2013年10月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落428

428 That is why the Holy Writ says have no false gods before Me. For every form whether it be man or anything else has gone through many experiences and many changes. If we accept life eternal there is just as much eternity in the past as we look forth to in the future. That is why Jesus said, If I was of this world I would fight for it but I am not of this world. If he came to this world is it not logical that we all have come from someplace else? For He made it plain that in the Father's House are many Mansions. But the human mind as an effect cannot know this unless it submits itself to consciousness which is the keeper of the records. And when it does the revelations come.
428 それが聖典が、わたくしをおいて偽りの神があってはならない(訳注:365参照)、と言う理由です。何故なら、あらゆる形有るものはそれが人であれ、何であれ、多くの体験を経ており、多くの変化を遂げて来ているからです。もし、私達が生命を永遠なるものであることを受け入れるなら、私達が未来の中へ前方を見るのと同様に過去にも多くの永遠があることになります。それがイエスが、もし私がこの世界の者であれがその為に戦うでしょうが、私はこの世界の者ではないのです、と言った理由です。もし、イエスがこの世界に来たとするなら、私達全員もどこからか来たこととするのは論理的ではないでしょうか。イエスはこれを父の家には多くの館があると平易に説明しました。しかし、結果である人間の心はそれら記憶の保持者である意識に自身を委ねない限り、これを知ることは出来ません。そしてそれが行われる時、啓示がやって来るのです。


【解説】
 自らの拠り所、信頼を寄せる唯一の対象は意識でなければならず、その他のものは偽物であるということです。
 私達自身も過去生も含めて様々な体験を積んでおり、変化し続けている訳で、それらの経験を活かすことが出来れば、今後の進歩にもつなげられる筈です。しかし、私達の感覚心はそのような記憶力がなく、それらの記憶は意識に頼る他ありません。
 また、各自の人生の遡りは、地球以外にも及ぶ訳で、その地で自分が見た光景だけでも思い起こせれば随分と視野も広がるものと思われます。
 いずれにしても、記憶は各自の意識の中に所蔵されており、意識に自らを委ねてその扉を開ける時、各自に啓示が来るのだと説かれています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落427

427 This is the only true entrancement that there is - a Cosmic principle where the mind and consciousness work together. All other phases of so-called entrancement are either illusions, wishful thinking or self hypnotism, especially when your mind is impressed with guides or highly developed souls. Beware when you get a feeling of a so-called guide for there is only one that you can trust and that is consciousness - the other half of yourself.
427 これが唯一存在する真の忘我であり、それは心と意識が共に働く宇宙原理なのです。その他の忘我と呼ばれる側面は、幻覚であったり、願望の想念や自己催眠であるかのいずれかに過ぎません。特に貴方の心が指導霊や高度に発達した霊と出会ったような印象を受けた時はそうです。貴方がいわゆる指導霊のような感じを持った時は気を付けなさい。何故なら貴方が信じられるものは一つしかなく、それは意識、即ち貴方の半身であるからです。


【解説】
 結局、重要な点は自分の心と自らの意識が一体となって働くことであり、何か他の存在と一体化するような類のものは偽物であるし、避けなければならないと本項は説いています。
 言い換えれば「自分でない」他の存在と受け止められるような、いわゆる守護霊のような他の存在については、それらは単なる願望か幻覚であり、あくまで「自身の」中の存在が本物であるということです。
 いずれにしても私達は各自、この自分の半身とも言える頼れる存在とともに各々の人生を旅することになります。「同行二人」の真の意味は、この辺りにも表されているように思われます。

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竹島 正

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落426

426 This is no different than if you were to go back to the day of your birth, entrancing your mind or interesting it with your growth to the present day. Your consciousness would bring to mind the various stages of your development and experiences through which you have gone. And with this would come the many changes of facial expressions. And this is what happened to Jesus at that time for he was having the experience of realization while the disciples were just observing.
426 これは貴方が自分の今日までの成長に対して自分の心を忘我にするか、関心を持たせることによって自分の誕生の日に戻る場合と違いはありません。貴方の意識は様々な貴方の発達段階や貴方が乗り越えた体験類を心にもたらすでしょう。そしてこれと共に多くの表情の変化が生じるのです。そしてこのことがその時、イエスに起りました。彼は弟子達がただ見守る間、その具現化体験をしていたのです。


