2014年09月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落176

176 Here is another example of how a worried mind affected the body cells to the point of physical breakdown. For twenty years a friend of mine had prided herself on being an immaculate housekeeper. In fact, her home was so "freshly-vacuumed" looking, both family and friends were never quite comfortable in it. While entertaining, she had an annoying habit of watching the ash trays, fairly snatching them out from under cigarettes so she could replace with clean ones. Her every move, every facial expression reflected nervous anxiety, making the atmosphere in the home vibrant with uneasy tension.
176 ここに心配しがちの心がどのようにして肉体細胞を物理的な崩壊点にまで影響を与えるかに関するもう一つの例があります。私の友人の一人は20年間にわたり、完璧な主婦であったと自慢していました。実際には彼女の家は余りにも「真新しく電気掃除機がかけられた」ように見える為、家族も友人達もその中では決して心地よくはありませんでした。興じている最中でも彼女はタバコの下から灰皿をひったくって新しいのと入れ替えられるよう、灰皿を凝視するイライラさせる癖がありました。彼女の一つ一つの動作や顔の表情は神経質な心配の念を投影しており、その家庭の雰囲気を落ち着かない緊張感でみなぎらせていました。

【解説】
 私達が生きる目的を何処に置いているかは重要な所です。本項の例はある面、真面目な者にとって陥りやすい点でもあるでしょう。大切なことは、自分自身も含めて、周囲の者、周囲のあらゆるもの達に、生命本来の活動状況を自由に表現させることであり、自分の尺度を押し付けてはいけないのです。
 この場合、きれい好きが高じて周囲に不愉快な思いや不要な緊張感をもたらしているのですが、本人がそのことに気付いていない所が問題なのです。
 一般に自分自身のことは自分ではなかなか分からないものです。しかし、それは自分自身を見渡せないことをも意味しています。その結果、心の暴走を止めることが難しくなるのではないでしょうか。その為には、自分自身を知る為にも、相手の反応から学ぶことも大切です。自分の放った想念は相手に感受された結果、その反応として帰って来るからです。他者を鏡として生きることも有用なのではと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落175

175 The natural state of the body cells is a relaxed, yet busy approach to life. When you distort their normal expression through tenseness, they broadcast this inharmony to all about you. We have many examples of this in our daily lives. Notice that when you are tense and out of sorts, and lash out at someone with a sharp retort, you will usually receive a sharp answer. This is caused by the cells of your body impressing their feeling of discontent upon the body cells of the other person. And because you are expressing a strong, destructive emotion that most people have not learned to guard against, their body cells respond in like manner. So if you want to make a happy life for yourself and those around you ... watch those emotions! Stop worrying over every little thing-and over every big thing, too. Worry has never yet solved a problem or changed a circumstance.
175 肉体細胞の自然な状態とはリラックスして、しかも生命に近付こうと専念している状態です。貴方が緊張を通じてそれらの普通の表現をゆがめてしまうと、それらはこの不調和状態を貴方の全周囲に発信します。私達はこの例を日常生活の中で多く持っています。貴方が張り詰めていて機嫌が悪い時、誰かを辛らつな応酬で非難すると、貴方には大抵はとげとげしい応えが返って来ることでしょう。これは貴方の肉体の諸細胞が不満のフィーリングを他の人の肉体細胞に印象付けている為に引き起こされます。そして貴方がほとんどの人がそれに対して守らなければならない強烈で破壊的な感情を表現している為に、それらの肉体の細胞も同様に反応しているのです。ですからもし貴方が自分自身や周囲、等々に幸せな人生を成し遂げたいと思うなら、これらの諸感情を監視しなさい! 個々の細かい物事、また個々の大きな物事についても心配することを止めなさい。心配が問題を解決し、あるいは環境を変えたことはありません。



【解説】
 本項は言い争いの真相は、相手に送った攻撃的な想念に相手の肉体細胞が応戦する為だとしています。実は私達が気づかない内に、自分の肉体細胞は相手の想いを感知し、反応するという訳です。当然、非難に対しては自己を守るべく相手側の非を主張し、エスカレートすれば肉体を動員して暴力行為に及びます。私達地球人のレベルはまだこのような段階なのです。
 しかし、テレパシー能力の開発を目指す私達は、これまでのこうした段階から抜け出る必要があります。自らの発する想念がどのような影響を及ぼすかを自分で確かめながら生活することです。心が抱く想念を絶えず監視し、それらを良質なものに引き上げ、大自然から来る優れた印象に心を開くことです。
 自分自身の持つ潜在力に改めて気づくことが出来れば、つまらぬ事象に心の関心を集めることを止めて、周囲の者に役立つより上質な生き方を率先し、良い影響を及ぼすことが出来るようになる筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落174

