2013年01月

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竹島 正

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落252

252 To illustrate this let us use a man who has lost the memory of who he is. We have read of these cases. Some are well to do, hold good positions and have a family. Yet when this man loses the memory of his identity he re-establishes life in another part of the country, marries, has a family and works as a common laborer. If recognized by a former acquaintance he denies that he is the party for he remembers nothing pertaining to his previous life. This means that the first personality is dead to the mind while the body still maintains the identity.
252 このことを例示する為、自身が誰であるかという記憶を失った人を用いることにしましょう。私達はこのような事例を読んだことがあります。ある人は物事がうまく行って、良い地位を得て、家族も持っていました。しかし、この人が自身の正体の記憶を失った後は、他の地方で生活を再建し、結婚して家族を持ち、通常の労働者として働きます。以前の知人に発見されても、彼自身、以前の生活に関することを何も思い出せない為、いっしょにいたことを否定します。このことは心にとって最初の人格性は死んでいる一方、その肉体は依然としてその正体を保持していることを意味します。


【解説】
 本事例は当時米国であった実例であろうと考えます。一見、希なケースのように思えますが、こと生まれ変わりに当たっては、私達は全く本事例の通りの生活を送っていることが分かります。
 即ち、過去に生き、学んだ事柄を活かすことなく、また最初から学び始める必要がある訳です。この原因は記憶にあります。過去生の記憶が十分蓄えられておらず、漫然と生活して来た結果、記憶が蓄積出来なかったのが原因です。折角の知識・経験が永続する記憶として保持されなかった訳です。
 どの部分が永続する宇宙的記憶となるのかについては、明言出来ませんが、私自身の体験からはどうやら物事に新鮮さを感じる年少期の記憶は意外に鮮明に残るものが多いようです。反面、新しい事柄に関心を持てなくなった老人の場合、極最近のことが思い出せない等、記憶力低下が目立つようになるように思います。
 各自、宇宙的記憶を大切にする中で、これら一般的な記憶力低下も抑えられるように思いますし、意識と融合する中で得た印象経験のみが永続する記憶になるのではないかと考えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落251

251 Ordinary routine becomes habitual and governs the ego, but this cannot be called a memory. And unless man cultivates Cosmic memory he becomes nothing.
251 通常の日常仕事は習慣となりエゴを支配しますが、これは記憶とは呼べるものではありません。そして人は宇宙的記憶を養わない限り、無になってしまうのです。


【解説】
 毎日の生活の中では馴れと惰性が私達を支配しがちです。前課(第6章)では新しさが重要だとして来ましたが、単にマンネリの生活パターンはエゴにとっては居心地の良い一方で、本課で取り組むべき宇宙的記憶の蓄積とは程遠いものです。
 よく宇宙兄弟達は旅行をすると同乗記にはありましたが、それは広大な宇宙の各地で繰り広げられる創造の驚異を間近に見て学び、視野を拡げる意義があるものと思われます。
 しかし、旅行に出ずとも、また一見平凡な生活を営む中でも宇宙的視野は拡げられます。画家の熊谷守一は東京の自宅を一歩もでずに庭に来る虫達を観察し、蟻や蝶の絵を描いたことで有名です。毎日出現する太陽や星座、生きもの達の目まぐるしい営みは私達に活発で宇宙的な活動を見せており、私達はそこから如何に深い意味と内容に気付くかが問われています。
 毎日、何らかの発見に感動することが、真の宇宙的記憶の蓄積になることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第7課-段落250

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON SEVEN
Cosmic Memory

250 As man is not a man without a memory, then his memory is essential for the continuance of life. And the reason that most people do not remember their past experiences through various lives is because the mind never learned to memorize the important values gained. It has depended upon effects which are momentary and they come and go, especially the ones that we call unimportant that the ego feels are of little value.

