2015年07月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落371

371 The rose had nothing to do with the creation of the lily, or vice versa; so man cannot judge one by the other. They are two distinct phases of plant life; and as such, should be recognized equally for their individual character. Yet, by judging and condemning the ideas that are presented to us through our senses, we daily judge and condemn the Creator's manifestations.
371 バラはユリの創造には何らの関係はありませんし、ユリも同様です。ですから、人間は他のものによって、そのものを裁くことは出来ません。それらは植物の生命の中の二つの別個の側面であり、このようにそれら個々の性質として等しく認識されるべきです。しかし、それでも私達の諸感覚を通して私達にもたらされる諸々のアイデアを裁き、非難することで、私達は創造主の創造物を毎日のように裁き、非難しているのです。

【解説】
 想念・印象も含め私達が日々出逢うもの全てに対し、先ずは外見その他で優劣・好き嫌いの査定を厳に慎むことから始めなければなりません。実は、その点で私達の感覚が重要な責任を持っていることになります。外見は視覚、臭いは嗅覚、味は味覚等々、私達の既存の感覚が主人(私)に代わって次々に来るものに対し、裁定を下していることが問題なのです。
 この「裁き」を消すことが出来れば、従来それに掛かっていた私達の心は、もっと寛容、客観的に各々の現象を観察でき、やがては、より精緻な想念・印象の動きにも気付けるようになるものと思われます。
 「裁く」ことはまた、一方では「裁かれる」ことにもなる訳で、これら一人一人の変革は地道ながらも社会を変える大きな力になる筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落370

370 The difference between pure reasoning and perverted reasoning is the difference between definition and discrimination. We may say that a rose is red and is fragrant; and that a calla lily is white and possesses little fragrance. Our reasoning tells us they are two distinct objects; and defines their character by an act of recognition. But perverted reasoning could say that the lily is a mistake of creation, because it should have been red like the rose; or that the rose is malformed because it is cut up in little pieces called petals.
370 純粋な推論と歪んだ推論との違いは定義と差別の間の違いです。私達はバラというものは赤く、よい香りのするものと言いますが、カラー(訳注:植物名、オランダカイウ、日本ではカラーもしくはカラーリリーと呼ばれる。漏斗状の白い仏炎苞を持つ観葉植物)は白く、香りは無いと言うでしょう。私達の推論はそれらは二つ別個のものであることを私達に伝え、認識の行為によってそれらの特徴を定義します。しかし、歪んだ推論は、そのユリ(訳注:この場合、前述のカラーをユリと認識している)はバラのように赤くなければならないのになっておらず、或いはそのバラ(訳注:この場合は前出のカラーをバラと認識している)は花弁と呼ばれる小片に切れ込まれている為、誤って創造されたものだと言うかも知れません。



【解説】
 観察したありのままを受け入れ、良否・美醜の差別なく「定義define」することと、その創造物が他に比べて欠点を持ち、劣るものとする優劣の差別を加える「perverted reasoning歪んだ推論」とを、著者は明確に区別し、後者の姿勢の誤りを指摘しています。
 このことは何ものであれ、創造物には各々美しさと本来の役割を備えており、決して私達の勝手な差別を下してはならないことを意味しています。肉食獣が獲物を捕獲することは私達の目には残酷に見えますが、私達自身も魚を取ったり、肉を食している訳で、社会の仕組みとして、その作業を他の者が分担して担っているに過ぎません。
 「好き嫌い」や「優劣」の感情の源は私達の心の姿勢にある訳で、私達はこれから次々にやって来る想念・印象に対して、そうした差別を向けることなく、ただひたすら、ありのままを受け入れてその中に意義や役割を見出すよう努める必要があります。「汝、裁くな」とは、実に簡潔で的を得た言葉です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落369

369 This is what the average person does to the thought that impresses itself upon his consciousness. Consequently, instead of getting the clear impression of the attentive student, he receives disconnected fragments
369 これが平均的な人間が自分の意識に印象づける想念に対して行っていることです。結局のところ、注目し続ける生徒が明瞭な印象を得るのに対し、彼は互いに繋がりのない断片を受信するのです。



【解説】
 感受した想念・印象の取り扱い方法について、これまでどの本も取り上げることはなく、教える教師も居なかった訳ですが、本講座ではじめて具体的な心のありようについて解説が為された訳です。
 平易には記されておりますが、内容的には高度なものではないかと思われます。想念・印象の流れを心の過度な詮索や批判志向によって途切らせることなく、流れが続くよう経路を維持し、最終的にどのような全体像を意図しているのか判明するまで忍耐強く受け入れながら、観察するというものです。
 こうした各断片の印象の関連性を理解することで、はじめて全体像が理解されるということでしょう。著者は同様なことを「生命の科学」の中では、ジグソーパズル(はめ絵パズル)として表現しています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落368

