2013年04月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落305

305 The space people live this understanding of life, but they also have a long way to go to attain it. However they have set their foot upon the right path and eventually will accomplish what they have set out to do. While we have promoted various highways and by-ways that have proven to lead everywhere except to the household of the Creator. We can be thankful to the Brothers for giving us the key of consciousness that unites all creation as one with the Creator.
305 宇宙人達は生命に関するこの理解を生活の中で実行していますが、彼らにもまたそれを達成する為の長い道があるのです。しかしながら、彼らは既に正しい道筋に足を乗せており、やがてはその提示したなすべきものを達成することでしょう。一方の私達は(戻るべき)創造主の家庭以外のあらゆる場所に導くものであることが明らかとなった様々な大道や脇道を奨励して来てしまっています。私達は宇宙兄弟達にすべての創造物を創造主と一体化する意識のカギを与えてくれたことに感謝してもよいでしょう。


【解説】
 本項は、この「生命の科学」講座が生まれた背景と目的を説いています。
 私自身、この解説文を書くに当たって、毎朝の通勤途上の空き時間に、1段落ずつ読み返し、そこから得た感想を記している訳ですが、その結果分かったことは、一つ一つの段落は注意深く繋がっていることでした。はからずも著者の思考の道筋を辿るような仕事になっています。
 そこには、一段落ずつ著者の思いがあり、他惑星人による工夫された道筋がある訳で、私達は各段落から得るべきものを身に付ける必要があります。
 本項によれば、宇宙兄弟達も決してゴールに到達した訳でなく、私達の先を進む先人です。その先人達が私達に残したのがこの講座ということになります。読者の多くが本書の内容に何か物足りない、あるいは具体的な記述が少ないという印象を持つとしたら、それはあくまで本書が、私達の心の姿勢を矯正する為、意識の存在に気付かせる為に記されたものであり、決して必要以上の知識を授ける目的の本ではないことに起因します。
 知識は必要ですが、それ以上に知識の源泉の存在とそこから放射されるメッセージを感じ取る能力の開発が第一である訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落304

304 We are all conscious beings and the still small voice which is consciousness keeps impressing us that there is a better way than the mind has promoted. It is not some teacher or preacher, here and there, that can tell us how, but the consciousness that is within each, as it is within him. For it is THIS that has made man aware of a better life for centuries, and it will continue to do so until man's sense mind gives its dominion over to consciousness. And when this happens man will know, for he will never again sense any divisions or feel himself separated from the Creator.
304 私達は皆意識的な存在ですし、意識である小さくかすかな声が私達に心が押し進めているよりも良い方法があると印象づけ続けています。私達にそれがどのようにしてと教えられるのはここそこの教師や説教者ではありません。それは各自の内側にある意識であり、意識が人の内側にあるからです。何故なら、何世紀にわたって人により良い生活について気付かせて来たのはまさにこれなのです。そして意識は人間の感覚心が意識にその支配権を譲り渡すまで、その援助を続けることでしょう。そしてこのことが起る時、人は理解するのです。何故なら人はそれ以降、決して如何なる分け隔てを感じることは無く、創造主から自身を分離した存在として感じることもないからです。


【解説】
 私達が自身の未熟な心でこれまでやって来られた理由は、私達自身の内部には意識が常に存在し、必要な活動を続けているからに他なりません。従って心が積極的な活動を停止しても代わりにこの意識の作用が顕在化するだけのことですし、心の支配から脱して、宇宙普遍に繋がる意識からの印象に従えば、より良い人生が待っているということになります。
 心を監視して、受ける印象が心の反応によるものか、内部の意識から来るものかを峻別して、常に意識の側に耳を傾けることが重要です。はじめの内は、この意識の自覚は難しいかも知れませんが、一つ一つの成功体験から、自分がどのような態度で印象を求めていたかを良く覚えておき、次回にも活かすことだと思います。そもそも私達が意識の存在についてどのような認識を持っているか、これまでの聖人達がそれについてどのような表現をしていたか等、研究課題は多いものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落303

303 Man cannot forever serve his mind - for himself. Or other minds for other men and expect to realize and enjoy a heavenly state of life.
303 人は自分自身の為にも、自分の心に永遠に仕えることはできません。他人の為、他の心に仕えることも同様で、そうすることで悟りを得、天国のような生活を享受することを望むことはできません。


【解説】
 私達自身、自分と他人とによらず、いつまでも心に仕えるべきではありません。心を頼りにしていては本来の人生を歩むことが出来ないということを本項は示唆しています。既に私達は自らの経験上、心は知識も十分でなく、記憶も曖昧である一方、好き嫌いや恐怖心だけは極めて迅速、強大な力を及ぼしています。長らく私達はこの横暴な心の奴隷として仕えて来ましたが、それでは、人生を無駄に過ごすだけだという訳です。
 心に代わって私達が注目しなければならないのは「意識」と呼ばれる覚醒状態という訳です。私達の中に心の影響が消失するにつれて、次第に現れて来るのが印象が行き来する世界、意識の活動です。具体的にはヒラメキや美しさの発見等々、言葉によらない知識を取り扱う機会が増えることです。
 その為には、心の反応はさて置いて、更に物事の奥にある法則性や自然の目に見えない動きを察知することに関心を持つべきで、先ずはやって来る印象に対する警戒状態を維持することから始まるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落302