生命の科学-学習コース
第7課
宇宙的記憶

250 人は記憶無くして人ではない以上は、彼の記憶こそ生涯の連続にとってかけがえのないものです。そして、ほとんどの人々が彼らの過去の諸経験を思い出せないのは、心がこれまで一度として獲得した重要な価値を記憶することを学んで来なかった為です。心は時にやって来て、また過ぎ去る諸結果に頼っていて、特にエゴが感じる事柄は私達はほとんど価値がないものと言うことが出来ます。

【解説】
 私が私である所以の源は記憶にあると本項は明示しています。正しい適切な想念と行動は正しい(あるべき)記憶を蓄積するでしょうし、また逆もそうなる訳です。
 よく言われることの中に同じ場所で同じような状況下に居ても、ある者はそこに美しさを見出したり、感動する場面を見つける等、印象深い体験を得るのに対して、別の者はこれら一切に気付かず過ごして終わってしまうことがあります。この内、どちらが有益であったかは明瞭でしょう。
 私達は日常生活の中でも世間のどうでもよい事柄、即ち自身の永続する記憶として大切にしたい体験と、そうでない物事とがある訳で、自分自身が大切にしたい事柄については十分、自覚して記憶しようと思わなければなりません。
 人生経験が生きる過程で次第に豊かになるべきで、私達はこれら体験やそれに関わってくださった方々に感謝する毎日であるべきでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落249

249 The goal we seek to attain should be all that matters and no obstacle should prevent us from attaining it.
249 私達が到達しようと求めているゴールは大事なことの全てであるべきであり、如何なる障害も私達がそれを達成することを妨げることがあってはなりません。


【解説】
 目指す目標は各自異なるものであっても、それら全ては許容され、思うままの発展発達が出来るとしています。真の自由意志の発現です。
 元来、創造主は各自に様々な才能を与えている訳で、各自の望まれた方向に本来の能力を発揮すべきことは言うまでもありません。また次なる人生の為に下勉強も重要です。
 当課は「新しさ、すなわち若返りの推進役」がタイトルになっている通り、日々新たに更新される概念、いわば「生きている」波動全てが私達に語り掛けるヒントに沿って、新しい自分を開拓して行くことを著者は私達に託しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落248

248 We must build on a rock foundation and not on shifting sand. So that when diversity and opposition cause a storm in our life we can stand firm and not be swept away because of a weak foundation.
248 私達は転じやすい砂の上では無く、磐石の土台の上に建物を建てなければなりません。それは、多様な変化や反対が私達の生活に嵐をもたらす時、私達が弱い基礎のせいで流される代わりにしっかり建っていられる為です。


【解説】
 何事も基礎が大事であるという訳です。即ち、少しばかりの、理解が浅い丸呑みの知識では先々寄せる世間の荒波に耐えることは出来ません。いたずらにテレパシーやその他の能力のみを志向して行くと、世間の誘惑に立ち向かうことは出来ないものです。
 先ずは目に見えない「意識」の存在にどれほど気付き、自らの肉体を存続させて下さっていることに感謝しているかが重要で、その上で自らの心を律する鍛錬が必要でしょう。しかし、これらの鍛錬は自ら求めなくても日常生活を送る中で機会は訪れることになります。様々な誘惑が訪れ、日々試される訳で、それらに対して自分がどのような行動をとり易いかを、先ずは観察し、その実態を学習する必要があります。
 その際にポイントとなるのは、「意識」への全幅の信頼と畏れかと思います。至らない自分を最後まで面倒見てくれるその存在を裏切ることのない人生を送ることだけが進化の道ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落247

247 Yet to live this new kind of life among the many who do not, one must have unshakable faith and patience in order to endure. For everyone will not grasp the idea immediately, humanity is very slow to change. But change it must if it is to survive. And pioneers in any field must be strong and determined if good results are to be realized.
247 しかし、この新たな生活を送る為には、そうではない多くの人達の中にあって、人は耐える為に揺るぎない信頼と忍耐を持たねばなりません。何故なら、誰でもその概念を直ちに掴み取る訳ではなく、人間性とは変化するのに大変遅いからです。しかし、生き延びる為には変化しなければなりません。そして先駆者はどの分野にせよ、良い成果が実現される為には、強く決意しなければなりません。


【解説】
 この意識の指導、印象に従った生き方は私達にとって初めての分野であり、一般世間の中に生きながらその実践をして行くことは容易なことではありません。まして今日ではTVその他多くのメディアが惰性的な情報を流しており、また一方では激しい競争社会の中で正しい道を生き抜く為には大いなる決断と実行力が求められます。
 著者はこのことを良く理解した上で、私達に他の模範となるよう、また後続の者達を導くような存在になることを求めています。生きた実践を示すことが何より重要だからです。
 とかく世間の風潮や自身の生活パターンに流されがちの毎日ですが、少なくとも今日一日、新しい発見、新しい試み、新しい体験を行動を通じて身に付け、他者に伝えられるよう秘めた決意をして向き合いたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落246

