2013年03月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落284

284 At this point my feelings were mixed between mental curiosity and the cosmic purpose of the trip. So it was my duty as a mentalist to control myself and know that I meant nothing, but what I was about to learn meant everything. In other words I had to lend myself to my better self which was the conscious teacher, knowing that my personal toys would be there when I needed them.
284 この時点で私の印象は心の好奇心とその旅行の宇宙的目的との間に融合されました。そこでは心主義者として私の為すべきことは自分自身を制御し、私が示すものは何らの意味はなく、私がこれから学ぼうとすることが全てであることを知ることだったのです。言い換えれば、私は意識の教師であるより良い自分自身に自分を委ねなければならなかったのであり、それは必要になった時、私の個人的なおもちゃ(訳注:個人的な興味の対象物)は現れることを知っていたからです。


【解説】
 自分自身との付き合い方は容易ではありません。与えられた折角の機会でも、単なる浮ついた好奇心に支配されて大事なものを失うことも多いものです。アダムスキー氏にとっても、類似した傾向を持ったことを本項で明かしている訳です。
 その場合、舞い上がる心を諭して、より本質的な課題を目指すよう心を指導する意志があれば、後は意識がその後の支援をして呉れるというものです。この意識による支援を頼りに生きることが、重要なポイントということになります。
 多くの場合、これらが自動的に行われるようになると、その成果も増すことから、益々意識への信頼も高まり、印象を重視した本来の生き方が実現することになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落283

283 When leaving California I walked into a small scout ship. It took me to a mother ship that was a different type from any I had been in before. There were many things to distract my mind from the purpose of the trip and I was interested, from the mental side of my nature, in all the strange looking instruments. But soon I realized my distraction and organized my faculties, remembering the purpose. This was not easy to do, for the mind is very selfish and wants to eat more than it can digest and by so doing it scatters itself in various directions. But my consciousness told me that on the return trip I would have time to observe all of these things and in the meantime I was to place my mind in unison with my consciousness that I might absorb the important lessons that were to be given.
283 私はカリフォルニアを離れるに際して、1機のスカウトシップに乗り込みました。それで母船まで行ったのですが、その母船はそれまで乗ったものとは異なるタイプのものでした。その旅行の目的から私の気をそらす多くの事物があり、私の心の側からすれば興味がある奇妙な形をした装置類がありました。しかし、直ぐに私は自分が気を散らしていることに気付き、旅行の目的を思い出しながら私の果たすべき機能について整理しました。これは容易なことではありませんでした。何故なら、心は大変自己中心的で消化できる以上のものを食べようとしますし、そうすることによって様々な方向に自分自身を分散させてしまうからです。しかし、私の意識は私に帰還の際にこれらすべての物事を観察する時間があることを教え、そうする内に私はこれから私に与えられる筈のその重要な教科を吸収出来る様、私の意識と調和させることとなったのです。


【解説】
 既に多くの読者が知っている「土星旅行」(1962年3月27日から30日)がどのように為されたかが、本項以降に記述されています。この土星旅行なるものは、アダムスキー氏の他の宇宙船同乗の場合と異なり、土星で開催された惑星間会議という特別な意義を持っていた訳です。
 また、この時の宇宙船のスピードに関しては、当時の協力者の間でも物議をかもしたことも有名な話です。なお、ちなみにその点に関して、アダムスキー氏は全くの意識による旅行をしたのではないかという疑問に対し、前回の解説欄(282)で、私が会ったエマ・マーチネリ女史から与えられた逸話として、エマがアダムスキー氏にその件を問いただした所、氏は髭剃り用の安全かみそりを持参したと話され、通常の肉体のままの旅行であったことを紹介済です。
 さて、この宇宙船は高速で飛行する為の特殊なものであったようです。詳しくは語られませんが、確か「土星旅行記」の中では宇宙船から出た時に、一同の身体が光っていたという記述があったように記憶しています。それ程にその宇宙船の内部は特殊な機能に溢れていたものと思われます。そうした光景が目に浮かぶようになれば、少なくても私達は自らの意識を浸透させて、著者と同じ状況を垣間見ていることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落282