【解説】
 前項と同様のことは各自でも出来ると、本項では説かれています。私達がこれまで辿った体験や進歩の道程を自らの心を深く意識と一体化させ、その歩みに同調させる時、意識は過去の体験を蘇らせ、その過程で実際の顔つきも変わると教えています。
 おそらくはこの種の回顧は、死を迎える際に誰もが行うべき内容かも知れません。私達は一度は自らの歩みを、川の流れのように辿る必要があるのかと思っています。
 自分の体験を生かすことについても、心は意識の力を借りる必要があることも注意すべきところでしょう。過去の記憶そのものが意識に蓄えられる一方、私達の心はせつなに生きており、過去を思い出すにも意識に頼る必要があるという訳です。
 また更に大事なことは、少しでも進歩の足跡が見られれば、その方向の歩みを続ければ良いということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落425

425 In other words the Cosmic Mother and the Cosmic Father never wean their creation. When the mind does not understand this process it has a tendency to label the effects as the mystics have done. Let me give you an example of how the mind labels things it does not understand. For this we can use the experience of Jesus on the Mount of Transfiguration. His mind at that time was entranced by consciousness for he had given his mental will over to the will of consciousness as he became a listener and observer. And when he did this his face changed to represent the many individual forms through which his mind and consciousness had expressed before and he was fully aware of what was going on. And the disciples that were watching him observed the many changes of facial expressions and told him that to them he had appeared as Moses, etc. His answer to them was, "My life is the life of the many." In other words he had lived all of those stages of life and the consciousness reviewed the stages on the screen of his mind, thus bringing his mental life up to the present stage while the others observed.
425 別の言葉で言えば、宇宙の母と宇宙の父は自分達の創造物を決して乳離れさせることは無いということです。この過程を心が理解しない時、心は神秘主義者達がこれまでして来たようにその結果に偏見のラベルを貼ろうとする傾向になります。ここで心が自分が理解しない事柄に対して如何にラベルを貼ろうとするかの例をお示ししましょう。この目的の為、変容の丘におけるイエスの体験を例に用いることが出来ます。この時、イエスの心は意識によって忘我の状態にありました。イエス自らの心の意志を意識の意志の上に捧げた為、聴く者、観察する者となった為です。そしてイエスがこのことを行う時、その顔はイエスの心と意識が以前表現した多くの個人の顔かたちを再現しはじめたのですが、イエスは何が起っているのかを完璧に気付いていました。そしてイエスを見守っていた弟子達はイエスの表情が多くの変化を起こすのを観察し、イエスにイエスがモーゼやその他のように見えたと話しました。彼らに対するイエスの答えは「私の生涯は多くの生命からなっている」でした。別の言葉で言えば、彼はこれら全ての生涯の各段階を生きて来ており、意識がイエスの心のスクリーンにこれらの段階を回想させ、今日に至るまでのイエスの心の生涯を引き寄せ、それを他の者が見たということです。


【解説】
 著者アダムスキー氏は一説にイエスの弟子ヨハネであったとされていますが、その説にも符号するように、著者は聖書の内容について他に無い側面から詳しく解説しています。本項もその好例です。
 有名なイエスの変容の山の一節ですが、その意味するところは実際、イエスが弟子達の目の前で自らの過去生を意識の力を借りて表現したものであり、改めてこの惑星にとってイエスの存在の偉大さを思うとともに、意識の力が見る見る内に顔の細胞の変化を起こすほどの大きさがあることに驚かされる次第です。
 この力を取り入れることが出来れば、あらゆることが可能であり、病気治癒などというものは、本来の(健康)状態に戻すことであり、極めて簡単なことであることが分かります。
 このように意識の力を用いること、その力の経路になるほど、私達は意識に頼ることとなり、各自の誕生の目的を達成する方向に近づく一方、本項冒頭にありますように、益々意識に依存することになるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落424

424 Remember your mind cannot absorb all inclusive consciousness in a moment so it must come in parts or different phases in the beginning until the mind is firmly developed in relationship to consciousness. i.e. A one inch hose will carry one inch of water but when the water comes out through the nozzle it separates into hundreds of drops of various sizes and shapes and each could be labeled as different according to our specifications. But each drop that falls upon vegetation gives moisture and life giving substance to that which it touches. Yet the essence of the drop of water unites with all the other drops of water as a whole, no different than it was in the hose. And the flow of Cosmic Consciousness is like the water in the hose. And it constantly separates itself for the service to be rendered to the lesser manifestations without which they could not live.
424 貴方の心は一度に全てを内在する意識を吸収することは出来ない為に、意識は心が意識との関係において確実に成長するまでは、最初は部分的或いは異なる種々の側面としてやって来るということを覚えておいて下さい。それは即ち、1インチのホースは1インチの水を運びますが、ノズルを通して水が撒かれる時は水は様々な大きさや形の何百もの水滴に分裂します。その一つ一つは私達の分類によれば各々異なるラベルを貼られるのです。しかし、植物に降り注ぐ一つ一つの水滴はそれに触れるものに潤いと命を与える物質を授けます。しかし、水滴の本質は他の水滴と共に全体として統一されており、ホースの中にあった時と何ら違いはありません。そして宇宙意識の流れもホースの中の水のようなものです。それはそれ無しには生きて行けない、より下等な生命の現れに自らを委ねるという奉仕の為に自らを絶えず分ち与えているのです。


