2014年04月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落072

072 Man is a miniature universe; so let us analyze him in that light.
072 人間は小型宇宙ですので、その観点から人間を分析して見ましょう。


【解説】
 私達各々に与えられているこの肉体は60兆個もの細胞からなり、血管の総延長は地球を2周半するほどの長さを持つとされています(http://blog.livedoor.jp/aritouch/archives/222227.html)。昔「ミクロの決死隊」という映画がありましたが、高性能顕微鏡で見れば肉体内部は小宇宙と言うべき様々な世界が広がっているという訳です。
 問題はこれらの小宇宙の責任を担っているのは私達一人一人であるということです。それら精妙な機能を探索し、その本来の機能を高めたり、隠されている機能を発見して応用することは一人一人に委ねられています。
 いわばこれら既存の調度品に気付き、それらを活用し、維持出来るかどうかはその館に住む者に任されている訳です。そういう意味からは、宇宙のあらゆる要素が私達の身体の中に埋め込まれているとも言えます。1日で2%の細胞が入れ替わる私達の身体内の活動の様子は生きた生命活動の典型例と言えることになります。更に言えば、自身の精神状態がそれらの活動にどのような影響を及ぼすかは、自分が良く分かる筈です。それらの結果を良く観察し、その原因に遡って修正しながら、自らの宇宙、身体の仕組みを探索して行くことは大いなる醍醐味と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落071

071 These unfortunate individuals, rather than being envied, should be pitied. For the little sentinels who stand guard constantly throughout the body to flash warnings to the brain - nature's switchboard - of any unusual condition, are our staunch friends. Let us say we run a splinter in our hand. These sentinels, or nerves, immediately set up a clamor, informing the brain that a foreign substance is exerting pressure upon the surrounding tissue. We then relieve the pressure by removing the splinter and the wound will heal. But if the brain had not received this information because the nerves were not functioning properly, we would have been unaware of the splinter until the body, in trying to expel it, had caused the area to fester. But it is a physical condition; and lack of this nerve feeling has no more to do with a person's telepathic receptivity than the color of his eyes.
071 これら不遇な人達はうらやましがられるよりは、哀れまれるべきです。何故なら、どのような異常時であれ、自然界の交換機のように脳に警報を発するべく、体中を常に警備に立っているその小さな歩哨達は私達の信頼する友人達であるからです。私達が手に棘を刺したとしましょう。これらの歩哨達、神経はすぐさま大声を発し、脳に異物が周囲の細胞組織に圧力を加えていることを伝達します。私達は次にその棘を取り除き、その傷はやがて癒えます。しかし、神経が適切に機能していなかった為に脳がその情報を受け取らなかった場合には、私達は肉体がそれを追い出そうとしてその部分を化膿させようとするまでは、その棘に気付かなかったことでしょう。しかし、それは肉体の状態であり、この神経フィーリングの欠如は両目の色以上に各自のテレパシー感受力に関係するものではありません。


【解説】
 身体における触覚の役割について本項は説明しています。通常、痛みや痒みが私達は毛嫌いし、それらの感覚を麻痺するような薬剤を処方されることが多いのですが、本質的には私達の肉体をガードする大きな役割を担っていることが本項を読めば良く分かります。
 しかし、これら触覚(神経フィーリング)と私達が追求しているテレパシーに係るフィーリングとは別のものであると本項は説いています。根本的には同種の原理で働くものの、具体的な存在形態や機能が異なるものと思われます。触覚(神経フィーリング)や他の4つの感覚は肉体の該当する感覚器官が損傷を受けた場合には失われるものですが、フィーリングは失われることはないようです。このことはフィーリングこそが生命に直接係る基本的な認識経路であることによるものと思われます。
 また、このフィーリングは人間のみならず、あらゆる生命体と共有出来るものであり、互いにフィーリングを通じたコミュニケーションを図ることが出来ます。植物と話たり、動物と会話する等々の事柄はこのフィーリングを通じて行われるものと考えます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落070

070 Not in the least. This is a purely physical condition caused by the malfunctioning of the nervous system; and has no more bearing upon the operation of the Life Force, or true feeling, than if the individual is born without a finger. The senses of sight, hearing, taste and smell, work normally in these people. The degree to which anyone registers pain is dependent upon the nervous system; the more sensitive the system, the more intense the pain felt.
070 全然そのようなことはありません。これは神経系統の機能不全によって引き起こされた純粋な肉体の状況であり、個人が指1本欠けて生まれたとしても生命力、即ち真実のフィーリングの作用には何ら問題が無いのと同様です。視覚や聴覚、味覚や嗅覚はこれらの人々の中で正常に働いています。人が痛みを表わす程度は神経系統に依存しています。その系統が高感度であればある程、その痛みは強烈に感じるのです。