174 Stop and study yourself impartially. Do you rush about, your body a quivering mass of taut, jangling nerves? Is your mind racing ahead to all the things you feel you must accomplish? If so, you will find every muscle in your body is tense. At the end of the day your body and mind will be fatigued. Even sleep will not bring repose if the mind is not at rest, and in time nature will rebel against your continuously breaking one of her fundamental laws. For when your body and mind are tensed and worried, the cells will not function properly.
174 立ち止まって、片寄らずに自分自身を研究することです。貴方は自分の張り詰めて苛立つ神経の塊になった身体を急き立ててはいませんか。貴方の心は貴方が成し遂げなければならないと感じる全ての物事に向かって、駆け出してはいませんか。もしそうであるなら、貴方はご自身の肉体のあらゆる筋肉が緊張していることに気付くでしょう。一日の終わりには、貴方の肉体と心は疲れ切っているでしょう。もし、心が安静になっていなければ、睡眠も休養をもたらすものとはならないでしょうし、また、やがては自然の基本的な諸法則の一つを継続的に破り続けている貴方に、自然は反逆することでしょう。何故なら、貴方の肉体と心が張り詰め、悩んでいる間は、肉体の諸細胞は適切に機能しないからです。


【解説】
 著者は私達に心の暴走を鎮めて、もっと落ち着いた生活に戻るように諭しています。とかく私達は心の不安から、次々に先のことを考え、仕事を急ぐものですが、大切な体調を崩すところまで為すべきものは、この世に存在しません。
 厳しい生存競争がある野生生物にあっても、彼らはゆったり自然の恩恵を享受しているように見えます。しかし、そのことの背景に何があるかについては良く考えて見る必要があるでしょう。同じ仕事をするについても、楽しく生き生きと行う場合とそうでない場合とでは、成果の内容も疲れ方も変わって来ます。
 要は私達の心をどう柔軟なものとし、周囲の他の創造物と融合して円滑に暮らせるように保つかということです。これまでの偏見を捨て、改めて自然や宇宙に同化するような心の状態、心境を整備することが大切です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落173

173 This unnatural condition in the digestive system is the direct consequence of the strong thought vibrations of anger or anxiety impinging upon the body cells, and if continued long enough can cause serious and lasting bodily damage. Science has definitely proved that anxiety and tension can terminate in neurosis, ulcers, etc. So here is evidence that the sense-mind can bring suffering upon itself, the physical man. There is great truth in the saying, "As ye sow, so shall ye reap." for it is applicable not only to our morals, as most people interpret it, but to every facet of our lives. 173 消化システムにおけるこの不自然な状況は、肉体細胞に衝突して来る怒りや不安の強い想念の直接的な結果であり、もし長く続く場合は、深刻で続く肉体の損傷を引き起こす可能性があります。科学ははっきりと、不安や緊張はノイローゼや潰瘍を起こして終結することを証明しています。ですからここに、感覚心が自分自身、即ち肉体としての人間に苦痛をもたらし得ることの証拠があるのです。「播く種は刈り取らねばならない」ということわざには、偉大な真実があるのです。何故なら、それはほとんどの人が解釈するような道徳ばかりでなく、私達の生活のあらゆる側面に適用できるものだからです。


 【解説】 「ストレスから胃が痛む」とか心因性の下痢になったとかは、よくあることで、各自体験されたこともあるでしょう。私達の心(感覚心)の問題はそれ自身の拠り所でもある自身の身体をも損なうなど、自ら播いた種(自ら発した想念)は自分自身に最も大きな影響を及ぼしているという訳です。 時々刻々発する想念は外部に影響を与えるのみならず、自身には更に大きな影響を与える訳で、私達の発する想念をコントロールすることが如何に大切かが分かります。 通常、私達の心は感受する側の能力は大変低く、鈍感なのですが、自分が発する想念が如何に周囲に影響を及ぼすかまでは理解出来ていません。以前、ルーサーバーバンクの"The Training of The Human Plant(1907)"という小冊子(現在はネット上に全編が公開されています。https://archive.org/stream/trainingofhumanp00burbiala/trainingofhumanp00burbiala_djvu.txt)を読んだことがありますが、その中で人間の幼児が最も感受性が高いとの記述があったように記憶しています。つまり、私達も生まれ落ちた直後は大変印象に鋭敏だった訳で、その後感覚心・エゴが拡大した結果、目に見えない対象については鈍感になってしまったものと思われます。イエスがニコデモに語ったように私達の第2の誕生もこうした原点に還ることを求めています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落172

172 While our minds cannot consciously direct each detail of the complicated workings of the body - we must depend upon nature for this - through our mental attitudes we do wield a tremendous influence over these operations. If we are serene when we eat, the digestive processes are orderly; but if the mind is agitated by thoughts of anxiety or anger, the little cell chemists of the stomach and intestines will be thrown into confusion. This will result in an unbalance in the glands producing the gastric juices, and indigestion will follow. Because the digestive processes were unbalanced, the second group of little chemists, those responsible for controlling the gas, cannot perform their duties properly; and excessive gas will form, often settling around the heart. Since the waste matter was not fully digested, the third group, those responsible for elimination, will be unable to function properly.
172 私達の心は、このことを自然に対して依存しなければならず、意識的に肉体の複雑な作用の個々の詳細を指示することは出来ない一方で、私達の心の態度を通じてこれらの作用に対しては途方も無い程の影響を行使しています。もし、私達が食事する時、穏やかであれば、消化の過程は整然と行われます。しかし、もし心が不安や怒りの想念によって掻き乱されていると、胃や腸のそれら小さな化学者達は混乱の淵に投げ込まれてしまいます。これにより、胃液を作り出す分泌腺にアンバランスをもたらし、消化不良となります。消化の過程がアンバランスになった為に、ガスの制御を担う二番目の小さな化学者達は自分達の任務を適切に実行出来ず、余分なガスが生成し、しばしば心臓の周囲に溜まります。老廃物が完全には消化されない為、排泄を担う第3のグループは機能を適切に果たせなくなります。