246 Examples have been used in many ways. i.e. If a dictator wants to dominate his people, he destroys those who, oppose him, as an example to others. If examples can be used in this way, why can't we set a fine example for the world to follow? We can with action and not just words and dreams. And this can be done only by living the things that we know. We must be honest and truthful to our better self before we can be honest and truthful to others. We must trust our consciousness if we expect other conscious entities to trust us.
246 例示というのは様々な方面で用いられて来ました。即ち、独裁者がその人民を支配しようと思うなら、反抗する者を他の者への見せしめとして滅ぼします。仮に例示というものがこのように用いられ得るとすれば、何故私達は世界が従うような素晴らしい例示を打ち立てようとしないのでしょうか。私達は単なる言葉や夢でなく、行動によってそれが出来るのです。そしてこれは私達が知っている事柄を生きることによってのみ、行い得るのです。私達は他の者に対して正直で誠実である前に私達のより良い自己に対して正直で誠実であらねばなりません。他の意識ある存在が私達を信じてくれることを望むなら、私達は私達自身の意識を信頼しなければなりません。


【解説】
 空に出現する虹のように自然は時々、私達に美しい光景を見せて呉れます。これらは創造の世界の一端を私達に垣間見せているもので、私達はその光景から改めて壮大な創造の力の大きさと美しさを実感するものです。
 本講座を学ぶ私達は、既に第6課の終盤に差し掛かっており、著者は私達各々に各自実践して得た内容を他者に示すように求めているのです。各自が周囲の人達に生きる手本を示し、この学習の内容が真理に基づいていることを示して欲しいと願っているのではないでしょうか。
 もちろん、その内容は単に知識としての「生命の科学」ではなく、各自が理解し実践した経験であることが必要です。半歩先に進んだ者が後続の者の為に体験を伝授するという訳です。言い換えれば私達もそろそろ具体的なる応用事例や体験を語るべき段階になりつつあることを自覚すべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落245

245 You must re-create your ability by manifesting it in your daily life. And then you will prove to yourself that you can live that which you have been consciously aware of. Thereby it will not only serve you, but others also by your example.
245 貴方はそれを日常の生活の中で体現させることによって貴方の能力を再創出させなければいけません。そうすれば、貴方自身に貴方がこれまで意識的に気付いていたことを生き通せることを証明することになるでしょう。そのことによって、貴方に役立つばかりでなく、貴方の事例によって他の者にも役立つことになるでしょう。


【解説】
 「人間、思い通りの者になれる」とは古今東西、言われている所です。自分が抱く人生のイメージは自ら実証出来ることは大事なポイントです。
 その為には、その抱くイメージは常に清廉であるべきで、自らの事例を他者に影響を及ぼす意味からも、優れた模範になるべきことは言うまでもないでしょう。私達が取り組む一人一人の人生は、他者に影響を与えることにより大きな意義があるのです。
 しかし、前述のようにその実現の為には、意識への盲目的とも言える信頼と新しい分野に飛び込んで行く勇気も必要ということになります。自ら目指すものを正しく設定すれば、その実現に向けた一歩を踏み出したことにもなる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落244

244 Of what value is a talent if you do not use it? Suppose you have the talent of a great artist and know it, but all you do is to think and dream about it. And never bring it forth into reality which takes action to accomplish, so you never profit from it. You do not even prove to yourself that you could manifest your dreams and make them a reality. So all of your dreams and prayers regarding your talent are still unknown and remain in the dream state. And this will continue until you decide to express your latent ability. For then and then only will you prove to yourself that it is real and livable. And so it is with self development - the potential of all that we have spoken of is within you, but it will not do you or anyone any good as long as you do not bring it forth.
244  もし貴方がその才能を使わないとするなら、才能に何の価値があるでしょう? 貴方には偉大な芸術家としての才能があったとし、貴方がそれを知っているけれども、貴方はそのことを考え、夢見ているだけの状況を考えて見て下さい。そしてそれを達成するには行動を必要とする現実世界にそれをもたらすことが無かったとすれば、貴方はそれから何らの利益を得ることは有りません。貴方は自分の夢を形に表わし、それらを現実にできるということを自分自身にさえ証明していないのです。ですから、貴方の才能に関する貴方の夢や祈りの全ては未だ知られることなく、夢の状態に留まっています。そしてこのことは貴方が自分の潜在する能力を表現しようと決意するまで続きます。時として、貴方はそれが本当であり、生きたものであることを自分自身に証明することしかないのです。ですから、それは私達がこれまで話して来た貴方の内部にある全ての可能性である自己発達とも同期していますが、それは貴方が現実化させない限り、貴方や誰に対しても良いことをもたらすものではありません。