【解説】
 私達がこれまで触覚として整理して来たものは、実は神経の単純な反応であることを本項は再度示しています。身体にくまなく張り巡らされた私達の神経網は体内の異常をいち早く発見し、身体全体に警告を発する重要な役割を担っています。
 しかし、フィーリングはこれら触覚と類似した機能、即ち全身を被うような鋭敏な感性とも言えるものですが、肉体上の仕組みである触覚(触感)とは異なるものと言えるという訳です。
 私達はこのフィーリングの方をより重視して、自らの生活の中に取り込み、活用する必要があります。その為には、自らの心を印象を感受出来る程に沈静化し、常に新しい、清浄なる印象・想念に対して受入れられるよう状態を整えておくことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落069

069 The question may arise: How do you explain those rare individuals who are born without feeling? They suffer no bodily pain, even from severe injuries. Will this impair their telepathic ability?
069 疑問が生じるかも知れません。フィーリングを生まれながらにして持たない稀な人々についてはどのように説明するのかと。彼らは例えひどい怪我をしても肉体の痛みに煩わされません。このことは彼らのテレパシー能力を損なうことになるのではないでしょうか?


【解説】
 本項で言う問いかけについては、次項(070)で述べられているように、触覚自体の喪失は本来のフィーリングの感受性まで及ぶものではありません。
 しかし、私達の経験からしても、触覚(触感)は生きて行く上で大変重要な感覚であることは良く分かります。歯科医院で歯の治療を受ける際、時として麻酔を受ける場合がありますが、よく注意されることは麻酔が覚めるまで、食物を食べてはいけないことです。つまり、触覚が喪失したまた口を動かすことは口腔内を怪我する危険性があるからです。
 実はそれ程に私達の日常生活に触覚が用いられているという訳です。同様な意味で、実は私達が気付いているいないに係らず、フィーリングも私達の生命活動に重要な役割を果たしているということでしょう。
 私達が自らの意識的な部分を自らの身体のみならず、広く拡大して対象物を包み込むような状況に持って行ければ、その対象を文字通り全身全霊で理解することが出来るのではと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落068

068 Inasmuch as each of the four senses possesses this element of feeling, which is an intelligent force having the ability to react in a conscious state to expressions of itself, or in other words, the element that registers each contact of existing vibration, we must admit that telepathy is certainly not outside the normal operation of the recognized sense organs. For it is through the feeling channel, regardless of the avenue of reception, that thought becomes known.
068 この四つの感覚が意識的状態の中でそれ自身を表現する為に反応する能力、言い換えれば存在する振動との接触を毎回記録する要素を所持している以上、私達はテレパシーは確かにこれまで認識されている感覚器官の通常の作用を超えるものではないことを認めねばなりません。何故なら、感受の経路に係わらず、想念が知られるのはフィーリングのチャンネルを通じてであるからです。


【解説】
 私達の基本的な感覚はフィーリングであり、触覚もそれに含まれるという訳です。言うなれば、私達は日頃から触覚的な手法で物事を認識する必要があります。
 私が良く用いる例に明かりがあります。電灯を消して真っ暗にした部屋とその直前とは部屋の状況は全く同じですが、私達にとって暗闇は不安な気持になります。しかし、それは視覚が騒いでいるだけで、明るさに係り無く部屋にある事物はそのままであり、私達の視覚だけがそれを捉えきれないだけなのです。
 一方、私達の身体は外界の明るさに関わり無く正確に動いていますし、暗闇の中にあっても所定の活動は影響されることはありません。独り視覚だけが暗闇を問題視し、騒いでいるだけなのです。
 フィーリングを主軸とする生活は私達に各々の対象についてその本質は何かについて啓示を与えてくれます。しかし、最初の内はこれらの印象は微弱で十分には捉えられません。また感受しても行動に移せず、後で後悔するケースも多いものです。フィーリングを中心とする生活はこれまでの自分から飛躍するチャンスなのですが、そこに至るまでには数多くの失敗を経ることが通常のようです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落067

067 Feeling and touch being practically synonymous, I will continue to use the word feeling to denote the so-called fifth sense.
067 フィーリングと触感は実際上、同義語であることから、私はその言葉(訳注:フィーリング)を、いわゆる第5感を象徴する為に用い続けることとします。


【解説】
 フィーリングを頼りに生きて行く姿は、昆虫はじめ多くの動物、或いは植物に見ることが出来ます。
 夜、真っ暗な環境でも多くの生きものが活動しますが、コオロギはその長い触角を絶えず動かしながら、身の回りにどのようなものがあるが、食べ物の有無、危険の存在を探っています。また同様な動きは水中のエビその他多くの動物に見られます。植物についてもその地中深く水を求めて根を伸ばす状況は、皆、これら触覚に基づく活動と言えるでしょう。
 私達も当面する問題の本質は何かについて、或いはどのような解決策が存在するかについて、同様な手法で感じ取ることが必要だと考えています。先ずはその問題をそのまま受け止め、その全体をフィーリングによって内容を探り、本質を理解することです。そうする中で、解決策を見出せるように思っております。
 人生のあらゆる側面において、自我を増長させることなく、謙虚にフィーリングを頼りに生きることが大切なポイントです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落066