368 Other students will grasp one statement that does not coincide with their preconceived ideas, and shut their minds to the rest They will judge this idea according to their own knowledge of the subject, or compare it with some thought possessing a slight similarity. In so doing, they cut off the natural sequence being presented by the lecturer, and at the end of the session they generally find themselves decidedly confused over what has been said. Of course, they lay the blame at the door of the speaker-not to their own mental reactions.
368 他の生徒達は自分達が描いたアイデアと一致しない一つの発言を捉えて、その残りの話に心を閉ざすことでしょう。彼らはそのテーマに関する自分達の知識に従い、このアイデアに対し裁きを行うか、あるいはわずかな類似点を持ついくつかの想念と比較することでしょう。そうすることで、彼らは講師によって提起された自然な一貫性を切断し、授業時間の最後には、彼らは大抵、自分自身が明らかに語られたことに対して混乱していることに気付きます。もちろん、彼らは自分達自身の心の反応に対してではなく、講師のせいにするのです。

【解説】
 本項では前項とは異なり、心の詮索好きさがせっかくの印象を拒絶し、印象の伝える全体像を見失ってしまう事例を示しています。
 前項(367)同様、授業の例ですが、これも皆様が一度は経験しているものと思われます。つまり教師が述べた一つの事柄がたまたま一人の学生の意に反した、或いは一時的に納得が行かない内容が含まれていたために、本人はそのことで頭がいっぱいになり、その後の授業に身が入らなくなった事例です。
 同様に、私達も想念・印象を感受する際、一見、不合理、不可解に思える時があるかも知れません。しかし、そこに囚われていてはそれ以後入って来る印象の流れを堰き止めることとなり、結局は混乱のみが残ることになります。
 私達は当座、分からないことは分からないものとして記憶し、先ずは一連の印象の流れを途絶えさせないように心掛ける必要があります。先ずは合わせたチャンネルからどのような解決策が伝えられようとしているか、じっと理解しようとする姿勢が大切なのです。


ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落367

367 Another instance of perverted reasoning can be found in a group of students listening to a class lecture. Some will absorb what they hear, and at the end of the session will be able to repeat almost verbatim the material presented. They will recognize the logic and lucidity of the subject, and can summarize all points coherently.
367 もう一つの混乱した推論の例は、教室での授業に耳を傾けている学生の一団の中に見出せます。ある者は自分達が聴いたことを吸収し、授業時間の最後には提示された材料をほとんど語句を暗唱するほどになるでしょう。彼らはその本題の論理と明瞭さを認識し、全ての要点を理路整然と要約することが出来るようになります。



【解説】
 本項等で説かれている"reasoning"について、もう一つの具体例を著者は示しています。
 本項で記されている事例は、多くの方が学生時代に体験しているものと思われます。本項(367)に記述されている部分は、通常の、或いは妥当な心のありようを示していますが、次項(368)については問題を提起している訳です。
 私達が日常、次々に感知する印象は、丁度、本項で示されるような授業のようなものだと著者は示唆している訳です。一度に全ての知識が伝達されるのではなく、ある時間経過の中で次々に情報が与えられるということでしょう。関連して次々に印象が入って来るということです。その一つ一つの情報を、一方では正しいつながりであることを診断しながら、その伝えようとするイメージを大切に取り扱い、受け入れることで、最後には全体像を理解するという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落366

366 In the preceding illustration we may safely say that after a certain point, reasoning was not used at all. When this happens it is usually due either to an untrained will, or to just pure mental laziness. Admittedly it is a ludicrous example, but similar examples on a smaller scale occur in our lives daily. Controlling the reasoning mind is what we meant when we spoke of "stilling" it. If we will make it our servant rather than our master, we will not put rockers on our baby carriage of life.
366 前述の事例では、ある時点以降、推論は全く使われていなかったと言えると思います。このようなことが起る時は、大抵は訓練されていない意思であったり、単に単純な心の怠慢のどちらかが原因です。前述の例は明らかに滑稽な事例ではありますが、同様な例は私達の生活の中ではより小さな規模で日々起っているのです。推論する心を制御するということは、私達がそれを「鎮める」と表現する際に意図するものです。もし、私達が心を主人としてではなく、召使にするようになれば、私達は人生の乳母車に揺れ足をつけるようなことはなくなるでしょう。

【解説】
 本項で少し注意して戴きたいのは、著者はreasoning(注:日本語訳としては一般に"推論"と訳されますが、本来適切ではないのかも知れません)そのものは、良くないものとして取り扱っていない点です。前項(365)の解説でも述べましたが、感受した想念・印象に対する各々の関連性を診るという意味合いで用いられています。
 この診断は実は心が担う為、そのチェックを怠っていると前項のような誤った結果に導かれてしまう訳です。
 この問題を回避する為に必要なことは、心が冷静な診断が出来るように心を鎮め統制することだと説いています。瞑想をするとかという行動はそのことを目指しているということになります。しかし、ここでも重要なことは、心は診断はするものの、決してそれを自らを高め本人自身を導くような能力は持っておらず、あくまで本人の支援補助者であるということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落365