【解説】
 体の不調は体内の混乱が原因であり、それは心がこれら微小なる働き者を自身の強大な想念によって妨害する結果、発生します。文字通り自然の流れに従えば、これらの活動は滞りなく行われ、正常な生命活動が行われる筈なのですが、独り心が頑なに状況を悲観し、或いは憤っている為に身体内部の正常な活動を妨げているのです。
 ここで言っているのは、このような心の状況に陥った原因、理由のことは問いません。大切なる身体を心が自ら壊していることに気づくことが大切なのです。
 結局、大事なことは何かと言えば、何を置いてもご自身の生命という訳ですから、それを損なうことは厳に慎まなければなりません。「怒りは敵である」とはこのことを示唆するものと考えます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落171

171 Every moment of our lives provides us with ample evidence of the intelligence of the body cells. While we go about our daily routine, these busy cells oversee the intricate functionings of our bodies. With no assistance from our conscious mind, they extract the essence of the foods we eat, parcel it out to the various parts of the body in proper proportions, and discard the waste. Admittedly, this is only what we have come to accept as a natural functioning of the body; yet when analyzed, it represents a miracle that man cannot duplicate. Does it not give us a wonderful insight into the workings of nature? And what is Nature but Cosmic Cause expressing Cosmic Intelligence?
171 私達の命の一瞬一瞬が私達にこの肉体細胞が持つ知性について有り余る程の証拠を提供しています。私達が日々の日課に出掛ける間にも、これら多忙な細胞達は私達の肉体の複雑な諸機能を見渡します。私達の意識ある心からは一つも援助を受けることなく、細胞達は私達が食べる食物のエッセンスを抽出し、それを身体の様々な部分に送り届け、老廃物を排泄します。明らかなところ、これは肉体の自然の機能として私達が認めるところです。しかし、分析すると、それは人間が真似することが出来ないような奇跡的なことであることを表わしています。それは私達に自然の諸作用に対し、素晴らしい洞察を与えているのではないでしょうか。また、自然とは宇宙的英知を表現する宇宙的因以外の何者でもないことについてです。



【解説】
 私達が日々生きて居られるのは、身体内部の様々な細胞が人体維持の為に巧みに働いているからに他なりません。詳しく観察・調査すれば、それは驚くほど精妙なものである筈です。
 この事実を考えるだけでも、私達は生かされた存在であり、その源は微小な細胞や原子の知性に発し、また更にはその先には宇宙の源泉から与えられる無尽蔵な恩恵があるのです。このように考えれば、毎日生きているだけでも幸せな気分になることは間違いありません。それほどに60兆もの働き者が私達各人を支えてくれているのです。
 これら細胞の活躍ぶりは奇跡的とも言える高度なもので、無駄というものがありません。私達の身内にあるこれら有能な働き手から私達は積極的に知識を得るよう、絶えず身体内部の声に耳傾けることが重要です。あどけない幼児から学ぶことはこの生命の源泉から近い存在に学ぶことに等しく、イエスが説いた「みどり子」の話もここに由来したものであることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落170

170 For instance, living tissue taken from the body of a chicken has been kept alive for years without the aid of brain, spinal cord, or sense organs; not merely preserved but actively growing, or multiplying in cell composition. It is true that this tissue could not continue to live if it were not supplied with proper heat, moisture, and the necessary food; but if the cells of this living tissue were not conscious entities, how could they know how to assimilate the elements provided for their maintenance?
170 例えば、ひな鳥の身体から取り出した生きた細胞組織は、頭脳や脊髄あるいは感覚器官の助けがなくても、何年も生き続けられました。単に保存されたということではなく、活発に生育し、即ち、細胞分裂をし続けたのです。この細胞組織が適切な温度や水分、そして必要となる食物が提供されなかったとしたら、生き続けることは出来なかったのは確かです。しかし、この生ける細胞も組織が意識ある実体でなかったとしたら、どのようにして、それらは自分達の維持の為、提供された元素を取り込むことを知り得たのでしょうか。

【解説】
 一つ一つの細胞が各々個別に生存活動を続けられる程、知性を有していることに私達は気づく必要があります。つまり自然界のあらゆる生きものは基本的に自立し、成長を遂げる知識を有していることになります。
 その源は宇宙につながるものだと考えますが、私達の身体の細胞は皆、こうした能力を持った存在であり、主人である自我は単にその上に坐して差配しているに過ぎません。
 この極微小は細胞は休みなく働き、ある場合にはそれ自身をささげることによって他者を生かし、また自身も他者を糧に生きているという訳です。私達はこうした活気ある生命の海の中で日々暮らしていることを自覚することが大切です。そして時としてこれら微小な実体から生きるヒントをもらえることにも感謝したいものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落169

