2013年02月

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ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落271

271 The sense of sight is reflecting the effects, but not the life of the effects. It is like the window or mirror. But to have a reflection there must be a cause. So in a way we are half dead, or living only half a life. And Jesus said, let the dead bury the dead. Meaning that the pallbearers bearing the corpse are as dead the corpse. The form within the coffin lies unconscious of life and the ones carrying it are equally unconscious of life in full, or cosmic life. For the corpse lived a mental life as the ones who bear it do and once the consciousness withdraws, the mental is silenced. For it never knew itself as the real part which is the consciousness
271 視覚は結果物を反映していますが、その結果物の持つ生命は反映していません。それは窓や鏡のようなものです。しかし、映像を得るには因がなくてはなりません。ですからある意味、私達は半分死んでいる、或いは生命の内、半分しか生きていないと言えます。また、イエスはこう言いました。死者をして死者を葬らせよと。死体を担いでいる者も死体と同様に死んでいるという意味です。棺の中の肉体は生命の意識は無くなり横たわっていますし、それを運んでいる者達も等しく満ちた生命、宇宙の生命について意識していません。何故なら、その死体はそれを担ぐ者達同様に心による生活を送って来ましたので、ひとたびその意識が退くと、その心は沈黙させられます。何故なら、心は意識である真実の部分に関する自分自身について知らないで来てしまったからです。


【解説】
 私達はいずれ死を迎えます。しかし、本項で述べるように「生命(Life)」というものは死を迎える肉体とは別の存在であると示しているのが、ここで言うイエスの言葉の真意ではないかと思っております。
 つまりは、日常生きている私達も、実際には死人と同じであり、本来の生命を生きていない存在になっているという訳です。以前、別の所でアダムスキー氏は「ゾンビ」という表現をしていましたが、それも同様な意味合いかと思います。
 逆に言えば、ひとたび「意識」に頼る生活に入ることが出来れば、今までに味わったことのない、生き生きした生活に変貌するということでもあります。結果物に頼る感覚の心を学ばせ、より深遠なる存在を万物の背後に洞察させることの持つ意義は私達が想像する以上のものになるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落270

270 Jesus made the statement, ye have eyes yet see not, and also, the blind lead the blind. Yes, we do have eyes, as your home has windows. And the windows would say if they could speak, through me the forest is pictured. And if I became a mirror I would reflect the forest, but not its life.
270 イエスは、汝は目を持っているが見ていない、また盲人が盲人を導くようなものだと発言(訳注:マタイ15:14)しています。確かに、私達は皆さんの家に窓があるように目を持っています。そして、その窓がもし話すことができたとしたら、私を通してその森が見えるのだと言うことでしょう。そして、もし、私が鏡になったとすれば、私はその森を映すでしょうが、その生命までは映すことはありません。


【解説】
 私達は本当の姿は何一つ見ていないのではないでしょうか。日常暮らしている中で、心は自分が得たイメージで判断し、深い部分の洞察を行なうことはほとんどしていません。その結果、うわべだけの自分の判断で事を済ませているふしがあります。
 同じ対象物を一瞥しても、その把握内容は人によって大きく異なります。深い感銘を受ける人もあれば、全く気付かず通り過ぎてしまう人も居るのです。その違いは何処にあるのか。目には同じ光景が映っているのですが、本人に関心がない限り、光景を認識することすらない訳です。
 見ていても真実を見えていないという意味では、私達は盲人ということになる訳で、多くの自称指導者が人々を導く姿を見て、イエスはこう嘆いたということでしょう。私達は一日も早く真の覚醒を遂げて、支援を待つ多くの人々の手助けとなる必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落269

269 THE EYES OF GOD, OR CONSCIOUSNESS
We have been taught in our religious faiths that God sees all acts, yet we know that the sense mind does not see the invisible cause back of every effect. This means that we see less than half of what is to be seen. But we as an effect of God have the potential of seeing what God sees. The reason that we do not see as He does is because we do not understand life.
269 神の目、即ち意識
 私達は宗教の教義の中で、神は全ての行為を見ておられると教えられて来ましたし、私達は感覚心はあらゆる結果の背後にある見えざる因を見ていないことを知っています。このことは、私達が見るべきものの半分も見ていないことを意味します。しかし、神のひとつの結果である私達は、神が見ていることを見る潜在力を有しています。私達が神が見ておられるように見ない理由は、私達が生命を理解していないからです。