【解説】
 誰でも庭の草花や植木にホースで水撒きしたことはあることでしょう。その際のホースの水と一つ一つの水滴、更にはその水玉を受け取る草木の関係は、丁度、意識から来る印象とそれを受け取る私達との関係と同じだと本項は説いています。
 ホースの先から無数に広がる水滴は、一つ一つ異なる存在のように見えますが、おおもとは同じホースを流れる水です。水滴は一つ一つ異なる輝きを見せるかも知れませんが、その成分は皆共通であり、草木を潤す大切な存在です。
 実は意識は、これほど豊かに私達に降り注ぎ、多様性を持った内容が来ると著者は私達に示唆している訳で、私達はふんだんに贈られる恵みの一つ一つを味わい、感謝することを忘れてはなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落423

423 What is meant by entrancement? The accepted idea of this is a misrepresentation of reality in the belief that a master is guiding one as spoken of before. Should such an impression or vision come to you during your development do not be alarmed for your conscious self will have this feeling when viewing other parts of consciousness.
423 忘我とは何を意味するのでしょうか。これについて一般に容認された概念は、以前にも述べたように、師がその者を導くと信じるという現実を誤った表現なのです。貴方の進歩の過程でこのような印象あるいは光景がやって来ることがあったら、怖れないで下さい。何故なら貴方の意識上の自己は意識の他の部分を見るとこのように感じるものだからです。


【解説】
 よく「夢中になる」という表現がありますが、そこには感覚心から発する余計な意見はなく、感覚心はひたすら印象を待機するか、印象を実行するのに余念がない状況かと思われます。本項でいう忘我とは更に進んだ状況を指すものと思われ、少なからず各自の進化の過程で現れる現象だとしています。
 しかしその際に、これらの現象は自らの意識に関して別の側面を見ている訳であり、怖れる必要はないと説いています。私自身は未だそのような体験を持ちませんが、いわゆる教祖と言われる人達は各々こうした体験を自分流の表現で表し、神秘体験としてしまったものと思われます。
 これに対して私達は、そのような場合でも意識に対する自らの知覚力を高める方向で冷静に対処する必要があるという訳です。いずれにせよ、意識について学べば学ぶほど、私達の精神面での活動の範囲は飛躍的に拡大するということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落422

422 I am only giving my experiences to show that man's innate ability is of his own consciousness and has nothing to do with mysticism. But rather it is an understanding of the law or the other half of oneself - the conscious part. 99% of humanity is living the mental side of life unaware of their conscious ability or conscious consciousness. Consciously you are free to go any place in the Cosmos but mentally you are anchored to one place. As I was anchored to the classroom but consciously I went to where I was needed. And the law is just as real on the conscious side as it is on the mental side. Consciousness is the permanent side while the mental is the changing side of life. Always changing because the mind is learning while consciousness is all knowledge.
422 私は人の生来の能力は自身の意識によるものであり、神秘主義とは一切関係が無いことを示す為に自分の体験を述べているだけです。むしろそれは法則の理解、自身の半身即ち意識の部分の理解と言えます。何故なら99%の人類は自分達の意識上の能力即ち意識的意識について気付かぬまま心の側で生きているからです。意識の上では貴方は宇宙の何処にでも行ける自由がありますが、心の上では貴方は一箇所に錨で繋ぎ止められています。私がその教室に繋ぎ止められていた時でも、意識の上では私は私を必要とする場所に行ったのです。そして法則は心の側でも意識の側でも現実に働きます。意識は永遠の側にありますが、心は人生の変化する側にあるのです。意識は全ての知識である一方、心は学ぶ過程にある為、常に変化しているのです。


