. True perception goes beyond the apparent into the cause of the appearance, it goes into the invisible and brings newly conceived ideas into manifestation. Many people consciously perceive wonderful things but have not enough faith to bring them forth.
059 著名な科学者の一人はかつてこう言いました。「私はしばしば、問題について考え込むことを止めた瞬間に最大の新発見がやって来ることに気付いています」と。このような啓示は真の知覚です。何故ならそれは死すべき感覚心と因なる知性とが結びつく時であるからです。このような気付きは直感と呼ばれ、直感的に行動する者は常に間違いはありません。肉体の心は大抵は宇宙的源泉から受想される想念を知覚することは出来ません。何故ならそれは常に摩擦と好奇心の状態にあり、結果の世界における無数の形あるものを知覚する内に迷ってしまい、誕生を待っている新しいアイデアには気が付かないからです。このようなこと(訳注:感覚心と因なる知性が結びつくこと)が各自の生活において現実のものとなることが可能となるためには、それ以前にその可能性を知覚する必要があります。真の知覚とは外観を超える因にまで及ぶものであり、新たに受想したアイデアを創造物としてもたらすのです。しかし、多くの人々は意識上は素晴らしい物事を知覚はしますが、それらを現実にもたらすほどの十分な信頼を持っていないのです。



【解説】
 私達一人一人はこれまでの経験の中で、何回かは優れた発想を得てその後の人生の転換、或いは素晴らしい成果につながった事例もあるのではないでしょうか。そのほとんどのケースが本項に記されているように、心が何かの問題への執着をなくした時に浮かんだもののように思われますし、少なくても心が怒ったり、悲しみに浸った状態に起こったものではなかった筈です。
 容易には言葉で表せませんが、より素直であらゆる印象に受容的な姿勢であったのではないでしょうか。本項で著者は、そのように現象世界に執着せず十分リラックスして受容的な状態を造り上げ、宇宙の源泉への信頼を保って居れば、必要に応じて解決策の提示を戴けるのだと説いているのです。
 浅学の身ながら、実はこれらの真相は、古今東西の宗教全てが説く内容とも一致しているように思われます。
 重要なのは、その一瞬得た印象を大切にして直ぐにも行動に移して成果を得るか、或いはそのままにして忘却の彼方に消え去るに任せるかの選択でしょう。少ないこのような機会をしっかり捉えて、自らの人生に活用すること、その支援の為の印象の贈り手を信頼することが大事なのは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落058

058 There is really very little difference between conception and perception; the former is the cause soul awareness and the latter is mortal sense awareness, and the two should be always united
058 実際には受想と知覚の間には、本当にほんのわずかの違いしかありません。前者は因の魂による気付きであり、後者は死すべき肉体の感覚の気付きで、両者は常に一体であらねばならないのです。



【解説】
 最終的な姿として、よく「意識と一体になる」と「生命の科学」で表現されているように、「宇宙哲学」においても受想と知覚とは作用する部分が異なるだけで両者は本来一体的に成立することになります。なお、この受想(Conception)はやがて、「生命の科学」では意識(Consciousness)と表現されることになるもので、基本的には同種の概念であろうと考えます。
 むしろ問題は、数や量の上で圧倒的に多くの想念・印象を受けている受想に対して、その隣に居る私達の肉体細胞からなる感覚は実に鈍感であり、眠ったまま目の前を通過する印象に気付いておらず、その他の時はもっぱら自分自身の関心事に熱中していることにあります。
 この解決方法は先ずは私達自身、自らの身体内にそのような宇宙に直接つながっているとも言えるような受想機能を有する部分があり、そこを通じて多くの情報が絶えず注がれていることをよくよく自覚し、その声を聞こうとすることにあります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落057

057 When an unselfish idea is conceived it is to be perceived and brought forth into manifestation just as a soul conceived in the womb of a mother is to be given birth in physical form. Whatever one becomes aware of that is not contrary to natural law must exist, for how can it be possible to perceive that which is not existent?
057 一つの非利己的なアイデアが受想される時、それは丁度、一つの魂が母親の子宮で受胎し肉体の形をもって誕生するのと全く同じに、それは知覚され具体的な創造物としてこの世にもたらされます。自然法則に反しない限り、どのような事柄も人がそれに気付くものは存在する筈です。何故なら存在しないものをどうして知覚することが出来るのでしょうか。