282 Here I will endeavor to give a short experience that I had on my Saturn trip. And you can see how well you can place yourself in consciousness with me, and in this way you can see if the trip is as real to you as it was to me when I made it.
282 ここに私は私の土星旅行の際に得た短い体験を伝えようと努力したいと思います。そうすれば貴方は私といっしょに貴方自身を意識の中に上手く置けるかどうかが分かるでしょうし、このようにして貴方はその旅行が私がそれを実行した時、私にそうであったように貴方にとっても実際のことであるかが分かることでしょう。


【解説】
 本項以降で著者は私達にいわゆる「土星旅行」の際に著者が見た光景と得た体験を「意識的に一体になる」手法で、追体験するよう求めています。
 よく物語に引き込まれ、その世界に浸ることがありますが、それは意識的に融合した結果、生まれる感覚のように考えます。即ち、書物に書かれた物語であれば、それは著者が執筆時に意識していた世界と同じ状況に読者の意識状態が同調することを意味しているものと思われます。
 従って、もし意識を自由に動かして様々な世界に移行することが出来れば、居ながらにして遠隔地の出来事や過去や未来についてもある程度、把握することが出来ることでしょう。
 一見、何気なく例示されている「土星旅行」ですが、著者アダムスキー氏にとっては、これまでにない大きな意味のある宇宙旅行であったことが分かります。「生命の科学」の学習においても自らの意識の作用を理解する上でも、著者がここで何を伝えようとしているのか、注意深く次項以降を読み解く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落281

281 Remember it was not the mind that created itself, cosmic consciousness was its creator and what it created it can correct and have it function perfectly when the sense mind blends with it. Even old age can be wiped away for that is a concept of the sense mind. We could say that as age came by man, so must youth come by man. The Bible states that as death came by man so, must life come by man, the sense mind. And this can be done when he becomes one with cosmic consciousness for it knows no age, nor time or place. It is always in the prime state of life and all inclusive.
281 覚えておいて欲しいのは自分自身を創ったのは心ではなく、宇宙意識がその創造主だということ、そして創造し生み出したものは正すことが出来、感覚心がそれ(訳注:宇宙意識)と混ざり合う時にはそれ(訳注:自分自身)を完全に機能させることが出来ることです。老化でさえ吹き飛ばすことが出来ます。何故ならそれは感覚心の一つの概念だからです。私達は老齢が人によってもたらされた以上は、若さも人間によってもたらされる筈だと言えるでしょう。聖書は人によって死がもたらされたからには、命も人即ち感覚心によってもたらされる筈だと述べています。そしてこのことは人が宇宙意識とひとつになる時になされ得るのです。何故なら宇宙意識は年令を知らず、時間も場所も知らないからです。それは命とすべてを含む中にあってその原始の状態にあり続けているのです。


【解説】
 前項(280)では花に対する意識の交流についての話がありましたが、更に身近な例は私達自身の身体に対する場合でしょう。即ち、私達の意識が作用する最も身近な対象です。またその作用結果を直ちに見られるのも良いところです。通常、私達は様々な心の誤用によって肉体を痛めつけていますが、その被害を受けているもの私達自身であり、まさに自業自得の法則の中に生きています。
 しかし、一端、これを善い方向に活用すれば、苦しみは消滅し、心身は本来の健やかさを取り戻すことは間違いありません。元来、肉体はそのように創られ、維持されるよう意識によって統制されているからです。
 このような仕組みに対し、私達はあまりにも無知であり、正しい肉体の使用方法を学んで来なかったという訳です。その結果、病気や老化が進行してしまう訳で、私達はまず、宇宙意識の作用について学ぶこと、その精妙な指導の声に耳を絶えず傾けていることです。各自の生命の終りは未熟な心によってもたらされるからには、その心の変革によってそれらを永遠の生命に立ち戻させることが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落280