【解説】
 私達は生来の能力として、これまで私達が想像する以上に自由に生きられるということかと思われます。肉体や心は変遷し、進化を遂げるべきものですが、その根底には生来全ての知識を有する意識があり、私達はその意識なるものに気付くことによって、肉体や心に束縛されることなく、自在に活動することが出来ると本項は説いています。
 重要な点は、この意識を私達は生来の能力として備えているということであり、私達はその能力に気付く努力をする必要があるということです。
 とかくこのような私達にとって未知の分野については、何か新しい神秘体験を期待しがちですが、本項ではそのような神秘主義を徹底的に排除せよとしています。自らの内側に備わっている意識を学ぶこと、それを応用する等、着実な歩みを求めている訳です。
 この歩みの過程で、私達は各々の進化を遂げ、肉体や心もそれを反映したものに変わって行くものと思われます。昨日の自分から一歩違う自分になれるよう、一日を送りたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落421

421 But when my interest was taken up with flying saucers these experiences ceased. For as Jesus said, you cannot serve two masters without neglecting one of them. But now as I start to teach again I am returning to my original service.
421 しかし、私の関心が空飛ぶ円盤に奪われた時、これらの体験は無くなりました。何故なら、イエスが言ったように貴方は片方を無視しないで二人の主人に仕えることは出来ないからです。しかし、今や私は教えを再び始めましたので、私は元の奉仕に戻りつつあります。


【解説】
 私達が日頃、何に関心を持っているかが重要な訳です。本項で著者は1950年代以降、空飛ぶ円盤の探求の道を歩むことになりましたが、それ以降は、以前教えていた哲学の分野から一端離れた為、このような体験は持たなくなったと述懐しています。
 そして他惑星文明との交流の末、再び哲学の道に戻って来たと正直に述べられています。誠実に生きる上から、時々に自分が信じた方向に進むことは良いことだと考えます。著者の場合も宇宙文明の実際や宇宙空間の実像を学ぶことで、新しい視野が啓け、この「生命の科学」その他の講座が生まれました。おそらく、従来の自らの教えに比べて一段と進化した内容にすることが出来たのだと思われます。
 また文中の最後に「service奉仕」と記されていることも重要です。著者にとって、こうした著作やレクチャー活動は決して自分の為に行っている訳ではなく、それを願う万人に自らの知見を授ける奉仕であり、著者にとっては丁度、教会等で聖職者が信者を前に行う説教や儀式に相当する位置付けであったことが分かります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落420

420 And now I will explain what I mean by a thought form. Man is a thought manifestation of consciousness like a shadow is a manifestation of a form. So in the classroom I was manifesting as a solid form and at the bed side I was manifesting as a shadow of that form. A thought form can be sent and felt at any distance while a solid form cannot. This has happened many times even outside of the classroom. When I was lecturing in Pasadena someone would ask my help for a sick friend. I would deliver the lecture on a normal bases and at the same time go to the bedside of the sick person. I did not need to know the person nor the address for consciously I was in both places. When I next met the person that had asked for my help she was happy for the friend had improved immediately and in a short time he was out of bed and well on the road to recovery. My experiences are not limited to sickness alone for I have been able to help out in other types of trouble. These things did not take place during my sleeping hours but when I was active with something else. So this has been my experience with conscious traveling.
420 そしてここで、私が想念の形態と言うことで何を意味したかったかを説明しましょう。影が形あるものの現れであるように、人は意識による想念としての現れです。ですから、その教室の中で私は固体の形態として現れており、ベッドの脇ではその形態の影として現れていたのです。想念の形態は如何なる距離にあっても送られることが出来、感じ取られますが、固体の形態はそれは出来ません。このことは教室の外でも数多く起りました。私がパサデナで教えていた時、誰かが来て病気の友人を助けて欲しいと私に求めて来ました。私は通常の通りのレクチャーを行う一方、同時にその病気の人物のベッドの脇に行ったのです。私にはその人物やその住所知る必要はありません。何故なら意識としては私はその両方の場所に居たからです。次に私の助けを依頼したその人物に会った時、彼女はその友人が直ぐに良くなり、わずかの内にベッドから離れて回復への道程に進むようになったことで喜んでおりました。私の体験は病気に限られてはおりません。他の種類のトラブルから助け出すことが出来たからです。これらの出来事は私の寝ている間には起らず、私が何か他のことで活動している時に起っていました。ですから、これは意識による旅行に関する私の体験であった訳です。


【解説】
 聖書には弟子達の前に昇天後もイエスが現れ、必要な助言を与えたという記載も多いものです。また最近でも、ファチマ等での聖母出現について私達は知るところです。これらは実は本項で説かれている意識による遠隔移動の具体例なのかも知れません。
 大事なことは、本人が望めば、自らの意識はあらゆる場所に瞬時に移動し、見る者の前に姿を現しメッセージを伝えることが出来るということです。また、その現れは本項で言う想念の形態であることもポイントであろうと思われます。即ち、想いはそれを受け入れるあらゆる者の前に現れ、伝えられるという訳です。
 よく信仰の場面では祈りが重要視されますが、そうした祈りはこのような作用と効果が秘められているということでしょう。もちろん、より多くの人の祈りは遂には惑星全体にも影響を及ぼす程の力を持つことも容易に想像されます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落419