【解説】
 多くの読者がお気付きのように、本項で「受想」と訳出している「Conception」には「受胎」という意味も含まれています。即ち、母体が気付かない内に、妊娠の初期の現象が体内に始まる状況と似たものとして、「受想」という概念を著者は提起しているのです。
 当然、その次の段階として、具体的な物質界レベルの創造が進行する訳ですから、それを知覚できる筈という訳です。現実に無いものは知覚できる筈もない訳で、如何に初期の精妙な段階で私達が知覚するかが問われていることになります。
 おそらくはこの段階はかなり流動的であり、私達の持つ想念・印象がその創造過程にも大きく影響を与えるのではないかと考えられます。即ち、物事を願い通りに進めるには、私達の非利己的なアイデアも大いに創造作用に活用されるように思われるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落056

056 Lack of perception is the greatest of the sins of omission; why should a man remain in ignorance when all things lie before him and the very fullness of life prevails within his being awaiting the command to come forth.
056 知覚の欠如は怠慢の罪の内、最大のものです。何故、人間は全てのものが自分の面前に有り、自身の中には命令が来るのを今か今かと待っている生命で満ち溢れているのに、無知のまま留まっているというのでしょうか。


【解説】
 小椋佳の「愛燦々」がありますが、その歌詞の中にその歌のタイトルにも繋がる「愛燦々とこの身に降って、心秘かな嬉し涙を流したり」というくだりがあります。
 私達には絶えず宇宙からこのように愛情が注がれていて、それに気付くことが出来れば、本当に嬉しい限りの感動を受けるというものでしょう。
 先ずは自分自身、この注がれる愛情にこそ気付くべきで、無為に何ら感動も無いまま受け流すのは贈り手に対し失礼この上ない、まさに罪とも呼べるべきものです。私達は与え続けられている印象、各細胞への働きかけを知覚し、それらの印象をしっかり受け止めなければなりません。
 宇宙から自らのさんさんと愛情が注がれていることを自覚する中で、人生は楽しいものに変わるものだと思います。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落055

055 Perception includes not only recognition but also comprehension. We cannot fail to recognize the fact that we are sons of the Cosmic Father Principle and heirs to all there is, but how many are there in this world who have actually perceived what that sonship means? Lack of perception leads always to a lack of confidence which prevents man going forward into greater accomplishment. The man who fails to understand his relationship with the whole is but a wanderer having no purpose in life.
055 知覚には認識のみでなく、理解も含まれています。私達は自分達が宇宙の父性原理の息子達であり、存在する全ての相続人であることを忘れてはいけませんが、この世の中にはどれだけの人がこの息子の地位が何を意味するかを知覚しているのでしょうか。知覚の不足は確信の不足に繋がるものであり、それは人がより大いなる達成に前進することを妨げるものです。全体との自身の関連性を理解出来ない人間は人生に何の目的を持たない放浪者でしかありません。


【解説】
 私達は日常、自分達の命に特段の感謝の念を抱くことはないでしょうが、時とhして静かな場に自分を置いた時、自分の指先にまで暖かい命が宿っていることを感じ取ることが出来ます。これらはいわば無償で私達に授けられた命、私達がこの世に生まれてからずっと与えられ続けている贈り物と言うことも出来るでしょう。
 本項ではこれらの状態について、私達が宇宙の父性原理の息子であると説いているのです。即ち、私達は父からあらゆるものを相続出来るという恵まれた立場にあるという訳です。広大な宇宙にあるあらゆるものとアクセスでき、親しみ自分のものとするよう父から与えられているということです。
 それが、本章で説かれている受想から知覚に至るまでの働きの意味ということでしょう。ここで重要な点は、本項でも記されているように、親が子供に授けるように無償で与えている環境も、本人がそのことを自覚せず、父への信頼感を持てないなら、全ては無意味になってしまうということです。少しでも自らの恵まれた境遇を自覚し、宇宙における自らの役割を理解しようとする姿勢が重要です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落054

054 In our christian bible we find references to "Life Eternal" and the way we must conduct our lives in order to know, "the only true God," but the application as to just how this is done is not explained. To know God the Father is to perceive Cosmic Cause. Conception has no limitations for it is cosmic, and that which is conceived can also be perceived by the mortal mind so perception knows no beginning or ending; its vastness is all-inclusive.
054 キリスト教の聖書に私達は「永遠の生命」や「唯一真実の神」を知る為に私達が人生を導かなければならない道に関する言及を見出しますが、ただ、これがどのようにしたら為されるのかについては説明されてはいません。父なる神を知ることは宇宙的因を知覚することです。受想は宇宙的属性であるが故に限界はありませんし、また受想されたものはまた、死すべき心によって知覚され得るため、知覚にははじまりも終わりもない訳で、その広大さは全てを包含するものです。


