2015年08月

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第1章-段落003

003 Our present perception of mind and matter must be expanded to the realm of Cause in order to understand and take our place in the class room of everlasting learning.
003 私達の現在の心と物質に関する知覚力を理解の為に因の領域にまで広げ、永遠の学習の教室における私達の席を手に入れなければなりません。



【解説】
 「心と物質」の理解について、著者は私達一人一人に改めてこれまで何が何処まで分かっているのかを問いかけ、合せてそれが現象(結果)の奥にある因の領域にまで広がった理解を持つようにと説いています。
 これまで私達は、「心」は自らの内面の活動を取り扱う領域として観察して来ましたし、「物質」についてはあくまで利用する対象として取り扱うだけのものではなかったでしょうか。
 しかし、これまでの私達の学習の過程において、私達は物質の究極の微小単位である原子には知性があり、それらの持つ精神作用は私達自身の生命活動ともつながる宇宙的な知性であることを学んで来ました。
 この微小単位に息づく知性がこれまで「因」と称されて来たものの所以であるように思われます。こうした壮大な宇宙観を各自が養うことが本講座の目的でもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第1章-段落002

002 Cosmic philosophy embraces the Universe conceived as an orderly and harmonious system complete in itself.
002 宇宙哲学は整然として調和が保たれ、それ自体で完結している一つの体系として理解される宇宙を奉じるものです。


【解説】 
 そもそも著者アダムスキー氏がこの著書を執筆するに当たって、何故「宇宙哲学」と命名したかが、本項に表れています。つまり著者が観る「宇宙」とは、これまでのようなただ膨大に広がった空間というようなものでなく、秩序があり、整然とした構成の下に調和的に動く有機的な空間として洞察していたことが分かります。
 その内容は言うまでもなく、著者自身、他惑星の人々から宇宙の真実の姿として学び取ったものでもある訳なのですが、本来の著者の意図はその宇宙に流れる法則をこの著書によって整理し、私達に教えるものであったように思われます。
 哲学3部作には各々の意図があるように思いますし、私達もその著者に意図を汲み取りながら、学習を進めて行くことだと思っております。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第1章-段落001

1. DEFINITION
001 Philosophy has been defined as the love of wisdom. A systematic general conception of principle as applied to a philosophy of life. The knowledge of the cause of all phenomena both of mind and matter.
第1章 定義
001 哲学とは英知を愛することと定義されて来ました。それは人生観に適用される系統立った原理の一般的な概念です。また、それは心と物質の両面に関する全ての現象の因への知識でもあります。



【解説】
 アダムスキー氏の哲学3部作の内、「テレパシー」に続いて執筆されたのがこの「宇宙哲学」とされています。3部作のいずれも正式な出版物ではなく、学習者の要望に応じて配布する形をとっていたものです。この内、「宇宙哲学」はクロス装丁の上質な仕上がりとなっており、「手に松明(たいまつ)」を掲げる図柄が描かれています。
 この松明の意図は今となっては不明ですが、世の中の暗闇を照らす著者の意気込みが感じられます。
 冒頭、著者はそもそも哲学とは何かを読者に問いかけています。遠くギリシャの時代から現代文明の起源はあるようですが、当初活躍したソクラテスその他の哲人の貢献はとにかくとして、それを受け継ぐ現代のギリシャは国の存続が危ぶまれる程の経済危機に陥っています。この間、私達が如何に無意味な議論を行って来たかを象徴するように思うのは私だけではないかも知れません。
 しかし、哲学本来の役割は本項に記されているように、現象の奥に潜む因の作用にまで遡る広くて深い見識を学ぶことなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落388

388 May God bless you. May this course become You. For then you, the Prodigal Son, will have returned home to your rightful inheritance . . . one with the Father.
388 神の祝福があらんことを。この講座があなた自身になりますように。何故なら、その時、放蕩息子であるあなたは、あなたの正当なる相続財産の待つ自分の家に戻っているだろうからです。父と一体になって。

