2014年04月
071 These unfortunate individuals, rather than being envied, should be pitied. For the little sentinels who stand guard constantly throughout the body to flash warnings to the brain - nature's switchboard - of any unusual condition, are our staunch friends. Let us say we run a splinter in our hand. These sentinels, or nerves, immediately set up a clamor, informing the brain that a foreign substance is exerting pressure upon the surrounding tissue. We then relieve the pressure by removing the splinter and the wound will heal. But if the brain had not received this information because the nerves were not functioning properly, we would have been unaware of the splinter until the body, in trying to expel it, had caused the area to fester. But it is a physical condition; and lack of this nerve feeling has no more to do with a person's telepathic receptivity than the color of his eyes.
071 これら不遇な人達はうらやましがられるよりは、哀れまれるべきです。何故なら、どのような異常時であれ、自然界の交換機のように脳に警報を発するべく、体中を常に警備に立っているその小さな歩哨達は私達の信頼する友人達であるからです。私達が手に棘を刺したとしましょう。これらの歩哨達、神経はすぐさま大声を発し、脳に異物が周囲の細胞組織に圧力を加えていることを伝達します。私達は次にその棘を取り除き、その傷はやがて癒えます。しかし、神経が適切に機能していなかった為に脳がその情報を受け取らなかった場合には、私達は肉体がそれを追い出そうとしてその部分を化膿させようとするまでは、その棘に気付かなかったことでしょう。しかし、それは肉体の状態であり、この神経フィーリングの欠如は両目の色以上に各自のテレパシー感受力に関係するものではありません。
【解説】
身体における触覚の役割について本項は説明しています。通常、痛みや痒みが私達は毛嫌いし、それらの感覚を麻痺するような薬剤を処方されることが多いのですが、本質的には私達の肉体をガードする大きな役割を担っていることが本項を読めば良く分かります。
しかし、これら触覚(神経フィーリング)と私達が追求しているテレパシーに係るフィーリングとは別のものであると本項は説いています。根本的には同種の原理で働くものの、具体的な存在形態や機能が異なるものと思われます。触覚(神経フィーリング)や他の4つの感覚は肉体の該当する感覚器官が損傷を受けた場合には失われるものですが、フィーリングは失われることはないようです。このことはフィーリングこそが生命に直接係る基本的な認識経路であることによるものと思われます。
また、このフィーリングは人間のみならず、あらゆる生命体と共有出来るものであり、互いにフィーリングを通じたコミュニケーションを図ることが出来ます。植物と話たり、動物と会話する等々の事柄はこのフィーリングを通じて行われるものと考えます。
070 Not in the least. This is a purely physical condition caused by the malfunctioning of the nervous system; and has no more bearing upon the operation of the Life Force, or true feeling, than if the individual is born without a finger. The senses of sight, hearing, taste and smell, work normally in these people. The degree to which anyone registers pain is dependent upon the nervous system; the more sensitive the system, the more intense the pain felt.
070 全然そのようなことはありません。これは神経系統の機能不全によって引き起こされた純粋な肉体の状況であり、個人が指1本欠けて生まれたとしても生命力、即ち真実のフィーリングの作用には何ら問題が無いのと同様です。視覚や聴覚、味覚や嗅覚はこれらの人々の中で正常に働いています。人が痛みを表わす程度は神経系統に依存しています。その系統が高感度であればある程、その痛みは強烈に感じるのです。
【解説】
私達がこれまで触覚として整理して来たものは、実は神経の単純な反応であることを本項は再度示しています。身体にくまなく張り巡らされた私達の神経網は体内の異常をいち早く発見し、身体全体に警告を発する重要な役割を担っています。
しかし、フィーリングはこれら触覚と類似した機能、即ち全身を被うような鋭敏な感性とも言えるものですが、肉体上の仕組みである触覚(触感)とは異なるものと言えるという訳です。
私達はこのフィーリングの方をより重視して、自らの生活の中に取り込み、活用する必要があります。その為には、自らの心を印象を感受出来る程に沈静化し、常に新しい、清浄なる印象・想念に対して受入れられるよう状態を整えておくことが重要です。
069 The question may arise: How do you explain those rare individuals who are born without feeling? They suffer no bodily pain, even from severe injuries. Will this impair their telepathic ability?
