2015年03月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落291

291 On the other hand, the optimist will see the beauty in the drifting snowflakes. He will call your attention to the majesty of the towering clouds, and point out the gratitude of the thirsty ground. These two minds are using the same universal law of action. But one has set his mind in motion along a destructive, vibratory thought-habit pattern; while the other follows a constructive vibratory thought-habit pattern; recognizing all creation as a manifesting expression of the Supreme Intelligence.
291 他方、楽観論者は漂う雪片に美しさを観ることでしょう。その者はそびえ立つ雲の偉容と渇いた大地の感謝の気持に貴方の注目を呼び起こすことでしょう。これら二つの心は同じ宇宙普遍の運動法則を用いているのです。しかし、一方は自分の心を破壊的な振動の想念習慣に沿って動かしていますが、もう一方は全ての創造は至上なる英知の現出された表現として認め、建設的な振動の想念パターンに沿って自らの心を動かしているのです。



【解説】
 本文では夏の夕方、毎晩のように繰り広げられる雷雨を前に、空に立ち昇る入道雲と乾いた大地の関係を指摘しています。私達が現象をどのように観ようとも、雨は地球の水循環にとってなくてはならない作用であり、大地に生きるもの全てにとって恵みの源です。
 実は、現在滞在中の場所も目下、乾季の真っ最中で何ヶ月もの間、雨が降りません。その結果、多くの木々が葉を落として、ひたすら雨を待っています。気温が高いだけに植物にとっては辛い日々かも知れません。そうした中でも多くの木々が花を付け、葉っぱが無くなりかけても、花を次々と咲かせることを止めることはありません。プルメリアも次々に花を付けています。当所では、もうすぐ始まる雨季を祝う「水かけ祭り」も行われると聞いています。
 あらゆる現象には、プラスの面もマイナスの面もある訳ですが、その本来の意義はプラスの面が担っていると観るべきでしょう。自然界をよく観察すれば、そのことは十分、理解出来る筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落290

290 Remember the illustrations we used of the pessimist and optimist? The pessimist has formed the thought-habit pattern of always looking at the gloomy side of life, and will resist the presentation of joyous ideas. Even though the sun might be shining brightly, if you were to comment on the beauty of the day he would remind you of the terrible storms we had last winter. His thought-habit pattern looks upon all manifestation with suspicion.
290 以前、私達が用いた悲観論者と楽観論者の例示を思い出して下さい。悲観論者は常に生命の暗い側面を見る想念習慣パターンを形成してしまい、楽しいアイデアの披露に抵抗しようとします。太陽が明るく輝いても、貴方が日光の美しさを評しようとしても、その者は貴方に前年の冬にあったひどい嵐のことを思い出させようとするでしょう。その者の想念習慣は全ての創造を疑問の念をもって観ているのです。



【解説】
 私達は多かれ少なかれ自分自身の思考習慣を作り上げているのではないでしょうか。本文にあるような悲観的見解に立つ者は常に物事をそのように観て、決して建設的な部分、好ましい点を観ようとはしないという訳です。
 この他にも様々な思考パターンがある筈ですが、実はそれが私達自身の発達を妨げている原因のように思っています。即ち、これまでの「常識」、即ち思考習慣が真実の洞察を妨げ、折角の機会を逃しているということです。
 同じ対象物を見て、そこから深遠な印象を受ける者と、何ら気づくことなく通り過ぎてしまう者との違いは何処にあるのか、よく考える必要があります。私達は自分自身の習慣に流され、価値に気付かず狭い心に束縛された生活を送っていることに、先ずは気づくことが必要です。その上で従来の思考パターンを捨て、毎日新鮮な気持ちで朝を迎え、与えられた一日を有意義に過ごすことを心掛けたいものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落289記事タイトル

289 Psychologically, we express this law by the statement that "a habit is difficult to break." In other words, any thought that is allowed to impress itself upon the body, sets the cells of the body into a state of motion corresponding to the thought-vibration. The body then has a tendency to continue in that particular motion until acted upon by another force which is strong enough, or positive enough, to change that vibration. The highly organized, concentrated, personal ego, in its aggressive manner, is so prone to force-frequencies that it intensifies the natural tendency of matter to continue in any motion, once that motion is created. When we allow habit-motions to become set, it necessitates contact with a very positive vibration to change them.
289 心理学的には私達は「習慣は打破するのが難しい」と表現します。言い換えれば肉体に対して印象付けることを許された想念は皆、肉体細胞をその想念波動に対応した運動状態に整えます。肉体はそれ故、次にその振動を変化させるに十分な強さや大きさを持った別の力によって作用されるまで、その特定の運動を継続する傾向があります。その攻撃的な振る舞いにおいて高度に組織化され、集約化された各個人のエゴは、力のある振動から大きな影響を受け易いため、一度運動が創り出されると継続するよう物質の自然の傾向を強めてしまいます。私達は習慣的な運動をセットすることを認めた後は、それらを変える為には別の強力な振動と出会う必要があるのです。