066 We can only know motion through the law of comparison, which is actually the law of contact, or the relationship between one phase of expression and another. When we touch an object with our fingers, we receive an impression of that object because of the pressure created through the contact of a lesser with a greater vibration. Likewise, we receive visual impressions or auditory impressions through the contact of light or sound vibrations with the retina of the eye or the ear drum. We are made aware of atmospheric conditions and temperature changes through the contact of atmospheric cells with the cells of our body. All of this proves that touch is merely the nerve reaction to contact.
066 私達は比較の法則を通じてのみ運動を知覚することが出来ますが、それは実際にはある表現の位相と他の位相との接触の法則、あるいは関連性であるのです。私達が指を用いてある対象物と触れる時、より低次な振動がより高次な振動と触れることによってもたらされる圧力が原因となってその対象物の印象を感受します。同様に私達は光あるいは音の振動と目の網膜や耳の鼓膜との接触を通じて視覚の印象や聴覚の印象を受け取るのです。私達は大気の小房と私達の肉体の細胞との接触を通じて大気の状態や温度の変化を知るようになります。これらの事柄全てが触感は接触に対する単なる神経反応であることを物語っているのです。


【解説】
 既存の感覚器官を通じて外界を認知する時、その最初の段階は皆、接触の要素から成り立っていると本項は説いています。これは視覚における網膜細胞と光波動の接触、聴覚における鼓膜への音波の接触等がそれであり、気温や気圧の変化を含め、あらゆる状況はこれら触覚的要素によって最初に伝達される訳です。
 そういう意味では触覚はその者の感受性を象徴するものと言え、鈍感や無神経、傍若無人と評されることはその者の基本的な感覚の劣化・老化を意味するものです。
 この反対の例が昆虫達の生き方です。今の時期(春)、彼ら昆虫の生態を観察するとその鋭敏さが良く分かります。もちろん自然界には危険な敵も多い訳ですが、蝶は自分の足や吸管をすばやく動かし、その花に蜜が残っているかいないかを判断し、わずかでも残っている場合には、急いで吸い上げ、他の花に移動します。蜜を探す彼らの動きには鋭敏な足や触角が見事に活躍しているという訳です。
 それにひきかえ私達はまだまだ基本的感覚であるフィーリングを活かしておりません。一見しただけで何が隠されているのか、分からず、現実世界の中に埋もれている数多くの宝物を発見できずにいるように思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落065

065 It has been brought to my attention by many individuals that the fifth sense, as it is generally understood, is not the sense of feeling, but that of touch. This does not change the theory, as each of the four senses possesses this faculty of feeling, or element of conscious-contact, without which there would be no awareness. Touch is a bodily nerve reaction, while feeling is the cardinal Life Force. It is through the conscious-contact of this Life Force that sensation is produced.
065 多くの人々が、その第5感覚は一般に理解されているようにフィーリングの感覚ではなく、触覚のことではないかと私に知らせに来ています。しかしそれはこの理論を変えるものではありません。何故ならその4つの感覚もフィーリング、即ち意識的接触に関する要素の機能を有しており、それ無しには如何なる感知能力もないことになるからです。触感は肉体の神経反応である一方、フィーリングは基本的なる生命力なのです。感覚衝動が作り出されるのはこの生命力の意識的接触を通してなのです。



【解説】
 通常、私達が5感と言う時、5番目の感覚として触覚を挙げる訳ですが、本項ではそれに関して解説しています。即ち、私達が言う「触覚」とは神経の反応なのですが、その内容はフィーリング(感じ)と類似した機構にあること、及び触覚はフィーリングとは異なる次元のものであるということです。
 本講座で言う「フィーリング」とは自己の意識が宇宙生命力に触れることにより、起こる衝動であるという訳です。
 問題はフィーリングを鋭敏に保つことですが、同時にこれは私達の心の状態、即ち4つの感覚を鎮め、受入れる側の態勢を整える所から準備しなければならないという所にあります。また、何か新鮮な印象に私達の意識が触れたとしても、それを行動に移せるかどうかによって、成果は大きく異なります。印象を感知するだけでは大きな意味はなく、それを実行に移し表現することで初めて人間の役割が果たせることになるからです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落064