302 Reading these lessons will not do it, but living them will. And when you have done this you will have mastered yourself. And the elements that are here will serve you. For man is the only form that has the potentials of the Father. But he must first recognize consciousness as the Father, and return back from whence he came if he is to fulfill the purpose for which he was created.
302 これらの教科を読むことではそれを達成しません。それらを生きることが達成させるのです。そして貴方がこのことを達成する時、貴方はご自身を支配したことになるのです。そしてここに存在する元素類は貴方に仕えることでしょう。人間が父の可能性を持つ唯一の形有るものだからです。しかし、人は最初に父として意識を認めなければなりませんし、もし自分が創造された目的を成就するのなら、自分が来た所に戻らなければなりません。


【解説】
 読むだけでなく、実践実行することが大事ということは、これまでも繰り返し説かれて来たところです。しかし、その実践とはどのようなことを指すのかについて、私達各人は一度、掘り下げて置く必要があると考えています。
 私自身、以前も同乗記をはじめとする著作を読み、その素晴らしい宇宙兄弟達の生き方に対し、憧れて来ました。時に触れ、それら著作を読んで来たことは確かです。しかし、その一方で、現実の日常があり、実生活は止む無く別の流れで送っていたことも確かです。本項はそのような状況に対して、警告を与えている訳で、各自が具体的にどのような日常生活を送る覚悟があるかと問うています。
 それでは、具体的に何が実践であるかということになります。本講座をはじめとする先人達のアドバイスを良く自分なりに解釈し、それを日常に活かすこと、即ち、読んだら終りとせずに、自分の生活の何処に当てはまるかと研究し、心の持ち方を工夫しながら、現れてくる身の回りの事象との関連性、即ち原因と結果の因果関係の法則性に気付くよう、注意深く現実を観察することも実践に当たることでしょう。
 もちろん、対人、対物に限らず、良い想念や行動によって働きかけることも実践です。
 現実世界に居る私達は、創造主の道具として、他者に対して創造主の想いを伝えることが出来ます。また、そのように自らを通じて創造主の意図が実現出来れば、それは創造主の望むところであり、託された私達本来の目的を果たすことにもなる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落301

301 If you cannot do this from nature's point of view, we have another method by which we can do better than we have in the past. As we are supposed to be Christians -let us use the teachings of Jesus and make them a part of our daily life. Or which ever Messiah you are following - practice their teachings so that they become habitual with you. Just as your associate's habits become a part of you. If you will do this you will be amazed at the changes in your life as the many unpleasant things are replaced by understanding. But you must make your sense mind determined to follow the guidance of The All-knowing Consciousness. Then you can say - "I the sense mind do nothing, but the consciousness does all things through me." If we can accomplish this, which we must do, the newness of life will manifest through us. And old age will be replaced by youth. And sickness will be replaced by health. And we will be on the way in making the Earth a Heaven.
301 もし貴方が自然に対する見解の違いからこのことが出来ない時は、これまで行って来た以上に良く出来るもう一つの方法があります。私達はクリスチャンと想定した場合、イエスの教えを用いて私達の日々の生活の一部にするのです。或いは如何なる救世主に貴方が従っているかを問わず、彼ら救世主の教えをそれらが貴方の習慣となる程に実践することです。貴方の仲間の癖が貴方の一部となるようにです。もし貴方がこのことを行うなら、貴方は自分の生活に起る変化に驚くことでしょう。多くの不愉快な事柄が理解に置き換わるからです。しかし、貴方は貴方の感覚心をその全智の意識の導きに従うことを決意させなければなりません。そうすれば、貴方はこう言うことができます。「私、感覚心が何をするのではない。意識が私を通じて全てのことを為さるのだ」と。もし、私達がこれを達成できれば、またそうすべきなのですが、生命の新しさは私達を通じて現れることでしょう。そして老齢は若さに置き換わることでしょう。そして病は健康に置き換わります。そして私達はこの地球を一つの天国に作り上げる道筋にあることでしょう。


【解説】
 親しむ対象に私達は同化、一体化し、やがては自らもそのものに類似するというものです。丁度、音叉同士の共鳴、ラジオ受信機と同じように同調するということが一つの真理であるという訳です。
 従って、敬愛する聖人達に心を沿わせていれば、自らもそのような要素を持つに至るという訳です。もちろん、その逆も真理なので、日常生活において私達がどのような対象と接しているかについても大事な所です。
 以前、何かのテレビ番組で、高野山では弘法大師が今も生き続けているかのように毎日の食事を運び、仕えているという話を伝えておりました。敬愛する師に同化し、師の教えの真理に近づきたいという気持の表れだと思われます。また、同様なことは聖母マリアの像についても言えるものと思われます。先日、旅行先でファチマに現れたという聖母の像が教会にありましたが、それも人々がその像の前に立つ時、かつて聖母と会ったファチマの子供達と同様な心境になることを願って建立されたものと思われます。
 私達、地球人には太古の昔から、他惑星から数多くの聖人が訪れ、教えを説いている訳で、それらの教えは当然ながら、共通した内容を持っています。真理は一つであり、訪れた土地や時代により、語る言葉が異なるだけのように思います。本講座は決して宗教を取り扱うものではなく、各自の敬愛する師について言及することはありません。ただ、私達が日頃、それらの教えについて少しずつでも実行実践して自ら、その結果を分析することを求めているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落300