【解説】
 著者アダムスキー氏はこの講座を終結するに当たって、私達にこの講座が私達自身のこれからの生き方そのものになるよう、また多くの祝福があることを祈っています。
 テレパシー能力は単に一部の予知や遠隔透視の能力が高まるだけのものではありません。それは人間の生き方の根本に関わる内容であり、私達自身のこれまでの考え方や信条を根本的に見直し、改革する内容を含んでいます。
 また、ここで注目して置かなければならないのは、これら能力は目指すべき理想として説かれているのではなく、他惑星人においては日常的な能力、誰にも備わった極く自然の能力となっていることです。この長い年月、混迷を続け、争いに明け暮れていたこの惑星にとっては、そこのステージに到達することは容易なことではありませんが、一人一人が自らを進化させられれば、やがて先進的惑星文明にも近づくことが出来る筈です。そういう意味からも毎日の一人一人の心境が如何なる状態に保たれているかが重要なところです。皆様のご発展を心より願うものです。
 本項で、第2集目の「テレパシー」講座が終了しました。
 次回からは、第2集目の「宇宙哲学」講座に入る予定です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落387

387 We all make mistakes These are part of our experiences. Do not be discouraged, for we have centuries to undo; so be grateful for even a small crumb that might become an integral part of you. The difference between a wise man and a fool is -a wise man learns from his mistakes, and never repeats them; while the fool keeps repeating the same mistakes.
387 私達は皆、過ちをおかします。しかし、これらは私達の経験の一部なのです。がっかりしないで欲しいのです。何故なら、私達には元に戻す為に何世紀もかかるためです。ですから、些細な手足の曲がりについても、それがあなたの総体の一部になることに感謝することです。賢い者と馬鹿者との違いは、賢い者は自分の過ちから学び、二度と繰り返しませんが、一方、馬鹿者は同じ過ちを繰り返します。



【解説】
 テレパシー能力の開発についても、私達は各自自ら学び取って行かねばなりません。もちろんその中には、誤った対応や失敗も数多く経験する筈です。しかし著者は、そんな私達に時間は十分にあるから心配しないようにと諭しています。誤りの原因を研究し、その痛い経験から学ぶことの重要性を説いているのです。
 よく継続することが大切だと言われますが、テレパシー能力についてもそのことが言えます。私自身もこれまで何十年とアダムスキー哲学に惹かれた多くの方を見て来ました。しかし、その多くの方々は最初の熱狂的な資料収集、知識の獲得が終わると、後は大抵興味が薄れ、また違った情報の発信者の方に移り去るケースも多いように思われます。
 実はテレパシー能力の開発等については、全くの個人の実践努力の占める割合が大きく、本来は実践の中で失敗から学ぶケースが多い分野ではないかと考えています。自分が日常保持する「心境」が現実生活にどのような影響を及ぼすかは本人しか分からない事柄です。その試行錯誤を積み重ねる中で、より良い方向を学んで行くのが私達本来の人生航路ということになります。
 著者アダムスキー氏はテレパシー講座の終わりを前に、私達に今後は自らの判断で失敗をも糧をしながら、進化の道を歩むようにと諭しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落386

386 Impatience is a major cause of unbalance in our lives, and interferes when impressions are coming to us. Our zealous desires often inject our own sense ideas in place of waiting for the full thought; and we distort the true meaning of the impression. Logic tells us to be patient and observant. We should learn to obey logic from the Cosmic angle.
386 せっかちが私達の生活の中の不均衡をもたらす主要な原因ですし、それは印象類がやって来た時に介入します。私達の熱狂的な願望は、しばしば本来の完全な想念まで待つべき所に、私達自身の感覚のアイデアを注入してしまうのです。そして私達は印象の真の意味をゆがめてしまいます。道理は私達に忍耐強く、またよく観察するよう教えています。私達は宇宙的角度から道理に従うことを学ばなければなりません。