064 It is through this so-called fifth sense that telepathy works; so if we continue to cling to the idea of feeling as a bodily sense, the definition of telepathy is incorrect, and science has been sidetracked. The act of thought-transference, clairvoyance, premonition, or whatever term you choose to use for invisible perception, is a perfectly normal function of the feeling element expressing through the brain, with the cooperation of the mind.
064 テレパシーが働くのは、このいわゆる第5感を通じてです。ですから、私達がフィーリングの概念を一つの肉体内の感覚であるとする概念に固執し続けるなら、テレパシーの定義は間違ったものになり、科学は横道にそらされていることになります。想念の転移、透視、予感あるいは目に見えない知覚に対して貴方がどのような名前を選ぶにしても、それが心の協力の下、脳を通じて表現されるフィーリングの要素による全くの通常の機能なのです。



【解説】
 フィーリングが持つ基本的役割を私達は理解し自らその実状を把握しなければなりません。更に言えばフィーリングの前では視覚や聴覚等、取るに足らない存在になるかも知れません。それ故にフィーリングを掴めれば、他の生命体はもとより、遠隔地の事象や将来起こりつつある現象についてさえも理解することが出来るようになることでしょう。
 おそらくはこれらの能力は他惑星人のみならず、古今東西の優れた指導者は皆各々身に付けていたものと思われます。四国お遍路の各地には弘法大師が掘り当てた井戸等、当時の民衆に役立った業績が伝えられていますが、それらは皆、大師が持つこれらフィーリングの能力が発揮された実例と思われます。
 実はこれらテレパシー能力をどのように生かすのかが、より重要なテーマとなっています。私達がテレパシー能力をどのように活用したいのかが大切なところです。単に自らの生活の質を高める為に努力するのか、他の者よりも能力を高めたいということでは、問題が多いのです。テレパシー能力を開発したことが却ってその人及びその周辺の人々に悪影響を与えてしまっては意味がありません。現実の厳しく荒んだ(すさんだ)地球社会の中でも劣悪な想念に左右されず宇宙本来の高貴なる想念・印象に同調し、それらを地上に広める役割を持つ覚悟が必要な訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落063

063 Let us now deprive man of one of his four senses, such as sight. Does this affect the life force in the body? Not at all! We can go further and deprive him of two, three, or even all four; yet he will still be a conscious, living being. Though the actual organs of sense are not functioning, he is conscious of knowing joy or sorrow, peace or pain, and he is able to receive mental impressions and visualize them perfectly.
063 では人からその4つの感覚の内の一つ、例えば視覚を取り去って見ましょう。これは肉体内にある生命力に影響を与えるでしょうか? 全く有りません。次に進んでその者から二つ、三つそして四つ全部を取り去ることも出来ますが、それでもその者は意識ある生きた存在であり続けることでしょう。実際の諸感覚器官は機能していないにも拘わらず、その者は喜びや平安、或いは苦痛を知る意識を有していますし、心的印象を感受し、それらを完全に映像化することが出来ます。


【解説】
 たとえ視覚や聴覚が無くなっても、人間は人間らしく生きる上で障害にはならないことは、ヘレン・ケラー女史が身をもって証明しています。目は見えず、耳が聞こえなくても著作をしたり、世界各地で講演する等、多くの障害者を励ます存在であり、本項で説く内容を私達に示して呉れた存在です。既存の4つの感覚器官は実は生命の本質的な活動とは離れた存在であるという所が、テレパシーを学ぶ私達にとって重要なところです。
 従って私達は以後、これら4感(視、聴、嗅、味)に代わって、感じ(フィーリング)に重きを置いた生活を始める必要があります。外見よりもそこから発せられる印象を第一とする訳です。しかし、そうだからと言って、これら4感が全く不要だとする訳ではありません。創造物の美しさを愛で鑑賞する経路として用いることです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落062

062 But what of the so-called fifth sense? If we deprive man of feeling, as we have done with sight, hearing, taste and smell, what is the immediate result? He lapses into unconsciousness, and will remain in that state until feeling is restored. While he is in this state, the organs of sense are still in the body and in perfect condition. The eyes, nose, palate and ears are uninjured, yet they do not see, smell, taste, or hear. And if feeling is complete]y withdrawn from the body, that person dies. Therefore, it is quite apparent that each of the four senses is dependent upon feeling for its existence.
062 しかし、いわゆる第5番目の感覚とは何でしょう? もし、人間から私達が視覚や聴覚、味覚や嗅覚について行ったように、フィーリングを取り除いたら、どのようなことが直ちに結果となって現れるでしょうか? その人は無意識の状態に陥り、フィーリングが回復されない限りはその状態に留まるだろうということです。その人はこの状態にある間、それら感覚器官は肉体内にあり、完全な状態にあります。両目は鼻、舌や両耳は損傷を受けていませんが、それらは見たり、匂いを嗅いだり、味わったり、聞いたりしないのです。そしてフィーリングが肉体から完全に取り去られるなら、その人物は死にます。ですから、この4つの感覚各々はその存続をフィーリングに依存していることは、まったく明らかなのです。


