2013年08月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落388

388 From here we can expand the mind into the awareness of the conscious sea of life, like we did with the telescope. And on into space, the incubator of all forms. And the more interest you have in invisible space, the more the consciousness will be impressing your mind with that which the eyes do not see. For there is far more activity in the space that you thought of as nothingness, than your mind ever imagined possible. Then you will receive impressions or pictures that you never had before. And revelations as you did with your hands in space activity and the forming of events yet to come.
388 ここから私達は丁度、望遠鏡を用いて行ったように、心を生命の意識の海の知覚へと拡張することができます。そして全ての形あるものの孵卵器である宇宙に向かって広がるのです。そして貴方が目には見えない宇宙への関心が高まるにつれ、意識は益々貴方に目が見ていないことを貴方の心に印象づけることでしょう。何故なら、そこには貴方が皆無だと考えていた宇宙には貴方が想像していた以上に遥かに多くの活動があるからです。そうなると貴方はかつてない印象や映像を受け取ることとなるでしょう。そして貴方が自分の手について得たような啓示が宇宙の活動や物事の形成についてもやって来ることでしょう。


【解説】
 私達の心を意識の段階まで拡張することが出来れば、その後は意識の世界で活発に活動する様々な要素を印象を通して知ることが出来ると説いています。
 心の姿勢、意識に対する信頼が大事であり、少しずつでも意識に親しむことによって、様々な知識が与えられることになります。印象を信じて行動するとは、そういう態度の下で行われる必要があります。
 最初の内は、偶然当たった勘という認識を持つかも知れませんが、私達が本来の進化の道を歩み始めていれば、それらは常時、実現するものとなり、やがてはいわゆるテレパシー能力を身に付けていることになる筈です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落387

387 This type of study will create confidence in your advancement that you may not have had until now. And you will know that you are working in the right way. For you will be observing that which the physical eyes cannot see and the spoken word cannot express. And you will begin to understand your body and its functions which are independent of the mind, although related to the whole.
387 この種の学習は貴方がこれまで得たことのない貴方自身の進歩への確信を造り出すことでしょう。そして貴方は正しい道を前進していることがわかることでしょう。何故なら貴方は肉体の目では見えず、話し言葉では表現できないものを見ることになるからです。そして貴方は心とは独立しているが、全体とは関連している貴方の肉体とその機能を理解するようになるからです。

【解説】
 どのような側面であれ、少しでも何らかの成果が現れたら、自分の歩んでいる方向に誤りが無いことが分かります。また、その成果を得た際の、あるいはその直前の心境を覚えて置くことも重要です。
 感受したかどうかも分からないまま、何となくそうしたいような気持に従って進んで行ったら良い結果に到達した等々、言葉になる前の段階の「感じ」にどのようにして従うかが重要となるようです。心とは違うルートから精妙なる印象が入ってくるという訳です。
 自分の手を活きた教材とすることは、自らの最も頼りとする部位を学び、体内で働く分子達を理解することにも繋がる訳で、その学習を通じて感受性も高められると同時に、身体の健康面でも向上することとなり、心身共にあらゆる側面の進歩に結びつくものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落386

386 One should never discourage the mind as it proceeds to gain knowledge. So perhaps it would be best to leave the eyes open and focus the attention on the hands. Through this you will begin to realize what the hands mean to you and what an asset they are to your life. After you have received good impressions of the importance of your hands, close your eyes and see what you will get then. If you are operating properly, without your mind guessing, you should see your hands constructed of thousands of molecules all very active, never stopping to rest for a moment. And you should receive the knowledge of the type of molecules that construct the nails, joints, etc. And you should be able to see the structure of your hand and the movement of energy better than any instrument could show. You can do this to any part of your body, if you want to know how your body functions.
386 人は心が知識を得ようと前進する時、決して心を落胆させてはいけません。ですからこの場合、おそらく両目を開けて両手に注意を集中するのが最も良いと思われます。このことを通じて貴方は両手が貴方にとってどのような意味を持つか、またその両手が貴方の生涯にとってどんなに財産になっているかを理解し始めることでしょう。貴方が貴方の手の重要性について十分な印象を受け取った後に、両目を閉じてその後、何が印象として得られるか観察して下さい。もし、心が空想すること無く貴方が適切に行動しているなら、貴方は貴方の両手が何千もの一瞬たりとも休むことなく全て活動的な分子から構成されていることを見ることでしょう。そして貴方は爪や関節等を作り上げている分子達の知識を受け取ることでしょう。また、貴方は貴方の手の構造やエネルギーの動きについて如何なる装置よりも良く見ることができるでしょう。貴方はもし、貴方の肉体がどのような機能を果たしているかを知りたいと思えば、このことを他のどの部位に対して行うことができます。



【解説】
 最初はもちろん、単に目を閉じても本来の印象は簡単に感受できる筈もありません。私達の鈍い感性は、これまで活用されなかった為に退化してしまっているということです。
 それに対して、身近な研究対象があると本項は説いています。私達各自の手です。手は少し考えただけでも私達の生活に無くてはならないもの、生活の全てが手に依存していると言っても良いほどです。この手を研究する中で、手の細胞達とも印象を通じてコミュニケーションが出来るという訳です。
 また、重要なことは、少しくらい成果が出るのが遅いからと言って、がっかりしないことだとも説いています。そのような鈍感になってしまった私の心とは関係なく、体内には無数の細胞達が休むことなく働いて呉れており、それらはひとえに私達各人を支える為であることは間違いありません。こうした細胞群に日々感謝し、彼らとの交流を図りたいとする姿勢が重要なのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落385