【解説】
 現在もまたこれまでも私達の惑星では「神」を巡っての争いや時に殺し合いも多く起こって来た訳ですが、それこそが私達の惑星の「神」に対する平均的な理解度なのかも知れません。
 本項では地球上の多くの宗教が説く「神」の本質を知ることは具体的に何を示唆するが明らかにされています。つまりは、受想(Conception)こそが宇宙的な源泉に直結しており、そこから来る印象は無尽蔵、無制限です。それを肉体の感覚器官が受け入れ、学ぶことで創造主を身近に知覚することになるのです。
 言い替えれば、印象を受想することによる学びには際限はなく、何処に居ても、また手元に何も無くても実践出来る訓練でもあります。これら印象を大切にする姿勢は日常生活においても様々な進化をもたらすものでもあります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落053

053 There are myriads of thoughts bombarding man's mind every second; some are personal, some are impersonal, many are beyond the conception of the average sense mind. It is true that each thought that enters man's being impresses itself upon the individual cells of his body but the mortal sense mind as a whole does not become aware of it. Conception while being of Cause does not raise man to the Cause state; it is perception which produces growth in the mortal man. In the average man the thoughts are passing at the approximate rate of 1100 per second. In a highly developed person the thoughts run about one-half million per second. The mortal grows through experience and only that which is perceived consciously can be termed as experience. Awareness is the key to wisdom and the only channel to human thought expansion. Awareness must be combined with action so that intelligence may be expressed. Cosmic Cause incarnates in matter whether the mortal mind of man is conscious of it or not, but through perception of that action the mortal expands in the field of growth. The mortal sense mind, having divided itself from the Whole, must evolve again into the Oneness by perceiving the Cause in effects. In the cosmos everything exists and we, being of the cosmos, have everything within us. If we perceive that which is within us we are able to bring it into manifestation. Through perception we actually "mother" or "father" a thing into growth. The whole science of life is based on these two - through conception and perception are all things brought into being in the world of effects. Conception is responsible for putting Cause into motion and bringing forth action. Conception may take place without any awareness on the part of the intellect but the action which takes place due to conception bring forth a quickening that produces what we know as sensation. Perception is the act of becoming aware of sensation and knowing its source.
053 毎秒、人間の心に衝突して来る何万もの想念があります。あるものは個人的なもの、またあるものは非個人的なものであり、多くは平均的な感覚心の受想を超えています。人間に入り込む各想念は、それ自身を人間の肉体の個々の細胞に印象を刻印することは真実ですが、死すべき感覚心は概して、それに気付くことはありません。因に属する受想は人を因の状態にまで押し上げることはしません。死すべき人間において成長をもたらすのは知覚なのです。平均的な人間では、想念はおよそ毎秒1100個が通過しています。高度に進化した人物においては想念は毎秒50万個も流れます。死すべき人間は体験を通じて成長するもので、意識的に知覚したもののみが体験と呼ぶことが出来るのです。気付きは人間における想念の拡大につながるカギであり、唯一の道です。また、気付きは知性が表現されるよう行動と結び付けられなければなりません。宇宙の因は死すべき人間の心が意識しているいないに係らず、物質に宿っていますが、その活動を知覚することによって死すべき人間は成長の分野で発展するのです。全体から自分自身を分離した死すべき感覚心は結果における因を知覚することによって、再び一体性の中に進化を遂げなければなりません。宇宙の中に全てが存在し、私達もその宇宙に属する以上、私達の中に全てを有しています。もし、私達が自分自身の中にあるものを知覚すれば、私達はそれを創造の現れとしてもたらすことが出来ます。知覚を通じて私達は実際には物事を成長させる「父母」の役割を果たすのです。生命の科学全体はこれらの二つ、受想と知覚に基礎を置いており、それらを通じて、全ての物事が結果の世界にもたらされるのです。受想は因を動かし、行動を推し進める役割を果たしています。受想は知性の側には何らの気付きもないまま生じるかも知れませんが、受想に起因する行動は私達が湧き起こる感情として知っている状態を作り出す衝動をもたらします。知覚はその感情に気付き、源泉を知る行為なのです。