【解説】
 私達が何らかの重大な病状で危篤状態になった時、目や鼻、耳はもはやその機能を果たしません。通常、私達はこれを意識が有る無しという表現で表します。また深い眠りについた時も同様です。この状況は本文で言うフィーリング(感じ)が肉体から去りつつあることを示しており、私達が生きていること、意識があることが実はこのフィーリング(感じ)が十分働いていることと密接に繋がっているという訳です。また、私達がこの状況に関連し通常用いる「意識の有無」という表現も、著者が長年表現する「宇宙意識」と近しいものと考えます。
 「感じ(フィーリング)」という状態こそが、全ての身体器官を下支えしており、私達はその上に生きているという訳です。実はそれほど重要な要素であるにも拘らず、私達の生活はもっぱら目や耳その他に由来する表層的な認識でしかない限られた感覚に依存して来ました。また、その感覚自体、自ら関連する細胞が増長してこの両親とも言える感じ(フィーリング)に関心を持つことは無かった訳です。
 このテレパシーを学ぶ上での重要な点は、自らの日常の一挙手一投足を従来の感覚ではなく、「感じ(フィーリング)」に基づいて進めることだと考えています。こうする内に、自然界の諸々の創造物とも意思を交わせることが出来、また自分自身にもインスピレーションに満ちた生活を送ることが出来るように思われるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第3章-段落061

CHAPTER Ⅲ
Feeling - The Cardinal Sense
061 According to popular belief we possess five senses sight, hearing, taste, smell and feeling; each of which, we know, has the ability to act independently of the others. We can see objects without using the senses of hearing, taste or smell. We do not need hearing, sight or smell to decern sweet from sour. Our olfactory organs work admirably without the help of ears, eyes, or palate; and sounds can be received through the auditory canal exclusive of the other three senses. This all goes to prove that the four senses work independently of each other.
第3章
フィーリング - 基本的な感覚
061 一般に信じられていることに従えば、私達は5つの感覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚そしてフィーリングを持っていますが、それら感覚の一つ一つは私達が知っているように他の感覚とは独立して働く能力を有しています。私達は聴覚や味覚、嗅覚を用いずに対象物を見ることができます。すっぱいものの中から甘いものを識別するのに聴覚や視覚あるいは嗅覚を必要とはしません。私達の嗅覚器官は耳や目、舌の手助け無しに見事に作用しますし、音響は他の3つの感覚を排除したまま聴覚の内耳導管を通じて感受されることが出来ます。これら全ては4つの感覚は互いに独立して働いていることを示しています。


【解説】
 先ずは本章の題であるフィーリングの重要性について述べるべきかと思います。
 つまり、私達はこれまで視覚や聴覚こそ自分をガイドするものとして来た訳ですが、既に学んで来たように実はそれは全くの誤りで、感じ(フィーリング)こそ生命活動に直結する存在である訳です。
 しかし、感じは対象物が物質でないだけに把握するのは容易ではありません。それでも人間を除く他の生きもの達は実はこの感じに従って自らの行動を起こしているのです。季節の変わり目に一斉に飛び立つ渡り鳥達の間にも、地中深く生活する虫達に春の訪れを伝えるのも、この感じ(フィーリング)によるものと思われます。
 このテレパシー問題に取り組む際、私達は単に予知能力や遠隔透視能力を身に付けたいと考えて来ましたが、実はこのテレパシー能力は宇宙本源の生命力と常日頃、印象を通じて交流出来るという大きな進化に繋がることの方がより重要であるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落060

060 I realize this is throwing a bombshell in the face of age-old theory, yet the idea that physical man is a four-sense being can be logically demonstrated
060 私にはこれが大昔からの理論目掛けて爆弾を投げ付けるものであることは分っていますが、肉体としての人間は4つの感覚による存在であるとする見解は論理的に証明され得るのです。



【解説】
 そもそも本講座の冒頭部分で著者はこのテレパシー問題が有史以来のテーマであり、近代になって「テレパシー」と名付けられるようになってからも、その取扱いは誤ったものとなって来たことを述べています。
 人間は従来、5感の存在であるとし、テレパシーは第6の感覚だとされて来た訳です。しかし、本書は人間の心は4感の存在であるとしており、フィーリング(感じ)こそ、宇宙生命力に繋がる基本的な要素であるとしています。
 そういう意味では、既存の4感はもっぱら結果、現象の世界、物質の世界に対する感覚であるのに対し、感じ(フィーリング)は物質にその活動を指令する宇宙的知性であるという大きな違いがあります。
 私達はこれまで自分の4感にしか重きを置いて来ませんでしたが、自己の身体の生命活動も含め、あらゆる活動の原動力はこの感じ(フィーリング)によって与えられる訳で、この感じ(フィーリング)こそ、実際には力を有していることが分かります。
 それ故に私達は自分の受ける印象や感じ(フィーリング)を注意深く取り扱うことが大切で、努めて良質なる想念を抱くようにしなければなりません。これら私達が心に抱く想念・印象が現実世界を突き動かす原動力となる訳で、私達はこの点を畏れるごとく自覚・自戒することが必要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落059