069 疑問が生じるかも知れません。フィーリングを生まれながらにして持たない稀な人々についてはどのように説明するのかと。彼らは例えひどい怪我をしても肉体の痛みに煩わされません。このことは彼らのテレパシー能力を損なうことになるのではないでしょうか?
【解説】
本項で言う問いかけについては、次項(070)で述べられているように、触覚自体の喪失は本来のフィーリングの感受性まで及ぶものではありません。
しかし、私達の経験からしても、触覚(触感)は生きて行く上で大変重要な感覚であることは良く分かります。歯科医院で歯の治療を受ける際、時として麻酔を受ける場合がありますが、よく注意されることは麻酔が覚めるまで、食物を食べてはいけないことです。つまり、触覚が喪失したまた口を動かすことは口腔内を怪我する危険性があるからです。
実はそれ程に私達の日常生活に触覚が用いられているという訳です。同様な意味で、実は私達が気付いているいないに係らず、フィーリングも私達の生命活動に重要な役割を果たしているということでしょう。
私達が自らの意識的な部分を自らの身体のみならず、広く拡大して対象物を包み込むような状況に持って行ければ、その対象を文字通り全身全霊で理解することが出来るのではと考えています。
065 It has been brought to my attention by many individuals that the fifth sense, as it is generally understood, is not the sense of feeling, but that of touch. This does not change the theory, as each of the four senses possesses this faculty of feeling, or element of conscious-contact, without which there would be no awareness. Touch is a bodily nerve reaction, while feeling is the cardinal Life Force. It is through the conscious-contact of this Life Force that sensation is produced.
065 多くの人々が、その第5感覚は一般に理解されているようにフィーリングの感覚ではなく、触覚のことではないかと私に知らせに来ています。しかしそれはこの理論を変えるものではありません。何故ならその4つの感覚もフィーリング、即ち意識的接触に関する要素の機能を有しており、それ無しには如何なる感知能力もないことになるからです。触感は肉体の神経反応である一方、フィーリングは基本的なる生命力なのです。感覚衝動が作り出されるのはこの生命力の意識的接触を通してなのです。
【解説】
通常、私達が5感と言う時、5番目の感覚として触覚を挙げる訳ですが、本項ではそれに関して解説しています。即ち、私達が言う「触覚」とは神経の反応なのですが、その内容はフィーリング(感じ)と類似した機構にあること、及び触覚はフィーリングとは異なる次元のものであるということです。
本講座で言う「フィーリング」とは自己の意識が宇宙生命力に触れることにより、起こる衝動であるという訳です。
問題はフィーリングを鋭敏に保つことですが、同時にこれは私達の心の状態、即ち4つの感覚を鎮め、受入れる側の態勢を整える所から準備しなければならないという所にあります。また、何か新鮮な印象に私達の意識が触れたとしても、それを行動に移せるかどうかによって、成果は大きく異なります。印象を感知するだけでは大きな意味はなく、それを実行に移し表現することで初めて人間の役割が果たせることになるからです。
064 It is through this so-called fifth sense that telepathy works; so if we continue to cling to the idea of feeling as a bodily sense, the definition of telepathy is incorrect, and science has been sidetracked. The act of thought-transference, clairvoyance, premonition, or whatever term you choose to use for invisible perception, is a perfectly normal function of the feeling element expressing through the brain, with the cooperation of the mind.