【解説】
 何か強い印象を受けた後、長い間、頭からその内容が離れないことも多いものです。また、現在特に問題となっている過激思想による世界的なテロ集団の動きなど、いわゆる「洗脳」についても、本項の記述は私達の心の特徴をよく表現しています。
 良いにつけ、悪いにつけて私達は想念に影響され易く、一旦それを受け入れた後は、長時間その示す方向に行動し、流され易いことは、私達自身肝に命じるべきです。もちろん、本講座のような本来あるべき姿に精進することは望まれることですが、世の中圧倒的多数はそれとは逆の方向に私達を招くものだからです。
 対策の決め手は私達自身、自分の訓練として努めて良質なものに接しようと心掛け、邪悪なものを遠ざけることが賢明です。何度も邪悪な試みに自身をさらす必要はありません。その代わりに少しでも本来の生き方にプラスになる源泉を求め、それに出会ったら、生涯大切にするということです。良い友人、良い書物を得ようと思うことからそれが始まります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落288

288 To answer these questions, we must again refer to the universal law of action. The scientific definition of this law is, "Any object set in motion has a tendency to continue in motion in the same line, or direction, until acted upon by some external force."
288 これらの疑問に答える為、私達はもう一度、運動の普遍的法則を引用しなくてはなりません。この法則の科学的定義は「如何なる物体も動かしはじめると、何らかの外力が作用しない限り、それと同一の直線、同じ方向に運動を続けようとする傾向を持つ」としています。



【解説】
 私達は大きな流れの中に身を置いているということでしょう。とてつもない大きさとも言える球体の上に生活していますが、その球体自体、宇宙空間を一定のスピードで移動し、合せて自身も一定の速さで回転しているのです。こうした一連の動きは宇宙創造の時まで遡る程の長い時間の中、変わらぬ運動として、その表面に暮らす生きものたちの生活にとって無くてはならない安定した生存環境を提供しています。
 このように安定した環境づくりには重要な慣性の法則なのですが、私達の精神活動にとっては要注意な要素であるという訳です。
 これまで学んで来たように、私達はとかく惰性に流され易く、新しい事柄、新しいアイデアを取り込むことを年齢を重ねるにつれて、次第に行わなくなります。新しい事柄に挑戦し、成果を得るべく努力しても、結果に自信がない等々の理由を付けて、ひたすら従来のやり方を踏襲してしまう訳です。
 しかし、これでは若々しさは生まれることはないのです。常に周囲の事柄に気を掛け、感性を高めること、得られたアイデアを実現させる具体的な行動をとることだけが、新たな経験を得ることに繋がり、身体細胞も活性化します。自身の内部を停滞状態から本来の生命活動状態に生まれ変わらせることが求められているという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落287

287 I have said that in general, lack of receptivity is due to lack of interest on the part of the individual. We know that some persons are intensely interested in all that goes on around them, whereas others have limited interests. Why should this be? What causes the psychological difference?
287 私は一般論として、感受性の不足はその個人の側における関心の不足に起因すると言って来ました。私達はある人々は身の回りで起る全てに強烈に関心を持つ一方で、他の者達は限られた関心しか示さないことを知っています。これは何故でしょうか。その心理面の違いは何によるのでしょうか。



【解説】
 感受性の由来は物事の関心にあることを私達は学んで来ました。しかしその一方で、多くの者が自分に関する事柄以外には無関心であることも確かです。本項ではそれがどのようにして起こっているのかを考えるよう、私達に説いています。
 これまでの本文の記述の中から、私達は各肉体細胞を高密度で集積した状態を保つ上で、私達の心は絶えずこれら細胞をそれらの司令塔との自負している自身の心にのみ注目させようとして来ました。またそうした状況が金魚鉢の中の金魚のように各細胞に緊張を強いていることを学んで来ました。
 このような一連の行き過ぎた心への集中が自分以外の事柄に関心を持たなくなり、従って感受性も育まれなくなったことにも繋がっているように思われます。また自然観察や生命探究など、未知なるものへの研究心はこれらの関心や感受性を必要としますが、その分野に興味が無ければ、自ずと関心も広がらず、想念をキャッチすべくアンテナを広げる必要もないことになります。しかし、本来、同じ恵まれた環境にあるのですが、関心がないばかりに、そのまま素晴らしい世界を見過ごした人生を送ることはもったいない限りです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落286

286 More than once I have heard the remark: "Oh, I was in such a beautiful state of relaxation. I was barely conscious of having a body, and my mind was simply a blank!" That is not relaxation. It is merely a state of lethargic indifference; and has almost no constructive value. When a person is truly relaxed his body feels tremendously "alive," and thoughts pass through his consciousness at such a high rate of speed it may seem to him afterwards that he has lived years in a few moments. Relaxation is the releasing of personal desire to the natural sequence of relativity, or continuity of thought; and the person has normal, unbiased interest in everything while in this state.
286 一度ならず私はこうした発言を耳にしたことがあります。「そう、私はとても素晴らしくリラックスしたことがあった。ほとんど自分が肉体を意識することなく、心もまっさらな状態だった。」しかし、これはリラクゼーションではありません。それは単なる無気力で無関心の状態でしかなく、建設的な価値はほとんどありません。人が真にリラックスしている時は、自分の肉体はとてつもなく「生き生き」感じ、想念は本人の意識の中を非常な高速度で通過する為、後でわずかの時間に何年間も過ごしたような感じをその者に与えます。リラクゼーションとは個人的な願望を人の手を加えない一連の関連性の流れ、即ち想念の連続性に解放することであり、その時、人はこの状態の中にあって、あらゆるものに先入観の無い関心を抱いているのです。