【解説】
 想念・印象の感受に関してアダムスキー氏はよくジグゾーパズルの例を説かれています。本項についてもそのイメージを掴むことが出来れば、著者が伝えたい内容が分かります。
 即ち、想念・印象は一度に全てが与えられるという訳ではないようです。心にとってはバラバラなイメージとして断片的なものが送られて来るという訳です。全体像はこれらの断片を本来の位置に配置することで明らかになるのですが、それが判明するまでは、ひたすら冷静に待つ他ありません。そこに心の忍耐が必要になる訳です。他方、これに対し、せっかちにこれまでの心の延長で結論を急ぐのは賢明ではありません。最初の内は、未熟な心が十分な機能が無く、時間もかかるように思われます。
 しかし、心が落ち着いて、ジグゾーパズルのようにこれら断片的な印象イメージを繋ぎ合わせることが出来るようになれば、早晩印象本来の全体イメージを掴むことが出来る訳です。この点において私達は短気であってはいけないのです。高速で私達を通過する想念・印象はパルス状の信号として私達はその断片を把握する為、このような状況が生まれるものと思われますが、やがて心の能力が高まれば、このような高速度の信号を一度に多量に捕捉できるようになり、理解も早まることになるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落385

385 Mind is but the medium between matter and Intelligence that associates the two for manifestation. The sense-mind is a minute part of Cosmic Mind. If the sense-mind hopes to be the recipient of Cosmic knowledge, it should not try to recreate, or change, the information given to it by feeling, or consciousness.
385 心は物質と英知の両者を創造のために結びつける媒体でしかありません。感覚心は大宇宙心の極小な一部分です。もしも、感覚心が宇宙的知識の受取人になりたいと望むなら、感覚心はフィーリングあるいは意識によって与えられた情報を再形成したり、変えてはならないのです。



【解説】
 これまで私達は心というものは、自我の行動を指図したり、他人を批判するだけの存在のように思って来ましたが、実は本来は更に大きな役割を持っていることが本項で説かれています。物質と英知を融合させる力が本来の心の役割なのです。
 しかもその心なるもの自体、更に大きく拡がった大宇宙心なるものの一部だとしています。言い換えれば宇宙全域で行われている創造活動も心が介在する作用ということになります。その内、限られた範囲に閉じこもっているのが私達の現状の感覚心というものです。
 従って、先ずは私達の心の可能性についてしっかり認識する必要があります。良い想念を抱き、決して邪悪、低レベルな想念を起こさないことはこうした心の潜在力、実現力を考慮して申し上げている訳です。
 私達は自らの内側にこのような潜在能力を持つ心を有していることを先ずよく認識して、それらの育成、教育に力を注ぐ必要があります。

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8月19日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落384

384 The mind is made up of the four senses, and they should be educated for the purpose of acquiring knowledge; rather than passing judgment. Mind is a catalyst, or go between, uniting matter and Intelligence. When, through its personalized reasoning mind combines the two wrongly, the results are usually unpleasant. Remember, we have said we are living in what could rightly be called a chemical universe; conceived out of Intelligence, and perpetuated by Force. Any student of chemistry knows that wrong combinations of chemicals can produce undesirable results. So any time your actions result in unpleasant experiences, analyze the combinations you have put together.
384 心は4つの感覚から成り立っており、それら4感覚は知識を獲得する為には、裁きを下すのではなく、教育されねばならないのです。心は物質と英知を結びつける触媒であり、仲介者です。心の個人化した推論を通じて心が両者を誤って結びつける時、その結果は大抵、不快なものになります。覚えておいて欲しいのは、私達はまさしく化学的な宇宙と呼んでよいもの、英知の中から孕まれフォース(訳注:宇宙の力)によって永続されるものの中に生きていると私達が言って来たことです。化学を学ぶどんな学生でも化学物質の誤った組み合わせは望ましくない結果を作り出すことを知っています。ですから、あなたの行動が不快な体験になったとしたら、その時はいつもあなたが両者を結びつけた組み合わせについて分析することです。