169 Each atom making up the cells of the body possesses within itself the element of feeling-which is consciousness. Consequently, it is quite possible for the cells of one form, to convey the state of their activity to the cells of another form. When the cells of one body are impressed with vibrations from the cells of another body, the impulse is created in the nerve plasm and immediately carried through the afferent nerves to the brain, where it is decoded into a conscious thought. It may be difficult to accept the idea of cells as little conscious entities, capable of receiving and passing on vibratory impressions, or of forming their own messages; but experiments which have taken place in our laboratories have proved conclusively that all substance is possessed of consciousness.
169 肉体の細胞を構成する各原子はそれ自身の内部に意識であるフィーリングの要素を所有しています。したがって一つの形あるもの(訳注:肉体)の細胞群が他の形あるものに自らの活動の状況を伝えるというのは全くのところ、起こり得るのです。ある肉体の細胞群が他の肉体の細胞から来る振動を感受すると、神経の原形質に衝動が発生し、直ちに中枢神経を通じて脳に伝わり、そこで意識できる想念に解読されます。細胞が小さな意識ある実体で、振動による印象を受信し、転送する、あるいは自身のメッセージを作り出すとする概念は受け入れることが難しいかも知れません。しかし、私達の実験室で行われた実験では、あらゆる物質は意識を持つことを決定的に明らかにしているのです。



【解説】
 あらゆる物体と印象を通じて話すことが出来るということです。極微小な存在である原子が、その状況を印象として発し、誰でもそれらの印象を感受でき、それとコミュニケーション出来ると本項は説いています。
 おそらくこれまでこのことを正面きって言及した人物は他に居ないように思われます。これまでは何か神秘的な存在や超能力として、これら印象やインスピレーション問題について取り扱われて来たように思うからです。
 しかし、万物に生命があり、万象を同胞(はらから)と認識するルーツは日本神道その他、太古からの教えに多く散見されるものです。ネイティブインディアンの文化のその一つです。森羅万象あらゆるものと一体になれる心境はこうした原子レベルの印象の交流から生まれると言って良いでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落168

168 This proves that thought can be transmitted from the body cells within a form, without the necessity of passing through the brain of the form as a conscious thought. If thought could only be produced through action of the brain cells, this knowledge could never have been revealed to me; for the woman's brain was broadcasting strong, frantic, thought-vibrations of serious disorder in the body.
168 これは想念は一つの意識出来る想念として形あるもの(訳注:肉体)の頭脳を通過する必要はなく、身体の中の肉体細胞から発せられ得ることを証明しています。もし想念が頭脳細胞の活動を通じてのみ作られるとしたら、この知識は私には明らかにされなかったからです。何故なら、その女性の頭脳は、身体の中の深刻な疾患状態についての強烈で気も狂わんばかりの想念波動を発していたからです。



【解説】
 ポイントは頭脳を介さずに行われる想念・印象の伝達です。このことは例えば脳のアンプを介することで心の抱く想念は強烈な音源となって全身を揺さぶる程の効果を出しますが、その多くは心の過ちやかたくなさから、片寄ったものになりがちです。
 これに対し、細胞や原子から発せられる想念・印象は精妙なのですが、それらに波長を合わせれば周囲の雑音とは関わりなくその声を聴くことが出来ます。丁度、テレビやラジオのように求めたい波長のみを選局し番組を楽しむのと同様です。
 言い換えれば巷の雑踏がどんなに大きく騒がしくても、静かで宇宙の源に心を向けた生活が出来ることと同じです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落167

167 This lady, still doubtful, went to a heart specialist who confirmed the impression of normal cardiac action I had received from the heart cells. She then visited a dentist, and the information I had received from the cells of her gums was substantiated, for, after taking X-ray pictures, he assured her the infectious condition could easily be cured by a few weeks' treatment.
167 この婦人はそれでも疑って、心臓の専門医の所に行ったところ、その専門医は私が得た正常な心臓の動きの印象を確証しました。彼女は次に歯科医を訪れ、私が彼女の歯茎から得た情報が実証されたのです。何故なら、レントゲン写真を何枚か撮った後、その歯科医が彼女に感染状態は数週間の治療で容易に治ると彼女に保証したからです。



【解説】
 他人の言葉によって人は左右されがちです。本事例は医者の宣告であった為本人は容易に信じてしまい、心は自己保存に危機感を感じてしまった訳です。
 しかし、たとえ事実と違った内容であっても長年心がそれを信じているとやがてはその状態が実現してしまうこともあり得るのではないでしょうか。心は創造主に似た能力を持っており、自ら支配する身体細胞をそのような状況に陥れることもあるのです。
 これに対し私達はいつも静かに自身の身体の奥深くささやく細胞の声を聴き、必要な対処を実行すること、正常に戻そうとする肉体細胞の活動を後押しするよう努めることが重要です。私達は元来、皆、創造主から命を与えられたものである以上、自らの生命の存在について心配する必要はありません。それに相応しい暮らしが約束されており、その代わりに与えられている才能を開花させることが求められているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落166