419 Many times when I was teaching in the early thirties a student would be sick and would not be at the class, yet on the following week when they returned he would report that he had not missed the class. For I was at the bedside giving the instructions yet I was not missed in the classroom. I was there before the students giving instruction through my mind and body while at the same time my consciousness was at the bedside of the one who was sick. It is like using two speakers with one microphone. Consciously I was conveying to the mind in my body that which was given to the students. In one place I was a solid form and in the other a thought form.
419 1930年代の初期、私が教えていた時に何度となく一人の生徒が病気になりクラスに出席することが出来ないことがありました。しかしそれでも、翌週にある次の授業にはその生徒は決まって自分は授業を受けられなかったことはないと報告するのでした。その理由は私は彼のベッドの脇に居て、教えを授けていたからというのですが、私はクラスに出席しなかった訳ではありませんでした。私は当時は生徒達の前で心と肉体を通じて教えを授けておりましたが、同時に私の意識は病気の一人のベッドの脇に身を置いていたのです。それはマイク1つで2つのスピーカーを使っているのに似ています。意識的に私は私の肉体の中にある心に生徒達に教える事柄を伝えておりました。一つの場所では私は固体として形あるものでしたが、他の場所では想念の形態であったのです。


【解説】
 もちろん本事例の場合、当該の生徒は相当の感受性を持った人物であり、アダムスキー氏の意識を知覚することが出来たという訳です。
 意識の及ぶ範囲には際限が無く、伝えたいと思う意志があれば、距離に関係なく、その者に内容を伝えるということでしょう。もちろん伝える対象にも制限は無いものと思われます。
 そういう意味では万人に慈悲を授ける仏や慈しみを与える聖母等、従来の信仰の対象は、そうした宇宙におわす大いなる師からの救いのメッセージを授かりたいという人々の願いを表現したものかと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落418

418 Man can have this same alertness from the conscious sea of life when his mind is aware of its possibilities of receiving impressions from anywhere in the Cosmos. When this phase is understood and used man can be anywhere he wishes to be, either near or far away. For the Real You remember is the consciousness. The mind and the body are instruments which you use.
418 人はその心が宇宙の何処からの印象でも受け取ることが出来ることに気付いた時、その生命の意識の海からこれと同じ覚醒を得ることが出来ます。この側面が理解され応用されると、人は近くにも遠くにも自分が望むどのような所にも身を置くことが出来ます。何故なら、ここが大事なところですが、真実の貴方という存在は意識なのです。心と肉体は貴方が用いる道具です。


【解説】
 印象への鋭敏さを深めることが出来れば、私達は私達を取り囲む宇宙の意識から無尽蔵に知見を得て、自らの発達や同胞の進歩に大いに役立てることが出来ます。結局は私達の本質は意識なのだと本項は説いています。肉体や心はその道具に過ぎないと著者は究極の要点を私達に教えている訳です。
 このような教えの要旨は古来より、秘伝として師から弟子に口頭で伝えられ、受け継がれて来たものです。その境地を得る為に山中に篭っての修行その他が行われて来たものと思われます。それに対し、私達はより科学的にその原理と道筋を本講座で学び取っているという訳です。
 決して肉体を粗末に取り扱って良いと言っている訳ではありません。肉体と意識とを比較して、格段に違うその価値を本項は説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落417

417 We must remember that consciousness is the sea of life within which all forms are living regardless of what they may be. And outside of which there is no life. So when the mind becomes alerted that it is living within that sea and must depend upon the sea of consciousness for its own life then this awareness begins to impress itself upon the mind with new knowledge of various phases of its action and the various types of forms through which it expresses. Like certain fish in the ocean that are alert enough to sense a disturbance, conveyed through the water in which they live.
417 私達は意識はありとあらゆる全ての形有るものがその内側に生きている生命の海であることを覚えていなければなりません。そしてその外側には生命は無いことも。ですから心は自らがその海の内側に生きており、それ自身の命について意識の海に頼らなければならないことに感づくようになると、この気付きは心に対して意識の様々な行動の側面や意識が表現する様々なタイプの生命形態に関する新しい知識を印象により授けようとしはじめます。それは丁度、大洋の中のある魚が自らが住む水を通じて運ばれて来るうねりを感じ取るだけの鋭敏さがあるのと似ています。