【解説】
 私達各人の心の作用について、本項では整理されています。即ち、当面私達の心が及ぶ範囲が限定されたものであっても、それは私達自身の肉体の隅々にまで及ぶことは分かります。その物質とも言える肉体と私達の想念とを反応させているのが心という訳です。
 つまり、仮に想念・印象は無数に存在し、絶えず宇宙に莫大な数流れているにせよ、私達の心がそれを感知し、同調しなければ想念・印象は力を発揮出来ません。私達の心がその想念・印象の内容を解釈し、行動へと繋げることで、想念・印象が具体的な作用を発揮出来ることになります。
 そういう意味では、私達の心は想念・印象と物質世界とを繋ぐ役割があるとも言える訳です。また、その心の作用は時として謝った解釈や自我の欲望その他誤った思考の下、事態を混乱させることもあり、私達はその結果を見て、誤った心の作用を反省することも多い筈です。
 このように日々、自らの心境と対応して目前に現れる結果とを対比させることによって、私達は自らの心の有りようを修正して行く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落383

383 The four senses, the arbitrary rulers of most lives, should be your servants. Each sense has a will of its own, its own reasoning faculty, and is possessed by its own fears. In many instances, it is the four senses through their condemnation of that which they have not previously experienced, that closes the door to new ideas.
383 ほとんどの人生の専制的な支配者である4つの感覚は、あなたの召使にしなければなりません。各々の感覚はそれ自体の意思を持っており、また、その固有の恐怖にとりつかれています。多くの場合、自らが過去に経験したことがないことを非難することで新しいアイデアに対して扉を閉めるのは、この4つの感覚なのです。



【解説】
 確かに私達にとって想念・印象の取り扱いははじめての事柄なのです。これまでは、目や耳、鼻や舌の反応の善し悪しで、外界のもの悉くを私達は判断して来ました。また、そこには長年の経緯から、これら四感覚が全てを取り仕切るようになっており、私達自身をも支配するようになっているのです。
 しかし、想念・印象はこれら既存の感覚とは別のルートで知覚される為、最初の内はこれら四感覚が抵抗を示したり、疑いを持ったりすることになります。私達に対して、そのような根拠もあいまいなものに振り回されるなと批判することも多いのです。
 実は、私達はこの想念・印象の知覚に関して何も無い状況から開拓して行こうとしている訳ではありません。エデンの園の寓話のように原始の創造の時代、私達は想念・印象を介して創造主と向き合って生活していたように思われます。日本神道で言えば、神人一体、万物に神宿るの世界です。しかし、その後、感覚が増長し、印象を必要としない生き方に変わってしまったように思われます。目に見えない世界より、目に見える結果を重視した生活です。
 しかし、その結果、私達は印象の世界を忘れてしまったのです。このテレパシー講座は、私達を創造直後の状況に戻し、他の生きもの達が享受している輝かく日々に復帰させるものなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落382

382 We believe the effects of emotions have been well covered in this course. We have pointed out the detrimental effect destructive emotions have on the body, and have given you examples in your daily life whereby you can prove this for yourself. So watch your thought-pattern habits; for your emotions are controlled by them. People are like apples in a barrel-we either mellow with maturity, or we rot. Unlike the apples, we have control over which of these will be our destiny; for our thought-pattern habits will decide our lot.
382 私達はこの講座において、感情がもたらす影響について十分に言及されて来たと思っています。私達は破壊的な感情が身体にもたらす有害な影響を指摘して来ましたし、あなたの日常生活の中での例示を示しましたが、それはそれによってあなた自身で確かめることが出来るものです。ですから、あなたの想念パターンの習慣を観察することです。何故ならあなたの感情はそれらによって支配されているからです。人々は樽の中のリンゴに似ています。私達は成熟して熟するか、腐るかのいずれかです。しかし、リンゴとは違って、私達はそのどちらが私達の運命になるかについて、支配権を持っています。何故なら私達の想念パターンは私達のめぐり合わせを決めることになるからです。