【解説】
 折角、本来は美しく調和した世界に住んでいる私達なのですが、その世界(惑星)を支える精妙な因の部分についての見識や洞察力が衰えているため、見るべきものや知るべき事柄の内、半分しか見ていないと本項は説いています。
 また、その原因は、私達の心が生命というものについて理解がなっていないからだと指摘しています。
 分かり易く言えば、私達は物体を自分の目で見える波長や光量の範囲で形として見、自分の耳で聞こえる波長と強度の範囲内で音を聞き、自分の好みの味であるかどうかを舌で判断し、自分の好みの香りであるか否かで臭いを判定しています。その内容は実際の姿の半分も把握出来ていないという訳です。
 実はその結果すら正当に評価せず、従来の嗜好の延長上にあるものを良しとし、他を受け入れ難いものとして分類する傾向にあるのです。しかし、本来の姿はこのような感覚が把握する以上の内容が生命体には詰まっており、その実像は印象を感知することで初めて把握されます。
 あらゆるものに対する心構えとして、自分の心の反応と同時に、その存在の理解について自分の身近に居られる「意識」の助けを借りること、その存在を支えるより深い内容を感知できるよう、少しずつ自らを訓練する必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落268

268 The marriage of the sense mind and consciousness has been referred to as The Lion and The Lamb lying down together. And when this takes place one is on the way to Eternity, and the Book of Remembrance will be opened unto you as promised in Revelations.
268 感覚心と意識の結婚は共に横たわるライオンと小羊の関係として引用されてきました。そしてこのことが起る時、人は永遠へと続く道の上にあり、ヨハネの黙示録に約束されているように記憶の書が貴方に明かされることでしょう。



【解説】
 注目すべきは「意識と一体になる」という言葉の意味には、私達の心と意識が男女が結婚するのに似ていると著者が示していることです。それほどに心と意識とは密接になるという訳です。
 今まで私達は何か意識は宇宙の遠いところにあるように思ってきましたが、実はその存在は私達の大変近くにいつも居るという訳です。その意識による助言を求めれば当然、近くに居る訳ですから、直ちに答えは返って来ることになります。
 そのように考える時、もはや私達に必要なことは他に何も無く、ただ毎日を意識と相談しながら前に進むべきことが分かります。この自覚に立てば、もはや後戻りすることはないように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落267

267 To cultivate eternal memory and become the likeness of God or The Supreme Consciousness, one will have to live it and with it as he does with his life mate or partner. Not thinking of self alone but the other as well, thus blending the two to create a harmonious union. For this is what must be done to blend the sense mind with consciousness. And when it is done the individual will represent God as he was meant to do, in the first place. As a man and wife represent each other, and the memory of their first meeting and all acts from there on are quite permanent and they enjoy life together.
267 永遠の記憶を培い、そして神、即ち至上なる意識の似姿になる為には、人は生涯の友人やパートナーに対するようにそのことを生き、それと共に生きなければなりません。自分のことのみを考えるのではなく、もう一つの存在を考え、この2者を融合して調和的な融合体を造り上げることです。何故なら、これは感覚心を意識に融合させる為に成さねばならないことだからです。そしてこれが成された時には、各人ははじめに意図されたように、神を表現するようになるでしょう。男と妻が互いを表わすように、また彼らの最初の出会いとそれからの全ての行動の記憶が完全に永遠となり、二人が生活をいっしょに楽しむのです。


【解説】
 「生命の科学」の学習に取り組む多くの方が一様に口にする言葉に、「意識と一体になる」というフレーズがあります。しかし、その意味合いをどのように考えてお話されているかについて理解の深さはまちまちではないでしょうか。実は、本項は具定例を引いて、その取るべき姿勢について私達に示しています。
 それは夫婦のように常に傍らに「意識」が居ることを知覚し、「意識」と相談しながら生活することだということです。そのように「意識」と親しく生活することで私達は「意識」と似たものとなり、より充実した人生を歩むことが出来るという訳です。
 互いに意識することで両者の関係は近しくなるということがポイントで、「同行二人」の真意もそこにあると思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落266

266 One should not be in a hurry to cultivate cosmic memory, for impatience will cause a misapplication of the law. Always remember that consciousness is eternal. Therefore it is not going anywhere, so it is not in a hurry, for in itself it is all inclusive. And by remembering this one will avoid many mistakes.
266 人は宇宙的記憶を培うのに急いではいけません。何故なら、短気は法則の誤用をもたらすからです。常に意識は永遠であることを思い出して下さい。ですから、それは何処に行ってしまうことはなく、急いではいません。何故なら、それ自身の中に全てが含まれているからです。そしてこのことを覚えていることによって、人は多くの過ちを避けることが出来ます。