300 So if we are to be a perfect manifestation of the Creator we should study nature more than we have, as it is the conscious expression of God. And we should observe and adopt its laws of oneness in the same manner that we adopt each other's habits and even look alike.
300 ですから、私達が創造主の完全なる現れとなるには、これまで以上に自然を研究することです。何故ならそれは神の意識の表現であるからです。そして私達は互いの習慣を取り入れ、姿も似て来るのと同様に、観察し、その一体化の諸法則を取り入れることです。


【解説】
 自然観察の好例としては昆虫記のファーブルを挙げることが出来ますし、日本では細密絵本画家の熊田千佳慕、更には画家の熊谷守一を挙げることが出来ます。中でも熊田千佳慕は常に虫の目線で野原を観察し、優れた昆虫達の細密画を描いた画家として有名ですし、熊谷守一も自宅の庭から一歩も外に出ることなく、庭に生きるアリの観察から、躍動感ある優れた絵を残しています。
 こうした作家は、皆、自然界の動植物をとことん観察した結果、その対象物と一体化出来、その細部にわたる行動を理解し、その意図を会得したものと思われます。本項で言う互いに似る程の一体感が生まれる段階まで観察を深めたということだと思います。
 こうした「一体化」の訓練は、野山の生きものに限らず、あらゆる対象に適用することが出来る筈です。人対人の場合でも、カウンセリング手法としても十分役立つ手法ではないかと考えています。相手を理解する為に、その内部で息づく実体を感じ取ることで真の理解が深まるものと思われます。もちろん、こうしたことは、宇宙兄弟達を理解すること、或いは聖人を理解する上で活用する機会が与えられれば、更に素晴らしく、飛躍的な学習の機会になることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落299

299 Man's law of discrimination and judgment is non-existent in creation. We are told that the sun shines on the just and unjust alike. And while differences are many in the human mind - in the Creator's consciousness all are necessary parts that make up the Cosmos. And without each part the Cosmos would not be complete. The principle difference between man and his creator is that the Creator understands the purpose of creation and finds no fault with it, while the sense man not understanding consciousness, the real part of himself, lives the mental side of life. Thus he finds fault with the Creator's creation and brings about unpleasant conditions for himself. But when man makes the blend and lives the whole life he will know the purpose of creation, no longer using the law of discrimination which caused the unpleasant conditions.
299 人間の差別と裁きのならわしは創造の中には非存在のものです。私達は太陽は正しい者にも不正な者にも等しく輝くと教えられて来ました。また、人間の心にとっては多くの相違が見えるのですが、創造主の意識の中では全てが宇宙を造り上げる上で必要な部品なのです。そして、これらの部品無しには、宇宙は完全なものとはならないでしょう。人と創造主の間の最も重要な違いは創造主は創造の目的を理解し、それに何らの誤りを見い出さない一方、感覚人は自分自身の真の部分である意識を理解せず、生命の内の心の側を生きているのです。こうして彼は創造主の創造作用にけちを見つけ出し、自分自身に不愉快な状態をもたらしています。しかし、人が融合を達成し全ての生命を生きるようになる時、彼はもはやその不愉快な状況をもたらした差別のならわしを用いることをせず、創造の目的を知るようになるでしょう。


【解説】
 万物をありのままに見ること、受け入れることが大事だということでしょう。私達は「見る」と同時に「良し悪し、好き嫌い」を即断し、その対象との対応を瞬時に変えています。これらは長年培った感覚心によるもので、同様なことは美味しい食べ物とまずい食事、心地よい音楽と耳障りな雑音等、実に明確に仕分けされています。しかし、これらは本項で言う差別(discrimination)であり、私達が避けなければならない心の反応です。
 餌となる動物を狩る猛獣や猛禽類その他、自然界を見ると決していわゆる心地よい場面だけがある訳ではありませんが、そう言う私達も食用に鳥や家畜を飼い、その肉を毎日のように食している訳で、また、こうした食物循環は自然界の維持に必要でもある訳です。こうした様々な側面を自らの判断を極力排してそのありのままの姿を直視し、生命圏全体の意義を学ぼうとする姿勢が重要だという訳です。
 その上で、私達がこの生命圏全体の中で、果たすべき役割を探求することが必要とされています。そこには肉体の生死を越えた生命(いのち)の意味があるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落298