365 True reasoning is the faculty of recognizing sequence, which gives a purpose to life. For instance, when one turns his attention to a certain phase of thought, it is necessary for him to perceive whether he is holding to that particular phase. He should not allow his interest to wander toward, or rather be impressed by, other phases which are of a similar nature. For example, if a person received the idea of constructing a baby carriage, he may hold to the original thought flow until the element of motion is beginning to take shape in the image state; then let his attention wander and allow a thought of a similar type to slip into his mind. When the product is finished, and he stands back proudly to survey his handiwork, he discovers he has put rockers instead of wheels on the carriage. He had followed the original impression perfectly to the point where movement entered. He did not achieve one means of motion-the infant can be lulled to sleep; but he did not accomplish his original plan of making a means of conveyance. The general construction of the two objects is similar; and reasoning, that power of recognizing the sequence of ideas, should have told him he had lost the trend of thought.
365 真の意味の推論は連続したつながりを把握する能力であり、それは生命に目的を与えます。例えば人が自分の注目をある想念の側面に向けた時、その人は自分がその特定の側面をしっかり掴んでいるか把握することが必要です。その人は自らの関心をふらつかせたり、類似した性質のある他の側面から印象を受けたりすべきではないのです。例えば、ある人が乳母車を作ろうというアイデアを受信したとすれば、彼は衝動の要素がイメージ状態として形を形成するまでは元の想念が流れるのを保持しているかも知れません。次には自分の関心を放浪させ、似たタイプの想念が自分の心の中に滑り込むことを許してしまいます。作品が完成した時、そして彼が誇らしげに彼の手作業の作品を吟味する時、彼は車の車輪の代わりに揺り足を付けてしまったことに気付きます。彼は衝動が入って来た時点では元来の印象に完全に従っていました。しかし、彼は運動の手段を達成することは出来ませんでした。赤ん坊は眠ることは出来ますが、運ぶ手段という元来の計画は達成しませんでした。この二つの物の一般的なつくりは同じですので、アイデアの連続したつながりを認識する力のある推論は、その者に想念のつながりを見失っていることを伝えるべきであったのです。



【解説】
 受けた印象もそのまま何ら躊躇なく実行することは、植物や鉱物の世界ではそうでしょうが、動物、とりわけ人間の場合には、そこに本項ではreasoning(推論)と称される、そもそものその印象に対する診断が行われるように解釈出来ます。感受した印象が本当に自分の求めているものかどうか、或いはその想念が自分にとって有効なのかということを診断する機能です。
 この診断が誤っていると、類似はしていても、今回の事情には役に立たない知見もあり得るからです。丁度、前項の解説で申し上げたように、インターネットの検索結果の全てがニーズに合致しているのではなく、そこから吟味して必要な情報に辿りつくのと似ています。
 次々に移り変わる一連の過程について、情報(想念・印象)の変遷を見守る必要があり、これを著者は真のreasoning(推論)であるとしているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落364

364 Everything in the universe works under the Law of Affinity ... therefore, thought will draw to itself its own kind. If a mind is tuned to particular thought station and the tuning apparatus is not tampered with, it will receive the entire thought program. All that is necessary is for the mind of the recipient to remain quiet until the thought is completed.
364 宇宙の中のあらゆるものは親和の法則の下で働いています。従って想念はその種の想念を引き寄せることになります。もし、心が特定の想念発信局に波長を合わせ、チューニング装置が壊されていなければ、それは全体の想念番組を受信するでしょう。受信者の心にとって必要なこと全ては、その想念が完了するまで静かにしていることです。


【解説】
 親和の法則(Law of Affinity)は、似たもの同士が互いに引き合うということで、あらゆる側面に成り立つとしています。実に私達が存在する肉体自身の細胞の構成から人々の仲間関係、更には地殻の結合に至るまで、あらゆる側面でその現れを見るべきでしょう。
 想念も同じ訳で、私達が日常関心を持つテーマが、そのまま同種の他の想念に同調し易くなる訳です。自分自身が良質な想念を維持して行けば、それは即ち宇宙くまなくこの親和の法則の下、発せられた同種の想念に巡り合うことが出来るということでしょう。
 即ち、何らかの課題についてその答えを探索する時でも答えを宇宙に求めれば、またたく間にして、広大な宇宙の中、この法則により必要な想念・印象が探索されて、自身がアクセスし易くなるということでもあります。丁度インターネットの検索で求める情報が瞬時に膨大な情報の中から類似した内容を持つものが利用者に提供されるのと同様です。私達はこの恵まれた環境であるテレパシーを自身に生かさなければ、実にもったいない限りです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落363

363 There is a vast difference between true thinking, and the misguided faculty of indiscriminate reasoning. Only two planes of life have the power of reasoning - animals and human beings. While as far as we know the vegetable and mineral kingdoms are devoid of reasoning, and the animal possesses this faculty only to a limited degree, all three planes of life manifestation respond to pressures without resistance. Because of his ability to reason, we have believed man to be the highest type of life on this planet. But actually, indiscriminate reasoning has so perverted his capacity to think universally that in many ways man is much lower than mere plant life. For plant life accepts and acts upon the impulses of nature, without questioning life's purpose.
363 真の思考と見境のない誤って導かれた推論との間には大きな相違があります。生命の内2つの平面、動物界と人間だけが推論の能力を持っています。一方、私達が知る限り、植物や鉱物界には推論は欠いており、動物もこの能力をただ限られた範囲に持っている一方、これら3つの生命の創造の平面は全て抵抗なく圧力に呼応します。その推論の能力の故から、私達人間がこの惑星上で最も高位であると信じて来ました。しかし実際には、見境のない推論は人間の宇宙普遍に思考する能力を誤らせ、多くの場合、人間は単なる植物の生命より低次に置かれています。何故なら植物は自然の衝動に対し、受け入れ行動するからです。