【解説】
 私達各人の内部にはこのように溢れるばかりの才能とそれを授ける英知が備わっている訳ですが、それを現実の形に表現する為には、各自、自らが行動を起こす必要があります。実は英知はそれを期待して才能を授けているのです。
 しかし、私達は多くの場合、夢ばかりを語り、それを具体的な行動として現実世界に適用しようとはしないようです。一歩踏み出すことには、決意と一段と進んだ"英知への信頼"が必要だからです。行動を通じて新しい体験が生まれ、自らの欠点も明らかになる訳で、行動をして見なければ、新しい展望は掴める筈もありません。
 その為には古い習慣を潔く捨てて、常に新しい展望を求めて研鑽を続けることが重要で、新しいテーマに挑戦する姿勢は年齢にかかわり無く持っていたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落243

243 At first it will seem like an impossible task, but everything at one time looked impossible, even learning to walk. But constant diligence brings success. Seldom does man find gold on the surface and so it is with this. Man must dig deep to see reality.
243 最初はそれは不可能な任務のように見えるでしょうが、歩くことを学ぶ時でさえそうであったように何事もかつては不可能に見えたものです。しかし、変わらぬ勤勉さは成功をもたらします。金はめったに地表に見つけることはなく、このことも同様です。人は現実を見る為には深く掘り進めなければなりません。


【解説】
 一度、本を読んだからといって著者が伝えたかったイメージを正確に掴むことは難しいものです。まして長年暮らしてきた生活を見直して真の自我に気付き、意識の偉大さを実感、その声を聴けるようになるまでには相当の努力が必要でしょう。
 しかし、著者はこれは真面目に取り組めば、赤子が歩けるようになるのと同様、必ず実現できるとしています。そもそも私達の生きる目的がそこにある以上、私達は少しぐらいの失敗で諦める訳には行かないのです。
 その為には、いたずらに表層的な事象に囚われることなく、物事の本質や深層について理解しようと研究することが重要だという訳です。とりわけ各自の日常的な生活の中での心の活動や意識から来る印象類についての観察は重要な所です。観察はしていてもとかく心の抱く時々の感情に流され、気が付くと客観性を忘れていることが多々ある訳で、実践は容易ではないのですが、少しずつでも心の動きを観られ、印象にも鋭敏になれる自分であるよう努めることが肝要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落242

242 And all of this is present within you now, like the feeling of how you would like to be treated by others, so just return the same to all forms of life. But do not give up because you do not succeed on the first, second or third try. Just become more determined to master the situation. And the more determined you are the better the results will be.
242 そしてこの全ては、丁度、他の者にそう扱われたいと思う気持のように現在の貴方の中に存在しますので、ただ生命のあらゆる形あるものに同じことを返せば良いのです。しかし、貴方が一度や二度、三度の試みでうまく行かなかったからといって諦めてはいけません。その状況に熟達するにはより深く決意すれば良いだけです。そしてより深く決意すればする程、より良い結果が付いて来ることでしょう。


【解説】
 こうすることで生まれる自身の内側の平安を、自分が意識から授けられたように、他のいわゆる生物、無生物を問わずあらゆるものに与えよということです。
 しかし、その努力も最初の内はうまく行かないかも知れないが、それを続けよと言っています。私達は通常、自分の要望を念ずることはあっても、他者に対して自分が望むような幸せを捧げようとはして来なかったことを反省すべきでしょう。奉仕とはそのような行動を示すものです。
 これらの生き方が指針になれば、この地上も世の中、次第に良くなって行くことは間違いありません。私達が本講座のような学習を続けることの意義の中には、自身の成長に加えて、私達自身が他者に対して良い影響を及ぼすことが期待されていることがあります。
 一つ一つは砂粒ほどの大きさでしかありませんが、それらが互いに影響を及ぼすことで、広大な砂浜全体が輝く存在になるのと同様です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落241