385 For some this will be difficult with their eyes open, for the attention will be distracted by things that are seen, so it will be best to close the eyes in order to focus the full attention on the impressions or pictures that come. At first this should not be done for more than five or ten minutes at a time. And do not expect too much at the beginning.
385 ある者にとっては眼を開けていてはこれが難しいでしょう。見えるものによって注目がそらされてしまうからです。そこでやって来る印象類や映像類に全注目を集める為、眼を閉じることが最も良いと思われます。最初はこれを一度に5分ないし10分間以上行われるべきではありません。また、最初から多くを期待してはいけません。


【解説】
 本項は印象は目や耳という既存の感覚器官とは異なるルートでやって来ることを示しています。また、既存の感覚が印象の感受の妨げになることをも示唆しています。しかし、仮に周囲からの音を遮断した暗室内で瞑想していたとしても印象を感受し易くなるというものでもなさそうです。それほど、私達はこれまで印象に鈍感になっていたという訳です。
 しかし、著者が説いているように急いで結果(成果)を追い求めることも禁物です。類は類を呼ぶというように、本来の意識からの印象でなく、つまらぬ過去の残留物や同類からの劣る内容の想念に対して門戸を開くようなことにもなるからです。
 よく嵐の前に動物が普段と異なる行動をとったり、半年後の降雪を知っているかのように自らの子孫となる卵を例年とは異なる高さに産み付けるカマキリの話等、野生の動物達の将来を見越すかと思われる行動の話は尽きることはありません。彼らは自分の生命を賭けてこれら印象の声に従っている訳で、私達の本件については、決して遊び半分で行うことなく、私達の進路を決める重要な事柄として取り組む必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落384

384 So now let us proceed with the first step: First your mind must relax, and this can only be done when the mind loses interest in itself in its own behalf. Like a boy who is interested in baseball, but if he wants to learn and see something else he has to put his first interest completely out of his mind and give full attention to that which he is about to learn or see.
384 それでは今から、その第一段階に進みましょう。最初は貴方の心はリラックスしなければなりませんし、これは心が自分自身の利益に関して自分自身への関心を失う時にのみ起こり得るのです。野球に興味を持っている少年に例えれば、もし彼が何か他のことを学び、理解しようとするならには、その最初の興味(訳注:野球)を完全に心の外に追いやって、自分がこれから学ぼう、あるいは理解しようとすることに対して全力で注視する必要があります。


【解説】
 心は何であれ、習慣を好みますし、馴染みのあるものに固執したがるものです。場合によっては、耳(聴覚)に聴覚が気に入った歌やメロディーが長期間消えない場合もあります。何か梵鐘の余韻のような振動が長らく聴覚器官の何処かに残留しているかのようです。
 従って、新しい事柄を始める際には、心は自らに残留する過去の振動を消去して、無心で対象に注目すべきだという訳です。少なくても関心を向けなければ、印象も拾うことは出来ません。星から寄せられる精妙な電波を受信するには、電波望遠鏡のパラボラを目標に向ける必要がある訳です。
 その上で何時、印象が飛び込んで来ても、それをキャッチ出来る落ち着いた心境が先ず、第一に必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落383

383 At this point your reasoning facilities may enter for one phase of impressions follows the freakish imagination and is destructive, while the other is exhilarating and constructive. So then constructive logic must be employed in order to reach a true evaluation. And this must be independent of personal opinions if you are to know the truth about anything. This is a good policy to follow in living and working with others in every day life.
383 この点において、貴方の推論の才が登場するかも知れません。何故なら、印象類のある段階で尋常で無い空想が後に続き、それは破壊的なのですが、他方では気分を浮き立たせ建設的であるものも続くからです。ですから、その時は真実の評価に到達する為に建設的な論理を用いなければなりません。そしてもし貴方が如何なることにせよ真実を知ろうとするなら、このことが個人的な意見の影響を受けずに行わなければなりません。これは日常生活の中で他人と生活し働く上で従うべき良い方針でもあります。


【解説】
 最近もつくづく思うのは印象を取り扱う際の精妙さ、難しさです。場合によっては印象を感受したことすら分からず、知らない内にこれまでの惰性的な解釈で済ませてしまう一方、気付かない内に印象に従った行動をした結果、思いも寄らない良好な結果を得たりしているように思います。
 本項では著者は印象には2面性があると言っているようですが、私達はその印象に対してあれこれ詮索する傾向がありますが、まずはそれを止めて、より良い面を積極的に取り込むことだということでしょう。
 いずれにせよ、私自身としては、とにかく得られた印象については大切に取扱い、要らぬ詮索はせず、その示唆するイメージを尊重すること、速やかに行動することをお勧めしています。もしその結果が思わしくなければ、その印象の解釈に問題があった事例として処理するのみです。
 自然界にある生物は全てこれら印象に鋭敏且つ全面の信頼の下に行動している訳ですが、その成果は一度でも顕微鏡下の生きもの達の活発な姿やカメラの接写の画像を見たことがあれば分かって戴けるかと思います。昆虫や野の生きもの達の生き生きした生活振りはこうした意識からの印象の取扱いに対する生きた手本であるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落382

382 Even though the space people had not come our way, showing that man can travel space, we would have succeeded in doing this sooner or later, accomplished by following the impressions given by consciousness. For man's goal is to blend his mind with consciousness.
382 例え宇宙人が我々の方に来て人間が宇宙を旅行できることを示すことが無かったとしても、私達は意識から与えられる印象類に従うことによって遅かれ早かれこれを為すことが出来たと思われます。人間のゴールはその心を意識に融合させることだからです。