【解説】
 私達が目指すべき心境について、著者は本項で詳細に説いていることに、私達は注目しなければなりません。
 テレパシー能力は、本項に述べられているようなリラックスした心境でのみ養われる訳ですが、この「リラックス」とは通常、私達が言うリラックスとはむしろ、正反対のより活発な精神状態と言うところが重要です。本文にもあるように、時間的にはほんの一瞬でも極端に言えば何年も過ごしたような充実した精神状態、即ち自由な想念の流れが私達の目指すべき状況という訳です。
 想念の流れに対し、心が一つ一つの判断を下すようなことを止め、自由に心を通過させることによって、私達は想念の流れに対して抵抗のないパイプのような存在になり、短時間でも多くの体験、知識の授与を得ることが出来ます。
 ここで更に注目したいのは、このような想念は宇宙から無尽蔵に私達に注がれているのですが、私達の心が入口を塞いだり、ストレスを造り出したりする為に、流れが妨げられて来た訳で、その障害が取り除かれれば、より自由に想念が流れ込んで来ることになることです。
 充実した精神活動は決して疲労をもたらすことはありません。金魚の例のように抑制状態がストレスや疲労を造り出す訳で、より自由で伸び伸びした状況になることが私達本来のあるべき姿です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落285

285 Not unlike the goldfish in the small bowl, the individual nearly always reverts from the extreme of tension to the extreme of lethargy . . . completely ignoring the half-way house of relaxation. Usually, if a person is told to relax, he simply lets down and loses interest in everything. By doing this he not only retards the cell action of the body, but he often goes even further and by main force of will tries to create a mental vacuum. This torpid state is what takes place in nature when certain animals hibernate through the cold weather, but with them it is in obedience to a natural law for the perpetuation of the species. You will notice that the customary foods of these animals is not available during the winter months; therefore, nature slows down the activity of their body cells, so they may husband their energy until Spring sets her bountiful table.
285 その小さな鉢の中の金魚とは異なり、個人はリラクゼーションという中間施設を完全に無視して極端な緊張から極端な無気力に逆戻りする程の方向転換を大抵は行います。普通、もしある者がリラックスするように言われると、その者はあらゆるものに対する関心を低下させ失わせてしまいます。こうすることで、彼は肉体の細胞活動を遅くするばかりか、しばしば更に進んで意志の主力を使って精神的な空白状態を作り出します。この不活発な状態は自然界ではある種の動物が寒い季節を通じて冬眠する時に起るものですが、動物達にとっては種の永続性の為に自然法則に従っているものなのです。皆さんは冬の間、これら動物のいつもの食べ物が手に入らないことにお気付きでしょう。それゆえ、自然はこれらの肉体細胞の活動を低下させ、彼らが春が食卓を用意するまで自分達のエネルギーを節約出来るのです。



【解説】
 極端から極端に走るのが人の常という訳です。私達は真のリラックスをどのようにして達成するのか、ここで本腰を入れて考える必要があります。
 本項で述べられているように過度な集中状態、緊張状態が肉体細胞にストレスを与え、消耗させることは前項までに学んで来ました。しかし、そうだからと言って、その正反対である何ものにも関心を持とうとせず、何もしないただ惰眠によって時間を費やすことは、動物の冬眠にも近いと著者は警告しています。
 冬眠の場合は生命存続の為に必要な厳冬期の対策である一方、このようないわば生命活動が停滞するということは私達には不要な状態であり、有害だということでしょう。
 単純に「中庸」と表現することは簡単ですが、何故私達の心が全てを放棄し何もしない状況に陥るのか、また一方ではすぐに極度の緊張状態のいずれかの間を振り子のように転移しがちなのかについて、よく考える必要があります。物事を「良否」「優劣」その他の二元に分けること、「原因」と「結果」を分離すること等による私達の「裁き」志向の中に、その要因があるように思えるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落284

284 The same holds true of the cell entities of the human body. Our minds are constantly "bumping" into the worries and anxieties around us in the crowded fish bowl of our own creation; and each contact-shock dissipates a certain amount of energy. So we can safely say that tension is the chief cause of non-activity of the cells, and non-receptivity of telepathic impressions. But due to a misunderstanding of the true meaning of relaxation, there exists another condition that is just as detrimental as tension.
284 これと同じことが人体の各細胞実体についても当てはまります。私達の心は私達自身の創造物である混み入った金魚鉢の中の私達に心配と不安を常に「ぶつけて」おり、一つ一つの接触の衝撃が何がしかのエネルギーを消耗させています。ですから私達は確かに緊張は細胞の非活発やテレパシー的印象の非感受性の主原因であると言うことが出来ます。しかし、真のリラクゼーションに対する誤解から、この緊張と同じくらい有害な状態も存在するのです。