【解説】
 本項では、著者は私達にやさしく語りかけています。他人を教える立場の者は多くの場合、「これほど教えているのに何故出来ないのか」と思いがちなのですが、こと生命の科学においては、遠大な目標に向かって進んでいる訳で、少しぐらいの遅い歩みでも問題にはなりません。むしろ、その時点での自分の理解が十分でない場合やあせって結果(成果)を急ぐことが問題だということです。
 過去生も含めてこれまでの長い歩みに比べれば、今、私達が取り組んでいる状況は格段に素晴らしい状況だという訳です。決して急がず、また歩みを止めずに少しずつ進んで行くことがポイントです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落265

265 Consciousness is the father and the mother of all form creation which conceives and gives birth to the various forms. And within it is the blue print or memory which is ever present that can be reviewed for conformation at any time when the need may arise. But the sense mind cannot do this alone, there must be the combination of the two. For as we know, the sense mind learns from effects and now it must understand the cause producing the effect. The effect is the fulfillment of a cause and the sense mind might not execute it exactly as the cause mind intended it to be, so through misinterpretation a mistake could take place. And this is where the Law Of Grace enters and through this law the sense mind has a chance to realize and correct its mistake. And corrected it must be before progress can be made. And it must be made in behalf of consciousness and not the sense mind. In this way the sense mind is made to do what the better self wants it to do. If this is not done a slight memory might remain but it will be distorted.
265 意識は受胎し様々な形有るものに誕生を授ける全ての形有るものの創造の父であり母です。そしてその中には必要が生じた時に何時でも一致するか吟味できるよう常に出して置かれる青写真もしくは記憶が入っています。しかし、感覚心はこれを一人では出来ません。二者の組合せが必要なのです。何故なら、ご存知のように感覚心は結果から学ぶ者ですが、今や、その結果をつくり出している因を理解しなければならないからです。結果は一つの因の成就です。感覚心は因の心が意図したようには実行しないかも知れません。そこに誤った解釈を通じて間違いが生じるのです。そしてそこに恩寵の法則が入り、この法則を通じて感覚心はその誤りに気付いて改める機会を得るのです。そして進化を遂げるにはその修正を終えていなければなりません。また、その修正は意識の為に行われなければならず、感覚心の為に成されるべきではありません。このようにして感覚心はそのより良い自己が願うことを為すように仕向けられるのです。これがなされなければ、わずかな記憶が残ったにしてもいずれは歪められて行くことでしょう。


【解説】
 具体的な意識の機能の内容について本項は明かしています。つまり「意識」の中には全ての生けるもの達の完全な設計図が備わっており、必要とする際に授けられるという訳です。広大な宇宙の中にある全てのものに対して等しく与えてくれる存在だということです。
 しかし、私達はこれまで何一つ「意識」の存在を考慮せず、過ごして来ました。アダムとイブの時代から自由意志を与えれた心がこの惜しみなく与えて呉れる「意識」の存在を良いことに、勝手な行動をとってきたということでしょう。
 そして当然のことながら、心は時に挫折する訳ですが、そこにも「意識」による恩寵の法則(「Law of Grace」)が働くという訳です。Amazing Graceという曲がありますが、その作曲者ジョン・ニュートンは18世紀に奴隷を買い付ける事業をしていた人物であったと伝えられています。その彼が、嵐に遭遇した船の中で神に祈った結果、奇跡的に危機を脱し、自ら行なって来た罪深い行為を反省し、創造主の恩寵について感銘した時に生まれたのがその曲であったとされています。「意識」の温かみが伝わる一曲と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落264

264 While we have used two individuals in close association with each other, this can take place where many are represented by one when using the same pattern. This shows that the consciousness whom we call God, is the all inclusive. And as two people are able to become as one through association and even resemble each other, just so, an individual can become one with, and resemble God, when he thinks in terms of God instead of the ego. Yet he retains his individuality, the difference is that his sense mind has blended with conscious consciousness that we call God. The sense mind is able to perform its normal duty as it did in the past but it is aware of the consciousness that gives it power and intelligence to act wisely in the world of effects. The mind will then feel as Jesus felt when He said, I of Myself do nothing, but the Father that worketh through Me does all of the work. This is cosmic consciousness.
264 私達は互いに親密な二人を例にしていましたが、このことは多人数が同じパターンを使用する場合についても一人に代表されるところに起り得ます。これは私達が神と呼ぶ意識は全てを包含することを意味しています。そして二人の人間が交際を通じて一体となり、互いに似て来るまでになるように、丁度そのように各自も自我への代わりに神について考えていれば神と一体になり、神に似て来るのです。しかしそれでもなお、自分の個性を保持しており、違いは自分の感覚心が私達が神と呼ぶ意識的な意識と融合しているということです。感覚心はこれまで同様、通常の任務を実行できますが、その者に結果の世界で賢く行動する為のパワーと知性を与える意識について気付いています。心はその後イエスがこう言った時のように感じることでしょう。私自身は何も成していない、父が私を通じて全ての仕事を成したもうのだ。これが意識的な意識です。