【解説】
 この項で注目したいのは、本文の最後に述べている部分です。即ち、私達のゴールは意識と融合することにあるとする部分です。
通常の表現から言えば、宇宙に進出することだと言うところですが、著者は違っています。意識と融合出来さえすれば、それ以降、あらゆる可能性が実現し、急速な進化が遂げられるとしていることに注目したいところです。
 しかし、この意識なるものは実は私達の身体と1センチと離れていない所にあって、いつも私達を包んでいると言っても良いでしょう。この身近にある頼れる存在に気付けば、他に望むものは何一つありません。常に創造主から愛され、必要物は惜しみなく与えられる、そういう存在に私達はなれるという訳です。
 知識のヒントや新しい世界と視界を私達は宇宙に求める訳ですが、私達の感覚心が学習を続ける内に、やがて意識から本物でより鮮明な知識が与えられるに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落381

381 There are not too many people who know the difference between that which is real and the copy. Inventors and artists use this method, and that is how some new inventions that man's imagination thought impossible have come about, for the real is always possible.
381 どちらが本物でどちらが複製物であるかの違いを知る人は多くはありません。発明家や芸術家はこの方法を用いており、それが人間の空想が不可能だと思って来たような新しい発明品が生まれることの次第です。何故なら真実なるものは常に可能なものだからです。


【解説】
 本項で説かれていることを別の言い方で表現すれば、意識から与えられる印象は全て素晴らしいもの、私達にとって大変役立つアドバイスであることが分かります。自然界にあるあらゆる生きものに生活の糧をお与えになっている存在なのですから、当然の帰結と言うことも出来ますが、私達はこの意識の存在について、よくよく感謝し、その存在に信頼を寄せる必要があります。
 これまでに無かったアイデア、生きる上でのヒント等、意識は私達に惜しげなく時々に応じて必要となる様々な知識を与えて呉れています。一方、それに便乗して私達の感覚心が偽物のコピーを作り出し、利用しようと企む訳ですが、所詮、いわゆる「コピー商品」の見分けがつけられれば、より本物が際立つのは自然の成り行きということになります。偽のコピーに惑わされないよう、日頃から本物の印象に親しんでおく必要があるということです。

お知らせ

いつもご覧戴き、ありがとうございます。
都合により、明日からしばらくの間、更新が不定期になりますので、ご了承下さい。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落380

380 One must be very careful to avoid wishful thinking which the mind usually likes to promote. Or imagination which the mind likes to promote in its own favor. For the imagination does promote pictures as there are two phases of impressions. The imaginative mind likes to create freaks such as constructing a man's head with two faces. One in the back and one in the front, but nature does not construct a head like this. I mention this for the impressions and pictures that will come through consciousness will be closely related to imagination. And the mind is quite an expert at this for it has copied its action from consciousness. There must be something genuine before there can be a counterfeit and this is the case with the imagination, so one must be careful.
380 人は心がいつも促進しようとする願望的思考を避けるよう注意深くあらねばなりません。或いはまた心が自身への味方を増やそうとする空想についてもです。何故なら、空想は印象には二つの局面があるようなイメージを促進するからです。空想性を持つ心は顔が二つあるような人間の頭を作り出す等、倒錯物を造り出したがります。顔の一つが後側にもう一つが表側にあるようなものをです。しかし、自然はこのような頭を造り出しません。私はこのことを、意識から来る印象類や映像類は空想にとても近い関係にある為、述べているのです。そして、心は意識からその行動を写し取って来ている為、この点において全くの熟達者なのです。偽者が存在する以前に何か本物があるに違いありませんし、これが空想についての実状です。ですから注意深くあらねばならないのです。



【解説】
 私達が意識からの印象を知覚できた場合でも、喜んでばかりは居られないという訳です。
 実は、私達の感覚心は長年、意識から与えられる知識を自らの勢力拡大に利用して来ました。肉体が多少の困難があっても意識が良好な状態に復帰させていることを良いことに、好き放題の暮らしを行って来ました。絶えず意識からの情報を自分の地位の向上に利用して来たからです。
 ここで意識からの印象を感受する際にも、感覚心がそれに同調して勝手なイメージを似せて作ってしまい、本来のイメージがなかなか把握できなくなるという問題があると著者は警告しています。
 印象に対しては文字通り、「虚心坦懐」に対峙し、贈り主の意図を素直に受け入れる態度が肝要で、勝手な心の行動を監視することが重要です。予断や願望を排して、意識を信じて素直に受け止める他にとるべき姿勢はないと言えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落379

379 Impressions will come in some cases like a still small voice and you will swear that someone is talking to you, but it is your consciousness explaining things in words you are accustomed to. And sometimes with impressions that you cannot find words to express. But when pictures are impressed upon you, especially in color, they are focused by the consciousness on the screen of your mind which is located in your forehead. At least this has been my experience. Perhaps this is the reason for those who do not understand referring to this as the third eye, or all seeing eye. In Buddha statues there is a jewel in the forehead, signifying extended sight, and it forms a triangle between physical sight and itself. Jesus called this, single visioned and single minded. And when he said the renewing of the mind, he meant exactly what we are trying to do here by associating the mind with the consciousness to form a single unit. Where divisions between the two cease to exist. For then man becomes a total man.
379 印象はある場合にはひそかな小さい声としてやって来るでしょうし、貴方は確かに誰かが貴方に話し掛けていると言うでしょうが、それは貴方の意識が貴方が慣れ親しんだ言葉によって物事を説明しているのです。またある時は貴方が言葉で表せないような印象としてもたらされます。しかし、映像が貴方にもたらされる時、特にそれがカラーである場合は、それらは貴方の額の場所に位置する貴方の心のスクリーンに意識によって投影されているのです。少なくても、これは私の経験です。おそらく、これは人々が第三の目、或いは全てを見る目として引用することを理解しない理由です。仏像には、額の中に一つの宝石が埋め込まれ、拡張した視覚を象徴しており、それは肉体の視覚とそれ自体で三角形を形成しています。イエスはこれを一つになった目、一つになった心と呼んだのです。そしてイエスが心の復興と言った時、彼はまさしく私達がここで心を意識に親しませ、一つの単位を形成するよう努力していることを意味していたのです。そこでは、両者の間の分裂は消滅します。それ以後、人は完全なる人間になるのです。