【解説】
 私達は各自想念パターンを持っているように思います。その想念パターンから日常の想念が生まれ、感情へと発展し、良しにつけ悪しきにつけ私達自身や周囲に影響を与えているということでしょう。
 ですから、先ずは自らの想念パターンが私達自身にとって適切なものかどうかを絶えずチェックすることがとても重要なのです。これはひいては「想念観察」とも呼ばれるものに繋がっている有効な手法の一つです。
 しかし、何の為に観察を行うかがより重要です。私達は既にこの宇宙の基本的な潮流として、生命の息吹とも言える調和した美しさが万物の細部に流れていることを学んでいます。その源流を合致した想念を私達が日常放っていることが私達の進化の可能性を促進するものです。それ故に少しでもそこから外れた想念に交わり、乱されることがないか、常に監視する必要がある訳です。
 年月が過ぎ、これら一連の精進が進む時、私達は本分にある完熟したリンゴになることが出来ますが、他方、乱れた想念の下では身体はボロボロになり、手の付けられない状況になると本文は警告しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落381

381 The personal ego, interested only in perpetuating itself, is unaware of its unity with all manifestation; and selfishly concentrates its efforts upon the personal self. But when. through understanding, we can get the ego to turn its awareness outward, it will return to its natural free state; and the real Self will recognize its oneness with the Cosmos.
381 個人的な自我は自分自身の永続化のみに関心がある為、全ての創造物との一体性について気付いてはいません。そして自分自身への努力に自分本位に集中しています。しかし、理解を通じて私達は自我をその知覚を外向きに転換させることが出来る時、それはその自然で自由な状態に戻ることでしょう。また、その時、真の自己は宇宙との一体性を認識することでしょう。

【解説】
 私達が日頃悩んだり、苦しんだりすることの大半の原因は、自我(エゴ)に関連しています。仏陀もこうした煩悩や苦しみの原因を長い歳月をかけて分析、観察された結果、エゴの外側にある美しい世界に気付き、私達人間の行くべき道について覚醒されたということでしょう。
 本項においては、更にこの自我なるものが本人を支配し、自らの永続性を担保したいがために、様々な対策を本人にとらせようとするのだと断言しています。生命の永続性への不安や自ら所有するとする財産の保全、名声の確保等、気にするものです。
 しかし、これらへの対応は、そもそも本来の宇宙の流れ、法則に沿っていない以上、本人に成果をもたらすものではありません。
 これ以上、私達は、自我への集中、こだわりを止めて、関心を他の分野に解放すべきです。自身の生命の永続性など、不確実なものにこだわるのではなく、より広い宇宙との一体性や関連性にこそ、永続性のカギがあることに、いち早く気付く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落380

Conclusion
380 You have now become acquainted with the three tyrannical rulers that make up the life of the average person today: The ego, the emotions, and the four senses. We have shown you how each one influences your body and your mind.
結論
380 あなたは今や、今日の平均的な人間の生涯を作り上げている3人の専制的支配者に通じています。それらは即ち、自我、感情そして4つの感覚です。私達はあなたにこれらの各々があなたの身体と心に影響を与えていることを示して来ました。



【解説】
 本項からは講座のまとめになります。
 先ずはじめに著者は全体を振り返り、私達の日常生活が「自我」と「感情」そして「四つの感覚」に支配されていることを指摘しています。言い換えれば、「自尊心」「誇り」その他自分自身を高め、その価値が他人より勝っていることや、その優越性の誇示、更には支配欲等は、「自我」に由来しますし、多くの事件の元となる「激情」の発現等、それに一時期支配されたために、大罪を犯す例、また日々の生活の中で様々な他者への「裁き」等、自らの感覚の意見による偏見等々、多くの問題はこれら3つの要素が原因となっているということでしょう。
 従って、私達はまず、自分の日常生活にそれら3要素を入り込ませないよう、常に監視する必要があります。今年は戦後70年の節目の年といわれていますが、戦争はこれら3要素が具体的にどのような状況を私達にもたらすかを示唆する代表的な例でもあります。アダムスキー氏が砂漠でオーソンと会見した1952年は、まだ戦後の傷跡が残り、世界が新たな核戦争に向けた歩みを進めている時期であり、これら一連の動きに対応しての、外宇宙からの支援プログラムであったことは今になってわかるというものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落379