【解説】
 私達自身の心の不安定な状況が、私達自身の膨大な数の肉体細胞に容赦なくストレスを与え続けていると著者は私達に警告しています。人間の老化や疾病の多くはこうした私達自身の心がその原因を造り出しているという訳です。
 確かに物事がうまく行ったりした時、心が何らかの目標を達成したと感じる時、私達は間違いなく気分が良くなり、はつらつとした心境で周囲を見ることが出来ます。しかし、その状況も多くは長続きせず、再び何らかのストレス状態に陥ってしまうのが、私達の日常です。
 しかし、私達の目標は何処に置くべきでしょうか。誰でも「死」は遠くにあって欲しい訳で、好んで病気になる者は居りません。与えられた生命を少しでも自分本来のお役目に貢献できる形で生き続けられれば、それは「本望」ということであり、誰でも自身の生命活動を継続発展させる義務があるのです。
 それを実証する為には、先ず私達が取り組まねばならないことは、自分自身に対するこのような心の横暴を無くすことです。その為には、実際にどのような状況が自身の心と肉体との関係において起こっているかを、よくよく調べることが大切です。肉体を構成する各細胞、各分子には極めて良質な体験をさせる必要があり、これは他者に対しても言えることです。周囲の者を含めてストレスの無い環境作りが大切だということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落283

283 As an illustration; let us imagine we place a large number of goldfish in a small bowl. This crowded condition will not enable them to move about freely, and any motion on their part will cause them to bump into other fish. Each contact-shock will result in the expenditure of a certain amount of energy. If they try to force their normal activity in such congested surroundings, they will soon become fatigued. If they are wise, they will instinctively lessen their action; in which case they are reduced to a condition of lethargy. But as soon as these fish are placed in a larger receptacle they will again expand their activity to its natural state.
283 例示として小さな鉢に沢山の金魚を入れた場合を想像しましょう。この混み合った状況は金魚達に自由に動き回ることを出来なくさせており、少しでも動くと他の魚にぶつかってしまうことになります。この接触の衝撃は幾分かのエネルギーを消費します。もし、金魚達がこのような詰め込み状態の中で通常の動きを無理にしようとすれば、すぐにも疲れてしまうでしょう。彼らが賢ければ本能的に活動を低下させるでしょうし、その中で彼らは不活発状態に弱められて行きます。しかし、これらの魚達がより大きな容器に入れられるや否や、彼らは再び自然な状態まで活動を広げることでしょう。



【解説】
 集密な状態というものが各自の活動を停滞させることになるという本項の記述は、分子の運動状態を連想させます。
 気体の圧力は分子の運動の繁栄とされていますし、物質の密度は固体から液体、更に気体になるにつれて薄くなります。宇宙空間はこの希薄な気体の空間で、これまでの概念では何もない空間というイメージでしかありませんでした。
 しかし、本項による考えからすると、この希薄とされる空間において各分子は最も自由に活動し、本来の活気を呈しているとも言うことが出来るでしょう。リラクゼーションについて学ぶ中で、各自が自由に想念活動を行う上で、こうした「空」なり「無」と称される空間が実は重要なのだと著者は示唆しているのかも知れません。
 般若心経の「空」なる概念もそのことを説いているように思えます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落282

282 Relaxation is generally misunderstood. In consequence, there few people who have ever experienced true relaxation. Contrary to popular belief, it is not a state of inertia. It is a condition of intensified activity . . . because it is free activity.
282 リラクゼーションは概して誤解されています。結局のところ、これまで真のリラクゼーションを体験した人は少ないのです。よく信じられているのとは反対に、リラクゼーションは何もしない惰性の状態ではありません。それは、自由な活動であるが故に、激化した活動の状態なのです。

【解説】
 前項(281)では私達は集中による弊害の為、容易に答えに辿り着けないことを学びました。本項のリラクゼーションとはこの集中状態とは反対、理想的な状況という意味で説かれている言葉です。
 何事を行うにも自由で、抵抗や支障が無いこのような状況は、創造物の各々のあるべき心境とも言えるでしょう。植物の種が与えられた水分や温度の条件が整えば、一斉に芽を吹き各々が力の限り成長しようとする姿や、動物の幼生達の結果を恐れず、仮に他の生きものの餌となってしまうことにも構わず大洋の中で生きて行こうとする姿は、自由そのものであり、リラクゼーションを良く表しています。
 しかし、独り人間だけは、このリラクゼーションを体得するに困難を抱えているように思います。自我というものがあらゆる行動を自身の保全に結び付け、その結果に執着しているからと思われます。私達の日常の心境を、自分の周囲の状況に関心を広げながら、より自由で活発なものに変えて行くことが、本項で言うリラクゼーションに繋がるものと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落281

281 To some people, this may seem a very haphazard way of experiencing life. For has not the human ego, through hundreds of thousands of years, been trained to the idea of accomplishment by aggression and personal effort? Yet, there are the fortunate few who have discovered the universal way of life. Such persons include not only the seers and the philosophers (who, we pointed out earlier, understood that mastery of the body was essential), but those in all walks of life. Thomas Edison, one of the great scientists of our times, once remarked, "I have found that the answer to some of my most perplexing problems come to me after I have ceased trying to solve them." In other words, the thoughts started to flow freely when his interest was impersonal; when his intense concentration had been released.
281 人々によっては、これは人生を経験する上で行き当たりばったりのように思えるかも知れません。何故なら、人間のエゴは何十万年もの間、攻撃と個人的な努力による物事の達成という概念で訓練されて来たのではなかったでしょうか?それでも宇宙普遍の生き方を発見できた幸運な人達もいます。これらの人達の中には先見者や哲学者(彼らは古くから肉体の支配が不可欠であることを指摘し理解していました)ばかりでなく、あらゆる人生の歩みの中におりました。今日の偉大な科学者であるトーマス・エジソンはかつて、こう述べました。「私のいくつか悩んでいた問題の回答は、私がそれを解決したいとする努力を止めた後にやって来ました。」言い換えれば、彼の関心が非個人的になった時、即ち彼の強烈なる集中が開放された時に想念が自由に流れはじめたということです。