【解説】
 前項から述べられているように、私達はどのように生活したら良いのかを示しているのが本項です。
 即ち、日々「意識」を意識すること、創造主を意識して生きて行くことにより、私達は自然に創造主と近い関係になれるということです。その場合、何かの「行(ギョウ)」によって一時的に特異な状況になった際に掴んだだけでは心自体が理解した訳ではない為、長続きせず、結局は進歩はないのですが、少しずつ日常的に心が理解しながら進む場合には、二度と後戻りしないしっかりした進化の礎を築くことが出来ます。
 想いは通じる訳で、「意識」を意識出来るよう日常のあらゆる場面で意識からの印象を探査するよう心を訓練することによって、「意識」から来る新鮮なる印象、アイデアを得ることが出来ます。自然の中の様々な生きもの達との交流や大自然が織りなす悠久の営みの姿を垣間見る中で、この地球の歩みについてもより深く実感出来るものと思われます。
 そのような心の状態が行き着く先には、イエスが示されたように、自らの行動が創造主の意図、意識の意図通りになっているという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落263

263 A good example of this can be found in two people who decide to join together for life. Each is an individual with habits in his or her way of life, yet after years of life together they not only take on each others habits but they start to look alike. All because they have become aware of one another as though they were one. Even pets, such as dogs and cats etc., oftimes take on the personality of the master. So we can see that a constant reminder or association becomes an automatic manifestation of the other, where effort is no longer required for the form operates on memory pattern. The most important thing to realize is that the pattern remodeled the personality of the form in likeness of itself. It could be said that the original person is no more as he was, but another has taken his place. For one has absorbed the other and the two become as one.
263 この良い例は生活を共にしようと決意した二人に見ることが出来ます。二人は各々自分の生活の習慣を持った人物でしたが、何年も生活を共にした後は、彼らは互いの習慣を身につけるばかりでなく、似始めるのです。彼らが互いを一体のものとして意識していたからに他なりません。犬や猫等のペットでさえ、しばしば飼い主の個性を身につけます。ですから、私達は、絶えざる思い出や交際はやがて(訳注:自分自身へ)自動的に他者を現出させることになるのです。形有るものは記憶パターンによって働くため、もはや努力は必要とされないのです。私達が認識すべき最も重要なことはパターンが自身の似姿に沿って人格を再形成させたということです。それは、元々の人間はもはやかつての者でなく、他の者がその位置をとって代わったと言うことも出来るでしょう。一方が他を吸収して両者が一体となったからです。


【解説】
 「似たもの夫婦」という言葉があるように、長年生活を共にすると類似した性格になるという訳です。
 即ち、私達についても、心が「意識」を常に意識して、日々生活することで、心が「意識」の影響を受けて進化するということです。「同行二人」の言葉のように、創造主と「意識」を信頼して毎日を送ることで、私達も本来の神の似姿になれると言うことでしょう。
 そしてその心の変容については、驚く程に大きなものになると本項では指摘しています。
 もし、本来の「意識」に心が融合して行くと、もはや過去の自分とは全く異なる人格にもなり得る訳で、本当はそれこそ真の進化なのでしょう。もし、何年年を重ねても、衰えることなく常に新鮮な感性を保ち、新しい課題に取り組んで行けることになれば、心がもはや昔の心で無くなった印です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落262

262 This particular phase of life is a major part to be learned and it should not be very hard when the sense mind begins to live with the consciousness instead of acting on its own as it has been doing. And results will be outstanding when the two live as one. This may seem to be a repetition of what has been said before, but repetition becomes a memory.
262 特にこの段階の生活は学習する上での主要な部分であり、感覚の心がこれまでして来たように自分自身が確保しているものを前提として行動する代わりに、意識と共に生き始める時には、過度に行うべきではありません。そしてその両者(訳注:意識と心)が一体となって生活する時、効果は傑出したものになるでしょう。このことはこれまで述べられたことの繰り返しのように見えるかも知れませんが、繰り返すことが記憶になるのです。