【解説】
 私達は本分の"indiscriminate reasoning(見境のない推論)"について、著者が何を説こうとしているか、よくよく考える必要があります。文中からも植物や鉱物はそれら"reasoning(推論)"という機能を持たず、印象波が到達して生じる体細胞への圧力変化を無条件で受け入れるとしています。
 即ち、それら2つの王国に属するものは自らの意思を持たず、何ら詮索(reasoning)することなく受け入れるという訳です。一方、動物には多少、自ら判断する機能が備わっており、人間は自由に推論を重ねることが出来るのです。
 しかし、自由に物事を考えられることは好いことですが、それが真実から離れていては何らの成果は得られないことになります。得られて印象のスパークから何を導き出すのか、その印象の意味を誠実、端的に受け入れようとすることが重要で、やたらに詮索する姿勢は単なる心の興味に過ぎず、問題解決を遅れせるものです。
 今後、私達がテレパシー能力を実践する中で、最初に出会う課題は、様々な側面を持つ印象が数多く入って来る中で、それらに対し興味本位で取り扱ってはならないことを、著者は本項で説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落362

362 Dr. Nicholas Murray Butler once said, "All the problems of the world could be settled easily, if men were only willing to think." He might rather have said, "If men only knew how to think!" This is the great lack in our educational system of today; our young men-to-be are not taught how to think.
362 ニコラス・マレイ・バトラー博士はかつてこう言いました。「世界中の全ての問題は、人間がただ喜んで考えようとするだけで簡単に解決されるだろう。」彼はむしろ、こう言いたかったのかも知れません。「ただ人間が考える方法を知ってさえいれば」と。このことは今日の私達の教育システムにおける大きな欠陥なのです。私達の将来若者となる者が考える方法を教えられていないのです。

【解説】
 私達の日常は、表面的な事象や他人からの評価、結果に対する不安に多くを奪われ、満ち足りた心境を維持することは難しいようです。しかし、これらを放置しておくことは決して良いものではありません。毎日、充実した生活を楽しむ為には、常に心をオープンにし、外部から来る印象を的確に把握し、実生活に活かす必要があります。
 そこに至る過程の一つとして思考がある訳で、問題に関わる様々な側面を整理する中で、根本的な問題を抽出し、関連する解決策に関する印象の有無を探索することになります。
 しかしながら、これら重要な真の思考プロセスについて具体的な指南書は見たことはありません。本項で説かれている具体的な内容、工夫点については各自自ら開発し、成功事例を蓄積する中で編み出すことが求められています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落361

CHAPTER Ⅳ
Thinking Versus Reasoning
361 Thinking is neither toil, nor stress, nor strain. Rather, it is the ability to allow thought action to take place in an unobstructed manner; and the power of observing its path to travel.
第4章 思考と推論
361 思考とは労苦でも重圧でも緊張でもありません。むしろ邪魔されることなく、思考行動が起こせるようにさせて置く能力、その流れが巡る道筋を観察する力なのです。



【解説】
 私達は物事を考える時、その実際の作用は解決策自体を考案しているというよりは、自身の心を鎮めて周囲から発せられている解決に向けての想念・印象の存在を探っているような動作なのだと思います。
 思考という活動自体に解決策を作り出す機能はなく、既に提供されようとしている解決策に気付くよう、また先々の進め方について整理しているという訳です。
 実は長年、私達が問題を解決できずにいるのは、解決に向けて一歩踏み出すことが出来ないで、問題ばかりを先送りして事態を深刻化させてしまっていること、更にはその状況に惰性的に留まっているからに他なりません。
 何事も先ずは問題に取り組む意思や意欲が必要で、思考過程の中で実際の問題点を整理できれば大抵の問題はその段階で解決したと言って良いほど、ゴールに近づいているように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落360

360 When we analyze life closely, we find it conforms rigidly to immutable laws. For all its apparent complexities, life is the soul of simplicity.... a symphony of harmonious, synonymous motion. We also will find that the inspiration for the first investigation came from some vestige of existing fact which impressed itself upon human awareness. So we must admit the reality of a language that is accepted, and acceptable, to the animate and the socalled inanimate. It is the soul of all action, all substance, and all force.
360 私達が生命を詳細に分析する時、私達は生命が不変の諸法則に厳格に従っていることを発見します。何故なら、その外見上の複雑さにも拘わらず、生命とは平易さの真髄、調和があり、同調した活動の交響曲であるからです。私達はまた、その最初の研究は人間の知覚作用に印象づけられた実在する事実の痕跡を元になされるようになったことを知るでしょう。ですから、私達は生き物にも、いわゆる無生物にも受け入れられた、あるいは受け入れられる、ある言語の存在を認めなければなりません。その言語は全ての活動、全ての物質、全ての力の真髄なのです。