379 Once man learns that his purpose in life is to control his personal aggressive actions, he will become the recipient of all Cosmic impressions . . . born in silence, projected in silence, accepted in silence. For these are the impressions emanating from each conscious atom, using the Cosmic, universal language.
379 ひと度、人が自分の生きる目的が自己の個人的な攻撃的諸行動を制御することにあることを学ぶなら、彼は全ての宇宙的印象、即ち沈黙の中で誕生し、沈黙の中で放射され、沈黙の中で受信される印象の受取人になることでしょう。何故なら、これらは個々の意識的な原子が宇宙的、普遍的な言語を用いて発している印象だからです。

【解説】
 結局、テレパシーは想念・印象の感受である訳なのですが、その目に見えず、耳に聞こえない"印象"は細胞の更に奥の各原子の語る言語であり、私達自身、自分の身体の細胞を通じてこれら印象に同期することで内容が分かるというものです。
 そこには、結果の世界には未だ現れない精緻な情報がある訳で、これら印象との交流を通じて、新しい世界が拡がるものと思われます。
 一度、この印象の取扱いと対応姿勢を体験出来たら、以後私達は少しずつその方向への訓練を日常的に進め、自らの進化につなげて行く必要があります。
 期せずして、本項解説がテレパシー講座の最終項に該当することになりましたが、日々、自分自身を生きた教材として取組むことは各自の進歩を早める貴重な毎日になる筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落378

378 Understanding is knowledge lived. When we understand the purpose behind each act, we do not judge. We then become observers, to evaluate all manifestations in relationship to Cosmic Cause; which gave them birth.
378 理解は生きた知識です。私達が各々の行為の裏にある目的を理解すれば、私達は裁きを行なうことはしません。私達はそれからは、それらを誕生させた宇宙の因との関連性についてすべての創造物を評価するため、観察者になるのです。



【解説】
 理解が全ての課題を解決するカギであると著者は説いています。物事の真の意義を学び、万物の相互関係を学ぶことがあらゆる問題解決に結びつくのです。全ての創造物の本来の意義、全ての行動の中にある真の意味を知り、その価値を学ぶことによって「裁き」は消滅し、相互理解、相互尊重が生まれます。
 理解はその創造物が創造された意義を知り、また観察を通じて自己との類似性や関連性を知る中で、相互関係について学ぶことにも繋がって行きます。最高位の創造物である人間は、本来特段の労苦無く、暮らして行けるだけの環境を創造主から準備されて来た訳です。その唯一の任務は、自分の周囲の様々な創造物について学び、その意義を理解することにあるのです。
 本項における「理解」とは仏教で言う「覚醒」に近い概念かと思われます。自然の営みに対する深い洞察と相互の結びつきへの理解は共通した宗教・哲学のポイントなのでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落377

377 Jesus used the word Father when speaking to the children of the world, for although He knew there was no word capable of conveying the true meaning of the Supreme, the term Father would give man a feeling of warmth, love, and oneness. And when we awaken this quickening in our minds as did Peter, we are actually entering the Kingdom of Heaven. For the Kingdom of Heaven is the Kingdom of Cause . . . while the kingdom of earth is the kingdom of effect.
377 イエスはこの父という言葉を、この世の子供達に対して語る時のように用いました。何故なら、至上なるものの真の意味を伝えられる言葉は無かったことをイエスは知っていて、父という言葉が人に温かみや愛、そして一体感のフィーリングを授けることを知っていたからです。そして私達がペテロがしたように、この胎動に目覚める時、私達は実際には天の王国に入っているのです。何故なら天の王国は因の王国であり、方や地の王国は結果の王国だからです。