【解説】
 最も大事な点は、私達は自分一人で生きて行くことではなく、常に「意識」を頼りとして行くことだと、本項は説いています。それは心自体が自らの意思をより柔軟なもの、よりオープンで広がったものに解き放つ中で、「意識」を受け入れ、そこから湧き出す印象に従った生活に転換することだとしています。
 このように心と意識が一体となって生活を送ることで、格段に人生が変貌するという訳です。決してそれらの成果を求めての精進ではないのですが、結果としてそのような状況になるということでしょう。「生命の科学」の題名の「生命(Life)」には日本語で言う「生活」の意味も含まれており、このような日々の積み重ねが、永続する記憶にもなると説かれています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落261

261 In order to obtain a cosmic concept of life all that is necessary is an expansion of the mental conscious awareness. And in this way you become more alert to your actions in both fields. It could be compared to being in a plane or on a high building, for then you become aware of things below as well as above you. You are using the same sense mind, only your field of awareness has expanded. When you are able to do this regardless of where you may be there is no limit to how far you can go in connecting with conscious memories that could reveal many past experiences. And in this way find your true self and live in the sea of eternity.
261 生命の宇宙的概念を得る為に必要となるもの全ては心による意識的な知覚の拡大です。そしてこの方法によって貴方は両者(訳注:因と結果)の分野における貴方の行動についてより多く気付くようになります。それは平原や高い建物の上に居る場合と対比することができます。何故ならその時、貴方は貴方の上空でのものと同時に眼下の物事をも気付くようになるからです。貴方は只、貴方の知覚範囲が広がっただけで、同じ感覚心を用いているのです。貴方がこのことをどこに居るかに関わらず出来るようになれば、多くの過去の体験を呼び起こすことができる意識的記憶に接続する為、如何に遠くに貴方が行こうとも制限はなくなります。そしてこのようにして、貴方の真の自己を見つけて、永遠の海の中で生きて欲しいのです。


【解説】
 目指す状態は、このような心の状態を指すのだと本項は極めて明確に示しています。
 実際、私達は目先の物事のみに束縛されやすいのですが、そのような結果の世界に囚われている心を解き放って、因にも及ぶ知覚の範囲を拡げるよう求めています。つまり、私自身をも客観的に観察することも必要で、こうした広い視野の中で生活することが重要という訳です。
 このように日々生活する中で、私達の感受範囲を広げることは私達の意識を拡大させることでもある訳で、アダムスキー氏が「意識」という言葉を選定したもの、その背景があったからであることが分かります。即ち、宇宙には私達の意識に呼応する「意識」と呼べる存在があり、その絶大なる英知の力を認識し、そこから学ぶことが重要ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落260

260 We must train the mind to daily recognize a certain amount of cosmic life and this can be done through two phases. One, by someone who is very good at reading Cosmic Records. And the other, by allowing your consciousness to give the revelation to your own sense mind. But to do this your mind must have trust in consciousness. You will know when you have blended the two, for then you will be living in full awareness of cosmic cause and the related effects. i.e. Since I have had the experiences with the Brothers I have been living in two phases of life. One, as I used to live performing my daily duties in a normal manner, but enjoying life more than I did before. While at the same time consciously aware of my experiences and of the individuals that I have met from other worlds. The experiences are as indelible upon my memory as my daily activities.
260 私達は毎日、心を宇宙的生活を幾分でも知覚するように訓練しなければなりませんし、これは2つの面から成すことができます。一つは宇宙的記録を読み取ることがとても上手い人物による方法。他は貴方の意識に貴方自身の感覚の心に啓示を与えることを許すことです。しかし、これを行うには貴方の心が意識を信頼しなければなりません。貴方はその2者が何時融合したかは分かるでしょう。何故ならその時、貴方は宇宙の因とそれに関連した結果の完全な知覚の元に生きているからです。即ち、宇宙の兄弟達との体験を持ってからは、私は二つの生命の面で生きています。一つは私がこれまで生きて来たもので普段通りに私の日常の義務を行い、しかも以前より以上に生活を楽しんでいます。一方、同時に、私自身の体験や私が会った他の世界から来た人物達について意識的に気付いているというものです。その体験は私の日常活動と同様、私の記憶に消えることはありません。