【解説】
 本項では「気付き」や「悟り」と呼ばれて来たものが、具体的にはどのようなものであったかを明快に示しています。
 それらは毎秒1000個もの想念波動が降り注ぐ中にあって、それらに容易に気付ける体質になること、またそれらの精妙な波動の持つ趣旨を理解し、応用する能力を高めることにあることが分かります。
 既に私達はこのようにふんだんなアイデアが絶えず注がれている訳ですが、私達自身そのほとんどに気付かずに過ごしてしまうということです。また仮に受想が出来たとしても、次の段階、肉体の感覚による十分な知覚が出来なければ、具体的な理解は難しいと言うことが出来ます。単に受想を待つのではなく、私達自身が少しでも印象を感知したら、しっかりその印象を知ろうとしその印象に従った行動をとることによって、自らの経験となり記憶に残すことが出来るという訳です。
 知覚はこれら印象の発信者の意図に耳を傾け、学びたいという姿勢を意味していると著者は説いています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第4章-段落052

4. PERCEPTION AND CONCEPTION
052 "What man can conceive he can also achieve," has been said, but between conception and achievement there lies a middle step which is perception. We are familiar with the use of the word perception as used in relation to a faculty of receiving knowledge of external things by the medium of the senses. This same faculty may also be used to alert the senses to a Cause Intelligence which is beyond its effective scope of perception. Conception is constantly taking place within man; the conscious intelligence of the cosmos is eternally incarnating in matter, but unless there is awareness on the part of the mortal sense mind these thoughts are liable to pass on without ever being recognized in the world of form. We know that thought is the basis of human action and there are millions of thoughts that pass over the highway of mind every day, but man perceives approximately one thought out of every hundred which is conceived within his mind.
第4章 知覚と受想
052 「人が思いつくことはまた、実現することが出来る」と言われて来ました。しかし、思いつくこと(受想)と実現の間には、知覚という中間の段階があるのです。私達は知覚という言葉を、感覚という媒体を通じて外の物事の知識を得る能力に関連させてよく用いて来ています。これと同じ機能は知覚の効果的な範囲を超えた宇宙的知性に感覚を鋭敏にさせるためにも用いることが出来ます。受想は人間の中で常に起こっており、宇宙における意識の知性は永遠に物質の中に体現していますが、肉体の感覚心の側に気付きが無ければ、これらの想念は形あるものの世界の中で認識されることのないまま、通り過ぎてしまい易いのです。想念は人間の行動の基本であり、また毎日、心の大道を何百万もの想念が通過していますが、人は自分の心に受想されるおおよそ100に1つの想念を知覚するだけであることを、私達は知っています。



【解説】
 本項から第4章に入ります。本章ではより精密に想念・印象がどのようにして各創造物を通じて実現までつながって行くのかを学ぶことになります。
 その最初の課題として、想念が知覚されるまでどのような経路を辿るかが本項で説かれています。即ち、私達がインスピレーションを得て何かこれまでにないことを成し遂げたという場合にも、その発端は私達がそれらの想念・印象に気付くこと、受想することから始まるという訳です。このConception(ここでは「受想」と訳出しています)は、実はあいまいながらも何らかの想念波動との接触を感じた程度の段階の知覚ということになります。これは漠とした状態であり、その存在を知っただけだと著者は説いているのです。  その想念・印象をより具体的なものとする為には、既存の感覚器官の側でも認識しなければなりません。色調や形状、音や味覚等々、普段の私達が接している感覚が認識しなければならない訳です。つまり応用する為には、単にぼおとして印象をとらえているのではなく、自らの感覚をそれらの合一させて理解することが必要だと言うことでしょう。
 これらの作業ははじめの内は容易ではないかも知れませんが、文末に記されているように、既に自分達には現状でも100倍以上の想念を受想している訳で、少しでも自らの心をその方向に向ければ、アイデアは泉のように湧いていることに気付く筈です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落051

051 There is no greater law than that of conscious action, for upon it rests continuous Creation. Energy acting upon itself gives birth to time and space, the relative elements of the Cosmos that cause conception of the state called form. Each thing depends in part upon another and may be traced back to a common source.
051 意識の活動ほど偉大な法則はありません。何故なら止むことの無い創造はそれに支えられているからです。意識の活動において作用するエネルギーは、宇宙の相関的要素である時間と空間を生み出しますが、(その時間と空間は)形あるものと呼ばれる状態の概念をもたらします。各々の物事は、部分的に互いに依存しており、また一つの共通の源泉に遡ることができることでしょう。