【解説】
 私達は生命の海との言うべき意識の中に生きています。意識こそがあらゆる生命を支える源であり、丁度、私達は海の中に生きる魚のような存在だという訳です。魚が水無しには生きて行けないように、私達は意識の中でしか生きられないということです。
 しかし一方で、ただ漫然とその海の中に暮らせているということだけで満足するのは本来の姿ではありません。私達の心が意識から教えられる様々な知識を進んで学ぼうとする姿勢が必要です。
 本項で説かれていることは、海の中にある水流のうねりその他を魚が感じ取るように、私達は意識の海の中から寄せられる印象に鋭敏になり、進んで新しい知識を得ようと心掛けることが重要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落416

416 A man can consciously travel the Cosmos as I stated before if his mind can trust what consciousness reveals to him. Some of us not knowing how this is done have traveled the Cosmos many times. In some cases it has been during the sleeping hours when we have had dreams that impressed themselves vividly on our waking mind. Especially of strange places where it would be impossible for the mind to promote the dream.
416 人はもし自身の心が意識がその者に明かすことを信じることが出来れば、私が以前述べたように、宇宙を意識で旅することが出来ます。私達の幾人かはそれがどのようにして行われるかを知らないまま、何度も宇宙を旅して来ました。ある場合は、それは目覚めた心にそれらの事柄を明瞭に印象付ける夢を見る寝ている間に起っていました。特に、心が夢を進めようなど出来ないような見知らぬ場所についてはそれに属します。


【解説】
 私達が訓練の末に行き着く先は、自らの意志で自由に自分の意識を宇宙に拡げて、遠隔地の状況を把握することが出来るものと思われます。
 しかし、それ以前にも知らずにそのような作用を眠っている間、即ち心が自らの意見を持って騒いでいない間に、意識による遠隔透視的な作用を体験していると本項は説いています。
 おそらくは多くの人が色彩豊かで印象の強い夢を見たことがあるかと思います。見知らぬ場所であったり、またある場合には何10年後かに実現する光景である可能性もあるようです。決して夢想するだけの者にはなりたくないのですが、私達はもっと自らの意識、宇宙の意識を信頼して、その導きの手に従うことが必要です。
 その遠隔地の光景については、映画「コンタクト」の最後で、遠い宇宙彼方の他の惑星を瞬時に知覚体験した主人公のストーリーを思い起こさせます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落415

415 Mars also has a population explosion. In another year I have been promised a trip to Mars and when I go I will prove to myself how close my mind has received the impressions given to it by consciousness.
415 火星もまた人口爆発にあっています。別の年に私は火星への旅行を約束されて来ましたので、行った時は私の心が意識によって得られた印象を如何に忠実に受信していたかを自分で確かめようと思っています。


【解説】
 本項では「火星もまた」とあるように、地球と同様、火星にも人口の急増現象があるということです。
 地球では1960年の30億人であった時から、今日2013年には72億人になったとされており、本書が書かれていた当時とは比較にならないほど、一段と大きな課題になっていることが分かります。
 同様のことは火星でも起こっているということですが、地球と火星との間には近い発達段階があるのかも知れません。火星の乾燥地帯の起源は良く知りませんが、かつての行き過ぎた工業化が影響しているのかも知れません。
 過去の歴史を見ても、人口増に対し、政府が食料や燃料を確保しなければならないという状況の中で、それら資源を巡って多くの争いがあり、また人々の不公平への怒りが戦争へと突き動かして来たことは確かです。
 これら経済的な理由で戦い合うことは、今日では惑星自体の破滅に直結するだけに、国境紛争その他に対しては冷静に取り扱って欲しいものだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落414

414 Next we will go to Mars, a planet I have not been on physically. Consciously I find the planet rugged, quite commercial and industrial and very similar to earth. Agriculture is in second place for water is scarce in inhabited areas and most of it is dry farming. The water that they have is channeled from the polar caps and melting ice areas. There is plenty of salt water and in recent years they have been converting it for use as we are doing in some places. There are canals of salt water that carry the ships to inland cities where the water is also converted for use. In the early days they tried mixing salt water with fresh water, about a two to one mixture of fresh and salt, but the amount of fresh water was not adequate and the mixture was not good for agriculture.
414 次に私達は火星に行きます。肉体としては行ったことのない惑星です。意識で見ると私にはそれが荒れて、まったくの商業的、工業的な場所であり、地球に大変良く似ていることが見えます。居住地域には水が少ない為、農業は二次的な地位であり、そのほとんどが乾燥農法です。彼らが用いる水は極冠や融解する結氷地域から水路を引いてもたらされます。塩水は豊富にありますし、近年には私達も幾つかの場所で行っているようにそれを変換しています(訳注:例えば逆浸透膜法等により塩水を淡水化し利用していることを指す)。内陸部の都市に船舶を運ぶ塩水の運河がありますし、そこでもその塩水が転換され利用されます。初期の時代には彼らは塩水と淡水を2対1に混合しようとしましたが、その淡水量では不適切で、その混合水は農業に向かなかったのです。