280 So one could begin to practice on the flower first, but do not be disappointed on the first tries, just be more determined to master the art. Remember the old habits will be in your way until you absorb them into better ones. Wherever you go and whatever you see or do make sure that your mind is aware of the cosmic life and intelligence that is back of all creation. And nothing is free of that life and intelligence any more than you are. For the smallest molecule in the cosmos is just as intelligent and alive as any other form and it serves its purpose. Yet your physical sight does not see the molecule, but your conscious sight can. And once you have made this a part of your life, ills that you may have had, of any nature, will vanish when you correct your mental life.
280 そこで最初は花で練習を始めても良いでしょう。しかし、最初の試みでがっかりせず、只、その技能をマスターすることをより深く決心して下さい。古い習慣は貴方がそれらをより良いものに吸収するまでは進路に居続けることを憶えておいて下さい。貴方が何処に行こうとも、貴方が何を見て、何を為そうとも、貴方の心は全ての創造物の背後にある宇宙の生命と知性に気付いていることを確認することです。そして貴方がそうでないように、如何なるものもその生命と知性から離れていないのです。何故なら宇宙の最小の分子でさえ、他のどのような形有るものと同様に知性があり生きていて、その目的に奉仕しているからです。しかしそれでも貴方の肉体の視覚はその分子を見ることはありません。しかし、貴方の意識の視覚はそれが出来ます。そして一度、貴方が貴方の生活でこの部分を達成すれば、貴方が持っていたかも知れない病気というものは、どのような性質のものであれ、貴方の精神生活を修正する時、消滅することでしょう。


【解説】
 私達にとって大事なことは、一度や二度の試みがうまく行かなかったからと言って、本質への努力を諦めてはいけないということでしょう。もとより、何十年、あるいは何百、何千年と続けてきた心の週間は一朝一夕に打ち破れる訳ではないからです。
 しかし、私達が何処に居ようと、何を見ようとも、そこには物質を超えた宇宙生命活動があり、そのことに気付く意識的な目が私達に備わっていることを忘れてはなりません。肉眼が明らかに出来ない分子の世界もこの意識の目は見ることが出来、因の世界における目覚しい生命活動を明かしてくれる筈です。
 そうした新しい世界を自在に目にすることが出来れば、もはや私達は病をもたらすような肉体内の不調和な状況は消滅し、生命本来の姿に浄化されることは間違いありません。
 宇宙を流れる生命波動をご自身の中に導き入れることで、あらゆる物事がうまく回り始めることになる訳で、これは自然がありのままで美しさを表現しているのと同様、極当然のことだと考えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落279

279 We know that animals do not talk our language, yet the one who trains them to do the things that they do must have full confidence in himself as well as the animal. The trainer knows that the animal will do what he commands and this is done through a feeling of his expression. In other words they feel each other. And what can be done by a trainer with an animal can be done by you with any form, providing you have the same feeling that the trainer has towards the animals. Once you develop this part of you, you can be sure that you are making the blend with cosmic consciousness, without limitations or divisions of any nature for you are dealing in the Cosmic Sea Of Life. Intelligently you are the master over the elements. This is your birthright for the Bible says that man was given dominion over all things including death, for then man is born into a new life. But you cannot have these things without practice, and practice means living them daily as much as you can.
279 私達は動物達が私達の言語を話さないことは知っていますが、それでも動物をすべきことをするように訓練する者はその動物にと同様に自分自身にも最大限の確信を持たねばなりません。訓練士は自分が命じる事柄をその動物が行うようになることを知っていますし、これは訓練士の表現する際の印象を通じて行われます。言い換えれば、彼らは互いに感じ合えるのです。そして動物に対する訓練士によって為され得ることは、貴方が訓練士が動物達に抱くのと同じ印象を持つならば、貴方は如何なる形在るものに対しても全く同じことができるのです。一度、貴方が貴方のこの部分を発達させれば、貴方は何らの制限や何らの仕切りも無く宇宙意識と融合し始めていることを確信できるでしょう。何故なら貴方は宇宙の生命の海の中を取扱っているからです。知性的に貴方は各元素に対する主人です。これは貴方の生まれながらの権利です。何故なら聖書は人は死をも含む全ての物事に対する支配権を与えられていると述べているからですし、そうなれば人は新しい人生に生まれることになります。しかし、貴方はこれらの事を練習無くしては得ることは出来ませんし、練習とは貴方が力の限りそれらを毎日の生活に活かすことを意味しています。


【解説】
 言葉に頼らず相手に自分の意思を伝えようとすることは、実は大きな意味を持っていると本項では説いています。身近にはペットとの交流もあるでしょうし、大事にしている植木との関係もあると思われます。それらは言葉によるコミュニケーションでなく、印象による交流であり、相手に印象によって自分の意思を伝えることで、相手が印象でそれに応えるという構図になっています。
 大事な点は、このように言語によらないコミュニケーションを中心に据えることが、実は私達が因なる世界に繋がることを意味していて、自分自身をその領域にまで拡大することになると説いていることです。
 長らく私達は結果の世界にのみ生きて来ましたが、この印象や想念をベースにしたコミュニケーション能力を育成することが、因にまで自分を拡げ、本来の生命活動を享受出来るということになります。自然界における様々なもの達と交流を深めることが如何に大切かが分かります。自然に生きる草木の声を聞きに野原を散策することは楽しみであると同時に、心の訓練の場にもなる筈です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落278