【解説】
 聖書にはイエスが「父」と表現する箇所が何度となく出てきます。その意味を著者は本項で述べています。
 私達が至上なるものを「父」と呼ぶ時、私達は自らをその子供として、子供の立場から至上なるものに尊敬と依存、更にはいつくしみの心を持っている訳です。
 ペテロがイエスの正体を見抜いたのはイエスの肉体としての外観からペテロの目が判断したのではありません。いわばイエスの魂とでも言うべき本源的な存在に対し、ペテロが気付いたからであり、そこにはペテロがその本源から放射される想念・印象を感受し、それらを正しく知覚出来たことに対してイエス自身が祝福したのです。自分の弟子がようやく所期の目標に到達したことを喜んだという訳です。
 一旦、ペテロのように世の中のあらゆる存在に対し、至高なるものとの関係を知覚することが出来れば、以降は飛躍的に進化が早まるに違いありません。そのことをイエスはお喜びになったということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落376

376 Jesus acknowledged this when He answered, "Blessed art thou, Simon Barjona; for flesh and blood hath not revealed it unto thee, but my Father which is in heaven." Matt. 16:17.
376 イエスはこう答えて、これを認めました。「幸いなるかな汝、シモン・バルヨナよ。何故なら肉と血が汝にこれを明かしたのではない。天におあす私の父が明かした為である。」(マタイ第16章17節)(訳注:シモン・バルヨナはペテロの別名です)


【解説】
 ペテロの洞察に喜んだイエスはペテロに対し、その洞察はペテロの肉体に属する既存の感覚によってもたらされたのではなく、宇宙の本源に由来する想念・印象を感受出来たことによるのだと祝福しているのです。言い換えればイエスから最初に及第点を貰ったのがペテロであるという訳です。
 これと同様に、進化した他惑星人は、地球人の中にあっても決して正体を明かすことはないように思います。重要なことは、自らの正体を明かして、他の者達の関心を集めることではなく、私達自身の訓練として必要な内容を如何に進められるかであり、その為の支援を陰ながら行うのが彼らの使命であるのです。そういう意味で、私達は地球を訪れている多くの他惑星人に対して感謝を忘れてはならないのです。目に見えない形で多くを支援している彼らの隠れた活動にこそ、私達は関心を持たねばなりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落375

375 It was this universal Intelligence that Peter used when he said to Jesus, "Thou art the Christ, the Son of the Living God." Matt. 16:16.
375 ペテロがイエスに「あなたは生ける神の息子だ」(マタイ16章16節)と言った時、ペテロはこの宇宙普遍の英知を用いていたのです。

【解説】
 アダムスキー研究者の間では、アダムスキー氏は使徒ヨハネであったという話が伝えられています。出典の根拠は今となれば確かめようもありませんが、当時アダムスキー氏に接した多くのコーワーカーの話として伝わって来たということでしょう。
 本項の記述はそうした背景を知っていればよく理解できるというものです。つまり、著者アダムスキー氏はかつてイエスの高弟の一人として本項でペテロが述べた場に居たということです。
 さて、ここで注目したいのは、地球を訪れる他惑星からの教師は決して自らの正体を明かすことはないことです。人々がその教師と接する中で、その正体を見抜くまで、じっと待っているという訳です。外見によって人は人物を判定しがちですが、ペテロは自身の内側の直感・感性から相手の正体を察知出来たことをイエスは喜んだというものです。私達も日常、このような感性を大切にして、目や耳が伝え切れない本質に気付く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落374

374 If we are understand Original Cause, we must discipline our minds as we would a child, and deal with the four senses as we would four children. We are all individuals rays of Intelligent Cause manifesting through matter.
374 もし私達が原初の因を理解しようとするなら、私達は自分達の心を私達が子供に対するように躾けなければなりません。四つの感覚に対しては四人の子供に接するように振る舞わらなければなりません。私達は全て物質を通して現出している英知ある因の個々の光明なのです。