【解説】
 印象は確かに精妙なものが多く、私達自身捉えられないものも多いのですが、少なくてもそれらの示唆する通りに行動しようとする時、極めて良い結果がもたらされることは、これまでの経験上からも確かなことです。
 本項では更に進んで、音声によるささやきや映像として表現される段階のものについても言及されています。特に仏像については仏様の額の宝石の意味やイエスの言葉について説かれていますが、その内容は著者が古今東西のあらゆる宗教に関する真実を熟知していることを示すものです。
 大切なことは、この日々ひそかに贈られる意識からの印象を大切に受け取り、自らの行動に役立てることであり、肉体の全てをその示す方向に動員し、その示唆するビジョンを実現させることにあると言っても良いでしょう。意識とのパイプが強まれば、その与えられる情報量もまた増えるに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落378

378 You must remember at all times that only a little of the entire picture will be revealed at a time. Again like the jigsaw puzzle, you cannot look at all of the pieces and know where they fit. For the picture must be put together piece by piece and this takes time. Never try to fill in with some of your mental ideas accumulated in this world for they are of personal nature. Do not question for one minute what you receive for that would be like questioning God. And you should know by now which is accumulated knowledge from this world and which are cosmic impressions. Do not be confused for earthly impressions may come also, as many of these to which the mind is accustomed are of Cosmic Nature and may fit into the picture at a given point but perhaps not at present. Due to earthly experiences these ideas sometimes try to crowd into positions before there is a place for them. It is like an artist who gets an impression of red shading, when yellow should be used, with the red to follow.
378 いつも覚えておいて欲しいことは、一度には全体像のほんの一部しか明かされないということです。再度、ジグゾーパズルのように、貴方は断片の全てを見ても何処にそれらが当てはまるのか知るという訳には行きません。何故なら絵は小片を一つずつ繋ぎあわせられなければなりませんし、これには時間がかかるのです。決してこの世界で貯えられた貴方の精神的なアイデアを当てはめようとしてはなりません。何故ならそれらは個人的な性質のものだからです。一瞬たりとも貴方が感受したものに疑問を投げかけてはなりません。神を問いただすようなものだからです。また、貴方は今では、どれがこの世からの蓄積された知識で、どれが宇宙的印象かを識別できる筈です。地球的印象も来るでしょうから、混乱しないようにして下さい。何故なら心が慣れているものの多くが宇宙的性質を帯びており、それらもいつか適当な時期にその全体像に当てはまるかも知れませんが、おそらくその時点ではないと思われるからです。地球上の経験から、これらのアイデア達はそれら本来の場所以外に群がろうとします。それは黄色を用いるべき所に赤い陰を付ける印象を受けた画家のようなもので、本来は黄色の後に赤を用いるべきなのです。


【解説】
 湧き起こる印象に対してどのように対処すべきかを説いているのが、本項です。注視したいのは印象は一つずつ系統立てて来るようなものでなく、いきなり結果を伝えて来るものも多いようです。凡人には分からない創造主の計らいがそこにある訳で、私達は只ひたすらそれらを大切に受け取り、自分の何処に当てはまるかを考える必要があります。
 しかし、当面、その印象の示すところが分からなくても、次々とやって来る印象を覚えて置き、それらを融合する中でより具体的なビジョンとして認識できるようになる筈です。毎回、誠意と感謝を持って印象を受領し、自身の生活に活かすことを模索すべきことは言うまでもありません。
 その際にも決して一度に全てを求めるのではなく、また性急な態度も禁物だとも述べられています。一つ一つの印象が正しくてもそれらの適用順序や適用場所を誤れば、本来のビジョンは完結しないからです。
 様々な印象を焦ることなく、大切に記憶し、自分が分かる範囲で少しずつ生活に応用して行く姿勢が重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落377

377 Remember that consciousness will convey impression to the mind that will seem foreign, like all new things do at first. But let your mind become as a little child listening and observing impressions and pictures that may come without questioning or trying to make a better picture out of the revelations
377 覚えておいて欲しいのは意識は最初、あらゆる新しいものがそうであるように、心にとってよそものに思えるような印象を運んで来ることです。しかし、貴方は疑問を挟んだり、その啓示からより良い全体像を作り出そうとすること無く、心を幼子のようにして、そのやって来る印象と映像に耳を傾け観察させるのです。


【解説】
 今までと同じ種類の印象であれば、心はスムーズに受け入れます。しかし、多くの場合、それらは長年の心の嗜好に沿ったものであり、価値は無いと言うべきものです。
 一方、真に意識から来る印象類は私達にとって馴染みの無いものであり、時には心にとって奇妙なものと映るかも知れません。しかし、それらが伝える事柄は時を越えてもたらされる為、感受した時点では「実現不可能」とか「全く奇抜な」印象しか、心は感じないかも知れません。多くの場合、その印象が現実の目の前に現れるのは何十年か経過した後になることから、その時になってあの時の印象はこのことを示唆していたのだと知ることになる訳です。
 このように意識からの印象は私達感覚人にとっては理解出来ないものであることが多く、それに対して疑問を呈したり、吟味検討して拒絶してしまっては、折角の贈り物を自ら捨てることになってしまいます。先ずはそのありのままを受け止め、将来目前に明かされる光景として大切に記憶することが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落376