278 Your acts should be, regardless of the type of form, as definite as when you are dealing with man. And no doubt should be present in your feeling or act. Feeling in the form of revelations should be definite for feeling is a conscious state of alertness.
278 その際の貴方の行動は、対象の形有るものの類型に関わらず、貴方が他の人間に対する時と同様に明確なものである必要があります。そして如何なる疑いも貴方の印象感覚や行動に在ってはいけません。印象感覚は意識的な警戒状態であるが故に啓示における印象感覚は明確なものでなければならないのです。


【解説】
 万物に対峙する時、私達はその対象物が私達の言う「生きもの」であると「無生物」であるとに関せず、あたかも他の人間に対するのと同様に具体的に立ち居振る舞いをせよと、本項は述べています。そしてそこには、相手に対して一切の疑いを差し挟んではいけないとし、その行動の基礎となる「印象」は「意識」に繋がるものであり、様々な物質が現出する時と同じ、「警戒の状態」になっていると述べられています。
 つまりは私達の身の回りのあらゆる事物に対し、あたかもそれらが人間であるかのように接し、会話する中に眞の意識状態が発現するということを説いている訳です。
 このように印象を中心に生活を進めると、あらゆるものと会話し、意思の交流を図ることになる訳で、形あるもの全てと会話する状況になれるということです。

お知らせ

いつもご覧戴き、ありがとうございます。
都合により1週間程、お休みをさせて戴きます。
次回の更新は3月21日頃になる見込みです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落277

277 Once you have accomplished this, you are not only blending your sense mind with consciousness, but also cultivating a memory. And from here you keep on expanding and include all forms of life by recognizing the cosmic consciousness in each. And you will experience the other half of life which you have not known until this time. As every act is recorded in the cosmic library you will have access to it at any time you will have need for it, the same as the Creator has. This awakened part of you has always been and always will be. The mysteries of life will be replaced by knowledge of life.
277 いったん貴方がこれを達成すれば、貴方は貴方の感覚心を意識に融合させているのみならず、記憶をも育んでいることになるのです。そしてここからは貴方は広がり続け、各々に宇宙意識を認識することによって全ての生き物をも包括するようになります。そしてこれまで知らなかったもう半分の生活を体験することでしょう。あらゆる行為が宇宙の図書館に記録されており、貴方は創造主がなさるのと同様に、必要な時に何時でもそれを利用することができることでしょう。貴方のこの覚醒した部分はこれまでいつも、そしてこれからも常にそうあることでしょう。生命の神秘はこうして生命の知識に置き換えられるのです。


【解説】
 どうやらこの部分が一連のこの講座の中で最も肝心な所のように思われます。つまりは、私達が向き合う様々な対象物の中にある「意識的」な存在に気付くようになることで、私達自身の意識的部分が育成され、永遠に繋がる人生を歩むことになると説かれているからです。
 この「意識」に気付く生活は当初は大変デリケートで精妙なものです。わずかの従来型の想念が混じっても妨害されますし、本来の方向と外れてしまうことも度々です。しかし、そうした中でも自らの心を万物への感謝や自然の美しさに気付く等によって自らの心を理想の方向に保ち、新しい体験を通じて本項が言う「もう半分の自分」を開拓することです。
 進歩は少しずつしか現れませんが、今日掴んだ内容をよく覚えて置き、明日からはその記憶を踏まえて更に前進することが大切だと思います。結果(成果)は後からついて来る訳で、私達は結果を求めて精進する訳ではありません。自らに託された本来の歩むべき道が創造主から用意されており、私達はその道を自らの意思で歩むことが大切な訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落276