【解説】
 がむしゃらに「努力」すれば成果が出るという訳ではないことを、私達は多くの経験上知っています。一方、優れた成果を出し、素晴らしい作品を残す者も世の中には多いものです。問題はその違いは何処にあったのかについて、私達は正直に自身の心境や行動について考える必要があるにも拘わらず、「成果を出せない」と思い込むこと、結果に囚われ過ぎるだけで、真の原因を掴むことが出来ないでいることでしょう。
 人間の心が考察出来る内容、言葉に出来る内容は膨大な印象の世界と比べれば実に小さな範囲です。また本人の経験も限られたものです。
 これに反して、宇宙の知性に通じる印象・想念は私達が想像する以上に大きな実現力を持ち、知識も豊富ということでしょう。私達が自らの心境、即ち心の状態をリラックスしたものに保てれば、即座に解決策が提案されるという訳です。本文に記されているように大抵の偉人と称される人達は皆、この法則を独自の方法で活用して来たということでしょう。がむしゃらに集中して「努力」することをひとまず脇に置いて、自らの心を解放し、直感を信じることが解決を導くことになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落280

280 It is not easy to hold one's self always in a state of receptivity, because it demands a perfectly balanced consciousness. It is not a simple task to keep the body in a state of relaxation and still maintain a positive interest in all action around, and within us. Yet, this state is necessary to a good recipient. We must learn to look upon our mental reactions as though we were an impersonal bystander, and our thoughts were nothing more than actions taking place upon a stage.
280 自我を感受性のある状態に保つことは容易ではありません。完全なる調和した意識が必要だからです。肉体をリラクゼーションの状態に保ち、しかも周囲や自らの内面のあらゆる活動に対して積極的な関心を維持することは容易な任務ではないのです。しかし、良い感受者にはこの状態は無くてはならないものです。私達はあたかも自分が個人的に関係がない傍観者であるかのように、私達の精神的な反応を観ること、また、私達の想念がステージで起っている演技でしかないかのように観ることを学ばなければなりません。



【解説】
 バランスのある心境を維持するにはどうしたら良いか、本項で著者はその極意とも言えるエッセンスを述べています。
 そのポイントとも言える内容が、客観的に自分を見つめること、いわゆる想念観察という手法です。
 私達は実際には日常生活においても様々な仕事があり、外界とも接触します。次々にやって来る問題についても適切に対処しなければなりません。そうした場合、従来はとかく状況に流され、自分の全てがそれら状況への対応の中に埋没して来ました。しかし、それではバランスをいつの間にか失ってしまうことも多いのです。もちろん対応には誠心誠意行動する訳ですが、自分自身の中では、これらの行動を更に奥から観察する立ち位置が必要だということでしょう。
 本項で記述のあるように、「私」としては与えられたステージで精一杯の行動をとる訳ですが、同時にその出来を観察する立場に立って自身の心を見守る姿勢が必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落279

279 Thought-transference is much like a radio broadcast. In radio, a message or vibration is spoken into the microphone; passes through an amplifier and transformer; travels through space as an electric wave; is picked up by a receptive instrument; carried through the wires to the detector tube and transformer, where it again changes into the original sound waves. But if the power fails, or a tube goes dead in the middle of the message, the sound waves coming from the set will stop, and the speaker's voice may be interrupted in the middle of a word. When we tense our minds to an incoming thought, it produces the same effect on the brain that the power failure, or dead tube does in the radio set.
279 想念伝達は、ラジオ放送により近いものです。ラジオの場合、メッセージあるいは振動がマイクロホンの中に話され、アンプや変圧器を通り、電気的な波として空間を移動し、ある受信装置に拾い上げられると、電線の中を通って検波管や変圧器に運ばれ、そこで再び元の音声波に変換されます。しかし、メッセージの途中でも、電力が無くなれば、あるいは真空管が作動しなくなれば、ラジオから出る音声波は停止し、話し手の声は途中で中断させられることになるでしょう。私達が入って来る想念に対し、心を緊張させると、ラジオにおいて電力が落ちたり、真空管が切れるのと同じ影響を作り出すことになるのです。



【解説】
 テレパシーについては他ならぬ私達自身が受信機であり発信機であるという訳です。その機能を高めるには、私達に備わっているものの、永らく使用されず、おそらくは放置されて来た仕組みを一つ一つ再整備し、動かして行くことになることでしょう。
 著者はテレパシーをラジオの仕組みと同じだと説いています。私達自身の取扱いが誤っていて過度に緊張したり、無関心で過ごしていてはこれら関係する身体内の機構は本来の機能を果たすことなく衰えてしまうことになるのです。
 重要なことは既に私達自身の中に必要な受信機、発信機は備えられており、それらが本来の機能を果たすようにしさえすれば、自ずとテレパシー能力は身に付くということです。その為には、まずその真実を受け入れ、自らの精神活動や状態を整えること、内省を通じて自身の内側の仕組みや実態を探究することが必要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落278