241 Then you will begin to live as the Venusians and others do and discrimination will no longer be a part of your life. When you are able to do this and every one is, your mind shall witness things of far greater beauty and peace than you have ever known. And your body will manifest the evidence of the perfection to be.
241 そうすれば、貴方は金星人達や他の人達のように生活し始めることでしょう。そしてもはや差別は貴方の生活の一部になることはないでしょう。貴方がこのことを成し遂げられる時、また誰でもそうですが、これまで知らなかった遥かに偉大な美しさと平安さを目撃することになります。そして貴方の肉体はその完璧さの証しを体現するようになるでしょう。


【解説】
 このように私達が本来の心のありよう、即ち意識からの印象に頼って生きるようになると、変化が生じるとしています。それは本項にあるように、いわゆる美しさに対する感性が高まるという訳です。
 状況は各自の背景やこれまでの歩みによって異なりますが、私が個人的体験を基に言えることは、風景や事物、他者に対する感性が高まることに、間違いはありません。他人(ひと)が見落としている美しさや自然の光景に極めて鋭敏になれる気がします。
 これらはほんの一端ですが、印象に鋭敏になればなるほど、芸術性の高い暮らしが出来るものと思われますし、また身体の健全度も増すものと思います。写真や絵画等の腕前も上がるかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落240

240 And you do not have to give up anything that you enjoy in life now, but replace the extremes that are indulged in with moderation. And permit your mind to see God manifesting in all forms of life and in every cell that makes up the form. For the life of any form and that of a cell is the life of God expressing in varying degrees through the many forms.
240 そして貴方は現在の生活で楽しんでいるどのようなものも諦める必要は無く、ただ欲しいままにしている極端さを適度さに置き換えるべきなのです。そして貴方の心をして、あらゆる生命の形あるものの中、そしてその形を作り上げている一つ一つの細胞の中に神の現れを見させることです。何故なら如何なる形あるものの命、細胞一つの命も皆、様々な形あるものを通じて多様に表現される神の生命であるからです。


【解説】
 意識に従う生活の中で、何か特別な制約がある訳ではなく、従来どおりの生活をして良いとしている点に注目です。特別な「行」に専念して、従来の暮らしを捨てるようなことはしなくても良いと教えているのです。更に自分の趣味も極端にならない範囲内で続けて良いとしています。
 重要な点は、「あらゆるものに創造主の現れと意図を見よ」ということです。通常、私達の目はものの外観しか認知しませんが、同時に因から来る印象を感知することで、その内部の精妙な生命活動をも知覚できるようになるという訳です。このことを最も重要視して取り組めとしています。
 その為には、印象を心が感知する必要があり、先ずは心自体があらゆる存在に対して謙虚になる必要があります。印象を受けるにはその発信者を先ずは受け入れる必要がある訳で、創造主からの印象を受けるには、私達の側に発信元である創造主を受け入れる態勢がなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落239

239 And it makes no difference how many books you read, or how many religions you embrace, or how many courses you may take and teachers you may have, not any of these will bring this reality to you unless you do as the prodigal son did. Die in the pride of the will and the ego and be reborn in humility and the WILL OF CONSCIOUSNESS.
239 そして貴方が如何に多くの本を読んだかとか、如何に多くの宗教を奉じたか、如何に多くの教科を受講し教師を得たかといった事柄は貴方がその放蕩息子がしたように行わない限り、そのどれひとつもこの現実を貴方にもたらすものではありません。自分の意志のプライドと自我を葬り、謙虚と意識の意志の中に生まれ変わることです。