166 The woman's mind had been deeply impressed with the idea that her heart might falter and stop at any minute, and that her teeth were ulcerated beyond medical help. Remember, these were the thoughts she was holding uppermost in her mind when she consulted me. Yet, I received a definite impression from the heart that the action of that organ was normal; and I could detect the presence of only a slight infection in the cells of the mouth. Therefore, I informed her that her heart was perfectly normal, and there was nothing wrong with her teeth except for a slight infection of the gums, which could be eliminated with proper treatment. I did not acquire this information by visible means, for I am not a doctor and I made absolutely no physical examination. The diagnosis-if you wish to call it that-was the result of thought-transference from her body cells to my mind.
166 その女性の心は自分の心臓は何時、ふらついて止まるかも知れないことや、自分の歯が医療の手当てが及ばない程、潰瘍が生じているという思いに深く印象づけられていました。これらは彼女が私に相談した際に心の中で真っ先に抱いていた想念でありました。しかしそれでも、私は彼女の心臓からは、その器官の働きは正常であるという確固たる印象を受けました。口の細胞に若干の感染があることを感知しただけでした。それ故、私は彼女に彼女の心臓は完璧に正常であり、歯茎にわずかの感染箇所がある他は、彼女の歯には何も悪い所は無く、感染箇所も適切な処置によって取り除けることを伝えました。私はこの情報を視覚的手段で得たのではありませんでした。何故なら私は医者ではなく、どのような物理的な診察を行ったのでは決してありません。それを診察と皆さんが呼ぶというのであれば、その診察は彼女の肉体の細胞から私の心への想念移動の結果であったのです。



【解説】
 本事例の場合、医師の誤診の告知に心が動揺してしまった例ですが、このように私達は自分自身の身体の状況についてほとんど気付いていないのが実情です。
 その背景には肉体細胞から発せられる印象の言語は現在の私達にとって大変微妙なものであり、それに気付く為には心をよほど沈静化させて置かなければなりません。それほど細胞や原子から発せられる印象情報は精妙なもののようです。
 しかし早い段階で対処すれば大きな健康問題にならずに済むように思いますし、何よりご自身の事柄なので少しずつでもこうした内部の訴えに耳を傾けることは重要です。日本には「お身体ご自愛下さい」という表現がありますが、このことを良く表していると思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落165

165 A number of years ago an acquaintance who had been feeling unwell, consulted a doctor. The doctor's diagnosis was that she was suffering from a serious heart condition, and that her teeth were so badly infected they would all have to be extracted. Naturally, she was very distressed by the diagnosis; and came to discuss it with me, asking for advise.
165 何年も前のことですが、長く気分が良くないと感じていた一人の知人が、医者にかかりました。その医者の診断は彼女が深刻な心臓の病を患っていること、また歯は細菌によりひどく感染している為、全て抜かなければならないだろうというものでした。当然のことながら、彼女はその診断によって大変心を痛め、助言を求めて私の所に相談に見えたのです。



【解説】
 自分自身の肉体がどういう状況にあるのか、実際なかなか分からないものですが、それこそは大きな問題と言えるでしょう。自身に最も近く日々印象を交流しているべき肉体細胞の声を私達の心は気づかないまま勝手気ままに肉体を酷使しているのかも知れません。
 もちろん症状が出れば私達の心もさすがに事態を認識するのですが、実際には症状に至るまでには長期間、身体内部で騒ぎが起こっていた筈です。私達の心はそれに気づかずに過ごしていたということです。
 先日もある所でブヨと言われる小型の吸血ハエに刺されたことがありました。気が付くと両手3か所刺された訳ですが、彼らは実に巧みに近づき、対象にとまるや何ら気づかれることなく、所定の吸血活動を済ませます。今回も少し油断していた内に刺されてしまいました。その後長期間後遺症に悩まされることになった訳です。
 この場合も手の細胞は虫が皮膚の細胞を切り裂いて血を吸っていると通報していたと思われますが、心は他の事項に夢中で気づこうとはしなかったのです。はからずも自然界で生きて行く上で絶えず心を警戒の状態にしておくことの重要性が身に染みた体験になってしまいました。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落164

164 What has this to do with telepathy? It is a very good illustration explaining one phase of telepathic communion between man and the body cells, or man and nature. Following is another in which I was a participant.
164 このことはテレパシーとどう結びつくのでしょうか。それは人とその肉体の細胞との間や人と自然との間のテレパシー的な意思疎通の一側面をとても良く表わしている例証と言えます。以下は私が当事者となったもう一つの事例です。


【解説】
 本項で言うようにテレパシーとは単に人から人への意思の伝達ばかりではありません。肉体細胞や他の生き物達、更には鉱物までも含んだ原子との印象の交流によるコミュニケーションである訳です。
 私達はこの能力を身に付けるべく学習を続けているのですが、これまで分かったことは、私達の教師は最も身近な存在である自分自身の肉体細胞、更には細胞を作り上げる原子にあるということです。
 この原子達は繊細な感性を持っており、感受した印象に忠実に従う働き者です。経験した印象を自ら保持することで、万象発生の太古からの様々な経験を有する存在でもあるのです。
 テレパシー開発による成果の一つが、これら身近な有能者を自身のアドバイザーとして活用することで、日々の生活の中で危険を避け、豊かな洞察力を収め、新たな体験を得ることにあると考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落163