278 Often, however, the loss of important telepathic communications - whether from animate or so-called inanimate sources - is not due to lack of interest, but due to a too intense interest; or a personal greed for knowledge. A thought, as we have explained, does not travel in a lump like a cannon ball, but in a series of waves. One complete thought may produce itself in fifty thousand individual undulations. Yet, nine times out of ten the instant a forerunner of a thought-message strikes the human brain the ego, if interested, will grab it and immediately tense the brain and body cells by concentrating upon the incoming thought. That sudden tensening of the cell activity is merely slamming the door in the face of the incoming thought. The five or six hundred impulses which found their way into our conscious brain cells before the door was closed, produced only a fleeting impression in our awareness; which, because we have received only a portion of the message, often results in a sense of confusion.
278 しかし、重要なテレパシックな意思疎通の喪失は生物からであれ、いわゆる無生物からであれ、関心の欠如に起因するのでなく、しばしば過剰な関心や知識に対する個人的な貪欲さにも起因しています。想念は私達が説明して来たように、大砲の弾丸のように塊で移動するものではありません。一つの完全な想念は50,000個の個別なうねりによって自身を作り上げているかも知れません。しかし、10の内、9回は想念メッセージがエゴである頭脳を叩く瞬間、エゴが関心を示せばエゴはそれをつかみ取り、そのやって来る想念に集中することで、頭脳と肉体の細胞を即座に緊張させます。細胞活動をそのように急に緊張させることは、入って来つつある想念の目の前でドアをバタンと閉めていることに過ぎません。その扉が閉まる前に私達の頭脳細胞の中に入った500から600の衝動は私達の知覚の中に先頭の印象しか作り出すことが出来ませんし、私達はそのメッセージのわずかな部分しか受け取らなかったため、しばしば混乱の感じしか結果として残らないのです。



【解説】
 一方で関心を持つ姿勢の中にも課題は存在します。つまりは本項で著者が解説しているように、私達自身に落ち着きが無く、直ちにやって来る想念・印象に飛びつき、身体細胞を緊張させて本来、続けてやって来る想念の糸口を遮断してしまう行動を取るという訳です。
 実は心に十分なる余裕が無ければ、この新規な印象を十分に解釈できずに遮断させることにもなりかねないという訳です。芸術家、哲学者、詩人が皆、静寂の中に身を置いた後に作品作りに向かうのは、こうした心の状態を整えることに関連しています。創作活動の過程でやって来る宇宙的な印象に対し、気づくことはもちろん、受け入れる過程においても過度の興奮や緊張状態に陥らず、ある意味、冷静にその全体像を把握するよう心を整える必要があるからです。
 止水明鏡という表現がありますが、やって来る想念・印象の本質がどのようなものをイメージしているのか、静かに観察することが求められています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落277

277 The wise man will learn to pay attention to all thoughts passing through his brain. He will heed not only those pertaining to self, but also those thoughts taking place outside his personal field of comprehension. For only in this way will he grow in knowledge and receptivity. It is indifference and lack of interest which causes man to lose the greatest jewels of wisdom . . . lose them through apathy when he actually holds them within his grasp.
277 賢明な者は自分の頭脳を通過する全ての想念に注意を払うことを学ぶでしょう。彼は自身に属するもののみでなく、自分自身の理解の分野以外で起る想念についても心に留めることでしょう。この方法を通じてのみ、知識や感受性において成長するからです。人に智恵の最大の宝石を失わせるのは無頓着と関心の薄さであり、実際、手に握っているにも拘わらず無感動のまま無くしてしまうのです。



【解説】
 感受性という要素が人間の進歩にとって最も重要であることが、本項の著者の説明から良く分かります。人間、年を重ねるにつれ、習慣性が増し、感受性は衰えます。しかし、長寿の人を見ると多くは絵を描き、文章を綴り、時に詩人は日常の暮らしの中に多くの感動を持っているように思います。それらの事が本項で言う「自身の周囲を通過する宇宙的想念を感受し、それらがもたらす日々新たな感動に心身を同化させている」ものと思われます。それこそが若さの源ということでしょう。
 また自分自身以外のことに関心を持つということは、世の中全般や他者への関心、見守りという姿勢にも合致します。他人の世話をし、相談に乗ることもその一つであり、著者アダムスキー氏もそうした人達の良き相談相手となっていました。
 他者の救済と通じても、自身が成長進化出来るということは、大いなる「善循環」と表現することが出来ます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落276

276 If he gives these thoughts any recognition, he generally releases them immediately as mere figments of his imagination. But, after all, what is imagination? Is it not the faculty to objectify, or imagine, that which is invisible to the senses? As one Eastern philosopher aptly phrased it, "Imagination is the bridge between the known and the unknown."
276 もしその者がこれらの想念に何らかの認知を与えたとしても、その者はそれらを単なる自分の想像の産物だとして通常は手放してしまいます。しかし、結局のところ想像とは何でしょうか。それは既存の諸感覚には見えないものを具体化し、考えてみる能力ではないでしょうか。あるアジアの哲学者はこれをうまく表現しました。「想像とは既知と未知との間の橋である。」