【解説】
 印象という形式の言語は生物・無生物に関わらず共通の言語です。即ち、想念・印象はあらゆるものと交信出来、相互に意見を述べ合うことが出来る訳です。一見したところ多様、多岐にわたる形態をとる生物ですが、細胞一つ一つには驚くべき共通点があります。
 本項では細胞レベルにおける共通性とそこから発せられる想念・印象波が全ての共通の言語になっていると説いています。
 本章では透視や予知その他のテレパシー能力について学んで来ましたが、自身がそれら想念波の受け手となり、またそれらを自らの心で再現増幅することで、宇宙に再び反映、反射する役割を持っていることに注意したいものです。想念・印象こそが全ての活動の源であり、その良質な想念・印象を祈りや実践行動の中で宇宙に放出させるのが私達テレパシーを学ぶ者の役割になります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落359

359 When we understand our bodies, control our senses, and open our minds to the flow of universal knowledge, true clairvoyance, clairaudience, and all the rest will develop naturally within us. But when we have grown to the place where these perceptions do unfold, we will have developed beyond personal desires. Our interests then will lie in universal revelations.
359 私達が自身の肉体を理解し、感覚を制御して自らの心を宇宙普遍の知識の流れに開放する時、真の透視、透聴またその他の能力が自然に私達内部に発達することでしょう。しかし、私達がこれらの知覚作用が花開く場所に到達した時には、私達は個人的な願望を越えて発達していることでしょう。私達の関心はその後は宇宙普遍の創造の現出にあることでしょう。



【解説】
 私達自身がテレパシー能力開発に関わる全てであるという訳です。自らの心を鎮め落ち着かせた後、肉体細胞を通じて感知される想念・印象の声を聴きながら少しずつ進歩することで、いつの日か本項で述べられているような状況に到達するものと言えるでしょう。
 問題は長い道程だからと言って、歩みを止めたり、横道に入らないことです。これまでの経験上、物事は意外に早く結果に到達するものです。積み重ねることだけが最後のゴールに導く訳です。
 私達の周囲には60兆個もの肉体細胞、言わば私達各人を助ける臣下が居て、私達を守って呉れています。私達はそれら臣下を食事や心の状態を正常に保つことで養い育むと同時に、それらからもたらされる報告に耳を傾け、因なる宇宙を理解しようと努めなければなりません。それから以後は私達が想像する以上の全く異なる展開、進化の飛躍が待っていると著者は説いています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落358

358 One day, by means of this human instrument upon which we look so condescendingly today, we shall produce miracles of manifestation such as our world has never known. But recognition of its telepathic potentialities must come first. A definite self-training program must then follow if we ever hope to place these divinely created bodies on the same level as the mechanical devices we now deem so miraculous. There exists such a vast scope of working possibilities in the area of mental and psychological development, that the adventurous soul need have no fear of running short of fields to conquer.
358 いつの日にか、今日私達がそれほどに腰低く見上げるこの人間の道具を用いることによって、私達は私達の世の中がこれまで見たことのないような創造の奇跡を造り出すことでしょう。しかし、そのテレパシックな潜在能力に対する認識が最初になければなりません。もし私達がこれら神聖に創造された肉体を私達が今日奇跡だと考える機械装置と同じレベルに位置付けるなら、確固たる自己訓練計画が次に続かなければなりません。心や心理学上の発達の分野には広大で実際に役立つ可能性が存在しており、冒険好きな魂にとって征服すべき分野が不足する心配はありません。



【解説】
 これからは私達自身の肉体をテレパシーの媒介装置として発展させることだと著者は私達に説いています。他に機器等必要なく、自身の身体に全ての機能が備えられているからです。そしてその活用成果はこれまで見たことの無い程、素晴らしいものになるとしています。
 各自の放つ想念・印象が創造力を備えていることについて私達はこれまで学んで来ましたが、その具体的発動について、今後各自が応用するに連れ、現実化するものと思われます。
 かつて金星旅行記や土星旅行記でアダムスキー氏が見た光景は、芸術性と機能性が一体となった建造物群でしたが、それらの街の美しさもこの作用の延長線上にあるものと思われます。街はそこに暮らす者の精神性を反映すると思うからです。
 既に私達はテレパシーの基本原理について学んで来た訳ですから、今後はそれを各自の工夫を踏まえながら、実生活に適用、応用すべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落357

357 During the past centuries Earth man's progress has been chiefly in mechanical fields. Every universal principle of which he has become aware, he has expressed in mechanical terms. And in man's earnest effort to acquire greater knowledge, he has forgotten to develop the one instrument that is capable of leading him to such knowledge.
357 過去何世紀もの間、地球人の進歩は主に機械分野においてでありました。彼は気付くようになった宇宙普遍の法則全てを機械的な用語として表現して来ました。そしてより偉大な知識を得ようとする真面目な努力の中で、彼はこのような知識に自らを導く可能性のあるその道具を発達させることを忘れてしまったのです。