276 We have used the flower for everyone loves beautiful flowers. And if the love for it is equal to the love that one has for himself and he acknowledges its intelligence as firmly as he would of another person, with the same feeling, the flower will respond. And this can be observed if it is asked to turn its face from one side to the other. For it will follow your instructions as it follows the Sun. But you must remember at all times that you are consciously talking to an intelligent form.
276 私達は花を誰もが美しい花を愛することから用いて来ました。そしてもし、花に対する愛情が自分自身への愛情と等しければ、そして花の知性を他の人物に抱く感じと同じくらい確信し認めるなら、その花は応答することでしょう。そしてこのことは、片側からもう一方へ花の向きを変えるように求められれば、そのように観察されるでしょう。その花はそれが太陽に従うように貴方の指図に従うようになるからです。しかし、常に憶えておかなければならないのは、貴方は意識を用いて知性ある形に話し掛けているということです。


【解説】
 昔、何処かで、仏陀が悟りに至った時、周囲の草木や動物達が喜んで仏陀を取り囲み、花びらを広げて祝意を表したこと、また仏陀の歩いた跡には点々と花が咲いたというような物語を読んだ記憶があります。私達の身の回りの動植物は自分達の真の知性に私達が気付いてくれたことを歓迎して、喜び迎え入れてくれるという訳です。
 この例は花ばかりではありません。一端、私達が対面する対象物の単に物体として見ることなく、その内部に息づく生命を私達と同様なものとして認識する時、周囲のあらゆるものが、私達に呼応してくれると本項は説いています。まさに天国の光景と言えるでしょう。
 私達はこれまで、孤独に思って来ましたが、実際には私達の周囲は互いに意思を交流できる間柄の生き物達で溢れています。園中に暮らせることは歓び以外の何ものでもありません。幼児が楽しげに周囲のあらゆるものを自らと同等な目で見て語らうことの仲に、本項でいう真実も含まれています。また、各地の原住民、インディアン、更には日本人に伝わる、万物に神宿るの思考も、本項と類似した内容を示しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落275

275 Do not become too absorbed with labels as they may confuse you. Do not expect the same kind of reaction as you have been accustomed to from the mental side. For when you become aware of the life of a flower you will also be aware of the intelligence that produced the effect. The flower will not speak to you in sounds you are accustomed to but it will react to you as intelligence speaking to intelligence. And all forms can be addressed in the same manner, for you will not be recognizing the form alone, but the intelligence manifesting through the form.
275 レッテルにはあまり没頭しないようにして下さい。それらは貴方を混乱させるかも知れないからです。また、感覚心からの反応に馴れて来たのと同じ種類の反応を期待してはいけません。何故なら貴方が一つの花の生命に気付く時、貴方はまた、その結果(訳注:花)を造り出した知性について気付くようになるからです。その花は貴方に貴方が馴れ親しんだ音で話し掛けることはないでしょうが、知性が知性に話し掛けるように貴方に反応することでしょう。そしてすべての形有るものはこれと同様なやり方で呼び掛けることができます。何故なら貴方は形のみを認識しているのではなく、その形を通して具現している知性を認識しているからです。


【解説】
 意識に従った生活では何が異なって来るのか、本項は示唆しています。
 つまり、意識から来る印象が主役になると、従来のような目や耳で知覚するような反応は少なくなり、静かな印象が行き来する世界になるという訳です。
 その世界は私達がこれまで体験したことのない種類のものですが、それは静かな中にも落ち着いたしっとりした感じがあるように思います。これらの印象は丁度、雨上がりの朝のように心地よい静かな空気というようなもので、その中に本来の落ち着いた世界が広がっているものと思います。
 私達はこれまで粗雑で喧騒に満ちた世界に生きて来ましたが、これからは物体の中から湧き出る生命力を垣間見ることが出来るようになることでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落274

274 And how is this done? It is no different than memorizing things while in school or elsewhere, and is done with repetition until you are sure that it is well impressed upon the sense mind. When this is done you will never forget. But this should be done in the Cosmic Allness, and can be done by seeing with Cosmic Sight or God's eyes.
274 そしてこれはどのようにして成されるのでしょうか?それは物事を学校かその他で覚えるのと何ら変わるものではなく、貴方が感覚心に十分印象づけたと確信するまで繰り返すことで果たされます。これが実行された後、貴方は決して忘れることはないでしょう。しかし、これは宇宙的調和の中で成されるべきであり、宇宙の目、神の目で見ることによって成され得るのです。