298 When we speak of nature, or nature's laws, there are two phases. One, the forms which nature produces in which we see ageing. And what we call ageing could be a fulfillment of the form's purpose that it may be replaced by a new form. But the law of life, or nature, is the same today as it always has been - in the primal stage. Replacing new forms for the old for continuous service, each for a finer quality of expression as nature is progressive. Always going forward, never retrograding. So here we are witnessing the Creator's Consciousness in action. And since only newness comes out of this consciousness, and not age, then we are shown that the Creator lives in the primal stage all of the time. And all that is created by this consciousness is a manifestation of primal cause.
298 私達が自然或いは自然の諸法則について話す時は、二つの面があります。一つは自然が作り出す形あるものであり、そこには私達は老いを見ます。そして私達が老いと呼ぶものはその形あるものの目的の成就とも言えるものかも知れませんし、それは新しい形と置き換えられるかも知れません。しかし、生命の法則、あるいは自然というものはこれまでずっと今日と同じに、原始の段階であり続けているのです。継続的な奉仕の為にこれら古いものを新しい形に、自然は進化する為、一つ一つをより精緻な資質に置き換えています。常に前進し、決して退化することはありません。ですから、ここに私達は、創造主の意識が行動する様を目撃しているのです。そしてこの意識からは新しさだけしか来ず、老化はありません。そうして私達は創造主は如何なる時も原始の段階で生きていることを知らされるのです。そしてこの意識によって創造されたものは全て原始の因の現れなのです。


【解説】
 私達が何処に暮らそうとも、またどのような時代に生きようとも生命の法則は変わることなく、宇宙普遍のままという訳です。
 即ち、太古に地球で生きていた者も今日生きている私達も、そして他惑星で生活を続ける宇宙兄弟達も、その生命を支える法則は全く同一のものであり、全ては同じ宇宙の中に生きているということです。
 一方、同じ法則下に生きながらも、その応用の誤りや誤解から、具体的な環境状況は大きく異なるものと思われます。長年培われた努力の成果は、その土地の文化となってまとまるでしょうし、逆にそこで暮らす人達自体が地域文化の影響の下に暮らしていることも確かです。
 本項で最も注目すべきは「老いは成就である」と説いていることです。草花を見れば、種から芽を出し、成長して花を咲かせ、やがて実を付けては枯れるものも多いものです。人間も同じで、誰でもある程度の寿命があり、肉体の衰えが来ることは間違いありません。その際に生きて来た成果として何があるかが問題という訳です。一口で老いは成就と説かれていますが、その持つ意味は深いものがあります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落297

297 There is one thing that is misrepresented, The Creator is not an old man. For consciousness is always in the prime of life, knowing no beginning or ending as far as we are able to detect. And as we know, the space people live this knowledge and enjoy a youthful long life.
297 誤って描かれていることが一つあります。創造主は老人ではありません。何故なら意識は常に生命の全盛期にあり、私達が探る限り、始まりも終わりも無いからです。そして私達が知っているように、宇宙人達はこの知識を生活の中で実行し、若々しい長い生涯を享受しているのです。


【解説】
 創造主のイメージが各宇宙母船に掲げられていたことは、同乗記に記されているところです。とかく私達は自らの成長とともに肉体が年老いて行くことを理由に、創造主を老人のように描いて来ました。しかし、自然界を見ると、各季節毎に活動のサイクルがあり、一年を通じて生命の再生・復活劇が継続的に行われています。そういう意味からも、創造の原動力は常に活発であり、生き生きしたものであることが分かります。
 地面を動き回るアリ達の旺盛な生活力には驚くばかりですが、こうした活発な生命活動を支えている創造主は、それと同種の生き生きした存在であると本項は説いているのです。
 この重要なる知見について、既に宇宙兄弟達はその生活に活かしているのであり、その結果として明るく充実した長命な生涯を送っていることが重要な所です。私達は彼らを手本として、今度は自分の力で創造主を探り、その真のイメージを確かめる必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落296

296 May I present this in a different way for the purpose of understanding. Recently I was asked, "but what is God like?" It is not easy to describe God, for if a person feels what God is like he cannot find words to express it. But we can study His creation since all manifestations were born out of His consciousness and lives within His consciousness.
296 ここに理解を進める目的から、違った道筋をご提案しましょう。最近、私は「ところで、神とはどのようなものだろうか」と尋ねられました。神を描写するのは容易ではありません。もし、ある人が神がどのようなものかを感じたとしても、それを表現する言葉を見つけることは出来ないからです。しかし、全ての創造物が神の意識から生まれ出て、神の意識の内側で生きている為に、私達は神の創造を学ぶことは出来るのです。