376 Do not try to see too much at one time. Use the same method as with the instrument by extending your mind into consciousness little by little. Do not force it, let it be natural. For if we get into the eternal sea of life there is plenty of time. It is much better to have a slow growth than to try and grow fast and miss something that could cause confusion later. Let patience be your foundation and the extension of our mind into consciousness gradual.
376 一度に多くを見ようとしないで下さい。貴方の心を意識の中に広げるに当っては装置を用いる時と同様な方法で少しずつ用いなさい。それを強制してはならず、自然のままにしておきなさい。もし私達が生命の永遠なる海に入るなら、そこには豊富な時間があるからです。努力して急いで成長しようとして後になって混乱を生じるような何かを見落とすよりは、ゆっくりした成長を遂げた方がはるかに良いのです。忍耐を貴方の基礎とし、私達の心を意識の中に拡張させることをゆるやかなものとすることです。


【解説】
 著者は私達に物事を請求に取り扱わないよう、落ち着いて対応するよう説いています。とかく私達は他人の進歩発展をうらやみ、或いは自らの不甲斐なさを悲観しがちですが、各人これまで歩んできた背景が異なる以上、差異が生じるのは仕方ありません。大事なのは向上心であり、常に自分の理解力を基に行動するということです。
 この「生命の科学」も日本に紹介されてから、半世紀近く経過しようとしています。そういう中でどれほどの人がその真の価値を見出したか、或いはその学習講座の意図に沿って日々取り組みの途にあるのかは不明です。残念ながら、優れた教科と一時期見られても、実践面ではそれほど、行われていないように思います。
 とりわけ、「意識」については私達はほとんど学んで来なかったため、どのようなものをイメージしたら良いか分からないということもあるでしょう。しかし、文中の言葉を一つ一つ吟味する中でおのずとそのイメージが掴めるようになり、そうした観点で自然や自らを観察することで、意識なるものの全容が明らかになって来ます。
 そうした延長の上に、本項で言う具体的な意識からの印象も感知される訳で、その成果を急ぐ必要はなく、先ずは自らの理解力を磨くことからということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落375

375 Let us now do with our sense mind what we did with the instrument thus allowing it to see that which has heretofore been invisible, replacing the instrument with consciousness. And as we believed that which we saw through the telescope let us do the same just as firmly with consciousness.
375 私達がこれまで見えなかったものがその装置を用いて感覚心が見えるようにしたように、今度は感覚心に対してその装置を意識に置き換えましょう。そして私達が望遠鏡を通して見たものを信じたように、意識によって見たものについてしっかり同じように信じることです。


【解説】
 意識を通じて垣間見る印象には映像を伴ったものも多いようです。将来に起こること、或いは遠く離れた場所で起こっていることを印象によって私達は知ることが出来ます。
 これらは国の支配者がその国の将来を思い悩む時などに助言者として多くの霊能者の見識を求め、また古くは神事により、判断を仰いだことにもつながります。未来の状況をいち早く知り、治世に活かそうとした訳です。
 一方、今日の私達にとって、意識は未だ十分理解されていないままとなっており、その活用法を学ぶ機会も限られています。もっと身近に、もっと親しく私達は意識の存在を実感しなければなりません。本項で述べられているように、意識は宇宙を探求する望遠鏡にも、細胞を探索する顕微鏡にも匹敵する機能があり、私達一人一人は無償でその活用能力を与えられているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落374

374 But there will never be an instrument made that will reveal all of the Cosmos to man. Consciousness coupled with man's mind is the only way that man will learn about the cosmic whole. For now the instruments that have been used should cause the mind to have confidence, faith and trust in conscious guidance. The mind should have learned through past observations and experiences that that which at one time seemed nonexistent became a reality. For anything that is revealed by conscious impressions is in existence some where. So now the mind should be willing to be guided by consciousness instead of itself as in the past. And accept the things given by Cosmic Consciousness as a reality. For this is the only way that the sense mind can find its other half and become a part of the whole of the Cosmos. Jesus said, blessed are those who do not see yet believe. For the physical eyes cannot see the distances of the Cosmos, but the conscious eyes can.
374 しかし、大宇宙の全てを人間に明らかにする装置は作られることはないでしょう。人間の心と対になった意識だけが唯一、人間が宇宙全体を学ぶ方法なのです。今やこれまで用いられて来た諸装置は心に自信や意識の導きに対する信仰や信頼を持たせている筈です。心は過去の観察や体験を通じて一時期存在しないように見えたものが、現実のものとなることを学んで来た筈です。何故なら意識の印象によって明かされるものは何処かに存在するからです。ですから、今や心はこれまでの自分自信による代わりに意識に喜んで導かれるべきなのです。そして宇宙意識から与えられた物事を現実のものとして受け入れることです。何故ならこれが感覚心がもう一つの自分を見つけ、宇宙全体の一部になる唯一の方法だからです。イエスは言いました、見ないで信じる者は幸いであると。肉体の目は大宇宙の膨大は広がりを見ることは出来ませんが、意識の目はそれが出来るからです。


【解説】
 宇宙を知り、学ぶ上で何が必要か、突き詰めて行くと意識に行き着きます。自分の身体から1cmも離れていない空間に意識が充満しており、そこから発せられる印象を通じて意識を理解することになる訳ですが、意識を一度理解し、その存在を確証出来れば今までとは全く異なる人生を歩むことになるのかも知れません。
 日々印象に鋭敏になり、その指導を受け入れる態勢が整えば、何ら道具も必要なく、宇宙奥深くに広がる様々な現象をも見ることが出来るものと思われます。
 これら既存の感覚器官によらない知覚力を持つようになれば、私達は進化の道を確立させ、求める段階(ステージ)まで到達することが出来ます。身近にある意識の存在を如何に自覚しているかが重要なるポイントという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落373