【解説】
 通常、私達が単なる「想像」として重きを置くことなく捨て去っているものの中に、実は私達自身が偶然出会った宇宙を本源とする想念・印象があるという訳です。せっかく巡り合えた宇宙的想念も私達自身がそれらの価値に気付かず見逃すことも多いということでしょう。
 これら宇宙から私達に時折やってくるアイデアは、従来は単なる「想像」として価値あるものとはして来なかった訳ですが、一たびその価値に気付けば、私達は更に身の回りに起こるこれら印象の閃きに注意するようになることでしょう。
 宇宙的印象は絶えず私達に注がれており、私達がそれに同調し、活用する為に無償で贈られています。テレパシー能力の開発は各自が一人一人に授けられるこれら創造主の支援の言葉を理解し、実行する為のものである筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落275

275 But even with interest we must analyze our mental reactions; for there is personal interest, and universal interest. One may find that he is able to receive many impressions or premonitions regarding his own affairs; yet be a closed channel for national, world, or universal impressions. If this person will watch his thought action closely, he will discover that hundreds of thoughts pass through his brain during each day which do not register strongly; because they do not seem to pertain to himself, his personal experiences, or have appeal to his individualized knowledge of outside affairs.
275 しかし、関心についても私達の精神面の反応を分析しなければなりません。何故なら、個人的な関心もあり、宇宙的な関心もあるからです。人は自分が自分自身の事柄に関しては多くの印象や予感を感受することが出来ていることには気付くかも知れません。しかし、国家や世界、あるいは宇宙的な印象類については閉ざされた経路になっています。もし、この人物が綿密に自らの想念波動を観察するならば、毎日何百もの想念が強い印象を残さないまま自身の頭脳を通過していることを発見するでしょう。何故ならそれら想念は自身や自分の個人的な体験に属するようなものでなく、自身の外部の出来事についての個人的な知見に訴えるものではないというのがその理由です。



【解説】
 実は「関心」と言っても、その内容にも課題があるのです。個人的な事柄への関心に終始してしまうのでは、宇宙的進化の道を進んでいるとは言えません。そうした状況に陥る原因は仮に宇宙的な印象がやって来たとしても、細胞あるいは心自体が自分に関係のないものとして、そのまま通過させて済ませているという訳です。
 こうした状況を打開するには、私達は自分の関心を自己中心から周囲の者や自然界、更には宇宙へと拡大させる必要があります。努めて世の中の情況を見守る姿勢が求められる訳ですが、くしくも千手観音像のように、自らを様々な苦難にあえぐ人々に救いの経路として手を差し伸べる姿が象徴するように、人々の成長に役立つ存在になろうとする心境が求められるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落274

274 Interest, unlike concentration, does not deplete the cells. Due to their state of curiosity regarding the new information, the cells are open to the incoming force. Being in a free state, instead of using their stored-up energy as they do with intense concentration, the cells are so normally balanced in action that they receive equally as they give out; so no fatigue is felt.
274 関心は集中とは異なり、細胞を枯渇させることはありません。その新しい情報に関する興味を持った状況の為、細胞は入って来る力に対し開放しています。激しい集中ではそれら貯えたエネルギーを使っていたのに対し、自由な状態においては細胞は正常にバランスされ、出すのと同量を受け入れることとなる為、疲労は感じられません。


【解説】
 テレパシー能力の開発過程で何故「関心」という心境が大事なのか、また、それがこれまでの努力の象徴である「精神集中」と何処が異なるのか、本項では著者が私達に説いています。
 私達の全身の細胞が想念・印象を最初に感受する訳ですが、そのいわば昆虫達の「触角」とも言える鋭敏な機能を果たす為には、各細胞は周囲への関心を保ち、且つ十分健全な状況であることが必要であり、決して疲労状態であってはならない訳です。
 最初の内は自分の周囲にどのような想念・印象がやって来るか、絶えず関心を持って見守ることで従来、気付かなかったものにも次第に気付くようになります。その時、重要だと思うのは、一旦得た印象もそれに一つ一つ執着していては次の印象に気付くのが遅れてしまいます。即ち、只、やって来る印象に気付き、受け入れる姿勢、それをいち早く再び解放する心境が必要ではないかと考えます。
 最近、目にした雑誌の中の一文にあった記事です。「呼吸に集中し、頭から足先まで感覚を研ぎ澄ませる。外からの音を受け入れたらそれを手放していく。思考についても同じ要領で行うんだ。」(ホームレスの仕事を作り自立を応援する雑誌、The Big Issue日本版, vol.257, 2015年2月15日号、ベネディクト・カンバーバッチのインタビュー記事より)。どうも真理を掴んでいる人が多くなって来たように思われます。

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2015年3月4日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落273

273 We are living examples of this law in action. Our modern mechanical age with its labor-saving devices, which should give us more time to become acquainted with ourselves and the universe in which we live, has enslaved the average person by the fast pace they now expect. We work, eat, sleep and play in a state of high concentration; then wonder why we suffer from constipation, colds, high blood pressure, and drop dead with heart failure in the prime of life. All the medicine in the world cannot make the little cells of our bodies operate efficiently while our minds are under tension.
273 私達はこの法則の生ける実例です。私達の現代の機械化の時代には労働を軽減する装置があり、それらは私達に自分自身と私達が住んでいる宇宙をよく知るためにより多くの時間をもたらす筈なのですが、平均的な人間を自分達が思い込んでいるテンポの速いペースの虜にしています。私達は高い集中度の下、働き、食べ、眠りそして遊びます。そして何故、私達が便秘や風邪、高血圧に苦しみ、生涯の全盛期に心臓麻痺で倒れるのかを不思議に思うものです。この世の全ての薬は私達の心が緊張下に置かれている間は私達の肉体の微小な細胞を効果的に動かすことは出来ないのです。