【解説】
 私達が目の前に広がる全てのもの、壮大なる宇宙をどのように観るか、本章で学んで来ましたが、その結語が本項に記されています。
 本項ではあらゆるものは意識の活動から生じたもの、時間も空間もそれらが生み出したものであり、全ては水面を進む波のような意識の作用であると把握すべきなのです。私達はその波の形成の場合のように意識のエネルギーを表現したものであり、やがては元の元素に戻って行くことになります。
 しかし、それは個々の元素の集合体が解散するだけで、再び他の集合体の一部として活用される訳で、元の大洋の一部に留まることは間違いありません。また、各々が関連し合い、協力して形が形成されて行く訳です。
 こうした中、私達が最も重視しなければならないのは、この創造の原動力、エネルギーである意識の動向です。行動には自ずと目的があり、意図があります。私達は日々の生活の中でも、時々に垣間見る意識の意図に注視して、現象の奥にある創造の意図を学んで行かなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落050

050 Within the Cosmos there is no destruction but only newness by a ceaseless action; all substance changing and transmuting but never for an instant's time withholding. In an endless array of patterns and designs from formless into formed in unfolding the wondrous picture of eternity.
050 宇宙の中では破壊というものはなく、絶え間ない行動による新しさだけが存在します。全ての物質は変化し、変質しますが、一瞬として保留状態にあることはありません。永遠の目くるめく絵画を紐解く中で、終わりのないパターンと形なきものへの入念な計画があるのみです。


【解説】
 よく「万物は流転する」と表現されて来ましたが、本項では私達も含めて個々の生きものの生死に関しても単に変化の過程にあると言うよりも、より積極的に次なる生に向けての生まれ変わりを示唆しており、常に新しい道程を歩む過程にあるとしています。
 とかく私達は、自我を失うこと、死を迎えることについて、最後はあきらめに似た精神状態になるのかと思いますが、本項ではそれを新しい進化の過程に踏み出す一歩と捉えています。地球上の火山の活動その他の自然現象もこの地球が変化して行く中で大きな意味を持つものと思われます。
 私達はもちろん、これらの変化の影響を受ける訳ですが、それも私達が進化し、新しい存在に生まれ変わる転機なのかも知れません。既に東日本大震災では多くの人が影響を受け、無くなった人々も多く出てしまったことも事実ですが、それを境に私達は多くのことを学んだことも確かですし、これらの経験を受け継ぐことで新しい日本人が形成されることも、同時に期待される所です。
 次から次にやって来る出来事に対して、いつも新鮮な姿勢で取り組むことが、宇宙的指令の本質に沿ったことであり、重要な所です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落049

049 So it is with the Song of Creation - each atom of substance is used eternally, now making up a rose bush or a tree; now mingling within man, now in the beast; descending into form and then once more ascending to invisibiltiy; expressing through fire, water, earth and air, and ether finer than man can know; from the coarse pulsation that produces stone to a motion higher than the speed of light; from radiation down into vibration and back again the Primal Essence moves. From the formless into densest matter and back again into the higher state, each atom relative unto all others, cooperating and exchanging places.
049 ですから、物質の原子は創造の歌と一緒に用いられており、今はバラの茂みか木を作る為、また今は人体の中で混合され、あるいは今は獣の中に混じっています。形あるものに降下し、次には再び目に見えない存在に昇華します。炎を通じて、あるいは水、大地や空気そして人が知っている以上の精緻なエーテルを通じて表現されています。また、石を作り出している粗い振動から光の速さより高い運動に至るまであります。放射線から低下して振動に至るまで、そして再び原初の真髄は動きます。形なきものから最も密度の高いものまで、また逆に、より高次な状況にまで、各原子は他の全てとの関連において協力し合い、互いに場所を交換しています。



【解説】
 丁度水面に広がる波紋のたとえがありましたが、伝え来る波によって水は大きく上下し、その受けた波動のエネルギーを精一杯表現します。
 本文は更にそれを個々の原子が時々の指令に従って様々な運動を見せることを、植物や動物界にも展開して行く様を説いています。いわゆる元素の循環とも言えるもので、このことは既に私達も知識としては、十分に学んでいる筈です。
 一つの形あるものに注目してしまうと、それらには始まりと終わりもある訳なのですが、分子・原子レベルで考えれば、それらの構成要素が一つの個体から別の個体、あるいは別の状態に移行したに過ぎないことが分かります。海の波と同じように、その波を形成している多くの水の分子はそこに留まっており、次々にやって来る波を表現しているに過ぎないのです。波を伝える要素は粘性との言える訳ですが、本文ではそれを互いに協力し合うと表現しているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落048