059 In other words, feeling is the creative force within all forms. So the definition of telepathy as being a sixth sense was entirely wrong. Man is not a five-sense being . . . but a four! The fifth sense, or feeling element, through which telepathy actually works, is not a sense; but an intelligent force giving all manifestation conscious alertness.
059 言い換えれば、フィーリングとは全ての形有るものの内側にある創造的な力なのです。ですから、第6感であるとするテレパシーの定義は完全に誤っていたのです。人は5感の存在ではありません。そうではなく、4感の存在です。第5の感覚、即ちテレパシーがそれを通じて実際に作用するフィーリングの要素は感覚の一つではなく、全ての創造物に意識的警戒状態をもたらす英知の力の一つなのです。

【解説】
 本文冒頭にある「フィーリングは創造的な力」こそ、重要なポイントです。
 これまで私達は自分の感情、とりわけ「感じ」というものについて、あまりにも軽視して来たように思われます。目や耳その他で感じる最初の感情、即ち「感じ」というものの中に多くの場合、差別や裁きが多く含まれていますし、それらをそのまま放置することは良くないことなのです。それらの良くない性質が良くない結果を引き起こす力を持っているからです。
 私達は自身の持つ感じ(フィーリング)をこれまで以上に重視して、そのような印象の出入りを監視する必要があります。これら私達の抱く感じは私達自身の身体や周囲の環境に大きな影響を与える力を有しており、それが本項で言う「フィーリングは創造的な力」を有するということでもあるからです。私達の心を通過するこれら想念を良質なものに整えることによって、それら本来の創造的な力が発揮され、人生に活かされることになるからです。
 また、後半に説かれていることも大切な側面です。そもそも私達の心を構成する感覚は視覚、聴覚、味覚、嗅覚の4つであること、5番目となるフィーリングは感覚ではなく、万物を意識的にする知的な力であるということです。仏教用語に「浄心」という表現があるそうですが、その状況は心を通過する感じ(フィーリング)が私達の想定を超える大きな創造的力を有している故に、ポイントとされているものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落058

058 Pursuing this train of thought, I made a vital discovery. If one asks an expectant mother whether she can foretell when the little form within her is about to turn, she will answer, "No " She cannot direct the movement of the baby, and the knowledge it has turned comes to her as an alertness, or feeling, after the action has taken place. Therefore, it is the intelligent force which transmits the information to the mother through her sense we call feeling.
058 この一連の思考を追って行く中で私はきわめて重要な発見をしました。もし人が妊婦に彼女の体内の小さな胎児が何時向きを変えるか予告することが出来るかを聞いても、妊婦は「いいえ」と答えるだろうと言うことです。彼女は赤ちゃんの動きを指図することは出来ませんし、胎児が向きを変えたとする知見は一つの警戒、或いは感じとして、その行動が起ってから彼女にやって来るのです。従って母親に私達がフィーリングと呼ぶ彼女の感覚を通じて情報を伝えるのはその英知ある力と言うことになります。

【解説】
 ここでは著者は極めて重要な発見をしたと述べている訳ですが、私達は何故本項の内容が重要なのかについて深く考えて見る必要があります。
 即ち、妊娠中の母親が自身の体内の胎児について、そのようにしてその動きを知ることになるかについてです。この場合、本文にあるように母親の心(感覚)には何ら知覚能力は無いということになります。目や耳その他の既存の感覚では把握出来ない訳です。しかし、フィーリング(感じ)を通じて、胎児の動きが伝達され、母親はその動きを知るということです。
 即ち、私達は自身の体内で起こっていることを知る為には、このルートを用いる必要があることになります。印象を通じて私達のフィーリング(感じ)に伝えられている情報がそれであり、身体内に起こっているその他諸々の活動も同様なルートで私達に伝えられるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落057

057 My earthly parents had merely served as a channel for the birth of my physical form. But this Force in Cosmic Intelligence had formulated the plan and directed the building of my body. So it is with all expectant parents. The mother's body furnishes the necessary materials for this Master Builder, yet at no time does she control the miracle of creation taking place within her.
057 私の地上の両親は単に私の肉体の誕生の為の経路を務めたに過ぎませんでした。この宇宙的英知の中の力がそのプランを組み立て、私の肉体を作り上げることを指揮したのです。それはこれから両親となる全ての者についても同様です。母親の肉体はこの棟梁の為に必要な材料を供給しますが、彼女が自身の中で起っている創造の奇跡を統制することは決してありません。