373 This shows that consciousness does not misguide the human mind if it is allowed to guide it, and impressions are received and accepted without modification to suit itself. For this is the only way that consciousness can prove to the mind that its impressions are correct.
373 このことは意識はそれが人間の心を導くことを是認され、印象が人間の心に合うように修正されずに受信され、受け入れられるならば、人間の心を誤った道に導くことがないことを示しています。何故なら、これは意識が心にその印象が正しいことを証明する唯一の道だからです。


【解説】
 本項は私達が日常行わなければならない基本的事項を示しています。
 即ち、「意識に従う」「意識と一体になる」と、どう声高に叫ぼうとも、その内容は私達の時々刻々の心の有り様が問われているからです。そこに座禅や瞑想の概念が入って来るのでしょうが、基本は自分にやって来る精妙・微妙な印象、インスピレーションに対し、如何に素直に従い、その示す方法に向かって行動するかにあります。一瞬のことなのでやって来る印象に対して判断したり、吟味したりすることでは対応出来ません。即時即応の態勢が望まれるところです。
 こうした素直な心を保つことは、大宇宙から贈られる印象に対して、感謝し、無抵抗になり、次第により多くの機会が与えられることになる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落372

372 Could this have all taken place had it not have been for the consciousness of man as his senses were concerned only with themselves? But this consciousness, the invisible part of man, urges the factual man to explore more and more into the cause of form life. As the factual or sense man had disassociated himself from his Cause counterpart the instruments were necessary to bring the invisible back into focus that he might realize that he is only a speck in the Cosmos, but an important one. That his duty is to know about that which is in the Cosmos. And since the consciousness urged the mind to venture into space with instruments man continues to got more and more knowledge about space which has never been known before in this civilization.
372 自分の感覚が自分自身のみに向けられている等、もし人間の意識が作用していなかったとしたら、これらはすべて起っていたでしょうか?ところがこの意識という存在、人間の内の目に見えない部分が現実主義者を形有る生命の因の中、奥深くに探検せよと促しているのです。現実主義者、あるいは感覚人は自分自身を自らの因の相手役から切り離してしまった為、自分が大宇宙の中のしみでしか無く、しかし重要な一つであることを理解するよう目に見えない背景を鮮明にする為に装置が必要になったのです。人間の義務は大宇宙の中に何があるかを知ることです。また意識は装置を携えて心に宇宙を冒険しに出ていくよう促した為、人は宇宙についてより多くの知識を得続けていますが、このことはこの文明以前には無かったことです。


【解説】
 先日、テレビでハワイにある日本の国立天文台で精密なアンドロメダ星雲のカラー写真が撮影されたと報じられていましたが、こうした宇宙の理解・探求無くして人類の進化は無いのかも知れません。宇宙を探求する望遠鏡その他は人類に宇宙的な概念を与える大きな役割を担っています。
 肉眼では見えない宇宙奥深くに広がる神々しいほどの星の世界を見る時、私達の日頃の取り扱う範囲が如何に狭い範囲に留まっているか、またそれで満足している感覚心とこの大宇宙の英知とが、どれほどのスケールの差があるかとつくづく実感できます。
 また一方では、かつての地球文明も栄華を誇るものもあった訳ですが、宇宙に関する限り、現文明はかつてないレベルに到達していると著者は述べています。1952年11月20日、デザートセンターから始まった一連のコンタクト事例は、その後、宇宙開発時代へとつながり、今日では惑星探査計画に発展していますが、それら一連の進化は、他惑星文明によって計画し、実行されたスペースプログラムの一つであるように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落371

371 And what would be the extension of our mind? A desire for knowledge must be the foundation. I will use a mechanical device as an example. In the early days of astronomy a small optical instrument was constructed to look into space towards the stars. It was a sort of extension of sight through a mechanical device to see and learn more about what was seen as a light. And to try and tell if it was solid, and if so what was on it. As the Moon was the closest large object, it was the first to be observed and mountains and craters were seen on it. The physical sight could not see these, so we could say that this was a mechanical eye which helped to extend knowledge, all because there was a desire to know. For something within man has always told him that there was more to life than this earth. As time passed. progress has been made in an extended view through the instruments. And today the 200 inch telescope on Palomar Mountain is bringing knowledge to man of bodies previously unknown, existing in invisible space. And this is just a beginning for electronic instruments will reveal much more. This is also true through a microscope.
371 そして私達の心の拡張とはどのようなことでしょう? 知識に対する願望がその基礎であるに違いありません。一例として機械装置を取り上げようと思います。天文学の初期の頃は、小さな光学装置が星々に向けて宇宙を覗き込む為に組立てられました。それは光体として見られたものについてより大きく見て学ぶ為の機械装置を通じてのある種の視覚の拡張であったのです。また、それが固体であるかどうか、またそうであればその上に何があるのかについて調べて知らせる為でありました。月は最も近い天体であった為、最初に観測され、月面に山脈やクレーターが観測されました。肉体の視覚はこれらを見ることは出来ませんので、私達はこれを知識を広げるのに役立つ機械的な目と表現することが出来ますし、これら全ては知りたいとする願望があったから出来たことなのです。何故なら人間の内部の何かが常にこの地球以外に生命について更に何かがあると語りかけて来たからです。時が経つにつれ、装置により視界を拡張する為の進歩が為されました。そして今日では、パロマー山の200インチ天体望遠鏡は目に見えない宇宙空間に存在する以前に知られていなかった天体を人類にもたらしています。これは単なる始まりでしかありません。電子装置は更に多くのものをもたらすことになるからです。これはまた、顕微鏡についても同様に真実です。