【解説】
 現代の私達は日常生活の中に創造主への関心や認識を必要としなくなってしまいました。もちろん、中世ヨーロッパのように生活の全てを宗教が取り仕切っていた頃に比べて、生活は楽になり、知識も増えたことは確かです。しかし、科学技術が発展した今日でも創造主が求められる時が存在することも確かです。
 それは人間の生命の存続が危機的状況になった時、即ち生死の境であろうと思われます。その時、人は自らが誕生してからの年月を振り返り、終焉を迎える時とどのように過ごすかの問題になりますが、その際に改めて問われるのは、創造主への回帰です。
 即ち、全ての外乱や環境の影響が認識から消えうせる時、出現するのがいつも一緒に居続けて来た自らの内の創造主に繋がる部分ではないかと思われます。
 私事ですが、亡き母から聞いたことです。母の兄が若くして亡くなる時、不思議にも一時的に元気になり、何か花園の夢を見たとのことで、「良かった。良かった。」と言い残して息を引き取ったとのことでした。本講座の観点から言えば、自らの転生先の光景を垣間見て、その美しさをコメントしたものだと解釈出来ます。
 いずれにしても、生死の境のドサクサになって慌てることのないよう、創造主について理解を深めようと日頃から研究、精進することが大事です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落295

295 In lesson seven we illustrated how two people after a period of association began to look and act alike. This harmonious union can also be cultivated with all life.
295 第7課では如何にして二人の人間がある期間、一緒に過ごすことで外見も行動も似て来ることを説明しました。この調和した和合はまた、全ての生命との間にも培うことができます。


【解説】
 あらゆる生命体と融合を図ることが出来るとは何と素晴らしいことかと思います。写真家や画家が作品を生み出す際、単に肉眼の観察だけでなく、自身の意識を浸透させて対象物を理解します。その上で最もその存在の特徴が表れる構図を見出し、作品作りに取り組むものと思われます。こうした一連の作業の中で、いち早く対象物を理解する上で対象物との融合が大事になる訳です。
 もちろん、これら外側のものとの融合一体化も重要なのですが、更に大事なのは私達自身の中の細胞はじめ諸々の存在、とりわけ意識の部分です。常に自分とともにあって、必要な知識を授け、助けてもらっている意識には感謝してもし切れるものではありません。その源となる創造主に対して私達は親密な関係を願うばかりであり、その恩に報いる努力を惜しんではならないのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落294

294 All forms are stages of intelligence. This may not be easy to accept at first for 90% of form life does not have the type of mind that humans have. But they do possess consciousness - the life force of the form, and serve the purpose for which they were created. So once the human mind acknowledges this phase as it does associations with other sense minds, the blend is made.
294 全ての形有るものは知性の諸段階にあります。これは最初、受け入れることは容易ではないかも知れません。何故なら形有るものの生命体の90%は人間が持つようなタイプの心を持っていないからです。しかし、彼らは意識、即ち形有るものの生命力を所有しているのであり、それらが創造された目的に奉仕しているのです。ですから、一旦人間の心が他の感覚心との交流と同様に、この段階を認知すれば、融合が起こります。


【解説】
 今まで、知性ある存在は人間だけで、自然界の他のものは、ただ決められた法則の下、自分の意思や知性は無く、事前にセットされたスケジュールのまま、自動的に生きているのだと私達は見なして来ました。つまり人間だけば考える機能、判断する自由意志を持っているとして来た訳です。それは種を蒔けば、何日後には発芽して、最終的に何時収穫出来るか決まっているという具合です。
 しかし、生命の科学においては、本項で言う知性の段階の中で人間はその本来の位置にはなく、生命を理解し実践していないことが指摘されています。むしろ他の生物の方が余程本来の役目を果たしていることが繰り返し述べられています。
 その理由の一つが本項に述べられているように、生命全体の9割が私達のような心を持たず、いわば自分の意思を無にして、自然の指導そのままに生きていることが挙げられます。即ち、好き嫌いはもちろん、痛みや苦しみを感じることなく、為すべきことを為しているということでしょう。
 そうした自然本来の生命力の存在が、他の人々との交流を通じて得られるのと同様に自然界の動植物その他あらゆる生命活動の中に実感できるようになれば、意識を通じての融合が出来ることを本項は説いています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落293

293 Just as you are able to put yourself in another persons shoes and feel exactly as he feels, so you can with all forms. And this procedure is good to practice. It could eliminate many misunderstandings and heartaches. For there is nothing in existence that one cannot be associated with through consciousness. But the sense mind must be willing to be taught by consciousness, for it is the knower and all forms live within the sea of it. And in this sea all phases are blended into one for the perfect manifestation of the Cosmic Whole.
293 丁度、貴方が他人の靴に足を入れてその者が感じるのと全く同様な感じを持つのと同じように、貴方は全ての形有るものに対して同様なことを行うことが出来ます。そしてこの過程は練習するのに良いものです。それによって多くの誤解や心痛を取り除くことができるでしょう。何故なら、意識を通して寄り添えないものは何も無いからです。しかし、感覚心は意識によって喜んで教えられなければなりません。意識は知る者であり、全ての形有るものはその海の中で生きているからです。そしてこの海の中に全宇宙の完全なる創造の為、全ての段階が融合されています。