163 Atoms are endowed with alertness or awareness, and through feeling, can impress their messages upon man's mind. For instance, we may be strolling down a lonely road, or hurrying along a busy street; the mind occupied with its own thoughts when, through feeling, we become aware of someone staring at us. As yet the eyes have not seen this person, nor was the preoccupied mind aware of his presence until feeling alerted the brain. It was the cells of our body, responding to the directed thought from the other person, that alerted our mind to his fixed attention upon us. This same alertness can be awakened in us by the gaze of any living form.
163 原子達には警戒即ち、知覚力が授けられていますし、フィーリングを通じて自らの伝言を人間の心に印象付けることが出来ます。例えば、私達が人気(ひとけ)のない道を歩いている、あるいは賑やかな街路を急いでいるとします。心はそれ自体の想念によって占められていますが、フィーリングを通じて誰かが自分達を見詰めていることに気付きます。目はこの人物を見ていませんし、印象が頭脳に警告するまで、その存在に気付きませんでした。私達の心にその人物から私達へ動かない注目について警告したのは、その者から放射された想念に呼応した私達の肉体の細胞なのです。これと同じ警報は他の生き物の凝視によっても私達に知覚され得るのです。

【解説】
 実質上、私達が他人の想念を感知できるのは、私達の肉体細胞の原子達がそれを感じ取り、そのことを脳に通報することによると本項は解説しています。
 つまりは私達は全身で印象を感じ取っているという訳です。その為には身体全体をリラックスさせ常に鋭敏なる状態に保っている必要があります。丁度自然界の動物達が天敵の存在を感知し、じっと身を潜める時や植物が栄養分の存在する方向に地中深く根を伸ばす等、様々な場面で自身の身体を使ったテレパシーを活用しているものと思われます。
 こうした事柄は長年、「本能」とひとくくりにされて来ましたが、その実態は極小単位の原子達が支えていたという訳です。私達が日常暮らす中で、自身の身体を如何に鋭敏にするか、その為には微細な印象の伝達に気づくよう心を澄みきった状況に整えておく必要があることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落162

162 In man, as in the flower bed, the same atoms merely form new cells. Remember the law of affinity, the action of attracting and repelling, is the foundation of the universe. And these tiny atoms, so complete in themselves, obey unquestioningly the Cosmic Intelligence which, through the Mother principle, Matter, has brought them into being. They do not lose their individual identity, but rather, add one more experience through the new manifestation.
162 人においても花壇におけるのと同様に、同じ原子群が新しい細胞群を形成するだけです。親和の法則、即ち吸引と反発の作用が宇宙の基礎であることを忘れないで下さい。そしてこれら微細な原子達は、それら自身が完璧である為、宇宙英知に疑問を挟むことなく、従い、母性原理である物質を通じて生を受けています。それらは自らのアイデンティティを失わず、むしろ新たな創造を通してもう一つの体験を加えるのです。

【解説】
 私達の身体はそもそも何から出来ているのか、またそれらは何処から来たのかを考えてみる必要があります。
 地球という花壇には季節に応じて様々な草花が植えられるでしょうが、それらは各々異なるものの、皆同じ花壇の土と水、空気が元になって花を咲かせるに至ります。人間も同様に各人はいずれかの地からこの花壇に植えられ、この地を拠り所に自身の花や実をつけることになります。その間、その生きる過程で人々を楽しませ、他の多くの者に自然の美しさを再認識させることも出来ることになります。
 こうして季節は移り、やがてその草花も生涯を閉じる時が来ます。しかし、その時には次の世代の種が出来ており、次の季節に同じ場所か異なる場所で引き続いての生命の営みを続ける準備が出来ています。
 私達はこの間、この肉体を構成するこの花壇の土の原子対し植物としての体験を与え、その記憶を私達と分かち合う機会を与えていることになります。花壇に何も植えなければ土はそのままの状態で無為な時間を過ごすことになる筈です。
 そういう意味からも、私達が生命の流れに沿って各自活発に活動すること、身体内部から湧き起る生命波動を現実世界に表現することが重要な役割となっていることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第2章-段落161

CHAPTER II
Impressions From the Body Cells
161 Some may point to the fact that the cells of the body are constantly changing. How, therefore, is it possible for them to retain their memory?
第2章
肉体細胞からの印象
161 肉体の細胞は常に変わっているという事実を指摘する人もいるでしょう。それ故、どうやって細胞達が記憶を保持することが可能となるのかと。



【解説】
 本項から新しい章に入ります。
 私達が気付かぬ内に私達の肉体を構成する多くの細胞は更新されて行きます。こうして常に新たに生まれた新鮮な細胞が私達を常に若々しくさせている訳です。一方、私達に老化が始まる場合は、それら細胞群の新陳代謝が抑制され、不活発な細胞が身体を占めるようになる訳です。
 こうした中、細胞群はおそらく身体維持の為に互いに補い合って全体としての機能を発揮している訳で、互いのコミュニケーションが良くとられているものと思われます。
 詳しい内容はわかりませんが、細胞1個の中の遺伝物質だけでも、身体全体を復元できるほどの情報が含まれていることは近年の遺伝子研究でもわかって来ているようです。つまりは記憶の書はDNA等の分子・原子の中に蓄えられていることを著者は述べているものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第1章-段落160