【解説】
 自分と真剣に向き合わなければ何をやってもダメだということでしょう。確かに他人(ひと)から話を聞いたり、本を読んだりして、その時は納得したように思えても、振り返って自分自身の心の動きの実態を観たり、対する自分自身の親とも言える意識の働きについて知ろうとする努力がなければ、それは一過性の気分で終わってしまうのではないでしょうか。
 自分自身がこれからどう生きようとしているのか、自我を捨てて、意識の印象に帰依することが何よりも優先すべき問題である訳です。
 著者は様々な箇所で人間を家に例えています。その家の中に両親(意識)と暮らしているのが私達なのですが、その本来の家からさまよい出てしまった所に今日の問題がある訳です。なお、家にある窓を私達の心(感覚の心)に例えていること(「生命の科学」第396項)も興味深いものがあります。外界の情報を伝える窓自体が勝手に光景を判断し、それを自分の解釈を加えて着色するところにも問題がある訳です。自分の家でどう暮らして行こうとするのかが、問われています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落238

238 This is re-newing the mind and born again, as Jesus said. For one really dies as an ego pride will only to be born in the Will and the Glory of the Cosmos. Like the drop of water that finally becomes the ocean of water by uniting with it, no longer just a drop.
238 これはイエスが言った心の再生であり、生まれ変わりです。何故なら、人は実際には一つの自我のプライドとして死ぬと宇宙の意志と栄光の中に生まれ変わることになるからです。ひと粒の水の一滴が大洋と結びつくことによって遂には大洋になり、もはや一滴の水では無くなるのと同様です。


【解説】
 プライドを捨てて自らを意識から来る印象に従わせることを徹底することは、ある意味それまでの自分が死んで新しい存在に生まれ変わることを意味します。前項にあったように放蕩息子が帰還することはそれまでの自分の過ちを認めて、両親である意識に改めて従うことでもあります。
 おそらくこの場合、人格も一変するような人生の一大転機ともなる筈で、真理についての覚醒が生まれる瞬間でもあるのでしょう。
 同じものを見ても同じ音を聴いても、感じる内容は実にその本人により大きく異なります。ちなみに毎朝、本シリーズの草稿を考えるのは東京に向かう通勤電車の中なのですが、今の季節、丁度日の出の時間帯になります。東の空から大きなオレンジ色の球体が走る電車の中からも分かる程、目覚しいスピードで昇って行き、私達を含めあらゆる者に朝の光を授けています。そのオレンジ色の輝く球体は何か優しい観音様のように皆の者に暖かさと光を与えて呉れるようです。自分の中に観音様が飛び込んで来るような印象で、大変ありがたく思うものです。もちろん、客観的にはこれらの事象は毎日起こる訳ですが、大事なのはそこから発せられているだろう印象にどれほど、鋭敏になれるかであろうと思います。
 ひとたび自我を自ら捨て去って、意識の下で暮らす時、実は毎日が驚くほど色彩豊かで美しさに満ちたものであることが分かるようになるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落237

237 In the prodigal son there was still one small part that accused itself of wrong doing which was symbolized by the son who had never left the household. For in every individual the original spark remains. That is the only hope for the straying one to be drawn back to his original place. So the small original spark reminded the prodigal son of his deeds. But this was soon overcome by Cosmic Consciousness for it knows no judgment or discrimination. But it takes a great determination to accomplish this victory and lose the self as an ego in the COSMIC SEA OF CONSCIOUSNESS.
237 放蕩息子の内部には家を出たことのない息子として象徴され、誤った行動を叱責した小さな部分が依然として存在します。各個人の中には原始のきらめきが残っているのです。道に迷った者にとってはそれが自分の起源に戻される為の唯一の希望でもあります。ですから小さな原始のきらめきがその放蕩息子に自分の行動を思い出させるのです。しかし、これは宇宙意識によって直ぐにも征服されてしまいます。何故なら宇宙意識は如何なる裁きも差別も知らないからです。しかし、意識の宇宙的大海の中でこの勝利を得て、エゴとしての自己を捨てることが出来る為には一大決心を必要としています。