048 Substance is in the process of evolvement; consciousness, in the process of expression. Up and down the vast scale the force moves rapidly into expression, touching one particle of matter, then another - blending the two or more into a chord of harmony, just as the fingers of a man pluck music from the mute strings of his harp. To produce a perfect melody the strings must be set in motion many, many times, making new tonal combinations - now soft and low, now rising to crescendo; one time in rapturous swinging rhythm, then changing to a lingering minor key - all strings awaiting the touch that stirs them to life within the melody. Each string is vital to the total Song.
048 物質は進化の過程に、意識は表現の過程にあります。広大な規模に上下しながら、力は表現に向けて素早く動き、物質の粒子一つ一つに次々に触れながら、二つあるいはそれ以上の粒子を一つのハーモニーの和音に融合します。丁度、人の指がハープの沈黙した弦から音楽を弾き出すようにです。完全なメロディーを作りだす為には、弦は何度も何度も揺り動かされなければなりません。その結果、新しい音色の組み合わせを作り出します。柔らかで低いトーンから、今度は最高潮に上昇します。ある時は熱狂的な律動的なリズムで、次はなごりを惜しむ短調の調子に変化します。全ての弦はそれぞれをメロディーの中で命を掻き立てる演奏者のタッチを待っているのです。弦の一つ一つがその歌全体にとって無くてはならないものです。



【解説】
 ある時は軽快、そして次の瞬間には重厚な旋律を奏でるハープのように生命の根源なる波動はある意味、非常に活発に物質(弦)に作用し、その意思を表現させようとしています。
 この本文に記されているように、物質(弦)は通常は静かに奏者がある旋律の下、その弦をつま弾くまでじっと待っているのですが、そのつま弾かれた音は例え1音であっても全体の音楽には無くてはならない訳です。
 同様に私達は、次にやってくる生命波動に従って、自分の役割を果たすことが重要で、弦自身が音を出そうとするようりは、奏者の指に任せて、その強さに従った表現をすれば良いのです。このようにハープの各弦が各々の役割を確実に果たすことによって美しい音楽が生まれるという訳です。また、一度ハープ自体が著名な演奏家の手によって美しい音声を出すことが出来れば、そのハープの価値は高まることは間違いありません。
 演奏家の手を待つハープの弦のように、スタンバイして、何時インスピレーションが来ても対応できるよう、準備しておく必要もあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落047

047 We know that in the pool of clearest water the first wave that was started, in its passing, gave to the next its force and animation. And that, in turn. imparted added motion unto the following molecules of water. Without the unity of the whole mass no particle could know the primal action. The cosmos is like unto the pool from out whose center flows the rhythmic motion - it is the clear calm sea of undivided consciousness upon whose surface there arises innumerable wavelets of vibration. Each form, in turn, contains the same - beginning with one basic impulse evolving to countless particles of motion, each one attuned unto the primal urge. Again, each tiny central point of action is offspring of the Great Heart of motion. To the understanding of the mortal man these countless points of action are perceived as separate entities within the varied kingdoms. Upon the earth man gives the name of mineral unto the denser substance that he sees; a little higher is the vegetable, and then there comes the animal and fowl, which leads up to the consciousness of man who separates the Allness into parts and draws a line where no such line could be, for through the whole vastness of the Cosmos the Primal Impulse incarnates itself and as the ripple in the pool gave up itself to create something greater, so does each manifested form of each kingdom release itself into evolvement. The innumerable minerals give up their impulse to plant life, the plant, in turn, releases energy unto the higher consciousness of flesh. There is nothing that can live alone, nor any spark of energy destroyed. All impulse lives and acts eternally, passing from form to form and in its passing charges all substance with emotion and creates ripples on the Sea of Being.
047 私達は透き通った水からなる池の中で、始まった最初の波は進む中で隣にその力と行動を与えていることを知っています。また、そのことはそれに続く水の分子に運動を伝達することでもあります。全ての物質の一体性が無ければ、如何なる粒子もその原始の行動を知ることは出来ませんでした。宇宙とはその中心からリズミカルな運動が流れ出る池のようなものです。それは表面に無数の振動するさざ波が起こる、分裂の無い意識からなる清澄な静かな海です。各々の形あるものは、今度は同じものを含んでおり、無数の粒子の運動を展開する一つの基本的な衝動から始まり、各々はその始原なる衝動に調和しています。更に各々の小さな行動の中心は運動の偉大な中心でもあります。死すべき人間の理解にとって、これらの無数の行動の中心は様々な王国の中の分離した実体のように受け取られます。地球に対して人は自分が見るより密度が高い物質を鉱物という名前で名付けますし、より高次なものを野菜、そして次に動物や家禽類等が入ります。これらは人間の意識にまで至りますが、それは全てを部分に分け、本来、そのような区別のあり得ない所に線を引いています。何故なら宇宙全体の広大さの中に始原なる衝動が化身し、池のさざ波のように自身をより大きな何かを創り上げる為に捧げているからで、各々の創造された形あるものは進化の為に自身を解放しているのです。無数の鉱物が植物の命の為に自分達の衝動を捧げ、植物はより高次な肉体の意識にエネルギーを放出しています。独りだけで生きて行けるものは何一つありません。また、破壊される如何なるエネルギーの火花もありません。全ての衝動は形あるものから形あるものに移行しながら生き続け、永遠に行動し、移行する過程で全ての物質に感情をみなぎらせ、実在の海にさざ波を創り出すのです。