160 The Living Soul, given to man when the Creator breathed the breath of Life into his nostrils, does carry the True Book of Remembrance; but few who have lived, or are now living on earth, have as yet evolved in understanding to the place where they may read. True, on rare occasions we may be given a glimpse of a word here and there, and with understanding can interpret these correctly. But since most Earthlings have not yet learned sufficient control over the sense-mind, more than a brief glance cannot be vouchsafed them.
160 創造主が人の鼻の孔の中に生命の息を吹き込んだ時、人に与えられた生ける魂こそが真実の記憶の書を運んでいます。しかし、地球にこれまで生きて来た、あるいは現在生きている者で、その者達がそれを読み取る場所まで理解力を発展させた者は極くわずかです。真実の所は私達はまれにそこここで記載されている言葉の一瞥を与えられ、理解力により、これらを正しく解釈することが出来るかも知れません。しかし、ほとんどの地球人が感覚心に対する十分な支配を学び取っていない為に、わずかの一瞥以上のことを与えられることはないのです。


【解説】
 そもそも私達が生きものとなった瞬間に私達自身の中に記憶の書とも言うべきあらゆる知識が与えられたという訳です。同様なことは私達が母体から生まれて初めてこの世で呼吸した時点にも当てはまるのかも知れません。
 いずれにせよ、私達自身の中に本項で言う記憶の書が入れ込まれており、本来は各自が必要な時それらを調べ知識を得ることが出来る仕組みになっています。
 「記憶」については現在の私達の科学レベルでは頭脳の中に記憶場所があることになっています。一部の脳細胞がその内側に記憶を取り扱う役割を担っていることも確かでしょう。しかし、それがどのような形式で行われているのか私達は未だ知りませんし、その記憶がどのように活用されるかも分かりません。
 しかし、人体のユーザーである私達は実際の使用方法、活用手法について学んで行く必要があるのです。丁度、自動車のメカニズムは熟知していなくても、自動車を安全快適に運転することと同じです。大切なのはこれら記憶の書を如何に自分のものとして親しむかということでしょう。
 優れた講演者は原稿も見ず、長時間聴衆に向けて貴重な講話を行いますが、彼らは次々に語るべき内容をどのようにして得ているか不思議に思うことがありました。この時、講演者は自身の内側の記憶の書に長年蓄積して来た話題を状況に合わせて引き出し、聴衆の求めに応じて披露していると言うことが出来ます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第1章-段落159

159 But to return to the true cell memory; because all manifestation consists of atoms, which, through creation and recreation are used and reused to make forms, the interrelationship between all things is self-evident. The atoms which now make up your physical body, previously contributed to the construction of innumerable other bodies and forms. And like the cells of the dwellings mentioned earlier which were impregnated with the vibrations received from the occupants, the cells of the body will carry memories received from each manifestation.
159 しかし、真実の細胞の記憶に戻れば、全ての創造物は原子から構成されており、それら原子は創造につぐ創造に何度も再活用されている為、万物の間に相互関係があるのは自明のことです。今や貴方の肉体を作り上げている原子達はかつては無数の他の肉体や形有るものの建造に貢献して来ました。そして以前述べた住居の細胞のように、占有者から受け取った振動を染み込ませており、肉体の細胞も個々の創造物から受け取った記憶を運ぶのです。



【解説】
 これら私達の肉体を構成する原子は各々過去様々な生き物を形成し、いろいろな体験を経て来たもの達です。そうした様々な歴史を持つ膨大な数の原子群と私達は身近に暮らしているという訳です。
 そういう意味から、私達の第一の義務はこれら未来に続く者達に一刻一刻素晴らしい体験をさせ、それらを記憶させることではないかと考えます。こうした良質の体験をさせることがその後の世の中の進歩に役立つことにつながる筈です。
 私達は丁度、人体という惑星を任されている者と言えるかも知れません。60億の人間が住む星をどのように運営し、良好な状態に保つかについて常に心掛けることが大切です。また一つ一つの細胞や原子の持つ潜在力や経験も吸い上げて共に学んで行くことも必要でしょう。
 「全ては自分自身の中にある」という言葉は、こうした私達自身の中に本来広がっている知識の海について示唆したものでもあります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第1章-段落158

158 Over the years I have made an interesting observation regarding these "memories." It is indeed rare to find an individual who claims to remember being just plain Mr. Average Citizen. These memories-which in many instances can seem very real-usually involve illustrious persons; everyone from the high priests who officiated at the initiation ceremonies in the Great Pyramid, to more recent characters of history familiar to us all. The vast majority of these are not even cell memories . . . they are simply man exalting his ego.
158 何年にもわたって、私はこれら「前世の記憶」に関して興味深い観察を続けて来ました。全くのところ、自分が只普通の一般市民であったことを覚えていると言う個人は珍しいのです。多くの場合に大変リアルに見え得るこれらの記憶には、通常著明な人物が含まれており、偉大なピラミッドの開始儀式を司祭した高位の僧侶から、新しくは私達全員が良く知っている歴史上の人物までが含まれています。これらの大多数は細胞の記憶どころではありません。それらは人を増長させる自分のエゴの為せるものです。



【解説】
 本項はある意味、このような細胞の記憶、原子の経験について取扱いを注意すべきことを示しています。とかく私達は印象・インスピレーションを素晴らしいものとして自分自身を高揚させる傾向にありますが、その知識から学ぶ姿勢は大切ですが、それを根拠に自我を増長させるようなことはあってはならないのです。
 各人は自分は過去生において偉人であったと思いたい訳ですが、各々の人生を振り返れば、私も含めて大部分の者は今期の人生だけでも目を覆うばかりの未熟な者であった筈です。そういう意味でも到底他人に自分の過去生を自慢出来るような例は少ない筈です。
 しかし一方では、今期の人生においてそのような振り返りが出来ること自体、これまでと比べて格段の進歩をしているということでもあるのです。大切な点は、私達が少しずつこれら目に見えない微小な実体から贈られる印象に対して心を開き、それらと同期し様々な事柄を学びながら生活するということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第1章-段落157