【解説】
 本項で述べられているように、本来は前段にあるように良い教師に付くことが早道かも知れませんが、現実には残念ながら多くの偽者がいる以上、堅実な方法は各自、後段にあるように自分で一歩ずつ確かめながら前進することでしょう。
 その場合、重要と思われる点は、「毎日」何らかの宇宙的な生き方を取り入れて、自らの心を少しずつ訓練することです。
 私達は大変ストレスの多い生活を余儀なくされがちですが、その中でも私の経験上、心を不安から鎮めて、宇宙から来る問題解決のヒントを受け入れることで、意外に早く問題が解決するように思っています。しかし、これは私達が問題を先送りして、漫然と過ごすことでは全くありません。常に問題解決を目指して模索する中で、心がやって来る印象を逃さず、実行することを意味します。
 こうする内にも私達は早晩、今まで気付かなかった地球の美しさや働く人々との交流等、よりオープンで感性の増した、決して忘れることのない豊かな人生を歩むことが出来るように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落259

259 To do this one must make the sense mind trust consciousness like trusting God. And this in turn calls for faith, oftimes called blind faith. To clarify blind faith a little further, we have eyes with which to see but they do not see any more than a window pane can see what is seen through it. It is you who sees through the window, so it is the consciousness of you that sees through the eyes. For when you become unconscious the sense of sight is still there but you no longer can see. The other senses follow the same pattern. So one should realize the importance of conscious seeing, or sense mind cooperation with consciousness if he is to have a cosmic memory of life. For then he can recognize himself through eternity from the pages of memory. This is an important phase if individual life if life eternal is to be earned. And that is what Jesus meant when He said, he who loses his life shall find life eternal.
259 これを成す為には、人は感覚の心を、神を信頼するように、意識を信頼させなければなりません。そしてこのことは次には信頼、即ち、しばしば盲目的信頼と呼ばれるものを必要とします。盲目的信頼というものを少しより明確にする為に見るのに用いる目について述べますが、目は自分が見ているものは窓枠がそれ自身を通じて見ている以上のものを見ている訳ではないのです。窓を通して見ているのは貴方であり、それ故、目を通じて見ているのは貴方の意識なのです。何故なら、貴方が無意識になってしまえば、視覚感覚はそこに未だあっても、貴方はもはや見ることはできません。他の感覚も同じパターンを辿ります。ですから、もし人生における宇宙的記憶を持とうとするなら、人は意識的に見ること、感覚の心が意識と協力することの重要性を理解すべきなのです。何故なら、そうすることで人は記憶のページの中から永遠を通じて自分自身を思い出すことが出来るからです。これは各自の人生が永遠の生命を得ようとするなら、重要な段階となります。また、これはイエスが自分の命を失うものは永遠の命を見い出すだろうと言った時にイエスが意味していたことです。


【解説】
 本項はある意味、私達にとって大事なポイントを著者が示しているように思います。
 その第一は、「意識」の存在についてです。ここではまず、「意識」という存在を信じることから、その存在に気付くようになれるということが述べられています。信頼が第一歩という訳で、信頼(faith)は信仰という意味でもあります。
 また第二は、私達自身と心の関係です。ここでは心を家の窓のような存在であるとしています。私達の本体は家の中、あるいは因の中に居る訳ですが、窓はあくまで外界の世界を中に住む者に正しく伝える意義があります。もちろん窓自体が余計な意見を付け加えるべきではありません。その窓自体は「見る能力」は無く、外の景色を内部に伝える為の役割であるのです。
 私達はこのようなパターンを自分の中に当てはめて見て、真実の姿に気づく必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落258

258 Jesus blended His sense mind with consciousness and thus He was able to say, I am in the world but not of it, and many other statements that He made in reference to His past. And He could not have maintained these memories had He not blended with consciousness which carries the memories and contains the book of records.
258 イエスは自らの感覚の心を意識と融合させました。それ故にイエスは、私はこの世に居るがこの世の者ではないと言ったり、自身の過去に関連して他の多くの声明を述べることが出来たのです。そしてイエスは記憶を持ち運び、記録の書を内包する意識に融合しなかったら、これらの記憶を維持することは出来なかったでしょう。