【解説】
 意識に近づくためには日頃から繰り返し心を訓練して少しずつ気付かせるより方法はありません。即ち、一挙に理想の状態に移行するようなことはなく、自らの心を鍛錬する他はないという訳です。
 しかし、一端、この方向で心を訓練して行くと、自然に印象に従った行動を執れるようになりますし、受ける印象も良質なものになります。類は類を呼ぶとあるように、どのような印象に同調するかは本人の波長に関連すると思われるからです。
 どのような心の持ち方が良い結果を導いたか、あるいはその逆であったかを心に毎回、十分に自覚させ、記憶させて、良い結果をもたらした時の心の持ち方を大切に覚えて置くことです。その心の姿勢を維持すること、記憶することで更に新たな段階に進むことが出来るからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落273

273 You may say here, but I am conscious. That is partially true for if you were not you would not be alive. But are you conscious of cosmic consciousness as the Creator whom we call God is ? For this conscious intelligence is aware not only of the cosmos but all the created effects. In other words its records consist of cause and effects. And if we are to fulfill the purpose of our creation we must cultivate the other half of our life which is cosmic consciousness. For this in turn brings life eternal with all of its records.
273 貴方は自分には意識があると言うかも知れません。それは部分的には真実です。何故なら意識が無ければ生きてはいないからです。しかし、私達が神と呼ぶ創造主が意識している程に宇宙意識を意識していますか?何故ならこの意識の知性は宇宙のみならず全ての創造された結果物を知覚しているからです。別の言葉で言えば、その諸記録は因と結果物を含んでいるのです。そしてもし私達が創造された目的を満たそうとするなら、宇宙意識である私達のもう一方の半身を育まねばなりません。こうすることがひいてはそのすべての記録を携えた永遠の生命をもたらすことになるのです。


【解説】
 少なくとも私達は自分の身体の各部は意識して日常生活を送ることは出来ます。実はその延長線上として更に深い因の領域、肉眼では見えない諸活動についても自ら認識し状況を把握出来る訳で、その意味からも私達は意識という概念について多少は理解しています。
 人間、意識が無くなると、本人は死を迎えたのと同様な状況になりますが、それほどに私達が生きて行く中で意識作用は重要であるという訳です。
 その意識について、私達は更に深遠なる領域にまで拡大し、深化させる必要があるのです。何故なら、その意識作用は宇宙の生命力や英知の源であり、私達は自らの意識を開拓することで、宇宙的な広がりや永遠の記憶を持つことが出来るからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落272

272 Some may feel I use the word consciousness too often, yet it is this consciousness that is the real you. It is also back of all creation - the primal force - the most important part in a mental life. For the sense mind must remember its experiences if life is to continue, as consciousness is the recorder of all actions in life. If the sense mind does not associate itself with the consciousness its memory is short for it is not eternal. But as we have said before, it can become eternal by blending with consciousness.
272 中には私が意識という言葉をあまりに多く用いていると感じている人もあるかも知れませんが、真実の貴方はこの意識なのです。それはまた全ての創造の背後にあるもの、原動力であり、精神生活において最も重要な部分です。何故なら、感覚心は生命を継続するつもりならその体験を記憶して置かねばなりませんが、意識は生命の全ての行動の記録者なのです。もし、感覚心が意識と仲良くならなければ、その記憶は永続しない為、短いものとなるでしょう。しかし、私達がこれまで申し上げたように、心は意識と混じりあうことで永遠のものになり得るのです。


【解説】
 自己の内側にある「意識」を知らないまま心がさまよい歩く様を見て、宇宙兄弟達は私達をどう導くか、苦心の末にまとめたのがこの「生命の科学」という通信講座だと見るべきでしょう。実はその内容のほとんどが「意識」と心の関係、更には「意識」が宇宙に広がる生命の基本要素であることを伝えています。
 日常、私達は形になったものしか認識できない既存の感覚に頼りながら生活していますが、本項に書かれているように、現象の背後にある「意識」に気付かなければ真実の姿は理解出来ません。
 この意識については、他の生きものは皆、理解しており、各々生活をエンジョイしている一方、地球では人間だけばあくせく働き、本来臨まれた道を歩むことが出来ないでいるのです。それに対し、著者は私達に繰り返し「意識」の存在を語り、私達に自ら気付くよう促しています。自らの体験を通じて、この基本的な存在である「意識」をひとたび理解することが出来れば、意識から寄せられる印象への感性も増し、生活をよりよいものにすることが出来ます。
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