157 This accounts for most of the so-called memories of previous lives. A person may receive an impression that he once lived on earth as Julius Caesar, and his ego will be inflated. But in reality, a few cells of his body may be composed of atoms which were once present in the body of Caesar.
157 このことはいわゆる前世の記憶と呼ばれるものほとんどに当てはまります。ある人は自分がかつてジュリアス・シーザーとして地球に生きていたという印象を受けるかも知れませんし、そのことでその者のエゴは増長させることでしょう。しかし、実態はその者の身体の細胞のわずかがかつてシーザーの肉体に有った原子から構成されていたに過ぎないのかも知れないのです。



【解説】
 私達は知らない内にこれら自身の肉体細胞の原子群から様々な印象を受け取り、また原子の記憶に触れているのかも知れません。実に広大無辺の知識の宝庫です。
 しかし、一方ではその記憶を自我のものだと勘違いすることもある訳です。自身が体験した訳でもないのに、それを自分の体験だと言い張る場合も考えられます。私達はこれら極微な粒子が持つ記憶を大切に取扱い、それに触れることが出来たことに祝福を感じなければなりません。それらを自我を高める目的で使用してはいけないのです。
 とかく前世の記憶とかいう話が出ますが、それはこれら細胞や原子の記憶とは別に自分自身の本体について明確に見えた後に明らかとなる意識レベルの記憶が理解出来てからの話であり、先ずは現在の自我・心の訓練こそ重要なところです。極微な存在である原子が記憶を持つ以上に人間には更に優れた記憶の場所があるに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第1章-段落156

156 So it is with Man. The atoms of his physical body-made from the "dust," or atoms of matter-have been used and reused throughout eternity. Thus, these miniature universes carry an indelible memory of the experiences they have participated in during each manifestation.
156 ですから、それは人間についても同じです。「チリ」、即ち物質の原子から作られた人間の身体の原子達は永遠の時を通じて、利用され、再利用され続けます。こうしてこれらミニチュアの宇宙(訳注:原子を指す)はそれらが各々の創造物での間、参画した諸体験について消し去ることのできない記憶を運ぶのです。



【解説】
 何事も体験により学び成長して行くものですが、原子についてもそれが取り込まれた身体を通じて経験したものが記憶されるという訳です。原子達は万物創生の時から様々な時代を経ている訳で、その経験と知識は私達の想像を超える内容を持つものと思われます。また、原子自身が宇宙の法則とも言える英知から逐次発せられる指示に呼応する能力を有していることはおよそあらゆる知識を持っている可能性があります。
 実質上、私達の肉体には細胞数だけでも60兆個あり、更にその細胞を造り出す原子の数となれば想像も出来ません。仏典には膨大な数の話が出てくる場面がありますが、実はそれほど多くの「師」が身近に寄り添っていることに私達は気づく必要があります。
 要は如何にしてそれら身近な「師」と会話し、自らの生涯と社会を豊かにするかが大切なところです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第2部第1章-段落155

155 Let us now sow a totally different species in the bed. These new seeds will draw their sustenance from the soil enriched by the decomposition of the first plant, and in so doing they will use the very atoms that once made up that plant. Therefore, these same atoms are now bringing a new form into manifestation, yet basically, they have in no way been changed.
155 今度は苗床に全く異なる種のタネを播いてみましょう。これらの新しいタネは最初の植物の分解物によって豊かになった土壌から自分達の滋養分を取り込むことでしょう。また、そうする中で、それらは以前の植物をかつて作り上げた同じ原子を用いることになるのです。それ故、今やこれら同じ原子が新たな形あるものを現出させており、しかも原子は基本的に何ら変わっていないのです。



【解説】
 既に私達は植物や地中の微生物が大気中の炭酸ガスや窒素ガスを原料にして豊かな有機物を合成し、植物の根や茎葉、そして果実として実らせることを学んで知っています。
 低栄養の土壌はこれらの作用により、次第に豊かな土への変貌して行く訳です。まさに無(機物)から有(機物)を造り出す創造の作用が目の前で繰り広げられているのです。
 一方、人間もこの循環の経路の中に居ます。人間は植物とは異なり、直接的に地球を豊かにする機能はありませんが、その知識と行動力によって自然の活動をコントロールし、災害を防いだり、新しいエネルギーを取り出したり、地球規模で大きな効果や影響を与える存在になりました。
 しかし、その結果、一人勝手な展望から資源の無駄遣いや環境汚染を引き起こすに至っています。他の生き物はある意味、自分を犠牲にして環境全体の維持に奉仕している訳ですが、人間は自分のみ、自分の身内だけの幸福を前提にせせこましく生きているように思います。
 各人の肉体はいずれ土に還らなければなりませんが、自身が生きている間にどのような恩恵を他者に残したか、どれほど社会という土壌を豊かに出来たかが問われることになります。

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