【解説】
 この放蕩息子の物語は私達自身の中で起こっていることを示唆しているように思われます。つまり、家そのものが私達自身であり、その中に私達自身の中のエゴの部分、更には本項で言う家を出たことの無いもう一人の息子、更に私達の両親、言い換えれば本シリーズで言う「意識」が暮らしているという訳です。
 私達はこれまで、外界に目標を求めて自らの家を出て、外の世界に出て放浪の旅を続けていました。しかし、その放蕩の結果、辿りついた結論は自らの家の中の両親の有難さでありました。
 結局は何をするにしてもその基本能力を高める必要がある訳で、自らの生命を授けて呉れた創造主から多くを学ばねばならず、やみくもに家を出てはいけなかった訳です。
 このことに気付き、自らの限界を悟った後に、家に戻ると両親は暖かく迎え入れて呉れるということは重要なポイントでしょう。創造主は常に暖かくエゴを捨てた私達を迎え入れて呉れ、惜しみなく愛情を注いでくれるのです。そのことに私達が気付いたことに意識は大いなる喜びを感じて下さると言うことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落236

236 Upon his arrival home his ego received a surprise. For his father had a banquet prepared for his wandering son and welcomed him with open arms as though nothing had ever happened. For when an ego conquers itself-there is no greater victory and rewards for the efforts are unlimited. And the individual is endowed with all of the needs of life, wanting for nothing.
236 彼が家に着いてみると、彼のエゴは驚きを受けました。何故なら、彼の父親は放浪していた自分の息子の為に祝宴を用意しており、まるで何事も無かったかのように彼を両腕に抱いたからです。それはエゴが自分自身を乗り越えた時、それにまさる勝利は無く、それに至る諸々の努力への報いは限り無いものだからです。そして、各自は生活の必需物の全てを授けられ、何も不足することは無くなります。


【解説】
 よく聞く聖書のお話です。物語としては良く分かる内容かと思いますが、その本旨は私達にとってどのような内容を示唆しているのかについては、よく考える必要があります。
 私達が自らのエゴの限界やそれが仕出かしてしまった誤った行動の数々を悔い改め、新しい生き方を定めて困難な道を進み、やがて生命の全体像を理解するに至った時、私達は自分が本来生まれたばかりの恵まれた状況の有難さを再認識することでしょう。
 そしてその中では誰もが自由に豊かに暮らして行ける訳ですが、その物語はそうした創造主を両親とする一大家族の一員として暮らす豊かな生活があることを私達に教えているように思うのです。
 もちろん、その生活に入る為には怠惰やわがまま、所有欲等々のエゴの問題を解消しておく必要があり、死さえも苦にならないような生命の根源に対する絶対的な信頼が前提となる訳です。
 夜空を見上げると星達と心を通わせられるような心境になれば、着実にそれら素晴らしい生活に一歩近づいていることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落235

235 The story of the Prodigal Son in the Bible gives us a good insight as to what must take place. The mind of the prodigal son is a portrayal of all minds. For he, after deciding to return, had to humble himself and cast aside all of his pride, willing to face whatever might come. Knowing full well that some of the household would point fingers at him and remind him of his bad deeds. Yet he knew that their life was not his life. And they had not had the experiences he had gone through, even though they may have had similar ones. Knowing all of this he was still determined to conquer the will of his mind and return to the will of his real self - the consciousness - the Father of all forms.
235 聖書の中の放蕩息子の物語は私達に何が為されるかについて良い洞察力を与えています。放蕩息子の心はあらゆる心を表わす肖像画です。彼が家に戻ることを決心した後は、如何なる事態が来ようとも喜んでそれに直面し、自分を謙虚にし、自分のプライドをことごとく脇に捨てなければならないからです。家の中のある者は彼を指差して彼の悪事を彼に思い出させることも十分知ってのことです。しかし、それでも彼はその者達の人生は彼のとは異なっていたことは分っています。そしてその者達が彼と類似した人生であったとしても彼が通った体験はしなかったであろうこともです。これらの全てを知った上で、彼はそれでも自己の心の意志を克服し、彼の真の自己、意識、万物の父の意志に戻ることを決心したのです。


【解説】
 日本語では「放蕩息子」と訳されてきた"Prodigal Son"の"Prodigal "には「浪費」の意味合いがあるということです。つまりは与えられた資源(環境)を長年浪費して来た人間という意味も含まれている訳で、環境汚染はその代表例かと思います。私達は与えられた環境や時間を浪費したまま今日まで、生命の源である「意識」の元に帰ろうとして来なかったということです。
 日本語には「改心」という表現がありますが、真に心を改めて生命の源に帰依することが求められています。その為には一人一人の揺るぎない決心が必要で、これまでの悪事や浪費を認め、文字通り心を入れ替える必要があるということです。
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