【解説】
 海岸に立って波の動きを見ると、太古から現代まで休みなく波が砂浜に寄せ、再び帰す光景に目を奪われます。その波のエネルギーは見渡す限りの海の向こうの目に見えない源泉から源を発していることでしょう。しかし、さすがのその原動力も一つ一つの水の分子の協力が無かったら、このように遠くに届き、最後に陸地にその意図を投げかけることは出来ません。
 外から見ると波は源泉から伝播して来るように思われがちですが、実際には水の分子はその場所で上下運動し、その運動を隣の分子に伝えているに過ぎないことは物理の授業で習った筈です。
 重要なところは、各々の位置の水の塊が順次、波の持つエネルギーを後続のものに100%伝える、言わば波の意思を身を持って伝達しているということでしょう。そしてこのことは本文後半に記されているように、鉱物界から植物、動物界への身を挺した奉仕活動によって生命波動の意思をより高度な世界へ伝達していることでもあります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落046

RELATIVITY
046 Matter manifests as an effect of the Cause impulse that rises from the Word. As a pebble dropped in the center of a still pool will send an impulse through the whole clear mass and stir its farthest boundaries into motion, so was the Primal Substance caused to vibrate by the Cosmic Impulse. And as the nearest wavelets are finer than those at the ultimate extreme so is the substance close to the heart of Creation finer than that upon the outer edge. Each impulse of the Word that has manifested in the realms of matter has evolved into its formed state of being through a primal motion or centralized impulse, out of which grew a heavier motion, swelling to greater perceptibility. The primal frequency goes into expansion without the smallest loss of energy.
相関性
046 物質は大いなる言葉から起こった因なる衝動の一つの結果として現れます。静止した池の中央に落とされた小石はその透明な物体の塊全体に一つの衝動を伝え、その最も遠い境界に運動を促すように、宇宙的衝動によって原始の物質は振動させられたのです。また中心に近いさざ波は最極地のものより精緻であるように、創造の中心に近い物質は外側の縁のものより精緻です。物質界で創造作用をもたらした大いなる言葉の各々の衝動は集中化した衝動の主要な行動を通じて形ある存在状態に進化し、そこからより重い行動、より大きな知覚作用に拡大しました。その主要な振動数は少しのエネルギーの損失もなく、拡張しています。

【解説】
 本項は、私達創造物は、静寂な物質の海にあって根源の生命波動により、揺り動かされて形あるものとして生まれ出たものであり、その波動を体現するものであることを記しています。また、同時に想念波動というものは、これら静寂な物質界に作用して、その持つ意思を実現化するということでもあるでしょう。私達の想念と根源の生命波動の違いはその持つパワーの差であると考えられます。
 同時に本項で例示されている静止した水面上に中心から発した波が周辺に伝播する状況から分かるように、あらゆるもの(即ち宇宙空間に存在する全てのもの)は、悉くこの波動(感動)と同期でき、自らをその表現者とすることが出来る訳です。
 例え何処に居ようとも、波動は惜しげなく伝播され、全てのもの達に同じ内容のメッセージを伝えて呉れる訳です。千手観音の手はあらゆる方向に広がっていますが、そのように救いの手も、これら波動を通じて差し伸べられていると言っても良いでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落045

045 Out of the Primal Essence has come forth, charged with the Power of the Word, the manifested utterance of Cause. The planets, worlds, the moon, the stars and suns, the leafing trees, the song bird and the rain, the beasts, the crawling reptiles and the dew, each in its own tongue expresses the Word. But man has given unto each a Name and it is there that his attention lies. Manifestation has become his God and he has placed the Name above the Word, which nameless is and silent and unseen yet causes all the named things to be.
045 原初の本質から大いなる言葉のパワーを授けられて、因の現れとなる声が生み出されました。惑星、天体、月、星々そして諸太陽、葉を繁らす木々、さえずる鳥や雨、獣達、地を這う爬虫類、草露、それらの各々は各自の表現方法でその大いなる言葉を表現しています。しかし、人は各々の名前を付け、それに自分の関心を置いています。創造物が彼の神になってしまい、人は名前が無く、無音で、見えず、しかも名付けられた全てのものをもたらした大いなる言葉よりも、名前を大切に考えてしまいました。