【解説】
 自分自身の身体がどのようにして生まれたか、私達は自覚の無いままに与えられた身体とともに生きている訳ですが、誕生の始原を遡れば卵子の受精の瞬間に行き着く訳で、それ以降、誕生までの間、人体は驚くべきスピードで変容を遂げています。
 結局、私達の両親はこれら生命の活動の通り道の役割を果たしている一方で、その本質的活動を把握している訳ではなく、単に場所を提供しているということです。これについては既にイエスの言葉にも同様な趣旨が述べられていたように記憶しています。
 重要な点は私達各自の肉体を造り上げた知識と行動は、私達の両親とは別の存在の指導の下に遂行され、人体が創造されるということです。この人体の中にどのような仕組みがあるのかは、これからの生命科学が次第に解明して呉れると思いますが、その英知の指導に気付くこと自体は、私達も少し努力すれば、何の道具や装置を要することなく、出来るものと考えます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落056

056 The task confronting me now was the shedding of this false conception, and a recognition of the existence of the underlying Cosmic Cause. So I sought a better understanding of my mind and my body; how they operate and their purpose for being. This line of investigation led me to the realization that it was Cosmic Intelligence coupled with a force, that was the creator of my being.
056 今や私に立ち向かう任務は内在する宇宙的因の存在に対する誤った観念と認識を取り去ることでした。そこで私は自分の心と身体についてのより良い理解、即ち、どのようにしてそれらが働くかやそれらの存在目的について探し求めました。この探究の筋道は私を私の存在の創造主は力を伴った宇宙的英知であるとの実感に導いたのです。

【解説】
 結局の所は自分自身の心と肉体について自ら探求し、それらが何処からの支援を受け、どのように活動しているか、自らの心はそれに対してどのように反応しているかを調べることだと本項は説いています。
 この問題に対する自覚が無ければ自ら納得するような理解は得られません。他人が述べることは大いに参考になるのですが、自分で自らの心を開発しない限り、うわべだけの浅い知識に留まることになります。
 そして重要なことは、本文に述べられているように自らの生命は宇宙的知性と呼ばれるような存在によって生かされていることに気付けるようになることです。その英知は単に知性というだけでなく、壮大なる力をも兼ね備えており、具体的な肉体細胞や分子群の行動に力を与えているということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落055

055 I knew that scientifically the human body was a marvel of construction beyond the duplication of man. Just one small function of the body, which scientists do not fully understand, is the working of the "chemical laboratories" within us which daily extract and distribute the essence of the foods we eat. This alone is proof that the natural actions of the body obey the laws of Cosmic Intelligence. It must then follow that the reasoning mind has become so immersed in the material world of effect, it has temporarily lost sight of its origin. Man did indeed "hide his light under a bushel."
055 私は科学的に人体は人間というものの複製以上の驚異の建造物だということを知っています。人体のわずか些細な機能であり、科学者達が完全には理解していないこととして、私達の中にあって私達が食べる食物のエッセンスを毎日抽出し、分配している「化学実験室」があります。この一つをとっても人体の自然な行動は宇宙英知の法則に従っている証拠になります。そのことはまた、論じがちな心が結果の物質的な世界に余りにも夢中になっている為、心は一時的にその元の由来についての視野を失っていることに繋がっているに違いありません。人はまさしく「ともした明かりを升の下に置いてしまった」のです。

【解説】
 自分自身を知るというテーマに関しては、各自の肉体各部、各側面について探求する中で、自ずと答えが見えて来るように思われます。
 人間が人間として存在するには、丁度精密な絵画や彫像で外観上の人体を複製することは出来るでしょうが、それだけでは人間の機能を表すものとはなっていません。本項に記されているように人体深く存在する内臓組織の有機的な代謝活動がなければ人体を存続させることは出来ないのです。
 この重要な化学反応があって初めて人体が機能し維持される訳です。この働きについて私達は自分のこととして今まで以上に真摯に受け止め、自らのこれら体内の諸活動をつぶさに観察し、その働きの源泉が何処にあるのかを知ろうとしなければならない筈です。
 私達は日々、自らの身体と一緒に行動しています。24時間切っても切り離せない程、親しい間柄なのですが、その中身については実は私達の心はあまり関知して来なかったと言えます。それらの働きをじっくり観察する中で、自らの細胞達が実はテレパシーに基づいて行動していることが分かるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落054

054 My analysis continued. Since my human form had been brought into being by this Cosmic Intelligence, I, along with other forms of nature, must have inherited its laws and benefits, as well as its intelligence. Then why did I not have ready access to these birthrights?
054 私の分析は続きました。私の人間としての身体は宇宙英知によってもたらされたものであるからには、私も他の自然界の形有るもの達と同様、その知性と共にその諸法則や恩恵を受け継いでいる筈です。それでは何故、私はこれらの生来の権利を直ぐに入手出来なかったのでしょうか?