【解説】
 私達各自はもっと意識を活用すべきだと本項は説いています。これまでも本講座を通じて「意識」について多く語られて来ましたし、心についてもその限界が繰り返し述べられて来ました。その中で私達は自らの心の持つ課題や欠点については比較的良く理解出来ているように思われます。
 しかし、肝心の「意識」なるものについては、単に心と対峙する存在という程度しか、私自身も含めて理解出来ていないように思われてなりません。
 それに対して本項は、この意識に関係する重要なポイントとして「associate(寄り添う)」という表現を用いていることに先ずは着目したいと思います。即ち「意識を用いる」ことは自らの意識を相手に寄り添うように同化融合させ、相手の状況を知るという感覚を意味するからです。また「触覚」に似た概念であることにも注目したいところです。
 意識を使って、このように相手に同化、寄り添うことで、丁度他人の靴を履いた時のように、印象を感じ取ることが出来るという訳です。本当はこのようなことが真のテレパシー能力というものだと考えられます。私達は、このように目に見えない自らの意識を自在に移行することによって様々な知見を得られるようになるものと思われますし、そうすることでますます、意識が宇宙くまなく繋がる共通の生命力であることを自覚するようになるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落292

292 In other words, I became the part that I wished to understand consciously, by realizing that the part was made by consciousness. For molecules and cells in any form are endowed with consciousness which is the life of the thing. There is not a particle in existence that is not supported by life - or it would not be in existence.
292 言い換えれば、私は私が意識的に理解したいと思う物に対して、その物が意識によって作られていることを実感することで、その一部になったのです。何故なら、如何なる形有るものも分子や細胞にその物の生命である意識が授けられているからです。生命によって支えられていないものは、みじんも無いからです。そうでなければ、それは存在しないでしょう。


【解説】
 相手を理解する為には意識レベルにおいて相手と融合することが必要だと本項は説いています。
 「相手が自分を受け入れているかいないか」、或いは「相手が自分を理解している、或いは理解しようとしているか」は一般的に感受できるものですが、私達は実際にはそれを単に言葉は表情ではなく、「感じ」や「印象」で判別しているように思われます。その根底にあるのが「意識」であり、「意識レベルで相手と融合する」ことで相手を理解し、受け入れることになります。
 こうしたことが日常的に可能になれば、もはや言葉や文字の表現は不要となり、あらゆるものと意識を用いて互いの価値を理解しあえることになります。
 こうした能力は「テレパシー」とも言えますし、創造主の意思を知り、学ぶ学習の機会を得ることにもなる筈です。その為の一歩がその基本要素である「意識」の存在とその作用についての学習であると言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落291

291 This is only one of the experiences I remember from the trip, for the association with all that were on the ship was also a feeling of oneness, never to be forgotten. And this union of sense mind and consciousness included the ship which was carrying us. For the molecules, the conscious entities of my form, became one with the conscious molecules of the ship's form. Yet the geometrical pattern of each form was different, and for a different purpose in the field of effects. But the cause was the same, for each form was serving a cosmic purpose.
291 これはその旅行から思い出す体験の一つに過ぎませんし、その船にいる全てとのつながりは、また、決して忘れることのない一体感でもあったからです。そして感覚心と意識との結合は私達を輸送するその船も含むものでした。何故なら、私の体の意識的実体である分子達は船体の意識ある分子達と一つになったからです。各々の体の幾何学上のパターンは異なり、結果の世界において異なる目的のものではあります。しかし、その因は同一です。各々の体は宇宙的目的に奉仕しているからです。


【解説】
 結局のところ、「一体感」は私達の肉体の分子レベルにおいて意識が融合することに起因することを、本項は説いています。万物ことごとくに浸透し、存在する「意識」は相互に融合し合う中で認識を共有するものだと思われます。
 一方、こうした状況がどのようにして達成出来たかについては述べられておりません。もちろん、土星旅行の際にはこの状況を促進する何らかの装置類が装備されていたものと思われますが、著者アダムスキー氏がこのことを本講座の中でこのように繰り返し述べていることに、私達は着目しなければなりません。私達自身、各自は60兆個もの自らの肉体細胞、更にはそれらを構成する分子原子の一つ一つを知覚し、意識してそれらと交流することによって、他の対象物とも同レベルの交流が可能になるということではないかと考えています。
 よく言われる言葉に「全身全霊で」という表現がありますが、目標に向かう際には、心だけの浮ついたレベルでなく、自身の身体の細胞及びその構成員である細胞の意識等、あらゆるものを総動員して対象と接することで、道が拓けるように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落290

290 In that frame of mind I became fully aware of the intricate parts of the instruments and their purpose. And I had the feeling of being a part of each part, and felt my purpose of being in cooperation with others. This was so clear, but I cannot find words to illustrate my feeling. It was so definitely impressed upon me that I cannot forget the experience. Even as I speak of it I enjoy the feeling once again.
290 この心持ちの中で、私はその装置類の入り組んだ部品やそれらの目的を完全に分かるようになりました。そして私は個々の一部であるかの気持になり、他と協力するという私の目的を感じました。それはとても明瞭なものでしたが、その時の私の感じを表現する言葉が見当たりません。それは私にそれほどにはっきりと印象付けられましたので、私はその体験を忘れることはできません。そのことを話す時でさえ、再びその感じを味わうほどです。