【解説】
 自身の拠って立つ所を何処に置いているかがポイントであり、過去、多くの聖人がかくも大きな苦痛や困難に対して平穏な心境を保てたのも、自分の本来の場所、即ち宇宙の因とも言える世界をしっかり持っていたからに他なりません。しかし、読者の中には、それ故に因の世界にのみ憧れてしまうことにも問題があり、イエスの言われたように、肉体は結果の世界にあることも十分に認識しておく必要があります。二つのバランス融合が重要なところです。
 しかし、こと記憶になると、肉体の部分は本来、あまり得意ではないのかも知れません。私達は確かに脳細胞に記憶する場所があるとされており、記憶力が損なわれると脳が萎縮していることも確かです。しかし、本来的には本項で著者が示しているように、「記憶の書」とも言えるような膨大な知識が意識の中に蓄えられており、そこにアクセスする中で、個別肉体に依存しない記憶を運ぶことが出来るように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落257

257 Let us consider the meaning of this. Man has two souls, the soul of the sense mind, and the soul of consciousness. It is the sense mind that can be slain by lack of memory caused by adhering only to the so-called concrete effects. We can now see that memory is essential in order to have life eternal.
257 この持つ意味を考えて見ましょう。人には二つの魂があります。感覚の心の魂と意識のそれです。いわゆる具体的な結果にのみ追従することで記憶の喪失により滅ぼされ得るのはその感覚の心です。私達は今や記憶が生活を永遠に保つ為に不可欠であることは分っています。


【解説】
 私達はこれまで、紙に書かれたもの、物体に表現された作品その他の結果物を永続するものとして自分の拠り所として来ました。しかし、それらは実はたまたまその時点で結果の世界に現された創造の結果物であり、変化する世界の中では容易に失われてしまうことに気付く必要があります。
 この結果物に依存している心は記憶を蓄えることが出来ず、やがては自分自身を見失ってしまうと本項及び前項は警告しています。むしろ私達は土地や財産その他、成果物(結果)をあまりに大切にして来た結果、本来着目しなければいけない「原因」、即ち「意識」が伝える、形がまだ出来ていない純粋は知識に目が行かなくなってしまったということではないでしょうか。
 先日も出張の途中、飛行機の窓から外を眺めていたところ、眼下に無数の雲の塊が広がっていました。もちろん、これらは結果物であり、現状は形あるものなのですが、未来永劫そこに存在することはありません。雲は付近の気流の流れから一時的に形成されたもので、遠からず、元の大気に戻って行く筈です。私達も自らが拠り所としている結果物の中身を良く知って、それら変遷する存在ではなく、それらを現出させている「因」の働きに自らを従わせるよう努めるべきだということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落256

256 So you can see that if the mind does not blend with the consciousness it can be lost in the sea of life. That is why great teachers such as Jesus have stressed, fear not that man that slays the body but the man who slays the soul.
256 ですから貴方には、心が意識と融合しなければ心は人生の海の中で迷子になり得ることが分かるでしょう。それがイエスのような偉大な教師が強調したこと、肉を切る者を恐れるな魂を切る者を恐れよの理由です。


【解説】
 記憶が大切であることは本課のテーマです。実際に記憶が無くなってしまうことは、自分を見失ってしまうことですが、同様なことは昨今、認知症としても知られているところです。
 極端な場合、家族も判別出来なくなることもある訳ですが、そのことに対して最も恐れているのは患者ご自身です。自分がどのように生きて来たか、何をやって来たかが分からなくなる訳で、道に迷った時に似て、困り果ててしまっているのでは無いかと思います。
 このことはイエスの時代から警告されていたという訳で、催眠術やその他マインドコントロールと呼ばれる手法が本人の記憶を消し去るようなことがもし、起こされるとすれば、本当に気を付けなければなりません。
 心は記憶することは苦手であり、常に紙に書いたいわば、結果の世界に現した原稿を元に人前で話したがるものですが、多くの優れた講演者を見ると、彼らは自分の話す内容を悉く記憶して、台本の無いまま所定の講演をしていることが分かります。かつてアダムスキー氏も小規模の会合では次々に話題が広がり、その度毎に具体的なデータを含んだ内容が話されたと聞きます。アダムスキー氏の場合も、自分が伝えるべき内容を、宇宙のどこかに記憶し、それを意識を通じて、感知しながら、講演活動をされていたように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落255

255 I have had a number of such experiences with others. But it is sometimes difficult to convey to the present individual ego, mind its past experiences and relationships. That is unless the mind of the individual blends with the consciousness of his own being, the all inclusive. This is not easy to do for most people dwell in the field of effects which they call concrete facts. Yet we know that behind each effect is the cause which is not as apparent as the effect.
255 私は他の人々についての数多くの同様な体験事例を持っています。しかし時として現状の各自のエゴの心にその過去の体験やつながりを伝えることは難しいものです。それは各自の心が全ての内包者である自分自身の意識と融合しなければ為し得ないからです。これは確固たる事実と称する結果の分野に居住する大多数の人々にとっては容易なことではありません。しかし、それでも私達は個々の結果の背景にはその結果物のようには明らかとなっていない因なるものがあることを知っています。