064 テレパシーが働くのは、このいわゆる第5感を通じてです。ですから、私達がフィーリングの概念を一つの肉体内の感覚であるとする概念に固執し続けるなら、テレパシーの定義は間違ったものになり、科学は横道にそらされていることになります。想念の転移、透視、予感あるいは目に見えない知覚に対して貴方がどのような名前を選ぶにしても、それが心の協力の下、脳を通じて表現されるフィーリングの要素による全くの通常の機能なのです。
【解説】
フィーリングが持つ基本的役割を私達は理解し自らその実状を把握しなければなりません。更に言えばフィーリングの前では視覚や聴覚等、取るに足らない存在になるかも知れません。それ故にフィーリングを掴めれば、他の生命体はもとより、遠隔地の事象や将来起こりつつある現象についてさえも理解することが出来るようになることでしょう。
おそらくはこれらの能力は他惑星人のみならず、古今東西の優れた指導者は皆各々身に付けていたものと思われます。四国お遍路の各地には弘法大師が掘り当てた井戸等、当時の民衆に役立った業績が伝えられていますが、それらは皆、大師が持つこれらフィーリングの能力が発揮された実例と思われます。
実はこれらテレパシー能力をどのように生かすのかが、より重要なテーマとなっています。私達がテレパシー能力をどのように活用したいのかが大切なところです。単に自らの生活の質を高める為に努力するのか、他の者よりも能力を高めたいということでは、問題が多いのです。テレパシー能力を開発したことが却ってその人及びその周辺の人々に悪影響を与えてしまっては意味がありません。現実の厳しく荒んだ(すさんだ)地球社会の中でも劣悪な想念に左右されず宇宙本来の高貴なる想念・印象に同調し、それらを地上に広める役割を持つ覚悟が必要な訳です。
060 I realize this is throwing a bombshell in the face of age-old theory, yet the idea that physical man is a four-sense being can be logically demonstrated
060 私にはこれが大昔からの理論目掛けて爆弾を投げ付けるものであることは分っていますが、肉体としての人間は4つの感覚による存在であるとする見解は論理的に証明され得るのです。
【解説】
そもそも本講座の冒頭部分で著者はこのテレパシー問題が有史以来のテーマであり、近代になって「テレパシー」と名付けられるようになってからも、その取扱いは誤ったものとなって来たことを述べています。
人間は従来、5感の存在であるとし、テレパシーは第6の感覚だとされて来た訳です。しかし、本書は人間の心は4感の存在であるとしており、フィーリング(感じ)こそ、宇宙生命力に繋がる基本的な要素であるとしています。
そういう意味では、既存の4感はもっぱら結果、現象の世界、物質の世界に対する感覚であるのに対し、感じ(フィーリング)は物質にその活動を指令する宇宙的知性であるという大きな違いがあります。
私達はこれまで自分の4感にしか重きを置いて来ませんでしたが、自己の身体の生命活動も含め、あらゆる活動の原動力はこの感じ(フィーリング)によって与えられる訳で、この感じ(フィーリング)こそ、実際には力を有していることが分かります。
それ故に私達は自分の受ける印象や感じ(フィーリング)を注意深く取り扱うことが大切で、努めて良質なる想念を抱くようにしなければなりません。これら私達が心に抱く想念・印象が現実世界を突き動かす原動力となる訳で、私達はこの点を畏れるごとく自覚・自戒することが必要です。
059 In other words, feeling is the creative force within all forms. So the definition of telepathy as being a sixth sense was entirely wrong. Man is not a five-sense being . . . but a four! The fifth sense, or feeling element, through which telepathy actually works, is not a sense; but an intelligent force giving all manifestation conscious alertness.
059 言い換えれば、フィーリングとは全ての形有るものの内側にある創造的な力なのです。ですから、第6感であるとするテレパシーの定義は完全に誤っていたのです。人は5感の存在ではありません。そうではなく、4感の存在です。第5の感覚、即ちテレパシーがそれを通じて実際に作用するフィーリングの要素は感覚の一つではなく、全ての創造物に意識的警戒状態をもたらす英知の力の一つなのです。
【解説】
本文冒頭にある「フィーリングは創造的な力」こそ、重要なポイントです。
これまで私達は自分の感情、とりわけ「感じ」というものについて、あまりにも軽視して来たように思われます。目や耳その他で感じる最初の感情、即ち「感じ」というものの中に多くの場合、差別や裁きが多く含まれていますし、それらをそのまま放置することは良くないことなのです。それらの良くない性質が良くない結果を引き起こす力を持っているからです。
私達は自身の持つ感じ(フィーリング)をこれまで以上に重視して、そのような印象の出入りを監視する必要があります。これら私達の抱く感じは私達自身の身体や周囲の環境に大きな影響を与える力を有しており、それが本項で言う「フィーリングは創造的な力」を有するということでもあるからです。私達の心を通過するこれら想念を良質なものに整えることによって、それら本来の創造的な力が発揮され、人生に活かされることになるからです。
また、後半に説かれていることも大切な側面です。そもそも私達の心を構成する感覚は視覚、聴覚、味覚、嗅覚の4つであること、5番目となるフィーリングは感覚ではなく、万物を意識的にする知的な力であるということです。仏教用語に「浄心」という表現があるそうですが、その状況は心を通過する感じ(フィーリング)が私達の想定を超える大きな創造的力を有している故に、ポイントとされているものと思われます。
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