【解説】
 これまでの人類の進歩は主に機械文明の分野であったと著者は指摘しています。これは地球における過去のいくつかの文明の中で現代文明を評しての著者の言葉ということになります。
 自動車の自動生産、食品加工の自動化等々、私達は文字通り機械文明の恩恵を受けて生活しています。
 しかし、これらを越えて更に深遠な知識を得て、物事の背後にある仕組みを理解しようと私達は努力を重ねる中で、私達自身が想念・印象の分野で既に常時宇宙と繋がっていることを忘れたまま答えを自分の外に求めている問題点を本項は指摘しているのです。
 この本来、自らに備わっている「道具」は発展させることが出来れば、他の生きものと同じように厳しい環境の中にあっても何らの懸念もなく、日々の暮らしを楽しんで行ける自信(信頼)を宇宙に対して持つことが出来る筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落356

356 If a man was submerged in a tank of water, he would influence and be influenced by the relative pressures existing between his body and the water mass. The same is true when dealing with the sea of the universe. For as surely as the law works in the coarser fields of manifestation (in this case the water), so it works in the finer. And what is the atmospheric, or etheric vibrations, but the pressure of life? The sooner we get away from our beliefs in mystery and superstition, the sooner we shall become the Knowers of Life in its fullness.
356 もし人が水槽の中に沈められたら、彼は自分の身体と水本体との間に存在する相対的な圧力に対し影響を与え、また影響を受けることでしょう。宇宙空間の海についても同じことが言えます。何故なら法則は粗い創造の場(この場合は水)で働くのと同じく、より精妙な場についても同様に働くからです。また、大気やエーテルの振動、否、生命の圧力についてはどうでしょうか。私達が神秘や疑いに対する思い込みから離れ去るやいなや、私達は生命の完全なる知者になることでしょう。



【解説】
 私達が想念の海の中で生きているという実感は、丁度水中において全身が水圧を感じるように全身で感じるものだと説いています。つまり、印象は私達の身体全体で感知するものであり、宇宙と直接、私達の身体が接していること、その結果、相互に直接影響を及ぼし合っていることが重要なポイントです。かつて大本教の出口王仁三郎(1871-1948)が周囲の者に全身で感じる歓びという表現をしたとされることを思い出しました(「巨人出口王仁三郎」)。本来、本項の内容はそれ程歓びに満たされた状況を示すものと言えます。
 従来、私達は目や耳という特定の感覚器官を唯一の窓として外界からの情報を得ていましたが、実際には私達の全身が宇宙とつながっていて、常に相互に影響を及ぼし合っている訳で、必要な知見、ヒントは常にアクセス出来る環境にあるのです。
 しかし、この恵まれた環境も私達がそのことに気が付かなければ、活用することは出来ません。自分が独りであると考えたり、たまたま思い通りの結果が得られなかっただけで、自らの境遇を嘆いていては、せっかくの恵まれた境遇も台無しです。私達はこの恵まれた環境を如何に活用し、本来の自身の役割を果たして行けるのか、本腰で取り組むことこそ求められています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落355

355 The human being is the most highly organized and sensitized instrument of manifestation. He is therefore most capable of tuning in to the lesser vibrations, objectifying them, and rebroadcasting them into the universe as higher expressions. We cannot help being affected by the varying frequencies of the chemical universe in which we live, nor can we help affecting others by the thoughts we send forth into the mind-ether of space. We need only to become aware of such relative currents to make use of these facts.
355 人間は最も高度に組織化され、鋭敏化された創造の道具です。ですから人間はより下位の振動に同調させ、それらを客観化し、それらをより高次な表現物として宇宙空間の中に再放射することが出来るのです。私達は私達が住む化学的宇宙の変化する振動によって影響を受けざるを得ず、私達が宇宙の心のエーテルの中に送信する想念によって他者に影響を与えざるを得ません。私達はそれらの事実を活用するためには、それらの相対的な流れについて気付くようになるだけで良いのです。

【解説】
 本項は私達自身の宇宙における作用について、更にはその宇宙から日々影響を受けるという相互作用について説かれています。
 おそらくは私達人間が他の生きもの達の想念・印象を拾い上げ、それらを更に大きく高次な想念波動に増幅して宇宙空間に発するということもあるのでしょう。仲介者としての役割です。実はそれ程にテレパシーに関する私達人間の能力は高いと言えるかも知れないのです。
 また、同時に私達は宇宙から来る想念・印象にも大きく影響を受けています。微弱な想念・印象を感受した後、それを認識、発展させて力強い信念として再び宇宙に送り出すという機能も私達人間に期待されているところです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落354