【解説】
 以前、アリス・ポマロンさんがご存命の頃、ボストン郊外のお宅を訪れ、お宅に一泊させて戴いたことがあります。夕食後、ポマロイさんから、アダムスキー氏と最初に出会った時のことをお聞きした内容は今でも鮮明に覚えています。
 それはある会合で、初めてポマロイさんがアダムスキー氏に会った時、アダムスキー氏は何度となく、特別な視線でポマロイさんを見たということです。何か、その人物の内側を見通すような鋭いまなざしであったということです。
 その事柄は実に本項で著者が述べていることを意味しているものと思われます。つまり、アダムスキー氏はその人物の本質的は事柄を見通せたということではないかと考えます。スペースプログラムと呼ばれる計画にとって重要な役割を担う協力者に対して、本人は気付いていない過去世やその他本質的なものを一瞬の内に見抜いたということでしょう。丁度、イエスが12使徒を選んだようにアダムスキー氏も協力者を選んだという訳です。
 宇宙意識の中に溶け込ませてしまえば、あらゆる事柄が見通せることになるということでもあります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落254

254 Yet another person who has alined himself with cosmic consciousness can locate the identity of an individual whose identity is lost to his present ego mind.
254 しかし自身を宇宙意識に従わせた別の人物はそのエゴの心に見失われている自己の正体を指し示すことができます。


【解説】
 「宇宙意識」に自身を従わせた時、真に永続する自己を発見し、その位置を知ることが出来るとしています。
 この場合、「locate」とは「場所を突き止める」ことと、「置く」という語彙がありますが、ここでは前者の訳を採りました。しかし、結果的にはどちらも同じ内容を示すことになりそうです。
 真実の自分の姿は容易には分からないものです。その意味ではこの学習講座を通じて学ぶ内容は各自ご自身のこれまでの人生も含めた自分自身の真の姿を知り、これから先の有意義な人生の過ごし方に繋げるいうことになります。この宇宙意識に沿った人生を歩むことを決めた以上は、隠れた才能や新たな出会いの機会が待っているでしょうし、そのチャンスを逃さないよう、やって来るインスピレーションを感知し、またそれらには勇気を持って従うことを日々実践する必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落253

253 This is a common occurrence to millions of people when it comes to cosmic and ego identity. And is the reason why so few people are aware of their past lives. This shows that in the past as in the present there was a separation of the conscious real self and the personality or ego mind. For as we have stated before, consciousness is the only real eternal part of you. And it is in this consciousness that all activity is registered. Unless a man's mind blends with this consciousness he does lose his identity.
253 これは何百万人の人々にとって問題が宇宙的正体やエゴの正体になれば、一般的出来事となります。またそれは、如何にわずかの人々しか自分の過去生に気付いていないかの理由です。これは過去において今日と同様、意識の真実の自我と個性あるいはエゴの心とが分離していたことを示すものです。何故なら、以前にも述べたように、意識は貴方の唯一の真の永続する部分であるからです。そして全ての活動が登録されるのは、この意識の中になのです。人間の心がこの意識に融合しない限り、人間は自分の正体を失うのです。


【解説】
 心は永遠なる記憶を運ぶことはないと本項は明言しています。「意識」と称される宇宙的な生命力の源だけが記憶を運ぶという訳です。それはむしろ、私達の記憶が宇宙に刻まれると言った方が良いのかも知れません。
 私達の「意識」は「宇宙の意識」の一部であり、そのものでもあります。本書に何度も説明されているように、私達は水の一滴なのですが、それが海と混じり合えば、その内容は海と同じになれることでもあります。私達に割り当てられたその意識が記憶として様々体験を残すという訳です。
 私達自身の身体の諸々の働きが意識の作用の現れなのですが、心は通常、自分の関心事に忙しく、その前提となる体内の生命作用に気付かずに過ごしています。意識を知ろうとする心、発心がなければ全てが進まない一方で、それさえ確立していれば、後は時間を掛けてじっくり研究すれば良いように思われます。記憶の無いまま何度も人生をやり直すよりは、その一点に気付いただけでも大きな収穫と言えるように思われます。
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