【解説】
 世の中機械化が進み便利になっている訳で、本来私達各人には昔の人に比較して十分な余暇と余裕が出来ている筈です。しかし、日常生活の労働が様々な道具と社会基盤の整備によって大幅に軽減されて来た一方で、私達は依然として、慌しい毎日を過ごそうとしています。それは自分自身の勝手な思い込みと習慣によるもので、自らの生活・人生をそのように急がせているのだと著者は指摘しています。
 実はその姿勢こそ心に緊張感を強いることとなり、肉体細胞を不要な集中状態に置き続けることになります。その結果、それに耐え切れず、種々の健康問題が発生するという訳です。
 本来はこの文明の功績である自動車や機械、電気その他、生活を便利にしてくれるそれらの恩恵を自身の探求や宇宙の探索に結びつけ、生命の本質、宇宙の真理の追求に充てるべきなのだと著者は私達に説いています。これらからの時代、真に求められているのは、このような精神分野、想念・印象にまで遡った理解ということになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落272

272 During experiments conducted in the field of intentional telepathy by researchers, it has been found that the rate of accuracy in reception in any group is higher for the first series of tests than it is later. They have attributed this to mental fatigue, but it might more logically be explained as concentration fatigue; for it is produced by the enforced focusing of the attention upon one point, or idea. Because it demands an increased expenditure of the potential body force, any form of concentration will produce fatigue. The energy of the cells is being dissipated at a very high rate, and due to their tenseness caused by this mental strain, they are not able to replenish their energy as fast as they are giving it out. This creates an unbalanced condition in the body.
272 研究者達による意図的テレパシーの分野で行われた実験の間、如何なる集団においても正確さの割合は最初のテストが後のものよりも高いことが発見されています。彼らはこれを精神的疲労のせいとしていましたが、集中化による疲労と説明する方がもっと論理的と言えるかも知れません。何故なら、ある一点あるいは概念に注意を強制的に集中させることで疲労が作られるからです。その集中が潜在する肉体の力の消費量を増加させることになる為、どのような形であれ、集中は疲労を作り出します。細胞のエネルギーが非常に高速度で消失し、心の引き締めによって作り出された緊張の故に、細胞は自分達のエネルギーを補給することが出来ないまま、エネルギーを放出してしまいます。これは肉体にアンバランスな状態を作り上げます。



【解説】
 精神を集中することが如何に体内のエネルギーを消費し、身体を疲れさせるか、本項は実例を示しながら、私達に優しく説いています。
 よく「疲れを知らず」という表現がありますが、その時の心境は自由で何ものにも囚われない柔軟さと解放性があるように思われます。他人への気兼ねや結果への過度の期待、成果への執着等から全く離れた状況の中で、自由無げな自分が居り、感じるままに行動すること、またその結果が次々に良い方向に進んでしまうという状態です。
 もちろん私達は種々試しながら、良い方向を学んで行く訳ですが、一旦、自らの体験上良い方向性を確認出来た後は、努めてその状況に自分の心を置くべきです。法則は常に存在し、万物を治めている訳で、同じ条件を造り出せば、再び動揺の結果がもたらされることは必然です。その意味でも私達は万物の支配者、宇宙の創造主に対して絶大な信頼を寄せて置く必要があります。これに反して、自ら強引に精神を集中させても、法則に沿っていなければ自らの思い通りに進む筈もない訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第3部第2章-段落271

271 A very great difference exists between the two. Concentration is a fixed, or set condition, which allows only one idea to manifest at any given time. Interest is a state of curiosity which opens real consciousness to all ideas around it, and in this way actually creates an impersonal participation with them in a free state.
271 両者の間には非常に大きな違いがあります。集積とは固定化した固まった状況であり、如何なる時でも一つのアイデアしか現出を許さないものです。一方、関心は現実の意識をその周囲の全てのアイデアに開放する好奇心の状態であり、このようにして自由な状態の下、それらと非個人的なる参画を実際に造り出すのです。

【解説】
 本項から私達は従来、あらゆる努力を「集中」という状態の下で行っていたことが分かります。一つの事柄に集中しないと何事も成就しないとも言われて来ました。もちろん、一定段階としてはそれも大切なのですが、その先には、もっと自由に想念を感受する心境を創り出さねばならないということでしょう。
 一つの想念のみに集中することは、やがては固執、囚われにも通じてしまいます。そうではなく、もっと周囲にやって来る様々なアイデア・印象にアンテナを張って様々な印象を感受するよう自由な心境にしなければならないという訳です。
 これまで私達は自らを目標に向かって集中させることが良いことだとして来ましたが、実はそうではなく、むしろ自らの意識を自分自身から外部に拡大させ、周囲に関心を持ち、自分を役立てるよう志向することが大切なのです。

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