【解説】
 誰にも忘れがたい記憶の場面はあるものですが、本項に書かれている事項は、土星の宇宙船内でアダムスキー氏自身が特別に体験したということで、ある意味、特別なものだと考えます。
 普通の私達にとっては、宇宙船に乗ること自体、夢のような出来事なのですが、更にこの場合は、土星からの特別な母船であった訳で、アダムスキー氏自身にとっても珍しい機器に驚くばかりの光景であったことが想像されます。
 そうした中で、誰から説明を受けることもないまま、自身の印象のキャッチ力を駆使してその一つ一つに対峙する時、各機器と意識を通じ合わせ、互いに理解出来るような不思議な状況が起こったものと思われます。物と一体になる体験をその宇宙船の中で得たという訳です。これらの事柄は日本神道の例を引くまでもなく、地球では古来から「語られて」来た訳ですが、他惑星においてはそれらが隅々にまで実践され、具体的には個別宇宙船の機器についても、それを実現するまでの段階に発展しているということだと思います。
 人や物に限らず、対象と真に交流する為には、対象と意識レベルで融合する必要があり、それらの融合体験が自らの意識拡大の原動力になるように思われますし、その状況を記憶することが大事だと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落289

289 On the return trip I became interested in the instruments as before. But then the mind was patient and ready to receive the explanation given it by the consciousness. It was not filled with the original curiosity, but a desire for knowledge. Like a child in a classroom who understands without questioning.
289 帰還の旅で私は前と同じようにその装置類に興味を持ちました。しかし、今度は心は忍耐強く意識によって与えられる説明を受け入れる用意が出来ていました。心は当初の好奇心によってではなく、知識を得たいとする願望によって満たされていたのです。勝手な疑問を差し挟むことなく理解する教室の子供のようにです。


【解説】
 土星旅行の帰還時の模様を述べた本項ですが、注意深く読むとその時の状況が良く分かります。即ち、この旅行は土星での惑星間会議にアダムスキー氏を出席させるために用意された宇宙船であり、そこには未だ地球人には教えられない様々な先端技術が装備されていたということでしょう。
 従って、個別の装置について宇宙人側からの解説は行われなかったように思われます。本文中には「意識によって説明が与えられた」となっていて、宇宙兄弟達からの説明とは記述されていないからです。
 しかし、奇妙な形をしている諸機械の機能も、心がじっとその観察を続けていれば、意識からその真相がもたらされることを本項は示唆しているという訳です。
 私達地球人に対して、宇宙兄弟達は技術の一つ一つを丁寧に教えることはないように思われます。学び取り、自ら応用するのは地球人の責務であり、重大な岐路にもなる技術の導入についてまで介入することは宇宙の法則に反するということでしょう。核兵器の開発等、その典型です。惑星の事柄は原則、その惑星の住人が責任を持つ必要があります。この生命の科学についての原理は繰り返し教えますが、日常生活への実践応用は全く、各自に委ねられていることも同じです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第8課-段落288

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON EIGHT
Cosmic Oneness
By GEORGE ADAMSKI

288 In lesson seven we spoke of my experience in the Saturn space ship. And as stated, when I first entered the big ship my mind was attracted to the instruments. But I had to quiet this interest in order to place myself in the realization of conscious awareness that I might be worthy of the primary purpose of this trip. The mind was like a child that wants to ask a lot of questions without listening to the answers. So the sense mind was quieted to listen and not be curious. This was of value for I was ready to listen through the sessions of the Council. But even then the sense mind had questions which I ignored, giving them no expression. So at the end of the Council my mind had no questions, all had been answered.

生命の科学-学習コース
第8課
宇宙的一体
ジョージ アダムスキー著

288 第7課では土星の宇宙船での私の体験についてお話しました。既に述べたように、私が初めてその大型宇宙船に乗り込んだ時、私の心はその装置群に興味を引き付けられてしまいました。しかし、私はこの旅行の大事な目的に値するよう、宇宙意識の実感に身を置く為、この興味を鎮めねばなりませんでした。心は答えに耳を貸さずに多くの質問をしたがる子供のようでした。ですから、感覚心を静め耳を傾けさせて、好奇心を持たせないようにしました。これは価値があり、私がその評議会の会議を通して聞く準備が出来ました。しかし、それでも感覚心は問い掛けて来ましたが、私は無視して、それらに何らの解説を与えませんでした。その為、評議会の終わりには、私の心は何らの質問を起こしませんでした。全ては回答されていたからです。


【解説】
 意識との関係においていつも課題となるのは、心の動きです。一見して心が嫌がるものに対しては拒絶反応を示す一方、本項のように興味を持つ対象に対しては、前後の見境無く自らの関心に突き進んでしまいます。
 本項の場合、宇宙旅行の目的は土星で開催される惑星間会議であった訳で、心はそれへの対応に専念すべきことは言うまでもありません。著者アダムスキー氏はその間の心の反応を正直に私達に伝え、心の反応への対応の大切さについて説いている訳です。
 こうしたことは日常的にも私達の周囲に起こっている訳で、私達は心を監督しながら、必要な方向へリードし続けなければなりません。有頂天になったり、逆に落胆したり、私達の心は不安定であり、絶えず本来の方向にリードする必要があるのです。一方、本項に述べられているように、心を鎮めて意識から来る印象を感受するようになると、心の疑問は既に解決し、理解は自ずと進んで来ることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落287