【解説】
 肉眼では見えない世界も望遠鏡や顕微鏡の助けを借りれば、私達はその内容を知ることが出来ます。先ずはそこはどうなっているのか等、知りたいと思う所から物事が始まり、やがて今日では私達の身近な道具としてそれらの機器を手に入れることが出来るようになりました。
 しかし、これら機器の開発についてもう少し考えを深める必要があるようです。それら機器の開発は私達がその実態を見たい、知りたいと思う所に発端があり、開発の結果、機械的な支援を受けることで視力が増したことになります。
 同乗記その他に記載がある通り、他惑星人も強力な望遠鏡を有しており、遠距離から地上の人物を観察出来るようですし、偵察用小型円盤でも様々な波動を記録し、伝送することで私達の精神状態を離れた場所から観察することも行われているようです。
 これらは肉体の感覚器官を助ける道具な訳ですが、これら道具を通じて私達ははじめて肉眼が明かすことのない世界を見聞きすることが出来、そのような世界が広がっている事実に気付くことになります。人間の感覚を拡げる為に先ずは機器を活用することの必要性を本項は述べているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落370

370 Before we proceed with the lesson promised I want everyone to recall that the so-called material world is an effect of the so-called spiritual or invisible side of life. Like an idea that is invisible to those around you until you explain it in words or create the idea into a form for them to see. So it is with all that we know - the invisible supporter of that which is visible. Just recently scientists have learned the process of how to draw upon invisible space for certain materials, as today there are more elements known than there were a few years back. And there are now several precious metals that are too costly to produce on a large scale at this time. But the substance for them was taken out of space, which is invisible. This is a proof that out of the invisible comes the visible and back to invisible. And over and over the process goes on. This should give us support for our next step in viewing and traveling in the Cosmos without the mystical application. But with an extension of our sense mind into the conscious sea of life.
370 お約束した教科に進む前に、私は皆さんにいわゆる物質世界は生命の内、いわゆる精神的ないし目に見えない側の結果の一つであることを思い出して欲しいのです。それは貴方がそれを言葉で説明したり、見える形に造り上げない限り、貴方の回りの人々にとって貴方のアイデアが見えないのと同様です。それは私達が知っている全てについても同様です。目に見えるものに対する目に見えない支持者の存在です。丁度最近、科学者達はある物質について目に見えない空間から引き寄せる手法を学び取りました。数年前より、多くの元素が発見されているからです。そして今や、現時点では大きな規模では造り出すのにあまりにも費用がかかる数種の貴重金属が存在します。しかし、それらの物質は目に見えない宇宙から取り出されました。これは目に見えない所から目に見えるものが出現し、再び目に見えない世界に帰って行く証でもあります。そして何度も何度もその過程は継続します。このことは私達に、次の段階として神秘的な応用によらずに宇宙を眺め、旅する際に支援を与えて呉れるものです。しかし、それは私達の感覚心を生命の意識の海にまで広げることが前提です。


【解説】
 私達が暮らすこの物質世界は実は結果に過ぎず、それを支えるのは目に見えない因の世界であると説いています。何か「般若心経」の「空」と呼応するイメージを持たれるのは私一人ではないのではと思う次第です。それ程に実は目に見えない因の世界の働きこそが重要な訳で、それに対応する私達の感覚心や意識等、いわゆる精神面の機能が取り組みの対象となっている訳です。
 無から有が生じることは、素粒子実験等でも明らかになりつつあるようですが、本書で言うように空間から様々な原子を取り出すことすら出来るようになるのかも知れません。
 このように可能性を秘めた空間ですが、私達は自らの感性を高めてその可能性の海に漕ぎ出す勇気が必要です。大事なことは何事にもそれを支える因の力があり、そのお蔭で結果物の世界が成り立っていることです。私達の暮らすこの地球もその自転速度がわずかに変化しても、甚大な影響がもたらされるでしょうし、その大いなる因の作用が少しでも弱まればこの惑星の存在も危うくなることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落369

369 There are very few people in the world that are individualists. And those who are oftimes have a hard time because they do not go along with society and are considered non-conformists. History shows that all great souls in this world were non-conformists for they were individual and endowed with the deeper meaning of life.
369 世の中には自立主義者は極めて少数しか居りません。そして彼らは社会とうまくやっていない為にしばしば困難に直面し、非同調者と見なされて来ました。歴史はこの世の中の全ての偉大な魂は非同調者でした。彼らは独立した個人であり、彼らには生命のより深い意味が授けられていたからです。


【解説】
 惑星の住人がその惑星の命運を決めていることは確かですが、惰性の生活パターンを繰り返す中にあっても、進化の可能性に望みがあるのは、時々現れる改革者、自立した思考の持ち主のお蔭ではないかと考えます。もちろん、本講座の著者であるアダムスキー氏もその一人ですし、過去の歴史を振り返っても、時の人々の常識から離れて、真理を探求して来た人々は数多く存在します。地動説を唱えたコペルニクスやガリレオをはじめとして、ソローやエマーソン等、大衆の志向に媚びない自立した人物が私達の観点を新たなものに変えて来ました。
 本講座においても、まだ一般には認識されていない「意識」の働きや「感覚心」の問題等、多くの重要なポイントを説いていますが、それを活かし普及させるのは、それらを学ぶ私達をおいて他にありません。
 とかく社会に迎合して安直に生きる道を選びがちですが、その先には何もなく、実りある道筋はこれら数少ない先人達が示した道を各自、少しずつ歩む中で、やがて道も広がり、揺るぎない大通りになって行くものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落368