354 No! The plant, the sea, the air, and the minerals of the earth have no faculty of independent reasoning. However, they possess the same natural guidance that causes human forms to be receptive to changes of conditions, for they contain the feeling element. Therefore, atmospheric and other conditions affect them just as they do humans; and they respond without question. For the same Life Force known as the Breath of Life in man, flows through their forms.
354 いいえ。植物や海、大気や地球の鉱物は独立した論証能力を有していません。しかし、彼らは人体が状態の変化を受容出来るのと同じ自然の導きを有しています。何故なら、彼らはフィーリングの要素を持っているからです。それ故、大気やその他の状態はそれらが人間に与えるのと全く同様に彼らに影響を与えますし、彼らは疑いなくそれに応答します。何故なら人間において生命の息吹きとして知られる同じ生命力が彼らの体の中にも流れているからです。


【解説】
 テレパシーの基本にあるものは、地球上にあるありとあらゆるものが有している生命の息吹(the Breath of Life)に他なりません。実は生命があるということは、とりもなおさず印象・想念をやり取り出来ることになるのです。
 しかし、これまで私達地球人は肉体の四感覚に全てを依存し、目に見え耳に聞こえる結果の世界のみが存在する唯一のものと見做して来ました。その結果、一部の芸術家や達人を除いて、想念・印象・インスピレーションが行き来する世界に気付くことなく、人生を終えていたものと思われます。
 私達は目をつぶり、耳を塞いでもなお、外界の状況を知ることが出来る基本的な機能を有しているのです。実は身体内部の各組織は目や耳とは関わり無く活発な生命活動を行っています。その基本的なフィーリングという径路が、想念・印象を伝達し、また発しているということでしょう。先の段落【350】ではそれらを神経細胞網として説かれておりましたが、今回の生命活動はその神経細胞の活動と極めて近い関係があるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落353

353 Through millions of years of evolution, man is endowed with physical senses and a faculty for reasoning; and he has come to depend solely upon these avenues of perception. But what of nature? Does it possess the faculty of reasoning? Is it endowed with the organs of sight and hearing, taste and smell? Does the tiny seedling germinating in the warm, dark bosom of the earth use recognized sense perceptions to decide which chemicals to extract, and which to reject for proper growth?
353 何百万年もの進化の間、人間は肉体の諸感覚と論証の能力を授けられて来ており、これらの知覚経路のみに依存するようになりました。しかし、自然はどうでしょうか。自然は論証能力を持っているでしょうか。視覚や聴覚、味覚や嗅覚を授けられているでしょうか。大地の暖かく暗い懐の中で芽を出している小さな種は、適切な成長の為にどの化学成分を抽出しどれを拒絶するかを決定する為に感覚による知覚を用いるでしょうか。



【解説】
 私達人間はこれまで肉体の感覚と論理性を拠り所として発展を遂げて来た訳ですが、そろそろそこにも限界が来ているという訳です。今後の発展進化には別の要素、即ち印象・インスピレーションを活用した生き方が必要だと著者は説いているのです。
 実はこの能力、既に植物その他人間以外の生きもの達の間では、太古の昔から活用され、自らの生存に無くてはならないものになっています。私達は彼らの生き方を学ぶ中でその応用法を身に付ける必要があるのです。
 その為には、先ず日頃の自らの判断根拠に自ら得た印象を置くことだと思っています。最初の内はもちろん誤りも多く失敗もあるでしょうが、他の生きものが過酷な自然環境の中にあってもこれから来る天候変化を予測し、備えることで世代を越えて生き続けている状況を良く観察し参考とすることです。まさにこれから先は各自それぞれが宇宙を旅する存在になる筈で、本講座は知識の基本編を説くに過ぎません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落352

352 It is possible for the sense organs to be so sensitized, or refined, that they are capable of intercepting vibrations from a great distance, or they may receive higher frequency vibrations than can be heard by the normal individual. We are all aware that both our sight and hearing are limited to a very short range, compared to what our scientists know is possible. Yet, occasionally, individuals are born with exceptionally keen sight, or acute hearing; enabling them to see much greater distances, or hear higher or lower pitch frequencies than the average. But these are physical attributes. Two good examples are to be found in the bird and animal kingdoms. The bird, with its microscopic eyes can detect the movement of tiny life forms from high in the air. The silent dog whistle familiar to us all, is pitched too high to be audible to human ears, yet canines respond immediately.
352 感覚器官が鋭敏にされ、あるいは純化されることで遠距離からの振動を傍受したり、普通の人間が聞こえるよりも高い振動数を聴くことができるというのはあり得ることです。私達は皆、私達の視覚や聴覚は私達の科学者が可能だと知っている範囲と比べて大変狭い範囲に限られています。それでも時折、例外的に鋭い視覚や鋭敏な聴覚を持って生まれた人々もあり、はるか遠くが見えたり、平均より低い音律を聴くことができています。しかし、これらは肉体の属性です。二つの良い例が鳥と動物の世界に見い出すことができます。鳥はその顕微鏡的な眼で上空高い所から小さな生き物の動きを見抜くことが出来ます。私達皆に馴染みのある無音の犬笛は人間の耳には高過ぎて聞こえませんが、犬達はそれにただちに応答します。