287 In the next lesson we will explain this more thoroughly.
287 次の課ではこのことを更に徹底的に説明しましょう。


【解説】
 誰しも幼年期の記憶の幾つかは鮮やかに覚えているものです。それが何処に起因して記憶に保たれるかについては、その体験が意識レベルまで深まったものであったことが原因と思われます。
 前々項(285)の船と船長の話についても、両者が一心同体のような意識の融合状態にあったためのものですが、諸々のものに自分と区別なく一体化する所に、本学習のポイントがあるように思われます。
 これは芸術の分野では特にそうで、絵画を描く画家が描きつつある一枚の絵の中に自分の意識を没入させるように、意識を自在に移行させ、対象物との自他の区別を無くすことが対象を理解することに繋がるというものです。
 そういう意味からは、私達は自らの身体や自然界を通じて、最も知るべきは創造主ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落286

286 This is comparable to all form life in relationship to conscious intelligence once man lives the oneness of life. And this is the way that I felt when I was on the ship.
286 これは一度、人が生命の一体性を生きるようになれば全ての形有るものの生命と意識の知性との関係は同様になります。そしてこれが私がその宇宙船にいた時に感じた状況です。


【解説】
 結局、私達が目指す宇宙生命との一体性は決して難しいものではないのです。全ての生きとし生けるもの達とは同じ「意識」で繋がっている訳で、それを中心に据えて生きていれば、全てが自と他の区別なく、互いの奉仕の中で各々の生命を全う出来るということでしょう。
 時、まさに春爛漫の季節を迎えようとしていますが、櫻や木蓮その他様々な花は皆、その種毎に連動して花を咲かせ、周囲を楽しませています。多くの草木が新芽を出し、花を咲かせるこの季節はまさに生命の絶えざる再生を表します。またその姿を通じて私達に生命の価値を教えるものでもあります。これら多くの生きとし生けるもの達と同じ世界に生きていることに私達は感謝しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落285

285 When I succeeded in doing this my mind felt that a vast door has been opened to an unlimited vision. And I experienced a full comprehension of things that my mind had never heard before. It was a feeling of no limitation, and everyone, including the ship, seemed to be a part of me. The ship seemed to become a living thing and for the first time I understood how a Captain of an ocean liner feels when his ship is sinking. In many cases he sends the crew away but he stays with the ship. And should he leave the ship he keeps looking back until it is seen no more, and he feels that a part of him went down with the ship. And a part of him did go down with it which he can never forget, for its impressions were so intense. You see the ship's life was also the captains life as they had lived together so much that they became like two persons, each sharing the others feelings. One was the intelligence of the captain, the ship was the servant, and through this they became as one.
285 私がこのことに成功した時、私の心は何か巨大な扉が無限に続く視野へと開かれているように感じました。そして私はかつて私の心が聞いたことのない、ある完全な物事の理解というものを経験したのです。それは無限の感じであり、誰もが、その宇宙船も含めて私の一部のように思えました。宇宙船は生きているもののように見えましたし、はじめて私は大洋を渡る客船の船長がその船が沈む時にどのように感じるかを理解しました。多くの場合、船長はその船員を退避させますが、彼は船に留まります。また彼が船から退去するにしても、彼は見えなくなるまでその船を振り返って見ていることでしょう。そして、自分の一部が船といっしょに沈んだと感じます。そして彼の一部は実際、それと共に沈んで行き、彼はそれを忘れることは出来ません。その印象がそれほど強烈だったからです。お分かりのように、その船の生命はまたその船長の命でもありました。両者はそれほどに長い間共に暮らした為、二人の人物のようになり、互いに他が抱く印象を分かち合っていたからです。その二人とは一人は船長の知性であり、船はその召し使いでした。そしてこれを通じて二人は一体になっていたのです。


【解説】
 意識を中心に生活する際の究極の状況が本項で言う一体感なのだと思われます。互いが意識レベルで融合する時、両者は一体となり想念も自由に交流でき、互いが感じることを分かち合えることになります。
 本項では船と船長の例が語られましたが、これは人と人なら尚のこと互いが一体となって同じ感動を得られることになります。詳しいことは分かりませんが、映画「アバター」では他惑星で住人達が生命の木を前に揃って祈りをする場面がありました。映画の中では何百という人々が一斉に同じ動作となって表現されています。一人一人が一つの細胞の役割を果たし、集団全体が一つの生命体を構成するようなイメージを伝えていました。
 意識レベルで互いに融合することの中には、新時代に相応しいより高次な人間の生き方に通じる要素が備わっているように思います。土星旅行の場合、そのような高速度で宇宙空間を移動する為には、おそらく乗員の全てが意識レベルにおいても一体化する必要があったものと思われます。
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