【解説】
 私達は各自の抱くイメージを伝える手段として名前をつけ、そのことにより、より広範囲に自分達の抱くイメージを伝えることには成功しました。しかし、一方ではその名前にこだわる為に、名前がそれら創造物の上位に据え置くことになっています。
 更に、その創造をもたらした原動力である”大いなる言葉”について、皆目知覚出来ない状況となっているのです。本文では各創造物はそれぞれの言葉で、この大いなる言葉を表現しているとしています。つまりは枝先で鳴く鳥や、その下の茂みでささやく虫も、この因なる生命波動を自覚し、称えているという訳です。日々の散歩の途中でも出会えるこれらのさえずりに対し、私達はその意味合いに気付かなければなりません。
 人間を除く他のあらゆる生きものは自らの生命の源泉に対する忠誠心と生かされていることへの賛歌において、私達の良き手本となっています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落044

044 Little by little man's awareness of that which he encounters expands, and clearer grows his vision till at last his conscious awareness beholds the transcendent Cause behind the Name.
044 自ら出会う中で少しずつ人の気付きは拡がり、次第に自らの視野を済ませ、その意識の気付きを成長させて遂には名前の奥の超越的因を見守るまでになります。



【解説】
 「気付き」や「悟り」というものの意義について、本項は簡潔に記しています。この内容から分かるように、私達はとかくある悟りの一瞬を越えた以降は、全てが分かるようになるものと憧れているかも知れませんが、事実は、物事、少しずつ前進するということでしょう。
 学習が効果を上げるにつれて、私達は自ら名付けた様々な物事に対し、その名称を超えて更なる深部にまで理解を深めることが出来るようになります。全ての物事の背景にはその存在を支える目に見えない働きがあり、それらの活動を見通せる知覚力を少しずつ身に付ける必要がある訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第3章-段落043

043 The Word has never given forth a Name and never shall, for in such act would lose its endless and eternal state of Being. But Man, to whom free-will and power was given, who slumbers deep and dreams his mortal dreams, has in his waking moments labelled action and given name to consciousness and form. His eyes at first were dim with mortal slumber; he saw but vaguely through the mist of sleep, and only felt the coarsest of frequencies that shaped the holy substance into form, but those he named so he might build a memory of parts to guide his future waking states, for only by such means can he evolve to recognition of Cosmic Allness.
043 大いなる言葉は決して名前を発したことはなく、今後もないでしょう。何故ならこのような行動を行なえば、その終わりのない永遠の存在状態を失うことになるからです。しかし、自由意志と力を与えられ、深くまどろみ、自らの死すべき夢を見ている人間は、目覚めている間、行動にラベルを付け、意識そして形あるものに名前を付けて来ました。その目は最初は死すべきまどろみで霞んでおり、人は眠りの霧の中でかすかに見るだけで、形あるものに聖なる物質を形づくった振動の最も粗いものを感じるだけでしたが、自分が名付けたものに対して、人は将来の目覚めに導く役割を持つ記憶の部品を作ります。何故なら、この手段によってのみ、人は宇宙の全体性を認識するよう進化出来るからです。



【解説】
 そもそも名称(名前)というものが何の為に必要であったかについて、本項は解き明かしているように思います。つまりは人が物事を記憶する上で役立つ集合的なイメージを代表するのが名称であるという訳です。
 私達は一つ一つのものに名称を付けることによって、そのものを記憶しやすく、また互いにイメージを伝達し易くしています。しかし、これらは所詮、音声言語による伝達であり、名称自体もやがては廃れる過程を辿ります。しかし、イメージの本体の姿は永続するのです。
 これら一つ一つの名前は以後しばらくは互いにイメージを伝える糧となっています。例えば、日本語には赤青黄色その他のいわゆる原色の他に、様々な色調を表現した言葉があります。これは色彩の各々を古来の日本人が認識し、名前を付けて来たもので、その数は380色以上と言われています。色彩感覚の繊細さを示すものと言えるでしょう。名称はその人が記憶に留めたいとする中で生まれた一つの道具のように思われます。

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