【解説】
 以前、アダムスキー氏が伝えたとする情報の中で、火星については、金星や土星に比較して発達が遅れている面があり、科学技術は発達しているものの、精神面では問題も残されているという話が伝わっています。
 今日の情勢については知りませんが、本項で著者が「荒れた rugged」と表現している点が気になるところです。以前から火星探査機から送られて来ている火星表面の荒涼とした写真もあり、地球からの天体望遠鏡の写真からも赤い大地に覆われた惑星の実体が知られているところです。
 丁度、仕事で中東地域の上空を飛ぶことも多いのですが、砂漠の中の商業都市、工業地域が火星全体のイメージなのかも知れません。
 そういう意味では似た環境、即ち自分達が長年、馴れ親しんだ環境の地域は親近感もあり、 場合によっては多くの火星の人達も地球に移り住み始めているということも考えられます。私達が考える以上に、地球には各惑星の人的交流が進行している可能性もあるのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落413

413 I have now given you a foundation and you may fill in what you will consciously observe on Venus.
413 私はこれで貴方には基礎を授けましたし、その後は貴方が金星を意識で観察するものを埋めて行けば良いでしょう。


【解説】
 著者は金星に関する一通りの概要を示した後、各自で自らの意識を使って、どのようなイメージが得られるか、応用して見よと説いています。
 この意識を用いる訓練は、他の著作においては、山の上から眼下の湖を見て、その水の感触を感じるようにとする訓練もあったように記憶しています。
 宵の明星として、ひときわ輝く金星を見て、肉眼が明かすことが出来ない詳細なイメージが心に浮かぶ程に、自らの意識を用いてその惑星を探る試みを行う必要があるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落412

412 Agriculture and the manufacturing of the necessary commodities is all based on production for use. And all individual talents are given an opportunity to develop and express. Every phase of their expression is extremely artistic and elevating to view as they express love in everything that they do.
412 農業や生活必需品の製造は全て使用に基づいています。また、全ての個人の才能はそれを発展させ表現する機会が与えられています。彼らのあらゆる表現の姿は彼らはその行うこと全てに愛を表現する為、極めて芸術的で高揚させるものとなっています。


【解説】
 何事によらず、生活や行動のあらゆる場面で美しさを表現することが、金星の美徳と言えるのかも知れません。かつての日本文化の中にも、そのような美しさが残っておりましたし、アジア各地の少数民族の生活の中には、今日の経済尺度から言えば貧しいとされる中にあっても、木製の古民具を大切に使い、豊かな生活文化を営んでいる点では、本項と近い側面もあるものと思われます。
 また、本項でさり気なく記されている「全て使用に基づいて」作られるという内容は重要です。地球では使うか使わないかに関わらず大量に生産し、流通販売されているからです。価格を安く設定すれば販売量が増え、採算が合わなければ農作物を廃棄することさえ行われる訳です。消費量に基づく計画的な生産を行うことによって、田畑から不必要な栄養分を搾取することのない農業が行われているということでしょう。
 農業と工業がともに芸術にまで高められた姿は、工芸という領域にあらゆる生産物が到達しているとも言うことが出来ます。最近も知人で陶芸の道を進もうとする人が出ましたが、生活用品の中に美を見出す姿勢は、本項で言う金星のスタイルに近いものがあるように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落411

411 As each planet represents some phase of humanity, Venus represents Cosmic Love that binds all things together as one.
411 各々の惑星はそれぞれ人間性の何らかの側面を表現しており、金星は全てのものを一つに結び付ける宇宙の愛を象徴しています。