【解説】
 人間と人間を除いた他の生物との大きな違いの一つに、彼らには「迷いがない」ことを挙げることが出来ると思っています。人間の場合にはあれこれ思案して、結局は不完全な行動となり、良い結果を得ないものですが、彼らにはそれが無いように思うのです。
 彼ら野生の生き物は私達人間と比べて生死の境が日常的に存在する等、厳しい生き残りの世界に生きている訳ですが、それにも拘らず人間よりもゆったり落ち着いた生活を送っているように思います。
 本文にあるように人間には本来、恵まれた能力が備わっている筈ですが、何故か毎日目先の事柄に翻弄され続け、遂には最後の時を迎えてしまう例が多いのではないでしょうか。
 このような状態は大変惜しむべきことで、生来与えられたこれら才能という財産を活用し豊かな人生を送ることが本来、一人一人の責任でもある筈です。その為にも自分自身の身体や心境がどれほど宇宙源泉の流れに沿っているか、絶えずチェックし、是正を行って行く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落053

053 This revelation made it apparent that all was contained within man, and the answer lay in his becoming better acquainted with himself. I recalled the well-known adage, "Man know thyself, and all things shall be revealed unto you." Until then I, too, had parroted this profound truth, unaware of the immensity of its depths. But now I realized that Nature held the key to the Cosmic universal language; silent, yet everywhere present; and it was here in the manifested world that I could find the understanding for which I searched
053 この啓示は全てが人間の内側に含まれていること、そして答えは自分自身を熟知するようになることにあることを明らかにしました。私は良く知られている格言、「汝自身を知れば全ては明らかにされるだろう」を思い出しました。その時までは私もまた、この深みのある真理をオウム返しに繰り返すだけで、その深遠さに気付かなかったのです。しかし、今や私は自然が大宇宙普遍の言語の鍵を持っていることが分かりました。無言でかつ何処にでも存在します。そして、私が探し求めて来た理解を見出せたのはこの創造された世界の中のこの場所であったのです。

【解説】
 全ては私達自身の中にあるという訳です。私達は長年、答えを求めて様々な書物を読み、他人に教えを請うて来ました。しかし、それらの真の答えは自分自身の中に備わっていたのです。
 即ち、私達は自分に向き合い、探求することで長年探し求めていたものを手にすることが出来るということになります。古今東西、あらゆる宗教・哲学が道を説いて来ましたが、実はその内容は極めて似たものであることに驚かされます。まさに真理は一つである訳で、その者の個性が表現に出るだけの違いでしか無いように思われます。
 私達は自分自身を生きた教材として、日々の心境と自身の体調や周囲の環境条件との因果関係を学べますし、その結果は生きた実例として良い経験になります。こうした毎日の観察によって自分の課題克服のテーマを自覚することになります。
 人体には60兆もの細胞があり、人体存続の為に活躍していることは、自分自身が良く分かる筈です。そうした中で自分がどのように宇宙と繋がっているのか、探求は直ぐにも始められることになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」 第1部第2章-段落052

052 I continued to study things close at hand; at the same time letting my thoughts encompass the solar system of which we are only a small part. From there, it was but another step into the infinite vastness of Cosmic Whole. Throughout all creation I found a constant blending, with never a dividing break. Therefore, I could not stand apart, but was one with creation.
052 私は身近な物事の研究を続けましたが、それと同時に私の想念を私達がその一部でしかない太陽系を取り巻くようにしました。そこからは、宇宙全体の無限の広大さに入るもう一つの段階となったのです。全ての創造作用を通じて私は一時の切れ目も無く絶え間なく続く融合を見い出しました。ですから、私は創造作用から離れて存立することは出来ず、創造作用と一つになったのです。

【解説】
 如何にしたら創造活動と一体感が持てるのか、またその一体感こそが印象の感受にとって欠くことが出来ない条件であることを本項は示唆しています。
 身の回りの諸物と空の星々や太陽、月その他とは繋がっているという感覚が重要になります。実際、自然界の動植物がどのような感性にあるのかは、私には未だ分かっていませんが、私達同様の感性があるとすれば、それらは直接、宇宙源泉を慕っており、その印象には100%信頼し、受け入れ、行動しているものと思われます。
 今の季節(3月)、各地で梅の花が咲いていますが、まだ寒い時季にも拘らず花がほころぶように次々に咲く中、澄み切った大気にほのかに香りを漂わせる為には、やがて来る本格的な春に対する確信がなければなりません。梅の木は現状の寒さだけでなく、季節の移り行く時間を感じながら、春をいち早く知る者だと考えます。
 宇宙との一体感の中にもテレパシー能力開発のヒントがあるということです。
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