【解説】
 今でも野生動物の世界では、人間には到底及ばない目や耳等の能力が報告されています。上空遥か彼方から地上を見張る鷹の目や、人間の鼻では感知出来ない極微量の臭気を犬は容易に嗅ぎ分け、犯人の足取りを追跡出来る警察犬等、枚挙にいとまありません。
 これらは私達動物に備わっている既存の感覚器官も、その本来の能力は私達の想像以上に優れたものであることを意味しています。
 更に加えて、想念・印象に対してもこれら既存の感覚器官が反応出来れば、それらの持つ振動を目からは映像に、耳からは音声として再現出来るのかも知れません。丁度、テレビやラジオ受信機としてです。その結果は、単に漠然として印象のみならず、より具体的で鮮明なメッセージとしてオリジナルの想念を再現出来るかも知れません。
 私達の日々のテレパシーに関する生活を豊かにする為にも既存の感覚器官についても訓練することは大変、望ましいことと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落351

351 We have shown earlier how emotions affect not only the brain, but the body as a whole. Every cell composing it reacts to the thought. So in the case of the above mentioned mental picture, the thoughts of deception in the mind of the man produced certain chemical changes in the cells of his body; and impressions from his body cells alone could have been received. However, in this particular instance, the thought actually passed through the brain-amplifier, and therefore created more forceful waves in the mind-element of space. These waves exerted definite pressures around innumerable people, yet they were ignored. One person-myself, in this case-being in a state of receptivity, became aware of this pressure acting upon my body, and allowed the transmission of it to register upon my brain without interruption.
351 私達は以前、どのようにして感情が頭脳だけでなく身体全体に影響を与えるかについてお示ししました。身体を構成しているあらゆる細胞が想念に反応するのです。ですから、上述した心の映像の場合、その男の心の中の策略の想念は彼の身体の細胞に何らかの化学変化をもたらしました。ですから彼の肉体細胞からの印象だけでも受信は可能だったのです。しかし、この事例の場合には、その想念は実際に頭脳増幅器を通った為、宇宙空間の心の要素の中により強力な波動を創り出しました。これらの波動は無数の人々の周囲に明らかなる圧力をもたらしましたが、人々は無視したのです。この場合、私一人が感受出来る状態であったため、私の身体に加わるこの圧力に気付き、その圧力を妨害することなく、私の頭脳へ伝え、登録させたのです。



【解説】
 本項でのポイントの一つに身体細胞自身が本人の想念に大きく影響を受けるということが挙げられます。即ち、自らの想念は真っ先に60兆個もの自身の細胞にこそ最も大きな影響を与えるということです。このことは自身の体調その他身体の状況がどりもなおさず本人の心境を反映したものと言うことが出来ます。
 もう一つは発せられた想念・印象は空間中に瞬時に伝播され、他の者にも容易に認識されるということです。その内容が本人の脳に伝達され、具体的な内容として表現された後は更にその威力は大きくなるというところも重要な部分です。
 私達はこのように日々想念が飛び交う海に生きている訳で、良くも悪くもそれらの影響を受け、また知らず知らず他者に影響を与えながら生きていることになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第3章-段落350

350 What was it that enabled me to receive the thought of deception in this particular case? It was not the eyes or ears, for the meeting took place in another city, some distance from me. Was it the brain? No. The brain is merely a transformer and amplifier within the body. While it is true that any vibration striking the body is carried to the brain to be transformed into conscious perception, the actual reception of that vibration does not depend upon the brain, but upon the element of feeling within the nerve plasm of the body. This element is that positive nuclear spark, or soul, of the atoms composing the physical body. So the thought of deception came to me through the feeling channel.
350 この事例で私に策略の想念を受信させたのは何であったのでしょうか。それは目や耳ではありませんでした。何故ならその会合は別の都市、私の所からはかなり離れた場所で行われたからです。それでは頭脳であったでしょうか。いいえ。頭脳は身体の中の変換器や増幅器でしかありません。いかなる振動も頭脳に運ばれ意識的な知覚に変換されることは真実ですが、実際の振動の知覚は頭脳に依存せず、身体の神経原形質の中のフィーリングの要素に依存しています。この要素は肉体を構成しているプラスの核のスパークあるいは魂のことです。ですから策略の想念はそのフィーリングの経路を通じて私にやって来たのです。




【解説】
 本項ではより具体的にどのようにして印象が感知され、認識されるようになるかを本講座ではじめて言及しています。即ち、私達が印象を感受するのは目や耳という既存の感覚器官ではありません。しかし、それは何か別次元のような神秘的な感受性でもないという訳です。私達の全身くまなく張り巡らされている神経網がそれら印象を感知し、伝達するものだと説いていることに注目しなければなりません。
 人体の神経細胞はいわば全身の見張り役です。通常は細胞の異常や異物の侵入を監視する訳ですが、もっと大きな意義として想念・印象の感知ということがあることになります。
 全身に分散した各晨鶏細胞は感知した様々な情報を瞬時に脳に伝達し、その脳で言葉その他の表現に変換されるという訳です。私達がこれまで自らの心を柔軟に保ち、あらゆるものに関心を持つよう勧めて来たのは、全てこの神経細胞の生長に繋がっているのです。

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