【解説】
 金星は愛の惑星だとされています。各々の惑星に住む人間の総体として、その惑星の特徴が現れるということでしょう。これは惑星ばかりでなく、地域についても言えることかも知れません。かつて日本は一部の例外はあったでしょうが、治安は良く、庶民は皆同様に貧しい中でも、互いに助け合って生きていたようです。家の戸締り等、不要な社会でありました。
 一方、最近、海外に出る機会が増え、他の国の実情を見ることも多くなりましたが、ある南米の国では、ほとんど全て個人の家の敷地は周りを高さ2mに及ぶ鉄の柵で檻のように取り囲み、自宅を守っています。また、日本では当たり前の自動販売機も、壊されたり盗まれる為、設置は皆無です。
 実は地球の場合、治安状況は国によってさまざまな訳で、他惑星のレベルに到達するには、まだまだ長い道程を進む必要がありそうです。
 人々の持つ宗教が教会の外で実践されない限り、この分野の進展は望めそうにありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落410

410 There is just one head of Government with many co-workers who look after the affairs of humanity. And the respect for each other is very much the same as we found on Saturn.
410 そこには人類に関する事柄の世話をする多くの協力者を持つ政府の首長はただ一人存在します。そして互いに尊敬し合うことは土星で見られるのと大変良く似ています。


【解説】
 本項はいたって単純な金星社会の政府形態を伝えています。究極に進歩した惑星では、実に単純な行政組織になることが分かります。地球では三権分立による互いの拮抗組織や選挙による議員の選出など、実に多量のエネルギーを使いますが、進化した惑星にはそのような必要性はなくなるという訳です。
 私達はまだ、進化した惑星社会の実際について十分に知る者ではありませんが、いくつかのサイト(例えば、大橋氏の「宇宙意識への覚醒」 http://blogs.yahoo.co.jp/ohashimiracleexcuseneed2/MYBLOG/yblog.html)では、より具体的な内容が指摘されています。
 おそらくは私達が知る太古の昔から、金星や土星ではこのような政府の形態が続いていたものと思われますが、それにつけても現状の地球では資源や宗教を巡って国々の争いごとが多い状態が続いており、調和とはほど遠い「弱肉強食」の星になり下がっていることは、皆様ご覧の通りです。

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ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落409

409 Geometrically the people are very much the same as found on earth and other planets but they are interested in a wide scope of things and have very much the same type of environment that we found on Saturn.
409 幾何学的にはその人々は地球や他の惑星で見る人々とほとんど変わる所がありませんが、彼らは物事への幅広い関心を持っていて、土星で見られるのとほとんど変わる所の無い環境を有しています。



【解説】
 金星については、著者が「金星旅行記」を記していることは多くの読者が既に知るところであろうと思います。温暖でみずみずしい、植物の豊富なその世界の模様は、金星に暮らす氏の亡き妻の実生活とともに詳しく述べられています。
 本項は、簡単に金星の人々について触れているだけですが、それでも地球と何ら変わる所のない環境であることや、人体の形状の普遍性について改めて記されています。
 2千年前、イエスが傍らに自らと同じく十字架に掛けられた囚人の一人に「あなたは私と一緒にパラダイスに居るだろう」と言った「パラダイス」は、この金星を指すものと思っています。聖書にはその囚人がイエスの本質を理解し、その尊さを認識する等、一定の理解力が備わった時、はじめてより高次な惑星に転生出来ることになるからです。金星は2千年前も現在も、私達が理想とする惑星であるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第11課-段落408

408 Now we will observe Venus and as we do we find a difference here for it is a smaller planet than Saturn and much of the time it is covered with clouds. Although the clouds break here and there and allow the sun to shine through, the air is humid but not oppressive. It is very much like other planets in formation for it has a variety of climates with ice and snow in some parts.
408 今度は私達は金星を観察しましょう。するとここでは違いを見い出します。何故なら、それは土星より小さな惑星で、多くの期間、雲に覆われているからです。しかしそれでも、そこここで雲が途切れることで太陽を輝き渡らせますし、大気は湿度を帯びていますが、重苦しくはありません。その構成は他の惑星ととても良く似ています。ある部分には氷や雪もあるような多様性に富んだ気候条件を有しているからです。



【解説】
 現状の地球の天文学では、金星は到底人間が住めるような惑星とはされていません。アダムスキー氏が会見したオーソンをはじめ、多くの金星人の存在は、地球の既存の支配者にとって、大変都合の悪いものであり、生命存在の可能性を人々から葬り去ろうとこれまで画策して来ましたし、今後もその傾向は続くものと思われます。
 一方、こうした中にあっても私達は自身の力で近隣の惑星を自分の意識で遠隔透視することが出来る訳で、これによって私達は真相に近づくことが出来ることになります。
 アダムスキー氏が亡くなってからも、近隣の惑星に関する情報統制は変わることなく続いており、その生命存在に関する情報はひた隠しにされているということでしょう。当局からの情報に左右されることなく、私達自身の意識の力で月や金星の実状を遠隔透視することの方が、早道のように思っています。
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