【解説】
 本項では自分自身に対する修養の取組姿勢を明確に示しています。
 注目しなければならないのは、私達の視覚~味覚までの四感覚を自らの子供のように指導し、育成せよとしていることです。
 確かに私達の最大の欠点は四感覚の独善的、支配者的な姿勢にあるのですが、それを矯正するのに、単にけなしたり、卑下することによってでは、正しく成育しないということです。子供を育てるように丁寧に一つ一つを納得させる中で、対話を進めながら少しずつ学ばせるということでしょう。
 それは私達自身が創造主から発せられたスペクトルの一部であり、それなしでは虹の一色が欠けることとなり、創造物が完成したことになりません。一人一人が創造主にとってもかけがえの無い存在であることに気付く必要があります。それ故にひとたび自らの役割を自覚し、本来の発色を発現出来れば、虹も完成し、創造主は喜ばれることになるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落373

373 Volumes could be written on the subject of thought and its action, yet barely disturb the surface. It is one of the most interesting fields of research one can hope to find; for it is as vast as Infinity itself, and is the actual foundation of all our sciences.
373 想念とその作用のテーマについては何巻もの本を書くことが出来るでしょうが、それでも何とか表面に触れられるだけです。それは人が望み得る研究分野の中で最も興味深い分野の一つです。何故ならそれは無限遠そのものと同じほど広く、しかも私達の全ての科学の基礎でもあるからです。

【解説】
 これまでの一連のテレパシーに関する解説が終盤に差しかかる中、著者は改めてテレパシーについての研究の意義を語っています。それは単なる遠隔透視や未来予知といった「超能力」と称される単純なものでなく、宇宙の仕組そのものに迫る精緻な原理と言うべきで、何よりも各自が自身の心の修養や肉体の反応観察等により、研究を進めることが出来るものです。言い換えれば、研究の材料は私達自身であり、他に何らの材料も、費用も必要ありません。
 同様な内容は「生命の科学」や「宇宙哲学」等、アダムスキー氏の他の著作にも共通して繰り返し伝えられていることです。実はこの想念の取扱いについてが最も私達地球人の劣るところで、過去何万年もの間、様々な文明が自滅し、崩壊した原因となっています。
 実はこの地球自体が私達が学ぶ教室とも言える学習の場である訳ですが、そこでの重要教科が、この心の取扱いと想念・印象に関する学習と言えるということでしょう。かつて「禁断の惑星」という映画がありましたが、その中の主人公の一人である科学者の父親が発する想念が狂暴化して人々に危害を加えるシーンがありますが、まさに地球における最大の課題が想念問題であることを示唆した内容となっています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落372

372 Reasoning should be used to evaluate all things impartially, and to elevate the sense perceptions to understand and accept Cosmic Intelligence. Pure reasoning must involve the elements of faith and confidence; not faith in one's self as a personality, but faith in the immutable laws of thought-action, and in the unlimited scope of awareness in the faculty of feeling. This, I have proven by my own experiences over a period of years.
372 推論というものはあらゆるものを差別なく評価するために用いられるべきであり、感覚の認識機能を宇宙の英知を理解し、受容するために用いられるべきです。純粋な推論は信頼と信念の要素を含まなければならず、個性としての自我への信頼ではなく、想念-行動の不変の法則やフィーリングの機能に対する無限の知覚展望への信頼です。これは私自身の経験によって何年もの年月を経て実証して来たものです。

【解説】
 一連の著者によるreasoningの役割について、本項ではより丁寧に説明しています。つまり、テレパシーにおいて、従来は単に想念・印象の感受ということのみに重点が置かれていましたが、本講座においてはreasoningという心が果たすべき役割、即ちテレパシー能力の開発過程で心の発展が必要な部分として、このreasoningの作用を挙げていることに注目したいところです。
 私の現状の理解では、如何なるルートであれ、想念・印象が感受される時、そこには私達自身の心の領域での作用が必要であり、心によるreasoningと本講座で称される観察・知覚が生まれます。その際に重要なのは、心の姿勢です。自らを尊大化し、他者を見下すような姿勢をとるか、或いはまた冷静にそれらが伝えようとするイメージを理解しようと受容的態度を保つかによって、その後の結果は大きく異なります。
 もし、この時、心が自らを謙虚にして、それら印象が持つ伝達内容を理解しようと努めれば、成功事例も増し、益々テレパシー能力も深まるものと思われます。

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