368 The effect mind which is the personality, usually follows the law of least resistance and allows itself to be molded into the environment of the word's society. This is why man feels strange to man, even though he is molded into the same type of society. And it is because the ego or sense mind is a stranger to the Cosmic Principle and itself caused through the divisions between individual identity and the ego. The individual acknowledges everything in unison whether visible or invisible to the sense mind, while the sense mind acknowledges only that which it calls concrete form. Yet when questioned the mind admits that there is something behind the concrete manifestations. But it does not like to go on record that there is for fear of what a neighbor or society might think of him. This shows that the individual's identity tried to alert the mind but the mind fears not to go along with society's pattern.
368 結果である心は個性でもありますが、いつも最小の抵抗の法則に従い、自身を世の中の環境の中に鋳込まれることをやむなしとしています。これが人が自分が同じタイプの社会に鋳込まれているにも関わらず、他人に対してよそ者の感じを受ける理由です。そしてそれが、エゴ、即ち感覚心が宇宙原理に対してよそ者であり、それ自身個人の正体とエゴの間の分裂によってもたらされているからです。個人の正体は感覚心に見えているか見えていないかに関わらず全てを調和していることを認知しますが、感覚心は具体的な形を必要とするもののみを認知します。しかも尋ねられると、心は有形の創造の現れの背後に何かがあることを認めます。しかし、心は存在する記録には進んで行きたがりません。何故なら隣人或いは社会が彼をどのように考えるかを心配するからです。これは個人の正体は心に注意を喚起しようとしますが、心は社会のパターンに沿って進まないことを恐れていることを示しています。


【解説】
 確かに環境に順応すれば変に目立つこともなく、安穏に過ごすことが出来るかも知れません。社会と同様の生活に身を置くことは、現実社会で暮らす多くの人々とうまくやって行けるのかも知れません。しかし、それでは本講座の意義は半減してしまいます。人々をより良い段階に誘導して行く為には自ら進んで生き方を学び、後続の者に伝える必要があります。
 また本文に記されているように、一端環境と融合してしまっていると、他人に対してよそ者のように感じるという傾向も確かにあります。自分以外のものに対して警戒するのお感覚心の特徴です。
 私達自身、少しでも生命について考える時間を持つなら、それを生み出す知性の存在やその永久なる活動について、宇宙の記憶の部分まで探求しようと思う訳ですが、反面そうした目に見えない領域への研究は、世間を気にする感覚心はしたがらないということでしょう。本書は一般社会に暮らす私達が世間に流されず、探求する道が容易ではないことを諭しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第10課-段落367

367 You as an individual are a unit of many experiences, even in this life. As an individual you have gone through billions of chemical changes with each absorbing the previous one. So the cosmic identity of you, the individual, has been constant with no divisions. Each succeeding stage of your life was the embodiment of previous stages from the time of your birth to the present day. Every pulse of your being from the day of your conception on into a form have been recorded in the Cosmic Records. No pulse or act was left out. Your form may have a record of from 20 to 90 years in your present earthly life, but in eternity it is less than a thousandth part of a second. Yet you figure the seconds in the earthly time of age and every second some form of newness has taken place. And every second absorbing the previous second by the individual that brought you to this stage of life. But the sense mind docs not figure this way. But when it does become one with the consciousness it will be able to review all of the changes that have taken place during its years of life. Yet not for one moment did the individual lose his identity. But the sense mind or personality has been lost many times through its lack of awareness of what it is. The personality changes many times during a life time even to the degree that pictures taken at different ages show very little resemblance to the way one looks now. While the individual consciousness remains the same.
367 一個人としての貴方は、この生涯にあっても多くの経験からなる一単位です。一個人としては貴方は各々がそれ以前のものを吸収し、何十億回もの化学変化を遂げています。ですから、貴方の宇宙的正体には分断はありません。貴方の生涯の各々の継続するステージは貴方の誕生から今日に至るまで以前のステージの具体化であったのです。貴方が形有るものとなった受胎の日から一つ一つの鼓動は全て宇宙の記録の中に記載されています。いかなる鼓動或いは行為も漏れることはありません。貴方の形は現在の地球上の生涯の中で20から90年の記録を持っているでしょうが、永遠の中にあっては1秒の1000分の1よりも短いものです。それでも貴方は地球上の時間である秒数を数えており、その秒毎に何らかの新しいことが起っています。また秒毎にそれ以前の秒間がその個人により吸収され、貴方を今日のステージにもたらすのです。しかし、感覚心はこのようには描きません。それでも感覚心が意識と一つになる時、それは生涯の間に起ったすべての変化を読み返すことが出来るようになります。それでも一瞬たりとも個人が自分の正体を見失うことはありません。自分が何であるかの知覚が不足している為に、感覚心、或いは人格(訳注:パーソナリティ)は何度も失われるのです。異なる年代で撮られた写真が、今見るのと少しも似ていないように見えるほど、生涯の間には何度となく変化します。一方、個人の意識は同じまま留まります。


【解説】
 結局は宇宙の中に静止・停滞は無く、絶え間ない変化・活動があるのみです。私達自身についても身体の生命活動はもちろん、各自の日常の体験の積み重ねが本人自身を作り上げて行く訳です。そうした中で、私達のエゴ(自我)はとかく自身を見失い混乱して何かの拠り所を絶えず求めて行く訳ですが、そのもうひとつの半身は常に宇宙生命と繋がっていて、自分を見失うことはありません。
 人生を歩む過程のあらゆる体験や行動、想念が宇宙には記憶されていると言います。今日ではテレビ番組が全て録画できる機器も出ておりますが、それと同様に各自の想念や行動は全て大宇宙に記録されるという訳です。もちろん、これらの記録は必要の場合にはいつでも再生出来ることは言うまでもありません。
 こうして私達は常に変化の途上にある訳ですが、その中で私達自身の自我(エゴ、個性)は変化して行くことは当然です。進化の道を歩む者はますます人格が磨かれその者を取り囲む環境も同時に進化向上して行きますが、逆に自らの感覚心の言うままに暮らしている者は自ら人生を荒んだつまらないものにして退化の道を知らず知らずの内に下っているのです。
ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
プロフィール

ganetworkjapan

アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